――今日はバレンタインデー。 モテない少年たちが甘い幻想を求め、少女たちから苦い現実を教わる日。 そして、公園のブランコに座る少年もまた苦い現実を味わおうとしていた。 「あーあ、今年もチョコはゼロか」 少年は落胆しながら肩を落とす。 「おい、お前って本当に役立たずな」 「……ウンメイは一樹の指示に従う。失敗したのは一樹のせい」 少年と話しているのはウンメイ。少年が持つ、運命に文字を刻む力を持った不思議なペンだ。
――僕はいじめられっ子だった。 昔から太っていたし、緊張すると言葉が上手く出てこない。 そんな態度がいじめられる原因となったのだろう。 教室では皆が僕を空気のように扱い、僕もまた空気になれるように息を殺していた。 今はもう、僕はかつてのいじめられっ子ではない。 だって僕はこの学校に必要不可欠な「奴隷」なのだから――。
――深夜の学校。その二階の廊下で、月明かりに照らされた二人の男子生徒が対峙していた。 武骨な男子生徒はラバースーツに学ランを羽織った姿。はたから見ると救命具を付けたダイバーのように見えなくもない。 一方、対峙する痩身の男子生徒はフード付きのレインポンチョを被っている。こちらはまるでてるてる坊主のようだ。 頑強な似非ダイバーが顎に手をやりつつ話しかける。 「今回の戦い、負けるわけにはいかんのよ」 彼の周りで無数に漂っている赤い物体。その一つ一つが静電気のような火花を散らしていた。 「おや、奇遇だね。僕も今回はおいそれと勝ちを譲ることはできないんだ」 虚弱そうなてるてる坊主も背筋を伸ばし負けじと言い返す。 彼の後方2メートル、その床にひしめく赤茶色の騎馬隊人形が剣を一斉に掲げる。
「お嬢様はアホでいらっしゃいますか?」 小説の一文。私はそれを読み凍りついた。なんて執事だ。主人に堂々と暴言を吐くなんて。 同時に私は憧れた。そんな本音をぶつけ合えるような関係に。
ヨウコは美しい女性だった。一目で恋に落ちた。 彼女のために何でもやった。彼女が微笑むだけで幸せだった。 ヨウコのロッジで過ごした日々は虹色に輝いていた。 けれど、私は彼女を裏切ってしまった。 七色に輝く世界から私は逃げ出したのだ。
「隣の星に囲いが出来たんやと!」 「……そうか、それは立派な囲いなのだろうな」 「そうなんよー、って! そこはへぇ~って言わなアカンとこやろ!」 途端に頭をはたかれる。 「……痛いぞ」 「当たり前や! 漫才コンビがボケとツッコミせんで何するねん!」 「……何をするんだ?」 「ま・ん・ざ・い・じゃボケー!」
百年以上昔のある日突然、月は緑の月になった。 大気ができ雨が降り、海ができるまで一年もかからなかったという。 その後の調査により人が住めることがわかると、自分たちの星の資源を食い潰していた地球人たちはこぞって月へと移住した。 私の家族もそんな移住民の子孫だ。 祖先に宇宙飛行士がいたぐらいだから、地球にはそれほど未練がなかったのかもしれない。 そうして私は今、緑月に住んでいる。 この大地がどうやって生まれたのか。 それは百年以上経った今でもまだわかっていない。 しかし、それは私には全く関係のない話だった。緑月で幸せな生活を送っていた私には。 そう、少なくとも昨日までの私には――。
「……3DGPS作動。感度良好。目標情報……修正。捕獲手順更新終了。最短距離……算出完了」 彼女は先ほどから独り言のように何事か呟いている。 「友紀子、聞いてる? 今日こそは絶対に一人で飛び出さないでよ!」 彼女の視界を覆う大きめのゴーグルに、彼女のクラスメイトからの通信が入る。 しかし、彼女の意識はゴーグルの映し出す三次元の映像に奪われていて、応答する気配はなかった。 「ちょっと! 友紀子! あぁ、もうどうなっても知らないわよ!」 一方的に通信が切断されると、辺りが急に静かになる。 空の彼方を泳ぐ月海鯨が発した、重低音の鳴き声が遠く響いている。 「演習ナンバー三一○六……カウント三、二、一、開始」 ゴーグルから機械的な音声が発せられ、その直後に彼女は緑月の空に向かい跳んでいた。
「えー、本日から転入してきた酒野修一君だ。みんな仲良くするように」 HRで担任からあっさりした紹介をされる。長髪を後ろで束ね、つり目に眼鏡の、真面目で優しそうな先生に見えた。 「先生先生ー、今度の転入生はズバリ先生のタイプですぐぼぁあっ!」 ……前言撤回。どうやらかなりおっかない先生のようだ。
「おいイオータ、そっちはどうだ?」 長身の少年が眠たそうに声をかける。 「全然ダメ。さっきから『偃月刀』という物を復元してるんだけどハズレみたい。エータは?」 「俺も駄目だ。色が綺麗だったから『コウイカ』とかいう物を復元してみたけどブヨブヨして使い物にならないよ」 そう言うとエータと呼ばれた少年は瑠璃色に光るイカの墨袋を地面に放り捨てた。