旅行やサバイバルに興味のある方向け。 話は24歳の「北井(ならい)」の、デスバレー国立公園へのレンタカー選びから始まる。道路事情やアメリカ人気質、デスバレーの景観や印象などの楽しい紀行が語られ、銃を持った初老の男に出会ったことから、サバイバルに突入する。水を得る方法や夜間行動など、現実的な方法も見所。危険なサンダーストームにさらされた後、ついに反撃を試みるが・・・。 2016,8月作
テーマは2つあります。 1)訓練に明け暮れる青春を選ぶ者たちもいる 2)人や組織を守るために、真実を曲げなければならないこともある ・・・末尾は書いてて涙でちゃってさ、何かに取りつかれてるかも。
あるライダーさんのお話。 揺れほどけ、うねり悶え、乱れ流動し、寄せ狂い、泡立ち煮沸するようなものが書きたい。 おれ自身はもう、初期の作品を越えられない気がしてるのに、言葉が呼ぶのね。 「俺はここにいる」って。 自分は生まれてこのかた、いつも祖父母や両親・猫や友達に囲まれいて、今も嫁や親友や愛猫など、大切なものの只中にいる。 1人って何? 1人ぼっちってどうなるの? 生まれるのも1人。 …のも1人。 こわい。
「おれ」のアパートに家財道具と共に転げこんできた「悠美(ゆうみ)」。 ひょんなことから、幽霊であることが発覚。 「おれ」はおびえながらも、彼女にしだいに魅かれていく。 ところが、曖昧だった記憶がよみがえってみると、亡霊は「おれ」???? 悠美はこっちで、おれがあっち???? 2転3転する現実は果たして・・・。 おせんべかじりながら気楽に読める「鼻ほじ作品」です。
おれ、自殺願望があるんで、またこんなの書いちったw 日本の明治の「文語体」っていいよね。 荘重で、しかもリズムが心地よい。 ぜんぶ文語調にすると重くて読めないだろ~から、現代文も混ぜといたワ。 「詩」じゃない?って思うかもだけど、おれ的にはやっぱり詩じゃないんだ。
初期の作品です。「九月の葬奏」の前あたりのものです。未熟で申し訳ないのですが、そのまま掲載します。 体験的オカルトで、小学6年の上松隆の林間学校の話です。友達になった地元の子たちが、実はこの世のものでなかったというもので、作中に出てくる奥多摩地方の方言は、そのまま埼玉・群馬を含む現実の武州弁です。
梅雨の「表銀座(槍ヶ岳コース)」で、ワンゲルの4人が次々と遭難していく。そこには不気味で哀しいある作為があった・・・・。 主人公の名前が上松で他作のものと同じですが、シリーズではありません。最初、友だちの名前を使ったところ、「ダメ」「イヤ」と断られたため、「じゃあ、いっそのこと」と同じにしました。2015年、8作品中4番目
甘ったるいだけの恋愛モノではありません。みんな、ガイ児には気をつけようぜ! 2015年7月作。2014~2015までの8作中、8番目
2014年に書いた2作目です。 新聞記者となった主人公が、高校時代の友だちの家にある有名画家の絵を取材に行く。そこで父親から精神に異常をきたした友だちの自殺を知らされ、経緯をたどるうちにその友だちの祖父こそ有名画家であり、ともに精神異常の末路だったことを知る。そんなおり、主人公も ある病で・・・。 わたしたちは常日ごろ、安易に「死ぬ」ことを口にしますが、本当の「死」とはとてつもない絶望感をともなう究極の自己破壊・自己破滅であり、ゾッとするような苦痛・恐怖・無力・失望・戦慄の集大成なのです。 「死にたい」などと言っているみんな、せめて、この作品の6~8項を見てください。 とくに、7項は具体的にどうなるかがわかると思います。 実体験+フィクションですが、自殺したいと思っている人などは後悔しかないのが「死」です。
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。 世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らしたくて書きました。 時間のないかたは、後半~末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。 社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。作順では5番目。