【夢見ノ記】第三話 夢を釣る

【夢見ノ記】第三話 夢を釣る

【夢見ノ記】シリーズ
第一話→ https://slib.net/104460
第二話→ https://slib.net/105423


 (すい)鳥飼い(とりかい)は、同じ舟の上に乗っていた。夢へと向かう川を渡りながら、二人は束の間の会話を交わす。
「今日は夢鳥(ゆめどり)を連れてないんだね」
 と、睡が聞くと、鳥飼いは「人に貸してるのさ」と答えた。睡は驚く。夢鳥を溺愛している鳥飼いが、他人に容易く貸すとは思えない。
「これでも私の商いだからね。貸すと言っても、人は選んでいる」
 鳥飼いはにんまりと笑んだ。
「夢鳥を貸してどうするの?」
「夢鳥は夢を食べて生きている。私の可愛い鳥達に、美しい夢を食べさせてくれそうな人間へ貸すのさ」
「鳥飼いの夢を食べさせてやればいいんじゃないの?」
「私の夢は食べないな。あまり美味くないのかもしれない」
 鳥飼いは笑った。何がおかしいのか、睡にはさっぱり分からなかった。
「そうだ、鳥飼いに聞きたいことがあったんだ」
「なんだい?」
(もり)にさ、鳥との交換条件で夢の物をあげる約束をしてて。そうは言ったけど、俺、夢で何か売れそうな物なんて分かんなくて。守が欲しそうな物って知らない?」
「守に直接聞けばいいじゃないのか?」
「聞いたら、何か良い物よこせ、としか言わないんだもの」
「はっはあー」
 鳥飼いは得心したように笑った。
「そりゃあれだ、あいつなりの気遣いだろう」
「どういうこと?」
「無理難題言っては、お嬢ちゃんが困るだろうから。ようは持ってこれる物でいい、ってことだろう」
 睡は目をパチクリさせた。そんなことがあるのだろうか。
 鳥飼いは含み笑いに言う。
「あれで、あいつは優しいところのある奴だからな」
「何でもいい、てのは案外難しいのに」
 と睡は言ったが、守の不器用さがおかしくて笑ってしまった。

*********

 船着き場で待っているときが、あまり好きではなかった。ここは暗すぎる。外灯の光が届く範囲しか、ぼんやりと景色が見えない。それより先は濃い霧に包まれている。外灯に照らされる川の水面、船着き場の板橋とわずかな草地が見えるだけだ。
 空を見上げれば、雲も月も星も見えない真っ暗である。暗い穴の底を覗きこむようで、ゾッとする。
「こんばんは、睡」
 声をかけられて振り返ると、顔なじみの男がいた。大きな黒い生き物の背に座り、のんびりと構えている。鳥飼いからは「釣り人(つりびと)」と呼ばれ、睡が「釣りの爺ちゃん」と親しみをこめて言う人物だ。肩には釣り竿を担ぎ、腰に魚籠をさげていた。
「こんばんは、爺ちゃん。久しぶりだね。最近会わなかったけど、どうしてたの?」
「ちょいと遠出してたのさ」と、釣り人は答える。
 釣り人は、声の様子から若いのか年老いているのか判別が難しい。ほおかむりをしていて顔は見えないが、なんだか爺くさいという理由から睡はそう呼んでいる。
 釣り人が乗っている生き物が、大きく鼻息を鳴らした。一見黒い豚のようにも見えるが、夢を食べる〈(ばく)〉という生き物だ。
「この子、機嫌が悪そうだね」
 と睡は、獏の長い鼻先を撫でた。ふさふさの毛が気持ちよい。
「腹が空いて気が立っているのさ」
 釣り人は言い、背中の上で獏の毛並みを撫でてやる。
 そのうち舟が着いた。二人と一匹が乗りこむと、舟はゆるゆると進みはじめた。
 釣り人は舟から釣り竿の糸を垂らす。その傍らで獏は丸くなって、目を閉じている。睡は横目でその様子を見ていた。
「魚は釣れてるの?」
 と睡が尋ねると、釣り人は首を横に振った。
「あまり良い夢が釣れないから、こいつも腹が空いて困っている」
「いい夢か……それって、どんなものなんだろ」
「分からない。知っているのは、こいつくらいなものだろうさ」
 と言い、釣り人は獏の毛並みを撫でた。獏は薄目を開けてすぐに閉じる。
「ところで爺ちゃん、飴玉をいくつかもらえないかな」
 ここの川で拾った飴玉を、釣り人は時々、睡にくれていたのだ。それは食べれば甘く、夢見心地にさせてくれる不思議な味がするものだった。
「ああ、すまないが。今はもう手持ちがないんだ。どうしたね? ねだるなんて珍しいじゃないか」
「ううん、いいんだ」と睡は首を振った。
「ごめん。実は、人に夢の物を交換する約束をしてて。その、やっぱり自分でどうにかするのがいいのかなって思ったし」
「睡、それはよしたほうがいい」
 釣り人が思いのほか強い口調で言ったので、睡はうなだれた。さすがにマズかったかなと思う。
「お前さんはここへ自由に行き来できるだろうが、夢にはまだ深く関わっていない。安易に手を出してしまえば、後はあっという間だ。やめておくがいい」
 睡は、うんと答えなかった。釣り人はそう言うが、睡自身はもう十分に深入りしている自覚があった。その先、二人はお互いに何も話さない。釣り竿に魚がかかる気配もない。
 しばらくして、舟は岸に着いた。岸に降りると、舟はすぐに漕ぎだして霧の中へ見えなくなった。
 釣り人は獏の背に乗り、獏はのろのろと歩んでいく。睡は別の方向へと足を向けた。それぞれ行く先は違うのだ。睡の背に向けて、釣り人が声をかけた。
「道中気をつけてお行き」
「じゃあね、爺ちゃん」
「くれぐれも深入りはするんじゃないよ」
 と言う釣り人に、睡は手を振って返しただけ。それ以上は何も言わなかった。

********

 睡は、焼き芋をほおばった。焼き芋は冷めていても美味しい。
「お前、遠慮ってものを知らないのか」
 と、守は嫌みったらしく言ったが、睡が訪ねたときにわざわざ焼き芋を出してきたのだから、つまりは食えと言っているようなものだ。
「守って、モテないでしょ」
「はあ?」
 すっとんきょうな声をあげる守を尻目に、睡は焼き芋にかぶりつく。
「もうちょっと素直な言い方じゃないと。嫌われるよ?」
「お前はもうちっと可愛げを身につけろ!」
 はははっと笑って、睡は聞き流した。
 鳥にはいまだに名前をつけていない。睡が人名辞典を開いて眺めていると、鳥は興味があるように覗きこんでくる。睡の肩にもとまるようになって、だいぶ慣れてきた。日々せっせと餌やりに通ったおかげかもしれない。
「お前の気に入る名前が見つかるといいね」
 鳥は鳴かないが、小首をかしげて頷いたように見えた。
「ねえ、守。守は夢から持ってきて欲しい物って、何かないの?」
 台所から、守の「んー」とうなる声がする。夕餉のしたくをする音がやむ。
「今はこれと言って思いつかないな。おい、長芋は食えるか?」
「え、うん。大丈夫」
 守が居間へ顔を出し、長芋とすり鉢を差しだした。睡に渡すと同時に「すれ」と言って、台所へ戻っていく。
 睡は言われた通りに、長芋をゴリゴリとすりこぎ始めた。この流れから考えれば、夕飯を食べていけと言うことだろう。つくづく不器用で人が良いと、睡は笑わずにはいられない。
「今日は、とろろご飯か~」
 想像して、睡はつばを呑む。台所からはジュージュー焼く音も聞こえてきて、ほのかにバターの香りも漂ってきた。
「守ー。おなか空いちゃったぁ」
 と言えば、奥から「もう少し待て。すぐできるから」と、当たり前のように返事がくる。
 それを聞いて、睡はまた笑った。

********

 睡は舟に乗っていた。暗い川を渡る舟の上には、いつもの船頭と明かり持ちの男がいる。舟に乗る客は、睡の他にもう一人。青白い顔をして俯く男が乗っていた。男の目は焦点が合っておらず、心ここにあらずというふうに見えた。時折ぶつぶつと何か独り言を吐き、濁った目で虚空を見つめる。
 睡は男から離れて座り、彼の様子をなんとなく盗み見ていた。
 男が急にハッと顔をあげた。何か言葉を叫び、舟から身を乗り出す。「あ」と声をかける間もなく、男の姿が舟から消えた。水音が響き、しんと静まる。
 睡は顔に手をあてて、はあ、と重い息を吐いた。
「浮かない顔だね、睡」
 ふいに声をかけられて、睡は顔をあげる。鳥飼いがちょうど川から舟に乗りこむところだった。
「さっき一人、落ちたんだ」と睡は言った。
「ああ、見えたよ」
 鳥飼いは、さらっと言う。
「その人、夢鳥を連れていた」
「私が彼に夢鳥を貸したからね」
 鳥飼いは指笛を吹いた。水しぶきが跳ね、川の中から夢鳥が飛び立つ。かすかな光を振りまいて、ガラスのように輝く夢鳥。
「ふむ。良い夢を食わせてもらえたようだ。どうだい、美しいだろう?」
 鳥飼いの問いに、睡は答えない。
 鳥飼いの言うとおり、夢鳥は美しい。けれど、その美しさはどこか作り物めいて見えた。じっと見つめていると寂しいような、今にも消えてしまいそうな透明感がある。
 ああ、そうかと睡は思う。夢鳥の儚さも美しさも、生きていないものが持つ特有の美なのだと。そして、夢鳥に漂う悲しみもそのせいなのだろう。
「お嬢ちゃんのことだから、とめるかと思ったが。そのことで釣り人は、何か教えてくれたのかい?」
「関わるな、って」
 夢に溺れる人間を安易に助けようとすれば、自分も引きずられて落ちてしまうから、と言われたことがあった。実際に睡は一度、舟から落ちたことがある。すぐに釣り人が助けてくれたから事なきを得たが、危なかったらしい。
「それが賢明だよ。もしそのまま一緒に溺れていたら、魚になっていたかもしれない」
 と、鳥飼いは笑った。
 夢と現の狭間にあるこの川は、どこまで底があるのか分からない。深いであろう川底には、舟から落ちた人々が沈んでいるという。夢に溺れた人間だと、釣り人が教えてくれたことがある。まれに魚になったものを釣りあげ、獏に食わせているのだ。
「そんなに睨まないでおくれ」と、鳥飼いが言った。知らず知らずのうちに睨んでいたのかと思い、睡は視線をそらした。
「私は夢鳥を貸す、夢鳥を飼う奴は好きな夢を見られる、夢鳥はその夢を食う。お互いに願ったり叶ったりじゃないか。ほどほどでやめればよいものを……夢を見すぎて溺れる奴のなんと多いことだろう」
 だから、自分は悪くないと言うのだろうかと思った。だが、鳥飼いはふっと遠い目をして、静かな声で呟いた。
「悲しいものだ。だが、それゆえに美しい」
 鳥飼いは夢鳥を腕にとまらせ、慈しむような眼差しを向ける。
「さっきの人は、死んだの?」
「ここに落ちたならば、そういうことになる」
 鳥飼いは睡に顔を向けて、「私は悪い奴かい?」と問う。まるで他人事のような物言いに、睡は一瞬のまれた。ごくり、と唾を呑みこむ。
「俺には言えることなんて何もないよ。鳥飼いも、釣りの爺ちゃんも、俺は善い人だなんて思ってない」
 鳥飼いは意外そうに「ほう」と聞き入る。
「自分のしたことで結果的に人が死んだとしても、それは自分に関係ないと思ってるんじゃなくて。ただ、無関心なだけなんだ。知らないし、知ろうって気もない。でもそれは当たり前のことだから、なぜと聞かれても答えようがないんだ」
 睡には、鳥飼いという男が分からなかったが、釣り人と同じ何かを感じとっていた。鳥飼いも釣り人も、善人だとは思わないが悪人とも思えなかった。
「俺だって、そうだもの」
 思わず口からついて出た言葉に、睡自身が驚いた。「ん?」と鳥飼いが聞き返したが、「ううん。何でもない」と睡は答えた。


 釣り人と相乗りになるときは、睡が会いたいと思うときだった。釣り人の方から積極的に会いにくる気配はない。知り合いで名前が分かっていれば、睡は難なく夢で彼らと会うことができた。
 舟の上で、釣り人は相変わらず釣り竿を垂らしている。かからない魚を、腹をすかせた獏がうずくまって待っている。
 睡は川面をぼうっと見つめながら、釣り人に尋ねた。
「この川の魚は、元は人だったの?」
「分からない。人が魚になったのか、魚が元は人だったのか……本当は魚ではないのか」
「この川底に、俺の母さんも沈んでるの?」
 釣り人は黙った。
「そうなんだね」
 今までの疑いが確信に変わる。薄々そうではないかと思っていた。
「俺が鬼の子だから、母さんを殺した?」
「それは違うよ」と言う釣り人の声に、睡は首を振る。
 親戚連中や叔父と、睡は折り合いが悪かった。彼らが口にする言葉は、「お前が鬼の子だから母親は死んだ」と言う。それがいつまでも、睡の頭にこびりついていた。それは周囲に疎まれている、という現実を叩きつけてくる。
 住んでいる叔父の家には、初めから居場所がなかった。では夢が居心地良いかと思えば、釣り人には深く関わるなと諭された。睡にはいよいよ居場所がない。
 睡は、腕に顔を突っ伏した。
「母さんはここで俺を産んで、母さんはどこへ行ったんだろう、って不思議だった。俺もその時一緒だったのに、どうして俺はまだここにいるのかな、って」
 自分も死んでいたのではなかったのか、という疑問。
「爺ちゃんが、俺を助けてくれたんでしょう?」
 釣り人は深くため息を吐き、観念したように口を開いた。「あのとき……」
「身重の母親が舟から落ちた。わしが咄嗟に投げた竿に引っかかったのは、赤子のお前さんだけだった」
「そっか……」
「あんまりに泣くから飴玉をやったんだ」
「……うん。ありがとう、爺ちゃん」
 釣り人はそれ以上何も言わない。慰めの言葉など、はなから期待はしていなかったので、睡にとってはちょうど良かった。ただ話せてスッキリした。欲しかった答えはもらえたのだ。
 釣り人はただ静かに傍に座っている。それだけでいいと、睡は思った。その方がありがたい。
 舟は真っ直ぐに進んでいく。この先にたどり着く夢は、睡が見る夢だ。自分がよく見る、誰にも知られない自分だけの夢だった。その夢は睡にとって都合がいいものなだけに、居場所とはなりえないものだった。
「夢がなくちゃ生きていけない人の気持ちは、分かる。俺だってそうだもの」
 釣り人は黙って、睡の頭を撫でた。優しい手の平の温かさが、睡の目頭を熱くさせた。

*********

 いつものように家に来た睡を、守は邪険に扱わなかった。珍しいことに、睡は少し戸惑った。
「ちょうど人手が欲しいところだったんだ。手伝え」
 と、守は真剣な顔で言った。
「あと、これ食っておけ。ちょっと手強い相手だから、腹ごしらえして挑まなきゃならない」
 と、手の中に押しつけられた紙袋に、睡は唖然とする。中身はたい焼きだった。
 守が自分を頼ることに、睡は驚きを隠せない。
「なんだ? たい焼きは嫌いか?」
「ううん。好き」
 睡は、たい焼きをかじった。あんこがたっぷりで美味しかった。
 守がなんやかやで食べ物をくれるのは、睡がいつも腹ぺこなのを察しているからなのだと気づいたのは、けっこう前からだった。そのことに関して守は何も聞かない。
「食ったら出かけるぞ」
「うん」
 睡はたい焼きを口にしながら、へにゃりと笑った。

【夢見ノ記】第三話 夢を釣る

【夢見ノ記】第三話 夢を釣る

【あらすじ】 夢と現実の間を流れる川を渡りながら、釣り人は獏をつれて舟に乗る。釣り人がその川で釣る魚は、夢に溺れて川に落ちた人間が魚になったものらしい。その魚の夢を獏は食べている。彼らとともに舟に乗って川を渡る時間は、睡にとって当たり前のひとときだった。釣り人はいつでも睡に優しく接してくれるが、決して夢に深入りするなと言う。そう言う彼自身、夢の中でしか生きられない人だと睡は知っていた。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2021-07-23

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