スランプの精
誰しも、何をやっても上手く行かない時があるものだ。おれが今まさにそうだった。仕事ではしょっちゅうミスをやらかし、そのため自分だけ休みが一日しか取れず、二泊三日の家族旅行の間、一人で留守番することになった。仕事の日は気も紛れるが、一人ぼっちの休日は切ない。
こういう時にはどうしても気持ちが後ろ向きになり、昔のことばかり考えてしまう。おれは、ふと、子供の頃作りかけ、そのままにしていたプラモデルがあったことを思い出した。気になりだすと止まらない。おれは物置小屋の中を探し回った。
その時、古いタイプのランプがおれの目にとまった。こんなものいつ買っただろう。おれには骨董の趣味はない。多分、妻がこっそり買ったものだと思うが、高いものか安いものか見当もつかない。シャツの袖で表面の汚れをこすってみると、白い煙とともに、異国風の衣装を着た大男が現れた。
大男はなぜか申し訳なさそうに、ペコペコと頭を下げている。
「ベタな展開とお思いでしょうが、ランプの精です」
「あ、いや、素直に驚いているよ。へえ、こんなことがあるんだな」
「どうもすみません」
「謝ることはないさ。あれだろ、何か、願い事を叶えてくれるとかだろ」
「ええ、まあ」
「何だよ、歯切れが悪いな」
「いえ、何でもありません。それでは恒例により、願い事を一つ、叶えてさしあげます」
「えっ、一つだって。おいおい、ケチくさいことを言うなよ。普通、三つとかだろ」
「その、一つは一つなんですが、結果がお気に召さなければ、何度でもキャンセルできるというシステムになっておりまして」
「なるほど。バカな願い事をしてしまい、せっかくのチャンスを無駄にするという心配がないわけか」
「そうです、そうです。では、願い事をどうぞ」
そう言われても、パッと浮かんでこない。願い事はいくらでもある気がするのだが、一つだけとなると案外難しい。おれは悩んだ。
「うーん、そうだなあ。やっぱり、カネだろうな。カネならいくらあっても困ることはないし。あ、カネといっても小銭じゃないぜ。できるだけ大金を頼むよ」
我ながら浅ましいものだと思ったが、ランプの精は真剣にうなずいている。おれの脳裏には、雑誌の広告で見たような札束風呂に浸かっている自分の姿が浮かんだ。
だが、何か重いものがドスンと落ちたような音で我に返った。見ると、直径が1メートル以上もある円盤状の岩が転がっていた。
「何だ、これは!」
「え、違いましたか。なるべく大きなおカネということでしたので、ミクロネシアで使われている世界最大の通貨をお持ちしましたが」
「バ、バカヤロウ。こんなカネが使えるわけないだろう。キャンセルだ、キャンセル!」
「あ、はいはい」
岩はパッと消えた。
その後、おれは何度か言い方を変えて試してみたが、なかなか日本の通貨が出てこず、やっと小判が出てきたものの両替が面倒くさそうなので、結局それもキャンセルした。
「もう、いい。やめた、やめた。おれは疲れた」
「そんなことおっしゃらずに、どうか願い事をお願いしますよ」
「うーん、それじゃあ、別の分野にしよう。何がいいかな。そうだ、これまたベタだけど、世界一の美女をはべらせるってのは、どうだい」
「はい、かしこまりました」
ちょっとした王様気分が味わえるだろうという淡い期待は、ものの見事に打ち砕かれた。そこに現れたのはアフリカ系の女性で、お皿のようなものを入れた下唇が円盤状に飛び出していた。このランプ野郎は、よっぽど円盤状のものが好きらしい。
その女性には日本語はわからないだろうと思ったが、おれは声をひそめてランプの精に文句を言った。
「これは、どういうことだよ!」
「あの、彼女はですね、唇が大きいほど美人であるといわれる部族の出身で、間違いなく世界一大きな唇をしていまして」
「もう、もう、キャンセル、キャンセル。早く帰ってもらってくれ」
「あ、はい」
すぐに女性は消え、ランプの精は困ったような顔でおれに聞いてきた。
「では、どのような美女がお好みでしょうか」
だが、さっきのカネの時のことを思い出し、言い直す気力もない。
「もういいから、帰ってくれ」
「え、でも、まだ、願い事が」
「いいんだ。あきらめた」
「そんなことおっしゃらずに。助けていただいたら、願い事を一つ叶えるキマリになっておりまして」
「そんなのこっちの知ったことじゃないよ。あ、いや、待てよ」
「どうぞ、何でもおっしゃってください」
おれはニヤリと笑った。
「一つ、ショートショートのアイデアをくれよ」
(おわり)
スランプの精