di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~  第二部  第五章 禁秘の神苑にて

di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~  第二部  第五章 禁秘の神苑にて

こちらは、

『di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~』
第二部 比翼連理  第五章 禁秘の神苑にて
                          ――――です。


『di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~』
第二部 比翼連理  第四章 昏惑の迷図より https://slib.net/112949

                 ――――の続きとなっております。


長い作品であるため、分割して投稿しています。
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〈第四章あらすじ&登場人物紹介〉

〈第四章あらすじ&登場人物紹介〉

===第四章 あらすじ===

(ムスカ)〉の潜伏先は、王族(フェイラ)所轄の庭園だった。しかも、〈(ムスカ)〉の背後にいるのは、この国の事実上の最高権力者『摂政』であることも判明し、迂闊に手を出すことができない鷹刀一族は、悶々とした日々を過ごしていた。
 リュイセンにプロポーズされたものの、返事ができずにいたミンウェイは、ひとり思い悩んでいた。そこにリュイセンが現れ、「プロポーズはなかったことにして欲しい」と告げる。
「ミンウェイを困らせただけだった」と彼は言い、「愛している」と囁いて去っていった。

 一方、〈(ムスカ)〉は――。
 二ヶ月前。熱暴走が止まらなくなり、死に直面した〈(サーペンス)〉――〈天使〉のホンシュアは、〈(ムスカ)〉に重要なことを告げていた。

 この国で王になれるのは〈神の御子〉の姿をした者のみ。そのため、〈神の御子〉が生まれず、王家が断絶の危機に陥ったとき、王の私設研究機関である〈七つの大罪〉は『過去の王』の遺伝子を使ってクローンを作る。――これは決まりである。
(サーペンス)〉は「女王に頼まれた」と言って、『目が見える』『王の力を持たない』という特徴を持った『特別な王』を作るように〈(ムスカ)〉に依頼した。
 そもそも『〈(ムスカ)〉』という存在は、『特別な王』を作れるのは『死んだ天才医師〈(ムスカ)〉』しかいないと考えた〈(サーペンス)〉が、『蘇生』の技術を使って作り出した『もの』だった。『蘇生』といっても完璧ではなく、五十路近い肉体に、三十代の記憶を入れるという不完全なものである。それは、ちょうどよい肉体を用意できなかった〈(サーペンス)〉が、生前の〈(ムスカ)〉の研究室に遺されていた『時間と共に老いていく、彼と妻』の肉体を見つけ、そのうちの彼のほうを使ったためだった。
(ムスカ)〉に『特別な王』を作ってもらいたい〈(サーペンス)〉は、『〈(ムスカ)〉のオリジナルであるヘイシャオは、鷹刀イーレオに殺された』と嘘を教えた。そして、復讐を手伝う代わりに『特別な王』を作って欲しいという取り引きを持ちかけたのだった。

『特別な王』の研究を進めていくうちに、〈(ムスカ)〉は素材として渡された遺伝子が『過去の王』のものではないことに気づき、『彼』が何者であるかを察し、〈(サーペンス)〉の正体が鷹刀セレイエだと見抜いた。そして、『特別な王』を望んでいるのは女王ではなく、〈(サーペンス)〉自身だと悟る。
 死の間際になって「鷹刀イーレオがオリジナルを殺したというのは嘘」と明かした〈(サーペンス)〉に対し、〈(ムスカ)〉は「鷹刀を大切に思っているにも関わらず、鷹刀を巻き込んだ理由は、『藤咲メイシアを鷹刀の屋敷に送り込む』必要があったからだ。あの娘には、何が隠されているのだ?」と詰め寄る。
(サーペンス)〉は「『〈(ムスカ)〉』に言うべき情報ではない」と言いつつ、〈(ムスカ)〉の耳に何かを囁き、「『あなた』の最期が安らかであることを願う」と言い遺して、この世を去った。

 斑目一族の不興を買った末に、命まで狙われる羽目になった斑目タオロンは、〈(ムスカ)〉に(かくま)われる生活を送っていた。
(ムスカ)〉は、タオロンが逆らえないようにするために、娘のファンルゥに腕輪を付けさせた。ファンルゥ本人には『部屋から脱走しようとすると、音が鳴る腕輪』と説明してあるが、実は『〈(ムスカ)〉のリモコンで毒針が飛び出す腕輪』であった。
 ある日、〈(ムスカ)〉は、タオロンたち私兵に通達する。「この館の持ち主である摂政が、貴族(シャトーア)の藤咲ハオリュウを招いて、ここで会食を開く」――と。

 摂政に会食に招かれたハオリュウは、鷹刀一族に対し、『車に隠れて、〈(ムスカ)〉のいる庭園に侵入する』作戦を提案した。『脱出については、タオロンに頼るしかない』という作戦だったが、満場一致で受け入れられ、ルイフォンとリュイセンが行くことに決まった。
 しかし、そもそも『何故、ハオリュウが摂政に招かれたのか』。罠ではないかと恐れるルイフォンたちにハオリュウは強がるが、最終的には、同じ館に入るルイフォンたちに援護を頼んだ。
 また、足の悪いハオリュウの介護者として乗り込む者は緋扇シュアンと決定し、問題の庭園への侵入、そして〈(ムスカ)〉捕獲の作戦が定まった。


===登場人物===

鷹刀ルイフォン
 凶賊(ダリジィン)鷹刀一族総帥、鷹刀イーレオの末子。十六歳。
 ――ということになっているが、本当は次期総帥エルファンの息子なので、イーレオの孫にあたる。
 母親のキリファから、〈(フェレース)〉というクラッカーの通称を継いでいる。
 端正な顔立ちであるのだが、表情のせいでそうは見えない。
 長髪を後ろで一本に編み、毛先を母の形見である金の鈴と、青い飾り紐で留めている。
 凶賊(ダリジィン)の一員ではなく、何にも属さない「対等な協力者〈(フェレース)〉」であることを主張し、認められている。

※「ハッカー」という用語は、本来「コンピュータ技術に精通した人」の意味であり、悪い意味を持たない。むしろ、尊称として使われている。
 対して、「クラッカー」は、悪意を持って他人のコンピュータを攻撃する者を指す。
 よって、本作品では、〈(フェレース)〉を「クラッカー」と表記する。

メイシア
 元・貴族(シャトーア)の藤咲家の娘。十八歳。
 ルイフォンと共に居るために、表向き死亡したことになっている。
 箱入り娘らしい無知さと明晰な頭脳を持つ。
 すなわち、育ちの良さから人を疑うことはできないが、状況の矛盾から嘘を見抜く。
 白磁の肌、黒絹の髪の美少女。


[鷹刀一族]
 凶賊(ダリジィン)と呼ばれる、大華王国マフィアの一族。
 秘密組織〈七つの大罪〉の介入により、近親婚によって作られた「強く美しい」一族。
 ――と、説明されていたが、実は〈七つの大罪〉が〈(にえ)〉として作った一族であった。

鷹刀イーレオ
 凶賊(ダリジィン)鷹刀一族の総帥。六十五歳。
 若作りで洒落者。
 かつては〈七つの大罪〉の研究者、〈悪魔〉の〈獅子(レオ)〉であった。

鷹刀エルファン
 イーレオの長子。次期総帥。
 ルイフォンとは親子ほど歳の離れた異母兄弟ということになっているが、実は父親。
 感情を表に出すことが少ない。冷静、冷酷。

鷹刀リュイセン
 エルファンの次男。イーレオの孫。十九歳。本人は知らないが、ルイフォンの異母兄にあたる。
 文句も多いが、やるときはやる男。
『神速の双刀使い』と呼ばれている。
 長兄レイウェンが一族を抜けたため、エルファンの次の総帥になる予定であり、最後の総帥となる決意をした。

鷹刀ミンウェイ
 母親がイーレオの娘であり、イーレオの孫娘にあたる。二十代半ばに見える。
 鷹刀一族の屋敷を切り盛りしている。
 緩やかに波打つ長い髪と、豊満な肉体を持つ絶世の美女。ただし、本来は直毛。
 薬草と毒草のエキスパート。医師免状も持っている。
 かつて〈ベラドンナ〉という名の毒使いの暗殺者として暗躍していた。
 父親ヘイシャオに、溺愛という名の虐待を受けていた。

草薙チャオラウ
 イーレオの護衛にして、ルイフォンの武術師範。
 無精髭を弄ぶ癖がある。

キリファ
 ルイフォンの母。四年前に当時の国王シルフェンに首を落とされて死亡。
 天才クラッカー〈(フェレース)〉。
〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈(スコリピウス)〉に〈天使〉にされた。
 また〈(スコリピウス)〉に右足首から下を斬られたため、歩行は困難だった。
 もとエルファンの愛人で、セレイエとルイフォンを産んだ。
 ただし、イーレオ、ユイランと結託して、ルイフォンがエルファンの息子であることを隠していた。
 ルイフォンに『手紙』と称し、人工知能〈スー〉のプログラムを託した。

〈ケル〉〈ベロ〉〈スー〉
 キリファが作った三台の兄弟コンピュータ。
 表向きは普通のスーパーコンピュータだが、それは張りぼてで、真の姿は〈七つの大罪〉の技術を使った、人間と同じ思考の出来る光の糸、あるいは光の(たま)である。
〈ベロ〉に載せられた人格は、シャオリエを元に作られているらしい。
〈ケル〉は、キリファの親友といってもよい間柄である。
 また〈スー〉は、ルイフォンがキリファの『手紙』を正確に打ち込まないと出てこない。

セレイエ
 エルファンとキリファの娘。
 表向きは、ルイフォンの異父姉となっているが、同父母姉である。
 リュイセンにとっては、異母姉になる。
 生まれながらの〈天使〉。
 貴族(シャトーア)と駆け落ちして消息不明。
 メイシアを選び、ルイフォンと引き合わせた、らしい。
 メイシアのペンダントの元の持ち主で、『目印』としてメイシアに渡した、らしい。
 四年前にルイフォンに会いに来て、〈天使〉の能力で何かをした、らしい。


[〈七つの大罪〉・他]

〈七つの大罪〉
 現代の『七つの大罪』=『新・七つの大罪』を犯す『闇の研究組織』。
 実は、王の私設研究機関。

〈悪魔〉
 知的好奇心に魂を売り渡した研究者を〈悪魔〉と呼ぶ。
〈悪魔〉は〈神〉から名前を貰い、潤沢な資金と絶対の加護、蓄積された門外不出の技術を元に、更なる高みを目指す。
 代償は体に刻み込まれた『契約』。――王族(フェイラ)の『秘密』を口にすると死ぬという、〈天使〉による脳内介入を受けている。

『契約』
〈悪魔〉が、王族(フェイラ)の『秘密』を口外しないように施される脳内介入。
 記憶の中に刻まれるため、〈七つの大罪〉とは縁を切ったイーレオも、『契約』に縛られている。

〈天使〉
「記憶の書き込み」ができる人体実験体。
 脳内介入を行う際に、背中から光の羽を出し、まるで天使のような姿になる。
〈天使〉とは、脳という記憶装置に、記憶(データ)命令(コード)を書き込むオペレーター。いわば、人間に侵入(クラッキング)して相手を乗っ取るクラッカー。
 羽は、〈天使〉と侵入(クラッキング)対象の人間との接続装置(インターフェース)であり、限度を超えて酷使すれば熱暴走を起こす。

〈影〉
〈天使〉によって、脳を他人の記憶に書き換えられた人間。
 体は元の人物だが、精神が別人となる。

『呪い』・便宜上、そう呼ばれているもの
〈天使〉の脳内介入によって受ける影響、被害といったもの。悪魔の『契約』も『呪い』の一種である。
 服従が快楽と錯覚するような他人を支配する命令(コード)や、「パパがチョコを食べていいと言った」という他愛のない嘘の記憶(データ)まで、いろいろである。

『di;vine+sin;fonia デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)
 セレイエが企んでいる計画。
 この計画のために、〈(ムスカ)〉は『特別な王』を作らされた。
 詳細は、まだ謎に包まれている。
『di』は、『ふたつ』を意味する接頭辞。『vine』は、『(つる)』。
 つまり、『ふたつの(つる)』――転じて、『二重螺旋』『DNAの立体構造』――『命』の暗喩。
『sin』は『罪』。『fonia』は、ただの語呂合わせ。
 これらの意味を繋ぎ合わせて『命に対する冒涜』と、ホンシュアは言った。

ヘイシャオ
〈七つの大罪〉の〈悪魔〉、〈(ムスカ)〉。ミンウェイの父。故人。
 医者で暗殺者。
 病弱な妻のために〈悪魔〉となった。
〈七つの大罪〉の技術を否定したイーレオを恨んでいるらしい。
 娘を、亡くした妻の代わりにするという、異常な愛情で溺愛していた。
 そのため、娘に、妻と同じ名前『ミンウェイ』と名付けている。
 十数年前に、娘のミンウェイを連れて現れ、自殺のような状態でエルファンに殺された。

現在の〈(ムスカ)
 セレイエが『特別な王』を作らせるために、蘇らせたヘイシャオ。
 セレイエに吹き込まれた嘘のせいで、イーレオの命を狙ってきた。
 また、何かを知ったため、タオロンに命じ、メイシアをさらおうとした。
 ヘイシャオそのものだが、記憶と肉体の年齢が合っていない。

ホンシュア
 セレイエの〈影〉で、体は〈天使〉化してあった。
〈影〉にされたメイシアの父親に、死ぬ前だけでも本人に戻れるような細工をしたため、体が限界を超え、熱暴走を起こして死亡。
 死ぬ前に、〈(ムスカ)〉に対し、メイシアに関する重大な事実を告げたらしい。

(サーペンス)
 セレイエの〈悪魔〉としての名前。
(ムスカ)〉が、セレイエの〈影〉であるホンシュアを〈(サーペンス)〉と呼んでいたため、ホンシュアを指すこともある。

ライシェン
 ホンシュアがルイフォンに向かって呼びかけた名前。
 それ以外は不明。

斑目タオロン
 よく陽に焼けた浅黒い肌に、意思の強そうな目をした斑目一族の若い衆。
 堂々たる体躯に猪突猛進の性格。
 二十四歳だが、童顔ゆえに、二十歳そこそこに見られる。
 ファンルゥの母親である最愛の女性を斑目一族に殺害されている。
 斑目一族が愛娘に害を及ぼさないようにと、不本意ながら〈(ムスカ)〉に従うことになった。が、ルイフォンたちに協力して、〈(ムスカ)〉の居場所を教えてくれた。

斑目ファンルゥ
 タオロンの娘。四、五歳くらい。
 くりっとした丸い目に、ぴょんぴょんとはねた癖っ毛が愛らしい。
 人質であるため、〈(ムスカ)〉に毒針の出る腕輪をはめられている。
 ただし、本人には「部屋から出ようとしたら音の鳴る腕輪」と説明されている。


[藤咲家・他]

藤咲ハオリュウ
 メイシアの異母弟。十二歳。
 父親を亡くしたため、若年ながら藤咲家の当主を継いだ。
 十人並みの容姿に、子供とは思えない言動。いずれは一角の人物になると目される。
 異母姉メイシアを自由にするために、表向き死亡したことにしたのは彼である。
 女王陛下の婚礼衣装制作に関して、草薙レイウェンと提携を決めた。

藤咲コウレン
 メイシア、ハオリュウの父親。厳月家・斑目一族・〈(ムスカ)〉の陰謀により死亡。

藤咲コウレンの妻
 メイシアの継母。ハオリュウの実母。
 心労で正気を失ってしまい、別荘で暮らしていたが、メイシアがお見舞いに行ったあとから徐々に快方に向かっている。

緋扇(ひおうぎ)シュアン
『狂犬』と呼ばれるイカレ警察隊員。三十路手前程度。イーレオには『野犬』と呼ばれた。
 ぼさぼさに乱れまくった頭髪、隈のできた血走った目、不健康そうな青白い肌をしている。
 凶賊(ダリジィン)の抗争に巻き込まれて家族を失っており、凶賊(ダリジィン)を恨んでいる。
 凶賊(ダリジィン)を殲滅すべく、情報を求めて鷹刀一族と手を結んだ。
 敬愛する先輩が〈(ムスカ)〉の手に堕ちてしまい、自らの手で射殺した。
 似た境遇に遭ったハオリュウに庇護欲を感じ、彼に協力することにした。
 

[王家・他]

アイリー
 大華王国の現女王。十五歳。
 彼女の婚約を開始条件(トリガー)に、すべてが――『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』が始まったと思われる。
 メイシアの再従姉妹(はとこ)にあたるが、メイシア曰く『私は数多の貴族(シャトーア)のひとりに過ぎなかった』。

シルフェン
 先王。四年前、腹心だった甥のヤンイェンに殺害されたらしい。

ヤンイェン
 先王を殺害し、幽閉されていたが、女王の婚約者として表舞台に戻ってきた謎の人物。
 メイシアの再従兄妹(はとこ)にあたる。
 平民(バイスア)を後妻に迎えたメイシアの父、コウレンに好意的だったらしい。

カイウォル
 摂政。女王の兄に当たる人物。
 摂政を含む、女王以外の兄弟は〈神の御子〉の外見を持たないために、王位継承権はない。


[草薙家]

草薙レイウェン
 エルファンの長男。リュイセンの兄。
 エルファンの後継者であったが、幼馴染で妻のシャンリーを外の世界で活躍させるために
鷹刀一族を出た。
 ――ということになっているが、リュイセンに後継者を譲ろうと、シャンリーと画策したというのが真相。
 服飾会社、警備会社など、複数の会社を興す。
 
草薙シャンリー
 レイウェンの妻。チャオラウの姪だが、赤子のころに両親を亡くしたためチャオラウの養女になっている。
 王宮に召されるほどの剣舞の名手。
 遠目には男性にしかみえない。本人は男装をしているつもりはないが、男装の麗人と呼ばれる。

草薙クーティエ
 レイウェンとシャンリーの娘。リュイセンの姪に当たる。十歳。
 可愛らしく、活発。

鷹刀ユイラン
 エルファンの正妻。レイウェン、リュイセンの母。
 レイウェンの会社の専属デザイナーとして、鷹刀一族の屋敷を出た。
 ルイフォンが、エルファンの子であることを隠したいキリファに協力して、愛人をいじめる正妻のふりをしてくれた。
 メイシアの異母弟ハオリュウに、メイシアの花嫁衣装を依頼された。


===大華王国について===

 黒髪黒目の国民の中で、白金の髪、青灰色の瞳を持つ王が治める王国である。
 身分制度は、王族(フェイラ)貴族(シャトーア)平民(バイスア)自由民(スーイラ)に分かれている。
 また、暴力的な手段によって団結している集団のことを凶賊(ダリジィン)と呼ぶ。彼らは平民(バイスア)自由民(スーイラ)であるが、貴族(シャトーア)並みの勢力を誇っている。

1.境界の日の幕開け-1

1.境界の日の幕開け-1

 その日、ハオリュウは、メイドが起こしに来るよりも先に目を覚ました。
 夏に差し掛かった朝日は、さすがに彼よりも早起きであったらしい。カーテンの隙間から、すうっと細く、光が覗き込んでいる。起き上がって窓を開ければ、澄んだ南風が部屋に流れ込み、青空になりきる前の、特別な色の空が広がっていた。
 いよいよ、今日である。
 摂政との会食と、〈(ムスカ)〉捕獲作戦の決行の日――。
 手はずとしては、まずは、リュイセンの兄、草薙レイウェンの家で、皆が落ち合う。そこから人が隠れられる細工をした、例の『車』に乗り換えて出発だ。
 作戦会議のときは、夜闇に紛れてハオリュウが鷹刀一族の屋敷に赴いた。しかし、今回は昼間なので、貴族(シャトーア)凶賊(ダリジィン)の屋敷に行くのも、その逆も避けることにしたのだ。そこで白羽の矢が立ったのが、レイウェンの家というわけだ。
 彼の家であれば、仕事での付き合いがあるため、ハオリュウが出入りをしても不自然ではない。なおかつ、服飾の専門家であるユイランが、王族(フェイラ)との会食に臨む衣装は任せてほしいと張り切っているので、都合が良かったのである。
 鷹刀一族の屋敷からは、チャオラウの運転する車にルイフォンとリュイセン。それから見送りとして、メイシアとミンウェイも乗ってくるという。
 メイシアの同乗は、イーレオのはからいだ。〈(ムスカ)〉に狙われているため、彼女はずっと外出を避けていたのだが、やはりルイフォンの見送りはしたいであろうと。〈(ムスカ)〉だって、摂政が庭園に来る日くらいは、おとなしくしているであろうし、万一のときでもチャオラウがいれば安全――というわけだ。
 会食は、昼に予定されている。しかし、朝食を終えると、ハオリュウは早々に家を出た。
 緋扇シュアンと、話をする約束があったのだ。


 ハオリュウが到着したとき、案内された部屋で待っていたシュアンは、上質なソファーを堪能するかのように堂々と寝転がっていた。
 あらかじめ『ふたりで、今日のことの最終確認をしたい』と言ってあったので、気を利かせたレイウェンが場所を用意してくれたのだ。そのため、シュアンは気兼ねなく、くつろいでいたのである。
「シュアン、お待たせしてすみません」
 ハオリュウが声を掛けると、シュアンはむくりと起き上がる。収まりの悪い、ぼさぼさ頭が乱れているが、それは横になっていたからではなく、いつものことだ。
「ハオリュウ。あんた、ちゃんと寝たのか?」
 シュアンは立ち上がり、ハオリュウのもとに寄る。彼を車椅子からソファーに移動させるためだ。
 普段は杖を使っているハオリュウであるが、シュアンが介助者として自然に動けるよう、この数週間、ふたりでいるときは努めて車椅子で行動していた。今日は、その訓練の成果を示す日でもあった。
「朝早く目覚めてしまいましたけど、昨日の晩は早めに休んだので、心配ありませんよ。それより、あなたのほうが寝不足の顔に見えます」
「俺のは地顔だ」
 シュアンはそう言って、皮肉めいた癖のある笑顔を浮かべる。
 目つきの悪い三白眼の下には、深い(くま)が刻まれていた。本人の言う通りの地顔なのかは不明であるが、確かにそれは常からのものである。
 ハオリュウは微苦笑した。
 率直にいって、貴族(シャトーア)の介助者としてふさわしい容貌とは言い難い。しかし、ハオリュウが最も信頼している人物がシュアンなのだから、仕方ないのだ。
「早速だが、用件に移るぞ。ユイランさんが、あんたの着せ替えを楽しみに待っているようだから、手短にいく」
 ハオリュウの向かいに座ったシュアンが、彼らしくもなく姿勢を正す。
 体格的には、中肉中背。どちらかといえば、やや貧相で、どこにでもいるような冴えない男だが、彼の本職は凶賊(ダリジィン)を相手にする部署の警察隊員だ。まとう雰囲気に牙を宿せば、彼が生来のものだと主張する凶相と相まって、途端に大男にも負けぬ威圧を放つ。
「ええ。それから、僕からも、あなたにお話があります」
「そうか。……こんなときの話なんざ、どうせ、互いに(ろく)な話じゃねぇな」
「そうでしょうね」
 どちらからともなく、低く笑い合う。
 そして、シュアンが口火を切った。
「――今日の、摂政との会食。摂政が〈天使〉を出してきたら……、摂政が〈天使〉を使って、あんたを支配するつもりなら、俺はためらわずに、摂政と〈天使〉を殺す」
 憎悪にも近いシュアンの言葉が、鋭い弾丸となって撃ち放たれた。
 そのときは邪魔するなとの、牽制を込めた宣言だった。
「そう言ってくると思っていましたよ」
 ハオリュウは、柔らかに口元を緩める。
 剣呑な話にも関わらず、彼が、父親そっくりの穏やかな声と顔で応じれば、不思議となんでもないことのように聞こえた。鷹刀一族が持つものとはまた違った、けれどこれも魔性の一種だろう。
「なんだ、驚かないのか」
「あなたが気づいたように、僕だって気づきますよ。――〈(ムスカ)〉は〈天使〉をすべて失ったそうですが、カイウォル殿下が〈天使〉を使ってこないとも限らない、と」
 ハオリュウとシュアンは、共に大切な人を〈影〉にされることで亡くした。その彼らが、〈天使〉の脳内介入を恐れるのは当然だった。
「ですが、シュアン。さすがに摂政が急死したら、国は大混乱です。四年前に先王が亡くなったときもそうでしたが、できれば避けたい事態です」
「何を言ってやがる? 『混乱』して困るのは、現在、甘い汁を貪っている奴らだけだ。底辺の人間にしてみれば、上がどうなったところで何も変わりはしない。この国は腐りきっているんだからな」
「まぁ……そうですね」
『上』にいるハオリュウは、歯切れ悪く頷くしかない。
「心配するな。あんたや藤咲家に迷惑はかけない。捕まえた〈(ムスカ)〉を犯人に仕立て上げて、丸く収める」
 シュアンは鼻息荒く言い放つが、そんな簡単なことではないだろう。
 それに――だ。
「そもそも、僕が〈天使〉によって〈影〉にされるなり、『呪い』を掛けられるなりする場合には、あなたは席を外されている可能性が非常に高いですよ」
「……っ!」
「それと……実のところ、僕はそれほど〈天使〉に関しては警戒していません」
「なんだって!?」
 静かに告げたハオリュウに、シュアンが速攻で牙をむく。
「カイウォル殿下が〈天使〉を使えるのであれば、僕などではなく、ライバルのヤンイェン殿下か、法律上の最大の権力者である女王陛下の、どちらかを支配するほうが、よほど効果的だからです」
「!」
「それなのに、僕に接触してくるのなら、カイウォル殿下は〈天使〉を所有していない、と考えるのが妥当です」
「そう……か」
 勢い込んでいただけに、面目ないのであろう。シュアンはやや顔を下げ、ぼさぼさ頭で目元を隠した。
「勿論、〈天使〉を使ってくる可能性を考慮しておくのは、悪くありません。けれど、それ以上に気を配っておく必要があるのが、〈(ムスカ)〉の存在……」
「ハオリュウ……?」
 淡々と、だが確実に。ハオリュウの声色は、不穏な色合いを帯びていく。
「あの庭園で、〈(ムスカ)〉が何を研究しているのか、僕たちには想像のしようがありません。ですが、カイウォル殿下にとって、有用なものであることは確かです。――そして、そんな場所に僕を招いた以上、『それ』は、僕の気持ちを揺り動かすものであるはずです」
 ハオリュウは、闇をたたえた漆黒の瞳で、じっとシュアンを見つめる。
 その深い黒に、シュアンは引きずり込まれる。
「仮に――です。〈(ムスカ)〉の研究が、僕の意思をねじ曲げるようなものであった場合……。もしも僕が、〈(ムスカ)〉の技術によって、自分の意思を保てないような状況に陥ったなら――」
「……!?」
「〈天使〉の介入のように――僕が、僕でなくなった、そのときは……」
 ごくりと、シュアンが唾を呑む音が聞こえた。凶相が引きつり、三白眼がその先を言うなと訴える。
 けれど、低くなったハオリュウの声は厳かに響いた。

「僕を殺してください」

「――――!」
 その瞬間、シュアンは、ひとことも発せなかった。
 けれど、反射的に立ち上がっていた。
 無意識に動いた自分に彼は驚きつつも、しかし、足は止まらずにハオリュウへと向かう。
「馬鹿野郎……っ!」
 シュアンの口から漏れ出たのは、絞り出すような声だった。殴りつけるために振り上げたのであろう拳は、途中で力を失い、そのままハオリュウの肩に落とされる。
「馬鹿ではありませんよ。〈影〉のように、死んだほうがマシの事態は存在します。そうなったとき、僕が自分で自分を殺せるのなら良いのですが、今の話の前提は『僕が自分の意思を保てなくなったとき』です。だから、シュアン、あなたに頼みます」
「……」
 シュアンは、凍りついたかのように動けなかった。
「あなたの手は、僕の手です。あなたが屍の山を築けば、僕の手が赤く染まる。――あの言葉を、忘れていませんよね? ……僕たちの関係は、そういう関係です」
「……っ」
「引き金を引けない僕の手の代わりに、あなたの手が引き金を引いてください。――いつだったか、レイウェンさんにも言ったことがあるでしょう? 『僕に必要な者は、僕に代わって殺せる者だ』と」
 ハオリュウは、自分の肩に載せられたシュアンの手の上に、自分の手を重ねる。
「シュアン、あなたしか、いないんです」
 異母姉のメイシアや、ルイフォンも、〈(ムスカ)〉の技術を警戒していた。おそらくは、ハオリュウと同じくらいに恐れていた。その気持ちはありがたかった。
 けれど、ハオリュウは『自分も警戒している』と、言うわけにはいかなかった。言ったところで、なんの解決にもならないからだ。単に、異母姉に心配をかけるだけなのだ。
「僕が死んだときは、イーレオさんが、あらゆる方法で対処に当たると約束してくださっています」
「イーレオさんが……?」
「はい」
 嘘ではない。
 いろいろ思うところはあるようだったが、イーレオはすべて(はら)の中に呑み込み、ただ、ひとこと『任せろ』とだけ言ってくれた。
「だから、お願いします。もしものときは――」
 そう言って、ハオリュウが念を押そうとしたときだった。
 不意に、「きゃああっ!」という悲鳴が、部屋の外から響いてきた。
 即座にシュアンが床を蹴り、扉を開く――!
「クーティエ!?」
 レイウェンの娘のクーティエが、よろけながらも絶妙な具合に腰を曲げて踏ん張っている――という姿勢で、トレイを掲げていた。その上に載せられた、ふたつのグラスの中では、中身の茶が激しく踊っている。しかし、奇跡的に一滴もこぼれていないとう、素晴らしい運動神経であった。
 そして、その後ろで、呆然とたたずむミンウェイ――。
「ご、ごめんなさいっ!」
 叫びながら、クーティエは腰から体を曲げて、深々と頭を下げた。
 ふたつに分けて高く結った髪が、髪飾りのリボンを中心にぴょこんと一回転するが、その衝撃にも茶は耐えた。
「ハオリュウが来たから、お茶を持っていこうとしたの。でも、ノックする前に、中の声が聞こえちゃって……、それで……」
「立ち聞きしていた、というわけだな?」
 ぎろりと、シュアンが睨む。
「そ、その通りですっ! ごめんなさい! あ、でも、ミンウェイねぇは違うの!」
 クーティエは、慌てたように首を振る。――その動きに合わせて、茶も揺れる。
「ミンウェイねぇは、あとから来て、立ち聞きしている私にそっと声を掛けただけなの! で、その声に私がびっくりして……」
「それで、あの悲鳴を上げたわけですね」
 部屋の奥からハオリュウが問うと、戸口のクーティエは、よく見えるようにか、こくこくと大きく頷いた。
 彼女の背後で、ミンウェイが申し訳なさそうな顔で「ごめんなさいね」と謝る。だが、その対象がクーティエなのか、ハオリュウたちなのかは、今ひとつ判然としなかった。
「私はユイラン様からのお使いで、『あとどのくらい、お話に時間が掛かるのか、訊いてきてほしい』と言われて来たのよ」
 ハオリュウに衣装を着せるのを楽しみにしているユイランは、なかなか来ない彼に焦れて、ミンウェイに様子を見に行かせたらしい。
「状況は分かった。嬢ちゃんは聞いていて、ミンウェイは聞いてない、と。……嬢ちゃん、いつからいた?」
 責め立てるようなシュアンに、クーティエは首を縮こめた上目遣いを返す。
「……『シュアンの悪人面は、地顔だから諦めるしかない』ってあたり……」
「誰も、そんなこと言ってねぇ!」
 噛み付くシュアンに、ハオリュウは苦笑した。
 近いやり取りはあった。実際、ハオリュウも、内心では同じことを思った。しかし、シュアンが叫んだように、口に出しては言っていない。
「まぁ、いい」
 シュアンは、ふんと鼻を鳴らし、「ハオリュウ」と名を呼びながら、くるりと振り返る。
「俺の手は、お前の手だ。だが俺の手は、俺の手でもある。――俺の手はな、『一発の弾丸の重さ』を知っている。……それを、よく覚えておけ」
 唐突に告げられたのは、先ほどの返事だった。
 そして、解釈の難しい言葉だった。しかし、少なくとも、突っぱねられたわけではないことは伝わってくる。
「シュアン、感謝します」
 ハオリュウの言葉に、シュアンは何も答えずに背を向けた。そして、おもむろに、クーティエのトレイからグラスをひとつ取り上げた。
「え?」
 急に軽くなった腕への負荷に、クーティエが驚く。
 けれどシュアンは、彼女の狼狽をまるきり無視して一気に茶をあおり、グラスを再びトレイに戻した。茶の分だけ軽くなったグラスの重さが、クーティエに返ってくる。
「嬢ちゃん、ご馳走様」
「えっと……?」
 てっきり怒られるものだと思っていたクーティエは、狐につままれた気分だ。
「ユイランさんが待ちかねているようだから、あと十分で、俺はハオリュウを連れて行く。――それまでに、話を終わらせるんだな」
「はい?」
 きょとんとするクーティエの背を軽く押し、シュアンは彼女を部屋に押し込んだ。
「ミンウェイ、行くぞ」
「緋扇さん? どういうことですか?」
「いいから、来い」
 命令調でシュアンが言う。
 ミンウェイは一瞬、きょとんとするものの、すぐに何かを察したようだ。美貌が輝き、この場にふさわしくないような緩んだ顔になる。
「ちょ、ちょっと! 緋扇シュアン! どういうことよ!」
「嬢ちゃん、聞いていたんだろ? だったら、あんたはハオリュウに言いたいことがあるはずだ。俺の話は終わったから、ハオリュウをあんたに譲る」
「え?」
「じゃあな」
 シュアンは言い捨てると、ばたんと勢いよく扉を閉めた。

1.境界の日の幕開け-2

1.境界の日の幕開け-2

 クーティエをハオリュウのいる部屋に放り込み、扉から充分に離れた廊下の端で、シュアンは立ち止まった。
「てっきり、緋扇さんは、クーティエのことを怒っているのだと思っていました」
 シュアンに合わせるように歩みを止めたミンウェイが、綺麗に紅の引かれた唇を弓形に上げた。
 楽しげな目元は、童心に返ったかのように輝いている。どうやら、ハオリュウとクーティエをふたりきりにしてきたことが、いたく彼女のお気に召したらしい。
「逆だ。むしろ俺は、あの嬢ちゃんに助けられたようなもんだ」
「そうなんですか?」
「ああ」
 極限の事態に陥ったとき、シュアンの手は、迷うことなくハオリュウに向かって引き金を引ける。その自信はある。
 ハオリュウ本人に頼まれていても、いなくても同じだ。
 けれど、それを彼に伝えていいかどうかは、また別の話だ。あの危うい愚か者は、自分を大切にしなさすぎる。自己犠牲が大好きな馬鹿を、肯定するわけにはいかないのだ。
「嬢ちゃんが乱入してくれたお陰で、俺は台詞を考える余裕を貰えたのさ」
 シュアンは、感謝を込めて微笑んだ。もっとも、クーティエ公認の悪人面では、顔を歪めた程度にしか見えなかったのは残念な事実である。
 ともかく、ハオリュウのことはクーティエに任せておけばよい。そもそも、どんなにあがいたところで、もはや、なるようにしかならない。腹をくくって乗り込むしかないのだ。
 そうなると、気になるのは〈(ムスカ)〉捕獲作戦のほうであった。
「……あんたが来たってことは、鷹刀の連中も到着したんだな」
 思ったよりも時間が過ぎていたようだ。衣装係のユイランが焦れるのも当然だろう。作戦開始は目前だ。
 シュアンは、じっとミンウェイを見つめた。
「ミンウェイ。鷹刀も、ハオリュウも、俺も……、今日という日を待ち望んでいた。けど……、あんたにとっちゃ、『永遠に来てほしくなかった日』だな」
「……っ」
 今まで浮かれていた美貌が、見る間に笑みを失う。それはまるで、快晴の夏空が一瞬にして暗雲に覆われていく(さま)に似ていた。
 彼女が望むのは『穏やかな日常』。

『私……、〈(ムスカ)〉は、何処かに行ってしまえばいいと思っています! 二度と鷹刀に関わらないでほしい。そうすれば、鷹刀は〈(ムスカ)〉を殺さないですむ。――そんなふうに思ってしまっているんです……!』

 ――彼女は、そう言っていた。
「仕方ないわ……。どうしようもないもの……」
 ミンウェイはうつむいて、途切れがちの声を漏らす。彼女が小さく首を振ると、波打つ黒髪が風を起こした。彼女らしい、穏やかで優しい草の香が流れた。
「そうだな……」
 凪いだ目をするミンウェイに、シュアンはこの話題に触れたことを後悔する。
 皆が勇んで〈(ムスカ)〉の捕獲に期待を寄せる中、ただひとりミンウェイだけが同じ気持ちでないことを、彼は知っている。
 だから、ひとことでいいから、何かを言ってやりたかったのだ。
 彼女の気持ちに寄り添ってやることはできないが、気持ちを理解していることだけは、伝えてやりたい。今日の到来を喜べないことで、彼女が罪悪感に見舞われる必要はないのだと、教えてやりたい。
 しかし、いざ、この場に直面してみると、彼女の心を軽くするような聞こえの良い言葉など、偽善に思えてきた。そんな安っぽい優しさの押し売りなど、彼女にふさわしくない。
 シュアンは視線を床に落とし、押し黙った。
 ふたりの間に、沈黙が訪れる。
 気まずい雰囲気になってしまった。彼としては、あと数分をこうして過ごすのも構わないが、彼女はそうではないだろう。仲良くハオリュウを待っている理由もないし、彼女は鷹刀の奴らのもとに帰そう。
 彼がそう考えたときだった。
 すぐ近くに、ミンウェイの逡巡の息遣いを感じた。疑問に思う間もなく、続けて発せられた「ねぇ、緋扇さん」という呼び掛けに顔を上げれば、そこには見たこともない表情をした彼女がいた。
「私、亡くなったお父様を『男として』愛していたんですって」
 唐突な明るい声と、突拍子もなさすぎる言葉――。
「っ!?」
 シュアンは、ミンウェイを凝視した。
 明らかに作った顔と分かるのに、絶世の美女のいたずらめいた笑みは、幼い少女の無邪気さを兼ね備え、息を呑むほどに可愛らしく……。場違いを承知していても、彼は惹き込まれ、魅入られる。
「リュイセンにね、そう言われちゃった……」
 溜め息混じりに肩を落とすと、いつものミンウェイに戻る。
「そのときは、なんて酷いことを言うのって、心の底から怒ったけれど……、でも、落ち着いて考えると、完全には否定できないんです……」
 シュアンは、驚きの表情をとっさに隠した。
 頭の中は真っ白だったが、表面上は平静を保ち、無理やりに言葉を紡ぎ出す。
「……そうか。……あんた、ずっとあの父親と一緒にいたんだもんな……」
「ええ。ずうっと……一緒だったわ」
 少し、舌足らずにも聞こえる声で、ミンウェイは嬉しそうに頷く。
 今度は、上辺(うわべ)だけの作り顔ではなかった。
 彼女が笑っていることに、シュアンはほっとする。――複雑な気持ちを(いだ)きながらも。
 たくさんの人に囲まれ、愛されているのに、彼女は孤独だ。それは、あの父親のところに心を置いてきてしまったからなのだと、漠然と……理解してしまった。
「今、生きている〈(ムスカ)〉は、あんたが愛した『お父様』じゃない。だから……」
 言葉が続かなかった。そんなことを言われて、ミンウェイが喜ぶとも思えなかった。
 けれど、言いたかったことは伝わったらしい。
「……そうですね」
 ミンウェイが微笑む。
 華やかな大輪の花のようでいて、実は穏やかな月光の化身のような彼女。硝子細工のような儚さに、思わずシュアンの手が伸びる。
 ――だが。
 彼女に気づかれる前に、彼は手を止め、固く握りしめながら下ろした。
 彼の手は、引き金を引く手だ。
 そして、そのまま。クーティエに約束した十分が経つまで、ゆっくりと時は流れていった。


「ハオリュウ! たっ、立ち聞きして、ごめんなさい!」
 クーティエが勢いよく頭を下げると、両脇で高く結われた髪が激しく跳ねた。彼女を追うように動いた髪飾りのリボンが、一瞬きらりと光沢を放ち……しかし、すぐにひらひらとした端を力なく垂らす。――彼女の心を示すかのように。
「とりあえず、こちらに来てください」
 ソファーに座ったまま、ハオリュウは手招きした。
 足の悪い彼としては自然な行為だったのだが、顔を上げたクーティエが「うん」と答えるのを見て、戸惑った。声だけは、いつも通りに、はきはきと元気であったけれど、彼女の目には脅えがあったのだ。
 持っていたトレイをテーブルに置いたとき、グラスの中の茶の表面が揺れていたのは、彼女の所作が乱暴だったからではなく、彼女の手の震えを写し取ったためだろう。
「クーティエ、僕は気にしていませんよ」
 目の前で立ち尽くしてしまった彼女に、ハオリュウは困ったように笑う。
 けれども、彼女は視線を下げ、ふるふると首を振った。リボンが揺れ、髪の毛にじゃれつく。やがてその動きを止めたとき、彼女は顔を上げ、意を決したように口を開いた。
「ハオリュウ。さっきの話、本気……なの?」
 強気の口調でありながら、クーティエの声は揺れていた。薄桃色であるはずの唇が、青ざめている。
「自分を殺してほしい、だなんて……。おかしいわよ! どうして、そんなことを言うの!?」
 問い詰めるように、責め立てるように。可憐な顔を歪め、全身全霊で、彼女は叫ぶ。
「クーティエ……」
 彼女の言いたいことは分かる。
 確かに、ハオリュウがシュアンに依頼したことは、常軌を逸している。
 けれど、恐れている事態が起きてしまったとき、シュアンが責任を感じないようにするためには、はっきり告げておく必要があった。
「ただの心構えですよ。――僕とシュアンは、大切な人を〈(ムスカ)〉に殺されたようなものですからね。その〈(ムスカ)〉のいる場所に行くとなれば、用心深くもなります。……何が起こるか分からない。そのくらいの覚悟はしている、というだけです」
「……でもっ! でも、でも……っ!」
「それとも、〈(ムスカ)〉のしたことを――〈七つの大罪〉の技術を……、目の当たりにしていないあなたは、あの卑劣さを信じられませんか?」
「……っ」
 クーティエが息を呑んだ。
 卑怯だな、とハオリュウは思った。こんな言い方をされれば、彼女は黙って引き下がるしかない。案の定、瞬きひとつできずに、唇を結んだままだ。
 ハオリュウは罪悪感を感じつつも、ほっとする。
 心配してくれるのはありがたいが、おかしいと言われても困る。シュアンへの頼みを撤回する気はないのだから。
 そうして話を切り上げようとしたとき、ソファーに座っている彼の目の高さで、立ち尽くしたままの彼女の掌が握りしめられた。爪が食い込み、血管が浮き出る。
「……信じて……いるわよ。相手が卑劣なのも、分かっているわ! だって、ハオリュウの足は〈(ムスカ)〉のせいで……!」
 クーティエは、整った眉をきゅっと吊り上げ、その下の目を大きく見開いた。睨みつけているのではない。浮かんできた涙をこぼさないようにと、必死にこらえているのだ。
「どうして! どうして、ハオリュウばっかり、こんな目に遭うのよ! 悔しい……!」
 呟くように漏らされた言葉は、ハオリュウ自身が吐き出したこともないほどに重かった。他人であるクーティエが、彼以上に、彼のために憤っている。そのことに衝撃を受ける。
 彼にしてみれば、足の負傷は過ぎたことだ。自分の判断ミスが起こした、自業自得。だから、運ばれたベッドの上では、怪我を嘆くよりも、この先ですべきことに思考を巡らせた。
「クーティエ……」
 彼女のまっすぐな気持ちが、少し怖かった。
 早く彼女を納得させて、この場を切り上げたい。ハオリュウは、そう思う。
「シュアンにお願いしたことは、本当に『もしも』のときの話です。今日の会食では、何も起こらない確率のほうが、ずっと高いんですよ。――僕はまだ、姉様の花嫁姿を見ていませんし、藤咲の絹産業を軌道に乗せている途中です。簡単には死ねませんよ」
 ソファーからクーティエを見上げ、ハオリュウは目を細めた。優しい面差しは包み込むように柔らかく、穏やかな人柄だった彼の父そっくりだった。
 しかし、その瞬間、クーティエの目が尖った。
 明らかな怒りを示し、ハオリュウへと目線を下げる。そのはずみに……ぽろりと、涙がこぼれた。
「嘘つき!」
 その叫びは、殺意に近い気迫をまとっていた。
「ハオリュウは、そんなことを思ってないでしょ! だって、今の顔、ハオリュウお得意の外面(そとづら)だもの!」
「え……」
 はっきり、きっぱりと『外面(そとづら)』と言われた。あまりの予想外の言葉に、ハオリュウはしばし呆然とする。
「『もしも』が来たら、あっさり死んじゃうの! でも、ハオリュウは、それでいいと思っているから、緋扇シュアンに頼めるんでしょ!? ――メイシアのことも、お(うち)のことも、未練にならないの!」
 拳を固く握りしめ、クーティエは言葉を叩きつける。
「だって、メイシアのことはルイフォンに託したし、曽祖父上にいろいろお願いしたって言っていた。私の父上にも、仕事のことを頼んだんでしょ!? そのくらい分かるわ! ――そして、仇の〈(ムスカ)〉は、ハオリュウの作戦のおかげで、もうすぐ捕まる!」
 クーティエの顔は上気し、肩で息をしていた。それでも、彼女は止まらない。
「皆にお願いしてあるから安心しちゃっている、ってのが、今のハオリュウの状態よ! だから、殺してくれなんて、ふざけたことが言えるの!」
 クーティエは、ハオリュウをまっすぐに見下ろした。
 涙に潤んだ瞳であるのに、蔑むように冷たい眼差しで……。
「そういうの、私、大っ嫌い!」
 クーティエは短く、そう言い放った。そして、嗚咽をこらえるかのように、ぐっと口を結ぶ。
 ――彼女の言うことは、正しかった。
 後顧の憂いをなくして、この会食に臨もうとしている。それは彼の立場からすれば必要なことで、糾弾されるようなことではないはずだ。
「嫌いと言われましても、私は貴族(シャトーア)の当主なんです。私にできる最善を尽くす責任があります。それをとやかく言われたくはありません」
 無意識に、『僕』から『私』に切り替わった。
 返した声は温度を欠いていて、ごく普通に話せば人当たりのよいはずの声質が、闇を宿す。
 クーティエの顔が、一瞬、ひるんだ。しかし彼女は、ぎゅっと拳に力を入れて叫ぶ。
「――けど! ハオリュウは当主である前に、ハオリュウっていう、ひとりの人なの! それを忘れちゃ駄目なの! もっと自分を大切にしてよ!」
「ですが、私は……」
「ハオリュウ!」
 反論しかけた彼を、彼女の声が鋭く遮った。
「――これを言うのは、ずるいと思う。でも、ハオリュウが、あんまりにもわからず屋だから……」
 彼女は、大きく息を吸い込む。瞳いっぱいに、涙をたたえて。
「ハオリュウのお父さんが、命を懸けて助けようとしたのは、『藤咲家の跡継ぎの嫡男』? それとも、『藤咲ハオリュウ』?」
 その問いかけは、まるで彼女の持つ刀。
 穢れなき銀の煌めきをまとう、直刀が如く。彼女の声は深く、まっすぐにハオリュウを貫いた。
「お父さんが大切にしていたのは、どっち?」
 言葉の上では、どこにも刃など隠されていない。けれど、ハオリュウは、はっきりと心臓に痛みを感じた。
 あるはずのない傷を押さえ、胸に手をやる。
 喉が、熱くなった。久しく、忘れていた感覚だった。
 強い痛みの感情が、体の外へとあふれ出そうになる。
 ――そのとき。
 思いつめたようなクーティエの声が聞こえた。
「……ごめん! ごめんなさい! ……言っちゃいけないことなのに!」
 クーティエが、わっと泣き崩れた。ぽろぽろと、涙がこぼれ落ちていく。
 光る雫に、ハオリュウの目は引き寄せられた。触れてもいないのに、彼女の涙の雨を浴びたかのように喉元の熱さは解かされ、それは穏やかな温かさとなって、体中に広がっていく。
 ああ、そうか――と、彼は思った。
 彼が外に出すべきものは、痛みの感情ではない。この傷をつけるために、まっすぐに、彼に斬り込んできてくれた彼女への――感謝だ。
 ハオリュウは、ソファーの(ふち)に手を掛け、はずみをつけるようにして立ち上がった。杖を使うべきだったかと途中で後悔しかけるが、必死に重心を移動させ、転倒を防ぐ。
「ハオリュウ!? 足! 足、痛くないの!?」
 突然のことに、クーティエの涙が吹き飛んだ。彼女は慌てて、彼の杖になるべく彼の腕を取り、自分の肩に回そうとする。
 しかし彼は、やんわりと断った。支えてもらっては格好がつかないのだ。
「クーティエ、ありがとう」 
「ハオリュウ?」
「……けど、ごめん。シュアンへの頼みは撤回しない。『もしも』のときに、僕が大切にしている人たちを傷つけるのは嫌だから。それは、『当主』としてではなくて、『藤咲ハオリュウ』の気持ちだよ。――認めてくれないかな?」
 本当は膝をかがめて、彼女の目線に合わせたい。けれど、不自由な足では叶わない。――この足が利かないことを、初めて悔やんだかもしれない。
「う、うん! それでいい!」
 腫れた目で、クーティエが可憐に笑う。
「カイウォル殿下と――、『藤咲ハオリュウ』の戦いをしてくるよ」
 ハオリュウは、好戦的な腹黒い笑みを浮かべる。
 その表情に、クーティエは嬉しそうに頷いた。
「舞を贈るわ。武運を祈る舞よ」
 彼女はハオリュウを座らせ、くるりと背を向けた。その拍子に髪が流れ、リボンが光沢を放つ。
「さっきから気になっていたんだけど、その髪飾りは……」
「気づいてくれたの?」
 クーティエが再び振り返り、ぱっと顔を輝かせた。泣いたり、怒ったり、笑ったり。目まぐるしく変わる表情はどれも可愛らしいが、今の顔は格別だった。
「藤咲の絹――だね?」
「うん。ハオリュウが初めてうちに来たとき言ったでしょ? 『小物でいいから、庶民向けの商品を作ってほしい』って。だから私、祖母上に協力してもらって試作品を作ったの」
 土台となる髪留めに、シルクサテンのリボンを巻きつけ、長く垂らしたシンプルな髪飾りだ。けれど、着用者に合わせて揺れる(さま)は、独特の光沢と滑らかな布の動きが相まって、実に優美だった。
「友達に見せたら、『ちょっと高くても、特別な日のとっておきに、是非、欲しい』って」
「そうか。……嬉しいな」
 ハオリュウは笑う。――心から。
 誰かに託すのではなく、自分の目でこの先を見守りたい……。
 絹と戯れる舞姫の姿を目に焼き付けながら、彼はそう願った。


「お召し替えが終わりましたよ」
 ご機嫌なユイランの声が響き、皆が待っていた広間の扉が開かれた。すっかり装いを整えたハオリュウが、車椅子に乗って現れる。
 普段はスーツ姿の多いハオリュウが、襟の高い伝統的な形式の上着に身を包んでいた。髪型は大きく変わっていないのに、どことなくさっぱりとしている。ユイランと仲の良い美容師が応援に来てくれたらしい。全体的に、大人びた雰囲気に仕上がっていた。
「ハオリュウ、格好いい……」
 クーティエが、皆を代表して感嘆の声を漏らす。
「個人的な会食とお聞きしたので、堅苦しすぎる正装はかえって失礼かと思ったのよ。だから、襟の高さと胸元のデザインに遊び心を加えて、やや略式に仕上げたの」
 ユイランが自慢気に解説する。ただ残念なことに、それを理解できたのは、この場にいる者のうちのごく一部のみであった。
「……で。…………あいつ……誰だ?」
 ルイフォンが、隣にいたリュイセンをつつき、目配せで言葉をかわした。
「あいつ……、……しかないだろ」
「……だよな」
 ふたりの視線の先は、ハオリュウの後ろ。車椅子を押してきた人物だ。
「ふふっ、緋扇さんよ。素敵でしょう!」
 ユイランが夢見る乙女のように目を輝かせ、うっとりと手を合わせた。
 いい歳した母のそんな姿に、リュイセンは思い切り顔をしかめたが、彼女の態度には納得せざるを得ない。――そのくらい、別人に仕上がっていた。
 ぼさぼさだった髪は、整髪料で綺麗に撫でつけられ、オールバックに整えられていた。それだけで生真面目な人物に早変わりするのだが、運転手を兼ねていることを意識した服装が拍車をかける。
 ハオリュウとは違い、こちらは正装であるらしく、高い襟の一番上までかっちりと留められたボタンが礼儀正しさを醸し出していた。三白眼の凶相は、運転手が好んで身につけるような薄い色の眼鏡で印象を和らげてある。余計な詮索を避けるためにか、拳銃を握る手にできるグリップだこは、白い手袋によって隠されていた。
 不審がられず、軽んじられず。言うなれば『目つきの悪いチンピラ』が、『眼光の鋭い切れ者』に見事に化けていた。
「失礼だけど、いつもの緋扇さんだと、貴族(シャトーア)の介助者としては、ちょっと……だったのよね」
 ユイランは、いつの間にか現れていた友人だという美容師と頷き合う。長い付き合いらしいふたりは、見事なシュアンの出来栄えに、互いを称え合っていた。
 彼女たちが面白がって楽しんでいたことは、シュアンの仏頂面が物語っていた。


 そして――。
 ルイフォン、リュイセン、ハオリュウ、シュアンの四人が、車に乗り込む。
 いよいよ、作戦開始である。

2.権謀の館

2.権謀の館

「もうすぐ、庭園の門が見えます。ここから先は会話を控えましょう。あとは、計画通りにお願いします。……お気をつけて」
 車の後部座席に座ったハオリュウが、険しくも力強い声でそう言った。いよいよだという意気込みが伝わってくる。
「任せろ。お前も、気をつけろよ」
 ルイフォンは、座席の下に作られた隠し空間から、くぐもった声で答えた。
 こちらも気合い充分なのだが、狭い場所であるため音が籠もった。文句を言うつもりはないが、大柄なリュイセンと密着せざるを得ない、窮屈な状態である。蒸し暑くないようにと、しっかり効かせてくれた空調がありがたかった。
 道すがら、目印があるごとにハオリュウが位置を教えてくれていたので、そろそろだとは思っていた。それでも、はっきり告げられると、さすがに鼓動が早まる。
 その気配を察したのだろう。リュイセンが「やっとだな」と頼もしげに囁いた。鷹刀一族特有の、低く魅惑的な声がいつもよりも穏やかに響き、安心感を(いざな)う。
「ああ、そうだな」
 多少の虚勢が混ざりつつも、ルイフォンは口角を上げ、好戦的に笑った。
 ほどなくして、車は音もなく停車した。
 ハオリュウと門衛と思しき者の声が、幾つかのやり取りを交わしたあと、門扉の開く音がして車が再び動き出す。
 数週間もの間、門を抜ける方法を模索していたのが嘘のように、車はあっけなく庭園内への潜入を果たした。


 舗装された道のせいか、緋扇シュアンの運転が意外にうまいのか。傾斜の重力を感じつつも、たいした揺れを感じることなく、車は滑らかに走っていった。
 やがて、緩やかにブレーキが掛かる。ルイフォンたちからは見えないが、館の正面玄関に着いたのだろう。ここからが緊張の時間だった。
 貴族(シャトーア)の当主であるハオリュウは、ここで降りる。介助者であるシュアンも、当然、ここから付き添う。
 そして。
 残された車は、エンジンはそのままに摂政側の人間に鍵を預け、車庫に移してもらうことになっているのだ。そのとき、ルイフォンたちが隠れていることがばれたら、ハオリュウ共々、絶体絶命に陥る――。
「……」
 ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。
 前方の扉が開き、シュアンが出ていく気配。トランクが開けられ、車椅子が降ろされる振動。後部ドアから、ハオリュウが出ていく物音……。
 車の外に、複数の人間がいるのを感じた。歓迎の言葉と共に、彼らはハオリュウを案内しながら消えていく。
 残った気配は、ひとつ。
 車が揺れ、運転席に人が乗り込んだのが分かった。シュアンよりも手荒な運転で、車が動き出す。
 ルイフォンとリュイセンは、じっと息を潜めた。
 あらかじめ入手しておいた庭園の見取り図によれば、車庫は館の半地下だ。使用人たちの出入り口を兼ねた造りで、そこから直接、建物内に入れる。この館は、もともと過去の王が療養するために作らせたものであるから、食材を始めとする物資を車で運び込みやすいようにできていた。
 時間にして、ほんの数分。これを乗り切れば、ひと安心なのだが、ふたりにとっては永遠にも近い長さだった。

 ――――……。

 運転していた人物の足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。周りの気配を探っていたリュイセンが、指先でちょいちょいとルイフォンをつつく。車庫には誰もいない、ということだ。
 ルイフォンは、安堵の息をついた。
 座席下の隠し空間から這い出し、運転席の影に身を潜めながら携帯端末を操作する。まずは車庫の監視カメラをダミー映像に切り替えるのだ。前もって準備してあったので、半地下の薄明かりの中でも作業に支障はなかった。
「リュイセン、車から出るぞ」
 狭い空間からの解放感を味わっている暇もなく、すぐに移動だ。
 カメラを無効化しても、直接、誰かに出くわしてしまったら元も子もない。車庫で見つかれば、間違いなくハオリュウとの関係を疑われるだろう。一刻も早く、この場を離れる必要があった。異母弟を心配しているメイシアのためにも、ハオリュウに害が及ぶことは絶対に避けねばならぬのだ。
 出発前、メイシアはいっさいの不安を口にしなかった。
 ただ彼のそばに寄り添い、彼と目が合うと澄んだ眼差しで微笑んでくれた。それから、ほんの少しだけ彼の肩に頭を預け、そっと指先を絡める。
 そして、柔らかに告げるのだ。
『信じているから』――と。
 以前、彼女の父親を救出するために、ルイフォンは斑目一族の別荘に潜入した。あのときの彼女は、今にも泣き出しそうな顔で彼を見送った。後ろ髪を引かれる思いで屋敷をあとにしたのだが、現在の彼女は違う。
 彼女が、心細くないわけがない。本当は彼だって、失敗を恐れている。
 でも、彼女が笑ってくれるから、彼も強気で笑い返せる――。
「メイシアのことを思い出していたか?」
 不意に、リュイセンの声が響いた。
「え?」
「顔が、だらしないぞ」
「……すまん」
 ルイフォンは、自分の顔をぴしりと叩いて引き締める。
「まぁ、緊張で張り詰めているよりはいいさ。今日は、長丁場だからな」
 苦笑混じりに、そんな言葉が漏らされた。リュイセンこそ焦れる気持ちでいっぱいだろうに、泰然といえる笑みだった。
 リュイセンは変わったな、とルイフォンは思う。どこが、というほどには大きな変化ではないが、雰囲気に余裕ができた気がする。
「そうだな。今日は、長い」
 ルイフォンもまた、大きく構えることにする。
 夜まで待ってからの、作戦開始だ。
 寝込みを襲う形で、ほぼ一撃で〈(ムスカ)〉を昏倒させ、睡眠薬を投与する。それから、タオロンの協力をあおぎ、車を使って〈(ムスカ)〉の身柄を運び出す。ハオリュウとも、鷹刀一族とも関係なく、〈(ムスカ)〉が自分から庭園を逃げ出したふうを装うのだ――。


 ルイフォンとリュイセンは、速やかに車を降りた。
 不用意に車のロックを解除して、セキュリティアラームを鳴らしてしまう、などというヘマはしない。そんなものは事前に対策済みだ。
 ルイフォンがスペアキーで再び車を施錠している間に、リュイセンは車庫と館内部を隔てる扉に耳を当て、向こうの廊下の気配を探る。
(ムスカ)〉捕獲作戦の実行に移るまでの間は、〈(ムスカ)〉の居室にほど近い倉庫で待機する手はずだ。
 私兵たちが煩わしいのか、〈(ムスカ)〉は、ひとり離れた部屋を使っていた。あるいは、単に偉ぶりたかっただけかもしれない。何しろその部屋は、この館のかつての(あるじ)である国王が使っていた部屋なのだから。
(ムスカ)〉は、寝るためだけにその部屋を使い、日中は監視カメラのない場所に消える。初めは何故、姿が見えなくなるのかと疑問だったが、入手した見取り図と監視カメラから得られる情報を照合して納得した。
 どうやら、〈(ムスカ)〉がこの館に移り住むにあたり、増築された部屋が――研究室が、地下にあるらしいのだ。あとから作られた場所であるために、監視カメラが設置されていないのだろう。存在しないはずの階段を降りていく白衣姿の〈(ムスカ)〉がカメラに映ったので、おそらく間違いない。
 ともかく、昼間は私兵も〈(ムスカ)〉も館の中心部にいるのだが、夜になれば私兵は館の隅にある使用人の部屋に入り、〈(ムスカ)〉は王の部屋で眠る。
 近衛隊に守られた庭園内であるためか、〈(ムスカ)〉には護衛をつけるという発想はないらしい。夜中は、完全にひとりきりだ。ルイフォンたちにとっては、非常に都合の良い状態になる。
 だから、〈(ムスカ)〉の居室の近くの倉庫に潜み、夜を――好機の訪れを待つ。
 しかし、その前に――。
「まずは、ハオリュウだな」
 ルイフォンが呟いたとき、リュイセンが手招きをしてきた。
「ルイフォン、大丈夫だ。このあたりに人はいない」
 想像していた通り、館内は恐ろしく閑散としているようだ。
 療養用の小ぢんまりとした館とはいえ、もと国王が使っていたほどの建物に、一個人の〈(ムスカ)〉が(かくま)われているのだから当然といえよう。今日は摂政たち一行もいるわけだが、車庫のあるこの区画は、会食を開くようなきらびやかな空間とは離れている。
「よし、行くぞ!」
 ふたりは意気揚々と車庫を出て、そのまま待機場所の倉庫に……は、行かなかった。彼らが向かったのは、車庫の近くの空き部屋だ。
 最終的な目的地は倉庫だが、館の端にある車庫からは遠いのだ。
 それで、とりあえず近場の安全な場所に落ち着き、まずはカメラでハオリュウの現状を確認する。摂政カイウォルは、明らかに胡散臭い。メイシアに限らず、ルイフォンだって心配なのだ。
 それに、この寄り道は無駄でもない。倉庫までの長い移動中、誰かに遭遇しないとも限らない。〈(ムスカ)〉の私兵たちは、摂政がいる間は部屋にいるように言い渡されているらしいので無視できるが、館中のカメラをチェックして、摂政側の動きを把握しておくことは重要だ。
 ルイフォンは空き部屋の前に立つと、懐から一枚のカードを出した。偽造カードキー――それも、すべての扉を開けられる特別仕様である。
 この館の部屋という部屋は、すべて電子式の鍵が使われていた。すなわち、ルイフォンの前には、扉など存在しないも同然。さっと解錠して、中へと入る。
「場合によったら、ハオリュウを援護してやらないとな」
 猫のような目を細め、ルイフォンはにやりと不敵に笑う。
「おいおい、何を企んでいるんだ?」
 ルイフォンに続いて空き部屋に入ってきたリュイセンが、軽く突っ込む。
「ユイランに頼んで、ハオリュウの服のボタンに、マイクとカメラを仕込ませてもらった。他にもいろいろ小細工したし、監視カメラで追えない場所に行っても、あいつを見守れる。ついでに、この館の見取り図も完璧なものになる」
「ハオリュウは動く情報端末かよ」
「そんなところだ。――万が一、あいつに危険が迫ったら、この館を停電させる。それから、配線をいじれば小火(ぼや)くらい起こせるはずだ。お前は非常ベルを押してくれ。混乱に乗じて助けに行く」
「まったく、お前は頼もしい義兄貴(あにき)だな」
 リュイセンがそう言って苦笑すると、ルイフォンは、ほんの少しだけ真顔になって、やがて喉でも鳴らしそうなほどにご機嫌な顔になった。ハオリュウが『義兄(あに)』と言おうとしてくれたことを思い出したのだ。
「ああ、可愛い義弟(おとうと)だからな」
 ルイフォンは、にやけながら埃まみれの床に座り込み、携帯端末を操作してハオリュウに仕掛けたカメラの映像を出す。
 その瞬間、ルイフォンは息を呑み、目を見開いた。
 ルイフォンの異変を不審に思ったリュイセンも端末を覗き込み、声を失う。

 ハオリュウの目の前に、〈(ムスカ)〉がいた……。

3.揺り籠にまどろむ螺旋-1

3.揺り籠にまどろむ螺旋-1

 時は、少し遡る――。


「ハオリュウ君。折り入って、君に相談したいことがあるのです」
 ひと通りの挨拶を済ませたあと、摂政カイウォルは人当たりのよい笑顔で切り出した。
 黒髪でありながらも、燦然と輝く太陽を彷彿させるような、まばゆいばかりの美貌。物腰は柔らか、というよりも雅びやかであり、髪の毛の一本一本から足の爪の先までもが、香り立つような気品をまとっている。
 それでいて、為政者ならではの威厳をも兼ね備えており、彼という人間の風格は、見る者に強烈な畏敬の念を(いだ)かせる。
『太陽を中心に星々が引き合い、銀河を形作るように。カイウォル殿下を軸に人々が寄り合い、世界が回る』――そんな妄言も、あるいはと信じてしまう輩がいるのも否めない。
 王族(フェイラ)という選民意識が強く、母親を平民(バイスア)に持つハオリュウのことは、今まで歯牙にもかけなかった。故に、ハオリュウの個人的な感情は最悪に近い。
 一方で、国の担い手としては、掴みどころがないといわれる女王の婚約者ヤンイェンよりも、よほど適任であることはハオリュウも認めている。カイウォルとヤンイェンの、どちらかを王に選ばなければならないとしたら、ハオリュウは間違いなくカイウォルを選ぶ。
 ――勿論、藤咲家の利益が保証された上でのことであるが……。
 ただ、間違えてはならないのは、ふたりのうちのどちらかが王になる――というわけではないことだ。
 王はあくまでも〈神の御子〉。
 輝く白金の髪と、澄んだ青灰色の瞳を有する、神の代理人でなくてはならない――。
「食事の前に、その話をしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、勿論。……ああ、いえ、私のような若輩者が殿下のお役に立てるとは、毛頭思ってもおりませんが、お話をお聞かせくださること、恐悦至極に存じます」
 車椅子の上からであるが、ハオリュウは深々と(こうべ)を下げ、見事な社交辞令で返した。
 はきはきと答えながらも、窺うような声の震えをほんのり織り交ぜることによって、自分が相手の優位を認めていることを示す。今はまだ、正面から戦う必要はない。
 そんなハオリュウの内心を理解しているのか、いないのか。カイウォルは、にこやかなまま続けた。
「まずは、見ていただきたいものがあります。そのほうが話が早いと思いますから。――案内の者を呼びましょう」
 そう言って、彼らのいる応接室の扉を振り返り、カイウォルは両手を打ち鳴らした。
「!?」
 カイウォルは、『案内』と言った。ここから移動するのだ。
 つまり、その場所から動かすことのできない『何か』が、この館のどこかにあるということだ。ならば、それこそが、ハオリュウがこの館に呼ばれた理由……。
 ハオリュウの顔が緊張に彩られたのとほぼ同時に、緩やかに扉が開き、(こうべ)を垂れた長身が現れる。
 背後に広がる黒い廊下に、白い白衣が映える。
 ハオリュウは、もしや……、と思った。
 ごくりと唾を呑む。心臓が激しく打ち鳴らされる。そして、その人物が顔を上げた瞬間、凍りついた。
 鷹刀一族次期総帥、鷹刀エルファンと瓜二つ――けれど、彼ではない。それが分かるくらいには違う。
「紹介しましょう。彼は、優秀な医師であり、王族(フェイラ)直属の研究組織〈七つの大罪〉の研究員。組織内での呼び名を〈(ムスカ)〉と申す者です」

 刹那、ハオリュウの全身が総毛立った。

 父の最期の姿が、脳裏に蘇る。
 記憶を別人に書き換えられた父が、死の間際、奇跡的に戻ってきた。
 彼は、誘拐されたハオリュウの無事に涙を流し、そして笑って……。
 ハオリュウの瞳が漆黒に染まる。この場がどこであるかを忘れる。
 ――仇だ。
 目の前にいるのは、憎き父の仇だ……。
 そのとき、ハオリュウの首筋に、ぴくっと衝撃が走った。
「!?」
 初めは、何が起きたか分からなかった。だが首筋に、ぴくぴくと繰り返される衝撃に、ハオリュウは、はっとする。
 ――ルイフォン!
 ユイランの仕立てた服には、細工がしてあると言っていた。そう思って感覚を研ぎ澄ませれば、襟の裏がわずかに振動しているのが分かる。
 彼が見ている。彼が見守ってくれている。
 今は、〈(ムスカ)〉に動揺している場合じゃないだろ。――そんな声が聞こえてくる。
 そうだ。彼の言う通りだ。
 乱れた感情を整え、ハオリュウは背後のシュアンの様子を探る。あいにく、気配を読むような特技は持ち合わせていないのだが、それでも同じ思いを(いだ)いているシュアンが平静を失っているのを感じた。
 ハオリュウは姿勢を正すふりをして、車椅子の肘掛けに置いていた腕を後ろに打ちつけた。
 喝を入れる。ハオリュウ自身への戒めと共に。
 感触からしてシュアンの腰骨に肘が当たった。案の定、驚きを含んだ短い息遣いが、後ろから聞こえてくる。――もう、大丈夫だ。
「……〈七つの大罪〉ですか?」
 ハオリュウは眉根を寄せて、カイウォルに尋ねた。
 その名が穏やかならざるものであることは、ある程度の情報を得られる者なら皆、知っている。ハオリュウの言動は、彼の立場としてごく自然なものだ。
 だが……、とハオリュウは戸惑う。
 カイウォルは、〈七つの大罪〉が王族(フェイラ)の直属だと言い切った。それは、極秘事項であるはずだ。何故こうもあっさり、ハオリュウに明かすのか……。
「世間では、『闇の研究組織』などと呼ばれているようですが、あれは真っ赤な嘘です。確かに、公にしていない研究もありますので、噂に尾ひれがつくのは仕方ないでしょう。しかし、王家にとって必要なものなのです」
 恥じ入ることなど何もないと主張するかのように、カイウォルは声を張らせる。
「すべては、これからお連れする場所で、納得いただけるでしょう」
 自信ありげに、そう告げた。


 ハオリュウが案内されたのは、地下へと続く階段だった。
 研究室があるに違いないと、ルイフォンが目星をつけていた場所である。
「殿下。こちらにはエレベーターはございませんが、いかがいたしましょう」
 ちらりと、〈(ムスカ)〉がハオリュウの車椅子に目線を送る。面倒なことだ、との色合いが見て取れた。
 この怪我の遠因が自分にあることを、〈(ムスカ)〉は知っているのだろうか。ハオリュウはそう思い、〈(ムスカ)〉のすました顔に、むっと鼻に皺を寄せる。
 互いに初対面であるが、罠にはめた貴族(シャトーア)が『藤咲』という名であったことを〈(ムスカ)〉は知っているはずだ。ならば、分かっているであろう。――ハオリュウに恨まれていることも。
 しかしハオリュウは、すぐに表情を戻した。
 この足は、ハオリュウの敗北の証だ。愚かさを、浅はかさを恥じるべきは、こちらのほうだ。
 だから。

 今度は、貴様の息の根を止める――。

 心の中で宣告し、ハオリュウはにこやかな笑みを浮かべた。
「心配には及びません。こんなときのための彼ですから」
 そう言いながら背後を振り返ると、敬愛する主人に仕える従者が如く、シュアンが腰から綺麗に一礼し、ハオリュウを抱き上げた。
 まだ子供とはいえ、背の伸びたハオリュウの体が軽々と浮かんだ。中肉中背で、どちらかというと貧相に見える風体だが、現役の警察隊員であるシュアンは常人よりも遥かに鍛えているのだ。
 ハオリュウの視界が広がる。憎き仇の顔が近くなる。
 激しくたぎる血流――その源となる鼓動の高鳴りは、おそらくシュアンに丸聞こえだろう。
 だが、そのシュアンの胸からだって、渦巻く怒りの脈動が轟いている。
 ふたつの響きは重なり、共鳴する。
 ふたりの瞳は、自然と〈(ムスカ)〉に向けられた。
 高温すぎる星の光が凍れる青白さを持つように、熱く冷たい、ふたつの視線が〈(ムスカ)〉を射抜く。
「!」
 ほんの一瞬であるが、見えない弾丸で撃ち抜かれた痕跡が、〈(ムスカ)〉の表情(かお)に現れた。
 ――ふたりが放ったのは、明確な殺意。
 鷹刀一族の出身である〈(ムスカ)〉が、気づかないはずがない。
 そして、荒事に慣れているはずの〈(ムスカ)〉に、刹那とはいえ、動揺を与えた。
 今は、これでいい。
 ハオリュウは意識を切り替え、シュアンと無言の呼吸を交わして先に進む。
 カイウォルの手前、これ以上、〈(ムスカ)〉と関わるべきではない。足が悪いことを侮辱されて憤慨しただけだと、説明できる範囲内で手を引く。
 とはいえ――。
 ハオリュウは優雅に後ろを振り返り、まるきり悪意の感じられない声を響かせた。
「そこの研究員の方。私の車椅子を階下まで運んでください」
 ハオリュウは貴族(シャトーア)だ。このくらい当然である。


 そんな不協和音を奏でつつ、一行は地下通路を行き、最奥の部屋の前にたどり着いた。
「こちらでございます」
(ムスカ)〉がそう言い、(こうべ)を垂れる。
 カイウォルは鷹揚に頷き、楽しげにハオリュウを振り返った。
「私も、実物を見るのは初めてなのです」
 そして、早く中へと〈(ムスカ)〉を促すが、〈(ムスカ)〉はシュアンを見やり遠慮がちに口を開く。
「殿下。ここから先は、お付きの者は……」
「構いません。彼は、ハオリュウ君の最も信頼する腹心の部下です。ここで締め出しても、あとで話がいくだけでしょう。無駄なことです」
 カイウォルは流し目で、くすりと笑う。お見通しだと言わんばかりに。
 ハオリュウは特に否定しなかった。するだけの意味がなかった。
「殿下がそうおっしゃるのなら……」
(ムスカ)〉は気乗りしない様子で扉を開く。
 室内に足を踏み入れると、かすかな薬品の匂いが広がった。
 黒い台の上に、さまざまな薬瓶、試験管やシャーレ、顕微鏡……。その他、ハオリュウにはよく分からない機械類が整然と並んでいる。
 地下ではあるが、照明は明るい。床はぴかぴかに磨き上げられ、清潔感にあふれている。もっと禍々しいものを想像していたハオリュウは、軽い困惑に陥った。
 しかし、〈(ムスカ)〉が奥から運んできた硝子ケースを見た瞬間、瞠目した。
「――!」
 ハオリュウの隣で、カイウォルが満面の笑みを浮かべる。感嘆とも、愉悦とも、あるいは興奮ともいえる声を漏らす。
「ああ……、ちゃんとできていたのですね」
 硝子ケースの中は培養液で満たされ、ゆらりゆらりと揺り籠に揺られるように赤子が漂っていた。赤子と呼ぶには少々、未熟な姿であるから、胎児といったほうが正しいのかもしれない。
 ふわりとたなびく髪は、まだ産毛ではあるものの、きらきらと光を弾き……。
 ――白金に輝く。
 カイウォルが満足そうに頷き、低く嗤う。
 ちょうど、そのとき。
 赤子が瞬きをした。
 垣間見えた瞳の色は、澄んだ青灰色…………!
 ハオリュウの体が、雷に打たれたかのように震えた。車椅子に座っていなければ、足をよろめかせて倒れ込んでいたかもしれない。
 カイウォルの典雅な指先が、硝子ケースを指し示し、ハオリュウに紹介する。
「彼の名前は、『ライシェン』」


「『ライシェン』!?」
 食い入るように、携帯端末を覗き込んでいたルイフォンは叫んだ。
 隣にいるリュイセンも、ルイフォンと押し合うようにして、画面を見つめる。
 映し出されているのは、ハオリュウの服に取り付けたカメラからの映像だ。監視カメラのない、地下の研究室からの情報である。
「『ライシェン』って、斑目の別荘で会った〈天使〉の女が、お前に向かって言っていた名前だよな? たぶん、セレイエの〈影〉だった女……」
 リュイセンの問いに、ルイフォンは黙って頷いた。驚愕に、声がうまく出なかったのだ。
 だが、衝撃はそれだけではなかった。
 摂政カイウォルは、次のように続けた。

『この〈(ムスカ)〉が作った――次代の王です』

3.揺り籠にまどろむ螺旋-2

3.揺り籠にまどろむ螺旋-2

 ハオリュウは身じろぎもできず、硝子ケースを凝視していた。
 片や赤子のほうは、彼の刺すような視線などお構いなしに、ゆらりゆらりと培養液の中を優雅に漂う……。
 胎児と思しき赤子が硝子ケースの中にいる。それだけで、尋常な事態ではあり得ない。更には、赤子の髪の色は、毛の一本一本に光を溶かし込んだかのような、輝く白金。瞬きの瞬間に覗いた瞳は、澄んだ青灰色。――まるで、〈神の御子〉のような。
 否。摂政であるカイウォルは、こう言った。
『次代の王』と。
 この国の王は、〈神の御子〉でなくてはならない。それが決まりだ。そして、この赤子を『次代の王』と呼ぶからには、彼は〈神の御子〉なのだ。
 だが、次の王は、これから女王が結婚し、子を()すことで生まれるはずだ。そのために、彼女は十五歳という若さで(とお)以上も年上の従兄と婚約し、ハオリュウの藤咲家に婚礼衣装を作らせているのだから。
「殿下、これはいったい……」
 かすれる声で、ハオリュウは呟いた。
 声を出したことで、衝撃の呪縛が解けたのだろうか。固まっていた体が動きを取り戻す。ハオリュウは、まだぎこちない両腕で自身を抱えた。そうでもしないと、全身が震えだしそうだった。
 その一方で、彼の聡明な頭脳は、滑らかに回転を始めていた。
 少し前に、ハオリュウは婚礼衣装担当家の当主として、女王に謁見した。
 婚約のお祝いを述べた彼に、彼女は浮かない顔を返しただけであった。君主の態度として如何(いかが)なものかとは思ったが、彼女の気持ちからすれば、結婚など牢獄に繋がれるようなものであろう。
 誰も女王個人の幸せなど願っていない。女王に求められているのは、彼女が〈神の御子〉を――それも男子を産むことだけだ。
 そして、男の〈神の御子〉が生まれた瞬間に、彼女は王位を追われる。無力な赤子に玉座を譲り渡し、『仮初めの王』である女王は役目を終える。
 非道であろう。
 だが、それがこの国の決まりなのだ。真の王のいない時代に生まれてしまった、〈神の御子〉の女性の宿命だ。王族(フェイラ)に限らず上流階級と呼ばれる世界は、多かれ少なかれ、そんなどうしようもない規則で組み上がっている。
 だからこそ、ハオリュウは、彼が婚礼衣装を手配している『もうひとりの花嫁』――最愛の異母姉メイシアを『殺した』。貴族(シャトーア)に生まれた彼女の運命を断ち切り、異母姉が望んだ相手であるルイフォンのもとへ送り出すために。
 異母姉の幸せそうな顔を見れば、自分の判断は正しかったと胸を張れる。また、女王には同情の余地があると思う。祝いの口上に対して、なんの言葉も(たまわ)れなかったのも仕方ないと諦めもつく。無論、そんな王を戴くこの国の未来には、暗雲しか感じられないが……。
「……」
 ハオリュウは、改めて硝子ケースの赤子を見た。
 結婚したからといって、〈神の御子〉を授かるとは限らない。現に、先王は十数人ほどの子供を得たのちに、やっと〈神の御子〉である子供――現女王に恵まれた。幾人もの妾がいた王でさえそうなのだから、自分で子を産まなければならない女王の負担は計り知れない。
 なるほど、とハオリュウは思った。
 父王のように長い年月を苦しむくらいなら、初めから人工的に〈神の御子〉を作ってしまえばよい。――女王はそう考えたのだ。
 なんの前触れもなく赤子と引き合わされたために驚愕したが、よくよく考えてみれば理に適っている。倫理的に疑問に思わなければ、実に合理的だ。
「ああ……」
 ――そうか。そういうことか……。
 ハオリュウはあることに気づき、思わず得心の声を漏らした。それを聞いたカイウォルの顔が好奇の色に揺れる。
「どうされましたか?」
 言外の圧を持つ為政者の目線が、説明を促す。
 どう答えたものか、ハオリュウはわずかに逡巡した。――が、すぐに決断を下す。
 カイウォルが、どんな話を持ちかけてくるつもりなのかは不明だが、王家の最高機密ともいえる赤子を見せた以上、ハオリュウを巻き込む気は満々なのだ。ならば、何も気づかぬ愚鈍を演じるよりも、簡単にあしらわれるつもりはないと釘を刺しておいたほうがいい。
「殿下が、『〈七つの大罪〉は、王家にとって必要』とおっしゃったことに納得したのです」
「ああ、そうですか。それは良いことです」
 にこやかに、カイウォルが笑う。
 その笑顔を見ながら、ハオリュウは、更に一歩踏み込む。
「〈七つの大罪〉は王の要請に従い、〈神の御子〉を提供する。そうして、これまでずっと、王家が途絶えぬよう支えてきた。……そういうことですね」
 人工的な〈神の御子〉は、何も今回に限ったことではないのだ。カイウォルが〈七つの大罪〉を『必要』と言ったことが、それを裏付けている。
〈神の御子〉は、簡単には生まれない。王家は、今までに何度も存亡の危機に直面し、その都度、〈七つの大罪〉に救われてきたのだろう。先王だって、女王が生まれなければ、最後の手段として〈七つの大罪〉を頼ったに違いない。
 カイウォルから感嘆の息が漏れた。
「ハオリュウ君……。素晴らしいですね、君は」
 常に雅びやかな微笑みで自らを飾り立て、(はら)(うち)を読ませないカイウォルだが、その言葉だけは心からの称賛だと分かった。何故なら、普段とはまったく違う、禍々しく歪んだ笑みを浮かべていたからだ。
「君の言う通りです」
 カイウォルは、硝子ケースに冷ややかな眼差しを送る。
「王家に、どうしても〈神の御子〉が生まれない場合……、〈七つの大罪〉が過去の王のクローン体を作ることで王家を存続させる。これが、この国の統治者の正体です」
 どこか深い憤りを感じさせる暗い響きだった。
 カイウォルは〈(ムスカ)〉に命じ、椅子を用意させた。どうやら、長い話になりそうだった。


「この赤子を見て、君は女王陛下を卑怯と思ったでしょう」
 カイウォルは〈(ムスカ)〉に椅子を引かせて座り、ハオリュウの顔を覗き込んだ。
 車椅子のハオリュウと同じ座位になったことで、カイウォルの目線が近くなった。高さが違えば、軽く目を伏せることで表情を隠せたのだが、これではそうもいかなかった。
「いえ。……私などには、重責を負われた女王陛下の辛いお気持ちは、とても理解できません。なんと申し上げたらよいのか戸惑うばかりです」
 無難に言葉を濁すハオリュウに、カイウォルは緩やかに首を振る。
「そうですね。卑怯というのは適切でなかったかもしれません。ですが、少なくとも良い印象は(いだ)かれなかったでしょう」
 そっと寄り添うように、カイウォルは囁く。
 相手に向かって斬り込み、ねじ伏せるような鋭さではない。その逆で、相手を自分のほうへと引き寄せ、いつの間にかひれ伏させている……。
 ――それが、彼の持つ特性だ。同調の言葉が心の距離を近づけ、些細な共感から絆が生まれると知っているのだ。
 カイウォルの場合、正しくは『絆』ではなく、彼に向けられる『重力』だろう。彼の声を至近距離で耳にした者が、一方的に心惹かれていくのだ。『カイウォル殿下を中心に世界が回る』といわれるのも無理はないと、ハオリュウは思う。
 人の心を操るのが巧い……。
 ハオリュウは、カイウォルの雰囲気に呑まれぬよう、気を引き締めた。そして、父親譲りの人畜無害に見える穏やかな顔と声で「いえ。滅相もございません」と頭を下げる。
 カイウォルのほうも、ハオリュウからの肯定の返事など期待していなかったのだろう。気にした素振りも見せず、ふと顔を上へと向けた。
 そこにあるのは研究室の天井。しかし、彼が見ているのは、神話に謳われし神であった。
「本来なら、〈神の御子〉は天空神より授かりしもの。〈七つの大罪〉にクローン体を作らせることは、天の(ことわり)に反します。――女王陛下は、ヤンイェンとの間に〈神の御子〉をもうける努力をすべきでしょう。ふたりには、共に濃い神の血が流れているのですから……」
「……」
 ハオリュウは押し黙った。
 天から授かるのが正道と言いながら、作られた赤子が目の前にいるのだ。カイウォルの真意がどこにあるのか、さっぱり分からない。
 カイウォルの言う通り、女王の婚約者ヤンイェンは、濃い神の血を引いている。
 彼の母親が〈神の御子〉なのだ。
 もと王女であり、先王の姉。もし、弟が生まれなければ、女王として立っていた人物である。
 従兄のヤンイェン以上に、女王の夫にふさわしい者はいない。このふたりの間になら、必ずや〈神の御子〉が授かるだろうと、国中が期待している。
 ハオリュウだって、何も初めから邪道に逃げなくともよかろうと思う。だが、カイウォルの(はら)は違うらしい。
 いったいカイウォルは、どこに話を持っていくつもりなのか。
 ハオリュウは身構えるが、カイウォルは変わらずに天を仰いでいる。
 燦然と輝く美貌は、人の持つものとは思えぬほどに神々しい。もしも、彼の髪が白金で、瞳が青灰色であったなら、彼こそが天空神の化身といえただろう。
 だが、神の色を持たぬ彼は〈神の御子〉ではなく、したがって王位継承権もない……。
 やがて、カイウォルはゆっくりと視線を下げた。
 その顔は、天に向かって神を口にしていたときとは、まるで別人だった。地に広がる俗世を渡る『人』の顔をしていた。
「ハオリュウ君。話は変わりますが、女王陛下には私を含め十数人もの兄や姉がいます。――それは、先王陛下が頑として〈七つの大罪〉の手を拒み続けたことを意味します。……何故だか分かりますか?」
「!?」
 予想外の展開と質問に、ハオリュウは目を瞬かせる。そんなことを訊かれても困る、としか言いようがない。
 しかし、相手は目上の摂政だ。無言でいるわけにもいかない。それに、自分が打てば響く人間であることをカイウォルには示しておきたかった。
「先王陛下は、天の(ことわり)を大切にされていた――ということでしょうか」
 ハオリュウの答えに、カイウォルはふっと口元を緩ませる。
「なかなか巧妙な答えですね。面白くはありませんが、堅実です。完全に間違いとは言い切れませんし……。けれど――『足りない』ですね」
 故人とはいえ、先王に失礼がないように配慮した、玉虫色の答えなのだから当然だ。
 そんなことはカイウォルも承知しているだろう。そもそも、ハオリュウを試していたようなものなのだから。
「完璧な答えはこうです」
 カイウォルは歪んだ笑みを見せた。
「先王陛下は、先々王陛下が作らせた『過去の王のクローン』だったから、です」
「っ!?」
「先々王陛下には〈神の御子〉の王女――ヤンイェンの母親がいましたが、王子はいませんでした。彼は実の娘が可愛かったので、女王などという〈神の御子〉を産むだけの道具にしたくありませんでした。だから〈七つの大罪〉を頼り、王となるべき男子を作らせました。――それが我が父にして、先王陛下です」
「……」
「先々王陛下にとって、先王陛下は王位を渡すだけのただの人形。愛情なんてまるでありません。先王陛下は寂しい子供時代を過ごされたようです。ですから、ご自分は同じことをすまいと、頑なに〈七つの大罪〉の手を拒んだのです」
 ハオリュウは、ごくりと唾を呑み込んだ。
 どんな反応を示すべきなのか、とっさに判断できなかった。美談に聞こえなくもない。だが、結果として、現女王は不幸になっている……。
「先王陛下は、なんとしてでも〈七つの大罪〉に頼らずに〈神の御子〉を得たいと考えました。そこで、彼は『もっとも〈神の御子〉を産む可能性が高い女性』を手籠めにしました。……それが、誰だか分かりますか?」
 あまりにも不敬な問いかけに、ハオリュウは一瞬、何を訊かれたのか理解できなかった。咀嚼ができてからも、彼は戸惑い、声を詰まらせる。
 けれど、彼の明晰な頭脳は、答えをはじき出していた。
〈神の御子〉を産む可能性が高い女性といえば、〈神の御子〉である女性。今の話の中に出てきていて、年代的に該当する人物はひとりしかいない。
「〈神の御子〉である先々王陛下の王女。――つまり、先王陛下の『姉』。ヤンイェン殿下の母君……ですね」
 そう口にした瞬間、ハオリュウの頭は真っ白になった。
 ある可能性に気づいてしまったのだ。それは、恐ろしく度を越えた想像だった。
「……ああ、その顔は気づいたようですね。まったく、君は素晴らしい」
 カイウォルの無情の声が響く。
「で、殿下……っ」
 すがるような気持ちで、ハオリュウはカイウォルを見つめた。しかし、その思いは無碍(むげ)に切り捨てられた。
「ご想像の通りです。ヤンイェンは、先王陛下とその姉君の間にできた子供。――彼は、私や女王陛下の異母兄弟ということです」
「……っ!」
「確かに、クローンである先王陛下にとっては、彼女は実の姉ではありません。しかし、仮にも『姉』と呼んだ女性に、彼は子供を産ませたのです。〈七つの大罪〉に頼らずに〈神の御子〉が欲しいという、ただ、それだけのためにね」
「……」
「そこまでしたのに、生まれたヤンイェンは黒髪黒目でした。……皮肉でしょうか。それとも、まさに天の(ことわり)ということでしょうかね」
 カイウォルの囁くような深い声が、すっと解けるように天へと消えていく。
 そのあとは、聞かなくても分かった。
 国王がクローンであることが極秘である以上、ヤンイェンの父母が公になれば、姉弟間の禁忌の子供となる。故に、彼が王子であることは隠され、母親のもとで育てられた。
 それから十年近くも経って、ようやく〈神の御子〉たる現女王が生まれた。そして、彼女が生まれたのと同時に、ヤンイェンは内々の婚約者となった。公式には、彼は濃い神の血を持つ『従兄』であり、『異母兄』ではないからだ。
「ハオリュウ君。女王陛下は、ヤンイェンとの間に〈神の御子〉をもうける努力をすべきだと思いますか?」
 それは、先ほどもカイウォルが口にした言葉だった。
 しかし、王家の隠された真実を知った今、ハオリュウの耳にはまったく別の響きに聞こえた。
「女王陛下は――私の妹のアイリーは、涙に暮れています。私は兄として、妹を救ってやりたい。そう思うことは、身勝手でしょうか?」
 長い指先をぎゅっと内側に握りしめ、カイウォルは苦痛に顔を染める。わずかにうつむくと、王位継承権を持たない黒い髪が、目元に掛かって影を作った。
「殿下……。だから、この赤子を作った、というわけですね」
「そういうことです」
 溜め息のような返事だった。
 ハオリュウは、再び硝子ケースの赤子を見た。
『ライシェン』と名付けられた彼は、まるで揺り籠に体を預けてまどろむように、培養液の中を漂いながら眠っていた。
 ――カイウォルの話に、特におかしなところはないように思われる。
 鷹刀一族からも、〈七つの大罪〉が王の私設研究機関であると聞いている。王家の存続のために組織を作ったというのなら、これほど納得できる理由もない。
 だが、『ライシェン』だ。
 斑目一族の別荘にいた〈天使〉ホンシュアが、ルイフォンに向かって呼んだ名前である。偶然などではないだろう。
 すべてが嘘だとは言わない。ほとんどが真実。だが、まだ隠された『何か』があるはずだ。
 そして、ここまで秘密を明かしたハオリュウに、カイウォルは何を求めるつもりなのか……。
「君は……、そもそも何故、この国の王が〈神の御子〉――それも男子でなければならないのか、ご存知ですか?」
「え?」
 不意の問いかけだった。
 目を瞬かせるハオリュウに、カイウォルはそっと息をつく。
「創世神話にあるでしょう? 神の代理人には、神の力がある、ということです」
「……」
 カイウォルは、ハオリュウが何かを知っているかと(カマ)をかけた。そして、知らぬと分かって曖昧に誤魔化した。――そんな気がした。
「そろそろ神の話ではなく、穢れた俗世の話をしましょうか。君ならきっと、私の期待に応えてくれそうです」
「殿下……?」
 カイウォルの眼差しに、強引なまでの圧が生まれた。気品あふれる雅びやかさで、人を引き寄せ、惹きつける。
 身を固くしたハオリュウの耳に、柔らかな声がそっと落とされる――。

「ハオリュウ君。ヤンイェンではなく、君が『女王陛下の婚約者』になりませんか?」

3.揺り籠にまどろむ螺旋-3

3.揺り籠にまどろむ螺旋-3

 ハオリュウは耳を疑った。
 カイウォルは、今、なんと言ったのか――。
「殿、下……?」
 恐ろしいものを見る目で、ハオリュウは自分の正面に座る麗人を見つめる。
 ()の人は、優しく促すかのように、わずかに首を傾けていた。直線的ではない眼差しの柔らかさに、ハオリュウはどきりとする。
 惹き込まれる前に視線をそらさねば――とっさにそう思うが、そのときには目が離せない。
「驚かせてしまいましたか。……君の気持ちも考えず、配慮が足りませんでしたね」
 自分の至らなさを恥じるように、カイウォルは微笑む。
「……っ」
 気遣う素振りなど、演技に決まっている。突然の爆弾発言は、作為的なものだ。カイウォルは、相手から冷静な判断力を奪うことで、自分に有利なように話を運ぼうとしている。――そう分かっていても、ハオリュウの心臓は早鐘のように鳴り続けた。
 血の気の失せた彼の顔に、満足したのだろうか。カイウォルはふっと目をそらす。
 視線から解放され、ハオリュウの体から、どっと汗が吹き出した。ほんのわずかな時間だったにも関わらず、長い間、捕らわれていたような気がしてならなかった。
 そんなハオリュウの様子を知ってか知らでか、カイウォルは静かな眼差しで硝子ケースを見つめながら、独りごつように告げる。
「この『ライシェン』を作ったことで、女王陛下の『〈神の御子〉を産む』という使命に目処が立ちました。『ライシェン』の体はまだ未熟な胎児ですが、もう少し成長させたのちに凍結保存して、時期を選んで女王陛下の御子として『誕生』させます」
 そこでカイウォルは言葉を切り、自嘲めいた笑みを浮かべた。ハオリュウは不審に思い、眉をひそめる。
「私は、これで解決したと思いました。これでもう、妹を悩ませるものはなくなった、と。……浅はかな自己満足です」
 美麗な眉が寄せられ、ハオリュウから見える横顔が苦悩に歪む。
「しかし、妹は――アイリーは涙ながらに言いました。『実の兄と結婚なんて、嫌。……ううん、ヤンイェンが異母兄だからではなくて、好きな人ではないから嫌なの』」
 カイウォルは嗤いをこらえるように口角を上げた。そして再び、ハオリュウと向き合う。
「女王として、あってはならない発言です。そんな我儘が許されるような立場ではありません。勿論、私はお諌め申し上げました」
 低く、くつくつと喉を響かせ、カイウォルは小刻みに肩を震わせる。
「アイリーは『好きな人』などと口にしましたが、実際に誰か()い仲の者がいるわけではありません。あの子に近づける人間など、ごくわずかな限られた者だけですから、いれば私には分かります。――あの子は、ただの夢見る少女です。女王陛下などと呼ばれていても、そのへんの町娘と変わらない、どこにでもいるひとりの小娘なのです」
 嗤いながら、カイウォルは切なげに目を細めた。頭を振り、胸のつかえを吐き出すように呟く。
「そして私は――、そんな妹を不憫に思ってしまった……。……愚かな兄です」
「……」
 ハオリュウは、沈黙することしかできなかった。
 そもそも彼は、カイウォルという人間が嫌いなのである。そんな相手の嘆きを聞かされたところで、何を感じればよいのだ、という疑問しか浮かばない。
 ただ、ハオリュウだって血の通った人の子であるので、女王の境遇には同情はしている。実の兄との結婚が嫌だというのは、もっともな感情だろう。そこは否定しない。
 だが、カイウォルはこう言ったのだ。
『ハオリュウ君。ヤンイェンではなく、君が『女王陛下の婚約者』になりませんか?』
 ここで何故、ハオリュウにお鉢が回ってくるのか。藤咲家の当主とはいえ、彼はまだ結婚などとはほど遠い、たった十二歳の子供だ。どう考えたって、陰謀の匂いしかしない。
「殿下。お苦しい胸中、お察し申し上げます」
 ハオリュウはまず、深々と頭を下げた。内心はさておき、臣下としての礼儀だ。
「ですが、何故、私などにお声を掛けてくださるのですか。大変な名誉とは思いますが、私は女王陛下よりも三歳も年下の若輩者。家督を継いだばかりの若造です。どう考えても、女王陛下にふさわしいとは思えません。女王陛下にはもっとお似合いの殿方と幸せになっていただきたいと思います」
 女王の婚約者に、と言われて、まず初めに疑問に思ったのが年齢のことだったが、他にもおかしなことがある。藤咲家という家柄に問題はないが、彼の母親はカイウォルが卑下している平民(バイスア)だ。『不憫な妹』を託すような相手ではないだろう。
 だいたい、女王は実の兄との結婚が嫌だというだけではなくて、普通の娘のように恋愛をしたいと言っているのだ。彼女が望んでいるのは、これから、まだ顔も知らない理想の男性と出逢い、恋に落ちることだ。
 そう、例えば、異母姉メイシアのように――。
 今回の作戦のために、ハオリュウは久しぶりにメイシアに会った。ルイフォンの溺愛ぶりは相変わらずだったが、異母姉のほうもなかなか大胆になったように思う。異母弟としては複雑だが、彼女が幸せであることは間違いない。
「ハオリュウ君。君なら、アイリーの気持ちが分かるのではないですか?」
 カイウォルの声に、ハオリュウの思考は遮られた。
 しかも、またわけの分からないことを言ってくる。ハオリュウは鼻白みながらも、それを顔に出さず、丁重に答える。
「殿下は何故、そのようなことをおっしゃるのでしょうか。私はまだ子供です。女性の気持ちを察して差し上げられるような、大人ではございません」
「そんなことはないでしょう?」
 柔らかな声が誘い込むように紡がれ、カイウォルが微笑む。
 燦然と輝く太陽のような、まばゆいばかりの美貌。冷たく光る黒い瞳が、ハオリュウを捕らえる。
 深い黒が(あぎと)を開ける……。
「君は――、君の姉君に……何をしましたか?」
「――――え……」
 心臓が凍りついた。
 大切な異母姉は、汚い貴族(シャトーア)の世界からは消えたはずだ。
 それなのに何故、カイウォルが口にする……?
「君の姉君――メイシア嬢は、平民(バイスア)の、それも凶賊(ダリジィン)の男に恋をしました。決して許されぬ相手と知りながら、その男と添い遂げたいと願いました……」
 囁くように、歌うように、さえずるように……、カイウォルが異母姉の想いをなぞる。
「君と、君の姉君は、異母姉弟なのに深い絆で結ばれていました。私にも異母兄弟はたくさんおりますが、君たちのように仲は良くありません。君たちは不思議で、羨ましい。――そんな君が、大切な姉君の想いを知ったなら……どうするかなんて分かりきったことですよね」
 くすりと、カイウォルが嗤った。
 そして、ハオリュウは悟った。

 カイウォルは、メイシアが生きていることを知っている――!

 目の前が真っ黒になった。
 異母姉は、貴族(シャトーア)という籠から逃したはずだ。すべての権利を失い、代わりに自由を得た。
 たとえ生きていたことが知られても、『死者』である彼女には、なんの政治的利用価値もない。そうするために、わざわざ『殺した』のだ。
 なのに何故、ここで彼女のことを口にする?
 異母姉をどうする気だ――!?
 ハオリュウの肌が粟立った。(こご)えるような恐怖に身を震わせる。だがしかし、腹の底からは、たぎるような怒りが噴き出してもいた。相反する熱を内包し、ハオリュウから表情が消えていく。
 首筋がちくちくした。襟の裏が振動している。ルイフォンが合図を送っている。しっかりしろと言っている。それは分かった。分かったが、だから、なんだというのだろう?
 ハオリュウの最も弱い部分がむき出しにされた。
 心が闇に捕らわれる。
 ――そのとき。
 とん……、と。
 背後から、ハオリュウの肩に重みが掛かった。
 初めは単に、何かを載せられた、という程度のものであった。それが突然、強い力で鷲掴みにされた。
「!」
 シュアンの手だ。
 彼の手でありながら、ハオリュウの手にもなってくれると約束してくれた、『一発の弾丸の重さ』を知る手。服越しには分かるはずのないグリップだこまで、はっきりと感じられる。
 背後の気配が揺れた。
 車椅子の後ろにいるシュアンが、腰をかがめたのだ。そして、ハオリュウの耳元でそっと囁く。
「ハオリュウ様」
 それだけだ。
 ただ名前を呼ばれただけ。なのに、彼の声がハオリュウの弱い心を撃ち抜いた。
 ハオリュウの肩が、びくりと跳ねる。シュアンはそれを確認すると、さっと前に歩み出て、カイウォルに向かってひざまずき、「カイウォル摂政殿下」と声を上げた。
「私のような者が大切なお話に割り込むこと、深くお詫び申し上げます」
 シュアンは、額を床にこすりつけ、その姿勢でぴたりと動きを止める。
「私への処罰は幾らでもお受けいたします。ですから、どうか主人には(とが)のなきよう、恩情をお願い申し上げます」
 チンピラ警察隊員から、切れ者の従者に変わったのは、外見だけではなかった。今のシュアンは、必死に主人を守ろうとする腹心の部下そのものだった。
 ハオリュウは、信じられない思いで、シュアンの背中を見つめる。
「――殿下。なにとぞ、お聞きください」
 床につけた顔を更に押し付けるようにして、シュアンは声を張り上げる。
「叶わぬ恋に絶望したメイシア様は、旅先の渓谷で――ハオリュウ様の目の前で、身を投げられました。ハオリュウ様がお止めする間もなく、あっという間の出来ごとでした。……ハオリュウ様は、あのときメイシア様をお助けできなかったことを深く後悔されています。それで、今もメイシア様のことを思い出されると、ご気分が悪くなってしまわれるのです」
 そう言われて、ハオリュウは思い出す。
 父と異母姉の死因は、家族水入らずの旅行で森林浴に行った際に、道に迷って渓谷に落ちた――というものだ。だが、これにはもっと詳細な設定がある。
 警察隊が鷹刀一族の屋敷に押し入ったとき、事態を収拾するために、異母姉は大勢の前でルイフォンに口づけ、彼と恋仲であると宣言した。この件に関して、ハオリュウは無駄とは思いつつ、内密にするよう警察隊に圧力をかけた。
 だが、人の口に戸は立てられぬ。いずれ噂は広まるだろう。
 ならばと思い、ハオリュウはこの事実をもとに、もっともらしい筋書きを作り上げたのだ。
 すなわち――。
 身分違いのメイシアの恋は、結局、無理やりに引き裂かれ、終止符を打たれた。
 その後、傷心のメイシアを元気づけるために、家族だけの旅行が計画される。しかし、それが更に彼女を傷つけ、彼女は旅行の最中に身を投げた。
 その上、彼女を探そうとした父親も谷に落ちて亡くなり、ハオリュウは大怪我を負った――。
 勿論、藤咲家としては、この醜聞は必死に隠している、という態度を取る。
 しかし、こういった身分違いの悲恋の噂は、民衆にたいそう好まれ、まことしやかに語られながら広まっていく。そのうちに誰もが、メイシアは本当に亡くなったのだと信じ込む――という策だ。
 ――動揺を見せるな。嘘をつき通せ。
 シュアンの背中が、ハオリュウを叱りつける。
 伏せられた顔は、誰にも見ることはできない。だが、一国の摂政を前にしても臆することなく、厚顔に嗤っているのが、ハオリュウには見えた。
 ――しらばっくれろ。
 軽い調子の声が聞こえ、薄ら笑いの吐息を感じる。
 ――シュアン……!
 ハオリュウは心の中で応える。
 ――ありがとうございます……。
「殿下、お見苦しいところをお見せして申し訳ございませんでした。この者の言う通り、異母姉のことを思い出すのは、まだ辛いのです」
 ハオリュウもまた、カイウォルに頭を下げる。
 カイウォルは軽い笑みを浮かべると、緩やかに首を振った。
「いえ。私のほうこそ、無神経なことを言ってしまったようです。姉君を大切にしている君なら、女性の気持ちを理解できると思ったもので、つい……どうか、ご勘弁ください。――ああ、そこの彼も顔を上げてください」
 拍子抜けするほど、あっさりとカイウォルは引いた。
 シュアンが驚いたように体をぴくりと震わせたがのが分かったが、ハオリュウにはなんとなく読める。
 カイウォルにしてみれば、『メイシアが生きていることを知っている』と匂わせるだけで、充分に脅しになるのだ。彼女に危害を加えられたくなければ従え――そういうことだろう。
「忠臣ですね。良い従者をお持ちです」
 遠慮がちに(おもて)を上げるシュアンを見やり、カイウォルが呟く。その言葉は、ハオリュウには『彼に救われましたね』と聞こえた。
 単なる嫌味だが、まったくもってその通りだ。ただし、シュアンは従者ではなく、大切な同志である。
「さて、ハオリュウ君。話を戻しましょうか。――君をアイリーの婚約者に、という話です」
 カイウォルは、再び正面からハオリュウを見つめる。
「兄としては、あの子が望むように、あの子が夢見る運命の相手と出逢って、そして結ばれてほしいと思います。――ですが、あの子の結婚まで、もう時間がありません」
 ハオリュウは頷く。
 婚約発表はとっくに済んでいる。結婚式の日取りは、まだ発表されていないが、それほど先の話ではないはずだ。
「だから、あなたに婚約者になってもらいたいのです」
「どういうことでしょうか?」
 ハオリュウは眉を寄せる。
 既に、女王とヤンイェンとの婚約が発表されているにも関わらず、『ハオリュウを婚約者に』というのは、要するにヤンイェンを失脚させようという陰謀の誘いに他ならない。
 だが、何故、ハオリュウなのだ?
 意図が読めない。
 しかし、カイウォルは自分の正しさを確信しているようで、余裕の笑みを浮かべた。
「君自身が言ったでしょう? 君はまだ若い、と。ええ、そうですね。常識的に考えて、君の歳で結婚などあり得ないでしょう。――だから、です」
「?」
「君がアイリーの婚約者になれば、あの子が結婚するのは五年先。短く見積もったとしても、あと三年は先になるでしょう。その時間が、あの子が真の相手を見つけるための猶予となります」
「!」
「あの子が願う通りに相愛の相手と結ばれたときには、君には申し訳ないですが婚約は破棄します。その際、君に不利なことは、いっさいないと約束しましょう」
「……」
「逆に、あの子の望みが叶わなかった場合には、潔く君と結婚してもらいます。そのときには、あの子も女王という立場に自覚があるでしょう」
「……」
「女王陛下の結婚を延期にできるほどに歳が若く、道理をわきまえていて、家柄も申し分ない。そんな人物など、君をおいて他にいません。――若いだけなら幾らでもいるでしょうが、あの子が相手を見つけられなかった場合に、私の義弟となってもよいと思える者はそうそういないのです」
「……」
「君が平民(バイスア)の血を引いていても問題ありません。相手が誰であっても、女王陛下は『ライシェン』を産むのですから。むしろ、君が女王陛下の夫となれば、国民は諸手(もろて)を挙げて喜ぶでしょう。君は平民(バイスア)に人気がありますからね」
 言いたい放題だ。
 だが、破綻はない。荒唐無稽に思えた話が、実に理に適っているように聞こえる。それが恐ろしい。
 感情が顔に出てしまったのだろう。カイウォルが口の端を上げた。
「ご不快でしたか? ですが、君を手に入れたいのなら、上辺を取り繕うよりも、率直な気持ちを伝えたほうが、よほど効果的でしょう? そのほうが君は安心する。君はそういう人間です」
「殿下……」
「『女王陛下の婚約者』という地位は、君にとって魅力的ではありませんか? ……確かに君は、権力に執着するタイプではありませんね。ですが、君が断れば、藤咲家に害を()す者が『女王陛下の婚約者』になるかもしれませんよ」
 カイウォルは、冷ややかに嗤った。
 口では妹のため、と言っているが、今まで摂政として国を治めてきた彼に、野心がないわけはないだろう。妹の我儘を口実に、うまいことヤンイェンを排除しよう、というあたりが本心ではなかろうか。
 王族(フェイラ)のヤンイェンだからこそ、カイウォルのライバルとなり得る。ハオリュウのような、ただの貴族(シャトーア)が女王の婚約者――ひいては夫となるのなら、後ろ盾を買って出ることで、カイウォルは権力を保てる。
 そして、ハオリュウが邪魔になったときには、暗殺という手段だってある。
『ライシェン』さえ生まれていれば、女王の夫に用はないのだから……。
 ハオリュウは、ぶるりと体を震わせた。
〈七つの大罪〉と王家の関係、そして『ライシェン』の存在――重大な秘密を知ったハオリュウを、カイウォルが解放するだろうか。
 この館に呼ばれたこと自体が罠だったのだ。
 かといって、臣下の立場のハオリュウが、会食の誘いを断れるはずもない。初めから詰んでいた。
「返事は急ぎません。大事な話ですから、よく考えてほしいと思います」
 すっと寄り添うように、カイウォルが囁く。
 寛容に見せかけて、その実、圧を掛けている。
「話が長くなってしまいました。そろそろ食事にしましょう。王宮のシェフを連れてきましたから期待していてください」
 そして、この研究室で()されるべき話は終わり、一同は地下をあとにする。
 去り際、ハオリュウはふと後ろを振り返った。車椅子の背越しに見える、『ライシェン』――白金の産毛をゆらゆらと漂わせ、培養液の中で眠る胎児。
 天空神の姿を写し取った彼は、天から贈られたのではなく、穢れた地上の陰謀と欲望によって作り出された。
 彼は『人』なのか、『もの』なのか。
 未熟な体はグロテスクでもあり、哀れでもある。彼にどんな感情を(いだ)くべきなのか、ハオリュウには分からない。
 ただ、ひとつ、言えるのは……。

 ――これは『命に対する冒涜』だ。

4.響き合いの光と影-1

4.響き合いの光と影-1

 ルイフォンは、食い入るように携帯端末を見つめていた。
 やがて、画面の中の映像が、ぐらぐらと揺れ始める。ハオリュウが車椅子で移動を始めたのだろう。
「――……」
 彼は小さく息を吐いた。
 ――今、見聞きしたものは、この国の最高機密だ。
 ルイフォンは目眩(めまい)を感じ、ふらりと後ろに手をついた。
 掌に、ざらりとした感触を覚える。長いこと使われていなかった空き部屋の床には、絨毯の如く埃が積もっていた。そんなことは入った瞬間に分かっていたことであるが、すっかり忘れていた。
 一瞬、眉をひそめたものの、既にどっかりと座り込んでいるのだから、どうせ尻も埃まみれだ。気にするだけ無駄だった。
 ズボンの太腿あたりで適当に手を拭い、そして彼は思索の海に潜る。
 摂政カイウォルが言ったことは、まず間違いなく真実だろう。王族(フェイラ)に〈神の御子〉が生まれなければ〈七つの大罪〉が過去の王のクローンを作り、王家を存続させていく。――王族(フェイラ)に『闇の研究機関』が必要になるのも道理だ。
 次代の王の誕生は、保証されている。故に、女王の夫は誰でもよく、カイウォルはハオリュウを女王の婚約者にと言った。散々、妹のためと口にしていたが、要するに現在の婚約者である政敵、ヤンイェンを失脚させたいから片棒を担げ、ということだ。
 そして、メイシアが生きていることを知っていると匂わせ、ハオリュウを揺さぶった。メイシアは隠れて暮らしているわけではないから、消息が知られていること自体は不思議でもなんでもない。だが、この情報をどう利用するつもりなのか。――非常に不快だ。
 王族(フェイラ)貴族(シャトーア)の政治的な駆け引きに関しては、ルイフォンは門外漢である。カイウォルに対する印象は最悪に近いが、それでも、実は『藤咲家』にとっては、悪い話でもないのは分かる。決断はハオリュウがすべきこと……。
 これから食事だと言っていた。このあとは給仕の者たちがいるであろうから、今の話はこれで終わりだろう。
 ともかく、今日のところは、ハオリュウに危害が及ぶことはなさそうだ。
 そう思い、ルイフォンは、ほっと胸をなでおろす。
 それよりも……。
 彼は、猫のように鋭い目を、一段、深い色に沈ませた。
 ――『ライシェン』だ。
 ごくりと唾を呑み込む。
(ムスカ)〉は、この館に引き籠もり、『ライシェン』を作っていた。
 つまり、現在の〈七つの大罪〉が、故人であるヘイシャオを蘇らせたのは、『ライシェン』を作らせるためだった――ということになる。
 だが、摂政の話によれば、〈七つの大罪〉は恒常的に過去の王のクローンを作ってきたらしい。ならば、既に技術は確立されているはずだ。
 それにも関わらず、わざわざ死者を――ヘイシャオを――〈(ムスカ)〉を蘇らせて、『ライシェン』を作らせたということは……。
 すなわち――。

『ライシェン』は、ただの『過去の王のクローン』などではない。
『天才医師〈(ムスカ)〉』でなければ作れないような、特別な王。
『ライシェン』こそが、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の中核を成すものだ。

 そして、腑に落ちないのが、死んだ〈天使〉ホンシュアが――異父姉セレイエの〈影〉が、ルイフォンに向かって『ライシェン』と呼びかけたことだ。
 あれは、どういう意味だったのか。

『ライシェン』とは、いったい『何者』なんだ……?

「ルイフォン?」
 リュイセンは、端末を握ったまま動かなくなった弟分の名を呼んだ。
 脇から覗けば、画面に映っているのは、如何(いか)にも豪勢なご馳走が期待できそうなテーブルセッティングである。だが、綺麗に並べられたナイフとフォークに気づくと、急に肩の凝りを感じた。いくら美味でも、こんな食事はご勘弁願いたい。
 勿論、弟分の目は、こんな映像など見ていない。リュイセンにも、それは分かっていた。
「おい、ルイフォン」
「あ、ああ」
 意味のない返事で応じ、ルイフォンは再び押し黙る。弟分の頭は、完全に異次元に行っていた。
 長い付き合いのリュイセンには、もはや慣れっこのルイフォンの習性だ。しかし、いつまでもここで、ゆっくりしているわけにはいかない。この空き部屋は、あくまでも一時的な居場所なのだ。
 衝撃の話に、ルイフォンの心はすっかり奪われてしまっているが、彼らの目的は〈(ムスカ)〉の捕獲だ。夜になって、奴がひとりで部屋にいるところを襲う作戦で、昼間のうちに居室の近くの倉庫に潜み、好機をうかがう手はずになっている。
 現在この屋敷にいるのは、大雑把にいって、『〈(ムスカ)〉の一味』と『摂政の関係者』だ。
 摂政たちがいる間は、〈(ムスカ)〉の私兵たちは部屋に籠もっている。そして会食の最中は、摂政が連れてきた連中も、饗応で手一杯だろう。
 つまり、館中の目が廊下に向かなくなる『今』こそが、この空き部屋を出て、倉庫に移動すべき時だった。
「ルイフォン。俺たちが今やるべきことはなんだ?」
 リュイセンの声が、低く諭すように響く。決して、怒気も苛立ちも含んでいないのだが、穏やかな威圧がルイフォンの鼓膜を揺さぶった。
 ルイフォンは、はっ、と顔を上げた。一本に編んだ髪が背中で跳ね、金の鈴が飛び上がる。
「……すまん。倉庫に移動しないとな」
「そうだ」
 まだ、部分的に意識が飛んでいそうな顔ではあったが、きちんとした受け答えの返ってきた弟分に、リュイセンは満足する。
「まぁ、お前が喰いつきそうな話だったのは分かる。だが、それは後回しだ。ここは敵地のど真ん中なんだからな」
「ああ。それに〈(ムスカ)〉を捕まえれば、もっと詳しい情報が手に入る」
 猫の目が、鋭く光った。思考の戻ってきた〈(フェレース)〉がいれば百人力だ。
「ルイフォン、倉庫までの安全なルートを調べてくれ。お前なしには、俺は動けない」
 そう言って、リュイセンがにっ、と笑えば、「任せろ」という気持ちの良い返事が返ってきた。
 ――ルイフォンは、山ほどある館中のカメラをすべて支配下に置いていた。
 だが、それらをひとつひとつ、目視確認していたのではきりがない。そこで映像を解析し、廊下にあるカメラのうち、動くものを捉えたら表示するように操作した。
 ほとんど無人の廊下である。ごくたまに、厨房と会食会場を行き来する、給仕の者が映るくらいだろう。――そう考えていた。
「なぁっ!?」
 突然、ルイフォンが間抜けな声で叫んだ。
「どうした?」
 慌ててリュイセンが端末を覗き込むと、そこには、ふわふわとした毛糸玉のような黒髪が映っていた。
 あちこちに元気に跳ねまくった癖っ毛は、歩くたびにぴょこぴょこと軽やかに揺れ、天井からのカメラアングルのせいで、もともと小さな体は更に縮んで見えた。くりっとした丸い目と相まって、まるで可愛らしい小動物だ。
 しかし、父親譲りの太い眉は少し内側に寄っており、きょろきょろと忙しなくあたりを見回している。その動作から推測して、迷子と思われた。
「ファンルゥ! なんでこいつが廊下に!?」
 リュイセンも叫ぶ。
 タオロンの娘、ファンルゥ。
 娘の安全を確保するために、タオロンは〈(ムスカ)〉の部下となったのだが、彼女は確か人質として軟禁されているはずだ。
「部屋を抜け出してきた……んだろうな。やっぱり」
 気の抜けたような、困ったような。どことなく疲れた感じの声でルイフォンが答える。
「――だよな……」
 ふたりが以前、彼女に会ったのは、斑目一族の別荘に潜入したときのことだ。そのときも、おそらく部屋でおとなしくしているよう言われていたであろうに、建物内を勝手に探検していた。
 ……好奇心いっぱいのファンルゥが、素直に閉じ込められているはずもなかったのだ。
「なぁ、ルイフォン。ファンルゥが、うろついているのって、まずい……いや、危険じゃないか?」
 彼女が〈(ムスカ)〉の許可を得て、部屋を出ているわけではないのは明白だった。しかも現在、この屋敷は摂政の関係者が行き来している。
 子供だからといって、〈(ムスカ)〉も摂政も、甘く見てくれるような相手ではないだろう。邪魔だ、目障りだというだけで、斬り捨てられるかもしれない。
「ああ。……だから、さ」
 ちらり、と。猫の目が、リュイセンを見上げる。
「ああ。ファンルゥを部屋に送ってから、倉庫に向かうぞ」
 そうして、ふたりは腰を上げた。


 今日が特別な日であることは、小さなファンルゥだって、ちゃんと知っていた。
 なんと、この館にお客さんがやってくるのだ。
 彼女がこの館に来て、もう二ヶ月以上経つが、こんなことは初めてだった。父親のタオロンは余計なことをあまり言いたがらなかったが、見張りのおじさんたちの噂話に聞き耳を立てていたから間違いない。
 この部屋での生活は単調で、ファンルゥは退屈だった。絵本も玩具も、ちょっと素敵なお洋服だってそろっていて、とても満足しているのだが、だんだんと物足りなくなってきたのだ。要するに、飽きてしまったのである。
 彼女が欲しいのは、素敵な『もの』ではなかった。彼女が求めるのは、『どきどき』と『わくわく』だった。
 だからファンルゥは、今日は朝からずっと窓に張り付いていた。
 いつ、お客さんが来るのか、分からなかったからである。
 見逃したら、大変だ! ――そう思っていたら……たくさんの人が来た。
 とても、とてもたくさん来た。次々に車が現れては、いろいろな人が館に入ってきた。料理人の格好の人もいれば、メイドの服の人もいた。
 これでは、いったい誰が『お客さん』なのか、さっぱりだ。
 いい加減、ファンルゥも疲れてきた。彼女の背丈では、窓の外を見るためには椅子の上に乗っかって、ずっと立ち続けていないといけなかったのである。
 それでも、しばらくは足が痛いのを我慢していた。けれど、やがて車が一台も来なくなった。いくら待っても、何も来なくなった。それで終わりだった。
 結局、お客さんは、『どきどき』でも『わくわく』でもなかったのだと、彼女は諦めた。そして、スケッチブックを出してきて、おとなしく絵を描き始めた。
 ――菖蒲の花の絵である。
 まずは水色のクレヨンを取り出して、画用紙のお花畑に水を張った。それから、紫に持ち替えて、ぐるぐると花を描いていく。
 少し前までのファンルゥは、菖蒲の花が水の中から生えていることを知らなかった。けれど今は知っている。
『本物を見てきた』からである。
 勿論、〈(ムスカ)〉もタオロンも、ファンルゥを菖蒲園には連れて行っていない。彼女は、こっそり窓から部屋を抜け出したのだ。
 窓枠までは高さがあったが、椅子を使ってよじ登れば足が届いた。そして、幸運なことに彼女の部屋は角部屋であり、雨どいを伝えば館の端に備え付けられた非常階段に降りることができた。
 父親譲りの身体能力と猪突猛進さで、彼女は窓からの脱出に成功したのだ。
 ファンルゥは、〈(ムスカ)〉に貰った、きらきらの石がたくさんついた素敵な腕輪のことも忘れてはいなかった。〈(ムスカ)〉は、タオロンには『内側に毒針が仕込まれています』と教えたが、ファンルゥには『部屋から出ようとしたら、凄い音が鳴ります』と説明した代物だ。
 彼女は、賢い子供だった。
『凄い音が鳴る』のは、部屋の扉にセンサーが付いているのだと考えた。彼女は『センサー』などという言葉は知らなかったが、数少ない買い物の経験の中で、偶然、万引き犯と遭遇しており、店のドアがビービーと凄い音を鳴らしたのを覚えていたのだ。
 部屋の扉は駄目。だから、窓から抜け出す。
 それに、どうせ扉の前には見張りのおじさんがいる。
 見張りはひとりだったり、ふたりだったりと時々変わる。そして、その中でファンルゥが『居眠りおじさん』と名前をつけたおじさんは、見張りの途中で必ず居眠りをする。扉越しだが、ぐうぐうと大きないびきを立てるので、彼女にはちゃんと分かっているのだ。
 だから、居眠りおじさんがひとりで見張りのとき、彼女はずっと気になっていた菖蒲の花を見に行ったのだ。
 水の中から花が生えていた。
 ファンルゥには衝撃だった。庭いっぱいの大きな花瓶なのかと思って引っ張ってみると、根っこがしっかりと水底の土を掴んでいて、びくともしなかった。
 大発見だった。
 それ以来、お絵かきといえば、ファンルゥはいつも菖蒲の花を描いていた。
 もしも、彼女の絵がもっと細やかなものであれば、父親のタオロンには外に出たことがばれてしまっていたあろう。
 しかし、あいにく、彼女の絵は実に子供らしい、のびのびとした筆致をしていた。そのため、絵心のない彼女の父には、水中から咲き誇る菖蒲の花も、青空を漂う紫の風船も区別できないのであった。
 ファンルゥが画用紙の半分ほどまでを、鮮やかな紫で咲かせたときのことであった。
 不意に、外から車の音が響いた。
 先ほどの車が最後ではなかったのだ。ファンルゥは、なんとなく気になって、窓の下に椅子を運び、飛び乗る。
 黒くてぴかぴかの車が軽快にエンジンをふかせつつ、緩やかな坂を登ってきていた。近づくほどに大きくて立派なことが分かり、きっと特別な人が乗っているのだと思った。
 ファンルゥは身を乗り出すようにして、じっと車を見つめる。
 正面玄関の前で、車は停まった。前方のドアから運転手が降りてきて、車の後ろに回ってトランクを開ける。
 次の瞬間、ファンルゥは「え?」と小さな声を上げた。運転手が折りたたまれた車椅子を出してきて、それを広げたのだ。そして、後部ドアを開け、中にいた人物を抱き上げながら車椅子に移した。
「!」
 子供……だった。ファンルゥより、だいぶお兄さんではあったが、それでもまだ十五歳にはなっていないだろう。
 ファンルゥにとって、車椅子とはお年寄りが使うものだった。老人以外なら、病気で動けない人なのだ。つまり、子供なのに車椅子に乗っている彼は、重い病気で苦しんでいる子に違いないのだ。
 そのとき彼女は、はっと思い出した。
(ムスカ)〉は、凄いお医者さんなのだ。高熱で苦しんでいた〈天使〉のホンシュアは、〈(ムスカ)〉の薬であっという間によくなった。嫌な感じがするおじさんだけれど、腕は確かなのだ。
 ――あの子は、〈(ムスカ)〉のおじさんに病気を治してもらいに来たんだ……。
 体が弱くて外に遊びに行けない子なのだ。きっと、今のファンルゥみたいに、いつも部屋に閉じ込められているのだ。菖蒲の花なんて見たことがないだろう。
 ファンルゥは、自分こそが彼を励ましてあげるべきだと思った。彼に会って、菖蒲の花のことを教えてあげるのだ。
 今日は特別な日だ。見張りのおじさんたちも部屋に籠もっている。きっと、怖い顔のおじさんに、彼がびっくりしないようにとの配慮なのだろう。だから、見張りはいない。
 ファンルゥは描きかけの菖蒲の絵をちらりと見た。
 これじゃ駄目だ、と思った。だからスケッチブックをめくり、今までで一番、上手に描けたお気に入りの一枚を選び、べりべりと破り取った。
 切り取った画用紙をくるくると丸め、それではポケットには入らないことに気づき、広げてから改めて、彼女なりに丁寧に折りたたむ。絵が折れてしまうのは悲しいが、両手が空いていないと雨どいを掴めないのだ。
 そして、ファンルゥは窓を飛び出した。
 お気に入りの菖蒲の絵を、車椅子の少年にプレゼントするために……。

4.響き合いの光と影-2

4.響き合いの光と影-2

 携帯端末の情報からファンルゥの現在位置を割り出し、ルイフォンとリュイセンはすぐに空き部屋をあとにした。
 幸い、彼女のいる場所は、厨房からも会食会場からも離れていた。ふたりが到着する前に誰かに見つかってしまう可能性は、まずないだろう。
 そう思って安心していたのだが、現場に近づくに連れ、ルイフォンは焦ってきた。カメラの映像からは分からなかったのだが、そこは近くに人がいないどころか、何十年にも渡り、誰も立ち入ったことがないのではないかと疑いたくなるような廃墟だったのだ。
「うげ……、蜘蛛の巣が張ってやがる。この館は、本当に王族(フェイラ)の持ち物なのかよ」
 引っかかってしまった蜘蛛の糸を払いながら、リュイセンが毒づいた。
「菖蒲園や館の中心部分は、きちんと手入れをしていたようだけど、それ以上は管理する予算がなかったんだろうな」
 ルイフォンの見解は、なかなか辛辣だが、おそらく真実だろう。
 ともあれ、閉ざされた空間特有の、鼻につくような臭いを掻き分け、ふたりは階段を上がった。そうして、ファンルゥがいると思しき階まで登りきったとき、彼らは思わず足を止めた。
 目の前に、もとは鮮やかであったであろう緋毛氈(ひもうせん)の敷かれた長い廊下が広がっていた。そして、その上を、帯状の光が優雅に揺れる……。
 あたり一面に浮遊した埃の粒子によって、窓からの陽光が乱反射しているだけなのであるが、なんとも幻想的な光景だった。
「そこら中、埃まみれ、って証拠なんだけど……、妙に綺麗だな」
 ルイフォンの素朴な感想に、リュイセンも頷く。彼らが動くたび、そこから生じる空気の流れが、ふわりと光を漂わせた。
 しかし、見惚れているわけにはいかない。この奥にファンルゥが迷い込んでいる。
 そして、明るいのは階段を上がりきったここだけで、先は雨戸が下ろされているために暗がりなのだ。
 建てつけが悪くなってきたからなのか、時折、(まぶ)しい光の入る隙間の空いた雨戸があるが、光が強いほどに、影は濃くなる。深い闇に沈んだ廊下は、小さなファンルゥにとって危険な場所だろう。
 埃の床には、頼りなげな足跡が点々と残っている。
 ふたりは無言で歩き始めた。
 光に慣れた目が、闇を受け入れるまでには、しばらく時間が掛かる。訓練を積んだリュイセンとは違い、ルイフォンは半ば感覚で進んでいた。
「見つけたぞ」
 前を歩いていた兄貴分の気配が止まり、声が響く。
 ルイフォンも目を凝らして見やれば、まっすぐな廊下の先に、隙間から差し込む光の筋。――そして、その後ろ。光に霞むように、ぽつんと黒い、小さな影がひとつ。
「……っ! ひぃぁ!」
 ルイフォンもリュイセンも、特に気配を消したりはしなかったので、ファンルゥは近づいてくる足音に脅えていた。「見つけた」との声と、先導していたリュイセンの大柄な体は、遠目には〈(ムスカ)〉の私兵の荒くれ者に見えたのだろう。彼女は声にならない悲鳴を上げて一目散に逃げ出した。
「……っ」
 リュイセンは思わず手を伸ばしかけ、途中で止めた。
 本気になって追いかければ、あっという間に捕まるのは分かっている。しかし、それは正解ではないと、彼は思ったのだ。
 苦虫を噛み潰したような顔で、リュイセンは「おい」と、ルイフォンを振り返る。
「お前が追いかけろ」
「お前、相変わらず、子供が苦手なんだなぁ」
「悪いかっ! ともかく、お前に任せる」
 前を行く役を交代だ、とばかりにリュイセンが掲げた手を、「仕方ねぇな」とルイフォンは軽くはたいた。それから彼は、猫のようにしなやかに、走るというよりはステップを踏むように、ファンルゥを追いかける。
「おーい!」
 このあたりに人がいないことは分かっている。だから、声を出しても大丈夫。――とはいえ、控えめに。しかし場違いに明るい声で、ルイフォンは手を振った。
「ファンルゥ! 俺だよ!」
「!」
 名前を呼ばれたことに驚いたのだろう。ファンルゥが、くるりと身を翻した。
 彼女からすれば、てっきり怖いおじさんが「こらっ!」と怒鳴ってくるのだと思っていたに違いない。くりくりとした丸い目を更に丸くして、「ああっ!」と叫ぶ。
「ルイフォンだ! リュイセンもいるっ!」
 子供特有の、甲高い声が響いた。
 見知った顔に安堵したファンルゥは、元気に髪を跳ねかせながら駆け寄ってきた。彼女がぶんぶんと大きく手を振ると、腕輪を飾る模造石が差し込んできた光をきらりと弾き返す。
 彼女は叫んだ。
「ファンルゥ、あの子のところに行かなきゃいけないの!」


 以前、ファンルゥがふたりと出会った場所が斑目一族の別荘で、そのとき彼らが見回りの凶賊(ダリジィン)のふりをしたからだろう。彼女は、彼らのことを父親の仕事仲間だと信じていた。そして彼らが、今日はお客さんの護衛としてこの館に来たのだと言うと、すんなり受け入れた。――それは真実ではないが、まったくの嘘でもない。
 しかし……。
「あの子は、ひとりで寂しいの。ファンルゥが行ってあげなきゃいけないの!」
 初めは要領を得なかったファンルゥの訴えも、根気強く聞いていくうちに理解できてきた。
 彼女は、窓から車椅子のハオリュウを見つけて、医者である〈(ムスカ)〉の患者だと勘違いしたのだ。そして、励ましてあげたいと部屋を飛び出した。
 それは彼女の優しさと、そして寂しさから生まれた思いだった。
「そうか……」
 ルイフォンは、複雑な思いで頷いた。
「ファンルゥは、いい子だな」
 彼女は、太い眉をぎゅっと寄せ、口元を硬く結んでいた。今にもこぼれ落ちそうな涙を必死にこらえているのだ。意思の強そうな顔つきは、父親のタオロンにそっくりである。
 勝手に部屋を抜け出したのは、悪いことだと知っている。今から、部屋に連れ戻されるのだと分かっている。
 でも、その前に、顔見知りのルイフォンたちなら、『あの子』のところに寄ってくれるのではないかと淡い期待を(いだ)き、どうやらそれは無理そうだと察しているのだ。
 賢い子だった。
「ルイフォン! ファンルゥが行ってあげないと、駄目なの!」
 ぐっと上を向いた拍子に、ぽろりと涙がこぼれた。
 ルイフォンの胸が、ちくりと痛む。
 病弱な『あの子』は、ファンルゥの空想の中にしかいないのだから、会わせることは不可能だ。現実のハオリュウだって、摂政との会食の真っ最中である。
 彼女の思いを無碍(むげ)にしたくはないが、どうしようもない。それよりも、すみやかに彼女を部屋に帰すためには、なんと言えばよいのか。画策している自分に嫌気が差す。
「ルイフォン?」
 あれこれ思案していたために押し黙ってしまったルイフォンを、ファンルゥの大きな瞳が覗き込んでいた。睫毛(まつげ)の間には涙の欠片(かけら)が残っていて、彼女が瞬きをすると弾け飛び、すっと闇に解けていく。
「あ、ごめん」
「……いいもん、……ファンルゥ、知ってるもん。パパも、時々、そうだもん。ファンルゥには言えないけど、『駄目』ってとき。……そういうときのパパ、辛そうなの」
 うつむいた拍子に、一瞬だけファンルゥの顔に光が当たった。だが、それはルイフォンに涙の道筋を示しただけで、彼女は再び影に捕らわれる。
「ファンルゥ……」
「ファンルゥ、馬鹿じゃないもん。分かっているもん。……あの子のところに行くの、『駄目』なんだ、ね」
 最後のひとことは、しゃくりあげる息と混じり、不鮮明になってしまっていたが、気持ちは充分に伝わってきた。
「ファンルゥ……、ごめんな」
 そんな薄っぺらい謝罪にも、我慢することに慣れてしまったファンルゥは、大きく何度も首を振った。場違いに元気に揺れる、ぴょこぴょこ跳ねた癖っ毛が物悲しい。
 だからだろう。ルイフォンの口をこんな言葉が()いて出た。
「タオロンに伝えてほしい」
「パパに?」
「ああ。『俺たちは、ここに居る』って」
 万が一を考えれば、〈(ムスカ)〉にふたりの潜入がばれてしまうようなことはすべきではない。タオロンにすら、隠しておくべきだろう。だが、どうしても、伝えたくなったのだ。
「ルイフォンたちが、ここでお仕事をしている、って言えばいいの?」
「ああ。それで、あいつには分かる。驚いて、喜んでくれると思うんだ。ファンルゥも、タオロンが喜ぶところを見たいだろ?」
 タオロンが喜べば、その姿を見たファンルゥもまた、嬉しくなるに違いない。
 ファンルゥを笑顔にしてやりたい。――そう思ったのだ。
 初めはきょとんとしていたファンルゥだったが、やがて大事なことを頼まれたのだと感じてくれたらしい。つぶらな目を輝かせ、元気に頷いた。
「ファンルゥ、約束する。ちゃんと、パパに伝える!」
 そうして、ファンルゥが部屋に戻ることを了承したとき、不意にリュイセンが無愛想に口を開いた。
「ファンルゥ。……絵を、預かってやる」
 子供は苦手のリュイセンとは思えない台詞だった。
 ルイフォンは、間抜けな形に口を開けたまま固まった。
 彼らしくないというのは、リュイセン本人にも自覚があるらしい。黄金比の美貌を歪め、照れ隠しの仏頂面になっている。
「お前が部屋を出た目的は、病気の子に絵を贈るためだ。それは叶わなかったが、あの子の護衛の俺が、代わりに届けてやったら、半分くらいは達成できたことになるだろう?」
 ファンルゥは癖っ毛を揺らしながら、首をかしげた。リュイセンの言葉が難しくて、理解できなかったのだ。
 ルイフォンが苦笑しながら、「リュイセンが、あの子に絵を届けてくれる、ってよ」と言い換えると、ファンルゥは次第に顔をほころばせ、やがて満面の笑顔になった。
「リュイセン! ありがとう!」
 彼女は、リュイセンの長い足に、ぴょんとしがみつくと、すりすりと頬をすり寄せた。


 ファンルゥのことは、彼女の部屋の近くの非常階段まで送った。雨どいを伝って、窓から入るのだという。さすが、タオロンの娘である。
「お部屋の扉は、ビービーだから駄目なの」
 そう言って、彼女は腕輪を見せてくれた。
 貴金属としては価値のない、模造石で飾られたものであるが、なかなかセンスが良い。それをくれたのがタオロンではなく、〈(ムスカ)〉と聞いて、ルイフォンは納得した。彼女を部屋に閉じ込めるための代物というのは、気に食わなかったが……。
 ファンルゥの後ろ姿が窓の中に消えたのを見届けると、ルイフォンとリュイセンは本来の目的地である倉庫に向かい始めた。
「なぁ……」
 ふと、リュイセンが小声で話しかけてきた。
「俺たちは、〈(ムスカ)〉を捕らえると同時に、タオロンとファンルゥを解放しに来たんだよな? だったら、ファンルゥを部屋に戻さずに、保護しちまってもよかったんじゃないか? そしたら、タオロンも自由に動けるわけだし……」
「ああ。それは、俺もちらっと考えたんだけど……、無理だろうな、と思って」
 癖のある前髪をくしゃりと掻き上げるルイフォンに、リュイセンの目線がどういうことだと尋ねる。
「無理というか、可哀想だろ。子供のファンルゥを、夜になるまで、おとなしく俺たちのそばで待たせる、ってのはさ。それに、彼女の脱走がばれれば騒ぎになる。できるだけ不測の事態は避けたいし……」
「それもそうか」
「囚われのお姫様は、最後に助け出されることになっているんだよ。それまで、窮屈だけれど、安全なところにいてもらおう」
 そして、ルイフォンは猫の目を細めて微笑む。
 救出されたお姫様を待っているのは、残念ながら王子様ではない。
 けれど、幾つもの手が、光の世界から差し伸べられているのだ――。


 ハオリュウが今回の作戦を提案したあと、ルイフォンとリュイセンは草薙家に呼ばれた。リュイセンの義姉シャンリーが「タオロンに関して話がある」と言ってきたのだ。
「あの坊やの枷になっているのは、娘だ」
 シャンリーは言い切った。
 彼女が『坊や』と呼んでいる相手は、タオロンである。シャンリーとタオロンは以前、刀を合わせたことがあり、この言い方が許されるほど、ふたりの実力に差があったわけだが、どちらかというと親しみを込めてのことのようだった。
「『枷』なんて言ったら、あいつは怒ると思うぞ」
「まぁまぁ、それは言葉の綾だよ」
 ルイフォンの反論に、シャンリーはからからと笑い、続ける。
「かつて、坊やは斑目から抜けようとした。だが、彼が働きに出ている間に妻は殺され、娘は連れ戻された」
 合っているか、と確認するような視線に、ルイフォンは黙って頷く。
「その後、彼は二度と逃げていない。娘を守ることと、生活の糧を得ることを両立できないからだ。――そうだったな?」
「ああ」
「では――現在。坊やと娘は〈(ムスカ)〉の庇護下に身を置くことで、斑目から守られている。だが、鷹刀が〈(ムスカ)〉を捕まえたら、ふたりはどうなる?」
 女性にしては低い声を更に沈め、シャンリーは尋ねた。
 鋭く厳しい指摘だった。
 ルイフォンは息を呑み、うめくように呟く。
「このままじゃ、タオロンは心情的には俺たちの味方だったとしても、俺たちに協力すれば自分の首を絞めることになるのか……」
「そういうことだ」
 シャンリーはそう答えると、そばにいた夫のレイウェンをちらりと見やった。
「ルイフォンさん。そこで、お話があるのですが、よろしいでしょうか」
 魅惑の低音が、穏やかに響く。
「は、はい」
 鷹刀一族特有の、見慣れた顔、聞き慣れた声にも関わらず、柔らかな物腰で話しかけられると、何故か緊張に背筋が伸びた。決してレイウェンが嫌いなわけではないが、どうにもやりにくい。
「斑目タオロン氏を確実に手に入れる方法です」
「何!?」
「タオロン氏に伝えてください。『住み込みで、草薙(うち)で働きませんか。勿論、お嬢さんと一緒に』――と」
「え?」
 唐突な申し出に、ルイフォンの頭が追いつかない。
「シャンリーの推薦ですよ」
 甘やかな声の隣で、シャンリーが深々と頷いた。
 彼女は、タオロンの潔い見事な土下座っぷりに惚れ込んでいた。また、生真面目すぎる性格と、腕っぷしの強さを高く評価し、草薙家の経営する警備会社に引き抜きたいと考えたのだ。
「あの坊やは、悪人どもに顎で使われていい人材じゃない。是非とも草薙(うち)に欲しい。住み込みなら、坊やが仕事に行っている間は、私かユイラン様が娘の面倒をみられる」
「本当か!?」
「勿論だ」
 気持ちのよい即答だった。
「あの坊やと娘を、日の当たるところに引っ張り出してやれ」
 聞けば、ユイランとクーティエも了承済みとのことだった。
 ユイランは、洋服の作り甲斐のありそうな元気な女の子の到着を、手ぐすね引いて待ちわびているという。おとなしい子よりも、激しく動いて、かぎざきを作ってくるような子のほうが、やる気が出るらしい。そんなお転婆娘の代表であるクーティエは、お姉さんとして世話を焼いてやるのだと、こちらもとても張り切っているそうだ。
「それにな。坊やの娘だって、いつまでも親に守られているだけじゃ駄目だろう?」
 険しい声でシャンリーは言い、それから、にやりと嗤った。
「私が鍛えてやる。あの坊やの娘なら素質があるだろう。自分で身を守れるようになれば、坊やも、その子も、自由になれる」
 まだ五歳にもならない子供に対して厳しい言葉ではあったが、ファンルゥの将来を思った優しさだった。


 車に隠れて館に侵入する作戦を提案したハオリュウは、脱出方法を保証しない自分を無責任だと言った。タオロンの協力に賭けるしかないと、申し訳なさそうに眉を曇らせた。
 しかし、これだけの好条件を提示すれば、タオロンに否やがあるはずもないのだ。
 今回の作戦の目的は、〈(ムスカ)〉を捕らえることだけではない。
 敵対関係にありながらも、ずっと、すれ違いながら協力してくれていたタオロンを、光の中へと救い出すものでもあった。

「待っていろよ、タオロン……!」

4.響き合いの光と影-3

4.響き合いの光と影-3

 足音に気をつけなくとも、自然に音が吸い込まれる。そんな上質な絨毯の上を、ルイフォンとリュイセンは歩いていく。彼らが目指すのは、夜までの待機場所として目星をつけておいた、〈(ムスカ)〉の起居する部屋にほど近い倉庫だった。
「このへんは、やけに綺麗だな。ファンルゥが迷い込んでいたところとは雲泥の差だ」
 リュイセンが声を潜めて呟いた。
 彼の言う通り、階段の手すりは細部まで丁寧に磨かれ、壁紙は頻繁に張り替えられているのか、傷みどころか日に焼けたあとすらない。全体的な造りも、如何(いか)にも王族(フェイラ)の別荘といった豪華絢爛な様相を呈しており、雰囲気そのものが違っている。
「〈(ムスカ)〉が使っているのは、もと王の私室だからな。館が無人の間も、このあたりは手入れがなされていたんだろう」
 私兵たちには隅の使用人の部屋を使わせ、自分は王の部屋に構えるという〈(ムスカ)〉が決めた配置を知ったとき、〈(ムスカ)〉も偉ぶりたいのかと、ルイフォンは失笑した。しかし、いざ現場に来て、一部を除き埃まみれの実態を知ると、気持ちは分からないでもないなと苦笑が漏れた。
 会食の最中を狙っての移動は正解だったようで、ふたりは拍子抜けするほどあっさりと目的の区画にたどり着いた。
 倉庫は、すぐそこだ。
 そして――。
 ルイフォンとリュイセンは無言で視線を交わし合い、倉庫より手前にある部屋の、豪奢な扉を見やる。
 ひと目でそれと分かる、優美な意匠。翼を広げた天空神フェイレンの彫刻。王の――現在は〈(ムスカ)〉の――居室だ。
 神は地上のあらゆることを見通すという神話を引用したものらしく、天空から下界を見下ろす構図だった。着色されていない材であるのに、柔らかに彫り上げた髪の毛は白金に輝いて見え、涼やかな目元は青灰色を連想させる。
 思わず口笛を吹きたくなるような、見事な細工だ。
 だが、〈七つの大罪〉にクローンを作らせるまでして無理に存続させているという、王家の真実を知ったあとでは、ただの虚しい偶像に見えた。
「……」 
 神などというものは、所詮、神話の中にしか存在しないのだ。
 黒髪黒目の民の中で、何かの偶然により特異な姿で生まれた者が、神を創り、代理人を(かた)った。王の起源は、そんなところに違いない。
 その異質な姿を、崇拝の象徴としてしまったが故に、子孫たちが〈悪魔〉を頼る。
 そう思うと、現在、この部屋の(あるじ)が王ではなく、〈悪魔〉の〈(ムスカ)〉に取って代わられていることが、王の立場を暗示しているような気がした。
 ――いや……。
 ルイフォンの猫の目が、すっと細まった。鋭い目元に、険が帯びる。
 この推測は、だいたいは合っているであろう。
 だが、完璧ではない。
『ライシェン』は、特別な王であるはずなのだ。
 ルイフォンが、ぐっと拳に力を入れたとき、リュイセンに背中を叩かれた。
 兄貴分の静かな眼差しが『行くぞ』と告げ、扉の前を通り過ぎる。ルイフォンは黙って、あとに続いた。
 ――今は無人の、この部屋に、夜になったら〈(ムスカ)〉が戻ってくる。
 奴を捕らえ、何故、メイシアを狙ったのかを問いただす。
 そして、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』と『ライシェン』について、洗いざらい吐き出させる。
 それから……。
 ルイフォンの足が、再び止まった。そして、どこでもない場所を――虚空を見やる。
 生まれながらの〈天使〉だったという、異父姉セレイエ。
 おそらくは、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を企てた張本人。
(ムスカ)〉から、彼女のことを聞き出す。そこに、どんな真実が隠されているとしても……。
 すべては今夜だ。


 もぬけの殻の部屋を前に、斑目タオロンは呆然としていた。
 娘のファンルゥがいない――!
 浅黒い肌の色であるために、外からは分かりにくいが、今、彼の顔面は蒼白になっていた。
 全身から冷や汗が吹き出す。額にきつく巻かれた赤いバンダナに、黒い染みが広がっていく。
 机の上には、出しっぱなしの紫のクレヨン。最近、お気に入りの『空に浮かぶ、紫の風船』の絵を、また描いていたらしい。背景に使う水色のクレヨンは、すっかり小さくなってしまっている。
 スケッチブックは閉じられているが、おそらく彼女は絵を描いてる途中だった。
「……っ!」
 わずかに土の香りを含んだ南風を感じ、タオロンは息を呑んだ。
 開けっ放しの窓の下に、椅子が置いてあった。
 それがすべてを物語っていた。
「ファンルゥ……!」
 ファンルゥの手首には、腕輪がつけられている。『部屋から出ようとしたら、凄い音が鳴ります』と、〈(ムスカ)〉が彼女に説明したものだ。
 それを聞いたファンルゥは、タオロンにこんなことを尋ねた。
『パパ、ファンルゥがドアを通ると、ビービーなのね?』
 彼女は、万引き犯が商品を持ち出そうとして、店のドアセンサーに引っかかったのを目撃したことがある。それを思い出したのだろう。
 幼い娘がうまく理解できてよかったと、タオロンは半ば安堵しながら『そうだ』と答えた。
 答えてしまっていた……。
 迂闊だった。
 あれは、音が鳴るのは『扉』だということの確認だったのだ。彼女は、『窓』から出るのなら大丈夫かもしれないと考えた。その答えを得るための質問だった。
「糞っ……」
 冷や汗がまたひと筋、つうっとタオロンの額から流れていく。
 違うのだ。あの腕輪は、『音が鳴る』などという可愛らしい代物ではないのだ。
 ファンルゥ本人には内緒で、〈(ムスカ)〉はタオロンに、そっと告げた。
 『あの腕輪の内側には、毒針が仕込まれています』――と。
(ムスカ)〉の持つリモコンで、いつでも針が飛び出す仕掛けだ。無理に外そうとしても同様のことが起こると言われたため、絶対に外さないよう、タオロンは口を酸っぱくしてファンルゥに言い聞かせていた。
 早く、ファンルゥを見つけなければ――。
 脱走したことが明らかになれば、自分の意に逆らったと〈(ムスカ)〉はリモコンを押すかもしれない。
 しかも、今日は摂政が来ている。
 国を左右するような人物だ。信じられないほどの超大物だ。
〈七つの大罪〉の〈悪魔〉と摂政が、どのような関係にあるのかは知らない。だが、〈(ムスカ)〉の技術が権力者にとって魅力的であることは、タオロンの頭にだって理解できる。
 万が一、ファンルゥが乱入して騒ぎを起こし、摂政の機嫌を損ねたりでもしたら……!
 底知れぬ恐怖が背中を這い巡り、タオロンは冷や汗を振り払うように、ぶんぶんと頭を振った。
 娘の痕跡を求め、大股になって窓へと寄る。その際、踏み台に使われた小さな椅子が、足元で邪魔をした。脇にどかそうと、彼は腰をかがめる。
 そのときだった。
 ――どん!
「!?」
 脇腹への衝撃。
 続いて「ひぇぁ!?」という、可愛らしい悲鳴。
「ファンルゥ!?」
 最愛の娘が窓から飛び込んできた。
 彼女は、椅子の代わりに父親に着地……とは、うまくいかず、屈強な父に勢いよくぶつかった反動で弾き飛ばされ、きょとんとしていた。窓枠を掴んでの最後のジャンプのときに、力いっぱい壁を蹴ったのがよくなかったらしい。
「ファンルゥ!」
 タオロンは駆け寄り、愛娘をきつく抱きしめた。
「無事で……よかった……」
 大の男が――それも武に生きる、立派な体躯の男が、涙ぐみながら小さな娘を包み込んだ。
 ――大切な者を失うなど、もう二度とごめんだ……。
 タオロンの(たくま)しい腕が震えていた。
 ファンルゥが苦しげに身じろぎするが、タオロンは大きな掌と、広い胸板で彼女を離さない。少し高めの子供の体温が愛しくてたまらなかったのだ。
「パパ……」
「ああ」
「えっと、んっと……」
「ああ」
「……ごめんなさい」
「ああ」
「…………」
「ああ」
 ファンルゥが無事なら、もうそれでよいと、タオロンは思った。
 勿論、脱走は駄目だと、あとで言い含めなければならない。けれど本当は、こんな軟禁生活を強いている自分がいけないのだ。
 父親なのに情けない。不甲斐なさに、彼は奥歯を噛みしめる。
 のびのびと、自由に。毎日を元気に笑って過ごせる暮らしをファンルゥに与えてやりたい……。
 タオロンは切に望み――願い……祈る。
「パパ……?」
 尋常ではない様子の父に、ファンルゥは戸惑っていた。
 幼い彼女にも、自分が原因だと分かっていた。そして、父が辛そうなときは、黙っていないといけないと、ちゃんと知っていた。
 けれど、今の彼女には、父が喜ぶ『とっておき』があった。
「パパ、パパ! あのね!」
 窮屈な父の腕の中で、ファンルゥが、ぐっと顎を上げる。
「?」
 タオロンは不思議に思った。いつもなら、こんなときは神妙な顔をする娘が、瞳を輝かせている。どうしたのだろうと、彼は彼女を抱きしめる腕を緩めた。
「あのね! ルイフォンとリュイセンが来ているの!」
「なっ……!?」
 声をはずませる娘に、タオロンは耳を疑った。
 少し前、確かに彼は、GPS発信機を持ち帰ることによって、この場所をルイフォンに教えた。だがそれは、近衛隊に守られた庭園への侵入など不可能だと、半ば諦めつつのことだった。
 斑目一族から追われているタオロンは、〈(ムスカ)〉に庇護されている身である。だから、ルイフォンに協力することは、恩義ある〈(ムスカ)〉への裏切り行為であり、許されないことだ。
 それでも――。
『お前の娘を助けてやる』
 草薙シャンリーの甘美な響きに抗えるはずもなかった。彼らなら、なんとかできるのではないかと、無責任にも他人任せのわずかな希望にすがった。
「本当に……、来たのか……!」
 タオロンは、思わず口から漏れそうになった嗚咽をこらえた。
 娘の前で、泣くわけにはいかない。これ以上、みっともない父親は勘弁だ。
「うん! 『あの子』のところは駄目だけど、リュイセンが絵を届けてくれるって」
 ファンルゥが元気に答える。『あの子』と言われてもタオロンにはさっぱりだが、感極まった今の彼には冷静に聞き返す余裕はない。
「ええとね、それでね。ルイフォンが、パパに伝えてって」
「ルイフォンが!? あいつが何を!?」
 何か、協力すべきことがあるのだろうか。
 タオロンは身を乗り出す。しかし、娘の口から出たのは、まったく予想外で、とても端的な言葉だった。
「『俺たちは、ここに居る』――って」
 幼い子供の高い声に、あの猫目を光らせたテノールが重なる。
 ファンルゥが『ふたりに会った』と告げたあとでは、内容的には意味はない。だが、タオロンの胸の中で熱い血潮がたぎり、全身を駆け巡った。
「……そうか……、そうか……!」
 ルイフォンは、タオロンが監視されていることを知っている。身動きが取れないと分かっている。
 だから、余計なことは省いた。その代わり、大切な事実だけをファンルゥに託した。
 ――『待っていろよ』と。
「パパ、嬉しい? ルイフォンたち、来て、嬉しい?」
「ああ……。ああ、嬉しいよ……」
「やったぁ!」
 ルイフォンが言っていた通りに父が喜んでくれたと、ファンルゥは満面の笑顔になった。タオロンもまた、心を踊らせながら娘に尋ねる。
「ふたりとは、どこで会った?」
「ファンルゥ、迷子だったから分かんない。でも、階段まで送ってくれたの」
 外を指しながら『階段』という娘に、彼は不審に思いながらも窓の外を覗く。そこから見えたのは、小さな手形の付いた雨どい。そして、非常階段――。
「!?」
 きらりと、何かが金色に光ったような気がした。
 タオロンにはそれが、ルイフォンの尻尾の先の鈴に思えた。
 たぶん、錯覚だろう。侵入者である彼らが、いつまでも外から見える場所でじっとしているわけがない。
 ――だが、確かに、彼らは来てくれた。迷子のファンルゥを保護して、そこまで送ってくれたのだから。
 タオロンは、すっと息を吐き、気を引き締めた。彼らと合流するまでは、自分は従順な〈(ムスカ)〉の部下でいなければならない。彼らの潜入を〈(ムスカ)〉に気取られてはならないのだ。
「ファンルゥ、そろそろ俺は行かないとな」
「ルイフォンたちに会いに行くの?」
「いや、〈(ムスカ)〉に呼ばれている」
 今日は摂政が来るので、余計な揉めごとを避けるために、〈(ムスカ)〉の私兵たちは部屋に籠もるように命じられていた。だが、タオロンだけは〈(ムスカ)〉に用を言いつかっていた。
 だからこそ〈(ムスカ)〉のところへ行く前に、こうしてこっそり、ファンルゥの部屋に寄ることができたのだ。
「パパ、お仕事? いってらっしゃい!」
 ファンルゥがタオロンに向かって両手を広げると、大好きな父親はちゃんと心得ていて、彼女を高く高く、掲げてくれた。
 しかも今日は、くるくると回るという、おまけつきだった。
 ファンルゥは空を飛び、景色が巡る。
 彼女が開け放された窓のほうを向いたとき、いつもとはまったく違う光景が見えた。
 紫のお花畑の先に広がる、緑の野原。いつものファンルゥの視界では、無限に続いていたはずの草の海には、果てがあった。
 ぐるりと庭園を取り囲む、高い壁。その一端に、立派な門。
 そして続く、太い道路。
 草原には果てがあっても、その先の世界は、どこまでも、どこまでも繋がっている……。
「ファンルゥ、行ってくるよ」
 最後にぎゅっとファンルゥを抱きしめると、タオロンは部屋を出ていった。
 ファンルゥは、久しぶりに見た父の笑顔に大満足だった。

5.魂の片割れの棲まう部屋-1

5.魂の片割れの棲まう部屋-1

 偽造カードキーを滑らせ、ルイフォンとリュイセンは、難なく目的の倉庫に入り込んだ。
 扉を閉め、中から鍵をかけ直すと、ふたりは安堵の息をつく。やはり、姿を隠せる場所のほうが落ち着いた。
 しかし、すぐにリュイセンが顔色を変えた。
「おい、ルイフォン。ここは本当に『倉庫』なのか?」
 半分、呆然と。残りの半分は、ぎょっとしたような様相である。
 当然だろう。
 部屋の右の壁が一面、造り付けの洋服掛けになっており、何着もの豪華なドレスが掛けられていたのだから。更には、左側の壁は帽子や靴、鞄といった小物が並んだ棚になっており、中央にはアクセサリーを収めた低めのショーケースが置かれている。極めつけに、天上からは絢爛としたシャンデリアが垂れ下がっていた。 
 埃よけのためか、硝子の扉が付けられており、ものによっては覆いも掛けられていたが、一見したところ、まるで高級ブティックだ。それも男にはかなり敷居の高い、きらびやかな類の……。
「ここは、王妃の衣装部屋だったらしい」
「はぁ……」
 ルイフォンの答えに、リュイセンはなんともいえぬ微妙な声を返した。
「置いてあるものが、ちょっと……なんだが、要するに、使われていないものが置かれている場所だろ? つまり、倉庫だ」
「いや、まぁ、そうだけどな」
 度肝を抜かれたリュイセンとしては、その程度の説明では納得できなかったらしい。釈然としない顔をしている。
 実のところ、ルイフォンだって、監視カメラの解像度の低い映像からは、こんな派手な部屋は想像していなかった。遮光カーテンのために全体的に薄暗いのも、目測を誤った原因だろう。――言い訳がましいのは格好悪いので、そこは口をつぐむが。
「だって、すぐそこが王の部屋なんだぜ? お前が想像しているような、掃除用具とか替えのシーツとかが置いてあるような倉庫が、近くにあるわけないだろ」
「そりゃ、まぁ……」
「で、その代わり、王の居室の近くには、王妃が身支度を整える部屋がある。――必然だ」
 ルイフォンは、さも自分が正しいと言わんばかりの口調で主張した。
「……まぁ、確かに」
 憮然とした面持ちながらも、リュイセンは現状を受け入れてくれたようだ。……言いくるめたともいう。
 ともかく夜までの半日あまりは、彼らには非常に不似合いな、すなわち限りなく居心地の悪い部屋での待機となった。
「仕方ないから、このまま作戦続行でいいけどさ。お前は、この部屋に、その……やましさみたいなものを感じないのか?」
 素朴な疑問、といった(てい)でリュイセンが尋ねる。
「いや、別に」
 変にお硬い兄貴分からすれば、女性の部屋に忍び込んでいるような、背徳的な気分なのだろう。だが、この部屋の(あるじ)は、とっくに老衰で亡くなっている。ルイフォンにとっては、古ぼけた服と小物が置いてあるだけの『倉庫』だ。
 ただ――。
「強いていえば、メイシアがこういう世界の人間だったのかと思うと、複雑かな……」
 ルイフォンは改めて、上流階級の貴婦人の部屋を見渡した。
 王族(フェイラ)の血を引くメイシアは、この部屋の(あるじ)の血縁に当たるのだろう。彼女の実家にも、きっとこんな衣装部屋があったに違いない。ルイフォンと出逢う前は、彼女もまた華やかに着飾り、社交の場に出ていたはずなのだから。
 ここにあるものは、今のメイシアには縁がなくなってしまったもの。けれど、かつての彼女にとっては、とても身近だったものだ。
 (あで)やかに身を飾った彼女は、さぞかし美しかったことだろう……。
 癖のある前髪が目元に掛かり、無意識にうつむき加減になっていたことに、ルイフォンは気づいた。自分らしくないなと、乾いた嗤いが漏れる。
 鬱陶しげに髪を掻き上げると、眉を曇らせたリュイセンの顔が視界の端に引っかかった。
「ルイフォン……」
「ん? なんだ?」
 ただの感傷に、くよくよしても仕方ない。ルイフォンは努めていつもの声で返事をする。
「……今夜は長い夜になる。今のうちに、仮眠とまではいかないまでも、体を休めておくぞ」
 リュイセンは一瞬、声を詰まらせていた。本当は別のことを言おうとしていたのだろう。
 けれども、彼は腰の双刀を外して座り込んだ。アクセサリーのショーケースに背を預け、お前も休めとばかりに、顎をしゃくってルイフォンを促す。
 ルイフォンは、「そうだな」と従った。
 肩が触れるか触れないかのところで、無言で隣り合う。その距離感が妙にありがたかった。


 寝ているわけではないだろうが、リュイセンは軽く目をつぶっていた。ルイフォンも倣おうとして、そういえばと思い出す。腰を落ち着けたからには、館の現状を確認しておくべきだろう。
 彼はおもむろに携帯端末を取り出すと、滑らかな手つきで操作を始めた。
 無事に部屋に戻ったファンルゥは、おとなしく絵を描いていた。なんだか、とてもご機嫌な様子で、ルイフォンの口元もほころぶ。
 会食会場のカメラへと映像を切り替えると、贅を凝らした皿の数々が映し出された。それなりに時間が経過しているはずなのだが、未使用のナイフとフォークの数から推測すると、まだまだ序の口であるらしい。さすがは王族(フェイラ)のお招きというところか。
 ハオリュウは相変わらず、外面のよい笑顔を浮かべており、どうやらうまくやっているようだ。こちらも問題ないだろう。
 会食の模様を見ているうちに、ルイフォンも空腹を覚えてきた。ハオリュウのようなご馳走は望むべくもないが、持ってきた携帯食料で食事を摂るくらいはよいだろう。
「なぁ、リュイセン」
 端末から顔を上げ、隣を見やる。その瞬間、ルイフォンは息を呑んだ。
 リュイセンの美麗な横顔が、険しさに彩られていた。
 張り詰めた表情は呼吸すらも忘れてしまったかのようで、身じろぎひとつない。けれど、床に向けられた視線は、鋭く空間を薙ぎ払っている。
「リュイセン?」
「ルイフォン、この部屋の奥は、どうなっている? カーテンで仕切られているようだが」
「奥? 確か、王妃が化粧や着付けをするための場所になっているはずだ」
 それが、どうしたというのだろう。ルイフォンが首を傾げると、リュイセンが厳しい声を出した。
「つい最近、誰かがこの部屋に入った。ここを抜けて奥に行ったんだ。――床に痕跡がある」
「え?」
 リュイセンの言葉に、ルイフォンは絨毯の敷かれた床を凝視する。
「俺には分かんねぇぞ」
「なら、そこの硝子の扉を見てみろ」
 洋服掛けを示され、ルイフォンは目を凝らす。
 館の中心部であるこのあたりは、〈(ムスカ)〉が住むようになる前は王族(フェイラ)の雇った掃除婦によって、こまめに磨かれていた。だから比較的、綺麗なのであるが、それでも数ヶ月も放置されれば埃が積もってくる。硝子の扉の表面も、うっすらと白くなって……。
「!」
 薄汚れた硝子の一部に、そこだけ拭き取られたような筋が走っていた。扉の前を通った際に、服の端でこすってしまった、そんな跡だ。
「誰かが――いや、こんなところに来るのは〈(ムスカ)〉しかいない。……奴が、ここに来たというのか?」
「おそらくな」
 リュイセンの肯定に、ルイフォンは焦りを覚える。
 夜までの待機場所を決めるにあたり、ルイフォンは〈(ムスカ)〉が立ち入らない部屋であることを絶対の条件としていた。そして、この衣装部屋に目星をつけたあとは、安全の確認のために、ずっとカメラで監視していた。――そのはずだった。
「……見落としたのか? そんな馬鹿な……。俺は確かに……」
 ルイフォンは途中で唇を噛んだ。形跡が残っている以上、何者かの出入りは現実である。異を唱えるのは見苦しいだけだ。
「ルイフォン。お前は、この部屋は使われていない部屋だと言っていた。だが俺はこの床に、人の足跡と、台車か何か……車輪のついたものが通過した跡を見つけた。たぶん、重たいものを奥の空間に運び入れたんだろう」
 畳み掛けるリュイセンに、ルイフォンは力なく頷く。
「お前が言うんだ。その通りなんだろう」
「すまんな。だが、俺たちは侵入者だ。用心すべきと思ってな」
「あ、いや……。俺こそ……、悪い」
 腑に落ちなくとも、これはルイフォンのミスだ。彼は素直に頭を下げた。
「まぁ、単に〈(ムスカ)〉が生活していく上で、自分の部屋が手狭になったから、余計な荷物を近くの部屋に移しただけ、ってことかもしれないけどさ」
 面目なく肩を落とす弟分に、リュイセンが軽口を叩く。だが、ルイフォンは首を振り、携帯端末を操作し始めた。
「この部屋は危険かもしれない。移動しよう」
 別の待機場所を見つけるために、ルイフォンは指を滑らせる。
 ――それにしても奇妙な状況だった。
 この部屋はずっと、映像を解析していた。動くものがあれば気づいたはずだ。なのに〈(ムスカ)〉は、ルイフォンに知られずにこの部屋に入った。
 不快感が背中を駆け上り、ルイフォンは体を揺り動かす。
 部屋の奥の空間だって、確認済みだった。そこには、大きな鏡の付いた化粧台がでんと構えており、それとは別に全身を映し出せるような姿見が壁に据え付けられているのだ。
 王妃のための、かなりゆったりとしたスペースになっており、明らかに貴人のためのものと分かる大振りなテーブルとソファーも置かれていた。それでも充分に場所は余っていたので、〈(ムスカ)〉が物置きに使うことは可能だろう。
 ――だが……。
 何故、よりによって、と思わずにはいられない。
 ルイフォンが決めた待機場所に、〈(ムスカ)〉が出入りしていた。
 ただの偶然……? ――本当に、そうだろうか。
 ……〈(ムスカ)〉は、奥に何かを運び入れたらしい。――いったい、何を……?
「――って、気になるなら、確認すればいいだけだよな」
 無精者のルイフォンは奥を覗きに行くでなく、どっかりと座り込んだまま携帯端末の上で指を走らせた。モニタの映像が、奥の空間に取り付けられたカメラに切り替わる。
「…………っ!?」
 映し出された光景を見て、ルイフォンは声を失った。
「ルイフォン? どうした?」
 隣から、リュイセンが覗き込む。
「なんだ、これは……」
 兄貴分もまた、呟きを漏らしたまま絶句した。
 画面の中央に、『培養液で満たされた硝子ケース』が鎮座していた。
 それは、つい先ほど、ハオリュウに取り付けたカメラを通して見たものと酷似していた。
『ライシェン』と呼ばれた、次代の王の揺り籠に……。
 移動に使われたと思しきストレッチャーの上に載せられたままのそれは、『ライシェン』のケースよりも遥かに大きく、しかし、同様のものであることは想像に難くない。
 その中の人物の詳細は長い黒髪に邪魔され、判然としなかった。
 見に行くべきか――?
 ルイフォンが、そう思ったときだった。
 培養液にたゆたう()の人の体が、寝返りをうつように転がった。ゆらりと髪がなびき、その刹那、白い容貌がちらりと見える――。

「ミンウェイ……!」

 リュイセンの唇から、名前がこぼれた。魅惑の低音はかすれ、ひび割れていた。
 黄金比の美貌が、鋭く研ぎ澄まされていく――。
 彼は愛刀を握り、立ち上がった。
「待てよ、リュイセン! 落ち着け!」
 ルイフォンの制止も聞かず、リュイセンは身を翻す。肩で(そろ)えられた黒髪が、(くう)を斬り裂いた。
 勢いよく、仕切りのカーテンが取り払われる。
 中のものが日に焼けないよう、遮光カーテンの薄闇に包まれた空間――けれど、カーテンのわずかな隙間から、すらりと陽が射していた。
 直線に入り込んだ光は、壁の姿見に弾かれ、化粧台の三面鏡で乱反射する。ほのかな明るさが広がり、暗いはずの空間を幻想的に灯していた。
 その中心で、淡く浮き立つように照らし出された――硝子ケース。
 リュイセンは立ち尽くし、眠る麗人の姿を凝視する。
 美しい黒髪が、再び顔を覆い隠していた。
 長い、長い髪である。培養液の中を漂っているために定かなことは分からぬが、くるぶしまで届くのではなかろうかと思われる。(つや)やかな髪は大きく広がり、顔を、肩を、胸を……一糸まとわぬ白い裸体を隠す。
 ……不意に髪が揺らめいた。
 その美貌があらわになる――。
「……!」
 ルイフォンとリュイセンは、同時に瞳を瞬かせた。
 ――ミンウェイではなかった。
 けれど、よく似ている。カメラ越しに見たリュイセンが、ミンウェイ本人と間違えるのも無理はないくらいに。
「……ルイフォン」
「ああ……」
「これ……いや、『彼女』は……。……ミンウェイの……母親、なのか……?」
 リュイセンの声は震えていた。ルイフォンだって、心臓が早鐘を鳴らしている。
『彼女』は、ミンウェイそっくりで、しかし遥かに年上で。ちょうど彼女の母親くらいの年齢に見えた。
「俺に訊かれても、分かんねぇよ……」
『彼女』は病に侵されたミンウェイの母親で、その命の()を完全に失う前に〈(ムスカ)〉によって眠らされた姿なのではないか――。
 リュイセンが、そう言いたい気持ちは分かる。けれど、ルイフォンに何かを答えられるはずもなかった。
 ふたりは無言で『彼女』を見つめる。
 豪華な調度に囲まれた、合わせ鏡の空間に眠る美女。
 神秘的な光景だった。
「……あのさ、リュイセン」
 ルイフォンの呼びかけに、リュイセンが『彼女』から視線を移す。
「俺は、こんな硝子ケースは初めて見た」
「ん? 俺だって初めてだが……それがどうした?」
「そうじゃなくてさ。俺はお前とは違って、ずっとこの館中の監視カメラの映像を見てきた。なのに、こんなものは見たことなかった、って意味だ」
「じゃあ、館の外から持ち込まれた、ってことか?」
 ルイフォンの言葉の意図が掴めず、リュイセンは困惑顔で尋ねる。
「違う。地下だ。これは、今まで地下の研究室にあったんだ」
「地下?」
「ああ。地下には監視カメラがない。だから、俺も見たことがなかったんだ。――この硝子ケースは、大きさは違うが、どう見ても『ライシェン』のケースと同じものだ。つまり本来は、研究室にあるべきものだったんだ」
「なるほど。けど、何故、移動させたんだ?」
 リュイセンが首をかしげる。その質問を、ルイフォンは待っていた。
「今日、摂政が研究室に来ることが分かっていたからだ」
「え?」
「摂政が、ハオリュウを連れて『ライシェン』を見に来る。そのとき、もしも隣に『彼女』がいたら……? おそらく、好奇の目で見るだろうな」
「ああ……。そうだろうな」
 リュイセンが、再び『彼女』に目をやった。兄貴分には、ルイフォンの言いたいことが伝わったのだろう。
 摂政には、『彼女』は、ただの実験体に見えるはずだ。硝子ケースには操作パネルが付いており、酸素濃度やら液圧やらまで表示されている。どう見ても『研究対象』である。
 だが、〈(ムスカ)〉にとっては違う。
『彼女』が何者かは分からないが、〈(ムスカ)〉にとっては大切な『人』であることは間違いないのだ。摂政が『もの』を見る目を向けることを、決して許しはしないだろう。
 だから、『彼女』を移動させた――隠したのだ。
「〈(ムスカ)〉は今朝、摂政が来る直前に、『彼女』をここに運んだんだ。今日は作戦の決行日だから俺も慌ただしくしていて、部屋の様子を確認する余裕がなかった。――すまん!」
 ルイフォンは深々と頭を下げる。
 致命的なミスだった。今日こそ、最後の確認をしておくべきだったのだ。
「いや、いいって。――ともかく、状況は分かった。すぐにここを出るぞ」
 リュイセンが穏やかに笑う。そして、ふと呟くように尋ねた。
「けど、どうして、この部屋に隠したんだ? 地下からは結構、遠いよな」
「ああ。でも、なんか分かる気がするな」
 ルイフォンは華やかな衣装を見ながら、美しく着飾ったメイシアを思い浮かべた。おそらく、〈(ムスカ)〉も同じだったのだろう。
 しかも〈(ムスカ)〉は、王の居室を自室として構えた。
 ならば、彼の愛する相手にふさわしい場所はどこか?
 ――決まっている。王妃の部屋だ。
 ルイフォンは癖のある前髪を掻き上げた。
(ムスカ)〉はメイシアを苦しめた憎い敵だ。同情など、微塵にもない。
 だが、『彼女』のためにこの部屋を選んだ〈(ムスカ)〉の心は……。
 奇妙な切なさに支配されそうで、ルイフォンは乱暴に前髪を掻きむしる。
 ルイフォンは『彼女』をちらりと見やった。鏡に囲まれた美女は変わらずに眠っていたが、神々しいまでに清らかで……禁忌に触れそうな危うさを放っていた。

5.魂の片割れの棲まう部屋-2

5.魂の片割れの棲まう部屋-2

 ひとまず、面倒な仕事は終わった。
(ムスカ)〉は、やれやれとばかりに溜め息をついた。
 先ほどは、この神聖な研究室に、俗人が土足で踏み込んできた。許しがたい蛮行であった。
 白衣の長い裾を翻し、〈(ムスカ)〉は研究室を大股に歩き回る。抑えきれない苛立ちを鎮めようと、彼の足は無意識のうちに動いていた。
 それは、自分の領域(テリトリー)を侵された、獣の習性とよく似ていた。他者の気配の残る場所を、獣であれば自分の臭いで清めるように、摂政とその客の貴族(シャトーア)が存在した痕跡を〈(ムスカ)〉は足音でもって消し去ろうとする。
 窓のない地下室に、硬い床を打ち鳴らす靴音だけが響いていた。
「……っ」
(ムスカ)〉の口から舌打ちが漏れる。
 本来、彼には摂政カイウォルに従う義務はない。
 摂政とは、王宮で政務を執る人間である。それに対して、〈(ムスカ)〉の属する〈七つの大罪〉は、神殿に拠点を置く研究機関。まったく別系統の組織だ。
 勿論、王宮にしろ、神殿にしろ、頂点に立つのは王である。だからカイウォルとしては、摂政という王の代理の職にある自分には、〈(ムスカ)〉に指図する資格があると言いたいのだろう。しかし、それはとんでもない間違いだ。

〈悪魔〉とは、『真の王から創世神話の真実を告げられ、それをもとに研究を行う者』だ。

〈悪魔〉たちは、打ち明けられた王族(フェイラ)の『秘密』を決して外部に漏らさぬ誓いの証として『契約』を交わす。口外したら死を約束すると、脳に刻み込まれる。
 だが『契約』は、王との主従関係の契りではない。あくまでも取り引きであり、『秘密』の流布を恐れる用心深い王が保険をかけているだけだ。
 では、何ゆえに研究者たちが、命を預けるような『契約』を受け入れてまで〈悪魔〉となるのかといえば、見返りに魅力があるからだ。
 王が提供する、潤沢な資金。どんなに人の道を外れた研究をしても許される、絶対の加護。蓄積された門外不出の技術に触れられる、唯一の手段……。
 天秤の皿の左右に、命と見返りを載せたとき、そのままで見返りに傾く者はまずいない。けれど、命の皿から『良心』という分銅を取り除くことができたなら……。命の皿は、あっけないほど簡単に軽くなる。
 すなわち、〈悪魔〉とは、『研究のために、魂を捧げた者』。
〈七つの大罪〉の研究者が、『悪魔』と呼ばれる所以(ゆえん)だ。
 しかし、あの摂政は禁秘の技術の崇高さも、研究への高潔なる情熱も、まるで理解していない。カイウォルの頭にあるのは、権力にまつわる利害関係だけだ。
 奴は、我欲の塊だ。
(ムスカ)〉は、ふんと鼻を鳴らす。非常に不快であった。
 それでも〈(ムスカ)〉がカイウォルを立ててやるのは、本来の姿の〈七つの大罪〉が失われ、彼を蘇らせたホンシュアも死んだ今、彼の生活の保証をしているのがカイウォルだからである。
 恒久的な関係を持つつもりなど毛頭ないが、彼は、ある意味で『まだ、生まれたばかり』だ。現状について、知らないことが多すぎる。『独り立ち』するまで、もう少し時間がほしい。
 だから、手を組む。
(ムスカ)〉は、カイウォルに『ライシェン』を提供する。
 カイウォルは、〈(ムスカ)〉に資金と安全を保証する。
 対等な関係であるはずだ。――それが、高慢な王族(フェイラ)に通じるわけもないが。
 そして、上流階級の人間を相手にする場合、適当に機嫌をとっておいたほうが扱いやすいことなど、〈(ムスカ)〉は百も承知していた。
 彼は、がりがりと掻きむしるように頭を掻いた。そして何気なく、抜けて指に絡まった髪を見やる。
 黒い毛に混じり、白髪が一本、きらりと光った。
「……」
 三十代の記憶を持つ彼にとって、五十路手前のこの体は、肉体的にも精神的にも苦痛だった。研究日誌を付ける際に、老眼が混じっていることに気づいた日には、おぞましさに吐き気すらもよおした。
 こんな『自分』という存在を作ったホンシュアを恨んだ。
 何もかもが宙ぶらりんなまま、勝手に死んだ彼女が憎かった。
 そして、姿を見たこともないホンシュアの本体、鷹刀セレイエを呪った。
 すべての元凶は、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を作った、鷹刀セレイエだ。
 彼女は今どこにいて、何をしているのか。
 彼女は間違いなく、王族(フェイラ)と深い繋がりがある。それは、『ライシェン』が証明している。
(ムスカ)〉は『ライシェン』の硝子ケースの前で立ち止まり、じっと彼を見つめた。白金の髪の胎児は、培養液に体を預け、夢見るように眠っていた。
 経過は順調だった。あと少しで凍結保存できるだろう。
 ここで初めて、〈(ムスカ)〉は、ほんの少し表情を緩めた。
『ライシェン』は、摂政カイウォルへの切り札という『駒』ではあるが、同時に〈(ムスカ)〉の大切な研究の成果でもある。彼なりの愛情を注いでいた。
(ムスカ)〉が足を止めたことで、研究室は静けさを取り戻した。ほぼ無音となった室内を、空気清浄機の運転音が低くうなりを上げる。それに混じり、階段を降りてくる足音が、わずかに聞こえてきた。
 斑目タオロンが来たのだろう。
〈悪魔〉でも王族(フェイラ)でもない人間に、硝子ケースに入った〈神の御子〉を見られるわけにはいかない。〈(ムスカ)〉は、『ライシェン』に黒い布を掛けた。
 そして、机に向かって書き物をしているふりをしていると、ほどなくしてタオロンが研究室の扉を叩く。
「待っていましたよ」
(ムスカ)〉は平坦な声で出迎えた。本当は待ちわびていたなど、おくびにも出さない。
「まだ館の中に客がいるようだが、今でいいのか?」
「構いません。もう摂政殿下は、研究室の視察を終えられましたからね」
 淡々と、そう答える。
 タオロンのことは、先ほど〈(ムスカ)〉が呼びつけた。彼を連れて、『ミンウェイ』を迎えに行くためである。
 あんな埃っぽい部屋に、いつまでも彼女を置いておけるわけがない。一刻も早く、この清浄な研究室に戻すべきだった。
 ――〈(ムスカ)〉は、摂政が研究室に来ると聞いて、『ミンウェイ』を隠すことを考えた。あの男の目に『ミンウェイ』の姿が映るなど、想像しただけで虫唾(むしず)が走ったからだ。
 そして、ここに移り住んだばかりのころに見つけた、王妃の支度部屋に彼女を連れて行くことを思いついた。豪華な衣装や、立派な化粧台のある、彼女にふさわしい美しい部屋だった。
 それが今朝、数カ月ぶりに訪れて驚いた。
 すっかり埃にまみれていた。かといって、今更、場所を変える余裕もなく、そのまま彼女を置いてきてしまったのだ……。
『ライシェン』には、布を掛けてタオロンの目を誤魔化すにとどめ、『ミンウェイ』のことは手間を掛けて、丁重に別室に移す。ここに、ふたつの硝子ケースに対する、〈(ムスカ)〉の想いの差が如実に現れていた。
「それでは行きましょうか」
(ムスカ)〉が白衣の裾を翻すと、タオロンもあとに続いて研究室を出た。


 狭く暗い地下通路に、ふたつの足音が木霊(こだま)していた。
 しばらく行くと、階段にたどり着く。上階に繋がる、唯一の手段だ。
 地上の階にはエレベーターが完備されているが、地下には通っていない。地下の研究室は〈(ムスカ)〉がこの館に居を構えるにあたり、あとから作られたものであり、もとからあるエレベーターを伸ばすのが困難だったためだ。
 そして、この階段こそが、『ミンウェイ』の移動に、タオロンが必要となる理由だった。
『ミンウェイ』の大型の硝子ケースには、相応の重量がある。運搬にはストレッチャーが不可欠なのだが、車輪は階段を越えられない。
 故に、ここだけは、ふたりがかりで人の手で、となるわけだ。
 今まで、〈(ムスカ)〉は階段に不便を感じたことはなかった。勿論、エレベーターのほうが自室との行き来が楽であろうが、この老化した体を少しでも鍛えるためには、かえって健康的で良いとすら思っていた。
 しかし、今日だけは別だった。
(ムスカ)〉は、神経質な眉間に皺を寄せる。
 小生意気な貴族(シャトーア)の子供に、さも当然とばかりに車椅子を運ばされたのを思い出したのだ。
 あの子供は、藤咲メイシアの異母弟だ。〈(ムスカ)〉のことを知っていて、わざと人夫の扱いをしたのだ。小賢しさに、はらわたが煮えくり返る。
 そう――。
 あの子供は、『藤咲メイシア』の異母弟なのだ。
 摂政カイウォルが、あの餓鬼を囲い込もうとするのには政治的な意図もあろうが、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』とも無関係ではないだろう。
 摂政は、藤咲メイシアが生きていることを知っていた。
 もしや奴も『藤咲メイシアの正体』を知っているのだろうか……?
(ムスカ)〉の内部を焦りの感情が駆け抜ける。
 そうであれば、摂政がなんらかの行動に移る前に、藤咲メイシアを手に入れる必要がある――!
「……っ」
 知らずのうちに肩に力が入っていたことに気づき、〈(ムスカ)〉は自嘲した。今は、『ミンウェイ』を迎えに行くところだ。険しい顔は似合わない。
 冷静さを取り戻し、後ろにいるタオロンに不審に思われなかったかを、少しだけ気に掛ける。イノシシ坊やになんと思われようとも構わないのだが、余裕のないところを他人に見せるのは、彼の美学に反するからだ。
 背後の様子を探り……〈(ムスカ)〉は首をかしげた。
 タオロンの気配が揺れていた。
 口数の多い男ではないので、黙々とついてくるだけなのは不思議ではない。しかし、妙な緊張感を身にまとっている。無理に心を落ち着けようとして、かえって気を乱しているのが明らかだった。
「どうかされましたか?」
「……っ! いや……何も!」
 振り返った〈(ムスカ)〉に、タオロンは大仰な素振りで答えた。
 それは、ルイフォンたちが来ていることを聞いた彼が、平常心でいられなかったためなのだが、当然のことながら〈(ムスカ)〉はそんなことを知らない。
 脅えたようにも見えるその仕草に、だから〈(ムスカ)〉は勘違いをした。これから迎えに行く『ミンウェイ』に、タオロンは憎悪と畏怖を(いだ)いているのであると――。
 今朝、『ミンウェイ』を王妃の部屋に連れて行くとき、彼女を初めて見たタオロンは、〈(ムスカ)〉に憤怒の表情をぶつけてきた。
 おそらく、彼女を人体実験の被験者か何かだと思ったのだろう。だから、視察に来るという摂政の目から、彼女を隠そうとしている。そう解釈したのだ。
 タオロンは、〈七つの大罪〉の技術を『人として許されない』と言って嫌悪している。いつだったか、彼の怪我の治癒に〈七つの大罪〉の技術を用いたと教えたら、自分の傷跡を穢らわしいものを見る目で睨みつけていた。
 それでも『ミンウェイ』を運んでいる間、口ではひとこともなかった。
 自分の立場をわきまえていて、余計なことを言ってはならぬと分かっているのだ。
 典型的な『非捕食者』だ。これでは斑目一族にいいように利用されていたのも、仕方ないといえよう。
(ムスカ)〉は、タオロンに憐れすら覚える。
 娘さえ人質に取っていれば、非常に従順な部下であることを〈(ムスカ)〉は誰よりもよく知っている。だからこそ、こうして『ミンウェイ』を運ぶのにも、金で雇った私兵ではなくタオロンを使っているのだ。
 条件つきであるのは承知していたが、〈(ムスカ)〉はタオロンを信頼していた。
「『彼女』は、私の妻ですよ」
 わずかに笑みをこぼしながら、〈(ムスカ)〉は告げた。
 わざわざ、タオロンに教えてやる必要はないのは分かっている。ただ、得体の知れない不気味な『もの』を見る目を、彼女に向けてほしくなかったのだ。
「二十歳になる前に亡くなりましたけどね」
「――!」
「禁忌に触れたと、私を責めますか?」
「……っ、俺は――」
(ムスカ)〉の問いに、タオロンはうめくような低い声を漏らし、途中で唇を噛んでうつむく。
 もとより、どんな返答も期待していない。だが、これでタオロンは、彼女のことを『人』として見るようになる。そういう男だ。
 実のところ、あの『ミンウェイ』が何者なのかは、〈(ムスカ)〉も知らない。
 彼女は、彼がホンシュアによって蘇らされたときから、彼のそばに居た。彼が目覚めた手術台の近くに、彼女の硝子ケースが置かれていたのだ。
 彼が知っていることは、それだけだ。けれども、彼女がミンウェイである以上、彼の愛する者だった。
 押し黙ったままのタオロンを残し、〈(ムスカ)〉は(きびす)を返そうとした。そのとき、野太い声が「〈(ムスカ)〉」と呼び止めた。
「死んだ〈天使〉ホンシュアが、俺に尋ねたことがある」
「〈(サーペンス)〉が? あなたに何を?」
 タオロンの口から出るにしては、意外な名前だった。〈(ムスカ)〉は、にわかに興味を(いだ)く。
「『もしも、死んだ人間を生き返らせる方法があったら、生き返らせたいか』――と」
「……!」
 それは、〈(ムスカ)〉が――ヘイシャオが、(こいねが)ったことだ。
 心を撃ち砕かれたかのように、〈(ムスカ)〉の動きが止まった。
 そしてタオロンもまた、次の句を詰まらせていた。猪突猛進の彼にしては珍しいことだった。
「……つまり、『彼女』は……。いや、なんでもねぇ……」
 何かを振り切るように頭を振り、タオロンは太い眉に力を込めて言葉を打ち切る。
 沈黙が流れた。
 ホンシュアは何故、そんなことをタオロンに問うたのだろう。〈(ムスカ)〉はそう思い、すぐに答えに行き着く。
「ああ……、そうでした。あなたも妻を亡くされていましたね」
 その呟きは、特にタオロンに向けたものではなかったのだが、そばにいた彼は当然、自分に向けられたものだと解釈した。 
「『妻』じゃねぇよ。俺は、籍も入れてやれなかった。――糞が……」
 毒づいて、そっぽを向く。地下通路の薄暗さに隠されているが、おそらく最愛の人を想う顔をしているのだろう。
 妻に尽くせなかったことを後悔しているのだ。……彼も。
 でも――。
「あなたは『生き返らせたいとは思わない』と、答えたのでしょう?」
(ムスカ)〉の断言に、タオロンは目を見開いた。
「ああ。……何故、分かった?」
「簡単なことです――」
 不器用で直情的な彼が、禁忌の技術を受け入れるわけがない。
「――あなたが『悪魔』ではないからですよ」
 それだけ告げると、〈(ムスカ)〉は階段を登り始めた。
 上階から漏れてきた光が〈(ムスカ)〉を照らし、黒い影を濃く伸ばした。それは、まるで悪魔の翼のようであった。

6.一条の輝き-1

6.一条の輝き-1

 遮光カーテンから漏れた陽射しが、壁の姿見に弾かれ、化粧台の三面鏡で乱反射する。
 そうして、鏡で彩られた空間は、淡く幻想的な光景を描き出す。
 そう――。
 硝子ケースの中で優雅に眠る、裸体の美女の姿を……。
 浮き立つように照らされた美貌は、ミンウェイに酷似していた。けれど、彼女よりもずっと年上で、ちょうど彼女の母親くらいの年齢に見える。
『彼女』は、いったい何者なのか?
『彼女』を王妃の部屋に連れてきた〈(ムスカ)〉の想いは……。
 切ない憶測が胸をよぎり、ルイフォンは『彼女』から目を離せなくなる。
「――……」
 唐突に、部屋が陰った。しかし、次の瞬間には、何ごともなかったかのように、もとに戻る。
 不自然な光の揺らめきに、ルイフォンの思考は遮られ、そこで『彼女』への意識が途切れた。なんのことはない。窓の外を鴉が横切っただけだ。しゃがれた不吉な鳴き声が聞こえてくる。
「……余計なことを考えている場合じゃなかったな」
 ルイフォンは、自らの頬をペしんと叩いた。よりによって鴉とは……などと思う心も振り払い、頭を切り替える。
 ここは危険だ。いずれ、〈(ムスカ)〉が『彼女』を迎えに来る。速やかに、この部屋以外の待機場所を決め、移動すべきだろう。
 彼の指先が、携帯端末の上を滑り出した。
 そのときだった。
「ルイフォン」
 緊張を帯びた声で、リュイセンが彼の名を呼んだ。ただならぬ様子に、ルイフォンの心臓が跳ね上がる。
「どうした?」
「今、かすかに機械音が聞こえた。エレベーターが動いている」
「!」
 嫌な予感に、ルイフォンは瞬時に端末の映像をエレベーターのカメラに切り替えた。……そこに映ったのは、斜め上のアングルからのふたりの人物だった。
「リュイセン、これ!」
「――っ!」
 画面を押し付けられたリュイセンの両目が見開かれ、口から短い息が漏れる。
(ムスカ)〉が、タオロンを連れてエレベーターに乗っていた。しかも、行き先はルイフォンたちのいる階だ。階数ボタンが点灯している。
 この階には〈(ムスカ)〉の居室がある。奴は、自分の部屋に向かっているのか……。
 ――否。
「奴は、『彼女』を迎えに来た。タオロンは手伝い、ってところだろう」
 ルイフォンの断言に、リュイセンも頷く。
 移動先をゆっくり検討している余裕はない。ともかく、一刻も早くこの部屋を出よう。――ルイフォンが、そう続けようと思ったときだった。
「ルイフォン。ここで奴を迎え討つぞ」
「――え?」
 ルイフォンが驚きの声を上げている間にも、リュイセンは上着を脱ぎ捨て、身軽になる。入口のほうへと向き直った横顔は、風を斬り裂くように研ぎ澄まされており、野生の獣の気配を身にまとっていた。
 臨戦態勢に入ったのだ。びりびりとした空気の震えに、ルイフォンは圧倒される。
「今から部屋を出ても、廊下で鉢合わせするだけだ。それなら、ここで待ち構えているほうがいい」
「リュイセン……」
 今やるべきことを見極めたときの兄貴分は、恐ろしく決断が早い。
「……そうだな……」
 相槌を打ちながら、ルイフォンは思案する。
 予定とはだいぶ違うが、この状況は決して悪くはない。
 映像から、相手はふたりとも丸腰だ。懐にナイフくらいは持っていたとしても、完全武装のこちらに分がある。
「……あ。つまり、そうか……!」
 ルイフォンは気づいた。
「そういうことに……なるのか!」
 ぶつぶつと呟く弟分に、リュイセンが、はっとしたように振り返る。
「すまん。ひょっとして、昼間から行動を起こすと、ハオリュウに迷惑が掛かるのか?」
 会議のときに、さんざん配慮が足りないと言われたのを思い出したらしい。兄貴分が気まずそうに眉を曇らせる。
「いや、その点は大丈夫だ」
 ルイフォンは即答した。それよりも、自分の気づいた事実に興奮していた。
 早くその話をしたかったのだが、リュイセンの狐につままれたような顔が、『何故、大丈夫と言い切れるのだ?』と問うている。生真面目な兄貴分は、納得しないことには落ち着かないだろう。
 ルイフォンは、まずはリュイセンの疑問に答えることに決め、ちらりと『彼女』を見やった。
「ここに、『彼女』がいるからだ」
「え?」
「〈(ムスカ)〉は、まず間違いなく、摂政から『彼女』を隠したがっている。だから、この部屋で俺たちを見つけたとしても、人を呼ぶことができない。騒ぎが大きくなれば、摂政の耳に入り、『彼女』のことを知られる可能性が高いからな」
「ええと、つまり……。他の場所ならともかく、この部屋での出来ごとだけは、他でもない〈(ムスカ)〉自身が内密に済まそうとする、ってことか?」
「そうだ。――で、ハオリュウに迷惑が掛かるのは、摂政に俺たちの侵入がばれ、ハオリュウの手引きを疑われたときだけだ。ほら、問題ないだろ?」
「なるほど……」
 突然の鉢合わせには慌てたが、冷静に考えると現状は願ってもいない好機だった。
「今なら、最高の布陣が敷けるんだ」
「最高の布陣?」
「ああ、実はな……」
 ルイフォンは、先ほど気づいたことを兄貴分に告げ、にやりと不敵に嗤う。リュイセンは驚きの表情を見せ、そして彼もまた、ふっと口元を緩めた。


 廊下に人の気配を感じた。〈(ムスカ)〉とタオロンだ。
 ルイフォンは息を潜めた。
 けれど、〈(ムスカ)〉も鷹刀一族の男だ。彼我の距離が近くなれば、気配を消すのに()けたリュイセンのことはともかく、ルイフォンの存在には、すぐ感づくだろう。
 だから、逃げも隠れもしない。
 王妃の部屋の作りは、扉を開けてすぐが、まるで高級ブティックのような衣装部屋。そして、カーテンで仕切られた奥が、化粧台や姿見の置かれた、身支度を整えるための場所になっている。大振りのテーブルとソファーまで用意されているので、控え室のような使われ方をしていたのだろう。だからこそ、〈(ムスカ)〉は『彼女』をここに連れてきたのだ。
(ムスカ)〉を待ち受けるにあたり、ルイフォンたちは奥を選んだ。
 激しい戦闘になる前に片をつけるつもりだが、万一、リュイセンが刀を振るうことになれば、広い空間のほうが望ましい。それに、『彼女』の存在が牽制になるかもしれないと考えた。
 仕切りのカーテンの向こうから、扉を開ける音が聞こえてきた。
 ルイフォンとリュイセンは、目線を交わし合う。
 いよいよだ。
 廊下から、ひやりとした空気が流れ込む。それと同時に、ふたつの狼狽の息遣いを感じた。
「誰かいますね」
 低い声が響いた。
 神経質に(とが)った言葉は、深い怒気をはらんでいた。魅惑の魔性を帯びた、鷹刀一族特有の声質が、凄みに拍車をかけている。
(ムスカ)〉は侵入者には気づいても、それがルイフォンたちであることを知らない。摂政の手の者が、何か不愉快な詮索をしているとでも考えたのだろう。強い警戒を放ちながらも、迷うことなく近づいてきた。
 期待通りの展開だ。
 ルイフォンが猫の目を細めたときのことだった。
 ばさりと。
 仕切りのカーテンが薙ぎ払われた。
「……なっ! ……き、貴様ら……!?」
 白髪交じりの髪がカーテンの起こした風に巻き上げられ、青白い血管の浮き出た額があらわになる。顔は驚愕に彩られ、唇はわなわなと震えていた。
(ムスカ)〉の素顔は初めてではないが、こうして間近でじっくりと見るのは初めてだった。見れば見るほどエルファンにそっくりで、同じ一族なのだと改めて思い知らされる。
 だからといって、あとに引く気などさらさらない。上の世代には思うところがあるようだが、奴に与えるものは『死』のみだと、総帥イーレオが一族の方針として宣言している。
 聞き出したい情報が山ほどあるから、今はまだ殺さない。
 だが――。

 ここで、決着(ケリ)をつける……!

『彼女』の硝子ケースを背に、ルイフォンとリュイセンは、まっすぐに前を見据えた。
「〈(ムスカ)〉、お前を捕らえに来た」
 ルイフォンのテノールが、静かに〈(ムスカ)〉を迎える。
 不意を()くような襲撃も考えた。
 実際、予定通りに夜中に仕掛けるのであったら、無言の一刀で斬りつけるつもりだった。
 けれど――。
 ルイフォンは、〈(ムスカ)〉から、ほんの少し視線をずらす。〈(ムスカ)〉の背後で、戸惑いの表情を浮かべているタオロンへと。
「タオロン。今すぐ、ここで――〈(ムスカ)〉と手を切ってくれ」
「!?」
 タオロンの太い眉がぴくりと上がり、眼球が迷子になったかのように落ち着きなく動き回った。同時に、〈(ムスカ)〉のこめかみが大きく脈打ち、眉間に深い皺を作り、激しい憤りを匂わせる。
 どちらも等しく、『強い当惑』と呼ぶべきものであったが、ふたりの感情はまったく異なる色彩をはらみ、不協和音を奏でた。
「タオロン、俺たちに協力してくれ。俺たちは〈(ムスカ)〉を捕らえたい」
 ルイフォンは重ねて呼びかける。
(ムスカ)〉は今、前方をリュイセン、後方をタオロンという、武の達人に挟まれている。
(ムスカ)〉自身もそれなりの使い手ではあるが、貧民街で初めて対峙したときに、リュイセンに対して『力では敵わない』と自ら認めている。自分は本来、表立って戦う者ではないと言って、衝突を避けたくらいだ。
 だから、タオロンがこちらにつけば、〈(ムスカ)〉に逃げ場はなくなる。
(ムスカ)〉は、メイシアの父親を、あの優しい親父さんを殺したも同然の怨敵だ。慈悲を掛ける価値はない。
 けれど、無駄に傷を負わせることを喜ぶような、性根の腐った人間に、ルイフォンはなりたくなかった。
 憎いからこそ。
 報復が、甘美な香りを放つからこそ。
 自分を律するためにも。自分の矜持にかけても。
『〈(ムスカ)〉を、できる限り無傷で捕らえる』
 それこそが、武を避け、策を弄する人間である〈(ムスカ)〉にふさわしい屈辱であり、決着のつけ方であるはずだ。
 鍵となるのは、タオロン。
 本来の作戦であれば、四六時中、見張られているタオロンに、あらかじめ接触することは不可能だった。だから、事後承諾で味方にして脱出をはかる予定だった。
 けれど今なら、きちんと筋を通して、タオロンと手を組める。仲間として手を取り合って、〈(ムスカ)〉を捕らえることができる。
 今回の作戦の目的は、勿論〈(ムスカ)〉を捕らえることだ。
 けれど、もうひとつある。
 それは、タオロンをこちらへと――光の中へと救い出すこと。
 この布陣は、ふたつの目的を同時に果たす、最高の布陣だ――!
「――っ」
 何か言おうと、タオロンが口を開きかけた。しかし、それを遮るように〈(ムスカ)〉の哄笑が響く。
「鷹刀の子猫。何をふざけたことを言っているのですか?」
「〈(ムスカ)〉!?」
「タオロンは、彼の意思で、私のもとにいるのです。何しろ私は、彼と娘を斑目一族の追手から擁護しているのですから。彼は、その恩を忘れるような男ではないでしょう?」
 明らかに圧力をかけるような物言いに、タオロンは顔を歪め、ぐっと唇を噛む。
「勝手を言いやがるな! 斑目から守っているってのは、嘘じゃねぇかもしれないが、ファンルゥを人質にタオロンをいいように使っている、ってのが実情だろ! そんな関係に、恩義を感じる必要はねぇ!」
(ムスカ)〉に言い返すと言うよりも、タオロンへと訴えかけるようにルイフォンは叫び、更に畳み掛ける。
「タオロン! シャンリーが――警備会社の『草薙』が、お前を雇いたいと言っている」
「……っ!?」
 タオロンの体が、びくりと動いた。浅黒い肌の色合いに変化はないが、その表情には確かに明るい色味が差した。
「ファンルゥと一緒に、住み込みでだ。お前の仕事中はファンルゥの面倒をみてくれるし、ファンルゥが独り立ちできるよう武術も仕込んでくれるそうだ」
「……!」
 小ぶりなタオロンの目が、太い眉を押しのけるかのように極限まで見開かれた。大きく息を吸い込んだまま半開きで動きを止めた口が、無言で『信じられない』と告げている。
「タオロン、俺たちの手を取れ!」
 ――やっと、言うことができた。
 初めて会ったとき、タオロンはメイシアを狙う敵であった。けれど、正義馬鹿の言動に圧倒された。憎むどころか、好感を持った。
 敵対する立場であるにも関わらず、彼は何度も助けてくれた。正しくあろうとする彼の魂は、いつだってルイフォンたちに近いところにあった。
 ずっと、ずっと。
 すれ違いながら、響き合っていた。敵であるのに、敵ではなかった。
 ルイフォンは、ずいと一歩、前に迫る。
 その拍子に、背中で編まれた髪が跳ねた。先を留める金の鈴が、鏡の光をぎらりと反射させる。その輝きは、ルイフォンの強い眼差しにそっくりだった。
「タオロン、俺たちのところに来い!」
(ムスカ)〉の憎悪の威圧を押しのけ、ルイフォンは手を差し伸べる。
 闇に捕らわれているタオロンとファンルゥの父娘を、光の側へと引き上げるように……。
 タオロンは、くしゃりと破顔した。
「お前らは、本当にいい奴だなぁ……」
 決して大きくはなく、むしろ囁くような呟きであった。けれど太い声は、まるで鏡に乱反射したかのように、部屋中に響き渡る。
 そして、今までに、ひとつも見たことのなかったタオロンの極上の笑顔もまた、合わせ鏡によって無数に、無限に広がっていった。

6.一条の輝き-2

6.一条の輝き-2

 差し伸べられたルイフォンの手に、タオロンは大きく目を見開き、巨体を震わせた。浅黒い顔が極上の笑みをこぼし、それが鏡に映って数多(あまた)に広がる。
「ありがとう、な……、……」
 力強く、太い声。
 ――けれど……。
 その言葉の先は、急速に細くしぼんでいった。
 タオロンの笑みは、くしゃくしゃと、くしゃくしゃと……崩れていき、やがて――絶望に彩られる。
「!? タオロン……?」
 不審な様子に、ルイフォンは胸騒ぎを覚えた。
「夢のようだ……。……ああ、けど……、けどよ、ファンルゥが……、ファンルゥが――! 糞ぉっ……!」
 タオロンはうつむき、その巨躯をわななかせる。低い吠え声が、鏡に跳ね返って響き渡った。
「タオロン?」
「すまねぇ!」
 拳を握りしめ、タオロンは叫ぶ。
「本当に、すまねぇ! 俺は、お前たちの手を取ることはできねぇ……!」
「――っ!?」
 信じられない返答だった。
 タオロンがこちらにつくことを前提に、〈(ムスカ)〉と正面から対峙した。
 それが、足元から崩れていく。
「なっ、何故だ!?」
「俺が〈(ムスカ)〉を裏切れば、ファンルゥが殺される……」
 下げられた頭から、髪を抑えている赤いバンダナの端が力なく垂れた。それは小刻みに震えており、タオロンの嗚咽を視覚化していた。
「どういうことだよ!? ファンルゥは部屋に閉じ込められているだけだろ? 今ここで〈(ムスカ)〉を捕まえちまえば、誰もファンルゥに手出しをできないはずだ」
「違う……! ファンルゥは、〈(ムスカ)〉に腕輪をはめられている」
「腕輪?」
 ルイフォンは、別れ際のファンルゥを思い出す。
『お部屋の扉は、ビービーだから駄目なの』と彼女は言った。彼女が部屋から出たら、腕輪に反応した扉が音を鳴らすのだと。
 けれど、そんな腕輪は外せばいいだけだ。ファンルゥが律儀に身に着けているのは、女の子らしく、アクセサリーとして気に入っているからだろう。
 どういうことだ? と疑問に思うルイフォンのそばで、リュイセンもまた同じく首をかしげる。
「腕輪って……、確か、あれは……」
 聞こえてきた兄貴分の当惑に、ルイフォンは、はっとした。
 慌てて「タオロン、説明してくれ」と割り込む。こちらの口ぶりから、実物を見たことがあるのが〈(ムスカ)〉に知られれば、それはファンルゥの脱走をばらしたも同然だ。彼女に危険が及びかねない。
 タオロンは顔を上げ、沈痛な面持ちをこちらに向けた。
「ファンルゥは、内側に毒針の仕込まれた腕輪をはめられている。〈(ムスカ)〉のリモコンで針が飛び出す仕掛けだ。無理に外そうとしても、同じことになる……」
「そんな……! 嘘だろう!?」
 食い下がるようなリュイセンに、タオロンは首を振る。
「本当だ。ファンルゥは――あいつは知らねぇけどよ……」
 震える声で、そう告げる。そこに、〈(ムスカ)〉の満足げな低い嗤いが重ねられた。
「リモコンの有効範囲は無限ではありませんが、この館の中であれば、私はあの娘を殺すことが可能なのですよ」
「――!」
 今この瞬間にも、ファンルゥの命は〈(ムスカ)〉の掌中にある……。
 そのことを理解して、ルイフォンは戦慄した。
 かくなる上は、タオロン抜きで〈(ムスカ)〉を捕獲するしかない。
 ルイフォンは、周囲に視線を走らせ、テーブルや化粧台の配置を確認する。
 タオロンが敵対しても相手が丸腰ふたりなら、完全武装のリュイセンに、ルイフォンの援護で勝てる……だろうか。
 そう、思考を巡らせていたときだった。
 不意に、ふらりとリュイセンが前に出た。
 刹那、リュイセンの腰元から銀色の閃光が(はし)り、それは途中で(ふた)つに分かたれた。
『神速の双刀使い』
 その二つ名の通り、ひとつの鞘に収められていた(ふた)つの刀が神速で抜き放たれ、彼の両の手へと宿った。
 (ふた)つの輝きは抜刀の勢いのままに、流星の如き長い尾を描き、〈(ムスカ)〉へと迫る。
「リュイセン!?」
 ルイフォンは、思わず息を呑んだ。
 銀光の軌道には、ひとつの迷いもない。
 双子の刀が大きく振りかぶられ、上から下へと、同時に力強く振り下ろされる――!

「!?」

 その瞬間、赤き血の華が散る……はずだった。
 何故なら、神速の太刀筋は、確かに〈(ムスカ)〉を捕らえていたのだから。
 なのに、部屋の景色が赤く染まることはなく、ましてや鉄の香が漂うこともなかった。
 そして、気づいたときには、リュイセンは後方に――ルイフォンのほうへと、戻るように跳躍している。
 ルイフォンには、何が起きたのか分からない……。
「……くっ!」
 音もなく着地したリュイセンが、悔しげな息を漏らし、刀を構え直した。
「リュイセン?」
「さすが、エルファンの小倅(こせがれ)。『神速』の名を受け継ぐだけはありますね。けれど、今はそれが(あだ)になった――というところでしょうか」
 涼しげに嗤う〈(ムスカ)〉の姿に、ルイフォンは混乱する。
 リュイセンも〈(ムスカ)〉も、どちらも傷ひとつ、負っていない。けれど、兄貴分の顔には焦りが混じっており、額にはうっすら冷や汗が浮かんでいる。
「リュイセン、お前、何をしたんだ?」
「あいつの両腕を斬り落とそうとした。腕がなければ、リモコンの操作もできないからな」
「――え?」
 そんな大怪我を負わせたら、命が危うくなる。『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』についての情報を得るまでは、〈(ムスカ)〉は生かしておかなければならないのだ。
 そう思ったのが顔に出ていたのだろう。リュイセンが弁解するように続けた。
「ああ。腕を落とすのはやりすぎだと思って、(けん)を断つにとどめようとしたさ」
 リュイセンは憎悪の瞳で〈(ムスカ)〉を睨みつける。けれど、〈(ムスカ)〉は、ふっと鼻で嗤った。
「なるほど、そういう意図でしたか。――エルファンも、なかなか無鉄砲でしたが、その息子も、ということですかね」
 ほんの一瞬、〈(ムスカ)〉の顔に懐かしむような色合いが見えた。だが、それはすぐに沈み、消えてなくなる。
技倆(うで)も悪くありません。褒めて差し上げましょう」
 くっくっと低い声を漏らす〈(ムスカ)〉に、リュイセンは肩を(いか)らせ「野郎……」と毒づく。
 けれど、〈(ムスカ)〉は無傷なのだ。
 ふたりの動きが見えなかったルイフォンは、困惑顔をリュイセンに向ける。
「お前が狙いを外す……わけないよな? 何が起きたんだ?」
「奴は、自分から斬られに、俺の刀の前に飛び込んできた」
「え? そんな馬鹿な……」
 反射的にそう言い返したルイフォンの言葉に、〈(ムスカ)〉本人が口を挟む。
「いえ、エルファンの小倅(こせがれ)の言う通りですよ。あなた方は私を『捕らえる』と言いました。つまり、殺す気はない。いえ、殺すわけにはいかないのでしょう? あなた方は、私の持つ情報がほしいのですから」
「……っ!」
「だから、私が飛び込んでいけば、小倅(こせがれ)は引かざるを得ない。――勿論、私の動きを見切り、すんでのところで刀の勢いを制御できるだけの技倆(うで)が必要ですけどね」
 そう言って、〈(ムスカ)〉は低く嗤う。
「まぁ、そのくらいなら、『神速の双刀使い』の名を継ぐ者に期待をかけてもよいと思ったのですよ」
 粘つくような視線を向けられ、リュイセンがぎりぎりと歯を鳴らす。だが、それは〈(ムスカ)〉に優越感を与えるだけであった。
「どうせですから、良いことを教えて差し上げましょう。――あの腕輪の毒針の仕掛けは、あなた方が考えているようなリモコンで作動するようなものではありませんよ」
「どういう意味だ」
 皆を代表するように、ルイフォンがいち早く尋ねる。
「私の脳波の、あるパターンがスイッチになっています。ですから、誰にも『リモコンを奪う』ことはできませんし、私のほうは文字通りタオロンの娘を瞬殺できるのですよ」
 それは、タオロンですら知らなかったことらしい。彼は愕然とした表情で固まっている。
(ムスカ)〉は、そんなタオロンに冷笑を送ると、麗しの美貌に余裕を載せて、ルイフォンとリュイセンを睥睨した。戦力的には、準備万端で仕掛けた侵入者であるふたりのほうが有利であるはずなのに、完全に掌で踊らされていた。
「それにしても、よく私の居場所を突き止めましたね」
 この状況をどう転がそうかと企むかのように、〈(ムスカ)〉が口の端を上げる。
「〈(フェレース)〉の俺に、不可能はないからな」
 ルイフォンは顎をしゃくり、胸を張った。
 本当は、タオロンがGPS発信機で潜伏場所を教えてくれたのだが、それがばれればファンルゥの命はない。大仰に言ってのけ、自分の手柄だと主張する。
「〈(フェレース)〉?」
 意外なところで〈(ムスカ)〉が首をかしげた。
「ああ、今はあなたが〈(フェレース)〉を名乗っているのでしたね。――〈天使〉でも〈悪魔〉でもないのに、おこがましい……」
 最後の呟きはごく小さなもので、首を振る動作と共に立ち消える。
「それで、藤咲メイシアの異母弟から会食の話を聞きつけて、摂政の使用人に紛れ込んだわけですか。まったく、殿下の管理もずさんなものです」
 小馬鹿にしたように肩をすくめ、〈(ムスカ)〉はわざとらしく溜め息をついた。
 それは、摂政への悪感情から生じた〈(ムスカ)〉の勘違いだったのであるが、ハオリュウが手引きしたことに感づいていないのなら好都合。わざわざ正してやる必要はない。ルイフォンは深々と頷いて肯定する。
「それで? あなた方は、私を捕らえて何を知りたいのですか?」
 不意の質問だった。
(ムスカ)〉は、ルイフォンの顔を窺うように覗き込む。黒髪に混じった、ひと筋の白い髪が、鏡に反射した光に当たって輝きを放つ。白があるからこそ、黒の存在がより一層、際立つ。
 黒い闇に生きる、白衣の〈悪魔〉は尋ねる。

「あなたが知りたいのは、『藤咲メイシアの正体』ですか――?」

7.万華鏡の星の巡りに-1

7.万華鏡の星の巡りに-1

『あなたが知りたいのは、『藤咲メイシアの正体』ですか――?』

「え……?」
(ムスカ)〉は今、なんと言ったのか?
 奴の低い声は、確かに聞こえたはずだった。その証拠に、ルイフォンの背筋は凍えている。
 なのに、反芻しようとしても激しい耳鳴りに打ち消され、言語化できない。
 ルイフォンは身動きがとれないまま、恐怖に見舞われた猫のように逆毛を立てていた。本能が危機を感じ取り、けれど、魂を抜き取られたかのように〈(ムスカ)〉を凝視している。
「おや、違うのですか? 私はてっきり、あなたは『藤咲メイシアの正体』を知りたくて、危険を犯してまで、この館に――私のもとに来たものと思っていたのですが」
「メイシアの……正体……」
「ええ。あの娘は、仕立て屋に化けた〈(サーペンス)〉に(そそのか)されて、鷹刀の屋敷に行きました。分かっているとは思いますが、〈(サーペンス)〉とは、あなた方も面識のある『〈天使〉のホンシュア』のことです」
「あ、ああ」
 口の感覚も麻痺してしまったかのようで、ルイフォンは、ただ機械的に相槌を打つ。
「お気づきですか? あの娘は、あなたと出逢う直前に、〈天使〉と会っているのです」
 にやりと。
(ムスカ)〉が、薄ら嗤いを浮かべた。
「あの娘に、ホンシュアが何をしたのか。――知りたいのでしょう?」
「……!」
(ムスカ)〉の言葉は、穏やかに問いかけているようでいて、ルイフォンが目をそらしていた疑問の小箱の蓋を、無理やりこじ開けようとしていた。
 血の気が引いていく。
 頭の中で、〈(ムスカ)〉の冷たい嗤いが反響する。
 嘲笑が、あちらこちらに広がっていき、体中を埋め尽くす……。
「馬鹿野郎! 耳を貸すな!」
 突如、リュイセンに肩を掴まれた。抜き身のままだったはずの双刀は、いつの間にか鞘に収めており、彼はルイフォンをぐいと引き寄せる。
 足に力の入っていなかったルイフォンは、ふらりと倒れそうになった。しかし、それを見越していたリュイセンの手が、さっとすくい上げ、崩れ落ちかけた弟分を力強く支える。
「あいにくだがな。俺たちは、お前の御託を聞きに来たわけじゃない」
 リュイセンが、ぎろりと〈(ムスカ)〉を睨みつけた。
 親子と見紛(みまご)うほどに酷似した美貌が、正面から向き合う。それはまるで時間のずれを堺に挟んだ、実像と鏡像だった。左右が逆さまであるのと同様に、心のあり方もまた正反対のところに位置している。
 リュイセンは牙をむき、きっぱりと言い放つ。
「俺たちは、お前を捕まえに来た。それは、お前が鷹刀にとって害悪だからだ。いずれ、情報は吐いてもらうが、それは今じゃない。今、俺たちが欲しいのは、お前の身柄だけだ!」
「ほう。私が鷹刀の害悪ですか」
(ムスカ)〉が口の端を上げ、挑発するように緩やかに腕を組む。その厚顔な仕草に、リュイセンが(まなじり)を吊り上げると、今度は満足げな笑みを浮かべた。
「鷹刀の害悪は、私ではなくて、『鷹刀セレイエ』ですよ」
「……っ!」
 唐突に出された『セレイエ』の名に、ルイフォンの心臓が跳ねた。普段は細く、すがめるような猫の目が、かっと見開かれる。
「斑目や、貴族(シャトーア)や、警察隊を巻き込み、鷹刀の屋敷を襲わせたのは、鷹刀セレイエです」
(ムスカ)〉の声が低く響き、部屋の空気を緩やかに、しかし大きく振動させる。
 ルイフォンの異父姉、セレイエ。
 生まれながらの〈天使〉。
〈天使〉である自分について知りたいと、自ら〈七つの大罪〉に飛び込んでいったまま、消息不明の彼女。
「……一連の事件を計画したのは……『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』を作ったのは、やはりセレイエなのか?」
 薄々、感づいていたことを――心の底では確信していたことを、ルイフォンは呟く。
(ムスカ)〉は、掛かったな、と言わんばかりの表情を隠しもせずに、リュイセンからルイフォンへと視線を移した。
「おそらくそうでしょうね。私は、鷹刀セレイエ本人には会ったことはないので、確認したわけではありませんが」
「!?」
「私は、『鷹刀セレイエの〈影〉』である、『〈天使〉のホンシュア』しか知りません。――私は、ホンシュアによって作られた。……いえ、『目覚めさせられた』のですから」
「どういう……こと、だ……」
 問い返してはいけない。これは悪魔の囁き。ルイフォンを翻弄するための、明らかな誘いだ。――冷静に、そう考える自分を感じながらも、ルイフォンは深みにはまっていく心を止められなかった。
「どうして驚いているのですか? 鷹刀イーレオやエルファンから、聞いているのではないですか? 『鷹刀ヘイシャオ』は、もう十数年も前に死んでいる、と」
「あ、ああ」
「なのに、まるで『鷹刀ヘイシャオ』が生き返ったかのような人物――つまり『私』が現れたなら、『私』は何者かによって作られた存在である。これは自明の理です」
「ああ、そうだな……」
 とっくに聞いていた、知っていた話だ。だが、まさか〈(ムスカ)〉本人の口から告げられるとは思ってもみなかった。ルイフォンは困惑を隠しきれずに、言葉を詰まらせる。
「私は、鷹刀セレイエの『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』のために、作られた存在です。しかも、セレイエの〈影〉であるホンシュアは、私の協力を得るために、私に嘘を教えました」
「嘘?」
「ええ。『オリジナルの鷹刀ヘイシャオは、鷹刀イーレオによって殺された』という嘘です。私は自分自身の復讐のために、鷹刀イーレオを狙ったのです」
(ムスカ)〉は、『義は我にあり』とでも言わんばかりに胸を張り、ルイフォンとリュイセンを睥睨する。
「別に信じなくても構いませんよ。どうせ、あなた方にしてみれば詭弁にしか聞こえないでしょうから。ただ私は、私が『鷹刀セレイエこそが、鷹刀の害悪』と言った理由を説明したまでです」
 信じるか、信じないか。
 おそらく〈(ムスカ)〉にとっては、たいした問題ではないのだろう。ルイフォンたちに揺さぶりをかけ、主導権を握ることさえできれば。
 そして厄介なことに、ルイフォンには、虚言だと跳ねのけることができなかった。彼の直感が〈(ムスカ)〉の弁は真実だと告げる。そう考えたほうが、すべてが綺麗に繋がっていくのだと。
(ムスカ)〉が勝ち誇ったような笑みを浮かべる。ルイフォンは押し黙ったまま、身動きが取れなくなる……。
 そのとき、リュイセンがルイフォンの肩を押しのけた。
「いい加減、黙れ」
 前に出た兄貴分は、すらりと双刀を抜き払う。
「話は、鷹刀の屋敷に行ってからだと言ったはずだ」
「それは、あなたの勝手な言い分です」
(ムスカ)〉が凍てつくような拒絶の眼光を放った。リュイセンは、父エルファンが激怒したときと瓜二つの容貌に、思わず萎縮する。
「あなたは、私のことを『鷹刀の害悪』だと言いました。『だから』捕まえるのだと。けれども私は、嘘に踊らされた憐れな道化(こま)に過ぎません。まったく、不愉快。不本意だと申し上げているのです」
 自らを駒扱いしながらも〈(ムスカ)〉の傲岸(ごうがん)は崩れることなく、むしろ、より一層、不遜さを増しながら抗弁を垂れる。
「何も知らないあなた方に、特別に教えて差し上げましょう」
(ムスカ)〉は顎をしゃくり、小馬鹿にしたように目を細めた。
「鷹刀セレイエの〈影〉――〈天使〉のホンシュアは、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の水先案内人でした。けれど、予定外の熱暴走を起こしてしまい、途中で役目を放棄せざるを得なくなりました」
 そこで〈(ムスカ)〉は言葉を切り、視線をリュイセンより半歩、後ろにいるルイフォンへと向けた。そして、捕食相手を見つけた獣のように、嬉しげに口角を上げる。
「避けられぬ死を目前にしたホンシュアは、私にある重大な事実を打ち明け、あとを託したのですよ。『藤咲メイシア』に関する――ね」
「!」
 絡みつくような響きに、ルイフォンの全身を怖気が貫く。
「藤咲メイシアが鷹刀を訪れたところから、『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の歯車は勢いよく回りだします」
(ムスカ)〉の言葉の牙が、ゆっくりとルイフォンへと迫る。
「彼女が屋敷にいることで、鷹刀イーレオは誘拐の罪に問われます。けれどホンシュアは、イーレオなら警察隊くらい軽くあしらうと信じていました」
 淡々と、緩やかに。
 低い声が、じわじわとルイフォンを追い立てていく。
「何故なら鷹刀セレイエの目的は『鷹刀イーレオの捕獲』ではありませんでしたから。彼女の真の狙いは、『藤咲メイシアを、鷹刀の屋敷に送り込むこと』だったのですから」
「……っ、……そんなことは、気づいていたさ」
 うそぶくように、ルイフォンは答える。
 ――そうだ。気づいていた。
 メイシアの実家、藤咲家を襲った不幸は、貴族(シャトーア)のメイシアが凶賊(ダリジィン)のルイフォンと巡り逢うために仕組まれた罠。
 あの事件さえなければ、ふたりは互いを知ることすらない運命だった。
「おや、ご存知でしたか」
 意外だとでもいうように、〈(ムスカ)〉が肩をすくめる。
「では、〈天使〉のホンシュアと接触のあったあの娘は、あなたと出逢うよりも前に『鷹刀セレイエの駒』にされていたことは理解できているわけですね?」
「……」
「ならば疑問に思わなかったのですか? あの娘は、本当に自分の意思であなたに恋心を(いだ)いたのか?」
「――!」
 ルイフォンの心に、氷の(くさび)穿(うが)たれた。
「あんな上流階級の娘が、凶賊(ダリジィン)のあなたを相手にするなんて、普通に考えればあり得ないでしょう?」
 畳み掛けるような言葉が、ルイフォンを襲う。
 そして、悪魔は囁く。

「『デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』の鍵となるために、〈天使〉のホンシュアに操られた『藤咲メイシア』は、色仕掛けであなたを籠絡したのですよ」

 メイシアは『目印』だというペンダントを持たされていた。
 しかも、彼女自身は『お守り』だと思い込まされていた。
 彼女は〈天使〉による脳内介入を受けている。
 それは、紛れもない事実――。

「実に見事な策でした」

 凍りついた心臓が千々に砕け、崩れ散る……!
「嘘だ――!!」
 激しい目眩(めまい)がした。ルイフォンは頭を抱え込み、両手で耳をふさぐ。
 その刹那――。
 ふわりと。
 白衣の長い裾が、宙に浮かび上がった。
 それは〈(ムスカ)〉が前へと踏み込むために、足をかがめた反動だった。
 そして、ほんのわずか。鏡に映った白衣が舞い上がるのと同じ程度に遅れて、床を蹴る靴音が鳴り響く。
 ――と、思った次の瞬間、ルイフォンの目の前に〈(ムスカ)〉の顔があった。
「!? ――っ!」
 完全に無防備な状態での、鳩尾(みぞおち)への容赦ない拳の一撃。
 呼吸が止まる。目がくらみ、視界を失う。ルイフォンは声にならない叫びを上げて、無様(ぶざま)に床に転がされる。
「ルイフォン!?」
 すぐ隣にいたリュイセンが叫ぶ。
 リュイセンにとって、至近距離での、まさかの出来ごとだった。いくら不意打ちだったとはいえ、神速を誇るはずの彼が庇うこともできずに、弟分が一瞬にして倒された。
 その衝撃に、〈(ムスカ)〉の第二撃目への警戒が遅れた。それよりも、ルイフォンに駆け寄ろうとしてしまった。
 リュイセンが、はっと気づいたときには、〈(ムスカ)〉は白衣の胸ポケットから万年筆を取り出していた。それを、力いっぱい、リュイセンの左腕に刺す。
「っ!?」
 攻撃自体は、たいした殺傷力を持たない。
 だが、わずかに腕がしびれた。
 それが、命運を分けた。
「!」
 間髪を()れず、リュイセンの左手の甲を〈(ムスカ)〉が蹴り上げる。その拍子に、あろうことか、リュイセンは双刀の片方を取り落とした――!
「タオロン!」
 床に落ちた刀を〈(ムスカ)〉が蹴り飛ばす。双刀の片割れは、相方への未練を残すかのような長い銀光を伸ばしながら、タオロンのもとへと流れていった。
「タオロン、その刀でエルファンの小倅(こせがれ)を捕獲しなさい。無理なら殺しても構いません。鷹刀の子猫さえいれば、藤咲メイシアを呼び寄せることが可能ですから」
(ムスカ)〉は指示を出しつつ、ふわりと後方へと下がる。ルイフォンが、うめき声を上げながら起き上がろうとしているのに気づいたのだ。
 リュイセンが武装している以上、ルイフォンだって武器を隠し持っているはず。〈(ムスカ)〉は正しくそう読んだ。
「〈(ムスカ)〉、卑怯だぞ!」
 倒れているルイフォンを守るように位置を取りながら、リュイセンが叫ぶ。
「何を言っているのですか? あなた方と私の間には、初めから『殺し合い』しかありません」
「……っ!」
 リュイセンが息を呑んだ。床で上体を起こしたルイフォンもまた、びくりと肩を震わせる。
「理由はどうであれ、私は鷹刀に刃を向けました。鷹刀イーレオは凶賊(ダリジィン)の総帥として、私を許すわけにはいかないでしょう」
(ムスカ)〉の口元が、ふっとほころぶ。それは悪意の欠片もない、純粋な笑みだった。
「彼は優しい方です。仮にも義理の息子と呼んだ私――いいえ、『ヘイシャオ』の記憶を持つ私を、殺めたくなどないでしょう」
 おそらく、その通りだろう。だから、ルイフォンやリュイセンにしてみれば、生ぬるいとしかいいようのない態度を、イーレオは取り続けたのだ。
「けれど、……お義父さん……は、心でどう感じていたとしても、情には流されません。私を捕らえ、情報を得たあと、殺すでしょう。それが、凶賊(ダリジィン)であり、総帥であり、鷹刀イーレオという男です」
「〈(ムスカ)〉……」
 ルイフォンは痛む鳩尾(みぞおち)を押さえながら、もと一族の男の毅然とした姿を見上げる。とうに決別した相手を遠くに思うその顔は、壮麗な穏やかさで満たされていた。
(ムスカ)〉の後ろでは、タオロンが震える手で双刀の片割れを握っていた。今までの話の流れは、タオロンに武器を与えるためのものだったのだと、今更ながらルイフォンは悟る。
「『話し合い』などありません。『殺し合い』しかないのです。――故に私は、全力であなた方を殺します」
 甘やかに、(いと)しげに。
 魅惑の低音が、静かに響いた。

7.万華鏡の星の巡りに-2

7.万華鏡の星の巡りに-2

 かつては、王妃が着飾るために使われていた麗しの部屋は、いまや殺伐とした空気で満たされていた。華やかさの象徴であるはずの鏡が映し出すのは、美装した貴人ではなく、離れ離れになった双子の刀と、その所持者たちである。
「タオロン。エルファンの小倅(こせがれ)は、あなたに任せました。殺しても構いません」
(ムスカ)〉はそう言って、すっとタオロンの後ろに下がった。
「念のために忠告しておきますが、あなたの敗北は、すなわち、あなたの娘の死です。彼らに協力するために、わざと負けたりしたら、娘の命はないということですよ」
 低い声が冷酷に告げる。彫像めいた〈(ムスカ)〉の顔は、眉ひとつ動くことはない。
「畜生……!」
 タオロンの唇が、わなわなと震え、小さな呟きが漏れた。
「〈(ムスカ)〉っ……! ……糞おぉっ――!」
(ムスカ)〉は、怨嗟の声を咎めたりはしなかった。ファンルゥの命を握っている以上、タオロンは逆らえない。分かりきっているから、無意味なことはしない。そういうことだろう。
 しかし――。
「では、頼みましたよ」
 鷹刀一族特有の、有無を言わせぬ魔性の響きが、静かに圧力を掛けながらタオロンを急かせる。
 床から半身を起こしたルイフォンは、自分がまんまとしてやられたのだと気づいた。〈(ムスカ)〉は初めから、彼の心の隙を狙っていた。弱いところを的確に突いてきた。
 ――メイシアは……。
 本当に〈(ムスカ)〉の言う通り、操られてルイフォンに好意を寄せてくれたのかもしれない。
 自信過剰な彼であるが、メイシアに対してだけは自信を持てない。
「……っ」
 彼は、迷いを振り切るように前髪を掻き上げた。
 今すべきことは悩むことではない。
 窮地に陥っているのはルイフォンのせいだ。責任を持って、この状況を打破しなければならない。
 自分のミスも挽回できないような、そんな情けない男は、そもそもメイシアにふさわしくない――!
 ルイフォンは、そっと右腕を動かした。そして、服の中に隠し持っていた小さな刃を袖口へと移す。
 やや潰れたような菱形の刃で、暗器と呼ばれる類のルイフォン愛用の投擲武器である。それ自体の殺傷能力は低いが、先端にはミンウェイ特製の毒物が塗ってあり、刺されば大の男でも数分で昏倒するという代物だ。
 鳩尾(みぞおち)に受けた打撃の痛みは、まだ残っている。けれど、動くことは可能だ。顔を上げれば、額にじわりと冷や汗を浮かべるタオロンの姿が目に入った。
 タオロンは、リュイセンの双刀の片割れを握りしめ、奥歯を噛み締めていた。固く厚い手には不似合いな、優美で繊細な刀が、震えるタオロンの腕に合わせて小刻みに揺れる。その振動によって、細やかな銀光がちらちらと散り乱れていた。
 彼は、この対戦を望んでなどいない。けれど背後では、〈(ムスカ)〉が殺気に近い、鋭い視線を放っている。
「……」
 タオロンはごくりと唾を呑み、全身の筋肉をぐっと引き締めた。
「すまん」
 太い声がひとこと、そう告げた。
 銀光の揺らぎが、ぴたりと止まる。その後ろで、〈(ムスカ)〉が底意地の悪い笑みを浮かべる。
「リュイセン」
 ルイフォンは、自分を守るように立っている兄貴分の名を呼んだ。
「なんだ?」
 緊張に強張った返答には、焦りが混じっている。
 リュイセンは、この状況に窮している。負ければ当然、命の保証はない。だが勝ったところで、ファンルゥが殺される。どちらも選べないのだ。
「俺たちとタオロンは決別した」
「なっ……!? ルイフォン、お前……!」
(ムスカ)〉への警戒のため、リュイセンが振り返ることはなかったが、明確な動揺が伝わってきた。批難めいた口調に、しかしルイフォンは構わず、続けてタオロンに声を掛ける。
「タオロンもだ。俺たちは、もともと敵同士だ。お前がこちらについてくれれば助かると思ったが、お前にも事情がある。別に悪くは思わない」
「ルイフォン……。すまない」
 言葉を噛みしめるように、タオロンが頭を下げる。そこへ〈(ムスカ)〉が割って入ってきた。
「いったい、どういう心境の変化ですか?」
 そう言って、訝しげに目を細める。
(ムスカ)〉の弁は、もっともである。ルイフォンは先ほど、タオロンに仲間になれと言ったばかりだ。未練も見せずに、あっさりと掌を返せば、不審に思うのは当然だろう。
 ルイフォンは左手で鳩尾(みぞおち)を押さえ、不覚だったとばかりに不敵に嗤う。低い位置からでありながら、好戦的に〈(ムスカ)〉を()めつけた。
「お前が『殺し合い』を求めているのなら、俺たちは腹を(くく)らなきゃ死ぬ、ってだけだ」
「ふむ」
「やろうぜ? お前の言う『殺し合い』を――」
 癖の強い前髪の間から、ルイフォンの猫の目が光る。彼は、右袖に暗器の刃を隠したまま、上着の内側からナイフを出した。
 リュイセンの影に潜みながら間合いを測り、ルイフォンは一気に駆け出す。一本に編んだ髪が、彼を追うように真後ろになびき、先端で金の鈴を踊らせた。
「!?」
 息を呑んだのは、タオロンだった。
 彼は自分の懐に飛び込んできたルイフォンを、信じられないものを見る目で見つめ、慌てて借り物の刀で応戦する。だが、そのときにはルイフォンはさっと身をかがめ、床を転がりながら下がっていた。
「リュイセン、頼む! お前が動いてくれなきゃ、俺たちは死ぬ!」
「! ルイフォン!」
 刹那、リュイセンの足が床を蹴った。
 彼自身は、タオロンと戦うことにまだ納得していない。けれど直感が、弟分の指示に従えと命じた。
 神速の煌めきが、タオロンを襲う。
 タオロンもまた、愛用の大刀より遥かに軽い刀をしならせ、高速で迎え討つ。
 ――!
 火花が散った。
 双子の刀が切なげな悲鳴を上げる。味方であるはずの相方を傷つけたくないのだと、嘆きの声を響かせる。
 しかし、所持者たちは流れを止めることなく、続けて一合、二合と斬り結ぶ。少しでも遅れれば斬られると、彼らの肉体は互いに知っているのだ。
 ルイフォンは、激しく剣戟を交わすふたりの向こう側の〈(ムスカ)〉を盗み見た。奴は満足げに口の端を上げていた。そのことに、ひとまずほっとする。
 タオロンは正義馬鹿だが、愛娘のためになら、いくらでも非情になれる。
 おそらくは、今までに何度も、意に沿わぬ殺生を行ってきたはずだ。親しみのある粗野な口調に童顔が相まって、明るく気のいい若造に見られがちだが、本当は辛酸を()めながら、たった独りでファンルゥを守り育ててきたのだ。
 だから、タオロンは割り切ることができる。
 けれど、リュイセンには無理だ。
 ファンルゥに対して子供は苦手だと尻込みしたのに、彼女の気持ちを汲んでやり、存在しない病弱な『あの子』に届けるからと、絵まで預かってやっていた。
 縁のない他人には冷たいくせに、一度、認めると途端に情に厚くなる。そんなリュイセンが、ファンルゥを切り捨てられるわけがない。
 けれど。
 それは、ルイフォンだって同じだ。
 タオロンのことも、ファンルゥのことも、諦める気はない。
 だからこそ、〈(ムスカ)〉に悟られてはならないのだ。
『ルイフォンとリュイセンにとっても、ファンルゥは人質となり得る』ことを――。
 激しい斬撃の応酬は、苛烈さを増していく。
 リュイセンが旋風を巻き起こし、タオロンへと襲いかかる。無駄のない軌道は、芸術的なまでに美しく。そして鋭く、大気を斬り裂く。
 神速の一撃を、しかしタオロンは正面から、しかと捕らえた。
 慣れない刀に、愛用の大刀ほどの強度を期待してはいけない、との思いからだろうか。彼は力ずくでは押し返さない。すぐに横に流しつつ、体幹の安定の良さを活かし、間髪を()れずに踏み込む。
 鍛え上げられたタオロンの太い腕が、更に膨れ上がったかのように見えた。
 鈍いうなりを上げ、タオロンの猛撃がリュイセンへと叩きつけられる。細身の刀身が、勢いに呑まれたかのようにたわんだ。
 けれどリュイセンは、タオロンの豪腕から繰り広げられる圧倒的な力を、そのまま受け止めるような愚は犯さない。猪突猛進の剛力を受け流すべく、わずかに構えの角度をずらす。
 光が弾けた。
 輝きを伸ばしながら滑っていく刀に、タオロンは息を呑む。
 もしも、手にしているのが彼の愛刀であれば、力のままに押し斬ることができただろう。けれど、いつもよりも軽い一刀は払いのけられ、タオロンの上体が、ほんの一瞬、均衡を崩す。
 リュイセンにとって、またとない好機。
 しかし、彼の次の手は、お世辞にも神速とはいえなかった。本来、二の太刀を繰り出すはずの双刀の片割れが、タオロンの手にあるからだ。
 勝手が違うがための惑いのうちに、タオロンは体勢を整えている。
 ルイフォンの見たところ、両者の実力は互角だった。
 以前、勝負したときにはリュイセンが勝ちを収めたが、あのときはタオロンが負傷していた。リュイセン本人も、運が良かっただけであると、いつか改めてタオロンと戦ってみたいと、微笑みながら言っていた。タオロンだって、リュイセンを好敵手と認めていたような節がある。
 そんな両雄が、再び相まみえた夢の舞台――。
 けれど、ふたり共、こんな形では叶えたくなかっただろう。
 双子の刀が悲痛の声を上げるたびに、きらり、きらりと銀光が飛び散り、部屋を彩る鏡によって輝きが乱反射する。時々刻々と形を変えていく光の紋様は、まるで万華鏡を覗いているかのよう……。
 ルイフォンは、ふたりの後ろへと視線を移した。そこに、憮然とした顔の〈(ムスカ)〉がいる。思ったよりもタオロンが苦戦している、ということなのだろう。
 ルイフォンは、すっと息を吸い、腹に力を入れた。
「〈(ムスカ)〉」
 よく通るテノールを響かせると、〈(ムスカ)〉の眉が上がる。
「お前の相手は、俺がしてやるよ」
 そう言って、ルイフォンは好戦的に嗤う。対して〈(ムスカ)〉は、面白い冗談を聞いた、とばかりに鼻を鳴らした。
「ほう。あなたが私の相手を?」
「ああ。リュイセンだけに戦わせるわけにはいかないからな」
「あなたは、貧民街で私と対峙したときのことを忘れたのですか? 私にまったく歯が立たず、駆けつけたエルファンの小倅(こせがれ)によって、命からがら助けられていたではないですか」
「さて?」
 ルイフォンは余裕の笑みを浮かべ、挑発するように言い放つ。
「俺は細かいことは気にしねぇんだ」
 ――勿論、ルイフォンは覚えている。
 まともにぶつかれば、あっさり返り討ちに遭うのは目に見えている。貧民街での出来ごとは、忘れ得ない屈辱であり、教訓だ。
 それでも――。
「今度は、俺が勝つさ」
 ルイフォンは口角を上げる。
 何故なら、タオロンとファンルゥを光の中へと救い出すには、それしかないからだ。
『リュイセンとタオロンの力は、拮抗している』
 つまり、簡単には決着がつかない。
 すなわち、しばらくの間は、『どちらも負けることがない』。
 だから、勝敗が決まる前に、ルイフォンが〈(ムスカ)〉を倒す。
『タオロンの敗北が決定するまで』は、ファンルゥの無事が保証されているのだから。
 ルイフォンはナイフを構えたまま、間合いを取るように後ろに下がった。
「得意のナイフ投げですか?」
 威勢のよい啖呵を切りながら遠距離からの攻撃とは腰抜けだと、〈(ムスカ)〉が揶揄するように嗤う。力の差を誇示するためにか、奴から積極的に動く気はないらしい。
 ルイフォンは何も答えない。答えてやる義理もない。
 腰を落とし、〈(ムスカ)〉を警戒するように睨みを効かせながら、それでも彼は、ゆっくりと離れていく。
 ルイフォンは、愛用の投擲武器を隠し持っている。狙いの正確さには自信がある。しかし、投げたとしても、リュイセンの神速を見きれる〈(ムスカ)〉には避けられてしまうだろう。
 だから使えない。かわされたら最後、丸腰の〈(ムスカ)〉に拾われる。結果として、奴に武器を与えたも同然となる。
 かといって、ナイフでの接近戦も賢い手ではない。体格の差は歴然としている。
 ルイフォンは更に下がる。
 激しい(つば)()り合いを繰り広げるリュイセンとタオロンを挟み、〈(ムスカ)〉からは死角になるように位置を測る。途中、横目に化粧台の存在を把握し、椅子の配置を確認する。
 ――!
 背中が、目的のものに触れた。
『彼女』の硝子ケース――おそらく、〈(ムスカ)〉が最も大切にしているもの。
 だが、それこそが目的だとは悟らせない。
 彼は、硝子ケースとストレッチャーに退路を断たれ、後がないことを焦るかのような驚きの表情を作った。
(ムスカ)〉は、一瞬だけ、不快げに眉をひそめた。
 他人が『彼女』に触れたことを嫌悪しているのだろう。しかし、すぐにルイフォンを小馬鹿にしたように口元を歪ませる。
 ルイフォンは、自分を(はば)んだものの正体を確かめる仕草で後ろを向いた。
 ――その瞬間が、勝負だった。
 彼は、硝子ケースの操作パネルに手を触れ、高速で指を走らせた。
 ルイフォンと〈(ムスカ)〉の間では、リュイセンたちが刀を交えている。だから、手元は見えていないだろう。しかし、ルイフォンがパネルに触れたことは分かったはずだ。
「――!? 貴様ぁっ! 何をした!?」
 大音声(だいおんじょう)が響き渡った。
 地の底から轟くような威圧の怒りに、部屋を巡る鏡が震えた。激しく打ち合っていたリュイセンたちも、思わず手を止める。
 ルイフォンは、素早く振り返る。毛先を彩る金の鈴が、この場を一刀両断するように、綺麗な円弧を描きながら輝く。
「俺は、医学的なことは門外漢だ。けど、『酸素濃度』とか『液圧』とかいう設定値を、いい加減な値に変更することはできる。勿論、正しい値に戻すことはできねぇけどな!」
 ルイフォンは、高らかに宣告した。
 刹那、〈(ムスカ)〉の顔が恐怖と憤怒で、どす黒く染まった。
「『ミンウェイ』――!」
 まるで体重を感じさせない足の運びで、〈(ムスカ)〉が跳んだ。長い白衣の裾がはためき、邪魔だとばかりにリュイセンたちを押しのけ、一直線に向かってくる。
 ルイフォンは、横目に位置を確認しておいた椅子を蹴倒し、〈(ムスカ)〉の行く手に障害を作った。そして彼自身は窓に向かって逃げる。
(ムスカ)〉は、ルイフォンの姿など見ていない。まっすぐに『彼女』に向かう。椅子を飛び越え、ひた走る。
 怒りの矛先は間違いなくルイフォンであるが、〈(ムスカ)〉にとって、彼を追うことよりも『彼女』のパネルの値を適正値に戻すことのほうが、比較するまでもなく重要だった。
 実は……。
 ルイフォンは、設定など変えていなかった。
 さすがに、ミンウェイの母親かもしれない『彼女』を危険な目に遭わせるわけにはいかないだろう。
 だが〈(ムスカ)〉は、ルイフォンが手を下したと信じた。たとえ信じなかったとしても、自分の目で確認しなければ気が済まないはずだと、ルイフォンは読んでいた。――卑怯かもしれないが、〈(ムスカ)〉の気持ちを利用した。
(ムスカ)〉が『彼女』にたどり着く。操作パネルに手を伸ばす。
 その瞬間。
 窓際でタイミングを測っていたルイフォンは、遮光カーテンを一気に開いた。
 薄暗かった部屋に、まばゆい陽光が流れ込み、鏡に跳ね返って乱反射を繰り広げる――!
(まぶ)し……!」
(ムスカ)〉の口から声が漏れた。
 ――と同時に、(まぶ)しすぎる光量によって、操作パネルの表示が薄ぼんやりとしか見えないことに気づく。
「お、おのれ……!」
 屋外での携帯端末の使用の際に、画面の光度を調整しないと非常に見にくくなる。ルイフォンにとって身近な不自由を利用した、たわいのない奇策。
 しかし、一刻も早く『彼女』の安全を確保せねばと焦る〈(ムスカ)〉には、効果てきめんだった。
(ムスカ)〉は、完全に動転していた。窓辺から舞い戻ってきたルイフォンが、背後を取っても気づかぬほどに。
 室内になだれ込む、燦々(さんさん)と輝く太陽の光
 この光は、救いの光であり、導きの光だ。
 闇に囚われているタオロンとファンルゥを救い、ルイフォンを勝利に導くための――。
 ルイフォンは、袖に隠した刃を右手に滑らせ、無機質な顔で〈(ムスカ)〉の背中を見やる。
 暗器に塗られた毒は、ひとたび体内に入れば、丸一日は目覚めることがない。その間に、〈(ムスカ)〉を鷹刀一族の屋敷まで運び込む。
 タオロンは脱出に協力してくれる。
 ファンルゥの腕輪の毒針の仕掛けは、〈(ムスカ)〉の脳波がスイッチだ。奴が意識を失っていれば無効。そして館の外に出れば、リモコンの範囲外で無効になる。

 ――これで、終わりだ!

 ルイフォンは無慈悲な眼差しで、肘から先を鋭く振り下ろす。
 指先から飛び出した菱形の刃が、ぎらりと煌めき、彗星のように長い尾を伸ばした……。

7.万華鏡の星の巡りに-3

7.万華鏡の星の巡りに-3

 ――――!?

 菱形の刃の先が〈(ムスカ)〉の背中に届く瞬間、奴の体が素早く動いた。
「嘘だろ……」
 ルイフォンの唇が、かすれた声を漏らす。
(ムスカ)〉は完全に無防備だった。
 けれど奴は、刃の生み出す、かすかな風圧を感じ取った。
 白衣の背中は、前へと向かう。
 無我夢中で、倒れ込む。
「『ミンウェイ』!」
(ムスカ)〉は、硝子ケースごと『彼女』を抱きしめた。――飛んでくる凶刃から、最愛の者を守ろうと……。
 その光景を、ルイフォンは呆然と見つめる。
 白髪混じりの髪をかすめ、緩やかな曲線の軌道を描きながら、菱形の刃は静かに落下していった……。

 失敗した。

 まさかの出来ごとだった。
(ムスカ)〉の全神経は、『彼女』のみに向けられていた。ルイフォンの存在には、まるで気づいていなかった。
 ただ、目の前に『彼女』がいたから。
 だから、危険の気配を感じた瞬間に、身を挺して『彼女』を庇おうとした。
 その行動が、毒刃からの回避に繋がった。
 結果として、『彼女』が〈(ムスカ)〉を守ったのだ。
 それは、切なすぎる〈(ムスカ)〉と『彼女』の情愛――。
「……」
 ルイフォンは無意識に奥歯を噛みしめた。
 ――けれど、負けるわけにはいかない。
 彼は、予備の刃を袖口に仕込む。そのとき、〈(ムスカ)〉がゆらりと体を起こした。
「鷹刀の子猫……」
 長い白衣の裾を翻し、振り返る。
 その顔は、まさに『悪魔』。禍々しく、妖しく。あらゆる憎悪を煮詰め、濃厚で純粋な『負』を極めたかのような、玲瓏な魔の美しさを宿している。
「『ミンウェイ』を争いに巻き込む貴様は、万死に値する!」
 低い声を轟かせ、〈(ムスカ)〉はルイフォンの死出を宣告した。
 背には怨恨の陽炎(かげろう)が揺らめいている。それは漆黒の翼にも見え、ルイフォンは、ごくりと唾を呑んだ。
 このまま続けて二投目の刃を打ち込んだところで、〈(ムスカ)〉は必ずよけるだろう。だからルイフォンは、フェイクのためのナイフを構えた。一か八かの接近戦を挑むふりをして近づき、接触と同時に〈(ムスカ)〉の皮膚に直接、毒刃を叩き込む策だ。
 ――多少の怪我は、覚悟の上……。
 ルイフォンは腰を落とし、力を溜める。それに合わせるかのように、〈(ムスカ)〉もまた無言で構えをとった。
 水を打ったような静寂が広がる。
(ムスカ)〉は本来、戦う者ではないという。
 だが体躯は、鷹刀の血族だけあって立派だ。気配に敏感で、身が軽く、体術にも優れている。病弱であった妻のために、体を鍛えることよりも、研究に勤しむことを優先しただけなのだ。
 睨み合っているだけで、迫力に押される。〈(ムスカ)〉は徒手空拳。けれど、そもそも格が違う。
 攻めあぐね、額に冷や汗を浮かべたとき、壁の姿見が、きらりと銀光を反射させた。ルイフォンの背後で、何かが光ったのだ。
「!?」
 ルイフォンが反応するよりも早く、〈(ムスカ)〉の視線が動く。
 ひと呼吸遅れて振り返ったルイフォンが見たものは、刀を振り上げ、一直線に〈(ムスカ)〉に向かって走るリュイセンの姿だった。
「タオロン!」
(ムスカ)〉は素早く、手駒の名を呼ぶ。
 ことの成り行きに圧倒され、傍観者となっていたタオロンが、びくりと体を震わせた。
「娘が大切なら、小倅(こせがれ)を殺せっ!」
 その(めい)に、タオロンは、心臓をえぐり抜かれたかのように愕然とする。
()れっ!」
「――!」
 次の瞬間。
 絶望をまとったタオロンが、リュイセンを追った。
 しかし、それでタオロンの刀が、リュイセンの神速に届くはずもない。だから〈(ムスカ)〉は床を蹴る。倒れていた椅子を拾い上げ、化粧台の鏡に、思い切り叩きつける――!
 殺意に満ちた〈(ムスカ)〉の手元から、高く澄んだ音色が響き渡った。
「!」
 リュイセンの目の前を、粉々になった鏡の破片が流星となって飛んでいく。
 襲いかかってくる鋭利な星屑を、一刀しか持たぬ『神速の双刀使い』は払いのける。
 数多(あまた)の光の欠片(かけら)が、互いを映し合いながら散っていく。細やかな輝きは、まるで万華鏡。
 そして――。
「すまん!」
 タオロンの悲痛の咆哮。
 光の乱舞に足止めされた(あるじ)のもとへ、双刀の片割れが帰ってくる。背後から、運命の糸を断ち斬る刃となって……。
 万華鏡の中を赤が散り、乱反射によって無限に広がっていく。
 リュイセンの体が、崩れ落ちた。
 タオロンの瞳から、透明な涙がこぼれ落ちた。
 
 そのとき――……。
 部屋中のすべての輝きを一点に集めたかのように……、金の鈴が煌めきを放つ。

 烈風と化したルイフォンが、駆け抜けた。
 菱形の刃を固く握りしめ、その手に全体重を載せ、全身全霊でもって〈(ムスカ)〉を貫く――!
「……っ!」
(ムスカ)〉の口から、鈍いうめきが上がった。
 肉を裂く、確かな感触。反撃を警戒し、転がるようにして場を離れたルイフォンは、しかし、わずかに顔をしかめた。
 本当は、脇腹を狙っていた。だが、すんでのところで体をひねられ、防がれた。
 それでも〈(ムスカ)〉の腕には、長袖の上から、菱形の刃が深々と突き刺さっている。白衣の白が、血の赤で染め上げられていく。
 そう。
 リュイセンは陽動を買って出てくれたのだ。
 正面から対峙するのでは、ルイフォンでは〈(ムスカ)〉に勝てない。だから、リュイセンが体を張って、〈(ムスカ)〉の注意を引きつけてくれた。あらかじめ打ち合わせておいたわけではないのに、ルイフォンには兄貴分の心が手に取るように分かった。
「こんなもので……」
(ムスカ)〉は腕に刺さった刃を引き抜き、途中で顔色を変える。 
 すぐさま白衣を脱ぎ、傷口を強く吸って、血を吐き出す。
「毒が塗ってありましたね?」
「答えてやる義理はない!」
 叫びながら、ルイフォンは〈(ムスカ)〉にナイフで挑みかかる。せっかく打ち込んだ毒を、吸い出させるわけにはいかない。
 倒す必要はないのだ。毒が回るまで、毒抜きをする暇を与えなければよい。
 ルイフォンは軽やかに〈(ムスカ)〉に飛びかかり、迎撃の蹴りを食らう前に、さっと距離を取る。その際、床に伏したままのリュイセンを、ちらりと見やる。
 リュイセン……!
 心の中で、ルイフォンは兄貴分の名を呼ぶ。
 神速を誇るリュイセンなら、すんでのところで致命傷は避けられたはずだ。
 だが、タオロンの本気の一刀は凄まじかった。傷は、かなり深いだろう。一刻も早く手当をしてやらねば、手遅れになりかねない……。
 一方〈(ムスカ)〉は、毒抜きの作業を邪魔しては逃げ回るルイフォンに対し、苛立ちもあらわに舌打ちをした。
「タオロン、刀をよこしなさい!」
 太い腕をだらりと垂らし、魂を抜かれたような状態のタオロンを怒鳴りつける。
 ルイフォンは、はっと顔色を変えた。
 貧民街で対峙したとき、〈(ムスカ)〉は双刀に近い形の、細身の刀を自在に扱っていた。ルイフォンなど足元にも及ばぬ使い手であり、死を覚悟したほどだった。
 先にこちらの動きを止めてから、毒抜きに専念するつもりだろうか。
 ルイフォンはそう考え、すぐに否定する。だったら、タオロンには『刀をよこせ』と言うのではなく、『ルイフォンを攻撃せよ』と命じればよいのだ。
 困惑に、足が止まる。
 その向こうでは、タオロンが、のろのろと刀を持つ手を上げていた。
(ムスカ)〉に向かって放り投げようとして、彼は、刀身から滴る血を目の当たりにする。軽いはずの双刀が、ずしりときたらしい。罪の重さを噛み締め、彼は巨躯を震わせる。
「タオロン!」
 動きの鈍いタオロンを突き飛ばし、〈(ムスカ)〉が強引に刀を奪う。
 まずい! と身構えたルイフォンの前で、〈(ムスカ)〉は双刀の刃を自分の腕にあてた。
「!?」
 驚愕に見開いたルイフォンの瞳に、鮮血が映り込む。
(ムスカ)〉は、苦痛に顔を歪めながらも、毒に侵された自らの肉をえぐり取っていた。ぼたぼたと流れ落ちる血液が、豪奢な絨毯を(けが)していく。
「……」
 ルイフォンは青ざめ、声を失う。
 血みどろの腕を物ともせずに、〈(ムスカ)〉は、脱ぎ捨てた白衣を拾い上げた。刀で器用に切り裂き、止血用の紐を作る。上腕をきつく縛り、傷口には包帯のように巻きつけた。
 その間、ルイフォンは、凍りついたように身じろぎひとつできない……。
 処置を終えた〈(ムスカ)〉が、何ごともなかったかのようにルイフォンに声を掛けた。
「鷹刀の子猫。勝負です」
 双刀の片割れを手に、〈(ムスカ)〉は嗤った。
 出血はまだ止まっておらず、巻きつけた布に赤い色がにじんでいく。なのに、奴の口調には、どこか余裕があった。
 本能的な危険を感じ、ルイフォンは、わずかに後ずさる。
「ですが、その前に質問です」
「質問?」
 ルイフォンは眉をひそめた。
「私は気づいたのですよ。……あなたは、『ミンウェイ』のケースの設定を変更しませんでした。それは、何故ですか?」
「……え?」
 思わぬ問いに、ルイフォンは虚を()かれた。
 操作パネルは、光の加減で見えにくくなっていただけだ。目を凝らすか、手で影を作ってやるかで読めるようになる。おそらく〈(ムスカ)〉は、ルイフォンが最初に投げた毒刃をかわしたあと、すぐに確認したのだろう。
 しかし何故、今更こんなことを尋ねるのか……?
「適正値のままでした。――どうしてですか?」
 重ねて問う〈(ムスカ)〉に、ルイフォンは戸惑いと苛立ちがないまぜになり、鼻に皺を寄せる。
「そんなの、当然だろ」
 鬱陶しげに言ってから、これでは『悪魔』には分からないだろうと考え直し、ルイフォンは付け加える。諸々(もろもろ)の怒りを込めて、高圧的に――。
「俺は、お前とは違って、悪人ではないからだ」
「なるほど。如何(いか)にも、あなたらしい答えですね」
(ムスカ)〉は、くっくっと喉の奥を鳴らした。
 失血のためか、額が、頬が、透き通るように青白い。けれど、鷹刀の血族であることを如実に示すその顔が、壮絶までの魔性の美しさを放った。
 ルイフォンの直感が、警鐘を鳴らす。――その先を言わせてはならぬと。
 だが、遅かった。
「それならば――」
 魅惑の低音が響く。

「タオロンの娘は、あなた方にとっても、充分に人質として有効――ということですね」

「!」
 ルイフォンは息を呑む。
「違う……! ――俺は……!」
 そのとき、途切れ途切れの声が、必死に割り込んだ。
「ルイ……、フォン……!」
 床に伏していたリュイセンが、よろめきながら体を起こす。
「リュイセン!?」
 兄貴分は重傷のはずだ。額には冷や汗がびっしりと浮かんでいる。唇の色は青みがかっており、黄金比の美貌には陰りが見えた。
 なのに彼は両の足で、しかと立った。
「馬鹿野郎……! こいつの言葉に……、耳を貸すな!」
 恐ろしい気迫がほとばしり、白刃が煌めく。
 まばゆい銀光が勢いよく円を描き、華麗に舞い、〈(ムスカ)〉に斬りかかる。
「この死にぞこないが!」
(ムスカ)〉が、無傷のほうの片手で、双刀の片割れを振るう。
 紫電が爆ぜた。
 ひとつの刀を(いかづち)(ふた)つに斬り裂いたかのような双子の刀。ふた振りの刀はぶつかり合い、再び、ひとつの影を形作る。
 だがそれは、共にひとつの鞘に収まるためではなく、互いを滅ぼすため――!
「くっ……」
 重傷を負っていたリュイセンが押される。
「リュイセン!」
 ルイフォンはナイフを携え、〈(ムスカ)〉に向かって走り出す。
 ――刹那。リュイセンの絶叫が響いた。
「違うだろうっ!」
「え……?」
「逃げるんだ!」
 耳を疑った。
 兄貴分が何を言っているのか、理解できない。
「なんで……? まだ……、だって……」
 リュイセンは重傷を負ってしまったが、ルイフォンはほぼ無傷だ。
 それに対して〈(ムスカ)〉は、かなり失血しており、顔色が悪い。止血が必要であるし、完全に毒が抜けたかどうかも分からない。
「一度引いて、やり直せ!」
 リュイセンが、撤退を判断した。
 敗走を決意した。
「何故……?」
 呟きながら、ルイフォンは気づく。
 最悪の選択から、自分が目をそむけたことを――。
 ファンルゥの命を盾に取られたら、ルイフォンとリュイセンも、タオロンのように〈(ムスカ)〉に逆らえなくなってしまう。
 だから、逃げるしかない。
 そして、重傷を負ったリュイセンは、逃げられる状態ではない。
 つまり――。
「俺を置いて、逃げろ!」
 リュイセンの腕は震えていた。
 限界だった。
(ムスカ)〉が、にやりと口角を上げる。
 そして。
 リュイセンの肩から胸へと閃光が走り、一瞬遅れて、血の華が咲いた。
「ルイフォン、行け――!」
 倒れながらも、リュイセンは〈(ムスカ)〉に足をかけて巻き込み、慌てる相手もろともに床を転がる。
「お前が無事なら、まだチャンスはある! 任せたぞ!」
 心は、ここに留まりたいと叫んだ。
 まだ何か策はあるはずだと訴えた。
 ルイフォンが、くるりと背を向けると、一本に編んだ髪が大きく思いを薙ぎ払った。金の鈴が胸元に飛び込み、持ち主の心臓を打つ。
 ――リュイセンの持つ、天性の野生の勘は、決して間違えない。
 自分の感情よりも、兄貴分の理性を信じた。
 いつもと逆だ。
 ルイフォンは、壁の姿見をナイフで割りながら、部屋をあとにする。
 鏡の破片によって、少しでも、あとを追いにくくなればいい。――それは、ただの言い訳だ。
 無性に、何かを粉々に砕きたかっただけだ。
 銀色の欠片(かけら)が飛び散り、光を跳ね返しながら乱舞する。
 時々刻々と形を変えていく光の紋様は、まるで万華鏡を覗いているかのよう。
 ひとたび崩れた形は、二度と戻ることはない……。


 この館は、摂政が貴族(シャトーア)を接待中だ。〈(ムスカ)〉の行動は制限されている。
 廊下に出てしまえば、奴は派手に騒ぎ立てて追ってくることはできない。
 ――だから、逃げろ。
 リュイセンの思いを(いだ)き、ルイフォンは走る。


 最後に見た兄貴分の顔は――。

 満足そうに、微笑んでいた…………。


~ 第五章 了 ~

幕間 刹那の比翼

幕間 刹那の比翼

『比翼の鳥』というけれど、そんなものは存在しないの――。


 従兄のヘイシャオが私の婚約者なのだと聞かされたとき、私は五つかそこらの子供だった。
「ミンウェイには、まだ分からないわよね……?」
 教えてくれたユイラン義姉さんが、困ったような顔をしていたことはよく覚えている。
 ユイラン義姉さんは、ヘイシャオの年の離れた姉で、私の従姉。物心つく前に母を亡くしていた私にとって、母親代わりのお姉さんだった。
「私、ヘイシャオのお嫁さんになるの?」
「……そうよ」
 ユイラン義姉さんの顔が陰ったことに、幼い私は気づかなかった。
 狂気にまみれた私の一族は、血族を〈(にえ)〉として〈神〉に捧げる風習があった。
〈神〉が鷹刀の濃い血を好むため、一族は代々近親婚を繰り返す。そして、成人しても、なかなか子を()すことができなかった者から〈(にえ)〉に選ばれる。だから、結婚は重要だった。
 勿論、そのときの私は、何も知らなかったけれど――。
『お嫁さん』は、『旦那様』に尽くさなければならない。
 そう思い込んでいた私は、ひたすらヘイシャオにつきまとった。私なりに、甲斐甲斐しく彼に尽くしたのだ。
 破けた彼のズボンをセロハンテープで補修したり、何故か彼の部屋に大量にあった蝉の抜け殻を綺麗に片付けたり、私の手作りの泥団子を彼が食べてくれるまで涙目でじっと見つめていたり……。
 …………。
 ……記憶の彼方にまで、追いやりたい思い出だ。
 けれど、ヘイシャオのほうだって、私の背中に蜥蜴を入れたり、お気に入りの髪留めを隠したり、さんざん意地悪を返してきた。
 よく彼とつるんでいたエルファン兄さんは、ちっとも助けてくれなかった。それどころか、『お前たち、仲がいいな』なんて呑気なことを言いながら、口元をくいっと上げて笑っていた。
 私は、ヘイシャオが大嫌いだった。
 いつも泣きながら、彼にされたことをユイラン義姉さんに訴えていた。
 でも――。
 あるとき、私は熱を出した。
 生まれつき体の弱い私が()せることは珍しくなかったから、その日も、いつも通り、ひとりで寝かされていた。
 そこに、ヘイシャオがふらりと現れた。
「君がいないと、物足りないから」
「え……?」
「早く良くなれよ」
 ぶっきらぼうにそう言って、野原で摘んだ花を置いていった。
 その刹那から。
 私は、ヘイシャオが大好きになった。
 それがどんなに幸せなことか。ユイラン義姉さんが、ずっと年上の血族に嫁いでいったとき、私は思い知らされた。
 ヘイシャオも、エルファン兄さんも気づいていなかったけれど、ユイラン義姉さんと護衛のチャオラウは相思相愛だった。
 けれど、ふたりとも互いに想いを告げることはなかっただろう。
〈七つの大罪〉に逆らえば、ユイラン義姉さんは〈(にえ)〉にされ、手を取り合って逃げようものなら、チャオラウは殺される。
 鷹刀とは、そういう一族だった。
 私のお父さん、イーレオは、そんな鷹刀を変えようとしていた。
 そしてエルファン兄さんが、ヘイシャオが、チャオラウが……。私の周りの皆が、〈七つの大罪〉からの解放を望んでいた。


 時は流れ――。
〈七つの大罪〉の詳しい情報を得るために、お父さんは十代のころから、密かに〈悪魔〉に名を連ねていたことを、私は知った。
 そしてまたヘイシャオが、濃すぎる血からくる私の病を治すために〈悪魔〉となって研究を始めた。私だけでなく、一族全体のためになることだからと私を説き伏せて。
 そんなふたりの〈悪魔〉は、『真実』にたどり着いていた。
 けれど、『契約』に縛られて語ることはできないと言う。だから、エルファン兄さんとチャオラウが、危険を犯して『真実』の一端を手に入れてきた。


 自然という『神』に対して生贄を差し出し、災害からの無事を祈願する行為は、世界中の古い伝承に残っている。鷹刀の〈(にえ)〉の慣習も、そんな、どこにでもありそうな人身御供の文化だと信じていた。
 けれど、『真実』は少し違った。
〈神〉とは、この国の王。
〈七つの大罪〉の正体は、王の私設研究機関。
 そして王家にとって、鷹刀の血は特別な役割を持つものらしい。
 故に、歴代の王たちは、鷹刀に〈(にえ)〉を要求し、代わりに手厚く庇護する。
『闇の研究組織〈七つの大罪〉』が作られたのは、ごく最近のことだが、神話の時代からずっと、形を変えながら、王家と鷹刀は秘密の主従関係にあった。
 この歪んだ共生のために、現代においてなお、鷹刀の総帥となった者は〈(にえ)〉などという忌まわしい因習を継承するのだ。
 鷹刀が大華王国一の凶賊(ダリジィン)であり続けるのは、国王が裏から手を回しているため。
 そもそも凶賊(ダリジィン)という呼称自体が、本来は鷹刀のみに与えられた、『王国の闇を統べる一族』を示す言葉であるという。それが、いつの間にか『ならず者の集まり』の意味を持つようになったそうだ。


 ある日のこと。
「ミンウェイ」
 ヘイシャオが私の名を呼んだ。
 私はベッドから身を起こそうとして、彼にやんわりと止められる。そして彼は、私の枕元にしゃがみ込み、横になったままの私に目線を合わせてくれた。
「お義父さんが、ついに悲願を叶えたよ。総帥を討ち取った。これからは、お義父さんが鷹刀を導いてくれる」
「……お父さんが、ついに……」
「エルファンも、予定通り総帥の後継者を討った。これで、彼が次期総帥の座に就くことに異論を唱える者はいないだろう」
「ああ……、うん。そうね……」
 私が毛布の中から血色の悪い手を出すと、ヘイシャオはぎゅっと握りしめた。私は、本当は彼の頬に触れ、彼を包み込んであげたかったのだけれど、彼は、ただ穏やかに微笑んでいた。
 エルファン兄さんが殺した『後継者』は、ヘイシャオの父親だ。総帥の腰巾着のような人物だったけれど、ヘイシャオと仲が悪いわけではなかった。
 血族で争うということは、そういうことだ。
 何より、お父さんが(しい)した総帥は、お父さんの実の父親なのだから――。
 親殺しの、同族殺しになる。
 身近な者たちに決意を語ったとき、お父さんは、そう自嘲していた。
 けれど、お父さんは総帥を許せなかった。当然だと思う。
 ――〈神〉は、鷹刀の濃い血を望む。
 だから、濃い血の子供を生み出した者を贔屓にし、鷹刀の総帥にと推す。そうして、のし上がったのが、現在の総帥だった。
 彼は、自分の娘に子供を産ませた。
 その子供が私のお父さん、イーレオだった。
 お父さんが反旗を翻したきっかけは、恋人を殺されたことだと聞いている。けれど、そもそもお父さんは自分の出生を憎んでいた。
 自分が生まれたせいで、おぞましいほどに愚かな総帥を作り出してしまったと、悔やんでいた……。
 お父さんは、総帥を支持していた人間を徹底的に排除するだろう。そうしないと、今度はいつ、自分が寝首を掻かれるか分からない。
 おそらくは、血族のほとんどを失うことになる。〈七つの大罪〉を後ろ盾に甘い汁を吸ってきた鷹刀の者たちは、〈七つの大罪〉を恐れつつも、結局のところ、多くが現状維持を望んでいたのだから。
「ミンウェイ」
 薬品の匂いのする指先が、私の瞳に溜まった涙を払う。
 幼いころは、同じ年頃のエルファン兄さんと双子のようにそっくりだったヘイシャオは、武人然とした兄さんとは違い、すっかり白衣の似合う医者になっていた。
 彼は、私が泣いている理由を問わない。もし訊かれたら、私は困ってしまっただろう。私自身、分からないのだから。
「お義父さんは素晴らしい人だよ。尊敬している」
 優しく、柔らかな低音が私を包む。
「ただ強いだけじゃない。真に一族のことを考えてくれる人だ」
「……うん」
 私も、そう思う。
 悪逆非道な総帥を排しても、〈(にえ)〉を求める〈神〉が――国王が、鷹刀を解放しなければ意味がない。だから、総帥殺害の決行に移るよりも先に、お父さんは国王との交渉を済ませていた。
 それには、とてつもなく長い年月を要した。すなわち、国王の代替わりを待ったのだ。
〈悪魔〉として王宮や神殿の出入りを許されたばかりの若き日のお父さんは、老いた王に早々に見切りをつけた。そして代わりに、幼い王子の教育係を買って出た。
 それが、現国王シルフェン。彼が即位するまで、お父さんは耐え抜いた。
 卑劣な懐柔だと揶揄され、あるいは洗脳であると批難されるかもしれない。でも、狂っているのは古きものたちのほうだ。
「――……」
 私の心の中を、いろいろな出来ごとが蘇る。
 国王は、無条件で応じたわけではなかった。
 必然かもしれないが、〈(にえ)〉の代わりを要求した。
 だからお父さんは、『大切な人』を犠牲にして、未来永劫〈(にえ)〉の代わりとなるものを作り出す『技術』を編み出した。
 私も大好きだった『あの人』を思うと、胸が苦しくなる。
 白い枕カバーに涙の染みが広がっていく。そんな私にヘイシャオが手を伸ばし、(いと)おしげに髪を()いてくれる。
 犠牲なら、他にも幾らもある。
 私には詳しい状況は教えてもらえなかったけれど、ある作戦の際には、チャオラウの兄夫婦が亡くなった。生まれたばかりの娘を遺して逝ってしまった。
 叔父であるチャオラウに引き取られたあの子は、どうしているだろう。エルファン兄さんと再婚したユイラン義姉さんが、とても心配していた。
「お義父さんは鷹刀の未来を守ったんだ。たとえ、今の栄華を失ったとしても、鷹刀にとって、必要なことだった」
「うん、分かっている。……ただ、ちょっと戸惑っているだけ。これから鷹刀がどう変わっていくのか、想像もつかなくて……。ほんの少し、不安なの……」
 私の声は震えていた。
 お父さんが渇望した、何ものにも支配されない日々がこれから始まるというのに、私の心は晴れやかとは、ほど遠かった。
 ヘイシャオの腕が、寝ている私を毛布の上から抱きしめる。
「ミンウェイ。俺は、お義父さんは正しいと思っている。鷹刀の総帥は、お義父さんこそがふさわしい……」
「ヘイシャオ?」
 私を包む、彼の掌が震えていた。
「どうしたの、ヘイシャオ」
 彼の様子が変だった。
 注意して思い返せば、さっきから何かに追い立てられるように、お父さんを褒め称えている気がする。
「……ミンウェイ。俺は本当に、心の底から、お義父さんのことを尊敬しているんだ。それは間違いない。信じてほしい」
「え? ええ。それは、分かっているわ。お父さんもヘイシャオのことを大切に思っているわ」
「ああ、知っている。血筋的にいえば、俺はどちらかといえば『敵対者』に近いのに、お義父さんは俺を身内と思ってくれている。……だけど――ミンウェイ」
 ヘイシャオの静かな黒い瞳が、じっと私を捕らえた。
「俺は鷹刀を抜けて、〈七つの大罪〉の〈悪魔〉として生きる道を選びたい」
「――!」
 私の目が、大きく見開かれた。
「お義父さんは――新たな鷹刀は、〈七つの大罪〉を否定し、〈七つの大罪〉と(たもと)を分かつことになる。そのとき、〈悪魔〉の俺が鷹刀を名乗るわけにはいかない。道理が通らない。お義父さんに迷惑が掛かる」
「……」
「けれど、俺は〈悪魔〉をやめる気はない」
 成長するにつれ、私の体は、どんどん自由が効かなくなっていった。今では、(とこ)()している時間のほうが長いのではないかと思う。
 それでもヘイシャオの研究のおかげで、過去の同じ症状の血族よりも、ずっと具合が良いのだ。食事だって摂れるし、調子の良いときは庭を散歩することだってできる。
「私のため……ね」
「違う! 俺のためだ。俺が、君を失いたくない!」
 ヘイシャオの腕に、ぐっと力が入った。
 私を強く抱きしめてくれる優しい胸。大好きな大好きなヘイシャオの鼓動を感じる。
「ミンウェイ、聞いてくれ。確かに、〈七つの大罪〉は、鷹刀に〈(にえ)〉を強いた非道な組織だ。けど、あそこの技術は――研究の環境は、他のどんな場所にも敵わない」
「ヘイシャオ……」
「鷹刀には、大切な人たちがいる。俺は、お義父さんが作る新しい鷹刀を、この目で見たい。……でも、俺にとって一番なのは、ミンウェイ――君だ」
 聞き慣れた低い声が、苦しげに()く。けれど、そこには、ひとつの揺らぎもなかった。
「俺は鷹刀よりも、君を選ぶ」
 濁りのない、澄んだ音色が、体温を通して伝わってくる。
「ミンウェイ。俺と一緒に、鷹刀を抜けてほしい」
 迷いのない、まっすぐで綺麗な目が私を包み込んでいた。
 ああ、そうか。
 私は分かっていたんだ。
 私の涙は、鷹刀との別れを惜しむ涙だったんだ。

 私の体は、二十歳まで生きられないだろう。
 私はいずれ、ヘイシャオを遺して逝くことになる。
 だから、私が言うべき台詞は『何を馬鹿なことを言っているの?』であるべきだ。
 ヘイシャオは、鷹刀を出てはいけない。
 彼を独りにしてはいけない。
 なのに――。

「……うん」
 残酷な私の唇が、この世で一番、無邪気な願いを唱える。
「私、ヘイシャオと生きたい……」
 比翼の鳥のように――。

di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~  第二部  第五章 禁秘の神苑にて

『di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~』
第二部 比翼連理  第六章 天球儀の輪環よ https://slib.net/113237

                      ――――に、続きます。

di;vine+sin;fonia ~デヴァイン・シンフォニア~  第二部  第五章 禁秘の神苑にて

「家族を助けてくだされば、この身を捧げます」 桜降る、とある春の日。 凶賊の総帥であるルイフォンの父のもとに、貴族の少女メイシアが訪ねてきた。 凶賊でありながら、刀を振るうより『情報』を武器とするほうが得意の、クラッカー(ハッカー)ルイフォン。 そんな彼の前に立ちふさがる、死んだはずのかつての血族。 やがて、彼は知ることになる。 天と地が手を繋ぎ合うような奇跡の出逢いは、『di;vine+sin;fonia デヴァイン・シンフォニア計画(プログラム)』によって仕組まれたものであると。 出逢いと信頼、裏切りと決断。 『記憶の保存』と『肉体の再生』で死者は蘇り、絡み合う思いが、人の絆と罪を紡ぐ――。 近現代の東洋、架空の王国を舞台に繰り広げられる運命のボーイミーツガール――権謀渦巻くSFアクション・ファンタジー。

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2022-07-04

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  1. 〈第四章あらすじ&登場人物紹介〉
  2. 1.境界の日の幕開け-1
  3. 1.境界の日の幕開け-2
  4. 2.権謀の館
  5. 3.揺り籠にまどろむ螺旋-1
  6. 3.揺り籠にまどろむ螺旋-2
  7. 3.揺り籠にまどろむ螺旋-3
  8. 4.響き合いの光と影-1
  9. 4.響き合いの光と影-2
  10. 4.響き合いの光と影-3
  11. 5.魂の片割れの棲まう部屋-1
  12. 5.魂の片割れの棲まう部屋-2
  13. 6.一条の輝き-1
  14. 6.一条の輝き-2
  15. 7.万華鏡の星の巡りに-1
  16. 7.万華鏡の星の巡りに-2
  17. 7.万華鏡の星の巡りに-3
  18. 幕間 刹那の比翼