【夢見ノ記】第二話、夢で生まれる
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濃い霧がたちこめ、景色は薄ぼんやりと白黒の世界である。船着き場に灯る明かりのおかげで、その周囲だけがくっきりと浮かんで見える。暗い川面と、空っぽの船着き場。
そこに、ぼうっと立つ人影がある。背丈は低く小柄な姿。まだ来ない舟を待っている。
その背後へ、別の影が近づいていく。背は高く、大きなつづらを背負っている。船着き場の明かりの下、大きな影が小さな影の隣に並んだ。
小さな影が顔を上げると、大きな影は「ほう」と感心したような声をあげる。
「また会ったね、お嬢ちゃん」
と鳥飼いが言うと、睡は渋い顔をした。
「嬢ちゃんはやめてくれよ。聞いてるこっちが、かゆくなる」
睡の見た目は、大抵の人間が男の子と見間違う。本人もそう振る舞っているので、お嬢ちゃんなどと呼ばれるのは肌に合わなかった。
鳥飼いは睡をじろじろと眺めた。夢で二度も会うのは珍しいうえに、睡は意識も記憶もしっかりしている。普通の人間ならば、夢でのことはほとんど忘れているものだ。
「お前さん、〈夢見〉だったのか。卵のことだって、どおりでお前さんが持ってたわけだ」
鳥飼いは納得したように言う。
「卵は盗んだんじゃないからね」
と、睡は憮然と言う。泥棒などと難癖つけられてはたまらない。
「釣りの爺ちゃんがたまたま拾ったのを、俺が預かってただけだよ。爺ちゃんの傍には食い意地の張った獏がいるから、食べちゃったら可哀想だってんで」
「おや、お前さん。釣り人の知り合いか」
鳥飼いの驚く声に、睡は何と答えるべきか迷って「ううん……どうだろうな」と言葉を濁した。その直後に、闇の先から小さな光を揺らして、ゆらゆらと舟が着いた。
さほど大きくはない舟だ。舟の舳先には明かりを持つ男が座し、艫には船頭が立っている。睡と鳥飼いが無言で舟に乗りこむと、舟はゆっくりと陸を離れていく。
暗い川を渡りながら、睡は鳥飼いに話しかけた。
「ところでさ、夢見、って何?」
鳥飼いは目を瞬いた。
「夢見じゃないのかい? ここへは来慣れているようだから、てっきりそうなのかと」
「俺さ、ここが生まれた場所なんだよね」
鳥飼いはしばし言葉を失う。こんなに驚いたのは久しぶりだと言わんばかりの顔だ。
「ここの舟の上で生まれたんだ。釣りの爺ちゃんは、その時にたまたま居合わせて。それから色々よくしてくれてさ、俺にとっても他人みたいに思えなくって」
睡が話すことは鳥飼いの興味を引いたようだ。黙って聞いてくれる。睡は釣り人以外の他の者を、まして意識のはっきりした者達を今まで知らなかった。こうして夢の川で偶然人と出会うことはあっても、それきりだ。他者は夢でのことは忘れてしまう。
話の合う相手を見つけた嬉しさから、睡はよく喋った。川を渡る舟の上での時間が、いつもより短く感じられるほどだった。
「どうした、守。ずいぶん暗い顔をしているじゃないか」
鳥飼いが急に訪ねてきたので、守は少なからず驚いた。自宅へ鳥飼いが訪問するのは、たいてい厄介事が多い。
「あんたが鳥を押しつけるから、俺は余計な荷物までしょいこんじまったんだ」
文句を言えば、鳥飼いは意に介した様子もなく笑う。
「夢鳥になりそこねたとはいえ、元々は私の可愛い卵だったからね。気にはなるさ」
「よく言う」
鳥飼いは、守の肩にとまる鳥を見た。「私の鳥達ほどではないが、まあまあ美しいじゃないか」と、一応褒め言葉らしきものを言った。
「ああ、ちょうどいい。あんたに聞きたいことがあったんだ」
「なんだい?」
「この鳥は何を食うんだ? ミミズなんかの虫をやっても見向きもしない」
「知らない。これは意地悪ではなく本当に知らないんだ」
鳥飼いの言葉に、守は落胆した声をあげる。とりあえず果物でも粥でも何でも試してみろと言えば、他人事だと思いやがってと守は返す。守がなんだかんだと文句を言いつつ、面倒見が良いことを鳥飼いは知っていた。
「聞いたぞ。あの子がその鳥を買ったそうじゃないか」
「なのに、俺に世話を丸投げしやがった。家では飼えないんだとさ。あれから、鳥の世話をすると言って、しょっちゅう来るぞ」
「それはそうだろう。あの子は居候の身だそうだから」
鳥飼いの含んだ言い様に、守は顔色を険しくする。鳥飼いが「気になるか?」と問えば、守は物言いたげに口をつぐんだ。
「子育て幽霊、という昔話を知ってるかい?」
と、鳥飼いが聞くので、守は首を横に振った。
昔々の話、身籠った女が死んだのだが、棺桶の中で赤子を産んでいたそうだ。女は幽霊になって毎晩飴を買いに行き、棺桶の中で赤子に飴をやって生かしていた。六日目の晩、とうとう手持ちの金が無くなり、この先飴を買ってやれないと嘆きながら、最後の飴を買って帰ったところ。不審に思っていた飴屋の店主が、女の後をつけて、墓場の土の下から泣いている赤子の声に気がついた、という幽霊話だ。
「睡は、その幽霊の赤ん坊が自分だと言うのさ。睡の母親は、夢の中であの子を産んだのだが、その時にはもう現世では事切れていたようだ。夢うつつに、舟の中で赤子を産んだようだ。その時居合わせた釣り人が、生まれたばかりの睡を、夢の川で産湯につけたらしい」
現世では、死んだ母親から産まれた睡を、周囲は好奇と畏怖の目で見た。父親はおらず、母親を亡くした睡は親戚の叔父に引き取られたが、その叔父も含めて親戚連中から疎まれているらしい。
それにしては睡は素直に明るく育ったようだ。夢へ自由に行き来できる特異体質のおかげか、釣り人に可愛がられた生い立ちか、睡なりの処世術を身につけたことが大きく影響しているのかもしれない。
「なんだ、あのガキが気に入ったのか」
「そうさね。面白い子ではある」
あの子は良い夢見になるだろう、と鳥飼いは言う。守は嫌悪感を隠そうともせず、鳥飼いを睨んだ。そういう反応を見せると分かっていて、あえてわざと鳥飼いは言ったのだ。
そうと気づいていても、守は感情を抑えられなかった。露骨に態度に出てしまう自分にも腹が立った。
さらに鳥飼いは言った。
「お前さんもそろそろ身の振り方を考えたほうがいいのじゃないか。今の商売は、お前さんには向いていないよ」
「あんたには関係ない」と、守は一蹴した。
「こんちは」
睡が玄関を訪ねると、守はあからさまに嫌そうな顔をした。
「鳥ちゃん、元気?」
睡はニカッと笑ってみせた。鳥の名前はまだ決めていないので、とりあえず「鳥ちゃん」と呼んでいる。何がいいか考えあぐねており、これというものが思いつかない。
「そんな悩むものか? 適当に名づければいいだろ」
「だめだよ。名前は大事なんだから」
睡は分厚い人名辞典を持ってきていた。居間の畳に寝転び、ぱらぱらと本をめくる。ここ最近入り浸っていたせいか、ほぼ毎日のように睡が来ることを守は諦めたようだ。
鳥の世話といっても、実は特にすることがなかった。守がよくしてくれているようで、鳥は家の中でずいぶん馴染んでいるように見えた。
鳥は箪笥の上に止まっていたが、睡の姿を見て顔をあげた。畳の上に降りてちょんちょん歩き、本を読む睡を観察している。
しばらく本をめくっていたら、鳥は観察に飽きたのか、畳をついばみ始めた。
「こら待て。畳を食うな! 今、めしをやるから」
守の言葉が分かるのか、鳥は大人しくなった。守のそばへと寄っていく。相変わらず鳴かないが、催促するように首を動かして守を見つめる。
ぶつくさ言いながらも、守はなんだかんだで世話焼きである。鳥のことも大事にしているようで、鳥は守によく懐いていた。今は彼の肩にのり、餌を待っている。
「夢鳥なら、人の夢を食わすそうだが」
守が用意したのは水飴だった。割り箸の先に水飴をつけ、鳥のくちばしへ向ける。そんなものを食べるのかと思ったが、意外にも鳥は美味そうにくわえてなめた。
「この子が食べるものが、よく分かったね」
「そりゃあ、色々出してみてこいつが……」
と言いかけたところで、守は大げさに咳払いした。鳥が何を食べるのか、色々と用意して試したらしい。けなげなことだ。睡はにんまりと笑う。
突然ぐううぅぅっと、睡の腹が鳴った。そういえば朝から何も食べていなかったのを思い出す。
「腹が減ってるのか?」
睡は照れ隠しに笑った。途端にまた、ぐううっと音が出る。育ち盛りだからさ、と笑って誤魔化した。
「ちょっと待ってろ。卵と飯くらいは残ってたはずだから用意してやる。ああ、鳥の餌はお前がやれ」
と、睡に水飴の割り箸を渡して、守は立ちあがった。
「え? あの……」
驚いて睡が声をあげると、守は怪訝そうに振り返る。
「なんだ? 卵は食えないのか?」
「いや、何でも食べられるけど……え、と……いいの?」
「いいから言ってるんだろ。遠慮もなく居座っておいて、変な奴だ」
そう言い捨てて、守はさっさと台所へ行った。
睡は黙々と鳥に水飴を食べさせる。台所から聞こえてくる支度の音を聞きながら、なんだかこそばゆい気持ちがむずむずした。
しばらくして、守が戻ってきた。お盆にのせた飯茶碗と生卵、たくあん、汁物が出された。自分のために用意された温かいご飯を、睡はまじまじと見つめる。
守は湯呑みに熱い茶をそそぎ、睡の前へ出してくれた。彼自身も湯呑みに茶をいれて、ふうふうと息を吹きかけている。どうも猫舌らしい。
「い、ただきます」
食べ始めたら、実はけっこう空腹だったことに気がついた。ぱくぱくと夢中で食べる。「美味いか?」と聞かれて、睡は無言で首を縦に振った。守は苦笑した。
「なんか、守は……世話焼きのおばちゃんみたいだ」
睡が言うと、守は顔をしかめた。心外だとでも言いたそうな様子だ。拗ねたような態度がおかしくて、睡はつい笑ってしまった。
守は文句を垂れながらも、なんだかんだで優しい。昼間から来ている睡に対して「学校はどうした?」と聞いたこともない。普通ならば疑問に思うだろうが、守はどうやら違うようだ。それは睡にとって気楽だった。
睡はぺろりとご飯をたいらげて、満面の笑みを浮かべた。素直に「美味しかった。ごちそうさま」と言ったら、守は素っ気なく「そうか」とだけ返した。
ここ最近、守の家は騒がしくなった。不本意ながら飼うことになった鳥に加えて、かまびすしい睡がしょっちゅう出入りする。
睡は鳥の世話だと言って毎日来るが、たいしてやることもない。日がな一日ぼんやりと名前辞典を眺めて、鳥に話しかけたり構っている姿を見る。
睡はやたら美味そうに飯を食うので、作る方もまんざら悪い気はしない。ここで餌付けをしてどうするんだとは思うが、あの食いっぷりと笑顔を見るとついつい世話を焼きたくなる。
睡は不思議な子だ。好意を抱かせる何かは、あの子の素直さかもしれない。だからといって、ここでほだされるわけにはいかない。冷たく思われたほうが都合がいいので、守は無愛想な態度を取るようにしている。
睡が「あのさ、守」と声をかけてきたので、守は「なんだ?」とぶっきらぼうに返事をした。
「守はさ、幽霊って信じる?」
唐突な質問に、守は眉をひそめた。幽霊と聞くと、先日鳥飼いから聞いた『子育て幽霊』の話を思い出す。睡は何か思うことがあって聞いてきたのかもしれない。
「そうだな……」と言って、守は口をつぐんだ。しばしの沈黙の後、
「会いたい相手がいる奴にとっては、幽霊はいてほしいものだろうさ」
と呟いた。自分の言葉に、守は喉奥に苦いものを感じた。
「守は、会いたい人がいる?」
睡は無邪気に、ずけずけと痛いところを突いてくる。一瞬睨めつけて「俺は信じない」と、守はぶっきらぼうに答えた。さすがに大人げなかったかと思うが、今さら態度をころりとは変えられない。
「そもそも、そんなことを聞いてどうだと言うんだ?」
口をつぐむ睡を見て、まずかったかと思ったがもう遅い。
「俺のこと、鳥飼いのおっちゃんから聞いたでしょ?」
守はうんともすんとも言わず、湯呑みの茶をすすった。自分でも下手なごまかし方だと思う。横目で盗み見ると、睡は睨んでいる。
「別にいいよ。話してくれてた方が、同じ話を何度もしなくていいからさ」
「俺はお前に興味がない。いらん詮索なんぞしない」
だがな、と守は言う。
「俺のことを何か探ろうって気なら、二度とこの家には入れないからな」
睡は目を見張った。
「それって、今のままなら俺がここに来ていい、ってことだよね?」
守はそうだとは言わなかったが、否定もしなかった。
睡が笑う。そんな嬉しそうな顔で笑うな、と守は思う。睡の笑顔は、何か胸奥の痛いところを突いてくる。
「守って、いい奴だね」
「俺がいい奴なら、世の中はみんないい奴だらけだ」
守は憮然として言った。
夜半。気づいたら、鳥の姿が見えなかった。いつも何となく視界の端にちらちらと見える場所にいるのに、今は近くに見あたらない。
鳥を呼ぼうにも名前がないことを思い出して、「おい、どこに居るんだ。おい」と呼びかけた。鳥相手に馬鹿馬鹿しく思えた。
鳥は鳴かない。気配も薄く、いるのかいないのか分からない。仕方なく家中を探して歩いた。
ひととおり探したが見つからない。守はため息を吐いた。
「あの部屋か」
ひとつだけ探していない場所がある。そこはずっと手つかずのまま、めったに入らない部屋だ。
そろりそろりと開けてみると、薄暗い部屋の中に白い姿がぼうっと浮かんでいた。
それが鳥の姿だと分かっていても、守はどきりとしてしまう。この部屋にいるものが誰かの姿を思い起こさせて、心の奥をざわつかせる。
「出てこい。ここは……」
ここは……姉の部屋だった。
鳥が羽ばたき、守の肩にとまる。守は部屋の中を見つめ、しばらく立ちつくした。
姉がいなくなってから三年経つ。部屋の中は何一つ変わらない。机の上の文具も、化粧台も、箪笥も、柱の擦り傷もみんな当時のまま。変わったことはただ一つ、姉がいないことだけだ。
昼間の睡の言葉を思い出し、守は苦く笑う。
もし会えるならば……
「幽霊でも、何でもいい」
そっと戸を閉じて、守はその部屋から離れた。
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睡は舟の上に乗っている。周囲は真っ暗で、舟の上の明かりが届く範囲に見える景色は、川面の波だけだ。船頭が漕ぐ櫂の音だけが、静寂にこだまする。
そこには鳥飼いも居合わせていた。
「最近よく会うが、もしかしなくても意図的にかい?」
ここまで頻繁に出くわすことは、この場所ではかなり珍しいことだ。睡は「そうだよ」と答える。
「はああ、お嬢ちゃんには驚かされてばかりだね。こんなこと簡単にはできないはずだってのに」
「嬢ちゃんはやめてくれよ。睡、て名前があるんだから」
「それで、睡? 私に何か聞きたいことでもあるのかい?」
睡は頷いた。
「鳥飼い。守に俺のこと話したでしょ? 俺がここで生まれた、ってこと」
「ああ。話すなとは言われてなかったのでね」
「べつに、話したって構わないよ。ただ、見つからないのが不思議でさ」
睡は小首を傾げる。
「俺さ、夢で守と会えないんだ。探すんだけど全然見つからない。どうしてだろ?」
名前を知っていれば、その相手の夢を探すのは睡にとって簡単だった。だが、守に関してはなぜか見つけられない。ここ数日試しているのだが、痕跡すら追えない。
会えないことで興味がわいた睡は、夢で守を捜すようになった。このたび一番効果的な手を使ってみたが、結果は同じだった。
「俺の夢に関わる話をおしえたから、夢で繋がりやすくなってるはずなのに。それでも全然ダメなんだ。守の夢が見つけられない」
「ああ、あいつは夢を見ない性質だからね。捜しても無駄だよ」
と、鳥飼いは言った。
睡は単純に驚いた。夢を見ない人間がいることを初めて知ったのだ。
「生まれつき、見ない奴というのはいるのさ。守がそうだ」
「でも、じゃあ……なんで夢を商売にしてるの?」
それは睡にとって率直な疑問だった。元々夢を見られないという守が、なぜ夢に関わっているのか不思議だった。接点など皆無に等しいのではないか。
鳥飼いはしばし無言で、舟が作る波の揺れを見つめていた。ふっと笑んで、
「さあ、なんでだろうねえ」
と、呟く。睡には、鳥飼いが意図的にはぐらかしたように見えた。
「分かったよ。触れちゃいけないことなんだろ。守にも詮索するなって言われたしね」
「本人から釘を刺されたにもかかわらず聞いたのか」と鳥飼いは言ったが、睡はあえて聞き流した。
まったく、と鳥飼いが嘆息する。
「お嬢ちゃんといい守といい、お前達二人はどうしてなかなか似たもの同士だよ」
「そうかな?」
「意外と、良い相棒になりそうだがね」
と、鳥飼いは言う。
睡は、きょとんと見あげる。何が面白いのか、鳥飼いは楽しそうに笑っていた。
【夢見ノ記】第二話、夢で生まれる