紡がれた意思、閉ざされた思い

紡がれた意思、閉ざされた思い

紡がれた意思、閉ざされた思い


 『火消し部隊』火消し専門の部署

 それは、本来存在してはならない部署。しかし、いろいろな要因が重なり、納期に大幅な遅延が発生したり、重大な問題が発生したりして、急な対応を強いられた時は往々にしてある。そんな時にサポートを行う部署だ。

 部署の性質上、その道のエキスパートが揃っている。そして、一癖も二癖も三癖も四癖もある連中が集まっている。
 会社の中にあるが、組織図には掲載されていない。遊撃隊の様な位置づけになっている。社長が直接管理する部署となっているが、社長に命令権が有るわけではない。

 全ての権限を持ち、この遊撃隊である『火消し部隊』を率いているのが、真辺真一なのだ。

 今年|2F(47)歳になる独身の男性だ。髪の毛は、ほぼ白髪になっているが、禿げていない。身長は中肉中背だと言っているが、仕事の有無での変動が激しい。
 本人曰く、痩せて、髪の毛を黒くして、真面目な表情をして、少し頑張れば、多少見られる容姿になる。という事らしい。

 そんな真辺なのだが、本人は至って普通の会社員のつもりで居るらしいが、変わり者である事は、本人以外の全員の一致した見解だ。

 真辺は、自分は『プログラマ』だと言い張っていて、|SE(システムエンジニア)でも、ITプロフェッショナルでもないと言い張る。
 会社が名刺の肩書に『|SE(システムエンジニア)』と書いたら、その名刺は一枚も使うことなく机の引き出しに放り込んだ。

 扱える言語は社内で一番多い。マイナーな言語も使いこなす技量や知識もある。扱える端末の数もずば抜けている。客先での技術的な話から|政治的(大人の事情)な話まで行える。名指しで仕事が来る事もある。会社としては、そんな彼の肩書が『プログラマ』では、現場での発言や立場が軽く見られる事を危惧している。実際に何度も肩書の変更をおこなっている。
 しかし、彼は彼なりのポリシーがあり、プログラマの肩書を変えるつもりは無いようだ。会社側としては彼が『プログラマ』では、単価が数十万円も違ってきてしまう。会社と真辺の間でとられた、妥協点は、『肩書なし』だ。現在では、それが彼の肩書になっている。肩書なしは、真辺にも会社にも都合がいい。会社は、真辺が居ない所で、|SE(システムエンジニア)やITプロフェッショナルなど適当な役職だと言えるからだ。

 火消し部隊としては、様々な現場に顔を出し短時間で、業務を理解して問題点のあぶり出しを行わなければならない。プログラム言語や端末特性が『わかりません』では、通用しない。そんな事もあり、プログラム言語だけではなく、端末機器やネットワークやサーバ関連の知識も豊富に持っている。

 彼の大きな欠陥の一つが、同じ立場の人間は自分と同じ事ができると思っている事だ。
 彼、曰く『自分のような欠陥品ができるのだから、大学を出ている優秀な人間に出来ないわけがない』が、部下や取引先の人間によくいうセリフになっている。

 そんな火消し部隊の隊長が、新しく入った部下に言っているのが『言語なんて、書き方の違いはあるが、【入力→計算・判断→出力】が使えればなんとかなる』だ。
 暴言である事は、彼が一番理解している。しかし、言語理解や開発手法は重要ではないというのが、彼の根本的な考え方なのだ。自分たちは、研究者でも学生でも教育者でもない、開発者であり。顧客が求めているのは完成したシステムだ。システムを作る為に使った技術でも努力でもない、|結果(システム)なのだ。

 そんな彼が率いる火消し部隊には、会社内の部署からだけではなく、他の会社からも要請が入ってくる。

 先日も、2月末納品のプロジェクトで、客との認識の違いが1月末に発覚して火が燻り始めた。現場に呼び出されて火消しを行うことになった。
 『客との意見の相違』といわた現場は、大変に優秀な営業が現場に確認も取らないで『|営業判断(自己保身)』で客と口約束を交わしていた。

 『自分たちがしでかしたことではない』と、いう気持ちが強い開発担当や現場営業の士気は最悪な状態になっている。ただ、士気が低かろうが、納品の日付が伸びるわけではない。
 撤退を決めるか、それでも納品までこぎつけるのか、それとも客と交渉をして納期を伸ばすか?その判断時期が押し迫っていた。
 この案件で、真辺たちに課せられた役目は、現状を把握して、上層部に正確な情報を伝える事だ。
 撤退が決まれば、速やかな撤退準備を行い。|殿(しんがり)を務める事になる。無理やり納品してお茶を濁すというアイディアもあるにはあるが、真辺はその選択肢はないと考えていた。

 怒り心頭の客との交渉を行い。現場の人間に全員に、3日間の休みを取らせた。休みの間で、現状解っている情報を整理して、自分のチームメンバーだけでソースコード一式を検査して、客が言っている事や営業が話した事の裏取りを行う。

 状況把握は比較的容易に行う事ができた。現場には、ドキュメントがしっかり残されていて、議事録も残されていた。
 それらをベースにして、火が着いたシナリオを構築し整理していく。

 『|優秀な《自己保身に長けた》営業』がいるために、営業を通さずに客の担当者と話をするのが難しい状況になっていた。そこで、真辺たちは客の上層部と直接パイプを繋げる事にした。
 真辺が率いる部隊は、火消しを担当しているので、社内の部署だけではなく、外部の会社にも伝手を作りやすい環境にある。同じ業界なら、間に一人挟めば大抵の開発会社には繋がりが出来る。客にも二人挟めばよほど小さな企業ないかぎりは繋がりを持つ事が出来る。

 この会社の上層部への伝手もすぐに見つかった。以前一緒に火消しをしたシステム会社の人間が客の上層部を知っていた。
 システム会社の人間に客の別部署に話を繋いで貰って、火消し対象の部署を管理する上層部に繋げてもらった。
 こんな水面下での交渉は本来やるべきではないが、今回の『火』は客の上層部の一部と口の軽い営業が燃料を投下している。それらを排除するのが近道なのだ。

 まずは、雑談として客の現場サイドの人間と話をすることから始める。
 やはりというか予想通りの展開だ。現場としては、現状出来ている物で、それほど機能的な問題は感じていない、それよりも新しい仕組みが入ったシステムを早くリリースして欲しいと思っているようだ。
 そのことは議事録からも伺えることだ。それではなぜ『火』が燻ったのか?
 簡単な事だ、客の上層部と|優秀な営業(口の軽い愚か者)が問題なのだ。客の上層部は、|優秀な営業(口の軽い愚か者)が言った事を、『そのまま』自分の手柄として上層部に伝えた。そして、リリース前になって、『自分が依頼した機能』が出来ていないと騒ぎ出した。それが出来ていないと、自分の失点につながるからだ。しかし、現場としては、そんな瑣末な機能よりも他の機能の充実をお願いして、現場サイドでは納得していた。

 まず、真辺達がやったのは、現状の状況の整理だ。【出来ている/出来ていない】の区分でも、【リリースできる/顧客の確認済み/テスト開始できる/ソースコミット済み/デバッグ中/開発中/仕様待ち/他のモジュール待ち/必要ない】の区分に振り分ける。客側の担当者からの聞き取りを行い。モジュールの確認を行っていく。
 大抵の場合「あぁそれ必要ない」や「え?どういう事」という話しが出てきて、機能の絞り込みができるのだ。

 この現場では、735本のモジュールが存在していた。
 実際に、開発が終わっているのか、デバッグが終わっているのかは、現場の担当者が出てこないと判明しないがが、客との話では、仕様待ちとなっているモジュールは、ほぼ必要ない物だ。
 客が開発中と認識しているのが、優秀な営業と客の上層部の話で決まった機能だ。それ以外は、ほぼほぼ問題なく終わりそうな雰囲気がある。

 結局、よくある火付け現場になっている。議事録が残されている現場でも認識の違いが発生するのだ。
 客と開発者のコミュニケーションの不足から発生する現象だ。話をして議事録を残しているだけではなく、客と客の上司との会話や開発者と営業のコミュニケーションの不足が招く古典的な火事現場だ。開発者は、客の担当者に負担をかけないために承認は担当者だけで行うようにして、客は開発者に気を使って内部資料から報告書を作成して報告をおこなう。
 開発者は、客とのやり取りで問題がないと資料を作成して社内の上司に報告をおこなう。

 原因らしき物が判明した真辺たちは、現場の開発者を全員集めて説明する事にした。
 真辺たちには指揮権はないが、状況確認の為に『必要な事』という名目で話を聞くことになる。休ませている間に作成した報告書をベースに話をする事になるが、|優秀な営業(口の軽い愚か者)は会議に出席させない。
 実際に、開発者がどういう認識で居るのかを知りたいからだ。

 開発者たちは、なぜこんな事になったのか把握出来ていなかった。
 急に『この機能はどうなっている?』と客がいい出したのが始まりで、現場の営業が不在で担当者が説明をした。納品が近づいているので当然のことだ。

 そこに、終わっていると思っていた『新機能』の話。現場は、『新機能』に関しては、『今は考慮していません』と答えるしかなかった。
 ここで、客が上役にそのまま報告をしてしまって、上役が『|優秀な営業(口の軽い愚か者)』に『どういう事だ』とクレームを入れる。『|優秀な営業(口の軽い愚か者)』は、自分の失点になると困るので、開発サイドの問題であるかのように説明して、開発させますと言ってしまう。
 慌てる現場だが、『|優秀な営業(口の軽い愚か者)』は自分が居ないと何も出来ないと思いこんで、打ち合わせや会議に顔をだすようになる。開発が終わらないのは、人手が足りないからだと、他のチームの仕事が終わった若手を投入する。現場は更に混乱する。客は、金額が変わらないまま人が増えているので、なんとかなると思い込む。『|優秀な営業(口の軽い愚か者)』も『(自分の失点ではない部分を強調しながら)問題ない』と説明する。

 しかし、納品が近い開発案件に、業務を理解していない人間を入れてもほぼ戦力外となってしまう。そして、『|優秀な営業(口の軽い愚か者)』は、自分が他の部署に頭下げて人を融通して貰ったのに、使わないのはどういうことだといい出す。

 これが、この現場で発生した事だ。
 たった一言の説明があれば問題にはならなかった。
 そして、『|優秀な営業(口の軽い愚か者)』がコミットした機能は、直近では必要がなく、運営対応ができる物だ。次回のリリースがあれば、そこで、実装する予定となっている機能なのだ。

 真辺たちは、これらの報告書を上層部に提出した。『|優秀な営業(口の軽い愚か者)』の話しは一切無視をした形だ。
 誰がやったかは、終わってから会社が調べればいい事で、こじれてしまった糸をほぐす事がまずは大事なのだ。

 会社からの指示は
「|業務続行(死んでも納品)」だった。真辺たちに下った指示は|納期交渉(時間稼ぎ)を行えという物だ。735本中。次回リリースに回せるモジュール。73本。新機能が殆どだ。客がいらないと言った機能も含まれている。

 現場での話し合いはうまく行く事が多い。問題は、上役が出て来る時だ。何か、お土産を提示しないと話が進まない事がおおい。
 客の社内での立場もある。その為に、その情報をリサーチしてから交渉に臨む。

 基本的には、納期交渉は現実的ではない場合が多い。
 その為に、真辺たちが取った作戦は『実質的な納期延長』だ。納期に間に合いそうな機能でのリリースを行い。
 バージョンアップでの機能追加を行うという事にした。まずは、現場が実際に必要な機能だけをリリースする。

 開発者からの聞き取りで、バージョンアップするまでの期間として、2ヶ月と見積もられた。真辺は、それを3ヶ月と説明した。火が付いている現場の人間たちの心理は、自分たちが客に迷惑をかけていると思っている場合が多い。その為に、自分達が多少無理をすればよいと考えてしまう。その為に、ギリギリの納期を申告してしまう。その為に、何か問題が発生した時の対応ができなくなってしまう。そして、新たな火が噴出して、炎となってしまう。そうならないために、最低でも1.5倍の納期を客に申告する。
 それで納期よりも早く出来てしまっても、文句をいう客は居ない。

 交渉のやり方もいろいろあるが、今回は客の社内で使うツールだったので、リリースを予定通りに行って、次のバージョンアップ時に入れる機能を先にコミットして、客の面子を潰さないようにする。確かに、使えない機能は出て来るが、それは3ヶ月後にリリースすると約束する。そして、もう一つ大事な事は、『このリリースは社内で多くの人に使ってもらう事を前提しているので、問題が発生したときの為に、3ヶ月間は弊社の人間が対応を行う。その為に、出張扱いで誰かを張り付かせます』と、お願いする事だ。
 客からは、幾つかの要望が入ったが概ね了承の返事を貰った。
 問題は、この余計にかかる3ヶ月間の予算だが、真辺たちの分を入れても、かなりの損失になる。
 会社と真辺たちの考えは一緒で、この3ヶ月間できっちり納品を行い。次に繋げる。そして、その次で損失分を回収するように交渉する。
 この時の営業は、現場に近い営業が行い、『|優秀な営業(口の軽い愚か者)』には|別の《口出しできない》仕事にコミットしてもらうようにする。

 そして、現場の開発者たちは、本来なら2月末で一区切り着くはずだった仕事を、3ヶ月間延長をしなければならなくなった。途中から入った若手には、2月末で元の部署に戻ってもらう。
 正直居てもらっても迷惑にしかならない。真辺の部下たちがその代わりに雑務を担当する。業務知識が必要ない。|DB(データベース)周りやネットワーク周りの事やOS周りの事をそれぞれ担当する。残ったメンバーでソースのレビューを行っていく。火が着いた現場では、途中から、コピペの嵐になる事が多い。同じような事をやっているソースコードをコピペして、内容に合わせてすこしだけ修正を行い、コミットする。
 そのまま放置していると、同じような機能で発生した障害が隠されたまま進む場合がある。そうならないために、共通化を行う必要があるのだが、そこまで手が回らない事が多い。その為に、言語的に、可能な範囲で、共通化作業を、並行して行っていく。
 業務的に同じような事を行っている部分が多くなっていく、それらが使われているモジュールを把握するだけでも、デバッグの時やテストの時に役立つ情報となる。

 そして・・・真辺たちは、3ヶ月間の延長業務を終わらせて、無事鎮火した事を確認した。
 新たな契約が結べた事もいいニュースとなった。間が1ヶ月空いてしまったが、6月からの仕事としてバージョンアップと新機能の追加業務を受注できたのだ。
 現場の人間たちは、この一ヶ月を使って、客との打ち合わせや新機能のプロトタイプを作ったりする業務を行う。

 現場を離れて、これらの事を上層部に報告して、会議室を出た。

「んーん」
 真辺は久しぶりの休みを取る事にしていた。年末から働き通しだ。

 趣味が、プログラムという生粋のプログラマではある46歳独身の男性。ついでに天涯孤独。更にいうと、郊外に一戸建てを持っている。そんな人間でも休みが欲しいと思う事はある。
 彼女が居た事もあるし、それなりの経験はある。男性が好きなわけではなく。恋愛対象は普通に女性だ。
 帰っても、自分で遊びのプログラムを作っているが、それが仕事で受けたストレスの発散になっている。
 家には、待っている人は居ないが、去年の夏までは、兄妹猫を飼っていた。30歳になる前に拾った猫だった。夏に、最初に妹猫が天寿をまっとうして、追うように兄猫も亡くなった。二匹とも、真辺に懐いていて、ダメだと言っても、布団の中に入ってきて寝てしまう。いつの間にか真辺も許していた。

 そんな待つものが居なくなった家に帰るのが辛くて、仕事に打ち込んでいた事もあるが、自分が休まないと部下たちも休めない。

 今回は、丁度いい機会だから、長期休みを取る事にした。
 実家があった町に行って墓参りもしておきたい。そして、いろいろやっていなかった事も片付けてようと考えていた。

 長期休みは、無事、会社に承諾させた。
 1ヶ月間の休みだ。次の現場はまだ決まっていない。

 社内で待機になる事も考えられる。それならそれでも良いと思っている。
 半年近く最新技術や情報を調べていない。それらを調べながら、次の現場が決まるのを待っている事になるだろう。

 部下たちの休暇の申請も会社|に《を》|掛け合って《脅迫して》全部許可させた。

 伸びをしながら、真辺は部下や信頼している営業のことを思い出しながら、部署がある階に移動していた。
 腹心と呼ばれる部下は3名。そして、本人には絶対に言わないが、この部署の後継者として考えている1人の女性。そんな彼らとの出会いを思い出していた。

邂逅1 出会いと別れ


 火消し部隊。この存在してはならない部署は、現在は真辺が率いているが、実際に立ち上げたのは別の人間なのだ。

 倉橋という人間が、部署を立ち上げた。
 元々は火消し専門の部署ではなかった。エキスパートが集まる遊撃隊だったのだ。当時のIT業界は、専門色が強くなっていた。汎用機を扱う部署。組み込みプログラムを扱う部署。ネットワークも、今のように標準化されたネットワークが存在していたわけではない。いろいろな会社が独自のネットワーク・プロトコルごとに部署が存在していた。

 人は多くても仕事がある。
 そのために、肥大化するシステムに人が大量に投入されていく状態だった。

 倉橋は、会社に掛け合って新しい部署を作った。
 それが、各部署の|エキスパート《問題児》を集めた|遊撃隊(愚連隊)だ。この時期になっていると、いろんな技術を組み合わせた業務が出てくる。汎用機しかやって来なかった部署に、パソコンとの接続依頼が来る事もあった。
 そうなった場合に、パソコンの部署を呼んで会議をしても、そもそも違う世界で生きてきた者たちだ、話ができるわけも無い。汎用機の世界は、数秒単位で課金されるのが当然だ。プログラムの領域も限られている。コンパイルを依頼して、珈琲飲みに行ってトイレに行って戻ってきて終わっていればラッキーくらいで考える必要がある。パソコンは即時とは言わないが、数秒あればコンパイルが終わる。
 仕事のやり方も大きく違う。言語の特性もあるのだが、レビューを重視する汎用機の部署と、プロトタイプを重視する部署。
 喧嘩別れにならないのは、同じ会社に属しているという一点だけだ。

 倉橋は、部署間の軋轢が産まれないように自分たちが間にはいる。
 両方の事情が解っている人間を集めた部署を作ろうとしていたのだ。

 部署が立ち上がって、倉橋が欲したのは、色がついていない人間だ。
 この時に、営業の篠原から紹介されたのが、真辺という26歳になったばかりの変わった男だ。

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 この時、真辺25歳。専門学校を出て入った会社で、篠原と出会った。
 その当時、篠原は営業ではなく、冷蔵庫やエアコンの”冷やす”仕組みを作るエンジニアをしていた。それが、営業に転身するのは別の話になるが、その会社で真辺と出会った。大きな会社の中に属していた2人が出会ったのは偶然だった。

 出会った場所は、会社の敷地内でも、客先でも、現場でもない。

「え?篠原さんも、中原なのですか?」
「真辺さんも?どちらですか?」
「私は、17階です」
「あぁ私はそっちのビルじゃ無い方ですね」
「交換器ですか?」
「いえ、もう一つの方です」

 2人の話は大企業ではよくある話だ。
 同じ部署の人間でも全員を認識している人がどれほど居るのか?ワンフロアだけでも100名を超す社員が働いている、関連会社からの出向を入れたら人数は倍以上になる。

 よくある話なのだが、この場所が警察の取調室でなければだけど・・・。
 2人が犯罪行為で連行されて来たのなら不謹慎だが、いや違う、今の状況でもかなり不謹慎なのだ。

 真辺は目撃者兼第一発見者。篠原は部署の代表としてきている。

 篠原の部署の人間が、自殺未遂を行ったのだ、それを発見して通報したのが真辺なのだ。同じ会社だという事で、警察は当初2人を見て不審に思ったようだが、顔見知りでもなんでもない事や部署が違う事で関係ないと判断した。
 自殺未遂を起こした人間は、足の骨を折っただけで済んだ。

 それから、篠原と真辺の交流が始まる。
 真辺は汎用機のファームウェアの開発を行っているが、趣味で作ったプログラムがあり、それが篠原たちの部署で使われていたのだ。それを知った篠原は要望をいろいろと出してきた。
 真辺は暇があれば改良するという約束をして要望を聞いた。

 そんな交流が1年くらい続いた。
 ある不祥事で、篠原の部署が解体される事になった。嫌気が差した篠原は会社を辞めて、独立系のIT会社の営業になった。
 それから半年後、真辺も会社の上層部と衝突したことを聞いた篠原が会社に誘ったのだ。

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「俺が欲しかった人材だぞ。でもな、奴は生い立ちとか詳しく話さないからな少し気になっていな」
「生い立ち?」
「あぁ地元の話はするけど、子供の時とかの話を一切しないからな」
「へぇ」
「へぇ・・・。って、お前、気にならないのか?」
「そうですね。そう聞かれれば、『気になります』といいますが、ナベが話さないのなら『気にしません』といいますよ」
「まぁそうだな」

 2人の間に微妙な認識の違いがある。
 篠原は、真辺の過去を知っている。中学校の時に発生した事が原因で、同級生が殺された事。その犯人が、真辺の友達だった事。捕まえたのも友達だった事。それは、篠原が真辺から聞いた話ではない。大会社では|親切な(余計なおせっかい)が沢山居る。足の引っ張りあいをしていた人間の1人が嬉々として篠原に教えてくれたのだ。真辺は、出世コースとは違う道を歩んでいたのだが、目立つ人間だった。それはそうだろう。社内で使うツールの開発をほぼ独自で行った。それも違う部署で使う為のツールだ。それだけではなく、特許もいくつか出願している。エリートコースの人間から見たら目の上のたんこぶになりかねない。そういう人間は、実績や業務の成果で凌駕しようとしない。もっとも簡単で最も愚かな方法を取る。真辺の事を調べて真辺の過去を暴露したのだ。大企業は、警察に厄介になるだけで大きなマイナスになる。友達だからといえ殺人者が近くに居たのだから大きなマイナスになる。
 真辺は、同期の大学でのエリートがその話を喜々として話している目の前に座って、話を続けさせた。怒るでもなく、否定するのでもなく、淡々と話を聞いていた。エリートが話をやめようとすると、エリートの耳元で何かを喋ってからまた目の前に座って、話を続けさせた。その異様な雰囲気に周りはドン引きしていたが、真辺は気にする様子はない。
 エリートが知っている事を話終わったら、概ね合っているが一つだけ訂正しておくと言ってエリートに向かって
「俺は、今でも奴を友達だと思っている。奴がやった事は間違っている。それを止められなかった、俺も桜もカズと克己もヤスも同罪だ。そうだもう一つエリートさんに教えておく、人って簡単に死ぬぞ」
 この事を、篠原は知っている。知っているが、誰にも話さない。それほど、真辺という人間を気に入っているのだ。

「篠原はなにか知っているのか?」
「いえ、変わり者って事だけですね」
「ハハハ。確かに変わり者だな。あいつ、|SE(システムエンジニア)の名刺を拒否して、プログラマの名刺にしてくれって言ってきたからな」
「えぇ聞いています。俺も奴に言ったのですが、ダメでした」
「そうか、それならしょうがないな」
「倉橋さんならそう言ってくれると思いましたよ」
「篠原。次の現場は、奴に任せようかと思うがどうだ?」
「え?本気です。か?」

 篠原が驚くのも無理はない。
 真辺が会社に来てから、まだ2ヶ月とちょっとだ。研修期間だと言っても過言ではない。
 それに、年齢的な事もある。真辺はまだ26歳になったばかりで、社会人として4年目だ。リーダーを任せるという事は部下が付く事になる。倉橋の部署が比較的若い人間で構成されていると言っても、真辺よりも皆が年上だ。

 倉橋には倉橋の考えがあった。他の部署から引き抜いてきた者たちは、良くも悪くも会社に依存してしまっている。部署間のパワーバランスを考えてしまうのだ。そして、出身の部署や関連している部署よりの考えになってしまう。
 しかし、真辺は外様だ。外からやってきて、純粋だ。
 出世にも興味がない。システムを作るのが好きで単純に技術が好きなだけなのだ。そして、倉橋が真辺を高く評価しているのは、真辺が『自分は欠陥品』だと思っている所だ。
 10年近くこの業界で仕事をしている倉橋でも、真辺は優秀な人間だと思える。どこで仕事しても大丈夫なくらいの知識を持っている。真辺の考えは違っている。

「真辺。お前は、『欠陥品』と言っているけどどういう事だ?」
「倉橋さん。俺は、欠陥品ですよ」
「だから?説明になっていないぞ」
「まず、人の心がわからない」
「え?」
「システムや機械と会話していたほうが楽です。|アイツら《システム》は嘘をつかないですからね」
「あっあぁ」

 真辺はそこで黙ってしまう。
 そして、真辺が倉橋に語ったのは、自分が一番になれない事がわかっていて、興味で動くので、社会人としては欠陥品であると思っている事だ。

 結局、倉橋は現場の一つを真辺に任せる事にした。同時に発生したデスマ案件の一つを真辺に担当させたのだ。

 真辺は、篠原の助言を受けながら、鎮火に成功した。
 これで、誰もが求める、倉橋の右腕となった。

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「ナベ。お前が、俺の下に来てから何年だ?」
「今年で、7年です」
「そうか・・・。そろそろ、固定の部下を持つか?」
「必要ないですよ。この部署は大きくしてはダメですよね」
「そうだな。20名程度がいいだろうな」
「そうですよね。倉橋組の人手が足りないとかいい出したら、俺は辞めますからね。暇なくらいが丁度いいのでしょう?」
「あぁそれで?」
「お断りします。自分のチームを作るのなら、倉橋さんが居なくなってからですよ」
「ハハハ。覚えておく、早く俺を楽にさせてくれ」
「無理ですね」

 倉橋38歳。
 真辺33歳。

 夏の頃の話だ。翌年の4月に真辺はこんな軽口を叩いた自分が許せない気持ちでいっぱいになる。

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「倉橋さん。確か|0x27《39》歳ですよね?」
「よく覚えていたな」
「確か、去年もその前の年も同じような会話をした記憶がありますからね」
「そうだな。誕生日は決まって現場だな」
「倉橋さんは幸せですね」
「そうだな。ナベ。お前ももうすぐ解る」
「そうならないように気をつけますよ」
「無駄だな」

 そう言って、2人と部下たちは笑い合っている。
 笑い合っては居るが、今の時間は深夜1時だ。終電が無くなっても煌々と光が灯っているビルの中だ。

 会議室の一つを借りて臨時の作業部屋にさせてもらっている場所だ。
 巨大システムの鎮火作業に駆り出されたのだ。

 大手SIerが、来春がオープン予定の病院のシステムを受注して開発を行っていた。病院丸々一つのシステムだ。小さな問題から、火が吹き出す事はよくある。SIer もそれはわかっているのだろう。予備予算は確保していた。しかし、中間会社が愚か者だった。自分たちの利益確保を優先させて、末端の企業への支払いを絞ったのだ。
 何が発生するか、この業界に関わった事にある人間なら解るだろうが、仕事をしながら会社が飛んだのだ。

 とんだ会社が悪かった。ハードウェアとソフトウェアとつなぐモジュール開発をしていたのだ。
 この時点で、中間会社はSIerに説明して頭を下げればよかったのだ。しかし、そうする事は、確保している予算だけではなく、何らかのペナルティをかせられる可能性がある。それを嫌った、中間会社はその会社が行っていた業務を自分の社員で行うという愚策に出たのだ。自分の所でできないから外部に委託していたのに、納期が迫った時期に急に専門用語が飛び交う現場に入られる人間はそう多くはない。案の定、火が具現化する。他にも燻っていた火が大火となるまでに時間はかからなかった。

 特に、病院の様なシステムでは、人を投入すれば火が消えるような場所ではない。『|お(厚労省)』から出される難解な点数表を読み解く力や、意味がわからない用語や常識を知らなければならない。

 それがわかっていない『優秀なシステムエンジニア』たちが大量に投入され始める。
 中間会社が集めてくる人材は優秀な人たちだが、一点だけ『業務知識』が足りなかったのだ。業務知識がないまま、バラバラの対応方法で、目先の鎮火作業を行う。鎮火はする。担当している部署の鎮火はできる。このできてしまうのが、また大きな火になって降り掛かってくる。

 大火になってから、SIerが対応に乗り出すが・・・時すでに遅く、火はシステム全体を覆うようになってしまっていた。

 篠原経由で、倉橋の所に仕事の依頼が来たのは、SIerが対応に乗り出したときだ。
 以前の火消し業務で一緒になった、SIerの1人から、倉橋にまとめ役の|1《・》|()になってほしいという依頼だ。

「ナベはどう思う?」
「辞めておきましょう。どう見ても、スケープゴートです」
「だよな」
「篠原の旦那はなんて言っていますか?」
「俺に任せると言っているが、どうやら上の意向が働いているらしい」
「そうですか・・・。被害が小さくなるようにしないとダメですね」
「あぁでも、全員で行けと言われたぞ?」
「え?予算・・・。あぁそういう事ですか?」
「あぁSIerが泣きついてきたが答えのようだ」
「相当ふっかけたのでしょう?」
「あぁ平均で120だ」
「それはふっかけましたね。篠原の旦那も頭数ですか?」
「いや、あの人は入っていない。そのかわり、片桐とかWeb周りをやっている奴ら居るだろう?アイツらが入る」
「え?Webも絡むのですか?」
「あぁ病院のサイトを作るからな。そっちの予算で上乗せしたようだ。魔法の言葉を使った」
「SEO対策ですか?」
「そうだ。ナベ。お前、本当にSEO対策が嫌いなのだな」
「えぇ嫌いですね。病院にSEOなんて必要ないでしょ?」
「俺もそう思うが、思わない連中が多いからな」
「まぁいいです。それでいつからですか?」

 倉橋は、手帳をパラパラとめくっている。真辺は、倉橋がこういう仕草をするときには、スケジュール云々ではなく、何か別の懸案事項がある場合であることを知っている。

「俺とお前だけで、先に現場に行く」
「いいですよ?それで?」
「明日だ」
「わかりました。場所は?」
「お前な。もう少し抵抗したらどうだ?」
「文句を言って、泣き言を言っていれば状況が変わるのですか?だったら、いくらでもいいますよ」
「変わらないな」
「でしょ」
「・・・。場所は、この前行ったSIerだ」
「わかりました。俺と倉橋さんだけって事は、なにか交渉するのですか?」
「うーん。どうかな・・・ナベ。また喧嘩するか?」

 客とシステム会社の信頼関係が崩れている時に、後から入る火消し部隊は、システム会社寄りになってしまう。しかし、本来なら困っているのは客なのだ。だから、客の味方をしないとダメだ。
 倉橋と真辺がよく使う手だが、客とシステム会社の前で、2人が喧嘩し始めるのだ。
 その時々でどっちがどっちの味方をするのかを決めるのだが、部下たちが心配するくらい本気の喧嘩をする。
 そうして、1人は客側について、もうひとりはシステム会社側に付く事にしている。お互いの信頼関係は崩れないままなので、裏できっちりと情報交換をする。

 部下の中でもこの事を知っているのはごく一部だ。
 本気の喧嘩をして鎮火前になると、事情を知っている部下が、仲直りの宴会を行って、仲直りをする。

 今回は、真辺が客サイドについて、客先に出向いて状況を確認する役目になる。
 倉橋がシステム会社の話を聞いて、客側との打ち合わせを行う事になる。

 SIerの上層部では落とし所がすでに決まっている。中間会社がスケープゴートにしてリスケをする。
 その交渉を、倉橋が行う事になる。

 無事リスケが成功した。
 真辺と倉橋が出した苦肉の策に、SIerが飛びついた。

 当初の計画では、病院施設の設備を使ってのテストは、運用をメインで行う部署だったのだが、再構成した人間たちが施設の設備を使って、実際に動かしながらテストをする事になった。
 客には、作業が遅れていると公式には認めないで話を取り付けた。

 伸ばした期間は、3ヶ月間。
 これまでシステム構築に使った期間1年と6ヶ月に比べれば微々たる物だ。

 しかし、ここでの3ヶ月はエメラルドで作られた砂時計で刻む時間よりも貴重で大切な時間なのだ。

 SIer が一枚岩なら良かったのだが、割りを食った形になる部署が出てくる。
 運用を担当する事になっていた部署だ。

 それはそうだろう。
 このままでは、一番美味しい運用の仕事を丸々後から来た会社にとられてしまうのだ。

 運営を担当する予定だった部署は、政治力を働かせて、倉橋と真辺を一時的に現場から遠ざけて、全員を現場に押し込めたのだ。現場には火消し部隊として来ている、倉橋の部署の人間だけになる。

 しばらくは、この状況で作業が進むと思った。運営を行う部署なので、倉橋も真辺も部下たちも、最低限の内情と業務が認識できていると思っていた。

 蓋を開けてみれば、運営を行う担当者は内情を把握していなかった。
 現場が混乱するのは当然の事だろう。上からの指示に一貫性がなくなるのだ。朝の会議で言った事が夕方の指示では変わっている。こんな状況で士気を維持できる方が不思議なくらいだ。

 現場は圧迫される。
 倉橋たちはサポートという立場を崩さない。踏み込んではダメな事がわかっているからだ。

 経験が浅い開発者や営業が大量に投入される。それで更に現場は混乱する。しかし、運営を勝ち取った担当者たちは得た物を失いたくない、そのために客にはオンスケと報告を行う事になる。

 実際に現場では、実際の施設を使いながらの作業をおこなっている。『できている|(システム)』を動かして確認しているのだ、客が遅れていると認識するのは難しいだろう。

 しかし、ここで最大の火が噴出する。
 これまで、作業内容や動きを決めていたのは、現場の人間ではなく、事務方や経営者なのだ。現場の人の意見が入っていると言っても、現場あがりの人の意見であって、実際に現場で使う人の意見ではない。

 倉橋と真辺もこれはわかっていた。わかっていて、この手でしか、3ヶ月の期間を手に入れる事ができなかった。倉橋や真辺なら、客と話をしながら、現場サイドと折り合いを付けながらバージョンアップで対応するという手段が取れたのだが、倉橋と真辺が呼ばれたのは、更に燃え上がって、何をどうしたらいいのかわからない状況になってから泣きついてきたのだ。

 残り2ヶ月。
 どうにもならない状況になりつつあるのは誰もがわかっている。倉橋と真辺だけは諦めない。何かできる事があるかもしれないと、客先に張り付いて、客と話をして、コミュニケーションを取って、状況を好転するように動く。

 しかし、それをまた運営を行う部署が邪魔をする。
 倉橋と真辺が客に近づけば近づくほど、自分たちがないがしろにされていくと思ってしまうのだ。

 倉橋たちは、仕事の最前線に居る。
 客と膝を突き合わせて作業をして、客の担当者1人1人と話をして顔を見ている。毎日、挨拶をして毎日会話をして、毎日同じ場所でご飯を食べる。客も、そんな自分たちの為に仕事をしている人には優しくなれる。
 たまに来て、進捗は問題ありませんと報告するだけの営業に優しくなれるはずがない。

 面白くない営業は、倉橋たちに文句を言ってくる。理不尽な文句だ。
・作業時間が短いが本当に作業をしているのか?
・笑い声が聞こえると、苦情が入っているが?
・勝手にシャワーや仮眠室を使わないように
・車やバイクでの通勤は認めていない

 反論するのも馬鹿らしいので、倉橋と真辺は黙殺したのです。
 それが営業には面白くなかった。自分から、作業が遅れていることを暴露して、全責任を倉橋と真辺に押し付けようとしたのだ。

 これがとどめとなる。
 慌てたのは、SIer の開発担当をしている部署だ。そうだろう。倉橋たちのおかげで客の上層部を抑えていたのに、建前として遅れていない事になっているのは、客の|上層部(経営者)以外はわかっていたのだ。それでも、倉橋たちが必死で作業をして遅れを取り戻していたのを知っている。
 開発スタッフも、なんとかしますと声を揃えて言っている、昨今の状況では100点満点には程遠いが、運用には耐えられる状況まで出来上がってきていたのだ。

 しかし、運営を担当する部署の営業が、現場を飛び越えて、客の|上層部(経営者)にその話をしてしまったのだ。
 SIer を呼び出して、|上層部(経営者)は大激怒。

 ここで、運営を担当する部署が全面降伏すればよかったのだ。システムの稼働が遅れて困るのは顧客なのだ。損害賠償の話にはなるだろうが、最終的にこまるのは現場だ。病院の開業まで待ったなしの状況なのだ。
 システムも全く使い物にならない品質ではない。手作業が増えるが、運営ができる状態にはなっている。手作業の部分を、運営を担当する部署が肩代わりする事で、時間をもらう事は可能だったのだ。

 倉橋は、提案を現場と上層部に投げて、好感触を貰っていた。

 しかし、次の会議で運営を担当する部署の営業が提案したのは、禁じ手に近い・・・。いや、最高の愚策だった。

 パッケージの導入を提案したのだ。

 営業は、政治層でしか話ができない愚物だった。
 倉橋たちも現場に出て最初にパッケージの導入を考えた。考えたが、却下した。いろんな会社に打診して答えを突き合わせた結果、連結に時間がかかるし、ハードウェア要件やネットワークを考慮しなければならないし、セキュリティポリシーの変更も必要になってくる。これらの作業を統括して行うよりは、現状システムを動かすほうが楽だと判断したのだ。

 しかし、運営を担当する部署の営業は、『実績がある』という言葉を自分の部署から得ていると言って一歩も引かない。
 倉橋と真辺も必死に抵抗したのですが、抵抗すればするほど、運営を自分の所から奪いたいと曲解していくだけだったのだ。

「ナベ」
「そうですね。現場で鎮火しましょう」
「そうだな。パッケージのつなぎに関しては、俺たちが手を出さないほうがいいだろうな」
「はい。パッケージの導入に舵を切ったのなら、俺たちの出番は終わりでしょう」
「どうなる?」
「そうですね。あの優秀な|営業(馬鹿)なら、赤字回収の為に、『システムを病院の名前を付けてパッケージにして売りましょう』くらいいいそうですね」
「あぁいいそうだな。迷走するな」
「するでしょうね」
「悪いな。ナベ」
「いえ、俺はかまわないのですが、若い奴らだけでも帰らせませんか?」
「そうだな。半数もいれば大丈夫か?」
「どうでしょう?常時居るのは、俺と倉橋さんとあと数名にして、チームとして交代させましょうか?」
「そうだな。どのくらいがいいと思う?」
「1週間単位で、5名ずつでどうですか?」
「名簿は?」
「作ってあります」
「悪いな」
「いえ・・・。でも・・・」
「そうだな。何人か・・・。半数は辞めるかな」
「はい。残念な事ですが・・・」

 倉橋と真辺の予想通り、開発は迷走しだす。

---
 結果・・・。二ヶ月間に続いた作業の”中断”が告げられた。
 システムは仕切り直しとなった。客が、倉橋と真辺の提案を全面的に採用する事を決定したからだ。

 それだけではなく、全員に”帰宅命令”が出された。全員に、1~2日の強制的な休みが告げられた。

 久方ぶりの休暇で、夕方の町並みを歩くのも久しぶりだが、メンバーの足取りは軽くはなかった。

 倉橋が
「久しぶりに歩いたら疲れた。ちょっと休みたい」

 近くに公園があるのをしっていた倉橋が、皆を公園に誘導する。
 すぐに帰って寝たいという者も居た。倉橋と真辺が予想していた通り、残ってくれそうな部下と辞めそうな部下がここで分かれる。

 公園に残った者は、倉橋と真辺の予想よりは多い18名が残った。

 倉橋が、近くに居た部下に声をかける。
「悪いけど、人数分の何か飲み物と軽く食べられる物を買ってきてくれ」

 若手が倉橋の財布を受け取って、近くのドラッグストアーとコンビニに向かった。
 倉橋は近くのブランコに座った。身体も心も疲れ切っているのは間違いない状況なのだ。

「流石にちょっと疲れたな」
「そうですね」

 そう答える、真辺も限界をとっくに越えている。
 真辺は近くのコンビニでレジャーシートを買ってきた。部下たちが食べ物や飲み物を買ってくるのが解っていたので、座れる場所を用意したのだ。

 倉橋の所には、1人の女子社員が飲み物を持っていく。
 皆が知っている事だが、その女子社員は倉橋の事を好きなのだ。年齢は離れているが、お似合いだと誰しもが思っていた。

「倉橋さん。いつものコーヒーでいいですか?ホットとアイスありますけど?」
「おっ悪いな。アイスをくれ・・・あっ余分にあるなら、ホットも置いておいてくれ」
「わかりました。あっお財布」
「あぁ足りたか?」
「大丈夫でした」
「そうか・・・それならいい」

 倉橋は、女子社員から財布とアイスコーヒーを受け取った。
 ブランコを少し揺らしながら、アイスコーヒーを飲んでいる。

「倉橋さん」
「ん?あぁこれから・・・そうだな。俺たちは・・・ほら、見てみろよ」

 倉橋の笑った顔を夕焼けが照らす。

「綺麗ですね」
「そうだな。空は、いつも同じだよ。俺たちが見ているのも・・・そうだよな。まだできる事はあるよな」

 倉橋は誰に言っているわけではなく、自分に言い聞かせるようにつぶやいている。
 自分でも何を言っていたのか理解しているとも思えない。

「・・・くら」
「少し疲れたな。1時間くらい寝る。まだ大丈夫だよな?」
「え?あっはい。わかりました」

 倉橋が目を閉じたのを確認してから、女子社員は倉橋から離れて、同期が居るレジャーシートに向かった。

 1時間くらいしてから、流石に寒くなってきて、真辺が倉橋を起こして帰るぞと声をかける。

 真辺が倉橋の肩に触れた時に、異変に気がつく。
「おい!救急車!いや、病院まで誰か走って、医者呼んで来い。医者・・・たのむ、誰か医者を・・・救急車・・・」

 倉橋が、見上げて綺麗だと認めた空に虚しく声が吸い込まれて行く、遠くから救急車のサイレンが聞こえてくる。

 真辺は、もっとも信頼して、尊敬していた、上司の最後を看取る役割を与えられたのだ。

邂逅3 新たな部署


「ナベさん。私たちいつまでここにいればいいのですか?」
「さぁ?」

 真辺は、篠原から状況を聞いているので、予測はついている。
 今、ここに居る者たちが会社にでかけたりしたら、待ち構えているマスコミの絶好の的になってしまう。

 マスコミが会社の前から居なくなるまでは、保養所で過ごす事になりそうだ。

「ナベさん。倉橋さんのお葬式は?」
「本人の希望で密葬になった。会社としての告別式は日を改めてやる事になるようだ」
「誰情報ですか?」

 高橋も情報を貰っているようだ。

「俺は、篠原さんだな」
「私は、副社長から聞きました」

 真辺の会社は小さいと言っても、社員数が400名のIT企業としては大きい部類に入る。大手を除けば、独立系ではかなり大きいといえる。
 400名の人間が集まれば、派閥が産まれる。
 派閥は、いくつかあるが、面倒なのは専務派だ。今は、外の会社に詰めている、社長の息子を呼び戻して、社長にしようとしている。大手のSIerに努めているので、それなりの人脈は期待できる。

 もうひとつの派閥が倉橋や真辺たちを高く評価している現場叩き上げの副社長が所属する派閥だ。
 倉橋や真辺たちが、自由に仕事ができたのは、この副社長の力に寄る所が大きい。副社長の下には、倉橋の元上司が居て、必要性を訴えている。

 しかし、その倉橋が死んでしまった事で、部署の解体を叫ぶ声が大きくなっている。
 特に、専務派閥の人間からの声が大きい。倉橋の部署を赤字部署だと言っているのだ。同調している株主も多く、このままでは解体は間違いない。
 真辺は、解体されたら、そのまま会社を辞めようと考えていた。
 篠原にもその旨は伝えてある。

 真辺たちが保養所に来てから1週間が過ぎた。
 会社の前に居たマスコミの姿も見えなくなった。

 真辺たちは、来週の頭から会社に出てくる事になったのだが、真辺を除く部員は、自宅待機が言い渡されている。
 会社に出てきても、部署がどうなるのかわからない状況なのだ。

「篠原さん」
「真辺。少し待ってくれ」

 真辺は、会社に来たら、篠原の所まで来るように言われていた。

 10分くらい待っただろうか、所在なさげに窓の外を眺めていた真辺の隣に篠原が立った。

「悪いな」
「いえ、暇ですからいいですよ」
「そうか、その暇な時間も終わるからな」
「え?辞めていいのですか?」
「なぜそうなる?」

 真辺は篠原の真意を測りかねていた。篠原の動きは知っている。親切な人が教えてくれていた。矢面に立ってくれたのだ、本来真辺の役割を変わりにやってくれたのだ。

「篠原さん。部署は解体ですか?」
「そうだな」
「それじゃ、俺は必要ないですよね?」
「違う。違う。話を最後まで聞け」

 篠原が説明したのは、真辺と高橋と残った6名は、一時的に倉橋の部署を抜ける。
 専務派の連中が部署を潰すつもりで動いている、潰された時に倉橋の遺伝子を持つ人間たちを他の部署に吸収されないように、営業部で一時的に預かる事になったのだ。

「わかりました」
「そうか、ナベ。解ってくれるか?」
「えぇ篠原さんに貸しが出来たのですね」
「・・・。わかった、わかった、何が望みだ?」
「3名ほど、引き抜きたい者が居ます」
「うちの会社か?」
「いえ違います」
「そうか来てくれそうか?」
「俺の名前を出せば、考慮はしてくれると思いますが、表から堂々と引き抜いてほしいのです」
「うーん。わかった。今の会社と名前を教えてくれ、あと得意分野を含めた諸元が知りたい」
「わかりました。後でメールしておきます」
「それが条件だな」
「そう考えて貰って問題ないです」
「わかった。ナベ。頼むな」
「面倒事は嫌いなので、篠原さんに任せますよ」
「あぁ任せろ。それで部署は?」
「安心しろ、お前と高橋とあと6名でスタートだ」
「そうなると、火消しは無理ですね」
「そうだな。何ができそうだ?」
「最初は、社内の問題を片付けましょうか?営業のツールを作ったりしてはどうでしょうかね?」
「どのくらいだ?」
「引き抜きが完了するまでの6ヶ月くらいですかね?」
「わかった、それをベースに交渉してみる」

 翌日、専務から倉橋さんの部署が解体する事が発表された。
 部署に居たメンバーの移動も正式に発表された。

 真辺と高橋と6名は、新設された、営業部付きの『インフラ担当』部署を設立して移動となった。真辺が部長を務める事になった。

 その人事を好意的に見る人間たちは、真辺たちが『壊れた』と思った。倉橋の死を目の前で見て、現場復帰が難しいと思われている。そこで、内勤の部署を作って、順番に辞めさせられるのだろうと思ったようだ。
 苦々しく思う人たちも居る。真辺を引き抜こうと思っていた部署の部長達だ。真辺の様な男は得難い人物だと思われている。能力面だけでも、使える言語や端末の数は社内で一番多い。ハードウェアから運用までの経験がある。業務履歴を出せば、大抵の仕事で役割が与えられるだろう。長期で囲いたくなる客先も出てくるだろう。

 部署の立ち上げは、6月1日と決まった。
 それまで、真辺たちは基本的には、自宅待機となる。

 真辺は、定時で会社を出て、郊外に購入した自宅に向かっている。
 天涯孤独。では、なぜ家など買ったのか?
 答えは簡単だ。それが楽しそうだったから。今の会社にはいる時の条件で、真辺が自分で作ったツールやサービスを個人的に売っても良いことになっていた。そして、真辺が開発した様々なツールやサービスが、毎月家のローンと車のローンと毎月の飲み代を稼ぎ出すくらいになっていた。
 真辺には、残業代がしっかり振り込まれてくる。毎月100時間を超える残業代だ。
 それらの資金を使って、家を魔改造し始めた。また、ネット上での質問に答える事で、名前が売れて、出版社からIT関連の連載と書籍化の打診も受けた。書籍化はまとまった時間が無いために断ったが、毎月の連載は承諾した。
 ネットでの知り合いも増えていた。コミュニティにも参加して居る。そこで知り合ったのが、引き抜きたい3名だったのだ。以前から、一緒に仕事できたら嬉しいとは言われていた。真辺は、社交辞令だと受け取っていたが、3人とも真辺側の人間なのだ。金と得るのも大事だけど、それ以上に楽しい事や新しい事をやっていたいと思っているのだ。

 真辺は最寄り駅から歩いて20分くらいの自宅に向かう。

 河原を通るコースと商店街を通るコースがあり、距離的にはそれほど差がない。
 真辺は、河原を歩くコースを好む。この日も河原を歩いていた。

「みゃぁみゃぁ」
「ん?」

 周りを見てみるが、猫が居る雰囲気ではない。
 気のせいかと思って、立ち去ろうとしていた。

「みゃぁみゃぁ」

 確かに聞こえる。
 河原には、草が生い茂っている。
 その中かもしれないと思い。真辺は、声がした方向に歩いてみる。5mほど進んだ所に、二匹の子猫が身体を寄せ合って鳴いている。まだ1歳くらいだろうか?

「お前たちも置いていかれたのか?」
「みゃぁ」

「俺の言葉が解るのか?」

 可愛く首をかしげる子猫。

「ハハハ。そう言えば、カズの奴が猫飼いたいとか言っていたな。奴に自慢するのにいいかもしれないな」
「うみゅ?」

 茶トラの子猫が二匹。
 真辺の足元まで来る。

「わかった。お前たち、俺の家に来るか?」
「うみゅ」
「本当に賢いな」

 真辺は、子猫を二匹拾った。
 兄妹猫のようだ。拾ったその日に、動物病院に連れて行って、検査をしてもらった。少し栄養が不足していると判断されて、2~3日病院に預ける事になった。その間に病気の検査もしてもらう事にした。蚤の除去もお願いした。
 真辺は、自宅待機になった期間に、子猫たちの部屋を確保して、必要な物を買い揃えた。

「俺が居なくても二匹で居れば寂しくないだろう?」

 4畳ほどの車関連のパーツが置かれていた部屋を片付けて、子猫用の部屋にした。
 動物病院から帰ってきた兄妹猫に、真辺は同級生がつけると言っていた名前「|(カイ)」「|(ウミ)」と付けた。24時間様子が見られるように、Webカメラも取り付けた。丁度動画配信が取り沙汰され始めた事で、真辺も実験的に動画配信を行ってみた。この広告収入で、兄妹猫は自分たちのエサ代とトイレ用の砂代とエアコン代にはなっていた。自分たちで稼いでいる事になる。

 朝出勤して、定時には帰る生活が続いた。
 真辺にとっては、前の会社に入社した時に研修を受けている時以来の事だ。

 そんな生活が5ヶ月ほど続いた。

「ナベ!」

 そんな時に、篠原から声をかけられた。
 休暇の終わり。真辺にはそんな予感があった。

「なんですか?」
「お前の部署に入る奴らを紹介したい」

 本当に、休暇が終わったようだ。
 会社で一番広い会議室に連れて行かれる。

 そこには何度か朝まで飲んだ事がある3名が座って待っていた。
 いつも会う時のカジュアルな服装ではない。しっかりとスーツを着込んでいる。

 真辺は、篠原が自分の名前を出さないで引き抜いてきたくれた事が嬉しかった。
 3人の表情を見ればそれが解る。俺は、3人に会社名を伝えていない。風のうわさ程度に、俺の上司が過労死した事は伝わっていたのだろう。

「ナベさん?」「え?なんで?」「真辺さん?」

「山本、井上、小林。ありがとう。篠原さんからどう聞いているのかわからないけど、この業界に存在が許されない部署だぞ?今ならまだ会議室を出ていくだけで、日々の安定した暮らしと、楽しくはないかと思うけど、安定した仕事が手に入るぞ?ここに残れば、こき使われて、最後は過労死が待っているぞ」

 3人とも驚いて立ち上がったが、真辺の言葉を聞いて、椅子に座り直した。

 真辺は、立ち上がって3人に握手を求めた。
 3人も立ち上がって、真辺が差し出した手を握った。

「ようこそ、地獄の一丁目へ」

 その後、篠原は会社の内外から人を集めた。
 1ヶ月後に部署として正式に立ち上がる事になる。

 倉橋の作った部署は、火が付いた現場での言語の違いや文化の違いによる問題を解決する部署だった。対外的には火消し部隊だと思われていたが、積極的に火消しに関わる事はなかった。結果的に火消しに巻き込まれる事が有っただけだ。

 しかし、真辺と篠原が作った部署は、積極的に火消しに関わる。本当の意味の火消し部隊なのだ。

 こうして、業界に存在してはならない部署。火消し専門の部署が立ち上がる事になった。

邂逅4 初仕事


 『火消し専門部署』社内で語られる時の部署名だ。
 正式名称は、『営業部付きインフラ開発部』だ。その後、『副社長付きソリューション開発部』と看板が付け替えられる。
 『火消し部隊』や『真辺組』と呼ばれる事が多く正式名称を知っているものは殆ど居ない。

 真辺と高橋と山本と小林と井上と倉橋の死を乗り越えた6名と篠原が引き抜いてきた8名の合計の20名での船出となる。

 5月末に、真辺は篠原と一緒に専務に呼ばれた。
 面倒な話である事は間違いない。

「石黒専務。篠原と真辺です」
「よく来た。入ってくれ」

 本来個室など必要ないのだが、権力を見せつけるかのように、石黒は個室を持っている。
 社長を除くと唯一の人間なのだ。

 それだけでも、篠原と真辺から見たら俗物に思えてしまう。
 実際の所、俗物で間違っていない。だが、金主には評判がいいのも間違い事実だ。

「お呼びと伺いましたが?」
「篠原部長と真辺部長。おっ真辺君の辞令はまだだったな」
「それで?」

 篠原も、石黒の事を嫌っている。上役だから最低限の礼儀を守っているだけだ。

「チッ。可愛げがない。まぁいい。真辺君。君にやってもらいたい仕事がある。受けてくれるよな?」
「お断りします。それで話は終わりですか?もう帰らせてもらいます。失礼致します」

 席を立って、一礼して出ていった。

 篠原は苦笑して、真辺を見送った。
 真辺たちは、営業部付きという肩書が付いている。真辺に頭ごなしに命令する事は、専務でもできない。だからこそ、真辺は篠原に伝えていた。もし、石黒が真辺に直接仕事の依頼をしてきたら断ると宣言していたのだ。そして、多分頭ごなしに命令してくるに違いないと予測していた。事実、その通りになってしまったのだ。

「し、篠原!!!奴は、真辺の奴は!?」
「専務。今、真辺たちは、営業部付きです」
「あぁ知っている。だから、俺が、この俺が仕事を頼むのを、あの礼儀知らずが!」
「落ち着いてください」
「落ち着いていられるか!あいつを首にする!おい誰か!」
「無理ですよ」
「なに?」
「あいつの人事権は俺に営業部にあります」
「だからなんだ!俺は専務だ!」
「えぇ開発部の専務ですよね?石黒開発部専務」
「なっ」
「今の発言は聞かなかった事にします。石黒専務。営業部への人事に関する口出しは、貴方でもできない。お忘れですか?」
「・・・。わかった。篠原部長。前言を撤回する」
「ありがとうございます」

 篠原は立ち上がろうとした。

「待て、仕事を頼みたいのは本当だ」
「真辺たちにやらせるのですか?」
「そうだ。倉橋の部下だった者も何人か残っただろう」
「えぇそうですね」
「それで、真辺が業務連絡用に作ったシステムを会社として導入させろ」

 篠原は頭を抱えた。
 石黒が言っているシステムは、もちろん篠原も知っている。知っているのだが、会社での導入ができない。難しい事も理解している。あのシステムは真辺が前の会社に居る時に、趣味で作り上げた|(システム)だ。

「はぁ・・・石黒専務。あれは、真辺が個人的に作った物です」
「だからなんだ。会社に属しているのなら、会社の為に使うのは当然だろう?」
「いえ、あれは、真辺が売っている物です。ですので、導入するのなら、真辺から買う必要があります。誰が予算を出しますか?」
「ふざけるな!社員が作った物を会社で使ってやると言っている!さっさと導入させろ。これは命令だ!」
「無理ですね」
「篠原、いいか、俺は命令した。お前の責任で導入させろ!」
「予算は?」
「必要ない!真辺は社員だ!」

 篠原は何を言っても平行線になる事を察している。どこかに妥協点を探る必要がある。

 篠原は、その後も石黒の説明という名前の暴言を聞き続けた。
 それでわかったのは、部下である部長たちから、倉橋が導入していた物が会社で導入した|(システム)なら自分たちも使わせろという言葉を得て、倉橋の部下だった者たちから聞いた所、『真辺が導入したと聞いて、それなら仕事として導入させればいい』と、考えたようだ。

 篠原はすでに説得を初めて1時間が経過していた。すでに、ため息しか出てこなかった。

「石黒専務。無理な物は無理です。最低でも、予算を付けてください。社内規定でも、他の部署の社員を動かすときには、予算を付けなければなりません。その上で、真辺から買うのが無理ならメンテナンス費を営業部に払ってください」

 篠原は、これが落とし所だろうと思っていた。
 真辺には、営業部から金を出す。営業部の予算で買える金額ならそれでいいし、ダメなら分割にしてもらうように交渉する。

「わかった。それでいい。見積もりを出させろ」

 重い足取りで、篠原は部署に戻った。
 真辺は、篠原が帰ってくるのを待っていた。

「それで奴はなんて言ってきた?」
「ナベ。お前・・・。もう少しいい方が有るだろう?」
「無いですよ。あんなクズには、あのくらいでないと、わからないでしょうからね」

 篠原は、真辺に話の概要を伝えた。

「わかりました。部署の人間を動かす分の見積もりをお願いします。山本と小林と井上でやります。ハードウェアやネットワークは実費という事にしておきますよ」
「ナベの分はいいのか?」
「篠原さんに貸しておきますよ。営業部の手柄にしてください」
「わかった。それで実際に売った時には、いくらで売った?」
「ソースなしの実行環境のみなら、25万。ソースありなら150万です」
「どっちで売れた?」
「ソース有りが3件と無しが5件です」
「ほぉ・・・。ソース有りの値段で見積もっておく」
「わかりました」

 篠原の作った見積もりを、石黒に承認させた。
 これで、皆が一斉に動き出す。

 ハードウェア周りは、真辺と山本が中心になって見繕って発注をかける。
 ソフトウェアの改修は殆どないものの、要望を取り入れた形で変更する必要がある。その部分は、井上が担当する。
 真辺が作った|(システム)は、マニュアルが存在しなかった。そのために、小林が中心になってマニュアルの作成を行った。

「ナベさん。本当にいいのか?」
「ん?何が?」
「いや、いいのなら問題ないけど、ばれないか?」
「山本。バレると思うか?」
「思わないから聞いている」
「だろう?だから、気にするな。それに、しっかり見積もりの時に入れ込んだぞ?」
「何を?」
「見るか?」
「あぁ」

 真辺は、山本に提出した見積もりを見せた。
 値引きの条件として『ネットワークログ及びパケットの内容を、今後の開発及び部署の運営に役立てる為に保管する。閲覧は、部署内に留めるが、報告書への添付は行う場合がある』と、明記してある。

「はぁ?これって、合法的な盗聴じゃないのか?」
「言葉が悪いな。俺は開発で必要になるからログが欲しいと思っただけだぞ?それに、SSLで暗号化した内容までは読めないからな」
「まぁそうだけど、メールは暗号化していないよな?」
「ん?俺はしているぞ?」
「ナベさん・・・」
「なんだよ」
「はぁそう言えば、こういう人だったなと思っただけだ」
「そりゃぁご愁傷様。そう言えば、山本とは社会人になる前からの付き合いだったな」
「あぁもう無くなってしまったけど、あのコミュニティだったからな」
「そう考えると長い付き合いだけど、これがはじめての仕事だよな」
「そうだな。遊びに行ったり、議論したり、アメリカにも一緒に行ったけど、仕事はなかったよな」
「あぁ何にせよ、地獄を覗いたからには、これからよろしくな」
「解っていますよ。真辺部長様」
「言っていろ、それじゃ頼むな」
「了解。任せておけ!サーバもきっちり仕上げておいてやる」

 山本が指摘した通り、この仕事にはいくつかの毒が紛れ込んでいた。
 しっかり篠原を通して説明した。もちろん、石黒専務にだけだ。真辺が昔のメンバー経由で聞いた所、石黒専務は篠原と真辺を恫喝して導入させた。俺の手柄だと言っている。したがって、誰にも見積もりの事を相談していない。
 社内での支払いもごまかされる可能性があるが、真辺はそれでもかまわないと思っている。
 見積もりを出して、承諾されて、依頼書も貰っている。金額が入った物だ。その上ハードウェアやソフトウェアの導入をしている。これで支払いを渋ったら、それまでの人間だと思う事にしている。十中八九渋るだろうとは考えている。

「ナベさん。マニュアルできたけど、どうする?説明する?」
「いや、説明はいいよ。小林には悪いけど、事務には説明しておいて欲しい。あぁログの件は聞いている?」
「山本から聞いたよ。かなりあくどいな」
「何のことかわからないけど、有効だろう?」
「あぁ有効だ。事務の説明は、俺だけでいいのか?誰か連れて行くか?」
「そうだな。高橋を頼む。多分、彼女は、現場には連れていけない」
「そうなのか?」
「あぁ本人は大丈夫だと言っているけど、多分無理だ。悪いけど、高橋の面倒を見てほしいけどいいか?」
「俺が?」
「あぁお前が適任だ。それに、彼女なら、お前の役に立つと思うぞ?」
「わかった」
「頼む」

 真辺は、高橋が、今後火付け現場に出た時に、無茶をすると思っている。
 多分、それは間違いないだろう。高橋は、倉橋が死んだのに、自分が生きている事を悔やんでいる。自殺しなかっただけ良かったとさえも真辺は思っている。そんな高橋は、現場に出れば、自分のキャパを越えて無理をするだろうと思える。だからこそ、現場に一番近い場所で現場の匂いが漂ってくる場所に置いておく事を考えたのだ。
 一番いいのは事務だが、高橋は納得しないだろう。
 そうなると、小林がやっているユーザサポートやマニュアル作成などの作業だ。火付け現場では必ずマニュアルやドキュメントが後回しにされる。そこを、小林と高橋でまとめてくれれば、真辺たちも動きやすい。

 高橋は、真辺の予想以上に小林の作業にマッチした。
 社内といえ、苦情を言ってくる者は多い。それらの対応を、高橋は見事にさばいた。その御蔭で、小林の行動までかなり楽になったのだ。

「どうだ?俺の作成したモジュールは?」
「ナベさんか?文句はない。文句はないが、なぜモジュールがホンダの車やバイクの名前になっている?」
「あ?そんな事決まっている素晴らしい物だからだ!」

 なぜか、ホンダ車と日産車の素晴らしを競い合う2人。

「はぁもういいですよ。それよりも、改修は終わったぞ」
「ありがとう。問題はありそうか?」
「そうだな。もしかしたら、デザイナを入れたほうがいいかもしれないな」
「そうか・・・。でも、それは、パッケージにするといい出した奴にやらせよう」
「わかった。それもそうだな。まだ、社内ツールだったな」
「あぁサーバの方も、山本が作ってくれた。あわせこんでくれ」
「わかった。開発サーバはどうする?」
「うーん。パージしたいけどな」
「もったいないぞ?」
「わかった。俺が買い取る」
「いいのか?」
「実質的には、篠原さんに買ってもらうだけだ」
「あっ!営業部のサーバにしておくのか?」
「丁度いいだろう?」
「そうだな。わかった、後で山本と詰めておく」
「頼むな」

 皆の協力で導入はスムーズに進んだ。
 各部署に倉橋の部署に居た時に使った事があるメンバーが居たのも導入がスムーズに進んだ理由である。

邂逅5 新人教育


 倉橋の死から、7年が経過した。
 その間、真辺たちは日々火消しに追われる生活をしていた。

 真辺の部署は、人の出入りはそれほど多くない。多くないが、入ってくる人間が少ない。
 20名を少し超えるくらいで推移している。

「ナベ」
「あ?あぁなんですか?俺は、明日からの休暇の為に、一番見たくない人の顔を見るのですか?」
「お前、何言っているかわからないぞ?休んでいるのか?」
「休み?休みなんていついらいですか?俺を避けて通っているようですよ」
「あぁ新しい仕事じゃない。お前が希望を出していた人員の話だ」
「なんだ、それなら早く言ってくださいよ。それで?」

 篠原は、真辺を睨んでから、一枚の履歴書を渡してきた。

「お前の所で預かって欲しいけど大丈夫か?」
「旦那。わかっていますか?俺の所は、火消し部隊ですよ?」
「少し問題が有るからな」
「問題?」
「この前の話は聞いたか?」
「えぇ聞きましたよ。あれは、教官が悪いですね」
「そういうお前だから頼みたい」
「そういう言い方ということは、教官の1人ですか?」
「あぁ正確には、1人だけ残った教官だな」
「そりゃぁ確かに、他の部署じゃ扱えないですね。爆弾を中に抱え込むような物ですね」
「あぁそうだ」
「わかりました。最終的には、会って話を聞いてからですがいいですよね?」
「あぁもちろんだ。今、彼女を待たせている」
「待たせている?どのくらい?」
「あぁ彼女が自ら望んだことだ。待ちたいと言っていたぞ。青い鳥でも来てくれるのを待っているのかも知れないな」
「笑えない冗談はやめてくださいよ。でも、わかりました。それで心が残っているようなら、俺が鍛えますよ」
「頼む」
「そうだ・・・。名前は?」

「石川だ。今年3年目だ」

 真辺は、渡された履歴書を丸めて、ポケットにしまった。
 読むつもりは無いのだろう。

 石川は、元々は開発部に所属していた。
 真辺の会社は、ここ数年で大きく変わった。社長が死んだのが一番の理由だろう。

 社長は、副社長がスライドする形で社長になった。
 そこまでは良かった。しかし、石黒が先代社長の息子を担ぎ出して、副社長にした。開発部の全権限をバカ息子に集中させたのだ。真辺たちの部署は副社長付きという部署だったので、そのまま社長付きに変わった。
 そして、社長になった元副社長に変わって、倉橋の元上司が副社長に就任した。
 営業部と開発部が二つに分かれる事になる。開発部は、大手SIer出身の部長たちが占める事になり、完全に子会社のようになってしまっている。営業部は独自に動いては居るが、仕事の流し先が社内ではなく、協力会社になってしまっている不思議な状況になっているのだ。

 真辺たちの部署は社長付きのソリューション開発部という事になっているが、内外には火消し部隊や真辺組と説明したほうが伝わりやすい。

「旦那」
「あ?」
「『あ?』は無いでしょう『あ?』は!」
「すまん。それでなんだ?」
「石川ですが、了承しているのですか?」
「している」
「そうですか、高橋を・・・。いや、小林だったな。あぁ面倒だな。高橋に話をさせてもいいですよね?」
「あぁ任せる」

 真辺は、殺された佐藤も殺して自殺した田中も正直興味はない。真辺の興味は、石川という同期が新人教育の最中に殺された事実をどう考えるかを知りたいと思っていた。
 篠原の話から、乗り越えていると思えるのだが、実際は会ってみないと判断できない。

 篠原に言われた部屋の前まで来ている。
 少し不思議に思った。この部屋は、ある部署があった部屋だ。俗称はBB=ブルーバード=青い鳥。石黒が作らせた部署で、心が壊れた人間を押し込めておくための部署だ。そして、石黒や開発部の部長たちは、この部署は、SIerで使えなくなった者を引き取って|人員整理(リストラ)の手伝いをする事で、仕事を得ていた。
 この部署が解体されたのは、SIerからの資金が途絶えたからだ。

 正直、真辺は開発部の新人教育をよく思っていなかった。
 詰め込みというよりも、応用力がない者ができるだけだと思っていて、何度か余計な事だとわかりながら、新人教育に関して意見具申をしていた。却下はされていた。

 真辺は、石川の境遇には配慮するが、同情するつもりは無いようだ。

「はい!」

 真辺はドアをノックして部屋に入った。
 部屋には、緊張した面持ちで女性が1人待っていた。

「(3年目という事は、25-6だな)石川さんですか?」
「はい。石川です。真辺部長。よろしくお願いします」

 石川は、深々と頭を下げる。石川は、ここで真辺がNOと言えば行く場所が無くなってしまう。そのくらいは解っている。自分がやらかしたわけではないが、やらかした人間の方に属していたと思われるのは間違いない。元の部署に戻る事はできない。
 だから、石川は必死になっていたのだ。

「篠原さんから何を聞いたかわかりませんが、私の事を部長と呼ばないようにしてください」
「え?あっ。わかりました」
「よろしい。それでは、いくつか質問しますがよろしいですか?」
「はい」
「最初の質問ですが、会社を辞めるという選択肢を選ばなかった理由は?」

 真辺は、最初から答えにくい質問をした。
 この質問にどう応えようが実際には関係はないのだが、この質問をしないのはおかしな話だということも解っていた。

「負けたくなかったからです」
「誰にですか?」
「自分にです」
「それで?辞めなければ、”負けない”のか?」
「いえ・・・。わかりません。わかりませんが、あんな人を見下していた人間の為に、私が会社を辞めるのは違うと思ったのです。だから、辞めなければ、私の負けではありません」
「そうか、でもその選択肢で、地獄を見る事になるかもしれないぞ?」
「かまいません。前の部署でも、新人研修でも、私は自分で選んでいません。でも、今は自分で選んでここにいます。だから、選んだ結果地獄だったとしても誰も恨む事はありません」

 真辺は少し面白くなってきた。
 この目の前に泣きそうな表情ながら、自分を睨むような、挑むような目つきで見ている人間を鍛えてみたくなってきていた。

「俺たちの部署は、火消しを中心にやっている」
「はい。聞き及んでいます」
「即戦力が必要だ。もっと言えば、即戦力になるくらいじゃなければ必要ない。石川さん。貴女が俺たちに提供できる戦力はなにかありますか?」
「・・・。ありません。ありませんが、戦力にならない状況を提供できます」
「ほぉ面白いですね。どういう事ですか?もう少し説明が必要だと思いますが?私に解るように説明できますか?」

 真辺は、この石川の答えで100点を出してもいいと思っていた。
 自分が期待した以上の答えを貰ったのだ。

 石川は必死に説明しているのだが、自分で何を説明しているのかわからなくなってしまっているようだ。
 それでも、必死に訴えている。自分が何もできない事を把握して、それでも何もできない事の利点を話しているのだ。

 ドアがノックされる。
「ナベさん!」
「おっ高橋。丁度良かった。ちょっと面倒を見て欲しい奴が居るけど、大丈夫か?」

 真辺の言葉を受けて、石川は少しだけ拍子抜けする表情をして、ひとまずは真辺の部署に向かい入れられた事がわかったのだろう。嬉しそうな顔になる。

「ナベさん。若い子を地獄に誘うの?」
「俺は辞めておけと言ったのだけどな?石川さん。最後の確認です」
「はい!」
「貴女には、2つの選択肢を与えます。どちらを選んでもいいです」
「はい」
「一つは、このまま部屋を出て何もかも忘れて会社を辞める。もう一つは、今ここに来ている高橋についていってこいつの旦那からユーザサポートやマニュアル作りやテストの方法を学んだあとで山本からサーバやネットワーク周りの事を、井上から開発環境や言語的なことを吸収する。どちらを選んでも構いません。辞める場合でも、篠原さんが次の就職の世話をすることを約束します」

 真辺が提示した条件は、どちらを選んでもかまわないというレベルの物ではない。
 提示された石川は、迷わずに、高橋にお願いしますと頭を下げた。

 この日から、石川の本当の意味での新人教育が始まった。

 真辺は、高橋に、しばらく石川に付いているように依頼した。
 高橋は、小林と結婚して、現場を離れた。営業部に移動になったが、営業部付きながら真辺の部署に所属するという少し変わったポジションに居る。石川も、真辺の所で預かるのは決まっているのだが、正式の決定までは、営業部預かりになっている。その意味でも、高橋が面倒を見るのが適当なのだ。

 石川は、高橋と一緒に小林からユーザサポートに関する教育を受けている。現場にも連れ出している。小林も、真辺から、全部教え込んで欲しいとお願いされていたのだ。それは、山本も井上も同じだ。

 石川は知らなかった。
 これから自分に待ち受ける運命を・・・。

 真辺は知っていた。
 火消しに必要な事は、飛び抜けた実力や技術では無いことを・・・。

 篠原は忘れようとしていた。
 真辺という人間が自分の為になにかをする男では無いことを・・・。

第二話 新たな戦場^H^H職場


「ナベ!」

 呼ばれた真辺は無視する事にした。正直なことを言えば、嫌な予感しかしない。声の主はすぐに解る。篠原営業部長だ、さっきの報告にも顔を出していたし、真辺が休暇を取る事を知っているはずである。

 真辺は知っている。ここで、返事をしてしまうと、明日からの休暇がなくなってしまう可能性が高い事を・・・。

「ナベ!!聞こえているのだろう!」

 真辺は聞こえないフリをして、自分の部署に急ぐ。
 篠原と真辺の付き合いは長い。この会社に真辺を誘ったのが篠原だ。もう20年近い付き合いになる。篠原は、真辺の5つ上の先輩になる。前の会社に居た時に知り合ったのだ。

「ナベ。急ぎの仕事じゃない。休み明けの相談だ!」
「旦那。それなら、そう言って下さいよ」
「お前が無視するからだろう。それで、この後時間あるか?」
「え?ないですよ。この後、予定があります」
「おぉそうか、予定はないのだな」
「あいかわらず、人の話を聞かない人だな」
「解った。解った。おまえの好きな物、食わせてやる」
「あぁ・・・。はい、はい。どうせ断ってもダメなのでしょう」
「まぁそうだな。強制とはいいたくない」
「わかりましたよ。それじゃ、いつもの店でいいですか?旦那のおごりですからね。こっちからは誰か連れていきますか?」
「そうだな。医療系に詳しい奴が居たよな?」
「居ますよ。何系ですか?」
「全般的な事が解ればいい。」
「あぁ・・・。だから、電子カルテなのか、機器操作なのか、医事会計なのか、それもとオーダーですか?産婦人科と歯科は勘弁してください」
「さぁな。お前を名指しの要請だからな」
「・・・あぁ・・・はい、はい。それなら、俺が一人でいいですよね?」
「そうだな。それじゃ、19時にいつもの店に、俺の名前で予約入れておく」
「はいはい。19時ですね。また中途半端な・・・」
「先方の指定だからな。絶対に来いよ」
「解っていますよ。それじゃ後ほど・・・」

 真辺は、篠原に手を振りながら別れた。
 今の会話から、病院関係の仕事である事はわかる。名指しという事は、病院から直接の依頼だとも考えられるが、それよりも大手のSIerからの依頼である可能性が高い。
 面倒な事にならなければ・・・。大抵こういう場合は、面倒な事になる。火が噴いている現場じゃなければいいと思っているが、自分を名指しという事は、それも考えにくい。
 憂鬱な気分のまま、時間まで自分のデスクで時間を潰す事にした。

「ナベさん。どうかしました?」

 デスクに座ったら、部下が声をかけてきた

「あぁ篠原の旦那に呼び出された」
「え・・・。イヤですよ。私、もうお休みの予定で、ツアーの申込みしちゃったのですよ」

 女性で、石川聖子。真辺の部下になってから、4年目。真辺の部下の中では若手だ。

「あぁ大丈夫。業務開始は、6月からだよ」
「そうなのですか・・・。良かった。それで、私たちの休暇はどうなりました?」
「大丈夫だよ。全員分受諾してもらった」

 あちらこちらから、”うしっ”や”やった!”などと声があがっている。
 やはり、皆気になっていたようだ。

 真辺は、部下に”真辺さん”や”部長”とは呼ばせていない。現場でも、”ナベさん”と呼ばせるようにしている。
 客の上層部が入った会議では、しっかり役職で呼ぶようにさせているが、それ以外の場所では、”ナベさん”と呼ばせている。
 それにも理由がある。現場で”部長”などと呼ばせると、真辺にも決定権が有るのではないかと勘違いするものたちが出てしまう。その為に、自分たちはサポート部隊である事を認識させるために、役職では呼ばないように徹底している。

「ナベさん。それじゃ、明日からお休みでいいのですよね?」
「あぁ問題ない。どうせ有給が余っているだろう?しっかり休めよ。最初の一週間は俺の権限で振替休日を割り振っておいた。後は、好きにしろ!」
「はぁーい」「了解。」

 全員がきっちり休むようだ。

「次の現場の情報はいつもの方法ですか?」
「あぁロクでもない場所かもしれないけど、解ったらMLに流す。俺が出社予定の日も流すから、都合が良い奴は会社に出てきたら、話をきかせてやる」
「了解です。それじゃ、私は上がります!お疲れ様!」

 皆口々に帰りの挨拶をしていく。
 真辺の部署にはタイムカードが存在しない。真辺が廃止したのだ。その代わり、全員が固定給になっている。
 残業代が出ると思うと甘えになるという考えだが、月100時間分の残業代が上乗せされた金額になっている。これも、会社側との交渉の結果だ。出向を行う時の手当や、徹夜した時の手当や、休日対応には別途上乗せされる計算になっている。
 ただ、仕事が入っていないときには、上乗せ分がカットされる。そして、会社規定のフォーマットでの出勤簿の提出が義務付けられている。

 部下たちの休暇の予定を確認し終わった。
「さて、後30分くらいか・・・プラプラ歩いていけば、丁度いいくらいだな」

 席を立って、会合が行われる鉄板焼屋に向かった。

 会社を出て、大通りを歩いて移動する事になる。
 約束している鉄板焼屋は、すこし高級な店で、|スポンサー《会社の経費》が居る時でないと使う事はない。
 篠原との会合ではよく使われる店なので、”いつもの店”と、いう言い方になっている。

 店の重厚なドアを開けて入ると、肉が焼ける、いいにおいが漂ってくる。
「19時に篠原の名前で予約されていると思います」

 真辺は、出迎えた店長にそう告げる。
「伺っております。どうぞこちらへ」

 店長が案内したのは、いつものテーブル席ではなく、奥にある個室だ。
 (ほぉ・・・。よほど、太い客なのか?)

 個室は防音になっている上に、専用の料理人が付く。それだけ通常料金に加算される。

「こちらです。何かお飲み物をお持ちしましょうか?」
「あぁ全員揃ってからお願いします」
「かしこまりました」

 飲み物は、ノンアルコールから、少し変わった酒まで用意されている。篠原が予約を取るときには、相手の趣味がわからないときには、今のように店員が飲み物を聞いてくる。相手の好みが解っているときには、店員は飲み物の名前を告げてくる。
 教は、飲み物を聞いてきたという事hあ、少なくても篠原は少ない回数しかあった事がないのだろう。真辺は、少ない情報から相手の素性を探し当てるかのように推理をしていた。

 店長が出ていってから、席を見回すと、まだ誰も来ていないようだ。
 テーブル席になっていて、手前に鉄板がセットされている。
 客がわからないので、一番の下座に座って待っている事にする。
 全部で5名の様だ。こちらは、真辺と篠原だけで、先方が3名なのだろう。上座の方に、3つセットされている。

 19時をすこし回った時に、ドアがノックされた。
 先程案内した店長が入ってきて、待ち合わせの人たちが着いたと知らせてくれた。
 立ち上がって、迎い入れる。

 (篠原の旦那は遅刻か?)

 先頭で篠原が入ってくる。その後に、前の会社で同僚だった片桐が入ってきた。
 その後に、片桐の上司と思われる人間と、システム屋特有の匂いがしない人物が入ってくる。

 (もしかして、ドクターか?)

 座席に着いてから、ドリンクを注文した。
 料理はコースを頼んであるようだ。コースの説明と苦手な物があるか聞いてくる。苦手な物があれば別の物に変えてくれるようだ。オーダーを終えて、座席に着いた。

 篠原が仕切るようだ
「松本先生。本日はありがとうございます。弊社の真辺です。」
「はじめまして、真辺といいます。」

 それから、各々が挨拶をする。
 やはり、SIer案件だ。片桐は前の会社を退職して、自分で会社を興した。そこで、世話になった人が隣に座っている大手SIerの白鳥だ。片桐の話は、今度ゆっくり聞く事にして、仕事の話に入る事になった。

 食事をしながら、大まかな話を聞いて、食後に依頼内容の確認をする事になった。篠原と片桐が、やけに真辺を持ち上げるのが気になって仕方がなかった。こういう時の仕事は、何か裏がある場合が多い。予算的な問題だったり、納期までの期間の問題だったり、その両方だったり・・・。そして、事故物件である可能性が高い。

 面倒な話になる事は、この時点で確定した。

 本来なら美味しいはずの、黒毛和牛200gのコースが美味しく感じない。ドリンク込みで約2万円/人が無駄に消費される。

 最後のデザートが出てきた。

 同時に、食後のドリンクを頼んだ。

「それで、真辺部長には、全体を見ていただきたい」
「全体とは?」

 食事中の話から、松本先生と呼ばれて居た人物は、やはりドクターだ。
 ドクターと言っても、経営をメインにやっている人物だ。

 そして、10月から開業する医療施設付きの介護老人ホーム 及び 知的障害児者施設 及び 幼保育園 及び 出張介護マッサージ事業 のオーナーである。

 なんとも統一性のない複合施設だが、その出張介護マッサージ事業のシステムとWebサイトを片桐が行っている。その他のシステムをSIerが請け負っていて、幾つかのメーカーに入札を行わせているという話だ。
 基本的にはパッケージを導入して、運営しながらカスタマイズをしていく事を考えている。そう、SIerは説明していた。|香ばしい《危険な》匂いしかしてこない。10月カットオーバでまだメーカーも決まっていない。
 会計システムは一つにするつもりだろうけど・・・従業員の教育や接続を考えたら、もうギリギリだな。
 それでも、SIerは大見得を切っているようだ。6月から、建設中の病院や施設に入られるようになるので、それまでにパッケージを決めて、6月はじめから導入を開始すると言うことだ。
 6月から集まったメーカーや開発会社の取りまとめをやってほしいという事だ。

 本来なら、SIerがやれば美味しい話だが、SIerはハードウェアとネットワークを担当する。”その為に、全体のまとめをする人員を割くことができない”という、言い分だ。
 明らかにおかしい。返事を保留したい案件である。

 真辺と篠原は、ハンドサインを決めてある。実際に、営業中に、即答を求められる事もあるためだ。
 返事を保留したいときには、両手をテーブルの上に載せて、両手の指を絡めるようにする。
 OKの場合には、右手だけをテーブルの上に出す。
 NGの場合には、左手をテーブルの上に出して、テーブルをコツコツと叩く。

 真辺は、保留のサインを出した。篠原からは受諾のサインが返された。

「松本先生。白鳥部長。なにか、資料などがございましたら、検討してお返事を差し上げたいと思います」
「篠原さん。返事はいつ貰えるのですか?」
「はい。見積もりと合わせるのでしたら、1週間程度は頂きたい」
「・・・解りました。1週間ですか?なる早でお願いします。松本先生。よろしいですか?」
「あぁ・・・・そうだ、真辺さん。よろしかったら、一度病院に遊びに来て下さい。そうしたら、詳細な説明も出来ます」
「あっありがとうございます。あいにく、すこし予定が有りまして、即答出来ませんが、後日予定を調整いたしまして、お伺いしたいと思います」
「真辺さん。うちの会社にも寄って下さい。そこで説明できる人間を紹介致します」
「わかりました。先程話した通り、予定を調整しなければならないので、篠原から返事を差し上げる事になると思います」
「解りました。よいお返事お待ちしております」

 この後は、すこし雑談をしてから、篠原は松本と白鳥を連れて夜の街に消えていった。

第三話 状況確認


「片桐。すこし付き合えよ。聞きたい事が山ほどある」
「・・・。あぁ・・・。わかった」

 真辺は、片桐を伴っていつも部下たちと行く居酒屋に向かった。
 この居酒屋は独立系の居酒屋でオーナーが趣味で始めた店だ。独立系なので、チェーン居酒屋よりは値段は少々高いが、味がいいし、酒のセンスもいい。それに、店の作りが気に入っている。小さな個室から大きな個室まであるので、よく使っている。真辺の知り合いがデザインをした事でオープン時に紹介されてからの付き合いだ。
 店に電話をかけて、個室の状況を聞いた。幸いにも、小さい個室が空いているという返事をもらったので、”今から行く”とだけ伝えた。

「いらっしゃい。ナベさん。個室に、ボトル置いてあります。お通しは要らないですよね。串を適当でいいよね」
「あぁそれで頼む」
「お連れの方の飲み方は?」
「あ。俺は、何かノンアルコールを」
「あっ解りました、ウーロン茶でよければ、セットで置いてあります」
「あっそれじゃそれもらいます」

 店に入って2分で注文が終わった。

 真辺が好きで頼む物は店側も把握しているので、何もいわないで『いつもの物』が出てくる。
 この店の常連である真辺は、部下達も気楽に使わせている。

 真辺は、高給取りだが、金の使いみちが多いわけじゃない。唯一の家族をなくしてからは、夕飯もここで済ます事が多くなっている。
 支払いが面倒になって、店長にまとまった金額を預けるようにしている。信頼していると言えば聞こえがいいが、裏切られたらそれはそれと思っている所がある。
 ボトルも部下たちが勝手に飲んで新しい物を入れる。新しいボトルもデポジットから引かれるようになっている。昼のランチも始めてくれて、昼と夕飯をここで食べるようになっている。

「片桐。話せよ。何が問題だ?」

 手酌でウーロン酎ハイを作りながら、”ド直球”で聞いた。

「・・・。なんの事だ」
「今更隠すなよ。急に、俺の事を思い出して、美味しい仕事をくれるほど、俺とお前は仲が良かったわけじゃないよな」
「・・・。あぁそうだな。お前の話は、村田さんから聞いた」
「そうか、半年位の前の案件で、村田さんの所から人が入ってきたな」
「そうだ、俺もこの仕事を受けてから、誰か居ないかと思って、村田さんに話をしたら、お前の話が出てきて、篠原さんも一緒だって云うから、連絡した」
「経緯はわかった。それで、”なんで”俺に話を持ってきた?今の口ぶりだと、村田さんに断られているのだろう?」
「あぁ考えても見ろよ。電子カルテが解って、医事会計が解って、ネットワークやハードウェアの事が解って、医療機器の接続が解って、施設運営や老人ホームや給食の事が解る人間なんて居ないぞ」
「別に、俺が全部に精通しているわけじゃない」
「それでも、お前なら、全部の担当と話ができるだろう?」
「ある程度は・・・な。システム構築した経験はあるからな」
「頼む。受けてくれ」

 片桐は、テーブルに擦れるくらいに頭を下げた。

「頭上げろよ。だから、どうしてだ?まだ始まっていないプロジェクトなのだろう?」
「・・・」
「違うのか・・・あぁそうか、そういう事か・・・事故物件なのだな?」
「・・・そうだ。連続しているのは、俺だけだ」
「SIerは知っているのか?」
「・・・・あいつらが元凶だ。元々は、あいつらの別部署が訪問介護マッサージとWebサイト以外を担当するはずだった」
「ほぉそれにしては、根を上げるのが早くないか?」
「・・・・。ナベ。黙っていてくれるか?」
「あぁ・・・出来る限りでな」
「そうか、なるべくなら黙っていて欲しいが・・・」

 片桐が話すのはよくある話だ。
 大手SIerが受注した案件を子会社丸投げする。そして、子会社がシステム会社に自社案件として仕事を流す。そして、システム会社は、派遣から人を集めて体裁を整える。
 業務知識もないままに”言語知識”と”経験”だけの人間が集まる。最初の頃は期間もあるから、集まった人間にも余裕がある。余裕があるからある程度の業務知識の吸収もできる。作成を始めると、当初の予定より、人手が必要な状況になってくる。これは、業務知識がない人間を担当者にしてしまった事で発生する弊害だ。
 この辺りで客に説明すれば、被害は部分的な物になる。しかし、SIerの子会社は、自社の失点になる事を恐れて、システム会社に責任押し付ける動きをする。
 要求が増えていく中、システム会社は人の補充が出来ないまま時間だけが過ぎていく。派遣で来ている人間への支払いが難しい状況になるのに、それほど時間は必要としない。
 資金ショートが、目の前に迫ってくる。
 数年にも渡るシステム開発は、確かに大手には美味しい案件だが、小規模のシステム会社では社運をかけるほどの物だ。

 資金ショートしてしまった、システム会社は回収が出来ない状態で、|飛んで《倒産して》しまう。
 慌てるのは、子会社だ。SIerから丸投げされていた子会社は、客への報告を行っているが、システム屋特有の言い回しでごまかしてきていた。
 子会社は、飛んでしまったシステム会社の変わりを探し始める。時間との戦いだ。業界は、広いようで狭い。どこで人が繋がっているか解らない。子会社は、今まで支払った金額や自社で溶かした金額を除いた金額で受注できる会社を探すが、そんな会社は存在しない。そこで改めて、機能を細分化して、切り売りを始める。

 最初に見つかったのが、『出張介護マッサージ』のパッケージを作っていた。片桐の会社だった。
 片桐は、パッケージを導入するだけなら協力するという約束で参加した。
 子会社はパッケージを導入して終わりだと思っていた。しかし、質問という形の要望が大量に届けられる。契約と違うと怒鳴り込む事も出来たが、受け取った金はすでに溶かしてしまっていた。
 渋々、追加料金を貰って、要望に答える事にした。その時に、子会社から親会社を紹介された。子会社は、これで面子が保たれた・・・かに、思えた。

 しかし、片桐の所で出来るのは、一つの機能のみ。それもパッケージがあるだけで、顧客の要望を全面的に満足させる事が出来る物ではない。
 親会社は慌てて、自社に居る人間たちを集めて自社開発をする事になった。出張介護マッサージ事業以外の部分を・・・・で、ある。
 子会社と親会社は、片桐の会社がシステム開発を担当していると説明した。間違いではないが、正解ではない。これも、システム屋独特の言い回しで客に事実誤認させた。

 客の方にもまったく非がなかったわけじゃない。窓口になった人間が、子会社にリベートを要求していたのだ。
 子会社は、この時点で親会社に訴えていれば、ここまで酷くはならなかっただろうが、要求されたリベートの支払いに応じてしまったのだ。

 そして、片桐の会社が入った事に寄って、システムの一部が動き出したのがとどめになった。
 『出張介護マッサージ』の部分は元々パッケージなので、完成度も高い。事業に適さない部分もあったが、改修すれば、運営対応で回避できるレベルの物だ。
 客もすこしは安心する事になった。しかし、『出張介護マッサージ』以外の部分を見せる事が出来ないでいる。ハードウェアの選定もまだ出来ていない。そんな状況が続いた事によって、客から親会社と子会社を飛ばして、片桐の所に連絡が入った。
 客が怒鳴り込んでくるという状況になったのだ。片桐としては、『出張介護マッサージ』は自分たちが担当しているが、他は親会社と子会社が担当しているから、知らないと説明するしかない。

 真辺はこの時点で3度ほど頭を抱えている。片桐に全く非が無い。契約したことを、契約に則った形で行っている。
 しかし、片桐が行った事で火が具現化してしまったのだ。
 まず、客を説得しようとした事が間違っている。自分たちが担当していない部分でも、客から見たら担当の1人で間違いない。なら、客がアポをとらないで来た時点で、親会社と子会社に連絡してすぐに来てもらうべきだったのだ。

 その後、客は片桐を伴って、子会社に乗り込む。その後で、親会社に乗り込む。
 4社揃っての協議にはなったが、幸いな事にその時には期間がまだ残されていた。片桐の所の様な成功事例がある事から、親会社はトップに近い人間が謝罪して、自分の所仕切りで、パッケージを集めて開業までには間に合わせますという話で落ち着かせた。客の関係ない所では、子会社の部署がまるまる飛ばされて副社長や役員の首が飛んだ。

 片桐の最大のミスは、この時点でシステム料金を貰って撤退すべきだったのだ。
 損切りが出来ない懐事情も有ったのだろう。撤退時期を見誤った。

 この時点で、この案件は”事故物件”となっている。
 SIerは、”生贄の羊”を探していたのだ。

「ナベ。頼む」
「・・・・」

 真辺は、正直気乗りはしない。気乗りどころか、断る方向で気持ちが動いている。

「ナベ」
「うちの馬鹿どもがどうするかだな・・・。開発が必要になったら、お前の所か、SIerが担当するよな?」
「あぁ多分白鳥さんの所が担当する」
「お前と白鳥さんの関係は?」
「会社を興したばかりの時に、金を借りた」
「返したのだろう?」
「もちろんだ!でも、そのときの恩義があるから、俺は降りられない」
「そうか・・・今、お前の所の清算はどうなっているのだ?」
「あぁ3ヶ月まとめだ」
「末締め翌10日払いとかに出来るか?」
「俺の所と契約なら無理だ。白鳥さんの所なら交渉次第だと思う」
「わかった」
「受けてくれるか?」
「わからん。部下の意見を聞いてからじゃないと判断できない。全員で行く必要はないだろうが、資料を見てからだな」
「そうか・・・。悪いな」
「いい。ここ。お前が持てよな」
「あぁわかった」

 それから、すこしだけ昔話しと近況報告をしてから別れた。

 翌朝。
 パソコンを見ると篠原からメールが来ていた。
 資料一式が会社のサーバに入れてあるとの事だ。
 面倒だとは思ったが、VPN接続で、部署で使っているルータに接続してから、RDTに接続しサーバのファイルを閲覧する。
 経緯説明はなく今入札をしている企業や技術の説明。それから、松本先生の略歴や建設予定の施設の紹介だけが書かれていた。

 そして、入札をしているパッケージを持つ企業から出ている資料が大量に存在していた。

(こりゃ無理だ。RDTじゃ見難い。しょうがない。会社に行くか・・・。)

 ラフな格好に着替えて、会社に向かった。
 すでに朝という時間帯ではない上に、別に長々と会社に居るわけではないので、車で向かう事にした。
 真辺は来るまで出勤する事が殆どないのだが、ラッシュとぶつからないときには、時々車で向かう事がある。

 車はスムーズに進んで、昼すこし前に会社の近くにある駐車場に止める事ができた。会社に入って、自分のパソコンでファイルを閲覧する。
 真辺が抱いた感想は、”想像以上に何も考えていない”というものだ。入札されているシステムを見ると、動くOSだけじゃなく、求めるDBが違っているし、連携の方法も違っている。
 SIerは、値段が安い|(システム)を導入する予定でいる。システムを少しでもかじった人間なら危険性は解るのだが、それさえも越えてしまっている状態なのだ。クラサバのシステムもあれば、Webシステムもある。DBを使わないで、ファイル共有を使う物まである。
 求めるスペックが違いすぎる。どれを採用しても、繋ぐ事を考えれば、かなりチグハグなシステムになってしまう。

(片桐には悪いけど、こりゃ無理だな。断ろう。)

 真辺は、一応体裁を整えるために、現状の分析を簡単にしてから、篠原に”無理”とメールした。

 真辺がメールの送信とサーバからのレスポンスを確認して、帰ろうとした瞬間に真辺の机の上に置いてある電話がなった。
 社内のシステムでは、真辺がデスクに居る事が解るようになっている。
 篠原なら、電話ではなく足を運ぶだろうと考えたが、しのはら以外には考えられない。一呼吸してから、真辺は受話器を取る。

「おぉナベ。悪いな」
「いえ、それで・・・。無理ですよ」
「あぁ俺もそう思って、上に昨日の段階で難しい旨を伝えた」
「・・・そうですか、ありがとうございます」
「帰るのか?」
「はい。そのつもりです」
「すこし付き合え、昼飯位おごってやる」
「解りました。今は混んでいると思うので、13時にいつもの居酒屋でいいですよね?」
「あぁ解った」

 真辺は片付けをしてから、外にでた。社内居ると碌な事にならないのは経験で解っている。
 それに、今は休暇中なのだ。駐車場の料金がすこし気になるが、まぁしょうがない。本屋で時間を潰してから、居酒屋に移動した

「あ、いらっしゃい。ナベさん。篠原さん来ていますよ」
「あぁありがとう。俺、いつものね」
「はい。ナベさんスペシャル。あっ!今日”あぶらぼうず”が、入ったけど、どうする?」
「おっ!珍しいな。それじゃ海鮮丼にしようかな?」
「他にも、”ごそ”と”のどぐろ”と”太刀魚”がありますよ」
「そうか、それなら、鯵と鰤と”ごそ”と”あぶらぼうず”と”太刀魚”で頼む」
「はいよ。大盛り?」
「いや、蕎麦を付けてくれ」
「了解。モリでいいよね?」
「あぁ」

 真辺は、貝類や甲殻類が食べられない。5色丼というこの店がランチの時にだけ提供している丼も実は真辺が作らせたのだ。入っている魚介類の中から5種類を選んで海鮮丼にしているのだ。

 値段は、少し高めだが、1,400円。蕎麦付きなら+400円。ご飯の大盛りで+200円。ネタとご飯の大盛りで+500円。ネタとご飯と蕎麦の大盛りだと+600円。となる。安いとか、やすくないのかわからないが、真辺はこれにするか、刺身定食から真辺が食べられない物を除外して白身魚か光り物を増やした物に”もりそば”が付いて、980円。

「篠原の旦那」
「・・・あぁナベ。すまん。やられた」
「どうしたのですか?」
「白鳥の野郎。副社長に握らせやがった」
「はぁ?」

 どうやら、真辺は最高の丼を最低な気分で食べる事になってしまったようだ。

第四話 消火活動


「はぁどういうことだよ・・・ですか?」
「すまん。気が回らなかった」

「いえ、すみません。篠原さんが悪いわけじゃないのは解っています。事情の説明をお願いします」

 いつもの店員の女の子がお茶とお絞りを持ってきてくれた。
 (ナベさんって・・・。あんな冷たい目つきをするのですね)
 (あぁ仕事の話をしていると、時々な)
 奥で店長と店員が話しているが、それどころではない。

「・・・。あぁ、会社の副社長は知っているよな?」
「えぇどっちもよく知っていますよ」
「そうだな」
「それで、"ろくでもない"方ですか?」
「あぁ息子の方だ」

 真辺の会社は、中堅どころのシステム会社だ。今の副社長の親が立ち上げた会社だ。今の社長は、そのときの右腕だった人がやっている。温和な人で人望もある、経営者の視点もしっかり持っている。真辺の様な売上に直接貢献しない部署でも必要性を感じて維持している。副社長は二人いて、一人は立ち上げ時に入社した人間で現場の事をよく知っているし、業界内にも顔が聞く。開発から営業に移動したが、今は営業部のトップをやっている。
 問題は、もう一人の副社長だ。先代の息子で、当初は大手電話会社系SIerに勤めていたが、先代がなくなってから、会社を継ぐと言い出して、戻ってきた。株主や役員の猛反対にあって、社長にはならなかったが、先代の社長が残した伝手やSIerの伝手を期待されたという建前を、専務が上手く利用して、副社長の地位にとどまっている。
 仕事は、できる方の副社長にすこし劣る位だから問題はない。重要な案件に関わらないようにさせておけばいい。
 この副社長の問題は、人格面にある。協力会社を子会社扱いしたり、リベートを要求したり、セクハラまがいな事を平気で行ったりしている。ちなみに、前回の案件で原因を作った、|優秀な営業(口の軽い愚か者)は、この副社長が優秀だからと元の会社から引き抜いてきた者だ。
 そんなクズだが、数名の役員や株主を抱き込んでいるので、処断する事が難しい。専務や開発部の部長が派閥を形成している。切ってしまってもいいが、その時に、抱き込まれた役員や株主や専務と部長たちがどう動くのか解らないために、うかつに攻撃できない。

「は・・・それで、なんで、白鳥は、馬鹿にアタックしたのですか?」
「白鳥が、副社長の元の会社の上司だったようだ」
「・・・。終わったな。事情は解りました。断れなくなったって事ですね?」
「すまん。ナベに連絡した後で、副社長から連絡があって、『白鳥さんの所の仕事、受ける事にしたから、潰さないでいる赤字部署がすこしは稼いでくれるのなら、営業も嬉しいだろう』だってさ」
「篠原さん。解りました。うちの部署は5月で解散って事でいいですか?」
「待て、早まるな」
「だって、赤字を垂れ流す部署ならない方がいいでしょ」
「だから、待て。お前の部署が必要なのは、副社長以外みんなが理解している。赤字を垂れ流しているなんて思ってない。だから、早まるなよ」
「はやまりませんよ。部下たちの再就職が終わるまでは、机の中に入っている”辞表”は出しませんから安心してください」
「だから、待て!!」
「・・・。はぁそれで、篠原さんとして、私に提供出来る、妥協点はどの辺りに有るのですか?」

「それを今からナベと話がしたい」
「・・・。解りました。ようするに、成るようになれって事ですね」
「・・・。すまん」

 昼飯を食べてから会社に戻って、会議室に入った。
 そこで妥協点を探す事にした。

 まずは、入札に関わらせる事。これは絶対条件だ。決定権をよこせと言ってもいいかもしれない。その他の妥協点を列挙していく。
 平均単価は、160/月として残業清算ありとし、現場常駐はしない。月末締め翌10日払い。ようするに、『言い値』を払えという事だ
 納品物は作業報告書のみ。毎週の定例ミーティングの開催と必ず白鳥氏/片桐氏は出席する事。出席出来ない場合は、白鳥氏の上司に当る人物が出席する事。
 開発人員は、SIerが手配する事。
 行う業務は、プロマネとQA対応 及び 会社間の調整。試験の確認及び導入サポート。
 契約は3ヶ月とし、延長は双方話し合いで決める。

 これでは向こうがGOを踏むとは思えない。そんな条件だ。
 なんか文句言ってきても、これでなければ受けられないと突っぱねる事が出来る状態には持っていきたい。
 副社長は、社長に言って止めてもらうしかない。

「わかった。これで交渉してみる」
「たのみます。俺は、明日から実家の街に帰りますから、1週間は連絡が出来ないと思って下さい」
「携帯も・・・だな」
「えぇ田舎ですからね。つながっても電波の状況が悪いでしょう。すぐに切れてしまうのは間違いないです」
「・・・。わかった、社長や白鳥氏には、そう説明しておく」
「頼みます」

「ナベの所からは、何人くらい出す?」
「そうですね。俺入れて、4人って所でしょうかね?待機させておかないと不味そうな雰囲気が有りますからね」
「悪いな。ナベ以外の3名は?」
「医療関係だからな・・・石川と小林と井上かな、余裕があったら、山本を出すかな。ネットワーク関連でも揉めそうだしな」
「わかった、それじゃナベ入れて4~5名って話をする。予算感で決めると言っておく」
「頼んます」

 会議室を出て、家に帰宅した。
 駐車場代金が3,000円と高く着いたのが地味に苛ついた。

 真辺には帰る実家がない。
 実際には、田舎はあるが、帰っても、遠い親戚がいるだけだ。
 両親はすでに他界している。両親の父親も母親も早くに亡くなっている。
 妹が居たが、子供の時に他界している。ようするに、本当に天涯孤独の身なのだ。

 家に着いてから、ホテルの予約を入れる。
 いつものスパが空いていたので、そこに連泊する事にした。真辺の実家まで、東名高速を使って2~3時間。SAやPAに寄りながら帰るのが好きなのだ。
 ガソリンを満タンにして、首都高から東名高速に入っていく。
 一応、いつも持ち歩いているノートパソコンとタブレットは持っていく。着替えなどは、旅先で買えばいいと考えて手ぶらで出かける。

 両親や妹が眠る墓所に連絡を入れておく。
 急に訪れてもいいが、寺の住職が中学の時の後輩で良くしてくれているのは知っている。土産を持って訪れる事にする。
 ついでに、同級生の何人かとも会うつもりで居た。

 その後は、スパで堕落した生活を送る事に決めている。
 好きな時に温泉に入って、好きなだけ寝て過ごす。気が向いたら、釣りにでも行けばいい。

 堕落する前に、石川と小林と井上と山本の予定を確認する。
 二週間後には会社で揃う事を確認して、部内で使うMLにて連絡しておく。質問は、篠原営業部長にするようにと付け足しておく。これだけで、火付け案件だと認識するはずだ。

 資料の場所を明記して
 最後に『受注確度:80%(副社長案件)』と、書いて送った。

 返事はMLでなく、LiNEで来た。
 名前が上がった人間たちは、『了解』と短く答えて、それ以外の人間は『ご愁傷様です』や『応援しています』と他人事の返事が続く。
 4人は必須でそれ以外は任意とする会議予定を入れる。勿論、篠原営業部長にもご出席をお願いしてある。

 何も考えないで済む時間を堪能する為に、愛車のハンドルを握って、エンジンに火を入れる。

 二週間後に、会議室に関係者が揃った、関係者が揃っている事が確認され、篠原営業部長から、正式受注された旨が発表された。
 単価以外の全ての条件を飲んだということだ。平均単価自体はOKで、残業時間の清算をするのなら、常駐して作業をしろという事だった。残業時間の清算をなくして、常駐もなくした。その代わり、現地作業時の残業清算を約束させた。まぁそのくらいの譲歩はしょうがない事だろう。

 6月初めから作業が始めると決まった。

 入札の最終プレゼンが今週あるというので、真辺と篠原はそれに参加する事になっている。

 ここですでに誤差が生じ始める。

 入札プレゼンといいながら、出来レースなのがミエミエだったのだ。
 SIerの関連会社や、白鳥が属していた会社の関連会社しか残されていない。そして、対抗となるべき入札会社も準備ができていないのは明白で完全に数合わせとして入札プレゼンに参加している。

(やられた・・・)

 バラバラなシステムになる。開発案件は発生しないから、勝手に苦しめばいいと投げやりな状態になってしまっていた。

 導入するパッケージも決まり、個々のパッケージはそれぞれ顧客に対して確認をする事になる。
 全体システムの運営母体は、SIerが受け持つ事になる。それは、最初から決まっていた事で、これが仕事として”おいしい”のだ。

 それぞれのパッケージの仕様を確認する作業が始まる。
 作業としては、それほど重いものではなかった。

 それぞれのパッケージの改修は、7月末に終わるとスケジュールが出された。
 安全を見て、8月中から2週間の確認期間を置くことになった。

 7月はじめから、データの相互運営の為の話し合いが始まる。
 そこが一つの山だと思っていた。やはりというか、導入する為のハードウェアとネットワークで揉め始める。
 最初から解っていた事で再三注意喚起していたが、関連会社はそれぞれが自分の所では、改修で時間がない事を理由に他が合わせるべきだと言い争いになっている。
 真辺たちはSIerに調停をお願いしていたが、都度担当者が変わって結局7月末までに調整が出来ないままテストに突入する事になった。

 ここでまた、大きな問題が発生した。テスト人員が足りない事が発覚した。
 実際には、足りているのだ。8月中は、俗に言うお盆の時期と重なる。SIerの関連会社や大手企業だと福利厚生というありがたい言葉で、社員が強制的に休まされる事がある。その分、どこかが作業をしなければならない。白鳥は、片桐の所に依頼をだしたが、片桐の所は人手が居るわけではない。それにすぐに集めて、1週間位でバラす様なチームが急遽作れるわけではない。

 白鳥は、また副社長に連絡をした。
 副社長は、なんの相談もなく受ける事を約束した。そして、真辺の所の人間が社内に居る事を聞いて、それを使う事を言い出した。理由付はいくらでも出来る。
 1週間という約束で部下を現場に出す事にした。真辺が鍛え上げた部隊だけあって、現場での作業はスムーズに消化されていく。
 テストも予定の7割程度消化する事が出来た。しかし、負荷テストを行っている時に、データが壊れたり、異常終了したり、遅延が発生したりする現象が出始めた。

 休み明けに戻ってきたパッケージの開発会社に聞くと、”仕様です”という返事が来た。
 ”仕様”では済まされない問題である事は間違いない。そうすると、環境依存なので、弊社で再現しないので、修正出来ません。と、話がすり替わった。

 これも火を噴く現場でよく発生する現象だ。

 データ項目の見直しをしていた部下が根本的な問題を発見してしまった。
 データ連携が出来ているはずのデータが、全く出来ていない事が発覚したのだ。それだけではなく、パッケージだからある程度はしょうがないにしても、言葉の統一はしなければならない。

 元々の要件でも入っていた部分が出来ていない。

 パッケージ単体で見ているときには、細かい問題は見受けられたが、全体的にOKだった物が、本番環境での連携テストをし始めた途端に問題が発生し始めた。

 また、連携部分に関しても、真辺たちが指定した方法ではなく、自分たちが出来る方法で行っている事も発覚して、このままだと、OSや接続の為のライセンスが想定を越えてしまう。また、扱うデータの為にセキュリティにも十分注意する必要があったが、自社パッケージ内では守られているが、接続部分で漏洩の危険がある方法になってしまっていた。

 これらの問題が発覚してから、真辺たちが現場に出る事になった。
 内容や、時間を考慮すれば、契約破棄しても良かったが、副社長が欲をだして、子飼いの役員がまとめる部署に『パッケージや基盤の修正』という案件を受注させていたのだ。
 真辺たちは、巻き込まれる形でズルズルと火消しを行う事になってしまったのだ

 6月から始まった業務も気がついてみれば、8月末になっている。

 あと二ヶ月で施設がオープンになる。
 実際に、テレビコマーシャルも打っているようだし、看板広告も見かける。
 従業員も多数雇い入れているし、入居者説明会は毎回満員だという、嬉しい話が沢山聞こえてくる。

 ”ふりだし”に戻せない状況で、個々のパッケージは完成されている物だから、従業員への説明が出来てしまう。

 実は、この出来てしまったのが問題だったのだ。出来なければ、”最初は手書き”でお願いします。という逃げ道を使う事ができる。中途半端な状態で使えてしまっている為に、完全に後に引けない状況になっている。

 パッケージを提供している会社は、自分の所の仕事は終わったとばかりに撤退を決め込んでいる。
 接続部分に関しては、相手の作業だと言って譲らない。

 そして、悪い事に、”篠原営業部長”が倒れたのだ。
 真辺の味方が居なくなった瞬間だった。

 白鳥が、副社長に話を持っていって、今後の運営を餌に接続部分全部の受注に成功したと、偉そうに社内で発表した時には、真辺は目の前が真っ暗になって、社長室に辞表を持って殴り込んだ。
 だが、受理される事はなかった。部下たちの事もある、中途半端に仕事を投げ出すのも性分ではない。
 社長に説得されて、この仕事が終わるまでは付き合うと約束した。運営が起動に乗るまで付き合う事になった。

 涼しい時期から始まって、暑い季節を過ごし、9月の中頃。システムのカットオーバが見え始めて、安堵の声が聞こえ始めた。
 最終テストと従業員への教育を担当していた人間から、爆弾発言が落とされた。

 大きな、大きな、問題が複数発覚する。

第五話 確執と問題


「ナベ。お前休んでいるのか?」

 呼び出された会議室で、昨日まで倒れて休んでいた篠原が真辺に言い寄ってきた。
 そう言われるのも当たり前だ。
 6月から始まったデスマーチ。9月に入っても収束していない。

 6月はまだ良かった。
 7月から残業時間がおかしな数字になり始める。
 7月の残業時間、280時間。勤務時間ではなく、残業時間だ。
 8月はもっと酷くなる”残業320時間”国が定める過労死の時間を、4倍した時間と同じになっている。

 9月は、前月の半分位になる計算だ。

 それもそのはずだ。
 元々請け負った業務以外に、テストの為の作業が入り。請け負った業務がことごとく炎上した。それらを鎮火させる為に、部下を配置した。普段なら余裕があるが、今回は余裕がない為に高圧的な態度で対応した。
 高圧的な態度での対応になってしまった為に、作業が真辺の所に集中する結果になった。これが、|作業時間(残業時間)が伸びてしまった原因だ。

 また、通常この手の現場のときには、昼過ぎから対応を行えばいいので午前中は休む事が出来る。
 しかし、この現場は並行して従業員への教育を行わなければならない。昼間は従業員への対応を行い。夕方から、開発チームの進捗を確認しつつ、客との打ち合わせを行う。
 そして、テスト部隊がテストを終えてから、インフラ周りの調整や、その日のトラフィックからネットワークの調整やハードウェアの配置場所を変更していくことになる。実運営に合わせた、ハードウェアのメンテナンス計画の策定も行っていかなければならない。

 会社にも家にも帰らず現場で寝泊まりする生活が続いている。
 幸いな事に、現場は病院施設でベッドや風呂がある。客と交渉して使わせて貰っている。それがなかったら、倒れていても不思議ではない。

 中旬になって、リリースが見えてきた。
 幾つかの問題はあるが、客に話をして、運営対応で逃げる事が出来る所まで持ってきた。

 現場を知らない人間の”善意”ほど、面倒な物はない。

 真辺はこの言葉を実感する。
 今までネットワークの設定やサーバの設置は、臨時で用意された部屋で行っていた。
 サーバを納める部屋は、施設がある程度出来上がってきてから、内装を整える事になっていた。内装が完了してから、サーバを移動する事になっている。

「ナベさん。サーバ移動させて、動作確認ですよね」
 部下の山本が真辺に声をかけてきた。

「あぁ今日の研修が終わったら、移動して、朝まで使えるようにすれば・・・。概ねインフラ周りは終わりかな?」
「了解。何時くらいから始めますか?」
「研修が終わるのが、16時だから、余裕を見て、19時位からかな。開発の進捗に寄っては、もう少し後ろにずらすかもしれないけどな」
「う~ん。了解。ひとまず、あがって寝ますね」
「わかった。近くになったら連絡する。おやすみ」
「頼みます。仮眠、いただきます」

 施設柄、仮眠室が確保できたり、給食が確保出来たり、薬の調達が出来るのはありがたい。真辺も一度酷い倦怠感に悩まされて、ドクターに相談して、点滴を入れてもらった事がある。

 冗談で、「ここなら倒れても、病室に端末持ち込んで仕事が出来る」と、部下と笑った。

 山本が仮眠室に飲み込まれていくのを見て、開発を見ている石川に連絡を入れる。
『19時にサーバダウン。起動はテッペンを予定』
『今日は、バラします』
 開発のスケジュールに問題ないようだ。新しく入れたモジュールが機能してくれているようだ。俺と井上の傑作品を入れるのだ、上手く使ってもらわないと困る。

 次に、小林に連絡を入れる。
『19時にサーバ移動する。そっちの作業に差し支えなければ、救援に来てくれ』
『了解。予定通り16時には終わります。食事後。そちらに伺います。差し入れが必要なら食事前にお願いします』
『小林夫人の笑顔での出前を頼む』
『無理です』

 従業員へ研修も問題ないようだ。

 井上から電話での連絡が入る。
『ナベさん。大変です。ヘルプです』
『解った。今から向かう。どこだ?』
『幼保園の園長室です』
『で、何が有った?』
『ロットバルトがやってくれました』
『居るのか?』
『いません。今呼びに行かせています』

 SIerの担当である。白鳥が何かやらかしたらしい。ロットバルトとは、井上命名なのだ。『白鳥→白鳥の湖→白鳥に変えられるオデット→唆す悪魔→ロットバルト』ということらしい。隠語にしては洒落ている。

 園長室に向かうと、井上と全体の流れの確認をしてもらっている。幼保園の園長先生、及びパッケージを提供している協力会社のエンジニア。それに片桐が居た。

 真辺が園長室に着いた時に、SIerの担当者から井上に連絡が入る。
『白鳥さんは、もう帰宅してしまっていて連絡が着きません』と、言っているらしい。真辺に電話を変わってもらって
『「1時間以内に来なければ、私の権限で全てを決定します」そして「ここで解った事は、上層部に伝えます」そう白鳥さんに伝言して下さい』

「ナベさん。どういう事ですか?」
「あぁ白鳥さんは、まだ会社に居ますよ」
「「「え?」」」
「あの会社で、『連絡が着きません』は『上司や別の会社との打ち合わせを行っている』に言い換えられるからな。本当に、連絡がつかないときには『今連絡を着けています』と、言うからな」
「・・・・」

「それで、何が有りましたか?」

 真辺は、にっこりと笑って、園長先生に話しかける。

 園長先生が言うには、助成金を申請する為に、幼保園の概要や内部の様子が解るような資料とWebサイトが必要になるという事だ。
 園の目玉として、IoT化して園内の状況を保護者に見せる仕組みを導入する事になっている。
 最新技術を使っていますという触れ込みのためだ。実際、職員からの評判もいい。子どもが園内から出そうになったら警告を出すなどの機能も付けているからだ。

 これはパッケージで実現済みだ。
 しかし、園長先生たちから見ると、それが、わかりにくいと言う事だ。当然だ。説明が十分にされているとはお世辞にも言えない状況だからだ。それでも、何度か話し合いをして、Webへの反映や資料を作ってきた。機能充足は出来ているはずである。

 園長先生も申し訳なさそうにしているので、真辺は、園長先生は気にせずにおっしゃって下さ。と話を進めさせる。

 システムが組み込まれた保護者向けのWebサイトは、会員制になっていて、|登録された端末(MACアドレス認証)からしか閲覧出来ないようになっている。園から支給するリストバンドを子供がする事で、脈拍・心拍数・体温・現在の居場所を、保護者が確認する事が出来る。また、近くのカメラで確認する事が出来るようになっている。それらの機能説明と確認を今日行う予定になっていた。

 納品作業で機能が問題ない事を確認して終わりになるだけの簡単な作業だ。

 問題になったのは、そこではない。園長先生や経営者達が、今日それらの機能と同時に、公開する幼保園のWebサイトがあると思っていたらしい。

 議事録を確認してもそんな約束はしていない。それで、井上は片桐を呼んで話しに加わってもらったのだ。片桐も、そんな依頼は受けていないと行っている。協力会社も同じだ。

 それで、園長先生に、『誰と』どんな話しになったのかを説明してもらった。

 前回の打ち合わせ終了時に、園長先生と施設の経営陣が助成金の申請書類の話をしていて、幼保園のWebサイトが必要だという事がわかったのだ。それを、SIerの担当者に連絡した。折り返しで、白鳥から連絡が来て、簡単な物でよければ、作成させますが期限はギリギリになると想います。と言われたのだという。

 その期限が明日なのだ!

「明日・・・ですか?」
「あっはい。ドメインでしたっけ?なんか申請に必要だという事で、白鳥さんから請求書が来て、お支払をしまして・・・」

(あいつやりやがったな!)

「そうなのですか?ちなみに請求額は?」
「すこしお待ち下さい・・・・。えぇと、15万です。なんでも、特殊な方法での取得で、時間的にも厳しい、ドメインらしくて・・・。そのくらい必要なのだと言っていました」

(・・・?ドメイン申請だけで15万?1.5万でも高いのに?)

「はぁ、なんとなく状況は解りました。ちなみに、そのドメインの資料とか手元に来ていますか?」
「いえ、ただ、申請書類に、ホームページのアドレスを書かなければならない所に、記載してほしいと言われて、書いた物ならあります」
「拝見できますか?」
「コピーをお持ちします。しばらくお待ち下さい」

 園長先生が部屋を出て、事務の所に行ってなにやら指示をしているのが解る。

「ナベ」「ナベさん」

「最悪だな。ドメインの申請がされていなければ・・・。こちらで取得してしまうこともできる。大きな問題は回避できる」

 園長先生が戻ってきて、書類を持ってきてくれた。

 そこには、URLが書かれていた。『.jpドメイン』だ。これなら即時発効も可能だ。白鳥が何もしていない事を期待しよう。

「ちなみに、園長先生。ホームページなのですが、簡単な物があればいいのですか?」
「はい。あぁ前に、片桐さんが作ってくれた幼保園のパンフレットありますよね。あの内容であれば大丈夫です。後で直せるのですよね?」

「はい。何度でも修正出来ます。パンフレットですか、ありがとうございます」
「それなら、パンフレットの内容でお願い出来ますか?」

「解りました。白鳥さんに確認が取れ次第。どうするのか決定します。園長先生は、本日は何時位までこちらにおいでですか?」
「私ですか?入園者への案内を書いておりますので、19時位までは居ると想います」
「わかりました。それまでには、対応を協議してご連絡致します」
「あっよろしくお願いします。真辺さん。井上さん。ありがとうございます」

 現場で働いている人間たちは、真辺たちが奮戦しているのは知っている。
 仮眠している時でも、すぐに駆けつけてくれる。協力会社で来ている人間たちも、真辺たちが家に帰らずに、施設に詰めているのを知っている。
 真辺達は、それをひけらかす事はしない。遅れているのは、システム屋全体の問題で、『なんとか間に合わせよう』と、しているだけ、という立場を最初から貫いている。倉橋が居た時からの伝統だ。一番困っているのは、顧客であり、現場で働く事になる従業員なのだ。
 従業員や現場に居る人達からの些細な質問や雑談にも気楽に応じている。

 仲間だと認識させる事に成功しているのだ。

 幼保園の園長先生の部屋から出て、近くの会議室を借りて話をする。

「片桐。パンフレットのデータは?」
「イラレだよ」
「そうか、井上。ドメインは?」
「まだ取られていない」
「あの馬鹿。何していたのだ。前回の打ち合わせから、1週間は立っているぞ。井上。ドメイン取ってしまえ。俺のアカウントでいい」
「了解」
「協力会社さん。申し訳ない。こんな事に巻き込んでしまって・・・」

「いえ、私達はそれほど大変じゃありませんでしたから、何かお手伝い出来そうな事があったら言って下さい」
「解りました。ありがとうございます」

 協力会社は完全に一歩下がった事になる。
 面倒な事に首を突っ込みたくないのだろう。協力会社の人間が、スマホを取り出して、なにか慌てている様子を見せる。

(あぁ帰るな・・)

「真辺さん。井上さん。片桐さん。申し訳ない。会社からの呼び出しで、今日の報告をする事になってしまいました」
「あっそうなのですか、解りました。本日はありがとうございます。何か有りましたら、ご連絡致します。お疲れ様でした」

 戦力にならない人間と長々話すのも疲れるので、そうそうに帰ってもらう事にした。

「片桐。イラレなら。HTMLに保存できるよな?」
「あぁでも、デザイン崩れるぞ。それに、ブラウザによっては表示が出来ないかもしれないぞ」
「気にするな。まずは見られる事が大事だからな」
「解った、流石に無調整は俺が気になるから、調整はさせてくれ。サービスしておく」
「すまん。篠原の旦那に言っておく。この前の鉄板焼きでいいか?」
「いや、お前の居酒屋でいい」
「そうか、俺の名刺をだせば、ボトルが出て来るし俺のツケになる。勝手に使ってくれ」
「あぁそれで、時間的な制約は回避できるかもしれないが・・・。どうする?」

 真辺には、片桐が言っている『どうする』が複数の意味を持つ事が解っている。
 解っているが、あえて業務の内容だけにとどめて話をする事にした。

「サーバは、こっちで用意する。ここ外部からの接続は特定ポートと認証端末だけにしているからな」
「そうだよな。解った、HTML一式送ればいいか?」
「あぁ頼む。テッペン位までにあると助かる」
「園長に見せるのなら、早いほうがいいだろう?」
「そうだな。頼めるか?」
「大丈夫だ」
「井上。いつものレンタルサーバに向けてドメイン設定して、反映が終わったら、片桐に、SFTPのアカウントを発効して連絡しておいてくれ」
「イエッサー!」

「俺は、園長先生に明日の|朝イチ《午前9時》までには準備出来ますと連絡する。その後、サーバ設置の準備をする。片桐。悪いけど、明日の朝イチに来てくれ。園長と見ながら間違いがないか確認する」
「了解」「あぁ解った」

 井上が端末を操作して、片桐となにか話しているのを見ながら、園長室に向かった。園長先生に、『パンフレットの内容でホームページを開設する準備が出来ているようで、本日の会議に間に合わずに申し訳ありません』と謝罪して、『遅くても、明日の朝10時には確認できます』と、伝えた。
 踏まえて園長先生には明日の朝の都合がいい時間に、ホームページを一緒に確認しながら見ながら修正箇所がないか確認したい旨を伝えた。

 園長室を出て、サーバが仮置きしている所に向かう。
 白鳥からは連絡が入らないが、真辺から連絡する事はしない。その代わりに、篠原に連絡を入れておく

(こりゃ今月の携帯代。5万を超えるな・・・)

『おぉどうした?』
『”お耳”に入れておきたい事があります』
『なんだ?また副社長か?』
『そうなる前に止めて欲しい事です・・・・』

 篠原に、現在発生した事を詳細に話した。

『そうか、園長先生に言って、その請求書を抑えられないか?』
『あぁそうですね。井上に言っておきます』
『頼む。噂だけどな・・・・』

 白鳥が、諸々の事が会社に伝わって、減給処分になっているらしいという事だ。もしかしたら、他でもいろいろ無茶しているかもしれないから、注意してくれという事だ。

『了解。こっちは、それどころじゃないから、篠原さん。営業をこっちに置いておく事出来ませんか?情報収集させるだけでいいのですが?』
『あぁ解った。すこし考える。ナベ。無茶はするなよ』
『いつものことですよ。ありがたい事にね』
『すまんな。こんなつもりじゃなかったのだけどな』
『いいですよ。解っていますよ。終わったら、おごってくださいね』
『あぁチームメンバーの全員連れて、飲みに行くか』
『いいですね。篠原さんおすすめの焼鳥屋に行きたいですね』
『わかった。1001の1800から予約入れておく。だから、しっかり終わらせて帰ってこい』
『わかりましたよ。死なないようにがんばりますよ』

 他愛もない話しをしてから、電話を切って、井上に園長先生にお願いして、ロットバルトからの請求書のコピーをもらうように指示をだした。
 理由は『ドメインの支払い状況確認の為』とした。

 真辺が、サーバ室に着いて一息着いた時に、井上からメールが届く
『請求書。ゲットだぜ!ついでに、振込用紙もゲットしました。後で持って行きます』

 添付された画像には、『見積書 兼 請求書』となっている。

(やっぱり、やりやがった。白鳥宛になっている。横領、それに特別背任か・・・。でも、まだわからないな。言い逃れは十分出来る。ドメインが取得出来ないと慌てればいい。そうだ、片桐にすこしおちゃめなイタズラを依頼しよう。)

『片桐』
『なんだ?』
『白鳥、やらかしたぞ』
『・・・。やっぱりな』
『どういうことだよ。何を知っている?』
『先月分の請求書を発効する時に・・・。白鳥さんから相談があると言われて・・・・』
『バックを要求されたか?』
『あぁ』
『金額は、15万』
『ビンゴだな。断ったのだろう?』
『平時だったら良かったけどな。今はまずいだろう』
『そうだな。証拠はあるのか?』
『勿論だ。なんか雰囲気がやばかったから録音してある』
『あとで廻してくれるか?』
『・・・・。わかった。すまんな。真辺』
『いいよ。あぁそれで本題だけどな・・・』

 片桐にお願いしたのは、SIerからのアクセス時には、レンタルサーバ側で、500になるようにするから、何か連絡が有っても知らないと言って欲しいということだ。それで、時間があったら、500と404と301用のページを何か作って欲しいという話をした。あと、白鳥が使っている端末のMACアドレスは解っているから、それはループバックアドレスに飛ばすようにすると説明した。

『ハハハ。そりゃぁ慌てるだろうな』
『あぁまずドメインが取られていて、サイトの表示が出来ていない状況じゃ何も出来ないからな』

 イタズラの話をして電話を切ったら、片桐から音声ファイルが届いた。電話の録音の様だ。

(あぁ終わったな。今外すか・・・?それとも、終わってからにするのがいいのか・・・)

 証拠となる物を、篠原に転送した真辺はサーバを仮置きしている部屋でくつろいでいた。
 小さな問題はでるが、これで大丈夫だと考えていた。終わりが見えてきた。

 この時、オープンに支障がありそうな事は見当たらない。
 残り2週間。問題が発生しなければ、1週間で終わる予定になっている。今が金曜日の午後10時すぎ。このサーバの移転で問題が出ても、この土日でリカバリー出来るだろう。

 すこしだけ仮眠するか・・・。パソコンチェアに座って、足をもう一つの椅子の背もたれにかけながら、動く椅子の上で器用に寝る。

 システム屋は、パイプ椅子を3つ並べて寝られて半人前。キャスタが付いた椅子3つで朝まで落ちないで寝られたら一人前。肘掛けが付いた椅子二つで熟睡できたら独り立ち!

 そんな事を笑いながら話していたのを思い出す。

第六話 修羅場


「ナベさん。ナベさん」

 真辺は、山本に起こされた。

「あぁすまん。寝てしまったみたいだ」
「えぇそうですね。それに、なんど見てもびっくりしますよ。本当に器用に寝ますよね」
「特技だからな。なんなら、秘伝だが、お前になら伝授してもいいぞ?」
「遠慮しておきます。俺は、やわからなベッドの上が好きですからね」
「あぁそうだな。隣に愛おしい奥方が居れば尚良だろ」

 二人は、お互いを見て笑った。
 鉄火場。修羅場。デスマーチ。どんな言われ方をしていても火中にいるのには違いない。しかし、真辺たちは笑う事を忘れない。余裕がない時ほど、”笑え”と言っているのだ。客も最初は不謹慎だと言ったりするが、それでも笑う事を続ける。そうでないと、心が壊れてしまうのを知っているからだ。

 真辺たちも、仲間だった者が心を壊して、最悪な選択をするのを何度も見ている。真辺は、同期だけで三人の葬儀に出ている。関連会社や協力会社を入れればもっと多いだろう。
 自殺という選択肢を選ばなくても、朝出勤してこなかったり、仕事中に突然居なくなってしまったり、狂いだして壁に頭を打ち付けたり、見えない物が見え始めたり、様々な事象を見てきた。後になると笑い話しになる事もある。
 しかし、そうならないためにも、どんなに忙しくても、どんなに追い詰められても、どんなに身体が辛いときでも、笑う事を義務付けている。心からの笑いじゃなくてもいい。作り笑いでもいい。
 作り笑いもできなくなったら、心が摩耗しつくしている時だと考えている。できれば、作り笑いになる前に、強制的に休みを作る事にしている。
 笑えなくなった部下を一人だけで休ませると、最悪な選択肢を選ぶ可能性もある。だから、真辺はどんな修羅場でも、部下が作り笑いになってきたら、全員で休む事にしている。

 笑って、周りを見て、自分を確認しろ。

 真辺たちは、今のチームになってから、一人の脱落者もないまま業界で過ごしている。
 そんな部下たちを真辺は心の底から頼もしく思っている。信頼できる仲間だ。戦友と言葉を使っても違和感は無いと思っている。

「山本。それじゃ、ちゃっちゃと、始めるか?」
「いえ、もう殆ど終わりました。後は、火入れと確認です」
「あっそうか、すまんな。起こせばよかったのに・・・」
「何、言っているのですか?横でサーバラックの解体や移動のすごい音の中でも平気で寝ていた人が・・・」
「それもそうか、すまん。この埋め合わせは、何か精神的な形で還元するからな」
「はい、はい、解っていますよ」

 サーバ室に移動して、電源を入れた。
 順番はないが、幾つかのパターンで電源を入れて、しっかり起動するのかを確認する。
 NASも有るために、NASを最初に起動する様には指導しているが、実際にその通りに、実行してくれる可能性の方が低いだろう。
 施設には、地下発電があるので、停電の心配は少ないが、UPSを入れている。シャットダウンが想定の1/3で終わるのも確認していく、確認が終わったときには、金曜日の26時を回っていた。

「山本。チームメンバーで起きている連中が居たら、集合させてくれ。すこし、まずいことになりそうな状況が発生したから、夜食でも食いながら説明する」
「了解。駐車場集合でいいですか?」
「あぁお前の車以外で移動する事にしよう」
「おれの86はダメですか?」
「俺は、Type-Rが好きだ。時点で、RX7か8だな。新86に乗るのなら、CIVIC Type-Rだな」
「このホンダ教め。いいですよ。解りました、送迎用のバスが借りられるかもしれないから、聞いてみますね」
「そうだな。その方が楽だな。頼む」

 10分後。施設に来ているメンバーほぼ全員が揃った。
 帰ったメンバーも居るが、それでもAM2時にこれだけの人間が揃うのはすこし異常な事だ。

「はぁ・・・」

 真辺は一つため息を着いて

「解った、今日は、俺が出す。酒はダメだが、好きな物を注文しろ」

 結局、複数の車で、隣町にある24時間営業のファミレスに行った。

 そこで、真辺は、チームメンバーに白鳥の一件を説明した。まだ調査中で、篠原に任せた事も合わせて説明した。

「ナベさん。それで、何か俺たちがやることはありますか?」
「茶のみ話でいいから、協力会社や客にロックバルトとの直接のやり取りがなかったか確認して欲しい。ロックバルトの奴は、よほど切羽詰まっているからなにかしている可能性が高い」
「イエッサー!」

 それから、食事をして、ファミレスを出た。
 今日は土曜日。明日は日曜日だという噂が流れている。世間では、日曜日という日が休みだという都市伝説まであるらしい。誰がいい出したのか詳細に聞いてみたい。
 そんな都市伝説の様な話に乗っかって、土曜日と日曜日で、部下を半分ずつ、家に帰す事にした。

 現在の状況を聞いて、帰る順番を決めていく。真辺自身も日曜日の深夜に帰る事にした。

 久しぶりの我が家に帰った真辺だが、やる事がなにかあるわけじゃない。
 それにいろいろな事で面倒になってしまった。近くのスーパ銭湯に行く事にした。
 そこで風呂にゆっくり浸かって、仮眠してから施設に戻る事にした。月曜日は、予定は昼からになっているが、篠原が手配した営業が、施設内のいろいろ場所に挨拶周りをする事になっている。
 それに合わせるように、施設に到着できるように行く事にする。

 真辺が施設に付いたら、丁度営業が最寄り駅に付いたと連絡が入った。
 そこからタクシーを使って来るという事なので、玄関で待っている事にした。

 営業は、全部で7名来ている。

(旦那。気張ってくれたな。それとも、この施設の運用を取るつもりなのか?ちょっと難しいと思うけどな)

「真辺部長」
「あっありがとう。誰がどこに行くのかを決まっているの?」
「はい。篠原部長からの指示が出ています」
「そうか、よろしく。俺は、サーバ室に詰めているから、何か合ったら連絡ください」
「解りました。それから、此奴を、部長に付けます。下僕の様に使って下さい」
「あぁありがとう。初めましてだよね。名前は?」

 身長140cm位の女の子という表現が正しいだろう。
 スーツもまだまだ着られている印象がある。悲壮な顔をしているし、他の面子よりも荷物が多い。泊まりとか言われているのだろう。
 すこし、髪の毛を茶色にして、薄く化粧をしている。

「あっはじめまして、山本貴子といいます。真辺部長。よろしくお願いします」
「ねぇ森君。この娘、家の娘?」
「そうです。今年の新人の中では一番の有望株です」
「へぇそう」
「一通りは仕込んでいますから大丈夫だと想います」
「あっそう。解った。今週が勝負だから、ダメだと思ったら戻すけどいいよね?」

「はい。大丈夫です。山本。いいな。なんとしても、1週間耐えろ!」

「おいおい。森君。それじゃ俺が鬼のようなやつのようじゃないか?俺は基本的に平和主義者だよ」
「あぁそうですね。それでは、真辺部長。山本を頼みます。俺たちは、各部署に別れて作業します」
「あっうん。わかった。部のメンバーは解るよね?」
「もちろんです!」

 営業は、二名ずつになって、石川/小林/井上の所に分かれていった。

「あの・・・真辺部長」
「あぁゴメン。それから、俺のことは、”ナベさん”って呼ぶようにね。客前では、”真辺さん”で頼む」
「解りました。真辺部長」
「ほら・・・。まぁそのうち慣れてね。山本が資料作っているから手伝ってあげて」
「はい」

 サーバ室に移動した。

「おい。山本。営業からここの手伝いをするために来た。山本さんだ」
「おぉ女の子をよこすって、営業は何を感が手言える?」
「文句なら、森君に言ってよ。そもそも、何も考えていないと思うぞ・・・。そうか、二人とも山本か・・・それじゃ、お前を『バカ本』って呼べばいいか」
「ナベさんそりゃぁ酷いな」

 二人のやり取りにあっけに取られている山本さんだったが、自分が来た意味を思い出して

「山本主任。はじめまして、山本貴子といいます。よろしくお願いします。真辺部長。私の事は、貴子と呼んでください。同期にも”山本”が3人居て、名前で呼ばれる方がいいです」
「そうか、解った。貴子さんだね。本当は、ちゃん付けって感じだけどな」
「ナベさん。すっかりおじさんだな。年齢的には、お父さんでも不思議じゃないからな」
「え?そうなのですか?そうは見えないですね」
「ありがとう。貴子ちゃん」
「そりゃそうだよ。ナベさんは気楽な独身貴族で家庭の苦労をしらないから、いつまでも若くいられるのだろう」
「それを言うなら、お前もそんなに変わらないだろう?」

 付き合いが長い山本が、真辺の話に付き合っていると、話が横道に逸れていくばかりなのを悟って、話をもとに戻す。
「ナベさん。それで、貴子ちゃんには何をしてもらうの?」
「あぁロットバルトの件の資料作りだね。お前も俺もそこまで手が回りそうにないからな」
「解りました」
「あぁあと、多分、俺への連絡係だろう?貴子ちゃん」
「はい。そう言われています」
「うん。ロットバルトの事は把握しているの?」
「ロットバルト?」
「ナベさん。それじゃわからないですよ。いいです。俺が説明しておきますよ」
「あぁそうか、頼む」

 山本さんが山本に連れられて端末がある部屋に移動した。
 そこで、昨日、真辺が話した、白鳥の事を説明している。

 聞こえてくる声から、それが解る。真辺は、今週のスケジュールの確認を行う。
 何度も見直しているが、問題はなさそうだ。部下たちには無理をさせているのは解っている。その為にも、自分が組んだスケジュールで狂う要素は少ないほうがいいに決まっている。
 問題は、突発的な問題が発生したときだ。白鳥の問題は、大きな問題だが、政治層の問題で、開発層や運営層には影響してこないはずだ。

 会社に残しているメンバーも居る。何か発生しても対処出来るだろうと思って、すこしだけ安心した。
 それらをまとめて、篠原にメールしておく。

 現場からあがってくる連絡事項や、協力会社からの質問や、修正版を振り分けていると、いつの間にか昼になっていた。
 作業をしていた、山本と山本さんも食事に行くようだ。真辺も一緒に施設の食堂に向かう。

 施設内の人の為に、食堂はだいぶ前から、二種類だけだけど食事を提供してくれている。それを食べながら、篠原や森からどんな事を、言われてきたのかを確認する。
 やはり、徹夜上等で女性でも泊まり込みが普通だと脅されていたらしい。そして、真辺を怒らすと、とんでもない事になるから、絶対に怒らすなと、言われていたと白状した。

(あいつら・・・。次に会った時に奢らせてやる)

 山本が笑いながら誤解だと説明している。
 怖いのは怖いが、それは報告をしなかったり、出来ていない事を出来ていると報告したり、した時だけで普段は昼行灯かと思うような人物と説明した。

(山本、その言い方もどうかと思うけどな)

「え?そうなのですか?」
「あぁ荷物が多いから、徹夜や泊まり込みの準備をしてきたのだろうけど、そこまでする必要はないよ」
「え?そうなのですか?」
「あ。うん。家が遠くて帰るのが難しいのなら、そう言ってね。通勤が辛いとかね」
「あっそうですね。ここまで来るのに、電車を乗り継いで2時間位かかります」
「そうか、それは辛いね。それじゃ、近くにホテルを取るから、そこから通ってよ」
「え?いいのですか?」
「うん。山本。機密費。余裕あるよな?」
「えぇ大丈夫です」
「え?機密費?え?森さんとか篠原部長に言わなくていいのですか?」
「あぁ大丈夫だよ。俺から話しておくからよ」
「はい。すみません。お言葉に甘えさせて下さい」
「うん。石川が泊まっているホテルに空きがないか確認して貰って、一緒に行けば迷わないだろう」
「了解。後で、石川に確認しますよ」「たのむ」「ありがとうございます」

 食事を終えて、山本が石川に連絡して、山本さんを連れて行った。

 真辺達には、会社から支給された経費以外に、真辺が行っている独自の積立がある。急な出張やハードウェアの調達で、緊急に金が必要になる事がある。その時に、会社の承認を待っていると、間に合わない場合が多い。その時の為の隠し金庫だ。隠し金庫というよりも、元々は宴会用の口座だった。最初は、部下たちが真辺と一緒に飲みに行った次の日に、割り勘分を真辺に渡そうとした時に断られて、その金を貯金箱に入れていたのが始まりだ。
 昼飯とか小さくはお茶代とか、真辺に奢って貰った人間が自主的に出して積み立てられていて、チームで飲みに行くときに使おうと思っていた。
 真辺が居ると、真辺が先に会計を済ませてしまうので、減るどころか貯まる一方だったので、山本ら古株が真辺に口座を作ってもらって、そこに積み立てるようになった。
 それを、”機密費”と呼んで、部署で必要になって、会社に請求出来そうな物の時に、機密費から先出しするようにしている。
 本来なら自腹を切って、後清算になるのだが、真辺がそれを嫌っていたので、部署内の公然の秘密になっている。部署以外でも、真辺達と関わりが有った人間たちは知っている者も多い。部署の人間たちは、全部真辺の物だと思っている。しかし、真辺は部署で貯めた物と思っている。

 火が付いている現場では、魔の時間帯がある。
 11時と15時だ、後すこし危険度が下がるが、19時だ。
 朝から何か発生したり、朝からの会議で問題が発覚したりして、連絡が来るのが11時頃だ。

 そして、13時頃から会議が行われる事が多い。この会議が終わるのが15時位だ。15時には、朝から行った会議の裏取りが終わった情報も出てくる。
 19時は、客が帰り始める時間帯で、客が帰るちょっと前に連絡してくる場合が多いのだ。

 そして、今日も15時をすこし回った時に、大きな爆弾が投下された。

 一本の電話から始まった。

『ナベさん。至急、集まりたいのですが、可能ですか?』

 石川からだ。

『どうした・・・』
『ロットバルトの奴。信じられない事をしていました』

 石川からの連絡が入って、すぐに施設を管理している人に施設を借りたい旨を説明して、老人ホームのレクリエーションをしている場所を借りた。
 ここは、30名位が入られる施設になっていて、ホワイトボードやテーブルがあり。会議をするのには適している。
 また、|大型TV(60インチ)が二台置かれているので、プロジェクタ代わりにもなって便利なのだ。

 真辺は、皆にレクリエーションルームに集まるように指示した。
 作業をしている人間は、その作業が終わり次第合流するように指示を出した。会社に残っているメンバーにも緊急時に備えて、いつでも出られるように指示をだす。
 篠原や社長や”まともな副社長”の居場所を確認させる。あと、できれば、他の部署の部長や主任の居所も確認させる。

 真辺がそれらの指示を出し終わってから、レクリエーションルームに入ると、各部門の担当をしてもらっている人間と今朝来たばかりだが営業が揃っている。
 一部の営業が、青い顔をしている。よほどの爆弾が破裂したのが解る。営業の状況を見て、他にも緊張が伝播してしまっている。

 真辺は、皆を落ち着かせるように皆に聞かせる。『俺たちが慌てても何も解決しない。それに、俺たちは間違っていない。間違ったのは、SIerだ』と認識させるように言って聞かせる。

 次に真辺が行ったのは、場を落ち着かせる事だ。
「森君。悪いけど、若いやつに、買い物を頼んでいいか?」
「え?あっはい」
「貴子ちゃん。それに、そこの若い奴3人。車を運転出来るやつは?」
「はい。私は出来ます」

 山本さんが手を挙げる。
「そうか、これ、俺の車。4人で近くのショッピングセンターに行って、紙コップと適当に飲み物とおやつ買ってきて、余ったら、好きなケーキや甘い物買ってきていいからね」

 そう言って、3万円を渡す。

「ナベさん。ナベさん。あの車。女の子には無理ですよ」
「そんな事はないよね?貴子ちゃん。MT運転できるよね?」
「え?無理です」
「やっぱり・・・って、ナベさんの車。ナベさん以外で運転出来る人って居ないと思いますよ」
「そんな事ないだろう?普通にちょっとだけいじってある、一般的な1,800ccだぞ!それに、5ナンバーだぞ?」
「ちょっと?まぁいいですよ。貴子ちゃん。俺が送っていくよ。エスティマだからみんな余裕で乗れるよ」

 井上がそう言って、立ち上がって、営業の若手を引き連れて部屋を出ていった。

「さて、石川。何があった?」
「あっこれを見て下さい」

 真辺に向かって、営業の森が、真辺の行為で気がついたのだろう。

「あっ真辺部長。ありがとうございます」

 森は真辺に一礼した。

「何のことだ。俺は、甘いものが食べたくなって、俺のわがままで、営業に買い物に走ってもらった。文句を言われるのなら解るが、礼を言われるような事ではないぞ」
「そうですね。そういう事にしておきます」

「石川。早く説明しろ。30分位で戻ってくるぞ。今の時間はエメラルドの粒よりも貴重だぞ」
「はいはい。見つけた物はこれです。裏取りも終わっています。そして、問題はこの書類です。こっちは、まだ裏取りしていません。ナベさんに確認してからと思っていました」

 一つ目の書類に目を落とす。

 (斜め上を行ってくれる)

 その書類は、某ハードウェアメーカの書類で『サーバ及びネットワーク機器。貸出契約書』となっていた。
 先週末に、山本が移動したサーバ群は、ハードウェアメーカから借りている物だ。期限が、8月末となっている。丁寧に、返却の催促の通知も2通届いている。
 最終警告書が一通届いていた。

「石川。森。どういう事だ?」
「あぁ・・・そういう事です。あれだけのサーバですからね。買って、動きませんでしたでは済まないと思って、レンタルにしたのでしょう。現場はそう説明されていたようです」
「そうか、この契約書では、レンタルではなく、短期間の無料貸出になっているぞ」
「はい。メーカに連絡して確認しました。SIerの名前で貸し出されたサーバのようです。ただ、設置場所はこの施設になっていないようです」
「ん?ならなんで、催促がこっちに来ているのだ?」
「ロットバルトが、実環境で動かしてみると言って設置場所の変更をしたようです」
「はぁ俺たちは、無料貸出で、もうすでに貸出期間が過ぎている端末でテストしていたわけか・・・。ハン!滑稽だな」
「はい。それで、こっちの経理に確認したら、ロットバルトからサーバのレンタル料金の請求が来ているそうなのです」
「あいつ。どこまで腐っている」

「井上。片桐に連絡して、すぐに来いって言ってくれ」
「解りました。理由は?」
「俺がすごい剣幕で呼んでいるって言えば解る。それでも渋ったら、”白鳥の件だ!”と、言え」
「イエッサー」

「あぁすまん。石川。それで、施設は払ったのか?」
「いえ、まだ支払っていないそうです」
「そうか、それは良かった。なんで支払いをしなかったのだ?」
「返還の催促状が来たので、それをロットバルトに聞いたら、メーカと交渉するからすこし待って欲しいと言ってきたそうです」
「了解。その裏取りは出来たのか?」
「いえ、施設側に来た請求書は抑えましたが・・・。録音などはありません。メールは、来ていましたが、フリーアカウントからでした。メールは抑えました」
「そうか、わかった。山本。後で、メールのヘッダの解析を頼む」
「ラジャ!」

「石川。請求書は、電子ファイルなのか?」
「はい。そうです。Excelファイルでした」
「そうか、後で、ファイルを俺に回してくれ」
「解りました」

(Excelファイルならもしかしたら、関連付けられたアカウント情報が解るかもしれない。決定的な証拠にはならないけど、状況証拠の補完にはなるだろう)

「森。メーカに、今のハードウェアをそのまま買い取れないか確認してみてくれ」
「ダメでした。石川さんに言われて、すぐに交渉したのですが、まずは返してくれの一点張りです」

「あぁナベさん。あれって、○PとD○LLで、多分余った”球”を回したけど、使い所が出てきたって所でしょ」
「森。ダメ元で、2割増しで買い取るけどダメか?と交渉してくれ。オーバ分は、篠原の旦那に交渉してもらおう」

「あ。ナベさん。その件だけど、次の書類を見て下さい」

 石川に言われて、真辺は、もう一つの書類を手にとって、確認した。

「おい。石川。嘘だと言ってくれ・・・」
「・・・。ドッキリです。と言えれば、どんなに幸せなのか・・・。でも、事実です」

 そこには、白鳥から真辺の会社に向けての見積依頼書だ。
 それに対する返答として、貸出書類にあったハードウェア一覧と同じ構成の物が書かれていて、”約倍”になった値段が書かれていた。作成者は、副社長の名前になっている。
 日付は、9月7日。白鳥が、ドメイン料金の請求書を発効した日付だ。

 そして、次には、副社長からSIerに対して、請求書を出している。名目は、ハードウェア一式購入の為の前金となっている。前金額は、半額を請求している。
 振込口座は、副社長が持っている別会社の口座になっている。

 そこで終わっていたらまだ救いがあったが、終わりではなかった。

第七話 別れ


 施設に充てた白鳥からのメールで、メーカにハードウェアに関する支払いを行いました。
 要約するとそういう内容が書かれていて、振込用紙が添付されていた。

 勿論、メーカではなく、副社長の会社に・・・だ。

(終わった・・・)

 それが真辺の感想だ。
 多分、それを見た皆が同じ思いだったのだろう。

 真辺は、最悪な状況だが、確認しておかなければならない事を、石川に問いただした。

「石川。この件は、施設側やSIerは知っていると思うか?」
「・・・わかりません。ただ、SIerは知っていると思います」

 真辺の考えと同じだが、問題は、SIerがいつ知ったのかだが、真辺にも石川にも、明確な答えは持てないでいた。

「そうだよな。会社には連絡したか?」
「はい。篠原部長には連絡が着きませんでしたが、まともな副社長がいらっしゃったので、先程説明して調べて貰っています」
「そうか、ありがとう」

 まだ何か有るはずだ。会社側で、何らかのアクションがあれば、まだ何か出来るかもしれない。
 真辺はかなり焦っていた。表情には出さないで居るのだが、考えがまとまらない。このくらいの修羅場。何度も、何度も、乗り越えてきたはずだ。そう心に言い聞かせて、何かないか必死に考えている。

 ドアが空いて、買い出し部隊が戻ってきた。
 真辺は皆を見回して、取り敢えず、飲み物で落ち着く事にした。
 買ってきたものは、大量のドーナッツやポテチだ。あと、羊羹やドラヤキもある。なかなか渋いセンスをしている。
 甘いものを食べながら、怒りと、同じくらいの焦りを押さえ込もうとしていた。石川が気を効かせて、熱いコーヒーを持ってきた。

「なんだ、コーヒーか」
「今は、これしかありません。紅茶じゃないと納得できなのは知っています。でも、今は飲んでもいいと思いますよ」
「無粋な泥水か・・・まぁ気分的には、こっちのほうが合っていそうだな」

 真辺は一口コーヒーを飲んで、渡されたドラヤキを口に運んだ。

 もう家の会社とSIerが切られるのは確定だろう。
 それだけで済めばいい。最悪は、システム未稼働で賠償問題に発展する可能性さえもある。いや、ほぼそうなるだろう。

 最悪なのが、白鳥と副社長が、施設側に10/1でコミットしてしまっている事だ。もし、システムの作り直しなんかになった場合には、今から最低でも半年、普通に考えれば1年位は必要になる。
 その間、施設が運営できない。稼働できない場合の損害補償や従業員への保証。入居者への保証。CMを出している事から、信頼回復にかかる費用なんかを請求されたら、SIerは兎も角、真辺が勤めている会社の様な中堅のシステム会社は飛んでしまう。

 不安な顔を見せてはならない。俺は、ここのリーダーだ。
 そんな思いから、真辺は無理にでも笑顔を作るようにした。
 部下たちには、それが虚勢だという事がすぐに解った。真辺の様子から、事態が最悪な方向に進んでいるのを認識した。

 悪い事は重なる。
 片桐と連絡がつかないという。

(アイツ。逃げたか?)

「井上。片桐の会社の住所しっているよな?」
「あっはい」
「事務所に待機している人間に、片桐の事務所までいかせてくれ。二人で行くように厳命するのを忘れるな!」
「イエッサー」

「森。どうだ?」
「ダメだ。メーカは、それは出来ないと言っている」

「ナベさん。俺の知り合いに聞いたら、メーカの一部で、貸出サーバの時にハードディスクを耐久年数の保証出来ない劣化版を付けて出す時があるって話しだ。もしかしたら、メーカは、要求スペックは満たすけど、売ったあとでの保守メンテを行う時の耐久年数が満たされない劣化版を出したのかもしれない」

 山本が思い出したことを、真辺に告げる。
 真辺も経験から解っていたことだ。しかし、なにか突破口があるかもしれない。

「そうか、そうなると、ダメだな」
「山本。ハードディスクをまるまるコピーする奴。この前買ったよな?持ってきている?」
「あぁ事務所だ」
「誰かに持ってこさせろ。その時に、今のサーバのHDDの用量と同じだけの”弾”を買ってこさせろ」
「あっそうか、解った。それは手配しておく」
「あぁ後、最悪の事を考えると、サーバOSのライセンスもほしいけど・・・。これは、ネットで買えたよな?」
「あぁ大丈夫だ」

(これで、サーバの構成が同じ物を用意すれば、一日程度で復元できる環境はできる。OSとデータ領域を分けておいて正解だったな)

「よし、皆。まずは、今週末までにはシステムを本稼働に耐えられるレベルに仕上げるぞ。今、ここで話した内容は、それまで忘れていてくれ」
『はい!』

 皆の顔に生気が戻る。
 心配事はあるが、信頼できる上司である真辺が指標を示してくれる。それだけでも、彼らは進むことができる。負け戦を何度もひっくり返してきた者たちだ。進む方向さえ見えれば、前を向けるのだ。

「あっ主任と森は残ってくれ。すこし相談したい事がある。他の者は作業に戻ってくれ」
「「はい!」」

 部下たちが営業を連れて仕事に戻る。

「森。山本さんは?」

 山本貴子は真辺に付いている事になっていた。森に処遇を決めさせる事にしたのだが、森が答える前に本人から返事が来た。

「残して下さい」
「いいのか?」
「はい」

 真辺は、森にも確認したが問題ないと返事が帰ってきた。

 真辺は残ったメンバーを見回してから思い口を開く。

「最悪の事を考えなきゃならない」
「最悪ですか?」

 森がそう返してきた

「あぁ最悪、会社が飛ぶ。幸いな事に、振り込まれた口座が、あの馬鹿の口座だから、言い逃れは出来るだろうけど、SIerはトカゲの尻尾のように、俺たちを切り離してスケープゴートにするだろうな。本体は絶対に守りに入るだろう」
「・・・・」
「『副社長がこの口座に振り込んで下さいといったので、振り込みました。会社の副社長だったから信頼していました』とか言われるだろう。裁判にでもすれば、勝てるかもしれないけど、そこまでの体力が続くとは思えない。そこで、俺たちに残された道は少ない。それを相談したい」

 真辺が、皆に残された道の説明をしようとした時に、真辺の携帯がなった。
 まともな副社長からだ

『はい。真辺です』
『すまん。忙しい所に』
『いえ、大丈夫です』
『そうか、石川君から話を聞いたのだな』
『はい。それで、何か解ったのですか・・・』
『最悪な事が解った。解ったじゃなくて、発生したが正解だな』
『何が有ったのですか?』
『そこには、君だけか?』
『いえ、主要メンバーと営業の森です』
『そうか、作業はしなくていい。事務所に来てくれ』
『わかりました。真辺。森。石川。井上。山本。小林。で戻ります』
『疲れているだろうから、タクシーで帰ってきなさい。費用は会社が出す』
『解りました』
『そうだ、事務所ではなく、どこか個室で声が漏れない所がいい』
『それでしたら、会社の前にあるカラオケボックスでどうですか?』
『わかった。お前たちが入ったら連絡くれ。こっちは、私と社長とSIerの専務と後二人の5名だ』
『解りました』

 それで電話を切った。

(篠原の旦那がいない。どういう事だ?)

「石川。電話聞こえていたらな?」
「はい。今、タクシーを呼んで貰っています」
「ありがとう」
「10分位で来るそうです」
「そうか、それじゃ一旦ばらして、5分後に正面玄関に集合しよう。貴子ちゃん。悪いけど、ここの片付けと、施設側へのお礼をお願いしていいかな?」
「解りました。その後、私はどうしたらいいですか?」
「そうだね。頼んでいた資料を仕上げてもらえるかな。今からの話はそれだと思う。よろしくね」
「はい!」

 片桐の所に向かわせた一人から連絡が入る。

『ナベさん。片桐さんの会社に行ってみたのですが、誰も居ないようです』
『そうか、ありがとう。今日は、もうあがっていいぞ』
『え?解りました。それでは、お先に失礼します』
『あぁお疲れ様』

 二台のタクシーに分乗して会社に向かう。
 料金が2万に届きそうになった時に、目的地に付いた。

 会社の近くには、カラオケボックスは何店舗かある。その中で、パーティルームがある店舗に入ってパーティルームを借りた。
 この店舗は、貸出でプロジェクターがあるから借りておくことにした。

 部屋に入ってから、

「森。悪いけど、副社長達を呼びに行ってきてくれないか?説明するよりも、其の方が早いだろう。後、タクシーの清算もな!」
「解った。歌でも唄って待っていろよ」
「そうする」

 森がカラオケボックスから出ていった。
 残された面子に明るい顔はない。重い空気が場を支配していた。

「あぁぁそうだ」
「なんだよ。石川」
「ナベさん。今日、誕生日ですよね?」
「今日って何日だ?」

「えぇと8月49日ですよ。」
「あぁそうか、それなら、誕生日だな」
「なんで、8月って言うかな。この人たちは、普通に9月18日って言えないのかな?」

「石川。今更だよ。そんな事。それよりも、ナベさんの誕生日。よく知っていたな」
「だって、機密費のパスワードじゃないですか?」
「そういやぁそうだ。忘れていた」

「それで、ナベさん。何歳になったのですが?」
「俺か?確か、記憶に間違いがなければ、今日で、2F歳だな。最後の二十代だ!」
「え?57歳じゃないのですか?」
「だれが、8進で考えるか、プログラマなら、16進か2進だろ?」
「あの、だれか突っ込んで欲しいのでだけど・・・私一人じゃ無理です」

「石川。諦めろ」

 こうしている間にも、部下からいろんな情報があがってくる。
 30分後、森が社長を連れて戻ってきた。

 続いて、副社長が入ってきて、次にSIerの専務だろう、最後の二人は、どう見てもシステム関係者には見えない。少なくても、この業務が始まってから見たことがない顔だ。

 ドアを閉めて、最後に入った二人組の年長の方が、最大の爆弾を落とす
「自分は、新宿西署の西沢です。真辺さんは?」
「私ですが?」
「片桐さんをご存知ですよね?」
「あっはい。今朝から連絡をしているのですが捕まりません」
「そうですか、営業の篠原さんも勿論ご存知ですよね」
「はい。勿論です」

 西沢と名乗った警察官が
「片桐さんが刺されて、先程死亡が確認されました」

「え?」

「現場の喫茶店に一緒に居たのが、御社の篠原さんです」

「え?」

「片桐さんは、篠原さんと会っている時に、白鳥に刺されたと、篠原さんは主張しております。現場となった店の従業員も、後ろに居た人間が片桐さんを刺して逃げたと、証言しております」

「え?篠原は無事なのですよね?」

「篠原さんは、手に軽いけがをしただけです。安全の確認が出来ていないので、警察病院に居てもらっています」

「そうですか・・・。良かった。でも、白鳥が、片桐さんを刺したのは間違いないのですか?なんで、片桐さんなのですか?」

「えぇ証言だけではなく、防犯カメラからも間違いなさそうです。今、逃げた白鳥の行方を追っています。動機は解っておりません。それで、篠原さんの会社にお邪魔した時に、副社長さんと専務さんがお話をしていたので、私たちも話を聞かせてもらったのです。そして、真辺さんや石川さんや森さんや井上さんにお話をお聞きしたいと思ったのです」

「そうだったのですか・・・。話は解りました。でも、その前に、副社長と専務とお話させてもらっていいですか?」

「構いませんよ。その代わり、私たちも同席させていただきます」

「えぇそれで構いません。いいですよね。社長も副社長も専務さんも!」

 真辺は覚悟を決めて、今自分たちが知り得た情報を全部ぶつけた。
 システムの完成まで後ちょっとである事。それができれば、この問題を丸められるのではないかという事を、推測部分も含めて話をした。

 専務が口を開いた
「真辺さんのおっしゃっている事はよくわかります。でも、もう遅いのです。白鳥が事件を起こしてしまいました。そうなる前に聞けていれば・・・」

「専務様。私が勘違いしていたらまずいので教えてください。これは、貴方たちの会社で発生した問題ですよね。確かに、家の馬鹿が一人絡んでいますが、現場は関係ありません。発生する前に聞ければ・・・。大変面白い事を言ってくれますね。俺たちは睡眠時間や家族と過ごす時間、それこそ、あなたたちのような偉い人達が温かい美味しい食事をしている時にも、現場で一分でも一秒でも早くと作業をしていました。えぇ過去形で語らなければならないのが悔しいですがね。あなたたちのような立派な人たちが、高級な鉄板焼屋で柔らかい肉を食べている時に、コンビニのおにぎりとのびきって冷えてしまったカップラーメンで飢えを凌いで・・・。貴方たちが大きな風呂で一日の疲れを癒やしている時に、俺たちはパイプ椅子を並べて仮眠して居たのです。そんな俺たちの知らない所で発生した事を、俺たちの、貴重な休憩時間や食事の時間を、使って調べるのが当たり前なのですか?答えて下さい!馬鹿な俺に教えてください。残業時間が300時間を超えるような、無能者にわかりやすく説明して下さい!早くなんとか言えよ!!!!」

「ナベさん」
「違うのです。真辺さん」

「何が違うのですか?専務様。違うのなら、違うで教えてください。お願いします。俺には、答えが出せません。部下になんて説明したらいいのですか?俺たちの作業が遅いせいで、片桐が殺されて、篠原さんが怪我をしたって、説明すればいいのですか?俺たちは、23時間59分、馬車馬のごとく仕事をしていればよかったのですか?お偉いSIer様の言うことを唯々諾々と聞いて、裏金にも応じて何も見ないで黙っていればよかったのですか?俺たち現場の人間なんて、何人倒れようが、死のうが苦しもうが、家庭が壊れようが、大手SIerの専務様には関係ない事なのでしょう。違うなら、違うで、どう違うのか教えろよ!!」

「真辺!いいすぎだ。すみません。堀井さん。真辺はすこし混乱しているようです」
「いえ、いいのです。私の配慮が足りませんでした。真辺さん。申し訳ありません」

「あの・・・それで、システムはどうするのですか?顧客への説明とか、いろいろ残っていますよ。馬鹿と白鳥が、しでかした事の後始末だけでも、かなりの作業が発生しますよ」

 石川と山本と井上と小林が、真辺の変わりに説明を始めた。

 システム自体は、なんとか顧客や各施設の担当者に話を聞いた限りでは問題がない状態にはなっている。

 連携部分の問題が残されているが、外部からの接続を遮断しているし、内部から外部への接続も一部を除いて出来ないようにしている。その上で、問題が発生した時の為に、数ヶ月はメンバーが常駐する事になっている。最初のデータ数が少ない時に、連携に関する問題点を全て解決してします。と、いう説明をしてOKを貰っている。

 残っている問題は、サーバや”無償貸出”になっているハードウェアに関してだ。これが解決したら、運営する事は出来る。

「真辺さん。ハードウェアに関しては、弊社が責任持って手配します」
「・・・・」

 真辺は何も答えない。
 頭を抑えて、上を向いている。流れ出る涙を抑えているようにも見える。

「山本さん。デッドエンドはいつですか?」
「そうですね。今週半ば最低でも木曜日にあれば、最悪なにか有っても来週対応する事が出来ます」
「解りました。明日の朝にはどうするのかをお伝えします」
「解りました。連絡、お待ちしております。朝の8時までにお願いします」
「・・・解りました。刑事さん。会社に電話したいのですが、よろしいですか?」

「ここでして頂けるのなら構いません」

 堀井は会社になにやら指示を出している。
 白鳥のデスクはすでに押収されてしまっているので、ハードウェアのスペックが解らないという事だったが、山本が作成した一覧があるので、それをメールする事になった。警官にもBCCする事になった。その場で、山本がメールを送信した。

 警官が
「さて、真辺さん。幾つか質問していいですか?」
「えぇ構いません」

 警官が知りたいと言ったのは、いつごろ、白鳥の不正に気がついたかと、片桐さんと白鳥の関係はどんな関係だったのか?
 片桐さんの事で知っている事を話して欲しい。篠原さんと片桐さんが会っていた事は知っていたのか?

「ありがとうございます」

 もう一人の警官が、西沢と名乗った人間に耳打ちした

「皆さん。行方がわからなかった副社長が、飯田橋の交番に保護を求めてきたそうです。腕を切られていたので、警察病院に搬送したそうです」

「無事ですか?」

「はい。対応した警官が言うには、元気だったそうです。『白鳥に切られた、裏切られた』と言っていて、会社に連絡しろと騒いでいたので、会社に連絡して身元がわかったそうです」

「そうですか・・・。それで、白鳥は?」

「まだ行方はつかめていないそうです」

 その後、警官は形式的な質問とアリバイ確認をしていった。

「”万が一”があっては困りますので、しばらくは、一人にならないようにして下さい。それから、なるべく連絡がつくようにして下さい。それから、何かあったらすぐに警察に連絡してください」

 それだけ言って警官は帰っていった。
 専務も疲れた顔をしながら、謝罪の言葉を口にして、後の事は社長と副社長と相談したいと言ってから、帰っていった。

 社長と副社長も、篠原さんと馬鹿が居る警察病院に行く事にしたようだ。

「真辺。今日は、帰って休め。いいか、絶対に現場に出るなよ」
「わかりました。社長。篠原さんに会えたら、俺が連絡を欲しがっていたと伝えてください。それから、迷惑料でV-MAXをもらうと伝えておいて下さい」
「あぁわかった。いいか、本当に、今日は休めよ。今、お前に倒れられる方が問題だからな」
「はい。はい。解っていますよ」

 社長も副社長も、真辺が疲れ切っているのがわかっている。目の焦点が有っていないようにも見えている。

「お前たちも、今日は休め。森。悪いが、向こうに行って現場の状況を確認してきてくれ」
「解りました。それじゃ俺たちは、ナベさんを家に送っていきますよ。この人、一人にすると、勝手に仕事を始めるから、見守っている人間が必要だろう。なんなら、俺たちは、ナベさんの家に泊まってもいい」
「そうしてくれるか、山本。石川。小林。井上。悪いが、真辺の事を頼むな。ここからタクシー使ってでも、真辺を家につれて帰ってくれ」
「解りました」

「森もいいな」
「はい」

「帰りますよ。でも、タクシーじゃなくて電車で帰ります。この時間だと、その方が早いですからね」

 それだけ言って、フラフラした足取りだが、真辺は立ち上がってカラオケボックスから出ていった。
 会計は、先に出た専務がしていたようだ。追加料金もかなり払っていたそうだ。

 社長と副社長はタクシーで警察病院に向かった。途中まで森も一緒に乗って、途中で電車に乗り換えるのだと言っていた。

 真辺たちは最寄り駅まで歩いていた。
「今日って休みだったのだな」
「なにを今更。毎年の事でしょ。自分の誕生日を忘れたのですか?」
「・・・。街が静かだな」
「・・・。そうですか、かなりうるさいと思いますけどね」

 山本と小林と井上は後ろを歩いていて、石川が真辺の隣を歩いている。石川が、真辺を慕っているのは皆が知っている。恋心なのか敬愛なのか解らないが、愛情に近い物が有るのではないかと思っている。一度、酔っ払った時に、井上が石川に聞いた事があるそうだ。否定はしなかったそうだ。真辺がどう思っているのかは解らない。
 一番付き合いが古い。山本だけは知っていた。真辺が、中学から高校卒業まで付き合った彼女が居る事を、その彼女がいじめられて自殺してしまった事を・・・。そして、今でも、真辺がその彼女の事を思って居る事を・・・。

 そして、子供の時に、事故だと言っていたが、死んでしまった妹の事を忘れていない事を・・・。
 中学で起こった事件の事を・・・。

「疲れたな・・・」
「そうですね。ナベさん。どっかで夕ご飯を食べていきますか?」
「・・・あぁいいや。お前たち、いつもの所で食べるなら、俺の名前だしていいぞ」
「いえ。今日は、ナベさんに付いていきます。心配ですからね」

 石川は、何か感じていたのかもしれない。後からもそう思ってしまった。
 後からならなんとでも言える事だが・・・。

 休日の21時過ぎ。都心でも、人はそんなにいない。オフィス街だけあって、いつもの喧騒が嘘のように人が少ない。
 ホームに上がると、電車が遅延していると掲示板に出ている。

「ナベさん。どうしますか?振替を探しますか?」
「いいよ。急いでいないし、待っていれば、動き出すだろう?それよりも、疲れたよ。ベンチにでも座って待っていよう」
「そうですね」

 皆揃ってベンチに座った。
 何をするでもなく、スマホで情報を見ている。

「二つ隣の駅で人身事故みたいですね」
「ほぉそうか、それじゃ1時間位は動かないかな?いつ?」
「30分位前ですね」
「そうか、それなら、そろそろ動き出すかもな」

「そうですね。俺。駅員に聞いてきますよ」

 井上が立ち上がって、近くの駅員に状況を聞いている。
 人身事故だと解ると、ホームに居た他の人間たちも振替を検索し始めて、出来そうな路線を見つけると、移動し始めた。ホームには、真辺たちを除くと、数人だけしか居なくなっていた。

「ふぅ・・・ちょっと疲れた。すこし寝るから、電車が来たら起こしてくれ・・・(あぁ頼んだよ、宿題が終わったら・・・で・・・いいからな、たかこ・・・)」
「え?」

 井上が戻ってきた
「ナベさんなんか言っていたのか?」
「ちょっと疲れたから寝るって、電車が来たら起こしてくれって言っていたよ」
「良かったな。石川。ナベさんが寄りかかってくるかもよ」
「バカ。だから、そんなんじゃないって、たしかに尊敬しているけど・・・」

「もう寝ちゃったのか?」
「そうみたい。しばらく、しっかり寝てなかったからね」
「あぁでも、この人のおかげで、俺たちは・・・」
「そうだな。火消し部隊って、最初はなんだよって思ったけど・・・」

「し。起きちゃうでしょ」
「はい。はい。奥様」

 これも、石川をからかうときの定番の言葉だ。

「うーん(ちあき。ゴメンな。守れなくて、ゴメンな)」

「バカ。ほら、起きちゃうでしょ(ちあきって確か妹さんだったよね?)」

 その時に、真辺の身体が傾いて、石川の膝の上に頭が乗る形になった。

「ほら、旦那さんが膝枕をご所望みたいだな」
「な!バカな事言ってないで・・」

 そう言いながら、石川の短く切りそろえている頭を撫でようとした

「ううん・・・(ちあき。たかこ。い・・・ま・・・い・・・・く。まっ・・・て・・・よ)す~・・・ふぅ・・・」

「しっかり寝ているから大丈夫だよ。それにしても、ナベさんがここまで落ちるのも珍しいな。いつもなら、名前呼ばれたらすぐに起きるのに・・・。だから、旦那とか呼んでいたのに・・・」
「ねぇ。なんかおかしくない?」

「え?」

 石川が慌てだした。
 膝の上の真辺の息がさっきまで足にかかっていた。それが今、感じられない。
「ナベさん。息してない。ナベさん。真辺さん!!起きて、ねぇ起きて!真辺さん。ナベさん。ナベさん。ナベさん」

 石川は必死に、真辺の名前を連呼する。

「AED!」
「救急車!!早く、早く、誰か・・・あぁぁぁぁぁ・・・・」

「誰か、真辺さんを・・助けて・・・おねがい・・かみさま・・・あぁぁ」

(石川。山本。小林。井上。ありがとう)

第八話 意思を継ぐもの


「篠原さん。どうしましょうか?」
「あ?石川か、任せる。山本さんは?」
「キッチンでお茶作っています」
「そうか」

 篠原は、近くで作業をしていた、石川に状況を確認した。

「石川さん。このお茶使っていいのですよね?」
「ナベさんのお茶?いいと思うよ」
「本当ですか?すごく高い奴ですよ」
「いいよ。飲まないともったいないよね。それに、確か、ナベさんの地元のお茶だって言っていたよ」
「へぇ静岡なのですね。了解しました」

 あの日から、2ヶ月が経っていた。
 精神的な立ち直りはまだ出来ていないが、そんな事を真辺が望んでいないと思い。
 最後を看取った4人と篠原と、何故か山本貴子が来て、真辺家の片付けをしている。
 当初、警察は『駅で真辺が死んだ』と、聞かされて、白鳥に殺されたのだと思い、刑事までが集まって来たが、死因が『過労死だろう・・・』という事がわかると、病死で処理を始めた。
 変死扱いにはなったが、警察がその辺りを処理してくれた。
 もっと良かったのが、白鳥の事件があった為に、真辺の過労死がマスコミに殆ど取り上げられなかったことだ。

 真辺達がホームに入った時に、二つ隣の駅で発生した『人身事故』の影響が出ているといわれた。
 この人身事故は、白鳥が逃げられないと悟って電車に飛び込んだものだった。結局、白鳥の本当の動機は解らないままになってしまった。警察は、
 後日篠原にだけ事情をある程度話してくれた。その篠原が、石川たちを真辺が使っていた居酒屋に集めて話して聞かせた。

 白鳥は、1年前に自身の浮気から離婚していた。このときの慰謝料の支払いの為に、住んでいた家を売った。
 悪い奴らに付け込まれる様な生活になってしまって、薬にも手を出していたようだ。薬を買う金の為に、給料がなくなっていく。今度は、借金をしてギャンブルにも嵌った。ゴロゴロと転げ落ちるようになってしまってようだ。最初の頃は、協力会社からのリベートを取ってそれで生活をなんとかやっていたようだが、大きくなった借金や薬の頻度から、そんな物では賄いきれなくなっていったようだ。

 それで今回の件で、中間搾取を行う事を思いついた。真辺の会社に迷惑をかけている認識は持っていたようで、副社長に言って、普段よりも高い単価での仕事になっていた。しかし、この副社長がクズすぎた。白鳥からの仕事を自分の持っている会社を通して受けて、会社に正規料金よりも割り引いた額で受注させていた。浮いた金は白鳥に回すという名目で、その財布に手を突っ込んでいた。

 白鳥は、自分の命を差し出して、『被疑者死亡』で幕引きとなった。裏取り調査の為に、警察がSIerと会社に来て書類を押収していった。副社長は、業務上横領と特別背任で訴えられる事になった。合わせて、副社長から金を受け取った役員や社員も洗い出しが行われて、退職もしくは降格処分となった。酷い者は、横領で訴える事にもなった。

 残された者たちに取って、真辺の死因が『過労死』と断定された事が良かったのかもしれない。
 白鳥や副社長を恨む気持ちはあるが、直接の死因ではない。そのために、恨む気持ちはあるのだが、どこか他人事の様な気がしてしまっている。それに、片桐が殺された事。篠原が傷つけられたこと。直接の被害者が別に居るのに、自分たちがいつまでも真辺の事で、白鳥と副社長を恨んでいてもしょうがないという気持ちにさせていた。

 真辺が最後に手掛けた仕事はどうなったのかというと・・・。

 無事、9月末日に納品となった。システムとしては動作確認が取れて、施設の運営も行える状態になっている。SIerも約束を守って、サーバ群だけではなく他にも導入されていなかった端末軍も無事納入された。それだけではなく、山本たちが持ち込んだメンテナンス用の端末まで全部の端末を用意したのだ。
 前途多難な船出ではあるが、船は港を出る事ができた。

 真辺が育てた部下たちが上司の死を忘れるために、必死に働いた結果だ。そして、施設をまとめるドクター松本から、篠原を通して一つの打診があった。

 ドクター松本の施設は、ここだけではなく西日本-九州を中心に介護老人ホームを作っている。
 それらの施設でも、システムを導入しているのだが、システムが上手く動いていない現実がある。
 ドクター松本も施設側に全く問題が無いとは思っていない。リベートを要求したり、言っている事が二転三転したりして、SIerから苦情が来る事もあった。
 しかし、開発が間に合わなかったり、運営をシステムに合わせる必要が有ったりしている。
 そして大きな問題として、それらのシステムの整合性がなく本部の機能を持ったドクター松本の会社で行政への書類を作成したり、行政からの依頼を受けたりする時に、関わったシステム会社に相談しなければならなくなっていた。また、同じ業態の施設なのにシステムが違う為に、人員のやり取りが難しくなってしまっている。
 これらの事をどうにかしたいと大手SIerから人を出してもらって、人員を常駐させて改善を行っているのだが、未だに成果らしい物が出ていない。
 そこでドクター松本は、真辺の部隊が解体されるという話を聞いた時に、それなら希望者をドクター松本の会社で引き取れないかと打診をしてきた。

 篠原は、一本釣りをしなかったドクター松本に敬意を払って、真辺の部下たちを集めて、ドクター松本の話をした。
 
 一番渋ったのは、馬鹿な副社長を会社に呼び戻した張本人だ。真辺の前任者が居た頃から、『火消し部隊』に文句を言っていたのだが、いざ無くなると困るのは開発部である事が解っているのだ、火が付いた現場に放り込める便利な人員程度にしか思っていないのだが、直属の部下である開発部の部長たちから存続を願う声が多いことを受けて、反対の立場になっていた。

 社長としては、判断に迷っていた。『火消し部隊』は本来なら有ってはならない部署だが、実質的にないと困ってしまう。

 だが、『火消し部隊』は真辺以外にまとめられる人間がいないのも事実だ。
 部下たちは一部を除いて、真辺が育てた者たちだ。そして、殆どが会社の他の部署に居て、爪弾きにされた者たちなのだ。真辺は、人員の再生までも行っていたのだ。そんな真辺だから従っていたと公言する者たちを、真辺以外が率いる事ができるとは思えなかった。

 何度か打ち合わせを行った。社長とドクター松本と篠原と真辺の部下である石川、山本、井上、小林夫妻だ。
 大筋の話を決める前に、真辺の部下たち全員で話し合われた。
 酒を飲みながら、三日三晩・・・。自分たちを残して死んでしまった上司への悪口とそれをはるかに上回る敬愛の念を持って・・・。

 結論が、『株式会社マナベ』を立ち上げる事だ。ドクター松本が38%出資(会社から19%と個人で19%)する。社長が5%と篠原が6%出資する。
 残りの51%を元の部下たちが出資する事になった。原資は、機密費と会社からの退職金とSIerから支払われる迷惑料から出されていた。この時には、増えに増えた機密費は200万に届こうとしていた。
 足りない分は主任クラスが多めに出して帳尻を合わせた。

 そして、主な業務で『火消し』と銘打ったシステム会社が出来上がった。
 最初の業務は、出資者であるドクター松本の各施設への常駐及びシステム改善を行う事になった。ドクター松本も大雑把な性格なのか、弁護士を通して来た書類には25年契約と書かれていた。
 よほど、真辺たちの仕事が気に入ったのだろう。

 ドクター松本は経営には一切口を出さないことを明言した。曰く、『素人である自分が口を出して良い事はない』という事だ。ドクター松本は本業が問題なく稼働すればいいのだ。実際に、真辺が鍛えた部下たちは、ドクター松本が気にしていた、システムの無駄を数ヶ月で削ぎ落とした。
 半年でドクター松本の各施設から上がってくる情報をまとめるシステムを構築して、支払っていた人件費を1/3まで圧縮してみせた。
 コストカットには篠原が大いに活躍したのだが、それは別の話だ。

 会社の経営は、元部下たちの合議制で行われる事になった。
 実は、この合議制での経営は真辺が残した文章に書かれていた方法なのだ。

 本社登記やらなんやらで時間を使ってしまった。本社の所在地は、真辺の家が選ばれた。

 これにも理由があった。

 真辺が天涯孤独なのは皆知っていた。親戚筋にも連絡が付かない状態だったのだ。
 葬儀に関しても、最後を看取った4人と篠原と真辺の田舎から出てきた人物が主体となって行っていた。

 遺言を守る意味からでも、必須なことだと思っていた。

 立ち上がった会社は、少人数での船出となった。
 社長は、いろんな意見もあったが、真辺の遺産の中から一番価値のある物を受け継いだ。石川が就任する事になった。

 全員が出資者となるので、役職は特に考えない。好きに付ける事にした。この辺りは、真辺の悪癖が影響しているのは間違いない。篠原が何度か提案したのだが、石川も社長と名乗る事は殆どない。
 実働する人間は、全部で27名、ほとんどが、真辺の部下だった者だ。
 片桐の会社のメンバーも数名が合流する事になった。片桐の会社も、社長の死で解散する事になっていた。幸いな事に借金がない状況だったので、解散はスムーズに行われた、SIerも当初の約束通りの金額を支払った。残された社員に給与を支払う事もできた。この辺りは、SIerから派遣された弁護士が作業を行った。片桐の会社が持っていた、独自パッケージのシステムも、新会社が引き受ける事になった。売上の一部は、片桐の遺族や元部下たちに均等に支払われる事になった。所有権や改版権は、新会社が持つ事になった。

 部下も全員が合流する事はない。やはり、真辺の死だけではなく、事件にもなってしまった事から、心に深い傷を抱えた者もいた。そういう者たちも、新会社への出資だけはしてくれた。会社を退職する時に、会社からも普通よりも多めの退職金をもらう事になった。第二の人生を歩む事を選択した人間たちを石川たちは止めなかった。
 止めてはならないと思っていた。

 篠原も合流して、営業の面倒を見る事になったが、営業が必要になるのはだいぶ先のことだろう。
 営業としては、他に森と山本貴子が合流した。

 そして、真辺の死から49日法要が終わった。今日、会社の運営を開始する。

 そう、真辺の死を皆が見つめたあの時から・・・。

第九話 閉ざされた思い


「石川!!!山本でも、井上でも、小林でもいいどういう事だ!俺に説明しろ!!!」

 篠原が、警察病院の霊安室に飛び込んできた。
 切られたと思われる場所には包帯がまかれている。包帯には、血だと思われる物が滲んでいる。

 そして、横たわる真辺を確認した。真辺の横に立ち、顔を覆っていた布を乱暴に払い除けた。

「おい。起きろ。新しい現場だ。お前がいないとダメな現場だ。そうして寝ている余裕があるなら大丈夫だろう?もっともっと俺がお前にふさわしい仕事を持ってきてやる!おい、いつまで寝ている。いい加減にしろよ。おい。ナベ。起きろよ!!!俺より先に寝るやつがあるか!ナベ。真辺ぇぇぇぇ」

 篠原は、横たわる真辺の胸倉を掴んで必死に起こそうとするとが、真辺が反応する事はない。篠原は、流れ出る涙を拭うこと無く、真辺を起こそうとしていた。
 その行為を、止められる者はこの場にはいない。誰しもが同じ思いで居るからだ。

 石川だけは、篠原の行為を是としながらも、自分の心に従った動きをする。
 胸倉を掴んでいた篠原の手に石川の手が重なった。いつまでも、真辺の胸倉を掴ませているのが嫌だったのだ。

「篠原さん。ナベさんは・・・もう・・・」

 篠原は、石川の行為の意味が解っている。
 解っているが、自分の内側から溢れ出る思いがそれを越えてしまっている。

 添えられた石川の手を乱暴に払い除けて、石川の肩を乱暴に掴んでしまっている。
 篠原は、石川の方をまっすぐに向いて、真辺とした約束を、自分の思いをぶつける。

「石川。ウソを言うな。ナベが俺を置いて死ぬはずがない。それにな、こいつは俺と約束した!!10月01日に、納品後に飲み会をする約束をした!なぁそうだろう。ナベ。お前言ったよな。それ以外も、俺と約束したよな。倉橋さんのように死なないって約束したよな!俺よりも先に死なないと言ったよな!山本!井上!小林!石川!石川答えろ。ナベが約束を破るか?破らないだろう。だから、ナベが死んだなんて嘘だ!さっさと起きろ!いつまでそうしている!こんな綺麗な状態で・・・寝ているなんて・・・俺は・・・俺は・・・真辺!絶対に許さないからな!嫌なら起きろ!!!真辺!!!」

 篠原は、石川だけではなく、山本、井上、小林に嫉妬していたのだ。
 なぜ自分が一緒に現場に出ていなかった、真辺の最後を看取る事ができなかったのか?
 なぜ自分が・・・。そんな思いが頭の中を支配していた。

 警察で真辺の死を聞かされた時に、なにかの冗談だと思った。
 信じなかった。信じたくなかったのだ。

「篠原さん。ナベさん。疲れたって言っていました。そろそろ休ませてあげないと・・・。それに、すこしだけ寝るって言っていました。そのうち起き出すと思います。私が待っています。後は、私が、私たちがやります」

 石川は、目に涙を浮かべながら必死に真辺からいわれた『辛い時ほど笑え』を実践している。
 他のメンバーも全員笑おうとしている。

 篠原は、石川から向けられる笑顔の意味がわかった。石川や山本や井上や小林の目の中に映る自分が笑っていない事が解る。
 自分たちが笑っているのに、付き合いが長い篠原が笑えないのはおかしい。

「そうだな。すまん。すこし頭冷やしてくる。石川。掴んだりして悪かった」
「いえ、大丈夫です」

 篠原は、ヨロヨロとした足取りで、霊安室から出ていった。
 ドアが乱暴に閉められて、廊下から何か蹴ったのだろう、大きな音が響いてきた。

 石川はさっきまで篠原が居た所に立って、真辺を上から見下ろしている。

 石川は、篠原が乱暴に払い除けた布を床から拾い上げて、篠原が乱した服装を整えている。

「ねぇわがまま言っていい?」
「なんだ?」

 石川からの願いは山本も井上も小林も想像できている。
 一番付き合いが古い山本が石川に答える。

「今だけ、30分。ううん10分でいいから、ナベさんと二人だけに、してくれない?」
「わかった、井上。小林、ちょっと付き合え。篠原さんを見に行こう」

 山本が2人を連れて、部屋から出る。篠原を見に行くというのも嘘ではない。心配するほどの取り乱しようだ。
 石川は大丈夫だろう。笑えている。篠原は、真辺の死を現実として受け入れていない。自分たちは、篠原と違って真辺の死を看取っている。そんな思いも有ったのは間違いない。

 ドアが閉まる音がした。
 石川は、満面の笑みを浮かべて、真辺の顔に優しく触れた。

「ナベさん。知っていました?自分は『もてナイ』って散々言っていましたが、部下だけじゃなくて、他の部署や、他の会社にもファンがいたのですよ。その気になれば結婚できたのですよ。みんな、ナベさんの生活が想像できないと言っていましたが、ナベさん。ズルいですよ。私にこんな気持ちを植え付けた状態でいなくなっちゃうなんて・・・・。どうしてくれるのですか?」

 真辺が答える事が出来ないのは解っているが、石川には真辺の越えがはっきりと聞こえる。幻聴だとしても、石川にとっては、それが事実かどうかなんて関係ない。真辺が答えてくれているのだ。

「・・・・」

「そうですよ。『すまない』じゃないですよ。システムもまだなのですよ。悪いと思っているのなら、気合で生き返って見て下さいよ。やってみたら出来るかもしれないですよ。ナベさん。ほら、早くいつもみたいに笑いながら適当な事を言いながら、起きてきて下さいよ。一度だけなら許しますよ。そうだ、ナベさん復活の呪文とかどっかに作ってないですか?生き返ってきたら、今度は死なせませんからね。私が一生一緒に居て、私が死ぬまで死なせません。だから、早く生き返って下さい。お願いします。真辺さん」

「・・・・」

「『無理いうなよ』じゃないですよ。まったく解っているのですか?これから、私たちはどうしたらいいのですか?」

「・・・・」

「そうですね。『自分たちで考えろ』ですね。そうします。まずは、今の施設の稼働を確実に行う。その後は、また相談に乗って下さい」

「・・・・」

「ありがとうございます。ナベさん。真辺さん。いろいろ聞きたい事が多いです。まだまだ教えてもらわないと私は使えないですよ。真辺さん。他の部署で問題を起こした私を拾ってくれたのはなぜですか?いつも笑って教えてくれませんでしたよね。『お前は根性がある』『なんとなく』そんな答えばっかりでしたよね。それに、なんで私を主任にしたのですか?部署には私よりも出来て、年上の人も沢山いたのに・・・。なんで私だったのですか?ネットワークとハードウェアの山本さん。言語知識が豊富な井上さん。運用やサポートの小林さん。私だけ何にも出来ませんよ。いつでも、真辺さんの後ろについて回るだけで精一杯だったのに・・・」

「・・・・」

「ほら、また教えてくれない。そろそろ教えてくれてもいいと思うのですよ。私は、何も知らないで会社に入って、7年。ナベさんの下に着いて、5年。貴方を好きだと認識してから3年。今は、その3年が心を圧迫します。苦しいです。でも、でも、真辺さんと出会えなかった事に比べたら、すごく幸せな5年間でした。あ!言い忘れていました。『真辺さん。お誕生日おめでとうございます。今年一年。よろしくお願いいたします』もう一つ有るのですよ。毎年、今年こそ・・・と思って言えなかったセリフが・・・『真辺さん。大好きです!』うぅぅぅぅぅぅぅぅ・・・・ダメですね。泣いちゃダメですよね。笑わないと、真辺さんに怒られちゃいますね。いいですよ。怒りに来て下さい・・・。真辺さん。お疲れ様でした。今まで有難うございました。これから、私は真辺さんの部下だった事を誇りに思って、この業界で生きていきます。今まで本当に有難うございました!そして、お疲れ様でした」

 石川は、真辺の遺体の前で大きく一礼した。そのまま、遺体に抱きつくように泣き崩れた。
 涙が枯れるかと思う位の時間が経過した。ゆうに1時間は経っているだろう。

 ドアがノックされて、警官が入ってきた。
 真辺のスマホや持ち物を検査していたが、怪しいものは何もなかったといわれた。
 病死と判断して事件性はないという事を告げられた。

 石川は涙を拭いて立ち上がった。
 真辺の死を受け入れて前を向かないダメだと思っている。

 遺体をどうするのかを聞かれたので、家族や親戚の類はいないと告げた。
 もう一人の警官が、夕方に会った西沢と名乗った警官だった。

 西沢が、石川に『真辺の遺書を預かっている』と言っている、弁護士が来ていると告げられた。石川一人では心配だったので、篠原や山本達と合流してから、弁護士に会う事になった。
 西沢は、真辺の本籍住所を調べて、親類縁者を探す事になった。遺体の引き取り先を探すためだ。
 これほど早く『遺書を持っている』弁護士が見つかったのにもわけがある。
 西沢の同期が、真辺の出身地にある警察署に居た為に、同期を頼った。
 その同期が偶然なのか必然なのか、真辺の同級生だったのだ。そして、その警察官の妻が弁護士をやっていて、真辺の遺書を預かっていたのだ。
 真辺の同級生と妻で弁護士の2人は、すぐに職場を出て、真辺の遺体が安置されている警察病院に駆けつけた。

 石川に向かって出された名刺は「森下美和」となっていた。

 真辺は、地元の高校を卒業後、東京に出てきて専門学校に通った。その後、そのまま東京で就職した。

 森下弁護士がいうには、4年前にふらっと地元に現れて、両親と妹さんが眠る墓を綺麗にし直して、他人だが1人の女性が眠る墓に関しても住職に供養をお願いして行った。偶然に居合わせた、森下弁護士の旦那さんが真辺と話をした。森下が弁護士をやっていると聞いて、”頼まれごと”を、して欲しいと言われたのだという。
 頼まれ事は、真辺名義になっている山や財産の売却と譲渡。売却されたお金は適当な団体に寄付するのと、森下桜と美和に預けるという事だ。
 そして、もう一つが遺言書の作成だった。

 森下弁護士は、皆を見回しながら
 篠原・山本・井上・小林・石川。の、5名に関係していると言った。
 丁度、そこに揃っているメンバーなのを確認して、警察官による身元確認が行われた。
 森下弁護士が渡された資料通りになっている事を確認して、遺言書が開示される事になった。

 そこには、5人には見覚えが有る。癖の強い真辺の字だ。お世辞にも美味いとは言えない字だったが、石川だけではなく、皆その字を見て目頭が熱くなるのを認識していた。

『これを読んでいるって事は、俺は死んだのだろう。多分、過労死だろうな。それとも、どっかのシステム屋に恨まれて、刺されて死んだか?まぁそんな事はどうでもいい。
 篠原さん。多分、何か約束をしているでしょう。守れなくて申し訳ない。この埋め合わせは、来世か地獄でする。篠原さんは天国には行けないだろうから、俺もしょうがないので、地獄で待っていますよ。でも、急いで来なくていい。できるだけ再会は遅い方が嬉しいからな。その間、利息も付けるので。きっちり回収してくれよな。
 山本。お前が一番長い付き合いになるな。すまんな。迷惑をかけたな。俺が誘わなかったら、お前はもっと贅沢な道を歩けただろうな。嫁さん大事にしろよ。なんか文句があるのなら、後でゆっくり聞いてやる。まずは、嫁さんを大事にしろよ。
 井上。いい加減ホンダ車の素晴らしさを認めろ。また、お前と言語や開発手法談義をしたいな。向こうで俺も知識を溜め込むからな。待っていろよ。面白い方法を考えておくからな。
 小林。すまん。いつもしんどい役回りばかりさせて、お前が矢面に立ってくれるから、俺は自由に動けた。助かったよ。これからは、自分の好きな事をやれよ。そうそう、小林夫人にも無茶させたな。謝っておいてくれ。
 石川。こんなオヤジのどこがいいか知らないけど、もっと周りをよく見ろ。お前は、何度も俺になんで自分が?と、聞いたよな。教えようかと思ったけど、止めておく。悩め。自分で考えろ。ヒントは俺がお前に頼む仕事を考えれば解るはずだ。お前は、いつもネットワークやハードウェアは山本に敵わない。言語は井上に敵わない。ユーザサポートは小林に敵わない。それ以外にもいろんな面子と自分を比べているよな。そんな必要ない。石川は石川なのだからな。周りをよく見ろ。言語で敵わないと思っている井上にお前はサポートでは勝っている。山本より言語知識がある。小林よりネットワークに詳しい。俺が欲しかったのは、そういう事だ。
 美和。悪いな。こんな事頼んで。お前が、桜と結婚していたとは驚いたよ。幸せに』

 それ以外にも部署のメンバー1人1人に言葉が残されていた。

『美和に俺の財産を調べてもらった。実家の方は、すでに処分して貰って、全部美和に預けた。好きにしてくれ。
 こっちにある財産だが、みんな知っていると思うけど、俺は天涯孤独だ。親戚も探せば見つかるかも知れないが、そんな知らない奴らよりも、お前たちの方が大事だ。迷惑かもしれないが、次のようにしたいとおもう。異議申し立てがある場合には、こっちに来て文句を言ってくれ。それ以外は受け付けない。
1. 俺の家は、処分してくれてもいいし、欲しいという者が居たら、そう処理してくれ。複数の手があがったら、三回勝負のじゃんけんで一番”弱かった”者がもらう事にしてくれ
2.パソコン本体は、山本貰ってくれ。勿論、処分して現金化して嫁さんへのプレゼントにしてもいい。
3.移動が可能なパッケージのライセンスは、井上貰ってくれ。ダブっている物もあるだろうが、あって困るような物じゃないだろう。HDDは山本と相談してくれ
4.タブレットやノートパソコンは、小林貰ってくれ。古い機種もあるが、ユーザサポートで必要になる場合も有るだろうから、有って困るような物じゃないだろう。篠原さんに相談して会社に買い取って貰ってもいい。
5.篠原さん。即物的で申し訳ないのですが、俺の現金や預貯金の処分をお願いします。俺の葬儀や片付けで必要になると思いますので、それらから出して下さい。残りで、5人以外のメンバーに中機能のノートパソコンを買い与えるくらいは残ると思います。多分、まだすこし残ると思うので、それは篠原さんが収めて下さい。いろいろ迷惑をかけて申し訳ない。可愛い後輩の頼みを聞いて下さい。
6.石川。お前に何を残そうか考えたのだが、良い物が思いつかなかった。そこで、一番貰って困る物をお前に残す。俺が今まで趣味で作ってきたアプリケーション一式をお前に託す。公開するなり、しっかり作り直すなり好きにしていい。それと、美和に託してある。書類をお前に渡す。
 以上6項目。財産だと思われる物だ。
 おまけとして、家の中に転がっている家電とかは、欲しいと言った者が好きに持っていってくれ。
 もし、俺の死が何か事件に巻き込まれた結果だとしたら、美和すまん。篠原さんや部下達の力になってやってほしい。
 それともし部下の中から独立して会社を作ると言い出した者が出てきたら、美和。会社の顧問弁護士になってやってくれもちろん美和で問題ないという者が居た時だけだけどな。顧問料は要相談だと思うが、以前に預けた資金内でできるだけやってほしい。

 あっちの世界でも多分”火消し部隊”を設立するが、お前たちが居なくてもなんとかする。いいか、そんなに早くこなくていいからな。でも、来たら連絡よこせよ。
 それじゃまたな。

 真辺真一』

◆◇◆◇

(真辺さん。ありがとうございます)

最終話 紡がれた思い


 石川たちは、真辺の家を事務所にして作業をしている。

 27名も入れる広さではないが。ほとんどの人間が、ドクター松本の施設で作業しているので、事務所の機能があるだけで十分なのだ。皆が集まるだけなら、真辺の家で困る事がない。贅沢にも庭らしきものがあるのだ。
 真辺の家は、郊外にある一軒家で、周りと見比べても大きい。石川達も驚いたが、すでにローンも完済しているという事だ。そんな条件もあって、事務所に使う事になった。
 家の所有者は、最初は篠原にするという話しになったが、篠原が、真辺の『|意思(遺志)を継ぐ』のは石川だから石川名義にするとほぼ強制的に言い放った。篠原は、霊安室でのことを気にしていたのだ。石川はそれを拒否しようとしたが、周りからの強い脅迫・・・。いえ、説得で石川名義になった。これらの事をやったのは、株式会社マナベの顧問弁護士になった森下美和だ。
 普段彼女は田舎に居るが、月に数回会社を尋ねてくれる。また、真辺の同級生で森下美和の友人でもある篠崎克己も技術的なフォローを入れてくれる事になった。彼は、ある一定業界では名前が知られている存在で、石川たちは改めて、真辺の顔の広さを知る事になった。篠崎は、山本とは顔なじみだった。井上とも数回あった事があった為に、すんなりと受け入れ要られた。顧問的な立場というよりも、外注先の一つとして考えて欲しいというのが、篠崎からの提案だった。

 事務所には、常に4名が常駐している。
 石川と山本貴子と篠原の妻と旧姓高橋、現在は小林夫人の4名だ。篠原の妻は、経理を担当している。それを、山本貴子がサポートしている。小林夫人は、長い付き合いがある者からは、高橋と呼ばれているので、そのまま高橋姓を名乗って仕事をする事になっている。高橋は、2度上司を失ったことから現場には出られない、新会社では人手が欲しいこともあり、篠原だけではなく森の営業補佐をする事になった。見積書の作成や請求関係だけではなく、提案書の作成なども高橋なら問題なくこなす事ができるのだ。

 そして、石川と山本は、事務所に住所を移して、上の住居スペースに住んでいる。
 真辺の家は、3階建だ。一階は広めのLDKがあって、二階と三階に別々の玄関から入れる住居スペースになっている。二世帯住宅になっていた。真辺がなんでこんな家を購入したのかは不明だが、そうなっている。一階部分を改装して事務所スペースにした。机を5つ入れた。一つは真辺が会社で使っていたパソコンが置いてある。一番近い場所に石川と篠原、篠原の隣に山本貴子残りの机は、山本・井上・小林の端末がそれぞれ置いてある。

 そして、皆がびっくりして・・・それから呆れたのが、地下室があり、地下室がサーバルームになっていたのだ。そして、実際にそのまま動かし続けて見てさらに呆れたのが、月の電気代が4万を越えていた。山本が1ヶ月かけて、サーバの中身を攫って統合したので、多少は良くなるだろうという事だ。家に居ないのに契約しているネットワーク回線もすごかったし、SIMも複数契約していた。

 そして、サーバルームとは別にCATVも契約してプライベートで使う回線は別にしていたようだ。契約チャンネルもそんなに見ないだろうって位契約していた。
 そして、二世帯住宅の為に、女性が二人住む事になった。通勤時間0分の夢の職場が出来上がった。
 お風呂を始め水回りも別々になっている。弁護士に相談したら、家主を、石川にして、山本貴子は同居人にすれば、節税できると言われた。また世帯数としては1世帯となるので、諸々の契約を名義変更だけで済ます事ができそうだった。かなり乱暴な手法も確かに使われた。弁護士は、石川を、真辺の『内縁の妻』として契約変更を推し進めた。
 遺書に名前が乗っていて、皆が認める『一番価値ある物』が送られたことなどの理由を説明して各所を納得させた。

 こうして、諸々の真辺が残した物が整理されていった。

 石川と山本貴子の普段の作業は、真辺が残した資料をまとめる事と真辺が作成したアプリケーションの整理だ。
 石川に取っては、この作業がとてつもなく楽しい。故人となった真辺との会話を楽しめるからだ。真辺が書いたプログラムでは、ソースで真辺が語りかけてくれているように感じる。資料からは、真辺が何をしようとしていたのかがよく分かる。

◆◇◆◇ 真辺の資料。
 小学校や中学校の技術の時間で、パソコンに関しての授業が行われる事になっている。教える側に立って考える時に、『何を教えたら良いのか?』そんな事を考えてしまう。プログラムを教えると言う事も幅が広い、セキュリティ関連の事を教えるにしても基礎ができていなければ、海外で通じない英語と同じような事になってしまう。
 これは、社会に出てからプログラムを教える時にはもっと顕著になってしまう。

 プログラムを作るだけなら、本に乗っている物やWebサイトにかかれている物をコピーして貼り付ければ、動かす事が出来るだろう。しかし、それではプログラムを教えるという事にはならない

 それでは、プログラムを教えるとはどういう事をいうのだろう。
 プログラムは言語を覚える事でもなければ、Webサイトを表示させる事でもないと思っている。

 プログラムを作ると一言で言っても、ネットワークの基礎/ハードウェアの基礎を考察する事で、作るプログラムに幅を持たす事が出来ます。また、動作環境の違いからくる得手不得手・言語による動作の違いや得手不得手を代表的な物からまとめる事で、何か『作りたい』と思った時の選択肢が広がる事につながっていく。

 よく聞かれる話だが、”プログラマやシステムエンジニアは、理系の方がいいの?”

 理系/文系など関係ないと思っています。

 文系・理系と分けるのがナンセンスだって話は置いておくとして、何かアプリケーションを作るという段階においては、専門性が重要視されるだけで、それが文系だろうが理系だろうが関係ない事です。

 専門性は、八百屋さんでもいいし、アプリケーションを必要だから作っていくが、大切な事です。
 八百屋さんでも、帳簿を付けます。それは帳簿のソフトで付けているかもしれません。でも、八百屋さん特有の仕入れや管理には適していない部分があるかもしれない。その時に、今ある物で我慢するか、手書きに戻るかではなく、手書きでやる事をアプリケーションにしてみるという考えが、プログラムの最初なのです。全部は無理かもしれない。それなら、一部だけでもいい。そうして、作ってみれば他にはない専門性を持ったアプリケーションをプログラミングしたことになります。

 簡単に言っていますが、そのアプリケーションが難しいといわれるのかもしれないが、それは当然です。
 それを生業としている人が居るのですから・・・。そう言ってしまえば話は終わってしまいますが、その生業としている人と同じ事ができると考えるのではなく、自分が必要としている物だけを作る事に集中すればそれほど難しくないでしょう。

 プログラムを大きく考えれば、運動会の順番もプログラムという。あれと同じで、まずは自分がやりたい事の手順を紙に書き出す所から始めればいい。
 書き出せれば、プログラムの前段は終わった様な物です。

 そこから、今度は、その一つの手順をまた細かくしていけばいい。
 その時に、出てくるのが、”判断”と”繰り返し”だ。八百屋なら、みかんの在庫が10個を下回ったら仕入れるとかなると思う。これが判断になる。店頭に、3個ずつにした台の上に並べる場合は、何回並べるのか解らないがこれが、繰り返しになる。
 こうして、手順を書き出してみて、これ以上は細かくならないと思った手順の中で、アプリケーションでやる部分を考えて、一つ一つパソコンやスマホといったプログラムを実行する機械に、解る言語で書いてあげるのです。

 人間がやる事は、人間がやればいい。アプリケーションにやらせる部分は、ここまでできていれば、実際に言語を使って記述するわけだが、ここからは言語の世界の話しになってくる。

 プログラミングは、『条件が同じなら何度考えても同じになる事』を『利用する言語で記述する』事にある。

 みかんの在庫が10個を下回ったら仕入れを行う。
 この時の条件は”10個”という条件だけで判断している。しかし、夏場と冬場では売れる数に違いがあるかもしれない。その夏場/冬場を判断するのが、気温なのか、カレンダーの月なのか、それともみかんの卸値なのか、人間はそれを”経験”という記憶を下にした条件で判断を行っている。アプリケーションには、経験がない。その為に、条件をしっかり考えていく必要がある。
 気温なら、予報でいいのか?実際の気温にするのか?それは朝なのか?昼なのか?夜なのか?天気や湿度は必要なのか?条件を追加する事で新しい条件が産まれる。この条件で、利用者が入力した方がいい物と自動で取得が可能な物に分けられる。気温や天気の予報なら、インターネットの天気予報を使えば取得が可能である。このように、条件を掘り下げていけば、より人間に近い判断が出来るようになってくる。しかし、人間にできて、アプリケーションが苦手としているのが、”イレギュラー”な状態への対応だ。条件を考えていても対応出来る物ではない。それなら、ばっさり諦めるという選択も取れる。アプリケーションは、あくまで人間が行う作業の補助なのだ。全部を行おうと考えるのが間違っている。補助だと割り切る事で、より使いやすい物になっていくのだ。

 ここまで考える事が出来れば、プログラムを書く準備が整う。

 でも、プログラムはできるようになっているのは間違いない。言語知識が足りないだけという事になる。
 ここまで来てやっと言語の選択になるというわけだ。

 プログラムの学習=言語の習得
 だと思われている人が多いようですが、プログラムの学習と言語の習得は別物です。

 個人的には、プログラムは考え方であって、言語はその考えた事を、パソコンやスマホに解るように記述する命令だと思っている。したがって、どう勉強したらいいかと聞かれたら、まずは、プログラムを覚えようという事になる。

 しかし、ここで問題になるのが、考え方をつらつらやっていても、なかなか覚えられない。実際に動かしたほうが覚えやすい。そう考えて、言語をから入るのも悪くはない。悪くはないが、正解でもないという事になってしまう。

 最初に勉強する言語はなんでも良いと思うが、できれば、コンパイル言語であり、スタンドアローンで動く物が良いと思っている。

 Javaでもいいと思うし、VB.NETやC#と言った物でもいい。
 最近の開発ツールは優秀だから、ヒントも大量に出るので、最初さえ間違えなければ、十分プログラムを書けるようになると思う。

 言語的なブラックボックスが少ないのは、C++などだろうとは思うが、すこし敷居が高いように思える。

 初めて触るのなら、Java か C# が良いと思っている。PHPやRubyと言った言語もいいとは思うが、すこしブラックボックスが多いように思える。それに、言語理解の時に、ネットワークの理解やら動作原理の理解が入ってくる。無くてもプログラムは作れるが、PHPしかかけない人間が出来上がってしまう。会社などで即戦力とか言っているがそれは間違っている。使い潰されるだけだ。

 COBOL だけで育った人をVB.NETが使えるようにして欲しいといわれた事がある。
 プログラムとしては書けるが、汎用機で一般てきな考え方が抜けないので、なかなかイベントやプロパティやメソッドという考え方に馴染めないでいた。しかし、内部のコードに関しては完璧に書くことができる。多少の戸惑いはあるが、コードを書くという事では、COBOLだろうと、VB.NETだろうと、PHPだろうと変わりはない。言語特有の考え方ができるようになるかどうかに関わってくる。

 だからこそ言いたい。
 プログラムの学習は、言語に依存しない部分だけを教えて、そこから、各言語特有の考え方を、ハードウェアやネットワークを交えて教えていく。それがいいと思っている。

◆◇◆◇

「石川さん。この資料ってプログラム学習の為の資料ですよね?」
「そうだね。なんで?」
「私もプログラムを覚えようと、いろんな本を読んだのですけど、Javaがどうのとか、Cがどうのとかそういう記述が多くて、いきなりソースを書く準備をしてみようって奴が多くて・・・。諦めたのですけど、真辺さんの資料って、一切そういうのが出てこないのですよね。これで、プログラムが書けるようになるのですか?」
「う~ん。難しい質問だよ。ナベさんなら明確な答えがあったと思うけど・・・。でも、言語を覚えるのは、後回しでいいと思うよ。まずは、業務理解とやりたい事と出来る事の整理かな」

「この資料。石川さんが編集し続けるのですよね」
「うん。そのつもり。まずは、難しい言葉や誤字脱字をなおしてからだけどね」

「あ・・・後。資料ってよりも、小説なのかな?あれはどうするのですか?」
「え?あぁナベさんが書いていた、異世界に転生して、異世界の魔法をプログラミングする話?」
「そ。真辺さんにあんな趣味があったとは知りませんでした」
「私もだよ」
「でも、この小説・・・主人公、真辺さんですよね?」
「あぁ貴子ちゃんもそう思う?」
「はい」
「そうだよね。多分、ナベさん。異世界に転生してもプログラムを作ったり、火消しをしたり、しているのだろうね」
「あぁ私もそう思います。私、一度だけ、それも短い間だけでしたけど、真辺さん。なんか楽しそうにしていましたよね」
「うん。多分、あの人は、システムエンジニアでもなく、プロマネでもなく、管理者でもなく。根っからの”プログラマ”なんだろうね」

「でも、この主人公。結局どうなるのでしょうね。気になっちゃいますよ」

「そうだね。また、読み返してみればいいよ。気になったら、貴子ちゃん続き書いて、発表してみれば?」
「えぇ辞めておきます。こんなプログラムの事ばかり書いてあるラノベなんて、絶対に人気出来ないですよ」
「だよね」

 二人は笑いあった。

---
(真辺さん。ありがとうございます。私は、貴方に出会えて本当に良かった。貴方が居ればと思います。思いますが、私は最後まで笑って過ごします。そして、貴方に会えた時に褒めてもらえるようにします。ですので、いまはゆっくり休んでください。また会うのを楽しみにしています。石川千秋)

 彼女たちは、今でも火消し部隊を率いて頑張っています。

 fin.

紡がれた意思、閉ざされた思い

紡がれた意思、閉ざされた思い

尊敬する上司と頼れる仲間。何もできない私。でも、私はここで生きていきます。 火消し部隊。 システム屋の中に有っても異色な部隊。 専門職が強いIT業界にあって、その専門家の中ならエキスパートと呼ばれる者たちが集まった。本来存在してはならない部隊。 日々の仕事は炎上している現場の鎮火。 今回の現場は病院施設が併設された介護老人ホーム。 行政の監査も入る事が考えられる。少しの行き違いで、簡単に大火になってしまう。 そして、火消し部隊は今までに経験したことがない鎮火作業に挑むことになる。 注)IT業界の話です。 専門的な言葉がありますが、なるべくわかりやすく書いていきます。 異世界転生物の序章で書いた物を構成しなおした物です。異世界転生はしません。

  • 小説
  • 長編
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-04-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 紡がれた意思、閉ざされた思い
  2. 邂逅1 出会いと別れ
  3. 邂逅3 新たな部署
  4. 邂逅4 初仕事
  5. 邂逅5 新人教育
  6. 第二話 新たな戦場^H^H職場
  7. 第三話 状況確認
  8. 第四話 消火活動
  9. 第五話 確執と問題
  10. 第六話 修羅場
  11. 第七話 別れ
  12. 第八話 意思を継ぐもの
  13. 第九話 閉ざされた思い
  14. 最終話 紡がれた思い