私の母は子供にとって有害であり、 子供を不幸に陥れる「いわゆる毒親」だった。 だからといって、母だけが悪いという結論で終わりはしない。 自分自身がそういう人生を自ら望んでいたのではないかと 考えてもかまわないほど私にとって自分というものが どうでもよいほど虚しい存在なのも確かだ。
人と人との繋がりがなくなっている現代。 親が我が子を思う気持ちや、子が親を大事にする。 友人を助けたいと行動を起こす。 そんな当たり前に思える気持ちがなくなってきている事に憤りを感じています。 それは、何故なのかを考えながら、文章を書いています。
引き取り手の見つからない仔犬や仔猫の『里親探し・譲渡会』というものが各地で開かれているようです。 それらのひとつを覘いてみました……
自分が嫌い。 自分なんて消えればいい。 そんな人は、実は自分が嫌いなわけじゃない。 ある『○○』に誰よりも仕えている、従順で献身的な、従者である証です。
主人公 武志の生涯は、秋子と友平という二人の親の数奇な運命によって翻弄される。しかし貧しくとも必死に生きる二人の親の姿を見て武志は自分でも気付かない間に、どこかで何時か「迷う」事を失ってゆく。その結果彼は晩年に人生欠落の自分に気付く。武志が幼い頃に見たもの、そして描いた夢、得たものや作り上げたもの等、全てを失う事になるのだが、幼き頃の棚本での生活から思春期を迎えるまでの間には母 秋子の真実を知り、そして彼女の死後には自信の身の上の真実を知る事になる。 「このまま生きても良いのだろうか」という最後の迷いに対して武志はどのように向き合うのか。それはまだ分からない。