突如として見知らぬ場所に置かれた場合、人はどうなるのか。またどうするだろうか。前提は絶えず否定され、取り巻く世界は彼を裏切ろうとしてくるのであった。
だから、行うタナトスとエロス、死とセックスは、人間的であるのだ。神に、人に、その前に、お前は何だったか。前世はイルカか? 来世はそんなに欲しいか?
人って30日間食べなくても生きていられるんだって。私の母は30日目に死んだって。リチウム欠乏だって。知らねぇよ。だったら食えよ。食わずに30日目で死ぬか、三食コンビニ弁当で生きてるやつ。どっちがいい。生きてよ。せめて最低限は食べなさい。
超然と頂上に至った人間は52の悟り。 13は死。53はごみ。死んだら体は塵芥と変わらないだろう。 53の悟りは死の悟り。
真理とは言葉や数式などでは決して表すことのできない解であるが故に、ここに言葉の羅列として真理を在るがままに記すことは叶わない。だが、その外縁を、まるでブラックホールの事象の地平面を観察するかのようになぞることは可能なのである。 真理を識るには、自身の内的な発露を得て、思惟を重ねることが必要である。その思惟は没我的であり、究極の利他に依らねばならない。人は、決して自分のためには神の領域や、悟りの境地には至らないのである。加えて、その思索は正しき脳の疲弊を以って涅槃となる。