地球に生きる私たちの愛が、ずっと続きますように…。
私の中にどうしても叶えたい夢があるとすれば、それは地球が幸せになることかもしれません。こんな風に書くととても大それたことのように感じますが、私にとって地球が幸せになるということは、地球という大きな生命体を形成している私たち一人ひとりが幸せになるというとてもシンプルなものです。
動物や植物たちは環境が破壊されつつある中でも、迷うことなく本来の輝きを生きていきます。けれど私たち人間だけが今なお大きな歪の中にあって、本来持っている輝きを見失っているかのように見えるのです。そして他ならぬ私自身が、本来の姿を見失い紆余曲折しながらここまで来ました。地球を幸せにするための第一歩が、私自身が幸せになることだとしたらそのために何がしたいのか…そんなことを何度も自分に問ううちに物語が生まれました。
2000年に初めて物語を創り、同時にペンネームを考えました。最初に頭に浮かんだのは“れん”という名前でした。それに“蓮”という漢字を当て、好きな漢字を組み合わせて有里という苗字を付けました。なのでそれほど深く考えた名前ではなかったのですが、それから数年後に“里”という漢字には心という意味があることを知りました。つまりこの名前には期せずして“心に有る蓮”という意味があるのです。
私の中にある蓮の花は泥の中にあっても美しく凛としている姿と、死者が生まれ変わるという現世と離れたイメージの2つを持ち合わせています。私はこの有里 蓮という名前を使い、私自身が現世で持っている枠を超え、心のままの物語を創りたいと願っています。そうして創り出した作品が、どなたかの里(心)に有る(残る)ようなものであれば、より幸いです。
有 里 蓮 ‐ Arisato Ren -
先日、萩原孝一さん(『スピリチュアル系国連職員、吼える!-ざまあみやがれ、今日も生きている / たま出版』著者)とお話ししたときに、今の日本は諸外国との問題解決において『戦う姿勢で対応してはいけない』とおっしゃっていたことが印象に残り、その数日後にこの物語が浮かんできました。 萩原さんのような仕事をされている方と違い、庶民の私は自分が世界の問題に関わっていると感じることはありません。でも、今までどこか当然のこととして承認してきたことに対して私のような庶民レベルの意識が変わったとしたら、もしかしたら今と違う世界ができるのかもしれない… そんな風に感じたのです。