熱帯夜。エアコンも明かりもつけずに暗い部屋に横になっていると、ベランダにある訪問者が現れる。 モリ君と名乗る、巨大なコウモリだった。なんとも礼儀正しく腰がやわらかいモリ君は、横になってるりょう君を夜の飛行に誘う。 ぎらぎらした繁華街の明かり。夜に生きるようになっているコウモリ君にとって、昼のようなネオンの明かりはつらいということ。 りょう君は森に行くことを提案したが、モリ君はその森から来ていた。かつての森と違い荒れ果てた森は、食料もなくただの闇へと化していた。だからやむなく街に降りてきたのだと。しかし、それらを一切責めず自分たちの判断だというモリ君。 そして、自分たちが昼の明るさが怖いのは、暗さばかりをみているからだと。その逆も当てはまり、明るさ・暗さどっちかばかりを求める者にとって、その反対のものには恐怖を覚えると。だからたまには逆さになるといいと伝えて去っていく。
長瀬が作家になりたいと思ったのは、中学二年の時だった。たまたま見ていたテレビで、流行作家の谷川新之介の自宅訪問をやっていた。都内の一等地に豪邸を構えている割には、本人はボサボサの髪に無精髭、ヨレヨレの和服をだらしなく着た、冴えない中年…
彼は物書きをしている。 僕の体は削られて、紙君の上にすらーっと並んでいく。いろんな発見で驚きっぱなしだった。 僕はシャーシンと呼ばれて、いつも一緒の紙君とのつながりが何かしらあると感じている。それを確かめたくて仕方がなかった。 えんぴつ君や墨さんのことで、僕はそのつながりが何かを少しだけわかってきた。 なかなか聞けずにいた紙君に、直接それを聞くチャンスがきた。すると、紙君は親切に答えてくれた。 そして、シャーシンの僕は、彼とのつながりもあるとしっかり感じていた。
明るさが君を傷つけたとして、僕はそれを恨むだろうか。暗さが君を引っこ抜いたとして恨むだろうか。 なんで隣にいて、何もできなかったか後悔するのだろうか。恨みもするし、後悔もする。 しかしその起伏を起こさせる物事は、常に規則正しく世界を回っている。 メビウスの輪のような世界に、いつの間にか誘われ入り込んでしまっている。 僕は、色んな葛藤をしていく。陰陽は常に、悠然とただ回っている。 見るたびに僕は思い起こすことになるけれど、いつか忘れて見ることという行動だけが、残る。 そしてなんて綺麗なんだと思うだろう。その両極があってこその世界なんだ。 そしてまた同じことを繰り返していく。それもまた綺麗なことだ。
思いもかけないで半身不随になった若い啓子と、「認知症」と陰でささやかれる横溝老人と、西域シルクロードへ二人旅行を。夢はふくらむ ...... 〔完結〕 有女同車 の標題で掲載中のサイトあり
【聖ベルサレム学園】 通称『ベル学』 広大な敷地を有するここは全寮制でミンション系の学園。 この学園は去年まで別の名で呼ばれていた。 【聖ベルサレム〝女学園〟】 そう、去年までこの学校は女子高だったのだ。 『ベル学』の生徒数は約一二〇〇人。 内、男子生徒の数はたったの……四人。 そんな学校に理不尽な親のせいで無理矢理転入させられた一人の男子生徒がいた。 彼の名は【八園寺 統志朗《はちおんじ とうしろう》】 彼には一つ、どうしても苦手はものがあった。 それは『オンナ』 過去の経験により、『オンナ』を嫌い、『オンナ』を避けて生きてきた。 そんな彼が去年まで女子高で、しかも男がたったの四人しかいない学校でどうやって生きていくのか。 そして彼の『オンナ嫌い』の行方は……。
松林にいる僕はありんこを眺めている。ありんこは自分の体の倍以上もある荷物を忙しなく運んでいる。 自分の指人形でもすぐの距離を、せかせかと休むことなく運んでいく。 手を地面に当てると、周りのぬるい空気とは異なりひんやりとする。松葉が落ちて地面にも刺さる。松葉の絨毯。 地面からあげた手を見つめると、砂がついている。 けれどすぐに乾き、風に吹かれるまま手の上で砂は踊りだす。 皺のないところについていた砂だったけれど、砂はあっという間に皺の線に沿っていた。砂でさえも、既存の線に沿うのかと、僕は手を握り締める。 そのころにはありんこは見当たらなくなっていた。
更地に草が生えていました。単なる雑草でしたが、ある一つのものだけ、ほかのものがグングン背を伸ばしているにもかかわらず、同じ背丈でした。 いっこうに伸びもせず、花を咲かす準備もしません。 それを不思議に思ったトカゲはそれを問うと、どうもどう咲かすのかが分からずに、そのままでいるらしいのです。 途方にくれているうちに、周りの同じ草たちは、花を咲かせました。 それなのにその草は、大きな成長は見てとれません。 けれど、嵐が過ぎ去った日のこと、ほかの草たちは全部風に吹かれてしまっていたけれど、その草だけが無事にいました。 驚いたトカゲはその草の今の花が何かを感じ取ったらしく、挨拶をして去りました。
心が硬直して、かさかさになって、訳が分からなくなって、けれど何か大切なものがどんどんこぼれていくような気がする。 そんな時、あがいていろんなことしてみるけどしっくりこない。歩いてもみる。 いつもの光景の道。けれど、何かに目が留まって、一気にこみあげてくる人間的な思い。 その息吹があるから生きられているようなもので、だけど、それが一体なんなのか、定かではない。 だから掴もうとそっと手を出す。なかなか難しいその作業。 けれど、それは大そうなものじゃなく、ほんとそこら辺に転がっているもので。 なんでもない変哲のないものを愛せるものが、言葉を物語を紡げるのだと思う。
『雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。』番外編最終話です。 アサヒが卒業し、陸上部は恒例 ”追い出し会 ”を開催。 その後、部室にアサヒとナツふたりきり。 涙を必死に堪えるナツだったが・・・。 本編【雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。】 【番外編1、2】 【スピンオフ1、2、3】も、どうぞご一読あれ。
『雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。』スピンオフ3です。 ひとり海外留学したアキ。 ホームシックで泣き暮れるアキに、唯一の日本人シュウは誰より冷たくて。 しかし急病で倒れたアキを助けてくれたのはシュウだった。 急激に近付くアキとシュウの想いの行方は・・・。 本編【雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。】 【番外編1、2】 【スピンオフ1、2】も、どうぞご一読あれ。
冬になって葉っぱを落とした、樹たちは枯れ死んだと思われて、そうそう抜かれないと思っていたら、結構抜かれてしまって、代わりに、街灯という外炉樹があたりを埋めていた。 その者たちの言葉はほとんどわからず、テカりものの常用広葉樹さんたちも困った顔している。 夜長に思いを巡らせても、世を間違えたかのような感覚になる。 ほとんどを概念化された物事に追いやられ、ただ夜空を眺めることも遮られてしまう。夜だというのに、活動したいという概念が、明かりが澄み切った漆黒の夜空の邪魔をする。 しかし、自分が歩んできた自然とともにある感覚である、直感を大切にしたほうがいいと訴えてくる。もう自分の中の自然を踏みにじりたくないのだ。
支配者は壁をつくりガラスで覆っていく。しかしそれは台風の風や雨には通用しない。 ひっかかること。それが、この世界をぐらりと揺らすことになる。 支配者は奴隷や使用人に命令し、飼いならしている気でいる。 しかし、現場を知らない支配者は、逆に支配されている。自分の意志というものの所存に関係してくる。 いくら、スマートにふるまっていても、台風がくればそれは一瞬に砕け散る。 常に自分以外の外部の者が下した中にいる。その既存の中で生きる我々は、自分の人生を歩むには、無意味の意味を提示することが不可欠になる。 しかしそれも含め台風のなかの目的というものに縛られていても、それは目的の奴隷のままだ。 だから、偶然の足で踊ることが、自分の意志で決定を下すことだ。言葉はただ重たい者のためにある。重たい者が扱うの
『雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。』スピンオフ2です。 アサヒとナツが計画した ”たこ焼きパーティー ”を開催。 スミレを捉えたミサキの暴走は誰にも止められない?! 本編【雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。】 【番外編1、2】 【スピンオフ1】も、どうぞご一読あれ。
まだ薄暗い朝、雨がしとしと世界を埋めている。 雨に埋め尽くされている地上と天空にイメージを走らせると、地上が雨に埋もれた、深海と似ていると気がつく。 分厚い雲に光は遮断されて深海魚のように、生きている自分たち。 けれど、人々は海の深海には研究熱心だが、隣同士にいる雨の深海の、地上の僕たちには研究熱心とは言い難い。 その目を瞑って生活しているここの人々に、僕は不思議でたまらなくまた雨に思いを馳せていく。
ひと夏の蝉のセリフ。 蝉からみた、猫やゴキブリを通して見える、人の接し方の絶望的な差。 同じ命というけれど、という、蝉の声にのせて。 陽気に、皮肉にうたいましょう。