(2020年完)本編TOKIの神秘録 最終部「望月と闇の物語3」(海神編)

ごぼうかえる

(2020年完)本編TOKIの神秘録 最終部「望月と闇の物語3」(海神編)

望月家の物語三話目です!
後悔の感情はなかなか消えない。
魂がきれいにならない。
しかし、あの男にはその感情がない。
なんで、あの人は私たちのために苦しんでくれないの。
なんで、あの人のが先に消えるの?
どうして……。
ジャパニーズファンタジー2020。

一話

凍夜(とうや)から逃げたルルと憐夜(れんや)は夜の世界をひたすらに走っていた。この世界は赤い空に砂漠ではなく、明け方になりかけている空に木々が乱立する森の世界だった。
「……はあはあ……なんか同じとこをグルグル回っている気がするよ……」
ルルが憐夜に不安な表情を向ける。
「薄暗いからよくわからないわね……」
憐夜は困惑していた。
ルルが現世の神であることを知っているため、逃げられるのが「Kの使い」であり、霊である自分だけなのはわかりきっていた。
憐夜は「Kの使い」であって「K」ではない。おまけに「特殊なKの使い」でもないため、ルルを連れて世界から離脱するのは不可能だった。
つまり、憐夜と明夜以外、この世界内をずっと逃げ回らなければならない。
気がつくと黒い人影がたくさん現れていた。人影はゆっくり不気味に揺れながらルル達の方へと迫ってきている。
「それから、なんなの? こいつら!」
憐夜は半泣きで後退りをしつつ、叫んだ。
「これは……厄だよ。黒く染まった負の人間の感情だよ。人型をしているから人間の。私は厄避け神だからわかるの。憐夜、私の後ろに……」
ルルは憐夜を後ろに回すと、手を前にかざした。
ルルが手を前にかざした刹那、まわりの黒い人影が弾けるように消えていった。
「なに!?」
「……厄を浄化したの」
憐夜の驚きの声にルルは冷静に答えた。
「すごい……」
「とにかく、逃げよう!」
ルルが憐夜の手を引いて逃げようとした時、憐夜の「待って!」という声が響いた。
「……!? どうしたの?」
「言わなきゃいけないことがあるの……あのね……」
憐夜が先程考えていた内容を口にしようとした刹那、銀髪の、やたらと髪がトゲのように立つ男が音もなく現れた。
「……っ! えーと……誰だっけ……」
「さっき会った……」
憐夜とルルが蒼白のまま、名前を思い出そうとしていると、横から鋭い声がかかった。
「竜夜!! 待て!」
茂みから出てきたのは明夜(めいや)と俊也(しゅんや)だった。
「明夜さんと……」
「あー、えっと俊也です」
憐夜とルルが混乱していたので、俊也はとりあえず自己紹介だけをした。
「俊也さん……」
「出会って早々に竜夜がいるとは」
明夜は眉を寄せつつ、憐夜とルルを背に回し、折れた刀を構えた。
竜夜の瞳には何も映っておらず、ただこちらを睨み付けていた。
「竜夜、見逃してくれない?」
明夜が頬に汗をつたわせながら尋ねる。
「……見逃しはしない。お前らはお父様を裏切った」
竜夜は睨み付けながら、憎しみの感情がこもる声で言った。
「戦ったら勝てないんだ。だから見逃してくれ」
明夜はさらに言葉を重ねる。
「見逃せるわけないだろ。裏切り者」
竜夜はさらに鋭い視線でこちらを見据えていた。
「まずいな……どうする? あ! 俊也、盾になってくれ」
「え!?」
明夜は俊也を引っ張ると、一番前に押し出してからゆっくり後ろに退いた。
「ち、ちょっと! 僕に死ねと!?」
「違う違う。今、君が望月家の一番上。凍夜は君を殺さない。だから安全なんだ。逆に」
「ああ……漫画とかで女の子の盾になるってこういう気持ち……」
俊也は怯えながら明夜に引っ張られていく。
確かに竜夜は襲ってこなかった。
「竜夜、何してるの? さっさとやっつけなさいよ」
ふと、少女の声が明夜達の後ろから響く。
「……?」
恐る恐る後ろを振り返ると、銀髪の少女、猫夜(びょうや)がいた。
「げ……」
明夜が顔色を青くした時、猫夜は憐夜(れんや)を呼び寄せた。
「憐夜、何してるの? 契約を結んだでしょう?
こちらで手伝ってちょうだい」
「や、やだ」
憐夜は首を横に振り、否定。
「やだ? それは通らないわよ。契約を結んだんだから」
「なんなの? その、モノを扱うみたいな契約!」
憐夜は猫夜に怒りをぶつける。
「あなたは『Kの使い』なんだから契約を結んだら従うのが当たり前でしょう?」
「当たり前じゃないよ。私達は人形じゃない。使いは様々だけれどね、人間は特に個々がある。だから、従わなくてもいい。平和を願う『K』が服従なんてさせないよ。普通」
憐夜の言葉に猫夜は眉を上げた。
「あなたを見てるとイライラする。あれだけお父様に壊されて……まだ歯向かうの?」
「歯向かう? 違うよ。普通のことを言ったのよ。ねぇ、自分はできない選択だから悔しいの?
そうなの?」
憐夜の挑戦的な目付きに猫夜の怒りは頂点に達した。言われたくない事を沢山の人がいる前で言われた、父に殴られ叩かれて泣いていた憐夜から、そんなことを言われたのはかなり屈辱だった。
「お父様にお仕置きしてもらいましょうか? 鞭じゃすまないわよ。憐夜」
猫夜の凍りつく発言に憐夜は体を震わせたが頭を横に振り、息を吐く。
「大丈夫。皆が守ってくれる……。私はひとりじゃない。お兄様もお姉様も仲間もいる。だから……あなたには屈しない」
「……っ」
憐夜の真っ直ぐな目に猫夜は言葉を失った。
「……どうして……なんで? あなた……お父様に殴られただけて泣き叫んで土下座してたじゃない!
みっともなく、『ごめんなさい、許してください』って……」
「そうだったわね。でも、今は違うわ。怖い気持ちはあるけれど、仲間が沢山いるから平気」
憐夜は呼吸を整えて猫夜を睨み付けた。
「このっ……お父様に捕まってしまえ! 竜夜! なにしてんのよ! さっさとやれ!!」
猫夜が荒々しく竜夜に命令する。
「お父様の命令に反してしまうだろ。お前こそ、当主を殺せばどうなるかわかるよなあ?」
「……ちっ。わかったわよ」
竜夜の発言に猫夜は酷く冷たい顔をし、ゆっくり憐夜達の場所へ歩いてきた。
明夜達は猫夜の能力を知らない。なぜ、丸腰のまま敵である彼らの方へ歩いてくるのかわからなかった。
気がつくと猫夜がいなかった。
「……? どこいった?」
明夜が焦った声を上げた刹那、前にいた俊也から殺気を感じた。
明夜はなんだかわからないまま、慌てて俊也を離し、後ろに後退した。
「いっつっ……」
後退した直後、明夜に鋭い痛みが襲う。肩先から生温かいものが手首に流れ落ちてきた。
「血!? 斬られた!」
明夜は肩先を押さえて動揺した顔を俊也に向ける。
俊也は
「竜夜、崩したよ」
と微笑んでいた。
「……猫夜だわ! その俊也さんは猫夜!!」
憐夜が叫び、ルルと明夜は慌てて俊也から離れる。
すると、いつの間にか小刀を持った竜夜が明夜の目の前にいて、懐(ふところ)に入ってきた。
「……まずい!」
明夜が折れた刀で竜夜の小刀を弾く。
その時、突然明夜達は動けなくなった。
「な、なんだ!?」
「影縫いだよ。明夜。竜夜が影縫いの術をかけた」
俊也に扮した猫夜が勝ち誇った顔で笑った。
「うう……動けない!」
ルルも金縛りにあったかのように動けなくなった。
「……皆!」
憐夜だけはなぜかかからなかった。よくみると憐夜の足元に、もうひとりの俊也が呻きながら横たわっていた。おそらく、こちらが本物で竜夜は俊也がいるために、憐夜の影に針を投げて縫い付ける事ができなかったのだろう。
「憐夜! ひとりで逃げて!」
「みんなは?」
「いいから!!」
ルルの叫びに憐夜は慌てて世界から離脱を始める。彼女は「Kの使い」であり、霊なため、自由に離脱できる。ここで移動できないのはルルと俊也だ。彼らは現世を生きる者達であるため、「K」か彼らを連れていける特殊な「Kの使い」でなければ離脱できない。
ルルはそこまではもちろんわかってはいなかったが、憐夜を助けるべく、そう言った。憐夜が捕まれば先程の猫夜の恨みにより、酷い暴行を受けそうだったからだ。
「追いなさい。なにしても構わないから連れ戻して」
猫夜は怒りを押し殺した声で三人組の人形を出すと、命じた。
三人組の人形は小さく頷くと離脱した憐夜を追って去っていった。

※※

一方で拘束した鈴を抱えて弐の世界をさ迷っていた千夜(せんや)と狼夜(ろうや)の前に、突然にトケイが出現した。先程、猫夜の人形が飛ばしたトケイがここに現れたようだ。
「……っ!」
別の世界に身を隠す予定だった二人は慌てて立ち止まる。
トケイは鈴を見つけると足についているウィングを回して襲いかかってきた。
「なんだ!?」
狼夜が戸惑いの声を上げる中、千夜は狼夜を掴み、素早く方向転換して逃げ始めた。
「……時神弐現代神(ときかみにげんだいしん)鈴が排除すべき者になっているようだ。とにかく、逃げるぞ」
千夜は感覚を研ぎ澄ませてトケイからの攻撃を間一髪で避けながら進む。
トケイはしつこく千夜達を追い回していた。正確に言えば鈴を。
「狼夜、どこかの世界に一度落ちるぞ」
「はい」
狼夜が千夜に返事をした刹那、千夜が眉を寄せた。
「どうしました?」
「更夜の気配がする」
「では、そちらに……」
千夜の一言に狼夜が答えようとした刹那、トケイの切り裂くような回し蹴りが飛んできた。
「速いっ……」
狼夜は千夜を守り、トケイの足を受け流す。
「……お姉様、更夜お兄様がいるのなら鈴を連れて逃げてください。こいつは俺がいったん抑えます」
トケイは千夜が抱えている鈴目がけて攻撃を加えるが、狼夜が必死で受け流した。
狼夜は防御ではなく、受け流す術を持っているらしい。今もトケイの回し蹴りを手で撫でるように受け流し、回転がついたトケイは止まれずに上に舞い上がっていた。
「狼夜、頼んだ」
千夜は鈴を抱え直すと一直線に更夜(こうや)達がいる世界へと落ちていった。
トケイが追おうとするが、狼夜に体の軌道を変えられ、勢いで横に飛ばされた。
「少し柔術まがいのをやっていたんだ。……ちっ」
舌打ちした狼夜の顔が歪み、頬に切り傷が現れる。狼夜はつたう生温かい血で斬られたと気がついた。
「風圧で頬を切りやがった……こいつ」
狼夜の睨みも効かず、トケイはいなくなった鈴の気配を探している。
「俺は眼中にねぇのかよ」
狼夜はトケイを好戦的な表情で見据え、意識の集中を始めた。

二話

千夜は鈴を抱えながら高速でどこかの世界に落ちていった。
世界に入ると重力がかかり、飛んでいた者は落ち始める。
「……更夜はいるか?」
千夜は落ちながら辺りを見回した。ここは凍夜に犯された、赤い空に黒い砂漠の世界だった。
千夜は鈴を抱えつつ、音もなく砂漠に着地する。
「お姉様……と鈴!」
ふと男の声が聞こえた。千夜は更夜だとすぐに気がついた。
「ああ、更夜、鈴を捕まえたが少々厄介なことになってな……」
「はい……とりあえずご無事で良かったです。ここには実りの神と海神がおります」
更夜は鈴を気にしている感じだったが、気を失っている鈴に対して騒ぎ立てるのもおかしいので黙っていることにしたようだ。
とりあえず、更夜は千夜を促しつつ砂漠の山を登った。登った山の反対側に降りると、座り込んでいるメグと困惑しているミノさんがいた。
「姉が来た。少々厄介な事になったようだ……」
「厄介?」
更夜の言葉にミノさんは眉を寄せる。
「ああ、鈴を捕まえたが、なぜかトケイが突然に現れて、鈴を狙ってくるのだ。今は狼夜がなんとか抑えている」
千夜は手短に話した。
「アイツがこんな近くにまた出てくるとは……」
ミノさんは頭を抱えつつ、震えた。
「また……とは?」
千夜はいままでトケイがここにいたことは知らない。
「ええ、先程まで彼はここにいたのです。まあ、話すと少々長くなるのですが……」
更夜は要点だけ軽く伝えた。
「なるほど……複雑だな。サヨの中でエネルギーとして溶けていたものを形にしただと。聞いたことがないな。それでそれをトケイが元に戻しに来たと」
千夜は眉を寄せたが一応納得したようだった。
「はい。それよりも、狼夜にトケイを任せるのは心配です。加勢に行った方がよろしいでしょうか?」
更夜は赤い空を睨む。千夜は今にも飛び出しそうな更夜を抑え、
「……いや、まだ動かなくてよい」
と言った。
「何かお考えが……?」
「狼夜はお前が考えているよりも遥かに強い。どこで稽古をつけたかわからぬが、あのトケイを受け流す技を持っていた。そういえば、タケミカヅチから刀神を渡されるほどの使い手。呪縛のない状態なら、おそらく一番強い。追加で彼は呪縛のかかった状態でお父様に攻撃をしている。精神力ともにダントツで強い」
「……そうでしたか。では、メグが落ち着いたらお姉様の術を先に解きましょう」
更夜が提案するが、千夜は首を傾げた。
「待て、アヤがいなければ……」
千夜が言いかけた時、
「問題ない……」
と、メグが答えた。
「平気なのか?」
「もう、大丈夫。落ち着くまで待ってくれてありがとう。千夜さん、実はアヤは関係がない。猫夜を騙すためにああ言ったにすぎない」
メグは呼吸を落ち着けると再び、言う。
「今から千夜さんの中に入る。千夜さんは鈴を守っていてほしい」
「ああ、そうか。私自身は中には入れんからな」
千夜は気を失っている鈴を背中に回し、いつでも逃げられる体勢をとった。
「ミノさん、更夜、行くよ」
メグの掛け声に二人は深く頷いた。
「弐の世界の管理者権限システムにアクセス……『介入』」
三人は千夜の中に入り込んで行った。

※※

暗闇。
メグ達が立っていたのは毎回見る、あの屋敷の前だ。ただ、今回は闇夜。月がない真っ暗な夜だった。山の中なので、得たいの知れない獣の声がする。
「うまく入れたみたいだな」
更夜はメグに確認を取った。
「うん。千夜の過去のよう」
「で、どうすんだよ」
ミノさんは不安げな顔をメグに向ける。
「千夜に接触する。手順は変わらない」
「そうか」
ミノさんの声を最後に三人は黙って千夜が来るのを待った。しかし、いくら待っても千夜は現れない。
「……お姉様は屋敷の中にいる」
「え?」
ふと小さくつぶやいた更夜にメグとミノさんは同時に声をあげた。
「わかる。姉の気配は忍として未熟だ。まだ、子供だろうからな」
「……では、屋敷に入るしかなさそう。一回目は接触できずに失敗する可能性が出てきた……」
メグの言葉を更夜は首を振って否定した。
「いや、この時の姉は弱い。今も気配がおかしいくらいにぶれている。俺も含めて当時の兄弟達は皆、泣いて助けを呼んでも誰も来なかった。皆、助けを叫んでいたのだ……。……いくぞ」
更夜はメグ達に目配せをすると素早く飛び出していった。
「お、追いかけるか?」
「うん」
ミノさんの問いに小さく頷いたメグは更夜の背中を見つつ、追いかけた。ミノさんも後に続く。
裏口の扉を静かに開け、暗い廊下に入り込む三人。障子扉の部屋の内の一部屋のみ蝋燭(ろうそく)の灯(あか)りがともっていた。
「……メグ、キツネ耳、影を映すな。見つかるぞ」
更夜の鋭い声音(こわね)にミノさんの肩が跳ねた。ミノさんの影の一部が障子扉に映る前に引っ込む。
廊下は恐ろしいくらいに静かだった。
「あなた達、やっと来たわね」
ふと、後ろから消えてしまいそうな女性の声が聞こえた。
ミノさんの肩が再び跳ね、声にならない悲鳴がミノさんの心で反響した。
「お母様」
更夜は吊り上げていた眉を戻し、佇(たたず)む女を見据えた。
女は最初に会った時よりも若く見えた。
「千夜は……泣き叫び助けを求める。この時の私は弱くてヤツに文句の一つも言えなかった。怖かった。だから耳をふさいで震えたまま、涙を流して怯えていただけ」
女は歯を食いしばり、蝋燭が揺れる障子扉の奥を睨み付けた。
「……私達がお姉様を助けますので、お母様はお気を確かに」
更夜に言われ、女は目に涙を浮かべながら安堵したように頷いた。
こちらの世界の女はまだ、若い娘のようだった。もしかするとサヨと変わらない年齢なのかもしれない。
「……せつないな」
ミノさんは小さくつぶやく。
死後の世界とはいえ、過去を見ているとはいえ、この女にはこれから不幸しか降りかからない。
誰からも守ってもらえることもなく、ただ涙と血を流すだけ。
元々が捨て子だというのだから、さらに救いようのない人生だ。
自分の血を分けた子供が幸せになることを許されず、暴力により狂い、兄弟同士で傷つけ合い、殺しにまで発展する。
どんな気持ちだったのだろう。
考えるだけで苦しくなる。
「……この障子扉の先に千夜と凍夜がいるということでいい?」
メグが女に感情なく尋ねた。
メグも負に染まらないように必死だったのだ。
「ええ」
女は短く言うと更夜に抱きついた。女は震えていた。
更夜は静かに母を抱きしめ、頭を撫でてやる。
「大丈夫です。もう、大丈夫」
「……私は……はじめから……怖がりなの」
「大丈夫。私達がいます」
更夜は母に声をかけ続ける。あの時の自分が母を安心させられる人間だったらどれだけ良かったかと思いながら。
「……凍夜が……なんか話してる」
メグのささやきで一同は再び顔を引き締めた。

三話

「千夜、剣術で他の望月に負けたのは何回目だ? なまけすぎだ。俺に恥をかかせたいのかな」
凍夜の冷たい声が千夜を突き刺している。
「……完全に力負けを……」
「力負け? 笑わせる。本気で殺しにいかなかっただけだろう」
メグ達の耳に凍夜の感情のない声が聞こえ、渇いた破裂音が響く。
「うっ……申し訳ございません」
その後、千夜のうめき声が流れた。風を切る音と皮膚を打つ渇いた音が何度も障子扉ごしに響いてくる。
「……凍夜がお姉様を鞭で打っている。いつもの仕置きか……。凍夜は鞭が好きだ。的確に痛めつけられる上、そんなに疲れないからな」
更夜は目を細め、つぶやいた。
「あいつ、本当にクズだな」
ミノさんはいらだちを表に出していたが、なんとか抑えていた。
弾く音が聞こえる中、千夜は声すらあげない。代わりに凍夜の声はよく聞こえる。
「しかし、お前は痛みに強いな。忍としていいことだ。捕まっても口を割らない良き忍になれる。そろそろ上の拷問の練習にいくか。仕置きと訓練が同時にできるのは時間の無駄がはぶけていいな。そうは思わんか?」
「……はい。そうですね。……どうなさるつもりですか?」
千夜は恐ろしいことに平然と凍夜に答えていた。
「一段階上げよう。庭の焚き火を使おうか」
「……っ」
廊下側ではない向こう側の障子扉が開け放たれ、明るい火の影がゆらゆらと揺らめいていた。
火に照らされた千夜と凍夜の影がメグ側の障子扉に映った。凍夜は庭の焚き火に入っていた細長い棒を取り出した。肉を焼くようなにおいがメグ達の鼻をかすめる。
凍夜は熱した鉄をそのまま素手で持っていた。凍夜に痛覚がないのか平然と棒を握っている。
「さあ、これだ。仕置きが一段階上がったな。とりあえず尻辺りからいくか」
「……」
凍夜の楽観的な声とは逆に千夜の息を飲む音がした。
「まあ、痕が残るが問題はない。お前には『子を産む力さえあればいい』。その他に使えるところはないからな」
「……」
凍夜の残虐な言葉にメグ達も言葉を失っていた。
……千夜は……こんなことを言われていたんだ……。酷すぎる。
「酷すぎるぜ……。本当にあいつには人の心がねぇのか……」
ミノさんがつぶやいた刹那、千夜が初めて嗚咽を漏らした。
「……許してください……。それっ……それだけはっ……」
「諜報に失敗して捕まった忍が、謝罪すれば許してもらえると思うか? そんなわけはねぇだろ? なあ? それにこれは俺がお前にする仕置きだ。お前は俺に口出しできる立場ではない。やるかやらないかは俺が決めるのだ」
「……いやっ! やだ! 誰か……おかあさん! おがあざん!! 助けて! だずげでー!」
千夜が泣き叫びながら障子扉にすがろうとした刹那、障子扉を勢いよく開けてメグ達が飛び出した。
「……?」
急に開いた障子扉から現れた三人組を千夜は涙を流しながら見上げた。
「お姉様、助けに来ました」
「……たす……け?」
更夜は幼い千夜を素早く後ろに回すと凍夜を睨み付けた。
「……誰だ? ずいぶんと俺に似ている」
凍夜は興味深そうに更夜を見ていた。
「……未来から来たお前の息子だ」
更夜は刀の柄に手をかけながら静かに言い放つ。
「ふっ……変なやつだな。その娘は俺のだ。返していただこう」
「お前はお姉様の心から消えろ」
「……更夜、感情を抑えて」
いらだちを見せている更夜にメグがささやいた。
「すまぬ……」
小さくあやまった更夜を上から下から眺めながら凍夜は含み笑いをしていた。
「お前は強そうだ。お手並み拝見といくか」
この時の凍夜はかなり好戦的だったようだ。まだ若いからか。
以前のように退かず、当たり前のように刀を抜いた。先ほど平然と持っていた鉄の棒を再び焚き火に置くと、刀を構え直した。
「千夜、よく見ていろ。剣術は型にはまらぬ方が良いのだ。……ははは!」
狂気的に笑った凍夜は関節をならしながら更夜に攻撃を仕掛け始める。
「……っ!」
凍夜は関節を外しながら自分の間合いを広げ、更夜に斬りかかってきた。
「……」
更夜も関節を外しながら凍夜の刃を避けていく。
「なんだよ。あいつら、関節を外しながら動いてるぞ……」
ミノさんが青い顔で小さくつぶやいていると、幼い千夜が訝しげにこちらを見ていた。
「……あなた達は誰だ?」
千夜は子供らしい声の高さで背伸びするように尋ねてきた。
「え? ああ、助けに来たんだよ。なあ?」
ミノさんは尋ねられてから、慌ててメグに助けを求める。
「……ええ。あなたを助けにきた。更夜に加勢するつもり。あなたも、怖いと思うが、お父さんに立ち向かってほしい」
メグは幼い千夜の頭を優しくなでながらそう答えた。
「……立ち向かう……。お父様は怖い。私は勝てないと思う」
下を向いた千夜に、メグは目線を合わせるように腰を落とすと口を開いた。
「それは協力者がいれば別。勝てないと思っているならば、協力者に頼ること。あなたはひとりじゃない」
「ひとり……じゃない……」
メグの発言に千夜の目から涙がこぼれ落ちた。
「そう、ひとりじゃない」
「誰も助けに来てくれなかったのに……諦めていたのに」
千夜は嗚咽を漏らしながらメグに手を伸ばした。メグは千夜の痩せた体を強く抱きしめ、声をかける。
「つよくなんて、ならなくていい。あなたは、もうじゅうぶんつよい」
メグの言葉に千夜は子供らしい子供に戻っていく。千夜の涙がメグの肩あたりをだんだんと濡らしていった。
「私は男にならないといけないの。男の忍になるために……軽くなるために食事も抜いて、日々戦って強くなって、大人に勝てないといけないの。夜も寝てはいけないのよ」
「辛かったんだね」
「うん」
千夜が千夜ではないみたいだ。こちらの千夜が本当の千夜なのだろう。
「女の子の言葉を使うとお父様から叩かれるの」
「もう叩かれなくてもいいんだぜ」
ミノさんが耐えきれずに千夜の手を掴んだ。
「おたくの弟はすげぇ強い。だから、それに甘えながら、おたくが自由を掴むんだ!」
「……お父様に向き合ってみろってこと? あたし……怖いわ」
千夜の本性は弱々しい少女のようだ。
「大丈夫だ。おたくにはあの男がいるから」
ミノさんは息切れすらしていない更夜を指差した。 お互いに攻撃を仕掛けている凍夜と更夜だが刀がぶつかり合うことはない。
どちらも関節を外して、あり得ない方向から攻撃を避けている。目には見えないが、何か忍術をお互いにくり出しているようだ。
「やっぱ忍者だな。速すぎて何をしてるのかわからねぇ」
「……お父様が影縫いをかけるために針を放つが、相手が針が刺さる前に移動。お父様は次に糸縛りをかけようとするが、相手が糸を刀で斬る。お父様が催眠術をかけようとするが、相手にはなぜか効かない。みたいな感じをやりながら剣術をしている」
千夜にはすべてが見えていた。
「……見えるのか……」
「見える」
千夜が頷いた刹那、凍夜が口角を上げながら口を開いた。
「千夜、この男の隙をついてみろ」
凍夜は千夜に、更夜の隙を見つけて攻撃しろとの命令を飛ばした。
「え……」
千夜は戸惑った。助けてくれた自分の弟だと言う彼を攻撃しなければならないのか。凍夜の意図はわかっている。更夜は千夜に攻撃できない。そこを狙えと言っているのだ。
「千夜、お前に自由はない」
「自由はない……」
千夜が再び絶望へ落とされかけた時、千夜の母が飛び出してきて必死に叫んだ。
「千夜! 私も戦う!」
「……おかあさん」
「諦めないで!」
二十歳を超えたばかりの若い母は、体を震わせながら凍夜を睨み付ける。この時の彼女は凍夜という夫が心底怖かった。優しくされたことはなく、千夜が産まれたのも無理やりだった。
人数を増やすための家畜だと言われて、昼夜暴行され、泣きながら毎日を生きていた彼女には立ち上がる勇気はなかったのである。彼女達は時代により頭である男に従う以外に生きるすべはなかったのだ。
「わ、私は戦う! 千夜は?」
「……あ、あたしは……」
「千夜……こんな時代だけど、一緒に自由を掴もう?」
母はいつも優しく千夜を見守っていた。千夜が心をなくしてもずっと千夜をかばっていた。
「……自由……お父様を殺すことが自由なの? あたしはお父様を殺したくない。誰も殺したくない」
千夜の悲痛な声に皆、顔をしかめた。更夜も凍夜と死闘をしている。殺しにかからなければ殺されるのだ。凍夜には何を言っても意味はない。
「他に呪縛を断ち切る方法を考えないと。千夜は優しいから」
メグが凍夜の動きを見つつ、考える。凍夜は更夜の刀をぎりぎりで避けながら千夜を急かしていた。
「はやくしろ。忍に迷いはいらんぞ。お前はただ、操り人形のように動けばいいのだ。今動けば仕置きをなくしてやる」
「……」
千夜は凍夜の言葉に感情が揺れていた。今をとるか、絶望かもしれない未来をとるか。
「お姉様、ここでこの男を捨てなければ、後々にあなたは私達と共にかわいい妹を殺してしまうことになる。……簡単なことです。この男に逆らってください。この男を捨ててください」
更夜は刀を構え直してから、背中ごしで千夜に言う。千夜は涙と鼻水で顔を汚しながら頭を抱えた。
「望月の柱を捨てるなどできない」
「こいつは……この男は上に立てる人間などではありません。望月を背負うのはこいつではなく、『あなた』と『あなたの息子』です!」
更夜は語気を強めて千夜に言った。
「散々言ってくれるな。千夜は上には立てん。いくら男を装っていても女はどうせ女だ」
凍夜の嘲笑にも似た乾いた笑いが響く。更夜は息を深く吐くと凍夜をじろりと睨み付けた。
「そうか。あなたは後悔することになる。お姉様は俺達の上に立ち、あなたを追い詰める」
「ほう、千夜はそこまで成長するのか。いいことだ。では今後もしっかり教育せねばな」
更夜の睨みを流した凍夜は心底楽しそうに笑っていた。
……狂っている。
誰もがそう思った。
人の心は本当に持ち合わせていないようだ。
「千夜、このまま突っ立っているだけならば命令違反としての仕置きをおこなうぞ? 火鉄打ちだ」
「……ひっ」
千夜が恐怖で歯を鳴らす。更夜は我慢ならずに叫んだ。
「ふざけるな! そんなことをしたら死んでしまうぞ! 子供が死ぬか死なないかすらもわからんのか! このうつけ!」
「更夜! 落ち着いて!」
更夜の荒い息だけが断続的に聞こえ、メグは血走った目をしている更夜に鋭い声を上げる。
しかし、更夜は続けた。
「俺達はお前を『恨んでいる』ぞ。これからもずっと、死んでからもずっと! 絶対に忘れない。俺達の子孫もお前を許さない……。絶対に許さねぇぞ……凍夜ァ!」
「お前はそんなので忍なのか?」
凍夜は更夜の怒りを軽く流すとおかしそうに笑った。
「……お前が俺達を『残虐な忍にした』んだ。お兄様もお姉様も妹も、狼夜も猫夜もっ!」
「更夜……、落ち着いて! 記憶だから、これは!」
メグの言葉に更夜は荒い息を吐いて黙り込んだ。
「あたしの弟っていうあの人は、なんであんなに怒っているの?」
「それは家族だからだ」
千夜の疑問にミノさんが答えた。
「家族……近くの村に住む人間と同じような感覚なの?」
「……それはわかるんだな」
「うん」
「うらやましかったか?」
「うん」
千夜は恥ずかしそうに淡々とミノさんに頷いた。
「お父さんをどうする?」
ミノさんは千夜に優しく声をかけた。千夜は口をつぐみ、下を向いた。
「わからない。でも、争いは嫌」
千夜は悲しげに鞭打たれた背中をさすりつつ、言葉を続ける。
「でも……あたしは……言う」
言葉を切った千夜は息を吸い込み、気迫のこもる声で叫んだ。
「お父様はおかしい! あたしとお母様を傷つけても変わらない! 人間はそんなに単純じゃない! そしてあたし達を傷つけた罰を受けるべきだ!!」
千夜の声に凍夜はバカにしたように笑った。
「バカバカしい。現に俺に罰を与えられるやつはいない。俺の所有物に何をしようが関係ないだろう。飼い主に逆らいたくば飼い主を殺せばいい。そう教えたはずだが? 望月家はそうやって発展するのだ。この……俺の息子と言い張る奴も飼い主を殺しにきた。お前が男になるならば、俺を殺しにこい」
「……できません……。お父様だから……かぞくだから……」
千夜は控えめに涙をこぼし始めた。
「では従え。従えないなら死ね」
凍夜の一言が場を震撼させた。
千夜は息を飲み込むと決意のこもる目で言い放った。
「あたしたちは自由を掴む。従わないし、生きていたい。皆自由に生きたいはず」
千夜の声は震えていた。今までの常識を壊すのには勇気がいた。
千夜は目に涙を浮かべながら、歯を鳴らす。浅い呼吸と震えに言葉が出てこない。
「あ、あたしはっ……」
千夜が再び凍夜に自分の決意を叫ぼうとした刹那、何かが弾けるような音が聞こえた。
「……な、なんだ!?」
ミノさんは肩をびくつかせながら辺りを見回す。
「ミノさん、落ち着いて。千夜が自分から呪縛を断ち切った」
メグの発言に一同は目を見開いた。千夜は凍夜と戦うことなく、術を解いたのだった。

四話

「お姉様が自ら術を……」
更夜は少しだけ呆然としていたが、すぐに我に返り、凍夜を軽々斬り捨てた。どうやら千夜に勝たせないといけないと考えたようで、一歩のところで手を退いていたらしい。
凍夜は不気味な笑みを浮かべたまま白い光に包まれて消えていった。
「更夜……手を抜いてやがったのか……恐ろしい男だぜ……」
ミノさんが青い顔でつぶやいた刹那、辺りはいつもの真っ白な空間になった。
千夜も元の千夜に戻る。
「……術を切れたのか……。『凍夜』に立ち向かわずに」
千夜は自分の両手を見、体を見て異常がないことを確認した。
「あんたは強かったのよ。千夜……」
「お母さん……」
千夜は若い母を視界に入れ、涙ぐんだ。今までの自分を思い出して罪悪感が沸き起こる。
千夜は今まで、母を助けようとすら思っていなかった。むしろ、凍夜に壊されていく母を見下し、父に従い暴行を加えたこともある。
「お母さん……お母様……ごめんなさい。私は……」
「わかってるわ。やっと解放されて良かったわね。私はあなたを恨んだことはない。安心して」
母は軽く微笑んだ。その優しさが千夜をとても苦しめる。
「許せるわけが……」
千夜が母に手を伸ばす。母は千夜の両手をしっかり握り、抱きしめた。
「許してる。もう『どうでもいい』の。そんなこと。あなたも母親ならわかるでしょう? 千夜」
母の言葉に、千夜は産まれたばかりの時に引き離された明夜(めいや)を思い出した。
「……母親……。私は母親にはなれなかった……。明夜は……行方がわからない」
千夜は涙を堪えながら下を向いた。
「大丈夫。明夜は最初から凍夜に従っていないから。あの子は私達に灯りをともしてくれている。心優しい子」
「……会ったのですか?」
千夜は目を見開いて母の顔を見る。
「見たことはある。今は凍夜の城から逃げようとしているわ。あなたの子孫だって元気一杯な優しい子だから私はそれだけで嬉しいのよ」
「お母さん……」
母の言葉を聞いた千夜は涙を拭って立ち上がった。
「私にはまだ……やることが残っていました。今度は息子のため、子孫のために戦います……」
「それでいいのよ。千夜……。もっといっぱい食べさせてあげたかった。あなたは小さい頃の栄養不足で体が成長しなかったのよ。女の子らしい体つきに、健康的にしてあげたかったの。あなたの弟達は自分で勝手に食べていたけど、私は川で魚をとることもできなかったから……」
母は千夜に申し訳なさそうに言った。
「……お母さん、ありがとう」
千夜は母の想いを受け取り、頭を深く下げてお礼を言った。
母は軽く微笑むと今度は更夜に目を向ける。
「更夜、あなたの娘、静夜(せいや)も元気よ。彼女はあなたを恨んではいないわ。あなたの妻もこちらであなたに会いたがっている。そういえば色々と聞かされたわ。あなたは奥さんと娘に優しくしていたようね。子孫も元気よ。だから、あとはあなたのもう一人の娘を救いなさい」
「なぜ隠し子の事を……。もうひとりの娘は……鈴ですか?」
更夜は目をわずかに開く。
「そうよ。あなたは鈴を娘のように可愛がっている。あなた達が楽しそうに笑う過去をみたことがあるわ。……ちなみに、静夜達を知っているのは、会ったことがあるから」
「そうでしたか」
「あとは憐夜(れんや)ね。あの子は強い。凍夜の呪縛にはかかっていない。今も仲間と逃げている」
母の言葉に一同の顔色が明るくなった。
「良かった!」
安堵の表情を浮かべてる最中、母が白い空間に溶け込むように消え始めていた。
「お母様!」
「私はもう消える。でも最後まで見守るわ。憐夜達を助けてあげて。私は凍夜の結末をこの目で見届ける」
母はそれだけ言うと背景に溶けて消えていった。
「……負けるわけにはいかなくなった」
「そうですね」
千夜の言葉に更夜は答え、白い空間もなくなっていった。

※※

「戻ってきたか」
千夜の声が聞こえ、メグ達は我に返った。赤い空に黒い砂漠が視界に入る。
「いい気分だ。自由を感じる」
千夜は息を一つつくとメグ達の元へと歩いてきた。背中には意識を失っている鈴がいる。
「お姉様、ご無事でしたか」
更夜が代表で声をかけた。
「ああ。ありがとう。締め付けられるものがなくなった気がする。後は狼夜がまだトケイを抑えているから次は鈴の呪縛を解くか?」
「そうですね……お姉様はこちらに残ってください。私達の侵入中に猫夜が来たらとりあえず、逃げてください」
「そのつもりだ」
更夜に力強く頷き返した千夜は、メグ達を見る。
「連戦だが大丈夫か?」
「……待って。鈴の場合はもっと人数がいる……。凍夜が人ではなくなっているから。アヤやサヨがいた方がいいかもしれない。しかも記憶には猫夜がいる」
メグは眉を寄せながら小さくつぶやいた。
「そうか。なら、直接対決で術を解くしかないな……」
「お、おいおい……マジかよ……。あいつに会いに行くのか?」
千夜の言葉にミノさんの顔から血の気がひいた。
「問題ない。鈴には私達がついている。負ける気がしないのだ」
「マジかよ……」
ミノさんが怯えていると更夜が口を開いた。
「キツネ耳、もう過去に行く必要はなくなったようだ。凍夜と対峙する故、目が覚めるまで鈴を抱えておいてくれないか?」
「……そ、それならできそうだ……」
ミノさんは声を震わせながら鈴を受けとる。鈴はまだ起きる気配はない。
「……ではもう一つ、トケイはどうやって元に戻す?」
千夜がもう一つの疑問を口にした。
「……トケイは……『K』のデータ修復ができればたぶん戻る。今は『K』である『あや』がひとりで修復をしている」
「メグが『K』なら『あや』とやらの手伝いができるのか? しかし、時神アヤと同じ名前とは詳しくは知らんが深い関係がありそうだな……」
千夜が首を傾げつつ、唸る。
「関係は深い。あやのバックアップデータが時神アヤ。彼女達を守っているのが父親の健(けん)だと言われている。詳しいことはよくわからない。それよりも、狼夜を助けつつ、『Kの世界』へ向かいたい」
メグは赤い空を仰いだ。
「わかった。向かおう」
更夜が代表で深く息を吐きながら答えた。

五話

あやがいる場所に行くべく、メグ達は赤い空に黒い砂漠の世界から抜け出した。宇宙空間にネガフィルムが巻き付く場所に出た時、狼夜(ろうや)がトケイの攻撃を受け流しているのが見えた。
「ほんとだ。あいつすげぇな……」
ミノさんが目を見開いて驚いた時、
「ごたごた言ってる場合ではない。少しだけ待っていろ」
と、千夜が狼夜の邪魔をしないように近づいていた。
「お姉様」
「……狼夜、いったん逃げるぞ」
「……」
狼夜はトケイを危なげに受け流すと千夜と共に逃げ始めた。
「追うよ」
それを見たメグは自分の使い、セカイを出すと千夜達を追っていった。メグが進むとミノさん達もついてくる。
『K』は壱の世界の魂も運べる。
本来なら現世を生きる者達は弐を動き回ることはできないが、『K』がいることでそれが可能であった。
トケイは再び、ミノさんが抱いている鈴に目を向けた。トケイは速度を上げると、ミノさんに突っ込んでいく。
「うわっ! やっべぇ……」
ミノさんが殺気を感じて小さくつぶやいた。
「俺が!」
いち早く動いたのは狼夜で、メグがセカイを動かすよりも速かった。狼夜は横からの回し蹴りを手の甲で流れに任せつつ、押した。
トケイの足は微妙に軌道を変えられて、狼夜達に当たることなく通りすぎていった。止まる部分を失ったトケイはそのまま回りながら、狼夜達とはかなり離されて飛ばされた。
「すげぇ……」
茫然とするミノさんを一瞥してから、メグは先へと進んだ。
メグ達は千夜になんとか追い付き、そのまま一緒に進む。
「狼夜、大丈夫か?」
「問題ありません」
千夜は狼夜を心配したが、狼夜に体の不調はなかった。
「おたく、マジですげぇな……」
ミノさんは怯えた顔を狼夜に向け、つぶやいた。
「それより、トケイが来る。スピードを上げる!」
メグが鋭く言い、千夜、狼夜、更夜達、霊は進む速度を上げ、さらに蛇行しつつトケイをかわしていった。トケイは無機質な目でメグ達を捉え、無駄なく追いかけてきている。
「速い……」
トケイに追い付かれそうになった時、目の前に「Kの世界」があった。
「あった! 防護プログラムが解除されてる。入れる!」
メグが一言そう言って、弾丸のように真っ直ぐ「Kの世界」へ落ちていった。

※※

一方、サヨ達はこれからどうするか相談中だった。
「次はどうするよ? あたしさ、狼夜とか千夜を探せって言われて、元々ここに来ちゃったんだけど」
サヨは頭を抱えつつ、アヤ達を見る。
「トケイもいなくなってしまったし、敵対していた華夜(はなや)もいなくなったから、ここにいる意味はないわね……」
アヤは辺りを見回してから確認するように逢夜(おうや)を仰いだ。
「ああ、このまま敵の本拠地に乗り込むのも、心もとないな。やはりお姉様と狼夜に会うのが一番……」
逢夜が考えを巡らせていると、すぐ真上の赤い空から何かが落ちてくるのが見えた。
「ん……?」
「なんか……落ちてくる……」
サヨが目を凝らすよりも先に逢夜が動いていた。
「あれは憐夜(れんや)だ!」
「え!?」
アヤとサヨが同時に声を上げる。
「憐夜!」
逢夜は高く跳躍すると、憐夜を抱き止めた。
「お兄様! いた……。よかった! たまたま落ちただけで……あのね……」
憐夜が話している最中、逢夜が砂漠に着地し、アヤとサヨが近寄ってきた。
「憐夜、良かった……。って、怪我をしているじゃねぇか!」
逢夜は涙ぐみつつ、憐夜を眺めると苦痛の声を上げた。
よく見ると、憐夜はあちらこちら擦り傷を負っていた。
「お兄様! それはいいんですが、あのっ……」
「いいわけあるか!」
逢夜は厳しく言い放つと、憐夜を抱きしめた。
「いや、あの……」
憐夜はなんだか様子がおかしい。何かに焦っているようだ。
「逢夜! 上見て! 秒で!」
「なにしやがる!」
サヨは逢夜の首を無理やり上に向けさせた。逢夜の目線の先で三人組の人形が光のない瞳でこちらを見ていた。三人組の人形は憐夜を追うように、こちらに突進してきていた。
「……っ。あいつらは……」
「猫夜のドールだわね」
戸惑う逢夜にアヤが冷や汗をかきながら答える。
「……憐夜を追っていたのか……」
「お兄様、私、猫夜からすごく嫌われました。あの人形に攻撃されています」
逢夜に子供らしく伝えた憐夜は戸惑った目で逢夜を仰いだ。
「憐夜、よく戻ってきた。本当に良かった……。とりあえず、あれは俺に任せろ」
逢夜は憐夜をアヤ達に預けると小刀を抜く。
「なに、かっこつけちゃってさ、 あたしもやる! ごぼうちゃん!」
サヨはカエルのぬいぐるみ、ごぼうを出すと、逢夜の背中を半目(はんめ)で見つめた。
「……まあ、あの二人はやっぱりどこか似ているわね……」
「似ている?」
アヤの言葉に憐夜が首を傾げた。
「ええ。なんかそっくり。……私も微力だけど頑張るわ」
アヤが答えた時、逢夜が人形とぶつかる音が響いた。

六話

異様に硬い人形達の攻撃に、逢夜は苦笑した。三人組の人形はつまようじを片手に、かまいたちやら、居合い抜きやらをやってくる。
つまようじは刀のように鋭く、気を抜くと斬られてしまうくらいに硬い。
「一体どうなってんだよ……」
逢夜がため息をつくと、三人組の人形から黒い靄(もや)が出始めた。
黒い靄はやがて人型になると、四方八方から逢夜達に攻撃を仕掛けてきた。
「オイ! 増えたぞ! サヨ! 守れ!」
「えらそーに!! わかってるってば! えーと……『同調』!」
逢夜の声にサヨは悪態をつくと、ごぼうを危なげに動かし始めた。
サヨと繋がったごぼうは、視界が広がり、サヨの指示にうまく従うようになった。
「お! なんか上手くなってね?」
サヨが襲い来る人影を、ごぼうの格闘術で凪ぎ払いつつ、つぶやいた。
「……サヨって強いんだね。あんな速い攻撃を防いでる。あのカエルのぬいぐるみを操っているのもサヨでしょう?」
憐夜は小さい声でアヤに尋ねる。
「そうだわね。いつの間にあんなに動けるようになったのかしら……」
アヤはそんなことを言いつつ、自分のやるべきことを模索し始めた。逢夜は小刀一本で三人組の、強力な人形の相手をしている。手のひらサイズの人形達に力負けしそうになるくらい彼女達は強かった。
ドールのうち、ひとりが光の球体を飛ばしてきた。逢夜はなんだかわからずに、とりあえず避ける。
光の球体は弾丸のように飛び、黒い砂漠を深くえぐりながら爆発をした。
「……いっ……。なんだ、あれ……。サヨ! 妙な術を使ってくる。気を付けろ!」
「それならたぶん、ごぼうちゃんもできる! 真似しよう!」
サヨは冷や汗をかきながら、ごぼうに指示を飛ばした。
……大丈夫。やり方はわかってきた。ここは夢の世界。想像の世界でもあるんだ。だから、できると思えばできるんだ!
サヨは鋭い目を三人組の人形に向け、ごぼうを操る。ごぼうは同じような光の球体を出すと三人組の人形に飛ばした。
「あたしのはちょい違う! 追尾機能付き! どこまでも追え!」
サヨは弾幕ゲームなどによくある、自機を追尾する弾を思い浮かべた。
……できる。
さっきもできたんだ。
試しに反射神経が神がかってると思ったら、あの動きができた。
……あたし、気づいたよ。
あいつら、Kがどうやって人形を動かしているか。
なぜ、「子供」が多いのか。
夢を追っているやつらが多いからだ。
ごぼうが出した弾は三人組の人形を驚かせた。避けても追ってくる不思議な弾だ。司令塔の猫夜がいない今、彼女達はテンプレートな動きしかできない。視界が狭いからだ。弾が見えないのである。
「リンネィ! 斬って!」
三人組のドールのうち、フランス人形風な少女が、着物姿をした黒髪少女に叫ぶ。着物姿の少女リンネィは、フランス人形風な少女を追尾している光の弾をつまようじで切り捨てた。
「ムーン! 小刀が来る!」
フランス人形風な少女は、今度は茶色のパーマ髪の少女に叫ぶ。
ムーンと呼ばれた茶色のパーマ髪の少女は、空気を切り裂くように凪いできた小刀をつまようじで受けた。
「シャイン! 手助けするでござい!」
逢夜の刀をつまようじで弾いているムーンが、フランス人形風な少女、シャインに叫び返した。
現在、彼女達は司令塔の猫夜がいないため、代わりにお互いの危険を知らせあっているようだ。
「リンネィ、一発やって!」
シャインが着物姿の少女リンネィに一言言うと、シャインはつまようじよりも強力そうなファンタジーの武器を出して、逢夜に斬りかかっていた。
「ぐっ……」
逢夜が装飾品のついた剣を、小刀で受け流す。しかし、相手方の力が異常だったため、押し負けてしまい、肩を薄く斬られてしまった。
「私も、なんとかしないと……」
ひとり、戦況を見守るアヤは、逢夜が危険になったらすぐにでも時間を止める準備をした。
人形は疲れないのか、激戦にも関わらず、疲れを見せていない。
だが、なぜだろう。すごく辛そうに見える。
三人組の人形はまたも、黒い影を出現させた。それを見たサヨはごぼうを操り、黒い人影を切り裂いていった。
「アヤさん、お人形さん達、辛そうね」
アヤの影に隠れていた憐夜が、アヤに小さくつぶやく。アヤにもそう見えた。猫夜は「K」の理を外れている。もしかすると、外れた猫夜に従うのが辛いのではないか。
「……憐夜、ちょっと彼女達に話しかけてみる?」
アヤの突然の問いかけに、憐夜は驚いて目を見開いた。
「話しかけるって?」
「どう思っているのか聞いてみるってこと」
「……どう……思っているか……」
憐夜は拮抗して戦う両者をそっと見据えた。

七話

「お、お人形さん達!」
憐夜はとりあえず、声を張り上げてみた。アヤは突然に憐夜が声を上げたので、やや驚いた。
「ちょ、ちょっと! まだ心の準備が……。何を話すのかも決めてないし!」
アヤが制止するも、憐夜は続ける。
「猫夜が……、猫夜があなた達を苦しめてる。あなた達は、平和を愛する『K』の使い。猫夜を止めたくない?」
憐夜がそう尋ねると、人形達は素直に手を止めた。それにより、サヨ達も攻撃をやめる。
「なんとか……なんとかしてくれるでごじゃるか?」
人形の内の一体、和装のリンネィが代表で憐夜に言葉を発した。同じ、『Kの使い』である憐夜の言葉に反応したようだ。
「なんとかなるよ。私達を見て。視野を広げて! 私達は猫夜に敵対をしていないでしょ。むしろ、助けたいよ」
「裏切り者の『K』を倒すのではないのでごじゃるか?」
不安げなリンネィに憐夜は無垢な顔で頷く。嘘偽りない顔だ。人形は元々、子供のオモチャだ。子供の心には素直に反応を示す。
「『K』も『Kの使い』も争いは好まない。だから、争いたくない。私達と猫夜を止めよう?」
憐夜の言葉に誰もが息を飲んだ。
「争いは猫夜を止める段階で、おそらく起きるでごじゃる」
リンネィは残りのふたりを見ると、そう答えた。
「……それは止めるため。向こうが攻撃してきたら、もちろん守る。でも、よく考えて、私達がここで争う理由はある?」
「……」
三人組の人形は黙り込んだ。
「……ないわね」
三人組のうち、フランス人形っぽいシャインが小さくつぶやく。
「……では、どうすればいいのでござい?」
パーマをかけた髪をした人形、ムーンが困惑ぎみに尋ねてきた。
「それは、サヨの使いになる」
「なっ!?」
憐夜の言葉に、三人組の人形と共に、逢夜達も驚いた。一番驚いていたのはサヨだ。
「ちょいまち! あたしはごぼうちゃんを操るので精一杯! それにそんな簡単に猫夜から離せるの!?」
「わからない。私は一度、猫夜の使いになってしまったけど、従わない! って突っぱねたら関係が切れたみたい」
憐夜がサヨに無邪気な目で言う。
「それ、人形と人間で同じ感覚で関係が切れるわけ?」
サヨは苦笑いのまま、三人組の人形を一瞥した。
「……ど、どうなの?」
アヤが恐る恐る人形に尋ねる。
「……私達は猫夜を見捨てられないでごじゃる。だから……」
リンネィが口ごもりながら、先を続けた。
「今は退く。様子を見ることにする……でごじゃる」
リンネィはシャインとムーンを視界に入れると、目を伏せつつ、空間転移で消えていった。
「成功……したのかな……」
「根本的な答えはなかったわね」
憐夜が不安げにつぶやき、アヤがそれを拾って答えた。
「憐夜、ありがとうな! まさか、話し合いに持っていくとは思わなかったぞ」
逢夜は微笑みながら、憐夜を撫で回し、憐夜はおとなしく突っ立っていた。頬に赤みがさしていることから、逢夜にほめられて嬉しかったようだ。
「ねぇ、お兄様?」
憐夜は逢夜にふと、不安げに尋ねる。
「なんだ?」
「猫夜に……ひどいことしないって約束してくれますか?」
憐夜は気性の荒い逢夜を心配しているようだ。昔の逢夜は恐怖で人を縛るようなことをしていた。
「……しねぇよ。罰を与え合うのはやめたんだ。もう、これじゃあ何にも守れねぇって気がついた。気づいたのは死んでからだが」
「……そうですか。疑ってごめんなさい」
憐夜は申し訳なさそうに目を伏せた。
「いや、いいんだ。当然だからな」
逢夜は憐夜を軽く撫でると、様子を見ていたアヤとサヨに目を向けた。
「お前ら、怪我はないか?」
「ないわ」
「ないね」
二人はそれぞれ返事をする。
「これからどうするか……。サヨの通りに、お姉様と狼夜に合流するか?」
「皆バラバラな状態なら一人ずつ回収していくっきゃないっしょ? それとも、猫夜の人形を追いかけて、凍夜をぶっ飛ばす?」
サヨは自信に満ちた顔でパンチを繰り出した。
「……さすがにこのチームだと不安があるな。サヨは俺に似て、激情型だ。奥深くに進みすぎて、痛手を負う感じになりそうだぜ」
「失礼な! まあ、じゃあ、皆を探そうか……」
さあ、いこうとしたところで、突然、アヤがぼそりとつぶやいた。
「……私って、役に立っているのかしら……」
アヤのささやくような声を聞いた逢夜は、ちらりとアヤに目を向けてから、素直に頭を下げた。
「ありがとうな。時神。あんたは俺達を助けてくれている。心強いさ」
「……そう」
アヤは納得がいっていない顔で頷く。
「アヤ、アヤがいなかったら、ここまで来れてないよ! アヤ、ありがと! これからもどーぞよろ!」
今度はサヨが満面の笑みでアヤの背中を叩いた。
「……サヨ、ごめんね。気を使わせて」
「いーから、これからも一緒にきてね! はい、じゃあ、いこ!」
サヨは手を軽く叩くと、アヤ達をふわりと空へ巻き上げた。
「そろそろ、最終決戦ってかんじだねー! 燃えるわ!」
サヨはごぼうを肩に乗せると、赤い空に向かい、高く飛んだ。

※※

「Kの世界」に無事に落ちたメグ達は、黒い砂漠の中であやを見つけた。あやは必死に電子数字をいじっている。あやの様子を見ると、まだ「K」のプログラムは壊れてしまっているようだ。
「あや!」
メグが声をかけた刹那、暴走していたトケイが、腿(もも)についているウィングを動かしながら、突進してきた。
「はやすぎるぞ!」
ミノさんが叫び、千夜、更夜、狼夜がそれぞれ構え、攻撃に備えた。先に動いたのは狼夜だ。トケイの一撃を上手く受け流した。
「初撃は流しました!」
「いいぞ、狼夜! そのまま次にいくぞ。メグはあやを手伝え!」
狼夜が報告し、千夜が指示を飛ばす。狼夜、千夜、更夜の三人はトケイを抑える方向に頭を持っていく。
しかし……
「……来たのは……トケイだけじゃない!」
と叫んだあやにより、メグ達の表情は青くなった。あやの近くで銀色の髪が揺れる。
「何をする気……? 凍夜(とうや)……」
あやは冷たい汗を拭いながら、突然に現れた凍夜を睨み付けた。
「凍夜!」
狼夜、千夜、更夜が凍夜の姿を捉えるなり、牙をむく。
「なんだ? 俺が来ただけで警戒か」
凍夜はこの場に似つかわしくない爽やかな笑みを浮かべ、そう言った。
「……もう、世界を壊すのをやめろ。凍夜……」
更夜が底冷えするような声音を出し、凍夜を睨み付けるが、凍夜にはまるできいていない。
「……さあて、俺がやりたいことはひとつだ。よくも散々やってくれたな」
凍夜は威圧を放っていたが、呪縛を断ちきった彼らに効くわけはない。
「やりたいこと……?」
千夜が眉を寄せた刹那、世界に異変が起こり始めた。
「な、なに!?」
「まずい!」
動揺している一同をよそに、更夜だけが焦った表情を浮かべた。
「どうした?」
「逃げましょう! いますぐに!トケイと 鈴が正気を失っているため、『未来』と『今』が奪われました! 俺の能力を使って俺達を過去に戻しています!」
「なんだと!」
千夜に更夜は珍しく焦った表情で叫んだ。過去に戻される、それは今までの苦労がなかったことにされるということ。
そう、呪縛を断ち切る前に戻されるということだ。
「……逃げるしかないのか……」
「お姉様!」
千夜が奥歯を噛み締めながら、凍夜の薄ら笑いの顔を睨み付ける。
「お、俺が残る……。俺が戦う! 俺なら影響を受けないはずだ……。俺は現世の神だ……」
緊迫した雰囲気の中、いままで黙っていたミノさんが静かに声をあげた。それを横目で見たメグも頷く。
「私も残る。私は現世の神で、K。時間の干渉から外れる。あやが今まで頑張っていた世界の修復が、巻き戻されて間に合わない。私も手伝う」
「……大丈夫なのか……」
千夜は心配そうにふたりを見つめた。千夜は迷っている。ずっと凍夜に虐待されていた千夜は、凍夜を許すことができない。呪縛を断ちきった状態で出会えたのだ。千夜の心の奥底にあった復讐心が沸き上がってきて、正常な判断が遅れていた。
「お姉様! 決断を!」
更夜の声が流れていく。空を浮遊していたトケイは、より脅威な凍夜に照準を合わせ、凍夜に攻撃を仕掛けていた。凍夜はトケイの攻撃を黒い靄のようなもので弾く。
「……トケイにとられてしまう……」
「お姉様!! 正しい判断を!」
更夜に肩を揺すられ、千夜は我に返った。
「逃げるぞ……いったん、離れる」
千夜はギリッと歯ぎしりをすると、ミノさんから鈴を受け取った。
「キツネ耳、メグ、死ぬな。少し離れるがすぐに戻る」
千夜は判断の遅さを悔いるように、すばやく、力強く黒い砂漠を蹴った。
「頼む」
更夜も頭を軽く下げ、千夜について去っていった。
「いったん、俺も退くぞ。いいか?」
狼夜がミノさんに、遠回しで「大丈夫か」と尋ねた。
「いいから! 俺達には構うな! 早く……早く行け! いままでのことを無駄にすんな!!」
ミノさんの震える声が風に乗り、赤い空に舞い上がっていった。

八話

サヨ、逢夜(おうや)、憐夜(れんや)、アヤは散り散りになった仲間を集めるため、赤い空の世界から宇宙空間に出ていた。
サヨの「K」の力を使い、霊ではないアヤを運ぶ。サヨはまだ、ミノさんやメグや更夜が、雷夜と戦っていると思っている。
「……まず、皆の手助け? メグのところに戻ろうかな。 アヤ達を助っ人に、襲ってきた猫夜ともうひとりの男を倒す」
「そうね……」
サヨの後ろを飛んでいるアヤが、小さく頷いた。
「ほら、すぐそこだ。更夜がいるはずだから心配はないと思うがな。俺が見てきてやるから、待ってろ」
逢夜が姿を消した状態のまま、声だけ発した。霊は宇宙空間だと、頑張れば姿を見せていられるが、意識をしていないと見えなくなる。
少ししたら、また逢夜の声が聞こえた。
「見てきた。誰もいねぇ。気配すらない」
「え!? いないわけ?」
サヨが声を上げた刹那、逢夜の姿が現れた。
「いねぇよ。どっかにいっちまったらしい。ここは、現世じゃねぇから、世界から世界への『風移しの術』は使えねぇ。どこにいるかわからねぇな」
「風移しの術?」
「ああ……風向きを見て、鳥の羽を風に流して、仲間に自分の居場所を知らせる忍術だ」
サヨが首を傾げたので、逢夜はため息混じりに答えた。
「ほぇー、すごいおもしろそう! 忍術大好き! ごぼうちゃん使ってやってみようかな!!」
「はあ?」
サヨはいたずらっ子のように笑うと、目を丸くしている逢夜達をよそに、ごぼうを呼んだ。
「ごぼうちゃん!」
「はいはい。サヨ、なあに?」
「風移しをやる! よろ!」
サヨはポカンとしているごぼうに、ふんぞり返って言った。
「ごぼうちゃんは『Kの使い』。現世を生きる奴らを運べるよ! そんで、アヤ!」
「な、なによ……」
サヨに呼ばれて、アヤは困惑しながら返事をした。
「役に立ちたいって言ったよね?」
「え……」
アヤを見据えながら、サヨは勝ち気な顔で叫んだ。
「弐の世界、管理者権限システムにアクセス、『同調』」
サヨはなぜか、ごぼうと繋がった。
「……?」
「アヤには、ごぼうちゃんと偵察に行ってもらうね。『鳥の羽』代わりに」
「なに言ってるのよ?」
「アヤとごぼうちゃんは居場所がわかる! あたしがごぼうちゃんと繋がってるから!」
サヨの得意気な顔を見ながら、アヤはさらに眉を寄せた。
「つまり、私が、カエルのぬいぐるみに連れられて、あちこち行きながら仲間を集めるってこと?」
「ザッツ、ライ! あ、ザ、つらいじゃないから、そこんとこよろ」
サヨが元気に返事を返してきたので、アヤは不安げな顔をしたまま、さらに尋ねた。
「憐夜さんとか、逢夜さんはどうするの?」
「彼らはあたしを守る役! ごぼうちゃんがいないと、何にもできないもん。つまり、ある一定の場所で待機してる。あたしが、敵に落ちたらマケ。だから、あたしは隠れて今は指揮する。アヤには護衛のごぼうちゃんがいるから、なんとなかなる! 頭いいっしょ!」
「後半雑な気もするけれど……、いい判断だと思うわ」
アヤの顔色が悪くなるが、アヤはやる気で頷いた。アヤはいままで、ひとりで何かをしたことがない。だから不安なのだ。
だけれど、役に立てるチャンスなら頑張りたい。
「おい、アヤ、大丈夫か? お前、身体能力高くないだろ」
「アヤ……」
逢夜と憐夜の心配そうな声がする。それを打ち破るようにサヨが声を上げた。
「大丈夫! アヤには、ごぼうちゃんがいる。つまり、モニターであたしもいるわけ」
「だけど、サヨ、『Kの使い』はそんな遠くまで通信できないでしょう?」
憐夜が姿を現して、心配そうな顔をサヨに向ける。
「できるよ。あたしなら。想像物を操るのはコツがいる。夢の世界に住んでいる『K』は想像物を想像物だと思っていない。アヤ、あんたは、自分が想像物だって常に考えてる?」
「……考えていないわ。確かに神だから想像物よね。私……」
「そう、つまり、人形、ぬいぐるみとかが、動いているのを、『想像物だと思えるK』が少ないから、人形達をうまく扱えない。皆、当たり前になっていて、想像物を想像物だと思っていないから上手くいかない。こちらの世界が常識になってる。……だけど」
サヨは口角を上げて不敵に笑うと、再び口を開いた。
「あたしは現世から来た。当然、人形は動かない。最初、こっちに来たとき、びっくりしたよ。神様は見えるけど、ぬいぐるみがしゃべって動くとは思わなかった。つまり、現世の常識がある人は、『あたりまえ』になっていないから、『想像できる』。それが人形を操るコツ。だから、現世に生きている、あの親子の『K』も普通では考えられないことができる」
「あやと、お父さんの健ね」
アヤの返事にサヨは深く頷いた。
「アヤ、大丈夫だから行ってきて」
「……信じるわよ……。あなたのぬいぐるみが動かなくなったら、私、どこかの世界に落ちて、動けなくなってしまうんだから……」
アヤが不安げにサヨを見るが、サヨがウィンクを返してきたので、アヤは不安になるのをあきらめた。
「じ、じゃあ……行くわね……」
「いってら!!」
サヨはさっさとアヤを送り出した。ごぼうは宇宙空間を飛ぶように跳ね、アヤも引っ張られるように強制的に連れていかれた。
「がんばれー」
「おい、サヨ……」
サヨが手を振っていたところへ、逢夜があきれた顔で現れる。
「ダイジョブだって!ダイジョブ、ダイジョブ! 大丈夫!」
「あの神は身体能力が低いんだぞ……。本当に平気なのか?」
逢夜にサヨは勝ち気な瞳を向けた。
「あんた、女が皆、弱いと思ってんでしょ? わかってないなあ。女に甘い男は女には好かれるけど、女に騙される男なんだぞ。ひひひ……」
「ああ?」
サヨのバカにした態度に、逢夜は少しだけ、いらだちを見せた。
「女はね、あんたが思っているよりはるかに強い。ひとりになったときなんて特に。度胸があるからね。まあ、男がいると、頼りたくなる生き物だったり。女は皆、それがわかってるよ。自分が、男がいらないくらい精神的に強いこと。ひひひ……」
「……ちっ、女の裏側を覗いた気がする……」
サヨの不気味な笑みを見つつ、逢夜は顔をひきつらせた。
「男のが優しいんだよね。あたし、知ってる。とりあえず、下の世界に隠れよ?」
サヨは逢夜に満面の笑みを向け、頷いた。
「調子狂うぜ……。憐夜、すぐ下の世界に隠れるぞ」
「はい。お兄様」
憐夜は複雑な笑みを向けつつ、逢夜に頷いた。

九話

アヤはごぼうと共に宇宙空間を滑っていた。
「はあ……私、首突っ込まない方が良かったかしら……。あんまり役に立ててる感じがしないのよね」
「何言ってるんだよ。サヨは君がいるだけで、心強いって言ってたよ」
サヨの言葉なのか、かえるの言葉なのかわからないが、ごぼうが目を吊り上げて、少し怒っている雰囲気で言った。
「そうかしら? まあ、いいわ。探すって、どこを探す?」
「うーん……」
進みながら考えていると、不思議な時間の歪みをアヤが感じ取った。
「ねぇ……なんか……この近くで強い時間操作を感じるわ」
「時間操作?」
「ええ……。巻き戻されているような……」
そこまでつぶやいて、アヤはあることに気がついた。
「巻き戻されているって、かなりまずいわ!! いままでの努力がなかったことに……」
「更夜達の呪縛もなかったことになるのかな?」
ごぼうの言葉に、アヤはさらに顔を青くした。
「いかなくちゃ……サヨにも連絡しないと……」
「ボクが繋ぐよ! サヨ!」
ごぼうが声を上げると、サヨを呼んだ。すると、呼び出し音が鳴り、サヨの声がごぼうからした。
「はーい? アヤ、なんかありげ?」
「よくわからないけれど、過去戻りの力が強いところがあるの。これから行ってみるわ。せっかく解いた呪縛をなかったことにされそうなの!」
「なんだって!? びっくりぽんなんですけど!! 凍夜の野郎のせいなわけ? それ」
サヨの驚いた声が響き、奥の方で逢夜達の尋ねる声が聞こえた。
「それはわからないわ。ちょっと見に行ってみるから」
時間関係になると、アヤには恐怖の感情が消えてしまうようだ。
「ちょっと! アヤ!!」
「ごぼうで良かったのよね? ごぼう、あっちに行きましょう」
サヨの声が聞こえる中、アヤはごぼうに言った。
「あっちよ!!」
「え? う、うん」
アヤの剣幕に負け、ごぼうは戸惑いながら、進み始めた。
「アーヤー!!」
「サヨ、後で!」
サヨの声を流し、アヤは時がおかしいところを探す。
「あの辺……」
宇宙空間が広がる中で、波紋が広がっている部分を見つけた。
「ごぼう、あの辺よ」
アヤは目の前を指差して、ごぼうに指示を出す。ごぼうは素直に従った。
「赤い空に黒い砂漠の世界……。凍夜が壊した世界だわ。じゃあ誰かの心じゃないから入れそうね」
アヤは後先を考えずに、眼前の世界に飛び込んで行った。
アヤは時神であるため、時間を無意識に正そうとする。今回もその隠れた能力が作動したらしい。
「いかなくちゃ……」
アヤは黒い砂が舞う世界へ落ちていった。

※※

少し前、更夜達を逃がしたミノさんとメグは凍夜と対峙していた。
Kの少女である、あやは凍夜の力に抗いながら、Kの世界を修復していた。トケイは無表情のまま、凍夜を排除しようと飛び回る。
「全員始末しておこう」
凍夜は狂気的に笑うと、好戦的な目でトケイを見た。
「あいつから撃ち落としてやろう」
嘲笑した凍夜は、体から黒い霧を発生させた。黒い霧はやがて、凍夜の体に重なるように吸い込まれた。凍夜の瞳が赤く輝き、禍々しい気配が刺さるように、その場にいるものを射抜いていく。
「オオマガツミ……。世界を歪ませられる神霊……。誰かに寄生する神……。やはり、凍夜はあれを取り込んでも『狂わない』霊のひとり」
メグは冷や汗をかきながら、凍夜を睨み付けていた。平和を願うKには、この力は毒過ぎる。
凍夜は人間にはあり得ない脚力で、飛ぶトケイに追い付くと、高らかに叫んだ。
「弐の世界、管理者権限システムにアクセス……『攻撃』」
「勝手にアクセスしないで!! まずい! オオマガツミもシステムの一つだって気がついたんだ! あの男!」
あやが叫ぶが、凍夜は止まらない。黒い砂が凍夜の手に集まると、刀の刃のようにトケイを斬り捨てた。
「トケイ!」
トケイは苦しそうにもがきながら、勢いよく黒い砂漠の中に落ちていった。
「メグ! オオマガツミがトケイに入った!! 弐の世界の未来がいじられる!!」
あやが必死にメグに言う。凍夜はトケイを追うことなく、今度はこちらを見て、気味の悪い笑みを向けている。
「わかってる! でも、動けない! オオマガツミはシステムの一部……、私達Kは正の方、あいつは負の方。通常負は表に出てこない……。だから動き方がわからない! 仲間のKは私とあやだけ! あや、動ける?」
「……力が強すぎて動けない……。オオマガツミ……、私達Kと同じことができると気がついた……。私達ができることと逆のことができる。たぶん、『攻撃』とか『消滅』とか『破壊』とかそういう言霊だと思う」
あやは頭を悩ませるが、世界の修復で精一杯だ。
「……私がなんとかする。ワダツミの力を使うしかない。相手は人間だけど、最大級の厄神を宿した人間。生身の人間ではないから、この力を使う」
メグから静かなさざ波の音が響き始めた。嵐の前の静けさのような不気味な雰囲気をメグはまとい始める。
「俺は何をすりゃあいい?」
横で冷や汗をかいているミノさんが、声を震わせながら尋ねた。
「私が負けたら、その時は……」
ミノさんが息を飲む中、メグは海の荒々しい雰囲気を纏いながら、氷のように美しい矛を出現させた。
「私は海そのもの。この矛で日本を作ったんだ。負けない!」
矛を構えながら、メグは凍夜に向かい、飛んでいった。

十話

メグは矛を構え、少女とは思えない力を出して飛び上がると、凍夜に向かい攻撃を仕掛けた。メグの後を追う形で、海水がまるで竜巻のように走り抜ける。
「ほぉ……ワダツミか。マガツミにはかなわんよ」
凍夜は不敵に笑うと、狼夜から奪った刀神、チィちゃんの鯉口を切った。
チィちゃんは禍々しく、荒々しい力を纏わせながら凍夜の手に収まっていた。メグが矛で凍夜を貫こうと動く。凍夜はそれをチィちゃんで軽く弾いた。
「嘘……」
弾かれたメグは目を見開いてつぶやいた。
「私の力を弾けるわけが……」
メグの隙を埋めるように海水の渦が凍夜にむかうが、凍夜はマガツミの力、黒い渦で立ち向かってきた。 黒い渦の方が圧倒的に強く、メグが操る青い渦はただの海水となり、黒い砂漠に吸収されていった。
「そんな……私の全力が……」
「ワダツミを斬ればもっと、この刀は強くなる。お前の神力は俺がいただく」
凍夜は異常な速さでメグの目の前までくると、誰も反応ができないまま、メグを斬りつけた。
「……っ!」
メグは間一髪でなんとか避けたが、腹を軽く切り裂かれた。
「メグ!」
ミノさんがメグの元へ走り、凍夜の前に立って庇ったが、メグは力任せにミノさんを突き飛ばした。
「おいっ! なにす……」
ミノさんの言葉が途中で切れた。
「いますぐ……逃げて! はやくっ!」
刹那、メグは凍夜の刀、チィちゃんに体を貫かれた。
一瞬、時が止まる。
「……っ! おい! 嘘だろ……」
ミノさんがつぶやいた時には、メグが黒い砂に倒れ込んでいた。
メグから出た血液はチィちゃんに吸い込まれていく。
「やめろよ!! やめてくれ!」
ミノさんには勇気がなかった。
凍夜に立ち向かう力はなかった。
情けなく震え、メグから目をそらし、凍夜と刀に酷く怯えていた。
「メグ……大丈夫か……! オイ!」
なんとか声を絞り出すが、メグはぴくりとも動かない。
「大丈夫だ。キツネ。死なない程度にしといたのだ。こいつは使える。俺を邪魔したことを後悔させてやるんだ」
凍夜はメグの髪を乱暴に掴むと、恐ろしい切れ味の刀でツインテールを切り落とした。
「もうやめろよ! なんでそんなヒドイことすんだよ!」
悲痛の叫びを上げるミノさんを無視し、凍夜は高らかに笑った。
「ワダツミを討ち取ったぞ! 髪も手に入れた! はは! 髪は神の神力が一番濃厚な場所だ! 俺がいただいた。マガツミのおかげで神の仕組みはわかっている」
凍夜は手を広げると、ワダツミの力を纏い始めた。先程、メグが出した海の力をチィちゃんに纏わせる。チィちゃんは意思を持っていたはずだが、凍夜に従っていた。
「お、おい! そこの……刀! お前、神だろ! そうなんだろ! なんで、刀神がそいつに従ってんだよ! オイ!」
ミノさんは刀が刀神であることに気がつき、叫んだ。
ミノさんはチィちゃんには会ったことはない。
「なに堕ちてやがんだよ!!」
ミノさんは息を荒げながら立ち上がる。足は震え、冷や汗ばかりが体を濡らす。
……俺、こいつが怖ええよ……。
凍夜は異様な雰囲気を纏ったまま、ミノさんに一歩ずつ近づいてくる。
……メグ、すまねぇ……。
俺はおたくみたいな勇気はねぇ。
おたくの代わりなんてなれねぇよ!
更夜達を逃がしたのに、情けねぇなあ……俺。
「……メグ、本当にすまねぇ……」
気がついた時には、凍夜が無言のまま、刀を振りかぶっていた。

※※

一方で、逃げていた更夜達は宇宙空間で立ち止まる。
「……更夜?」
千夜は様子のおかしい更夜を見据え、尋ねた。
「大変です。トケイがやつにやられました……」
「なんだと……」
千夜が目を見開いて驚いた。
「そのようですね。タケミカヅチから借りた、俺の刀がマガツヒ……、マガツミに堕ちていて、恐ろしく強力になっている様子」
狼夜も冷や汗をかきつつ、言う。
「……どうする。戻るか?」
千夜の言葉に更夜は結論が出ないまま、立ち尽くした。
「……どうしようもできません。キツネ耳の神とワダツミは無事なのか……。とにかく、私達は過去に戻されてはいけません。向こうの世界の時神現代神、アヤがいれば、現代が辛うじて保たれるかもしれません。後はもう、サヨがたよりです」
「そうか」
更夜の言葉に千夜は目を伏せた。
「あそこに凍夜が現れたということは、凍夜の世界には誰もいないことになります。ああ、猫夜はいるかもしれませんが。今ならば、凍夜の世界に入り、逢夜お兄様の妻であるルルと……」
更夜は言葉を切り、千夜に目を向ける。
「私の息子を助けられるかもしれんということか」
「いるならば……ですが」

十一話

アヤは恐ろしく時間が狂っている世界に降り立った。辺りは黒い砂嵐でよく見えない。黒い渦も大きく渦巻き、隣の世界までも犯していた。
「……っ。凍夜が……いる」
アヤがカエルのぬいぐるみ、ごぼうの奥にいるサヨにつぶやく。
ごぼうからはサヨの声が響いてきた。
「アヤ、なんかヤバみだね! 逃げた方がいいんじゃ……」
「そうね……。でも……この世界、黒い渦だけじゃなくて、青い渦も……海のような深みのある水も回っていて……まるで……」
「メグ、みたい?」
「そう」
サヨの言葉にアヤは小さく答えた。
アヤがどうするか迷っていた刹那、黒い渦がごぼうへと飛んだ。
「サヨ!」
「えっ!?」
アヤとサヨの声が重なった時、闇の色がごぼうに吸い込まれていった。
「な、なに!?」
アヤが戸惑っていると、ごぼうの奥でサヨの叫び声が聞こえた。
「サヨ!! どうしたの!?」
「こいつっ! 私の記憶を引きずりだしやがって!! 過去が流れてくっ!」
サヨの声がし、通信が途切れた。
「ちょっと! サヨ!! サヨ!」
アヤは必死に声をかけるが、サヨが返答することはなかった。

※※

一方でサヨは突然現れた黒い渦にとらわれていた。
「さ、サヨ! なんだこれは!」
逢夜が黒い渦をかきわけ、サヨを助けだそうとするが、黒い渦はまるで壁のように、入り込む者を許さない。
「凍夜の厄神だ。どうすりゃあいい……」
「厄除けの神のルルがいれば……」
憐夜は悔しそうにつぶやく。
「ルルは無事なのか?」
逢夜はサヨを気にかけながら憐夜に尋ねた。
「ルルは大丈夫です。あー、今は明夜さんと一緒に戦っているんで、平気かはわかりませんけど」
憐夜の返答にほっとした逢夜は、サヨに声をかけた。
「いま、どんな感じだ? どうすればいいかわかるか?」
「わからない! 記憶? みたいな、私の魂? が解析されてるみたい!!」
サヨはよくわからないことを言っていた。
「どういうことだ……」
「だから、データを見られて……」
そこまで言った時、サヨから何かのデータが花火のように広がった。
「な、なんだ!?」
その電子の花火はじょじょに何かの記憶を写し出していた。
「……これは?」
逢夜と憐夜の前に、ドームのように粒子が広がり、何かの映像が写し出された。

場所は高台。おそらく、どこかの山の上だ。夕日がまわりをオレンジ色に染めていた。遠くに町が見える。
その町並みはやや現代とも違い、古すぎる町並みでもなかった。
国防(こくぼう)色、帯青茶褐色(カーキ色)などと呼ばれる色の軍服を着たひとりの男が、涙を流して町並みを見つめていた。
「じゃあ、俺は行くよ」
泣いている男の側に、もうひとり男がいた。しかし、こちらの男は手だけしか写っていない。
「いかないでくれ! 俺みたいなやつが助かって、お前が助からないなんて、そんなのっ……」
姿のない男は泣いている軍人の男に優しく語り出した。
「あのな、お前は運が良かったんだ。喜んでいいんだ 。自分が生き残った運命を呪うか? それはやめろ。お前は運が良かった。運が良かったから今、ここにいるんだ。俺の代わりに、この場にいない子と妻を頼む。最後に化けて出られて良かった。俺自体が、ヒロポンの幻覚じゃないことを祈る。なんてな」
「そんなっ……いくな! 國一(くにいち)!」
軍人の男が叫び、目に見えない彼に手を伸ばす。しかし、彼を捕まえることはできなかった。
突然に風が吹き、沢山の戦闘機が男の上を飛んでいく。
男は地面に膝をつき、悔しそうに何度も土をかきむしった。涙と鼻水が彼の顔を醜くする。
「お前は守るものがあるんじゃねぇかよ! 俺にはないんだよ……。俺にはないのに……」
遠くの方で爆発音がし、太陽をさらに赤くする。炎が上がり、目の前に広がる町並みは跡形もなく消し飛んだ。
「もう、やめてくれよ……。いつまで続くんだよ! この戦争は!!」
男の絶叫は、町を焼く炎と戦闘機が飛び去る音で、かき消されていった。
なんの記憶かはわからないが、記憶はまだ続いている。
この誰かの記憶がサヨと関係するというのか?

十二話

「ひでぇ……なんだ、この記憶は」
逢夜は眉を寄せた。
サヨは茫然と立ち尽くしている。
身に覚えのない記憶を無理やり見させられているのだ。いい気分ではない。
「戦争……」
サヨは小さくつぶやく。
「世界大戦だ……」
戦闘機が飛び、民家を焼いている。水で濡らした頭巾を被り、必死で逃げる人々。
「こ……こんなの見たくない!!」
サヨは頭を抱えた。
「たすけて……やだ……」
サヨは黒い渦の中でもがいていた。
「お兄様……」
憐夜も不安げに逢夜を仰ぐ。
「……サヨを助けにいきたいが、どうすればいい……」
逢夜が結論を出せずにいると、記憶が変わった。
今度は弐の世界のようだ。
「弐……」
宇宙空間に浮遊している魂が数えきれないほど蠢(うごめ)いていた。
その魂達の間に青い髪のツインテールの少女。メグがいた。
「すごい数の人が死んだ……。この世界全体で……。Kが増えるはずだ……」
メグはせつなげに魂達を眺める。
「後悔ばかりだ……。後悔を消すのに時間がかかりそう」
メグは、それぞれの世界へ帰る魂達を送り出して目を伏せた。
その魂の中に國一(くにいち)と呼ばれていた人間の魂もあった。
彼はエネルギー体のまま、なぜか人の形をとっていた。
「俺は死んだのか……。俺はあの時、敵国軍艦に戦闘機で突っ込んだんだ。死んで当たり前さ……。死ぬ間際にあいつと夢の中で会話をした」
國一は軍服を脱ぐと宇宙空間に放った。
「もう俺は軍人じゃない」
國一は静かに目を閉じると、妻と子を思い、自分の世界へと落下していった。

彼が自分の世界に行くと、なぜか、妻と子が待っていた。
「おかえりなさい。あなた」
妻が微笑み、幼い息子が彼に抱きつく。
「君達は死んだのか?」
彼が問いかけると、ふたりは首を横に振った。
「あなたのお友達さんが助けてくれたのよ。彼はたまたま、足を悪くしていて戦闘機に乗れなかったのでしょう?」
「ああ、そう聞いている。君達が生きていて良かった。これは夢なのか?」
國一はなぜ生きている彼らに会えたのか疑問に思った。
「ええ。ここは私達の……生きている私達の夢の中です。あなたは私達の心に生き続けている。見守ってくださいね」
妻の言葉に國一は涙を流し、ふたりを強く抱きしめた。ふたりが目覚めた時に、自分がいなくてどう思うのかと苦しくなったからだ。
「すまない」
「……」
妻の肩も震えていた。
誰が悪いのではない。
誰も責められない。
「すまない……」
お父さんが、旦那が、許嫁が、戦争で死ぬ。
この時代は当たり前だったのだ。
掲げられていたアマテラス大神も、心を痛めながらこの現状を見据えていた。
そして、彼女は世界を分断する方向へ考えを持っていくのだが、それは「TOKIの世界書」に記述しているため、こちらでは省く。
國一は何年も、何十年もその場にいた。妻と息子が夢で遊びに来るのを待っていた。
そのうち、妻が國一の世界に夢ではなく、現れた。
「これから、一緒ですね。やっとこちらに来れた。息子は元気ですよ。孫もいます」
「……そうか。良かったよ。大変だっただろう?」
國一は申し訳なさそうに下を向く。
「まあ、そうですね。大変だったわよ。でも、大きくなる息子はどんどんあなたに似てきて、孫はさらにあなたに似ているわ。だから、大変よりも嬉しかった。孫はあなたを見たことがないので、あなたを思い出しはしないから、あなたが孫の夢に出ることはないと思うけれど」
「まあ、いいさ。元気で生きていてくれたら。俺は一応、子孫達の守護霊だ。俺を知らなくても守るさ」
妻が笑い、國一もやっと笑えた。
「息子は孫馬鹿よ。いいおじいちゃんになっているわ。そのうち、こちらに来るわよ」
「はは、楽しみだな」
國一と妻は結婚当初の若い姿に魂年齢を変えると、優しい涙を流しながら寄り添った。
「木暮家は続く……か」
「ええ……」
彼は木暮國一と言う。
以前も話に出た、小川家の妻の方の家系である。現在Kである健とその後、木暮の娘がくっつき、やがて、あやが産まれる。
木暮はずっと昔、武田を守る忍であり、凍夜望月家の更夜の隠し子、静夜を娶(めと)っている。
更夜がそう言っていたはずだ。
さらに時が経ち、息子がやってきた。息子は死ぬ間際、父と母がこちらの世界に手まねいていたと言っていた。
確かに少し、息子を呼んでしまったかもしれない。
三人で生活を始めていた時、静夜(せいや)と名乗る女が現れた。
望月家特有の苦労の証である、銀髪を揺らし、國一に一礼をした。
「……まさか、ご先祖でしょうか?」
國一は軽く震えながら静夜を見据えていた。
「こんにちは。お邪魔してすみません。わたしは木暮静夜。少しお話させていただいても?」
静夜は國一を見ていた。息子と妻は軽く微笑むと、瓦屋根の自分達の家へと帰っていった。
「はい、なんでしょう?」
「実は、私の実家の望月に関して、なんですけども」
「はい」
國一はなんだかわからず、とりあえず頷く。
「望月の子孫、望月深夜の二人目の子供が水子の運命なのです」
「……なんと……おかわいそうに」
水子、つまり望月深夜の「二人目の子」は流産してしまうということ。
「魂のエネルギーが足らないのです。奥様の方は体調に気を遣い、子供も現世に産まれたいと願っております。しかし、エネルギーの一部の欠如により、流れてしまいます」
「……」
國一は静かに目を伏せた。
「さらに言うと、その子は大きなものを背負わなくてはいけなくなるかもしれません。望月家が望月凍夜を倒すために。彼女には歴代の望月の血が色濃く残る遺伝子があるようです。つまり……人間ではなくなる可能性が高い。DNAの転写の際にRNAがKの遺伝子を取り込み、もとの遺伝子とは違う形になってしまったらしいのです」
静夜はどこか焦っていた。望月凍夜を倒せるかもしれない子種だ。
静夜は彼女を……サヨを失いたくなかった。
「つまり、私にどうしろと言うのですか?」
國一は話がわからず、首を傾げていた。
「……あなたの魂を……彼女に与えてやってはくれませんか? エネルギーの半分だけでもかまいません。望月は頼れないのです。術に縛られてはいけませんから」
「望月家は頼れないから、木暮をまわっているのですか?」
國一の言葉に静夜は頷いた。
「特にあなたは『K』のデータを持っているようなので、彼女に力を与えてやってくれませんか? とりあえず、 一度、彼女の元に行ってくれませんか? 彼女を見てほしいのです。エネルギーの受け渡しは強制ではありません」
静夜が國一に頭を下げる。
「そういう……ことでしたら、会ってみましょう」
國一は困惑しながらも頷いた。

十三話

國一は静夜に連れられて、ある漂う魂の世界に入った。
例の赤子は真っ暗な世界で浮いていた。暗い世界は海のような水で満たされ、どこか安心する空間で、不思議と息ができる。
「ここは……なにもないのですかね?」
「ええ、まあ。赤子は母の胎内以外、想像できませんから」
静夜に言われ、國一は納得した。
「ここは赤子が感じる母の胎内なのか。暗いが心地よいですな」
「……女はなぜ、死と隣り合わせで命を産まねばならぬのでしょう。子供もなぜ、死と隣り合わせで暗い道を抜けねばならぬのでしょう? 私は赤子の世界に来ると、いつも思うのです」
「……考えたこともなかったです」
國一は素直な気持ちを口にした。
静夜はなんだかせつなげな顔をしていた。
「産む前もつわりや腰の痛みに耐え、死ぬほどの痛みに耐えて子を産み、産んだ後は睡眠を削り、精神的におかしくなりながら子を育てる。私達女が、なにか悪いことをしたのでしょうか? これは何かの罰なのでしょうか」
「……俺が言うのもなんですが……そういう考えは好きではないです」
國一は目を伏せると静夜に静かに答えた。
「……ええ、そうですね。産まれた時から罪を背負うなんて考えたくないですね」
「俺だって死にたくなかったですよ。愛してる妻と子を置いてなんて。息子の成長が見たかったです。戦闘機に乗って死ににいくなんて、なんの罰だよって思いました。せっかく産まれた命を、こんな形で無駄に散らしたくはなかったです」
「……ごめんなさい」
静夜はあやまった。國一は目を伏せると、先を続けようとする静夜を「いや」と遮る。
「平和な時代になってくれるとよいですな。俺はもう、この子の行くべき世界のことはわからない。だが、男女が共に……、どちらにも負荷がかからぬような助け合いの時代になれば、良いなと」
國一は、眠っている赤子を優しい目で見つめた。
「……ええ。本当に。そのとおりで……。……あなた達、時代は変わりました。安心して彼女に入ってください」
静夜は赤子に向かい、そう声をかけた。赤子から、三人の魂が回る。
「華夜(はなや)、竜夜(りゅうや)、雷夜(らいや)……」
一方で、サヨは赤子の世界全体を眺めていた。いや、世界そのものがサヨだった。元人間の、エネルギーになった魂を、サヨは手に取るようにわかった。
あれは、華夜と竜夜と雷夜だ。
彼らはサヨに希望を託して、サヨの魂になることを決めた。

……人を殺したいと思ったことなどない。人のために誰かを殺したいと思ったこともない。
……俺は死なない家族がほしかった。誰も命を落とさない時代が良かった。だから、託すのだ。
この子に。
俺達が見ることのできなかった平和を見せてくれ。
俺達を太陽のもとへ連れ出してくれ。
家族が平等でいられる世界を見せてくれ。
頼む。

誰かの思いがサヨの脳内を流れる。魂に語りかけると、それは雷夜の考えだったということがわかった。あの冷徹そうな雰囲気だった彼は心の中でこんなことを思っていた。
人の魂は次の世代へ希望を乗せ、何度もリサイクルされる。
「私に希望をのせて、私になったと」
サヨは茫然と立ち尽くした。
静夜は赤子を見ながらつぶやく。
「……彼らの魂だけでは、彼女を人間にするための魂が足らないのです」
「……そういうことでしたか。後悔のない魂でないと、新しい魂として生まれ変われないと。俺はもう後悔はない……」
「はい、ですので、あなたを呼びました」
静夜の言葉に國一はやや悩み、やがて頷いた。
「わかりました。いい未来を作ってくれることを願い、エネルギーをわけましょう」
「ありがとうございます……」
静夜は頭を下げてお礼を言った。

彼は魂の半分を彼女に分け与えた。魂は完成し、やがてサヨとして壱(いち)の世界に出ることになる。

「あたしのっ! 魂の記憶を! 凍夜ァ! あんたが見ていい記憶じゃねぇんだよ!」
サヨは恐ろしいほどの気迫で黒い渦に叫ぶ。
「返せ! お前に関係ない記憶だ! 触るなァ!」
何度も叫んだ。
凍夜がこの記憶をみて何をしようとするか、サヨは考えて青くなる。
「望月……いや、木暮静夜に何かするつもりか!! あたしを……追い詰めるために!」

十四話

サヨはわめき散らした後、泣き出した。
「大事な記憶なんだ……。あたしが生まれる前の大事な記憶……優しさなんだ」
サヨがつぶやくのと、黒い渦が消えるのが同時だった。サヨは力なく地面に座り込んだ。
「おい! 大丈夫か!!」
「サヨさん!」
逢夜と憐夜が慌ててサヨに駆け寄った。
「大丈夫じゃない! 記憶にオオマガツミとかいう神が入ってきた! 悔しい! 許せない……。あたしの鏡でもあるごぼうちゃんから侵入してきたっ! なかにっ! 中に入ってっ……」
「サヨ……」
逢夜がサヨに近づく。
サヨは涙を流しながら逢夜を見上げた。顔色は悪く、ひどく怯えた顔をしていた。目は見開いたまま、体の震えを抑えるように両腕で自身を抱いている。
「……怖い……」
サヨは小さくつぶやいた。
「……怖いィ……。コワイっコワイっコワイィぃ! たすけて……っ! だずげで!! ナカニッ……イル!!」
サヨは歯をならしながら顔を恐怖に歪ませ、逢夜に手を伸ばす。
逢夜は咄嗟にサヨを抱きしめた。
サヨの小さな肩が異常なくらい震えている。
「しっかりしろ! サヨ! 俺達が……いるから! ……くっ……まずいっ! オオマガツミがサヨに、俺達が持っていた負の感情を植え付けてる!……憐夜! いますぐ逃げろ! それでメグを連れてくるんだ! メグはどうすればいいかわかるはずだ!」
「お、おにいさまっ……」
憐夜は怯えていた。
「早くいけぇ!」
逢夜がさらに叫び、憐夜は慌てて世界から去っていった。
「ゴメンナサイ! ユルシテクダサイ……! モウシマセン……イタイコト、シナイデェ!!」
サヨは狂ったように謝罪と叫びを繰り返す。
「サヨ! しっかりしろ!」
逢夜の呼びかけには応じず、サヨは豹変し、今度は怒りを滲ませていた。
「ナグラネェト、ワカラネェノカ! オレハ、オマエラヲ、マモッテンダゾ! イッソノコト、コロシテヤロウカ?」
サヨの言葉に逢夜は青ざめた。この感情は逢夜が生前持っていた感情だ。狂ったルールだとわかった上で、痛め付けて従わせる。
逢夜は唐突に恥ずかしくもなり、悲しくもなった。
「俺のか……サヨ、ごめんな……」
サヨは逢夜の謝罪を無視し、逢夜に殴りかかった。
逢夜は抵抗せず、サヨの暴行を受け入れる。受け入れるしかなかった。
サヨは黒い感情に支配され、瞳孔が開いたまま、逢夜を殴り付け始めた。
「……ああ。俺はこんな顔をして弟や妹を殴っていたのか……」
逢夜はつぶやき、サヨを見る。
サヨは口角を引き上げ、無理やり笑うと容赦なく蹴りあげてきた。
「イタイダロ? モウ、イタミヲ、カンジタクナイナラ、二度とやるなァ!」
逢夜は素直にサヨの蹴りを受けた。
軽い。
訓練していない女の脚力はこんなものだろう。逢夜はそれよりも、訓練した男の暴力を受けた弟や妹の感情を思い出していた。
胸が苦しくなり、一生消えないだろう傷を広げる。
「……謝罪をしたところで変わらねぇ……。サヨを助けなければ……オオマガツミを消すには……俺の妻、ルルが……いる」
逢夜は深く息を吐くと、サヨに向き直った。

※※

サヨと連絡が切れて、戸惑ったアヤは黒い渦の世界で立ち尽くしていた。
……時間がおかしい……。
気がつくと過去に戻されそうだ。
「時間を元に戻さないと……私は向こうの神だけれど、時間を現代に戻せるのかしら……」
ずっと立っているわけにもいかず、アヤは覚悟を決めて黒い渦と黒い砂漠の世界を歩き始める。
「きゃっ!」
少し歩いたら何かにつまずいた。
黒い砂嵐で視界は悪い。砂ばかりの所に何か固いものを踏んだ。
「……え……」
アヤは黒い砂に埋まっている何かを掘り出した。男の腕が覗く。
……まさか……。
アヤは血の気がひくと、一心不乱に地面を掘り始めた。目からは自然と涙が溢れる。
掘るたびに誰だかわかっていく。
完全に体を出したところでアヤは言葉をうしなった。
「ミノ……」
アヤが掘り起こしたのは酷い怪我をしているミノさんだった。
刀で斬りつけられたような傷がある。
「ひどい……なんで、こんなことに……。雷夜(らいや)さんはどうなったの?」
「……」
アヤがミノさんに話しかけると、ミノさんは意識を取り戻した。
「……あ、アヤ……。ここから早く……出ろ! 雷夜は消えた。もういない! それっ、それより……」
ミノさんは苦しそうに咳き込みながら、アヤに何かを言っている。
アヤはミノさんの言葉がほとんどわからなかった。
「私は、サヨと通信が切れて、この世界から動けないのよ……」
アヤはただのかえるのぬいぐるみに戻っているごぼうを、ミノさんに見せた。
「お願いだ……はやく……」
ミノさんは状況を一生懸命に話そうとするが、声が出ないようだった。
「今はしゃべらないで。怪我が酷いの……」
アヤは泣きながらミノさんの手を握っていた。
「……クソォ!」
ミノさんは突然、声をしぼりだして叫ぶと、無理やり体を起こしてアヤを投げ飛ばした。
アヤはミノさんの少し離れた場所に尻から落ちた。
「いたっ……み、ミノ!?」
アヤは困惑しながらミノさんに目を向ける。ミノさんは乱れた呼吸のまま、目の前の黒い影を睨み付けていた。
アヤは黒い影から薄ら笑いを浮かべている凍夜が出てくるのを見た。刀を振りかぶっていた所からすると、前触れもなくアヤを斬ろうとしたようだ。
それをミノさんが助けたのだ。
「ははは! まだ息があったか」
凍夜は不気味に笑うと、ミノさんにトドメをさそうとしていた。
「ま、待って! お願いっ!」
アヤは必死に声を上げるが、凍夜は楽しそうに笑っているだけだった。
そこへ、小さい影がミノさんの前に飛び込んできた。凍夜の刀を結界で弾く。
そのまま結界をアヤまで伸ばし、ドーム状に囲った。
「あ……あやっ!」
結界を張って凍夜から守ったのは、Kの方のあやだった。
「Kの世界の修復なんて、できないわ……。こんな状態で……」
「っ! じゃあ、ここは……」
あやの言葉にアヤは目を見開いた。
「Kの……世界……」
アヤが小さくつぶやくのと、凍夜が刀を振る音が同時だった。
あやが結界を強化する。
凍夜は結界を破れず、眉を寄せた。
「……メグがやられた……。私も長く持たない……。なんとかしないとっ」
「メグが……」
アヤは絶句した。こんなにも状況が変わっているとは思わなかった。
「私ひとりじゃ……なんにも……」
アヤはふと、以前ミノさんに言われたことを思い出した。
……戦える神に頼め……。
「……」
絶体絶命の中、アヤは息を吐くと、弐の世界から壱(現世)の世界へ、太陽神の頭、サキを祈るように呼んだ。
……私の友達で、力を持っている神はサキしかいない。
助けて……サキ!
お願い……届いて!
テレパシー……届いて……。
アヤは奥歯を噛みしめて、うつむいた。アヤにはもう、誰かに助けを求める以外、なにもできなかった。

十五話

更夜、千夜、狼夜は鈴を抱えながら凍夜の世界へ向かっていた。
目的はルル、明夜、憐夜を救うことだ。ただ、現在、更夜達は憐夜が逃げていることを知らない。
「世界の場所はわかる……」
千夜が先頭で弟達を誘導していた。鈴は全く目を覚まさない。
ネガフィルムが絡み付く宇宙空間を滑っていると、何やら迷っている魂がいた。
「……あれはっ!」
「憐夜!」
千夜が気がつき、更夜達も驚いた。慌てて憐夜の元へ駆け寄る。
「無事だったのか! 心配したぞ!」
「あ! お姉様! お兄様!」
憐夜が言い終わる前に千夜が抱きついた。千夜の肩がわずかに震える。泣いているようだ。
「憐夜……」
更夜は姉ごと憐夜を抱きしめた。
「酷いこと、されなかったか?」
千夜の言葉に憐夜は軽く頷いた。
「私は逃げました。……あの、色々言わないといけないことがあるんです……」
憐夜の様子を見て、事態が大きく動いていることを兄弟達は感じ取った。
「……俺が見張っています。千夜お姉様、更夜お兄様は憐夜お姉様とお話を」
狼夜が丁寧に言うと、外に気を張り巡らせた。
憐夜はそれを横目で見つつ、話し出す。自分がルルと明夜と逃げたこと、逢夜達と合流していたこと、時神アヤが時間の狂った世界に入ったこと、ごぼうからマガツミがサヨに入り込んだこと、サヨがおかしくなったことまで、矢継ぎ早に話した。
話した憐夜は震えながら目に涙を浮かべ、不安げな顔でこちらを見ていた。今まで気を張りすぎていたのかもしれない。
「憐夜、大丈夫だ。今回は俺達がついている」
更夜が言い、
「凍夜の呪縛を断ち切った故、負けぬ」
千夜も被せて言う。
「……お姉様、お兄様……、お父様の世界に行きますか? 」
少し落ち着いた憐夜が涙を拭って尋ね、更夜達は頷いた。
「ルルと明夜を助けよう。凍夜が戻る前に」
「……鈴ちゃん……ごめんね……」
憐夜が更夜に抱えられている鈴を悲しげに見据えた。
「憐夜、お前のせいではない」
「……」
更夜が憐夜の頭を撫でるが、憐夜の表情は明るくならなかった。
「鈴ちゃんは酷い呪縛にかかってます。どうしますか?」
憐夜はもうひとつ、心配なことを震える声で尋ねた。
「……直接……術を解く。凍夜を倒すしかない」
更夜は呼吸を整えてから答えた。
「……鈴ちゃんが?」
「いや、全員で立ち向かう。そのためにこちらも地盤を固めねば」
千夜も憐夜にしっかりと答えた。
憐夜は頷く。
「……わかりました。では、まず、お父様の世界へ。私が案内します」
憐夜は更夜と千夜を連れて狼夜の元まで飛んでいった。

(2020年完)本編TOKIの神秘録 最終部「望月と闇の物語3」(海神編)

(2020年完)本編TOKIの神秘録 最終部「望月と闇の物語3」(海神編)

望月家の物語三話目です! 後悔の感情はなかなか消えない。 魂がきれいにならない。 しかし、あの男にはその感情がない。 なんで、あの人は私たちのために苦しんでくれないの。 なんで、あの人のが先に消えるの? どうして……。 ジャパニーズファンタジー2020。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-03-01

CC BY-SA
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