初心者です。よろしくお願いいたします。
2014年10月~2015年7月までに8編の小説モドキを書きました。ちなみに嫁に読んでもらったら、あっというまに挫折してました。海のものとも、山のものともつかないモノです。みなさまに御紹介申し上げるような「自己」は保持しておりません。あしからず。
おれとヤツは古い友達だ。おれは能力は人並みたが、絵だけは才能を持っていた。一方、ヤツは大金持ちで勉強や運動もでき、容姿端麗で絵も上手かった。大人の言う『完璧な人なんていない。ほんとうに恵まれた人なんかいない。みんな欠点や悩みを抱えてる。それが人間。それが人生』は嘘だ、おれはそう思ってた。おれたちは同じ都立高に進み美術部に所属した。やがて、ヤツに彼女ができた。おれとヤツは美術展に出品するため絵を競ったが、このとき得意分野の絵でもヤツに負けた。おれが誇りを失った矢先、ヤツの彼女に本当はおれが好きだったと告られた。おれは毒づき、走り去った彼女は事故で亡くなった。狂気と憎悪はヤツに向けられ、おれは葛藤の末、ヤツを刺し殺した。現場に来た顧問の先生から時間をもらい、初めて颯の孤独と『完璧な人間などいない』ことを悟った。同時になぜ殺人が人類最悪の罪かという厳粛な3つの理3つの理由に思い当たった。
2014年に書いた2作目です。 新聞記者となった主人公が、高校時代の友だちの家にある有名画家の絵を取材に行く。そこで父親から精神に異常をきたした友だちの自殺を知らされ、経緯をたどるうちにその友だちの祖父こそ有名画家であり、ともに精神異常の末路だったことを知る。そんなおり、主人公も ある病で・・・。 わたしたちは常日ごろ、安易に「死ぬ」ことを口にしますが、本当の「死」とはとてつもない絶望感をともなう究極の自己破壊・自己破滅であり、ゾッとするような苦痛・恐怖・無力・失望・戦慄の集大成なのです。 「死にたい」などと言っているみんな、せめて、この作品の6~8項を見てください。 とくに、7項は具体的にどうなるかがわかると思います。 実体験+フィクションですが、自殺したいと思っている人などは後悔しかないのが「死」です。
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。 世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らしたくて書きました。 時間のないかたは、後半~末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。 社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。作順では5番目。
『目次』 1 めずらしくて、おいしいもの 2 亮輔君の家で 3 ぼくの町の話 4 漁船の話 5 近未来はけっこう大変だ 6 本当は怖い、海の体験 7 大人の責任と、ぼくらのきづな 勇人は小学3年の夏、いとこの5年生、亮輔の所に遊びに行った。釣り船を経営する家だ。そこで様々な海の体験と、人や大人とのつながり、心の交流を学ぶ。 大人にこそ読んで欲しいものです。2015年、8作品中7作目
梅雨の「表銀座(槍ヶ岳コース)」で、ワンゲルの4人が次々と遭難していく。そこには不気味で哀しいある作為があった・・・・。 主人公の名前が上松で他作のものと同じですが、シリーズではありません。最初、友だちの名前を使ったところ、「ダメ」「イヤ」と断られたため、「じゃあ、いっそのこと」と同じにしました。2015年、8作品中4番目
甘ったるいだけの恋愛モノではありません。みんな、ガイ児には気をつけようぜ! 2015年7月作。2014~2015までの8作中、8番目
旅行やサバイバルに興味のある方向け。 話は24歳の「北井(ならい)」の、デスバレー国立公園へのレンタカー選びから始まる。道路事情やアメリカ人気質、デスバレーの景観や印象などの楽しい紀行が語られ、銃を持った初老の男に出会ったことから、サバイバルに突入する。水を得る方法や夜間行動など、現実的な方法も見所。危険なサンダーストームにさらされた後、ついに反撃を試みるが・・・。 2016,8月作
都知事川村不比等は、都兵警視庁特別機動隊を所持し、都有地を侵略した中共軍を撃退する。 知恵とアイデアで都政をリードし、高速鉄道輸送や小さな原発、極小ロボットやステルスミサイルなどを海外に売り込み、都民生活を豊かで安定したものにしていく。 その中でイスラム国のハイジャックなどの危機もあるが、都兵の活躍により撃退。 いっぽう、日本国総理矢部新蔵は、ロシア・中共にそそのかされた北小鮮・奸国軍に迎合し無血開国を実行しようする。 『日本が日本でなくなる日』がついに来たのだ。 川村は決然と立ち上がり、各戦闘に勝利して両国を撤退させ、中共をのぞく国連の承認のもと「東京国」を樹立する。 爽快で示唆に富んだ、「東京都=精神」の自主独立(インデペンデンス)の物語りです。
初期の作品です。「九月の葬奏」の前あたりのものです。未熟で申し訳ないのですが、そのまま掲載します。 体験的オカルトで、小学6年の上松隆の林間学校の話です。友達になった地元の子たちが、実はこの世のものでなかったというもので、作中に出てくる奥多摩地方の方言は、そのまま埼玉・群馬を含む現実の武州弁です。
おれ、自殺願望があるんで、またこんなの書いちったw 日本の明治の「文語体」っていいよね。 荘重で、しかもリズムが心地よい。 ぜんぶ文語調にすると重くて読めないだろ~から、現代文も混ぜといたワ。 「詩」じゃない?って思うかもだけど、おれ的にはやっぱり詩じゃないんだ。