土曜日の朝。横田の携帯に着信があった。上司の井本からだ。「はい、横田です。おはようございます」《ああ、おはよ。休みの日に悪いんだけど、今日出勤してくれないか。おれの当番の日なんだけど、ちょっと体調が悪くてさ》 横田は、返事をためらった。昨夜から妻が......
あの忌まわしい事件から一年。両方の頬にコブのある爺さんは、自宅の庭で一心不乱にダンスの練習に励んでいた。(このコブを取ってもらうには、オニたちが感心するような踊りを見せるしかない。だが、隣の爺さんがやったようなのは、もはや時代遅れだ。見ておれ......
同性を好きなわけではなく、趣味が女装という男性は、結構多いらしい。一種の変身願望であろう。清五郎の趣味も、それに近いかもしれない。社長室の専用パソコンを立ち上げると、清五郎はSNSに接続した。《午前中の授業、ぜーんぜん、つまんなかった。午後は......
操縦席のイスを倒して仮眠していた中森を、激しい振動と轟音が襲った。瞬時に宇宙船内の照明が赤色灯に切り替わり、非常事態を告げるサイレンが鳴り響く。中森は制服の襟に付いているインカムをタップした。「状況を報告しろ!」 数秒のタイムラグの後......
大手出版社に勤める栃川は、知り合いからどうしても会ってやって欲しいと頼まれ、応接室で初老の男と向かい合っていた。男は和服姿だったが、生地は色褪せ、裾は擦り切れている。みすぼらしい外見とは裏腹に、昂然と顔を上げ、値踏みするように栃川を見た......
初めて行く場所ではなかったが、方向音痴の太田は念のためカーナビに目的地を入力した。すぐにAV端末にロードマップが表示され、音声案内が始まった。《ルート案内を開始します。目的地への到着予定時刻は、15時13分です》「オッケー、ナビ子ちゃん、......
そこは小さな町工場だった。工場長兼社長の本多以外、従業員はアルバイト1名のみ。今日はそのアルバイトの川崎も休みなので、本多一人しかいない。ちょうど発注の切れ目で、午前中でほぼ作業が終わってしまった。「さてと。今日はもう閉めちまうか」本多は......
わしは消火器だ。当然だが、名前なんかない。ごくごく普通のABC火災対応の粉末式消火器だ。ちなみに、Aは普通火災、Bは油火災、Cは電気火災である。わしが置かれているのは、とあるホテルの廊下だ。通行の妨げにならぬよう、壁の凹んだところに納め......
仕事を終えてバスに乗り、吊革に体重を預けながら、和代はぼんやり外を眺めていた。頭の中では、昔、父が酔っぱらうとよく歌っていた『今日の~、仕事はつらかった~』というフレーズがエンドレスで流れている。トートバッグからスマホを出して何という曲名か......
おはようございます。今日はわりと気分がいいです。ああ、すみませんが、カーテンを少し開けてもらえませんか。ちょっと、外が見たいので。そう、そのぐらいで結構です。はい、食欲はあります。もう、おかゆじゃなくても大丈夫だと思いますよ。あ、いえ、......