映画の方の最終作品で、若い二人が、「次はこんなところで会わないか?」 と言っていたにも拘わらず、映画「お帰り寅さん」では、若い二人はまるで突たかの様で・・全く詰まらなかった。 其れで、視聴者からの「こんなふうに終わって貰いたかった」という要望のつもりで書いた前編。 後編も勿論書いていますから、何れ載せます。出演者の多くが不在の実現は難しい作品だが・・。
小説は美しい文章とストーリーは必ず必要。 それ程でないのが、小説を原作にした脚本である。何も美しい文章でなくても構わない。似てはいるが結局は演じる役者達が読みやすい台本でなければならない。其れで、小説のような無駄な部分を省略する代わりに、「立ち位置」「少なくとも役者が演技し易い情報とし、筋書きやついて廻る情景に表情・言動などは無くてはならない」どの役者がどういう周囲の環境の中で筋書きを演技するのか。小説家の方が難しい。其れで、30代から其の世界に入るのであれば、「脚本」はそんなに大変なものではなく、私のように金銭が不必要なものにとっては、脚本は楽に書けるが、小説は非常に奥が深く一流になるのは難しい。本が売れている作家は現代では、味のある文章を書く必要が無い事が多い。やはり、明治の文豪を目指すのが相当と思う。
詩なので特にない・・。Lastflightに巡り会えれば結構では・・。
この事件は、そもそも、幕府綱吉が、朝廷のご機嫌を取るつもりが、とんでもない松の廊下になったと、其の日に切腹・取り潰しを命じた事が仇となり、起きた仇討と言えるが、細川家の17人に対する思い入れは相当のものだったという話。
踊り子とpierrotの昔からある浅草辺り・場末の劇場に於いての出来事と涙を絵画的に表現。 ヒューマンペイソス。 ショート並みの短い・・作者にしては珍しい涙ものになっている作品。 心に響けば・・其れで良し・・。
若い方は、30代なら間に合うので、脚本家なら可能だろう。あらすじを書いてみて脚本様に変換するのは非常に簡単な手段。其れで、小説は遥かに難しいレベルのものなので、やはり、年齢に関係無く・・いや、寧ろ経験が豊富な方が小説家には適していると言える。 特に、純文学を書けるものは優秀で、逆に筋書きだけで空想の部分が多く、お決まりの漫画も、少女の胸が巨大だったり、パンツが見えたりするのは小説でも文学でも無く、単なる娯楽作品で、金銭を求めている事もありありと分かる。世界中がレベルを上げる事はもう無理なのかも知れず、非常に残念な事と言える。
魔女が身近にいたという、嘘のような・・本当の・・三田キャンパス。 魔女を同級生に持っていた下宿の同じ、郷里・大学の先輩との、非常に込み入ったようで・・そうでもなく・・只管(ひたすら)魔女に敬服・・というお話。 では・・魔女は一体どのような存在だったのだろう・・? 宇宙空間には人類の理解できない事が常識として存在する・・本作品とは関係無いのでまた別の作品で御招待しよう・・。