三国志の英雄関羽で、現代ものSFパロディみたいなものを書いてしまいました。 英雄を現在に蘇らせてみたいと思いました。 ※注意※「私」は女子大生。語り部としての役割で、恋愛描写はありませんが、彼女と関羽との交流は描かれています。
愛する者との出会い、そして別れ。愛憎離苦《あいぞうりく》。 宿命とも云《い》うべき縁《えにし》の糸が複雑に絡み合う。 様々な人々が、自らの信念に基ずいて己の道を邁進する。 その中で、ある者は愛し合い、又、あるものは憎み合う。 人々の心が戦乱で荒《すさ》み切った、この大陸《プレート》で真の愛や友情そして生きる意味を模索する綺羅星《きらぼし》の様な戦士たちの生き様を描く。 心の鏡《かがみ》という泉に投じられた小石の水輪《すいりん》 この物語りは、どんな波紋を、あなたの心に残すでしょうか………………
明るさが君を傷つけたとして、僕はそれを恨むだろうか。暗さが君を引っこ抜いたとして恨むだろうか。 なんで隣にいて、何もできなかったか後悔するのだろうか。恨みもするし、後悔もする。 しかしその起伏を起こさせる物事は、常に規則正しく世界を回っている。 メビウスの輪のような世界に、いつの間にか誘われ入り込んでしまっている。 僕は、色んな葛藤をしていく。陰陽は常に、悠然とただ回っている。 見るたびに僕は思い起こすことになるけれど、いつか忘れて見ることという行動だけが、残る。 そしてなんて綺麗なんだと思うだろう。その両極があってこその世界なんだ。 そしてまた同じことを繰り返していく。それもまた綺麗なことだ。
「おっかさんはどこ行ったんだい」 「……龍神様に会いに行った」 僕の得体はしれない。名前は六睦。川底の龍神様に会いに行った母を待っている。
ゴキブリは自分たちの歴史を振り返る。 そして、新たな住処で起こっている、異様さについて、語る。 それは自分たちは常に訳も分からぬまま悪で、迫害を受けていると。 しかし、迫害を受けている自分たちよりも、加えている人のようが、窮地に立たされているように感じている。 ゴキブリの想いをつらつらと語る噺。
児童の閲覧は、お勧めできません。 この作品には、人の心に潜む影の部分が描写されています。 1枚のコインに、表裏があるように、この作品が蔭となり、他の作品は光となります。光あるところに、必ず影ができます。 強い言語、思想、描写、が含まれています。これらのことをご理解の上、ご覧ください。 【陽、極まれば蔭となり、蔭、極まれば陽となる】 この世の理(ことわり)を現す言葉です。
太平洋戦争末期、日本は敗戦への道を進んでいた。 東京大空襲、原爆投下、その中に生きていた人たち、 遠く南方の戦地からそれを見ているしかない戦士たち、 真野善三、木内宗一、それらを取り巻く人々、 敗戦をどう受け止めていくのか。
昭和二十一年三月、太平洋戦争終戦後の旧日本軍軍事施設の解体・無力化を進めていたアメリカ進駐軍は、ある重要情報を得て、五島列島の北の孤島・阿曽島にある旧帝国陸軍の隠された施設に向かった。古くは倭寇・松浦党の海賊としての拠点であった阿曽島は別名「邪宗島」と呼ばれ、今なお、その狗神(いぬがみ)信仰や密教と融合して特殊化した土俗的な信仰を「隠れキリシタン」であった時代から続けている人々の島であった。米軍通訳として島に渡った、元軍属で代議士秘書の南部修平が見たものは、キリシタンの聖女達を標的とした連続殺人と、ある未秘の意図を持って占領軍を翻弄するキリシタン達の姿だった・・・。