何かを残すことが生きた証
映画と小説、乱読します。スパイ、潜水艦、インテリジェンスに興味があります。
一九四五年八月。世界初の原子爆弾による攻撃は京都駅直上だった。 二十世紀が終わろうとしている頃にようやくアメリカを皮切りにソビエト連邦、中華帝国と次々に原子力潜水艦を進水させていった。 四方が海に囲まれている日本海軍は焦燥のなか、現在のディーゼル潜水艦でもなく原子力潜水艦に代わる新動力潜水艦を進水させた。 SSC-601。クリスタルにレーザー光を照射させて水を蒸気に換えて動くものだった。クリスタルの動きは不安定を極め、乗組員は制限から全員二〇歳にも満たない少女たちばかりだった。 そんな彼女たちに課せられた任務はこの最新鋭の潜水艦を使えるようにして帰ってくることだった。
街のどこでも必ずや目に入る"ビニール傘"。もし、ビニール傘が自我をもっていたら、どんな思いで傘として役目、責任を果たしているのでしょうか。 "ビニール傘の責任感"というタイトルから着想を得て一気に書き上げてみました。
もし、あなたの目の前に入るな。と代々言い伝えられた洞窟があります。どこからどうみても何の変哲もない洞窟です。入りますか? もし、その洞窟に関して自分だけが地図や情報を手にしたとしても、興味をそそられはしませんか?