ジキルとハイド

この感想文の後半に友人が寄せてくれた感想文も追記してあります。

2007/5/11・12日 『ジキル&ハイド』 梅田芸術劇場

演出=山田和也

出演

鹿賀丈史=ヘンリージキル/エドワード・ハイド

香寿たつき=ルーシー・ハリス

鈴木蘭々=エマ・カルー

戸井勝海=ガブリエル・ジョン・アターソン

浜畑賢吉=ダンヴァース・カルー卿

ざっとのあらすじ

医者であるヘンリー・ジキル(鹿賀丈史)は精神を患っている父親の病気を治したいと研究を続けていた。それは人の心の善と悪を別ける事、そしてその実験をしたいとセント・ジュード病院の最高理事会で人体実験の許可を求めたが却下される。唯一人ジキルと婚約をしているエマ(鈴木蘭々)の父親ダンヴァース卿(浜畑賢吉)だけは棄権したがダンヴァース卿はそんなジキルを危ぶんでいたのだ。

失意のジキルを慰めようと顧問弁護士でもある親友のアターソン(戸井勝海)は娼婦の館(どん底)へ連れて行く。そこで出会ったルーシー(香寿たつき)の言葉から薬を自分で試すと言うヒントを得て、自宅へ帰ったジキルは開発した薬を自分で飲む。この開発した薬というのが透明で真っ赤な色が不気味に光るなんとも不思議な液体だ(笑)やがてその効果が現れ始め気持ちの高揚したジキルの分身は己の事をエドワード・ハイドと名乗り夜の街へ出て行く。すぐさま名前が付いているのがスゴイわねぇ?!(笑)

夜のロンドンの街で次々と殺人が起きる。殺されるのはあの最高理事会でジキルの研究に反対をした人ばかり・・・。そんな折ジキルに貰った名刺を頼りにルーシーが傷の手当てをして欲しいと訪ねて来て、やったのはエドワード・ハイド(鹿賀丈史二役)だと言われ愕然とする。エマとの結婚が迫る中ジキルは真実をアターソンに打ち明けルーシーに「ロンドンからすぐ去るよう」と手紙をアターソンに託すがルーシーはハイドに殺されてしまう。ハイドをコントロールできなくなったジキルは彼を抹殺するには自分が死ぬしかないとアターソンに自分を撃つよう頼むがアターソンはそんな事は出来ないと拒絶するがハイドに襲われそうになり思わず発砲してしまう。撃たれたジキルはエマの腕の中で息を引き取った。

兎に角鹿賀さんの存在感がスゴイ!変身がスゴイ!最初の変身は舞台の上で後ろ向きになり束ねていた髪をバラッと解いてこちらに向いたときはハイドになっていたのだが、次第に声だけでジキルとハイドを演じ分け、とくに二つの人格が一つの体の中でせめぎ合う場面の迫力は圧巻だ!

だが「善と悪」を分けられれば父の病が治るとジキルは言うが、舞台で見る限り父親の病は今で言う「痴呆」ではなかったのだろうか? こんな揚げ足を取りながら観てはいけないねぇ?(笑)現代でも余りにも科学や化学にのめり込み過ぎるとこんな現象が起きるかも知れないという警鐘かな?

しかし自分の分身、いや自分自身が殺人犯だと知っていて愛するエマと結婚するかなぁ?? 彼女を不幸にするだけじゃない。こういう矛盾が気に入らない(笑)

ルーシー役のマルシアさんの評判がとても良かったがマルシアさんは地方公演ができないとかで、香寿たつきさんが演じているが儚いマルシア・ルーシーに対して逞しいルーシーという感じだろうか。でも私は香寿ルーシーは妖艶でとてもよかったと思う。

なぜルーシーは殺されたのか?ハイドは愛しいルーシーと言っているから惚れたんだろうな。ところがルーシーはジキルを慕っている、で嫉妬のあまり・・・、と言うところか?

エマの父親役の浜畑さんは娘を慈しみ、結婚して幸せになってくれる事をひたすら願っている優しい父親役がとても良かった。歌がとても上手だと思ったらパンフで彼が四季にいた事を初めて知った次第。

そして戸井さんのアターソン、ミュージカル作品でありながら今回は戸井さんの歌は余り無くて、ストレートプレイのような役だったけど、ジキルの親友として思いやりの有る良い役柄だった。東京公演が始まってから幾つかのサイトを覗いてみたが、いづれも戸井アターソンの評判は良くてなにより・・・(*^-^*)

そしてこの舞台のアンサンブルが素晴らしかった! 

鹿賀さんのファイナルの「ジキ・ハイ」だから観に行ったわけではなく、もし戸井さんが出演していなければ多分行かなかったと思う(^^♪



4/14日 『ジキル&ハイド』 日生劇場 byかおさん

初日も今日も2階A列。

A席だけれど、最前列はさえぎるものがないだけに、観やすくて素敵!

特に、昨日はど真ん中だったので、その美味しさは言うまでもない。

戸井アターソンは最初から最後までわりと出番は多い。

歌はわたしは少ないと思うのだけど、それなりには歌ってて、ソロ部分も若干あり、やや長めのソロが入っている曲がある。が、戸井アターソンは、ほとんどは歌なしのセリフ劇が多い。アターソンはジキルの友人で顧問弁護士でもある。知識階級で、育ちもよさげで、いつもパリッとした衣装だ。細身の戸井さんはいつでもどんな衣装でも似合うけど、今回の衣装もどれも男っぷりがあがって、なかなかいい。

アターソン絡みを中心に見たストーリーはこんな具合。

医者のジキルには精神を病んだ父がいて、ジキルはいつか父を救いたいと、善悪を分離する薬を発明する。発明した薬を試したく、被験者の提供を病院の理事会に依頼するが、けんもほろろに申し出は却下される。

アターソンは、ジキルの数少ない友人の一人で、ジキルを心から心配している。理事会での件で元気がないとみては、娼館「どん底」に伴ったりもする。

その後ジキルは「どん底」でのふとした会話から、自分の発明を自分で試そうと研究室にこもりがちになる。アターソンは研究に没頭しすぎのジキルを心配し、様子をみにきたり、没頭しすぎていることへ忠告もする。どの場面でも、常に友人ジキルのことが常に頭にある様子だ。ジキル家の執事から、別の人間が誰かいると聞いては心配をし、ジキルが「もしも自分に何かあったときに」と託した手紙読んでは、さらに心配を募らせる。

ロンドンでは、ジキルを理事会でなじった人物が次から次へと襲われる事件が起こる。そんな中、アターソンはとうとう、ジキル以外の人間が研究室におり、悪態をつくのを目の当たりにし、なおかつその人間がジキルに戻るのまでも目にする。ことの重大さを察知し、アターソンはなんとかジキルに元に戻って欲しいと切に思い、協力も惜しまない。

ジキルを慕うルーシーの身の危険を案じ、ジキルからの手紙を託されるアターソンは、手紙を渡すと、ジキルの言うようにすぐにロンドンから出るように諭しもした。しかし、ハイドに変身したジキルはルーシーまでも手にかける。ルーシーを襲った後、われに返ったジキルは、ハイドを追い出すべく薬を飲み、二つの人格の間でせめぎあう。

やがてハイドを追い出したジキルは婚約者エマと結婚し、披露パーティの日を迎える。しかし、エマとの幸せの絶頂にいたジキルに突然異変が起こり、アターソンはジキルの異変を察知し、外へ連れ出そうとするが、現れたハイドに殴られ意識を失う。ハイドはパーティー客の中に理事会でジキルを卑しめたストライドをみつけると、一目散に戦いを挑み殺してしまう。ハイドが次にターゲットとしたのが、エマだった。

そのさなかにアターソンは気がつき、ジキル(ハイド)に、やめるようなんども怒声を浴びせるが手は止まらない。

アターソンはついに銃口をハイドに向け、手を離すよう迫る。

銃口を向けられると、ハイドは時にジキルを出現させ、震える手で銃を向けるアターソンに自分を撃つように迫る。 一瞬安全装置をはずしたかに見えたが、アターソンは「僕にはできない」とうな垂れるが、その瞬間自分を襲おうとしたハイドを撃ってしまう。と、同時にエマを殺そうとするハイド。

アターソンはハイドに銃口を向け、連射した。ハイドはエマの腕の中に倒れこみ、最期にジキルに戻って息絶えた。

と、ここで終幕となるのだが、

アターソンはその都度都度のシーンに登場し、ジキルを思っての行動を重ねる。友人を大切に思っている様子が見てとれる。

娼館「どん底」でのアターソンの鼻の下ののび加減や、にやつき加減は初めて観た表情かもしれないけど、ちょっといいかも(笑)

店の前に着いてからも早く入りたそうにうずうずしている感じがいいし、友人にこういう場所が必要だと大義名分をかざしているけど、自分でもものすごく嬉しそう、楽しそうなのが素直でいい。ただ、1night-loverを伴い店の奥に消えて行くところでのアターソンの女性の背中に回された手にはギトギト感とかが感じられなくてやや気にもなったけど(苦笑)

研究室にこもりきりのジキルを心配し、同じように心配するジキルの婚約者エマとジキルを訪ねるシーンでの、彼女を元気付ける紳士然としたやさしげなまなざしもいいし、同じシーンでやや斜めに長いすに腰掛け執事の話に耳を傾ける姿勢も余裕を感じさせる。もちろん、その時の上着の裾裁きも自然でいい。

戸井さんはこんなしぐさをどこで身に着けるのだろう。

生まれながらの紳士のように見える。

また、研究室で初めてハイドを目にし、ジキルをどこかに隠したのではと疑い、勇ましく銃口を向け問いただす時の精悍さも決まっているけど、そのあとハイドがジキルに戻るのを見たときの、驚愕と何が起こったのかを理解しはじめ狼狽する、怖さも混じったような声や情けないような表情もいい。

さらに、ジキルに託された手紙をルーシーに渡し、「すぐにロンドンを出るんだ」と諭すあたりも、ことの重大さを感じての使命感のようなものが感じられる。ここでの戸井アターソンの表情、個人的には一番カッコいいと思った。

こんな風に声や表情を短い間に変化させるのは戸井さんの得意とする

ところだとは思うけど、この自然な様子には驚かされる。

表情の変化ということに関して言うなら、ラストシーンまでの変化、銃口を向けてから、ジキルを撃ってしまうまでの間も素晴らしい。

銃口を向けていながら「僕を撃ってくれ」とジキルに懇願され、「撃たなければ」と言う思いと「友達を撃てない」という葛藤に表情がくもり、銃を握る両手の小刻みな震えが、アターソンの葛藤を物語る。

最終的には銃をさげ「僕にはできない」とうな垂れ、決心のつかない自分を情けなく感じている様も切なく映る。が、ハイドが自分に向かってきたときに反射的に撃ってしまった時の驚きの表情から、ハイドをなんとかしなければ、と決意したような、唇がきゅっと結ばれた表情への変化もツボだったりする。

エマの腕の中で、ハイドが息絶える中、ジキルが現れた時に銃を降ろす様は、撃ってしまったことへの後悔でもあるかのようにうつる。

暗転して、アターソンの表情が見えないのが実に残念・・・・。

とまあ、こんなふうに戸井アターソンばかりをオペラグラスで追いかけていると、かなり怪しい人になってしまうので、自制しながら、気をつけては観たが、やはり二幕目からは自制も効かなかったらしい(笑)

鹿賀さんは最初はさわやかに、志高い研究者をを好演。

さらにハイドに変わるようになってから、二つの人格の差が強調され圧倒的な存在感を魅せてくれるし。

マルシアさんの歌は筆舌に尽くしがたく素晴らしいし・・・・。

鈴木蘭々さんはちょっとだけおとなしめで、あまり目立たないけど、洗練された美しさと品のよさで暗い舞台の一服の清涼剤のよう。

また、アンサンブルの歌声の素晴らしさもゾクゾクさせるし・・・。

ほんとに全体的に質の高い、お得感のかなりある舞台なのです。

ですが、この文は、あくまでも戸井アターソンファンの視点として、アターソンフォーカスで書かせていただいた観劇記ということで

ご理解いただけますようお願いいたします。

飽きてしまうかと思ったけど、やっぱりハマるかも、と言う方が今の気持ちに近いように思う。

「やっぱり戸井さんすきだわ?」と思ってしまった(笑)

大阪も名古屋も買っておいて正解だったかな。

ジキルとハイド

ジキルとハイド

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-09-19

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