シーソーに

文学猿

双子とシーソー

「シーソーの上」

 男が一人、シーソーの中心に立っている。シーソーは地面と平行になって、ピタリと静止している。
 
 立っているのは細身の背が高い男だ。180センチはあるだろうか。背筋はピンと伸びている。
 
 男ははるか遠くを見通すような目つきをしている。その表情は手を滑らせて方位磁針を海に落としてしまった船頭のようにも見える。どこかに島は、灯台は……。
 ただ、ここは公園で辺りは箱のようなビルや住宅に囲まれている。
 もちろん遊具はあるし、子どもが五人で草野球を出来るくらい広い広場もある。ジャングルジムに滑り台、鉄棒。そしてシーソー。
 男を除いて、この公園には人が一切いなかった。誰もいない、無人、閑散としている。平日の正午だからだろうか。幼児を遊ばせるために訪れる母親の姿や、ひなたぼっこをする老人の姿さえ見えない。

 きっと、みんな家でお昼ご飯を食べてるんだ。
 
 男はうつむいて、自分の履いているツルツルとした黒い革靴を眺めると、喪服のようにも見える真っ黒なジャケットに手を突っ込んだ。ジャケットにはキッチリとアイロンが掛けられていて、男がポケットに手を突っ込むと胸元の生地に皺が寄った。男が少しだけ猫背になる。
 
 手にポケットに入れてあったキーホルダーが触れた。中世風の物語に出てくる聖剣を模したような安物のキーホルダーだ。男はいつからかずっと、それを持ち歩き続けている。塗装の銀メッキはとうに剥げ表面はザラついている。

 男が立つこのシーソーはひどく粗末な代物だった。木の板はささくれ、あとの全てが錆びついている。男が回れ右をして、そのシーソーの端に向かって歩き出すと、シーソーは軋むような大きな音を立てた。そして男がある地点に到達した瞬間、シーソーは一気に動き地面に埋め込まれた劣化したタイヤに勢いよく衝突した。それでも男はその歩調を崩さずに歩き続けていた。そして、シーソーを降りた。
 
 男はシーソーから降りると、一旦立ち止まり、公園全体をぐるりと見回した。やっぱり誰もいない。公園に面した道にさえ人ひとり、自転車一台通りはしなかった。
 男は美術館にある現代彫刻を見るような目つきでそれぞれの遊具を眺めながら公園内をゆっくりと歩きまわった。滑り台を横切り、鉄棒をしばらくの間、立ち止まって眺めた。どれも男から見れば、手に取れるほどに小さく見えた。

再び歩き出す。男の手はその間にもポケットの中のキーホルダーを執拗に弄り続けていた。
最後に男はカラフルにカラーリングされた真新しいジャングルジムに目を止めた。男はそれを見て、軽く首を傾げた。眉も少ししかめている。ジャングルジムは男がかつてこの公園で遊んだりしていた頃には無かった物だ。
 
 男がそのジャングルジムに撫でるようにして手を添わせる。
それはとってもつるつるとしていて、太陽光が差し込んでいる昼間の公園とは全く対照的にキン、と冷え切っていた。月光とヒンヤリとした深夜の空気が連想できるくらいに。
 
 ジャングルジムの金属棒が音叉が共鳴するみたいに細かく震えている。真夜中の動物園の檻みたいだった。
 そういうカラフルなジャングルジムも男にとってはとても小さいものに感じられた。事実、彼がジャングルジムによじ登り始めると、わずか数回、足を動かすだけで頂上まで辿り着いてしまった。高さとしては二メーター強といったところだろうか。
 登り切った男は、ジャングルジムの上に腰かけた。
一般的な形状をしたそのジャングルジムの頂上には男が腰かける事が出来るような凸があった。そこに腰かけた男が目を向けた先にはシーソーがあった。シーソーは相変わらず地面と平行になっていて、もちろんそれで遊んでいる人間なんてものはいなかった。男はただじっと、シーソーを眺めていた。

さて、と男は思った。
 そしてそのシーソーの上に遠くを睨みながらそこに立つ、自分の姿を仮定した。
 以下はただ仮定として。

三人組の子供達がシーソーのすぐ脇を通りかかる。
サッカーボールを小脇に抱えた一人目の子供は男の姿に気が付くと、何か不吉な不潔なものを見たみたいにすぐに目を逸す。続いてやって来た二人目の子供は、男の存在なんてものには興味が無いようにあるいは、はなからその存在自体に気が付かなかったような動作で一人目の子供の後をついて行く。二人目の子供は一刻も早くサッカーをしたがっているようにも見えた。
最後の子供はその男の存在に気が付くと立ち止まってじっと、男を見つめた。
凝視している。それでも男はそんな事はどうでもいい、とでもいうようにして遠くを見つめ続けている。実際どうでもよかった。
最後の子供は子供で、男の事を見続けている。それぞれが別々のモノをただ無心に眺め続ける。
どれくらいの時間かは分からないがしばらくその構図は維持される。
―シーソーの中心にピンと立つ男、それをボンヤリと見つめる最後の子供―
ある瞬間に、最後の子供の着ているTシャツの裾が一人目の子供に引っ張られる。最後の子供は舞台上から間の悪い演者が退場させられるみたいにして男の前から姿を消した。最後の子供を引っ張っていた一人目の子供はとても意志の強い目をしていた。何かと戦っているみたいに唇を噛んでいる。男だけがシーソーに取り残される。広場からは元気で陽気な声が聞こえる。子供三人分の声だ。

あるいは、と男は思った。
高校生のカップルでもいいだろう。

2人は何か話をするために公園のベンチに腰かけようとしている。穏やかで希望に満ちた話だ。けれどもベンチまでの通り道にシーソーの上に立つ男がいる。
最初に男の存在に気が付いたのは彼女の方だった。
彼女はシーソーの上に立つ男を一目見ると、少しだけ男のことを恐れたような困惑したような表情を浮かべた。そして彼氏の影に隠れるようにして、彼氏を盾にするようにして、彼女は彼氏の腕にそっと掴った。
彼氏は彼女が突然、自分の腕に掴まってきた事に気が付き、一瞬だけ困惑というか照れるようなまんざらでもないような表情をした。しかし、シーソーの上に立つ男の存在に気が付くと彼氏はガラリとその表情を変えた。
もちろん男はピン、とシーソーの上に立ったまま遠くの方を眺めているような目つきをしている。
それを見て、彼氏は強い意志や覚悟やらを湛えたような表情をした。つまり、お前は俺とは違うんだぞ、とでもいうような。心なしか彼氏の背筋が伸びる。
けれど、その裏には焦りや不安があった。男にはそれが手に取るように分かった。彼氏が裏で抱え込んでいる感情、感覚、感性が手に取るように分かった。それらは全て、裏の裏まで知っているモノだった。
男はピンと立ったまま、自分のことを執拗に睨んでくる彼に対して素知らぬふりをして遠くの方に視線を固定していた。が、いっそ彼に声を掛けてしまおうかとも考えた。言うのだ、いつか自分がそうされたみたいに。そしてポケットの中のキーホルダーを渡してしまおうか。

けれども、これはどう転んだって仮定の話だった。どこまで行っても舞台上のセットを用いた自問自答でしかない。自分の思考がこの公園を出て発展していく事もない。
男はその顎に生えている無精ひげを触った。上空三メーターから辺りを見回しても、自分の事を不審がるような人間はどこにも見当たらなかった。本当に誰もいない。
よく晴れた空の下、公園は静まり返っていた。広場の隅に生えた誰も種類を特定できないような無個性な樹木は、太陽を浴びながらピクリとも動かず静止している。
雨みたいにして沈黙が音もなく降り、街全ての地面にまんべんなくそれが染み込んでしまったみたいに、ここらは静かだった。こんなこじんまりとした公園にさえ、それは行き届いている。

いつかのシーソーには双子の少女がいた。

以下は仮定なんかではなく、本当に。

双子の少女はそれぞれシーソーの端に乗っていた。シーソーが大き素早く上下する度に、彼女たちのショートカットの黒髪が少しだけ宙に浮かび上がった。

彼女達はシーソーに乗っているのが少しだけ不自然な年齢だった。少なくとも外見からはそう見えた。でも周りは誰も、それを咎めるような視線は寄こさなかった。そういうのって結局、許されるんだ。特にそれがそういう歳の少女たちだと。着ているお揃いの白いワンピースがよく似合っていて、キリッと締まっていて、綺麗だった。
彼女達は真剣にシーソーを漕いでいた。
彼女達はよそ見もせず、ただお互いの顔を見続けていた。シーソーはそのリズムを全く緩めずに上下を続けていた。

公園には多くの人がいた。キャッチボールをしている親子連れ、同級生であろう他の子供とサッカーで遊んでいる小学生、そして幸せそうな高校生くらいのカップル。
なんかもう、全ての模範的な人間が一通り揃っているみたいだった。
シーソーを漕ぐ双子はそんな公園に実によく馴染んでいた。双子の一人は勢いよく地面を蹴り、もう一人は膝を使ってその勢いを殺し、地面を蹴った。なにひとつ無駄は無かった。

一人の高校生がベンチに座ってその光景を見る事も無く見ていた。横には同年代の少女が座っている。凄くかわいいコだ。
ベンチの方にサッカーボールが転がってくると彼はおもむろにベンチから立ち上がり、サッカーボールを追いかけてきた子供に蹴り返してやった。子供はありがとうございます、と元気に言うと仲間たちの元へと帰っていった。
彼はまたベンチに座った。隣には少女。
彼は再びシーソーの方を見た。見ているうちに彼は、その双子がシーソーに乗っている様子が奇妙なものとして自分の目に映っているような気がしてきた。自分の視界の中に縮尺が合わない人間が一人、二人紛れ込んでいるような感覚だった。
それで今度はじっと見た。それに気が付いた彼女は「あの人たちって双子なのかしら?」と彼に訊くようにして言った。
                                                   僕が、そんな事を、知るわけないだろ。
「みたいだね」とだけ彼はやさしく言った。
二人は無言でその双子が乗るシーソーを眺め続けた。双子の姿を見ていると色んな音が遠ざかってしまったような気がした。鳥の鳴き声、子供達がサッカーをする声、親子の会話。彼女が隣で何か言ったのかもしれないが、それさえ聞こえなかった。

双子がシーソーを漕いでいる。
そのシーソーの軋みを風の吹く音の裏に聴き取ろうと彼は意識を深く集中した。それでもただ微かな軋みしか聞こえない。
そのくらい双子は静かに、息を合わせてシーソーを漕いでいた。その様子は、街入道に隠れてこっそりとシーソーで遊んでいるみたいだった。音を立てないように、静かに、静かに。見つかったらヒドイ事になる。そういう真剣さが双子からは滲み出ていた。

軋みに耳を澄ませていた彼は唐突に首を振った。頭の中に浮かんでしまった嫌なイメージに憑りつかれまいとしているみたいだった。彼が目を閉じて視界からシーソーを外すと全てが元に戻った。音も聞こた。
小学生たちはサッカーをし、親子がキャッチボールをしている。

気が付くと、彼女だけが隣にいなかった。
彼は急いで辺りを見回した。でも、そこに彼女の姿はなかった。
心拍数の急激な上昇を彼は感じた。彼は手品のタネを暴こうとするみたいに何度も、彼女が座っていたベンチを見た。立ち上がる。彼は速足で公園中を歩き回った。彼女の姿を求めて公園中を奔走した。といってもそれは一分もかからず終了した。なにせ住宅地の中の公園なのだ。
彼が何かに憑りつかれたような必死な目をして公園を歩き、辺りを見回すと人々は怪訝な顔をして彼を見、すぐに目を逸らした。
彼がベンチに戻ると、彼女は何事も無かったかのように元の位置に腰を下ろしていた。彼女の唇は真一文字に結ばれている。

「どこに行ってたんだ、探したんだ」と彼は彼女に対して言った。
「ちゃんと電話に出てくる、って言ったよね?さっき友達から電話が来たの」と彼女は答えた。そこにはザラザラとした砂のような苛立ちが些細だが含まれていた。二人の間には靴の中に砂利が入ってしまったような雰囲気が流れていた。彼はたった今ポケットに入れたばかりのキーホルダーを、ニコチン中毒の禁煙者が舌で飴を舐めるみたいにして触り続けていた。

僕らはその後いくつかの会話をして別々に帰った。そういう雰囲気だった。

 あの日、シーソーの前を通りかかったあの時、僕は双子たちに声を掛けられていた。

男はじっとシーソーの方を見ていたが、やがて諦めたように髪の毛を手で軽くかき回した。そしてジャングルジムから立ち上がった。一気に視線が高くなる。四メートル弱か。
そこから見回しても、公園に人は一切いない。だから誰も彼のことを見ない。
彼はジャングルジムを降りた。ただし、中心に向かって。そうして彼はジャングルジムの内側に立った。
ジャングルジムの中に入ってしまうと彼は全く身動きが取れなくなった。なにしろ中は小さく狭い。上から中に降りる事は出来ても、中から外に出ることは出来ない。ジャングルジムは子供たちだけのためのものだからだ。だれが百八十センチ以上身長がある男の使用を想定しようか。
彼は足を曲げる事も、腕を動かす事も出来ないほどにピッタリと、ジャングルジムにはまり込んでいた。
 彼は身動きを一切せずにそこに立っていた。首筋に凝りを感じたが、首すらも動かせない。
 彼は眠るように目をつぶった。右手では相変わらずポケットの中のストラップを弄り続けている。
 
 双子はいつの間にかシーソーを漕ぐのをすっかりやめていた。自分の行く手を遮るかのように双子が並んで立っている。
 「こんにちは」と二人が言った。
 「どう?彼女さんは見つかった?」と右の双子が言った。
 「わたし的には見つからないと思うわ。」と左の双子が僕の返事も待たずに言った。
 「えっ、キミはこのまま何もかも上手くいくとでも思ってたの?」右の双子が心の底から驚いたみたいに言った。
 「このまま立派に成長して、大学に行って就職と結婚して、そして家庭でも持てるとでも思ったの?」と左の双子も言った。
 「キミはね、ここに戻ってくるの。そしてね、このシーソーの上に立つのよ」と右の双子がこの世の真理を諭すように言った。
 「このシーソーの真ん中で、背筋を伸ばして、」と左の双子が言った。
 「直立するのよ」と右の双子が言い継いだ。
 僕は双子のことを乾いた、呆れたような眼で眺めていた。双子は全く脈絡の無い頓珍漢なことを言っているように聞こえた。
 「だれもね、逃げられないの」と左の双子が言った。
 「だからね、何をやるにしても、とびっきり静かでいなくっちゃ」と左の双子がどこか楽しそうな口調で続けて言った。
 
 静かでいなくてはならない!?
 僕には何のことだか訳が分からなかった。自分がなにかに追われているとでも?
 とにかく僕は、急にどこかへと消えてしまった彼女を探すためにシーソーの先へ行きたかった。けれどもシーソーの前には双子が道を塞ぐようにして立っている。だから僕は、双子にそこをどいて欲しいと言った。
 
「これをあげる」と右の双子がこちらへ来て、キーホルダーを僕の前に掲げた。僕は反射的に手を出してそれを受け取った。
 それを見ると双子は満足げにシーソーへと戻っていった。
 そしてまた、静かにシーソーを漕ぎ始めた。
 彼女達は本当に静かにシーソーを漕ぐ。
 
 彼が目を開く。公園は相変わらず、昼間の風呂場みたいに静かだった。陽もたっぷりと当たっている。無個性な樹木も動かないまんま。
どこまでも穏やかだった。けれども小学生が遊びに来たり、老人たちがひなたぼっこをし始めるまでにはまだ時間があった。みんなは、まだ家でお昼ご飯を食べているんだ。

 彼は再び目をつむり、ジャングルジムの中で彼らが来るのを待ち続けた。
 もちろん、誰が来ようと男はこのジャングルジムから抜け出せないわけだが。
 男だって、彼らにそんなことは求めていない。
 彼らはジャングルジムの外から、男を遠巻きに眺める。
ある意味、彼はそれを望んでさえもいた。

 Fin.

シーソーに

シーソーに

男が一人、シーソーの真ん中に背筋を伸ばして立っている。 短い作品。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-05-08

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