あいまいなカンケイ

砂東 塩

あいまいなカンケイ

あいまいなカンケイ

 缶ビール二本に、チューハイが一本。くしゃりと潰した缶はタッ君の飲んだもので、そのままのはトオル。
 私はタッ君の真似をして飲み終わった缶を潰すようになった。――いつから? 
 グシャッと金属音がし、テーブルの上に空き缶がもう一本転がる。カン、と音を立てて置いたトオルの缶にはビールが残っているようだ。私は両手で持ったカシスオレンジをグビリと喉に通す。半分以上残ったその缶を、そっと床に置いた。
「マイコ、俺もう一本飲んでいい?」
「いいよ。今度ちゃんと冷蔵庫に追加しといてね」
「了解。倍返しするから」
 タッ君の言葉に、トオルが吹き出す。
「タク。お前倍返しして自分で飲むんだろ」
「あー、そうかも。そうかな? マイコ」
 だと思うよ、と答えて冷蔵庫から戻ってきたタッ君を見上げる。タッ君は、テーブルを囲んで私とトオルの、ちょうど真ん中あたりに座った。お互いの間には、人ひとり分の空間。
 タッ君が右手で頬杖をつく。
 私は左手で頬杖をつき、彼と斜めに向き合う。
 目が合うとタッ君はニヤリと笑って、私もニヤリと笑い返した。
「にらめっこするなら笑ったほうが負けだぞ」
 トオルはそう言って、私とタッ君の目の前でパンと手を叩く。頬を膨らませ、眉を釣り上げ、タッ君が白目をむいたところでトオルと二人で吹き出した。笑い疲れてタッ君は床にゴロリと寝っ転がる。
「タク、お前今日泊まるの?」
 トオルは残っているビールを飲み干しながら、伸ばした足でタッ君の脇腹を蹴った。タッ君の体がくすぐったそうによじれる。
「うーん。マイコ、泊まっていい?」
「いいよ。明日の朝おごってね。マックでいいから」
 了解、とタッ君は親指を突き立て、トオルは荷物をまとめ、じゃあと立ちあがった。
「トオル、今からミコちゃんとこ?」
 私が聞くと、おう、とニヤけた笑みを浮かべる。ベッド脇の目覚まし時計に目を向けると、時刻は夜中の十一時前。ミコちゃんのアルバイトがそろそろ終わるはずで、バイト先である居酒屋はここから歩いて五分。
 そわそわと背中を揺すりながら玄関に向かうトオルに、タッ君は寝転んだまま「じゃあな」と手を振った。
「いいよなー、彼女持ちのトオルは。独り者同士、もう一回乾杯すっか」
 タッ君はカラッとした口調でそう言って、よっと体を起こした。お互い飲みかけの缶をぶつけて「かんぱーい」と叫ぶ。それを一気飲み干したタッ君は再び床に寝そべり、トオルのいた場所に勢力を広げるように大の字になった。
 シングルベッドと、ローテーブル、テレビに、文庫の並んだ小さなラック。雑然とした部屋にしたくなくて、ほとんど物は置いていない。一人だと生活感のないこの部屋も、タッ君とトオルが帰ったあとは人間の気配がムンムンしている。それもまた、嫌いではない。
「あー、酔っ払った。セックスしてー」
 タッ君のあっけらかんとした声。それは毎回繰り返される光景だった。
「なら、早く彼女作ったら?」
 私の台詞もいつもと同じ。二人でくすくすと含み笑いをして、もう一度飲み直すのが私たちのあいだでのシナリオだった。トオルと三人でいたときも、タッ君と二人でも、それが崩れることはない。
 初めてタッ君がそう叫んだ時はさすがに驚いたけれど、トオルに彼女が出来る前で、さみしい男二人で慰めあっていた。彼らには、どうやら私は女性として映っていないような気配がある。だから、私もどうこうする気はなかった。 タッ君もトオルも良い奴で、このまま一緒にいられたらいい。
 先にシャワーを浴びて部屋に戻ると、タッ君はいびきをかいて眠っていた。テーブルの上の空き缶はレジ袋にまとめてテーブルの横に置かれている。
 以前は缶もゴミも全部放ったらかしで帰っていたのに、トオルがここに泊まらなくなってからタッ君は少し変わった。
「タッ君、シャワーどうする?」
 彼の肩を揺らすと、眩しそうに眉をしかめる。
「面倒だから、朝借りる」
「そう。じゃあ、そこで寝てね」
 以前、私を差し置いてトオルと二人でベッドを占拠しようとしたことがあった。真夏の暑い日で、焼き肉帰りの二人は肉の匂いがプンプンしていた。
 あの時『ベッドで寝たいならシャワー浴びて、臭い服は着用禁止』そんな事を冗談で口にした。タッ君はよっしゃ、と嬉しげにシャワーを浴びに行ったけど、ベッドで寝ることはなかった。
 トオルは、ここでシャワーを浴びた事すらない。タッ君にしても朝帰る前にシャワーを使うことはあっても、夜使ったのは二三回ほど。
 私は余分に置いてある掛け布団とクッションをタッ君に渡し、姿見の前に座り込む。ラックに置かれた化粧水をパタパタと両手で顔に馴染ませながら、鏡越しにタッ君の様子を窺った。
 布団をかぶったタッ君は、もそもそと動いて背中を丸める。犬でも飼っているような気分だ。
 たとえ彼氏でなくても、男の人が夜いるというのはそれなりに安心感があった。うちの犬が狼になる気配はない。
 電気を消してベッドに横になると、タッ君の寝息が妙にはっきりと耳に入ってくる。
 トオルに彼女ができてから二ヶ月近く。
週に一二回のペースでうちに来ていた二人は、相変わらずのペースでやってくる。だいたいミコちゃんがいる居酒屋で呑んでから、うちで軽く呑み直す。私がいつもミコちゃんのところに行くわけではないけれど、タクシー代を惜しむ二人は、当たり前のようにうちに来た。
 トオルはミコちゃんとつき合い始めてから、ここに泊まることは一切ない。時間潰しに来て、ミコちゃんのバイトが終わるのを待つ。
 タッ君だけが泊まる事になったとき、少し緊張したけれど彼は相変わらずで、私はほっと胸を撫で下ろした。妙にギクシャクして、二人との関係が疎遠になってしまうのは嫌だった。
 少しずつ暗闇に目が慣れ、眠れずベッドの端に寄った。
 耳元では時計がカチカチと時を刻み、私はふと思い出してアラームをオフにした。
 少しだけベッドから身を乗り出して、タッ君の顔をのぞき込む。ゆっくりと肩が上下し、同じタイミングで静かな寝息が聞こえた。不意にタッ君の口元がにやにやと緩む。
「何笑ってんのよ」
 くすりと笑って呟くと、思いもかけず寝言が返ってきた。
「……ミコちゃ……」
 心臓が跳ねた。
 跳ねて、それからバクバクと疾走し始める。タッ君の弱みを握って、明日の朝はマックではなく、もう少し奮発したところに連れて行って貰おう。それとも、チクチクとからかって、明日一日楽しもうか。
 空虚な妄想は私の気持ちとまったく馴染まなかった。心臓はどこまでも走り続けて、一向に足を止める気配がない。
「ミコちゃんは?」
 小さく呟いてみたけどタッ君の口は動かず、私の声は部屋の暗がりに溶けて消えた。
 トオルの彼女で、タッ君とトオルの行きつけの居酒屋で働くミコちゃん。ウエーブのかかった茶色い髪を後ろで結って、化粧は薄め。小さなことでもコロコロと笑い、愛想がよくて、でも少し融通がきかない。
 目が冴えてベッドから起き上がった。
 そっと部屋から出て、台所の隅っこでタッ君が置きっぱなしにしている煙草を一本口に咥える。明りもつけず、小窓に映る通路の明りを頼りに、換気扇を回して、百円ライターに火を灯した。
 右手の人差指と中指に煙草を挟んで口にくわえる。ライターの火を近づけて、すうっと息を吸い込んだ。流しの横にライターを置いてから、灰皿を手にペタリとお尻を床におろす。
 普段は吸わない。タッ君が吸っている時に一口か二口もらうだけ。自分で煙草に火を点けたのは初めてだった。
 指先が妙にぎくしゃくして、様になっていないのがよく分かる。二回ほど息を吸って吐き、灰を落とす仕草がどんなだったか頭に思い描いた。タッ君はたしか、指で挟んだままの煙草を親指ではじいてトントンと灰皿に当てる。
 一度だけ親指で煙草をはじくと、ぱらりと一片の灰が落ちた。ほとんど元の長さと変わらないまま、煙草の先を灰皿の底に擦りつけて火を消した。
 目を閉じると、煙草の匂いにタッ君の気配を感じる。
 ガタと音がして目を開けると、部屋のドアからのそりとタッ君が顔を出していた。薄っすらとした明かりのなか、彼の表情が安堵したようにゆるむ。それから四つん這いでこちらに近づいてきた。犬ならもっとしなやかに駆け寄るのだろうけど、タッ君はやはり人間だった。
 上は長袖のTシャツ、下はトランクス。寝る時はいつもズボンだけ脱ぎ捨てていた。たぶん布団の中でくしゃくしゃになってるはずだ。
「なに勝手に吸ってるの?」
 左隣に座ったタッ君は、私と同じように壁に背を預ける。空けるはずのひとり分の距離が、何かの間違いのように消え去って、腕と腕がぎゅっとくっついた。
 タッ君は私に覆いかぶさるように手を伸ばし、灰皿を自分の方に寄せる。触れ合う体には、頓着していないように見えた。
「シケモク?」
 私の言葉にニヤリと笑って流しの横からライターを取り、さっきまで私が咥えていた煙草に彼は火を点ける。
「エコ」
「リサイクル」
「もったいない精神」
「うーん……一寸の虫にも五分の魂」
「それ、関係ないだろ全然」
 笑いあって、触れる肩がこすり合わさるように上下した。深く息を吸い込んだタッ君は、換気扇に向かって煙を吹き出す。天井付近の留まった紫煙は、徐々に薄くなり外へと排出されていった。
「マイコ、寝れないの? ビール飲んだら?」
「いいよ。もう、いらない」
「ふうん、じゃあ、セックスでもする?」
 驚いてタッ君のほうを振り返ると、いつもと同じようにニヤリと笑っていた。ほっと肩の力を抜き、不意に仕返ししたい衝動に駆られる。
「タッ君、寝言いってたよ」
「どうせ『セックスしてー』って言ってたんだろ」
「ううん。『ミコちゃん』って」
 隣で息を吸い込む気配があった。煙草を挟んだ指先は中途半端な場所で制止し、立ち上ぼる煙がやけに白い。タッ君はニヤリともニコリともせず、困ったように首元を掻いた。
 恋心というのは、不毛な現実を知ってから気付くものなのだろうか。実らない事を知ったから、それが恋だと気づく。さっきまで触れていたはずのタッ君の腕が、いつのまにか離れていた。
「タッ君、ミコちゃん好きだった?」
 短くなった煙草をぎゅっと押しつぶし、タッ君はなぜか私にもたれかかってきた。
「好きだった」
 そっか、と答えると、知らず深いため息が漏れる。私はたぶん、タッ君がミコちゃんを好きだった頃から、タッ君を好きだったんだ。
 一緒にいたいと思ったら一緒にいられて、嫉妬する相手なんていなくて、自分の居場所に疑問なんて持っていなかった。本当は、タッ君の心は違うところにあったのだ。
「トオルに譲ったの?」
 まさか、というタッ君の声は笑っているようだった。彼が吹っ切れているといい。傷ついているところは見たくないし、トオルとこじれるところも見たくない。
「トオルに、ミコちゃんとつき合うって聞いた時ショックで。なんでだろうって考えて、で気づいた。俺、ミコちゃんのこと好きだったんだって」
「失恋したんだ」
「失恋? うん。失恋かな。でもあれに近いよ」
「あれ?」
 顔を傾けた先の視線がタッ君と絡み合う。彼は傷ついているようには見えなかった。いつもよりも優しげな眼差しで私を見つめ返してくる。
 私は失恋気分の名残を抱えながら、これからの可能性に気づいてドキドキし始めていた。
 私は、たぶん、まだ失恋したわけではない。そして三人の関係も、変わったわけじゃない。
「あれだよ。アイドルが結婚しちゃった感じ。ミコちゃんの笑顔はお客様向けの笑顔だからね。マイコの品のない笑い方とは違う」
「そうね。タッ君の品のないトークとは違って、ミコちゃんのは営業トークだから」
 冗談で返しながら、突然認識してしまった気持ちを誤魔化しきれず、私はタッ君から顔をそらした。まだ、変わりたくない。何か関係が変わるようなことを口にして、彼がこの部屋からいなくなってしまったら、困る。
 ――困る?
 一人でクスクスと肩を揺らしていたタッ君は、私の笑い声が聞こえないせいか、ふっと笑うのをやめた。
「マイコ、セックスしよ」
 私の肩にはタッ君の頭の重みがあって、耳元に彼の息がかかった。タッ君はいつもと違う真面目な声で、私は彼の顔を見ることができずにいた。口元に手をあてて、じっと自分の爪先を見つめる。
「セッ、クスしたいなら、早く彼女作りなよ」
 シナリオ通りのはずの私の台詞は微かに震え、いたたまれなくなって「喉乾いた」と立ちあがった。
 タッ君の頭がずり落ち、肘をついたらしい鈍い音が聞こえる。私は彼に背を向け、冷蔵庫からペットボトルの水を取りだしてグラスに注いだ。
 立ちあがったタッ君が灰皿を流しに置き、私の顔をのぞき込む。顔をそむけると、手に持ったグラスがぐいっと強引に奪われた。振り返ると、微かな外の明りに彼の顎のラインがくっきりと陰を描く。
 タッ君はあおるようにその水を口に含み、灰皿と同じように流しの中にグラスを置いた。私は頬を両手ではさまれ、目の前には彼は顔が近付いてくる。タッ君の唇が私の唇と合わさり、彼は口移しで水を飲ませ――ようとしたらしい。
「だーっ。マイコ、ちゃんと口開けよ」
 放心状態の私の口にはほんの数滴しか水は入らず、だらだらと流れた生ぬるい水は口元を伝ってパジャマを濡らした。
 その姿を見たタッ君はふっと吹き出して肩を揺らし、自分の手にかかった水をごしごしとTシャツで拭った。私は、笑う気にはなれなかった。気持ちと状況が上手く噛み合わなくて、タッ君が何を考えてるのか全然分からない。
「タッ君、欲求不満なの?」
「欲求不満かも。マイコ、どうにかして」
「ばかじゃないの。したいだけなら風俗でもどこでも行けばいいいじゃない」
 ひとつの可能性、それを頭に思い浮かべるのが怖かった。タッ君は、私のことを――。けれど、それを期待してあっさり否定されたとき、今までと同じ態度でいられる自信がない。
 あんなにあからさまにセックスセックスと口にするタッ君が、私に特別な感情を持っているとも思えなかった。タッ君の言葉は大概ノリで、それは楽しくて好きだけど、セックスまでノリでする気はない。それをしてしまったら、本当に関係は終わってしまう。タッ君は続くと思っているのかも知れないけど、私はそんなに割り切ってもいないし、器用でもない。もし万が一タッ君が私を好きだとしても、今更どんな顔して二人でこの部屋にいていいか分からない。
「やっぱ、ダメ?」
 タッ君の声は、いつもの軽いトーンだった。友達のノリのまま、あっさり関係を変えようとするタッ君が腹立たしかった。
「どうして急にそんなこと言うの?」
「急じゃない。いつも言ってた。何回も言った」
「冗談だったじゃない」
 たしかに、とタッ君は少し考える素振りを見せる。でもそれは、フリ。その仕草は、彼のなかでもう答えが出ている時のサイン。そして、反論するためのちょっとした準備の時間。
「でも、最初は冗談だったけど、途中から半分くらいはマジだった」
 半分って、と呟きとともにため息が漏れる。
「最後まで聞けよ。俺だけここに泊まるの、かなり意識してんだよ、これでも」
 ふと、片付けられたテーブルを思い出す。あれも意識の結果だろうか。
「マイコとしたかったし、今もしたい。でも本気で言ったら元に戻れなくなる気がして。マイコはそんな気全然なさそうだし、無理してどうこうしなくても今のままでいいかなって思ってた。でも、さっき起きたらマイコいないだろ。それで、なんか……」
「意識してる相手に、あんなに軽くセックスセックス言うかな、普通」
「急に言わなくなったら逆に意識してるみたいだろ。二人になったとたん如何にもそんな雰囲気になるの嫌じゃん」
 意味の分からない言い訳をしながら、タッ君はさっき流しに置いたグラスに水を注いだ。一口飲んでから、そのグラスを私に差し出す。私が受け取らずにいると、諦めて流しの脇に戻した。ガラスと古びたステンレスのぶつかる擦れた音がざらりと心を撫でる。
「……ミコちゃんって寝言いったのに」
「憶えてないし、夢なんて誰でも出てくる」
 だから、とタッ君は距離を詰めて、私のパジャマのボタンに手をかけた。見下ろした自身の胸元の光景は他人事のようで、妙に現実感がなかった。タッ君の視線は、水に濡れたパジャマの染みに注がれている。肌にペタリと張り付いた布は、くっきりと素の体のラインを描いていた。
 不意に自分が滑稽に思えた。トオルが泊まっていた頃、ブラトップをパジャマの下に着て体のラインが出ないようにしていた。タッ君だけなら別にいい、そう思って下に何も身に付けなくなったのは、馴れ合いだっただろうか。そこに彼を誘う意図が全くなかったとは言い切れない。事実、私は彼に触れられたいと思っているし、この肌に張りついた冷たいパジャマを脱がせて欲しいとも思っている。
「ねえ、本当にするの? そのあと普通にタッ君と友達でいるなんてできないよ」
「じゃあ、友達、辞めるか」
 すとんと足元が抜けたようだった。私がどれだけ今までの関係にしがみついていても、相手がそれを放り出してしまえば、しがみつく場所なんてない。
 私が俯いたのを、頷いたとでも思ったのだろうか。タッ君はさらに私との距離を縮め、濡れた服の上から私の胸に触れてそっと力を込めた。
 彼の手の動きに合わせて体が求める欲望が大きくなる一方で、気持ちだけが立ち止まったまま、どんどん体と心の距離が広がっていく。首筋に触れた彼の柔らかな唇の感触で、なぜか諦めのような感情が胸に広がった。
 はだけたパジャマの隙間から、濡れて冷えた体の表面に彼のあたたかな素肌が触れる。
ふと、一度も聞かせたことのない、漏れるような声が小さな台所に響いた。
 ――あ、終わった。
 そう思った瞬間、休むことなく動きつづけていたタッ君の手が、ピタリと止まる。
「俺の知らないマイコ、発見」
 ニヤリと笑った彼の顔はいつもと同じで、けれど、彼の頬と息には熱が込もっていた。
終わらなければ知ることのなかった、タッ君の顔。
「マイコ。やっぱり、ベッドはシャワー浴びてないとだめ?」
 聞きながら、彼はようやく思い出したかのように唇を近付けてきた。それが重なる直前に、ダメと口にする。重なった唇に全てを委ね、私は満たされるものと消え去っていくものを感じる。途中で「リベンジ」とグラスの水を口に含んで、タッ君はまた口移しをしようとした。さっきより口に入った量は多かったけど、やはりほとんど溢れてしまった。
「まいこー」
 呆れたような声で、タッ君は濡れたTシャツを脱ぐ。薄闇の中で、それは、どう見ても男の人だった。見下ろすと、自分の女の肌が露わになっている。
「終わったね」
 そう呟くと、タッ君は私を抱き寄せて「なにが?」と聞いた。
「なんだろう。すごく大切だった時間。もう、戻れない気がする」
「マイコは、戻りたい?」
「分からない。でも、なくなるのは辛い」
 タッ君の手が私のうなじを撫で、体をすっぽりと包み込む。
「トオルに彼女が出来たろ? もしマイコに彼氏が出来たらどうなるのかなって考えた」
「私に彼氏?」
「十分あり得る話だろ? ぼんやり今まで通り過ごしてて、ある日突然俺以外のやつのせいでマイコとの関係が終わるくらいなら、俺が自分で変えたかった。それで関係がおかしくなっても、終わっても、他人任せよりも納得できる」
「彼氏なんて簡単に出来ないし、出来てもタッ君とトオルは特別だよ」
 見上げたタッ君の顔は少し淋しげだった。
「マイコは、俺に彼女できても平気?」
 寝言を聞いてしまった時の感情が胸によみがえり、目を閉じて深くタッ君の腕に身を沈めた。
 やだ、そう呟いた声は小さくて聞こえなかったかもしれない。けれど、きつく触れ合った肌の感触で私の気持ちは伝わったようだった。
「はじめよ。トオルのいない二人の関係」
 私の頭に顎をつけたタッ君の声が、響くように頭のなかにじわじわと広がる。私はただ彼の胸のなかでうなずいて、置いてきぼりだった気持ちが少しだけ体に追いついた気がした。


 タッ君と初めて二人で寝転がったシングルベッドは思った以上に狭苦しくて、朝目覚めるとすぐ目の前に彼の鎖骨があった。
 手を伸ばして確認した目覚まし時計は九時四十五分。
 壁を背にベッドの上で上半身を起こし、テレビを点けるとローカル情報番組のオープニングテーマが流れ出す。手を伸ばせば届く場所で、タッ君がうーんと腕を伸ばして目を開けた。
「あれ、マイコ何でパジャマ着てるの」
「だって、お腹冷えるもん」
 私は彼の露わになった上半身を意識しないように、じっとテレビに目を向けていた。タッ君はむくりと隣に体を起こし、馴れ馴れしく抱きついてくる。
「ちょっと、せめて下着くらい着てからにして」
 チラリと彼を振り返ると、タッ君はニヤリといつもの笑みを浮かべる。そして下半身にかかっていた布団をばさりと勢いよく剥がした。慌てて顔をそらすと、後ろでケラケラと笑う声が聞こえる。
「マイコ、悪いけど、俺パンツ履いてる」
 そおっと後ろを確認すると、たしかに隠すべき場所はきちんと下着で隠されていた。
「何で履いてるのよ」
「だって、お腹冷えるもん」
 からかうように口を歪めるタッ君を睨むと、彼はごめんと言って軽くキスをした。
 一晩で濃厚に絡み合った体は、軽いキスを挨拶くらいに認識させる。彼の表情に昨夜のような熱はなく、それだけ見ていれば関係は何も変わっていないようにも思えた。
 ――何が変わったんだろう。何が終わったんだろう。
「マイコ、どうかした?」
「ううん。なんでもない」
 着信音が鳴り、タッ君が「トオルだ」と呟いてスピーカーに切り替える。最近よくある朝の光景だった。
『タク。ライン見たぞ。かなり驚いた』
 タッ君が私の顔を見て舌を出す。
「トオルに報告しちゃった」
「えっ……」
 報告したと言われても、一体何をどう報告したのか、動揺する私の顔をタッ君は楽しそうにながめている。
「変な事は言ってないよ。な、トオル」
『つき合い始めたってライン来たけど。おまえら、前からつき合ってたんじゃないの?』
 トオルの思わぬ言葉に、二人で「はぁ?」と間抜けな声を出す。
『ミコちゃんが、絶対二人はつき合ってるから邪魔しないようにさっさと帰れって、前に怒られたんだ。二人見てたらそうなのかって納得しちゃって。何、違ったの? 隠してた訳じゃないの?』
 スピーカーでくぐもったトオルの声に、ミコちゃんの声が重なる。
『お二人、ラブラブオーラ出まくりでしたよ。あれでつき合ってなかったとか、なしでしょ』
 ベッドの上のスマホからは、ミコちゃんのよく通る声が次々に飛び出してくる。それを間に挟んで、タッ君と目を見合わせた。笑いがこみ上げて、電話の向こうにそれが伝わっていく。
『ほらー、いっつもそうやって二人で笑ってる。私も今度まぜて下さい。ダブルデートしましょう』
 了解、とタッ君が答えると、ようやく混沌とした通話は終了した。
「はじまったのは昨日じゃなかったのか」
 タッ君の声で、私は今まで一緒に過ごしてきた時間を思い返す。
 ――いつから?
 思考を遮るようにタッ君が口を開いた。
「まあ、いっか。それに、新しく四人の関係がはじまるみたいだ」
「よかったね。ミコちゃんの営業用スマイルが見えるよ」
 つい口をついて出た言葉に、タッ君はニヤリと笑う。
「その前に、マイコの嫉妬した顔が見れた」
 いつもと変わらないはずの彼の表情に胸が疼く。そして、触れたいと思うこの手を、躊躇うことなくそっと彼にのばした。


end

あいまいなカンケイ

あいまいなカンケイ

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日 2020-06-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted