11億人いる!
いつの時代も外交官は危険と隣り合わせの職業である。まして、この宇宙大航海時代にあっては尚更だ。交渉する相手は生命形態からして我々と異なっており、爬虫類型、昆虫型、植物型、果ては何型に分類したらいいのかわからない場合すらある。
いや、どんなに違っていても、生き物ならまだいい。
数年の見習い期間を経て、わたしが初めて地球政府領事として赴任した惑星の住民は、鉱物型生命体だった。惑星表面は岩がゴロゴロ転がっているだけでまったく生命の気配がない。仕方なく、先方の出迎えを待つため手頃な岩に腰掛けたら、それが外務大臣だったらしい。
らしい、というのは、わたしが常に携帯している万能通訳機も、ひとつの単語を発音するのに1時間もかかるようなスピードでは、上手く機能しなかったのだ。彼らの平均寿命は1万年ほどであり、万事超スローなのである。ほとんど無人の荒野で修行をしているような状態が続いたので、異動を命じられたときは心底ホッとした。
しかし、今度はどんな惑星に行かされるのだろう。
外務局から支給されている宇宙船に乗り込むと、直通回線で繋がっているモニター画面を通し、上司のグレン長官に尋ねてみた。
「今度はどんな相手ですか。いやいや、タコ型だろうがクモ型だろうが構いませんよ。岩よりは気持が通じるでしょうからね」
ちなみに、鉱物型生命体ほどではないが、長官もめったに表情を変えないためホンネがわかりにくい。
「ああ、喜んでくれ。今度行ってもらう惑星、ウサーンの住民はヒューマノイドだ。非常に親地球的で、とりわけ今は日本文化がブームらしい。ある意味、第二の地球と呼んでもいいくらいだよ」
「ほう。しかし、そんな惑星があるという話は初耳ですね」
「そうだろうな。星連に加盟してまだ10ヶ月ほどだ。きみが岩とニラメッコしている間のことだよ」
「へえ、するとわたしが初代の領事ですか」
「いや、きみは二代目だ。実は、初代領事の大塚くんが体調不良で急に辞めることになり、先方から、できればまた日本人を派遣して欲しいと希望してきてね。そこで、佐藤くん、きみに白羽の矢が立ったのだよ」
何だかアヤシイなと思ったが、長官のポーカーフェイスからは何も読み取れない。
「とりあえず、感謝しときますよ。通信完了」
「気をつけてな。通信完了」
まあ、地球人に近いヒューマノイドなら、前ほど苦労はしないだろう。わたしは宇宙船の進路をウサーンという惑星に設定し、人工冬眠カプセルに入った。
眠りから覚めると、船外モニターのスクリーンにウサーンの全景が映っていた。驚くほど地球に似た惑星である。海の割合がやや多いくらいで、確かに見た目は第二の地球と呼んでもおかしくはない。大きな大陸はなく、大小の島々が点在しているようだ。
すでに着陸許可のメッセージが入っていたので、誘導ビーコンに従って宙港に着陸した。窓からチラリと見えたが、ずいぶん新しい宙港のようである。
エアロックから続く自動検疫室で所定の検査を終え、廊下に出ると、そこから発光パネルの点滅に誘導されて進んだ。発光パネルの点滅は、銀河系標準語で『入星審査室』と書かれたドアの前で止まった。ここまではまったくの無人である。
ドアのインターフォンを押すと、ウサーン語で「どうぞ」と返事があった。万能通訳機は今のところ快調のようだ。
空調のためだろう、二重になっている自動ドアが、順番に開いた。
「失礼します」
部屋の中に入ると、思わず「アッ」と声を上げるほど驚いた。
ヒューマノイドといっても、どうせ皮膚が緑色であったり、耳がとんがっていたりするんだろうとタカをくくっていたのだが、部屋の中央の大きなデスクに座っている相手は、地球人そっくりだったのだ。いや、それどころか、どう見ても日本人だ。
もっとも、異国で同胞に出会ったような感激はなかった。わたしだって他人の容姿を云々できるようなイケメンではないが、相手の見た目は、ある意味衝撃的だった。ヒョウタンをひっくり返したような頭頂部はかなり薄く、眉は長くたれ下がり、口元にはドジョウ髭がヒョロヒョロと生えている。一言でいえば『さえないおっさん』である。もちろん、そんな感想はおくびにも出せない。
気を取り直し、新任の挨拶をした。
「このたび地球政府領事として貴星に赴任することになりました、佐藤と申します。どうぞ宜しくお願いします」
「おお、これはこれは、こちらこそ宜しくお願いします。佐藤さん、ということは日本の方ですな。これはうれしい。歓迎いたしますよ。どうぞそちらの椅子にお掛けください。わたしは入星審査官のジョンと申します」
申し訳ないが、どう見てもジョンという顔ではない。
わたしはデスクを挟んでジョンと向かい合わせの位置に座った。
入星審査といっても、外交官の場合は形式だけのはずだが、ジョンはなぜかモジモジしていて、何か言いにくいことがありそうな様子である。
「ああ、パスポートをご覧になりますか」
わたしは外交官用パスポートを提示した。
「あ、どうも」
パラパラと形だけめくってすぐに返されたが、まだ、モジモジしている。
「何か不備がありますか。遠慮なさらずにおっしゃってください」
「いえいえ、そういうわけではないのです。どうか気を悪くなさらないでいただきたいのだが、異星の方の受け入れの際、機械で本人確認をすることになっておりましてね」
ちょっと失礼だなと思ったが、まだ星連に加盟したばかりで外交上の儀礼に疎いのかもしれない。
「かまいませんよ」
ジョンはあからさまにホッとしたようすで、すみませんすみませんと何度も頭を下げた。
「それでは係の者を呼びますので」
右奥のドアの方を向くと、やや横柄な口調で「おい、ヘンリー、例のものを持って来てくれ」と言った。
すると、ドアの向こうから、どこかで聞いたような声で「はい」と返事があった。
ゆっくりドアを開け、小さな機械を恭しく抱えて入って来た白衣の男を見て、わたしは思わずまた「アッ」と声をあげてしまった。
その白衣の男も、ヒョウタンをひっくり返したような薄い頭頂部をし、眉は長くたれ下がり、口元にはドジョウ髭がヒョロヒョロと生えていたのだ。兄弟、いや、おそらく双子だろう。
ちょっと聞いてみようと思ったら、万能通訳機にエラーメッセージが出た。
【通訳不能…該当する概念なし】
「佐藤領事、どうかされましたか」
呆然としているわたしを見て、ジョンが不安そうな顔をしている。
「あ、いえ、その、ヘンリーさんと審査官が似ていらっしゃるので、ちょっとビックリしてしまいまして」
ジョンは怪訝そうにヘンリーと顔を見合わせた。
「ほう、初めて言われました。わたしとヘンリーが似ていますか。こりゃ驚いた」
驚くのはこっちである。
あまりシゲシゲ見ては失礼だと思うが、ジョンとわたしが向い合って座っているデスクに機械をそっと乗せたヘンリーという男は、見れば見るほどジョンと瓜二つであった。
「検査技師のヘンリーと申します。DNA判別機について、説明させていただきます」
やや事務的な口調だが、声そのものはほとんどジョンと区別がつかない。
「この機械の少し窪んでいる部分、そう、そこです。そこに数秒間親指を当ててみてください」
言われるまま右手の親指を窪みに押し当てたが、チクッと痛みが走ったため、あわてて指を離した。見ると小さく血が滲んでいる。
ヘンリーは平気な顔で説明を続けた。
「ちょっとチクッとしますが」
それを先に言うべきだろう!
しかし、わたしの痛みなど気にする様子もなく、熱心に機械の表示を見ていたヘンリーは、フンフンと納得したようにうなずいた。
「ありがとうございました。佐藤愛之助様ご本人と認証されました」
来た時と同じように恭しく機械を抱えて出て行くヘンリーに、わたしは心の中で思い切り悪態をついた。
わたしの様子を見て、ジョンが弁解するように言う。
「礼儀をわきまえぬ未開な星とお怒りかもしれませんが、こういう機械でも使わないと、我々には地球の方の区別がつかないのですよ」
頭がグラグラしてきたぞ。
どう見てもソックリな者同士が似ていなくて、地球人が全員同じように見えるというのは、いったいどういうことなのか。確かにわたしもチンパンジーの顔の区別はつかないが、逆に彼らから見れば、我々がチンパンジー並なのだろうか。
「佐藤領事、長旅でお疲れのご様子ですな。すぐお部屋にご案内させましょう」
長旅のせいではないが、確かに疲れた。
「はあ、お願いします」
ジョンはヘンリーが出て来たドアと反対側のドアに向かって、さらに横柄な態度で声をかけた。
「おい、ボブ。ご案内だ。グズグズするな」
「はいはい、ただいま」
ヨレヨレの開襟シャツをだらしなく着たまま、あわてて出てきたそのボブという男を見て、わたしはまたまた「アッ」と声をあげてしまった。
その男も、ヒョウタンをひっくり返したような薄い頭頂部をし、眉は長くたれ下がり、口元にはドジョウ髭が生えていたのだ!
「秘書官のボブでございます。領事室までご案内します」
フラフラと立ち上がったわたしに、ジョンが声をかけた。
「今夜の歓迎晩餐会までゆっくりお休みください。いやあ、領事は運がいい。ちょうど今、この星ではすごい日本ブームでしてね。日本の伝統文化に則った、すばらしい晩餐会が催されますよ」
ボブと名乗った男に続いて審査室を出、来た時と反対方向に廊下を歩いて行くと、向こう側から男が三人歩いて来た。わたしもさすがに多少予期していたが、三人とも同じ『さえないおっさん』である。
ボブは一人ずつ「やあ、トム」「おお、ベン」「よう、マイク」と声をかけた。多少服装は違うが、顔もスタイルもまったく同じなのに、なぜ区別できるのだろう。この惑星に双子が存在しないというのなら、大昔のマンガのように六つ子なのかもしれない。
【通訳不能…該当する概念なし】
違うか。
ええい、もう成り行きまかせだ。例えば、動物の世界ではオスが派手だとメスが地味だというが、これだけ男性が没個性的なら、逆に女性は美人ぞろいという可能性だってあるかもしれないじゃないか、と自分を励ました。
わたしの内面の葛藤など知る由もなく、ボブはずっとしゃべっている。
「ですから、このウサーンでは利用できる平地が少ないため、独立した建物はほとんどありません。この首都島についていえば、宙港以外の部分は行政機構すべての合同庁舎で占められています。したがって、これからご案内するのも、領事館ではなく領事室ということになります」
その時、かすかなニオイがした。何のニオイだろう。よく知っているはずの、ちょっとイヤなニオイだ。
思い出せないでいるうちに、領事室に着いた。
「こちらです。入ってすぐの部屋が公務室、奥が私室になります。私室は地球様式に作ってありますので、公務室の設備のみご説明いたします。こちらがテレビ電話。来客がインターホンを押した場合は、自動的にモニターに切り替わります。こちらは執務用のパソコンです。必要な法令や統計資料などのデータはすべて地球の言語で入っています。こちらのパネルはウサーン全体の状況をリアルタイムで表示しています。それから」
こちらが聞いていようがいまいがお構いなくしゃべり続けるボブの説明を、半ば以上は聞き流していたのだが、そのパネルの中央にひときわ大きく表示されている数字に目が留まった。
《1,100,000,000》
「あの、すみません、ボブさん。この数字は何を表しているんですか」
「は。ああ、それは現在の人口ですよ」
「へえ、ずいぶん大雑把ですね」
なぜかボブはムッとした顔になった。
「とんでもない。我々ウサーン人は数字には厳密です。それは正確な数字ですよ」
「え、で、でも、ちょうどピッタリ11億人なんてありえないでしょう」
ボブはちょっとわたしを哀れむような表情をした。
「この惑星の大きさ、利用可能な資源の埋蔵量、各住民の移動距離など、様々な観点から割り出された最適人口ですよ」
「しかし」
頭が混乱してきた。
ボブはわたしをいたわるように笑った。
「さあさあ、仕事のことは後回しでいいじゃないですか。私室の方でゆっくり休んでください。テレビもありますから、娯楽番組でもご覧になったらどうですか。それともシャワーでも浴びて、少し仮眠されますか。大丈夫、晩餐会には間に合うよう、お迎えに参りますよ」
「え、ええ」
そうした方が良さそうだ。
ボブが帰った後、すぐ私室に入ってみた。なるほど、地球の高級マンション並に設備が整っている。大きな窓からは、見事なオーシャンビューも楽しめる。ただ、残念なことに、窓は開閉できないようになっていた。もちろん、空調は快適で、息苦しいわけではないが、ちょっと心理的な圧迫感がある。外気に有害な成分でもあって、直接換気できないのだろうか。まあ、後で調べてみよう。
そんなことより、早くさっぱりしたかったので、熱めのシャワーを浴びて、バスローブに着替えた。冷蔵庫にはビールも冷えていたが、晩餐会に備え、ソフトドリンクを一本出し、ソファに座った。
ふと、ボブの言葉を思い出し、テレビを点けてみた。ニュース、スポーツ中継、バラエティ番組、ドラマと次々にチャンネルを回してみる。だが、途中で、飲んでいたドリンクを吹き出してしまった。
画面に映し出される人物の中には、女性や子供は一人もいなかった。そこに映っている、ニュースキャスター、スポーツ選手、お笑いタレント、メロドラマのヒロイン(?)たちは、みなヒョウタンをひっくり返したような薄い頭頂部をし、眉は長くたれ下がり、口元にはドジョウ髭がヒョロヒョロと生えていたのだ!
女優役のヤツなど、ただ真っ赤な口紅を塗ってスカートをはいているだけである。何ということだろう。この惑星には、同じ顔をした『さえないおっさん』が11億人いるのだ。美人はおろか、女性に会うチャンスもなさそうである。
だが、待てよ。
女性や子供がいないということは、彼らはどうやって繁殖しているのだろう。わたしの勝手な想像だが、アメーバのように分裂して増えるのだろうか。人口が常に11億人であるということは、誰かが病気や事故で亡くなると、ちょうどその人数分だけ分裂するのだ。つまり、彼らは『さえないおっさん』として生まれ、『さえないおっさん』のまま死ぬのである。そんなのイヤだ。恥ずかし過ぎる。いやいや、わたしとしたことが、よその惑星の住民を偏見の目で見てはいけない。いけないいけない、とつぶやきながら、いつの間にか眠ってしまった。
インターホンの音で目が覚めた。
急いで公務室に行き、モニターを見ると『さえないおっさん』がニヤニヤ笑って映っている。たぶんボブだろうが、これでは画像が見える意味がまったくない。
「ボブです。お迎えに参りました」
「はいはい、ちょっと待ってくださいね」
わたしはあわてて礼服に着替えた。まだ頭の整理がつかないが、仕方がない。晩餐会が思いやられる。
「お待たせしました」
「どうですか。ゆっくり休めましたか」
「うーん、まあ」
ボブもそれなりのスーツを着てきていたが、これではますます他のウサーン人と区別がつかない。
あ、待てよ。いいことを思いついたぞ。
「ボブさん、すみませんが、上の方にお願いして、晩餐会の出席者に名札をつけてもらうように言ってもらえませんか。失礼かもしれないですが、相手の方を間違えるよりはいいと思うので」
「ほう、そうですか。わかりました。迎賓室の室長に連絡してみます」
ボブは携帯電話らしきもので、わたしの依頼を伝えてくれた。
「了承されました。迎賓室まで30分ほどで着きますが、その間に準備するとのことです」
「ありがとうございます」
これで少しはマシな応対ができるだろう。
「それではご案内します」
何か乗り物にでも乗るのかと思ったが、やはり歩きである。それもかなり早足だ。確かに一つの建物の中だから、水平方向の移動手段が徒歩でおかしくはないが、逆に、部屋から部屋に歩いて行くのに30分は長すぎる。だが、他に移動手段はなさそうだ。大小様々なドアが両側に並んだ長い廊下をひたすら歩いて行った。防災上の理由なのか、一定の間隔で二重の自動ドアがある。それ以外は時々曲がり角があるくらいで、ほとんど変化がない。
あまりの単調さに、肉体より心理的にツライなと思ったが、先導しているボブが肩で息をしているのに気付いた。首筋に汗がダラダラ流れている。それほどの運動量ではないと思うが、体調でも悪いのだろうか。
「あのー、大丈夫ですか」
「え、ああ、大丈夫ですとも。健康の為には歩くのが一番ですからね」
そりゃそうだろうが、ずいぶん無理をしているように見える。
その時、またあのニオイがした。懐かしいような、だが、ちょっと不快なニオイ。だめだ、思い出せない。あきらめて、ボブに遅れないよう急ぎ足で歩き続けた。
実際には40分弱で迎賓室に着いた。
ボブはすっかり汗びっしょりで、ハアハアと口で息をしている。年齢を考慮しても疲れ過ぎのように思ったが、考えてみれば、ボブの本当の年齢を知らなかった。
「さ、さあ、着きまし、た。みなさん、お待ちかね、で、すよ」
「少し休まれたらどうですか」
「いやいや、大丈夫。ど、どうぞ中へ」
部屋の前に大きな横断幕が吊るしてあり、ヘタクソな字で『カンゲー サトーリョーヅ』とカタカナで書いてある。一生懸命書いたのだろうが『ジ』が『ヅ』になっている。
それにしても、ずいぶん大きな部屋のようだ。領事室の何倍も扉がでかい。その扉が左右に開いた。中へ入った途端、あのイヤなニオイが充満していた。ああ、そうか、思い出したぞ。このニオイは、加齢臭だ!
ウサーン人は見かけだけでなく、中身も『おっさん』なのだろうか。
わたしの動揺などお構いなく、中で待っていた案内係の『さえないおっさん』に先導された。入口からまた長い通路を通り抜け、大宴会場のような場所に着いた。会場には円形のテーブルが10卓並んでおり、それぞれに10名座っている。全員同じ顔で、似たような礼服を着ていた。予想はしていたが、『さえないおっさん』が100人集まっていると壮観である。わたしひとりだけ違う顔なのが居たたまれないような気持ちになる。
わたしが依頼したので、座っている客はみんな日本語で名前の書かれた大きな名札を胸に付けていた。それどころか立って働いている様々な係員さえ名札を付けている。ジェームスという名札を付けた『さえないおっさん』に誘導されて、わたしも席に着いた。
案内されたテーブルは、おそらくこの惑星のVIPの席だろう。しかし、そのテーブルセットを見て驚いた。ナイフやフォークなどはなく、割り箸と小皿とグラスが置いてあるだけだ。ここは居酒屋かっ!
わたしの着席を待って、給仕係が全員に何か白いものを配り始めた。オシボリだ。しかも、ビニール袋に入ったままである。ますます居酒屋っぽくなってきたぞ。
その時、わたしの正面に座っていた『さえないおっさん』が立ち上がってしゃべり始めた。名札には『ドナルド大統領』と書いてある。ほとんど同時に、正面の大スクリーンにしゃべっている大統領が映し出された。
「佐藤領事、わがウサーンによくぞお出でくださった。心より歓迎申し上げる」一段と声を大きくし「さて、諸君。今宵はこうして地球から新しい領事を迎えることができた。しかも、うれしいことにまたもや日本のお方だ。これもひとえに諸君の精進の賜物である。今日は存分に楽しむように。それでは準備はよろしいか」
大統領が声をかけると、なぜか全員オシボリを手に持った。わたしもあわててマネをする。大統領はさらに声を張り上げた。
「両星の変わらぬ友好と、佐藤領事の健康を祈念して」
そう言うと、大統領は手にしたオシボリのビニール袋をパーンと割った。
それを合図に、全員一斉にオシボリの袋をパンパン割り出した。しかたなく、わたしも小さくパンと割った。そのあとどうするのかと見ていると、大統領を筆頭にオシボリでゴシゴシ顔をふき始めた。顔をふき終わると四つ折にして首筋をふき出した。何じゃこりゃ。あまつさえ、最後は脇の下をぬぐっている。そのため、さらに加齢臭が部屋中に広がって行く。頭が痛くなってきた。
皆がオシボリを使い終わったのを確認した大統領は満足げにうなずき、グラスにビールを注ぐよう命じた。やっと乾杯らしい。ありがたい。歩いて来たため、ノドがカラカラなのだ。
「それでは諸君、グラスは持ったかな。よろしい」
当然、わたしは「乾杯!」という言葉を予想した。
しかし、大統領は、こうのたまった。
「これより、無礼講じゃーっ!」
オオッという低いドヨメキが起こり、全員凄ましいペースでビールを飲み出した。早く酔わなくては損だ、という感じである。その理由はすぐにわかった。全員が酔った勢いで、普段言いづらいことをバンバンしゃべり出したのだ。わたしの左のテーブルに座っているヘンリーとボブは、大声でジョンの人使いの荒さを罵り始めた。
そのジョンはわたしの右側のテーブルに座っていて、横のトムにしつこく議論を吹っかけている。ジョギングとウォーキングのどちらが体にいいのかとか、ヒアルロン酸とグルコサミンのどちらが効くのかとか、ウコンと青汁のどちらを飲むべきかとか、話題は健康法ばかりである。
その時、わたしのテーブルの全員がドッと笑った。何だろう。
【通訳不能…低級なダジャレ】
やれやれ、そういうことか。
次々に料理が運ばれてきたが、肉ジャガや板ワサなど、どう見ても居酒屋の料理である。さらには、会場の奥からカラフルな衣装を身にまとった一団が現れた。その姿を一目見るなり、わたしはゲンナリしてしまった。おそらく、パーティーコンパニオンのつもりなのだろうが、同じ『さえないおっさん』たちが、バニーガール、チャイナドレスのマダム、セーラー服の女学生、白衣のナース、アニメのヒロインなどに扮してドリンクのオーダーを聞いて回っている。わたしのところにはSMの女王様風のヤツが来た。名札にはキャサリンと書いてあるが、もちろん、顔は『さえないおっさん』である。
「何か飲まれますか」
声もまるっきり『おっさん』のままだ。とても飲む気分ではなくなったが、注文するまでわたしのそばを離れそうもない。
「うーん、それじゃあ、グラスワインをください」
「赤、白、青、緑、どれになさいますか」
青や緑のワインなんか飲めるかよっ!
「赤でいいです」
「かしこまりました」
やがて持って来られた赤い飲み物からは、ツンと焼酎の香りがした。味もまるっきり焼酎である。焼酎はキライではないが、真っ赤な焼酎は飲む気がしない。わたしはあきらめて、ビールだけを飲んだ。周囲を見回すと、みんな平気な顔で色つき焼酎をガブ飲みしている。
時間がたつにつれて全員ヘベレケに酔ってしまい、収拾がつかなくなってきた。こっちではベンが腹にでかい顔を描いて踊っているし、あちらではマイクがネクタイを頭に巻いてカラオケで歌っている。これのどこが日本の伝統文化に則った歓迎晩餐会だというのか。
加齢臭もますますキツくなってきた。頭が割れそうにガンガン痛む。
もはや誰もわたしの存在など気にしていないのを幸い、コッソリ逃げ出した。
それほど飲まなかったのに、翌日はひどい二日酔いだった。
最初からこんな状態で、果たしてわたしにこの惑星の領事など務まるのだろうか。
熱いシャワーを浴びてボーッとしていると、公務室のテレビ電話が鳴った。ガウンだけ羽織って電話に出ると、『さえないおっさん』が画面に映った。
「あのう、すみませんが、どなたでしょう」
「大統領のドナルドだ」
「あ、こ、これは失礼いたしました。すぐに着替えて参ります」
「いやいや、かまわん。それに、もう、あまり時間がない」
心なしか、大統領は昨夜見た時より、幾分やつれて見える。
「え、何の時間ですか」
「残された時間だよ。領事室には人口表示パネルがあるはずだ。ちょっと見てくれたまえ」
言われるままパネルの表示を見て驚いた。ピッタリ11億であった数字がものすごい勢いで減っている。見る間に1億を切り、1千万を切り、さらに減り続けている。
《 259,468,712》
《 74,735,861》
《 3,864,752》
「これは、どういうことですか!何事が起きたんですか!」
特に何事もなかったように平静な様子で、大統領は説明を始めた。
「我々ウサーン人は、本来ガス状生命体なのだ。我々は地球人の何万倍も嗅覚が敏感なので、ニオイでお互いを識別しておる」
何と、あの加齢臭のようなニオイこそが、ウサーン人そのものだったのか。
「星連に加盟する話が持ち上がったとき、ガス状のままでは他の惑星の生命体とコミュニケーションが取りにくいため、アバターを作ろうということになった」
「それは、コミニュケーション用の人工生命体ということですね」
「そうだ。我々は、いわばアバターに乗って操縦しているようなものだな。ただ、最初は失敗の連続だった。DNAの良いサンプルがなかったのでね。そこに、大塚領事が赴任して来られたのだ」
わたしはハッとして、執務室のパソコンで前任者の個人データを検索し、彼の顔写真を見つけた。そこには見慣れた『さえないおっさん』が写っていた。
その同じ『さえないおっさん』が説明を続けている。
「ウサーンは日本と同じ島国である。我々は大塚氏のメンタリティに非常に共感を覚えた。我々は良き友人になれる、と思っておったのだ。しかし、日に日に大塚氏はふさぎ込み、ついには体調を崩し、地球に帰ってしまわれた」
そりゃそうだろう。誰だって、自分と同じ姿の人間が11億人もいて、しかも、自分自身の恥ずかしい姿を毎日見せつけられれば、自己嫌悪で病気になるさ。
「我々は非常に残念に思った。それだけでなく、そのままでは困ることがあった。我々の科学力では、アバターを長期間安定させることは難しいのだ。科学者による綿密な計算で、わずか10ヶ月と10日しかもたないと判明したのだ。聞くところによれば、地球人の妊娠期間と同じらしいが、どうしてそうなるのか未だに原因不明だ。いずれにせよ、今日がその10ヶ月と10日目なのだ」
パネルの人口表示に目をやると、もはや3桁になっている。
《 673》
大統領は複雑な表情をした。
「わし個人としても、この姿が気に入っていたので残念だ。間もなく、この姿は自動的に消滅する。ああ、しかし、心配するには及ばん。人口表示パネルの数字はアバターの数なのだ。我々は一時ガスに戻るだけに過ぎない。それに、次の準備はすでに整えた」
そう言い終わるや否や、ドナルド大統領の体はボワッとした茶色のガスになり、ゆっくり横に流れて画面から消えた。
あちこち二重のドアがあったり、部屋の窓が開かないようにしてある理由が、ようやくわかった。
気が付くと、パネルの人口表示はすでに1桁になっており、アッというまに零になって止まった。
《 0》
これからどうしたらいいのだろうと、呆然とパネルを見ていたら、一旦零になった数字が猛烈な勢いで増え始めた。
《 1》
《 394》
《 75,837》
《 1,684,975》
《 829,746,381》
そして、ちょうど11億人でピッタリと止まった。
《1,100,000,000》
わたしは思わず自分の親指の小さなキズ跡を見た。
その時、インターフォンのチャイムが鳴った。
モニターに映っているのは、ニヤニヤ笑っているわたしだった。
(おわり)
11億人いる!