ハマグリとしての原マキ

ハマグリとしての原マキ


四十名程の高校生たちが舞台ホールの客席のように段々に重なっている三人掛けの長机に座り授業を受けている。彼らの大半は授業を聞いていない。皆、机の下の参考書や単語集を見て勉学に励んでいる。講義室の中で一定に換気扇の音が鳴り続けている。
講義室には窓すら無く、色に貧しい。蛍光灯の光を反射する壁の白がやけに眩しく感じ、一様に机の下を見ている彼らの制服の紺色がその白に対して際立って見える。

女子高生、であるところの私はそんな光景を見ると(嫌味などは無しにただただ純粋に、真剣に)「えらいなー」とか「すごいなぁ」と思う。白衣を着た化学教師は内職をする生徒に関して気にも留めずに授業を続けている。ハズだったが、化学教師がこちらに向かって歩いてきた。
 
そして、私の前の長机で突っ伏して寝ている男子生徒の頭蓋骨をトントンと指示棒でタタイタ。その男子生徒の頭蓋骨に青空を両腕で強引に引き裂いたかのような酷いヒビが出来た。
 
けれども、男子生徒は起き上がらない。

男子生徒の右隣に座っていた二人のショートボブ女子生徒らはやって来た化学教師に全く関心を示さず、親密な話をする双子みたいに顔を近づけて何かをしている。男子生徒の方にはチラリとも視線を寄こさない。
男子生徒の頭蓋骨の割れ目からは白子のような色の脳みそだけが覗いている。髪の毛は血で染まらず、液体状の醜い何かが溢れ出すこともない。血液も髄液も無かった。
 
化学教師は男子生徒の頭蓋骨の割れ目に両手の指を掛けるとメリッとその割れ目を大きく広げた。
私は思わず自分の頭をつむじの存在を確認するみたいに撫でた。頭のカールが手のひらに触れる。私の頭のカールしたツインテールは確認するまでも無く、自分勝手にカールをしていた。

生まれてこの方、異様なほどの癖毛だった。ストレートにするとメデゥーサのような髪形になってしまうのだ。だから私は人前と会う時にはいつもツインテールにしている。私はカールを二本の指で挟んで軽く引っ張った。これは癖だ。

私が指を離すと、カールは持ち前の弾性を発揮し、しなやかに数回、伸び縮みをする。
 
クラスメイトらはあの「教師が居眠りをしている生徒を起こす」というよくある光景を横目に各々の勉強を続けていた。男子生徒の隣に座っている双子のようなショートボブの女子生徒らは相変わらず……。
 
化学教師の関心はそんな生徒やら教室やらには無く、ただ男子生徒の頭蓋骨の中の白子みたいな脳みそにのみ注がれていた。もちろん他の生徒たちの関心もそんな動作をする化学教師には無く、机の下の数学公式集や英語例文集にその全てを注いでいた。そして何事にも関心を向けない換気扇。
 
彼は唸るように講義室の天井で鳴り続けていた。
化学教師の右手にはどこから取り出したのか不明なお玉があった(料理などで使うあのお玉だ)。また、化学教師の左手にはどこで売っているのか見当もつかない小ぶりなサイズの魔女の鍋があった(魔女が怪しげな媚薬などを煮込むときに使うあの鍋だ)。
 
化学教師はただ物静かに淡々とお玉を使って一杯ずつ脳みそを男子生徒の頭蓋骨の中から魔女の鍋へと移していった。その姿は歴史の一場面を描いた白黒の銅板画みたいに見えた。
 
男子生徒はまだ、物静かに机に突っ伏し続けていた。もともとそういう奴だった。
 
化学教師は男子生徒の脳みそを鍋の中にすべて移し終えてしまうと鍋を引っ提げて教壇の上に戻っていった。
 
そして、
 
「それでは授業を再開する。」とだけ短く言った。その言葉は講義室にはほとんど響かず、無神経にこぼされたエーテルみたいにすぐ立ち消えた。

化学教師は講義を再開した。分子構造についてだ。もちろん誰もそんなものは聞いていないし、興味もなかったが化学教師は黙々と授業を続けた。化学教師は口頭で講義をしながら、教卓の上にガスバーナーを出してあの魔女の鍋に火をかけた。鍋の中身の脳みそがお玉でかき回される。私はあの脳みそが化学教師の手によって裏ごしされ、滑らかになっていく過程を想像した。

化学教師の講義は続く。
独り言のようにひそひそと講義をしながら、化学教師はしきりに何かを鍋の中に混入していた。私の近視寄りの目では何を混ぜていたかまでは見えなかったが。
 
確かに何かが出来上がりつつあった。この白黒の講義室の中で、男子生徒の脳みそによって。
 
化学教師は金属の分子構造まで一通り説明し切ると、全ての目線を鍋の中に投げ込み、中をじっと観察していた。十五秒くらいだろうか。
そして、化学教師は一つ確かに頷くと、ガスバーナーで加熱したままの鍋に蓋をした。
 
化学教師は鍋に背を向けると黒板に正対して分子構造の図を描きだした。真っ直ぐで堅実。それでいて美しい。もしかしたらこの図のあらゆる箇所に(化学教師の後ろ姿にさえ)黄金比が潜んでいるのかもしれない。
 
化学教師の背後で鍋がコトコトとなる音が聞こえはじめる。私がクンクンと鼻でいくつかの空気を吸い込むと辺りにはチーズケーキのようなクリーミーな香りが漂っていた。
 
私はそれを嗅いで初めてこの授業が四限であったことを思い出した。
 
私のお腹が減っている。
 
化学教師がクルリ、と反転して私たちの方を一瞥した。結局、クラスメイトらは誰も黒板を見ていなかった。そして、あの男子生徒以外は誰も机に突っ伏してはいなかった。

私だけは黒板を視ていたがその意思や意図は読み取れず、ただ眺めていただけだった。化学教師が私の方を一瞥した。その時、私は自分に対して異様なまでの疚しさを感じた。化学教師が自分の瞳の奥の奥まで覗き込んでいる、そんな気がした。

が、化学教師はすぐに再び反転して黒板に向き直ると、黒板消しを両手で掴んで美しい図形が書かれた黒板を漆喰で塗りつぶすようにして完全に消した。黒板は濡れ雑巾を使って拭いたみたいにすぐに綺麗になった。そのあと化学教師は丁寧に黒板消しを黒板のサンに置いた。そして、チョークまみれなはずの手を全く拭かずに鍋の蓋を取った。鍋の蓋からはポタポタと決して少なくはない量の水分が教卓へと垂れていった。
 
湯気、充満するチーズケーキのような匂い、ウルサイ換気扇の音。

化学教師は大量の湯気を吐き出し続けている鍋を真上から覗き込み、その中身を確認した。

化学教師はゆっくりと至極満足げに二、三回頷いた。化学教師の(こんな服装の人が調理した食べ物は絶対に食べたくないと思わせるくらいに)汚く黄ばんだ白衣のポケットの中から金属製のトングが登場した。化学教師の右手に収まったトングは、ポップな色のマカロンをショウケースから取り出す時くらい慎重に鍋の中から何かを取り出した。
 
化学教師がトングの先に挟まれたチーズケーキのようにも見える何か、を一切れだけ自慢げに掲げた。教室中に戦利品を見せびらかすように笑っていた。誰も見ていない。
 
魔女の鍋、からは湯気が湧き続ける。
 
化学教師を、彼の魔女の鍋を、私だけが見ていた、ような気がした。それは私と化学教師が二人きりの密室で向き合っているような感覚を私に与えた。
化学教師と一瞬、目が合った。化学教師は全体的にやつれ萎びていたが目だけは大きく蘭蘭と輝いていた。

そんな目を見ながら私は、化学教師が声を張り上げて「今から実験の一環としてじゃんけん大会をします。その後、優勝した人に更なる実験の一環としてこのチーズケーキを食べてもらいます。」とか言い出さないかな……なんて考えていた。でもそんな事は起こらなかった。じゃんけん大会が実験の一環になる訳がなかったし、化学教師が教室中に声を張り上げるという事はもっとあり得ないからだ。
 
私はじゃんけん大会に勝つ!ためのモチベーションがあった。それだけあのチーズケーキのような何かはおいしそうで魅力的に見えた。
 
そのチーズケーキのような何かは底面の頂点が三十度の二等辺三角形で作られた三角柱で、それぞれの角をA~Fとした時、完璧に、どこまでも、辺AB//辺DE、辺BC//辺EF、辺AC//辺DFとなる。さらに、刷毛でペンキを塗ったように均一な薄クリーム色に覆われていた。
 
要は全ての辺が完全な直線の、完全なチーズケーキで、まさに自分が生涯を通して目標にするだろう水準のものだった。
 
私は、実はこれは分子構造の実験だったのではないか?と考え始めていた。
あのチーズケーキは化学的な結晶なんだ!だってあんなにも完璧にカクカクとしているんだもの。

もしも実験であるのなら、もしもあのチーズケーキような何かが何かの結晶であるのなら、あのチーズケーキのようにおいしそうな匂いもチーズケーキにしか見えないあの恰好も、全部偽りなのだろう。そう考えると私は残念だった。そんなチーズケーキがこの世に存在しているという事実は私を興奮させたし、今はなんといっても四限だった。

とにかく、私はあのチーズケーキを絶対的に食べたかった。

と私が思っていた時、
 
化学教師が大きく口を広げ、そのチーズケーキを一口で、飲み込むように食べてしまった。化学教師の口の奥で銀歯がキラリと光る。
化学教師が、
 パクリとタベタ。
 パクリとクッタ。
 Quetta。
 
化学教師は笑った。deliciousというよりもyummyといったような下品な笑みだった。
私があのチーズケーキを食べたくて仕方なかった、ということを知っているとでも言いたげに化学教師はニヤリと笑った。
                      「お前のことは全て分かっているんだぞ!その鬱屈も傲慢も臆病も。」
とでも私に言うような笑みだった。
 
そんな暗喩とは一切関係無く、ただの事実として、あのチーズケーキは化学教師によって食べられてしまったのだ。私の頭はその事をほんの少しだけ悲しく思い、ひたすらに化学教師を羨ましく思っていた。
と同時に、
 
私は無意識に机の上で突っ伏しているアタマを探していた。なぜじゃんけん大会によってチーズケーキを食べる人を決めなかったんだ!! と私は化学教師を強く恨んだ。
 
そして、本当に、とにかく、とても、お腹が空いた。

なので、私はt



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眩暈、痺れ。

ハマグリとしての原マキ

気に入ったという人がもしもいるのであれば、「原マキの白い、弁当箱の中のチーズケーキ」https://slib.net/100249を読んで下さい。
めちゃくちゃ関連してます。

ハマグリとしての原マキ

原マキの見た夢についての話。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-06-09

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