深淵の少女たち

一章 1

深淵の少女たち


第一章 一
 潜航中の潜水艦内というのは想像以上に寒いものだ。海の中に囲まれているということもあるが、海水の温度で艦内の室温が左右されていたのは大東亜戦争の頃までの話で二一世紀を目前に控えた現代では戦闘・制御系コンピューターをエアコンで強制冷却しなければならない。そうすると必然的に機械に合わせることになってしまい、人間としてはいつも肌寒い思いをすることになる。
 一人の少女が狭い通路を器用に駆けていく。目的の入り口に立ち止まって左右に視線を走らせる。肩の高さぐらいの位置にまだ貼って間もない機関室と書かれたプレートが照明にさらされて薄く反射している。中を覗くと機関室という名前に恥じないディーゼルエンジンがこれでもかと言わんばかりに威圧感を放っている。まるっと部屋一つ分もある巨体(エンジン)は次の始動を静かに待っている。
 彼女が水密扉の段差に足をかけて機関室に踏み入れたときに足下に柔らかい感触をおぼえた。死角になって見えなかったがツナギのような服を着た少女が倒れている。肩が上下しているから死んではいないのだろう。右手の傍にはレンチが転がっていて蛍光灯の冷たい光を鈍く反射している。 
 彼女は道に転がる石を見たように一瞥(いちべつ)をくれた後、何事もなかったように跨ぐと、巨大なエンジンの横を通り過ぎると箱といったほうがピッタリと思うほど小さな部屋があった。大き目の浴室といったぐらいだ。頑丈そうな鉄の扉には高出力レーザーに注意と関係者以外立ち入り厳禁というプレートが下がっている。彼女は迷うことなく扉に近づいて小さなガラス窓から中を覗き込んだ。今は動いていないのか部屋の中はやや薄暗いままだ。部屋の中心には水晶のようにキラキラと輝くコブシ大の(あか)い水晶にまず目を引かれた。紅い水晶は理科の実験で使うようなガラス器具の中に入れてあり、一メートルほど離れた所から八方向から銃のようなもので狙われている。おそらく真ん中にガラスに入っているのがクリスタルで周りの銃はレーザー銃なのだろう。ガラス管を目で追っていくと途中から鉄のパイプとなって複雑にいろいろな機械に繋がっている。それ以上は暗いこともあってわからなかった。
 扉の前を通り過ぎると、小部屋の隣には通路に背を向けるような格好で気を失っている二人の女性がいた。二人の前には様々なスイッチやモニターが天井まで続いており、昔の映画で見た宇宙船のような様相だ。とても二人では扱いきれそうになさそうというのが彼女の第一印象だった。近づいても起きないのを念のために確認してから彼女は二人に気にすることなく、迷い無く目の前の制御盤のスイッチをいじり始めた。決められた手順があるのか彼女の動きに淀みなかった。最後にポケットから取り出した粘土状のものを制御盤の奥に貼り付けた。
 彼女は立ち去ろうとしたが、振り返って気を失っているオペレーターを見て動きを止めた。数秒の迷いの後、二人のオペレーターを引きずって安全な場所まで移した。次に彼女が向かったのは艦の中心部である発令所だった。
 一本の狭い通路を何かにせかされるように足早に歩く。途中には水兵のベッドもずらりと並んでいた。それぞれに名前が書いたプレートが掲げてあり、カーテンもピンクやかわいらしいのやら様々だ。ここが潜水艦であるというのを少しでも忘れるため、唯一の個人になれるベッドを飾ったりするのだろう。ちらりちらりとカーテンの隙間から光が漏れているが、誰も起きてくる気配はない。彼女はあまりにも簡単に計画が上手くいっていることで周りへの警戒を疎かにし始めていた。彼女に見つからないように艦内にはもう一人、様子をうかがっている少女がいるとも知らずに。
 発令所に着くと異様な光景が広がっていた。数々のコントロールパネルの前に座っている少女達が机に突っ伏すように倒れていたり、ある者は椅子から転げ落ちていた。中央の司令壇ではいつもいるはずの艦長の姿はなく、発令所のどこを見渡しても姿はなかった。柔らかなウェーブの掛かった金髪をもった副長が崩れるように眠っている。ゆっくりと近づいて見ると副長は片方の手で手すりを掴んでいて最後まで抵抗していたのがわかる。
 足を止めることなく彼女は一つのコントロールパネルに近づき、訓練されたように慣れた手つきで操作をし始めた。潜水艦を目標の座標まで自動で操艦してくれるいわばオートパイロット機能だ。目標の座標を入力し終わると眠っていた艦は静かに生き返り、ごくゆっくりと動き出した。隣のコントロールパネルには海図が表示してあり、これから艦は海図上のある点線に向けて動き出そうとしていた。その点線こそ日本と中華帝国の海上の軍事境界線だった。

「何をしているの」
 艦長室の前で突如声を掛けられた彼女は飛び跳ねるように振り向いた。彼女は幽霊でも見たかと思うほど驚愕に溢れていた。
「まさか、スパイがあなたとは、ね」
 声の主は照明の合間で顔ははっきりとわからない。悠然と歩み寄ってくる。その間に冷静さを取り戻して、ポケットから小さなマッチ箱ぐらいの大きさの箱を取り出した。
「残念ながらもう計画は最終段階まで来ているんですよ」
 そのマッチ箱の形をした発信器のボタンを迷うことなく押した。
 ドンッとどこかではじけるような音が響き、キンと遅れて耳に圧力を感じる。どこかで何かが炸裂したようだ。
「もうこの潜水艦は止まらない。止められるものなら止めてみなさい」


―― 一ヶ月前
「お言葉ですが、今回の任務は私が艦長をやらせて頂けるはずではありませんでしたか、世保(よやす)大将」
 霞ヶ関にある海軍省の大将の執務室は赤い毛足の長い絨毯が敷き詰めてあった。世保が座っている前には大きな机があり、手を前に組んだまま静かに座っていた。他には潜水艦隊司令の中将、場違いといわれても仕方がない少佐の、しかも金髪の女性が机の前に休めの姿勢のまま立ち尽くしていた。普段なら軽くウェーブした金髪と丸眼鏡、あとはその人柄からにじみ出る優しさからは想像もできないほど彼女はきつく唇をかんでいた。
「江田少佐。確かに今回の任務は君に極秘裏に動いてもらっていたことは重々わかっている。厳しい制約の中、日本中からできるだけ若い女性水兵を選び出し、周囲に気づかれぬよう細心の注意を払って女性だけの潜水艦乗組員を構成したことについての苦労も理解しているつもりだ
 大将の口振りはどこか歯切れが悪い。彼女を正視できないのか明後日の方向に何度も行きそうになっている。これほどに怒りを露にしているのは世保も見たことがなかった。海軍学校の入学式で彼女を見て興味が湧き、わざわざ資料を取り寄せてまで調べてみた。その入学式での光景を世保は昨日の事のように思い出すことができる。戦争という単語から一番遠い所にいそうなほど穏やかで、隣の席で争いが始まっても静かに紅茶を飲んであなた達もどう、と逆に自分のペースに飲み込んでしまう事からついたあだ名が『マリアお姉様』で、長身と柔らかくウェーブの掛かった金髪とその絶対領域といえる雰囲気を目に見えてしまうほど醸し出していた。学校卒業後やっていけるのか本気で心配をしたが一人また一人と海軍女性兵士が抜けていく中で、配属された駆逐艦の中でもいつでも笑顔を絶やさず努力を怠らなかった。転機が訪れたのは対馬沖海戦での活躍だった。その功績から江田は二一世紀の海軍を担う新世代の一人として認識され、陰から世保は江田を海軍大学校に推薦し江田を士官の道に誘い込んだ。当時、大学校で教官をしていた世保は江田を娘のように可愛がった。その江田が瞳の奥から燃えるような感情をたぎらせて、ややもすれば飛び掛らんとするばかりだ。
 江田も亡くした親の代わりとして今まで世保を慕ってきた。その彼女が血が滲むほどに拳を強く握り、歯をぐっと噛み締めている。
「……ありがとうございます。しかしそこまで理解していただいているにも関わらずどうして突然このような事態になってしまったのでしょうか」
 江田の口振りは極めて穏やかだが、心の奥底から沸き上がってくる負の感情をどうにか必死に出さないように務めているようにしか見えない。
「海軍学校の時代から私は君がもっとも早く出世し、日本海軍で最初の女性艦長になると思っていた。今回の実験艦での任務こそが君のハレ舞台になるはずだった。そこまでは計画通りだったんだが、いかんせん横やりが入った。一人いたんだ。君と同じように未来を嘱望されていた天才が」
 世保はこれ以上江田を見るに耐えられなくなってしまい、たまらず眼鏡を外して、引き出しからハンカチを取り出してレンズを拭き始めた。
「北郷ですか」
「そうだ。あの北郷一族の一人娘だ。アメリカ海軍が早々に目を付けて海軍学校卒業後そのまま留学にてアナポリスに連れて行かれた。私はてっきりこのままアメリカが引き取るのかと思っていたが、どうやら違ったらしい」
「その北郷中佐が私の代わりに今回の任務では艦長になると、そういうことですね」
 今まで横で黙って聞いていた潜水艦隊司令が初めて口を開いた。
「江田少佐。その辺にしたまえ。決して世保大将も易々とこの人事を承認したわけではない。これは他からどうしても……」
「司令。君も余計なことは言わなくても良い。情報がどうやら漏出した模様だ。今それについては統合情報隊に調べさせている。だが、クリスタル実験艦の進水をこれ以上遅らせるわけにはいかない。一日でも早くソビエト連邦、中華帝国の原子力潜水艦に遅れをとらないようにしなければ日本はその生命線たる制海権が脅かされることになる。ここはすまんが、こらえてくれ」
 大将にここまで言われてしまえば江田もこれ以上は何もいえなくなってしまう。一年近くの時間をかけて数少ない女性海兵を、時には自ら足を運び説得し、根回しをして日本中から集めたプロジェクトチーム三十七名の女性だけの潜水艦をあと一ヶ月後に本格試験航海しなくてはならない。既に旧式のディーゼル潜で練習も始めている。今までの苦労は実験艦の名誉ある処女航海で報われるはずだった。(とんび)に油揚げさらわれるとは、あとたった一ヶ月前になっての突然の艦長の交代劇がまさにそうだろう。
 それから信頼していた世保に裏切られたような悔しいとも哀しいともいう言葉にできない気持ちも多分にあった。
「それからほかにも艦長の北郷中佐に併せて他に数名が乗艦することになった」
「これ以上人を増やすのですか」
 ため息を必死に押しとどめていた。もう個人のベッドまで全て振り分け済みで空いている場所なんてあっただろうかと考えを切り替えせずにはいられないのが口惜しい。
「……圧力というのはいつも一方から掛けられるわけではない。海軍病院と広報からそれぞれ一名ずつだ。どこからの差し金かはわからんが、十分注意して欲しい。まず一名の軍医は海軍病院からすぐに派遣される。そのあと二週間ほど遅れて記録員が、最後に出航数日前にようやく北郷中佐が着任する見通しだ」
 質問は、と世保がジェスチャーをした。なぜ記録員が乗るのか、そもそも海軍の潜水艦に軍医が乗るのは通常ではあり得ない。艦長についてはもっと質問を繰り出したいところだが、江田も世保をこれ以上同じ場所にいたくなかった。詳細については中将から直接江田に指示をすると言われたのを聞いて江田は敬礼をして悲しみと嫉妬、怒りをないまぜになった感情を執務室に置き去りにするようにして執務室を辞去した。

一章 2

深淵の少女たち
第一章 二

「あー、また子供生まれちゃったよ!」
 オーバーリアクションでやられたとばかりに赤味がかったショートカットの女の子がぼやく。
「ふふっ、もう五人目だものね。須賀機関長」
 江田がいつもの笑顔で隣に座る五人目の子供ができてしまった彼女に優しく微笑む。
「僕でもさすがに五人目となると辛いって。ほら養育費とか、車だって乗り切んないじゃない、江田少佐。八人乗りのワゴン車でもチャイルドシートつけたらもう無理じゃないですか」
 自分のことを僕という言葉遣いもあって中性的に見える。須賀と呼ばれた彼女はどうしようかと言葉だけ聞いていれば深刻そうなのだが、表情には表れていない。
「副長でいいわよ、機関長。次はほら湯浅記録員の番だわ」
 江田が今度は反対側にの少女に話しかける。とうの湯浅は背筋をピンと伸ばしたままこれ以上ないほどに緊張している様子だった。これほど姿勢良く座っているのを見るのは江田島の海軍予科学校以来かしら、とまだ幼さが抜けきっていない湯浅の全身を眺める。江田からすればちょうど妹のように小柄で、軍服を着ていなければ今年高校を卒業したと言われれば素直に卒業おめでとう、と賛辞の言葉が出てしまいそうだ。なんといっても栗色のショートボブがそう見させてしまう原因なのだろうか。江田は自身の柔らかくウェーブがかかった金髪を触る。まだ二五歳だが本当にこの艦では自身が最高齢になるという事実は予想以上に『重い』。
 須賀と湯浅の二人だけを見ると本当に高校の教室になったかのようにすら錯覚してしまう。では自分はというと、女教師が適任と言うところだろう。実際、艦長を降ろされたとはいえ最先任ということもあり、この艦内では乗組員のまとめ役を自負していたし、日本中から足を使って集めた母親のようなつもりでいた。その役割だけは艦長よりも絶対に負けないポイントでもあった。

 江田が今回の任務を命じられたとき真っ先に足を大湊に運んで直接説得までして迎えたのだった。端から見れば容姿も言葉遣いも性格も全てがボーイッシュで男勝りだ。だが、一度機関室に入れば機関長の肩書きに恥じない働きを見せる。年頃の女の子だったら絶対になりたがらない機関科で、海軍のみならず陸海空軍併せても機関科の女性というのは驚くほど少ない。その上腕が立つという条件をクリアして、海軍の中でも最も厳しいと言われる潜水艦の機関長を務めるということは並大抵のことではない。
『女性』が絶対条件であり、精神的安定や最高機密を扱える人間かどうかの審査も軍の諜報機関である統合情報隊と米軍の中央情報局日本支部(JCIA)、それに警察庁の公安部の三つの情報機関から審査を行いリストで貰い、その中から照らし合わせて人選を決定した。
 須賀は実はその三つのリストのJCIAのリストの中では要注意と指定されていた。だからこそ大湊という中央から離れた場所で、働きに見合った階級すら与えられず飼い殺しにあっていた。
「どうした副長。湯浅はルーレット回し終わった」
 須賀が怪訝そうな顔でのぞき込んでいる。江田は驚いて後ろにのけぞった。彼女はいつも明るい。本人が底抜けに明るく、それはどこでも変わらなかった。江田は楽しいときでも辛いときでもいつも優しく微笑むようにしていた。その苦労というのは他人から見える部分ではないからこそ、大変なのだ。最初須賀もそうなのかと思ったが、須賀はいつでもどこでもそれが()なのだ。それが良い面もあれば悪くなるときもある。大湊では上官の理解を得られなかったからこそ、あんな《・・・》ことになっていたのだ。

 須賀の声で隣を見ると対照的に湯浅がわかりやすく落ち込んでいる。どうしたの優しく聞いてみると涙を目尻に溜めて「また一回休み……なんです」と柔らかく抗議してくる。彼女は先ほどから一回休み、ルーレットを回せば最高値の十を出すが、止まるコマはまた一回休みの繰り返しで最下位だ。
「さっきからずっと一回休みのコマに止まってるのですが……。なんかこの人生ゲームおかしくないですか」
 目の前の大きな卓上に置かれたボードゲーム『人生ゲーム』。大東亜戦争の終結後にアメリカより入ってきた、誰でも知っているアメリカ版双六だ。
 あっさりと「でもゲームだから、ね」と、江田はこれをほほえみながら却下した。湯浅も副長の江田にそんなことを言われてしまえば返す言葉もない。
「二歩進んで三歩戻るを本当にやる奴は初めて見たな。湯浅は」
「それ戻ってますわよ」
 大きな机の反対側に足を組んで気むずかしそうに顔をしかめている銀髪のセミロングを持った女性がいい加減呆れたように突っ込む。
「いやいや、同じようなもんだよ。この湯浅っていう奴は、記録員なのに持ってきたデジタル一眼レフなんて電源の入れ方すらわからなかったんだ。今までよく記録員としてやってきたなと驚いたよ」
「その時はすいませんでした」と湯浅も眉を八の字にしてえへへと頭を掻いている。
「全くなんでわたくしがこんなゲームに付き合わなければなりませんの。レポートだってまだ山積みですのに」
 お嬢様言葉のまま勢いよくルーレットを回すとさっさと自身の車をコマに進める。コマの内容を読むちょっとした時間があった後に、パッと顔が明るくなり、ハッと何かに気づいて不機嫌な顔に戻して、何でもありませんわ。と聞き取れないぐらい小さな声で呟いてそっぽを向いてしまう。江田がコマを見ると特別ボーナスと書いてある。リスクは取らずひたすら小銭を稼ぐ鶴舞家の家計は火の車で、そんな鶴舞には願ってもないコマなのだろう。コロコロと感情が表情によくでるのは須賀と同じだがそれが恥ずかしいのかわざと高飛車に振る舞っているところが江田からすれば微笑ましい。
「この任務が終わるまでは嫌でも毎日顔を合わせないといけないのよ。だから突然乗艦することになった湯浅記録員と鶴舞軍医長にはこうして少しでも交流を増やした方がいいと思って、ね」
 江田の勝手な持論だが、人生ゲームをやればその人がわかる。と考えている。都合の良いことに潜水艦内はゲーム機は持ち込めないし、大東亜戦争以前からこうした素朴なトランプなどのゲームが潜水艦乗組員の主な暇つぶしなのは今でも変わらない。まずはやってもらうことでわかる。須賀はもちろん何度もやっているが、だからこそベンチマークとして今回は参加して貰った。
 須賀はいつも通り自由奔放に考えたことをそのまま表現し、鶴舞は須賀と似ている。鶴舞が須賀になんとなく嫌っているようにみえるのは同族嫌悪の類だろう。感情を晒すことが恥ずかしいと思っているのが須賀と決定的に違うし、軍医というプライドというのか何か壁を感じた。湯浅は感情を表に出さないのか、出さないようにしているのかまだわからない。
「そーそー。どーせレポートなんて、これからいっくらでも時間あるんだから好きなときに書けばいいじゃん」
 機関長が早速|酒保(しゅほ)から、もらってきたのか飴を口にする。
「わ、わたくしはそんなに暇じゃありませんことよ! 江田少佐が皆さんを紹介するからとお誘いになったからでして」
「あらあら、いいじゃありませんか。鶴舞軍医長。潜水艦に軍医が乗艦されることはほとんどありません。それに湯浅記録員と鶴舞軍医長のお二人とも潜水艦は初めてなんでしょう。早く慣れて頂かないと副長としても困りますよ」
 江田にここまで言われてしまえば、鶴舞も何も言い返せない。鶴舞と湯浅に艦のナンバー二からの思いやりの歓待の場となれば感謝されこそすれ無下にするのも筋違いだ。
「いいですね、軍医殿はやる仕事があって。僕なんて青森の大湊に引っ込んでいるのに江田少佐が突然やってきてさ、『今度、乗組員全員が女性で構成される潜水艦を秘密裏に進水させる。そこで須賀君。あなたの機関士の腕を見込んで、どうしても来て欲しい』と言われるもんで二つ返事で来たら、これさ。新型動力機関のための実験潜水艦だって? あんなちっぽけなディーゼルエンジンだったら僕じゃなくても誰でもいいじゃないか」
 須賀の働きは誰から見ても申し分ない。特に呉を出港してからの膨大な機関類全てのチェックを驚くべき早さで完了してしまったのだ。言動や行動からは考えにくいが、出港前一人艦に寝泊まりして少しでも機関をベストな状態にできるように夜遅くまで働き、新型動力についても少ない資料の中でその構造を少しでも理解しようとしていたのを江田は知っている。
 まあまあと須賀を子供に諭すように優しく(なだ)める江田。隣で成り行きを見ている湯浅も不思議と江田がまあまあと言えば、気持ちが落ちついてしまう。不思議な人だ。
「須賀機関長は江田少佐からこの話を聞いたときは断っても良かったのではないんですか」湯浅が聞いた。
「江田少佐に頭を下げられちゃ断るわけにはいかないさ。以前駆逐艦で一緒の船に乗っていたんだ。その時の恩もあるしね。で、逆に湯浅はなんでこんな賭けみたいな艦に乗ることになったの?」
「そ、それは海軍にとってもこの乗組員全員が女性という潜水艦は日本海軍はもちろん世界にも類がないということです。さらにこのクリスタル動力の潜水艦が成功した(あかつき)には世界に向けて大々的に発表するために急遽私が派遣されました」
「一眼レフもまともに使えず僕に聞いてきた人が、世界に向けて?」
「その……広報の中で女性で一番若いのは私しかいなくて」
「ああ、つまり見習いでまだこれからのところを無理矢理乗っけられたんだ」
「つまり、そういうことですかね」
 やっぱりそうなんですよね、と湯浅がまた眉を八の字にして愛想笑いを振りまいている。
「もっと肩の力を抜いて、湯浅さん。あなたがこの艦では階級が一番下だけどそんなに固くならないで。あなたを入れてたった四十名しか乗っていないなんだからね」
「皆さんいいじゃないですか。わたくしなんて、新型のクリスタルが女性乗組員にどのような影響を与えるか観察のためということで突然教授から指示が出たんですよ。確かに海軍病院で潜水艦での健康状態などを研究はしていましたけれども」
「ことわりゃいーじゃん」小声で須賀が呟いたのが鶴舞にはしっかりと聞こえたようで、なんですって。と、鶴舞が反応してしまい、せっかく落ち着いたのに油を差してしまう。
「そもそも潜水艦の乗組員は古今東西どこを探しても志願制なんだから、そこではい、行きます。なんて言わなければよかったんじゃねーの。言ったんだろ。行きますって。え、軍医さん?」
 鶴舞が怒りにまかせて立ち上がったが、何か口をもごつかせているばかりだ。見かねた江田が水を向ける。
「まあまあ。出港してようやく瀬戸内海を抜けたところなんだから、まだまだこれからが本番よ」
 そのときだった。
 突如、耳をつんざくような電鈴音が鳴り響いた。
「これは訓練である。第七区画機関室から浸水。至急全水密扉を締め防水にあたれ」
 凛とした艦長の声が艦内に響きわたった。江田と須賀の動きは早かった。驚いて湯浅と鶴舞が立ち上がったときには、既に須賀は機関室に向けて走り出している。第七区画といえば機関室。その長である機関長なのだから一秒でも早く持ち場に戻らねばならない。江田はテーブルの下についている引き出しをあけて卓上のボードゲームを乱暴に叩き込む。
 湯浅はぼんやりと江田がこの人生ゲームあんまり最後までできたことがないのよね。と苦笑いをしていたのを思い出したが、その理由がよくわかった。なるほど、これだと続きをやろうにも誰もそれぞれのステータスなんて覚えていないのだからできない。だから、いつも最初からになってしまうのだろう。てっきり須賀あたりが最下位なのに怒って滅茶苦茶にしてしまうのかと思ったが、どうやら違ったらしい。
「二人は先任伍長室にいなさい!」
 江田が走りながら器用に湯浅と鶴舞に向けて指示をとばした。バルブやパイプやらいろんなところが出っ張ったりしている通路を器用に走っていく。
 鶴舞と湯浅がその気迫に押されるようには、はい。とうわずった声を上げて二人に与えられた部屋になだれ込んだ。先任伍長室は本来下士官で最先任の者が与えられ、執務を行う部屋だが今は江田がその部屋の主だった。総員が四十名程度と通常の潜水艦の半分の人員しか乗っていないため余裕があり、水兵でもそれぞれのベッドを与えられていた。他の潜水艦でも普通は三段ベッドのところがこの艦は二段ベッドだ。この先任伍長室はもし上官が乗艦した場合などにのみ使用されることも考えてここだけは三段ベッドだった。湯浅と大尉の鶴舞、少佐の江田を一緒にするのもおかしな話だと意見する者もいたが、ベッドはここしか空きがなく、江田による指示でもあって二人の居場所はすんなりと決まった。
 扉を閉める前にがちゃがちゃと音を立てて止水用のジャッキやら鉄の(くさび)を持って若い女性水兵達が通路を走っていくのが見える。うまいことに二人が扉を少し開けてみているのは誰も気が付かなかったらしい。防水班なのだろう。しかし、手ぶらの兵もいれば荷物を手一杯持たされている子もいる。しかも、なにやらぶつぶつとお互いに文句を言いながらだ。本当に|こんな《・・・》のが中華帝国とソビエト連邦の最前線を担う日本海軍の潜水艦なのであろうか。湯浅は不安を隠しきれなかった。
「江田副長は大丈夫って仰っていますけど、本当に大丈夫なんですの……」
 その気持ちは鶴舞も同じだったみたいで、不安げな様子で通路の向こうに消えていった防水班の様子をこっそり眺めていた。

一章 3

深淵の少女たち 本文

一章 三

 艦長の北郷は左前の液晶パネルと手元の懐中時計を何度も視線を往復させていた。潜航士の肩越しの液晶パネルにはメインのバラストタンク、艦の水平や角度を変えるためのトリムタンク、その他に潜航様に必須のベント弁やフラッドホールを始め潜水艦全体の潜航、浮上や重要な扉や弁といったものの状態を表示し操作する機能が備わっている。それを潜航士とよばれる一人のオペレーターが操作していた。
 さらに艦首に向かって一人ゲームセンターのドライブゲームに似た椅子に座って水兵が蝶が羽を広げたようなジョイスティックと呼ばれる金属のハンドルを握っている。ドライブゲームと違う点は、周りにスピーカーやゲームの様子を表示する液晶パネルがないだけだ。代わりに、深度計や角度や艦の水平などを表示する計器が所狭しと並んでいる。本来なら操舵手というのは二人で操作するのが普通なのだが、全員女性という珍しい艦のため人手が不足していることと、新技術の試行ということで一人操舵を採用したらしい。
 全長八十メートル、全幅が十メートル近くもあるこの潜水艦をたった二人で全ての動きを操っているのだ。
 艦長が立っているところの発令所の中央は少しだけ盛り上がった壇のようになっていて、そこが艦長の定位置となっている。なんでも少しだけでも高いところに配置することで、艦長自身の判断に全てが委ねられているというプレッシャーをかける意味もあるらしい。

 液晶パネルには第一から第七まである区画の水密扉(すいみつひ)が閉鎖されているかどうかを表示している。まだ、そのほとんどが△表示のままだ。
「一番区画閉鎖よし」
 発令所にようやく閉鎖完了の声が響いた。
 パネルの一番左に一番水密区画と書かれた表示が○になる。すると堰を切った鉄砲水のように次々に報告が入る。
「二番区画閉鎖完了」
「三番区画閉鎖」
「五番区画問題なし」
「六番区画よし」
 一つの区画だけは○表示になっていない。四番区画。発令所の後ろで士官や科員のベッド、そしてクリスタル研究員たちがいる研究室があるところだ。
「四番、四番区画どうしたの」
 副長がマイクに向かって鋭い声を発する。いつもの温厚な江田からは到底想像できない声色だ。雰囲気はそのままだから、発令所の人間は何度見ても慣れていないのか、艦長に見つからないように隠れて顔を見合わせる。
「こちらクリスタル研究室。今研究資材をどかして……四番閉鎖完了です」
 向こうの女性兵士の焦りが手に取るようにわかる。制御盤の全ての水密区間が閉じたことを表示する○印が並んだ。
「七番区画、浸水止まりました」
 ようやくといっていいほど時間が経ってから、その報告は発令所に届いた。カチリと懐中時計の時間を止めて、艦長は隣の江田を見下ろす。江田も平均的よりも背が高いが、艦長の北郷も負けていない。
「閉鎖にこんなに時間が掛かるなんて前代未聞だ。今頃機関室は浸水。貴様なら承知の上だろうが、艦内の容積に対して五パーセントの水が入ったら再浮上はできないんだ。私はもちろん艦内の全員が死んでいる。江田少佐、貴様は私がここに着任するまで何をし」
 そこで突如発令所の照明が落ちた。一瞬液晶パネルのうすらぼんやりした光だけになってしまった。すぐに「電源をバッテリーに切り替えます」と、艦長から見て右側に座る三人の誰かが声を上げた。すぐに灯りは点き戦闘システムや潜水艦のシステムには問題がないらしいことを矢継ぎはやに報告した。
「またか」
 話の腰を折られた艦長は渋面を作った。手元にある艦長用の艦内電話のマイクを掴み、機関室への通話スイッチを押した。
「クリスタルはまた不安定か」
「不安定すぎます。とてもじゃありませんが実用には耐えません。本当に潜水隊本部はこれを使って使えるようにしろと命令したんですか」
 相手はもちろん機関長である須賀だ。さっきまでのつまらなさそうな声とは想像もできないほどに困惑を隠しきれていない。おそらく電話の向こうでも眉をハの字にしているのだろう。珍しい光景だから見てみたいと発令所の人間は思っていた。
 呉の潜水隊を出港し、瀬戸内海を過ぎて練習海域に向かうところというのにも関わらず、原子力にも引けを取らないという新動力(クリスタル)はどうにも一筋縄ではいかない。この艦に使われているクリスタルは赤子が拗ねるように唐突に|ぐずる《・・・》のだ。
 従来のディーゼルエンジンもこの艦には積んでいるがあくまで発電用としてしか使えない。動力としては直結しておらず、バッテリーを間に挟んでモーターで艦を動かすことになる。そうなると非力なモーターで動かすとなると水中速力はがた落ちで現在の日本海軍のディーゼル艦なら水中で二十ノットは出るというのにその七割程度しか出せない。これでほぼ最大戦速だ。バッテリーの使用量も考えて動かすとなるとその半分程度だ。これでは大東亜戦争まっただ中の頃の潜水艦と良い勝負だ。下手をすると末期の頃の潜水艦の方が水中速力は速いぐらいだ。
 悪い話はこれだけですまない。バッテリーもクリスタルがあるから大丈夫だということで削減されてモーターで艦を動かすとあっという間に無くなってしまう。そうなればバッテリー航行をしてはすぐに浮上してシュノーケルを海面に出して充電をしなくてはならない。およそ大東亜戦争から五十年近く立っているとは思えない次世代新型潜水艦だ。
 クリスタルに手を出したくても、門外漢の須賀にすぐにわかるはずもなく、ふてくされているのもこういった事情もあるのだろう。

 クリスタル動力というのはようやく研究室レベルで安定して動かせるようになった段階だというのに、それを極限の環境である軍のしかも、潜水艦の動力として使おうというのがそもそも間違いだ。と、江田も思ってはいた。それを使える状態にして呉に戻ってこいというのも無理難題を通り越して、暴論だ。動かしてみて数時間でその未完成具合はすぐに露呈した。これでクリスタル研究員の五人のチームとわざわざ軍医まで乗せている意味が分かった。艦長にはクリスタル動力での航行は危険すぎるという事で秘かに呉に引き返すことも含めて進言したが、瞬時に却下された。
 日本海軍がこのクリスタルにかける期待と焦りを嫌と言うほど江田はわかってしまった。未完成の動力に頼ってしまうほど中華帝国とソビエト連邦の原子力潜水艦は脅威だと思っているのだ。ここで日本海軍としても対抗策を作ってアピールしておかなければ共産主義の防波堤としての意味も、日本海のイニシアチブを取られてしまう。それだけは絶対に許されないことだった。先の海軍内におけるスパイ事件が尾を引いているのかもしれない。

 数ヶ月前に沖縄沖の中華帝国との軍事境界線付近で中華帝国の巡視船が境界線を越えてきた事があり、すぐに海軍はスクランブルをかけ飛行機によるインターセプトと日本国境警備隊との共同作戦をはり最終的には銃撃戦になった。今までも幾度も同じような事件はあり日本本土は今回の事件もいつもの日常だと思っていた。海軍省を含む霞ヶ関もそう思っていた。拿捕された一隻に海軍の秘密情報があることが発覚するまでは。
 国内は蜂の巣をつついたような事態になり、海軍内や駆逐艦や果ては最高機密の潜水艦内にまでスパイがいることが判明した。さらに中華帝国水兵を尋問したところ日本海軍は中華帝国とソビエトの原子力潜水艦による閉鎖作戦を決行すれば息の根を止めることができると判断し、その思惑は中華帝国軍部の中で主流派になりつつあるという恐ろしい情報も得られた。日本は海軍を含む軍部の大量更迭を行い世保は大将になれた。
 日本軍部としてここらで日本の新たな力を示す必要がある。中将の頃から積極的に押し進めていた世保のプランがこのクリスタル実験艦なのだ。
 そんな海軍としても厳しい情勢の中で艦長としても日本に呼び出されておめおめとすぐに諦めて帰ってくるようでは許されるはずがない。それに北郷一族の名が、これからの将来にキズが付くのは避けられない。

「須賀機関長。貴様が疑問に思うことはない。あとで艦長室に報告にくるよう」
 イエス、マム。と須賀の肩を落とした声が耳に残る。ディーゼルとガソリンエンジンならまかせてくれと豪語してやまない彼女もクリスタルという新動力には手も足もでないらしい。
「艦長。防水訓練についてはもう一度、艦内全ての設備を確認の上、達成するまで訓練を致します」
 通信を終えると江田が進言したが、
「もういい。訓練終了。潜望鏡深度のち、バッテリーを充電しつつ潜水隊本部に連絡。江田副長あとは任せた。それからクリスタル研究科長の小湊を艦長室に来るよう連絡しておけ」
 発令所から北郷は操艦を江田に任せると発令所を後にした。士官室を通り抜け、艦長室の前に立ったところで、思い出したように後ろを向いた。艦長室と先任伍長室は通路を挟んだ反対側にあるのだ。鶴舞と湯浅が縮こまって早く艦長が部屋に入らないかドキドキして先任伍長室から聞き耳を立てているのを知ってか知らずか、
「鶴舞軍医長と湯浅記録員。これから小湊研究科長と須賀機関長によるクリスタル動力について簡単なブリーフィングをさせる。国家機密事項だ。貴様ら聞くんじゃないぞ。と、言いたい所だが鶴舞もクリスタルからの影響を研究するというのに全く知らなければ何もできないだろう。湯浅もこの任務が完了した暁には広報として表舞台に立つんだ。知りすぎては困るが、全く知らないのも潜水艦の乗組員としては困る。あとで簡単な説明をさせるから士官室で待っていろ」
 変な言い回しだな、湯浅は率直に思った。クリスタルの情報を知らせたいのか、知らせたくないのか判断しにくい。クリスタルは国家重要機密なはずでむやみやたらに言いふらしてたら、逮捕拘留される恐れもあるほどの性質のものだ。艦長が何を考えているのか判断しかねたが湯浅の知識欲の方が勝ってしまい、お待ちしていますと湯浅は扉の向こうの艦長にもしっかり聞こえるように、ぜひ聞きたいですと声を上げた。
 鶴舞がうるさいと耳を押さえて仏頂面で抗議しているのは見えない振りをしておいた。
 艦長から言葉はなく、艦長室の扉を閉める音だけが残った。


2013年7月27日 2版改稿
2013年7月29日 2版01改稿

深淵の少女たち

2013年前半に考えたネタナンバー201302と呼んでいた連載小説をようやく第一章をこうしてアップできました。

 目指すは「完結」です! 今まで長編は全て投げてしまって……なんでもありません。がんばります。

 潜水艦について意外に資料が少なく、多くの映画や本を参考にしました。呉にまで取材と称して突撃旅行までしました。その件についてはまた別の機会に小説にいたします。
 呉の護衛艦見学にお会いした方、見ていただけたら幸いです。

 いろいろと現実とは違う点もあるかとは思いますが、最後までお付き合いしていただければ幸いです。

深淵の少女たち

一九四五年八月。世界初の原子爆弾による攻撃は京都駅直上だった。 二十世紀が終わろうとしている頃にようやくアメリカを皮切りにソビエト連邦、中華帝国と次々に原子力潜水艦を進水させていった。 四方が海に囲まれている日本海軍は焦燥のなか、現在のディーゼル潜水艦でもなく原子力潜水艦に代わる新動力潜水艦を進水させた。 SSC-601。クリスタルにレーザー光を照射させて水を蒸気に換えて動くものだった。クリスタルの動きは不安定を極め、乗組員は制限から全員二〇歳にも満たない少女たちばかりだった。 そんな彼女たちに課せられた任務はこの最新鋭の潜水艦を使えるようにして帰ってくることだった。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2013-06-30

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  1. 一章 1
  2. 一章 2
  3. 一章 3