三題噺「鈴蘭」「胡蝶」「タナトス」
――我にタナトス神の加護あれ
手にしたスズランを花から根まですりつぶすと、僕は牛乳パックを手に取った。
ミキサーに牛乳を注ぎ、すりつぶしたスズランを入れる。
最後にハチミツや砂糖を適度に入れてスイッチをONにする。
「ふふ、君の驚いた顔が早く見たいよ」
部屋の片隅にある胡蝶蘭がそんな僕を静観するように静かに咲いていた。
健二、君を殺そうと思っていたと言ったら君は驚くかい?
何故って? 5年間付き合っていた彼女の唯を君に取られたからだよ。
君は知っていたかい?
僕は全てを知っていたことを。
君が密かに唯と会っていたことも、仕事と言っては唯が君の家によく泊りがけで出かけていたことも知っていたってことを。
別れる時、ただ「ごめんなさい」と唯は言っていたよ。
僕は理由を聞かずに別れを受け入れたさ。
僕は全てを知っていたからね。
でも、君は何も言ってこなかったよね。
君には失望したよ。僕が全て知っているとも知らずに。
君は唯と付き合うのだろ?
そんな君を殺そうと思うのは当然じゃないか?
「ほら健二、これが僕の特製びっくりドリンクだよ」
「おぅ、ありがとな」
そう言うと、健二は疑うことなく薄緑色の液体を口に運ぶ。
さあ、健二。僕の特製スズラン入りのミルクを味わうと良い。
「なんか、ちょっと不思議な味がするな」
「そりゃあ、そうさ」
――だって、それはスズラン入りの特製ドリンクだからね
健二の目が点になる。言われたことが理解出来てないのかな。
「……嘘、だろ?」
おっと、スズランに強い毒性があることを知っているなんて。やっぱり健二は博識だ。
「嘘なもんか。君だけのために僕が用意した特別なドリンクさ」
震える健二の手から離れたコップが、床に落ちてガチャンと音を立てる。
「あーあ、駄目だよこぼしちゃ。せっかく用意したのに」
「……お、お前知ってたのか?」
「……何を?」
僕はすっとぼけてやる。今更本当の事を言ったって面白くないじゃないか。
「それよりもそろそろお腹が痛くなってきたんじゃない?」
途端に健二は顔を真っ青にしてトイレに駆け出していく。
「もう、遅いよ」
僕は健二の背中を見送った。
健二がいなくなって一時間が経った。
僕は部屋の真ん中で仰向けに寝ている。
痛い。痛い。動きたくない。何も考えたくない。痛い。
日が暮れてきて部屋が薄暗くなってきても、僕は飽きることなく白い天井を見つめ続けていた。
「なんでだろ……」
僕は健二を殺せなかった。
入れたのがアオスズランだったから。
スズランには二つのスズランがある。
毒性があるユリ科のスズランと、毒性のないラン科のスズランだ。
そして、僕が入れたのはラン科のアオスズラン。
そんなもので健二が死ぬわけがない。
代わりに賞味期限を1ヶ月も過ぎた牛乳を飲ませてやった。
しばらくは下痢が止まらないだろう。いい気味だ。
初めから殺すつもりなんてなかった。
だって、君が死んだら唯が悲しむじゃないか。
僕は唯には甘いんだ。
この世で一番、唯が好きだから。
なあ、唯。
僕が死んだら君は悲しんでくれるかな?
天井から部屋の片隅の胡蝶蘭に視線を移す。
君のくれた胡蝶蘭は枯れていた。
僕の手からユリ科のスズランがこぼれ落ちた。
三題噺「鈴蘭」「胡蝶」「タナトス」