【旧題:「家族」(1996)、「亡父 葬儀 遺族代表挨拶」(2012)】 私が高1の夏休みの宿題で書いた作文と、 32歳のとき、61歳で亡くなった親父の葬儀での挨拶文です。 どちらも家族について赤裸々に語った”ダサい”内容で、 また高1の作文には、誤字・脱字、誤用が散見され、 恥ずかしさもあるのですが、そのまま載せます。
僕は中学時代、自分の幼なじみをイジメた。 イジメについて書かれた書籍は多々ある。だがそれはどれもこれもが、頭の良い大人達がたくさんの言葉と理論でそれを分析したあくまで客観的なものだ。もちろんそのどれもこれもが素晴らしいし、非の打ち所などない。文才のない僕にはとても追いつけない代物だ。 でもひとつだけ言える事がある。「それは本質ではないんじゃないか」 だってイジメの中心にいるのは理論では到底計り知れない『子供』達だからだ。だからといって僕が答えを持っているわけでもないけど。 頭も悪い、文才もない僕だが、小学生からの幼なじみをイジメた僕の経験をここに記すことで、理論では計れない何かが、もしかしたらあなたには見えるかもしれない。
一般社団法人 日本ソーシャルマイノリティ協会 (通称新宿24時間駆け込み寺)代表・玄 秀盛の実妹の歩んできた道。 突き当たってしまったのは超えられない壁ではなく、開ける事の出来る扉なのです。 苦難を乗り越え、最後に手にしたものは、「精神障がい者」と「幸せ」。