自分たち人は、少なくとも私は誰の仲間か。 機械なのか。いいえそれは違います。と誰もが言う。けれど、機械のような会話しか行きかっていないような気がします。 自然は、そこにいます。私の身体も自然です。けど意識ばかりが威張ってしまいます。意識以外のものを排するのがこの社会なのですから。 だからこそ、声を聴いていきたいと思うのです。誰でもが持っているその耳。失いやすいその耳。
ある冬の参拝。 冬の朝の空気や参拝の一つ一つの佇まいと、それへのあいさつ。その空間。その心地よさ。 そこで出会った野良猫との些細なやり取り。やせ細って一時のお天道様の暖かみに和み、会話が弾む。 そんなお話。