マネキンを担ぐ

文学猿

マネキンを担ぐ

マネキンを担ぐ

夜、僕らはそれを実行した。

廃業したデパートの服飾品売り場には、商品を剥ぎ取られた大量のマネキンが、今なお敬虔に起立したままでいた。
彼女はそんな暗い売り場をマネキンたちに鋭い視線を向けながら一周した。

そして、
「このヒトとこのヒトにするわ」と彼女は二体のマネキンを指さしながら、確信に満ちた声で言った。

そう言った彼女は既に、自身が最初にゆび指さした方のマネキンを持ち上げようとその脇の下に手を掛けていた。

僕は彼女が二番目にゆびを指したマネキンを見た。男のマネキンだ。身長は180センチ近くあり、試しに身体の前方で抱きしめるように抱えると、僕の視界は塞がれた。これではとても運べそうになかった。

「担ぐのよ」とそれを見た彼女が僕に言った。彼女は既にマネキンを肩の上に担いでいた。彼女のマネキンは肩の上で気を付けの姿勢でもとっているかのように真っ直ぐになっていた。

彼女の肩の上でマネキンの足がピンと伸びている。
彼女は僕がそうしたのを見て、出口に向かって歩き出した。

マネキンは木製とはいえ結構な重量があった。それでいて明確な重心というモノがない。ないからバランスが取りにくく、ひどく運びづらい。
一歩踏みだすたびに、僕の目の前で一直線に伸びていたマネキンの足がグラグラと揺れた。暗いフロアの中で肌色のそれは鈍く光った。
耳に肩に乗せたマネキンのヒンヤリとしたみぞおちが触れ続ける。僕はツルツルしたマネキンが肩からズレ落ちそうになる度に、位置を変えるように担ぎ直した。僕の前を歩く彼女は特に苦労する様子もなくスタスタと歩いている。それでも彼女のマネキンの頭は彼女が歩くたび、微かに震えていた。
 

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僕が彼女を初めて見た時、彼女は黒いハイヒールを履いていた。そしてダボダボで真っ白なパーカーを着ていた。彼女は毛先だけを緑色に染めていた。鮮やかな緑で、残りの黒髪が艶やかだった。

彼女の履いているハイヒールは時折、グラグラと大きく揺れた。
電車の中だった。
虚ろな目をした男が突然、彼女に大声で言った。

「かとうさんがかとうさんがたいへんなことになってしまうみんなにいじめられてこっぴどくきずつけられてどこにもいけないままずっとひどくなきつづけることになってしまうだれかだれかそんなかとうさんをたすけてくれよ」

周りの乗客がギョッとした様子で男の方を遠慮がちにチラリと見た。

男は脈絡もなく突然そう言ったように見えたし、男は彼女の知り合いであるようには見えなかった。男の口調からはどこか不安定な精神疾患的なものが読み取れた。
 
もう一度、男が
「かとうさんが/かとうさんが/たいへんなことになってしまう/みんなにいじめられてt/こっ
ぴどくきずつけられて/どこにもいけないまま/ずっとひどく/なきつづけることになってしまう/キミが/そんなかとうさんをたすけてくれよ」と淡々とした口調で言った。男の目は彼女のコトを確かに見ていた。

そして、

「加藤さんが、加藤さんが大変なことになってしまう。みんなに虐められて、こっぴどく傷付けられて、どこにも行けないまま、ずっとひどく泣き続けることになってしまう。誰か、そんな加藤さんを助けてくれよ」
と言っていた。

が、
 
男の周囲にいた乗客は後ずさるようにして隣の車両に移っていった。やがて、その動きは車両全体に波及していった。
なおも彼女は男の前に立っていた。男の目を覗き込むようにして、彼女は男と向かい合っている。
電車が大きく揺れると、彼女のハイヒールもバランスを失ったコマのようにグラグラと揺れた。それでも彼女は吊革には掴ろうとせず、肩を器用に傾けるようにして体勢を安定させた。
 
そんな彼女の様子を見ていた僕は、すっかり隣の車両へと移動する機会を逸してしまった。なにしろこの車両にはもう僕を含め三人しか残っていなかったし、両隣の車両の乗客たちはこっちに来るな、と鋭い目線を僕に向けているような気がした。
 
場違いな電車の走行音が車内に大きく響き、車窓からは直射日光が差し込んだ。彼女の緑色の毛先はその光を透過してガラスの欠片みたいにして光った。
 
それからの男は何も口にしなかった。
 
ずっと、二人はお互いの目の奥を覗き込んでいるように見えた。二人の間には言葉を交わさずとも、とでも言うような親密さがあるように思えた。彼女が男に対して、療養としての何かを与えているような気もした。


それでも結果としては、男も彼女も一言も言葉を交わさないまま、全てにケリが付いた。

列車が駅に到着すると、ホームに並び列車の到着を待ち構えた乗客たちがこの車両に乗り込んできた。彼らは車両があまりにも空いていることに気づき、一瞬訝しげに眉をひそめたがそれだけだった。すぐに彼らは列車に乗り込んできた。


僕は一瞬のうちに車内を埋め尽くしてしまった彼らの中に、緑色をした彼女の一部を見つけた。それは列車を降りようとしていた。僕の足は反射的に列車の出口へと向かっていた。

そして、彼女のあとをつけていた。


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僕らはマネキンを運搬するための車も、マネキンを入れるための袋も用意していなかったので、そのデパートを出たあとでもなお、マネキンを肩に担ぎながら歩き続けていた。

その頃には僕もマネキンの不安定さにすっかり慣れてきていたので、彼女のように背筋をピンと伸ばして、確かな歩調でマネキンを運べるようになっていた。

真夜中の街にあっては、色々なものが少しずつ特殊な色合いを持っていた。家々の窓は暗転した液晶のように暗く沈み、街灯の白い光は手術室のライトにも似た清潔さを帯びていた。

歩くたびに僕らの履いた二組のスニーカーのゴム底が歪んだ音を立て、路地に響いた。真夜中の街の雰囲気は僕らがさっき抜けてきたデパートの地下駐車場の空気を思わせた。少し湿っていて、コンクリートの匂いがする。

その中で彼女は、白い花の刺繍が入った黒いワンピースに白いジーンズ地のスニーカーを合わせるというフォーマルな装いをしていた。
路地裏に棲む黒猫から見て彼女は、厳粛に死者を見送る葬列の一員にでも見えたと思う。
彼女のアパートメントに向かう道中、僕らはそんな風に口をつぐんで歩いていた。


歩いていると、目の前の曲がり角から一台の車が現れた。黒塗りのセダンだ。それは重低音的なエンジン音と共にゆっくりと、僕らの方へと近づいてきた。


僕は曲がり角からそのシルエットが現れた瞬間、震え上がるほどに驚き文字通りビクリと飛び上がった。僕はデパートに侵入する間も、侵入している最中もずっと警察官のことを考えていたし、今も彼らによる職務質問を恐れていた。
その肩のマネキンはなんですか?と彼らは問うだろう。その時、僕は一体何と言えば……。

けれども、そのセダンは警察のモノであるとはとても思えなかった。だって透けてしまいそうなほど丁寧に磨き込まれていたし、窓には覗き込み防止フィルムさえ貼られていた。
そのセダンが警察のモノでないと知って、僕は本当に安心した。警察でないのなら、誰が僕らのこの行為(マネキンを担いで歩くという行為)を咎められるのだろうか。

彼女はあの黒いセダンが登場するまで、堂々と僕の前を歩いていた。誰かに見つかる事も警察さえも恐れていないように見えていた。
が、彼女の後ろ姿を見ると、彼女は見るからに怯えているようだった。
彼女の肩も腕も震え、マネキンの足もそれに連動して細かく震えていた。歩き方も妙だった。

彼女は怯えている。

そのセダンは近づいてきて、僕らの横を通りかかる。横側の窓にもやはりフィルムは貼られていて、こちらからは中が覗き込めないようになっている。僕は中に乗っている人に気づかれないように横目でそっと窓を見た。窓には僕らの横顔が映っていた。その窓も電源が切れ暗転した液晶のように見えてはいたが、その奥に何かの視線を感じた。

何かが窓の向こうにいて、じっと僕らのことを見ている。彼らがセダンの中で話しているその話し声さえ聞こえる気がした。

セダンは歩くのと同じくらいのスピードでゆっくりと僕らの横を過ぎていった。
通り過ぎるあいだ、セダンはその特徴的なエンジン音を響かせ続けていた。

結局、彼らは何もしなかった。彼らは夜の暗さを吸い取るようにして辺りに溶け込んでいた。そのフォルムだけがのっぺりと光った。
彼らが行ってしまいT字路を曲がって見えなくなると、彼女は膝から崩れ落ちるようにしてヘナヘナとしゃがみ込んだ。
僕は立ったまま、そんな彼女の様子を眺めていた。彼女に対して何も声を掛けなかったし、なぜ怯えていたかということも訊かなかった。
周囲の空気にはまだ、あのセダンのエンジン音による振動が残っている気がした。



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彼女は十分ほど歩き、遊具がいくつかある(ジャングルジム、鉄棒、シーソーとか)公園に入っていった。その公園の周りは住宅地でシンとしていて、彼女以外の人の気配はしなかった。彼女の後をつけてきた僕は、公園の外から彼女のコトをボンヤリと眺めていた。後ろめたい事をしている、という意識はなぜか微塵も無かった。
 
見ていると、彼女はベンチに座ってハイヒールを脱いだ。そして、スッと立ち上がった。
 
彼女は数歩歩いてベンチから距離を取る。両手の指にはハイヒールをぶら下げている。
そして、一度だけクルリと回ると、彼女は何かに集中するようにうつむいた。ハイヒールが何かの拍を取るみたいに揺れている。
 
ハイヒールを両手に、彼女は踊りだした。
 
初めのうち、僕は彼女のそれが踊りであるという事に確信は出来なかった。何しろ音楽なんかは流れてなかったし、彼女のしていた動きというのは飛び跳ねたり地面を転がったりで、なんだかとても出鱈目なものに見えていたからだった。
けれども、彼女が意図的に動きを緩慢にすると、時間の流れが淀み固まったように感じたし、彼女が素早く動くと、時間が細かく分節されてしまったかのような息苦しさを感じた。彼女の身体のそれぞれの筋が、骨が、別々の意識を持って動き出したかのように彼女は激しく動いた。彼女が内側からほどけてしまいそうにさえ思えた。彼女の手につままれたハイヒールたちも彼女のそんな踊りにおいては意志を持って活動しているように生き生きとして見えた。
 
僕の見る限り、周りに人は誰もいなかった。けれども、彼女は誰かに何かを伝えるためにそんな動きをしているという気がしていた。そこには怒りがあり、悲しみがあり、喜びがあるような気がした。
 
それでも彼女の動きは徐々に緩慢になって、最後には完全な静止として幕を閉じた。
 
彼女はその初まりの時と同じように、うつむいていた。ハイヒールも同じように揺れていた。
 
彼女はゆっくりと顏を上げ、こちらを振り向いた。そして僕を見て、こちらに来るように、とハイヒールを持ったまま手招きをした。
僕はおずおずと彼女の方に向かった。膝が軽く震え、心臓がバクバクと音を立てていた。
彼女は僕に気が付いていたのだ。
 

「なんでキミはここにいるの?」と僕が傍に来るなり彼女は訊いた。意外なことにその声は僕を叱責するような口調ではなかった。けれども、もちろん僕はそのままを答える訳にはいかない。
 
「この時間、公園を使う人なんているはずないのに」と彼女は言い公園の時計を見た。
 
時計はピッタリ正午を指していた。
 
「キミ、お昼ごはんは食べないの?」と彼女はさらに僕に訊いた。親密さを持った声だった。まるで僕が彼女の踊りの一部始終を見たことにより二人の間の親密さが高まったみたいに。
 
声の感じと雰囲気からして彼女は僕と同年代らしかった。
「あれ?キミ今日、ここじゃないどこかで私と会わなかった?」と彼女は首をかしげて畳みかけるように僕に訊いた。でも僕はどの質問にも答えることが出来なかった。どれの裏にも後ろめたい答えがあった。

それで僕は黙っていた。

「なんか怒らせるようなことした?」と彼女は心配そうな口調で訊いた。彼女の睫毛が少し下を向いた。
そして、
「ごめんね」とだけ言った。

「これで最後なんだけど、マネキンを手に入れられるようなツテ、持ってない?マネキンがね、二体欲しいの」
 


アパートメントに着くと、彼女はマネキンを担いだまま片手で器用にポケットから鍵を取り出し、部屋のドアを開けた。
彼女は無言のまま部屋に入っていった。電気も付けない。

僕は暗がりの中で靴を脱ぎ、足音を立てないようにして彼女の後に続いた。小さな声で「おじゃまします」と言ったがその声は全く響かず、彼女も何の返事もしなかった。

部屋はひどく散らかっていて、エナジードリンクの匂いがこもってムシムシとしていた。彼女はマネキンを肩から降ろすと、ベッドの上に寝かせた。
マネキンを降ろしてしまうと彼女は黙ったきりで、何かを言いだすような雰囲気すらなかった。ので、僕は仕方なく彼女にならってマネキンをベッドに寝かせた。

マネキンが二体、ベッドの上に横たわった。僕らは無言のまま、それを見下ろしていた。
カーテンの隙間から、ほんの少しだけ街灯の白い明かりが部屋に漏れる。緑色に染められた彼女の毛先がその光を通した。

壁の中から隣の住人のいびきが小さく聞こえた。
僕は右肩に、やけに偏った肩凝りを感じた。その凝りは僕の中に内在していた不整合感に伴って、ある種の苛立ちへと変質していった。その苛立ちは消化不良の熱源のようにして僕の皮膚に張り付いていた。特に手のひらにそれが強く感じられ、僕は思わず両手を固く握りしめた。爪が手のひらにキツク食い込んだ。

彼女は黙り込んでベッドの上のマネキンを見続け、隣の住人のいびきは規則的に鳴り続けていた。鳴りやむ気配も無かった。



僕は頭の中で、空想として、
彼女の右頬を殴った。
殴ってしまうと彼女からはセロリ、のような匂いがする、という気がした。
彼女の身体のセロリで出来ている部分、その茎をポッキって折ってしまったような罪悪感があった。その罪悪感にも新鮮なセロリの匂いがした。
殴られた彼女は本やら雑誌やらで散らかった部屋に腰を打ち付け、横たわる。殴られた右頬を押さえている。やっぱり、彼女の緑色の毛先が光を通してボンヤリと光る。彼女の表情は全く見えない。逆光になっているからだ。
きっと僕はそこで手を止めて、立ち尽くす。どうすれば全てが丸く収まると?

彼女は床に膝をつくと、手前のマネキンに顔を近づけた。当然のことながら、マネキンはピクリとも動かない。動かないでいるマネキンの額に彼女は自分の額をくっつけた。彼女の髪がハラリと垂れて、彼女の頬を覆い隠した。

僕はふと、さっきマネキンを担いだとき耳に感じたあの冷たい感覚を思い出した。
ヒンヤリと、
彼らは今、冷たさを共有している。あるいは、熱を。

そう考えると僕は傍から何かの儀式を見ているような感覚になっていた。儀式の背後で隣人のいびきが聞こえている。
僕の手のひらは爪が食い込む痛みに慣れつつあり、それに応えるようにして僕の拳はさらに強く握りしめられた。

彼女はマネキンに額を合わせたまんま、しばらく動かなかった。彼女は静かに主人の死を悼む従者のようにも見えた。

僕はというと、立ったまま、見当違いの方向に曲がったマネキンの足の指先を眺めていた。

彼女はやがて顔を上げた。それに気が付いた僕は彼女の方を見た。彼女がスッと立ち上がった。僕の首筋に彼女の手がそっと添えられる。

彼女はごく自然な動作で、僕と額を合わせた。あのマネキンにしたのと同じように。

ゴツン、と額が合わさる、小さく、低く、鈍い音が頭の奥から響いた。僕は彼女の頭が持つ重みを感じた。彼女の額はマネキンみたいに冷たかった。そして、微かに震えていた。彼女の肩も(身体を近づけないと分からないほどであるにしろ)まだ微かに震えていた。
彼女はまだ彼らに怯えているんだ、と僕は思った。

僕は両手の拳を開いて、彼女が僕にしたのと同じように、両手を彼女の首筋に回した。彼女の首筋は細く、今にも折れてしまいそうだった。それでも、彼女の首筋にはハッキリと、血の通った温かさがあった。彼女のその首筋もやはり微かではあるが震えていた。
しばらくそうしていると、彼女と僕の体温は混じり合い、均一になった。
僕らはしばらくそのままでいた。

いびき。

彼女は僕から額を離すと、床のどこからかヘアゴムを拾ってきて髪を束ねた。やっぱり彼女の表情は見えない。でもとにかく、彼女の震えは今では完全に収まっていた。

僕は彼女の横顔のシルエットを見ることが出来た。丸みを帯びた鼻ずらがその中に飛び出し、一対の唇がその丸みを下へと引き継いだ。睫毛が上を向いている。睫毛の曲線はとこまでも力強くしなやかである種の生命力を湛えていた。彼女の目の表面に光る、白い街頭の反射も見えた。

それを見て僕は、今もまさに、どこかで虐められ傷付けられているであろう加藤さんのコトを考えていた。
あの男は結局、誰かの力を借りられたのだろうか?それとも自力で加藤さんを助けたのだろうか?


ベッドの奥に押しやられたもう一体のマネキンは僕らからそっぽを向いていた。


彼女は二体のマネキンに頭から毛布を被せた。そして、毛布の上からポンポンと優しくたたいた。僕は毛布越しにマネキンに触れる彼女の手の甲を黙って見つめていた。白い街灯の光が彼女の手の甲を照らし、彼女の手の甲はほっそりとそれを反射した。


そして僕らは、めちゃくちゃ

Fin.

マネキンを担ぐ

マネキンを担ぐ

女の子と一緒に、廃業デパートにマネキンを盗みに侵入し、その戦利品であるところのマネキンを担いで街中を歩く話です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-05-26

Copyrighted
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