*星空文庫

峠攻めの夜に

上松煌 作

メットを外すと、ゼリー状の夜気が湿った空気抵抗をみせていた。
カーブ直前で騎座をリアにシフトする。
十分な減速と倒し込み。
外ブレしようとする慣性を、ななめにインに引き込む。

 キ・キチリリリリリ……

 龍めいた長い火花が、ステップのエッジを削る音につれて、とび跳ね転げる。
スロットルを開け、立ち上がろうとする奔馬をさらに手の内に収めると、すぐにカーブの終焉がやってくる。
いい。
今夜は風がいい。


 ウォンオオ~~~…。

 追い上げる音がした。
覆面か?
おれはノーヘルだから、取り締まりの対象だ。
本能的にスロットルを開ける。
マシンが瞬間的に頭を振り上げて狂奔する。
こいつにたてがみがあったら、それは激しくおれの顔を舐めただろう。

 チラッとふりむくと2コーナー後ろを猛然と迫るライトが見えた。
光量を抑えているらしく暗い。
対向車に配慮しているのだろうか?
ってか、こんな時間に、そうそう対向なんているか??

 トンネルが迫っていた。
突入。
爆音が壁面で倍加する。
来た。
化け物みたいに速い。
八交機にこんなポリいたか?
おれの背中にライトをぴたりとつける。
「止まりなさい」
の、警告はない。
たぶん、トンネルを抜けたところで捕捉するつもりだ。

 当然、こっちは出口をシミュレートする。
ここは確か、出てすぐに右カーブになる。
それからはS字の連続だ。
おれの大好きな、下りヘアピンだって待っている。
このままコイツを背後に置いて先を越させなければ、十分ぶっちぎれる。
ココはもらったワ。

 ヴォッ。
ケツ振って牽制しているにもかかわらず、ソイツが強引に横並びする。
ウソ?
まるでサトリのように心を読まれた。
横目で確認。
黒バイクに黒づくめ。
ゾワッと冷気が走り、無意識にスロットルがもどる。
瞬間、ソイツが前に出た。


 くっそぉっ。

バイクごと叩きつけてやる。
テールを追尾する。
ん?
違和感。
ケツのナンバーが読み取れない。
折ってあるわけでもないのに、数字が意識に触れない不思議。
????
視線を上げて、そいつの背中を注視した。
黒マシンにピタリと張り付く黒いライダースーツ。
スワロー・ハンなのかメットが見えない。
すげえ騎伏だ。

 引きこまれるようにフルスロットル。
抜き去って前に出るのだ。
だが、まるで見えない壁そのままだ。
抜けそうで抜けない。
上手い。
コイツは上手い。

 驚愕と悔しさと尊敬が綯い交ぜになって、かえってアタマが冷める。
トンネルの淀んだ夜気に、湿った風が忍び寄る。
外が近い。

 抜けた。
右カーブの正面に、奥多摩湖が鉛色に広がる。
クン、ククン。
クン。
ギヤは落とさず、瞬間的で的確な複数のブレーキング。
それでもフロントが沈み、尻を跳ね上げる。
ニーグリップで抑え込み、リアに荷重したとたん、棹立ちになった前部が何かを越えた。
ガードレール。
おれのマシンは優秀な障害馬のように、華麗に湖面を目指していた。


 ワァァァァァアアン。
着水の瞬間、周り中から歓喜の声がわきあがる。
同時に、多くの人々のどよめきのような重低音がとどろき、しばらくして収まった。
おれは愛馬に跨ったまま、冷たくて濃厚な密度の中にいた。

 黒ライダーが振り向いていた。
瞬間、音のない稲妻のような閃光が、おれに何かを見せつけた。
黒騎士?
西洋の伝説のように、ソイツは革スーツの小脇にメットごと自分の首を抱えていた。
次いで、リアの後ろに据えられて冷笑する同じ首。
驚愕で一瞬、息が詰まった。
ケタケタと嗤う顔が踊るように渦巻いた。
めまいが幻影を見せたのだろう。

 黒い背中がエンジンを吹かした。
誘っている。
わざとフロントアップさせて、おれに見せつけている。
心底、笑えた。
ヤツはクラッチでウィリーしている。
素人め。
前輪上げの醍醐味は、体重移動とスロットル操作なのさ。

 おれもフロントを跳ね上げる。
たわむれる2匹のチョウのように、おれたちは湖底を走り抜ける。
ひらめく影、突き刺さるアジサシ(鳥)、直進する光に似たモノ。
時をつめ、推進力を研ぎ澄まし、露出した慣性に拍車をぶち当てる。
逡巡を切り裂き、怠惰を削り、生々しい今をこの手に握るのだ。

 指は冷え、膝は震え、体重移動のたびに腰は軋む。
その昔、湖底に沈んだ町の名残をかすめて、おれたちは凶器のように存在を主張する。
水にぬれて、なお燃え上がる黄燐に似た宝珠(命)。
それを追い求める2匹のグリュンゲル(水龍)。
おれたちは自ら、自分をそれに例えるのだ。



 「し…き」
「しゅ…ん…しゅんき、駿輝」
由美香の声が聞こえた。
スロットルがゆるむ。
遊びの名残を惜しむガキんちょのように、ためらいながら我に返る。
そうだ、こんなところでいつまでも走り回ってはいられない。
久しぶりに時の存在を忘れてた。
帰ろう。
おれには戻るべき場所がある。
指を上げて、ライダー流の別れのあいさつを交わすのだ。

(さびしい)
えっ?
横っ面を張り倒された気がした。
おれを貫いたその思念は、それほど鮮やかに切なかった。

 そういうことだ。
認知を拒絶しても事実は変えようがないのだ。

 理由は…。
理由はもう、イヤというほどわかっている。
おれが今、手を伸ばしても誰がそれを見るだろう?
しゃべりかけても誰が言葉を返すだろう?
念は残り彷徨っても、宇久の孤独があるだけだ。
うかつにも、自らそれに身をゆだねたのだ。

 生まれるのも1人。
いまももう、1人ぽっちだ。

 いや、それでもおれは帰る。
その現実を目の当たりにするために。
そして再び、さびしいここに戻るために。

 竜宮に帰る浦島のように、おれはこの場に固着するしかないのだ。

 黒ライダーの姿はもう、なかった。
ヤツは魂を導くためだけに存在するモノなのだ。
おれはメットをかぶるように、自分の首を肩に乗っけた。
このままダムの放水口を通って湖底を抜ける。
川を下れば、アパートのある街だ。
いつものように由美香が帰りを待っている。

 おれは今夜のことなんかすっかり忘れ、さりげなく言うのだ。
「ただいま」
と。
彼女は微笑むだろう。

 たぶん…。

『峠攻めの夜に』

『峠攻めの夜に』 上松煌 作

あるライダーさんのお話。 揺れほどけ、うねり悶え、乱れ流動し、寄せ狂い、泡立ち煮沸するようなものが書きたい。  おれ自身はもう、初期の作品を越えられない気がしてるのに、言葉が呼ぶのね。 「俺はここにいる」って。  自分は生まれてこのかた、いつも祖父母や両親・猫や友達に囲まれいて、今も嫁や親友や愛猫など、大切なものの只中にいる。 1人って何? 1人ぼっちってどうなるの? 生まれるのも1人。 …のも1人。 こわい。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2018-01-12
Copyrighted

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