逃げなければいけなかった人達からのメッセージ

逃げなければいけなかった人達からのメッセージ

他国の戦争にばかり関心があっても、自国の悲劇を知ろうともしない世代・・。

  次第に空襲の回数が増えてきた。
 東京などの大都市でなくとも、空襲警報が鳴り続ける。夜間は灯火管制がしかれる。
 絨毯爆撃で、何処に逃げても同じ様なものだが、そうは言っても逃げるのが通常の心理だ。
 秋山淑子は、小学校の教員だから、その日は朝から通常通りT小学校で勤務していた。
 まだ彼女が結婚する前だから、父は亡くなり母だけが待っている家に帰るにはとても間に合わず、帰ったとしても無駄。
 此のS市の町中が一斉に爆撃されているからだ。母の安否を気にしながらも同僚の女性の教員と手を繋ぎ校庭を走り抜けていく。
 物凄い暑さだ。爆撃の熱風が吹き荒れている。東京は主として爆弾だが此の町には焼夷弾(napalm)が落とされた。
 焼夷弾は落下すると油をばら撒いたように辺り一面を燃えつくす。
 此れが身体に掛かれば、服が燃え身体も焼け焦げになる。二人は校庭からgrandの端にあったプールに飛び込もうとした。
 狭い敷地だからそんなに距離は無いのだが、辺りは火の海のように燃えているし、雨霰と落ちて来る焼夷弾を避けながら。
 もう少しでプールだという時に、手が離れた。原因など分からない、其れに後戻りも出来ない。
 淑子はプールに飛び込むだけで精一杯だった。水と油の相性など考えている暇はない。
 飛び込み、なるべく奥深く潜る。呼吸をする為に水面に顔を出す。
 其の、繰り返しをやっている時間が長く感じられた。なかなか空襲はやみそうもない。
 もうこのままプールの水も火油で覆われるかも知れない。どの位経った頃か・・何とか空爆は通り過ぎたようだ。
 淑子は自分が生きているのが当然だとは思えなかった。偶々運が良かったのと、プールに飛び込んだ事が救いになった。
 空襲警報が鳴りやむ頃、プールから慎重に出て、何処に行こうかと思う。
 校舎も燃えているし、校庭も未だ安全とは言えない程燃えくすぶっている。
 恐る恐るプールから出て暫くは宛も無く歩いた。授業は出来ない。帰宅するしかない。
 家は、浅間山という神社を回り、長谷通りを歩いたところにあるが、此方も火がくすぶっていた。
 その前に、あの、先生の事を考え探そうとしたが、見える範囲の人の中には彼女はいなかった。
 皆、逃げるのに精一杯で人を探す事は無理だった。頭の中を過ったのは、先生・・ひょっとして・・逃げられた?
 其れとも・・正反対に・・犠牲になった?
 何方とも判断は出来なく、兎も角、母の安否が心配だった。
 幸い、家の周りの家の人達と一緒にいる母に会う事が出来た。
 多くの家が燃え尽きている。煙の中で人々は宛も無く片づけをしている様だった。
 二人で手を繋ぎ茫然としていた。
 翌日も空襲で、皆、逃げ回るだけだった。USAの空襲はeurope戦線と異なり、此の国の全てを破壊し全員皆殺しにする腹積もりだった。
 Germanyは大陸の中で、Polandと共に戦ったが周囲の国が味方である連合軍としては、絨毯爆撃を出来なかったし、ヒトラーも自殺をし、降伏した。
 特攻隊の存在など信じられない事をする国民は根絶やしにしなければ・・本土決戦にでもなろうものなら・・多くのUSA軍人が犠牲もいとわない獰猛な人種であると思われていた。
 実際には、逆に獰猛なのはUSAの方だった訳である。彼等は罪もない国民を一人残らず殺害する事もやむを得ないと、更に人体実験の為に、原子爆弾を広島・長崎と落とす。
 此れらは、特攻隊ですら既に敗北をしたも同然の無抵抗状態で行われた。
 此の国の国民には大本営の放送による発表しか判断材料が無かったが、此れはかなりいい加減なものであった。
 最後になるまで・・国民にはまだ帝国軍は頑張っていると発表していた。
 S大空襲の二日間から二か月後の8月に裕仁氏の玉音放送で、国民は初めて完全に此の国が負けた事を知った。
 更に、半月後に戦艦ミズーリ号甲板で法的な降伏の調印が行われたが、遅れて参戦したソ連はまたそこから地獄の戦いを仕掛けてきていた。


 

 空襲は、井田光男の所属している陸軍S第53連隊にも、残骸を残すのみ。
 もう、其の頃は軍隊とはいえ、戦う武器も意欲も無くなり、只逃げまくるのみだ。
 連隊は駿府城の中に配置されていた。一等兵とはいっても事実上は最下位の階級で二等兵と呼んでもおかしくは無かった。
 二等兵という階級は存在しないが、一等兵としての階級では勝手な行動は出来ない。
 其の日は連隊の中で復旧の作業を終えてから、帰宅の許可がおりた。
 其れは、今更攻撃でもなく、何もする事が無かったからという事で、そうなった。
 軍隊から解放された光男は寺に戻ったが・・S市中が焼け野原となり、学校に復帰するのは当分先になると思われた。
 光男の住まいは、市内の寺だ。寺に後妻に来た母と共に寺の住職の家族とは差別をされながら、連れ子として暮らしている。
 寺も被害に遭い、本堂やその周囲の沢山の墓迄崩れたり火がくすぶったりしていた。
 取り敢えず寺に帰れたと、母は喜び互いの無事を確認し合った。
 彼は軍隊に入る前は小学校の教員だ。この戦争が終わるまで生きていられれば、再び教員として復帰できるはずだ。
 
 
 




 やがて・・ようやく、とはいっても、戦争の爪痕が残る中、どうにか教育現場である校庭での授業が再開された。
 光男が市立A小学校に配属されている時、人の異動があった。
 T小学校にいた淑子がA小学校に移ってきた。其れで、二人が知り合う事になった。
 其れからは互いに母親だけの生活だったが、戦争が終わったという事で学校で互いを意識するようになった。
 二人が知り合った時に、勿論同じ学校に他の先生もいる。其の中で、二人はどういう訳か親しくなって行った。
 当時は小使いさん(現在の用務員)という器用な人がいて、大工仕事や修繕など何でもやってくれた。
 二人もそんな小使いさんと仲が良かったというか、教員の指示は原則守らなければならなかった。
 その当時は、阿弥陀籤を引くような形で、運命が人と人を結び付けていった。
 其れだけ・・余裕がない時代であった。戦火の中で愛だの恋だのと言っていられなかった国民にもやっと、男女の組み合わせが出来て行った。
 其れで、終戦の約三年後に空前の第一次ベビーブームが訪れたという事になる。
 更に、其の三年後には、二人の間にも子供が生まれていた。それ以前に二人は結婚をしていたから。
 




 二人が親しくなっていく間に、淑子の弟は中学校の教員である事も、妹が働いている事も話題に上った。
 戦後の教育は、6・3制といい、小学6年・中学3年・高校3年と変わっていた。
 戦前は、戦後でいう中学と高校が一緒で、旧制中学と呼ばれ、五年間通学となっていた。
 此れにも、占領軍であるGHQの支配が影響していた。其れは憲法などあらゆるものがそうであったように・・。
 此の事を、満男は旧制中学の方が良かったと言った。其の方が学校というものに慣れ、先輩後輩の中も親しく慣れたから。
 勿論、この時代から・・二人の子供が大学に入学する昭和45年辺り・・それ以降も・・此の国に、「不登校」も「いじめ」も「特攻以外の自殺」などは無かった。
 そんな事に関心がいくより、国民は皆必死になり毎日を生きていたからだ。
 其れが・・平和がおかしな方向に国民を運び始め・・次第に戦争が忘れ去られようとしていく中で・・それ以前の終戦時以降は、占領軍(進駐軍)から、いろいろな事について、此の国の政府に修正の指示が出た。
 結果的に良かったものと悪かったものがある。
 此の国の憲法は、戦前とは打って変わり、所謂「平和憲法」となって生まれ変わったが、此れは良い事である。
 現代では・・すさんだ政治の社会の中で、この憲法9条を改悪するという事が自民党などの与党から出ている。
 憲法9条は、進駐軍時代の少ないお土産のようなものであり、良い事。
 此れを改悪し、自衛隊を軍隊に変えるやUSAと同盟軍などになる。
 しかも、USAの全国の基地などは未だに存在している。
 この様に、USAの支配が齎した光と影が未だに影響を及ぼしている事になる。
 現在は、USAも自らが押し付けたこの憲法に反対の意図を示しているが、此れは他国への干渉であり、許されない事と言える。
 従って、随分長く続いている自民党一党独裁政権等はもってのほかという事になる訳である。(実際には平成元年辺りに、後にも先にも一回だけのしかも一年余りという短命な社会党政権が誕生したが・・神戸震災などの後始末なども含め不手際があるとした、国民はすぐに自民党政権を復帰させたので・・まだ・・野党政権の良さも分からない間に・・国民が首を挿(す)げ替えてしまったという事になる。其の時の社会党はまだ、現在の野党よりも骨があったが、今の野党は混乱している自民党与党と大して変わらぬ腐抜けとなり下がっているので・・何方も大して変わらずという残念な事態になっている。其れで・・新しい強い議員の登場が待ち望まれるのだが・・国民はまだ気が付いていない・・。)
 この後、種々の災いがもたされるとして・・此の政権や議員では・・此の国の内部でも・・また、国際社会の中でも・・また間違った方向にまっしぐらである。
 社会には様々な問題が山積(さんせき)されているにも拘わらず国民は未だに独裁政権を支持してやまない。
 その理由も・・他に良い政権が無いから・・と言う国民の趣旨が圧倒的に多い。
 良い政権・社会を作るのは、議員でも政党でもなく、誰よりも・・国民が生み出す事が出来る唯一の権限を持っている。
 其れにも拘わらず・・こういう法律関係の言葉がある。「権利の上に眠るものは国は此れを保護をせず」。
 つまり、選挙での投票(此の国とUSAのみが世界で最も投票率が低い30%台。)という強力な権利があるのに其れを使わないという事などが、その代表的な解釈と言える訳である。
 此れは憲法にうたってあるように、国民主権及び選択の自由などの権限を行使していないと言えるのかも知れない。
 まあ、結果は追って知るべし・・。
 経済面ではバブルの崩壊・震災などが発生しなければ・・本当は何が良いのかが・・分からないと言えるだろう・・。
 バブルの崩壊は人災であるが、震災は人災では無いが、丁度大東亜戦争の終わりごろに発生した「東南海地震」や「三河地震」では、1200余・2300余という犠牲者が出ているのにも拘らず、戦前の軍部などにより「情報統制により、ほとんど報道さていない」。
 一部の人間の間で言われている、「現代は大東亜戦争の直前の状況に似ている」だとか・・「南海プレート・・大地震」などに似ているのではないかとも思える節がある。
 まあ、此れは、単なる言いがかりであるかどうかは・・結果が出なければ・・気が付かないのでは無理は無いといえる・・。
 



 さて、二人の事であるが、二人は共に教員となり勤めを果たし退職した。
 一族は淑子の方しか存在しなく・・全員、教員や国家公務員だ。
 淑子がは、後に、投稿した文章が、地元のTVで取り上げられ、「あの時・・プールで手が離れた教員の行方・・」として、戦後数十年経ったが・・というテーマのもとに、淑子はドキュメンタリードラマの主役として登場し、大空襲時に起きた、T小学校の逸話を語っている・・。



 また、光男は・・知識にたけており、投票はバランスを考え・・社会党や民社等に入れていた。


 今は・・全ての登場人物は・・存在しない・・現代の社会がどうなっているかも分からない程に過去の教訓が活かされていないばかりか、知的レベルも地に落ちている。
 只、謂えるのは・・主権を行使するのが誰かと言えば・・長いものに巻かれ、自らは何も考えず、謂われた事だけをやっていれば何も考えなくて良いという国民だという事である・・。
 

逃げなければいけなかった人達からのメッセージ

全体主義から民主主義に変わったとは・・国民主権とは名ばかりの・・情けない国のお話・・。

逃げなければいけなかった人達からのメッセージ

自らが今生きていられるのは、戦争で亡くなった人達や、逃げまくり生き残った人達がいてくれたからだという事を忘れては行けない。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-11-30

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