「登山。車椅子で参加しても良いですか?」
参加してもいいですか、 【車椅子で登山に参加して】障害者年を期に、この言葉は毎日のように耳にしますが、 先日、山〈白山〉【加藤文太郎祈念登山】に連れて登ってもらいました。
( 1, ) 「共に生きた時間」
森下 善和
「 白 山 へ ・ ・ 、」
「共に生きる」。障害者年を期に、この言葉は毎日のように耳にしますが、 先日、山 〈白山〉に連れて登ってもらいました。ここ真生園の事務所に勤める吉田和夫さんに「森下君。山に行かないか」と言われて、目立ちたがりの私ですから。「行きます。」と即座に答えました。その日から迷惑を少しでもかけたくないと思い、腹筋・屈伸運動の数をこれまでの倍に増やしました。
始めの予定では、代わる代わるに背負ってもらい登る予定でしたが、吉田さんは、前もって お手伝いしてくれる人達を3人確保して、
「もしも上まで登る事が出来なければ、私達も諦めるから森下君も
諦めてよ。その代わり食べ物の心配はいらないように板前の仕事をしている友達を含めて気の会う友達3人が行動を共にします。」と
言ってくれました。 そして車椅子を持って行く方が良いからと言って、持ち上げやすいように四方にザイルを取り付けてくれました。
そもそもこの登山は、私の生まれ故郷の浜坂町浜坂にある。「加藤文太郎を語る会」のメンバーが企画されたものでした。
2ヶ月前に吉田さんと2人で浜坂に行きメンバーの人達と合い、「車椅子で参加したい」と相談と言うより頼みに行きました。 初めは、びっくりしたようですが、すぐ快く引き受けてくれて「出来るだけお手伝いはしますけど、登れない事も覚悟しておいて下さい、なにしろ山ですから天候次第でどうなるか分かりません。登る事がムリだと判断したら諦めて下さい。私達も残りますから」。と言ってくれました。 「私1人の為にそんな事は出来ません」と言うと吉田さんが「もし無理なようなら。途中の甚之助避難小屋で私達は宿泊します、そんな場合に備えて板前の仕事をしている人を頼んだのです。他の2人の人達も山をよく知る人達ですから心配はいりません。」 森下君も心配するなよと言われ。安心して私は心の準備をしていました。
でも登る数日前になると不安で落ち着きません。悩んでいる私の耳に、いろんな言葉が聞こえてきます。「私も2・3年前に登ったけど良い所であんな体験は2度と出来ないから行ってくると言い」、と励ましてくれる人やら。 反対に「吉田さんもおぶってまで山なんかによく登るナー」とプレッシャーをかける人、「そんな危ない普通の人でも危険な所に、人に迷惑をかけてまで行きたいのか、僕だったら絶対に行かない、」と長い手紙を書いて忠告してくれた人もいました。 みんなに色々言われて、断ろうかと思いました。 でも、人間何事でも諦めたらおしまいなんだ。自分でダメだと思うような事に対面して、うまく出来た時は喜びは大きいし自信も付きます。人が生きると言うことは多かれ少なかれ誰かに迷惑をかけます。 まして私にはハンデイがあり、独りでは何も出来ません。 誰かに迷惑をかけなければ人、独りでは生きては行けないのです。
「 障 害 に 挑 戦 」
人生は自分との戦いなんだ。特に私にはハンデイが〈障害〉があります。私は人と同じ事は出来ません。でも自分で工夫して、考え方、やり方を変えたら出来ると思います。自分の障害に挑戦する事、そして自分に勝つ事、それが私の生き方だと信じています。生きて行く為に迷惑かけるからと言って、自分が不自由な体だから遠慮してなにもしないより、アツカマシク生きて、1人でも多くの人と生きて行きたい。 障害は私の個性です。先日の広島・長崎の旅でこの事を実感しました。吉田さんも私の障害を承知の上で誘ってくれたのです。浜坂の人達も私に障害がある事を承知の上で応援してくれている。 ここまで来ると、もう山に登る事を止めたいなど、私には口が裂けても言えません。頭の中で割り切ったはずなのに割り切れません。2・3日悩んでいるうちに行く日が近づき、もうどうにでもなれと思いました。そして当日になるともう迷惑など考える余裕などありませんでした。
「いよいよ出発」
9月6日の夜の10:00過ぎ夜久野でバスに乗り、名神高速、北陸自動車道を通って、7日の午前5時過ぎに白峰村(石川県)に着きました。そこで 朝ごはん。藤原さんは、さすが板前さんです。あっと言う間に小さなコンロを取り出すと お味噌汁を作ってくれました。7時過ぎ、別当出会を出発、一足進むと45度ぐらいの急な坂道で巾が60センチぐらいの吊り橋のような所を8人で車椅子を抱えるようにして連れて降りてくれました。「あれーっ登るのでは無くて降りるのかなー」と思っていると60―80センチぐらいの石がゴロゴロとした傾斜のある所を50メートル程進み一休み。
みんな汗まみれ・どろまみれ、ザイルが肩に食い込んで痛そうです。 私の方は、座っているだけですから楽に見えますが、私の車椅子にはステップ〈足をかける所〉が無いので踏ん張れません。垂直に持ち上げてるようでもデコボコ道。それに傾斜がありますから車椅子が斜めになる度に、腰とお尻に力を入れて踏ん張りバランスを取ります。お尻はしびれて感覚がありません。腰痛。膝の裏からふくらはぎはパンパンに張っています。
もうダメだと思っていたら一休み。〈助かった。みんな一生懸命に頑張っているのに、このぐらいはガマンしなければ〉。西垣さんが水筒を取り出して水をみんなで回し飲みです。「ポカリスエットだ。」そのおいしい事、〈末期の水と良く言いますが〉本当に美味しかったです。
「山は下町、、、。」
30分の休憩後出発。今度は巾が50センチぐらいの急な崖になった坂道を登ります。すれ違う人は、みんな何年来かの友達のように気さくに声をかけて励まし応援してくれます。「大変だけどがんばれもう少しだ。」 こちらも「どうも、ありがとう。」と答える。 今、思い出して改めて思いますが、山と言う所は、下町の人情と言うのでしょうか私達が日頃忘れてしまっている会話での挨拶。 触れ合いが生きています。 例えば、疲れている時など知らない人達が狭い山道で気軽に声をかけて励まし合う。わずか2日間の登山でしたけど、私達が日頃・いや、人が忘れかけている常識。人の本来の姿がありました。名誉も地位も無い、又 障害者も健常者も無い、みんな山に登ると言う全員の約束事、そうです。 みんなの目的は一つなのです。
みんな汗をかきながら4時間余り登ると、“甚の助小屋”遠くの絶壁みたいな所に大きな滝が見えます。「ああーっスゴイ。あんな所に滝がある。大袈裟だけどナイヤガラの滝みたい」。ふと足下を見ると、今までに見た事の無い花が咲いています。手を出して取ろうとすると西垣さんが「森下君それが今、噂のトリカブトの花だ。食べてみるか、」と言われました。びっくりして「これがあの噂の毒花ですか、綺麗で可愛い花には毒があると言うけど、本当に綺麗。。昔のことわざにあります。『綺麗な花には刺があると言いますが本当ですね。』と言うと。みんな大笑いです。
体のしんどいのは、休めば治りますしガマンも出来ますが精神的な苦痛はすごい重圧です。そして それは人が出来る当たり前の事が出来ない、障害者にしか分からない苦痛です。この苦痛に耐えて共に生きる事が私に出来る本当の社会参加ではないかと感じました。
「深山の大滝」
20分程行くと、右方向に広くて高い滝が見えました。 こんな高くて立派な滝を実際に見るのは初めてです。本当に凄い、下の方に目をやると今まで苦労して登って来た道が絵のように見えます。 「森下君あと半分だがんばれ!」とメンバーの人達も順番に背負ったり、声をかけて励ましてくれました。 みんながこんなに一生懸命に私を連れて登ってやろうとして汗をかき、疲れ果て、泥まみれになりながらも頑張っているのに、登る事を一瞬でも止めようと考えた。自分が恥ずかしいと思いました。そして心の中で、「すみません。すみません」と何度もつぶやきました。これから私に出来る事はこの感謝の気持ちを忘れず生きて行く事だと思いました。
2時間余りして室堂に着きました。 山小屋が幾つか建ち並び。食堂、祠、塒、便所。メンバーの人達が下見にお盆前に来た時には、まだ雪があり、山小屋は屋根だけしか見なかったと話してくれました。 向こうを見ると北アルプス、加藤文太郎が遭難死した場所です。右側が御嶽山こちら側には、加賀の山々、雲が出来たての石鹸の泡のようにフワフワと純白に輝いていました。山に登るまで私は、山で遭難死をしたニュースの報道をテレビ・新聞等で見たり・耳にする度に、「何が面白くて山なんかに登るんだろう遭難して死にに行くようなものなのに」と思っていましたが、実際に自分が登ってみたら。その考え方は180度変わりました。人のお世話になって登った私がそう感じるのですから、自分の力で登った人は特別な気持ちなのではないでしょうか、苦労して登れば苦労しただけ嬉しくて満足感があります。私はこんなに嶮しい道を、この高さまで自分の力で登ったんだと言う満足感と自信。それは自分だけにしか分からない自信と言う【証】勲章です。そして、その自信は成し遂げた者にしか分からないのです。
「ただ涙。。。、」
みんなにお世話になり、自分では何もしない、出来ない登山でしたけど、今振り返ってみると、これまでの人生で一番、共に生きた時間です。 吉田さんを初め和田山から同行してくれた西垣さん・藤原さん・仲村さん・そして浜坂町の人達、「加藤文太郎を語る会」の人達、白山で声をかけたり、励ましてくれた人達ありがとう。無事下山してバスに乗った時には全員が拍手して迎えてくれましたその時は涙が溢れて止まりませんでした。
「これなんだ共に生きると言うのは、と実感しました。」
私は、この山登りは生きている限り忘れません。
「登山。車椅子で参加しても良いですか?」
みんなにお世話になり、自分では何もしない出来ない登山でしたけど、振り返ってみると、これまでで一番、共に生きた時間です。 吉田さんを初め和田山から同行してくれた西垣さん・藤原さん・仲村さん・そして浜坂町の人達、「加藤文太郎を語る会」の人達、白山で声をかけたり、励ましてくれた人達ありがとう。無事下山してバスに乗った時には全員が拍手して迎えてくれましたその時は涙が溢れて止まりませんでした。