【連載】シルバーエイジの物語 Book 1

万田 竜人(まんだ りゅうじん)

シルバーエイジの物語 Book 1

【序】

午睡から目覚めた時に、背中に翼を背負った女神は微笑みながら傍らの
アトキンス博士と共々 「健やかな・お目覚めでしたか?」と登場、楽観的
な雰囲気の中で、次の様な会話を交わした。

女神「ところで貴方が詠んだ 『はらわたのにえる思いに寒の水』はやはり
魂(たましい)の叫びであったと?」

小生「ボクにとって、あの俳句は、魂(たましい)のつぶやきだったと考えて
います。ボクにとって幸いだったのはそれを盟友が拾い上げてくれたことで
あり、ボク・自身の救出劇に繋がったことにはただただ感謝です」

女神「その後、貴方にとって、魂(たましい)の叫び的な作品は、登場する
のですか?」

小生「ボクが、この星空文庫に掲載している小説『シルバーエイジの物語』
が、強いていえば、魂(たましい)の叫びであり、ボクは、まだまだ創作意欲
もあるし 『まだ・まだ・やれるよ』 という意思表示でした」

女神「そこに 『転生』 はあったと ?」

小生「まさに、企業人としての 『佐久間 勉』(さくま つとむ)から、一生涯
学生作家 『万田竜人』(まんだ りゅうじん)への大いなる転生があったと
考えています」

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そのような視点で、かつて記述した処女作を、プロローグの出だしから点検
を兼ねて推敲を重ねてみようと考えた。

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プロローグ

自然環境に囲まれているためか、鳩が飛んできて楢の木でくつろいでいる姿を時々
見かけることがある。この庭には欅や紅葉・楓なども植えてあり四季を通して窓の外
の景色を楽しむことが出来る。

窓は横長に大きく広がっており、木々を眺めながら心に語りかけて来るようなアルパ
の音色を聴いていると、そこに小宇宙が出来上がったような感覚に陥る。

私は、演奏を聴きながら、演奏者と聴き手の間にある微妙な空間の存在が気になり
だした。演奏会場は、小規模ながら天井は高くドーム状になっており、アルパの音色
がやさしく響き渡る。

この会場は通常は喫茶店として運営されており、店主の趣向で、演奏会場や英会話
の交流会の場に早変わりする。

演奏会場への早変わりは 「土曜コンサート」 として、土曜日限定で開催されている。
演奏種目は、楽器演奏によるものが主体であり、バイオリンやギター演奏などが人気
種目であるが、ときには、二胡による演奏なども披露されているという。

私が、土曜コンサートに参加するのは初めてのことである。

この土曜コンサートをプロモートされている野仲先生を取材するには、実際の演奏会
に参加させていただき、臨場感を共有した上でのほうが良いのではないか、と考えて
喫茶店の店主に演奏会参加の申し込みをして、アルパの演奏会に、出席させていた
だいたのであった。

アルパの音色は、大型のハープの音色にも良く似ており、演奏を聴いている自分の
気持ちが、だんだんと、やさしくなって行く過程が自覚できる。演奏の曲目「月下想」
「さくら色のしずく」の後で自己紹介した演奏者倉品真希子さんの声は凛としていて
歯切れも良く歌声は澄んだ声で耳に優しい。

倉品さんはANAインターコンチネンタルホテル東京のラウンジ演奏においてアルパ
の演奏を続け、やがて、この経験の積み重ねの中から、独自のライトミュージックと
いう演奏スタイルを編み出して行き、自らの作詞・作曲につなげていったというだけ
あって、ごく自然に親しみが湧く演奏会であった。

演奏者と聴き手の間の空間は、この歌声に合わせて、オーケストラ演奏の指揮者でも
ある野仲先生が設けた独特の間合いであった。野仲先生は大会場から中・小会場に
いたるまで各種の演奏会のプロモートをこなされており、大きな会場においては、自ら
が指揮棒を振る。

アルパは、素手で持ち歩ける手軽さがあるため、倉品さんのオリジナル企画では全国
の農業地域を廻り 「オーガニック・コンサート」 という呼称で、演奏会を開催している
という。

このコンサートの特徴は、各地で採れた有機無農薬野菜や・果物と、物々交換をする
方法を仕掛けて演奏会に参加する楽しみを盛り上げているという。また演奏会の形態
もアルパのソロ演奏だけでなく、マンドリンとのコラボ演奏やハーモニカとのコラボ演奏
など多彩な催しを企画してファン層を増やしているようである。

南米の民族音楽とオリジナル曲とを組み合せた演奏会も好評なようである。
今日の演奏会でも 「アメージンググレース」 は拍手が多かった。

アルパは、スペイン語でハープという意味があり、アルパの奏者をアルピスタと呼ぶ。

日本では女性の奏者が多いという。倉品真希子さんも日本のアルパ奏者として有名な
方で、その豊かな演奏の音色は、自らの作曲による創作と独自性から癒し系の演奏会
として、再来を待つ人が多いという。

当日も、アルパの演奏会が終わるやいなや会場からは、満足げな表情をした聴衆から
アンコールを求める拍手が会場内に沸き起こり、まさに、聴き手の気持ちが一つにまと
まって大いに盛り上がったことは云うまでもない。

演奏会の後は、喫茶店の店主とプロモーターの野仲先生、それに本日の主役アルパ
奏者の倉品真希子さんの三人でこの場所からは歩いて行ける同じ入間市内のホテル
のレストランにおいて、懇親会があるというので所期の狙い通り臨場感を共有出来た
野仲先生との取材の時間は、後日と云うことで日時と場所を決めて再会を約した。

演奏会の会場出口では、アルパの音色の余韻を自宅でも楽しみたいという人が列を
成して、CD を買い求めた。もちろん、私も、倉品さんが手作りしたというCDを買って
帰ることにした。

演奏会の会場では 「さくら色のしずく」 の曲が印象に強く残ったので、帰宅後、早速
拝聴することにした。演奏会で、興味深く聞いた曲だが、あらためて一人で聴くとまた
違った味わいが感じられて癒し感が心の中に沁み込んでくる印象であった。

自宅で、日本的な琴の音色にも似た音感のある「さくら色のしずく」の曲を聴いた後で
倉品さんが手作りしたという栞を拝見していると、最終頁にこんな記述があった。

「主役は、いつもお客様です。いろいろな・想いを抱いている人たちの心に、一瞬でも、
アルパの音色に触れて、その人が元気になったり、生きる力が湧いてきたり、自分の
大好きな人や自分のことを大切に想ってくれる人の存在に改めて感謝したり、そんな
気持ちになってもらえたら、私は一番嬉しいのです。そんな空間は私が主役ではなく、
いつも、お客様が主役です」。

このメッセージを拝見して演奏していたときの倉品さんの笑顔と優しい語りかけを想い
出し各地で演奏会の再来を待つ人が大勢いることが私には皮膚感覚で理解できた。

さて、主題に、話を戻そう・・・

野仲先生は音楽教室も運営されており、たいへん忙しい方なので、演奏会場となった
喫茶店に、後日、演奏会場で使った荷物を引き取りに見えるということで、その時間に
合わせて再会させていただき、無事、取材をさせていただくことが出来た。

私が取材を担当することになった経緯は、生涯学習として学んでいる大学および科目
履修のみを選択している大学院の学習を振り返る過程で、地域における実践活動が
必要となり、市役所に出向いたところ・・・

地域に根付いて生涯学習を実践している方々の紹介記事を担当してみないかという
ことになり市役所で年2回発行している記事の一部を担当することになったのである。

野仲先生は、武蔵野音楽大学を卒業されて、東京フィルハーモニー交響楽団で活躍
され、現在は、地域の子供たちの音楽教育および地域における大規模な演奏会から
中・小規模演奏会まで、幅広くプロモートされるなど、まさに、生涯学習的な観点から
大活躍されている方と云うことで取材が決まり、私が担当することになったというのが
大まかな経緯である。

野仲先生には、今回の取材の趣旨を先ずはお伝えして、予め用意した質問項目に
沿って、お話をお伺いした。たいせつなポイントは手元のメモ帳に書き留めて、後日
記事にするときの備忘録とさせていただいた。

同時に、記事に添えて掲載する顔写真も撮影させていただいた。

取材後、先日のアルパの演奏会に話が及び・・・

「アルパの演奏会に参加させていただいて良かったです」 と、お伝えすると、次は、
この夏に、群馬方面に、出掛けてピアノによる演奏会を開催するという話題が紹介
され、その演奏会場について思いがけない話が飛び出してきて、私は思わず身を
乗り出して聞きいってしまった。

群馬県では日曜コンサートという呼称で演奏会を開催しているとのことで野仲先生
も定期的に群馬県まで出掛けているとのことである。

次回の群馬県での夏の演奏会の計画もあって、野仲先生がカバンの中に群馬県
の音楽堂施設のパンフレットを持参されていたので、早速、拝見させていただいた
のであるが、立派な音楽堂であり、演奏会場も広く 150名が収容できる本格的な
音楽サロンである。

まさに、そこは、快適な音楽空間として設えてある。

パンフレットには、土地探しから始まり、ご夫妻の手で施工した土地の造成現場や
基礎工事の施行写真、さらには建設現場の進捗状況を推し量ることが出来る写真
などが手に取るように紹介されていた。

ご夫妻だけで、これだけの建造物を約5年間の歳月をかけて建設されたとは、ただ
ただ驚くばかりで、まさに、想像の及ばない芸術作品が写真に写っている。

しかも、奥様は魔女ではなく、指先を大切にするピアニスト。ご主人も建築士や大工
さんではなく、声を大切にするオペラ歌手であるという。

その後、野仲先生とは別の機会にお会いする幸運に恵まれて思いがけず群馬県の
音楽家ご夫妻の建築日記(コピー)をいただけることになり、人生の不思議なめぐり
合わせを感じた。

この建築日記は音楽堂を訪問した人々に来訪記念としてプレゼントされているもの
であり、表紙には 「美音里ホール(Vinely Hall)建築日記」と表記されている。

どうやら奥様による著作のようである。表紙には音楽堂を正面から撮影した写真が
掲載されており全部で36枚の構成による冊子となっている。音楽家ご夫妻の建築
日記は 「簡潔な文章でまとめてあり」 「読みやすく」 書かれている内容も 「冒険
小説のような書き出し」 に、なっていて面白い。

野仲先生はこの建築日記を手にされたとき奥様に「出版されたらいかがですか?」
と声をかけたところ・・・

「そのような考えはないこと」が返事として返ってきて、少し残念な思いをされたのだ
という。今回の取材で・・・

「野仲先生が音楽を好きなように」
「私が文章を書くことが好きであること」
を知って、私に音楽堂の建築日記を渡したら、多分、私の執筆の参考になるのでは
ないかという直感が働いて、コピーしてみたのだという。


第一章

001 作家としての目覚め

建設日記という意味合いにおいては、私も 「T&Kのついの棲家Ⅱの建設日記」を
執筆して、自分のパソコンの中に収めていた。

これは、私と家内が定年後に共同設計して建設した、二度目の ついの棲家造りの
経過を記したもので・・・

この場合 「つい」 は、シルバーエイジからゴールデンエイジにつながって発展して
ゆくところの 「終の棲家」 であり、鳩などの鳥類に代表される一対の象徴としての
「ついの棲家」でもある。

私と家内との初デートにおける昼食が中華料理店で、店からのお土産が鳩の置物
であった。

鳩の置物はそれぞれが家に持って帰ったが、今は並んで一対の鳩の置物となって
いる縁を考えると 「ついの棲家」 と云う表現方法は、イメージ的には「終の棲家」
よりも 「ついの棲家」 のほうに感覚的には近いかも知れない。

そして、私の建設日記は、日常生活を過ごす中で、日々、建設工事が進んで行く
状況を文章としてパソコンに書き移したものである。

私は、この自分が記述した建設日記と、音楽家ご夫妻の建設日記を読み比べて
いるうちに、方丈記と徒然草に書いてある記事のことを思い出した。

生涯学習の一環として、古事記をはじめとして、古典を繰り返して読み通すという
学び方の魅力は、放送大学の島内裕子教授から学び取ったものであるが・・・

「生涯学習を進める上で、脳内を活性化させ、さらには、思考行為を鍛える」という
意味あいにおいて、極めて有効であるということを感じ取ることが出来た。

これらの古典を通じて、学び取ったことの一つに・・・

「人間は、日々の暮らしの中において、自分の生活の中心にある職業観や存在感を
意識して五感を働かせ、居住空間を設計するのではないか」という考え方である。

先日も、私にとっては生涯学習の一環である放送大学の授業に参加して、方丈記を
皆で、声を出して読み通すという学びの機会に恵まれたが、そこでも、面白いことに
気付いた。

「方丈記の書き手である鴨長明は、作家的な人物というよりも報道記者的な人物と
いう見方が適切なのではないか?」

「方丈記は、住まいについて追求した著書である」 と、云われているが・・・

そこに書かれている内容は一般論としての住居論ではなくて、報道記者的な鴨長明
が求めた鴨長明ならではの、執筆者として・望ましい住居論と云えるものではないか
と、私は考えるようになった。

方丈記は、源平の争乱期を生きた鴨長明が建歴2年(1212年)の人生の晩年期に
書き上げた体験記であり 「400字詰め原稿用紙にして20枚程度のもの」であるが、

内容的には・・・

「大火事や飢饉」そして「平家による遷都の混乱の状況」などが精緻に描かれており、
作家というよりも、報道記者としての鴨長明の辣腕がうかがえる。

住居論については最終段階で自分好みの1丈(約3メートル)四方の小さな庵を理想
の閑居生活として実現させているが、これは執筆者としての庵でもあると云える。

鴨長明にとって形のある理想の住居は晩年になって実現するのであるが、鴨長明に
とっての好ましい空間認識は 「若い時からあったものではないか」と、私は考える。

その理由は・・・

「長明は葵祭で有名な京都の下鴨神社の神官と云う名門の家系に生まれて18歳の
時に父親が没しているとは云え神官にはなれずに50歳の時に出家している」

「長明は、父親が没した後で、父方の祖母の家屋敷を受け継いでおり、長い期間に
わたってそこに住んでいたものの家とは縁が切れて、30歳過ぎのときに前の住居
に比べて、十分の一の大きさの庵に移り住んでいる」

「何故、30歳の時に家と縁がきれたのか」

「ここに、長明の居住に対する空間認識として、方丈の居住空間に、似たところの
眼には見えない、日常生活のバリアー(防壁)が存在していたのではないか?」

「これは、推測の域を出ない見方であるが、祖母から受け継いだ大きな家屋敷が
ありながら家に住む人々との交流が少なく自分だけの方丈の空間に閉じこもって
いれば家の人々には異なった世界の人として認識されてしまう」
(そこに長明と共存する必要性はなくなってくる)

「家の中にあって、将来は神官として、家の人々を引っ張って行くだけの存在感が
そこにあれば、家と縁が切れるようなことにはならないのではないか?」

「このことからの推測として長明の職業観と存在感は神官として家の人々を引っ張
って行く頼もしい存在感ではなくて、執筆活動を第一に考えて自分の執筆の世界に
没頭するという生活スタイルを求め、それを貫き通したのではないか?」

そうであるとすれば方丈の庵は自らが求めた究極の選択であり、もはや迷いはない
筈であるが、それでも、最終段階で、仏道に照らして心の迷いを見せているところが
また長明ならではの魅力なのかもしれない。
(時に建歴の二年、弥生のつごもりごろと記している)

一方で、興味深い、史実として 「枕草子」 を著した清少納言は・・・

老いては、家族との賑やかな共同生活を理想として掲げており、個々人による違い
は想定されるものの 「女性の求める家族との暮らしの在り方」 と、男性が求める
ところの老境における住まいや暮らしの理想像には乖離があるのかもしれない。

「徒然草」の著者である吉田兼好の場合、清少納言の枕草子を愛読していたことは
良く知られているが、住まいの理想像としては、鴨長明の思いに近く、独居での庵を
イメージしていたことが、徒然草の文面からも推測することが出来る。

群馬県の山中に、音楽堂と居住区を併設させた音楽家ご夫妻の場合は・・・

「職業観からの要求」 と 「自分たちの生活感」 を合体させた建造物をご夫妻自身
の素手によって納得が行くように建造した訳であり、そこには生き活きとした建造物
としての知見が豊富に詰まっているに違いないと考える。

ところで、兼好の徒然草については・・・

「家の作り様は、夏を旨とすべし。冬は、いかなる所にも住まる」
という書き出しが、あまりにも有名であり建築関係の書籍にも、この書き出しが引用
されていることがある。

実際、私が放送大学のテキストで学んだ住いの環境学にも涼しい住い環境の章で、
徒然草の 「家の作り様は、夏を旨とすべし」 の文章が紹介されていて私も長期間
にわたって、この文節を鵜呑みにしてきた。

徒然草は 「徒然なるままに」 と云う書き出しでテーマを決めなくても執筆が出来る
ということを確立した文学である。
(それだけに、滑らかな文体には引き込まれるものがあり、思わず信じてしまう)

また、その縦横無尽な執筆には、いかにも傑作という印象があり、説得力も伴う。

そして、兼好が書いた徒然草の文章には、それぞれの事柄が、深く物事を考える
ための 「思考の窓」 のような役割も果たしており本を読むことの楽しさを実体験
として示唆してくれる存在である。

しかしながら、私は、あるとき熟読の過程で、徒然草に書かれている・・・

「家の作り様は、夏を旨とすべし」の記述に疑問をもつようになった。

私は放送大学の授業において島内裕子教授による「徒然草を読み通す」を選択。

予習の段階で・・・

「兼好は決して最初から人生の達人ではなかった。徒然草を執筆することによって、
成熟していった人間である」 と、いう記事を見つけて、それならば、徒然草を予め
読み通すことで、どこかに、達人になって行った経過を読み取れるかも知れないと
考えて、徒然草の最終段であるところの第243段から序段に向けて逆読みをして
みた。結果、第41段において・・・

「兼好が見知らぬ群衆の中に入って行き、何気なく兼好が発した言葉が、人々の心
を動かすことになり、その瞬間こそ兼好が自らの殻を破って脱皮、人生の達人の道
へと歩を進めることになる」のであるが、

そのことは、放送大学の授業において、みんなで徒然草を序段から読み通す過程
においてもこの 41段 こそ兼好をして、成熟の域に踏み出した瞬間であることが
再確認できた。

しかし、皆さんと一緒に音読していて、疑念として感じ取ったことは・・・

「家の作り様は、夏を旨とすべし」 と、する第55段であった。

あらためて、熟読してみたが 「家の作り様は、夏を旨とすべし・・・」 の書き出しで
始まるこの段の文章の末尾には、

「家の作り様は・・・(中略)・・・人の定め合い侍りし」 と、あるではないか。
末尾のこの文章のいわんとするところは 「人々が定め合った」 と、いうことであり、
兼好の自分自身の意見ではなくて、皆でいろいろと話し合った時の談話を書きとめ
たものである。

これは、この段の文章を最後まで読んで初めて気付く云い回しであり、そのことに
後日、気付いたときなどには、唖然とする書き方になっている。

確かに、読書百篇とは云うが、兼好としても好んでそのような末尾で驚かすような
書き方をしたとは思えないが、第55段の初めだけを読み早呑み込みして・・・

「兼好が云うのなら間違いないだろう」 と、云う人が出てきても、不思議ではない
状況ではある。

一方で、私は、後日になって 「家の作り様は、夏を旨とすべし」 の 話し合いが
行われても不思議ではない場面に遭遇することになる。

熊本県における旅の体験において・・・

昔、武士たちが、役所務めをしたという大きな屋敷を見学した時のことである。

屋敷内を案内する係の方に連なり大広間に出た。場所的には大きな屋敷の中央部
に位置しており、当時は、役どころを中心に重要な会合などが、行われていたようで
あるが 「場所的に風通しが良くない印象」 であり、案内の方に、

「梅雨時や・夏場は、蒸し暑くてたいへんだったでしょうね?」 と、問いかけたところ、
「その蒸し暑さは尋常ではなく、武士たちは、皆、丘の上に設えられた風通しのよい
茶室に憧れた」ようですという回答があった。

「ああ、これが兼好の云うところの夏の堪え難き状況に似た場所なのだな」
と推測した。

仮に、このような状況での話し合いなら・・・

「暑き頃、悪き住居は、堪え難き」 と云って、皆で 「家の作り様は、夏を旨とすべし」
と話し合ったという経緯も納得出来る瞬間であった。

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それにしても、現代において 「住居論」 を述べるのであれば・・・

「それは方丈記に記された住居論でもなく」
「徒然草に記された住居論を引用することでもなく」

現代における最大の課題であるところの温暖化や・それに伴う酷暑、そして、厳寒や
大雪への対応など、今日の気象状況の激変や日々に変化の激しい気候に合わせた
「住居論の見直し」が必要ではないかと考える。

同時に、大地震という生命にもかかわる大災害にも対応できる 「住居論の在り方」
が必要になってきていると考える。

そして、それは個々人の日常の生活レベルにおいて採り入れることが出来るレベル
まで 「咀嚼された住居論」 につながっていることが望ましいと考える。

個々人が、日常的に生活して行く住居は、四季を通じて暮らしやすいことがベストで
あるが実際的には・・・

「酷暑か・厳寒か」 どちらかに、重心をおいて、

「酷暑でも快適に暮らせる設計仕様にしておいて、厳寒への備えを加えて行く」

または

「厳寒でも快適に暮らせる設計仕様にしておいて、酷暑への対応を加えて行く」
という方法を採れば、結果的には、四季に対応出来る。

したがって「この二つの方法」が国内で暮らして行くには現実的であると考える。

しかしながら、賢者は 「第三の設計仕様」 を考え出すかも知れない。

私たちにとって次世代となる子供たちは既に家庭を持ち住居も入手しているので、
私たちとしては、さらに次の世代にあたる孫たちが、賢者として、第三の住居論を
考え出すことを願っている。

そこで、私たちに出来ることはと云えば、自分たちが体験してきた事柄を・・・

「家造りの経験知」 として 「孫世代に伝えて行くことではないか」 と考え始めた。

私たちの場合は、家内と共同設計した 「T&Kのついの棲家Ⅱ」 造りに、今まで
に積み重ねてきた家造りの経験知が、もっとも濃厚に詰まっていると考えて、今回
の稿をまとめて行く上での中心に据えることにした。

ただし、一番年下の娘ファミリーの場合は、パートナーが転勤の多い職業柄、今は
社宅住まいであるので、定年の前後の最適な時期になって 「終の住まい造り」に
思いが到った時にでも孫世代と共々、ここに記述された内容を参考にしていただけ
れば望外の幸せである。

世間で良く云われるところの・・・

「家は、三軒建てて、初めて納得の行く家が出来るものである」 と、いう説があるが、
自分の経験に照らしても 「その通り」 と、考える。そしてそのことについては一軒目
そして二軒目の失敗談などについても、紙面に織り込むことを考えてみたい。

私は本稿の執筆に取り掛かるに当たってパソコン内に収めてある私の 「建設日記」
を取り出して、約2年間にわたる記事として分散・保存されていたものを編集しやすい
ように一本化した。

大方の準備が完了して、書斎の窓から外の景色を眺めると、そこには、私の大好きな
「黄昏の風景」 が、ゆったりとした感覚で大地に広がりをみせていた。

その時に私は今回の執筆のきっかけとなった群馬県の山里の音楽堂に想いが及んだ。

 ~そして、脳内には 「山のあなた」 の詩が浮かんだ~

   山のあなた (カール・ブッセ  上田敏訳)

     山のあなたの空遠く
       幸(さいはひ)住むと人のいふ
         噫(ああ) われひとゝ尋(と)めゆきて
            涙さしぐみ かへりきぬ 山のあなたになお遠く
               幸(さいはひ)住むと人のいふ

そして黄昏の風景を楽しみながら・・・

愛聴のモーツアルトの 「ピアノ協奏曲第20番二短調」 に耳を傾けた。私にとって
ピアノ協奏曲第20番については 「第二楽章」 が、一番のお気に入りである。
 
続けて、倉品真希子さんが奏でるアルパの曲を聴く。

ピアノ曲に続くアルパの曲を聴いていて脳内に浮かんだイメージは 映画「黄昏」で
見た紅葉のシーンであった。

そして、連想ゲームのように、ニュージーランドで見た、丘陵地帯の秋の景色が眼前
に浮かんできた。あの時は、自然保護運動を展開した政治家ハリーエルが建てたと
いう英国風の建築物を見に行った。

その建築物には、どっしりとした風格があった。建物内に入ってロビーに設えられた
テーブルに座ると 「なんとなく気持ちが落ち着いた」 記憶が蘇ってくる。

そこからは、外の景色も居ながらにして手に取るように見えた。外観的にも石積み
された外壁は魅力的であった。

T&Kの 「ついの棲家Ⅱ」 は・・・

ハリーエルが建てた 「なんとも、居心地の良かった居住空間に、どこまで近づくこと
が出来ただろうか」 と、云う思いを巡らしながら、ピノ協奏曲の 「第二楽章」を、もう
一度、聴くことにした。

・・・・・・・・・・・・・・・・

これは、後日談であるが・・・

その後、珈琲の美味しい季節になって、アルパの演奏を楽しんだ喫茶店の珈琲味を
想い出して、10月1日の 「珈琲の日」 に、再度、訪問してみた。

入間市役所の南側の通りから車で乗りいれることができ入り口には店名を知らせる
案内板が出ていて 「アマルフィー」 と命名されていることを知った。

久々の訪問であったが店長は私のことを覚えていてくれて、早速、ブレンドコーヒー
を注文した。珈琲が大きな丸テーブルに運ばれてきた時に アマルフィーの命名の
由来をたずねてみた。

「アマルフィーと名付けたのは、私が珈琲学校で美味しいコーヒーの淹れ方や店の
運営におけるノウハウなどを学んで、店の営業を始める時に、かつてイタリアに旅
したときに見た、アマルフィーの風景が思い出されて名付けた」のだという。

その時に、野仲先生には、取材ですっかりお世話になったことから、話題が跳んで
群馬県の音楽堂におけるピアノ演奏会に話が及んだ。そして偶然にもその演奏会
に参加された方が、いらっしゃって驚かされたが、幸いにも、実況報告を聞かせて
いただく機会に恵まれた。

ピアノ演奏の主役は、音楽堂をご主人と共に素手で建築された奥様でロシア出身
の方であるという、テノール歌手であったご主人は台湾ご出身であり国際結婚の
仲睦ましいご夫妻であった。

群馬県の山中に、スイスを思わせる風景を発見、その地にまさにご夫妻の手作り
によって音楽堂を建築されたご主人は、やがて外の芝生も整備、太陽の下に据え
たテーブルで、大好きな紅茶を楽しみ人生を謳歌していた、矢先、他界されたのだ
と云うのである。

かつて、私達も夫婦して、定年後に新たな土地を手に入れて 「終の棲家」を建築
することになり、娘の嫁ぎ先の鎌倉・藤沢方面のお父さんに、その話をすると・・・

「私も、最近、区画整備の対象範囲になって大規模な引っ越し事業に巻き込まれる
ことになったが、その過程で、知人が、引っ越し作業で無理をして他界、ある程度の
年齢を超えたら引っ越しの際の無理は禁物ですよ」と聞かされていたが、

音楽家ご夫妻の建築日記は、その軌跡を辿る限りにおいて、ご主人の活躍ぶりは
超人的であり、ご本人は気付かなくても、身体には、相当の過負荷がかかっていた
ことが容易に想像出来る。

私としては、建築日記から想像できる愛されキャラのテノール歌手であるご主人が
天国での生活を満喫されるよう、冥福を祈って、その音楽堂建築時の大活躍ぶりを
本稿における外伝的な位置付けにおいて、披露させていただこうと考えた。

アマルフィーからの帰宅時、眼下に自分が乗って来た車を目にしながら階段を降り
て行くと、店主からご紹介いただいた、設計事務所を階段下に確認出来た。

設計事務所の星野社長は設計事務所の屋根の上に飼い犬のシェパードが寛げる
芝生の広場を設えており、設計事務所と喫茶店を含む一帯のエリアは、軽井沢の
別荘第一号と云われている 「ショーハウス」 を思わせる雰囲気がある。

私達夫婦も軽井沢に出掛けた時に、宣教師のアレキサンダー・クロフト・ショーが
建てたという別荘を見に行ったが、館内には、生前のショーが愛用していたと云う
数々の品々も展示されていて、楽しかったことを覚えている。

その様なことを記憶から手繰り、記憶から・記憶を・手繰りながら、入間市役所前
の大通りに向けて、自家用車のハンドルを切った。




002 春から夏にかけて

春から始まった土地探しは最重要テーマであった。

日当たりの良い土地探しは何処も手遅れ感がありなかなか思うように進まなかった。
そのような厳しい状況の中で地元の建設会社Jグループに出会い、予想外な展開が
あって 「T&Kのついの棲家Ⅱ」 の建設に弾みがついた。

今回の土地の取得については、中途半端な妥協はしない考えで臨んだため連日に
わたり、日当たりの良い土地を見つけて走り廻る日々が続いた。

しかし、その努力は、ようやく報わることになった。

家造りの出発点となる土地探しは、妥協しない姿勢で取り組めば、ワンチャンスかも
しれないが、ご縁はあるものだと、私と家内が笑顔で迎えた朝のことを昨日のことの
ように思い出す。

私は、2010年にパソコンの中に書き留めておいた 「T&Kのついの棲家Ⅱ」建設
日記を読み返して推敲を重ねてみた。



8月26日(木) 酷暑 建設工事の開始記念日

この日は、室内のテニススクールに出掛けたが、室内コートとはいえ気温は37℃を
超えていた。そして外壁の気温は43℃という酷暑である。今夏の暑さは異常であり
処暑を過ぎても涼風が吹く気配はない。

テニスクラブの仲間が交わす会話において・・・

「冬の寒さに比べたら、夏の暑さの方が好き」という人が多いが、今年の酷暑は全く
別世界の話である。私にとって、毎週、木曜日は室内テニスの練習日である。

今日もコーチを入れて8名による実戦練習を楽しんだ。狭山市のテニススクールで
大汗をかいた後は入間市のスポーツクラブで家内と合流して軽い昼食をとり、その
後、風呂で汗を出し切って家路に着くことが我が家の生活習慣として根付いていた。

今日は、帰り道に、楽しみが待っている。

予定では、本日は、入間市東町で私と家内の 「ついの棲家Ⅱ」の建設工事が開始
される日なのである。建設現場の暑さは室内テニスどころではなく炎天下での作業
なので、その暑さは我々の想像を超えるものと考えながら家内を乗せて車を走らせ
現地に着くと、敷地内にはトラックが止まっていて建設機械のシャベルで掘り出した
土を盛んに積載していた。

敷地の周囲には板囲いが出来ていて、建設機械を巧みに旋回させながら、手際良く
整地作業をこなしていた。道路を挟んだ向かい側の敷地では、建設工事が先行して
いて、既に、上棟も済み屋根がかかっている。

この造成地は、私と家内がようやくにして探し当てた区画であり日当たりの良さから
即断即決で購入を決めた。

昔からたまに買うことのあったケーキ屋さんの脇に入って坂を登り、左手に曲がって
すぐに、この土地に出るのだが、今までは、この坂を登りきることはなかった。

Jグループの営業の松本さんから、初めてこの土地を案内されたときには、それまで
住んでいたところから、自転車で5分ほどの距離にもかかわらず、まったく訪れたこと
のない土地であった。
(先ず、二人で気に入ったのは、土地の配置であった)

南側には、6mの道路があり、西側には、4.5mの道路。北側にも、4.5mの道路が
ある。 「一日中、陽が当たっている家がいいわ」 と、云い続けていた家内にとっては
申し分のない土地と云える。
(私にとっても喜びは共通のものであり望外の理想的な土地を取得できたと云える)

当時 「建設工事の開始記念日に寄せて」 と、題して・・・

まさに、ピンチをチャンスに変えて、夫婦力を発揮した軌跡を次の様に記している。

それは家内が定年退職した翌日(2010年4月初め)に勃発した一大事であった。

その日、テニス仲間でもある、南側の隣家のご夫婦から・・・

「今年の冬から長男ファミリーと一緒に暮らすことになり、現在の住居は手狭なので
二世帯住宅に、建て替えることになりました。つきましては、建築現場の騒音などで
ご迷惑をおかけするかもしれません」 と、挨拶にみえたのである。

建築図面を持参されていたので、拝見させていただくと・・・

「隣家の土地の面積は約60坪であり、建屋を当方の土地にぎりぎりまで寄せて建て
ないと、建屋の収まりがつかないという。しかも、東西の長手方向に大幅に拡幅する
設計になっており、我が家の南側は全幅にわたって大きな建屋で覆われてしまうこと
になるようである。唖然として図面に食い入るも、埼玉県入間市の建築基準は満たし
ているという」

玄関先での挨拶でもあり、家内も出掛けているので、概略の状況だけお聞きして頭の
整理をすることにした。いずれにしてもこれからの日常生活を考えるとたいへんなこと
である。

間もなく、外出先の家内から電話がかかってきたので、駅まで迎えに行くことになった。
家内が勤めている間は、二人でそれぞれに車を所有していたが私の定年に続き家内
も定年退職となったので我が家の車は一台に集約した。
(緊急用の移動手段として電動自転車を1台購入)

したがって、お互いに外出する時の駅までの出迎えは、二人の約束ごとになっている。
電話での会話のやり取りを、いくぶん察知できる我が家の飼犬も駅まで一緒に迎えに
行くというので、車に乗せて駅の待機場で一緒に待っていると、隣家の二世帯住宅の
計画を知らされていない家内は、飼い犬の姿をみて笑顔で車に乗り込んでくる。

自動車を発進させてから・・・

「今度、お隣の Tさんのお宅で、二世帯住宅を建てることになったみたいだよ」 という
と驚いた様子で状況を聞き返してくるので隣家の概略の建築計画を紹介すると・・・

「今までは、休日以外の昼間は会社で仕事をしていたので、さして、気にもかけていな
かったけれど、これからは終日を通して家に居るようになるので、なんともタイミングの
悪い話だわね」 と、いうことになり、お互いに、不安気な顔を見合わせた。

◯ その翌日から と、云うものは、日々、過密なスケジュールを過ごすことになる。
◯ 約三か月間というものは二人して連日のように朝から晩まで動き廻った。
◯ 企業人として活動する中で、身に着けた考え方はフル活用した。

最初はフィージビリティー・スタディー(実現の可能性の調査)という考え方を使った。
先ず試みたのは 「現在の住居地で日当たりの良い住いに建て替えが出来ないか」
という実現性の調査から始めた。

土地の地形は東西に20メートル・南北に10メートルの土地なので約60坪はあるが
南北方向の余裕エリアが少ない。そこで・とりあえず、東西の余裕を生かした計画を
五案ほど考え出して地元のK建設に持ち込んだ。

K建設の設計担当の方には親切・丁寧な対応をしていただき終日にわたる日当たり
の状況をシミュレーション(計算で想定)していただいた。

◯ 結論として、どの計画も日当たり改善は、期待できないことが明らかになった。

現在の住居は、子供たち4人が中学生や高校生になり、独立して勉強出来るように
しようという考え方で 「従来の3LDKから7LDKに大改造」した。その際は、まさに
夏向きの住居仕様にして、徒然草に記述のある 「家の作り様は、夏を旨とすべし」
に沿って・リフォーム、それが一番と思い込んで暮らしてきた。

ところが今回の隣家の二世帯への建て替え計画により冬場は日当たりの悪さから、
「洗濯物の乾き具合の悪さ」 や 「冬場の日陰ゆえの寒さ」が襲ってきそうである。

このことを東京都内の友人に話したら・・・

「都内の土地に制約のある住居では日陰になる一階は物を置くようにして、二階の
日当たりの良い部屋を工夫することで快適に暮らしているよ」という話であった。

この話をヒントにして二人で二階の日当たり具合を調べてみたが、階段を上がって
一番奥の西側の部屋まで行けば日当たりは良いが・・・

一階の西側に位置する・リビングやダイニングキッチンから、二階の奥に位置する
西側の部屋までは大きく動き回るUターン移動を繰り返すことになり、日々の暮らし
を考えるとたいへん不便である。

東側の二階につながる段階口を見上げながら、二人で気付いたことは・・・
「子育てが終わった今では、家が横長的に、広すぎると云うこと」 に気付いた。

今まで住んできた住居は、まさに、終の棲家として・・・

◯ 子供たちの成長期には、建屋を倍増させるほどの大改造を実施
◯ 定年を迎えるに当たっては終の棲家として住み心地の良さを追求してリフォーム
◯ 昨年は、子供たちが孫を連れての帰省に備えて、ゲストルームを新設

などなど、これからの終の棲家としての維持を熟慮して、大掛かりなリフォームを3回
も施工してきただけに、突然の日照問題に端を発するトラブルには頭が痛い。

しかしこのままではなんの問題解決にもならないと考え、住み難さが目の前で現実化
する前に問題解決の糸口を探し出す狙いから、二人で住宅展示場に出掛けてみた。

今時の住まいの状況はずいぶんと進化しており・・・

なかでもS林業の住居に対する考え方が際立っており、我々夫婦の住まいへの発想
に近いことを知った。

また、S林業の女性の営業職の方はとても対応が丁寧でありかつ親切で住宅展示場
の展示物は大家族向けのため、もう少し小規模で我々二人の要求仕様に近く実際に
これから住み始める住居を見せていただけるというので、坂戸まで自動車を走らせて
いただき、今風の住居を見学させていただいた。

坂戸地区には、現在売り出し中の物件も多く手頃な大きさのものが揃っているという。
しかしながら現在の入間市には30歳代のときから暮らしてきており、日常の買いもの
など住環境も優れており、二人とも住み慣れた街を離れることには抵抗感があった。

そこで、入間市でも、熱心に土地を探してくれたのであるが、ちょうど300戸の規模の
戸建団地の売却が最終段階になってきていて、大家族向けの物件のみが残っており、
土地の販売は、ほぼ完売になっていた。

念のためS林業でも二人で住むためのダウンサイジング(小型化)した住居の間取りを
再度設計して、現在住んでいる60坪の土地に当てはめて計画してみたが、南北の幅
が10メートルと云う土地の制約から、日照問題の目に見える改善は無理と判断した。

それからは二人で市内の日当たりの良い土地探しに方向転換して近隣の地域を含め
二人で走り廻ったが、気に入った土地は、ほとんどが売却済みであり、これから、建設
を開始すると云うところが多く、タイミングとして後手に回っていることが分かった。

そのような手詰まり状態の中で駅に近い茶畑を造成して、これから住居を建てるという
広告のチラシが新聞に折り込まれてきた。

早速、電子メールで現地を見たい旨を営業担当に発信して約束の時間に現地に出向く
と、建設会社Jグループの営業の松本さんが待機していて現地を丁寧に案内してくれた。

しかし、ここでも広告のチラシを入れる前の段階で現地の造成現場を目撃した人々から
先約が入っていて、我々二人が気に入った土地は売却済みであった。

そこで、発想をガラリと変えて息子ファミリーが住んでいる西武線のひばりが丘駅周辺の
マンション暮らしを計画・・・

スープの冷めない距離に住むのも一つの案かと考え、現地の不動産の営業マンの案内
であちこち見て回ったが、気に入った日当たりの良い物件にはお目にかかれなかった。

ただし、物件の一つに、これから建築に取り掛かるというモデルルームを見付けて気に
入ったのだったが、マンションの建つ土地には借用期限が課せられており熟慮して購入
を断念した。

そのような折に先日の営業担当の松本さんから電話が入って、現在、土地探しで苦戦
している状況を伝えると・・・

「一度、店長にも会っていただいて、現在、抱えている問題や、住まいへの要望および
希望などを洗いざらい話していただけませんか」 と、いうことになり、今まで、想定して
いなかった建設会社 Jグループ の入間店を訪問することになった。

Jグループの入間店長は、現在、我々二人が住んでいるところをわざわざ訪ねてくれて
「何故、こんなに、りっぱな住まいがあるのに、それを売却してまで新しい土地を求める
のですか?」 という投げかけから始まり、その後は入間店に移動して長時間にわたり
会議室で、親切かつ丁寧に相談に乗ってくれて、最終的には、我々二人の決心として、

「日当たりの良い土地でなければ決着しない」 ことを、お互いの共通認識として散会
とした。

それから三日後のことである・・・

建設会社 Jグループ の営業担当の松本さんが朝の8時に、我が家に見えて、

「ご期待に添える土地が見つかりましたのでこれからご案内します」ということで

私と家内は松本さんの車に乗り込み現地に到着すると、我が家から、自転車で
5分程度の近さであるが、我々二人ともに、このような造成地があることを、全く
知らなかった。

しかも南側には道路があり、道幅は6メートルあるという。西と北も道路に囲まれ
ており、それぞれに道幅は4・5メートルあり。当然、日当たりは抜群である。

「即断・即決」で土地の購入を決めたことは、いうまでもない条件の良さであった。

土地の形状は南北に15メートル・東西は10メートルあり、約45坪の広さの土地
であるが、南側の道路を考慮すれば建屋の南側に幅10メートルの空きスペース
は十分に確保できる。

したがって 「終日、日当たりが良い」 土地と云うことになる。

しかも、南西の角地であるので、夏場は暑すぎるほどの日当たりの良さと云える。
今回は、あくまでも中途半端な妥協をしなかったこともあり、晴れて、我々二人の
願望が叶った。

これも、Jグループの 入間店長が、自ら 「日当たりの良い土地を探してくれた」
おかげである。

現住所は、かつての妥協の産物と云える土地であり・・・

初めての持ち家となったマンションの時代に 「家族から、一戸建てに住みたい」
という願望が寄せられて、住宅供給公社の一戸建て物件の二期目に、応募して
購入が決まった物件であった。

その時、最初に希望した購入物件は抽選に外れた。しかし、資金調達の見通しが
ついているということで、供給公社から・・・

「資金調達が上手く行かず、購入を辞退した物件があるので購入しないか」 と云う
話が持ち込まれた。

そこで、既に、同じ一戸建団地の一期目に住んでいたテニス仲間の住まいを見せて
いただき 「住みやすそうな造り」 であることから、住居の外観の形状は気に入らな
かったものの妥協して購入したのであった。

しかし、その後、西側の空き地は広目であり、なんの問題もないと安心していた土地
が売りに出され、その土地が広すぎて売れないことから、東西に、二分割されて再度
売りに出されることになった。

そして、我が家に隣接する土地を購入された方は土地の制約もあり、当方にぎりぎり
まで隣接させて家を建てた。結果 「西側は封鎖された状況」となった。

そして、今度は、南側に、二世帯住宅の建設が決まったので、購入時の妥協のツケ
が容赦なく自分たちに廻り廻ってきたことになる。

当時に比べると、住居に対する学習経験も積み上げてきており、今回の日照の問題
発生に対しても 「二人で根気よく日当たりの良い土地を求めて」 中途半端な妥協を
しない姿勢で臨んだため・・・

Jグループの入間店長の支援もあり 「南西の角地を取得すること」が出来た。まさに、
ピンチをチャンスに変えることが出来た喜びには云いつくせないものがある。

それにしても 「現住居の築28年となる我が家」 は、今まで 「T&Kプラン」として、
二人のイニシアルを並べて、大改造やリフォームを施工、その都度快適さを求めて
それを具現化してきた。

おそらく今回の隣家の二世帯住宅の話がなければ、ずっと・そのまま快適さを求め
ながら 「終の棲家」 として暮らし続けていたに違いない。

T&Kプランの愛称は、親戚の間でも、良く知られており・・・

自分たちのファーストネームの 「Tで始まり Kで完結する 単語はTHINKである」と
して、常に、二人で考えに考え抜いて住居問題を解決してきた。

子供の学習環境が大切と云っては夫婦力で知恵を出し合い。

私の定年後にも 「終の棲家を住みやすくして行こう」 と、いっては、知恵を出し合い。
孫たちを連れた家族の帰省も、楽しく過ごしてもらおうと云っては夫婦力で知恵を出し
合いその度にアイデアを出し合ってきた。

考えてみればこの積み上げ努力が 「ついの棲家Ⅱ」 の建設計画に大いに役立った
ことは間違いなく、これらの経験は大きな知的財産になっていたと云える。

それは、建屋だけでなく、庭造りにも云えることであり、我々二人でやってきたことには
無駄はなかったと確信している。

したがって今まで住んでいた家の売却に当たっても、ありがたいことに、二世帯で住む
ことになったご家族の方々が、現在、住んでいる快適なホームに集合したいので・・・

「ついては、物置も兼ねて活用したい」ということで、住居の広さを気に入っていただき、
即、ご購入いただいた。それに 「室内は、二階など昨年リフォームしたばかり」であり、
一階のガスオーブンや給湯機器も入れ替えたばかりである。

それもあって、購入者の若いご家族には、物置を兼ねた住居として使えるということで
すっかり気に入っていただくことが出来た。

ただし住居の三回にわたる大改造やリフォームの費用回収までには至らなかったが、
住居が解体されることもなく、そのまま 「物置(兼)住居」 として継続使用されること
がなによりも嬉しいことである。

  ~ かくて、8月26日の建設工事の開始は、記念すべき日となった ~


【後日談】 

ごく最近のことであるが、散髪(理容店)の帰りに、廻り道をして、元の終の棲家の
周辺をゆっくりと散策してきた。

かつて、ニュージーランドの旅行のときに 「石造りの家」を二人で気に入って元の
終の棲家のリフォームのときに石造り風の外壁を周囲にグルリと張り付けた。その
効用もあり、隣家の新築住宅に比べても見劣りしない状態であったので安心した。

私が当初 「住宅供給公社に購入を希望して申し込み抽選に外れた住居」は、家の
建て替えを行っていた。

この区画は、南側が5メートル幅の道路。北側は8メートル幅の道路なので、周りに
影響を与えることなく 「自分たちの住居の建て替えが出来る」状態である。

人生航路を辿ってみれば 「子供が幼い時代は3LDKあれば十分な広さであり」、
「子供たちが、中学生・高校生になってくると、7LDK相当にしないと4人分の子供
の個室は用意できない」

そして 「子供たちの巣立ちに伴い家はダウンサイジング(または減築)が必要に
なってくる」。しかしながら、そこまで、長期の建設計画を立てることは、現役時代
には考えが及ばない。

しかし、築30年を超えてくると建て直して 「新しい建材を取り入れる」計画も良案
として浮上して来る。その時に長期の見通しをもって土地を購入した賢者は・・・

「建て替え自在」 の幸運に恵まれるのである。

その日は、賢者の建て替えを、目の当たりに見ながら帰途についた。



003 家の間取り図は25案を用意

8月27日(金) 酷暑  地鎮祭でみせた設計士の男気

彩の森入間公園の下池に着いて飼犬を自転車の前かごから降ろす。携帯電話で時刻
を確認すると、午前5時37分。池の面には彩の森の樹木が涼しそうに映っている。
(最近は、開門が午前6時になっており、こんなに早い時間の入場は不可)

この時間帯は夏の太陽がまだ顔を出していないために公園内は涼しくて気持ちが良い。
早朝にも関わらず、ウォーキングや犬の散歩をしている人は、老若男女を問わず多い。
今夏は、異常とも思われる暑さなので 「朝は5時に起きて飼犬と散歩」 と決めたのは
地鎮祭の日のことであった。入間市東町に建設する 「ついの棲家Ⅱ」の宅地の地鎮祭
は、8月1日に行ったので、あれから早や3週間が経過している。

農業関連の人々にとっては 「この朝食前の時間帯活用は常識となっている」が、一般
の人々には 「まだ夢心地のレム睡眠の時間帯」 である。

今年のような酷暑の続く日々の生活を考えると、建設関連にも、早朝の作業の実施は
有効な気がするが 「建設場所が住宅地の中となると安眠妨害の苦情が来る」 恐れ
があるかもしれない。

現住居の我が家の北側にお住いのご夫婦は、3年前から朝5時起きのウォーキングを
彩の森入間公園内で続けている。しかも公園内の外周を毎朝3周されるというから凄い
ことである。

今朝も、公園内の入り口でお会いしたが、ご夫婦揃っての健脚である。
(この健脚ぶりはニュージーランドの山路でも確認されたと云う)

本日の彩の森入間公園からの帰り道でのお楽しみは・・・

「東町の我が家の基礎工事を見せていただき建設工事の基礎を学ばせていただく」
ことにある。

「昨日、大活躍していた建設機械は、宅地の脇に片付けられて、ひと仕事終り」
という印象である。

土を掘り起こした現地は、建屋外壁となる部分が、深く掘り下げられており、ここが
配置図に書かれていたところの深基礎に該当する部分だなと独り納得する。

これらのことと併せて、確認済証に書かれていた着工予定日の8月20日には地盤
調査をしっかりと行っておりこれで地震への備えは十分と云う印象をもつに到った。

地鎮祭のときに、設計士の宮崎さんが 「エイッ、エイッ」 と鍬入れの儀を元気良く
こなされていたときには正直驚いた・・・

毎週、月曜日に、デザイン・ミーティング(設計会議)を宮崎さんと私と家内との三人
で行なっているときには、物静かな雰囲気で対応していただいていたので、男気の
溢れる鍬入れの儀をみて 「男たるものやるときゃやるものだ」 と家内と顔を見合
わせ、その元気ぶりを二人して見よう見まねで 「エイッ、エイッ」 と真似てみた。

それもあって 「建築確認のための書類と設計図がまとまりましたので申請手続きを
しておきます」と云う言葉に対して「頼りにしております」と二人で素直に頭を下げた。

そして、8月6日には確認済証が発行されて建設会社Jグループの夏季休暇明けに
工事着工となったのであった。

地鎮祭には営業の松本さんもコーディネーター役として同席され我々夫婦と一緒に
玉串奉納の儀にも加わっていただき、神様のご加護のもと、我々夫婦と宮崎さん、
松本さんがそれぞれ顧客・Jグループ代表として「安全・無事な建設工事の遂行」
を祈念させていただいた。

現地では、私も心の中で日頃から慣れ親しんできた安全5原則を唱えて帰宅した。

「一つ、安全は全てに優先する」
「一つ、危険な作業はしないさせない」
「一つ、災害要因の先取り」
「一つ、ルールを守る」
「一つ、自ら努力する」

(こうして、建設現場の安全を、心から祈願させていただいた)



8月28日(土) 酷暑  深基礎にコンクリート注入

このところ夕立もなく快晴続きで猛暑を超えた酷暑が続いている。しかしながら朝の
5時頃は相変わらず別世界のような快適さが続いている。

今朝は、家内も彩の森入間公園に一緒に行けるというので、飼犬も車に同乗させて
のショートドライブである。いつもは、自転車のためにその分も運動になっていた。

今日は、自動車で行くので、ウォーキングの距離を多目にする必要がある。そこで、
「先ずは二人だけで彩の森入間公園の外周をひと廻りして」 その間、飼犬は車内
で留守番となる。

「車の窓は開けておいたほうがいいわね」ということで話がまとまり二人で歩き出す。

「ウォーキングすると、猫背を直す効果があるようだよ」 と、云うと・・・

「どうかしら、私の背中まっすぐに伸びているかしら?」と聞いてくるので背中を見な
がら 「大丈夫、背筋シャンとしているよ」などと会話を交わしながらのウォーキング
が続く。

「一般的に、女性は油断していると猫背になりやすいので、先ずは大空に向かって
両手を突き出して、両手をそのまま下に降ろすと、ウォーキングの姿勢になる」 と
放送大学の教授から学んだ覚えがあるので、その記憶をそのまま家内に伝えた。

ウォーキング教室も生涯学習の一環で・・・

「夏の盛りのなか、野外授業において、生徒全員が胸に心拍計を貼りつけて自分
自身にとっての最適なウォーキングペースを、把握するための試し歩きをした」
私の場合 「背筋にうっすらと汗をかく状態」 が、最適であることを実体験として
把握した。

「踏み出した足は、踵から着地して、リズム良く後方に蹴りだして行くと良い」と教授
から、教えていただいたので、そのままを、家内に紹介。二人でウォーキングすると
あっという間の一周である。

家内は、そのままウォーキングを続けて、さらに一周すると云う。

私は、飼犬を迎えに行くことにする。その後は家内と合流して朝の6時30分に開始
と、決まっているラジオ体操の第1と第2の音楽に合わせて手足を動かし、ほど良い
感じで身体全体をもみほぐしてから帰途に着く。

今朝の建設現場のウォッチングは、彩の森入間公園に来る途中で立ち寄ってきた。

「深基礎の部分にコンクリートが打ち込まれているよ」
と、云うと家内が 「綺麗な仕事ぶりね」と返して来る。

昨日の安全5原則を思い出して、今日も、さらなる安全を祈念する。


8月29日(日) 酷暑   間取り図は25案を用意

東町の丘の上(入間ケ丘)は、落ち着いた静寂が保たれており、居住区として申し分
ないロケーションである。
(我が家の建設現場では基礎部分に鉄筋が組み込まれていた)

鉄筋はまだ横方向のみに配置された状態で縦方向の鉄筋との出会いを待っている
かのように見えた。
(横方向に走っている鉄筋のせいか全体的に広がり感がある)

東町での日常生活は 「一階のエリアのみでも、暮らせるようにしよう」 と、いうことで
設計士の宮崎さんと間取り図を練り上げた。そして、二階は子供たちの家族が訪れた
ときの 「ゲストルーム(来客用)として」 計画を立てた。

最終的な間取り図に到達するまでに 「25案のドラフト(素案)を作成」した・・・

また、これは不思議な体験であったが 「明け方になると間取り図の案が脳内に湧き
上がってくる」 現象が楽しかった。

もちろん 「一般人の浅知恵という自覚は、自分自身でも、持ち合わせている」 ので、
月曜日の定期的なデザイン・ミーティング(設計会議)において、設計士の宮崎さんの
知見から貴重なアドバイスをいただき修正案を加えて行くのだが、これに対する家内
の反応はというと 「よくもまあ飽きずにやるわね」 と、半分は呆れ顔であった。

しかしながら、そう云う家内も・・・

「計画案としては、さらに、それを上回るグッドアイデアを出してくる」 ので、私の案を
次々と紹介することは、それなりの相乗効果が期待できる。

どうやら、私と同じ発想法で 「その間取りの中で、二人の生活シーンを想像して快適
さを、総点検した上で代案を出してくる」 ようである。

家内には、カラーコーディネート(色彩調和)は、すべて任せることにした。

「構造物が色塗りされたイメージを想像しながら全体的な色彩の調和を頭の中で点検
する能力が優れていること」 は、既に、現住居の外壁工事で証明されている。

(今までにも、終の住処と決めた上で、現住居を大改造およびリフォームしたときにも、
カラーコーディネートは、すべて、家内に任せて成功してきている)

我々二人で考えて成功した外壁のリフォームは・・・

「二人でニュージーランドに旅行したときに、石造りの家の外壁が気に入って、これを
なんとか、外壁を張り付けることで実現できないか」と考えて見積を取り寄せたところ
「費用は塗装に比べると3倍かかること」が分かったが思い切って実行に移した。

それに合わせて 「外柵はウッディーにしよう」 と、申し合わせてそれも実行に移した。
結果、購入時には外観が気に入らなかった家屋も、構造的な大改造および石造り風
の外壁の実現によって 「お気に入りの外観」 に、変身させることが出来た。

そのような大掛かりな 「リフォーム体験」は、今回の 「ついの棲家Ⅱ」 の設計に際
して大いに役立った。私と家内の間で、間取り図の意見交流を活発に交わせるのも、
二人にとって 「繰り返しのリフォーム体験」 と、いう下地があるからである。

しかし、大掛かりなリフォームを3回も実施すると費用もかさんで来る。当然、住んで
いる家屋にも愛着が湧いてくる。

それだけに土地を探して 「ついの棲家Ⅱ」を建てることには相当の抵抗感があった。
しかし、腰を据えて改めて考えてみると・・・

「たしかに夫婦と飼犬だけで暮らすには7LDKは広すぎる」

今回は、家内の定年退職の翌日に起こった日照問題を起点にして可及的速やかに
フィージビリティスタディー(実現の可能性調査)を行い、私にとっては、得意分野で
あるので始めれば楽しいが、なにせ、予備調査を開始したのが4月初め。

建設会社 Jグループ に出会い、建築に関する契約をしたのが5月初旬、その間は
驚くほどのハイペースで、いろいろな角度から、現地調査に次ぐ現地調査を重ねて、
息子家族が住んでいる近郊のマンションをはじめとして、入間市の戸建団地300戸
の調査や仏子の戸建団地など、あちこちの戸建団地を見て廻り、当初は現住居を
壊して建て直す計画まで練り上げた。

振り返ってみると 「二人とも気持ちが大いに若返った」 気がした。


8月30日(月) 酷暑  スピード感のある基礎工事

早朝の彩の森入間公園でのラジオ体操を終えて、帰宅後にシャワーを浴び、朝食が
済むと、連続テレビドラマ 「ゲゲゲの女房」放映の時間である。これで夏の朝の快適
な生活リズムが出来上がった感じがする。

これからは、冬に向けて日の出の時間をみながら、少しずつ、時間をずらせて行けば
この快適さは持続できそうである。朝の8時の時間帯といえば、現役の頃には業務を
開始していたのであるから、朝のイベントとして、特別なことを始めた訳でもない。

一般的に製造業の始業開始は早い。入社以来、早起き型の生活を続けてきているの
で早起きの方が体質的に合っているのかも知れない。新入社員だったころは午前8時
には設計図を書き始めて午後4時(当時の定時)には仲間と一緒に仕事を切り上げて、
渋谷などに繰り出すこともあった。

週休2日制になってから終業時間が午後5時となり・・・

「終日を2分割して楽しむ生活スタイルは出来なくなった」 が週休2日を丸々楽しむ
ことは可能になった。

昨日は、日曜日であったので、朝は建設現場には寄らずに午後の郵便局への用事
のついでに、東町の建設ウォッチングをした。基礎の鉄筋は縦方向にも入っていて、
丁寧な仕上りが目に入った。

基礎工事は、コンクリ養生があるので頻繁な人の出入りはない。この建屋の引渡しは、
12月10日と決められているがJグループの俊敏さからは十分に可能な日程であろう。

現在の住居の南隣りにおいても家の建て直しが、4月下旬から開始されているが完成
は、11月下旬と聞いているので、建設工期という面から、Jグループの建築工事進捗
には格段のスピード感があり、建設現場を見ていても 「建設力の差異によるもの」で
あることは明快である。

Jグループでは材料の切り出しから建設現場への搬入や建築業務などが極めて手際
良く、一貫性をもって進められているので 「人手に無駄がなく」 かつ 「途切れること
がない」 ので、連続性をもって作業が進められている。

当然 「スピード感のある建設工事」 と、なってくる。

豊臣秀吉の 「一夜城」 の例を引くまでもなく、30年超の知恵の結集が成せる技と
いうことであろう。

「心技体の研鑽」を掲げて匠の世界を目指している 「500名規模の職人集団」 の
集合体であることも技術力の積み上げに一役買っているものと推測する。

かつて、ハウスメーカーのプレハブ工法を支えている 「量産工場の現場」を異業種
交流会の研修で見学させていただいたことがあるが住宅がコンベアに乗って流れて
行く光景は圧巻であった(作業者は流れるプレハブ内においてビスを締めて行く)。

Jグループの仕事にそこまでの徹底さは必要ないがその俊敏さにおいて、技術集団
として構築してきた仕組みとしての力強さが強く感じ取れる。

今後も 「安全は全てに優先する」 で工事を進めていただきたい。



8月31日(火) 酷暑  基礎はコンクリ養生の期間に突入

朝の佇まいのなかでコンクリ養生をしている建設現場を見ながら、昨日届いた外構
図面のことを思い出す。外構というのは「建物の外側の造り」のことであり植栽など
を含めて採光や風通し、暑さ避けなど、四季を通しての配慮が必要になってくる。

今回、ついの棲家Ⅱは 「冬場の日当たりの良さ」に重点を置いて間取りを設計して
おり夏場の涼しさは外構の設計で補って行く必要がある。

外構には 「オープン・スタイル」 と 「クローズ・スタイル」 がある。

最近は、オープン・スタイルが多くなってきている。現在の住居は、典型的なクローズ
スタイルであり、敷地も60坪あることから、植栽を楽しんできた経緯がある。

今度の入間市東町の敷地面積は約45坪ということもあり「セミ・オープン・スタイル」
で計画することにした。

外構プランの基本的な考え方としては・・・

「家屋の周りに中・低の高さの植栽を寄せ植えにして」 建屋外周を緑の植栽で包む
ようにして、夏場の暑さを和らげることにした。

西側の窓辺には、ゴーヤを植えて緑のカーテンで夏の日差しを遮断する。南側には
低い草花をプランターに植えることで風通しを良くする。北側の玄関脇には坪庭風の
庭園を配置する(キッチンの出入口には薔薇のアーチを配置しようと考えている)。

東側の細道は隣家との境界なので白砂利を敷くことにする。オープン感覚で開かれ
た印象の出窓の前には、シャラ(夏椿)を植えて、細窓の3連を配した出窓の前には
姫沙羅を植える。

防犯面では、外構に頼ることなく建屋の構造を工夫して一階にも二階にもシャッター
を取り付ける。風呂場やトイレの窓には外側に菱面格子を取り付けてお洒落な感じ
を出しながら防犯をする。

明日 「外構図面に承諾印を押して、Jグループに、郵送すれば」 これにて、外構
プランは確定という次第である。




004 ホップ・ステップ・ジャンプで詳細設計

我が家となるコンクリ養生中の基礎は 「実尺の間取り図」 そのものであった。

9月1日(水) 酷暑  飛行機に縁のある人生

俳句の季語でいうところの 「葉月」 に入った。彩の森入間公園でも意識して木々の
葉を観察すると、まだ葉の緑が濃くて残暑という気配である。

突然、近くから、起床ラッパが鳴り響く。

彩の森入間公園に隣接する航空自衛隊のテニスコートの方角から、その音は聞こえ
て来る。時刻は午前6時。時計の針は縦一文字であり区切りの良い時間である。
(最近は、園内への入門時刻は午前6時になったので、この体験は出来ない)

私の人生は飛行機に縁がある。入間が丘の東町からも東方に入間航空基地に飛来
する飛行機の姿を目にすることが出来るが、地形的には、飛行機からの音響が届く
場所ではない。

私の出生地は群馬県の太田市であるが、これは群馬県前橋市出身の父親が太平洋
戦争の戦時中に中島飛行機で働くようになって社宅に入り私は1942年(昭和17年)
に太田市で生まれた。

戦争が真っ盛りのときに、赤ん坊であった私は、母親に抱えられたまま防空壕に逃げ
込み戦闘機からの機銃掃射のまさに間隙を抜けて 「生き延びた」と母親から聞いて
いるので、まさに 「生かされた」という体験の持ち主なのであると云う。

そのような経緯で私が生まれた土地にも飛行場があり、戦後は飛行機が燃やされる
姿を子供ながらに見て 「背筋を寒くした思い」 が、今でも脳裏に残っている。

学校を卒業して入社した会社での初仕事は 「純国産ジェットエンジン」 の量産設計
であった。全社的に航空エンジン部門に人材を集めている時期で、私も航空エンジン
の設計部門に就業することが出来た。

今回、お世話になる建設会社Jグループのキャッチフレーズが 「Jから始まる物語」
であるが、私の企業人生活も J から始まっている。

ただし、私の場合は 「ジェットエンジン」 の J である。



9月2日(木) 酷暑  コンクリ養生中の基礎は実尺の間取り図

今夏は、テニスをしていても異常な暑さで、ヘッドコーチも水分の補給をするようにと
頻繁に給水を促している。そして小刻みな休憩時間を意識的に設けてコーチも注意
深く水分の補給をしている。私も 「その通り」と思いながら口に含むようにして水分
補給をする。
(したがって、実戦練習の約2時間が終わる頃には、水筒は空になっている)

今朝の新聞では 「113年間で一番暑い夏」 の見出しで記事が紹介されていた。

「気象庁は今夏(6~8月)が観測史上において最高に暑い夏であった」と発表した。
この厳しい暑さは9月中旬まで続くとみられており最近のテニスコートにおける暑さ
を実経験しているだけに、納得・なっとく・である。

私が毎週通っているテニスクラブは、会員制とスクール制の2部構成になっており、
会員は屋外の炎天下でテニスをする。
(スクール生は室内コートを使う)

今日の室内コートは気温が37℃を超え、外壁の温度は42℃を超えていた。屋外に
出て準備運動などをしていると、灼熱の太陽が肌に突き刺さるようで暑さが痛い。

飼犬が屋外で熱中症になるケースが出ているというが、室内の冷房の効いた場所で
人間と共存している飼犬とでは、当然、天国と地獄ほどの違いが出てくると云える。

我が家の早朝ウォーキングは、今夏から始めたものだが、最近、彩の森入間公園に
早朝に集まって来る人々は確実に増えてきている。

これは、当然の成り行きと云える (テレビニュースによれば)・・・

「今夏から、工事現場などでも、気温と湿度を並べて表示するペンダント風のものを、
現場の作業者が、首からぶら下げて、熱中症の予防に努めているという」
(熱中症に向けた安全対策としてはたいせつな配慮である)

基礎コンクリート養生中の建設現場は、酷暑の中で周囲の外枠に支えられながら、
まさに 「図面の間取り図を実尺に拡大したような形態」で次の展開を待っている。

良き建築設計は、細部設計にこそ秘策を宿しているというが、基礎工事の全景を
みながら、今回 「細部設計の段階でこだわった階段下のスペースと和室の押入
れを連結させた独自の収納エリア」 に、思いを馳せる。

Jグループの入間住宅展示場を見に行ったときに細部設計として・・・

「玄関脇のシューズ・イン・クローゼットのアイデアに納得して」 それを採用した。

同時に 「トイレ内から利用する階段下の収納エリアの使いにくさ」については問題
発見と考えて 「その解決策」に心が動いた。

そこで、こだわりの細部設計は階段下の収納はトイレでの活用ではなく、隣接する
和室の押入れとの連結によって・・・

「和室内にクローゼットを誕生させるという冒険である」
それが何故、冒険かと云えば 「間口半間に対して奥行が一間という使い難さ」への
挑戦となるからである。

これを無理やり設計士の宮崎さんにお願いして実現させた。
 
したがって 「このエリアを、有効活用する責任は、私にある」 と自覚しているので、
この内部の使い方をなんとしても 「グッドデザイン」にもって行きたいのである。

私と家内は、設計士の宮崎さんの助けも、お借りして・・・

「細部の設計にトコトンこだわって」 みた。標準設計に収まらずに「オプション仕様」
になるものもあったが 「こだわりを貫き通すことで、二人のアイデア合戦は幕開け」
となった (幾つかの アイデア を挙げてみることにする)。

◇◆◇ 玄関を上がってからリビングへの入り口となる扉はバリアフリーを考慮して
 引き戸にした (これによって、フラットな床となる)。この大型の引き戸には設計士
 宮崎さんの配慮で、V字型のレールを採用 (これだと大型ドアでも開閉が軽い)。

 引き戸には、細長型の強化硝子の窓を設けたので、向こう側のシルエットが確認
 出来て、安全面からも優良設計となった。

◇◆◇ リビングから外部を確認する出窓は、細窓の3連式にした。このアイデアは
 出窓も細窓も両方欲しいという、二人のわがままを、宮崎さんに聞いていただいて
 実現したものである。

◇◆◇ 二階出窓はやめて一階に出窓を集中させた。これは外観のイメージアップ
 にもつながった。

◇◆◇ リビングと和室の間は、三連式の引き戸にして夏場は大きく解放、冬場は
 閉め切るようにして、四季を通してのバリエーションを考え使い易さにも配慮して
 頑丈な造りにした。

◇◆◇ 1階のリビング南面の大型シャッターは、電動にして、操作を容易にした。

◇◆◇ 和室8畳の天井は標準仕様のプリント柄ではなく木目調の天然材にした。

◇◆◇ 玄関の脇にはシューズ・イン・クローゼットを設けた。これにより玄関前が
 ワイドになるので、自転車2台を置けるようになり、合わせて、郵便受けのエリア
 が設計しやすくなった。

◇◆◇ 階段はゆったりとした設計仕様にして、途中には踊り場を設けて階下の
 床まで滑り落ちないようにした。登りは左手側、下りは右手側に手すりが来るよ
 うにして、利き腕を生かせるようにした。

◇◆◇ 二階の北側クローゼットは中には入らずに、外側から洋服が取り出せる
 設計仕様にした (これは我ながら最高傑作)。

◇◆◇ ゲストルーム(2階)の南側の大きな硝子戸は、4分割にして軽く動かせ
 るようにした。

◇◆◇ 二階のバルコニーは、L型にして、排水口を東西に2か所設置。これに
 より排水能力を倍増させた。

などなど狭山台のデザインセンターにおける「デザインミーティング(設計会議)」
における、私と・家内と・設計士の宮崎さんによる 意見交流の場が懐かしく思い
出される。


【 T&Kの細部設計への思いと気配り 】

建築計画における細部設計は 「ホップ・ステップ・ジャンプ」 で推進

  ~ 今までの人生経験と知恵をデザインセンターで共有 ~

初めて、狭山台のデザインセンターを訪れたときには、建設会社Jグループの営業
スタッフ松本さんに、ご同行いただいた。Jグループとの土地購入の契約に続いて
建屋建築の契約が完了、いよいよ、建築計画の具現化が始まる。

「設計仕様はユーザーが自由に計画できる」契約になっており、細部にいたるまで
自分たちで設計出来るというのは嬉しい。ただし、契約金の基準には、標準仕様が
設定してあり、それを超える仕様については、個々にオプション契約となる。

狭山台のデザインセンターは、同じ狭山市内の祇園にあるテニスコートに近く毎週
木曜日にはテニススクールに通っているので、親しみのある街である。この頃には、
営業スタッフの松本さんとも、気軽に・親しく会話が弾むようになってきていて、二人
で 「松ちゃん」 と呼ぶようになっていた。

デザインセンターの内部はフロントの案内スタッフが入り口で出迎えるようになって
おり、入ってすぐのエリアがデザインミーティング(設計会議)の場所として用意され
ていて、それぞれの打合せが干渉しないように低いパーテーション(衝立)で区切ら
れている。

机の上には、パソコン端末などが、それぞれのブース毎に設置してあり、設計内容
の打ち合わせもパソコンを活用して行われるようである。

デザインセンターの奥のエリアは、建材や調度品の展示場になっている。

デザインミーティングの日時の設定については、営業スタッフの松本さんから・・・

「土曜日や日曜日は、若い人たちが、休日を利用してのミーティングで混み合う」
と云う貴重なアドバイスをいただいた。そこで私と家内は毎週「月曜ミーティング」
を定例的に行うことで日時を設定した。

第1回目の 「デザインミーティング」のために、狭山台のデザインセンターを訪問
すると、受付カウンターの担当には、私たちの訪問が徹底されている様子で・・・

設計ブースに、ご案内いただき、すぐに、設計士の宮崎さんが見えて名刺をいただ
いた 「名刺には一級建築士と記されていた」 挨拶が終わり三人揃って席に着くと
すぐに、デザインミーティングが始まった。

資料が机の上に並べられて、最初に 「マスタースケジュール」 の説明があった。
印象として 「これならば、設計ガイドにしたがって、個々の細部設計を・無理なく
無駄なく・進めて行ける」 ので、安心であると感じた。

個々の細部設計への思いやこだわりのようなものは、私と家内が共同設計者と
なって、設計士の宮崎さんからアドバイスをいただきながら、建築図面に、反映
させて行けるので 「三人寄れば文殊の知恵の陣形」 が組めたことになる。

マスタースケジュールによれば本日(5月21日)が設計開始日であり、7月10日
に設計の全日程を完了。建物の引き渡しが、12月10日と明記されていて気配り
を感じ取った。

◇◆◇ 設計の進め方は・・・

 「ステージ1 (ホップ)」

 「ステージ2 (ステップ)」

 「ステージ3 (ジャンプ)」

と、 三段階(三段跳び)に分けて、進める日程が設定されている。

◇◆◇ ステージ1では 「基本となる間取り設計から始まり」 「間取りへの要望」
「建坪の設定」 「屋根の形状」 「ライフスタイルへの要望」 「駐車区画」などなど
を、設計者と相談しながら進めて行くように案内している。

◇◆◇ ステージ2では 「住まいの仕様について細部の打合せを進めるよう」 に
設定してあり 「ドアや引き戸に始まって収納関係」 「窓の最終確認」 「台所及び
トイレ・標準小物などの置場」 「屋根材の選択」 へと進んで行く。

◇◆◇ ステージ3では 「インテリアの色関係に始まり」 「ショールームにおける
住宅設備機器の選択」その他「外構関係は必要に応じて別途調整」となっている。

全体の日程の進め方については冒頭に説明のあった設計開始が5月21日、設計
完了が7月10日、住居の引き渡しは 「2010年12月10日」として、顧客と設計者
の心づもりを再確認し合った。

私と家内が、事前に相談して決めておいた間取り図の案はデザインミーティングの
第1回目で披露することができ、デザインミーティングは、順調にスタートした。

それもあって、その後は電子メールのやり取りで宮崎さんとの連絡を取り合い・・・

「5月23日には間取り図を最終決定」 電子メールの添付資料として宮崎さん宛てに
「間取り図の最終版」 と、して電送した。

その後も、月曜日定例のデザインミーティングは順調に進み最終的な設計書の確認
となる 「デザインレビュー」 については、カラーデザインをも含めて、6月28日には
細部設計を完了させた。

ここまで、順調に進めることが出来たのは、かなり早い段階から、間取り図の計画を
細部の家具の配置までを含めて考え抜き全25通りの間取り図を用意して自分たち
なりに最終案を絞り込み、設計士の宮崎さんとの 「初回ミーティング」に間に合わせ
たこと。および、宮崎さんからのアドバイスも俊敏であり・・・

全25通りの間取り図についても参考的に、的確な 「長所と短所」に基づいた助言が
あり、私と家内も迷うことなく決心出来た結果であると考えている。

間取り図には、私と家内が生きてきた人生経験が反映されていると云っても良い。

持ち家としては、一軒目のマンション暮らしの間取り図。二軒目となる、一戸建ての
間取り図。その後の大改造を含めた3回にわたる大掛かりなリフォーム。そして池袋
のサンシャインから徒歩で5分のセカンドハウスの間取り図などなど・・・

自分たちの暮らしを振り返っての間取り図は、お気に入りを取り入れて、失敗策など
を見直すという思考をとっているので 「夫婦と飼犬で暮らし、たまにゲストを迎える」
という狙いからは、バランスの取れた間取り図になったと考えている。

池袋のセカンドハウスは、ワンルームでありながら、必要な機能はすべて整っていた
ので 「風呂場のデザイン」 「セキュリティの考え方」 「訪問者への対応」 「キッチン
周りの調度品」 「今風のクローゼットの在り方」 などの面で近頃の建築スタイルを
把握するのに役立った。

またS林業の営業の方に案内していただいた坂戸の規模的に親近感のある間取り図
や、息子の住んでいるひばりが丘の地域で見ることの出来た新築マンションの間取り
図なども参考になった。

そしてお世話になったS林業の営業の方には「建築を条件とした土地の購入であった」
ため、建築工事をお願いできなくて申し訳ない旨を連絡して、住宅展示場に菓子折りを
届けさせていただいた。

Jグループの営業スタッフの松本さんを始め営業職の方は親切である。

細部設計の段階では、それぞれのステージ毎に、チェックボックス(レ印)が設けられて
いて、大まかに・・・

◇◆◇ 第1ステージで 「17のチュックボックス」
◇◆◇ 第2ステージで 「28のチュックボックス」
◇◆◇ 第3ステージで 「26のチェックボックス」

ホップ・ステップ・ジャンプの合計で 「71のチェックボックス」 が設けてあり、すべての
チェックボックスに 「レ点が付いた」 ときには、二人で乾杯をした。

そして一通りの細部設計を完了したときに感じたことは細部設計の要所・要所において
「企業人とした活躍した時代の体験や経験がすべて生かせた」 ことであった。

「それぞれの体験や経験が、どこで、どのように生かせたのか」 その詳述については、
後日、機会を見て書き出すことにする。



005 ニュージーランドで培った夫婦力

家内の定年退職日の翌日に南側の隣家から持ち込まれた 「日照問題」 そのピンチ
をチャンスに、パラダイムシフトさせた夫婦力は 「ニュージランドの旅」 で、培われた
ものと確信している。

われわれ夫婦は三連休や大型連休を活用して、お互いに企業内活動で溜まってくる
ストレス発散を狙いとして一緒旅に出ることが多かったが、国内旅行が主体であった。
そのような・私と家内にとって、最初の海外旅行先は、ハワイであった。

二人揃っての海外体験となるハワイ旅行は 「フルムーンの二人旅」 として位置付け
観光旅行を満喫することに終始した感があり豪華版として費用も張り込んだ。

その点、二度目の海外旅行先となったニュージーランドの旅は、二人共に、地に足が
付いた感じで、日頃からの日常生活を離れて 「これからの行く末を考える」のに良い
機会となり、二人にとって・チームワークが大いに培われたという意味において・・・

 「ニュージーランド合宿」 と、云っても良い・有意義な旅となった。

結果、その成果は、久保稲荷四丁目の 「終の棲家Ⅰ」の大掛かりなリフォームおよび
その後の入間が丘の東町における 「ついの棲家Ⅱ」の新築の際に、大いなる夫婦力
の発揮につながった。

◯ 終の棲家Ⅰの大掛かりなリフォームは、六人家族の子供たち四人が、それぞれに
個室を持つための大改造であり、合わせて妥協の結果・購入したがゆえの外観の気に
入らない形状から脱却するための狙いもあった。

◯ ついの棲家Ⅱの新しい土地を探しての新築は、日照問題の解決と、夫婦と飼い犬
 だけの小家族に向けた、家屋のダウンサイジングに狙いがあった。
 (ニュージランドへの旅の際には、このダウンサイジングは視野にはなかった)


オータム・ショック

あの日、成田空港に集まったツアーの仲間は、なんとも多彩であった。

新婚組の若手が2組、60歳代後半の夫婦が3組、親子連れの混成が2組、70歳代
の友人ペアの二人、他のお二人はシングルで参加されていた。

そして、年齢的には、平均に位置する私と家内であった。
(あらゆる年齢層の意識調査が可能であった)

まだ初対面で気心も分からず、ツアーの女性コンダクターが掲げる旗に連なってぞろ
ぞろと歩いた。出国手続きが済むと出発時刻まではそれぞれ自由時間となっている。

成田の出発ゲートで、私は、手荷物だけを持って、家内と一緒にベンチに腰をかける。

「この待機の時間は、なんとも夢があっていいわね」 と、家内が云う。

「すぐにも海外に向けて飛び立つ時間が刻一刻と近づいてくる感覚が好きなのかな」
と想像する。それとも、松尾芭蕉の 「奥の細道」の序章にある風情 「月日は百代の
過客にして行きかふ年もまた旅人なり」という心境なのかと次々に想像を膨らませる。

当時の私自身の心境としても・・・

◯かつての米欧のエアラインや航空エンジン製造メーカーにおける管理工学活用の
実態調査の際には、上司と共々、寝る間も惜しんで、レポート書きに追われていたの
で、旅を味わうと云う気持ちの余裕はまったくなかった。

◯生産性の船に乗船して、飛行機でシンガポールに行き、復路は豪華客船での旅も
担当講師として約50名の研修生を預かっていたので、香港にての停泊時なども受講
生全員が無事に帰船するまでは緊張の連続であり、心休まる船旅ではなかった。

◯そのことを思い出すと、家内との二人旅は 「寛ぎそのもの」 であった。


やがて、NZ090便に乗り込む。機内に乗り込むと、JL090便と共同運航便になって
いた。機内で、通路を挟んで、隣り合せとなったツアー仲間のご夫婦と挨拶を交わす。

ご主人が名刺を差し出して挨拶される。私も財布のポケットに名刺が入れてあること
を思い出して名刺を差し出す。いただいた名刺から新橋で弁護士事務所を開設され
ていることが分かる。

他のツアー客にも、機内を歩き回って盛んに名刺を配っている。 「ご自分の仕事に
全力投球する商売熱心な方」なのかなと想像する。私も弁護士さんに習って家内を
挟んだ隣席の親子連れの母親と思われる、60歳代後半の女性に名刺を渡す。

こういう場面での名刺交換の経験はあまりないが、しかし、それも自然な成り行きで
あった。弁護士さんの気さくな態度に学んだのと、同時に 「新幹線における5分間
の理論」 を思い出していた。

「新幹線に乗ったときに東京駅などで、隣席の方がシートに座ったときに目安として
5分間以内になんでもいいから、一言でも声をかけておくと、後の時間を気持ち良く
過ごせる」 と、いう経験則である。
(黙していれば、そのまま・黙していられる)。

そんなことを思い出していると、名刺を渡した女性が唐突なことを云い出す。
「あなたは出世をあきらめての海外旅行ですか?」、
「なんということを」 と、絶句する思いであったが、そのまま、しばらくは沈黙を守る
ことにした。

「会社の永年勤続の表彰旅行です」 と、間をおいて答えると・・・

「おみかけするところ、まだ・まだ・働き盛りのご様子で、そのような時期に海外旅行
とは出世をあきらめた方か」と。
(なんともハッキリとしたものいいには恐れ入った)

「そうでしたか。永年勤続のご旅行でしたか。銀行関係では勤続15年くらいで、皆、
海外旅行させるようですよ、そして、本人が旅行中に身辺調査をして不正が起きて
いないか審査するそうですよ」 と、女性が続ける。

その後、ツアーに単身参加の銀行員が、まさに、勤続十五年で参加していることを
知ってこの女性の話題には、真実味が帯びてくることになる。新々人類を思わせる
情報通のその女性には、旅の途中で、何度か貴重なアドバイスをいただきお世話
になることになる。

飛行機がニュージーランドに近づくと女性コンダクターからそれぞれに入国手続き
の書類が手渡され、記入を終わって、身の回りの整理や整頓が始まる。

クライストチャーチに到着すると空港には見るからに頑丈そうなベンツ製のバスが
待機していた。大型バスということもあり 「快適な観光ツアーの始まり」という印象
を受けた。やがて、バスは花壇がよく整備された建物の前に到着する。
(これは大いに庭造りの参考となった)。

花壇を抜けて行くとエイボン川のほとりに出た。
「あら鴨がゆうゆうと泳いでいるわ」という声をきっかけにツアー仲間がいっせいに、
鴨を背景にして、お互いの連れや家族にカメラを向けて写真を撮り始める。

その場所で、一時、みんなでゆっくりとして奥に行くと、グランド一面が、バラ園に
なっていた。ほとんど、同時に、全員が歓声をあげる。

良く手入れされたガーデニングの眺めを楽しんで、全員がバスに乗り込むといっせ
いに 「疲れた、疲れた」 と、口に出しはじめた。思えば成田空港で飛行機が出発
したのが17時55分。
(クライストチャーチには、現地時間で、朝の7時35分着であった)

日本とニュージーランドでは時差が3時間あるので、日本の現地時間に換算をすれ
ば、明け方の4時半に叩き起こされての入国手続きということになる。まだ気持ちの
上では、脳の機能の半分が寝っている状態での観光であった。

やがて、バスは市内の大聖堂に到着する。英国ゴシック様式の大建築物は尖塔が
空よりも少し濃い青色で、大窓のエンジ色とのコンビネーションが、とてもお洒落な
印象で見栄えが良い。建物の縁取りは、白色で統一されている。

次に、カンタベリー博物館を訪問した。ここで、ニュージーランドの歴史を学ぶことに
なる。ニュージーランドは、地形的に日本列島から北海道を取り外した大きさであり、
北島と南島からなる。

クライストチャーチは南極寄りの南島の東岸に位置している。

クライストチャーチの丘陵地帯からの眺めは、素晴らしく、市内を一望できる。旅程に
おける天候が快晴ということも手伝って、旅先での秋を大いに満喫できる幸運に恵ま
れた。丘陵からの視界には背の高い建造物はなく秋が一面に横たわっていた。

私は、この旅行の出発前に東京で暮らしていて、これが初めてとも云えるほど見事
な桜を会社の桜祭りで満喫した。そして、地元の稲荷山公園でも桜を楽しみ成田を
旅立った。

「海を越え一瞬にして、秋の眺望に変わるなんて、なんとも不思議な体験だね」 と
家内に呼びかけると、

「素晴らしいわ、これがほんとうのオータム・ショックね」と目を丸くして喜んでいた。

「ニュージーランドでは眺めの良い丘陵地帯に家を建てることが、ひとつのあこがれ
になっています」 と女性のコンダクターから説明があり、丘陵から広がった視界の
良さを見て 「なるほどね」 と納得した。

この眺望を楽しんでいるとき、隣には、私と家内だけで「ミセスCIA」と呼んで
いる奥さんが一緒に風景を眺めていた。
(なんでもご存知の奥さんに敬意を称しての称号である)。

「たしかに、高級住宅が丘陵地帯に密集して建っているわね」 という家内の感想に
続けるようにして、ミセスCIAから・・・

「この丘陵地帯には自然保護運動を展開した政治家ハリーエルが建てた英国風の
建築物があるのよ」 ということで、みんなで見に行くことになった。




006 理想的な居住空間

「政治家ハリーエルが建てた英国風の建築物」への道筋は、ミセスCIAのご案内に
連なってスムーズに現地に到着した。
(この道筋は、システムエンジニアのお嬢さんからの情報提供だろうか?)

その英国風の建築物は、さすがに、どっしりとした風格を成していた。

現在はレストランに改造されていて一般に公開されている。入ってすぐのロビーに
設えたテーブルに座ると、なんとなく、気持ちが落ち着くから不思議である。

ロビーからは、外部の景色が居ながらにして、手に取るように見える。外観的にも、
外壁は石積み風になっており、どっしりとした落ち着きが感じられる。

その時の 「居心地の良さから来る好印象」の衝撃は大きく、私と家内にとっては、
理想とする我が家のイメージを目の当たりにした手応えであった。
(たとえ、建屋の規模は違っても、この落ち着いた佇まいは参考にしたい)

当然、帰国後には 「終の棲家Ⅰ」 の大掛かりなリフォームや 「ついの棲家Ⅱ」
を新築する際に、次のような視点で、大きな影響を与えたことは云うまでもない。

◯ 居住性という内部構造としてのデザインの良さは当たり前として、外観面から
 もバランスの良いイメージの工夫については、両立させる必要がある。

◯ この点について 「終の棲家Ⅰ」については、間取りの工夫に加えて、外観の
 景色は、自分で、スケッチを描いてイメージを確認した。
 (結果、割高にはなったが、外壁は石造りのイメージを採用した)

 内部の間取り図については、家内や子供たちから、アイデアを募集して・・・
 「二階は女性専用フロアー(娘三人)」 「一階は共有の混在エリア」 と、した。

◯ その後の 「ついの棲家Ⅱ」では、設計士の宮崎さんから、内部構造の図面
 と一緒に、外観のイメージ図面もコンピュータでアウトプットしていただき、両面
 からのチェックを容易に行なうことが出来て、大助かりであった。

 外観のカラーデザインは、家内にいっさいを任せたが、ツートンカラー仕立てが
 主流であった中で、結果 「一色仕上げ」の洗練された配色となった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

クライストチャーチの市内観光も終わり、今晩の宿泊ホテルに着くと、それぞれに、
部屋の鍵が渡されてディナーでの再会が女性コンダクターからアナウンスされる。

部屋に入り、旅行カバンを片付けてから、二人で、ロビーに行くと、ツアー仲間の
若いカップルから声がかかる。

「すいません教えて下さい」と云われて「なんでしょうか」と答えると若い女性から
「先程、ディナーの案内がありましたが、どんな服装で出ればいいのでしょうか」
と、ここは、家内の出番である。

「くつろげる感じの気軽な服装で大丈夫じゃないかしら」 と、やがて暖炉の火が
燃えているレストランにツアー客が集まって来る。

席は自由席のようである。先程の若いカップルがこちらに向かって近づいてくる。
その後から情報通として有名人になったミセスCIA親娘と60才代後半のご夫婦
が談笑しながら歩いてくる。

私と家内も、レストランの係りの女性に案内されて席に着く。私と家内の前には、
若い新婚夫婦、隣の席にはミセスCIAチームの四人が席に着く。

大きな八人掛けのテーブルがたちまちいっぱいになる。隣のテーブルには弁護士
さんたちが友人と一緒に案内されて席に着く。一方、こちらのテーブルでは、最近
出かけた旅行の思い出から話しが始まっている。

ミセスCIAとは親友と思われる女性がスイス旅行の話しをご主人と掛け合いよろ
しくとても楽しく紹介して下さる。

「スイス旅行では、登山電車での山登りが、一番楽しかったわ」 と、云う。
「あっそうそう、ビデオが撮ってあるから、今度、家に遊びにいらっしゃい」 という
話しに発展する。

ミセスCIAの友人が 「どちらにお住まいですか」 と、聞くので ・・・

「埼玉県入間市です」 と、答える。
「私たちは新所沢よ」 と、地球儀的に見て、ニュージーランドからの距離感では、
ほとんど、ピンポイント的に、同じ地域といって良い。

世間は狭いものである。新婚夫婦の新居は相模原だという。
「今度この旅行から帰ったら我が家に遊びにいらっしゃい」と両家で誘って下さる。
「ありがとうございます」と云いながら、ご近所の隣組という親近感が湧いてくる。

その後、地理的に、休日になると、よく出掛けていた野菜市場から100メートルの
処に、ミセスCIAの友人夫妻がお住いのことに気付き、予め電話を入れて、市場
の帰り道に寄らせていただき、スイス旅行のビデオを見せていただいた。

私も欧米の出張の際に、スイスの航空会社に管理工学の実態調査で立ち寄った
時に登山電車に乗ってみたいという願望はあったが、出張業務上、時間的な制約
があって果たせなかった。

それだけに登山電車におけるご夫妻のビデオ録画は、車窓からの風景や駅から
のカラフルな建物の光景など楽しく拝見することが出来て、長年の宿題のような
「登山電車に乗ってみたかった」という思いが間接的だが満足出来た。

しかし、我々の出張も夕食時などは自由に行動できる時間の余裕を持つことは
出来たので、スイス料理の 「エスカルゴ(かたつむり)」にチャレンジするなどの
冒険を楽しむことは出来た。

エスカルゴを食せる大型のレストランは、地下に店を構えていた。当日、上司と
共に店の入り口に差し掛かった時にインタビューを受けて 「はて・さて何事?」
と思いながら、地下への階段を降りて行くと・・・

場内からアナウンスがあり「ただいま日本からのお客様がお見えになりました」
という紹介に次いで 「桜・さくら・・・」のお馴染みの曲の演奏が始まり、場内は
一瞬 「日本色」に染め上げられた。

新所沢のご夫妻のおもてなしで紅茶をいただきながら、お互い、スイスにおける
思い出話などを交換しながら、庭先に眼を転じると柴犬が庭を駆け廻っていた。

「お庭で、放し飼いですか?」 と、家内がたずねると、
「はい、晴れた日は、いつも庭で遊ばせています」 と、ご主人が答えて、
「私の手作りの犬小屋をご覧になりますか?」 と云われ外に出て拝見すると、

その場所は、ご主人の趣味の工作室になっていて、いろいろな工具が並べて
あり、万力なども工作机に据えられていた。飼い犬は、工作室の番犬としての
役割も担っているようである。

そこで、私も、庭先での放し飼いのコツを伝授していただこうと考えてご指南を
いただいた。広い庭は周囲がよく囲われており、飼い犬は、外には抜け出せな
いように工夫されていた。

我が家の当時の飼い犬である先代のシェリは、庭先に目一杯に番線を張って
自由に動き回れるようにしていたのだが、番線だと、すぐに切れてしまうという
欠点があったので、庭先の内周を柵で塞ぐという方法は参考になった。
(かくて、旅の先輩に学ぶことの多い訪問となった)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、暖炉の火がチロチロと燃えるニュージーランドのレストランに話を戻そう。

やがて、会話の隙間を縫うようにして、ディナーの料理が運ばれてくる。

「どちらかというと薄味だね」 と、お互いの感想を述べあって、運ばれてきた
料理を口に運ぶ。新婚のご夫婦は 「海外旅行は初めて」だといって、とても
楽しそうに、皆さん方の話しを聞いていた。

食事の途中、女性コンダクターから今回の旅程の概略が、あらためて紹介された。

「昨日は、機内泊のため、みなさんそろそろ眠くなってきたと思いますので」 と云う
心遣いで要点だけが説明される。明日は、マウントクックから、クイーンズタウンに
バスで行き、4日目の旅程については、オプションでミルフォードサウンドの観光が
計画されているという。

そして、後半には、北島のオークランド泊が、旅程の仕上りとして用意されている。

話題満載のディナーはあっという間に時間が過ぎた。的確な会話は食事の調味料
というが、今回について云えば 「話題そのものがメインディッシュ」 と、いう盛りあ
がりようであった。

それにしても皆さんパワーに満ち溢れていてパワーを分けていただいた気がする。
「ご一緒しているだけで自然に気持ちが明るくなってくるね」 とその日のことを振り
返りながら、その晩は、早目にベッドに入ることにした。

充分に睡眠をとったこともあり、翌朝は、早起きして外に出ると、テカポ湖の水面が
目に入ってきた。

「あらもう霜がおりているわよ」 と、家内が枯れた芝生の上を先に歩いて行く。
「テカポ湖の風景も一緒に撮っておこうか」と、家内に、振り返ってもらってカメラに
収めた。

やがて朝食が済むと 「希望される方には今からバスの出発前に、テカポ湖周辺
のご案内を致します」 という案内があってガイドさんに付いて行くことにする。

「善き羊飼いの教会です」 と説明があり、内部に入って行くと、外部からの見た目
には小さな教会であったが、内部からの景色は大きく広がっており、厳粛な空気が
伝わってくる。

「きれいにしているわね」 と家内が感動の声をあげる。たしかに内部の掃除が行き
届いている。

近くには犬の銅像が建っていた。

ニュージーランドの犬たちは、羊たちの面倒を良くみる。犬たちの活躍が羊毛産業を
支えているといってもよいだろう。その中にあって、銅像になっている忠犬は、ある時、
牧場主の危機を救ったのだという。



007 南島の屋根マウントクック

雪をかぶったマウントクックの姿は、美しく、ずっと観ていても飽きが来ない。

ミセスCIA親娘は、バスの前列に陣取り娘さんが盛んにビデオで前方の風景を撮影
している。南島の屋根ともいわれているあのサザンアルプスの最高峰マウントクック
は、探検家キャプテン・クックの名前を記念して命名されたものである。

しかしながらニュージーランドを三回も訪れたという英国の探検家キャプテン・クック
は、この秀麗な山を一度も見ていないのだという。

ベンツ製の頑丈なバスは全員にシートベルトを着用させて制限速度なしの高速運行
で突っ走って行く。バスの進行方向の左手には、秋の野原が一面に広がっている。

「春にはこの野原一面が花でいっぱいになります」 と、いうガイドさんの説明がある。

なんと、この野原で採れる蜂の巣は、そのまま、スライスされて天然産の蜂蜜として
売られているという。右手には湖が続いている。空が写っているような青さが印象的
である。

このバスに、地元の案内役として、同乗した日本人ガイドさんは、ニュージーランドが
気に入ってそのまま住みついてしまったというだけあって、土地の事情に詳しい。

「皆さまの右手に見えております湖には、2メートル級のうなぎが棲んでおります」
「ときには、水を飲みにくる子羊を呑みこんでしまう」 と、聞いておりますという説明
には思わず背筋が寒くなった。

目の前にあるトンネルは最近の雪崩のときに大雪で埋まってしまい、ブルドーザー
で掘り出したのだという。ミセスCIA親娘が 「あっ、虹よ」 と、いって盛んにビデオ
を回している。地平線上に完全な形で跨ぐ虹を見たのは初めてのことであった。

地元のガイドさんが 「虹はあちこちで頻繁に見られますよ」 と、説明している。
「このトンネルを抜けるとマウントクック村です」 と、ガイドさんの案内がある。

話題は変るが、ニュージーランドに来てから随所で環境保護への配慮を感じ取った。

例えば、ゴミ捨て用の袋には燃えやすく工夫された特別製のものを使い、公衆トイレ
においては施設全体がステンレス製で建設されており、天上から一気に水が流れる
設計になっている。トイレ内の洗浄についても小まめに実施されている様子でトイレ
特有の異臭感はまったくないといって良い。

ハイキングコースなども有名な景勝地を訪れる登山者は登録制になっていて登山者
に対しては、登山をする上でのエチケットが、徹底されていて、厳格に守られていると
いう。

マウントクック村に着いて、最初に目から入ってきた印象は、ゴミひとつない清潔感で
あった。

最近、新コロナウイルスによる被害をいち早くコントロールして沈静化に導いていった
国家主導型の姿勢も、日頃からの衛生観念の徹底が全ての国民に当たり前のことと
して習慣化しているため、いざというときに機動力をもって対応出来る素地がある。

マウントクック村からの眺めは、マウントクックが目前に迫ってきて圧巻である。

標高が三七六四メートルもある最高峰は最近の大きな雪崩で標高が変ってしまった
のだという。このマウントクックに更に近づきたいという人のために、軽飛行機で頂上
付近の氷河に着陸する航空サービスが用意されている。

「風の強いときに、飛行機に乗ると、機体がかなり大揺れしますよ」
とガイドさんから説明があったが、
「私たち飛んで来るわ」 と、ミセスCIA親娘と友人夫婦は一番乗りの名乗りをあげる。
さすがに好奇心旺盛で反応も俊敏である。新婚夫婦も同行するという。

私が 「どうする」 と家内に聞くと・・・

「私は子供たちをまだ育てきってないからやめておくわ」 と、云う返事が返ってきた。
私と家内は、ミセスCIA親娘と新婚夫婦の乗った軽飛行機が飛び立つのを見送って
から、レストランで昼食を取ることにした。

昼食後には、マウントクックの山岳美を楽しむ場所が用意されており目の前の大きな
ガラス窓にマウントクックの美しい風景が広がっている。

そして、この場所でマウントクックを背景にして自分専用の一眼レフで写真撮影をして
いるときに、蝶ネクタイの紳士の案内で休憩時間を活用して異次元体験をすることに
なるがそれについては、星空文庫に掲載の 「生涯青春ラケットとジェットの物語Ⅰ」
で詳述しているので、ここでは省略することにする。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

外に出ると、弁護士さんご夫妻たちのグループが、森の中を楽しそうに散策していた。

「森の中がどこに行ってもきれいね」
「空気が澄んでいて、とても・気持ちが良いです」 と、いう会話が交わされ、バスが
置かれている広場に戻ると、皆さんが集まり始めていた。

広場ではミセスCIA親娘が盛んにマウントクックの山頂付近の氷河への着陸体験
の感想を、飛行機に搭乗できなかった人たちのために、熱心に説明していた。

「飛行機は、揺れも少なくて、氷河にはスムーズに着陸できたわ」
「思わずみんなで拍手したわよ」

氷河に、自分の足で降り立ったときの感動は、素晴らしくて、忘れることのできない
体験だったと話をされているミセスCIAの目は、まるで幼児のように輝いていた。

「そういえば飛行機の車輪内側にソリを二つ付けていましたね」と私が口をはさむと、
「そうなのよ、ソリを使い、飛行機を上手く滑らすのよね」
「名人クラスのパイロットだったわよ」 と、話は続く。

ミセスCIA親娘の搭乗体験の報告も終り、まだ、バスの発車までには時間があるの
で考えていると・・・

「マウントクック村の国立公園事務所をのぞきましょうよ」 と、ミセスCIAが誘うので、
丁度そこに居合わせたツアー客がぞろぞろとミセスCIA親娘に連なって公園事務所
に向かった。

「サザンアルプスの全容は、三千メートルを越す高峰が、二十七もある」 と、云う。
「氷河はというと、大小合わせて三百六十という規模」 と、私が、声を出して読むと、
今度は、家内が 「この一帯は、一億五千年前には、海底であった」 と声に出して
読み上げる。

二人して、その地形の変わりようには驚くばかりである。その後の激しい造山活動
が加わり、今日の姿になったというが、およその想像もつかないことである。

国立公園内にはホテルが建っているが過去に数回も雪崩によって建物が破壊され、
その都度再建を繰り返しているため、ホテル代は通常よりも割高でありという。

公園内から正面に見えるマウントクックは、サザンアルプスの最高峰であり南島の
屋根といわれている。

その山岳美については、スイスのマッターホルンと、比較されるようである。

マウントクックの景色をすっかり堪能した私と家内はバスに乗り込んだ。
そして、バスは今晩の宿泊地になっているクイーンズタウンに向かった。

途中で立ち寄った果物屋さんの前で、家内が興奮気味に声をあげた。

「あなた見てよ、店先がカラフルだわ」
「ニュージーランドの果物を、ここに、全部集めていますという光景よ」
といって振り返った。

「あなた・道路の向こう側を見て」
「ポプラ並木が、あんなにも続いて、光に映えてきれいだわ」
と、云うので振り返ると・・・

皆さんも、気付いたらしくて、感嘆の声が飛び交っていた。

「こんなにも、綺麗な・ポプラ並木は初めてだね」 と、感激の声が飛び出し、
「まさに、黄金色の輝きとは、このことだね」 と、いう感想を口にすると周りでも
皆さん、同じように、感動の声をあげていた。

店先で、皆さん、それぞれに旅の友に果物を買い込んでバスに乗り込むと、バスは
一挙にスピードを上げた。運転席のスピードメーターをのぞき込むと針は時速130
キロ程度の位置にあった。

やがて、バスがホテルに到着すると、ホテルの庭にも紅葉と黄葉が競うように景観を
成していた。夕食までに時間があるので、二人で散策に出かけると目の前が開けた
景色になった。

「澄んだ空気」
「それに美しい山々が連なっているわ」
「ワカティプ湖は青い水色なのね」
「まるでお伽の世界のようね」
と 家内は、感動の言葉を連発している。

この澄み切った風景は、四季を通して、美しく変わって行くため、一年中、観光客の
途絶えることがないのだという。ホテルに戻ると、丁度、夕食の時間であった。

夕食時に、翌日のミルフォードサウンドへの案内が、ツアーの女性コンダクターから
行われ、それぞれのテーブルで会話が弾んだ。

「明日も、楽しみだわね」 と、いう言葉を交わしてそれぞれの部屋に戻った。



008 ミルフォードサウンドの大滝

翌日のミルフォードサウンドへのツアーは、往復で、六百キロもあった。

なんと・信号が一つもないというドライブであった。まさにノンストップでかっとび
の高速運転なのである。ニュージーランドも、日本と同じく車は左側通行、日本
と違うのは右折車が優先すること (市街地に限ってのみ制限速度がある)。

ミルフォードサウンドの港に着くと、それぞれにチケットが手渡されて乗船した。

狭い渓谷を案内する船は一階が日本人、二階がイギリス人で満杯になった。
船が進んで行くと両側が岸壁になっていて、たくさんの滝が目に入ってくる。

凡そ千メートルを越すといわれる絶壁はけっして人を寄せ付けないような厳しい
表情を見せつけている。船内からは、岩山がライオンに見えたり象に見えたりと、
しばらくの間は、不思議な光景が続いた。

天候は、局地的に変化が激しく、晴れたかと思うと雨や曇りに変わった。そして
あっという間に晴れ間になる。湾内は、寒帯らしく、アザラシが岩の上で昼寝を
していた。

「滝また滝の圧巻だね」 と、感動しきりである。大きな滝の下で合羽を着て船首
に立ち記念写真に収まると、合羽姿に、弁護士さんのご夫妻が気付いてカメラを
向けてくる。

ミルフォードサウンドからの帰途は、バスの運転手さんの粋な計らいで時間的な
余裕を稼ぎ出してくれた。そして皆さんが寄りたいといっていたロブスターを養殖
している漁場にバスを廻してくれた。

その夜は弁護士さんの友人のご夫妻が持ってきたところの外国でも使えるという
電気コンロをホテルの部屋のコンセントにつなぎ、漁場で買ってきたロブスターを
茹であげて、皆んなで・ご馳走になった。

この集まりは、深夜まで続き、満腹のお腹をかかえての談笑となった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、この先輩ご夫妻チームと共に、漁場で買い求めてお土産にしたロブスターを
茹で揚げ、その団らんの中で、住居論においてその中心を成す、コアの存在を強く
認識した。

昔ながらの住居論における一つの考え方として 「台所があり」 「食卓テーブル」が
置かれていて、隣室には 「リビングルームがある」 と、いうそれぞれが、独立した
存在感として位置付けられてきた過去の歴史的な事実がある。

極端な家訓として 「食事の時には、黙って、食べるもの」 という躾けも一昔前には
一部の地方に存在していた。

しかし、先輩ご夫妻チームとの、ロブスターを茹で、茹で釜を囲んでの懇談と寛ぎの
空間では 「食べること」 と 「談話すること」 と 「寛ぐこと」 の三つは広い空間の
中で、共に・自由に・行き来できる 「コア」 として一体的に共存している。

考えてみれば・・・

自分たちの六人家族の生活スタイルも 「食べる」「懇談する」「寛ぐ」 は、大ぐくりな
一つの空間の中で営まれている。そこで 「終の棲家Ⅰ」 の大掛かりなリフォームに
おいても、この大ぐくりな一体空間を創り出せないか、と、試みたが果たせなかったと
いう経緯がある。

既存の建屋の構造は、調理スペースと食卓テーブルとリビングが、それぞれ独立
した存在になっているため、大型ガスレンジなど、ちょっとしたピザパーティなどを
容易に催せる仕掛けはあったのだが、大ぐくりな 「コア」 は創りだせなかった。

したがって 「ついの棲家Ⅱ」においては、一階の南西部に、大ぐくりなコアとなる
空間を・出来るだけシンプルなデザインで・用意する工夫をした。

要するに、調理するスペースと食卓テーブルとリビングを フリースペースにして
自由に行き来出来て、自由にレイアウトを変えることが出来て、人間と飼い犬が
共存出来る (短距離のドッグランも内包させる) 欲張りプランである。

ただし 「ついの棲家Ⅱ」は、ダウンサイジングが眼目にあるので、大きなサイズ
は取れないが、子供たちファミリーが集合しても窮屈にならない程度のエリアの
余裕は設けたい。

このヒラメキは、かつて 「リビングが三十畳もある」 お宅を拝見したときの経験
がベースになっている。

このお宅は西武池袋線のひばりが丘駅から歩いて、七・八分の距離にある邸宅
で、昔は、駅からご自分の所有する土地だけを通って、自宅に帰ることが出来た
という資産家で、遠い親戚であった。

普段からのお付き合いはなかったが、私が、建物に興味を持つ人物であることを
ご子息から聞いて、新築の邸宅を見学する機会をいただいた。

新築のお披露目は、既に済んでいて、当日は、ご子息と私だけの訪問であった。
ご子息の説明でなにしろ凄いなと思ったのは、旧宅を壊したときに、当分の間は
取り敢えずの住居を同じ敷地内に建てたと云うのだが、その取り敢えずの住居
そのものがりっぱな造りなのである。

ご子息が、お屋敷の奥の方に顔を出しに行ったので、玄関を上がった処で待つ
ことになったが、厳寒時でも、暖房などは設えていないため震えるほど寒かった
ことを覚えている。

間もなくして、リビングに案内されて、ほっとするような温かいお茶が振舞われて、
母君が顔を出された。

「広いリビングですね」 と、感想を述べると、
「気軽に、ホームパーティーなどが出来るように、三十畳ほどの広さにしました」
と、ご子息のほうに視線を向けた。

「それでもパーティーの人数が集まり過ぎると、少し、狭く感じることがあります」

ご主人は、銀行にお勤めなので、いろいろな方とのお付き合いがあるのだという。
レストランなどの堅苦しい場所よりも、アットホームな雰囲気で、調理人を自宅に
呼んだ方が、打ち解けた雰囲気で、フランクな会話が出来るのだという。

もちろん、この場で 「ホームパーティーを仕切る」 のは、母君ということになる。
ご子息のフレンドリーな生き方も、母君に習っているのかもしれない。

私は、母君のお話しをお伺いしていて、欧米の管理工学などの実態調査の一環
でアメリカン航空を訪問した時に、上司が、アメリカン航空のキングさんと一緒に
アメリカのGE社で、最新のジェットエンジンに関するトレーニングを受講した仲間
という・フレンドリー感覚で、休日に自宅に招かれたのであるが・・・

「その奥様に似た印象があることを思い出していた」

キング婦人に、初めてお会いした時に、当時、海外出張前に、吉祥寺の英会話
スクールで習った・丸暗記の・挨拶文を述べると、

「今時のアメリカ人は、そのような・堅苦しい挨拶は・しませんよ」 と、云って、
今時の挨拶の仕方を教えていただいた。

その時、キングさんは、ニコニコ顔で近づいてきて、ご自分でミキサーにかけた
ママレードの飲み物を私に手渡しながら・・・

我々、アメリカ人でも、ビジネス上の会話を交わす時と、ホームパーティーなど
で交流するときには、異文化と感じるくらい・話法も変わってくるので、あまり気
にされないように、と、いうことであった。

「習うより、慣れろ」ということかと、その時に感じたが、ひばりが丘の邸宅内で
の奥様が登場されてのホームパーティーでは参加された方々も格段の親しみ
を体感されて、その親しみも格別のものになるのだろうなと強く感じ取った。

邸宅の設計ポイントも、随所に驚かされる様な工夫が施されていて「なるほど」
と驚きの連続であった。

それにしても 「三十畳のリビング」 とは、三十畳に何か意味付けがあるのか、
と気付いたのは、後日のことで、質問は出来なかったが・・・

何気に、三十畳の半分は十五畳、十五畳の半分は 「七畳半」 であることに
気付いた。

昔、植木職人の方からお聞きした話で・・・

「家を建てる時に、一部屋でもいいから、七畳半の部屋を造ると良い」
「七畳半の部屋は、蓄財につながる?」 と、

そのように考えると、三十畳というサイズは、七畳半のモジュールが四つから
なる構造になるので金融面からの縁起物なのか? などと想像した。

仔細は分からないが、ひばりが丘の邸宅で体験した 「三十畳のリビング」は
その広さから来るところの好印象は記憶に強く残っていた。

そのような過去の好印象も手伝って・・・

「ついの棲家Ⅱ」では、南西の角に、三十畳のスペースを設けて、そのエリア
内に 「食べる」 「懇談する」 「くつろぐ」場を 一体的に配置する。

具現化に当たっては、西側に日除けとなる植栽を外構部として設け、反対側
の建屋中央に当たる部分に、直線的な通路を設けて、室内ドッグラン兼用と
したために正味のスペースは二十畳ほどになったが、ホームパーティー的な
黄金ゾーンを創り出すことはできた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

翌日は底冷えのする寒い朝であったが、朝食が済む頃には気温も上がり、ミセス
CIA親娘のお薦めで、ジェットボートに乗りに行くことになった。

ジェットボートは、水しぶきをあげて走り、岩や断崖の端が顔をかすめて行くスリル
満点の迫力ある運転で川をさかのぼって行く。それは船に乗っている全員が悲鳴
も出ない迫力であった。

その晩は、ジェットボートの迫力に圧倒されてすっかりお腹を空かせて、私と家内
は新婚組を誘って日本食を食べに行った。店の名前は、ニュージーランドの国旗
にもなっているサザンクロス(南十字星)。

私は、寿司と天ぷらを気絶するほど食べた。

食後は、家内の顔も、ほんのりと紅潮していた。
「よかったね」
「おいしかったわ」
と、あらためて合言葉を交わした。店の外に出ると店先には大漁旗が飾ってあり、
ローマ字で、MINAMI JYUJISEI と、刺繍されていた。

「店に入るときには気が付かなかったね」 と、いうと、
「だって、全員が、日本食に向けてまっしぐらでしたから」
と、新婚組のお二人も加わって大笑いした。

その晩は、四人とも用心して、ニュージーランドで買い込んだばかりのセーターを
着込んで出かけたため寒さ対策は万全であった。

それでも外に出ると、さすがに外気は冷えきっていて、私はコートの襟を立てた。

この寒い夜における、ファッション指導は、家内による、お出かけ前のワンポイント
アドバイスであった。これがきっかけで、この旅では、皆んなが、家内のファッション
指南をあてにするようになっていた。

翌日は、クライストチャーチの空港に出て、そこからオークランドに向けて飛ぶ旅程
になっている。




009 眼下に名門オールブラックスのグランド

オークランドに着くと暖かな陽気で満開の薔薇に迎えられた。

南半球のニュージーランド北島に位置するオークランドは、南半球換算で考えると、
日本の東京とは対の位置に在り、昼間は、半袖でも過ごせる秋の陽射しである。

南島のクイーンズタウンでは、セーターを着ていても朝方の寒さがこたえたことが、
信じられないような温度差である。ただオークランドでも朝夕は上着が必要であり、
一日の間で温度差は大きく、秋の陽射しの落差の大きさをあらためて感じた。

太陽の陽射しがいっぱいの海沿いの景色は、特に素晴らしく、ここでは高級住宅が
海岸線に沿って建てられている。やがて、海沿いからそれて丘の上に登って行くと
大きな公園に出た。

「あれが、ラグビー界の名門オールブラックスのホームグランドですよ」
と、案内があって、丘の上から食い入るように見た。

広大なグランドである。あの試合に臨む前のオールブラックス独特の民族の雄たけ
びのような踊りが目に浮かんでくる。

オークランドの薔薇園の近くに建てられた郊外のホテルに泊まった翌朝は、当日の
行動が終日を通して自由ということなので、偶然、朝食をご一緒したミセスCIA親娘
と、新婚組と、私と家内の6人組で「オークランド観光」に出掛けようということになり
当日の具体的な行動計画がまとまった。

「タクシーで貸しきりの市内観光をしていただけるところを探しましょうよ」 ということ
になり、ホテルで教えていただいたタクシー会社に電話をすると・・・

「人数が6名なので特別にランドクルーザー型の車でホテルまで迎えに来てくれる」
ということになり、しばらく待機していると、その車はトヨタ製であった。

全員が乗車してから 「今日は、終日コースで、市内観光をしたい」と、こちらの希望
を伝えると・・・

「私は、地元出身なので、オークランドのワイン工場の経営者などとも・幼友達です」

「他にも知り合いが多いので、皆さんにとって、きっと、喜んでいただける楽しい一日
になることでしょう」 と、いって目のくりくりとした運転手さんから、皆を喜ばせる言葉
が発せられた。

「運転手さんは、かつては、セスナ機による観光飛行のパイロットであった」 という。
とても、陽気な方で、楽しいドライブが予感された。

やがて、ズー・ロジカルガーデンに到着。名前の頭に、ズーと付くので動物園である。

「ここでは、キウイバードに対面できます」 と、いう説明が、運転手さんからあった。
鳥舎の手前には詳しい説明書きがあった。

「体長は三十センチくらいです。夜行性のために、特別な鳥舎に入っております」
「キウイバードは、ニュージーランドの国鳥に指定されています」
「キウイフルーツは、その形が、キウイバードに似ていることから、キウイフルーツと
名付けられました」

「ニュージーランドには、蛇が一匹もおりません」
「したがって、キウイバードにとっては、天敵のいない、幸せな生活が続くことになり
空中を飛ぶことを忘れました」

「天敵がいないため、目もまた活発に動かす必要がなく、視力も衰えて行きました」
「このように・食べては・寝るの生活を、日々、繰り返していたために、くちばしのみが
長く伸びて、ずんぐりむっくりな体形になっていったのです」

概略の説明を聞いた後で鳥舎のなかの暗がりに目を凝らすと、私はそこに自分の姿
を見ている思いがしてきた。二年前に、東京の大手町に新しいプロジェクトが発足して
私もメンバーとして参画、一年間その勤務が続いた。自宅からの通勤は片道で二時間
近くかかり、その間は電車で立ちっぱなしのため、それまで一時間以内の通勤に慣れ
ていた私にはこたえた。

週末には、必ず続けていたテニスも、やめてしまった。

私は、週末の休日を家で過ごすことが多くなり、子供たちから・・・
「お父さん、あれ食べる・これ食べる」 と、差し入れがあり、食いしん坊の私は、これを
片っ端から食べていた。

プロジェクトが一年間で終了してからも、この生活習慣が続いていた。同僚たちからは、
「幸せ太りですね」と冷やかされた。結果、体重は10キロも増えた。スーツ類のズボン
のウェストは寸法直しを二回も行った。
(寸法直しの二回目では、まだ、体重は5キロ増えただけであった)

「ズボンの寸法直しは、これで、目一杯ですよ」 と洋服屋さんに云われた。それがまた
しても、10キロまで増えたのである。なんと、ワイシャツのボタンが弾け飛んだ。

ズボンのお尻の縫い目が、朝の体操のときに裂けた。とうとう、スーツ類は仕立て直す
羽目に陥った。

「ニュージーランドのキウイバードを見て、我がふり直せだよね」 と、自問した、私は、
これをきっかけにして、日常の生活習慣を大転換することになるのである。


【後日談】 キウイバードの姿を見てダイエットを開始

日本に帰ってからのことであるが飼い犬を買い求めてシェリーと命名。この出会いが、
私の生活習慣を変えて飼い犬との日々の散歩が効果を発揮、体重を一挙に約5キロ
軽減させて気になっていた肝機能の異常も回復した。
(会社の健康診断において肝機能の正常復帰が確認された)

ただ、そのときの速歩きに懲りたせいか、その後は、飼い犬が、しばらくの間は私の顔
を見ると散歩に行きたがらなくなった。飼い犬にしてみれば、子犬のときにはまだ訳も
分からずに、私と、嬉しそうに歩いていたが、やがて家内との散歩によって・・・

「自分のペースで歩ける楽しさを知る」 ことになって、ノンストップの私との遠乗りは、
「御免こうむりたい」 と、いうことになったのであろうと考える。


ニュージーランドの水族館

その後、我々は、また大型タクシーに乗り込み水族館へと向かった・・・

「大きな水槽の下を、人間が通り抜けられるようになっているのね」
「これは、トンネル構造になっていて、通路は自走式になっているよ」
「わっすごい、鮫が頭の上をゆうゆうと泳いでいるわ」 と、歓声をあげる。

展示場所には、鮫が口を開けた時の状態が標本にして飾ってある。

鮫の歯は三角形になっていて 「これで噛まれたらひとたまりもないね」 という感想
が、皆さんから寄せられた。

次の見学コースは、オークランド博物館。元セスナのパイロットらしく三階には零戦
が展示してあるという説明を加えて、私の方に顔を向けてきたので・・・

「ニュージーランドに零戦ですか」 と、私はすぐさま反応した。
展示会場で零戦は軍事品コーナーに場所を確保して、ほぼ完全な状態で保存され
ていた。私は、実戦に使われたことのある零戦を見たのは初めてのことである。

ここに零戦が展示されているということは、我々、日本人が戦後の経過とともに戦争
の記憶を風化させても、地球の反対側に零戦が展示されている限り・・・

「日本にとっての戦後」は、永久に続いて行くということである。階段を下って一階に
出ると、博物館の一階にはマオリ族の戦闘用カヌーが展示されていた。

博物館を出ると、皆んなの顔に秋の陽射しが強く差し込んできた。オークランドでの
観光ツアーを終わり、博物館の前に揃っての記念撮影は、セスナの元パイロットが
シャッターを押した。博物館の外観は古典的な印象であった。



010 身体の中心から好循環エンジン始動

翌日の日本に向けたフライトは、天候にも恵まれて視界も良好・機内から窓の下を
のぞくと海上をゆったりと進むタンカーが見えた。

「はるか上空からの眺めなのに、タンカーが大きく見えるわね」 といって、家内は、
タンカーの大きさに素直に驚いていた。

今回のニュージーランドの旅では多くの年長ご夫妻の方々から大いなるパワーを
いただくことになり、お互いに 「共通の将来展望」 を描くことが出来た。

そして、ニュージーランド旅行からの帰途、機内で、家内から思いがけない言葉が
飛び出す・・・

「あの元気いっぱいのご夫妻たちの・好奇心や・行動力に・触れることで感じたこと
は、自分たちに向けての投資がもっと必要ということね」 と、いう感想であった。

そして、帰宅してから、間もなくのことである・・・

「あなた、これで思いっきり、自分のやりたいと思うことをやってみたら」
と、家計費から、現金で百万円がポンと手渡された。私は一瞬戸惑ったが、これが、
すべての好循環の始まりであったような気がしている。

私は、将来に向けた、動向を熟慮の上で・・・

「これからは自宅に居ても、必ず電子機器を活用した情報化の波が押し寄せてくる」
と考えて、先ず、パソコンを購入した。

そして、社内で、推進役を担っている 「業務革新」 の対象が、企業経営の領域に
入ってきたことから、企業経営や企業革新のための教材などを総量にして、大きな
ダンボール箱で二箱ほど購入した。
(教材の商品名は「経営大学院」プレジデント社による発刊)

内容的には頭の体操にもなるテキストで、補助資料としてビデオおよびテープ教材
を伴った構成で、興味深い内容が満載されていて、土曜・日曜日などの休日を活用
しながら猛烈な勢いで勉強を始めた。
(しかし 「終の棲家Ⅰ」 のリフォームと同様に費用回収までには到らなかった)


企業内における、先の展開で、社外コンサルタントとのコラボでの社内コンサルタント
推進において、社外コンサルタントからも称賛を得ることに成る。
(業務革新の各部門支援において 「やる気スイッチ」 にはなったと感じている)

同時に、これは近い将来に向けた 「生涯学習」 の始まりでもあった。

今でも、記憶が鮮明であるが、ニュージーランド旅行に使用した海外旅行用のカバン
のキーナンバーは「450」である。これは・家内が45歳・私が50歳であることを基に
決めた暗証番号である。

時は、西暦 「1992年」であり、私が、コンピュータ関連の「2000年」問題がらみで、
技術情報管理のデータセンター構築に取り組むことになる8年前のことである。

まさに、この時を境にして、私の身体の中心から好循環エンジンが回り始めた自覚が
ある。その後の 「T&Kのついの棲家Ⅱ」 の具現化における・資金計画においても、
家内からの内助の功については、大いに感謝するものがある。

 
【後日談】

初夏の薫風が二階のゲストルームから舞い降りて来る。この風は二階の南側からの
風がゲストルームのフローリングの上を撫でて、廊下に出た風が廊下を経て、階段の
踊り場まで抜けて来る。そして、踊り場の窓からの風と合流して階下に降りて来る。

この風の仕掛けは、前述した西武池袋線ひばりが丘の邸宅で学んだ、風を活用した
住宅設計の在り方を摂り入れたものである。

狙いは、二階のゲストルームのわずかな埃を、フローリングの滑りやすさを活用して、
外に掃き出し、階段の踊り場まで運び、踊り場の窓からの風により階下まで埃を運ん
でしまおうという 「設計コンセプト」 である。

ひばりが丘の邸宅のグッドデザインの数々を、当日、付き添っていただいたご子息と
共に、母君からお聞きして、参考にさせていただいたのであるが・・・

「狙い目通り」 初夏の薫風が働きぶりを見せてくれているので、感謝・多謝である。



第二章

011 秋になり建築舞台に主役登場

秋になると、建築工事の舞台にもいよいよ満を持して 「主役の登場」 と、なる。
昔風な表現をするならば、棟梁を兼ねた・大工職・矢吹さんの登場である。

住居の細部設計を設定する際に訪れたことのある Jグループの住宅展示場の
モデルハウスを建てた大工さんであり、その建築技術の腕前は 「匠の境地」に
達している大工さんである。

建築の主役の登場を迎えるにあたって夏場の建築現場はその舞台造りを急速
に進めてきた。

夏場の建築現場の状況を早送りで日めくり的に振り返ってみることにしよう・・・

【夏場の建築現場の振り返り】

9月3日(金)酷暑  コンクリート養生の続行

今朝の東町の我が家の建築現場はコンクリート養生中である。特に変化はないが
道路を挟んだ隣家など、近所の建築が確実に進んでいるので、彩の森入間公園に
向かう通りすがりに立ち寄るには、変化があって飽きが来ない。


9月5日(日) 酷暑  工事工程表通りの進捗

建設会社Jグループの工事責任者である中村さんから 「工事工程表」を事前にいた
だいている。基礎工事は日程通りに進んでおり、周辺の土砂などもきちんと隅に積み
上げらていて、洗濯水の排水管や洗面所からの排水管などもコンクリートの中に埋め
込まれていた。



9月6日(月) 酷暑  オール電化を決心

東町の建築現場を通り抜けて、彩の森入間公園に行く早朝の散歩コースは、もはや
我が家の定番になりつつある。

現在は、コンクリ養生のために 「特に工事進捗はなくても」 である。

ところで、調理用の機器は、迷いに迷った末の結論として・・・
「オール電化およびIHクッキング方式」 の採用を決めた。

決め手は、オール電化およびIHクッキング方式を導入している隣家に、お邪魔して、
「IHクッキング方式で調理している限り、老いてから、火に接近しすぎて衣類に引火
したりする心配はないですよ」 と、いうお話を聞いて納得するものがあった。


9月7日 (火)酷暑  生活エリアは25%縮減

今回の入間が丘の東町への引越しの目的は、一つ目は日当りの良い家造りである。
「これについては実現の見通しがついた」

二つ目は、ついの棲家Ⅱとして「適正な大きさへのダウンサイジング(縮減)」である。
「これについては、日常的な生活エリアを41.5坪から31.5坪に縮減した」
(結果、縮減率は25%減となる)

当初は 「50%減」 を狙い目としたものの・・・

一階を居住エリア・二階をゲストルームとしたために大幅な縮減は果たせなかった。

ただし、二階を子供たちの家族が訪れたときにだけ使うというのも、もったいない話
なので南西の角部屋の開放感のある居室は書斎として活用することにした。

書斎はコンパクトな設計にしたため、現有の蔵書は約70%を廃棄処分にする必要が
ある。ゲストルームと決めている部屋についても、二階のバルコニーと隣接するので、
雨天の時には洗濯物を干せる工夫をした。


9月9日(木) 曇り(後)晴れ  本日は配筋の検査

今日は配筋の検査が予定されている。二人で訪れたデザインセンターでは・・・

「お客様の自由設計プランがまとまれば地域一帯の住宅地としては完売となります」
と聞いているので、我が家が完成すれば入間が丘の東町の戸建団地は全戸が揃う
段取りのようである。


9月11日(土) 再び酷暑  基礎工事の後半戦の開始

基礎工事の後半の作業が始まった。建屋が乗ってくる基礎工事の部分には、鉄枠が
組まれてコンクリートの注入を待つ状態に段取りが組まれている。基礎部分と建屋を
連結する棒状の鋼製金具も大空に向かって・・・

「オイラに任せておけば、50年間は、大丈夫」 と、叫んでいるようで頼もしい。

Jグループでは構造用金物は品質保証をする狙いから、工事現場に直接的に現物
で支給する方式をとっている。住宅建設の設計に始まって、実際の建設の施工まで
「一貫して・微に入り・細に入り・品質管理に注力している」 ことが良く分かる。

このような地元の優良企業の存在を私達がまったく知らなかったというのも、まさに、
「灯台もとくらし」 の諺通りである。


9月12日(日) 酷暑  基礎にコンクリート注入

基礎工事も、建物を直接的に支える部分に、コンクリートが盛んに注入されている。

間取り図のイメージがそのまま見てとれる。細部レイアウトを描きながら、家具類の
配置を決めて行くときには部屋のサイズがだんだん大きく見えてきた印象とは逆に、
それぞれの部屋のサイズが小さく見えるのが不思議である。

「玄関脇のシューズ・イン・クローゼットの部分に目をやると、ここに季節から外れた
靴を待機させる靴箱が全部納まるだろうか?」

「冬季に、お客さまを出迎えるときコート類を預かるエリアが確保できるだろうか?」

「お風呂のユニット類は大きさ的に上手に納まるのだろうか?」

「対面キッチンは基礎がしっかりと作られているが、この小さなエリア内にIH調理器
および食器の洗い場が納まるのだろうか?」

「リビング&キッチンに、20畳を割り当てたものの、このサイズでは狭くないか?」

「和室も8畳を計画したが狭くないか?」

「周囲に、植栽の引っ越しを計画している三箇所のエリアも、引っ越して来る植木類
が問題なく収まるだろうか?」

「駐車エリアも、車が2台分置けるように、図面を描いたが大丈夫だろうか?」 など、
これも、青空の下で見るがゆえの錯覚とは思うが、まことに、不思議な現象である。


9月13日(月) 小雨・曇り・晴れ・豪雨と変化が激しい 後半のコンクリ養生

建設ウォッチングは当分の間は不要である。基礎工事後半部分のコンクリート養生
に入り基礎工事完了は・9月18日と聞いている。その間に息子が残していった本棚
や整理棚のなかの物品を整理して、大型ゴミは市役所のトラックで引き取ってもらう
準備に取りかかったが、これがなかなかの難作業であり思ったように進まない。


9月17日(金) 晴れ  敷地内の整理・整頓が完了

久しぶりに東町の建設現場に寄ってみると、設計図通りに、敷地の外周部がきちん
と整地されていた。後は、今月下旬の 「棟上げ」 を待つばかりである。


9月18日(土) 晴れ  植栽プランの具体化

今日は、現在、暮らしている住居に、庭師が来てくれることになっている。

東町の建設工事現場では基礎工事は完了しており植栽エリアも整地されているので、
造園の相談をするには良いタイミングといえる。

予め 「外構図面」 と 「建屋外観図」 を用意しておくことにする。

定刻の午前9時に庭師が見えて、早速 「移植したい植木類を見せて下さい」 という
ことで背の低い植木を中心にみていただき引っ越しができそうな植木を確認していた
だくことにする。続けて、東町の外構図面も見ていただく。

「現地で実際に植栽の場所を見ましょう」 と、いうことになり現地に向かう。

「りっぱな・お宅なのに、どうして引越しされるのですか?」 と、あまりにも、近くへの
引っ越しのためか? 庭師の方が車を運転しながら質問してくる。

「定年で家に居るようになって、一日中、陽の当たる家に住みたいと思いまして」 と
家内が答える。自転車でも約5分の場所なのですぐに現地に到着する。

「けっこう広い土地ですね旧宅は60坪とお聞きしましたが同じくらいの広さですか?」
「はい、約45坪ですが、周囲が道路のため、広く感じるのだと思います」 と答えると、

「これだけあれば十分に移植出来ますよ」 と庭師の方がさらに周囲を見回しながら、
「南・西・北と三面が道路ですから終日にわたって陽が当たりますよ」 と云いながら、
「夏場は暑いかもしれませんね」 と、続ける。

外構図面の植栽プランを見ながら・・・

「武蔵野の雰囲気で、建屋の周囲を植栽で覆うという考え方は、いいですね」 と褒め
て下さる。

植栽場所に移動して 「この西側の一列に寄せ植え風の植栽を考えているのです」と
具体的な考え方を提示させていただく。

「出窓の前には、シャラ(夏椿)をシンボルツリーとして、植えることを計画していますと
家内が具体的なプランを説明する。

「シャラは、現代風の建物に似合いますね」 と、庭師も助け舟を出してくる。次に北の
玄関脇に移動 「ここは、坪庭風にまとめる計画です」 というと・・・

「南天なども似合いますよ」 と、話は弾んで植栽のアウトラインはひとまずまとまった。
(結論として南天は風呂場の西側に植えた)


9月25日(土) 秋晴れ  棟上げ用の建材が到着

朝から風が強く台風12号の影響が予見される。

久々に東町の建築現場に行くと、現地では建材が南側に積み上げられていて、雨よけ
シートが建材に被せてある。

隣家を建築中の職人さんに・・・

「この建材が来ているということは、間もなく棟上げでしょうか?」 とおたずねすると、
「そうですね。その建材が届いたということは、間もなく棟上げでしょう」 という応答。
「たぶんその建材は一階部分のものだと思いますよ」という親切な説明が返ってきた。

自宅に戻ると、Jグループから電話があり 「棟上げが29日大安に決まりました」 と
いう連絡であった(隣家の職人さんの云う通りであった)。


9月27日(月) 雨  基礎パッキングロングの設置

我が家の上棟式は、29日大安に決まり、基礎と土台の間に基礎パッキングロングを
挟み込む作業が始まった。

この作業はムラのない床下換気を可能にする新しい工法であり、基礎自体に換気口
としての風窓は設けず厚み20mmのパッキングを挟み込むだけで工事が済むため、
作業も俊敏であり 「床下へのネズミの侵入も防止できる」 優れものである。



建築における匠の世界

建築の世界では、棟上げが完了して大工さんに建築工事が委ねられれば、そこからは
主として大工さんの独り舞台となる。

私達の 「T&K:ついの棲家Ⅱ」 造りでは・・・

土地探しに池田店長と云う強力な支援者に助けられ、設計段階では我々と相性が抜群
の一級建築士宮崎さんに出会い、今また「匠の世界の大工職矢吹さんに出会う」という
望外の幸運に感謝・多謝である。

これから先も、営業スタッフの松本さんから届く、朗報が楽しみである。


9月29日(水) 晴れ 上棟式そしてエース登場

東町の建築現場を指定された午前9時前に私と家内と二人で訪問・・・

建築工事は急ピッチで進められていた。

「おはようございます」
「お世話になります」
「工事部の中村です」 と挨拶が交わされて、中村さんから名刺をいただく。

「こちらが担当の矢吹です」 と、ご紹介いただく。
我が家を建築して下さる 「匠」 の登場である。

矢吹さんは、Jグループの入間住宅展示場の展示棟を手掛けられたと聞いている。

「家内です・よろしく・お願いします」 と挨拶を交わし地鎮祭のときに神主さんから、
お預かりした上棟式の 「お札」 と 「お酒」 を手渡す。

今時は、上棟式でも、お酒は駄目なようなので、別に「お茶缶」と「お茶菓子」を用意
させていただいた。

建設現場では、俊敏な動作で建材が運ばれており、邪魔になるといけないので、
「それでは・よろしく・お願いします」 と、声をかけて現地を後にした。

この頃は日暮れが早くなり家の外はすぐに暗闇になる。しかし東町の建設現場では
灯りが点っていて、現地の状況が良く見渡せる。間もなく・午後7時という時間帯にも
かかわらず、矢吹さんの仕事は一生懸命に続いていた。

「棟上げが出来ましたね」
「はい、出来ました」
「一日で、屋根までかけてしまうのですね」 と、その俊敏さには、驚くばかりである。

Jグループは、職人集団を約500名規模で抱えており、棟上げなどの集中作業には
精鋭を集めてくるので短期決戦で仕上げてしまう。そして建築舞台には雨天でも作業
出来るように屋根もかけてしまうのである。

「明日は雨だというので屋根だけでなく全体的に雨除けをしておきます」 と矢吹さん。
「遅くまで・ご苦労さまです」 と、家内からも声掛けして車に戻り飼い犬を前席に移動
させて我が家に帰ることにする。

家内を駅まで迎えに行き、帰りがけに、建設現場に寄ったのだが・・・

「矢吹さんをはじめ、我が家の棟上げを担当したJグループのメンバーは、超一流」
「朝から夕方までの作業で、屋根まで完了させるということは、それぞれの手早さだ
けで達成できるものではなく強力な組織力があるに違いない」 と二人で話合った。

Jグループは 「ISO 9001」 を認証取得しており、作業手順が確立しているから
こそ出来る俊敏さと・手堅さであり、それは現地に届けられた材木の端部の加工や
細工をみれば、あまり経験のない、私にも、一目で納得できるものがある。

柱には、作業の通し番号が記されており、ここでも現地だけではなく設計から始まり、
材料の加工・輸送体制そして現地での組み立てという流れで作業が一貫して標準化
されていることが良く理解できる。


9月30日(木) 雨  屋根の防水対策を実施

家内は、ひばりヶ丘に出掛けて、息子の嫁さんの出産後の応援のため、孫の面倒見
に出掛けているので、私はスポーツセンターには寄らずに東町の建設現場に寄って
から家に帰ることにした。

着いたときが、昼飯の時間帯のため、矢吹さんにはお会いできなかったが・・・
「屋根が緑色に変わっていた」 ので、防水屋根を張り付けたようである。

矢吹さんも雨除けの対策を気にされていたので、ファイバーグラスシングルの本屋根
の設置にまでには到たっていないが、防水対策にはなるのでひとまずは安心である。




012 屋根の上のシンコペイテッド・クロック

東町の建築現場には、家内特製の昼食 「ほうとうウドン」 を食べてから出掛けた。 

10月1日 (金)  曇り(後)晴れ  二階の剛床で作業性は抜群

既に防水屋根が掛かっていることもあって、小雨の中でも軸組作業は順調に進んで
いて、通し柱や管柱が林立している姿は賑やかに見える。

Jグループの工法では・・・

「二階には剛床を早目に施工する」 ので、作業性は抜群に良く、安全性も飛躍的に
向上する。管柱には 「Jグループ」と明確に記されており、供給元を明示することで
品質保証をしている。

集成材にもピンからキリまであるのでJグループのマーキングがあれば安心である。
建材についてはプレカット工場でコンピュータ制御によって加工されるので、高精度
な構造躯体として、品質保証されており、現地での手直しはほとんどない。

矢吹さんの仕事への意気込みも、直に、建材に伝わる感じで気持ちが良い。

家内は 「梁がりっぱね」 と感動していた。さすがに、通し柱や管柱だけでなく、梁に
も目配りをしていて 「抑えどころのツボをしっかりと把握している」 ことに驚いた。

ここで 「21世紀は、女性の時代である」 という言葉を思い出した。

まだ、上棟が完了したばかりであり、軸組構造はこれからの細部が肝と考えるが外観
から構造や・工法を伺い知る限り、我が家は地震には、強い剛性を持ち合わせている
ようである。


10月2日(土) 晴れ  二階の造作が着々と進行
 
建築現場では昨日から二階の造作に集中しており内部の状況は分からないが建屋内
から聞こえてくる音から、矢吹さんの仕事への集中ぶりが容易に想像できる。

今朝は、玄関の上部に位置する屋根の部分が骨組みされていて外観の形状を現して
きている。東町の我が家は全体的に落ち着きのある景観となっており、設計士の宮崎
さんと一緒に描いた建築イメージに沿って、矢吹さんの造作が進んでいることが的確
に理解できる。


10月3日(日) 晴れ(後)夜は雨  大工仕事と内装の並行作業

今日は、日曜日でもあり大工さんはみんな休みなので 「矢吹さんも・お休み」 と考え
て、建築現場には飼い犬を連れてゆっくりと散歩を兼ねて・現地見学に出掛けてみた。
現地に着くと驚いたことに、矢吹さんの車が置いてあり、二階から話声が聞こえる。

「日曜日なのに出勤ですか」 と、私が声をかけると 「建屋の引渡し日が12月10日
ですから、そこから逆算してスケジュールを建てて、作業に取りかかっています」 と
いう返事が返ってきた。

引渡し前には、建屋の審査もあるので、日程的にはかなり厳しい工程なると云う。

「確かに厳しい日程が組まれていますが、審査の内部点検までに住めるような段取り
になっていれば外回りの造成については、その後も施工が可能ですので間に合わせ
ますよ」 と、云う力強い答えが返ってくる。

「それにしても、身体には気をつけて取り組んで下さい」 とこちらの気持ちを伝えると
「はい、こちらの建築作業の進め方としては、大工仕事は二階から進めて行きそれと
並行させて、一階から内装も進めて行く段取りですから、大丈夫ですよ」 と具体的な
解決策が即答で返ってくる。

私も、かつて、航空エンジンの整備期間を半減させるプロジェクトを推進した時に同じ
ような 「並行作業」 の考え方を使って完遂させたことがあるので納得である。


10月4日(月) 曇り(後)晴れ  間取り図を描いた書斎からの風景

雨上がりの書斎からの眺めは気持が良い。目の前の九州梅は緑が蘇り枝や葉には露
が残り、小さな膨らみとなって光っている。この書斎では建築図面を25枚も書いた。

  「芋の露連山影を正しうす」  飯田蛇笏

私の大好きな俳句である。
これは、蛇笏が数え年30歳の時の句であり、山本健吉先生は・・・

「この句は、蛇笏の初期の代表作であるが、若年にして確乎たる蛇笏調を打ち立てて
いるのを見るのである」

「里芋の畑は近景であり、連山は遠景である。爽やかな秋天の下、遠くにある山脈の
起伏が影をくずさず正しく連なっている。澄み切った秋空には連山が姿を正すかの様
にはっきりと、いささかの晦冥(かいめい)さもとどめず浮かび上がっているのである」

「芋の露は眼前の平地の光景でもありかなりの拡がりをもった眺めである。広葉の露
に秋の季節の爽涼を感じ取ったのである。秋の山容を表現して遺憾がないというべき
であろうと述べており 『影を正しうす』とは彼自身の心の姿でもあったのであると定本
『現代俳句』山本健吉著に詳しく記述している」
(今日は、建築工事について、書き記すことはない)


10月5日(火) 曇り(後)晴れ  行き届いた品質管理の体制

朝の散歩を強く求める飼い犬に催促されて、東町の建設現場に出掛けることにした。
現地の建設工事は急ピッチで進んでおり、上棟が先月の29日で本日は6日、指折り
数えても7日目の朝の時点で・・・

「見上げる二階には窓枠の部分がくりぬかれた外壁の板が嵌め込まれており、既に
サッシ待ちの状態である」

「屋根については、二階の屋根は既に防水対策が施してあり、一階の屋根も骨組み
が完了、防水対策を待っている状態である」

「南側のバルコニーは、板材で囲みが出来ており、外壁のサイディングを待つばかり
の状態である」

Jグループの工法は 「在来工法」 に加えて 「2×4工法」 の良さを取り入れて・・・

「柱と外壁の組み合わせにより、耐震強度を向上させている」

「外壁材は100%リサイクル木材を原料としておりエコマークを取得して国のグリーン
購入法の指定も受けている。しかも、この外壁材は、普通の合板に比べて2倍以上の
せん断剛性があり、木材腐朽菌の被害も受けにくくて、降雨などの水漏れによる膨張
もほとんど起こさない優れものである」

これを、水平側面としての剛床との関係でみれば・・・

「水平側面そのものが剛床28mm+フローリング12mmと合わせて40mmの厚みと
なるため、二階の床のたわみを大幅に減らせる上に、外壁との相乗効果により、更に
構造の安定性を増すことが出来る」

「同時に、居住者に対しては、歩行感を向上させることが出来るというメリットを最大限
この 『BOX軸組工法』 と、いう考え方で実現させている」

「壁と床の立体パネル化によって地震に対抗する性能を向上させているという点では
二倍筋かい金物も重要な役割を果たしており、柱と横架材および筋かいの接合部を
『二倍筋かい金物がしっかりと連結させて』 強度アップすることによりBOX軸組工法
を完結させている」

この頃は、Jグループの建設現場を見ていて、二倍筋かい金物だけではなく・・・

「ホールダウン金物」 「柱脚柱頭金物」 「短冊金物」 他には 「NPTワッシャー」に
いたるまでの金物の全てをJグループが一貫して・タイムリーに・現物支給している面
からも、品質管理が良く行き届いていることが建設現場をウォッチングすることで良く
伝わってくる。


10月6日(水) 晴れ  冬の暖かさを生かす設計

入間が丘の東町の我が家の土地は、南側に6m・西側と北側に4.5mの道路が位置
しており、建屋周囲の3面が開放エリアという好条件であるために、他の区画に比べて
基準価格が割高な設定になっている。

しかしながら、陽当たりの良い家に住みたい、と、云う家内からの強い願望もあり・・・

「この土地であれば、まさに、望み通りであるので」 この土地を探してくれた店長には
重ねて感謝・多謝である。

陽当たりの良い家への願望は私としても同じ思いであるので、基本的には冬の暖かさ
を生かす設計にして、夏場は、植栽などで日除けを考えて行くことにする。


10月8日(金) 晴れ  屋根工事の開始

東町の建築現場では、昨日から、屋根の工事が始まっている。

屋根の上では職人さんが身軽な動作で動き回っている。このリズミカルな動作を見てい
て、何故か、アンダーソンの曲「シンコペイテッド・クロック」を脳内に思い浮かべていた。

Jグループの設計士宮崎さんとは次のような会話を交わしたことをよく覚えている・・・

屋根材には 「ファイバーグラスシングル」 と 「平形屋根のスレート」があります。
宮崎さんからそれぞれの屋根材の特徴を説明していただき、私と家内は聞き終わって
すぐに考えが一致した。

「ファイバーグラスシングルで行くことにします」 と、いうことで二人ともに30年間保障
の高耐久性に魅力を感じた。この屋根材は、三拍子揃った強みを持っている。

一つ目の強みは、防水性に優れていることである。
アスファルトを基材に使っているために、水を吸わないという特徴がある。

二つ目の強みは軽量で耐震性に優れていること。

三つ目の強みは雨音に対して高い消音性があるということ。
弾力のある屋根材のために雨音に悩まされることがないと云う。

しかも、基材となるアスファルトには、ガラス繊維が補強材として使われて二層構造に
なっており、30年間保障の耐久性を生み出す基盤を成している。

北米における、半世紀以上の実績がその耐久性を保障しているという面からも重要な
安心材料にはなってくると云える。

表面は、セラミックの焼付け塗装が施されているために、再塗装不要という点も大いに
魅力である。屋根は、建屋の最上部にあり灼熱の太陽光を受ける部分であるので実際、
今までにも 「15年経過した屋根の再塗装を経験してきており」 ここにきて、耐久性に
優れた屋根材に出会ったことは幸運である、と、云える。




013 外構部は独創的なセミオープン

10月10日(日) 雨(後)晴れ  俊敏な建築はジャスト・イン・タイム

彩の森入間公園からの帰路に、飼い犬を連れて東町の建設現場に立ち寄ると三連休
の中日の日曜日にも関わらずJグループの矢吹さんの車が駐車してあり建屋の中から
建築作業の音が聞こえてくる。

相変わらずの 「完成までは、無休」 と、いう勢いの仕事ぶりには脱帽である。

「我が家の建築を担当されている大工さんはスーパーマンのような人だよ」 と家内に
云うと 「凄いわね」 と、云ってその熱意に敬服していた。

私も、企業人として多くの人と接してきたが、これほどに、自分の業務に対して勤勉な
人には出会ったことがない。

Jグループの場合は、トヨタ生産方式で有名な 「ジャスト・イン・タイム」 の考え方に
近い方法で建築工事を進捗させている。

「しかも、矢吹さんの場合は、技量と熱意がまさに一つ一つの建材に魂を吹き込んで
いるような、丁寧な仕事ぶりであり」 拝見している私たちには、感動を超えたものが
伝わってくるような思いがある。

工場などにおける、もの造りの現場ではこれが流れ作業になったり、セル生産方式の
方法をとったりするが、我が家の建築現場では・・・

「ジャスト・イン・タイムに近い方法で建材が供給され」
「建屋のそれぞれのエリアで矢吹さんによって、タイミング良く・かつ効率良く」作業が
進められている。

矢吹さんのようなスーパーマン的な大工さんに恵まれた場合には・・・

「通常では想定出来ない連続作業を実現させ」
「これに合わせて、内装作業を並行させて進めるという方法をとったときにだけ」
11月中旬に中間完成検査が出来るということである。

その俊敏さは、現住居の隣家の建設工事と比べてみれば分かりやすい・・・

隣家の場合は、二世帯住宅に建て替えるため、従来の住居は既に壊して、新しい建屋
の建築を5月初旬から始めているが10月の現時点でおいて建屋の完成までにはなお
遠いことを考えると我が家における建築ペースが驚異的であることは良く理解できる。

今、私と家内が、心から願うことは・・・

「くれぐれも矢吹さん、お身体に気をつけて、ご自愛ください」 と、祈るばかりである。


10月12日(火) 晴れ(夜は雨)  外構はセミ・オープンという発想

彩の森入間公園の朝は、ひんやりとした風が吹いており、久々に6時の起床ラッパを
聞いた気がする。公園の隣が自衛隊の入間基地であり朝の腕時計は不要である。

私が 「今日は、Kホームズが来るね」 と、家内に言葉を投げかけると・・・

「南側フェンスは縦張りタイプと横張りタイプと、どちらが良いかしら?」 と返してくる。

「材質も、木目調のアルミ材など多様にあるので、選択が難しいね?」 ということに
なり、二人で相談して 「最終的にどれを選ぶか?」 を、ある程度は、選択しておか
ないと、業者に見積もりが頼めないことになるということで考えが一致した。

当初の計画では、セミ・オープン外構という、自分なりに独自の考え方を創り出して
基本的にはオープン・スタイルの考えを取るも、クローズ・スタイルの要素も部分的
に取り入れて 「防犯にも・安全面にも・そして目隠し効果にも配慮」として、自分の
アイデアに納得していたが、これを植栽だけで実現させることは難しいかなと感じる
ようになってきた。

当初は南側の駐車場をオープン外構にしておくとスケートボードなどに夢中になって
いる子供たちが、道路から駐車場に飛び込んできたときに、事故につながる恐れが
あるので植木の配置を考えていたが駐車場の幅を考えると植木が育ってきたときに
息子たちが帰省した時など、大型の自動車だと植木と干渉する恐れがある。

植木の刈り込みなどで植木の厚みを抑える方法もあるが、梅雨時などの繁茂を考え
ると、剪定が追いつかない可能性も出てくる。

「そうなると、当然、フェンスの方が良いということになる」

現在、住んでいる処ではウッドフェンスにして塗装を2年ごとに塗り直しているが面倒
なところもある。それを考えると・・・

「塗装不要の木目調のアルミ材などを選択した方が良い」 と、云うことになる。

その日の 午後2時に、Kホームズの営業担当が到着、早速、現地を見ていただき、
結論として 「木目調のアルミ材」 のフェンスで見積もりを取ることにした。


10月13日(水) 晴れ(夜は雨)  操作性は85歳超のときを想定

朝食を済ませてから建設現場に出向くと昨日から取り付けを始めた窓ガラスやサッシ
類がほとんど所定の位置に収まっていた。出窓類はこれからの作業予定のようであり
建屋の外側に立てかけてある。玄関ドアは梱包材に包まれたままの状態で取り付けら
れている。

今回の建築設計では窓デザインにはかなりこだわって決めてきたので、今朝のように
窓枠を外から眺めることも楽しみのひとつである。

「北側二階の3連窓は、クローゼットに向けて、背面光線が取れるようにした」
「一階のリビングルームの出窓は、大きく開けてシャッターを取り付けた」
「食卓テーブル脇の出窓は細窓を3連にして洒落たイメージにすると共に防犯を兼ね
て常夜灯の灯りが外部に漏れるようにした」

標準設計として・・・

「居室は、すべてをペアガラスにする」 と、いう考え方には大歓迎である。

それも、標準仕様の示すところによれば 「断熱性をさらに進化させたペアガラス」と
いうことで、一般の複層ガラスに比べて空気層が約2倍相当あるために断熱性能が
格段に向上していると云う。

ガラス間の空気層は、12mmあり、冬季における暖房効果が期待できる。

それに比べて現住居は約28年前に施工したものであり構造的には一枚ガラスである。
冬季になると、引越し願望が出ていたくらいなので、日当たりの改善と共に「冬季対策」
は万全のものとなる。

しかしながら、当然 「ペアガラスとなると総重量も増してくる」ので二階のゲストルーム
の横幅一間半に及ぶガラス戸は相当の重量物になってくると考えて二分割から四分割
に設計変更して4枚ドアにした。

これにより一枚当たりのドア重量を軽減できる。

ゲストルームの外側に位置する二階バルコニーは洗濯干しの場所に設定してあるので、
とうぜん日常的に利用することになる。かつ洗濯干しは毎日の仕事でありドアの軽量化
は必須と考えた。

この場合の 「細部設計は85歳を超えた女性にも片手で操作できる」ことが基本である。


10月15日(金) 早朝雨(後)曇り  出窓は一体構造につき安心

家内は、鎌倉のお祭りと孫の運動会に招待されて昨日から出掛けている。

小脇に飼い犬を抱えて外を見ると雨は降っていない。それならばと、東町の建設現場に
出掛けることにする。

「おっ、出窓が取り付けられている」 リビングの出窓の実物は迫力がある。

それは、開口部の大きさからくる印象のようである。今回、出窓が気になっているのは、
かつてのリフォームにおいて失敗しているからである。現住居のリフォームの際に一階
の北側の部屋に出窓を取り付けることで、開放感を出そうと考えたのであるが、これが
失敗作となった。

出窓はサッシ仕様にして外側からの取り付けにしたため内側の出窓部分とは形状的に
一体感はあるものの出窓の外周部に隙間が生じて、ここから冷たい風が吹き込む。

この工事は、春に施工したために、冬になってからこの失策に気が付いた。

そこで、急遽、目張りをして寒さを防いだという経験があり、今回は、失敗しないようにと
出窓の細部設計には気を配った。

東町で取り付けた出窓は、部屋の内側部分と外部に張り出す部分が一体構造になって
おり隙間風の心配はないようである。しかし念のために施工部分を確認しておく必要は
ある。結果 「今回は、隙間風の心配はないようであり」 安心した。


10月17日 (日) 曇り  共同設計者として同感

この頃の早朝は爽やかな感触があって 「レム睡眠」 を楽しむ余裕が出てきた。

しかし飼い犬による催促で午前5時には家内が起き出し私は寝床の中で粘りに粘って
5時半に起き出した。いつも通り彩の森入間公園におけるラジオ体操が終わって帰路
につくと、このところ東町の建設現場には行ってない家内が自分から久々に建築現場
を見てみたいと云うので立ち寄った。

「出窓の細窓3連はいいわね」
「応接の出窓も広くていいわ」
「玄関前もかなり広いわね」

「風呂場のひし型格子も付いたのね」
「和室出窓の外側は無理に通り抜けると危ないわね」

「たしかに、南側のフェンスのデザインは、慎重に考えたほうがいいわね」 などなど、
私自身も感じていた感想が、次々と飛び出してきて共同設計者としては大いに共感
を覚えた。


10月18日(月) 晴れ  植木類は新規購入で決着

植木の移植の見積が届いた。予想していた金額よりもかなりな高額である。

移植の際の根っ切りの大変さを経験したことがあるので、移植のための根っ切りの
たいへんさを考えると妥当な金額なのかも知れない。

しかし、費用対効果の面から考えると、新規に植木を買ってきて植えた方が経済的
かも知れない。そのような思いもあって近くのガーデニングショップに植木の苗木を
見に行くと小さな苗木でも縄を巻き付けた根っこが大きいことに気付き結論は出た。

「植木類はガーデニングショップで若い植木を買ったほうが良い」
「草花については根が浅いので自分たちでも移植できる」
「楽しいガーデニングは、家内共々に、自分たちで楽しんだ方が良い」
ということになり、迷っていた課題に、上手な答が出た。



014 引っ越し業者の手配

家屋の予定通りの完成を見越して引っ越し準備に取り掛かる必要がある。

10月21日(木) 雨(後)曇り  サイディングの色合いは成功

小雨の庭に薄日が射しはじめて、午前中には雨上がりかと思っていたが、実際に雨が
止んだのは午後3時過ぎであった。今朝は、早目に、彩の森入間公園に出掛けたため
雨には降られずにすんだ。

東町の建築現場では、一昨日から、外壁のサイディング工事が始まっている。

「サイディングの施工が、今の季節で良かったね」 などと二人で会話を交わしながら、
同時に湧き上がってくる興味として・・・

「自分たちで、選択したサイディングが、イメージ通りに仕上がるといいわね」 
と、カラーコーディネート担当の家内が云う。

願望通りの仕上がりが楽しみな瞬間である。

外壁材は、シュトレーゼSXという製品をカタログ見本から選択した。
そして、現物見本を狭山台のデザインセンターで確認・・・

「設計士の宮崎さんが、外に出て、太陽光の下で確認した方が良い」 と、いうことで
私と家内は、デザインセンターの外に出て外壁材の印象を太陽光の下で確認した。

「小片からの想像で全体像をイメージしての判断」 になるが、暖かな感じの材質感
が良いということになり決定した。

現地では 「実際に、サイディングがある程度まで仕上がり、現物確認が出来そうな
時間に合わせて」 再度、東町の建築現場に出掛けてみた。

「あら良い色合いだわね」
「全体的に暖かい感じがするね」 と、二人で納得して、嬉しい気持ちを交わす。

「落ち着いた色合いである」
「かといって、地味な色合いでもない」 と、云う具合に会話が弾み、サイディングの
エレガントな仕上がりに見通しがついた。


10月22日(金) 曇り  引っ越し業者の決定

朝の5時半に雨戸を開けて外を見ると暗がりである。半月前に比べても、日増しに
日の出が遅くなっていることが良く分かる。ウォーキング用のウェアも、だんだんと
厚手のものに換えて行く必要がある。

同時に、クローゼット用のチェストも、夏物から冬物に切り替えて行く必要がある。

引越しは、12月中旬なので夏物は来年の夏に向けて先に梱包することになる。

冬の衣類は、ハンガーなどに掛けておき、引越し直前にダンボール箱などに格納。
優先的に開梱できるように箱を識別しておく必要がある。

当初から、引越し用のダンボール箱には、引越し先の部屋と梱包の内容が分かる
識別票をパソコンで作成しておくので手抜かりはない。

これは、企業戦士として、引越しプロジェクトに参画して・・・

「ジェットエンジンの組立・試運転工場の大移動を手掛けたことがある」 ので、この
分野の支度には手慣れている。

ここにきて、ようやく、引越し業者をN通運に決めた。最初は、地元の引越し業者に
電話したところ・・・

「引越し日が決まりましたら1ヶ月前に電話をして下さい」 と、云われて、
「あっ、この引っ越し業者には、事務処理能力に限界がある」 と、即断して引越し
の依頼を止めた。

N通運では、近距離の引越し料金サービスを行っていることもあり・・・

「娘が残していった鎌倉行きのタンスやベッドの引越し」 も含めて、総額の見積り
を入手したが、見積額が妥当であり、来週には、引っ越し用のダンボールなどを
届けていただけるというのも大助かりである。


10月23日(土) 快晴  万燈祭りと来客

彩の森入間公園の上池の周辺を鳩の群れが舞うように飛び、時には急降下してきて
池面をすれすれに飛んで行く。

池の周辺は、木々が色付き、絵に描いたような風景に変わってきた。

公園内では、入間市 「万燈祭り」 の演奏会場が準備を完了。市内総出のお祭りに
彩の森入間公園も一翼を担う段取りが出来たようである。万燈祭りは年毎に内容が
充実してきており外国人居住者による出店なども定着してきて、入間市お馴染みの
お祭りとなってきた。

また、姉妹都市という関係から佐渡おけさは 「お祭りに興を添えるイベント」 として
佐渡のお酒などと共に不可欠な存在になりつつある。

今日は 「この祭りに、息子の嫁さんのお母さんが鹿児島から上京してきているので
ご招待した」 入間が丘の東町の建築現場のことも良くご存じの様子であり、せっかく
入間市にお邪魔したので 「東町の建築現場も見学したい」 ということで当日は建築
現場に、我が家の車でご案内した。

「矢吹さ~ん」 と声をかけると、建築現場に来ていた職人さんが・・・

「矢吹さんなら二階に居るから玄関口から声を掛けたらいいですよ」 と云われるまま
に玄関口に廻り込んで行くと、既に矢吹さんが玄関口で待っていてくれて私と家内が

「玄関ドアの前の部分も、広々としていますが、玄関に入ったときの感じも、ゆったりと
していて良い仕上がりですね」 と私と家内がまさに初めて見た印象を伝えると・・・

「それぞれの部屋が、標準サイズに比べて広い設計になっていますから造作していて
やりがいがあります」 と、いう嬉しい言葉が返ってきた。

外壁のサイディング工事は最終の仕上げの段階に入ってきており出窓の造作なども、
巧みで、微に入り細に入り、丁寧な出来栄えに納得である。

全体的に外壁の出来上がりは、想像を超えた感じの良い色具合であり・・・

「落ち着きのある色合いと・華やかさを・兼ね備えた・仕上がりになったね」
と、カラーコーディネーターを担当した家内に、感謝の言葉を伝えた。


10月25日(月) 曇り  南側フェンスの設計完了

今日は、午前10時からデザインセンターで、設計士の宮崎さんと外構の打合せが
あるので設計図面などをバッグに詰め込んで午前9時半には狭山台に向けて車を
発進させた(受付の女性に、1番ブースに案内されて宮崎さんを待つ)。

「定刻の5分前ね」 ということで、壁に貼られた建物の風景などを見ながら待って
いると 「お待たせしました」 と、いつもの穏やかな口調で宮崎さんがみえた。

テーブルの向こう側に座り対面スタイルで打合せが始まる。

「お忙しい中をありがとうございます」 と、宮崎さん。
「今日は、南側の目隠しフェンスおよび花壇の確認などで伺いました」 と、私から
の口上を述べて打合せに入る。

概略の案はメールで伝えてあるので、宮崎さんも、既に、アイデアをまとめてある
様子であり、順次、アドバイスをいただくことにする。当方も外構部分については
未確認事項も多く、逐一、確認をしながら意見交換を繰り返して行く。

今日の打合せにおける結論としては・・・

「南側の目隠しフェンスは道路からの高さが1.8mある」
「室内からの目線で云うと、既に、床の高さが90cmの位置にあることから、室内
からの見え方も、念のために確認したほうが良い」

「西側の花壇の位置関係は道路から約20cmの高さになる」
「北側の花壇は道路から約16cmの高さとなる」など要確認事項も明確になった。

また、南側のフェンスについては、事前にメールで送付した図面を基に見積もりを
お願いして打合せを完了した。

午後3時過ぎには、引越し業者のN通運からダンボール箱などが届いていよいよ
大型書架やタンス類の廃棄に向けて 「引越し準備を兼ねた整理と廃棄」を開始
「梱包作業が本格化することになった」

夜になってメールを確認すると・・・ 
「娘の荷物の引越し先について、鎌倉の道路状況やトラックを駐車出来る場所」
などについて問い合わせが入っていた。


10月26日(火) 朝方雨(後)曇り  片付けは重作業

今朝は天気予報通り朝方に小雨が残っていて道路も湿っているため彩の森入間公園
における飼犬とのウォーキングは中止とした。

昼頃には、リサイクル業者が来ることになっている。

子供たちが残していったテレビが4台。使わなくなった小型冷蔵庫が2台。それぞれの
部屋に残したままになっているので、すべて、廃棄処分にする。

そのため、予め、それぞれの部屋から集めて事務処理などをしやすいようにしておこう
と考えて両手で 「よっこらしょ」 と、腰を落として持ち上げる。
(けっこうな重作業である)


10月28日(木) 雨  廃棄する重量物は分解

書斎の庭先が雨に濡れて寒々としているがまだ紅葉は浅く秋を省略して冬に入ったと
いう印象である。家内に頼まれて我が家の二階から、オイルストーブ2台を一階に降ろ
した (かなり重いので慎重に運んだ)

昨年の夏に子供たち二家族と一緒に奥多摩キャンプ場にバーベーキューに出掛けた。

そのときに、それぞれの家族が幼児を連れていたために・・・

私が 「まだ・まだ・若いつもりで重量物の運搬を担当」
帰宅してから、肩の部分に強い痛みを感じたため、接骨院で診断してもらったところ、
「これは肩鎖靭帯の損傷ですね」 と、云われて、全治までに約10ヶ月間を要した。

それ以来は、自己診断で 「これなら持っても大丈夫な重さ」 と、いうものだけを持つ
ようにして気を付けている。

今朝のオイルストーブは、二階からの階段を考えても、大丈夫と判断して運んだ。

大型の書架については市役所に頼んで廃棄処分にする関係で、庭先まで搬出する
必要があり、一人では動かせないので、解体して、家内の手を借りて外に出した。

早朝は、雨が降っていなかったので、彩の森入間公園のウォーキングはいつも通り
に出掛けたこともあって、飼い犬は満足して私の書斎の脇の椅子で熟睡している。


10月30日(土) 台風14号  鎌倉向けの荷物の引っ越しは延期

朝から雨が激しく台風が来るという。東町の建築現場ではサイディングおよび屋根
工事といった外回り部分の工事を完了しているので、台風の影響は心配ない。

それに矢吹さんが常駐的に作業を続けていることも安心できる重要な要因である。

鎌倉への娘の荷物の引越し日程も11月20日の土曜日に決まった。
大型家具類の廃棄処分を優先させたために、鎌倉向けの娘の荷物の引っ越は、
11月中旬の予定から下旬に延期したのであった。


10月31日(日) 雨(後)曇り  整理ダンスの廃棄処分

午後には整理ダンス2個を二階から一階に降ろして、さらに庭に出す作業があるの
で先ずは引き出し類から降ろして、最後に本体部分を階段経由で階下に降ろした。

昔ならば、一人で一気に降ろせるが肩鎖靭帯を損傷してからは無理な重量運びは
避けてきている。庭に出しておきさえすれば、後は、日程は自由に決められるので
先ずはひと安心である。

食卓テーブルも、二階のものを一階に降ろして、一階の6人掛けの大型テーブルを
外に出す考えでいたが一部のネジが欠落しているために東町への引越し前に持ち
越した。

二階のテーブルは、池袋のシティータワーのセカンドハウスから引き上げてきたもの
である。引越し業者が分解用の道具を持参していて、分解したままにしていたもので
あるが東町で再利用することになった。

今回も 「N通運なら、組立・分解ツールを持参して来るだろう」 と、勝手に想定して、
次の引っ越しのときに対応と決めたものだが、道具一つで作業の可否が決まるという
のも面白いことである。




015 一級建築士の古巣への人事異動

入間が丘の東町のJグループによる住宅群の設計がすべて完了して設計士宮崎さん
は古巣の大泉学園オフイスに向けて人事異動となった。

11月2日(火) 晴れ  対面キッチンの出現

昨日は、家内を駅まで迎えに行き帰り道に東町の建築現場に立ち寄るとサイディング
は、既に、完了していて、車の中から建築現場の室内を覗き込むと一階の奥には対面
キッチンが姿を現していた。

駐車してある車には、金物店の名前が記されていたので、矢吹さんが進めている大工
仕事と、並行的に進められている内装工事も、佳境に入って来ているようである。
 
現住居でも、午後には庭に出しておいた 「粗大ゴミ扱いの整理ダンス2個」 を市役所
が回収に来て、いよいよ引越し準備もまっさかりとなってきた。


11月3日(水) 晴れ  ブルーインパルスの曲技飛行

彩の森入間公園の駐車場は航空ファンの車でごったがえしていた。

文化の日は入間航空祭と決まっており、遠隔地からも大勢の人が押しかけるために、
「彩の森入間公園の駐車場も午前5時半に開門した」 という話をラジオ体操愛好家
の仲間が教えてくれた。

久々に入間航空祭に行ってみようかということになり、飼い犬も連れて航空祭の会場
に出掛けてみた。

入場チェックに際して 「かごをお持ちですか?」 と、自衛官がたずねてくるので・・・

意味が良く理解できないまま 「持っておりません」 と、答えて飼犬用の肩に掛けた
カバンを提示した。

「他の入場者への配慮から、かごに犬を入れて、入場する必要がある」 と、いう追加
説明があり、ようやく・理解できた。

結果、飼い犬を、自宅に連れ戻してからの再度入場となった。

「ブルーインパルスの曲技飛行が良く見えるという場所」 に、私と家内は座り込んで、
「午後2時半からの航空ショーの曲技飛行に感動」 己が齢を忘れて歓声をあげた。

そして 「花形の飛行機の心臓部に当たるジェットエンジンは、私が長年勤務していた
企業が設計・製造したものだ」 と、家内に伝えたところ、既に、承知していた。


11月5日(金) 晴れ  建物保存登記の準備

彩の森入間公園からの帰途にカーラジオで 「今朝は、一番の寒さとなりました」 と
報じていた。まだ、私の誕生日の1月下旬の寒さに比べたら、はるかに暖かいという
印象ではあるが、既に、本格的な冬支度が必要になって来ているようである。

そこで、先ずは、引越しを迎えるにあたり・・・

「ポリタンク全数をガソリンスタンドに持って行き、空にしてもらった」
そして、1個だけは、満タンにしてもらって、使い切ったら再補充という作戦で引っ越し
荷物を増やさないことにした。

一方で、引越しの手続きも本格的に始まる気配が近づく中で、Jグループの松本さん
が引っ越しに必要な書類を抱えて説明に来られた。

当面、準備する書類は 「建物表示登記と建物保存登記に関するもの」 で案内書き
の説明によれば 「建物表示登記は土地家屋調査士が登記をするもの」であり建物
においては、土地とは異なり、自然に存在する性質のものではないので何処にどの
ような建物が建っているのかを登記するものである。

一方で 「建物保存登記は司法書士が登記するもの」で、建物表示登記は所有権に
関するものではないため、だれが・所有者であるかを登記するものが建物保存登記
である、と、云う。

「この手続きに添付する書類としては、住民票と印鑑証明が必要である」 など親切・
丁寧に説明されて、営業の松本さんは、足早にお帰りになった。


11月6日(土) 晴れ  設計士宮崎さんの人事異動

今日は、狭山台のデザインセンターで、設計士の宮崎さんと 「外構プラン」について
打合せがあるので、いつも通り、午前9時30分に、私と家内は車で一緒に家を出た。
途中で渋滞もあったが、現地には午前10時に到着して、間に合うことが出来た。

「外構プランの一環で、南側フェンスを幅7m、高さ1.8mで設置した場合の見積りが
出た」 という。結果、予想をはるかに超えた金額であり最上級の製品を選択した結果
ではあるが、費用対効果の面から考えて・・・

「それほどに入れ込む必要のあるフェンスでもない」 ので別の案を考えることにした。
(南側フェンスは、なかなかに、計画の折り合いがつかない案件である)

ことの始まりは 「スケートボードなどに乗った子供たちが車の前後に滑り込んで事故
を起こしても困る、と、いう考えから出発したもの」 だが、やがて、リビングに向けての
目隠し用のフェンスにも考え方が発展して行き、フェンスの高さも増して行った。

本来の狙いからは逸脱した感はあるが・・・

「これを発想の発展とみるか?」
「当初の計画からの逸脱とみるか?」

判断の難しいところではあるが、別次元の発想として・・・

「外から見えない背の高いフェンスは、泥棒が潜伏しやすい」 として防犯のプロが指摘
していることでもあり今日までの計画の経緯を振り返ってみる必要はあるが最終的には、
防犯という視点からも、しっかりと、チェックしておく必要はある。

そこで、帰宅後に、代案として考え出した答えは・・・

「幅7m、高さ1.8mのサイズは、そのまま採用とするが、外からも見えるように横張の
フェンスには隙間を設けて防犯、合わせて、南風が吹き抜ける構造にする」

「そして全体をアルミフェンスの構造体とした場合に大型台風の襲来などによって根元
から圧し折られる可能性もあり、根元部は剛性を持たせた構造に改めることにする」

「その具現化として土台を化粧ブロックで固めることにより強風に対する剛性をもたせる
と同時に総体価格の大幅削減を狙う(目安はコスト半減)」

「結果、化粧ブロックの上にアルミフェンスを載せることになるので高価なアルミフェンス
の面積は半分となり、コストの大幅削減が可能となる」

「前述したように、フェンスは横張としてスリットの入ったものを採用することで塀の外側
からも内部が見えるようになるので、防犯上も目が行き届くことになる」

「同時に、室内から見たアルミフェンスの高さも点検したが、高すぎず・低からず・的確な
高さであると判断した」

これにより最終段階までなかなか決まらなかった南側のフェンスの設計も遂に完結した。
(後に、これはグッドデザイン的な存在となって、大いに役立つことになる)。

それにしても、設計士の宮崎さんとの打合せ終盤で・・・

「今月の11日に、古巣の大泉学園オフイスに帰任すること」 になりましたという話には、
私も家内も少々驚かされた。

しかし「我が家の設計が完結すれば入間が丘の東町の戸建団地は完売となります」とは、
聞いていたので 「ああ、その時が来たのか」 と、私も家内も納得した。

しかし、古巣は 「大泉学園の設計事務所である」 と、お聞きして安心した。

これからも、住居が完成するまでは引き続きご支援いただけるということであり電子メール
のアドレスについても、従来通りということを確認させていただき・・・

「心配・ご無用」 と、家内と二人で顔を見合わせた。

「今回、我が家の建築設計では、良き設計士:宮崎さんに恵まれて感謝しております」 と
私と家内共々、御礼の言葉を申し上げて 「今後の宮崎さんのますますのご活躍」を祈念
させていただいた。

午後には建築現場に出掛けて 「南側のフェンス関連の寸法取りの再確認」 を行った。
宮崎さんの古巣への人事異動の話もあり、現地で、矢吹さんに声をかけたところ・・・

「既に、ご存知であり」 設計部門と建築現場の間での意思疎通は完璧のようである。

「さすが、Jグループ」 と、云えるコミュニケーションの良さである。

矢吹さんから 「仕事に支障のない範囲で二階の仕上がり状態を見て行きますか」 と
いう声が投げかけられて 「喜んで」 と、私と家内は満面の笑顔で、矢吹さんに付いて
行き、早速、二階に登らせていただいた。

「先ず、階段を登る歩幅が、ゆったりとしていて嬉しい」
「階段の手摺の裏側には、指がかかるように細工がしてありきめ細かい配慮を感じた」
「階段を登りきると、ゲストルーム用に設けたクローゼットがいかにも使い易そうである」

「ゲストルームは、南側のガラスドアが一間半あるため、明るくて・広々としていた」
「奥の書斎も、南西の眺望が開けていて、開放感抜群である」
「北側のクローゼットは、三か所に設けた窓からの背面光線が目に優しい」

そして、なによりも 「仕事の丁寧なことが、全体の仕上がりの良さから伝わってくる」

矢吹さんに 「丁寧な仕上がりですね」 と、話しかけると・・・

「厳しい日程でしたが、日々の時間を増やすことで、良い仕事が出来ました」 と匠の
世界の凄い人ならではの手抜きのない仕事ぶりが矢吹さんの笑顔、と、その一言に
よって、私と家内には十分に伝わってきた。


第三章  

016 冬が来てやがてまた春を迎える

俳句の歳時記によれば 「立冬から立春の前日までを冬」 と、している。

立冬は、11月7、8日頃であるから、匠の世界の矢吹さんが立冬が来る前に我が
「T&K:ついの棲家Ⅱ」に建築の目途を付けたということは驚異的な偉業である。


11月7日(日) 曇り  大型食器棚の発注

早朝の彩の森ウォーキングの勢いをそのまま借りて、朝食後、洋服ダンス2個を
庭に出した(近日中に、市役所から、粗大ゴミの回収に来る段取りである)。

昨日、入間が丘の東町の建築現場で見せていただいた二階には・・・

「収容力の確かな大型クローゼット・ルームが設えてあるので、タンス類の引越し
は不要であり」 現住居で使っているタンス7本は廃棄処分とすることになる。

午後には 「新規に購入が必要な物品の手配」 に出掛けた。

「これは、デザイン性が優れているわね」 と、いうことで大型食器棚を発注した。
(しかも、キッチンに、ぴったりと収まるサイズである)

「このパソコン机は、デザインが斬新」 と、いうことで、書斎用の机も購入した。
現在の机は大型すぎて、東町の二階に予定している書斎には収まらないため
買い替える必要があった。


11月8日(月) 晴れ  ダントツの決断力と直感

彩の森入間公園におけるラジオ体操の場所を、管理センターの前庭に変えてから、
朝日の昇る様子が良く見えるようになってきた。東町に引っ越すと彩の森入間公園
までは自転車で約8分の近距離になるので嬉しさも倍増である。

朝食後、久々に、Jグループの入間支店を訪問して、営業の松本さんから・・・

「入居までのスケジュールの流れと、これに合わせた資金調達のタイミングなど」 を
確認 (引越し準備もカウントダウンの前段という雰囲気になってきた)。

「こういう臨戦態勢になってくると、家内の方が、決断力において抜群に優れている」
と思いながら、黒部ダムのバス旅行に出掛けたときのことを思い出した。

「あの時は、トローリーバスに乗り込む際に、家内が右方向を目指すところをボクは、
左方に、それも、強引に家内の手を引っ張って乗り込ませた」

「結果は、乗り込んだバスは、満杯状態であり、吊革を握りしめての立姿となった」
「一方で、右手のバスは、ガラ空き状態であった」

それからというものは、いざというときに、意見が分かれた場合には、それがどん
なに些細なことでも、家内の直感に頼ることにしている。

その選択が、なにごとも、成功につながる。
(今回の入間が丘の東町への引っ越しも、その直観を、大いに当てにしている)


11月9日(火) 晴れ  初冬の脳内シミュレーション

彩の森入間公園も、紅葉が盛りとなり、初冬という風情になってきた。

東町の建築工事の進捗に伴い、関連する用件は、概ね手配を完了したつもりでいるが、
抜けや漏れがないかを点検しておく必要がある。風呂場で髪を洗いながら脳内の点検
シミュレーションのスイッチをオンにした。

この脳内シミュレーションは、便利なことに 「いつでも・録画・再生が、可能であり」
反省機能も装備している。

◇ 玄関に向かって左手にポストが配してあり、我が家の表札は手配済みである。

◇ Jグループが提供する郵便受けは現在のものに比べて小ぶりであるがしばらく
 使ってみることにする。
 (旅行などで、留守にするときのことを、別途考える必要があるかもしれない)。

◇ 建物外観のサイディングは、落着きのある色調で華やかさもあり成功と云える。
 ただし、玄関ドア周辺の石調のサイディングが気になるが、柿渋調の玄関ドアとの
 色合いのバランスは、梱包を解いた後でないと判断は難しい。

◇ 玄関脇のシューズ・イン・クローゼットのドアの開け方は、右手で、開けてドアを
 外側に押しやった場合に、少し遅れて玄関を入ってきた人がドアエッジにおでこを
 ぶつける心配があるため勝手反対に設計変更したが正解であったようである。

◇ 玄関を入って右手のシューズボックスは使い勝手が良さそうであり、台の上には
 生け花や飾り物を置く場所として最適である。

◇ 玄関に立って奥に向かった開放感は、階段下までに余裕があるので、ゆったり感
 は保てた印象がある。

◇ 玄関からキッチン&リビングへの入り口は引き戸にしたが、軽く操作できてガラス
 を嵌めこんだことによる採光も抜群で、ほぼ成功と云える。
 (設計士の宮崎さんが、V字レールを採用した効果でもある)

◇ 引き戸を開けて右に行くと洗面台に突き当たる。スペース的には幅90cmある
 ので広々と使える。洗濯機を置く場所の上の窓も大きくて明るい。

◇ 浴室は、西側からの採光のため、明るくて気持ちの良い入浴が期待できる。

◇ キッチンの食器棚は、高さ2.4mのものを購入したので収納力は大きい。また
 幅は1.8mであり、隣に冷蔵庫を並べても、入浴時に、通路側にバスタオル類を
 置く場所はとれる。

◇ キッチンはリッチグロスシリーズのホワイトゼブラを採用。品の良い色調であり
 購入した食器棚も同系色にしたのでマッチングも良い。

◇ 対面キッチンは、まだ施工がこれからだが、出来上がりが楽しみである。

◇ ダブル出窓は、開放窓と3連の細窓の組合せにして、二か所で、趣向を変えて
 みたが成功と云える。

◇ リビングと和室の間の襖は、3連式にして、約2m幅の開放感を維持できるよう
 にしたが、同時に襖の位置を変えるだけで雰囲気を変えられるのでデザイン的に
 は大成功である。

◇ 和室8畳の天井には、天然材を使ってみたが、これも、デザイン的には良かった
 と考えている。

◇ また、和室の出窓もデザイン的に優れものであり、矢吹さんの匠のセンスが生か
 されている。

◇ 私がこだわった階段下の奥行きのある和室クローゼットも使い勝手が良さそうで
 安心した。
 
 (これに続く、二階のシミュレーションについては、後述することにする)


11月10日(水) 晴れ  匠の世界の大仕事が完了

冬初めという季語があるが、早朝の彩の森入間公園内は、短い靴下では足元が寒い
季節になってきた(朝食後の書斎からは気持の良い晴天がどこまでもひろがっている)
この青空の下で、東町の建築現場では足場が外れ周囲を覆うシートも取り除かれた。

昨日の夕方、用事のついでに、建築現場に寄り道をして気付いたのであるが・・・

気になっていた、渋柿玄関ドア周辺の石調のサイディングと柿渋調の玄関ドアの関係性
から見た色合いのバランスも良く家内共々あらためて「サイディングの出来栄えの良さ」
に、うなずきあった。

その時、ちょうど、矢吹さんが一階和室から出てきたので・・・

「無理な日程のなかをありがとうございました」
「丁寧な仕事の積み重ねは・素人の目にも・良く伝わってきます」
と、二人揃って、感謝の言葉をお伝えすると、

「そういっていただけると嬉しいです」 と、矢吹さんからも満面の笑顔で応えていただき、
お互いに、それぞれの喜びを、共有した。

「矢吹さんの仕事は、最終段階まで、連続操業に近かったことを知りまして驚きました」

「朝の仕事始めの早いことを知ったのは、早朝ウォーキングの帰りでした」
「あの時は、腕時計を見ると、まだ午前7時であり、家内共々、驚いたことがあります」

「夕方も、午後7時くらいまで、仕事をされていましたよね」 と、こちらが、驚きの連続で
あったことをお伝えすると、さらに、驚くべきことが矢吹さんから伝えられた。

「ご近所に気を使いながらでしたが、実は午後7時よりも遅くまで、仕事をしていました」
と云うことである。

二人で言葉を失って 「そうだったのですか」 と、言葉がやっと出てきた。

「一階の和室8畳が、最後の仕上げになりましたが、明日までには、大工仕事はすべて
完了しますので、明日からは、クロス貼りの作業に着工の予定です」 ということで話は
終わった。

あの時 「我々二人の満足感」 と 「矢吹さんの達成感」は、匠の世界における大仕事
が完了したという合流点において、幸せな気持を共有することができ、二人して心から、
「ほんとうにありがとうございます」 と、挨拶を重ねて、幸せな帰途についたことを鮮明
に覚えている。

さて、昨日の脳内シミュレーションによる総点検の続きであるが・・・

◇ 一階から二階へのゆるい階段の傾斜は、家内が熱望したデザインであり希望通り
 の出来上がりには家内共々大満足である。手摺を握ってキメ細かな配慮が伝わって
 きた (指の腹にフィットするひだが刻んである)。

◇ 階段の踊り場も、一畳相当で広めにとってある。これは、階段を遊び場所にする孫
 たちにも、安全設計になっている。群馬に住んでいる妹が階段から滑り落ちて、お尻
 を激しく打ったという話も聞いているので、洗濯物をもって行き来する家内や私には
 嬉しい配慮である。

◇ 階段を登りきった右側が、ゲストルーム用のクローゼットになっており、框組の粋な
 扉は操作が軽やかであり、内部は、幅1間半の収容容積になっているので、現有の
 客用布団は全部格納できる。

◇ 左側の洋室はゲストルームとして、子供たちの家族が遊びに来たときに泊まれる
 ように準備したものであるが、広さとしても、ちょうど良いと感じている。

◇ このゲストルームの南側の出入口はバルコニーを兼ねた洗濯干し場につながる
 構造なので、軽く開閉が出来るように、4分割にした引き戸は成功である。

◇ 東町の住居は設計の基本コンセプトとして、家内が85歳になったときにも快適に
 暮らせるような設計を目指した。この4分割のガラス戸も、コンセプトに沿った設計で
 あり、一階のリビングおよび一階の和室のシャッターを電動にしたのも、同じ考え方
 に沿った設計である。

◇ ゲストルームの東側の細窓2連および西側の細窓も採光が良く成功と云える。

◇ このゲストルーム東側2箇所の細窓ゾーンのカーテンは、シェードタイプにした。

 これは、池袋のセカンドハウスから、引き揚げてきた、大型のカーテン生地を使って、
 シェードタイプ・カーテンに再利用するアイデアを、今回、カーテンをお願いした社長
 が考えてくれたもので良心的なサポート体制から大いなる信頼感が伝わってきた。
 (このカーテン会社は営業の松本さんからの紹介によるものであった)

◇ 洋室南側のバルコニーは、L型の配置にしたが外側のサイディングの仕上がりが
 良く、魅力的な外観となり、生活面からも洗濯物と布団類を二か所に、場所分けして
 干せるので便利である。

◇ 二階の廊下の奥に書斎を配置した。南西の角部屋で明るくて見晴らしの良い部屋
 である。現在、使っているテーブルは、大きすぎて持ち込めないので、新規購入した
 パソコン机を自分でキット組みして交換して行く考えである。

◇ 北側クローゼットは、最も間取りを工夫したエリアで背面光線を活用して、衣類を
 出し入れ出来るようにして、1間半の幅で、横方向に直線的に配列した。

話題は変わるが、引越し日程は幅を持たせて、12月12日の大安に着手して、18日
の大安に完了する予定とした。
(N通運による、引越し用のトラックの手配は、12月15日の友引を予定している)

その前段で、娘が、我が家に残して行った鎌倉への荷物は11月20日に運搬する。

引越し準備の本格的な開始をする前に一階から二階まで書籍を詰めたダンボール
を一気に8箱運んでみた。

結果、膝に痛みを感じたので・・・

「一階の引っ越し荷物は一階に設けた引っ越し荷物集積エリア」に集めるようにして、
「二階のものは二階の集積エリア」に集めるようにして、階段は出来るだけ使わない
ことで引っ越し準備を計画することにした。



017 引っ越しにも適齢期がある

11月12日(金) 晴れ  超重量物の廃棄処分

今朝は、午前6時半に起床。彩の森ウォーキングは中止とした。飼犬にとっては期待
が外れたが、家内が現役のときに通っていた都内の歯科に行くための対応である。

私の朝一番の仕事として息子の使っていた大型タンスを廃棄処分にするために庭先
まで出す作業を予定していたので、出掛け前の家内に手伝ってもらって済ませた。

このタンスは超重量物で通りかかった酒屋の配達の方が 「朝からたいへんですね」
と声をかけて行くほどの重作業であった。

午後にも大事な仕事が二つある。
「1つ目は、外構工事に合わせて行う、植木の移植(引越し)の手配」
「2つ目は、市役所の粗大ゴミ回収への立会いと、代金の支払い」

設計士の宮崎さんから紹介された植木職人は手際が良く・・・

「それでは引越し対象の植木に印をしておきましょう」 と、約10本の植木に手早く
テープを貼りつけている。
(この手際の良さなら、植木の移植をお願いしても安心と思った)


11月14日(日) 曇り  混沌としていた書斎の整理も完了

今朝の彩の森ウォーキングは、普通に歩いていても、汗ばむほどの陽気である。

飼い犬は、枯葉の中の匂い嗅ぎが、至福の喜びのようなので飽きずに付き合うことに
した。その間に、家内は森の外周をウォーキングできるので、お互いに都合が良い。

彩の森入間公園も家の書斎の庭先も、すっかり色付いて曇り空ではあるが昔の映画
「黄昏」 を、想い出す光景である。

外国映画のシーンで、紅葉の中における、夫婦の暮らしぶりをみて・・・

日本人の多くが 「晩年には、かくありたいものである」 と、いう共感を覚えたのは、
はるかに遠い、昭和の時代のことであるが、昨日のことのように覚えている。

また、劇中で、主人公が不仲であった娘との絆を取り戻すシーンでは、
「時間の経過という薬の効き目」 を、あらためて再認識させてくれた。

今日からは混沌としていた書斎内も片付き腰を据えて引越し準備に取り掛かれる。


11月19日(金)  晴れ  玄関ドアは和洋折衷のモダンタイプ

今朝は、午前5時50分の目覚ましを聞きながら、昨日のテニスで張り切りすぎたせ
いか、起き上がる気になれなくて、早朝の彩の森ウォーキングはパスした。

たまには、陽だまりの芝生で遊ばせるのも良いかと考え、午後2時頃に彩の森入間
公園に自転車で出掛けてみた。やはり、大勢の犬連れの方が見えていて、この季節
は昼間の散策も良いものだと感じた。

夕刻には、家内がひばりヶ丘の孫の育児応援から帰ってくるので、これからの散歩の
時間帯を相談してみることにしよう。彩の森入間公園の帰り道に、自転車の前かごに
飼い犬を乗せたまま、東町の建築現場に寄ってみたら・・・

「ハウスクリーニングをしていた」

「リビングのフローリングのシートカバー類も、外されて、綺麗に・雑巾がけされており、
落ち着いた色調で姿を現していた」

「天井にはシャンデリアが取り付けられていて日常生活を過ごす上でも違和感のない
照明器具という印象を受けた」
(後に、LEDによる大型照明器具の登場によって、丸ごと交換した)

玄関に廻ると玄関ドアが開梱されていて、和洋折衷のモダンタイプという造りと色調で、
気になっていた壁材とのバランスも良く、その仕上がり感に満足した。

外灯にも素敵な存在感があった。


11月20日(土)  晴れ  鎌倉に向けて荷物を搬出

我が家の庭先で柚子が実を付け、どうだんつつじが紅葉の盛りになってくると駐車場
の脇にある散水栓に防寒着を被せて冬支度をする必要がある。
(散水栓は北側にあるため厳寒のときに水道が破裂したことがある)

今日は、散水栓の上に、毛布を敷いて、引っ越し荷物を搬出する必要がある。鎌倉に
嫁いだ娘が残していった荷物で・・・

「ベッドや洋服タンス・整理ダンス、そして布団・CD・衣類」 などを入れたダンボールを
一箇所にまとめて、引越し業者が、仕事をしやすいように、家内と一緒に朝から準備を
進めておいた。

引越し業者は、午前9時過ぎには、我が家に到着して・・・

我々は、早速、門扉を外し通路を確保。業者は荷物量の見立てと積み込み順序を決め
るために、早速、二階に上がって段取りを決め、作業に取り掛かった。

洋服ダンスは布地で覆い、これならば傷付く心配もなく輸送中に傷が付いたのではない
かなどといったクレームが来る心配もない。これこそ長年の経験を積み重ねてクレーム
などを貴重な顧客の声として捉えて進化してきた証のように思われた。

引越し業者の方から 「高速道路の朝比奈の出口は今の季節は混んでいませんか?」
と聞かれて、家内が、鎌倉の娘に電話を入れると、若旦那が電話口に出て・・・

「今の時間なら混雑はありませんよ」と回答、業者は、安心して鎌倉に向けて出発した。


11月21日(日) 晴れ  南側の電動シャッター設置

朝から気持ちの良い晴れ間で引越し荷物のダンボール詰めも手際良く進められそうだ。
昨日は、鎌倉に嫁いだ娘の荷物が片付き二階の東南の角部屋が空いた。

まだ、リフォームしたばかりであり、綺麗な部屋である。この部屋にダンボール詰めした
荷物を集積させて、順次、各部屋を片付けて行く段取りである。

入間が丘の東町の建築現場は、工事日程通りに、外構工事が始まった。

先ずは、北側に配置するところのエコキュートの台座としてのプラットフォーム造りから
着手して行き、エコキュートの貯蔵タンクやヒートポンプの安定を優先するようである。
(後に、この台座のおかげで、2011年3月11日の大地震の大揺れに対応)

南側の2箇所の出入り口は内装作業が進んでいる段階では開放されていたが・・・

電動シャッター設置に伴い締め切られた状態に変わった。内装は大方が完了した様子
である。Kホームズで調達した 「表札」 は、12月6日の内覧日に現地で現場監督に
手渡すことになった。

ここまで来ると入居までのカウントダウンも間もなく開始である。

彩の森ウォーキングも、早朝から昼型に変えたので、朝方は、ゆったりの生活スタイル
となった。スポーツ記事によれば 「冬季は昼型の運動のほうが身体には良い」と云う。


11月22日(月) 曇り時々雨  都内で家具類の調達

雨がまだ降ってこないうちに、家内を、武蔵藤沢駅まで送って、そのまま Jグループの
入間支店まで車を走らせた。

登記上の住所の確認と現住居を購入して下さるお客様への引渡しのための必要書類
および当日の事務手続きの時間割の確認および引渡しに際しての午前中の飯能地域
における銀行手続きから、その後の入間における手続きなど全体的に効率良く進める
必要があるため、事前に、詳細な打合せを行った。

その後は、家内を駅まで迎えに行き 「どうだった」 と、たずねると・・・

「都内の家具店には午前10時頃には到着して、テレビ台として寸法のちょうど良いもの
が見つかり、ついでに、ベージュ色のソファ類もお気に入りのものが、見つかりました」
と、嬉しそうな、お土産話が返ってきた。


11月25日(木) 晴れ  南側アルミフェンスの発注

このところ設計図の確定までに、長い期間がかかっていた南側フェンスの仕様が確定
したので発注した。これにより、Jグループの外構工事の一環として施工が出来ること
になり、引越し前には、完成出来る見通しがついた。


11月26日(金)  晴れ  外構工事の開始

家内が、午前中に健康診断の結果を聞きに、病院に行くということで、病院まで家内を
送った帰りに、入間が丘の東町の建築現場に寄り道すると・・・

外構工事の職人さんが手押し車で建材を運んでいた。昨日は 「つる薔薇のアーチ」の
取り付け位置の確認のために現地に出掛けたが、エコキュートの機器を据えるための
台座のコンクリート養生中で現場には誰もいなかった。

現場では、エコキュート機器が玄関の脇に待機していた。機器は真新しいスノコを下に
敷いて新品の商品が汚れないように工夫していた。

北側から西側にかけての建屋外周の化粧ブロックは、二段積みで綺麗に仕上げられて
いた。この高さは、道路から台所の勝手口に上がる場合にも、丁度良い高さと感じた。

勝手口の正面に、つる薔薇のアーチをかければ、飾りと目かくしを兼ねたものになるの
で、地面に敷石でも置けば、全体の構図としてもまとまりが良いものになる。


11月27日(土)  晴れ  蔵書の廃棄まだ60%未満

入間が丘の東町への引越しのカウントダウンは12月1日に開始する考えである。
(12月10日が新居の引渡予定日なのでちょうど数えやすい)

そのように考えると、11月も残り日数3日間となってきており、引越し準備も気合
を入れて取り組む時期になってきた。
(そんな訳で、今日は、書庫の整理と荷造りから始めた)

現在は、書斎と書庫を別の部屋にしているが、東町では書斎と書庫が合体する。
既に、書籍の60%近くは廃棄したが、実際に書斎に持ち込む書籍の量はさらに
減らす必要がある。


11月28日(日)  晴れ  郵便受けのポール設置

久々に彩の森入間公園に飼い犬を連れて行き、大好きな落葉踏みが出来る場所を
選んで歩かせた。

この頃は、匂い嗅ぎ専門でなかなか歩こうとしない。特に、気に入った匂いには身体
を仰向けにして、自分の背中をずりずりと擦り付けているが・・・

「なにを意味しての行動?」 と、そんなことを考えながら、
「今日は、東町の引っ越し先までの徒歩の時間を測ってみようか」 と、思いつき、

彩の森入間公園からの歩行時間を測ることにする。行動開始とばかりに歩くこと7分
で中間位置の富士見公園に到着、さらに、約7分間で東町の建設現場に到着した。

彩の森入間公園から東町の 「T&K:ついの棲家Ⅱ」までは約15分間とみておけば
十分な様である。

入間が丘の東町の建設現場では玄関アプローチのエリアに郵便受けポールが建てら
れて、階段のステップには、色取りの良い飾り石とレンガが貼り付けられていた。


11月29日 (月)  晴れ  エコキュート機器の設置完了

書庫の天袋の中に預かっていた子供たちのカバン類などを紐で括ってまとめて月曜日
扱いのゴミ類として出した。粗大ゴミの処分は早めに済ませたが、小さな不用品などは、
収納エリアを整理する度に、次々と、出てくる。

いよいよ、引越し準備も、ローリング作戦の段階に入り端からチェックして行く。

☑ これは持って行く
☑ これは置いて行けるもの
☑ これは捨てて行くもの

この3択で、決めて行くのだが、中には迷うものもある。

一方で、東町の建築現場は最終の仕上げ段階に入っており、北側の外構工事の進捗に
伴ってエコキュート関連の機器が台座の上に据え付けられて稼動待状態である。

玄関口には、装飾用の石材が届けられ・・・

現在、進行中の南側フェンスの基盤となる化粧ブロックが、芯に、縦筋を通して施工完了
すれば、玄関口および南側の駐車エリアに、コンクリートが一気に流し込まれ、それぞれ
に化粧用石材の貼り付けが終われば、後は、コンクリ養生の段取りになると思われる。


11月30日(火)  晴れ  南側フェンスの工事進行

冬晴れの気持ちの良い朝である。

明日からは、早や師走となりだんだんと気忙しくなって来る。東町の建築現場は、南側の
フェンス工事が、既に土台となる化粧ブロックの積み上げから始まっており最終段階まで
紆余曲折はあったものの、最終的に決心したイメージ通りに工事が進んでいる。

目かくしを兼ねた事故防止用のフェンスとしては、良い仕上がりが期待できそうである。

建築現場では工事監督の中村さんに久々にお会いした。ここに到るまでの感謝の気持ち
を伝えることが出来る場が持てて良かった。

同時に植木の移植を手配して下さった簗瀬さんにも、お会いすることができ親交を深める
ことが出来た。



018 いよいよ待ったなしの師走を迎えた

12月1日(水)  晴れ  駐車スペースの工事着工

鎌倉ファミリーの処に、二泊三日で出掛ける家内を駅まで送り、その後は気分転換を
兼ねて散髪に出掛けた。気分もスッキリしたところで飼い犬を連れて彩の森入間公園
を散策した。

帰路に入間が丘の東町の建築現場に寄って職人さんに挨拶。既に玄関アプローチの
飾り石の敷き詰め作業が始まっていた。

働き者の職人さんの手順を拝見していて、センスの良さが伝わってくる。

最初に、大きな飾り石を配置して、その後で、隙間に飾り石を砕いて、パズルのように
貼り込んで行く。

南側のフェンスは化粧ブロックが、既に5段積みされており上部には横張りフェンス用
の支柱が建てられて、後は、コンクリートでがっちりと固める段階まで来ている。

駐車スペースは、下層に相当する部分に砂利まきが施されており、次の工程を待って
いる段階である。明日からは工事監督の中村さんが研修に出掛けるため一階と二階
の窓部を開放して、部屋の空気の入れ替えを実施すると云う。

内覧会は12月6日大安に設定されていて、お互い日程的に都合の良い日であった。


12月2日(木)  晴れ(後)夜は雨  南側フェンスは塗装が不要

今週から、テニススクールの練習は休みにして引越し準備を最優先とすることにした。

先ずは、下駄箱の裏のめったに空けない押入れなどを調べておかないと引越し前に
粗大ゴミなどが出てきてもいやだなと考えて 「開けてビックリ」 である。

「古いテレビ・古いミシン・旧型のテニスラケットなどがぞろぞろと出てきた」

☑ テレビは、Y電機に持っていって廃棄処分をしてもらった。もちろん有料である。
☑ テニスラケットについては、テニスショップに廃棄処分をお願いした。
☑ ミシンは、粗大ゴミ扱いで、市役所に廃棄処分してもらうことにした。

やはり、早目に、下駄箱の裏の押入れを開けて正解であった。

一方、東町の建築現場では、南側フェンスの横板が姿を現しアルミ材なのに木材
の味わいそのものなので驚いた。
(メンテナンスのためのペンキ塗りが省けることがなによりも嬉しい)


12月3日(金) 雨(後)晴れ  事前にインターネットで転居届

市役所の総合クリーンセンターから、粗大ゴミを取りに来てくれる方々が仕事がしや
すいようにと考えて、駐車場の車を他所に移動するだけのことであったが着ていた
衣類がすっかり濡れてしまうほどの強い雨脚であった。

それでも、ゴミ収集車が到着したときには、すっかり雨が止んでいて助かった。

引越し準備に伴う粗大ゴミの発見も 「これにて、終わりか」 と、思っていると、
また、出て来るので、現住居の引渡し日の12月20日までは、粗大ゴミの処分
が続くものと覚悟を決めた。

庭で、粗大ゴミを出した後の片付けをしていると、顔馴染みの郵便屋さんが見えた
ので近日中に引越しする旨を伝えると・・・

「転居届は本社で受け付けてから事務手続きが始まるので出来れば早目に出して
おいたほうが良いですよ」 と、貴重な助言をいただいたのでインターネットで登録
を済ませた。

午後3時頃に、家内が鎌倉の娘の処から戻るというので、駅まで迎えに行き、その
帰り道に入間が丘の東町の建築現場に立ち寄った。
(南側のフェンスは既に完成していて、その出来栄えに、私も家内も大満足した)


12月4日(土)  晴れ  粗大ゴミを総合クリーンセンターに持ち込み処分

今朝は、暖かな陽気で、庭の片付けも苦にならない。

私と家内と二人で庭の粗大ゴミを車に積み込んで市役所の総合クリーンセンターに
出掛けてみた。

今までは、自分の車には積み込めない長尺物の類を粗大ゴミとして出してきたため、
市役所には運搬も含めて廃棄処分を依頼してきたが、今後は粗大ゴミとはいえども
自分の車で運べる大きさのものばかりになってきたので総合クリーンセンターに直行
して廃棄処分を体験することにした

先ずは、第1ゲートで担当スタッフから・・・

「家庭ゴミですか?」
「産業廃棄物ですか?」 と、聞かれて、
「家庭ゴミです」 と、答えると

「2番ゲートに、向かってください」 と、云われて自分の車を進めて行くと、やがて順番
が来て、車から降り廃棄物を手渡しすると、その場で端末入力が行われて即座に料金
票が発行された。

「さすがに素早い荷捌き」

第3ゲートが料金支払いの窓口になっていて、現金の支払いが済めば、すべての工程
が完了するという手順になっており、実に、俊敏な対応である。

これからの 「粗大ゴミの廃棄処分の手順が大まかに呑み込めた」 ので、今後の粗大
ゴミの処分には、簡便な手続きで、容易に対応できると感じた。


12月5日(日)  晴れ  駐車場のコンクリ養生

本日から、引越しの準備が途中の段階の部屋から優先させて片付けて行こうと考えて、
朝から片付け作業を始めた。先ずは、書庫に狙いを定めて、書籍類のダンボール詰め
から注力して行った。

家内は、作業ペースが手早いので、台所や衣類の整理・そして・庭の片付けなど早々と
済ませて、フィットネスクラブに出掛けた。

私は、なにごとも、急いでものごとを進めるのは、自分の性格から云って好まないので、
しばらくは、テニスを休んで、引越し準備に集中することにしている。
 
どちらかというと緊張するタイプの私なので、期末試験や旅行の前などにはいつも好き
なことも・止めて・取り組む癖がある。これも性分なので、気持ちが急いているなかでは、
楽しめないという気の小さいところが、大いに、影響しているのだと自覚している。

歌手のコブクロが背の高い人と標準の背丈の人でコラボしてグッドハーモニーを奏でて
いるように・・・

「我が家でも、肝っ玉の大きな家内と気の小さいボクとで、味わいのあるハーモニーが
入間が丘の東町でも、継続して、楽しく奏でられれば」 と、考えている。

その入間が丘の東町の建設現場では、駐車エリアなどのコンクリートの養生が進めら
れており、家の周囲が広々としてきた印象である。

明日は、東町の建屋の内覧が、午前10時から予定されている。


12月6日(月)  晴れ(大安)  新築住居の内覧

入間が丘の東町の新築住居について、その内覧は、午前10時から開始された。

月曜日と云えば、かつて、狭山市のデザインセンターで、間取図などを設定する
打合せが、毎週、月曜日の午前10時からであったので・・・

時間的に、設計士の宮崎さんとのデザイン・ミーティング(設計会議)を思い出し
ながらの内覧となった。

内覧では、工事担当(主任)の中村さんが説明役で 「引渡しの事前案内書類」
に沿って手際良く説明が行われた。

「玄関の鍵は、お客様が使用開始することで、工事関係者の鍵は、無効になる
仕組みになっています」

「電気関連の使用開始に当たっては、東京電力の志木支社に電話して下さい」

「同じく、水道関連の使用開始は、入間市水道部に連絡して下さい」

「住居の引き渡し後のアフターサービスはJグループ品質保証課が担当します」
などなどの説明から始まって、機器類の操作を手際よくご説明いただいた。

機器操作などの説明を伺っていて・・・

「時代に応じた、住宅用機器類の進化の状況が、身近な感覚で伝わってきた」
同時に 「住み心地の良い住環境で暮らせること」 に、大いに感謝である。

エコキュート機器の関連は、K社の担当の方から説明があり・・・

「彼らこそが、エコキュート開発のパイオニアである」 ことを初めて知った。
担当からの説明にも、大いに工夫があり、聞いていて分かりやすかった。


12月7日(火) 晴れ(後)曇り  フロアスタンドの配達

朝日が眩しいほどの好天気に恵まれたが夕刻には雨が降り出す天気予報である。
今日は、午後2時過ぎに東町で使用する予定のフロアスタンドが配達されるという
ので彩の森入間公園の散策はその後に飼い犬を連れて出掛けようと考えている。

なにしろ彩の森入間公園に行かなかった日は夜の寛ぎタイムでテレビを観ている
ときに飼い犬が彩の森入間公園に行かなかったことを思い出して吠えてくるので、
天気さえ良ければ 「公園に行かない訳に行かない」 ほどに・・・

「彩の森入間公園における散策は、散歩の域を超えて、今や、飼い犬の脳内には、
当然の日課として、しっかりと定着している」 ようである。


12月8日(水)  朝方雨(後)晴れ  薔薇のアーチの購入

朝方は、雨が残ったが、連続ドラマが始まる頃には晴れ間が出てきた。

今日も気合を入れて 「引越しの準備をするぞ」 と、自分自身に暗示をかけて作業
を開始した。約7割は片付いたかという感じなので、今日からはローラー作戦を兼ね
て、荷物ごとに、行く先の部屋の表示を予定している。

そのときに、更に考え直して、捨てるものはないかと現物を前にしてふるいにかける。
「必要と判断したもの」 は、部屋ごとの配置図をイメージして並べ方を絵にしておく。

この過程を入れておくと、引越し業者の方と 「上手く協調作業が出来る」 ため配置
のやり直しなどが減らせる。年齢的にも、夫婦二人による再配置は無理なので、この
過程は不可欠である。

引っ越し準備の途中で、Kホームズに出掛けて 「クーラーの室外機の木製カバー」
および 「つる薔薇のアーチを購入しよう」 ということになり、これも引越しの段取り
の一環なのでフットワーク良く出掛けた。


12月9日(木) 晴れ  アジアンルームの整理

今朝は、食事を済ませた段階で、我々が 「アジアンルーム」 と呼んでいる部屋に
陣取って引越し荷物の集積を開始した。このアジアンルームという呼称は、二人で
名付けたもので、西側に 「陽だまりの部屋を造ろう」 と、いうことになり、押入れを
壊して、リフォームをした部屋である。

天井や壁のクロス材を選ぶ際にアジアン調を意識してデザインしたことから名付け
たもので、二人にとっては、元気の出るお気に入りのパワースポットである。

次いで、南西に位置する部屋に移って、家内がダンボール詰めした荷物に、行先を
マジックで明記して積み上げて行く。

次には、天袋の高いところにある荷物を整理してダンボール箱に詰め込み、行先を
表示して作業を一段落させた。

その間に、家内は、二階のトイレを磨き上げて、次の居住者にも、気持ち良く使って
いただけるように、トイレの神様にも感謝の気持ちを込めて拭き掃除を完了した。

家内は休む間もなく、次いで、洗面台の掃除に取り掛かった。
(相変わらずやることが速い)


12月10日(金)  晴れ  飯能市と入間市にて住居売買の事務処理

朝は寒さが厳しく防寒支度で外出したが、飯能市の銀行で現住居の売却手続きを
完了した頃には外に出ると暖かな陽気で助かった。

同じ入間市内で、ご両親と同居されていた若手のSさんに、我が家を購入していた
だき、今年の5月に契約して、以来、長らくお待ちいただき感謝・多謝である。

Sさんは、コンピュータが趣味でサーバーなども保有しており入居までには、床材の
補強が必要であると聞いているが、入居は、来年の予定であり詳細なスケジュール
は、まだ決まっていないという。

当面は 「荷物を置くための倉庫代わり的な存在」 と、お聞きしており居住区として
使用する必要性が明確になるまでは、リフォームなども急がない様子である。

飯能市の銀行において、売却手続きが完了したのは、午前10時であったが、Sさん
は、引き続き火災保険について35年間契約があるとのことで、保険業者と共に部屋
に残り、契約手続きの詰めに入っていた。

私と家内は、Jグループ 営業担当の松本さんと・3人で、次の段取りとして入間市の
銀行において、入間が丘の東町に完成した住居の引渡し手続きがあるので陽だまり
感が頬に伝わってくる様な・暖かな陽気の中を、入間市に向かって車を走らせた。

飯能市の該当の銀行は駐車場が狭いと聞いていたので、Jグループ営業の松本さん
が運転するクラウンに三人で同乗して出掛けたのだが入間市の銀行支店は、駐車場
が広いので、二人で自分たちの車に乗り換えて、銀行支店に向かった。

入間市の銀行支店では、登記準備等の手続きも、スムーズに完了した。

それにしても我が家を購入して下さった、Sさん宅には感謝・多謝である。不動産売買
については、ほんとうにチャンスの神様の前髪をしっかりと捕まえることがたいせつで
あり、そこに躊躇があってはならない。

私自身の身近な経験からも、このことには、多くのエピソードを有している・・・

☑ 先ずは、胃が痛くなるほどの経験談から紹介することにする。

あれは、私が、定年になって退職した直後のこと。ある日、読売新聞の朝刊に大きな
高層マンションの売り出し広告が載った。場所は池袋のサンシャイン近郊で春日通り
に面した一等地の物件であった。

私のビジネスコンサルタントとしての顧客とも四年間契約がまとまり、定年後も活躍
出来る舞台も定まり、家内も都心勤務でやや遠距離通勤ではあったが業務の進捗
は順調であった。

その様な状況にあって、朝食後の二人の結論は 「兎に角、物件を見て観るか?」
ということになり、その日が休日ということも手伝って、池袋まで出掛けてみることに
なって、気軽に出掛けた。

当時の感覚としては、私にとってのコンサルタント業のお客様への道筋を考えた時
に池袋は我が家の玄関先のような印象であり、家内にとっても、勤め先のオフイス
に向けての格好の中間的な停泊地点であった。

その様な気分的な伏線もあって、現地の高層マンションのモデルルームに惹かれ、
「購入する気持ちで出掛けた訳ではなかった」 が・・・

購入するとしたら 「どの規模の」 「どの価格帯の」 「どの部屋を」 選択するかに、
二人の志向が動き出して 「何号室を」 購入対象として下見するかにまで、思考が
発展して、現地の営業マンとの交渉がスタートした。

結果、購入する部屋は 「私がコンサルタント・オフイスとしても活用でき」 「家内も
同様にマイ・オフィイスとして活用できる」 ワンルーム仕様に絞り込み衝動買い的
ではあるが 「仮契約」 を結んだ。

そして、営業マンがお薦めの 「高層マンションの最上階のゲストルームの夜景」を
楽しんでから帰宅した。
(事前に申し込めばオーナーならいつでも楽しめるという夜景には大満足であった)

かくて、埼玉県入間市の自宅の玄関口的な存在が、池袋サンシャイン近郊に出現
することになった。

しかし、その後、私のビジネス・コンサルタント先の顧客のご厚意で、本契約期間の
四年間に渡り(結果的には六年間)専用オフイスが用意されて、正規社員ではない
ものの講演を主体とした契約に対して、現地取材などのための場が用意された。

私としては、セカンドハウスを兼ねた都心オフイスとは云え、家内がオーナーであり、
投資額的にみても、私自身サブの経営パートナーという自覚はあったので経営的に
様子を観ながら、ある程度のノウハウが取得できたら、次は、自分自身がオーナー
的な存在として小規模的なマンション経営を手がけても良いかな、と、考えていたの
で手伝い気分というのが正直な感想であった。

それでも、ある期間(3~5年間)を過ぎたら、賃貸物件としてマンション市場に供して
行く必要性は感じていたので、周辺の不動産業に、物件としての価値として、賃貸の
市場価格や顧客関係のマーケティングなどは、サブパートナーの立場から、徐々に
ではあるが当っていた。

一方で、我が家のファミリーとしての活用状況は、池袋の三越における年始の福袋を
目当てにして、正月にセカンドハウスに泊まり込むなどの活用はあったが、宿泊での
利用頻度は少なかった。

強いて云えば、丁度、池袋にマンションを入手した時期に息子が結婚することになり、
私と家内と息子の三人で九州の鹿児島まで結納に出掛けたご縁で九州のご両親が
上京された際には、セカンドハウスのマンションにお泊りいただき、花嫁が結婚式の
打ち合わせで上京されたときにも、池袋のマンションにお泊りいただいた。

そのような過程で、息子たちと一緒の、池袋のマンションにおける懇談のあとで・・・

鹿児島の結納の際には伊勢海老やヒラメなどのご馳走ずくしでお世話になったこと
から、お礼に、池袋の焼肉屋に、ご案内した。

その焼肉屋での懇談の時に、池袋のマンションがすっかり気に入った様子であった
ので、家内から 「将来的にはマンションの活用」 を託すというニュアンスで、二人
に向けてアナウンスした。

私も、傍で、聞いていて、将来的に、小規模ながらマンション賃貸のオーナーとして、
経営が軌道に乗ったらオーナーとしての小さな夢を託すことも良いかなと考えた。

ところが、事態は一変、息子からのひと言は・・・

「マンションをもらっても、処分に困るので、現金で欲しい」という感想であった。

私としては、マンション経営も、まだこれから試行錯誤の段階であり、家内から息子
に譲る時期も、中長期的に遥か先の話と思っていたので、当惑した。

私の勝手な願望としては、やがて、小規模ながらマンション賃貸の経営に見通しが
着いてきたころには、オーナーとしての権利は、そのまま保有出来るので、たまに
は最上階のゲストルームを借りて、俳友との 「句会」を挙行したいと考えていた。

しかし、その後のマンションオーナである家内と息子との話し合いで・・・

「池袋のセカンドハウスは売却、息子に一部資金を生前贈与することに決まった」

私としては、サブパートナーであり、黒部ダムへの旅以来、私と家内の間で意見が
異なったときには 「家内の直観」 を尊重すとことに徹して来たので、マンションの
売却に向けて動き出すことになった。

しかし、その先に、とんでもない 「落とし穴」 があることは予想もしていなかった。




019 生き馬の目を抜く大江戸での商談を体験

池袋サンシャイン近郊のタワーマンションの場合は、利便性も良くセキュリティーも
確かなため、物件についての値下がりのリスクも少なく賃貸経営についても、近郊
の文京区には私立大学なども多いことから賃貸物件を扱う大手も多く存在する。

中長期的に、マンションの賃貸経営について、初歩から、学ばせていただいていた
大手の賃貸業者に、タワーマンションの物件売却に関して窮地を救われることなど
は想像もしていなかった。

某不動産業者からの売却のお手伝いのチラシを頼りに、タワーマンションの売却を
依頼してから、約10か月間を超えても、売却の見通しがつかず、胃痛まで味わった
私は、某不動産業者のオフイスに電撃訪問を試みた。

その場での対応と、それまでの経過を振り返ってみて、大いなる疑義を抱くに到った
が、先方は、あくまでも、正当な商法に法って不動産業を営んでいますという主張に
徹しているので、最近、お世話になっている賃貸大手の担当者に相談してみた。

結果 「明らかに商法として不当性が予見されるので、実際的な被害に遭う前に売買
契約を打ち切ったほうが良い」 と、云うアドバイスをいただいた。

ついては、売買契約の解除を申し入れした場合に、売買物件が東京都内であっても
売り主の地元まで押しかけて、売買契約の続行を促すケースも、業者によってはあり
得るので、地元の警察にも、事情を説明しておいた方が良いと助言をいただいた。

その後、売買契約の業者から 「某不動産業者から購入についての意志表示があり、
ついては当社の会議室で仮契約したいので、権利証を持参して欲しい」 という連絡
があり、被害に遭う可能性が、目に見える形で具象化されてきた。

当方としては、予定通り 「売買契約を解消したい」旨、申し入れると、非常に良い話
なので、当方の地元の最寄り駅まで出向きたいと熱心に勧めてきたので・・・

こちらとしても、約10か月間の交渉経過や、権利証の持参の件などを地元の警察に
相談したところ 「早急に売買契約を解除したほうが良い」 必要があれば支援します
と云われていることを電話口で伝えると、上司の方が電話口に替わって出た。

「当方は、商法に法って正当な商売をしていますので、そこのところは承知しておいて
下さい」 と、念押しされたものの、一応、売買契約は解消となった。

しかし、その後も営業担当からは執拗なメールが届き、メールアドレスを変更すること
によって、某不動産業者との売買契約は強制終了させた。

その後、約10か月間の売買契約の過程を振り返り・・・

当初、即、売買契約の話となって、買い手が現れたものの銀行ローンの認可が下りず
契約が成立しなかったがこれは心理学のテキストにも紹介されている 「ローボール」
と云う、最初に、取りやすいボールを投げて気を良くさせる 「詐欺の常套手段」という
印象が強く残った。

また約10か月の間は定期的に月に2名程度の購入の下見があったが後半において
私も一役買って物件の魅力をアッピールしたが  「下見を模したタレントか?」と云う
感触もあって違和感を感じていたが、その狙いとするところは、分からなかった。

ただ、某不動産業者のオフイスを電撃訪問した際に・・・

営業担当から 「それでは、次のステップに進めますか?」 と、云われて、
私は 「売り手の意志で、次のステップに進めることなど、出来るのだろうか?」
と疑念を持つに到った。

その様な矢先で 「仮契約のために、権利証を預かりたい」旨の話が供されて、更なる
疑念を抱き、賃貸契約のための初歩的な相談に乗っていただいていた不動産業者の
担当から・・・

「権利証を、事前に、不動産業者が預かることなどというケースは、あり得ない」 こと
として、詐欺行為の疑念は決定的になった。

しかしながら、今、振り返ってみても 「危機を脱したと思われる振り返りの過程」 でも
真相は闇の中である。

まさに 「生き馬の目を抜く大江戸での商談」 を通じてのエピソードである。
(約10か月の間、タワーマンション浴室に、香水の残り香があったのもミステリー)




020 不動産売買の醍醐味

池袋サンシャイン近郊のタワーマンションの売却について、手痛い失敗を経験したが、
私自身は、自宅の売却経験を通じて、不動産の売却には自信を持っていた。

現住居の入間市久保稲荷四丁目の一戸建て購入に際しては、当然のこととしてそれ
までの棲家であるマンションを売却する必要があり、無事に売却することで現住居に
引っ越して来た。

家族からの希望でマンション暮らしから一戸建てに住み替える決心をしたキッカケは、
意外な経緯からのことであったことを、今でも、鮮明に記憶している。
(それは、それほどには、強い決心ではなかった)

小学校に通っている娘が学校の宿題で・・・

「自分の住んでいる家を絵に描いてきて下さい」 と云われて、悩みに悩んでいることを
私は知らなかった。

彼女は、子供ながらに自分で考え抜くところがあって、次の様なことがあった。

一つ目は、学校の先生からの宿題で、次の様なことがあった。

「皆さん縄跳を50回以上、続けられるよう」 に、家で練習して来て下さいと云われて、
「記録用紙と鉛筆を用意して、縄跳を開始、次々と縄の長さを変えて行き、それぞれの
長さの時の跳べた回数を記録、もっとも跳べた長さを選んで記録を伸ばして行った」

二つ目の、次の様な想い出も、鮮明に脳裏に浮かぶ。

「夏休み中の前半の登校に際して、登校日の直前に、各教科の宿題テキストについて、
何頁まで、済ませてくるようにと、連絡があった」

「実は、彼女には夏休みの中ほどに、お楽しみの九州の鹿児島への旅行が計画されて
いて、予めほとんどの宿題テキストを済ませていた」

「そこで、彼女のかたくなな 『結論』 は、登校日の前日に、学校の先生から何頁までと
指定された以降の解答をすべて消しゴムで消すことであった」

そばで見ていた私は 「消すこともないのに」 と思ったが学校の先生の意図までは測り
難いことなので、唖然として、気の毒に思うばかりであった。

その様な、思考をする彼女にあって・・・

「自分の住んでいる家を絵に描いてきて下さい」 という宿題にあたってマンション暮らし
であった彼女にしてみれば、マンションの建屋全体を絵にすれば、自分達の住んでいる
家ではなく、他の皆の家も絵には一緒に含まれることになる。

かといって、自分の家として、マンションの自宅の窓やベランダだけを絵にしても、先生が
いうところ絵に当てはまるのか・否か・ハッキリとは答えが得られない。

当然、彼女にしてみれば 「屋根があって」 「窓があって」 「庭には花が咲いていて」 と
いうのが、学校の教室で 「例示されたところ」 の・普通に絵にすることが出来るイメージ
であった。

我が家で、そのような 「自分の住んでいる家を絵にする」 と、いう娘にとっての難題に
ついて解決策を見いだせないまま日々を過ごす中で休日のテニス練習に出掛けた時に、
テニス仲間からの情報で・・・

入間市では、茶畑を開墾して、現在、大規模な一戸建て団地を造成しており、分譲地は
Ⅰ期とⅡ期に分けて・売り出し・既にⅠ期分は公募を完了、Ⅱ期目についても、間もなく
販売予定であると云う。

その話を提供してくれた友人は 「Ⅰ期分に応募して抽選の結果待ち」 だという。

後日、その友人からⅠ期目の抽選に当たり、時々、建設現場を見に出掛けているという
話題が寄せられていた。

その当時は、まだ快適なマンション暮らしに満足していて、娘が、自分の住んでいる家を
絵にするという課題について、結局、明快な答えは示せないまま、日々を過ごしていた。

その話題も過去のこととなり、すっかり忘れていた頃に、テニス仲間から・・・

入間市の茶畑を開墾した一戸建て団地のⅡ期の公募が始まった旨の話題が提供され、
彼らはⅠ期目の住居に住み始めて 「なかなか快適なので、一度、見学に来ないか?」
とお誘いいただき、お言葉に甘えて、お邪魔してみた。

ここから先の展開は、本稿においても、前述した通りであるが・・・

テニス仲間の新居における 「快適な暮らしぶり」を目の当たりにした、私は、早速、Ⅱ期
の分譲に応募、落選したものの、当選者が、資金繰りの面から辞退した別の物件がある
ので 「購入を検討してみないか?」 と、云う問い合わせがあり家族間で話し合った。

公募案内のパンフレットから、該当の住居の外観を絵にしたものを目にしたが、外観的な
印象が気に入らなかったので、いったんは、お断りした。

しかし、その後、一戸建て分譲の営業案内の方から・・・

該当の住居については、家の増改築を前提とした設計になっており、将来、自在に形状を
変えることも出来ると云う話を聞いて、家族間で、購入に向けて気持ちが動いた。
(住宅内部の使い勝手のよさそうな間取りなどには大いに興味があった)

かくて 「喜んで」 という購入状況ではなかったが、購入に向けて、手続きを進めた。

次の具体的な課題は 「資金計画」の具現化であったが、現在、我々が棲んでいる
マンションの売却による 「現金化」が主体となって来るので、ここに最大限の注力を
して行く必要があった。

この具現化のために、先ずは、日頃、看板を目にしていた小手指の大通りの不動産
業者を訪ねて、販売契約を結び、ついでに販売のための指南をお願いした。

若い担当スタッフから親切な販売指南をいただき 「それでは、お互いに競争しましょう」
と背中を押されて、私は「マーケッティング・リサーチの技法」を熟読、身近なところから、
マンション販売に向けて、日々、積極的な販売活動に着手していった。

マーケティング・リサーチの科学的なアプローチは、販売活動における冗長な無駄を省き、
かつ・最短ルートを踏破でき、自ずと・自分が抱えている物件の魅力も際立ってくる。

そして、セールス・トークにも工夫が加わって来ることになる。そして何よりも顧客に恵まれ
たことも手伝って・・・

「およそ・2週間で、若い顧客層から、購買意欲を引き出すことに成功した」

不動産販売の店主からは 「貴方は不動産販売に適しているかも知れない」 と、お褒め
の言葉をかけていただき・・・

「今回は、特別に、販売手続きの料金は半額で結構です」 との言葉をいただいた。

この時に私が確信したことは 「不動産の売買におけるチャンスの神様は前髪しかない」
と云う経験則であった。

そのことを考えると・・・

「魅力満載のタワーマンションの販売が、約10か月を経過しても購入顧客が表れない」
と、いうことには、疑義を抱かざるを得ない。

したがって、優れた販売チラシを投函した不動産業者と云えども、電撃訪問をして実態を
見聞するしかないと考えるのは、当然の行動である。

かつて、私が生涯の師と仰いだ、土光社長は工場の実情を把握するために・・・

「工場の正門からは入らずに、湾岸を手漕ぎの船で工場に接岸して自らの脚で上陸して」
日常的な佃工場の稼働状況を把握したと云うが、このことを脳内でヒントとして思い出して
暗黙知としての活用で、不動産業者への電撃訪問に到ったのかも知れない。

まさに 「土光スピリット恐るべし」 なのである。

私が、某不動産業を電撃訪問した時に、目に入ってきた、店内での書き出しには・・・

当時の言葉で「暴力団関係者の入店をお断りします」という書き出しに違和感を覚えたが、
今になって、その背景を鮮明に脳内で描き出すと 「半詐欺」の手口を推測出来るがその
推理の域を超える事実を持ち合わせていないので詳述は避けておくことにする。
(時間はかかり過ぎたが、実害の一歩手前で踏みとどまれたことは幸いであった)




021 松のことは松に聞けという俳聖芭蕉の言葉

さて、いつまでも放置できない、タワーマンションの販売について、私自身も積極的に
取り組むことを決心した。

先ずは、かつて学んだことのある 「マーケティング・リサーチの技法」 を脳内に思い
浮かべ、その延長上に俳聖松尾芭蕉の言葉 「松のことは松に聞け」を想い出した。

その意味とするところは、俳句を詠む時に、眼前の松を題材にするときに、松の木のこと
をトコトン熟視して 「まさに眼前の松の木に学べ」 という趣旨であると記憶している。

それではタワーマンションを販売するときに、タワーマンションのことを最も熟知している
のは、どなたであろうか・・・

それは、日頃、お世話になっている タワーマンションのコンシェルジュということになって
来る。コンシェルジュと云う役割は、単なるフロントに座っている受付の役割を超えて顧客
のあらゆる相談に応える役割を担っており、当該マンションのことには精通している。

ここで 「松のことは松に聞け」をタワーマンションに例えれば、現地におけるマンションの
売買から引っ越しの手配まで、コンシェルジュは様々なケースに対応してきている当事者
と云っても良い。

そのようなことに気付いた私は、早速、コンシェルジュの方に、今までのタワーマンション
の販売に関する失敗談を正直に吐露することで、相談に乗っていただいた。

コンシェルジュの方の対応は、簡潔・かつ・明快であった・・・

「その種の課題については、当方の管理センターの主任が熟知しておりますので、主任
の日程を確認して、お客様と対応出来る直近の時間を割り出して、お知らせします」 と
云う明快な回答であった。

そして、その指定の日時に、タワーマンションのフロントに、お邪魔すると、既に当方から
の事情は伝わっていて 「当タワーマンションを販売した S不動産にアフターサービスを
担当する営業マンが日参してますので、ご希望であれば担当に話を伝えておきます」と
いうことで、翌日には、S不動産の営業担当と打ち合わせることが出来た。

営業担当からは、具体的に、次の様な情報が寄せられた。

◇ タワーマンションの場合は、四年間程度経過しても買値からの値下がりはなく(通常
 のマンションであれば約30%程度の値下がりはあるが) そこは安心出来る。

◇ しかし、中長期的にタワーマンションの賃貸経営に踏み出すことを想定して先行投資
 してきた「購入手続きの費用」や「月々のローン支払い金の内、利息としての支払い分」
 などはすべて損金となってくる。

◇ したがって、約四年間の先行投資額をおもんばかると、タワーマンションとしても人気
 のある物件だけに 「現在はサブパートナーである私が肩代わりする」ことも得策である
 旨の提案が示された。

これに対しては、私も一つの案として考えたが、かつての「黒部ダムへの旅の教訓」から
オーナーである家内の方向性に同調する考えである旨を伝えた。

私にしても、確かに、約四年間のビジネス・コンサルタントとしての講演代の約4割相当を
先行投資として投入して来たので、その損金は身を切られる思いではあった。

S不動産の営業担当の方は、当方の売却の意図が固いことを確認して・・・

◇それでは 「当時の購入価格での販売」 は約束します。

◇私の知人から、当タワーマンションの物件には、中長期的に賃貸経営の面から魅力を
 感じているので良き出物があったら紹介してほしい旨、以前、話があったので・・・

 「気持ちが変わっていないか?」 確認しましょうという朗報がアナウンスされた。

その後、二週間後に 「知人からの購入意思が確認できました」 という話が寄せられて、
我が家のオーナーである家内と知人の間で契約が交わされて、私の任務は完了した。
(ただし家内も私と同様に相当額の先行投資分を損金として計上することになった)


022 損して得取れという思わぬ展開

池袋サンシャイン近郊のタワーマンション売却に伴い購入時の頭金への投資の一部
として私からの支援分が返金された。その様な折に 「タイミング良く?」 と云えるの
か・否か、久保稲荷四丁目の現住居のお風呂用の大型給湯器が壊れた。

そしてそれを機会に返金を生かし終の棲家としてのリフォームの総仕上げとして・・・

◇ お風呂用の大型給湯器を新品に交換すると、同時にお風呂の浴槽ユニットなど
 も新品と交換、洗い場も底上げしてタイル張りの床に仕上げた。

◇ そして脱衣所兼洗面所も、好評であったトイレの全面改装に合わせ明るい色彩
 に変えて、洗面台も大型化を図り、リフォームを気持ちの良い仕上りにした。

◇ 西北の書斎は、西日からの遮光を考えて、北側に下屋を設けた。

◇ 大型ガスレンジは、日常用の炊事ガスレンジとペアになっているため、一体式
 として丸ごと新品に交換した。

◇ さらに終の棲家としてのリフォームの締め括りは、東南の角部屋をゲストルーム
 として改装、子供たちがファミリーで帰省した時の備えとした。

一方で、池袋のサンシャイン近郊のタワーマンションを現金化した家内は、その資金
をプールしておき、タイミング良く、生前贈与という形で、息子家族の持ち家の具現化
に狙いを定めて一戸建て住居の購入をサポートした。

この一戸建て住居の購入に際してもチャンスの神様の前髪をしっかりと掴めたという
感触は、この購入を具体的にサポートした私の手にも、その感触として残っている。

その具体的な購入に到るまでの道筋にも物語性は充分に詰まっている・・・

キッカケは、任地の大阪で家族共々暮らしていた息子家族が、東京勤務となり、横浜
のマンションに引っ越して来た。当時は、私も家内も、まだまだ体力には自信があった
ので引っ越しの手伝いにも喜んで出向いた。

その後も、家内は、子供たちの誕生日や運動会などに招かれて、泊りがけで出掛けて
いた。その後、何度かの訪問を繰り返す過程で、息子から家内に向けて我々が棲んで
いる西武池袋線の入間市よりも東京寄りに住みたいと云う 「夢?」 が語られた。

横浜の息子の処から我が家に帰った家内はその夢を実現させたいと私に語りかけた。

そして、間もなくのことである・・・

西武池袋線の入間市よりも東京寄りの「小手指駅」近郊に一戸建ての住宅群の販売
広告が新聞の折り込みチラシとして入ってきた。

「なかなか魅力的な住居群だね」ということになり、私と家内は、息子の夢の具現化の
ための一端にでもなればと考えて現地に車を走らせた。住居群は、桜満開の川堤の
傍に建てられていて、風光明媚な風情であった。

二人で興味津々な思いで、販売スタッフの女性に連なって大方の住居を見て廻った。
家内から息子に電話で朗報を届けると・・・

「もう少し東京寄りが良い」 と、息子から、具体的な希望が寄せられた。

その旨を、販売スタッフの女性に伝えると・・・

「私は、先週まで西武池袋線のひばりが丘で一戸建て団地の販売を行っていて残り
の戸数が二戸となり、こちらの小手指の一戸建て住居の販売に移ってきました」

「現在は、ひばりが丘の現地に販売主任が残って完売に向けてラストスパートをかけ
ている段階ですので最終段階ならではの特典もあり・こちらから・主任宛てに、電話を
かけておきますので、来週にでも・是非とも行ってみて下さい」 と 誘われた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

翌週、私と家内の二人で、予め約束した時間に、現地にお伺いすると・・・

「お待ちしておりました。ちょうど昨日になって当地で一番人気だった物件がご本人
の事情で解約となりご案内出来ることに成りました」

「その物件をご覧いただいてから他物件をご覧いただくことをお薦めいたしますが、
どうされますか?」 とお声掛けいただき、

「それでは、ご案内通り、最初に一番人気の物件を拝見させて下さい」 と云うこと
になり、次いで同じ敷地内の他の物件を拝見、さらに、少し離れた場所にある物件
を拝見させていただき、それぞれの物件の長所と短所を把握した。

実際に購入するのは横浜在住の息子ファミリーであり、ましてや・どの物件を選ぶ
かも、さらに遡って購入するか・否かも息子ファミリが選択することでありその状況
を先ずは販売主任に伝えておく必要があるので 「その旨」を明確にお伝えした。

その上で、販売主任からは、ご両親の眼から観て・・・

「どの物件が、一番のお気に入りでしたか?」
と問われて、私も家内も 「文句なし・一番人気の物件でした」 と、答えると、

最終的には、横浜の息子さんが決めることですが、息子さんに現地の状況をお伝え
する意味からも、いったん、一番人気の建屋に戻って・・・

「間取りや各部屋の魅力ポイントなどを、あらためてご紹介した上で、こちらにお見え
になるか・否か・決めていただいたら如何でしょうか?」 と いうことになり我々夫婦
としても、今回、見逃したくない魅力物件のポイントを現地から息子に伝えた。

結果、息子ファミリーも興味を持つに到り、現地を訪問できる日時が設定された。

一番人気の住居の居間で、お茶などをいただきながら、我々とは、相性の良さそうな
営業主任と雑談を交わしていて、この住居の購入希望者が最終段階のローンを組む
段階で親子間での相談がまとまらず、購入をキャンセルすることになったのだと云う。

営業主任からの話を受けて・・・

家内から 「息子が購入を決心してからの話になりますが、事前に購入の際のローン
の支払額などの計算は可能ですか?」 と、問い掛けると、

主任から 「購入に際しての頭金が定まれば、月々の均等払いやボーナス併用など
容易にシミュレーションによって、いろいろなケースを想定して計算が出来ます」

家内から 「頭金につきましては、息子への生前贈与として1000万円~1500万円
程度は用意がありますので、参考までに計算していただけるとありがたいです」

主任から 「それだけの準備金があれば、ローンを組む際に優遇措置がありますので
息子さんもローン返済に向けて計画が取り組みやすくなりますね」

私からも 「ところで、その際に、購入金額ですが、小手指で営業の方から営業主任に
無理を承知で値引き額を引き出してみて下さいと背中を押されて来ました」 と前置き
をして、こちらの値引きの希望額を提示させていただいた。

主任から 「社内において決裁が必要になってきますが、次回、息子さんが見えた時に、
即決で決めていただければ今の置かれた状況からは決裁が得られやすいと考えます」
と朗報をいただいた。

かくて 「細部に到るまで良く設計された物件であり」
「月々のローンの返済額なども負担感は適切であり」

息子ファミリーの現地における物件の選択と確認そして購入か・否かの最終決断を待つ
のみの状態を準備して、その日は、早目に帰宅した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

後日、息子ファミリーと待ち合わせて、ひばりが丘の現地に到着・・・

◇建築物件として、三つの一戸建て住居をそれぞれの現地で確認、結果、営業主任と
しても、お薦めの物件が、息子ファミリからも、お気に入りとして選択された。

◇次いで、購入時の代金支払いなどについて

「購入価格の最終的な提示」
「頭金の確定」

などに基づいたローンの返済方法などが話し合われて、息子ファミリーからの月々
の支払い額などが確定され、細部の購入条件なども納得の行く形でまとまり、家内
からの生前贈与の額も最終設定された。

この後、昼食時間を挟んで、購入か・否かに向けて、再度、息子ファミリーとの間で
相談を繰り返したが、息子ファミリーとしては長期的にローンを抱えることについて
大いなる躊躇が感じられた。

これに対して、私と家内の感想は 「なかなか得難い物件であり」 自分たちの経験
からも子育てが本格的になって来る前こそが、ローンを組みやすいタイミングである
旨を伝えた。

かくて、現地にて、息子ファミリーから購入に向けて仮契約が交わされた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

しかし、正式の契約手続きの際に、契約、即、入金が必要な契約手続きに際しての
まとまった額の資金が 「早急には準備出来ないという事情」が、私と家内に向けて
吐露された。

ここで私が即断したことは 「ここまで・チャンスの神様の前髪を掴んでおきながら」
手放すことはないと、私自身が心に強く決めて 「諸費用についても支援すること」
を確約した。

そして、これは、後日になって分かったことだが、息子の嫁さんの実家から・・・

「私は鹿児島で義母の面倒を見る立場に置かれて、本当に苦労の連続であった」
「あなたも、住居を義母の近郊に置くことで、お姑さんには、苦労させられるわよ」

という話題が、息子の嫁さんに寄せられて、真剣に悩み 「ひばりが丘の地」 に
引っ越すことに抵抗感があって、あまり賛成の立場を取れなかったのだと云う。
(したがって、貯金を取り崩してまで、諸費用を準備したくなかった?)

しかし、我々夫婦は、息子の結婚相手であるお嫁さんの実家:九州の鹿児島まで
出掛けて結納の場で 「お嫁さんを大事にします」 と口上を述べて約束しており、
一昔前のお姑さんの様な辛辣な対応など想像もしていないことだが・・・

鹿児島のお母さんの 「私は姑で苦労した」 という昔話を聞かされ、その言葉に
バイアスがかかって恐怖心を抱いていたようである。

しかし、後日になって、我々夫婦からの 「お嫁さんを大事にします」 という約束を
確実に実行する場面に出会うことになる。

それは、息子ファミリーが、横浜から東京のひばりが丘への引っ越し当日のこと・・・

「朝方、家内の実家である東京都葛飾区に在住の父親が入院先の病院で亡くなった
旨の知らせが家内の弟から寄せられた」
(弟家族は実家の同じ敷地内に居を構えている)

「当方の対応としては、家内と息子が葛飾区に駆け付け、私が息子の嫁さんを手伝う
という陣形で、ひばりが丘における引っ越しに対応することにした」
(嫁さんだけに負担を負わせないという構えである)

「その後、ひばりが丘における当面の引っ越し荷物の受け入れや片付けを済ませて、
葛飾区における告別式にて合流となった」

その後も、我が家から 「ひばりが丘駅までは、電車で約20分」
(駅から息子の処までは徒歩で約6分)
車で行っても約40分なので・・・

ひばりが丘に引っ越して来てからは、下の子(長女)が生まれて、上の子(長男)も
放ってはおけないので、家内がひばりが丘に脚を運んで、育児の支援をするなど
支援は盛んだが、鹿児島の母親からの 「お姑さんはたいへんだよ」と云うところ
のバイアスが解けたか・否か・は分からない。

その後、息子ファミリーが約5年間にわたり名古屋に赴任することになり、自分の
家を期間限定で貸し出すことに成ったが途中で入居者の交替があり次の入居者
がなかなか決まらないことがあった。

この時に、私の脳裏をよぎったのは池袋のサンシャイン近郊のマンションの売却
が約10か月も決まらなかったことを思い出して・・・

「なんらかの不動産屋さんの都合」を察知して、私と家内共々ひばりが丘の駅前
の不動産業を電撃訪問、事情を聴き出して対策を立案の上で名古屋のお嫁さん
に連絡して、即・対応、約2週間で契約に結びつけているので、我が家の家内は
総じて 「善きお姑さん」 と認定しても良いと、私は思う。

話題が前後するが・・・

息子ファミリーのひばりが丘における生活が落ち着いてきた頃に家内も定年退職
を迎え、まるでタイミングを合わせるように、前述のような我が家の南側に二世帯
住宅建築の知らせが寄せられた。
(なお、この詳細を、繰りし記述する考えはない)。

最終的に入間が丘の東町に 「ついの棲家Ⅱ」 を新築することに決まったものの
私自身の心情としては、久保稲荷四丁目の 「終の棲家」に相当額の資金を投入
して、リフォームの総仕上げを行ったばかりであり・・・

私自身 「悩みに悩んだ」 ことは確かである。

しかし 「ついの棲家Ⅱ」 の新たな建設のためには、大口の資金源が必要であり、
現住居は資金源として重要な存在になって来る。

したがって、これだけ大掛かりな総仕上げをしたことが、有力なセールス・ポイント
になって来るのではないかと考えて 「発想の転換」 を図ることにした。

具体的には、Jグループの営業の松本さんとの連携において・・・

入間が丘の土地の入手や 「ついの棲家Ⅱ」の家屋の設計と並行させて裏番組的
に 「現住居の販売」 に向けて丁寧な準備を重ねた。

販売価格の設定は、Jグループの不動産物件の査定部門にお願いして市場価格を
割り出していただき、その査定額を基にして売価を設定した。

また、販売用のチラシについては 「家屋としてのナイスビュー」 を決めて写真撮影、
物件としての 「魅力ポイントを絞り込み」Jグループ営業の松本さんにチラシを印刷
していただいた。

販売開始の当日 「最初の出会いで契約まで持って行くには第一印象がたいせつ」
と考えて、家の周辺の道路や庭の掃除を丁寧に済ませた、矢先、なにやら・顧客の
気配を感じた。

我が家の前を、二回ほど・巡回した車の存在を感じ取ったので、箒を手にしたまま、
車内に向けて声をかけさせていただいた・・・

「住居と共に倉庫としても活用出来る大き目の家屋を近郊の不動産屋さんにお願い
していたところ、昨日、広告チラシの文面がファクシミリで送られてきて、現地に来て
みた」 のだと云う。

「突然の訪問であり、不動産屋さんを通していないが、屋内など見せていただくこと
は出来ますか?」 とたずねてきたので・・・

「どうぞ・どうぞ」 と室内に、ご案内した。

私としても 「終の棲家」 としての総仕上げをしたリフォームの要所・要所には魅力
と云うよりも・未練を感じていたので、その思いをストレートにぶつけることで魅力を
アッピールさせていただくことになった。
(この思いはご夫婦には確実に伝わったようである)

また家屋としてだけでなく・倉庫としても活用したいと云う思いは、7LDKという部屋
の構成からも、ご夫婦の見立てとして、納得が行ったようである。

私としては、大家族向けの物件だけに 「この顧客で決めて行かないと後はないな」
という感触があったので、早速、Jグループの松本さんに連絡して・・・

「◯◯不動産からの紹介で、お客様が見えていて、物件購入に前向きなので対応を
お願いしたい旨」 を伝えた。

Jグループの松本さんは、即刻、我が家に見えて顧客と対応、購入に向けて確かな
手応えを感じ取り、入間店に、ご案内して店長にも話を通すことになった。

その後、松本さんから、連絡があり・・・

「実際に住むことになる若旦那さんが、夕刻に勤務を終わって、帰宅後に、我が家を
訪問しても良いか」 ということになりもちろんのこと当方は 「快諾」 その日の内に
購入の意志が表明された。

その後の契約は、極めて・スムーズな展開を見せ、我が家に向けて、契約のための
内金も入金が確認され、極めて俊敏な契約が締結された。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その後、突然のこと、Jグループの入間店長と松本さんが二人で連れだって緊張した
面持ちで我が家を訪問された。
(事前に訪問したい旨の連絡はいただいた)

「今回の久保稲荷の我が家の販売契約について解約の書面にサインをいただきたく」
二人揃って・訪問したというのである。

このときに私の脳裏をよぎったのはサンシャイン近郊のタワーマンション売却の経験
であった。

「このサインに応じたら、泥沼に足を踏み入れることになるな」 と、直感したので・・・

「既に、内金もいただき、契約書面上も売買が成立していますので、簡単にはサイン
出来ません」 と、お答えすると・・・

「あれは、ただの紙切れですから、どうにでもなります」 と、云われて、一瞬沈黙、

「家内の親戚に民事に強い弁護士が居るので相談させて下さい(実際に居る)」 と
答えると、二人で顔を見合わせてお帰りになった。

その後、営業の松本さんが見えて細部の詰めを行いながら実情を聞き出すと・・・

「今回の顧客のお姉さんが近所に住んでいて、近郊に、すぐにでも入居出来る物件
を探して来て、該当の物件のやはりJグループの営業担当に相談したところ担当者
がJグループの重役のご子息ということで、入間支店に圧力をかけてきて入間店長
自ら、我が家に向けて出馬することになった」 のだと云う。

それを受けて、私共としては・・・

「今回の契約に法って、内金は返金しない」

「契約物件の差し換えについても、Jグループ組織内においての都合を優先させた
無理強いなので、Jグループ内で調整をしていただいて、あらためて我が家の顧客
を探していただければ、当方にとって問題はない」

「ただし、当初の約束では当方の物件が一定の期間で売却できない場合には一定
の割引率において、Jグループが引き取ることになっていたが、この期限を外して、
Jグループ組織内の調整にて売り切っていただきたい」

として交渉を締めくくった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その数日後、Jグループの松本さんが我が家に見えて・・・

「当初の契約通り、ことを進めさせていただきます」

「つきましては、当初、顧客に譲ることになっていた物品などはすべて気にしなくて
結構です」 と、いうことが伝えられた。

このような「ひと悶着」があっただけに、飯能の銀行において若旦那との売買契約
が成立して、入金が確認されたときには、本当に・安堵の胸をなでおろした。

後日になって分かったことは、このひと悶着に、若旦那はまったくかかわっていな
かった。

このことが判明したのは、我が家で使っていた大塚家具製の六人掛けテーブルと
応接セットを 若旦那に譲る話がまとまったときに、ついでの話として、先方からの
雑談としてお聞きしたものである。

「表舞台で新築物件を建てる話は華やかだが」裏舞台における旧物件の売却話も、
それが重要な資金源になるだけに、おろそかには出来ないということである。
(その面では、池袋のタワーマンション販売の失敗談は、役に立ったと云える)


023 バッテリーの残量 「零」 の衝撃

12月11日(土) 晴れ  カーテンの取り付け工事

朝一番の大事な仕事と決め込み、市役所の総合リサイクルセンターに出掛けて粗大
ゴミの処分を行った。引越し準備の過程で、追加の粗大ゴミ処分は、引き続き突発的
に発生してくるものと覚悟はしている。

その後に続く作業は、東町のカーテンの取り付け工事の立会い。それと並行させて、
「プラスチックで出来た三段重ねの植木台の組み立て」および「クーラーの室外機に
取り付ける木製カバーの組み立て」「つる薔薇のアーチの組み立て」 と続く。

ここで 「つる薔薇のアーチの組み立てにおいて問題が発生」 アーチがてっぺんの
中央部で組み付かない。パイプの内径に対して、そこに挿入する外径の寸法が大き
過ぎるために差し込むことが出来ないのである。

「どうしようもない」 ので、Kホームズに行って交換してもらうことにした。

同行した家内は、ちょうどKホームズに用事があったので救われたが引越し準備で
過密な時間割を組んでおり、時間のロスはもったいない。


12月12日(日)  晴れ  大型食器戸棚の設置完了

引越し準備期間も、残り3日間となり、作業の優先順序付けが必要になってきた。

そのような状況のなかで、先ずは午前中に・・・

「入間が丘の東町への鉢植えの搬送」
「つる薔薇アーチ組立の再チャレンジ」

午後には 「キッチンに設置する食器戸棚の配達の受入れと設置立ち合い」を予定
していた。ところが、この食器戸棚の配達が「午後から午前中の配達に繰り上がり」
急遽、すべて並行作業にして対応することになった。

家内は、新居まで、自転車で応援に駆けつけた。

食器戸棚の配置は、当初の計画通り進めた。そして、配置の結果を点検してみた。

「隣に置く冷蔵庫のコンセントの口が、丁度良い場所にあるので安心した」
「食器戸棚の中央部には、炊飯器や電子レンジ・トスターなどが配置しやすく設計
されており、グッドデザインである」 と感じた。

午後は引越し準備のダンボール詰めと行く先表示に集中した。

日曜日の夜の大河ドラマも観ずに作業を進め、午後9時になって、ようやく本日の
業務は終了とした。


12月13日(月) 雨  植木の引っ越し作業

朝の小雨の中で植木類の引越作業が始まった。

大きく育った南天の根っきりおよびクレーンによるトラックへの積み込みから作業が
始まった。計画段階では難航することを予想していたが思いのほか順調に進んだ。

次に、取り組んだ満天星(どうだんつつじ)の根っきりが予想を超えて大変な作業と
なりプロの植木職人が2人掛かりで、時間をかけて、ようやくにして地べたから根を
切り離した(私も経験があるが真下に伸びた根はなかなか切れないものである)。

次いで、ヒイラギ・月桂樹・紫陽花・つる薔薇と続き、家内が、一番のお気に入りの
つる薔薇は、レンガ敷きの下に根が入り込んでいて諦めざるを得なかった。

なにせ、雨の中の作業のため、後日、私が科学的に 「上手な困り方」 を駆使して
その方法を考え出し、自分自身で挑戦することに腹を決めた。

入間が丘の東町の植え込みのときには雨脚はさらに強くなり、私と家内が恐縮する
なかで植木の引っ越し作業は終わった。
(後日、私の粘りで、レンガの下に根っこが入り込んだつる薔薇は無事に移植した)


12月15日(水)  晴れ(友引)  フル操業の15日間

引っ越しの準備はすべて完了しており、後は 「N通運の到着を待つばかりとなり」
入間が丘の東町では 「家内に待機してもらう考え」で、家内を東町まで、車で送り、
その帰路で会った 「まるで軍団のようなトラック部隊」 に遭遇した。

このトラック軍団こそが、我が家の引っ越しのための戦闘部隊であることが・・・

今まで住んでいた家に着いてから分かった。そして、ここからが、引っ越しのための
戦闘開始となり、入間が丘の東町における 「ついの棲家Ⅱ」 造りのための嬉しい
時間の始まりとなった。

N通運が帰った後は完全に二人作業となり全て完了するまでに約15日間を要した。
(師走の29日に全室の片付け完了)


12月30日(木)  晴れ  お正月の準備

朝のうちに玄関の正月飾りをして、その後テレビの前に餅の二段重ね飾りを据えて
各部屋にはカレンダーを配置、これで、正月を迎える準備は整った。

今度の正月は、三日に鎌倉とひばりヶ丘のファミリーが、同時に揃って帰省すると
いうことで、大晦日から二日にかけては東町に完成した 「T&Kのついの棲家Ⅱ」
で、二人だけの正月を迎えることになった。

入間が丘の東町への引越しも、その準備を約1ヶ月前から始めたので、準備作業
については、概ね、悠々としたペースで仕度にかかれたが・・・

「引越し本番を迎えた12月12日から18日の間」 については、クーラーの引越し
に始まり、一番たいへんだった N通運による家財などの運搬、植木の引っ越し、
インターネットの移設手続き、電話の引越し手続き、集合アンテナからフレッツ光
によるテレビ受信への移行など、連日、過密スケジュールが続いた。

しかし、これらの一連の工事や作業について、手間のかかることや難しいことなど
についてはそれぞれのプロが専門知識を駆使してこなしてくれる訳であり、我々は
立ち会うだけで良いのだが 「問題」 と 「課題」は・・・

◇ その後の整理・整頓
◇ 自分たちにとって使い易く・アレンジするなどの調整作業や手直しは

当然のこととして二人だけで担当することになる。それに加えて年内にはなんとか
片付けたいという思いが働いて、結果、たいへんな集中作業となった。

それでも夏の朝に体験した5時起きの習慣を思い出し、日々早起きして作業に取り
かかることで、12月29日までには、すべての片付け作業が完了した。

その成果により、30日には正月飾りも出来て、ようやく気持ちに余裕が生まれた。


12月31日(金)  晴れ  危機一髪だった命拾いの休養日

いよいよ大晦日となった。

まったく手抜きが出来ない思いで進めてきた引越しも、一昨日には大方が片付き、
昨日は正月飾りをする余裕も生まれた訳だが、家財道具などを減らしに減らした
上での 「4トン車×4台分という引越し荷物の量」には、

N通運の引っ越しスタッフから・・・

「この引越し荷物の量だと片付けるのに、約1ヶ月はかかりますね」 と、云われて
いたので、それを約2週間で片付けて整理・整頓したということはいかに最短期間
で完遂させたかということになる。

しかし、今、思い出しても、大晦日に到るまでの間で、12月28日に命にかかわる
様な 「バッテリー 『零』 状態」 を体験することなど想像もしていなかった。

当初は、正月の1月3日に鎌倉とひばりヶ丘の家族が帰省するというので、年内に
ある程度の片付けが出来れば良いと考えていたが・・・

「ひばりヶ丘の家族から、電話がきて、12月28日に東町の新居に遊びに来たい」
という話になり、

「大急ぎで残った引越しの片付けを繰り上げてやろう」 ということになって、日曜日
などは大河ドラマを見るのもとりやめて残りの引っ越し荷物の開梱そして片付けと、
朝早くから夜遅くまでフル操業で稼働した。

しかし、さすがに疲れ果てて、ひばりヶ丘から来客するという前日には体力の限界
を感じて 「バッテリ 『零』 状態」となり、機能停止状態となった。

機能停止状態で、思い出したのが鎌倉・藤沢方面の娘が嫁いだ先のお父さんの
言葉であった・・・

「私たちの藤沢地域において区画整理があり、私の知人も、かなりの加齢を重ねて
いるのにも関わらず引っ越しで無理して亡くなった例を見て来ているので、ついつい
無理をしがちな引っ越しには、充分に気を付けた方が良いですよ」 と。

私も、今が、その危ない時なのかなと考えて・・・

緊急停止的に 「久々に休養のための半日休暇を取る」 ことにした。

緊急の休息案としては、急遽、近郊の温泉に出掛けることであった。この温泉場は、
本物の温泉かけ流し湯場で当日は混み合うこともなくゆっくりと湯治できた。

たまたま冬至の頃とあって柚子風呂仕立てになっており命拾いの入浴ができた。

体力的にかなり限界ぎりぎりというエネルギーダウンを感じていたので入浴後は
トンカツの特別コースを注文して、滋養に努め、食後は仮眠室で身体を横たえて
兎に角 「休養」 に徹した。

「命の洗濯とは、こういうことか」 と実感するほどの体力の回復を感じ取り、午後
には、ひばりが丘の家族を迎えることが出来た。

「年末にダウンすることもなく、引き続き整理・整頓に打ち込めた」 のは・・・

危機一髪的な状況における 「半日休暇」 の過ごし方が良かったのだと、今でも
あの日のことを思い出すと 「危なかったなあ」 と思い出してヒヤリとする。

それにしても、娘が嫁いだ先の鎌倉のお父さんは、私にとっては 「命の恩人」で
あり感謝・多謝はもちろんであるが、大手建設会社の重役でありながら、今でも
現役さながらの 「一級建築師」 としての慧眼には驚くばかりである。

私自身、見識を改める出来事として、こんなことがあった。

あれは、鎌倉ファミリーの孫が五歳になった時のこと、鎌倉の八幡宮で七五三の
お祝いをした時に、鎌倉駅から近い中華料理店に祝いの席が設けられ懇談の
場において・・・

「佐久間さん、入間の新居の棲みごこちは如何ですか?」 とたずねられて、

「さすがに現代建築の進歩は著しいですね。特に窓部の設計に到っては二重窓
が当たり前になって来ており、部屋の温度など、凡そ20年前の住居に比べたら
10度くらい違うのではないでしょうか?」 と答えたことを良く覚えている。

そして、そのような談話を交わしている時に、鎌倉のお父さんが入間の産科に
誕生したばかりの孫の顔を見に駆け付けていただき、その時に次の様な会話
を交わしたことを思い出した・・・

「鎌倉で孫が暮らすことになる洋館も、築70年を経過しており、いずれ建て替え
ようと考えている」 旨の話をされていたので、洋館の建て替えの準備を始め様
とされているのかなと勝手に推測していた。

その後、鎌倉のお父さんの一級建築士としてのセンスが盛りだくさんの新居が
敷地200坪の土地に南に大きな余裕を感じさせる庭を配して家屋が完成・・・

新築された家屋内を拝見させていただいた時に、私は 「メーターモジュール」と
云う表現を鎌倉のお父さんから、初めてお聞きした。

私のそれまでの常識では、畳1畳の大きさは 「90CM×180CM」 と思い込んで
いたが、メーターモジュールでは、畳1畳は 「1メートル×2メートル」ということに
なっており、全体的に、ずいぶんとゆったりとしたサイズ(大きさ)になってくる。

したがって鎌倉に出現した鎌倉ファミリーの棲む住居は全体的にゆったりとした
設計になっており、この段階で私からのひと言は 「参りました」 に尽きることに
なり 「さすが超一級建築士」 ということになってくる。



024 嬉しい日常生活の些細な変化

些細な変化であっても生きていることの喜びは大きい。

2011年1月11日(火) 晴れ  日常的な生活に復帰

お正月からの帰省客も、それぞれに自宅に戻り、我々の生活も日常的な暮らし方に
戻った。一方で、私自身は、先週のテニスで風邪をもらってきたらしくて、起き抜けの
喉の痛みには閉口したが朝のうがいの励行および風邪薬の効用でなんとか体力が
回復してきた感がある。


1月15日(土)  曇り  日常生活の些細な変化

今回の引越し完了後は、日常の些細なことについては、微細な変化が起きているが、
いずれも嬉しい生活の変化の訪れである。

一つ目の変化は 「ホームベーカリーが、鎌倉ファミリーから贈られてきて、まことに香
ばしい自家製のパンを食することが出来るようになった」

二つ目の変化は 「家内の料理が、ガス機器による調理から、IH調理器による料理
に変わったが、早くも、美味な食卓として定着してきた」

三つ目の変化は 「思い切って、オール電化にしたことにより、エコキュートによる深夜
電力の活用が出来るようになった。結果、いつでも入浴が出来るようになった。お湯も
柔らかな感じがするので、入浴剤の活用と合わせて快適なお風呂が楽しめる」

四つ目の変化は 「明るく陽当りの良いリビングが実現したため、常時、石油ストーブ
を焚く必要もなく、部屋の空気を汚すことがなくなった」

五つ目の変化は 「エコポイントにつられて購入したテレビであるが、LED仕様であり
画面も美しく、録画も番組表から簡単に録画予約できるため便利になった」 などなど
である。


1月16日(日)  晴れ(時々)曇り  NHK受信の住所変更

午前中にNHKの集金人さんが来た・・・

「住所変更が必要でしたのでちょうど良かったです」 と云うと、住所変更届けの用紙
を取り出してくれた。

同時に、料金の納付状況も調べてくれて早速に住所変更の手続きも済ませてくれた。
「ついでに、BS画面の案内ガイドの消去方法を教えて下さい」 と申し出ると、
「消去方法の案内を差し上げます」 と云って、案内書をカバンから取り出してくれた。

案内に沿ってNHKに電話をすると、消去電波を飛ばしてくれて・・・
結果 「BS画面いっぱいに掲示されていた案内版が、きれいさっぱりと消去された」


1月17日(月)  晴れ  富士山の銀嶺の眺望

このところ大寒を前にして寒さが続いていたが、今日は、久々に風もなく飼い犬との
散歩の時間を少し早めて外に出てみたが思わぬ発見があった。

室内で掃除をしていた家内を外に呼び出して・・・

「その発見を共有することにした」

「あらほんとに富士山が雪をかぶって綺麗に見えるわね」 ということで我が家から
歩いて10メートルの圏内で、銀嶺に輝く 「富士山」 が見えるスポットを発見した
のであった。

正確な表現をすれば、我が家の南側の6m道路を東の方向に10メートル歩くだけ
で、振り返れば、大通りの奥に富士山の姿が頂上部ではあるが、くっきりと見ること
が出来る。

次いで、発見したことは 「家の周囲が地形の関係もあり、暖かなゾーン(区画)に
なっていること」である。さらに南側の庭にあるクーラーの室外機のウッディカバー
の上が飼い犬の日向ぼっこに最適の場所となっている。
(その後、この場所は、朝の飼い犬の散歩後のブラッシングの場所として定着)

私も、ガーデニングチェアを持参して、飼い犬の側に座り、家内が入れてくれたお茶
を呑み干して、気分良好の中で、陽光を浴びた。

「住めば都とはこのことか」 と、快適な住まい環境に感謝した。

黒部ダムの旅行以来は家内の直感を信じて行動を共にしてきたが、どうやら今回も
「大当たり」のようである。


1月18日(火)  晴れ  新しい蒲団でレム睡眠

明け方にめずらしく夢をみた・・・

「複雑な仕組みの公社債かなにかに取り組んで、頭を働かせている内容であったが、
夢だけに論理が飛躍していて、一生懸命に分わかろうとしてもがいている光景の繰り
返し」 であった。

夢をみることなどは久々のことである。腰のあたりが明け方になり少し重い感じがして
敷布団を変えた影響かなと考えながら起床した。

「おはよう」 といって、リビングに顔を出すと・・・

「新しい敷布団の寝心地はどうでしたか?」 と家内が聞いてくるので、
「まだ・良いとも・悪いとも・分らないけれど、悪くはないね」 と答えながら、
「夢をみたのは、新しい蒲団のせいかも知れない」 と結論付けた。

N布団店のキャッチフレーズは・・・

「快適な蒲団で寝ることで、人生の1/3を快適に暮す」 と標示されていた。
(この言葉は額面通りに受け止めても良さそうである)

新しい蒲団で夢を見るということは・・・

「レム睡眠が規則正しく訪れている証であり望ましい眠りのパターンである」
と、プラス思考で受け止めておこう。

「その答えは、1週間もすれば分かることであろう」 ということで、気分も良く
朝食を摂ることにした。
(私は、これまでも、ポジティブ思考で人生を乗り切ってきた)。


1月19日(水)  晴れ  飼い犬も引っ越しストレスから解放

ようやく、彩の森入間公園における飼い犬の 「定刻ウォーキング」 を再開した。

園内には、早くも白梅と紅梅が咲き始めており、春の 「桜の開花」 を想像しな
がらのウォーキングとなった。

夏季のように、早朝の5時半起きだと寒すぎて、飼い犬が寒さでふるえだすため、
午前10時頃を目安にして彩の森入間公園に出掛けるように時間帯を工夫した。

既に、旧住所となった隣人ご夫妻の場合は相変わらず、早朝ウォーキングを敢行
されていると想像するが、私と家内は還暦を過ぎた脳の血管年齢のことを考えて、
無理な早朝ウォーキングは避けることにしている。

冬のウォーキングで気になっていたのは 「霜による影響」で、外周のフェンス沿い
の道は歩けないものと考えていたが、通り道には、木屑などが撒いてあり、外周の
小道は霜による影響が回避されているようである。

彩の森入間公園内をウォーキングしながら二人の共通の話題として・・・

「このフェンスの外側の森の中で暮らしていた野生の猫たちはどうしたかしら?」
と話しながら、フェンスの向こう側を覗くと、三匹の猫が日向ぼっこをしていた。

彩の森ウォーキングから帰って飼い犬に家屋の南側の庭先で日向ぼっこをさせて
みたが気持ち良さそうに、身体を思い切り伸ばし目を細めていた。

引っ越しの後は、しばらくの期間、食欲がなかったようだが、この頃は食欲も元に
戻ってきて、太り気味の気配であり、飼い犬もどうやら、引越しによるストレスから
開放されたようである。


1月20日(木)  晴れ  オーバーワークは風邪を誘因

今日は、歳時記の上では「大寒」であるが、思いのほか暖かな陽気でありテニスを
していても、軽快に走り廻れるため、つい自分の歳を忘れてしまう。

「新年になってから、木曜スクールは、全員が揃ったことがない」 とテニスコーチが
云っていたが、自分の歳を忘れてのオーバーワークは怪我や風邪の原因につなが
るかもしれない。

「当テニスクラブでも、インフルエンザにかかったコーチがおり皆さんも体調の維持
には充分に気をつけて下さい」 というコメントがヘッドコーチから伝えられた。

私も、師走は引越し作業優先でテニススクールを休んでいたために、正月は初回の
木曜テニスから積極的に参加したが・・・

「スクール生2名が風邪を引いていた」
「風邪をもらって帰るのもいやだな」

と思いながら、その晩は少し心配しながら床についたが、翌朝に、喉の痛みを感じて、
手持ちのうがい薬でうがいを励行したが軽い症状の風邪につかまってしまった。

「かかりつけの内科医院に、行こうかとも考えたが、かえって、インフルエンザなどを
もらってくるのもイヤダナと考えて、鎌倉の娘が置いていった風邪薬を服用した」

その後は1週間がかりで軽い風邪に抵抗しながらなんとか2週目もテニススクール
に参加できた。


1月22日(土)  晴れ  転居先の自治会に加入

午前中は、家内が公民館で 「ヨガ」 に挑戦するということになり、飼い犬と一緒
に車に乗り込み家内を公民館まで送って帰ってきたところに・・・

「自治会ブロック長と班長さんが我が家を訪問してきたので」
「加入者名簿に、住所・氏名を記載して」
「年内2ヶ月分の自治会費を納め」
☆転居先の自治会に入会した。

新しい一戸建団地の誕生に伴い、現在は、自治会班長さんの担当軒数が急激に
増えてきているため、来年度からは・・・

「Jグループ関連の新築住宅の集合体で、自治会の新しい班を編成をするように
計画している」 とのことであった。

私も、急ピッチで建築が進んだ地域であり 「妥当な考え方ですね」 と同意した。

地域としては近郊であっても、旧住所の地区とはまったく関連のない自治会地区
らしく 「個々の行事などの運営方法にも大きな違いが見られる」 ようである。

そのことについては 「実際に、入会してみなければ分からない」 ことである。

私が、生涯学習において学んだことであるが 「郷に入っては・郷に・従え」 には
元々の言葉があると教えていただいたことがある・・・

「郷に入って・後に・郷に従え」 というのが元々の言葉であるという。

その意味するところは・・・

「人は、実際に住んでみて、先ずは、その土地の・風俗や・習慣に馴染んでみる」 
ことが大切であると云う。

結果として、例えば 「その土地の習慣を五つ把握した」 とする・・・

その中の四つのことについては 「共感するものがある」 とすれば、その四つの
ことには自ずと従えるので、残りの一つのことだけが問題や課題になってくる。

そこで、この一つのことについて、良く咀嚼してみてもどうしても馴染めなければ、
無理をして合わせないで 「自分流の習慣」 に置き換えて行く努力をしてみる。

「郷に入って・後に・郷に従え」 という三段構えの生き方は、云い換えれば・・・

柔軟性と積極性を発揮して、ときには、自ら率先して 「習慣を変えて行くこと」も
必要であるというアドバイスとして受け取ることも出来る。
(これもポジティブ思考と云える)


1月24日(月)  晴れ  固定資産税の算定

今日は、午前9時半に、市役所の税務担当者が我が家を訪問して、固定資産税の
算定のための実地調査を実施した。

そして、目安算として、土地と建物とを合わせた年間の課税額が示された。

担当者として、2名の方が来宅された。1人の方は、身長が190cmを超えていると
かで、昔の建築法の時代には、戸口の高さが今よりも低くて、建屋の調査のときに
頭をぶつけることが多かったという。

最近は、開口部の高さが、標準寸法として 「2mのもの」が多くなってきており頭を
ぶつけることも減ってきたという。

税務調査後は、年初に、こまごまとした課題や宿題をたくさん抱えているので、一気
に片付けようと考えて、食卓に座り込み、大方の事務処理を一気に済ませた。

先ずは、郵便局に出掛けて、放送大学関連の事務処理を優先的に済ませた。

「俳句をきっかけとして好奇心から専攻した感のある 『心理学』は、今年の3月末に
放送大学の学部を卒業見込みにつき、新年度からは 『人間学』 を専攻して、継続
入学することにした」
(そのための事務手続きが必要になったのであった)

次に、控えている 「水道の蛇口の浄化装置」 については定期的に4ヶ月毎の交換
を可能にするための振込み手続きが必要であり、同じ郵便局において一緒に手続き
を済ませた。

次に自宅で記入の終わった「東町の新居についてのJグループへのアンケート回答」
も同じ郵便局から郵送を済ませた。


1月25日(火)  晴れ  家電購入でエコポイント取得

午後になって、二階の書斎に上がり電子メールを開くと 「家電購入のエコポイント」
の手続き完了の連絡が入っていた。

「Y電機は、顧客の期待を裏切らない」 と、いう印象を受けた。

メールでの案内によれば、住所変更があった場合は、変更手続きをするように記述
されていたので電話をすると、俊敏に受理されて、ギフトカードを発送する会社にも、
住所変更の連絡をするように案内があった。

早速電話をすると手際よく対応いただいた。今回、Y電機の営業担当の薦めで購入
した42型の液晶テレビは、次の3点において 「優れもの」 であった・・・

◇ 画面が鮮明という案内は期待を裏切らなかった

◇ 番組表からの録画は、操作が簡単であり、2番組同時録画と云う機能も期待を
 裏切らなかった

◇ 家電エコポイントも約束通りの日時で適用となった

これに比べると住宅エコポイントや固定資産税優遇制度における優良住宅の指定
などは手続きが煩雑で適用には到らなかった。


1月27日(木)  晴れ  モーツアルトと同じ誕生日

今日は、私の誕生日である、奇遇にも、モーツアルトと同じ誕生日だという。

たまには、昼食を外食にしようということで、待ち合わせの時間を決めて、テニスに
出掛けた (室内テニスコートは気温15℃で快適であった)。

最近は、加齢の影響なのか、外の光の明るさに負けて涙が頻繁に出るので・・・

◇ 色の薄いサングラスをかけて練習することにしている

◇ テニススクールの練習も3か月毎に期末があり期末を締めくくる実践ゲーム
 において、最後に、スマッシュが決まり気持ちの良い汗をかいた

レストランでの私と家内との昼食会は、誕生祝いを兼ねたもので、出された料理
も美味しく・かつ・楽しく、あらためて 「満69歳」 の自覚を持つに至った。


1月28日(金)  晴れ  卒業予定者の住所の確認

放送大学から 「今年度卒業予定者の住所および氏名などを確認する」 ための
文書が届いた。

「昨年に引っ越したことを継続入学の手続票には記載した」 が在学中の学部には
住所変更についての書類を出していなかったので、今回の確認には救われた思い
がする。

「年金」や「証券」などに関しては、先方に電話をして現在は住所変更手続きに必要
な書類を待っている状態である。他にも、住所変更の必要なものがあり、その対象
は広範囲に及ぶため、夏季までには、大方を済ませたいと考えている。


1月31日(月)  晴れ  飼い犬もご機嫌な終日

彩の森入間公園での散歩を楽しみにしている飼い犬は近所の散歩コースではすぐ
に帰りたがる。それが、彩の森に出掛けると、良く走り・良く遊ぶのである。

本日の午前中は、先ず彩の森ウォーキングに出掛けて、その後は、小手指の鮮魚
センターにそのまま同行、なにしろ、ドライブ好きでもある飼い犬には・・・

「本日は、ご機嫌マンデー」 となったようである。

この頃の飼い犬は、あまりにも 「私と家内にべったり状態」 で旅行などに行き難く
なってきている。かつて、イタリアの旅で親しくなった友人夫妻から・・・

「フランス・スイス方面への旅を誘われた」 が、躊躇せざるを得ない状況にある。

飼い犬をペットホテルに預けると寂しがって体調を崩すために・・・

イタリアの旅に出掛ける時には、ひばりが丘の息子ファミリーの処に8日間お願いを
して預けた、ただし、その時は子供がまだ一人であったために預けることも出来たが、
今は子供が二人になり、年下の子は、まだ赤ちゃんであるため育児に追われており、
8日間も飼犬を預けるという訳にいかない。

ただし、日帰り旅行であれば、ペットホテルに預ける必要もなく、飼い犬も日常と変わ
らずに自宅で過ごせるので、それは許容範囲のようである。

その点において、私の処からは近郊に住んでいる友人夫妻の場合は、我が家と同じ
ダックス犬を飼っているが、それぞれに交替で飼い犬の面倒をみてそれぞれ別行動
で旅行に出掛けるようにしているが、それも・上手に旅する・方法なのかもしれない。



025 天から舞い降りて来たご褒美

まったく・思いがけない・ご褒美には・正直・驚いた

2月1日(火)  晴れ  IH調理器の実習体験

川越の 「スイッチ・ステーション」 に着いたのは午前10時であった。開館時間
にはスタッフ3名の方々に歓迎の挨拶をいただいての入場となった。電力会社が
「IH調理器などのオール電化製品」 普及のために設けたショールームが この
サービス・ステーションであり、プレゼンテーション・ルームを兼ねている。

実際に 「IH調理器」などを使って調理をやってみせ受講生には実習の場を提供
している。我が家でもオール電化が実現して・・・

その便利さは 「エコキュート機器類の使いやすさ」を体験することで、日々、実感
として伝わってきている。同時に、夜間電力を活用した自動パン焼き機の便利さと
焼き上がりの香ばしさや美味しさも体験しつつある。

料理があまり得意ではない、私も、IH調理器の便利さが分かって、多少なりとも技
を習得すれば、これからの 「台所のデジタル化の波」 に乗れるかなと考えた。
(現実的には、いまだに・デジタル化の波に乗り切れていない)

また、知的な好奇心からも、IH調理器について電磁調理器の構造や働きについて
知りたくなり、電力会社のブースに出掛けてみたのである。
(この構造的な理解については大いに役立っている)

実際、ブースではIH調理器の内部構造をスケルトン調の現物で見ることが出来た。

調理実習では、実際に・・・

「鳥のから揚げを作る」
「シャケの切れ目を焼く」
「チャーハンを炒める」
「デザートを作る」 などの実習があった。

その調理の過程で電磁調理器のシステムについても分かりやすい説明があった。

「IHでは、調理器プレートは加熱されず、鍋が過熱されるが鍋からの熱伝導により
プレートも熱くなる」 と教わり、かつて隣家で安全性について説明をしていただい
たことを思い出した。


2月7日(月) 晴れ  新築祝いに蘭の花

暖かな陽気のため、厚手のセーターを着込んで車に乗ると、汗ばむほどである。

スーパーで買物を済ませて午前11時頃に自宅に戻ると、群馬県から妹夫婦が近く
の眼科医院の駐車場に、到着した旨の電話がかかってきた。

入間が丘の東町に引っ越してきてから、間もないため、我が家は、まだナビで案内
していないので近所の眼科医院を目印にして来ていただき私が駐車場まで出迎え
に行くことにしていたのである。

新築のお祝いに 「蘭の花」をもってきてくれた。東の方向に置くと良いというので、
日当りの良い場所を選んでいると・・・

「本物の花ではないので日当たりは不要だという」
今風に、光合成の仕掛けが施してあるとの説明があり本物の花とまったく瓜二つ
なので驚いた。

「部屋の中に早くも春が来た」 という印象で大ぶりの黄色い蘭だけに見事である。

黄色の花は、東方に置くと蓄財の効用があるという。他にも、大葱や大根、群馬の
銘菓 「旅がらす」や珍しい最中などたくさんのお土産をいただいて恐縮である。

飼い犬も、最初は吠えていたが、すぐに懐いて妹の旦那の顔をなめまわしている
ので驚いた。家内も海老や野菜などの天ぷらを揚げ、昨夜から準備したイカ飯や
お寿司などを振る舞って・・・

「久々な出会いに積もる話も満載」 で、楽しく、大いにお互いの親睦を深めること
が出来た。


2月8日(火) 晴れ  大型物置の設置

朝の天気予報では夜になって雪または雨の警告が出されていたため我が家に大型
物置の設置に来ていた職人さんも午前9時には作業を始めて、午前10時半頃には
設置完了というスピードぶりで作業を仕上げた。

本日の作業は、入間・青梅・八王子と終日で3軒分を請け負っており雪が降った場合、
自宅の坂戸までは、車では帰れないことになると心配しながら出したお茶も大急ぎで
呑んで、早々に引き揚げる様子であったので・・・

「よかったら、お茶菓子は持って行って下さい」 と、家内が、声をかけると、
「大好物なのでいただいて行きます」といって、早々に車を飛ばして行った。

古い中型物置を置いておく場所がないので、市役所のクリーンセンターに、携帯から
電話をすると・・・

「明日の午後でしたら引き取れます」
「物置の中身は、明日午後1時までには空にしておいて下さい」
「寸法的には分解しなくて大丈夫です」

というので助かったと思いながら、私と家内とで中身を大型物置の中に移し変えた。

そして外に出しっ放しにしてあり、不用心と思っていた長尺ものの梯子も大型物置
に収納してチェーンタイプの鍵でロックした。

家の周りもすっかり片付き 「これですっきりしたわ」 と、家内も喜んでいた。

「後は、大型物置の設置について、事前に隣家に了解をいただいた際に南天の植え
替えを家内と約束していたので明日の午後にでも作業しよう」 と決めて、その日の
作業は、これをもって終了とした。


2月9日(水) 小雪(後)晴れ  坪庭の整理が完了

驚きの新発見である・・・

妹が新築祝いにもってきてくれた 「光合成」のコーティングを施した黄色い蘭の花
の効果で 「涙目がちなアレルギー症状」 が治ってしまったのである。

もちろん妹には、お礼の電話を入れた。

そんなこともあり、本日の作業予定としていた植木類への鶏糞やりを気持良く済ま
せた後で、保水用のレンガの粉砕片を植木などの根元に撒いてたっぷりと水撒き
をした。

やがて、市役所からクリーンセンターの車が到着。運転席から、笑顔で降りて来た
お二人は旧住所において大型粗大ゴミの廃棄処分などで随分お世話になった方々
であった。

相変わらずの笑顔の対応で、搬出しにくい場所に置いてある中型物置を中庭から
外へ二人がかりで運び出してくれた。

これにより玄関脇の坪庭兼物置の場所を整理するための条件が整い、早速、敷石
の配列に取り掛かかった。この敷石により大型物置の使い勝手が俄然良くなった。

また自転車3台の配列も整理・整頓されて物置と坪庭とのエリア区分も整然とした。
後は、春先に草花や、植木の下草などを植えて水遣り道具などを整えながら、夏の
暑さ対策をして行けば、東町での暮ら方については大方の目鼻がつくことになる。


2月10日(木) 晴れ  ジェットエンジンを想い出す場所

狭山市祇園のテニスクラブに行く途中で、入間航空基地の脇を通り抜けて行く。
入間が丘の東町に越してからは、必ずといっても良いほどに、このコースを通る
ようになった。

道路沿いにはリタイアした航空機が展示してあり、ジェットエンジンの設計や製造
に、長年携わってきた人間としては 「引き寄せられる魅力のある風景」でもあり、
自ずと、テニス・スクールに行くときには、この道を通ることになる。

先日は、企業人としては大先輩の方が、航空関係の仕事に50年間たずさわった
記念にと書籍を出版された。

ご自分で手掛けた50年間のエンジンの歴史にご自分の半生を重ね合わせて記事
にされたものであるが、月刊の連載記事を連ねて再編集されたものだけに濃密な
内容になっている。

同じ時代を過ごしてきた私たちには、大いに共感・共鳴するものがある。

かつて、私が30歳代の時に、同行させていただき、米国・欧州の航空機やジェット
エンジンの製造会社やエアラインを 「管理工学(IE)」という面から調査させていた
だいたことがある。

約一か月間の駆け足での実情調査ではあったが得るものは多かった。

その影響もあり書籍に示された記事の内容について身近に感じたのかもしれない。
私が航空機用のジェットエンジン関係の仕事一筋に、定年満期まで現役を過ごす
ことが出来たのも大先輩のお蔭であり 「感謝・多謝」 である。


2月11日(金) 雪    懐かしい風景

今月の3連休の出足は雪の舞う天候でスタートした。
(連休中は雪や雨の予報である)。

それならばと理髪店まで歩いて出掛けた。旧住所のときには歩いて約5分で行けた
理髪店であったが東町の我が家からは歩いて約20分かかる。雪で滑っては危ない
と考えて長靴を履いて出掛けたところ、結果、雪の上でも足元がしっかりと固まって
具合が良かった。

帰り道は回り道をして 「昔、住んでいたところに、変化はありや?」 という思いで
寄り道をしてみたが、特に変化はなく、まだ、旧住居には人々が住んでいる気配は
なかった(たしか・引っ越しは・春先と聞いていた記憶がある)。

「北側のお隣のご夫妻は相変わらず、3連休には、伊豆の別荘にお出掛けの状況
らしく車庫には車がなかった」 懐かしい風景である。


2月12日(土)  雪(後)曇り  サイボクハムから贈り物

新築祝いにいただいたものの中で、特に嬉しかった優れものとしては・・・

「鎌倉の家族からの自動パン製造機」 および 「群馬県の妹夫婦からいただいた
光合成のコーティング処理を施した黄色の蘭の花」 を挙げることができる。

「朝起きたときにパンが出来ている」しかもパンの香ばしさが部屋中に漂う生活感
は嬉しい。この喜びは、私だけが感動するものではなく、家内共々朝食の大いなる
楽しみとして共に味わえるところがとても気に入った。

群馬の妹夫婦からいただいた黄色い蘭の花による光合成の効果で・・・

私の目のアレルギーが治った。群馬と鎌倉からの二つの喜びを感謝に変えるため
に私と家内は一緒にサイボクハムに出掛けた。

久々のサイボクハムの店内での買物であったが、特に変わった様子もなく、雪模様
の天候の中でも相変わらず店内は大繁盛であった。

店内では美味しいハムやソーセージの試食が好評で、集客の秘密はこんなところに
もあるようである。家内の選択眼で、両家にサイボクハムの詰め合わせキットを贈る
ことにした。

ひばりヶ丘の息子家族は新築祝いに現金をもってきたので、それを元手にして現金
を加え、孫のお雛さま代として、後日、お雛様の鑑賞会を兼ねて、家内が届けに行く
ことにした。


2月13日(日) 晴れ  大型物置の周囲の整備

久々の晴れ間となり散歩の催促が盛んな飼い犬のためにと午前10時頃から彩の森
入間公園に出掛けた。いつも通り、私と家内と二人だけで外周をウォーキングする。
次に飼い犬を連れて芝生めぐりをする。午後は飯能のKホームズに出掛けて大好き
な河川敷を歩かせたが、珍しく早々に帰りたがるので車に乗り込むことにした。

Kホームズでは、大型物置の設置完了に伴い、残金の支払を済ませるために支払い
の期限内に店を訪れたもので、今日はその帰り道に河川敷に寄ってみたという経緯
である。大型物置の設置については、的確な場所がなかなか絞り切れずに苦労した
ものの結果的には、最適の場所を選択できたと考えている。

先日の雪の日に、物置周辺の様子を見てみたが、あの雪降りのなかでも雪が積もる
こともなく、母屋のひさしが大型物置の前側を上手く覆っているようである。また大型
物置の前側に敷石や玉砂利を敷き詰めて整備したため出入りもだいぶ楽になった。


2月15日(火) 晴れ  純国産ジェットとの再会

夜半からの雪が降り積もって外は銀世界である。

所沢税務署に届ける書類があったので今日は早目に出掛けた。所沢の登記所に寄り
土地と建物の登記簿謄本を入手する必要もあったので、先に、登記簿謄本の用件を
済ませてから税務署に寄った。

税務署に・必要な書類を届けて外に出ると目の前に 「所沢航空発祥記念館」の案内
看板が目に入った。かねてから興味はあったものの場所が分からずにいたという事情
もあり、即 「入場する」 ことにした。

入り口に立つと 「入場料65歳以上無料」 とある。受付カウンターで、年齢証明の
免許書を提示すると 「展示会場と映画がありますが、どちらをご覧になりますか?」
と聞いてきたので 「両方とも見たいです」 と云うと 「映画については20分後には
で入場できます」という案内であったので先に 「展示会場」を見て廻ることにした。

驚くことに、場内には・・・

「私が設計部門に居た時に馴染みのある純国産ジェットエンジンの20007号機が
展示されていた」

これには、さすがに驚いた・・・

まるで、我が子に久々に出会ったような気持ちになって、半ば興奮しながらエンジン
の周りを撫でるようにして見て回ったことは云うまでもない。

一方、映画は 「縦15m・横20mの大きなスクリーンで上映」 さながら・自分が
ヘリコプターに乗り込んで操縦しているような光景が目の前で展開されて行く。

タイトルは 「ギリシャ」として紹介されていた。噴火によって埋没した島を考古学的
に探検して行くという物語である。美しい映像と共に興味深いストーリー展開の中で
「質問と回答を繰り返し交わすことによって、発想を発展させていった」 と云う・・・

「ソクラテスの方法論の説明」 が、興味深かった。

本日 「2月15日」 は私にとって忘れることの出来ない 「航空記念日」 となった
印象がある。

人生には思いがけない・・・

「ご褒美が天から舞い降りてくることがある」 ことを実体験した。



026 慰労会は伊豆の河津桜

2月16日(水)  晴れ  建築建屋のアフターフォロー

今日は、Jグループの中村さんが建築建屋のアフターフォローのために定刻に来て
くれたので、犬が苦手という中村さんのために飼い犬を小脇に抱え込んで、細かい
お願い事項を説明した。

◇一階和室の吊り型の押入れの襖の糊付けが不足していて雨の日などは襖が膨れ
てくるので直していただきたい

◇同じく、和室の押入の襖の敷居に相当する部分の白木が、ささくれてきているので
強化スプレーや強化材などがないかを調べて欲しい

などなど、出来るだけ詳しく説明して、地域の工事担当(兼)現場監督としての対処を
お願いした (建築建屋としては概ね良き出来上がりであり感謝・多謝)。


2月17日(木)  曇り  テニスで痛めた腰の荒療治

朝の布団の片付けで腰を少し痛めた。布団を押入れにしまう際に、縦長に持ち押入
に入れようとしたその試みがまずかった。これは腰を支点(梃)にして重いものを長尺
サイズで持ったことになり、当然の結果として・腰への負担は大きくなる。

最近の敷布団は厚みがある上に、重量もある。敷布団の上には、さらにまた厚手の
敷物が乗っていて重さが加わったため、非常に持ち上げ難い状態であった。

本日の木曜テニスは、予定通りに決行して、テニスで腰を動かすことにより、結果と
して腰を直してしまおうと、荒療治を考えて取り組んでみた。この荒療治は大成功で
あったが、明日からは上に重ねた敷物は別扱いにするという是正策を考えてみた。


2月18日(金)  雨(後)晴れ  慰労会は伊豆の河津桜

我が家としての 「T&K:ついの棲家Ⅱ」の完成を祝して、お互いの慰労会を兼ねて
伊豆の河津桜に出掛けた。

我が家では、私と家内は旅行などに出掛ける時に 「晴れ男」 と 「晴れ女」である
ことが多い。しかしながら今朝は起きたときに激しい雨音で二人とも驚かされた。

今日は、日帰りバスの旅で河津桜の見物に行くため、目覚しアラームを午前5時に
セットしていた。既に、天気予報で翌朝の雨予報は聞いていたので、昨日のうちに
地元の丸大タクシー会社に、時間指定で乗車の予約はしておいたが、これほどの
豪雨は考えていなかった。

それでも、午前6時30分にタクシーが玄関前に着いたときには、すっかり小降りに
なっていたので助かった。しかしながら、観光バスが指定の銀行前に到着したとき
にも、まだ・雨が止む気配はなかった。

天気予報では午前9時には雨は止んで河津桜の午後は晴れと云う情報であり・・・

半信半疑のまま車中の人となった。観光バスが首都高速を走っていて午前9時前
に雨が止んで、遠くに富士山が見えてきたときには、車内で歓喜の声があがった。
しかし、今度は、東名高速道路の大渋滞でバスはまったく動きがとれない状況が、
しばらく続いた。

最初のイベント会場である苺狩り農園には約1時間遅れて12時少し前にようやく
到着。渋滞のバスの中では、少し遅めの朝食としてカレーパンが配られたがまだ
食べたばかりであり、お腹は空いていなかった。

しかし、現地について、苺狩りともなれば・・・

「皆それぞれに別腹を持っている」ので、指定された苺ハウスに向かってぞろぞろ
と歩く。ハウス入り口では、コンデンスミルクと蔕を捨てるための入れ物がみんな
に配られて 「いざハウス内に出陣」指定された苺ハウスの品種は「べにほっぺ」
であった。
(偶然にも、一昨日、我が家の夕食時に味わったのもべにほっぺであった)

この苺は、今時の流行りもの・なのかも知れない・・・

はじめは 「コンデンスミルクなしで味わおう」と考えていたものの、思わず衝動的
にコンデンスミルクを付けて食べてしまった。こうなると、途中で、切り替えることは
難しいものである。テントの出口前まで、もぐもぐと・苺を頬張り続けた。

次に、菜の花摘みの会場に移動・・・

私には、菜の花の若芽を見つける能力がないと判断して、後は家内に任せ、早々
に退散することにした。
(家内は、せっせと菜の花摘みを続けていた)

後で聞いたことだが・・・

◇食用には若芽を
◇観賞用には満開の花を
◇我が家で植えるためには根のついたもの

を選別して摘んだという。
(その着眼と発想には脱帽である)

その後のランチバイキングは午後2時頃からとなり我々が昼食を済ませた後からも、
次々と観光バスが到着していたので、本日のバスツアーは軒並み1時間から2時間
遅れの行程となったようである。

バイキング会場からは天城越えをして、河津桜の会場につながるループ橋に入って
行った。このループ橋には、昔、自分たちの車を運転して来たことがある。

ずいぶんと昔のことなので来た時期は特定できないが、当時は私と家内で二人して
伊豆をドライブしようということになり、沼津で高速を降りて伊豆半島の西側から回り
込むルートで、南側の石廊崎に出てペンションで一泊した。

ペンションの宿では、明け方に林間の鶯の声を聞き、二日目にはループ橋を渡って
河津桜や七滝を見学して、その晩は、伊豆の東側の温泉宿で海鮮料理を堪能した
記憶がある。

当時の河津桜周辺の賑わいは、ぼんやりと覚えているが、桜の咲いている光景は
脳内の長期記憶から引き出せないので、随分、大昔であることは間違いない。

今回は、Kツーリストの添乗員が同乗しており、観光バスの車内からは・・・

「これが河津桜の原木です」 という案内で、先ずは、八分咲きの桜を鑑賞した。

「また、これが・原木の孫にあたる桜です」 などという、ツーリストの添乗員なら
ではの丁寧な説明があったので 「これならば・長く記憶に残せるかな」などと、
感じ入りながら、川津桜を心行くまで鑑賞した。

河津桜の賑わい処である川沿いの桜は 「咲き始めのもの」から 「三分咲き」
「五分咲き」 くらいまでが、それぞれに、愛くるしいピンク色の花を咲かせて、
まるで競いあって咲いているようであった。

河津桜の咲き具合は、その場所の日当り条件などによって微妙に違いが出てくる
ようであるが、河津桜の川沿いの景観は主役の桜だけではなく菜の花と川の流れ
が趣を添えており、ソメイヨシノなどの開花時期よりも、1ヶ月から2ヶ月は、開花が
早いこともあって 「春の訪れをいちはやく感じ取れる」 河津には、大勢の人々が、
我先にと駆けつけるようである。

その魅力は春先の千葉の房総と同じく、観光バスや自家用車が周辺の道路を埋め
尽くすことで良く知られている。ただし河津桜の観光客泣かせは早いときには、1月
には満開となり、遅いときには・3月になって咲き出すこともあるという。

これは観光客だけでなく、観光客を当てにした地元の商店泣かせでもあり・・・

その年になってみないと 「いつ桜が咲きだすのか分からない」という予測の難しさが
一方で 「ビッグイベントとしての面白さ」 につながっている様である。

「それじゃあ、その年になって・開花を確認してから、電車で河津に来るのが一番」と
いう声がツアー仲間から寄せられて、添乗員さんもいちおうは納得したものの・・・

「それでは、旅行会社や観光バスの会社が商売にならないわね」 という添乗員さん
の言葉に車内は大爆笑であった。

帰路は、運転手さんの好判断で 「山中湖に近いルートが選択」 されて、最短時間
で帰着することが出来た。

結果的には、1時間半の遅れを一気に挽回することになり、入間市帰着予定の時間
である午後9時を少し過ぎる程度の遅れで帰着することが出来て、一同、運転手さん
に感謝した次第である。

そして、全員が運転手さんと添乗員さんに拍手を送ったのは・・・

「夜目にも鮮やかな真白き富士山のシルエットを見ることが出来た」 瞬間であった。

そして、帰宅後に、リビングの引き戸のガラス越しに飼い犬の姿を発見・・・

引き戸を開けると 「嬉しそうに飛びついてきて、仰向けになり」 身体全体で喜びを
表現している。

これなら 「日帰り旅行は大丈夫」 日帰りならば 「飼い犬も・平常心で居られる」
ことが良く分かり 「これからは日帰り旅行が主体だね」 と二人で納得し合った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その後も、伊豆方面は、なにかと・エンジョイフルな旅先として定着・・・
(飼い犬にとっても近所にリラックスできるペットホテルを発見)

◇2019年(平成31年)には、鎌倉ファミリからの招待で伊豆の老舗旅館である
「望水(BOUSUI)」 に宿泊して、私の喜寿(七十七歳)と鎌倉の孫の私立中学
入学を合わせて祝っていただき、私はその喜びを・・・

星空文庫の万田ワールドに 「生涯青春ラケットとジェットの物語Ⅱ」 として記した。

◇また、今年の2020年(令和2年)には、再び・西伊豆の老舗旅館「松濤館」に
招待されて、富士山を眼前に仰ぎ見ながら部屋付き露天風呂や趣向の凝った
複数の露天風呂を堪能する機会に恵まれて家内共々・鎌倉ファミリとの親睦を
重ねた。

この時の感動は 「生涯青春ラケットとジェットの物語Ⅲ」として執筆予定であったが
この旅行が今年の2月初旬、その後の新型コロナ禍への対応に眼を奪われて、
執筆を中断、今後の菅総理による新政権によって、新型コロナ禍による被害が
沈静化された時点で、あらためて、執筆の機会をもちたいと考えている。

(完)


【エピローグ】

シルバーエイジの物語を喜寿を超えた知見を加えることでリニューアルすること
を宣言させていただいたが、序でも触れた様に、シルバーエイジの物語の執筆
は 「魂の叫び」であり、私が管理職としての定年を迎えたときに全社的な風潮
として、年齢が55歳を超えると人間的に能力が衰えてきて「無用な存在である」
様な風潮が、当時の社長からの思いとして発信され、居心地の悪い思いを定年
に到るまで背負い続けた。

そして、これは、当社ばかりではなく、一部上場会社における共通認識のような
雰囲気で日本全国に蔓延していることを知り合いのコンサルタント会社の社長
からも、直接的に言葉としてお伺いした。

しかし私にしてみれば、定年の日まで、技術情報管理システムの構築と定着に
奔走、守備エリアとなる三か所の事業所エリアでほとんど、休暇を取る暇もなく
「各所懸命」に、チームワークよろしく日々の業務に精励して来た。

そしてなんとしても 「60歳を超えても人間としての業務遂行能力は衰えない」
ことを実践する意味において、その後は、我が家の 「T&K:ついの棲家Ⅱ」を
建設することは格好の遂行テーマであった。
(これに伴って、シルバーエイジの物語を執筆することも、必須であった)

そして、その思いは、シルバーエイジの物語を喜寿を超えた知見を加えること
によって、リニューアルする過程で・・・

「60歳を超えても人間としての業務遂行能力は衰えない」 ことを確信するに
到ったと云える。

そして、最近になって、なによりも・・・

日本国において 「菅総理が誕生、71歳」にしてその知見と政権運営における
遂行能力は素晴らしく、私の経験談などを述べるまでもなく、国際的な認知度に
おいて55歳を超えても人間としての才気溢れる行動が示されたことは嬉しい。

最近になって 「少子高齢化による人口減少の問題」 が提示されて久しいが、
菅総理が示すところの・・・

◇不妊治療の保険適用による若い世代への費用面からの支援強化

◇菅総理自らが示す、75歳くらいまでは、現役でバリバリに働けると云う実践
的な行動

◇そして、最近になって進化の著しい AI と ロボットを組み合わせた労働力
を駆使して行けば

その解決に暗雲の兆しもあった 「少子高齢化の問題」 にも解決に、向けた
展望が開かれて行くのではないだろうか。
(これによって、総合的な労働力の確保に向けて、良い方向に向かう)

(結)

【連載】シルバーエイジの物語 Book 1

【連載】シルバーエイジの物語 Book 1

一生涯学生作家(万田竜人)としての処女作を喜寿を超えた知見を加えることでリニューアルすることにした(そこには新しい風景が見えてくるかも知れない)・・・

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-03-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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