夜の森と少女と猫と。#2
このお話は「夜の森と少女と猫と。#1」の続編となっています。
前作はこちらになりますのでよろしければどうぞ。
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Prologue #2
昔々。
この『世界』とは違う場所のお話です。
まっくらな何もない場所で大きな爆発が起きてから、ずいぶん長い時が流れました。
赤い星、黄色い星、緑色の星、そして青い星。
たくさんの星が生まれては消え、また新しく生まれてと幾度となく繰り返し、『そら』の様子が落ち着いてきたころのこと。
星々の中でもレア度が高く、希少性からSSレアともいわれる青い星のひとつで、ちょっとした事件が起こりました。
その星は生命を育むという能力を兼ね備えた青い星の中でも、比較的早く胎内に命を宿すことに成功しました。
何かのマニュアル《法則》でもあるかのように、生命の進化はセオリー通りに行われ、やがてヒト型の知性を持つ種族が大地に満ちて。
土地柄や時代背景などによって文化こそ異なれど、着実にこの世界と少し似た、けれどどこか違う文明を築き上げていました。
発展。略奪。戦争。復讐。同盟。裏切り。侵略。停戦。
ちいさな星の上でちいさな小競り合いを繰り返しながらも、やがて文明としてはなかなかに高度なものが出来上がり。
人々が星の上で生まれ死んでいくことだけを考えれば、何の不自由もなく生を全うできるだけの技術力を会得するに至りました。
惜しむらくは、彼らがそこで満足してしまったことかもしれません。
彼らの頭の上にはずっと前から『そら』があったのに、その先へ歩を進めようとする動きはほとんど起こりませんでした。
なぜなら彼らの星は枯渇しようのない資源が無限と思えるほど豊富に溢れていたために、わざわざ星から離れようなんて考える人はごくわずかだったのです。
彼らの星は我が子に対して甘すぎたのでしょうか?
いいえ、そんなことはありません。
青い星は、その胎内で育まれる生命全てを平等に愛さねばならないので、特定の種にだけ肩入れすることはできないのです。
では彼らが『そら』を目指す必要もないほどに、大地に資源をいくらでも生み出し続けられる理由は何だったのか。
それがこの星における『魔法使い』の歴史と、深くかかわっているのでした。
第23話 迷い児
【●】
静謐な広間が幻視されました。
ドーム型に広がった空間は、つなぎ目ひとつない壁に覆われています。
床と呼べる部分は限りなく狭く、足下は一面の水で浸されていました。水深が相当深いのでしょうか、水底は目視できません。
円形のプールに十文字に足場が組まれている、とでも言うのでしょうか。
透明度の高い水に床面積の大半を占められながらも、その足場だけは水面からしっかりと顔を出しています。
十の字の足場の中央部には、何やらちいさな島がありました。
どこか無機質な印象を与えるこの場にはそぐわない、草花に覆われた浮島です。
その場所にだけ天井から陽光が差し込んでいて、島の中央には赤茶けた樹木が、何やら意味ありげに一本生えています。
しかしまばゆい光と豊かな水を受けているにもかかわらず、その枝葉から活力は感じられません。
もう寿命なのでしょうか。その生命は死期を悟り、最後の時をゆっくりと過ごしているように見えました。
「……あら」
そんな無人の空間に、誰かの声が響きます。
「こんなところを覗きに来るなんて、めずらしい」
声の主は木陰で身を休めている、一人の少女でした。
黒曜石のようにつややかな黒髪。日の光をたっぷり浴びた褐色の肌。
その表情は余裕たっぷりで、目を細めていたずらっぽい笑みを浮かべています。
銀髪に病的なまでの白い肌をした夜の森の女の子とは、どこか対照的な少女でした。
彼女はまっすぐに『こちら側』を見つめながら、言葉をつむぎます。
「……昔来た方とは違うみたいね。この風の流れ、覚えがないもの」
その魔女は何かを思案しながらも、値踏みするかのように観察を続けます。
「何を見に来たのか知らないけど、ここには面白いものはないわよ。飽きたらさっさと帰りなさい」
そう言いながら、黒髪の女の子は『こちら側』に手を伸ばしてきました。
「……でもまぁ、久しぶりのお客様だし。見学料として、ちょっと『読ませて』もらうわね」
『あなた』の眼前に褐色の手がぬっと現れます。
夜の森の女の子とは違い、どこかたくましさが感じられる腕でした。
薄茶色の人差し指が何もないところにとん、と置かれます。
そして埃を拭うように、つーっと横滑りしていきました。
左から、右へ向かって。
そして一定の幅のところまで指でなぞり終わると、少しだけ指を下げ、また同じことを繰り返します。
つー、とん。つー、とん。
その仕草は、書かれた文字を指で追っているかのようでした。
「……へぇ」
一通り指でなぞり終わると、彼女は感心したように目を見開きます。
「私以外にもまだ残ってたのね。こんな子がいたなんて、知らなかった」
そういうと、女の子はまっすぐに『こちら側』を見てにやりと笑みを浮かべます。
「あなたはこの子のお目付役ってところかしら? なんならこの子の本性、見せてあげましょうか」
言いながら、ふいに彼女は虚空に手を伸ばしました。
そしてその手の先はあるところを境にして消滅してしまいます。
その挙動は女の子が『魔法』を使う時の動作そのものですが、明らかに違う点として彼女の手のひらは『こちら側』には伸びてきていません。
腕の先は『こちら側』ではない、別の『どこか』に繋がっているようです。
「……記録が閲覧できない。ま、それくらいの処置はしてるか」
どんな『魔法』を行使したのかわかりませんが、その反応からすると望みのものは得られなかったみたいです。
「でも甘いのよ。こんな簡単な封印、こうすれば……」
今度は両手を虚空に伸ばし、その手の先は再びどこかへと消え去りました。
そのまま両腕で何かをこじ開けるかのように力を込めるも、思い通りにいかないのか、顔から少しずつ余裕が消えていきます。
「こんのっ……!」
勢いで何かを無理矢理こじ開けようとした瞬間、空間が弾けました。
バチバチと鈍い破裂音を立てて、虚空から虹色の光があたりに広がります。
火花放電に似た現象でしたが、その原因は電子ではない別の何かのようでした。
「……っ!」
慌てて身を引くも、その腕にはしっかりとやけどの跡が残ってしまいました。
痛みからか眉をひそめるも、すぐになにやら満足そうに笑みを浮かべます。
「ふふ、基礎がしっかりしてる……。どうやらただのおとなしい子ってわけでもないみたいね」
言いながら、褐色の魔女は左手の人差し指だけを『どこか』に差し込み、虚空へ埋没させます。
すると次の瞬間、赤く腫れた肌が逆再生をしたかのように元通りになりました。
やけどを治療したのか、怪我をする前の状態に戻したのか、どちらなのかはわかりません。
「さすが、こんな森を維持してるだけのことはあるのね。複雑な階層化に規定数の歪曲処理をしてるとはいえ、特異点にしてもほどが……」
そこまで独りごちるとハッと何かに気づいたのか、慌てて『こちら側』を振り向きます。
「まさか……」
瞳は確かに『こちら側』を向いているものの、どこか目の焦点があっていません。
彼女の見ているものは、そのさらに先にある『何か』のようです。
「そう……。これが頃合いってことね、姉さま」
誰かに言い訳するかのように、自分で納得するかのように。
「水面に波紋を立てないと、水はただ濁っていくだけ」
そのままゆっくりと後ろを振り向くと、小島の枯れかけた木を無言でじっと見つめます。
やがてふぅ、と揺れた心を落ち着かせるかのように一息つくと、少女は取り繕うように『こちら側』を振り向きました。
「さてと。面白いものを見せてくれたのは感謝するけど、観せるのはここまで」
声のトーンを落とし、先ほどまではとは打って変わった真面目な顔で見つめてきます。
「……ひとつ忠告しといてあげる。『あなた』たちはいつだって、ただ見届けることしかできない。そして、その行為が影響力を持つとは限らない。覚えておくことね」
言いながら、片手を『こちら側』に伸ばしてきました。
視界が眼前に現れた魔女の腕に塞がれ、その表情が見えなくなります。
「きっと、近いうちにまた会うことになる。それまでのお別れよ」
……小麦色の指が、さらさらと『壁』に何かを書き記していきます。
“ 『『ここで場面は変わります』』”
――記されたとおり、『ここで場面は変わります』。
夜の森と少女と猫と。#2