文学を書く自分は果たして自分自身なのだろうか。普段は人間や社会の在るべき姿を優等生的に語っている自分。でも抑え切れない感情がある。それを綴るのが文学だと感じている。
星空文庫以外のSNSでは、哲学者と名乗っている。
あくまでも論理的に、人間や社会の在るべき姿を優等生的に語っている自分。
でも抑え切れない感情がある。
それを綴るのが文学だと感じている。
だから、文学を書く自分は果たして自分自身なのだろうかと考えてしまう。
論理的に考える自分と感情に流される自分。
その両者の関係の中に、自分自身はあるのかも知れない。
しばらくは本名ではなくペンネームを使う。
二つの自分の関係を構築できたら変えるとしよう。
もしかすると、ペンネームに飲み込まれているかも知れないが。
筆者の第一詩集になる。 不定期に作品を書いているが、詩をそのたびに載せていると悪戯に作品数ばかり増えてしまう。 とりあえず制作順に、詩集としてみた。 他のシリーズ詩集と重複するところもあるが、ご容赦願いたい。 あてもなくできた詩集ということで、「カオスより」と名付けた。
人間の感情は、脳がすべて支配しているのではない。 肉体、なかんずく性器がもたらすものは、脳の理性を超越してしまう。 このテーマで書き始めている。 この作品では、官能という表現方法を使っている。 従って、かなり強い性的表現がくりかえされる。 苦手な人は避けていただきたい。 官能小説として読まれるのは、筆者の意図に合致している。 完成が何時になるのか想像もできないが、完成した章から公開させていただこうと思う。
私の作品は愛と性をテーマにしたものが多い。 この詩集は、それをテーマにすると言うよりも、愛と性そのものを表現しようと試みている。 その意味では、単なる「官能作品」と評価されるものとも思う。あえて私はそれを受容したい。愛と性をリアルに描き切れるならば、それは私の目指す所であると考えるからである。
詩と違い短歌は気楽に書ける。いわば、短歌は呟きの文学なのかもしれない。思いついた事、感じた事をそのまま形式にさえ当てはめれば、重厚な雰囲気になるのだ。この短歌集は、そのように書きためたものを月別に掲載してみた。脈略も何もないがただの呟きと思っていただけたなら行幸である。 呟きを 三十一文字に 乗せたれば 日本古来の 万葉の歌
SNSに投稿していると、あまり重い作品ばかりでは、引かれてしまう。 時には、素朴な愛の詩(Love Poem)も載せたくなる。 ただ、作ってみると素直に自分自身を表現できたのではないかとも思う。 そんな作品を綴っていく。
戯曲型長編詩の構成で書いた。 私の持っている詩的イメージを全て投入してしまったかもしれない。 この後の作品は、同じイメージの焼き直しか。 それもいいだろう。
観るだけで、頭の中に言葉が溢れ出すような絵画がある。 そのような絵画を紹介する意味で、詩をつけてみる。 目次の作品は、ジョン・ミリアス作「ゴダイヴァ夫人」