不幸な記憶

不幸な記憶

 最初は何かが確かにおかしい違和感だった。
その謎を解明した後の現在こそ
自分だけではない事実を知っているが
私も周囲の人たちのように普通に生きることができず、
学校や会社で変な目で見られたり笑い物になった。
自分が、支離滅裂で不可解な母の満足度に応じて
値段を付けられる奴隷だったことに気付いたのは、
奴隷をやめてから十年以上後だった。

 どこかの霊能者が言うように、
子が親を選んで生まれてくるなら、
子供が要らないのにできてしまったから
仕方なく産む女を選んだ自分がバカだそうだ。
母は発狂して私に自分のありのままをぶつけてきたが、
私は嫌がらずにいつも受け止めてあげた、偽りがないから。
しかし、私のありのままを母は知らない、
母はそれを決して認めないし許しもしないから。
そもそも母は私のことをほとんど何も知らない、
というより興味ないのだろう。

1.幼い時

 私は生まれたとき母乳を嫌がって飲まなかったらしい。
誰かの話によれば、子供は大人を鋭く見抜くらしい。
赤ん坊が母乳を嫌がったり飲まないのは、
母親が本当はその子を嫌っているからだそうな。
うまくいかない親子の様子を録画すると、
親が子を嫌う態度がしっかり写るという。
さいわいか当然か、動物未満な母と比べれば
聖人のごとく普通にまともな親だった父に私は懐いた。
 そのせいか、悩み事がたどり着く最後の答えは
「そうするしかなかった、そうであるしかなかった、
他にどうしようもなかった、最初から決まっていたことだ」
に落ち着くようになった。

 親の言うことを聞かないという理由で
母は幼い私を家から閉め出したことがある。
こういう場合、子が泣き叫ぶのが普通らしいが、
私は近所の団地へ行って知らない子たちと遊んだ。
具体的には忘れたが、
その子たちと危ないことをして怪我をして服も汚れた。
夕方になるとその子たちは親に呼ばれて帰ってしまい、
私は帰る家がないと思ってしばらくさまよい歩き、
日が暮れて暗いのが怖いわけでもなく、
私も帰るべきなのかもしれないと思って家へ近付くと、
母が真っ青な顔をして捜していた。
それ以降、母は私を閉め出す代わりに、
外出させないなど家に閉じ込めるやり方に替えた。

2.親を信じたバカ
 子供の時、人気キャラクターに関する物を、
小学校で交換する遊びが流行っていた。
ある有名キャラクタと似ているが違う物を見て
母はその有名キャラクタだと決めつけて、
私が違うと言っても母は、
「親の言うことを疑うなんてとんでもない」と
強引に認めさせた。私はおかしいと思いつつ、
学校でその有名キャラクタを入手したと言って、
それを欲しがった子の持っている物と交換しようとしたら、
当然その子は「約束が違う」と言った。
私は「だって、母がそういった。」と言うと、
その子は「親が言ったからって違うものは違うじゃん、
バカじゃないの?」と言った。
それ以降も母の勘違いは度々あったが、
母に疑問を抱くこと自体が厳禁であり、
母が強引に認めさせる状況にもならないように
気遣わねばならなかった。

 本を読んでいると「人を信じる必要性」が書かれていたり、
人を信じる大切さを話す人に出くわすと、
またこれかとうんざりする。過去の私のように
人を信じることしかできない結果
たどり着くところはみじめで寂しいものだ。
信じてだまされて損ばかりするのは
悲しすぎるバカとしか言いようがない。
人を信じる必要性を感じるなんて、
ずいぶん周囲に良い人が多いのだろう。

3.母の読書感想文
 母は私に本を読みなさいと何度も言い聞かせたが、
実際、読みたい本が何冊あっていくらカネを持っていても、
好きな本を買ったり借りる自由がなくて、
偶然好きな本を手に入れても読む自由もなかった。
母が気に入って親に都合良い本であることが必須だから。
 「どんな本でもいい読書感想文」という宿題に、
夏目漱石著「坊ちゃん」を選んで読んでいると、
母が「そんな本を読むのは幼稚だ」と言った。
宿題の感想文は別の本にするにしても、
それとは別に読みたいので読んでいると、
母が「それは幼稚だと言ったでしょう?!」とか
「学校で笑い物になるのは恥ずかしい」とか
私が読むのをやめるまで母は文句を言い続け、
あまりの執拗さに読む気が失せた。
宿題は嫌でもやらねばならないので、
別の本を選ぼうとすると、それも母が気に入らず、
母が気に入る本を私が見つけることに労力を費やし、
結局、何を読んでどんな感想を書いたか記憶がない。
しかも、学校で強いられる読書感想文は、
母や教師の気に入るものでなくてはならず、
彼らが共感する内容かどうかで評価される。
親や教師に評価を付けられる作文は本当の感想ではないのに。

4.笑い物
 学校や会社などの集団の中で自分の言動が
突然、周囲の爆笑にさらされる。
爆笑になる具体的理由はまったく不明だ。
毒親の奴隷になっている子とか、
過去そういう親の奴隷だった人の言動は
周囲の目に滑稽に見えるのだけは知った。
迷惑をかけないならまだましかもしれないが、
笑い物になるのはやはり悲しい。
私はきっと周囲に迷惑もかけたと思う。
常識や人との付き合い方も知らなくて、
たとえ知識として覚えることができても
人間らしい心や気持ちが伴わないため
怪しまれたり疑われるし面倒くさいし、
結局どうすればよいかわからない。
 自分のためではなく母のために
無理してまぐれで入学した大学での実験中、
何をどうしてよいかまったくわからず
途方に暮れて泣いた私は後々、
教授らに名指しで笑い物にされていた。
苦労して卒業して就職した会社でも、
仕事がわからない私は上司らの笑い物だった。
親の暴力で精神的奇形になった障害者は
存在自体が迷惑だったり笑い物になる。

 大学卒業と同時に物理的経済的に独立したから
「いい歳して親の世話になっている」と言われないが、
もっと母に都合よく思い通りになる良い子だったら、
母は私が邪魔な時があっても実家から追い出さず、
私は確実にいつまでも親の世話になっていると思う。
親の責任こそ子を自立させることに他ならないのに、
実際は子が自立しなくても親の責任は問われない。
子離れしない親というのがいる。
子は誰でも自立したいに決まっているが、
心の底で無意識に子の自立を望まない親がいる。
しかしなぜか、あたかも親のほうが子の自立を
本当に望んでいるかのように語られ、
自立は子だけの責任であるように言われる。
真実は親が子を自立させない依存をしている。
 私の母は過干渉や過保護だったが、
ある時期から「放任主義」と自称し始めた。
自立させてもらえない育ち方をすると、
歳をとるほど笑えない恥をかいて苦労する。
世の中で認められている障害のほうが生きやすい。
自分自身さえ説明できない障害を背負って
生きる限り周囲の人たちに笑い物にされたり
不思議がられたり迷惑がられるだけだ。
そして、くだらない周囲を気にするからダメだと、
無知でバカな他人にどう思われようが気にしなければよい。
「気にしない」…どんなにそうしようと努力してきたか。
年齢相応の事ができないのは恥以外の何だろう。
それでも、このようになるしかなかったのだ。

 有害な親にどんな虐待されても、
子には強い生命力と丈夫な精神力があり、
死にいたることは滅多にないようだ。
大人が強くなるのは腕力と免疫力であり、
大人になるほど特に精神力が弱くなるようだ。
学者が「子には耐えられない現実」などと説くのと違い、
大人になって心や精神が弱くて難しくなってから、
子供の時の悲痛な記憶で壊れてしまうのだ。
成人後しばらくの間は、若さゆえの気力や体力があって
肉体的病気も少ないから耐えられるが、
もうそんな大昔のこと影響ないと思うような歳になるほど、
後遺症のような異様な病気みたいに発症する。
そんな苦痛や障害を持たない人に説明しても
たいてい笑い物かキチガイ扱いだろう。

5.無知な動物
 昔こんな偏見を抱いていた。
天文や医学や芸術に興味ない人は、
自分のことを人間であると称する資格はない。
母は天文も医学も芸術にも完全に無知、無関心
だっただけでなく、私が密かに重要視していた
心霊的物事に拒否反応する始末だった。
母は無知無能で頭が悪かったが、
祖母には教養があったらしく、
高価な書籍が家にたくさんあったらしい。
勉強する環境に恵まれていても
自分の無知無能を祖母のせいにする
知性の無い母はバカ者というより動物だ。

 偶然、見慣れないアニメのDVDを観賞していて
昔の自分に無縁だった類のことに気付いた。
約束やルールを破って誰かを救えることもある。
だから、約束やルールは死守すべきものではない。
そんなことは子供の時に気付くものだろうけど。
母はアニメを低知能のガキ向けだと決め付けて
アニメ好きな人たちを軽蔑していたが、
母を信じてアニメにもまったく無知で、
いい歳してそんなことに今さら気付いた私も
頭が良いとは言えないだろう。
だから気付いた時、珍しい経験をした感じを覚えた。
「こんなことがわかった!」と他人に話すと
バカ丸出しなので内容は書かない。
 映画で他のことに気付いたのもある。
それは服従せずに信じること。
今さら気付いたのは遅すぎるけれども、
信じるなら服従してはいけないこともある。

6.母が試した私の愛
 私は幼い時、枕をずっと抱いていた。
それがあるとなぜか安心できたというより、
安心できるものがそれしかなかった。
ある日、それがなくなった。
捜し回っている私に母は
「あれは捨てた、もうゴミ箱にも無い、
ゴミ車が持って行ったから」と言った。
私がそれを捜しに家を出る支度をしていると、
母は「捨てたと言ったのは嘘、ここにあるよ、ほら」
と言って、隠してあったそれを持ってきた。
私はその時、殺されかけて命拾いしたかような感じを覚えた。
そうやって母は私の愛を試した。
母が知りたかったのは、
「この娘は母と物どちらを大切に思うか」だ。
母に対する私の愛が試された結果は
「この娘は母より物のほうが大切なんだな」
ということだ。

 「困ったことがあったらいつでも電話しなさい」
と言っていた母に、命に危険を感じた時、電話したら
母は「そんなことで電話してくるな」と怒鳴り、
まったく関係ない愚痴を垂れ流し始めた。
母にとって私は必要な時以外邪魔な荷物だったのだ。

 昔からよくわからない「愛」などいうものに
最近、思うようになったのはこういうことだ。
物理的事実よりも心や気持ちを尊重して
夢や願いや望みを叶えることが愛ではないか。
ただし、物理的事実や私の心や気持ちより、
母の心や気持ちや都合を優先して尊重するのが
母の奴隷だった私の義務であり、
私の都合なんてものは最初から存在しないから、
私のためになることなどいつまでも後回しだった。
愛が義務でしかない感覚はそこから来ている。
愛を踏みにじることのできる悪人にあこがれていたのは
そのせいなのかどうか、どうでもよいしわからないが。

7.異常な感情
 自分のしたことを振り返る時よく、
母に傷付けられたのと同じように他人を傷付けたことに気付く。
有害な人間の特徴の一つに「事実の否定」というのがあるが、
母に傷付けられた事実を否定しなければならなかったから、
「こんなことで傷付くほうがおかしい」と言わんばかりに、
自分が傷付いたと感じた同じことで他人が傷付くと考えず、
モンスターとか言われる人たちのように酷いことをしていた。
礼儀やマナーというものを知らない人間でもあった。
バカにされるのも友人ができないのも当然だ。

 母が親という以前に人間として有害だったと知った時から、
年々じわじわと強まっていった母への怒りが弱まる気配が無い。
母への怒りは最初、あらゆるものに殺意として感じていた。
人の多い場所へ行くと、カジュアルな服を着ている人たちに
無性に腹が立ち、全員撃ち殺したい憎悪を感じた。
その原因は、母の不可解な精神的都合により、
おしゃれの類を一切許されなかった私のみじめな思いなど、
最初から最後まで知らずに済む幸福な人たちへの嫉妬だろう。
私は生きる限り負の感情で自分を害するしかない現実に
苦しまなければならないかもしれない。

 幼い時からいい歳まで、
子猫を見ると惨殺したい衝動にかられた。
猫だけではなく犬やネズミなど四足の獣に対しても。
ただし、鳥や魚、爬虫類には感じなかった。
実際に殺したのは虫や魚だけだ。
それでも治すべき精神異常だと思っていた。
その原因は親の影響や育ち方や経験したことらしい。
その衝動を解消するまで数年前までかかった。
それまでの間に、そういう感情は自分だけではなく、
世の中に大勢いてありふれているのを知った。
いい歳になって初めて、
可愛いから大切にしたいと感じるようになった。
可愛いのは昔から感じていたが、
昔は可愛いから殺したいのだった。
正常な感覚を持つようになったのが不思議だ。

可愛い動物を殺したくなる感情に異常を感じていて、
最近克服してから理由や原因に気付いた。まず、
可愛い動物なら何でも対象になるわけではない。
なぜか四足の幼獣に限られていた。しかも、
アニメで描かれた動物に感じるほうが多かったせいか、
現実に虐待行為に及ばなかったのはさいわいだけど、
その感情の行き場がなくて自分自身に向いたかもしれない。
ただし、映画で子犬が窓から捨てられるシーンがあり、
その犬に殺意を感じて次の瞬間投げ捨てられたのを見た時、
叶った自分の欲求に違和感を覚えた。
 今初めて気付いた理由はこうだ。
その理由は母自身が子供の時、
愛されない不自由な生活を強いられていたからだ。
しかし母は、私が愛され自由な子供であるのを許せなかった。
愛され自由な子供だった私に対して
「こんなに愛されず自由もなかった自分と比べれば、
愛されて自由だから迷惑なわがままを言ってやりたい放題、
好き勝手に生きようとするこの娘はあまりにも贅沢だ。
不公平すぎる、このままでは絶対に許さない!」
という感情を私にぶつけることが虐待になってしまい、
私も結局、母に愛されず自由を奪われた結果、
やりたい放題しても愛される可愛い動物に対して
素直に感情表現を許されない日常だったので、
憎しみや殺意を我慢する悪質な感情に歪んでいった。
 悪質な感情を抱き続けるのは心身ともに有害だ。
だから、こういう考えを作って持つことにすると、
可愛いからこそ許して愛することができるようになった。
「可愛いものは愛され自由であるのが当然であり、
それを許せなかったり憎むのは自然の摂理に反する」

8.良い子は不幸
 子供の時、塾や学校の教師たちが、
私の心や人格や性格や精神のことを
「枝葉の無い幹だけしかない木」と表現したことがある。
途中で遊び始めたりしないとか、
不必要なことを一切しないとか、寄り道しないなど。
親や教師にとっては良い子で都合よいが、
人間らしく育たないのではないかと心配してくれた大人もいた。
今なら分かるが、そうなるしかなかった理由がある。
私は母の都合を最優先に利用される
便利な道具や機械や奴隷やロボットであるために、
いろんなものを人間らしく楽しむことを許されなかったから。
しかし、そういうことを指摘されて以来、
母が育児で批判されないようにするために、
私が「人間らしくない」などと二度と指摘されないよう、
人間らしく振る舞わねばならないという課題が増えた。

 私はおそらく生まれつきホラー好きなのに、
オカルト/ホラーブームに乗れなかった。
母が嫌がるので霊的なことに一切関わりを持ってはならなかった。
 その当時、放課後の学校で一度だけこっくりさんに誘われた。
本当はとても嬉しかったが、
最初は断り、それでもどうしても参加してほしいと
強引に頼まれてしぶしぶ応じたという形になった。
他人と十円玉にかかる霊力を共有する経験に
密かにドキドキわくわくしていた。
しかし、動かないのだ。絶対に動かなかった。
「誰か動かないように抑えていない?」と一人が言った。
つまらない無意味な時間が過ぎて、
私が抜けて別の人に替わったとたん再び動き始めた。
私は二度と誘われなかった。

9.むしり取られる食い物
 美味い物を食っていると母が突然、
「そんな物を食べてはいけません」と言って
むしり取って捨てるか、代わりに食べてしまった。
特にはっきり記憶にあるのはアイスとお茶漬け。
むしり取られた私は理由を聞いたが、
アイスもお茶漬けも「腹を壊すからダメ」
という母の言葉は屁理屈だった。
 今なら本当の理由を想像できる。
戦後のひもじい思いを何度も延々と
私に聞かせていた母にとって、
美味い物が食える私の幸福は、
母が苦労してきた同程度のことを経験しなくても、
母が得られなかった幸福を娘が
簡単に味わえる不条理であり、
許せなかったのだ。
 そして、当時の私は他の母子たちとの付き合いの場で、
他の子が持っているお菓子を、
母が私にするのと同じようにむしり取って食ったり、
捨てたりした。当然私は叱られたが、
当時から間もなく母とは違って
他人の物を奪ったりしなくなったのは事実だ。
しかも、こういう経験で食い物に執着する癖になるらしいが、
私は食欲を失い栄養失調になって病院の世話になり、
そこで咎められた母は私に食い物を無理強いするようになった。

10.知らない罪悪
 冬のある日、「今夜何を食べたい?」と聞いた母に
「茄子の田楽」と答えたら、母は激怒した。
激怒の理由は、私が食材の旬を知らないことであり、
そういうことを犯罪みたいに非難した。
旬の食材を知らないことが母にとってなぜ重罪なのか、
原因を最近やっと解明できた。
私の答えによって母は、冬に茄子を
手に入れるという不可能なことを求められた気分になって、
母が子供の時に他人の家で働かされ、
不可能なことを求められて何もできないと
非難されたという理不尽な経験があって、
当時の自分の無力さや無能さやみじめさを再び味わい、
嫌な気持ちを解消できない怒りとなって私にぶつけられたのだ。
 母が絶対に正いと考えるしか生きる道のなかった私にとって、
食い物の旬を知らないことが重罪だという
非常識を植えつけられることになった。
そういう非常識は、たとえば礼儀やマナーに無知なDV夫が
問題のない妻の食い方をマナー違反だと決め付けて、
それが重罪に相当するから殴るという屁理屈に歪んでいく。

 母は私の嫌いな飯をよく作ったが、
私がどんなに好きでも母が嫌いな物は禁止だ。
今ではわかるが、私には本来ほとんど好き嫌いはなく、
母が料理下手で不味かったのだ。
学校給食や会社の食堂や病院の飯のほうがはるかに美味かった。
ただし、母の作った飯を不味いと言うのは厳禁
というより絶対にあってはならない、
むしろあり得ないことあり、
必ず「おいしい」と言って感謝しなければらなかった。
いつものように「おいしい」と言って感謝して、
その日だけは吐き気に耐えることができず、
吐いてしまったことがたった一度だけある。
しかも、母は嘔吐も禁止していたので、
適切な処置を知らなかった私は倉庫で吐いてしまい、
そのことを母は後々、私を非難する材料にした。

 公園でお茶とおにぎりを買ってトレーに載せたまま
ベンチで食って楽しんでいる時いつも伴う、
嫌な感覚があって、それが何だろうと思った時
こういうことをはっきりと思い出した。
 婚約前の夫を実家に招いて両親に紹介した時だった。
お茶と菓子を盆に載せたのを応接間に持って行った。
それからどのくらいの月日が経ったか忘れたが、
私の礼儀作法が間違っていたという理由で、
母が私を突然ものすごく非難した。
その時に注意できることを母は忘れたころになってから言う。
茶と菓子をテーブルに移動したら盆は下げるのが
母の正しい作法で、そうしなかった私は彼に
「行儀の悪いバカ娘だと思われた」というのだ。
今から思えば、母こそ作法を知らないバカ女だ。
母は私のことを神経質だと決め付けたが、
心が通っていればそんな些細な作法なんか
どうでもよい私が神経質なわけがない。
 有害な親たちに共通する特徴は、
人の心よりルールやマナーや礼儀作法が大事なことだ。
皿に残ったソースをパンに付けて食べた妻のことを
行儀が悪いという理由で殴ったDV男と同じ。
正しい礼儀やマナーをインプットされ損ねた機械人間。
礼儀作法というものは「人の心」に対する気遣いであって、
間違っても人を非難する手段に使うものではない。

11.人生が犠牲になった育児
 「子育てのために自分の夢や好きなことや、
やりたいことを我慢して自分の人生を犠牲にした。」
という母の言葉を覚えている。
母の気持ちに嘘はなかったと思うが、
「子育てのため」は間違いで、
「自分の存在価値を得るため」が正解だ。
母は、自分の存在価値にまったく自信がないか、
あるいはそんな価値がまったくないのにどうしても必要だから、
自信を持てる確かな存在価値を得るために、
自分の存在価値を下落させそうな夢や好きなことや、
やりたいことを我慢して生きなければならなかったのだろう。
しかし今さら思ったのは、「出来損ないの母を支えるために
自分の夢や好きなことや、やりたいことを我慢して
人生を犠牲にした」のは私のほうだった。

 何の話か忘れたが、電話で母が突然、
私を育てるのに要した費用全額を
「借金として返せ!」とあからさまに要求した。
金額を尋ねると、「自分で計算しろ」と言う。
当然、母が納得する金額を示さなければならない。
当時の私には、理由がさっぱりわからなかったが、
おそらく、就職して親から離れて生活し始めてから
母に相談なく何でも自分で決めたり実行したりして
自立するようになった私を、母がいつまでも
親に依存させて奴隷のように利用し続けることが
できなくなるかもしれないという危機感を
覚えるような出来事があったからだろう。

12.要らない人形
 昔、家に上品な日本人形があった。
それは高貴な大人の女性の姿だった。
それは父が母に買ってプレゼントしたものだ。
母はその人形のことを「古臭い」「ダサイ」と言っていた。
ある日、母はその人形を捨てた。
しかし後日、それは元の場所に戻っていた。
気付いた私が母に言い、
母が食卓で父にその話をすると、
父が「ゴミ置き場で発見して、
もったいないから戻した」と言った。
 ある日、家にフランス人形が置いてあった。
それは母が私のために買ったということだったが、
私はそんなものに少しも興味はなく、
母自身が「新しくておしゃれな自分にふさわしい」人形が
欲しかったのだろう。
私は母が嫌いな日本人形のほうが価値が高いと思う。
母が好きなフランス人形は軽くて中身が無いというか
安っぽい材料で量産された子供のおもちゃにしか見えなかった。
でも、好きなほうがその人にふさわしいのだろう。

13.母の脅し
 親から離れて初めて気付くのが親の有難味ではなく、
親の有害さ悪質さだった。

 母は、「病気でもうすぐ死ぬ」と言うのが癖だった。
こういうのに耐えられない人が多いのも後で知った。
私は母の「もうすぐ死ぬ」という脅しに振り回されなかった。
母自身の責任だと私がわかっていたからだと思う。
しかし、母が本当に早死にしそうに私は思い、
私が神に祈ったことは母の長寿だった。
母の長寿は叶ったが、私の夢は未だに叶わないまま現在に至っている。
今までずっと後回しにしてきた私自身の夢や願い事は、
安心して自由に関われる友達ができることだった。

 母は私によく「精神病院に入れてやる」と脅すのが癖だった。
その理由は「親の言うことを聞かないから」だった。
いや、私は母の言うことをいつもよく聞いた。
母の「言うことを聞かない」という言葉には
「母が満足しない」という隠れた意味があった。
有害な親の毒で頭がおかしくなるのも無理はなく、
私の頭がおかしいのは事実だったから、
その脅しに私は苦しんだ。

14.切られた心
 赤ん坊の時まで通用した単純な暴力や、
子供の時まで有効だった暴言が通用しなくなって以降、
母は私の髪を無理矢理切るために
嘘をついて私をだますようになった。
美容師を家に招いて「おしゃれな髪型にしてあげるから」
という母の話を私は信じるしかなくて、
女らしさを切り落としたようなショートカットになった。
昔だからというよりセンス悪い母の好みだから、
今風の格好良いカットとは全く違う。
その年齢になったら髪を伸ばしてよいという
母との約束を私は覚えていたし、
無理強いの散髪が人権侵害なんていう考えを知らない当時でも、
深い悲しみと強い怒りを感じていて、
そういう当然の怒りを持つ自分を恥じていた。
強いられた散髪で過去何度こっそり泣いたことか。
しかも、隠しきれない涙が母にばれると、
母は「そんなことで泣くのは弱すぎる」と揶揄した。
年月が過ぎて遠い過去になればなるほど
ますます許せない怒りを感じるようになった。

 電車の中で母は私の髪を、
汚物を扱うかのような仕草でつかんで
「髪が長すぎるからもっと短くしなさい」と言った。
周囲には大勢の人たちがいたが、
家という密室ではない公的な場で
母がそういうことをしたのは珍しかった。
近くでその様子を目撃した他人の顔が一瞬、
痴漢の現場を見てしまったような目つきに変わった。
しかも、当時の私の髪は肩までしかなかったが、
母は私の髪がショートでないと許せないのだ。
母自身は髪を伸ばしていたが当時の私よりわずかに短かった。
当時の私は母がそんなことをしたり言う理由がわからなかった。
「なぜ短く切らなければいけないの?」と何度か聞いたが、
母は最初無視していて、そのうち返事しても支離滅裂で、
「あなたのために言ってあげている」という言葉だけは決まっていた。
 昔から私はシャンプーなどを自分で選んで使うことは許されず、
母が勝手に買ってくる最低の安物を使わされていた。
不気味な悪臭を含んでいるのもあって大量に買い溜めてあり、
私だけが使わねばならなかった。
そんな粗悪品で髪を洗ったら禿げないほうが不思議だ。
それでも私の髪はますます丈夫に生えるようになった。
それとは違い、母の髪はうっすら禿げていた。
母にとって腹の立つことだったに違いない。
母と私は親子とは思えないほど容姿も皮膚の特徴も違っていた。
母の皮膚は薄くて弱く、ちょっとしたことですぐ切れた。
無駄毛なんかほとんどなかった。
私は皮膚が厚く無駄毛の多さに悩んだ。
私の無駄毛の生え方は父とそっくりだった。
 私が自分で体を洗うことを許さない母が
服を着たまま風呂に入ってくる時もあって、
私の体をゴボウや里芋を洗うかのようにゴシゴシ強くこすった、
「こうしてしっかり洗わないと汚れが落ちない」と言いながら。
 無知だった昔の私でも母の言動には、
説明できない気味悪さを感じていた。

15.子供に人権なんかない
 私が通学していた昔の小学校から大学までは、
今どき暴力とか虐待とか人権侵害と言われることが、
当たり前のこととして堂々と行われていた。
昔の学生は真冬でもコートも何もない薄着で
真夏でも帽子も日傘も何も持たないまま
運動場の真ん中に長時間立たされる行事があった。
それで霜焼けになったり風邪をひいたり
熱中症で倒れると貧血だと決め付けられたり、
運動すると持病が悪化する子が
体育で無理矢理運動させられたり、
食えない子に給食を無理やり全部食わせたり。
無理に食わされた給食でアレルギーの
ショック症状で死んだ子もいたに違いない。
しかも、そんなので病気になったり倒れる子は、
人に迷惑をかける弱い人間だと言う風潮があった。
教師は気ままに学生に体罰や罵倒していた。
教師も有害な親と同じようなことをする暴力犯罪者だ。
そんな状況は中学も高校も大学も似たようなものだった。
大学では未成年を無理やり一気飲みで
急性アルコール中毒死させたり。
こんなのは学校ではない。
こんな日本でどんな高学歴だろうと、
学校を卒業したと言える人間にはなれない。
 そして最近知ってあきれたのは、
今時の学校給食の栄養バランスが最悪だという事実だ。

16.裕福な家庭の奴隷
 子供の時、顔がニキビでぼろぼろだった。
いや、ニキビなどというかわいいものではない、
異様にでかい吹き出物だった。
背中にも同様のものができていた。
ある時、母がニキビに効く薬を買ってくれたことが一度だけあった。
それは使い方が化粧品のような感じで私は嬉しかったが、
一式セットが五千円で、母は高すぎるから二度と買わないと言い、
私がそれを使うたび一々苦情を言うので使えなくなり、
使用期限が過ぎて捨ててしまった。
効果を確かめられるほど使うこともできなかった。
その後、見慣れない石鹸を母が
「風呂で使いなさい」と言うので使ってみると、
顔も背中もあっという間に治ったことがある。
しかし、その石鹸はその時限りだった。
私はまたその石鹸が欲しいと言ったが、
高価だからという理由でだめだった。
しかし、その程度の物を買えないほど貧乏ではなかった。
当時の物価と親の収入なら欲しい物を
好きなだけ買っても余ったはずだ。
今ならわかる、買わないのは家計のためではなく、
私に最低の安物以上のカネをかけるのがもったいないからだ。

 中学生の時から激しい腹痛に襲われるようになった。
母から被るストレスが原因だと知ったのは最近だ。
あまりにも手遅れで、不治の病に等しくなっていた。
父のおかげで家は裕福だったのに、
母は私のことをカネのかかる子だと決め付けたかと思うと、
娘に惜しみなくカネをかける自分は優しい親だと自慢した。
私がどんな激痛に苦しんでも高熱で意識を失っても、
絶対に救急車を呼ばなかったのは、
救急車に高額を請求されると母が思い込んでいて、
私にカネをかけるのがもったいなかったからだ。
 今では自分の意思で病院に行けるけど、
具合の悪いことで一々通院するほど
経済的にも体力的にも精神的にも余裕がない。
「具合悪ければ病院行けば?」という無神経な言葉は痛い。
病院に行くとか行けないという
物理的なことだけ問題にするのは悲しい。
そこに気遣いや思いやりがどこにもないのが悲しい。
私は肉体という物理的存在であるだけで、
それは便利な道具や奴隷やロボット扱いであり、
心や精神や霊魂というものを軽視するどころか
存在しないか無意味のような態度で扱われてきた。

 私が発熱する病気にかかると母は嫌々世話したが、
私が病気になること自体が許されないことであり、
「親に余計な手間をかけるな」と私を責めた。
発熱しなければ激痛が続いてもまったく無関心で、
あまりの痛さにうなり声を出していると
「うるさくて眠れない」と苦情を言うのだ。
その理由は、発熱は体温という数値に表れる
「物理的証拠」があるが、激痛に物理的証拠はない。
現在なら痛みも数値にできるだろうが、
昔はそんなものなかった。
母にとって私の痛みなど無意味だ。
私は少しも大切にされなかったのが事実だ。
現在、誰かに大切に扱われることを切実に望んでいる。
私を大切に思ってくれる家族がいなくても
せめて友人が欲しい。

 幼少時から人間として大切にされなかった事実に
気付くには長い年月を要した。
愛されなかったり虐待された人は事実に疎い。
子供の時の素直な感覚は事実をよく表していた。
 自分の状態を客観的に見れるようになって初めて、
今までの人生が母の奴隷だったことに気付いた。
どこにいても何をしても何もしなくても
常に責められ急き立てられ、
何一つマイペースでやってはいけなくて、
そんな必要ないので自分の好きなようにしようとすると
今でも非難される感覚が強くて胃が痛くなる。
自分の健康や楽しみのために時間を使うことに
余計な罪悪感があって自分を大切にすることが難しい。
いつも疲れてぼろぼろなのは
自分を癒す場も時間もない生活が普通だったからだ。

 母の欲求不満やストレス解消のために
私が奴隷のように踏みにじられ利用された、
どんなに望んでも精神的自立できない理由、
その原因として母が本当は何を望んでいたか、
DVや毒親やハラスメントの解説ではなく、
自分の言葉でこういう考えに達した。
私は母の傷付きやすい心を慰めたり、
母の都合で利用しやすい子供だった。
しかし、他の子らと同じように私も成長して
自立すれば親から離れるだろう。
そうなれば、母は私に慰めてもらえるわけではなくなるし、
いつまでも私を利用できるとは限らなくなるだろう。
だから、母は私が自立し難くなる節介や干渉を続けた。
母は私に、私が安定した収入を得る職業に就くことを望んだが、
その裏には親が自慢したり介護費用を払わせる
などという暗黙の必須条件があった。
母の本当の望みは、私がいつまでも
母の心を慰めるペットであるとともに、
母の存在価値を作り出す奴隷であり続けるためにも、
物理的経済的にだけ親を養う余裕を持ちながら、
精神的に母なしで生きられない人間であって欲しかったのだ。

17.貧乏人に百円あげてはいけない
 学生の時、バス代の小銭がなくて困っていた知人に
バスの回数券を分けてあげたら翌日すぐ現金で
返してもらったことを母に話したら、
「よかったね」ということだった。
その後、人に小銭をあげたのは次の一度きりだ。
電車の切符売り場で、銭が足りなくて
困っていた貧乏学生に百円あげたことを母に話したら、
母は異常なほど激怒した。
私はバス代を貸した件との違いがわからずに悩み、
就職して結婚もしてからそのことを思い出し、
母の怒りの理由をやっと理解できた。
どこの誰か知っていて、
貸したらすぐ感謝とともに返す有名なお嬢さんならよくて、
どこの誰かもわからない返してきそうもない貧乏人に
あげてしまうことはだめなのだ。

18.早く自立したかった
 自立するため早く職を持ちたかった。 
私は頭があまりよくなかった。
IQは学年一番だったらしい。
そんなもの本当の頭の良さと関係ない。
私には高校も大学も余計なものだった。
当時の私は知らなかったが親は金持で、
学費の高い大学を受験させられ合格した。
学費が高いというのはつらいことだった。
子が親から学費を出してもらっているくせに
親に服従しないことがいかに罪深いか、
その罪悪感を利用して母は権力をふりかざし、
そこに私の人生はどこにもなかった。

 母は、清掃業や飲食店員やタクシーの運転手を軽蔑していた。
その理由は「学歴や教養がないくせにボロ儲けするから」らしいが、
そのような職業の労働者を「ボロ儲け」などと言うのは無知すぎる。
私は母が絶対に嫌がるだろう職業にあこがれていた。
同じ大学でそういうところに就職が決まった人を知って、
「えっ!そういうのありだったのか!知らなかった、
これなら私の天職だろうに」と思った。
母の障壁が高すぎる私には自分の職業を選ぶ自由はなかった。

 私が自立できるほうがおかしなことだった。
成長するにつれ私が母の思い通りにならなくなり、
荷物になった私を母はいきなり家から追い出し、
私は行ったことのない遠い首都に就職した。
どんな恥をかいて笑い物にされても、
自立を装ったか知る人は誰もどこにもいない。
知ってもらおうと説明したところで、
表面や外見だけで「誰でも同じ」と笑われるだけだ。
動物の巣立ちの様子などを見た時、
動物の親が子を自立させるやり方に、
なんて愛のある丁寧な行動だろうと、
動物未満の母と比べて悲しくなる。
 親からの自立とは他人になることだ。
あの親が他人だったら、感謝しなさいと言われても、
カネを貸せと言われても、
子育てに要した費用を返せと言われても、
老後の世話や介護をしろと言われても嫌だ。
それでどんな悪口を言いふらされても、私に罪はない。
逆に感謝するようなことを言われたり
何か贈与すると言われても同じだ。
これ以上一瞬でも関わりたくないから。
あんな女に関わる限り私には不幸しかないのがわかったから。
 私にとって親からの自立とは親の私物であるのをやめることだ。
互いに自立している親子と同じように、
最初から私も親の私物ではないことを知ってそのように生きることだ。
子はほとんど誰でも自立を望むのに、
親のほうが自立したがらないのが多い。
親が自立しないのに子が親より先に自立するのは至難の業だ。
自立した親は子に感謝や親孝行や恩返しを
強制どころか要求も望みも期待もしないものだ。

19.家に帰る自由もなかった
 高校の同窓会なんて出席したくなかったが、
母にすべてを報告して母の意見に従わなければならなくて、
そこに欠席するという選択肢が無く、
嫌々無理して我慢して出席して二次会に誘われたが、
そんな余分なカネを持っていなかったのに、
他人と違うことを許されなかった私は
自分の気持ちに従うこともできなくて、
二次会に嫌々我慢して出席した。
精算時にカネが無いと言うと、
誰か金持ちが部分的に負担してくれたが、
私には帰りの電車賃も足りず、
それでも親が迎えに来てくれると信じていた。
深夜にやっと解放されて公衆電話で家に連絡したが、
母に「いま何時だと思っているんだ」と
さんざん非難だけされて時間切れになった。
夜間外出したことも無かった私には門限がなく、
「もうすぐ大人だから何があっても親に頼るな」ということだった。
それでも最後の小銭で再び電話しても母は非難で終わった。
 そこで私は二度と家に帰らなくてよかったかもしれない。
しかし、すでに駅のホームに入っていたので
とりあえず家の最寄りの駅まで電車に乗って、
誰かに助けてもらおうと思って改札口で周囲を見渡すと、
父が迎えに来てくれていた。
私はその時、知らない男に後をつけられていたのに気付いていた。
その男の容姿は私の知らない世界を感じさせる魅力があった。
私が父を見つけた瞬間、その男は去って行った。
 後日、そのことで母は再び私を非難した。
「電車賃が足りないなら警察で借りられるのに、
深夜に親を呼び出すなんて迷惑な娘だ。」
それが本当かどうか調べてまで知る気はないが、
母が言いたかったのは、私が悪いという結論だった。
しかし、もしも私が警察へ行ったとすれば、
聞かれた事情から親の虐待や無責任が表面化したりして、
母は「そんなことで警察へ行くな!」と激怒し、
「些細なことで親を警察沙汰にする不良娘」に
延々と説教しただろう。

20.おしゃれ禁止
 遺伝的肉体的に女に生まれたから当然、
私は女らしい恰好をしたがったが、
母はそれを絶対に許さなかった。
私の髪はさらさらして美しかったが、
伸ばすのは厳禁だった。
女の子らしい服も禁止だった。

 ピアノの演奏会で他の子たちは皆おしゃれなドレスなのに、
私だけ短い下着みたいなワンピースだった。
母はドレスというものが高価だと思い込んでいて、
服で私に費用をかけるのがもったいなかったのだ。
だから、そういう時しか着ないドレスではなく
後々使える普段着だったのだ。

 母が私に「服を自分で決めなさい」と言った日、
好きな服を着ると母は最初咎めていたが、
そのままでいると、母の発狂的激怒が始まって、
あまりの酷さに父が母をなだめてくれた。
しかし、それだけで母の怒りは収まらず、
母が私に「服を自分で決めなさい」と言う場合、
母が気に入る、母に都合良い服でなければならない
という意味であることを私の心に刻むまで、
母はガミガミと説教し続けた。

 ある寒い冬の日、長めのスカートをはこうとした時、
母が咎めたが、私は無視してはいていると母は激怒した。
なぜダメなのか母に聞いた理由は「冬服ではないから」だった。
それで次は夏にそのスカートをはこうとすると、
今度は「夏服ではない」という理由で禁止。
そのスカートは私のためにと強調して母が買ってくれたのに、
はこうとするたび怒るので一度もはいたことがなかった。
それは太った母が絶対にはけない、
私の細い体形にぴったりな数少ない服だった。

 母の奴隷である娘が自分より努力なしで美しい事実を
認めたくないし、そんな娘が母よりおしゃれをするなんて
許せない母の嫉妬もあったのだろう。
有害な親は娘のおしゃれを禁止する共通パターンがある。
もし、私が今でも母と同居していたら、
母は今でも私のおしゃれ厳禁だろう。
母自身のおしゃれはもちろん母の自由だ。
親が娘のおしゃれを禁止する理由はこうだ。
娘が未成年のうちは「まだ子供だからダメ」。
成人後は「大学に化粧も派手(実は単におしゃれ)な服も余計」。
「会社に化粧も派手(実はおしゃれ)な服も余計」。
控えめな化粧や地味な服に対してさえ
「派手」とか「過激」という親の勝手でレッテルを張って
それを禁止の理由にする。
娘がいい歳のおばさんになったらなったで、
「もういい歳なんだから化粧は不要」
「いい歳して派手な(実はおしゃれ)服は下品」。
ネイルアートなんかとんでもない世界だ。
母自身はどんな下劣なおしゃれも自由で、
娘におしゃれを勧めるなんてことは死んでも無いだろう。

 裁縫ができるようになったとき私は、
家の倉庫に何年も眠っている安っぽい端切れを使おうとすると、
母が絶対にダメと言って使わせてくれなかった。
十年ほど経って私が就職して結婚して帰省した時、
その端切れがまだ倉庫に眠っていて、
もう母に絶対服従する必要もなくなっていた私は
こっそり持ち出して自分の服にしてしまったことがある。
その後、何年経ってもその端切れのことを言われなかった。
その服は色褪せるほど着た後、リサイクルに出した。
母は自分の好きな物なら惜しみなく買ってため込んで、
私にはゴミのような不要品しかくれなかった。
私の望みに関係なく母が勝手に使ったカネをアピールして、
子のためにカネを惜しみなく使う立派な親として
恩着せがましい説教した。

 最近おしゃれが心の健康に必要なことが、
あちこちで説明されているのを見るようになった。
好きな服を着ることもできなかった原因は、
母の不可解なルールだった。
母は人に嘲笑されることを恐れていた。
これは最近わかるようになったことであり、
他人の目を気にしすぎることが正常であり、
他人の目より好きな格好をしようとする私のほうが
異常という母のルールを信じていた。
 母は、私が美しい服を着ることを許さなかった。
他人の嘲笑が気になるのと同時に、
娘が自分より美しい事実を認めることが嫌なのに、
服まで自分より美しいのは許せなかったのだろう。

21.衣服の不自由
 母が私を太らせようと飯を無理に食わせた理由に気付いた。
私が太れば母と同じサイズの服を着せられる、
つまり、母の要らない古着を着せて、
私のためとして買った服を後で横取りするためだ。
ある日、フリーサイズのワンピースを母と私のお揃いにすると
母が言って二枚買ったのを家で私も着ようとした時、
母が支離滅裂な理屈で怒り狂って、
私の服をむしり取って二枚とも母のものになった。
 母が外で優しい顔をして買ってくれた女らしい服を着ようとすると、
必ず取り上げられて母の服になった。

 「あなたのために買ってあげたのよ」と
さんざん母が言って何度も感謝させられた高価な和服があった。
それで格安で受けられる着付け教室に行こうとして、
母に電話で私の和服を送ってもらうよう頼んだ時、
母は私を非難し激怒した。その理由は後でわかった。
その服は実は私のではなく母自身のものだったのだ。
今ならわかるが、本当に高価な服が
母の奴隷である私のものであるわけがなかったのだ。
だから、遠方に住んでいる娘が返さないかもしれない
母の服を送るわけにはいかなかったのだろう。
そして着付け教室は服を借りると高額になるので、
キャンセルしようとしたが変なことを言われて大変だった。
授業料は戻ってこなかったが二度と行かなかった。
私には外に出て本当に恥ずかしくないまともな服は一枚もなかった。

 いい歳になってから初めて気付いた。
最近まで長年の間、私は自分には大きすぎる服を選んでいた。
その理由は結局、母の都合によってそうなってしまった。
というのは前に書いたように、
母が「娘のため」と言って買う服は母自身が欲しい服だから、
後で私が着ようとタンスから出した時にむしり取った。
ただし、栄養失調で痩せた私のサイズに合う服では
太った母が着られないので、
初めから母のサイズに合う必要があった。
だから、母は私には大きすぎるサイズの服を無理に着せて
「このサイズで合ってるの!」と何度も言い聞かせ、
私はそれを適度な感覚として信じるしかなかった。
 それから何十年経ったか、生まれて初めて
服をオーダーメイドしてもらうつもりで入った店で、
店員さんが私の体にぴったり合う服を見つけてくれたので、
それを買って着ていると、
着心地の良さと言うか、動きやすさというか、
適度なサイズがいかに楽なのか、
合わないサイズがいかにストレスの原因だったか実感した。
靴も同じだった。
太った母も履ける靴でないと許されなかった私は、
自分の足のサイズを2センチも大きく思い込んでいて、
最近やっと本当のサイズに気付いたのは、
足の形状を詳しく計測してくれる靴屋に行ったからだった。
そして、我慢して着ていた合わないサイズの服や靴は
今の私の感覚ではセンス最悪だった。

22.小遣いゼロ
 私には小遣いというものが一銭もなかった。
だから自分で欲しい物を買ったことが一度もない。
他の子に小遣いがあるのは知っていた。
他人の子と遊ぶ機会も少なかったが、
他の子が好きな物を買いに行くのに付き合わされたことがあり、
誰にも秘密の心の底でうらやましいと思っていた。
ただし、意識的に「うらやましい」と感じてもいけなかった。
他の子のような自由がない事実に私は気付いてはいけなかった。
気付けば不満を抱いたり求めることになって、
母にとって都合が悪いし逃げ場の無い私自身も苦しくなる。
事実を否定したりねじ曲げてでも、
私の母は良妻賢母でなければならなかった。
 私に小遣い不要なのにはもっと重要な隠れた理由がある。
私が自分の好きな物を勝手に買うことは
母にとって許し難い犯罪なのだ。
小遣いで自分の好きな物を勝手に買うのも、
些細といえども自立になる。
自立する子は親の思い通りにならないわけで、
親が支配して好きなように利用できなくなる。
母にとって自分の子が自立すると、
未熟な母自身も親という大人として自立を迫られる。
母は自分の問題を子に負わせてやっと生きていられるのに、
それが思うようにできなければ、
それこそ母自身が生きていけなくなる。
そして、母はいつまでもそういう依存を続けたいから、
子が自立できないようにする努力だけは惜しまない。
そんなことに気付くこともできなかった私は、
母のこんな嘘を信じていた。
「あなたが欲しい物はお母さんが必ず買ってあげるから」
「お母さんは、他の親みたいに小遣いを定額に制限せずに
必要な時いつでもおカネを出してあげるから」。
そして、「あなたが欲しい物」は私が本当に欲しい物ではなく、
母が欲しい物に限られており、
それ以外の物を表現してはいけなかった。
 小遣いが無くても親戚からお年玉をもらったことはある。
ただし、自分のものにしていられるのは使う前までであり、
実際は母の欲しい物のために使うことが、
私の好きなことに使うことに等しいという洗脳があった。
当然、何に使うか秘密にすることは許されず、
私の好きな物事に勝手に使ったことは実際一度もなかった。
家は裕福なので母がとくに欲しい物がない時もあって、
そういう時は私の名義で貯金するという名目でむしり取った。
結局、私に小遣いは要らなかった。
母の都合に良ければ買ってもらえるし、
都合悪ければどんなに必要な物事でもダメなので、
カネを持っていても無意味だった。
 私が成人しても独立しても結婚しても、
母は昔と同じことを繰り返している。
子に小遣いを一銭も自由に使わせない母だから、
子の名義で高額の貯金を作って
「必要な時いつでも自由に使いなさい」と言っておきながら、
口座の暗証番号を握っていて実際は決して自由に使わせない。
私の名義だから自分の身分証を持って行って
暗証番号を勝手に変更なんてしようものなら、
「犯罪に使おうとしているからそんなことをした」と決め付けることで、
「犯罪容疑のレッテルがあれば叩いてよい」という母のルールで
陰湿な虐待の激しさがエスカレートしただろう。
何にしても母の利益になることが必須だ。
使う日も含めて何に使うか事前に母に話して、
母に都合よい期待と一致しなければならない。
完璧に母の期待通りに使うとしても、
ありがたく頂いて母の満足する感謝や恩返しをしながら
母を価値ある親として褒め称えなければならない。

23.嬉しくない誕生日
 誕生日を祝われると、
丁寧な感謝やお返しをせねばならない負担を感じる。
母は私の誕生日を大げさに祝ったが、
当然のこととして私に母への感謝を強いた。
他の祝い事も、母がいかに子を大切にする親か
認めさせるためにすることだった。
私にとって嘘や偽りが義務になる行事だった。
心の底から祝福されて嫌な者はいないが
ただ「おめでとう」と余計な物なしに
こっそり祝ってくれるのは嫌ではないが、
「この人は私に何を期待しているのか?」
察せねばならないことが面倒だ。
ただし、好きな人に同じことを言われると
嘘でも嬉しいだろう。
しかし、好きな人に言われたことが一度もない。 
私が結婚して親と疎遠になっても、
母は不用品を中元や歳暮として送りつけてきた。
中元や歳暮というのはそれ専用に売られている物にするか、
親だから特別というなら手間ひまかけた手作り品なら、
外見ではない中身が高級品だ。
都会で興味ないギフトを大量にもらうような身分の親なら
それから回した高級品もあるだろうが、
私は母から「親のいない子もいるのだから、
親に物をもらえるだけありがたいと思いなさい」
「親不幸な子に物を送ってやる優しい
思いやりのある立派な親だと認めなさい」
「だから親に感謝して服従しなさい」
という圧力を確かに感じていた。
しかも、母のギフトは小銭で買えるスーパーの
処分品だったことを私は思い出した。
他にも本質的に同じことが長年繰り返されていた。
母が本当に貧乏だったり身分相応の物なら
私は今でも感謝するかもしれない。
父のおかげで裕福だった母が私に押し付けるものは
ゴミだけではなく、
母という偉い親に対する感謝や服従の要求もあり、
私がそれに応じなければ母は私を責めたり非難した。
 私はそれほどバカにされなめられていたのだ。
親とは別の人間関係の悩みだったとはいえ、
知人が私に「なめられているんじゃない?」
と言ったことがあって、
当時の私はますます腹が立つだけで不可解だったが、
その知人は澄んだ目で事実を言ったのだろうと今では思う。

24.心配されてもされなくても
 私は誰にも心配されないことが悲しいのに、
心配されても当惑することがあり、
付き合う相手は不可解に感じるらしい。
周囲は疑念や不安を感じて私は孤立する。
最近その原因に気付いた。
私のどんな苦痛も母は無視したが、
些細なことで異常なほど心配することもあった。
私がたった一度だけ咳やくしゃみをしただけで、
母は「風邪をひいた」と大騒ぎして余計な世話をした。
子を心配して世話する優しく温かい親だと認めさせ、
恩返しや感謝を得て親の存在価値を保つためだ。
そういう習慣のおかげで、私は人に心配されると
恩返しや感謝を強いられる圧力を感じてしまう。
逆に心配されないのは、
死んでも気付かれない悲しみを感じる。
さらにそれとは別のこともあって、
苦痛を誰かに気付かれるのは不安だ。
それはこういうことだ。
黙っていても母が私の苦痛に気付くこともあって、
ただしそういう時は私が苦痛を感じること自体を、
「ダメな悪い人間の証拠」と決めて非難するためだ。
苦痛に限らず他の何にしても、
母の都合や利益に役立つなら誇張して、
役立たないなら無視し、邪魔なら攻撃するのだ。

25.心のディスカウントセール
 親の毒やゴミや有害物をさも高価なものに見せて
押し付ける母に、私は自分の心を売るしかなかった。
それが母の存在価値を偽造するためだったことなど
当時わからなかった。書けば簡単に見えるだろうが、
ここまで気付いたり知ったり理解するようになるまで
途方に暮れるほど苦しい長い道のりがあった。
そして最近ますます、
母に粗末に扱われていた事実に気付くことが増えた。
昔の私は母を信じてすべてを母の都合良くしなければ、
存在する資格のない奴隷やロボットみたいな者だった。
 私は物ではなく心や精神や霊であるからこそ、
何事も物や肉体や外見で評価や判断せず、
それがかえって事実を見えなくしていた。
母は私に最低の粗悪品を与えて、
最低の安物を着せて、必要な医療費をケチる時、
「こんなに子供を大切にする親は他にどこにもいない」と、
まるで神様のお告げみたいに私に言い聞かせていた。
それでも素直な私はそんな母を信じて感謝していた。
親というものはどんなに愚かでバカで無知でも、
狭い密室の家庭内で偉そうにしていられるから、
まともな親のもとで育った人からすれば
「信じられない」「あり得ない」ほどやりたい放題だ。
しかも私のような愚鈍な素直さは母のような
歪んだ大人にとって癪に障ることがあるようで、
それが私に対する母の嫌がらせの原因だったかもしれない。
親の未熟さに幼いころから気付く子もいれば、
大人になっていい歳して初めて気付く人もいるし、
年老いて死ぬまで気付かない人もいて、
人それぞれすごく違いがあるのも知るようになった。

 父の収入をまるで自分が稼いだかのように言うカネで
学歴や生活必需品を子に持たせたというだけで、
娘の自立の名目で突然実家から私を追い出した母は
立派な親として子育てを終えた。
ところが、親の責任に関する学問的記事を読むと
母のような動物未満な親には到底無理な高度な内容があり、
それを基準にするなら私の母みたいなのは論外で親失格だ。
親からもらった物を大切にしている人の話や、
高価だけど要らないから売却処分した人の話を読んだ時、
私は母から有害物とゴミしかもらっていない事実を知った。
心や精神のほうが大切だった私にとって
物やカネなどどうでもよいから気付くのが遅かった。
母は私にみじめな思いをさせたことがないと
自信満々に言っていた割には、
私と同年代の知人たちは若い時から家を持っているのに
私には未だ家もないし持ち物もゴミしかない。
結局、親が真っ当な人間なら価値ある物が残るようだ。
できるだけ早く処分したほうがよい有害物や
ゴミしか残らないのは親がそういう人間だからだ。
心や精神もいずれ物質に表れる。いい歳して
ゴミ以外何も残っていない私はさっさと死んで
ゴミのような人生を無かったことにしたい。

 今の借家は退去させられることがわかっているので、
少しずつゆっくり不用品の処分をしている。
その時思った、親を真っ先に捨てればよかったと。
無視する価値ならあると思ったが捨てればよかった。
ゴミや不用品の中で最も早く処分したほうが良いのは親だ。
「いつまで親に甘えれば気が済むと思っているのだ」
という言葉は間違っている。正しいのは、
「いつまで親に未練を持ち続けるのか」だ。
親を幸福にする子がどんなに多くても、
親こそ子供一人幸福にすることができない。
とっくの昔に親から自立した人が言った言葉を思い出した。
「私が自立したのは親に絶望した時だった。」
親がいつかは愛してくれる、優しくしてくれる、
わかってくれると信じて未練を引きずった分だけ不幸になり、
自立して得る幸福やチャンスを失うだろう。

26.卑しい女神の感覚
 昔は嫌なことが大量にあったのに、
当時の性格は底抜けに明るく元気でポジティブだった。
だからって根が暗いともあまり思わない。
陰気か陽気かどちらでもなかったと思う。
そんな私を母は「頭がおかしい」「精神が弱い」
「わがまま」「神経質」「怠け者」いろいろと決めつけた。
全部違うと私が気付いたのは最近になってからだ。
それらはむしろ母自身のことを適切に表していた。

 日没後、空が暗くなって窓の外が青くなった時、
その色の美しさに私が「外が青い」と言うと、
母が「どこが青いの、灰色でしょう」と言った。
私の目には灰色ではなく、青く見えると言うと、
母は「それを灰色というの!」と激怒し始めた。
 それから二十年ほど後に母が、
夫と私の借家を見に来て外の駐車場にある夫の車を見て、
「車の色にグレーは良いわね」と言った。
その車の色は「メタリック…」という光沢のある微妙な色で、
単純な表現にすれば金色だ。
母の目は「シルバー」にさえ見えないのだ。

 気温や室温は母の体感温度に等しかった。
この法則は絶対であり、
温度計を持ってきて事実とは違うことを証明すると、
「温度計のほうがおかしい」
「温度計を信じるほうがおかしい」という話になり、
温度計を信じて母を信じないことは、
まるで神様に反逆するような罪悪だった。
母以外の家族がどんなに暑かったり寒くても、
服装や冷暖房など母の体感温度に合わせなければならなかった。
その体感温度が温度計に近いなら別に困らないが、
たいてい温度計とかなりずれていた。
温度に限らず色や音や味や触感やにおいに関しても、
母の狂った感覚が絶対正しいことが前提だった。

 事実というものは有害な親の都合に悪くてはいけない、
親の都合に良くなければならないという家庭内ルールがある。
父と私が家事を手伝わないと母は愚痴るが、
家族に家事を一切手伝わせないのも母だった。
実際は母にできないことを黙って手伝っていても、
母が自分のことを良妻賢母であると思い込める
自信を持たせてあげなければならないから、
私は「親に家事の手伝いを強いられず
勉強時間を充分もらえる幸福な子」であるという嘘を、
事実として信じなければならなかった。
そして、母が私にしてきた暴力的仕打ちは
「偽りの記憶」という私の被害妄想であり、
事実であってはならないのだ。

27.親を崇拝する邪教
 「宗教一切禁止」は「強制された特定の宗教」より
実害ないのは確かかもしれない。
私は実際たいした害を被ったわけではない。
親の宗教から害を被る話をよく見かけるが、
私の父は、親も兄弟も自分で選んだ宗教を信じていて、
誰にも勧誘や押し付けをしていなかった。
しかし、母は私に何の宗教も一切信じさせなかった。
ところがおかしなことに、
私が卒業したのはキリスト教の大学だった。
矛盾するのは当然で、母は私に「まさか礼拝なんて
洗脳行事に参加してないわね」と釘を刺した。
聖書を買って家で読むのは、咎められる前から
守らねばならない暗黙の禁止事項だった。
私は罪悪感を抱きながら隠れてこっそり読んでいた。
 音楽も同じだ。
母が気に入る音楽でなければ聴いてはいけなくて、
母が気に入る音楽を嫌でも聞かなければならなかった。

 親の責任とは子の心身を守り自立を助けること。
その責任を果たさない者に親の資格はないが、
そういう親たちが子にしてきた犯罪が明らかになると、
「親は神や聖人ではない、親も人間だから完璧ではない」
という言い訳が出てきてそれを理由に
「責めるな、許せ」と暗に要求するが、
過ちを犯す未熟な人間だと自ら認めておきながら
決して「親が悪い、親の責任」と認めることはしない。
「神や聖人ではないから完璧ではない」などと
言い訳しながら実生活で「親は絶対正しい」という、
親を崇拝したり信仰する邪教みたいだ。

28.母の理屈や都合
 私の母に戦争の直接的体験はないが、
好きな物が食えなかった終戦あたりの生活を
何度も私に聞かせた。ただし、母の戦争の話は、
次世代に「戦争を繰り返してはならない」
ということを伝えるのが目的ではなく、
母自身の身勝手な都合を通すのが目的だった。
たとえば母に従わなかったり期待に応えなかったり
共感しなかったり意見に同意や賛成しない時、
私の心や気持ちを無視したり否定したり
非難するのを正当化するため、
戦争に関する悲惨な話や
痛々しい写真を載せた本を私に読ませて、
戦争中はそんな贅沢なことはあり得ないし
誰も文句を言わなかったのだから、
わがまま言わず我慢して親に服従しなさい
というわけだ。

 親の思い通りにならないほうが自立しやすいかもしれない。
親が利用し難い子ほど家から追い出されるからだ。
親の期待や欲求に応えることのできる子なら、
親はいつまでも子を離そうとしない。
自立して親に服従しなければ利用できなくなるからだ。
 母の言動は矛盾していて支離滅裂に感じることがあった。
しかし、私のほうこそ母を正しく理解していなかった。
私はただ優等生であればよいと単純に思っていた。
それには大きな見落としがあった。
正しくは、家庭の外では優秀で、
家庭内ではダメな子供である必要があったのだ。
その理由はもちろん母の都合だ。
外では子供のことで自慢できると同時に、
内では服従させて利益を得えたいからだ。
現実の私は子供の時だけ優秀だった。
しかし、子供の時の優秀なんてのは、
学校の成績が良かった程度だ。
褒めておいて次の瞬間もう貶し始める母の言動にも、
すべての物事は母の利益のためにあり、
母の都合で歪める必要があるという
単純な法則があったことに今さら気付いた。

29.見えない障害
 子供の時から家出するのが切実な願い事だった。
小学生の途中から、母から精神的圧力を感じ初めた。
それは、赤ん坊の時から当たり前だった母の有害さが、
その時期ますますエスカレートしたからだと思う。
先生から聞いた学校行事に関わる連絡事項の内容が
誰かを騙すための嘘の話にしか聞こえず、
聞いた連絡内容を信じられないから当然、
親にその内容をそのまま伝えられないという
奇妙な症状に悩んでいたが、
誰に相談しても笑われるだけだと思って、
先生や友達に話さずひとりで耐えた。

 母の言葉を信じて忘れず覚えていたことがある。
「いじめられたら二倍以上仕返ししなさい」というのや、
「今まで過保護だったからこれから放任主義でいく」。
他にもっと何というか、とんでもないのもあったが、
あまりに奇妙で不可解だから忘れた。
それで私はいじめられたら二倍以上仕返ししていた。
当然、二度といじめられなかった。
だから、母の言葉を正しいと信じていた。
放任主義という育児が親の怠慢や無責任だなんて知らなかった。
他にもいろいろとんでもないシツケをされていた私が
正常な良い人になれるわけがなかった。
母がしてきたのは躾ではない。
躾というのは家庭の外で通用する礼儀作法を覚えさせること。
そんなこと私はつい先ほどまで知らなかった。
家庭の外で通用する礼儀作法の存在を
私は今さら初めて知ったのだ。
こんな恥がどこにあるだろうか。

 昔から誰にも相談したことのない悩みがあった。
それは「社会性の無さ」だ。
言葉に表現する術がなかったわけではない。
「悩み」として認めることができなかった。
子供の時は家と学校の間の往復しかなく、
成人後は寮や社宅と会社以外の場所は、
最低の生活で必要な店だけだった。
他の人たちは趣味などで学校や会社以外の居場所があって、
家に帰るのはその場所からだ。
「学校や会社以外の場所」のほうが重要なんて知らなかった。
学校は本質的に収容所や刑務所のような所であり
子供に人権など無く、母が支配する家庭も同じだった。
 たとえば、家から遠い大学に通う以前、
一人で電車に乗ることができなかった。
電車に乗るために必要な知識がなかったからだ。
原始的生活をしていていきなり初めて
先進的外国で生活するようなものだ。
人に聞いたり案内や地図を見て覚えればよいことだろうけど、
誰にもわからない精神的問題が多くそんな余裕はなかった。
高校の同窓会に指定された有名な場所を知らず
一人で行くことができないから、
それを欠席理由にしたことがあって
クラスメイトにさんざん笑われた後、
その場所に連れて行ってくれる人が現れて出席した時、
もともと学校で私はいつもそうだったが、
誰とも会話を楽しむこともできず胃の激痛に耐えていた。
しかし、そんな私の内面とは違い、
クラスメイトの一人が私の服を指して
「流行の最先端」などと盛り上がっていた。
流行やファッションなど私には関係の無い世界だ。

 子供の時から友人だと思う人がいなくて寂しかった。
親友なんているわけがない。
周囲の人たちに「親友がいていいね」と言われた人は
いつも忙しくて本当は私に興味なさそうで、
私がいつも待つほうで、誘うほうでもあり、
人を家まで送って最後にひとりで帰り、
毎朝、ひきこもりの子を登校に誘っていたりした。
それは先生と親から「優等生」の義務として課され、
私は奴隷だから嫌とは言えなかったが、
その子に悪いことをしていたと今なら思う。
学校で年度が変わる前にやっと
私のことを友人だと言ってくれる人ができてもすぐ、
翌年クラスがいつも別になり、
昨年度と同じクラスだった人どうし
仲良くなる新しい年度が始まると、
どのグループにも割り込めず毎年ひとりに戻った。
いつのころからか、嫌になって誘うのをやめていた時期、
知人が「自分から誘ったり言わないと
誰も相手にしないし友人もできないよ」と言い、
そんなことをしても無駄だった私は悲しいだけだった。

 最近まで私は買い物の仕方をよく知らなかった。
まともな買い物の仕方を覚えたのは二~三年前だ。
その理由や原因が母にあることに気付いていても、
うまく説明できない難しさがある。
私は買い物の仕方を覚える機会がなかった。
それで買い物に行ったことがなかったわけではない、
人並みに買い物していた。
そのやり方がおかしかったのだ。
当たり前すぎる常識を知らないわけで、
おそらく外見上、変人とか頭のおかしな人だろう。
たとえば、お金を置くトレーが何なのか知らないので
店員の手に直接渡そうとして当然よく失敗した。
病院などでも同じだ。
私はいつもいつも、日常のあらゆる場面で、
その歳で人に聞くのは恥ずかしすぎることがわからなくて困っていた。
毎日のように長年虐待されている人が
自室のドアの開け方を最初から知らないとか、
ある時から完全に忘れてしまう理由や原因を、
どれだけの人が理解するだろう。
「誰でも当たり前のようにできることができない」のは、
悪質な親から長年に渡る悪影響で被った障害だ。

 人の顔を直視できないので顔を覚えることができず、
近所や地域の知人が近くにいても気付かないし、
突然相手からあいさつされても誰だかわからない。
それと、何かの店や病院に電話で予約したり
注文したりすることが難しく、
どうしても必要なことで電話を使う時、
困難さで神経がすり減って後でどっと疲れる。
そのため近所付き合いがろくにできない。
その原因が母にあると思うのは
いろんな人の話を読んできた結果だけど、
その理由を人に理解してもらうよう説明するのは難しい。
それでも簡単に説明してみると、
実家で電話を使った後、
私の声の出し方や話し方や言葉のマナーが悪いと、
そばで聞いていた母は私の細かい欠点を
一々あげつらって厳しく非難するのだった。
迷惑セールスの電話でも「愛想の無い答え方するな」
などと言われたことさえある。
セールスに愛想ある返事する義務が誰にあるだろうか?
と今なら思えるが、
そんな有害なシツケをされておかしくなるのは避けられない。
母から信仰させられた親の都合によいだけで
世間に通じない常識を忘れて、
正しいマナー以前に現実を正しく覚える必要がある。
 私に願い事があるとすれば、
自信を持って堂々と生きることだ。

30.休息の無い家庭
 病気の時と睡眠時間以外で
私が休んでよい時と場は家庭の中になかった。
しかも、実際に許されたのは短時間睡眠だけで、
数時間以上寝込む病気になってもいけなかった。
日中疲れたからって私が家で横になったりするのは
母が絶対に許さなかった。
私にとって家庭は疲れを癒す場所ではなく、
母のために神経を酷使する厳しい場所だった。
結婚後かなりたってから家では皆だらだらして
休んだりくつろぐのが普通だと初めて知って唖然とした。
それでも当時から疲れがひどくて母に
「家で休む時間が欲しい。」と訴えたことがある。
そのとき母は「アンタのほうが楽しているのに
そんな贅沢はわがままだ。
お母さんは大変なんだから我慢しなさい。」と言った。

上に書いたような厳しさとは別に、
陰湿なやり方で私の心を踏みにじるようなことを
繰り返す母に疑問を抱いて話していると、
母は「ライオンは子を崖から突き落とすことで強い子に育てる」とか
「麦は何度も強く踏まなければ育たない」などという話を出してきた。
当時の私は「私はライオンでも麦でもない」などと返したりせず、
共感する態度で聞かねばならなかった。
母にとって都合悪い疑問や質問や感想は厳禁で、
どんなふざけた屁理屈でも私は信じなければならなかった。
私が親のように偉そうな人に対する疑問や質問や感想を
持つことができない原因はこういうところにあるかもしれない。

32.不要なプライバシー
 プライバシーというものがどうもよくわからない。
人権というのもあまり理解できない。
人権やプライバシーは母のものであり
私には無関係なものだったからで、
自分にないものを理解したり覚えることはできない。
 私は成人しても自分の部屋を持つ権利などなかった。
それはもちろん母のルールだ。
ただし、「子供部屋」と呼ぶものはあって、
「子供専用の部屋をちゃんと与えています」と
誰かに示すためのものだ。
実際、私が寝るのはリビングであり、
勉強するのはキッチンで、
「子供部屋」というのは物置だった。
私の日記帳もあったが母が勝手に読むのが当然で、
嫌なことがあった日に「死ね、死ね、ばかやろー」
など書いたページを開いて持ってきて
私に問い詰めて非難してきたことがあって、
それ以来私は日記を書かなくなった。
その代わり別のノートに絵だけ描くようになって、
年月とともに奇怪で不気味なものが増えていった。
母はそれも勝手に見ていたと思うが、
二度と描く気がなくなるほど非難したわけでもなく、
あるいは絵についてどう言われても私自身が平気だった。
たぶん勝手に絵を見ていたと思うのは、
婚約者を母に紹介した時、
母が「あんたが化け物みたいな彼氏を連れてきて
結婚したいと言ったらどうしよう?と
不安に思っていたけど違っていたわ」と私に言ったからだ。
 話がそれた。辞書でプライバシーの意味を理解できても、
それが必要な正当な理由が私にはわからない。
母のような悪事や犯罪を隠すためにあるとしか私には思えないのだ。
私個人の秘密など犯罪に縁がないのに、
母が他人の目のないところで私にしてきた
犯罪的仕打ちのほうがプライバシーに守られているからだ。
母は時々何かを咎めるように私に
「神様がすべてを見ているのよ」と言っていたが、
私は神様がすべてを見てくれるほうがよいので、
母の気持ちがわからなかった。

33.本当にどうでもよい話
 母は愚痴や悪口を自分が言うのは大好きで、
他人が言うのはダメなようで「人の悪口を言ってはいけない、
悪口を言うのはダメ人間」と私に言い聞かせていた。
それでも私は母の説教付きの愚痴を素直に聞いていたし、
そういう話を聞かされたことをあまり嫌だと感じなかった。
母は私に愚痴や悪口や自慢話も延々と聞かせていた。
成人するまで私はそんな不幸な母を気遣い、
母の地雷を踏まないよう気遣っていたが、
成人後、母のパターン化した話に飽きて少々面倒になり、
「だから何?」とか「それがどうしたの?」
と思ったまま素直に言うようになった。
そう言うと母の話は決まって終了した。
そんな私は母にとって親に敬意を払わなくなった
親不幸な不良娘に変わってしまったのだろう。
そんな私の言葉一つで話を中断させられた母は
後で私に二倍以上に仕返ししてやろうと思ったに違いない。
これが、成人後の私に対する母の態度や仕打ちが
ますます悪質卑劣になっていった原因かもしれない。
 人の愚痴を聞かされるのは誰でも嫌なことらしい。
延々と愚痴や自慢話などを聞かされるなど
耐えられないこととして書かれている他人の話を読んで、
私は不快を感じない自分の異常に気付いた。
昔から人の話を聞くばかりで自分から話すことは滅多になく、
質問してくる人に自分のことを話すのも苦手だ。
自分のことを書いているのはネット上だけだ。
それでも他人のブログなどを読むのが趣味だ。
他にも不快を感じないことがあるようで、
たとえば挨拶されないとか、名前や誕生日を忘れられるとか、
助けてあげても感謝されないとかだ。
「自己愛性人格障害」などといい、自慢話とか
自分のことばかり話す人を迷惑がって非難する話を読むと
「話し手本人の話を聞くだけの何が不快なのか」私にとって不可解だ。
「自己愛性人格障害」を調べてみると母によく当てはまる。
それに私が不快を感じない理由を考えてみた。
「感情を遮断しているから感じないだけで本当は嫌だろう」とか。
しかし、自分の感覚ではそうとも思えず、
そういう話を聞かされるのが嫌な人は、
たいてい精神的に傷付く何かがあるからであり、
私はそれで傷付かないからかもしれない。
心の底では「それが何?だから何?どうかしたの?」と感じるからだ。
ただし、その言葉を決して言わないので、
ただ聞いてほしいだけの鈍感な人はどんどん話すだろう。
そして、母の愚痴の内容をほとんど覚えていない。
私にとって本当にどうでもよいことばかりだった。

 母に付きまとう得体の知れない違和感を解明した解説を読んで、
他の人たちはそこから変わったり新しいことを始めるけれども、
私は変わらず何もせずあれこれ思い考えるだけだ。
その理由はこれだ、「だから何?」。
親がおかしくてダメな人だったから私は歪んで不幸だった。
だからといって私は他の人たちのように、
「これから幸福になりたい」とか
「精神的歪みを直したい」わけではないのだ。
私は自分が何でどうであろうが、
今ここにいるそのままの自分である以外の何でもないし、
他の何になりたいとも思わない。
私の親はおかしくてダメであり私は不幸で歪んでいる、
そういう事実があるだけだ。
 ただし、何もしたくないわけでもない。
母の支配下にいた時から実は密かにしていたように、
母とは無関係な世界で好きなように生きるだけだ。

34.皿が割れたのは私のせい
 大学の保護者懇談会への出欠連絡用葉書を
出すのを忘れていたが、当日を過ぎていたし、
成人後は何でも自分で済ませるように言われたし、
忘れていなかったとしても欠席は決まっていたので
葉書を捨てようとすると
それに気付いた母が激怒しはじめた。
母の支離滅裂な言葉の間を注意深く聞きとれば、
「欠席の記入をした葉書を早急に郵便ポストに入れなさい」
という内容だと解釈した。しかし、
今すぐその葉書を投函しなければならない理由が
どうしてもわからない私は納得できなかったが、
母の怒りは発狂レベルでどうしようもなく、
あきらめて母に従うことにした私は
食欲もなくなって箸を皿に置いたその瞬間、
その皿が真っ二つに割れてしまった。
割れた皿は美しいデザインの高価そうな物だった。
母は後々そのことで執拗に私を責めたり非難した。

 家では食器を手で洗っているが、
必ず嫌な気分になったりイライラしていた。
その原因はこういうことではないかと考えた。
母は「お母さんは食卓で怒るようなことをしない」
とわざわざ宣言までしていた。
しかも、母は家族が家事を手伝うと嫌がるくせに
家族が家事を手伝わないと言って不平不満をこぼし、
母が食器を洗う度に私は罪悪感で落ち込んでいた。
食器洗いが苦痛になったのはそれが原因ではないか。
 アイロンがけが嫌いではないどころかむしろ楽しいのは、
母が何も言わなかったからではない。
私のアイロンがけは効率よくあっという間に終わった。
それを見ても母は、時間をかける効率悪いほうが
正しいやり方だと主張していたが、
それを見ていた父が私のほうに賛同したのだ。
娘なんかに負けない良妻賢母であらねばならない母の
私への憎悪はますます膨らんだに違いない。

 母が何を大切に心配していたか
最近になって初めて気付いた。 
花瓶や食器がひっくり返った時、
母が心配していたのは私の怪我ではなく、
娘より大切な花瓶や食器のほうだったのだ。
だから母は真っ先に花瓶や食器のことを
「大丈夫?」と言い、私の怪我などどうでもよくて、
花瓶や食器の傷の具合で態度が決まった。
そういう物が欠けたりすると母は心配し、
割れたなら私を後々まで激しく非難した。
 それだけならまだよかった。
夫が物にぶつかった時、私はとっさに
「物」が壊れなかったか気になってしまったのだ。
人より物のほうが大切な母の感覚が私に刻まれていた。
それが人を傷付ける感覚だと気付くのに
手遅れになるほど年月を要したかもしれない。

35.自分を失った日
 私の存在そのものが害悪であるかのように
ぶつけられる母の怒りはますます酷くなっていった。
私が成人したころ、これ以上耐えられないと感じ
自殺しようと思った。その日はいつもと違っていた。
自分を精神的に捨てていたせいか、
まるで別人のようになってしまった。
ところが、それが私にとって理想的人格だった。
半分死んだようなぼんやりした意識で異質な自分を
不思議に思った。
 結局、何も無かったかのように生きることになったが、
その時、もしかして命より大切な何かが死んでいた。

36.母の存在価値
 親から自立するために役に立ったと今でも思う
セミナーで味わった感動を母に電話で話した時、
母の反応の異常さにショックを受けたことがある。
私は母が私の幸福を喜んでくれると信じていたが、
その時まで母の期待や望みや要求に応えて
母が満足することが私の幸福だっただけのことで、
その時はじめて私だけの幸福を得たのが
母の都合に悪かったのだろう。
母はそのセミナーのことをカルトだと決めつけて、
そういうものを疑わない私を貶したり非難した。
 母の不満がいったい何なのか考えると、
私自身の人生に関わることを母の許可なしに自分で決め、
これからもそのようにして私だけの幸福を
手に入れそうなことが何より許せなかったようだ。
そうやって私が母から精神まで自立してしまうと、
「誰かに必要とされることが命に等しいほど必要な」
母の存在価値が薄れたり危うくなるからだ。

 母は「無視や沈黙が最も怖い」と言っていた。
当時の私には不可解でしかなかったが後で気付いた。
母にとって無視はその対象が無価値だからであり、
自分が無価値だと認めることに耐えられない。
沈黙は母にとって自分の真実を映す鏡だ。
無視や沈黙されると自分の問題を相手のせいにできなくなる。
母と私は世界が違う。母の世界は、真実から逃げ続け、
自分の存在に価値があると認めてもらって、
自分の問題を誰かのせいにして楽したい。
母は自分が支配できるものしか認めない世界にいる。
お互いの世界が違うのに通じ合うことなんて
最初から最後まで無理なのだ。

 母が望んでいた自分の存在価値とはいったい何なのか。
私の自立を望んでいるはずの母に従い期待に応えた私が、
物理的に離れて経済的独立しても精神的自立できない理由。
それは、外見上自立した私が親として外で自慢できる娘であり、
母の傷付きやすい貧しい心を守ったり慰めたり、
いつも必ず母の利益を最優先して死ぬまで尽くしてくれる
母なしで生きられない奴隷でいて欲しかったのだ。
自分に価値無き者は奴隷を必要とするのだろうか。

37.母という名の大きな幼児
 母が何も言わなくても、母の声や表情や
しぐさや行動から母の気持ちを察して期待に応え、
その結果も母を満足させるものでなければ、
私には生きる資格もなかった。常に必ず
母の気持ちを察して正しく理解しなければならなかった。
ただし、「監視されている」と母が感じる観察をしてはいけない、
たとえば母の顔や目を見つめるようなことをすると
「心の裏側まで見透かす」という無礼なことになるので、
顔や目を直視せずに霊感みたいに感じ取る必要があったが、
私に困難なことではなく無難にこなせることのほうが多かった。
しかし、こういうことは普通あり得ないらしく、
肉親や親友といえども人の気持ちを理解するなんて
まず不可能に近いのが普通だと知ったのは最近になってからだった。
 母の質問に的確に答えた私の言葉に母はよく激怒した。
その原因が解けたのは、密かに親と絶縁して何年も経ってからだ。
私が母の望みを察して母の期待に応えるだけでは足りなくて、
私の知らない過去にトラウマになった母の記憶を
呼び覚ます表現をしてはいけないのだ。
つまり、母の地雷を踏んではいけない。
このように欲求を自分で表現せずに相手に察してもらうのが、
表現能力が未発達で当たり前の子ではなく、
いい歳した親のほうだというのはおかしな話だ。
親の欲求を察するという難題を解けるわけのない子が
当然どうしてよいかわからず親が満足しなければ、
有害な親は「子が思い通りにならない」不満を募らせ激怒する。
そのくせそういう親は子に関してほとんど無知だ。

 父の両親つまり祖父母が実家に来ている時、
祖母がトイレと自分の服を汚したのに気付いた母は、
発狂して私に当たり散らした。
母は祖父母の介護をすると偉そうに言っていたが、
ペットの世話もできないし、
毎朝自分で起床できないので私が両親を起こしていた。
母は酷い言葉でさんざん私に当たり散らし、私は
その日はさすがに今までのように母の苦しみや悩みに
耳を傾ける気にならず、
誰の部屋でもない書斎に避難して絵を描いていた。
その後、私を呼ぶ母の金切り声がするので行ってみると、
母が「ごめんなさい」と謝った。
私は最初、何を言われたのかわからなかった。
母が私に謝るなんてことはその時が初めてだった。
もちろん本当の謝罪ではない。
「母は謝った」あるいは「娘が母に謝らせた」
という存在しない事実を捏造するためだった。
それは実に、ペットの世話もできない未熟な母の、
優秀で善良な娘への八つ当たりだった。

38.子は親の鏡
 他人は自分の鏡だという話があって、
数年前からその法則めいたものにとりつかれたが、
見える他人がすべてそうだとは限らないどころか、
他人が私の姿によって自分のことを表すのもあった。
しかも、母が自慢する内容は私のことを表し、
私の欠点や短所として決めつけたことは母自身を表していた。
 「親から離れて初めて親の有難さに気付く」と
母に限らず、毒親は同じことを言うらしいが、
それは私ではなく母自身のことだった。
親の有害さが連鎖するという法則めいた話もあるが、
祖父母も母も私もそれには当てはまらない。
母が有害なのは祖父母も有害だったからではなかった。
子供は大人の心を鋭く感じ取り、有害な大人を子供は必ず嫌がる。
有害な祖父母に遭った孫たちは彼らの有害さを感じて
嫌がるようになったという母親の話を読んだ。
母が悪く言う祖父母に会った昔、孫だった私は嫌な感じどころか、
母には感じない安心できる優しさを感じた。
少なくとも私にとって祖父母も父も有害ではなく、
有害なのは母だけだった。
それを相性の問題で片付けてしまう話もあるが、
あまりの悪質さで子に捨てられた親の有害さを
身をもって体験した親戚の人たちが、手遅れになってから
長年苦労してきた子に謝罪した話もある。

39.結婚できたのが不思議
 子供の時から結婚したいと思わなかった。
結婚すれば苦労しなければならないと、
日頃から母は私に言い聞かせてきた。
今から思えば嘘としか思えないし、
私にとって結婚は、こんなに楽になるとは
夢にも思わなかったことだ。
母は私が結婚しないほうが良いけど、
どうしても結婚したいなら相手の条件は
学歴や収入や職種はもちろん長男以外とか、
相手の親が子離れしているとか介護を期待していないとか、
そりゃもういろいろと身勝手な条件がテンコ盛りだった。
私が「結婚の条件って女の側が男に求めることで、
男が女に求めないよね?」と言ってみたら、
母は別の意味で同意したのか珍しく口をつぐんだ。
しかも、母は「親を大切にする人を選びなさい」とも言っていた。
私はその根拠を「まともな人間を見分ける基準」
程度にしか思っていなかったが、
後で裏に隠れた本当の理由に気付いた。
それは「自分の子より親を優先する人」という意味だった。
私たち夫婦に万一子ができても、
「その子たちより母を優先して大切にしなさい」ということだ。
その言葉は私ら夫婦に対する母の条件や要求であり、
「あなたたち自身や子供の幸福や面倒より
お母さんのための幸福や世話を優先しなさい」ということだ。

 私は結婚しない予定だった。
それは、母のために自分の人生を捧げるため。
母の害毒の影響で私には結婚する能力なかったし。
予定通り結婚しなければ私は今でも母の奴隷だろう。
子を自立させない親に共通することに、
母も私の婚約者の条件をあり得ない設定にしていた。
理屈では私の結婚は今から思えば確実に無理だったのに、
現実では実現してしまった。
 私には秘密があった。
別人のような霊的存在が私に不可能なことを代わりにして、
それで私は結婚できた。
相手を見つける前から結婚直後までのあの時期、
私は自分が別人になっているのは感じていた。
それが私の体を勝手に動かしている時、私は幸福だった。
しかし、その状態は終わる時が来た。
本来の自分に戻った時、私は醜い女になってしまった。
そのショックはきつかった。

40.結婚後も母の奴隷
 最近の結婚は贅沢しないのが普通かもしれないが、
昔、世の中の景気が良く周囲も裕福な人が多く、
大量の高価な品物を嫁入り道具として持って行った。
しかし、私の結婚時の荷物のことで母は、
旅行バッグ一つにしなさいと何度も言った。
実際は裕福だったのに、嘘つきな母は
うちは貧乏だと私に言い聞かせていたし、
式や披露宴なんて贅沢は想定外だった。
実際の結婚は夫の側がまともな会場で
式と披露宴の準備していたので、
私もそれに合わせなければ気まずい形になり、
貸し衣装を試着する場で母が衣装の代金をケチろうとして
一番安いのにしようとした時、店員さんが
「相手に失礼なほど見劣りして似合わない」と言った。
後で母は「もうけ主義」と言って非難していた。
当時の私は母を信じて母に共感していたが、
私のためにカネを負担してくれたのはいつも父や夫であって、
経済的に直接関係ない母が自分以外にだけケチった。
私はメイクやアクセサリーで別人みたいに変わる。
もともと顔色が悪く、普段着のセンスが最悪だからだ。
私が母より着飾ったのは結婚の時が初めてだった。
その変身ぶりを母は許せなかったに違いない。

 結婚後、「家を買おうと思っている」と私が言った時、
母は「家を買うと絶対に失敗する」と主張して当惑した。
両親は家で大儲けしたし、今の家はもっと立派だ。
私の時代に家を買うことが昔のように
うまくいくとは限らないという程度の話なら理解できるが、
そんな知性も能力もない母が自分の経験と
まったく違うことを主張したことは奇異だった。
そして、次に母が言ったのは
「自分たち(夫と私)の家を買わずに
私たち(父母)の家に住みなさい」だった。
母は私たち夫婦が自分らだけの家を買うことは許せないようだ。
その理由は、自分の家に住まわせて
今まで以上に面倒をみてもらいたいからだ。

 私が他人の子を見て思うのは、
捨ててはいけない重荷であり、面倒くさいということだ。
母は私を育てるのにいかに苦労したか執拗に言い聞かせた。
母も私も先天的病気や障害を負っていたわけでもない。
他人の子より優秀で親に迷惑をかけなかったし、
教師や周囲の大人たちに好かれた。
母が何度も言い続けたように私にとっても、
子供は大きな荷物で大変で面倒くさい。
私はそれに反感を覚えなかった。
そういうわけで子供が要らなかったので、
結婚しても妊娠もせず何年か過ぎた時、
「子供ができないようにうまくやってるわね」と母が言った。
まともな親ならこんなことを言わないだろう。
その理由について最近やっと気付いたのはこういうことだ。
私に子ができてしまうと、もしかして
私は子を優先して母のことを後回しにするかもしれない。
それは母にとって都合が悪い、
母が自分だけの都合でいつでも私を利用できなくなるからだ。
母は子育てがいかに大変で親の人生が犠牲になるのかを
延々と私に言い聞かせていたのは、
いつまでも自分の道具として利用したい娘に
子供を作らせないようにするためかもしれない。
それに、次のようなことも母が言った。
「子供がいると反抗期に始まって
受験や就職や結婚で大変な思いをするわよ。」
当時の私はその言葉に不可解な気味悪さを感じ、
そんなことを言う理由がさっぱりわからなかった。
私が反抗期だと言われたのは他人と比べれば
「反抗」というにはおおげさすぎるほど些細な抵抗だったし、
受験でも就職でも結婚でも親に迷惑をかけた覚えはない。

 母みたいな女に対する親孝行は私にとって不当な強制だ。
誰か知らないが本当に立派な親の言葉のように、
「子は誰でも三歳までに親孝行を果たす」なんて思えないが、
成人した子にさらなる親孝行を期待したり暗に求めるのは
もっと共感できない。
ただし、子供自身が自力で幸福になることが
親孝行だというのは間違っていない気がする。
親が自力で幸福になることも子にとって嬉しいことだ。
子を虐待したり自立させない親はたいてい不幸だ。
そういう親が得られないのに子が得ようとする幸福は
許せないし喜べない親はそれを潰そうとする。
子はほとんど誰もが必ず親の幸福を心から願う。
子が幸福になることが親孝行だというのが正しいなら、
私は親孝行できない人間なのだろう。
私はまだ幸福になったなどという実感がないからだ。
ところで、「親孝行」の本来の意味は、
親が子を幸福にすることらしい。

41.母の不可解さ
 私を利用して得ようとした母の欲求は満たされなかった。
私の欲求は、肉体や物質より心や精神や霊魂を重視して
敬意を払って欲しいことだった。それでも母の欲求が
自分の存在価値だったことは当時の私にわからなかった。

 母の発狂的怒りの原因を知る時が来た。
それは母自身の存在価値についての不安だった。
これは私がどう悩んで考えても自分ひとりではわからなかった。
私は自分の存在価値などあまり必要ではないが、
誰かに必要とされたがる存在価値などという虚しいものに
命と同じくらい必要性を感じる人が多い事実も近年知った。

 有害だからと社会から排除される芸術作品なんかより、
毒親のほうが本当に有害だ。そういう親が共通して言う
「子供のためにしてやる、言ってやる」、
DVやハラスメントなら「あなたのためにする、言う」
というのがあるみたいだ。母もよく使うお決まりの文句。
本当の意味は「親のために便利な道具として利用してやる」だ。
あまりにも執拗に繰り返すので、父が母を咎めたこともある。
その時、母はますますわめき散らしていた。
こういう母の口実は私の成長とともに通用しなくなったのに、
私の就職後もまだ続いていた。
「本当に子供のためを思う親はそういうことを言わない」と言うと、
母は発狂的激怒して「親を信じない子供が悪い」と言い、
支離滅裂な意味不明の屁理屈を並べた。

 母が親戚に私の悪口を言っていたことを
親戚を介して耳にしたことがある。
その悪口の内容があまりにも私に無関係過ぎて
さっぱりわけがわからなかった。
こういうことをする人間は親に限らないが、
本人に直接言えば済むことを、
わざわざ遠回しにいろんな人を介して伝わる。
わけのわからない内容なのは複数の
噂好きな者を介したせいもあるだろうが、
外面の良い母の悪口を信じた人は多いだろう。
そんなことをしてまで私に何を望んでいるのか、
母の存在価値の必要性だけでは説明できない。
おかげで、子供の時から結婚後しばらくの間、
付き合いのあった親戚との連絡も一切なくなり、
よく世話になっていた人がいつの間にか死んでいたりして、
親族の葬式にも呼ばれなくなった。
さいわい、そのほうが面倒な付き合いが必要なくて
結果的には楽だった。
おかげで、夫と自分たちの家を買うのも新居の住所も、
親を完全に無視して決めることができた。

 母が子供だった時の話を思い出した。
終戦ごろの貧しさもあったが、
昔は子供が出稼ぎに行ったらしく、
母もそこでこき使われてつらい思いをしたらしい。
それだけではなく母の家は男尊女卑で、
男はろくに働かず女が作った飯を先にたらふく食って、
ほとんど女と子供たちが働いて家を支えて
男の残飯を食っていたらしい。
その反動で母は女性上位を主張していた。
 母が自分の親に反発したり憎んだりし始めたのは
私がかなり成長してから後のことだ。
親への反抗が遅すぎた、ほとんど手遅れ。
ただし、祖父母は私にとって子供を可愛がってくれる
ごく普通の人間にしか見えなかった。
私は彼らにいたずらして怒られても
母の恐ろしさに比べれば怖くないし優しく感じた。

42.化け物になっていた母と妹
 就職して結婚した後になってから、
実は悪質有害だった母への怒りは底知れず、
夫に迷惑や負担をかけていたのもあって、
自分の精神的問題を解決する必要性から
久しぶりに帰省してみたことがあり、
そのとき母の何気ない一言にぞっとする違和感を覚えた。
「なんだこの化け物は?」という毒々しい気味悪さ。
母は以前よりますます醜く悪質になっており、
そのおぞましさに私は一晩中眠れず未明に黙って実家を出て、
始発の電車を待ち数時間かかる遠い自宅に戻った。
それが、子供の時から願って初めて叶った私の家出だ。
とっくの昔に親から独立した大人が実家を去ることを
常識的事実として家出とは言わないから、
私の心の中だけの意味でしかない。
 母のあまりの気味悪さに衝撃を受けた私は、
それ以来、何の通信手段で母が何を言ったり送ってきても
気味悪さのため死んだふりをする他なかった。
そのうち母の妹から電話がかかってきた。
母がまた他人を利用して私と関わろうとしていると
私が思ったのは、妹にも同じ気味悪さを感じたからだ。
母とその妹は私に人間としてやってはいけないことをした。
そういうことを一度やってしまうと
人間ではなくなってしまうのかもしれない。
彼らは昔からそういう気味悪さを持っていたのだろうが、
まだ穢れていなかった当時の私には感じられなかった。
自分とは本質的に異質なものを感じることはできないのだ。
しかし、いい歳になった私も母と同類の化け物になってしまった。
母と同じことを家族にしてしまったからだ。
化け物の子は子供の時人間でもいずれ化け物になる。

 昔の私は母が化け物であることに気付かず、
就職してから強まった違和感を探究して、
結婚後に初めて「母は化け物だ」と気付いた。
しかし、母は化け物のままではなかった。
そのように見えたのは私がまだ未熟だったから。
私が精神的に成長するにつれて、
化け物のような母は糞のような有毒ゴミになった。
そして、それで終わりではなかった。
母の真実の姿は糞でもなく、一匹のちっぽけな虫けらで、
足で簡単に踏みつぶせるものだった。

 「親族なら家族を癒すものだ」という言葉に少し救われた。
同じことを言われて逆に落ち込む人もいるだろう。
私が救われた理由は、信じるに値しない母を信じ続ける義務や、
母を信じないだけで負わねばならない罪悪感が弱まるからだ。
そうなる理由は、私を癒すことなどありえなかった母が
本当の親族なんかではないという確信だ。
親族なら家族を癒すなら、家族を癒さない者は他所者だ。
自分を犠牲にしてまでそんな者を信じる義務はない。
だから昔、私が疑問を持った通り、
私の母親面したあの女は私の親ではない。
私を長年さんざん傷付けた結果、関わってもらえなくなり、
ふざけた謝罪で私をバカにする女が本当の親であるわけがない。
 わかり難いなら別の書き方をすれば、
母に癒されるなんて未経験だ。
他人の母親との違いを知った時、あまりの差に驚いた。
しかも、ヒト以外の動物のほうがずっとましだった。
そんな女は私の本当の母ではない。だからこれ以上、
あんな女に関わるどころか考えたり気にする義務もない。
幼い時から私はあの女が本当に母なのか疑っていた。
その感覚が正しかったのだ。
父が本当の親だということを心で確かに感じたのとは違っていた。
私は父を試したことがあったが、
父は私に本当の親しか持てない健康な愛情を示してくれて、
私は「一生感謝に値するほど」安心したのに比べて、
あの女は逆に私の「母への愛」を試し、その結果が不合格だった。
父は普通のまともな親だったが、
あの女と比べれば聖人と害虫ほど差がある。
大げさではない、まさにそんな感じ。
そして、こんな反論がわいてくる、
「害虫も命ある生き物だから大切にしてあげなさい」
かつて父が幼い私にこう言ったからだろう。
「毛虫も命ある生き物だから大切にするんだよ」

43.有害な手紙
 手紙が来た。発信元は母の名前。
電話、手紙、悪口、代理人、嘘の贈与など
母がどんな通信手段を使っても、
気味悪すぎる母にこれ以上一瞬も関わる気のない私は
数年間、完全無視していたので、
いよいよ脅迫状かと思いつつ、怖くてしばらく開けなかった。
耐えられない内容だったら自殺しようと覚悟して
開けて読んだら脅迫じゃなかった。ほっとしたが、
相変わらず私の心を餌で釣ったり
カネで買って利用しようという母の意図を感じた。
「悪い親だったと認めるから許してほしい
だから、会って保険の話を聞いて欲しい」という内容。
添付されていた保険証券は、
原紙に手書きで変な修正をしてコピーしたもので、
新たな詐欺の手口みたいに不可解だった。

 バカらしくて年賀を書かなかったが、
私宛の年賀状が夫より多くてあきれた。
母からの年賀状には相変わらずふざけた母の態度が書かれていた。
案の定、「許してほしい」「悪い親だった」は嘘だった。
 子を思う存分踏み台や食い物にした親が
子の苦しみを知らずに幸福そうにしていれば、
それだけで心から喜べる聖人のような子もいるが、
私はそんな聖人ではない。
娘を死ぬほど傷付けたなんて夢にも自覚しない母の
幸福そうな様子に改めて深い怒りを覚えた。

44.嘘、偽り
 「うそつき」という言葉に私は傷付いていたが、
その原因が見えてきた。
私は嘘をつかなければならなかった。
そうしなければ生きられなかった。
私の嘘は母の都合や利益のためだった。
母自身も嘘をついていたが、
私はそれを疑わずに信じるしかなかった。
私が母を疑うことは許されない罪悪なのに、
母の嘘は当然母自身のためだ。
 昔から母の言うことに不可解な違和感があった。
昔の私はそれを正しいと信じるしかなかったが、
悪質な宗教やカルトの教えを信じるのと同様、
事実ではないし真実とかけ離れていた。
「うそつき」は私のことではなく母のことだった。
「頭がおかしい」のも母のことだ。
母を信じたり許したりするほうが有害だ。
私にも罪があるとすれば、
母の嘘を信じたり有害さを許してきたことだ。
あんなものを信じたり許してはいけない。
悪質な商売やカルトや宗教を信じたり許すことが
人を傷付け不幸に陥れるのと同じように。

 「命が尊い」などいう言葉が嫌いな理由に気付いた。
母のような偉そうな親が自分のために好んで使う言葉。
誰にでも命の恩人は存在して、他人の名を出す前に、
それがまず親なのだ。それだけで終わるなら嫌な感じはない。
その次が問題で、だから親にいつも感謝するとともに、
恩返しや親孝行して服従しなさいということだ。
こういう誰もが認める常識や多くの人が信じていることを
有害な親は自分の都合や利益や正当化に利用する。
 親の有難味をどんなに説かれても、
親だけの都合や利益になることだけで生きるよりも、
親以外の人たちのために生きるほうが自立する。
親や親のような者に服従していると自立できないし、
他の誰のためにも生きられない。
親を喜ばせるだけが人生の目的なら、
最初から生まれないか死んだほうがましだ。
有害な親は「社会のために生きなさい」と
言葉で表現しておきながら、
子がその言葉通りに生きようとすると
親の都合に悪いので妨害したり非難する。
そういう親の言葉というのは本音を隠すための偽りであり、
真意を正しく理解してあげる必要がある。
親の言う「社会」とは親そのものだけを指すというふうに。
しかし、事実をそのまま言葉にしたとたん
「子の勘違いや被害妄想であって、
親はそんなこと一度も教えたことがない」
になるが、それもまた嘘なのだ。
「親のためだけに生きなさい」という表現されない言葉こそ
親の真の欲求をそのまま表している。

45.姨捨山
 親孝行な息子が賢い母を背負って入った山で悩み、
捨てきれずに背負ったまま家に連れ帰ったという
姨捨山の昔話で私は変に過剰な悲しみを覚えた。
その正体は、どんなに悪質有害な母でも
なかなか捨て切れなかった自分の想いだった。
 昔話とは違い、母は本当に悪質で有害な女だった。
そういう事実をやっと認めることができてから、
あの女の顔や姿の記憶がはっきりしてきた。
このままではあの女に、何もかも奪われ
捨てられ潰されるような感覚は正しかった。
親という以前に人間ならやってはならないことを
してきた女には悪霊に勝るおぞましさがあった。
無意味な教養や必要以上の学歴を得て一流企業に就職して…
母の幼稚な夢を叶えてあげた事実は私の勝手で、
あの女が被害妄想で私に捨てられたと泣けば、
親不幸な不良娘を持つかわいそうな母になり、
「母」というだけでどこまでも誰からも咎められない
決して暴力や虐待などと表現してはいけない
女の卑劣な仕打ちに長年ひとりで泣いてきた。
自分だけの都合や利益を追求しておきながら、
私と父に愛され続けた女は不幸なわけがない。
 私は母の難題を解く能力があったばかりに、
新しい社会を作る若い人たちの足を引っ張り負担になる
時代遅れの生き方しかできない老人のような母の生き方が
親以前に人間として恥ずかしいものだと気付くのも遅かった。

 他人の母親に関する話を読んでいると、
母というものは安心して甘えられる存在のようだ。
私にとって現実離れした作り話に見えるが、
それが現実だった人は確かに存在するようで、
それと自分の母を比べた違いにあきれる。
しかも、(物理的に)充分親に甘えた証拠として、
丈夫な体や学歴や与えられた物がありさえすれば
誰も真実を理解することはない。
ただし私の場合、丈夫な体は父の遺伝子で、
学歴も母だけではあり得ないし、持ち物もそうだ。
どちらにしても、親だと思えるのは父だけだ。
母が本当に私を産んだのかさえ怪しい。
だから、親の介護や老後の世話なんか、
父のためなら良くても母は絶対に嫌だ。
どんな証拠があろうと私の感覚であの女は母ではない、
母になりすました犯罪者だ。

 母に感じるあの押しつけがましさは何だろうと思っていた。
何をしてもらっても少しも感謝の思いがわいてこない。
「毒になる親」という本にあった「許す必要がない」という言葉に、
なんて寝ぼけた言い方なんだろうと思った。
「絶対に許してはいけない」のほうが適切だろうに。
そういう親を許すとは犯罪を許すことに等しい。
子にしがみつく親を捨てることが自立にどれだけ必要か。
母から遠く離れるほど感謝どころか許せない気持ちが強くなった。
どんなに良いことをしてもらっても、
酷い仕打ちで感謝できなくなる悪辣なことをする母より、
通りすがりの他人のほうがよほど感謝に値することをしてくれる。

46.贅沢する罪悪感
 何かの記念日に夫と贅沢な外食に行く前から
食っている最中も食った後も、
なぜか執拗な罪悪感に苛まれていた。
その店にいる時、背後に掛っていた絵が突然落ちてきて、
額縁のガラスが粉々に砕け散った。
原因は額縁の構造が弱いせいだと思っていたが、
私の罪悪感が原因だったかもしれない。
罪悪感の原因は、長年母にシツケられてきたように、
私は贅沢する権利も資格も自由もない奴隷だからだ。
最近やっとそういう無実の罪悪感が弱まってきた。

47.表現してはいけない掟
 問題は自分のために自分の意思で生きられないことだ。
自分のことや自分の生き方なのに
自分で決められない理由や原因。
何が問題なのか言葉に表現するだけでも大変なことだ。
問題は表現されない闇の中に隠れているものだ。
その一つに最近気付いたのは、
物的証拠が残らないよう裏からこっそり支配するやり方だ。
 「母は子を産んで育てる神様のようなものだから、
子はそういう立派で偉い母のために
すべてを犠牲にして生きるべきであって、
それが人間らしさというものだ」
「母に絶対服従するのが人間らしい」とでもいう、
言葉に明記してみれば明らかにおかしな掟がある。
このようにして親の間違いが明らかになる事実は
親の支配下で表現してはならず、
親に都合の悪い事実を存在しないことにしたり、
都合よくなるよう歪めて解釈する。
正しく表現されれば間違いが露呈して反論されるからだ。

48.自立のために対決する
 「毒になる親」という本には「親との対決」が書かれていて、
「絶対に対決しなければならない」とは書かれてないのに、
誰かのレビューに対決の必要性への疑問が書かれていたが、
再び読み始めたところで対決の必要性がわかった。
親に対してまだ一度も対決したことがないなら、
精神的自立しているはずもないからだ。
母に対する思いを聞いてくれた知人が
「その思いを一度あなたのお母さんにぶちまけたらよい。」
と言ったのを覚えている。
そして今その人の言葉は適切だった。
当時の私はそう言った知人に
「そんなことをしたら私の母は自殺しそうで、
私ではなく母がかわいそう過ぎる。」と返したが、
知人は「そんな心配する必要ない、
言いたいことを言ったほうがよい。」と言い、
それもますます適切だったと今は思う。
私が言いたいことを母に言った結果、
母が自殺すれば私の責任だと思い込んでいたのだ。
その思い込みはこっけいなほど間違っている。
たとえ本当に母が自殺しても私には責任がないどころか
代わりに負わされていた母自身の問題や責任を母に返すことであり、
それを母の自殺に結びつけるほうがおかしい。
だから、長年抱いてきた切実な思いを母にぶちまけたからって、
母が自殺すると騒ぐなら、それこそ母の勝手だから
放っておけばよいのであり、あるいは
逆恨みや嫌がらせしてきた場合、
それこそ母の有害さが明らかになるだろう。
 要するに、親との対決は親に絶望するために必要だった。
絶望が必要な自立もある。
ただし、その対決には必要条件があって、
それは自分の味方になってくれる人がいて
実際に援助や協力があることで、
私にはそんな人が誰一人いないので無理な話だ。
親との対決は勝負の問題ではないけれども、
親が大勢の味方を連れており、
自分だけ孤立している状態では、
親側から不当な攻撃されるだけだろう。

49.絶えない激怒
 何気ない些細なことで不安と恐怖に陥る。
それで怒ったり理不尽なことを要求したり
異常なことを言ってしまったりする。
その根本原因が母にあったことに気付いても、
友人もいないから当たり前なんだろうが、
親の問題を書いている他の人たちには必ずいる、
理解して味方になったりチカラになってくれる
仲間や知人が私には一人もいない。
人に理解してもらうためには必要なこととして、
親に何をされたのか具体的に思い出して
説明できるようになるまでが至難の技で、
話しても、聞いた相手は首をひねり、ほとんど
「甘え」「わがまま」「被害妄想」「理解不能」
などという決め付けで終わる。
子に対する犯罪を親がいつまで続けていても、
不思議なほど親の嘘や偽りのほうが信じられ、
親は尊厳やプライバシーに守られるし、
悪いのは必ず子のほうだと決め付ける。
真実を話す方がいかに傷付く結果になり、
偽りが有利で嘘つきが生きやすい現実は、
このくだらない世で人生をかけて学んだことだ。

 些細なことで激怒してしまう私のような者は
DVやハラスメントの加害者らしい。
しかし、なぜ昔からいつも私が加害者なんだろう。
ある時期まで私は謝っていたけど、
謝っても無意味だとわかったのも通り過ぎて、
いつも私だけ非難されるのは納得できないし、
どんなに頑張っても良い人になれないのに、
そうするしかない事実だけで悪人だと認めるのも悔しい。
好きなことをして楽しむ人と関わっていると
私が許されないことを当然自由にしている人を
許せない気持ちになって酷いことをしてしまい、
相手は何一つ悪くないから被害者になるのだけど、
それがまた腹が立ってどうしようもない。
長い間、好きなことをして楽しんだことがなく、
被害者なのに決まって加害者だと決めつけられて、
卑劣な利用されてきたからか。

 昔から家族は必ずいつも正常な被害者であり、
私だけが必ずいつも異常な加害者で、
有害な母から離れて久しい今でもパターンは同じだ。
昔から長年の間、母のせいで恥をかき、
無実の罪を着せられ罪悪感も負ってきた。
周囲は誰も悪くなく責任もなく、
悪いのは私だけであり、いつでも何でも私のせい。
その理由は簡単で、私に経済的収入がないからだ。
家族に養ってもらっている、
それだけで私には自由も権利も無い。
他の奥さんたちは健康で家事も育児も仕事も
親がいれば介護もこなしているのに、
私は怠け者でろくに家事もできないし、
子供がいないから暇なのに外で働かないし、
介護なんて最初からしないと決めている。
だから、私以外は家で好きなことだけして
面倒で嫌なことはすべて私が負うべき家庭で、
私が不満を抱いたり怒ればそれこそわがままで、
それに我慢できなくなって爆発したらしたで、
私は異常で加害者でマイナス価値しかない者だ。
私のような自立できない病人は早くこの世から消えたほうが
家族にとってどれほど負担軽減になるだろう。

 親に対する怒りを隠し持っている人は多いと思った。
家で私は些細なことで激怒してしまうが、
最近は罪悪感でますます体調が悪化することは免れた。
私だけが悪いのではない、家族にも原因がある、
怒るのはそうするしかないからだと考えるようになった。
親に対しても今の家族に対しても私は優しすぎるのだろう。
家族という他人にはもっと冷たくなって
自分を大切にしたほうが怒る必要も減るかもしれない。

 「ちょっとしたことで怒る人はダメな人」という言葉を
子供に聞かせている母親の声を耳にした。
過去の私はその言葉に疑問を持たず、
守らねばならない礼儀やマナーのように信じていた。
今なら「ちょっとしたことで怒る必要もある」と思う。
日本人がそうなのか知らないが、
怒りという感情を悪としたり否定したり、
抑えたり排除するのが理想である人が多すぎる。
感情を否定したり、悪だとして特定の感情を排除するのは、
自然の摂理を否定や拒否するのと同じだ。

 他人の話で、感想としてただ「悪い」とか「良くない」と
評価するのを見てこう思った。
他人にどう思われるか気にするのは最も不要で愚かだ。
親などいう者が垂れ流す言葉は不要というより有害なことが多い。

 些細なことで夫に激怒してしまう私の問題に関して、
こういうことに気付いた。私が夫にしてしまった
酷い仕打ちは母が私にしてきたことと同じだ。
夫にしたことを自分でも許し難い罪悪に感じるのは、
母のしてきたことがまさにそうであり、
母は私にそれだけのことをしてきたのだ。
悲しいことに、夫に酷いことをしたとき初めて、
同じことを母にされてきたことに気付く。
 さいわいなのは、私が子を作らなかったことだ。
子がいたら母と同じように自分の非や問題や人生までも
子に負わせようとして子を不幸にする親になっただろう。
だから今、被害者が夫しかいないわけだけど、
さいわい夫は私より自由な立場であり、
私が思うほど凹んでいないのも最近わかってきて、
私のほうが後々罪悪感で苦しむのだし、
本当に嫌なら夫はいつでも私を捨てることができる。
まだ捨てられていないだけ私はまだ許されている。
だから許してもらっている今のうちに、
これ以上夫に迷惑をかけないようにしたい。
 しかし、どうも何か違う。
同じようなことで悩む他人の話を読んでいると、
改善のために被害者のほうが積極的に話し合おうとするが、
話し合いは私のほうが求めていて夫は話し合おうとせず
逃げたり無視する。
もしかして被害者は私ではないかと思う時がある。
私の努力だけが足りないとして誰の協力もないと
改善や解決は無理かもしれない。

 昔から夫と話が通じないことが多くて、
いつも私の頭がおかしいのが原因だったけど、
おかしいのは夫のほうで私ではなかったことに気付いた。
会話の内容を記録して再現してみたのだ。
夫は失礼なふざけた言葉を無神経に使うというか、
言葉の使い方がめちゃくちゃで、
それを私はなんとか正しく理解しようと懸命に努力していた。
ただし、誰でも怒るような酷い言葉が連発すると
いくら忍耐強い私でも怒ってしまうことがあって、
私は自分が怒ることを「頭がおかしい証拠」と思っていたのが、
昨日初めて、おかしいのは私ではなく
夫のほうだった事実を確認できた。
そして、夫も初めてその事実を認めたのだ。
その時、ずっと耐えて受け止めていた他のことも嫌になり、
「四六時中ペットの動物や幼稚園児みたいに
甘えるのはいいかげんやめてほしい、
終わりのないあなたの幼児返りにはうんざりだ、
私はあなたのお母さんじゃない」と言った。
私は自分が思うほど悪くも異常でもなく正常でまともだった。
正常でまともな者に異常や間違いをこじつけるから
本当におかしくなっていく。

 これでもうこの話は終わりにしたい。
母という化け物はゾンビみたいに何度も復活するから
実際まだ終わらないかもしれないが。
あの日、私は自殺していたはずだった。
だから、あの女はあの時、娘を失った。
あの女も誰も知らない私だけの秘密の理由で、
私は自分の肉体を捨てなかっただけで、
当時から私は亡き者だったから、
あの時からあの女は私の母ではなく、
私はあの女の娘ではない。
あの女はとっくの昔から私と関係なかった。
母子の関係を精神的にやっと断ち切れた。
無関係な他人同士になれば
あの女は、見かけても完全に無視するか、
即刻踏みつぶす小さな害虫に等しい。

50.肯定から始まる
 親のために作ってきた偽物の自分を壊して捨てて、
本来の自分を取り戻すためにわざわざ大きな苦しみを
乗り越えなければならない話に疑問を抱いた。
自分そのままを許されなかった過去のほうが
はるかに苦しいからだ。
それと比べれば、本来の自分に戻るだけのことは
一瞬の抵抗を感じる程度ではないか?いや違う、
「戻る」なんてものではなく
最初からまともに作れなかったわけだから、
自分で時間をかけて少しずつ作ってきた者にとって
目標達成が苦しいわけない。
自分でも許せなかった自分を今の状態のままで
肯定するところまで来た。

 最近になって初めて、自分のためになることにも
努力が必要なことに気付いた。
私の料理が上達しない理由は努力不足だ。
しかし、自分のための努力は、
過去に母のためにしてきた我慢を強いられる努力とは違う。
自分のための努力を許される環境があるのは幸福だ。
過去の私にはそんな環境がなかった。
我慢を強いる親のためではなく、
心の底から本当に愛している人のためになる努力というのは
自分のための努力に似ている。
そんな人のために頑張ることは
喜びそのものであっても我慢や義務にならない。
着付けを練習するのに夜更かししても
誰にも咎められない今の家で私は幸福を感じた。
だから、料理上達も私はあきらめない。

 携帯小説サイトを閲覧している時、
涙が出そうな内容があった。
「家族や友人に迷惑をかけていいんだよ」という言葉だ。
私は「誰にも絶対に迷惑をかけてはいけない」という
「正しくて厳しいシツケ」をされていたので、
その言葉に表れた本物の愛を感じて、
そんなものに無縁だった今までの自分が悲しくなった。
その小説の言葉には「人権や自尊心や
人間の尊厳を喪失しないためとか、
犯罪者の暴力から逃げて身を守るため」という背景がある。
「わがまま」という自分の都合だけを優先したり
自分だけの利益を追求するため周囲に負わせる迷惑とは違う。
同じ「迷惑」という言葉で表わされるが天地ほど違う意味だ。
その小説での意味は、
一人で解決できない問題に困っている人が
家族や友人にチカラを貸してもらうという意味だ。

 私は誰かほど酷い虐待されたわけではなかったが、
誰かと同じように周囲の無知や無理解に苦しんで、
自分を客観的に見つめる時いつも、
今まで生きてきたことが不思議で奇跡だと思う。
私は西暦二千年を越えて生きる自信がなかった。
平均寿命なんて自分にはとても無理だと感じていた。
私は三十歳程度まで生きたら満足だった。
親からの虐待に長年苦しんだ人が三十歳の時、
血を吐いて孤独死した話が記憶に刻まれている。
その人は自殺として処理されたらしいが、
自殺について突き詰めて考えると
本当の意味であり得ないことだ。
好きで死ぬ人は誰もいない、
心の底から本当に自殺したい人など
存在したとしても極めて珍しいに違いない。
その人は親の虐待による悪影響の蓄積に殺されたのだ。
 自殺者や自殺願望に対して「私は虐待に耐えて
頑張って生きている」など自慢できることではない。
誰だって精一杯頑張って生きている。
生きていられるのは、生命力や治癒力の差もあるだろうが、
虐待の悪影響が致死量に達していないだけの幸運なのだ。

 昔、少人数が同時に一人のカウンセラーと雑談する実験で、
ある一人が何気なく話しかけた言葉を誤解した私が、
「責められている感じを覚える」と言った直後、
カウンセラーの助言によって誤解に気付いて、
その原因もわかったことがあった。
その人は私を責めるつもりはまったくなかったし、
人を責めていると解釈するには
言葉の裏を推測する必要があった。
そういうことがあった後日、
別の話題でカウンセラーがふいに
「もしかして、責められている感じがしましたか?」と私に聞いた。
そんなことはなかったので私は「いえ、大丈夫です」と答えたが、
そんな心配してもらって嬉しかったと同時に、
責められていると感じるのは
相手が実際に責めているからだと思い込む自分の癖に気付いた。
その後は、責められていると感じた時、
感じたことを伝えて本当に責めているか確認するようになった。
そうすると、誰も私を責めていない事実が
少なくないことがわかってきた。
 責められている感じを覚えやすい原因は、
親の都合で母が日常的に私を責めていたからだった。

 感情というものを、排除すべき下等なものとして
軽蔑していたのは私よりもまず母だった。
最近になって初めて、
感情が自分そのものと同様に大切にして
素直に表現することが望ましい事実を知った。
 昔、「感情が出ないのは、耐えられない経験をしている証拠」として、
カウンセラーに心配されたことがある。
それは違っていて私にはただ、
感情というものを抹殺する義務があっただけで、
カウンセラーの言葉を不思議に思ったが、
耐えられない経験ではなく、
意識すると激しい怒りになる感情を隠し持っていた。
その感情は最初から「怒り」だったのではなく、
表現を厳禁されたまま蓄積してきた
いろんな感情が「怒り」に化けたものだ。
 感情を大切にして素直に表現しようと思うようになったが、
いざそうしてみようと思っても自然にできないものだ。
私にとって「素直な感情表現」は、
異様に屈折して歪んだ怒りが噴出してくることだ。
こういうのはやりきれなくて死にたくなる。
ただし、素直に感情表現できない自分を
否定したり責めることも間違っている。
余計な罪悪感や自己嫌悪は心や精神を壊してゆく。
そうであるしかない自分を許すことができないと
かえって悪化する一方なのだ。
感情を大切にして素直に表現することが
私に無理で不可能に近い理想のように遠くても、
そちらの方を向いて進もうとする自分を肯定しようと思う。
そして、そうすることは義務ではない。

51.ダブルバインド
 毒親やハラスメントに関する説を読んでいる時、
夫の癖に傷付く私の心理的原因の一つに気付いた。
夫は私の話をろくに聞かずやたら否定する癖があり、
誰が相手でも単純に話が通じなくなるわけだが、
そういうことに私は必要以上の不快感に襲われる。
その原因が母のダブルバインドというものだった。
「おいで」と言う母に私が近付けば、
母は激怒したり私を拒絶した。
だから再び母が「おいで」と言っても
私が警戒して近付かないのは当然なのに、
それにも母は激怒した。
母の怒りは並ではなく異常な激しさだ。
子の側からすれば矛盾しているが、
母の内面では矛盾なく首尾一貫している。
母は鬱憤やストレスや欲求不満を解消するための
道具として手近な子を利用したいからだ。
だから「近づけておいて殴る」のは当然であり、
母は子を殴りたくて近付けるのだから、
子が期待通り近付いて来ないのも我慢ならない。
 そんな母の心を知らなかった私は、
話をろくに聞きもせずむやみに否定する夫の癖に、
どうやっても嫌なことをする母の記憶が重なり、
長年耐えて蓄積した不快感が怒りとなって
噴き出てくるというわけだ。

52.毒親の悪質さ
 親が子にどんな酷いことをしても、
子は親を許したり感謝したり尊敬したり恩返し=親孝行すべき
などという邪教みたいな信仰がある。
親というものが例外なく無毒であることが前提で、
毒親の悪質すぎる真実が知られていないことが
災いしていると思った私はずっと、
毒親の悪質さを表現する言葉を探していた。
 それ以前に、親が有毒であればあるほど、
子はその親を許したり感謝したり尊敬したり
恩返し(親孝行)しようと頑張るだけでなく、
親を「害」「悪」「毒」などと絶対に思わない。
私もいい歳になるまで母を聖母みたいに考え、
夢に出てくる化け物が母の正体だと見抜けなかった。
今さらわざわざ書いても意味がないほど
手遅れになった今初めて母の悪質さを表現しようと思う。
それは、こうだ。
ストーカーと悪質セールスと宗教の勧誘を掛け合わせたものが
死んでもつきまとう感じだ。
これにさらに暴力団を足したような親もいるだろう。
私の場合その要素は少ないと思う。

53.本当の絶縁
 最近、両親を精神的に失う夢を見た。
両親には何か別の者が一人付いていたが、
夢から覚めた今の私にはそれが何か思い出せない。
夢の中で私は最初、両親ともう一人とディナーを食っていて、
私がメインディッシュの魚料理を四人分取りに行った。
料理が並んでいる場所は商店街のように広く、
高価な料理を買わせようとする商売人がいたが、
貧乏な私は払える範囲の安い魚を四切れ買って、
両親たちのいるテーブルに戻ると、彼らの姿が無く、
行儀の悪いドンチャン騒ぎをする学生たちが占領していた。
困惑していると、近くの誰かが親切に教えてくれた。
「最初あなたと一緒にいた人たちは、あなたのいない間に、
里親になってくれないかという相談を持ちかけられ、
その時、怒って帰ってしまわれた。」
私はせっかく買った魚をどうしようか悩んだが、
持って帰って自分が食おうと考えて目が覚めた。
 その夢はメモしていなくても何度も思い出した。
あの両親と関わるのはこれで終わりにしようと思う。
私は以前まで物理的だけ絶縁していた両親と、
精神的にもやっと絶縁できた感じを覚えた。
失った両親は最初から存在しないに等しかった。
それより、私は彼らの奴隷だったに過ぎない。
だからこそ、彼らは自分たちのちょっとした都合だけで
私を完全無視して店を出て自分たちの家に帰った。
それは両親だけの家であり、私の家も最初から無かった。
彼らの奴隷に過ぎなかった私は、
最初から彼らと親子の縁など存在しなかった。
それでも否定できない関係があったとすれば遺伝子だけだ。
しかも実際、彼らは過去にも私を何度も捨ててきた。
捨てられた私が彼らを捨てると言うのもおかしなことだ。

54.やっと解明した理由
 最近なぜか、母が何度も私に言い聞かせた話を思い出していた。
「お母さんは子供の時、祖母(母の親)に対して、
食料が足りないのに子供を何人も産むな!と文句を言ったし、
お母さんは産む子供をあなた一人でやめておいた。」
という内容だった。親から独立後に私は気づいたが、
母が祖母に言ったことが真実であったとしても、
母が産む子の数を自分の意思でコントロールしたのは嘘だ。
ペットの世話もできない母にとって、
本当は子供なんか一人も要らなかったのだ。
母は結婚後、無知なため気付いたら妊娠していて、
避妊も中絶も知らなくて仕方なく産んだのだ。
それでは、私に何度も言い聞かせた話は何だったのか?
答えはこうだ。
「たくさん産んだせいで貧乏になって、
子供たちに苦労させた祖母と違って、
一人しか産まなかったお母さんは賢い親でしょう。
だから、お母さんのような賢い親が満足するよう、
お母さんの話をよく聞いて期待通りに生きなさい。」
これが、母の言いたいことだった。
母の目的は、自分の存在価値の捏造もあるだろうが、
それは最終目的ではなく、
母自身の幸福追求こそ目的であり、
そのために私を母に服従させる必要があり、
服従させるのに必要なのが親の存在価値であり、
それには「賢い親」という条件が必須だと
母は思っていたからだ。
当時の私には当然無理だったとしても、
そんな母の気持ちを察してあげることはできなかった。

55.母の謝罪
 母が私に謝った出来事が総計で三度あったことを思い出した。
一つは、母の私に対する八つ当たりについて。
ただし、この謝罪も言葉だけで終わり、しかも、
「今、謝っておかないと損だと思うから」という理由付だった。
 その次は、会社の寮にいた私への電話だった。
母は、その時の話にまったく関係なく突然、
病気と認めてこなかった私の皮膚病のことを
自分のせいだったと告白したのだ。
その話を聞いた当時の私は、
皮膚の症状を病気だと思っていなかったし、
母がそんなことをしていた真実に気付いていなかったので、
不可解にしか感じなかったが、
記憶がそろい始めた今、こういうことがわかっている。
 私の皮膚は丈夫で、母の皮膚は弱かった。
それが気に入らなかったのだろうか。
母は私が自分の体を自分で洗わせず、
私が何歳になっても風呂にわざわざいっしょに入り、
デリケートな部分をわざと強くこすりながら、
「こういうふうに、つよ~くこすって洗わないと
あんたの汚い体はきれいにならないわよ!」と
毎度何度も言っていた。
私を洗うのに使う洗剤は最低の安物で、
母だけ別の高級品を使っていた。
私は丈夫だから傷にならなかったものの、
そのせいか、髪はバサバサになっていき、
皮膚にはあちこち出来物だらけだった。
学校の水泳の授業では周囲に気持ち悪がられたが、
さいわいそれでいじめられず気の毒そうに見られていた。
私自身はそれを気にしている余裕はなかったが、
担任の先生か近所の誰かが母に注意したかもしれず、
母はごくたまに私の皮膚をきれいにする話をしたり、
薬用化粧品を買ってくれたこともあったが、
実際に使うことは許されなかった。
腐ったような売れ残りの処分品や不良品でなく
並みの石鹸やクリーム類を使っていれば
私の髪や皮膚はつやつやして健康だっただろう。
あるいは、祖母が勤め先から持って帰っていた
形が悪いだけで不良品ゴミになった高級石鹸を
嫌がらずに使っておれば、もっとよかっただろう。
私の皮膚病は母の仕業だったのだ。
当時の私には不可解でしかなかった
皮膚のことで母が謝った理由が今やっとわかった。
 そして三度目は、手紙だった。
私は心身ともに衰弱して寝たきりになって、
母やその代理人が電話で何を言ってきても
無視することしかできなかったせいか、
「謝るから許してほしい」と書かれていた。
しかし、これも嘘だったことを後で知った。
その手紙の解読能力を失っていた私は、
十年近くかそれ以上放置して、
最近やっと改めて読んでみると、
謝罪を装っているだけで、
母が勝手に私の名義で契約した保険を餌に、
今度はどんな手口で私を騙して何をむしり取ろうとしているのだろう?
と思うような内容だった。
 母は私に本当に謝罪したことは一度もなかった。
今後、本当にそういうことがあるとしても、
こういう女をこれ以上信じるのはやめたほうがよかろう。

56.祖父の躾
 母は自分の父(私の祖父)に不満を抱いていた。
私の目からすれば祖父は子供や孫を普通に可愛がる大人だった。
だから当然、母にもそう言ったのだろうが、
母が祖父から教えられた唯一の良いことが、
「他人の物を盗んではいけない」という話だった。
しかしこれは、母が人から学んだことが、
その程度のことだけだったということでもある。
母が私に同じことを教えたことはない。
家にある一本のヘアピンでさえ、
無断で使えば激怒するような母の支配下で
自由に使ってよい自分の物を持たない私にとって
「盗んではいけない」などと教える必要なかっただけだ。
この言葉の裏には「盗まれたくない」という気持ちがある。
周囲すべての物が自分の物だった母にとって、
「盗まれたくない」という気持ちは大きかっただろう。
勝手に使うと痛い目に遭わせたりして教えなければ
家の物を無断で使う私は、母にとって泥棒なのだろう。
「他人の物を盗んではいけない」という祖父の言葉は、
そんな母に都合よい言葉だったというわけだ。

57.傷付きやすい心
 「傷付きやすい心」を持つ人が些細な言葉に傷ついて、
「報復」として異常なほど激しい非難や攻撃することがある。
 幼少時から鬼畜どもに虐待された人は、
その地獄から離脱して平和な人間関係を持てる
安全な環境で生活できるようになった後も、
周囲のまともな人たちからの何気ない言動を、
自分に対する攻撃や嫌がらせだと誤解して
不当な反撃したり非難することがあるのは、
被害者だった人の自己防衛反応らしいが、
相手にとっては、気の毒な人を助けようとしたり
話しかけただけで威嚇や攻撃される形になる。
その結果、適切に批判されることになるが、
それは彼らにとって過去と同じように現在も、
周囲の人たちにいじめられるのと同じになる。
なぜそういうことになってしまうのか。
 親が毒だったり奴隷のように扱われて育った人は、
親や支配者たちの期待や欲求を満たさねば
命に危険を感じる恐怖や攻撃で脅されてきた。
しかも、親や支配者たちは自分たちの期待や欲求を
子供や奴隷のほうから察してもらうのが当然であり、
そんな能力のない子供や奴隷は不用品だから、
ちょっとした不備や不満が出てきた時点で
不用品を壊すようにその子をストレス発散の道具にする。
過去にそういう子供や奴隷だった人は常に、
他人の期待や欲求にすぐに応えることが義務なので、
ちょっとした指摘や助言や批判があっただけで、
全否定され抹殺されるような恐怖を感じてしまう。
長年、同じ個所に痛みを感じ続けると、
その痛みの原因だった病が治った後も、
痛みだけが幻覚となって続くようなものだ。
そういうものから自分を守る本人にとって
当然の反撃でも、現実では不当な攻撃だったり、
批判を殺人的攻撃と見なす被害妄想になる。
それが、いわゆる傷付きやすい心ではないか。
子供の時から長年、虐待されて育った人は、
偶然、自分の支配下に来てしまった人に、
閉鎖的人間関係の中でそれしかやり方を知らない
加害者たちと同じやり方を繰り返してしまうのも、
そういうことかもしれない。

 その後、些細な失敗や過失が恐怖になる原因も
同じようなことだと思った。
 心や精神に病や問題や障害を負う人はよく、
些細な失敗や過失を必要以上どころか、
過剰というよりもっと強く、
命に危険を感じるほど恐れることがある。
それはDVや毒親やハラスメントが原因だ。
そういう暴力の加害者たちは、
被害者の些細な失敗や過失を、
さも重大なことのように事実を歪めて解釈し、
被害者のことを「存在自体が害悪」だとして
排除や抹殺するほど攻撃や非難してきた。
被害者がそういう劣悪な環境で生きて、
人間なら避けられない些細な失敗や過失が、
自分の命取りになる感覚を持つのは当然で、
加害者との異常な人間関係のせいで
他にもいろいろあるだろう異常な感覚や反応故に
精神障害になっていくのだろう。
 こういうことに気付いたのは、
些細な失敗や過失、ちょっとした指摘や助言や批判や不満などが
出てきたことくらいで、全否定したり排除したり抹殺したり、
そんなバカげたことをしないのが、心や精神が健康な
まともな人たちである事実を体験したからだ。
些細な礼儀やマナーやルールを
知らなかったり守らなかったりしただけでは、
一言注意して終わるだけであり、
わざわざ自由や権利を奪ってまで奴隷や死刑にするかのような、
排除や非難や攻撃は不当な暴力以外の何でもなかったのだ。

58.贅沢する罪悪感の処分
 新婚当初は車を持っていなかったが、
安い貧乏アパート暮らしで貯金が順調に貯まり、
あこがれの車を買うことができた。
しかし、納車の日の夜、眠ろうとした時、
その車が自分たちにふさわしくないというよりも、
そんな車を買うなんて贅沢すぎるという以前に、
その車が格好良すぎて自分たちが場違いみたいに
周囲の目が気になって恥ずかしくなってきた。
 長年、その感情の正体を知らなかったが、
ある時ふと気づいた。
私は自分の親以上の高価な物を持ってはいけなかった。
そういうのは毒親の子に課せられる掟の一つだ。
私の親は裕福だったけど、ドケチな母の好みで
父が軽の貨物車しか持ったことがなかった。
私ら夫婦は親より貧乏なのに、
親より高級な車を買ってしまったのだ。
そんなことが罪悪感になってしまうのは、
自分の子にも勝たねばならない毒親は、
子が親より幸福だったり良い物を持つことが
許せないらしく、とても嫌がるからだ。
結婚してもいつまでも親の奴隷であるまいし、
その罪悪感は無実であり、冤罪みたいに
毒親に植えつけられた有害なものだ。
それに気づいた時、「車で贅沢して浪費した」ではなく
「あの車で好きな所をドライブしたのは本当に良かった」と
思うことができるようになった。

59.臓器移植
 臓器移植の法律が変わった時、
母に臓器をむしり取られる悪夢を見た。
母は腎臓が悪かったが、
私が病院で検査を受けた時、
片方の腎臓が弱っているかのような結果だった。
もう一つの元気な腎臓を母に提供するため、
私は生きているのに脳死判定された。
その夢で私は、脳死判定というものがいかに
他人の命をむしり取ってでも長生きしたい人たちを
優先する手段の一つだったかを知った。
 それからどのくらいの年月が経ったか、
ネットで奇形児の画像に興味を持ち、
それに魅了されたようにのめり込み、
専門的で難解な医学の長文まで読んでいた。
そして、夢で体験したのと同じことを知った。
死人の臓器は移植に使えない。
本当は生きているから臓器提供できるのだけど、
そのままでは世間や家族の同意を得にくいので、
死んだと見なして殺すことを合法化するわけだ。
 そして、自分が長年「死にたい」と
思い続けていたことが、有害な価値観に
騙されていたからだと気付いた。それが正しければ、
本当に死にたい人は誰もいないかもしれない。
「死にたい」理由は「社会」という名の有害な
毒親と同類の誰かの利益のためだけに、
たとえば臓器提供のため仮死状態にされて
肉体だけ生かされて利用されたくないからだ。
 家事を超える労働ができない私は、
誰かを奴隷にして快適な暮らしをしている者にとって
社会のクズであり、社会のクズはお荷物だから
できるだけ早く死んだほうがましであり、
そういう洗脳じみた狂気を社会の常識として
信じるのは絶対に間違っていた。
私は誰の都合に悪くても、罪悪感を持たずに
堂々と生きる資格があったのだ。
やっと初めて正常な考え方を得た。

60.素人投稿とR指定もどき
 ある小説サイトに投稿したら、
内容にキツい部分があるので、
そのサイト独自のR指定に類似するラベルを
設定するようメールで指導があった。
幼い子も閲覧しているかもしれないからだ。
私は昔から秩序を守る規則が嫌いではないし、
たとえば母や教師が強いる感想文みたいに
作品自体を消されるわけでも修正を強いられるわけでもなく、
自分の判断でラベルを設置して、それで問題ないようだった。
 しかし、似たようなことは昔からどのサイトでもあった。
「殺意を伴う強い怒り」をテーマにすれば無理もないが、
干渉どころか激しい中傷や非難もあり、
そのサイトを安心して利用できなくなった。
中には「小説に殺人なんてつきものでしょうに…」
などというコメントもあって、ほんの少しだけ助かった。
しかし、そういう経験はいい歳になってからではなく、
子供の時から母に同じことを言われていた。
母は私のちょっとした言葉に突然激怒した。
母の心が傷付く地雷を踏んでしまうからだ。
そのくせ母は遠慮なく、子供の心を傷つけることを
言いたい放題で、私はそれに耐えて精神を鍛えた。
だから、表現の残酷さやワイセツさなどを制限する
規則や制度にひっかかると、理不尽を感じる。
幼い時から私はもっと酷いことに耐えてきたのに、
自分が大人になったらなったで、
母のようにいい歳の大人から再び責められる。
現実、子供が自分を守る術をしっかり持てないから
代わりに大人が子供を守る役目をするのだろうけど、
私を守ってくれる人は自分しかいなかったから…
そういう人は私だけではなく他にも大勢いると思う。
他の誰かもR指定と同類のことを個人レベルで
求められるのは面倒で不愉快に違いない。

61.真面目に頑張って生きていた
 昔、就職した会社の女子寮で同室になった人が、
「誰でも一生懸命生きている」と言った私をバカにした。
その時、「そうじゃない人もいる」と知って私はショックを覚えた。
同じ会社の上司は、「今までずっと頑張ってきた」と言った私を
「へー、あなたが頑張ったことなんてあるの?」と
バカにして見下した。それと、私の性格を
「真面目すぎて冗談が通じない」と咎めた者もいた。
当時の無知な私は、「一生懸命」や「真面目」や
「自分は頑張った」なんて格好悪い、みっともないと
自分を恥じて、そうしない生き方をしようと努めた。
その結果は、バカでなければ予想がつくだろう、
私をバカにした者たちと同じような者になった。
 今、やっと自分を恥じるのをやめて
他人がどう言おうが、他人と比べたりせず、
自分を認めて、自分の感覚を尊重しようと思うようになった。
その理由は、長年の経験から出てきた。
つまらないことを他人に言われて自分を恥じて
生きるようになってから、年々私は衰弱してきた。
そりゃそうだ、一生懸命しなくなったから。
不真面目や冗談ばかりで自分を確立できるわけがない。
「頑張った」と自分を認めないことが鬱の元凶だったり。
子供の時の自然な自分がいちばん良かった。
大人になって老いるほど、バカにした人たちと
同じように穢れて醜くなった。
当時そういう人たちこそ、一生懸命でなかったり、
不真面目だったり、頑張ったことがないのだろう。
まだ穢れていなかった時の自分に教わってみよう。

62.出会いの必要条件
 私に出会いがあったとすれば結婚だけだった。
母が気に入る都合よい人でなければ、
私に関わろうとする人たちは、
母のファイアーウォールでシャットアウトされ、
逆に母が気に入る人なら嫌でも付き合わねばならなかった。
そういう環境の中で私は付き合う人を自分で選ぶ習慣がなく、
魅力のない人から興味のない何かに誘われた時、
断ることができず嫌でも付き合わねばならなかった。
それとは逆に、魅力のある人から興味ある何かに誘われた時、
嫌でも断らねばならない母のルールに悲しんだ。
そういう生き方は自分を含め誰のためにもならない。
出会いも、魅力も感じない人から選ばれるのではなく
自分が選んだ人であることは必要だ。
嫌なら断る自由や、興味のないことに対して一々
返事する義務もなく、無視するのが当たり前であっても、
そうすることが母の言うように、
「出会いの機会を捨てる身勝手」ではない。
母にとって都合悪くて気に入らなければ、私にとって
魅力や興味のあることでも断ったり無視することこそ、
出会いの機会を捨てることだ。正しく表現すれば、
母の支配下で私は出会いの機会を捨てなければならなかった。
「誘いを断ったりして機会を捨てるから出会いが無い」
という母の法則は誤りだ。相手がどうであれ、
自分が魅力や興味を感じることが前提であり必要条件だ。

63.「頑張る」という言葉の真意
 テレビに出て話す人が頻繁に口にする
「やっぱり」とか「頑張る」という言葉が耳触りだった。
前者の言葉に意味はほとんどなく、
すべて省略しても内容は通じるようだ。
後者の言葉に対する負担感の原因は、
毒親に「自分自身のため」だと信じ込まされながら、
本当は決して自分のためではなく
実は毒親の利益のため頑張ることを
強いられてきたことにあると気付いた。
誰に強いられることなく心の底から望んで
本当に大切な人のために頑張ることは、
自分にとっても良い結果になるだろうが、
毒親のような犯罪者に強いられた努力には、
損失や徒労しか残らない。
そういう努力は無駄な我慢でしかない。
「頑張る」が本当に自分のためになる努力を意味するなら、
負担や損失や徒労を感じることがない。
「頑張る」という言葉には必ず、
「本当に自分のため」という暗黙の了解があると
信じることが必要だと思った。

64.洗脳を解く考え
 毒親の屁理屈に惑わされないために、こんな考えを覚えた。
毒親には子を大切にできなかった事情があるし、
親が子を殺したわけでもないし、
それ以前に、親というものは多くがそういうものだ。
だから、子はそんな親を許して感謝すべきだし、
親と同じ大人になれば親に恩返しすべきだ。
こういう理屈が最初から通用しない人はそれで正しい。
しかし、毒親を原発に言い換えるとどうなるか。
「原発は電力を無駄遣いする消費者に応えるために作られ、
人を殺すためではなかったわけだし、
それ以前に、活動期の太陽から来る放射線のほうが
地球上の生命すべてに致命的影響を及ぼす。
それと比べれば事故の影響は微かなレベルだ。
だから、賢い消費者は自給自足したり
過去長年授かった電力の恩恵に感謝すべきだ。」
こんな理屈は今の狂った世間でさえ通用しない。
毒親も自らの「被爆者」に対して罪を償うべきだろう。
いや、そう簡単に片付けられる話でもなかった。
私だけではないかもしれないが、
損害賠償を求める人たちの姿が、
被害者意識に囚われて自分をわざと地獄に
陥れている愚者みたいに見えるのだ。
その理由は、毒親を許せず感謝できない人を
未熟な人間として見下すのと似ている。
犯罪者を許してはいけないのに、
毒親や原発を許して感謝しようとすれば、
そんなこと無理なのが当然の正常な人たちを
バカにしたり見下してしまう理由もある。
自分に可能なことができない人たちを見下す、
そういう理由で人を見下すというのは、
突き詰めれば毒親の都合だったのだ。

65.最も嫌な病や障害
 子供の時、絶対に嫌な病というより障害があった。
それは失明と精神障害。
実際、失明の危機にさらされたことがあり、
さいわい通っていた眼科医院で救われた。
次に成人後に最も嫌になったのは便秘で死ぬことだった。
嫌なことを気にして意識するだけ現実になりやすいかもしれないが、
自分は気をそらしたり紛らわしたり逃げるほうが
避けられない現実のド壺にはまる気がする。
だから、直面して意識して考える。
 失明したら本当に自殺するほど途方に暮れるのか…
おそらく違う。
自分の視力がそもそも非常に弱いからだ。
視力に頼れない分、
暗闇が怖くないというよりかえって落ち着くし、
もともとはっきり見えないから手探りで
何かしていることも多かったりする。
だからきっと大丈夫。
次に、精神障害の何が絶対に嫌だったのか…
「親の言うことを聞かない子は
頭がおかしいから精神病院に行きなさい。
ただし、そういうところに入院したら廃人にされて
死ぬまで退院できないと決まっている。」
と母に脅されていたからだ。
いい歳になってから初めてそれこそ
キチガイ女の妄言だと理解できても、
「精神障害者」というレッテルが
歪んだ健常者たちのストレス解消のため
叩いてよい対象物の目印になる暴力界で、
日々エスカレートする母からの暴言や嫌がらせに
耐え続け発狂を防ぐのに苦しんだ。
そんな努力が徒労だったことを知った最近のほうが
皮肉にも、防ぐほうがましな発狂に悩んでいる。
現在どこまで耐えられるか自分を試しているようなものだ。
 そして、便秘の何がそんなに嫌なのか。
昔から病気の恐怖や気持ち悪さに興味があり、
医師から直接聞いた怖い話や、
素人なりに情報や知識を得た後、
なる時はそうなってしまうだろうと、
あきらめの境地に達したかもしれない。

66.それを本当の親と言わない
 日常の何気ないことで毒母のことを思い出す。
毒親という犯罪者の気持ちがわからなかった私にとって
毒母の言動は不可解とはいえ、長年かかって
洗脳を解いてきた頭で考えてみると謎が解けることがある。
今回、思い出したのは、毒母が私に対して禁じたり強いたことだ。
例えば、「おしゃれ」禁止や「人生の成功」強要だ。
「おしゃれ」が禁止だったのは、おそらく、
毒母が自分のおしゃれを楽しむ時間や余裕を持てないのに、
私が楽しもうとすることに嫉妬して許せなかったのだ。
「人生の成功」というのは狂人の造語のようだが、
毒母が自分に望んでもできなかったことだ。
自分にできないことを私に禁じたり強いたのだろうか。
本当の意味でいったい何を禁じて何を強いたのか、
他の毒親にも共通するパターンがありそうだ。
子の楽しみを禁じて、親の満足になることを強いるのか。
「人生の成功」が毒親にとって都合よいわけではなく、
親を超えた子の幸福を意味するようになったとたん、
禁止事項に変わるだろう。
子供が自分のために生きることを禁じて、
親のために生きることを強いるのか。
毒親が子を私物化するのは確かだ。

 夫が、私が死んだらそのことを私の親に知らせると言った。
私はそれに危機感を覚えた。
なぜなら、毒母は夫を騙して彼の何かを奪うに違いないからだ。
その時初めて彼も毒母の正体を知るかもしれず、
実際、私が死んでしまえば、どうでもよいかもしれないが、
心配になって、「私の母と名乗る者に関わってはいけない」と話した。
すると彼は(私にとって)意外なことを言った。
「新居を知らせていないから連絡が取れなくなっているのに、
親がまったく騒がないのが変だ。
自分の子の住所は役所で簡単に調べられるのに」と。
「死んでも関わりたくないからそれでいい」と私は言ったが、
彼にとって親というものは、逃げた自分の奴隷の
居場所を知れば連れ戻しに来るか、
絶対服従しなければ殺す支配者ではないらしい。
もしかして、本当の親ではないと思ったのだろうか?
しかしそれなら、騙され難いだろうから構わない。

67.毒親が真に悪い理由
 毒親の有害さを認めることができなければ、
表面上どんなに違って見えても、本質的に
毒親と同じ生き方をせざるをえなくなる。
まともな親なら子が反抗して成長するものだろうが、
毒親に反抗したくらいでは何も変わらない。
そんな生き方は、毒親から被った爆弾を、
自分のところで処理せずに済むよう、
周囲の人たちにパスして押し付けることだ。
そうやって次は自分が毒親そのものや、
DVや××ハラスメントの加害者になる。
毒親を擁護すれば間違いなくそうなる。
だからといって否定や非難するとしても変わらない。
そうやって余計なアレルギー反応みたいに
毒親に拒否反応することも被害になる。
まず毒親の正体や本質を勉強し、
周囲の協力が要る高度な技術を要するか、
本当にわざわざ何かをする必要があるか、
軽くつぶすだけで済む害虫のようなものか、
あるいは単に無視して済む程度か、
毒親を無視するのも不可能に近いが、
的確に判断して処理する術がなければ、
毒親の作戦通り踊らされ振り回されて
自分の子供や他人の迷惑になり続けるだろう。
2012/2/7火曜

68.毒親対策
 長年かかって多数の情報を得た結果、毒親対策には
無視と縁切りがいちばん効果的だと思うに至った。
毒親と関われば関わるほど奴隷のように利用され、
そういう鬼畜に関わる限り逃れることも不可能だ。
逃れるには無視と縁切り以外効果は薄い。
別の書き方をすれば、無視や縁切りだけが
子をいつでも自由に操る毒親にとって都合悪い。
 ただし、どんなに固く意決して宣言しても
本当に無視したり縁を切れるわけではない。
世間の人たちから見ればどうしても親子なのだ。
何年か考え続けた挙句、こういう考えを作った。
「あの女は私の母ではなかった。」
そう考えるほうがはるかに毒母の不可解な点に
わかりやすい説明がつけられるのだ。
たとえばこういう事実がある。
「私の遺伝子が半分中国人としか思えない証拠を見つけた。」
その証拠は指紋にあり、その原因をこう考えた。
私は父とその婚約者だった中国人女性の子だったが、
毒母はその中国人女性から父と私を奪い取って
自分の夫と子として戸籍に載せたのだ。
母にとって父は欲しかった人間だから愛せても、
邪魔な婚約者の娘を愛せるわけがない。
毒母は私を産んでいないかもしれない話がある。
毒母は母乳が出なかったと言っていた。
私を出産した本当の母ではないからだ。
私が母乳で育てられなかったことで説明がつく。
母を無視したり絶縁した理由を問い詰められることがあったなら、
少なくとも今ならこう答えることにしている。
「あの女は私の本当の母ではないし、
私の母になりすましている犯罪者だから。」
2012/5/15火曜
Lucy

不幸な記憶

 これでこの話は終わりにしたい。
実際は後から何度も別の記憶を死ぬまで思い出すだろう。
いつまでも親の奴隷のままで
病んだ社会でさえ生きていけるわけもなく、
年々変わっていく心境で同じ記憶を書いても、
つきまとう感情が違ってきてしまう現象があり、
自分でも別の体験に感じてしまう始末だ。
今後、思い出したことは別に書いていくつもりだ。

不幸な記憶

私の母は子供にとって有害であり、 子供を不幸に陥れる「いわゆる毒親」だった。 だからといって、母だけが悪いという結論で終わりはしない。 自分自身がそういう人生を自ら望んでいたのではないかと 考えてもかまわないほど私にとって自分というものが どうでもよいほど虚しい存在なのも確かだ。

  • 随筆・エッセイ
  • 中編
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-07-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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