三題噺「逆流する」「まだかなぁ」「堕ちてゆく」

「オラオラ、どうしたよぉ!」
 高校のボイラー室に下卑た笑い声が響く。大小様々なパイプが入り組む中、一番奥にある太いパイプに隠れた司には、それが死神の声に聞こえた。
(ちくしょう! なんで俺がこんな目に!!)
 自身の今の境遇を嘆きながら、司は音を立てないようにそっと入り口の様子をうかがう。
「隠れんぼでもするつもりかぁ? 金を生むこともないクズ野郎が俺の時間を奪うんじゃねぇよ!!」
 笑い声の主――坂上金之助はそう言いながら手の中のアルミ硬貨を空中にばら撒いた。
(硬貨? って、まさか!)
 司がパイプの陰に身を伏せると同時に、空中の硬貨が弾丸のごとく発射される。
 破裂音の洪水と衝撃。同時に吹き出る蒸気で室内が真っ白になる。天井の細いパイプが落ちて甲高い多重奏を響かせる。
「もぉーういいかぁーい? まぁーだかなぁ? てめぇが出てこねぇなら出てこねぇで、この1円玉マシンガンで蜂の巣にしてやるよぉ」
 こいつは悪魔だ。闇に完全に堕ちてしまっている。覚悟を決めなければ殺される。司は勇気を奮い立たせると、蒸気の中で悦に入り、天井を見上げている坂上を観察する。
(あいつがどんなに凄い力を持っていたとしても……身体は生身の人間のはず。不意をつけば、いける!)
 床を蹴る。手には拾った鉄パイプ。坂上のマシンガンよりこちらの方が早い! 司は坂上の懐に入ると鉄パイプを振り上げ渾身の一撃を叩き込んだ、はずだった。
「……っが、はっ!」
 背中と後頭部が痺れた。一瞬視界が真っ白になる。直後後頭部が割れるように痛む。
「……よぅ、クズ野郎ぅ」
 坂上はそこでようやく視線を司に向けると、歪で醜悪な笑みを浮かべる。
 その身体からは、茶色い棒のようなものが伸びていた。どうやらあれに鳩尾を殴られたらしい。司は激しい痛みと逆流しそうな胃液をこらえながらその棒を見た。
 それは紙幣の束の塊だった。
「1万ジャケットシールド。俺を攻撃すればこいつらが黙っちゃいねえのよぉ」
 坂上の体中に巻きついた紙幣の束。声をかけられたからか何十、何百の福沢諭吉がぎょろりと目玉を動かした。
「無価値なてめぇに俺の貴重な時間を使わせたんだ。覚悟しろよぉ、おい」
 坂上が手をかざすと、室内全体に打ち出されたはずの1円玉硬貨が、新品同様の形状でその手の中に納まっていく。
「死ねよ、クズ野郎」
 体は動かない。司は死を覚悟して反射的に目を閉じた。

「あら、兄さん……。そこで、何をしているのかしら……?」
 聞き慣れた声が、聞こえた――。

 司は坂上と共に正座している。
「私のパンツを見た司さんを懲らしめるためとは言え、これはやりすぎじゃなくて兄さん?」
 そう坂上金之助の妹――坂上銀音は冷たい声で言った。
「ちょ、ま、待て銀音! だって最近、家じゃこいつの話しかしなイグベァア!!」
 さっきまで俺を殺そうとした死神が弾け飛ぶ。自慢の1万ジャケットシールドとやらも妹の前では沈黙しているようだ。何かを言いかけた憐れな男が、ボイラー室の冷たい床に沈むのを見届けると、坂上銀音は司に向き直った。
「ん、んっ! ま、まあ、司さんが無事でなによりですわ。元はと言えば、私のスカートが風でまくれたせいでこのようなことになったんですから、その、えっとですね」
 そう言うと銀音はやや顔を赤くしながら、小さく「ごめんなさい」とつぶやいた。
「ま、まあなんだ。助かったよ坂上。お前がいなかったらどうなってたか……」
「……! そ、それは良かったわ! さ、さあ! それでは帰りましょうか」
 銀音がそう一歩踏み出したその時、そばのパイプがガコンと音を立てた。
「……あ」
 噴き出した蒸気と、舞い上がるスカート。何やら黒いものを見た気もするが、直後襲った衝撃で司の意識はそこで途切れた。

三題噺「逆流する」「まだかなぁ」「堕ちてゆく」

三題噺「逆流する」「まだかなぁ」「堕ちてゆく」

「オラオラ、どうしたよぉ!」 高校のボイラー室に下卑た笑い声が響く。大小様々なパイプが入り組む中、一番奥にある太いパイプに隠れた司には、それが死神の声に聞こえた。 (ちくしょう! なんで俺がこんな目に!!) 自身の今の境遇を嘆きながら、司は音を立てないようにそっと入り口の様子をうかがう。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-04-08

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