おしゃべりとまとまと
おしゃべりとまとまと
「もう少し甘くて、酸っぱくなくて、野菜っぽくなくなってくれないかしら?」
わたしは、フォークの先端でミニトマトを突きながら、話しかけてみた。真ん丸で小さなミニトマトが、するするとお皿の上で滑る。フォークを刺そうとすると逃げるから、ミニトマトだってきっとわたしに食べられたくないんじゃないかしら。
「そうしたら少しだけあなたを愛せるかもしれないのに」
わたしは、マミィが見ていたドラマで覚えた台詞を口にしてみる。こうやってミニトマトに話しかけているのは、わたしとミニトマトの二人だけの秘密で、マミィに見つかっちゃいけない。
――ねえねえ、アンちゃん
「なあに、ミニトマトさん」
――僕を愛しておくれ。僕を愛して、美味しい、美味しいって食べておくれ
わたしも可愛いミニトマトさんを美味しい美味しいって思いながら食べてあげたいけれど、それはできないの。どうしてもわたしはトマトが苦手なの。
――どうして? 僕はアンちゃんのことが大好きだよ。
だって。だって。
「しゃべるトマトなんて食べられるワケないじゃない!」
「アン、いいから早く食べちゃいなさい」
マミィの怒声が響いた。
◇
わたしはトマトのお皿と睨めっこをする。
ミニトマトを一つだけでも食べれたら、遊んでもいいらしい。一つだけ、頑張ってみなさいとマミィは言う。その一つが食べられないから、わたしはこうやってミニトマトの様子を伺っているのに。いつの間にかポン、と無くなってくれないかしらと目をつむって祈るけれど、目を開けても同じようにミニトマトがこっちを見てくる。
――アンちゃん、アンちゃん
「なによ」
――噛まずに飲み込んだら、きっと大丈夫だよ
「いやよ、そんなの」
こんなに大きな玉を飲み込めるわけないし、飲み込んで喉につっかえたら、苦しくて死んじゃうかもしれないじゃない。
――それじゃあ、味がわからないくらい、ちょっとずつ食べてみない?
「それも、いや」
ちょっとずつでも、トマトの味がすることをわたしは知っているんだもの。何回も何回もトマトの味を感じなきゃいけないなんて、わたしはいや。
マミィがミニトマトを半分にしてくれた。半分だけでもがんばったら、ぶどうジュースを飲んでもいいって言うけれど、半分になったトマトだっていやだ。
切り口から見える、あのぐちゅぐちゅの部分。あそこの味がいやなのに。あの部分が目で見えると、味を思い出してしまうの。だから切って欲しくなかったけれど、丸々一個食べるのも嫌だ。
◇
わたしがミニトマトとにらみ合っていると、ひょこっと、ノリくんが現れた。
ノリくんは隣に住んでいる高校生。わたしが大きくなったらノリくんのお嫁さんになる約束をした。ノリくんは春から大学生になって、東京で一人暮らしをする。
明日には東京へ引っ越して、しばらく会えなくなっちゃうらしい。
「アン、おはよう。トマト食べてるの? えらいね」
彼はわたしの頭を撫でてくれる。甘やかさないで。わたしだって、夏にはおねえちゃんになるんだから。
夏に生まれてくる弟のヨッちゃんに、おねえちゃんらしいところを見せるんだって決めたの。
「ミニトマトさんがね、食べないで欲しいって逃げるんだよ」
「そうかな? 僕にはトマトが『食べて』って言っているように見えるなあ」
わたしはフォークでミニトマトを突いて見せる。どうしてもミニトマトが逃げるの、わかるかしら。
「ほら、ミニトマトさんが逃げるの」
「よし、僕がとっ捕まえてあげよう」
と言って、ノリくんはわたしのフォークを使って、簡単にミニトマトを捕まえた。
「ほら、あーん、だよ」
ノリくんはずるい。こうすれば、わたしが苦手なものを食べるって知っているのだもの。
「そんなことされなくたって、わたし食べられるもん」
わたしはノリくんの手からフォークを奪い取って、勢いだけでトマトを食べた。いやな味が口の中にいっぱいある。
わたしはおねえちゃんになるし、ノリくんのお嫁さんになる。だからトマトだって食べられる。美味しいとは思わないけれど、大人のレディになるのだから、わたしは我慢してでも食べる。ちょっと背伸びしてでも、素敵な大人にならなきゃ。
◇
「アン、苦手なトマトを無理して食べているでしょ」
「ううん、わたし、トマト食べられるもん」
わたしはちゃんと苦手なトマトが食べられるようになるから、ノリくんは安心して東京に行ってね。大学のお勉強、頑張ってね。
ちょっと膨れたわたしを見て、ノリくんはいたずらっぽい声を出す。
「アンちゃん、僕を美味しい美味しいって言って、食べておくれ」
おしゃべりトマトに会えるのは、今日で最後だもん。
わたし、ちゃんと食べられるようになるからね。
おしゃべりとまとまと