【夢見ノ記】第八話 夢ではないどこか
【夢見ノ記】シリーズ
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第六話→ https://slib.net/111203
第七話→http://slib.net/111645
猫がたくさんいる、と気づいた睡の胸が早鐘を打つ。道の先に、うごめく猫の集団を見つけた。
睡は足を速めて、猫の集団を追いかけた。人気のない町で、初めて生き物らしいものと出会えたのだ。見失うわけにはいかない。
「ま、待って!」
声をあげると、猫たちの歩みがとまった。うごめく猫たちの先頭に、人影が見える。
睡は震えた。人がいることがこんなにも嬉しいなんて。
人影も立ちどまり、振り返って睡に気づいたようだ。
「ま、待って。お、俺」
全速力で走ったので、息があがって声が出ない。荒い呼吸のあいまに、睡はなんとか言葉を喋ろうと苦心した。
「驚いた。迷いびととは……はあ、こりゃ。どれくらいぶりだろう」
好々爺といった風貌の老人が、睡を見つめて破顔する。その柔らかな表情を見たら、なんだか泣きたくなるほどホッとした。
老人に追いつくと、睡は屈んで息をととのえた。走ったときに、鳥は睡の肩から離れて飛んでついてきた。鳥は睡の頭上を旋回するように飛んでいる。猫たちを警戒しているのだ。
鳥を見つめる猫たちをなだめて、老人は鳥に「大丈夫ですよ」と声をかけた。鳥は安心したのか、睡の肩に再びとまる。
睡は顔をあげて、老人に尋ねた。
「お、俺の名は、睡。じいちゃんは誰で。ここはどこ?」
「わしは〈猫貸し屋〉です」
ぞろぞろと猫たちをつれた老人は微笑んだ。
「見たところ、お嬢さんは迷子のようですね。ここへ来るのは初めてでしょう」
「うん、あ、はい。そうです」
「いえいえ、どうぞ楽にお喋りになって。走ってお疲れでしょう。これをお飲みなさい」
老人が渡してくれた水筒から、睡は遠慮なく水を飲んだ。人心地ついて、睡はお礼を言う。周囲の猫たちは睡に関心がないようで、おのおの好きなようにくつろいでいる。
「ここは爺ちゃんの夢なの?」
睡が尋ねると、老人は言いにくそうな顔をした。
「ここは、誰の夢でもないし誰の夢でもあるところです」
言われた意味が理解できずに、睡は戸惑った。
「夢ではない狭間ですよ」
「え、それじゃあ。ここは川なの?」
「いいえ。その川は、夢と現の狭間でしょう。ここは、夢と夢の狭間です。誰かの夢と誰かの夢の狭間か、数人の夢が混ざった狭間か分かりませんが」
「ええと。とにかく夢でも現実でもない、夢と夢のあいだのどこか、ってこと?」
老人はこくりと頷いた。
「あの、帰る方法は分かんないかな。船渡しの場所までの道は分からない、かな」
老人は気の毒そうな顔で睡を見つめ、首を横に振る。
「で、でも。それじゃあ爺ちゃんは、どうしてここにいるのさ」
「わしは夢からも現からも離れてまして。こういう狭間を放浪してます」
「猫貸し屋って?」
「こういう場所には迷い猫もおりまして。猫を拾って一緒に行きます。どなたか猫を借りていただける方を捜して、猫を貸すのが〈猫貸し屋〉です」
何匹かの猫たちは、老人の周りで大人しく待っていた。思い思いに寝そべったり、毛づくろいをしたり、互いにじゃれあう猫たちの姿もある。のんびりとした空気が漂っている。
睡は急に力が抜けた気がした。こんな事態は想定していなかったので、どうすればいいのか途方に暮れた。
「夢には行けませんが、夢と夢の間の町には行けますよ。試しに行ってみますか」
睡の顔色がぱっと明るくなる。一筋の光明を見つけた気分だ。
「お願いします!」
と、睡は力強く言う。猫貸し屋の口調が移ったのか、勢いあまって敬語になった。
「猫たちは勝手についてきます。わしは飼い主ではなく、ただの道中のツレですね」
道々に睡は猫貸し屋と話をした。猫を貸すというのがどういうことか、いまいちピンとこなかった。
「猫たちは何か心残りや強い想いがあるゆえに、夢のあいだで迷っています。どこにも行けずに迷い続ければ、やがて周囲の空気に同化して消えてしまいますから。見つけたら一緒につれていきます。わしはあちこちフラフラしてますから、どこかで良い相手を見つけて猫を借りてもらえれば、猫も浮かばれるようでして」
誰かに借りられた猫は、気持ちが満足すれば自然と借り主から離れていくらしい。どこへ行くのかは分からないが、猫はきっと幸せなのでしょうと猫貸し屋は言った。ついてくる猫たちを、睡は眺める。毛並みの違う猫たちが、それぞれの足どりで猫貸し屋の後ろをついていく。
徐々に霧が出てきて、周りの景色がぼやけた。白く霞むなかの町並みは、薄墨でにじんだように建物の影が見える。ぼんやりと実体がないような、幻覚を見ているような不確かさ。
足元の道だけは安定してそこにある。道を踏みしめ、睡は猫貸し屋の背中を追いかけた。
睡の足元を、猫たちが自由気ままにすり抜け、追いこしたりして一緒に進む。
鳥は、睡の肩にとまって静かにしている。
歩いていくうちに視界がどんどん狭まっていく。それが一転して、ぱっと道の先が開けた。さっきいたところとは違う商店街に出た。閑散としているが、ちらほら営業している店がある。
「ここには知り合いがいます。なにか手助けになるかもしれません」
猫貸し屋の言葉に、睡は希望を感じて嬉しくなった。
辿り着いた先は、古めかしい書店だった。看板には『貸本あります』と書いてある。
「どうも、こんにちは」と猫貸し屋が声をかけると、店主らしき男が顔を出した。藍色の着物がよれていて、全体的にだらしない印象の男性だった。
「やあ、爺さん。いらっしゃい。おや、可愛らしいお客さんも一緒だね」
店主は物珍しそうな目で、睡をじろじろ眺める。
「迷子のようですよ。ただ、自分の名前は分かるようですし、夢にも詳しいようで」
「ほうほう。そりゃ、変わり種が来たね」
ゆっくり話を聞こうと言って、店主は椅子とお茶の用意をした。店の外に椅子を置いて喋りはじめ、猫たちはその周囲でごろごろしている。慣れた様子なので、いつも二人はこうしているのだろう。
睡は温かいほうじ茶をすすり、もらった豆大福をほおばった。食べてはじめて、自分が空腹だったことに気づいた。おなかが満たされると気持ちにも余裕ができるようだ。睡はホッと一息ついた。
猫貸し屋と話していた店主が、睡の肩にとまる鳥に目をつけて、指さす。
「もしかして、それは特別珍しい鳥じゃないかい?」
聞かれて、睡は鳥を見つめた。鳥もじっと睡を見つめ返す。
「ほんとは夢鳥の卵だったんだけど。現世で生まれちゃったから、ただの鳥なんだ」
睡が説明すると、店主は眉間にしわをよせた。なにか納得いかないように考えこむ。
「どうも妙だね。その鳥からは、ここと同じ匂いを感じるよ」
店主が首をひねる。
「何か変わったことはなかったかい? ここへ来る前とか、この爺さんに会う前とかに」
そう聞かれて、睡はこれまでのことを思い出そうとした。思いあたるふしに気がつき、「ああ」と声をあげる。
「鳥に名前をつけたら、場所が変わってて。そこを歩いていったら猫貸し屋の爺ちゃんに会ったよ」
「その鳥には、それまで名前は無かったのか」
「うん。鳥ちゃん、て呼んでた」
「なるほどねえ」
店主は、うんうんと納得したように頷く。店主は次々と質問してきた。
「その鳥の名は?」
「ましろ」
「ましろ。いい名前だねえ」
「ここと匂いが同じって、どういうこと?」
「その鳥はこっち側の住人じゃないかと思ってね」
店主は意味深に笑う。睡は首を傾げた。
「ここは夢と夢の狭間にある町でね。夢に迷うか、この町に関わりある住人か、現実からも夢からも離れた世捨て人しか来る術はない、辺鄙な場所なのさ。話を聞くに、その鳥は名前をつけてもらったときに、その場で変化があったのだろう?」
「あ、それと初めて鳴いたんだ。でもまた何も鳴かなくなったけど」
「変化の兆しでもあるかもね。新しい身の置き所を見つけた、喜びの声をあげたのかもしれない」
「それじゃあ、ましろは……」
「ましろは、この町の住人になったということさ。いや、住鳥とでも言うのかな」
鳥は睡の肩にとまっている。店主が腕を差しだして呼ぶと、鳥はなんの抵抗もなく彼の腕にとまった。
「ようこそ、ましろ。歓迎するよ」
店主が話しかける言葉が分かるのか、鳥は頷くように小さく首を振る。
話を聞きながら睡は考えた。
店主の言うように、鳥は今まで宙ぶらりんで居場所はなかったように思う。本来は夢鳥として生まれるはずだった。不足の事態により、ただの鳥として生まれたため夢には住めない。
現世でも守の家では預かられていた身であり、飼い主になる睡の住みかへはつれていけなかった。睡へついてきたとしても、そのときはまだ名前も所在もないままだった。
睡が買い取るまで、鳥はどこにも所在がないまま、不安定な居場所にいたのだと。今まで思いいたらず、鳥にかわいそうなことをしたと申し訳なく思った。
「この町も、あるのかないのか分からないような不安定な場所だが。唯一確かなことは、自分が名前を選んだことだ」
鳥は翼を広げて飛び、睡のところへ戻った。肩にちょんと、とまる。
「君が名前をつけたのだろうけれど、その名を選んだのは他でもない、その鳥みずからだよ」
店主は睡に向けて言い、優しげな笑みを浮かべる。
「安心なさい。その鳥は、君によくなついている」
そう言われて、睡は胸のあたりが熱くなった。
「ここへ来てしまった原因はそれだとしても、帰る方法をどうするかですよ」
今まで沈黙していた猫貸し屋が口をはさむ。膝の上に一匹の猫をはべらせ、背中の毛なみを撫でまわしている。
「たしかに困ったね。これは釣りの旦那が来るのを待つしかないかな」
「あの人はいつここに寄るでしょうね」
「なにせあの獏のツレが気まぐれだから。こればかりは分からない」
釣りの人、獏、という言葉を耳にして、睡は興奮ぎみに尋ねた。
「もしかして、黒い獏をつれた釣りの爺ちゃんのこと? ここに来れるの?」
「おや驚いた! 知り合いかい」
睡は頷く。店主と猫貸し屋は目を丸くしている。
「なら、話が早い。君がいなくなったと気づけば、向こうから捜しにくるはずだ。それまで、うちで休んでいくがいいよ。うちの二階は下宿屋でね。今はちょうど空きがある」
店主はにこりと笑って言う。
黒猫が一匹、睡の足元をくるくる回って遊んでいる。見上げて睡を見つめ、にあ、と鳴いた。
睡は手をのばし、黒猫のしなやかな毛並みを撫でた。しっぽがゆらゆらと揺れる。
「おや、お嬢さんが気に入ったらしいですね」
「ここにいる間だけでも、その猫を借りてみたらどうだい。迎えがくるのはいつになるか分からないし、いい暇つぶしになるかもしれん」
猫貸し屋と店主はほがらかに笑う。帰るめどがたって、その場の皆が安堵していた。
にあ、と黒猫が鳴く。何か言いたげに睡を見つめている。
「その子は、〈ねむ〉という名だと言ってますね。本当に、お嬢さんに飼われたいのかもしれません」
と、猫貸し屋は言った。
「いやあ。案外、知り合いなのかもしれないよ」
店主は面白いものを見るように笑う。
「ねむ」と睡が名前を呼ぶと、黒猫は、にあ、と答えた。
黒猫は駆け足で、古書店の前の道端へ行く。振り返り、じっと睡を見る。猫貸し屋が、ほほうと声をあげて、興味深そうに黒猫を見た。
「猫が招くときは、何か良いことがあるものですよ」
「こういうときは猫に騙されるのが良い」
と、店主も言う。
睡の肩にとまっていた鳥が羽ばたく。黒猫を追いかけるように飛んでいき、猫の頭上を旋回した。
ついてこい、と呼ばれているように感じて。睡は椅子から立ち上がり、黒猫の後を追った。睡が近づくと、黒猫は先へ進んで立ちどまり、再び振り返って見つめてくる。
飛んでいた鳥が、睡の肩に戻ってとまった。睡は黒猫を追いかけようとして、振り返った。そこには古書店も店主も猫貸し屋も猫たちも、いなかった。何もない。霧が白く覆っているだけの空間だ。
にあ、と鳴く声がする。黒猫が呼んでいる。
「ありがとう」
見えなくなった霧の奥に向かって、睡は礼を言った。前を向き、黒猫が案内しようとする先へと道を行く。
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翌朝、守が質屋の店を訪ねると、花屋も来ていた。話を聞くと、質屋は昨晩の夢で鳥飼いに会えたらしい。
「あいつの話じゃ、こんな事態は初めてだってことだ」
なにか口にしていないと落ち着かないとでもいうように、質屋は煙草を吸っている。
「夢に迷ったかもって仮定は、もしかしたら当たってるかもしれない。その場合、アタシや鳥飼いじゃあ捜しようがない、ってのが現状だよ」
「それじゃ睡はどうなるんだ!」
守が思わず叫ぶと、質屋は顔をしかめた。
「大声出さないでおくれ! アタシゃ花まで使って夢見たせいで、頭が痛くてかなわないんだよ」
質屋は不機嫌に吐き捨てたあと、頭をおさえて呻いた。
質屋のかわりに、花屋が話を続ける。
「まあ落ち着きなさい。鳥飼いが言うには、睡の知り合いの釣り人は、夢の狭間に馴染みがあるようだから捜してくれるだろう、とのことです。そう悲観せずに待ってみましょう」
花屋は穏やかに笑ったが、なにやら抗えない凄みを感じさせたので、守はしぶしぶ黙った。
「アタシもできるだけ夢に潜ってみるから。守、あんたは大人しく待ってな」
「うちの花が必要でしたら用立てますから。できるだけ協力いたします」
二人の話を聞きおえると、守は無言で店を出ていった。守の背中を見送る質屋と花屋は、お互いに顔を見合わせ、やれやれというふうに首を振る。
【夢見ノ記】第八話 夢ではないどこか