ビニール傘の責任感
私はどこで作られ、どこで売られたかもわからない。駅前のコンビニだったような気がするし、ホームセンターで売られていたのかもしれない。ともかくわかるのは、どこかの会社の傘立てにこうして他の傘達と共に濡れそぼってたたされているという事だけだ。
「ビニール傘も大変よねぇ?」
隣の高そうな女物の傘が話しかけてきた。ここに来てまだ一時間と経たないが、いかにも会社のお局さんが使うような派手で見るからに高そうだ。容姿もそのままここの主といったところだろう。流行の日傘と雨傘兼用なようで、梅雨のこの時期でなくても晴れていてもお肌のためにご主人様を護るための傘だ。一体どんな女がさしているのか。想像も容易い。
あんた(ビニール傘)のようなどこの馬の骨かもわからない、路上でゴミとして捨てられる傘とは違うのよというように、あからさまなほどに棘がある。
ビニール傘の地位は低い。底辺といっていい。どこの傘置きでも必ずや末席に立たなくてはならない。そうは言うもののご主人様はそんなことにお構いなしにいろんなところに私を突き立てる。一番隅でしっかりと巻いてくれるならまだしも、一番真ん中のしかもわざわざ空いているコマに入れられた時は周りの傘達からの視線といったらない。あまりの視線故に雫を落とさぬよう我慢をしてしまう新人のビニール傘も多い。かくいう私もそうだった。
「いいや、ビニール傘というのもなかなかいいもんだぞ」
既に数え切れないほどのご主人様を護り、一期一会をモットーにご主人様の頭を体を、ぬらさないようにしてきた自負が今の私にはある。確かに辛いときは多い。
ある時は、コンビニで忘れ去られて次のご主人様を待っていたとき若いサラリーマンが私を手に取った。感慨に浸る暇はない。いつでも我々ビニール傘の運命は流転するものだ。そのとき、前のご主人様の行動を思い出した。なぜ私がこんなところにいるかというと、決して天気が好転したからではなく、その逆にどんどんと悪くなってきているのだ。その日は台風が接近してきていて今は暴風警報が出ているらしい。まさかと思う暇もなく、若いサラリーマンは私を躊躇なく私を開いた。高い傘なら傘を使わないだろう。しかし、私は大量生産のどこの傘立てにもあるビニール傘だ。為す術もないまま私は暴風に晒された。おもしろいように私のビニールは揺れて、親骨をねじ曲げる。叫びをあげたくなるがぐっと堪える。ここは耐えるしかないのだ。早く風が収まってほしいと思っているのは私だけじゃない。この新しい若いご主人様だって同じ考えなんだ。結局台風の目に入ったのか、一瞬で先ほどの風が夢だったかと錯覚するほどに風も雨も止んだ。彼は近くのコンビニの傘立てに私を突き刺して帰って行った。私が邪魔だと思ったのか、雨がやむと思ったのか。わからないが、一番はあのご主人様にちゃんと傘として役に立てただろうか、ということがまず心配になった。そしてホッと胸をなで下ろしたのも事実だ。さすがに今回の台風はきつかった。中棒が少し曲がったのか傘の締まりが悪くなってしまった。次のご主人様にしっかりと役に立てるだろうか。最後に心の奥底に生まれる。
たまには、人間だけではなく動物の役に立つこともある。あれはいつだったか、外の世界に出てからだいぶ経った頃でどんな風や雨でもどんなご主人様にも役に立てる自信と気概を持てるようになった頃だ。またもやコンビニの傘立てで、次のご主人様を待っていたときだ。雲行きが見る見るうちに悪くなっていっててパラバラと小粒の雨が地面をたたき、アスファルトの焼けた臭いがかすかに鼻についた。気が付くと傘立ての隣に赤いランドセルを背負った小学生低学年の女の子が立っていた。じっと品定めするように私達を見ては、キョロキョロと周りを見渡している。ははあ、彼女は私の主を探しているんだな。直感で分かった。小心者と子供はいつもこうだ。こういうご主人様は扱いはかなりいい方だ。彼らは私をあくまでも借り物として扱ってくれるのだ。一番たちが悪いのは、悪びれることがなく最初からまさに自分のものだ、文句あるのかとジャイアンばりの態度で私を傘立てから引き抜いていく。大抵こういう輩は、雨がやむと良くてゴミ捨て場、ひどいと路上にほおりなげられる。ドブ川に投げられてさびていくのだけはイヤだと常々思っている。意外にもこんな最後はイヤだ、ワースト二位に挙げられるのが、電車での置き忘れだ。これはとてもタチが悪い。なぜなら、忘れられるとその管区の忘れ物センターに集められて、ご主人様が現れるのを待つことになる。もちろん我々ビニール傘に本物のご主人様なんて現れるはずがない。待ち受けているのは不燃ゴミだ。そうして、周りの高そうな傘たちがどんどんと姿を消していくのを横目で見ながら自分の運命を、ビニール傘であることを恨み続けないといけない。しかもその期間が長いのだ。処分までの猶予期間は短くて三ヶ月、最長六ヶ月と言うところもあるらしい。奇跡的に帰還することができた歴戦のビニール傘がゆうのだから、まさに地獄とはあの場所を言うのだろう。私も何度話を聞いても今でも親骨が震えてしまう。
話がそれた。
小学生の女の子は周りを見渡してコンビニに人がいないのを確認して私を引き抜いた。おさげで目がくりっとしているかわいい女の子だった。黄色い長靴がとても似合っていたのを良く覚えている。珍しい。こんな女の子が私を使おうとするのか。心から驚いていた。
道行く人々はもう傘を差し始めている。いつになったら彼女は私を使ってくれるのだろうか。私は使われてナンボ。使ってくれないと一期一会のおまもりはできない。しかし、彼女は一向に私を使おうとはせずに私を両手で賞状でも持つかのように大事そうに持って駆けていく。
彼女が向かった先は、空き地だった。こんな場所にこんな空き地がまだあるもんだなと感心させられる間もなく、そこにたつ立派な木の下に駆け寄った。そこに小さなダンボールの中に小さな子犬達が何匹もいた。ダンボールの中には一枚のメモが入っていた。誰かお願いだから貰って下さい、と。私だって普通の心を持つ傘だ。こんなマンガみたいな展開があるなんてと心の中で笑いながらも、この子犬達をここに置いていった人間に対しての負の感情。そして、同時に箱の中にあるメモからあふれる愛情を私は同時に感じざるを得なかった。
私はその木の下でようやく開かれた。この子は子犬達に雨に濡れないようにと考えた結果、傘という選択をしたのだ。自分の傘だとこのまま置いってしまったら親に怒られるかもしれない、と考えたのかもしれない。自分の傘をさしたらどうか、とそのときは決して思わなかった。
女の子は雨に濡れないようにと自分が濡れることを厭わず私を選んだのだ。よろしい、私に風が吹かぬ限り、いつまでもこの子犬達を雨から護ろうではないか。
「ごめんね、わたしのマンションもペットだめなんだ。前連れて帰ったらそのまま保健所ってところに連れて行かれて……」
彼女は自身の行動に負い目を感じているらしい。だからこそ、空き地に放置されている小動物を見たとき自分にできる精一杯の事をしようとしたのだろう。
女の子はランドセルを雨に濡れないように大事に胸に抱えながら開いた。しばらくランドセルの中を探ってから何かを捜し当てたようで、紙状のそれを目の前で真剣に悩んだ後、透明な紙状のそれにはきらきらと輝く特殊な印刷がしてあり、それがシールだということを理解するのに時間はかからなかった。女の子はその中から一枚をこれだ! という顔をして剥がした。
手元(ハンドル)にワンポイントのシールを貼った。可愛くデフォルメされた親子の犬が描いてある。本来なら私はビニール傘になんて無粋な事と怒っただろう。今回ばかりは怒れなかった。これで、わんちゃん達を護ってね。と言われたらビニール傘魂として応えなくてはならないからだ。
女の子は通学用の黄色い傘をぱっと開く。ずっと愛用しているのだろう。すこし黄色がくすんでいる。手元(ハンドル)は今の私と同じようにシールが貼ってあったようだが、擦れてしまっているのかもう何が貼ってあったのか判読すらできない。
「それじゃ……バイバイ」
私の下に子犬達が濡れていないのか、何度も何度も振り返って女の子は雨の向こうに消えていった。
あの子犬達の顛末は知らない。数時間ぐらい経っただろうか突然の突風に私はあれよあれよと空に舞い上がり、一晩を道路の上で過ごした。朝になり今のご主人様に拾われたからだ。天気予報をみなかったのか家を出てからすぐに雨にやられてしまったようで、開いたまま道路の上を風に弄ばれている私をこれはありがたいと、拾いそのままご主人様の会社まで来ているのだ。
「ビニール傘にしかできないこともあるんだぜ?」
ここの主であろう女物の傘に私は敢えて精一杯の中棒(胸)を張って答えた。
数秒間の沈黙の末に傘達が小刻みに揺れて笑っている。徐々に笑い声が絶えられなくなってきたように笑い声は大きくなっていく。
「ビニール傘風情がよくそんなこと言うわね。どうせころころご主人様を変える流浪な身なくせに」
確かに、その通りだ。私が言い返す間もなく、私は新たなご主人様に傘立てより引き抜かれた。
「これでいいか」
新しいご主人様は大抵こういうことを呟く。最初は罪の意識からでているのかと思ったが、どうやら違うらしいと言うことが分かった。あれは数あるビニール傘から自分の好きな一本を選んでいるのだ。あまりにも色とりどりのリボンから一番好きな色を選ぶように、そういう気軽さからでている言葉なのだ。私はご主人様達のこの言葉の意味がわかってから"一期一会"の精神でご主人様を雨風から護る決心として、同時にモットーとした。ご主人様達はいくらビニール傘だと言えでも数あるビニール傘の中から一番好きな傘を選んでくれているのだ。その期待に応えなくてはならない。こんな事を他の傘達に話しても大笑いされるだけだ。おそらく物事を楽観視しすぎだとか、考えすぎだとも言われるだろう。
近くの自販機にコーヒーを買っただけでこのご主人様は傘立てに私をキチンと巻いて戻してくれた。
入れ替わるようにして、サラリーマンの一団が外から戻ってきた入ってきた。その中に朝のご主人様もいた。その手にはビニール傘があり雨を振り払っていた。それを私の隣に入れて廊下へと姿を消した。
「おい、おまえの朝のご主人様俺を使ってくれたぞ」
「そのようだな。どうだった?」
なに、べつにどうもこうもないさ。いつもの返答が帰ってきた。そりゃそうだ。小学生にでも拾われなければ架空の剣になることがあるくらいで中年オジサンだとエアゴルフ用パターになる。時折、いい歳した男が剣を振マネをしたりするのには閉口する。男というのはいつでも子供なのだと思う。
「そういえば、おまえの朝のご主人様だけど、"俺のビニール傘とられちゃって"って呟いていたぞ」
さっきのご主人様を自販機までお守りしていたときに入れ違いになったようだ。
「まったく。それで別のビニール傘使っていたらご主人様、それじゃあなたもやっていることも同じですよ。と言ってやりたいね」
その通りだ。私は軽く受け流す。ビニール傘の連中というのはどんな事を言われても軽く受け流す。そりゃ、全国を津々浦々転々としていろんな傘立てでさんざん他の傘や高級傘たちに嫌みを言われ、蔑まれているんだから、そんなことに一々とりあっていても仕方がない。そんなことにまともにやり合おうとして意気込んでも、口を開きかけた瞬間に次のご主人様に引き抜かれることもよくあることだ。
結果ひたすら軽くなる。それでも、ビニール傘という種族は魂というのを持っている。プライドというのは高級傘たちの専売特許だが、俺たちにはどんな場所でどんなご主人様だって風雨から護らなきゃいけないんだ。そんな気概は私はビニール魂と勝手に呼んでいる。薄くて透けそうで、なんだか軽そうだね、と少しの間民家の傘立てでしばしの休憩(バカンス)を楽しんだときに仲良くなった学童通学用の黄色い傘はそう評した。彼らは私たちビニール傘よりももっと過酷な運命を背負っていると私は彼らと長く過ごすことで感じていた。
なんたってご主人様は幼稚園児から小学生までだ。雨が降ればご主人様を風雨から護るのはもちろん、その身を呈してでも自動車や自転車から護らなければならないし、男児がご主人様だと雨がやめば剣としての役割もこなさなくてはならない。傘をひっくり返しておたまじゃくしを採ろうとしたご主人様もいたそうで、その多芸ぶりには頭が下がる思いだ。私は心の中で"傘界のSP"と勝手に尊敬している。
そんな"傘界のSP"も運良く長く勤め上げてもご主人様はどんどんと大きくなってしまい、標準的な五十五センチでは入りきらなくなってしまうし、なにより黄色い傘が恥ずかしいとご主人様達はだんだんと手に取らなくなってしまう。そうして、だんだんと傘立てでほこりをかぶり、いつしか中棒は錆びてしまう。使われない事が一番の苦痛である私たち傘にとってこれほど苦痛なことはない。しかも、この"使われない時間"というのはビニール傘のように短くない。通学傘というのはなぜか使われなくなっても、ひどいと何年に渡ってそのまま放置される傾向にある。子供がいたであろう民家にいけば今でも錆びてしまい蜘蛛の巣が張ってしまった長老の通学傘もいるのを私はいろんな傘立てで見てきた。まさに長老というのは語弊がないほどに、傘立てから家族の毎日をよく見てきている。
繰り返しになるが、使われないことが一番の苦痛である傘にこのような仕打ちは地獄と同じなのだ。ひと思いに不燃ゴミに出してくれ。多くの通学傘はそう心の内では思っているのかもしれない。しかし、"傘界のSP"である通学傘たちというのは例外なく頑丈にできているのだ。子供達が手荒く乱暴に扱うのは元より考えられているからだ。解体して捨てるのが面倒で、ビニール傘のようなあっさりとした終わりとを迎えることが少ない。私はもっと通学用の黄色い傘達は尊敬されるべきだと強く願う。
就業時間が過ぎてもなかなかご主人様は出てこなかった。ここの主であろう女物の傘達は集団で本来のご主人様達と一緒にご帰宅なさった。残ったのは私たちビニール傘連中と、本来のご主人様達を失ってしまったままの古びてしまった野良傘達だけだ。野良傘というのは高級傘や他の傘達でビニール傘や通学傘にも属さぬいわゆる一般的な傘達のなかで本来のご主人様がいたのにも関わらず、何かのミスで忘れられてしまったりして傘立てにずっと置いてきぼりをくらっている、本来のご主人様を失ってしまった傘のことをいう。ご主人様に愛してもらったり大事にして貰っていた記憶が残っている分だけとにかく始末が悪い。いつでも会社や店先の傘立てにも必ず一本はいるものだ。ビニール傘なら捨てられてしまうが妙に高そうだったりすると店側も捨てにくいし、もしかしたら持ち主が戻ってくるかもしれないと思うのだろう。使う側としてもそんな傘は手に取りにくい。
かくして通学傘より使命感もなく、ビニール傘のような魂もなく、ただ腐ったプライドだけが残っている。とにかく同じ傘としても扱いがめんどくさいのだ。いつも通学傘を子供用で小さいと馬鹿にし、ビニール傘を安物で尻軽だと罵倒してはばからない。しかも、この罵りが始まるのはご主人様が決まっている傘達が全ていなくなってからなのだ。要は拗ねているだけだ。誰も相手にはしない。その姿はあまりにも情けない。だから陰で野良傘なんて言われるんだ。
いつになったら仕事が終わるのか。雨が止んでしまうな。ここは一晩ここで待機かなと、傘立ての中で他のビニール傘達と話しているとようやくご主人様が姿を表した。
朝一緒に出勤したご主人様は私を引き抜いた。覚えて貰っているのは意外と嬉しいものだ。なんたって傘立てに十本以上のビニール傘があるのだ。見分けろという方が酷な話なのだが……そうか、あの女の子が貼ったかわいらしい犬のシールで見分けたのか。得心がいった。
雨は止んでいた。電車を乗り継いで、家にまで持ち帰ってくれた。ご主人様はマンションに入っていった。傘立てにようやく乾いてきている通学傘があることから小さい家族がいるのだろう。私を傘立てに静かに入れられる。ご主人様は音を立てぬように見るからに気を使って廊下へと消えていった。そのとき、通学傘が不思議な顔をしていたので気になったが、私は良くあることだと気にもとめなかった。
朝になって私はどこかで聞いたことのある声を聞いた。廊下をかけてくる女の子を見たとき、私は心の底から驚いた。あの子犬の女の子じゃないか! まさか、こんな偶然があるのか。驚く暇もなく女の子は家のドアを開けた。途端に顔が曇る。今日も雨なのだ。女の子は今日も雨が降っているよと大きな声で家族達に伝えている。
行ってきまーす、私の隣にいる通学傘に手を伸ばして、はたと手を止めた。私のこと、正確に言えば私の手元(ハンドル)を見て動きを止めていた。
女の子は私を責めるだろうか。あの子犬達を護ってくれとこうしておまじないのシールすら貼ってくれたというのに、ここにこうしてあるということは護りきれなかったということだ。いくら子供と言えでも合点が行くだろう。
次の彼女の口から出た言葉に私の思いは裏切られた。
「ありがとう! ビニール傘さん! ワンちゃん飼ってくれるところ見つかったんだよ」
通学傘を抜き取って、女の子は外へと飛び出していった。もし良かったら使って欲しかったというのは欲を言いすぎたろうか。一抹の悔しさが残るがそれは通学傘に対して失礼と言うもの。女の子を今日も護って欲しい。これは私からの本心だ。
私たちビニール傘に"本来の"ご主人様はいない。一期一会の精神なのだ。その点ではひたすらに割り切っている。次はどんなご主人様がどんな場所に、どんな風雨の元、歩を進めるのか。同じ道を歩いたとしてもご主人様が違えば別の道に見える。必ずやドラマがあるのだ。それはビニール傘だからこそ味わえるおもしろさだろう。高級傘のようにご主人様が決まっているわけでもない。誰かの傘かもしれないと手が伸ばしにくい野良傘でもない。ビニール傘は誰でもいつでもウェルカムだ。
完
ビニール傘の責任感
ビニール傘の責任感。いかがでしたでしょうか。梅雨もあけそうなのに13年の今年は雨が少ないですね。そんな久々に雨がふり、同僚がビニール傘を誰かに盗られてしまったとぼやきながら雨の中傘もささず歩いていました。一方で会社に帰って傘を傘立てに入れようとしていると上司がやってきて、これでいいか。と呟きながら傘立てからビニール傘を引き抜いていきます。
とにかくビニール傘というのは身軽でありながら軽んじられています。では、ビニール傘というのは責任を果たしてないかというと安っぽい作りながら精一杯風雨から使う人を護っています。
もしビニール傘が人格を持っていたらどんな風に考えているのだろう。やはりころころと流浪させられるのは嫌だろうか、もしかしたら楽しんでいるのかもしれない。
今回はそんな"ビニール傘の責任感"というタイトルから着想を得てここまで書ききることができました。