【連載】ゴールデンエイジの物語 Book2

万田 竜人(まんだ りゅうじん)

プロローグ

家内から預かった「南イタリアとシチリア島の旅の栞」の最終日の頁を確認すると・・・

「成田空港第2ターミナル到着 10:10」 と記されていたので、飼い犬ももとの散歩は
空港への到着の連絡を受けてから出掛けるかと決めて連絡を待っていると 9:58 に
成田に着きましたとの LINE が着信した。

まだ、飛行機が滑走路に着陸したばかりの安心感の中での LINE 発信と思われる。

帰宅便は、荷物の取り置きが楽な高速リムジンの利用を考えている口ぶりだったので、
インターネットで時刻表を辿ると、午前11時 成田発 ・ 所沢 午後2時着の便が確認
出来たので、早速、飼い犬ももと一緒に彩の森入間公園に出掛けることにした。

テニスと一緒で、実際に飛んで来た目の前のボールを打ち返すよりも・・・

こちらからのテニスボールが、実際に届いた先の相手の動作から、全てを予測して行動
を起こす方が生産性が高いので、今回の場合も家内からの連絡を待つことなく午後2時
までは、飼い犬ももと共にフリータイムと決めて行動を起こすことにした。

自分から進んでやりたいことやハウスキーピングの類の小仕事は大方終わらせ、昼食も
済ませて柱時計を見ると、まだ午後1時半 「ヨーロッパからの帰り便は機体も小さめ」で
ほとんど眠れてない状態での帰宅という予測もあるので・・・

それを考えると、おそらく 「成田からのリムジン内では友人共々爆睡状態」 と想定して、
午後 1:40頃に 「間もなく終点・所沢ですか?」 と LINE を入れた。

すると・すぐに 「今、所沢に着きました (13:50) 」と LINEが入った。その後、すぐに
電話が入って、最寄り駅への到着時刻が知らされ、駅まで車で出迎えに向かった。

出発の時には、近所のフラダンスの仲間と一緒に、二人を最寄り駅まで送ったので帰りも
一緒かと考えて後部の荷物室のスペースを空けておいたが、フラダンスの友人は駅前に
待機して居た市内循環バスに急ぎ足で飛び込んだ様子で、家内だけが、トランクを引いて
駐車しているこちらの車に急ぎ足で向かって来た。

今回の「南イタリアとシチリア島」のツアー客は、総勢23名、内(女性21名・男性2名)で
圧倒的に女性客が多く、添乗員もベテランの女性コンダクターで、女子サッカーチームの
様な構成であったと云う。

兎にも角にも、日本食が食べたいということで・・・

株主優待券が利用できる食品スーパーで刺身や寿司を買い込んで夕餉はお気に入りの
ビールとワインでの乾杯となった。飼い犬ももはカズさんにぴったりで傍を離れない。

家内が帰宅するや、飼い犬ももは、玄関口から全速力で部屋中を疾走して、元気な姿を
見せたことからも、余程、嬉しさをアッピールしたかったのだと推測できる。

小生 「旅先では、良く・眠れた?」と聞くと、
家内 「あまり時差ボケで苦しむことはなかったわね」と、
小生 「飛行機では、機内の座席も狭くて、眠るどころじゃなかったでしょ」と、尋ねると、

家内 「機内では、行きも・帰りも、空席があって、要領のいい人は、一人で寝そべって寝て
いたわね」と、

小生 「先日、鎌倉のお父さんから、お歳暮のやりとりで電話があったときに、私は身体が
大きいこともあり、海外に行く時には飛行機代を1・5倍払ってビジネスクラスにしてますよ、
と、云ってたけれど、ある程度の年齢を超えたら、それも・賢人の策かもしれないね」

家内 「帰りの便が特に機体が狭くてたいへんだったわ。帰りの便の時にも、要領の良い人
は一人で寝そべって、さっさと寝入っていたわよ」

小生 「かつて、二人でニュージーランドに行った時には、われわれ三人掛けのところと前席
の三人掛けの処から、それぞれ一人づつ、キャビンアテンダントの方が、後方の空いた席に
移動させて、全体的に座席を占める割合が均等になるように配慮していたよね」

家内 「あれは JALならではの気の効いたサービスだったのね。今回のイベリア航空では、
そこまでの気配りはなかったわね」

小生 「そういえばだいぶ大昔の話になるけれど、当時、わたしが30代前半の頃に、欧米に
おける管理工学の実情調査に出掛けた時に、オランダからの帰国便が、航空会社のミスで
ダブルブッキングされていて、あわや・帰国便に搭乗できないという事態に陥って困り果てた
ことがあった」

家内 「その時には、どういう対応をしたの」

小生 「その時には、海外出張に同行させていただいた上司が、航空会社に、ほとんど・喧嘩
ごしの剣幕で掛け合って、旅客機の後方の乗務員席を空けさせて帰国することが出来た」
(この時の上司が、やがて生涯の恩人となる O氏であった : Book 1 にて前述)

家内 「よく交渉がまとまったわね」

小生 「あの時は、正直、上司のド迫力に驚いたよ。普段は、温厚で冷静沈着な上司だったの
でビックリして横から顔を覗き込んだら、半分は、演技だなと気付いたよ」

家内 「上司の方も、なかなかの役者ね」

小生 「あの時の海外出張は、これから全社を挙げた生産性向上運動において、重要な位置
付けにあった出張だったので上司に同行して欧米に出掛ける前に本部長の指示で三か月間、
吉祥寺の英会話スクールに送り込まれて、約一か月の欧米での実情調査に対応できる訓練
を受けてね、ある意味たいへんな荒修行だった」

家内 「英会話スクールの三か月間程度の訓練で上達出来るものなの?」

小生 「いや無理だったね」
    「元々、英会話は苦手だったこともあり、速成ではものになりませんでした」

家内 「それで、よく・重要な任務を果たせたわね」

小生 「実は、その辺の事情は英会話スクールの校長も、本部長の秘書から聞かされていて、
兎に角、三か月の期間中は、いろいろな欧米人と接するように、プログラムされた授業構成に
なっていて、テーブル・マナーも含めて、外国人と臆することなく・接することが出来るようにと
明確に目的を絞り込んでいた」

家内 「随分と恵まれた環境に置かれたのね」

小生 「実際に現地ではホワイトボードを使って訪問先のエアラインや整備工場およびジェット
エンジンの製造工場における管理工学の実情や実態の情報交換をしたので、会話のやりとり
で困ることは、ほとんどなかった(上司による一心同体的なサポートも心強かった)」

家内 「専門用語と数字の応酬となると、英会話が出来ても、話は通じないかもしれないわね」

小生 「そのような経過も含めて、帰国して事業所の所長に帰国の報告に行った時に、本部長
からの伝言として、これからの生産性向上運動において成果が出なかった時には、私に投資
した費用は全額返すようにときつい口調で言い渡されて、自宅の貯金通帳の残高を確認した
ことがあった、と、記憶している」

家内 「行きは・良い・よいで、随分、せっぱつまった状態に追い込まれたわね?」

小生 「それもあって、私も、火事場の馬鹿力的に必死になって、生産性向上運動の鬼と化して、
製造ラインや整備ラインの管理職を叱咤激励 『あなたは、どのような立場の役柄なのか?』 と
大いなる疑問を持たれながらも、管理技術スタッフとして、飛び回ったことを覚えているよ」

家内 「ずいぶんな憎まれ役ね」

小生 「随分と憎まれていたと思うよ」

家内 「身に覚えがある?」

小生 「当時、事業所の製造・整備ラインの1000名規模の工場には、トップの位置付けに工場長
が居て『こうじょうちょう』と呼ばれていた。それに対して私のような管理技術系のスタッフには役職
はなく、恨み骨髄の管理職たちからは 『副工場長(ふくこうばちょう)』 と揶揄されていた」

家内 「あなたも、それを、耳にしていた?」

小生 「耳にはしていたけれど、エリートでもない私に、ハイリスクではあるが思い切った投資をして、
いわば本部内からの批判まで承知で背負った本部長は、私が入社した時の設計部門の設計部長
でもあり、かつての設計部長に、批判が集まる様なことはなんとしても・避けたいと云う恩義が先行
して鬼に徹した」

家内 「当時、友達は、いなかったでしょうね?」

小生 「でも、当時、工場長が、私の本名をもじって『あくまちゃん』と呼んでくれていたので、皆さんも、
『生意気な奴だな』とは思っても、心底から恨んではいなかったと思うよ」

家内 「誰でもが、喜んで・引き受ける役ではないわね」

小生 「後輩からは、もっと要領よく生きられないんですか?」 と、云われたことはある。

家内 「性分だからしょうがないわね」

さて、話を元に戻そう・・・

小生 「英会話スクールの校長先生との昼食会で印象的だったのは、英会話の上達はさておいても
外国の地を踏んだときに 『外国人とカタコトの英語でも喧嘩が出来たら一人前』 と聞かされていた
ので上司が航空会社と英語で喧嘩して帰国用の座席を確保したときには心の中で拍手しました」

家内 「そのときに、帰国できなかったら、たいへんだったわね?」

小生 「帰国して、すぐに生産性向上運動の全社的なキックオフ行事もびっしりと組まれていたので
ほんとうに、ヒヤヒヤものだったよ」

家内 「ヨーロッパからの帰国便には、いつでも、たいへんさが付きものね」

小生 「今回の南イタリアとシチリア島の旅も、行きは成田からスペインのマドリードまで約14時間
そしてマドリードからイタリアのナポリまで約2時間半、帰りも、ナポリからマドリードまで約2時間半、
マドリードから成田まで約14時間となると私のギックリ腰ではとても無理だね」

家内 「でも、船に比べたら、飛行機は圧倒的に速いわね」

小生 「イタリア本土のナポリから、シチリア島のパレルモまでは、夕刻に、豪華フェリーに乗船して、
睡眠を取っているうちに、朝方、パレルモに上陸できるので、快適と聞いているけれど、実際に乗船
してみての感想は?」

家内 「それが、後では、笑い話に納まったけれど、乗船してしばらくは、皆でくつろいで夕食も済み、
シャワーで身ぎれいになって、ベッドに入ったもののなかなか寝付かれなくて、恐らくやっと深い眠り
に入ったところで、いきなり・同室のフラダンスの仲間に揺り起こされたのよ」

フラダンスの仲間4名は、ツアー仲間(総勢23名)と一緒に乗船して、乗船後は、それぞれ2名づつ
の単位でまとまって部屋を取り、家内は、近所にお住いのフラダンス仲間と、同室で、過ごすことに
なったのであった。

そして、突然、同室していたフラダンスの仲間に、夜中に、揺り起こされた・・・

家内 「私も無理やり起こされたものの、今までに、旅先で寝過ごしたことはなかったので、なんか
変だな? と、思いながらも、身の周りの片付けを始めた」

彼女はといえば「この時間だと化粧してる時間はないわね」と、旅行カバンを開けて荷物の整理を
始めている。

家内 「それにしても何かしらへん?」と思って時計を確認すると、針は夜中の11時を指している。

なんと・彼女は 「自分の腕時計をベッドの枕元で逆さに見て」 大慌てしたのであった。

彼女にしてみれば、船から降りる時間が 午前6時 なので化粧の時間などを考えると、遅くとも、
午前4時半には 起きなくては、と、考えていたので午前5時の目覚めと勘違いして慌てたという
状況であった。

家内 「ちゃんと時計見てよ」と、いうと、

彼女 「ゴメン・ごめん」の声が聞こえたが、その後には、すぐに・寝息が伝わってきたと云うから、
すこぶる寝つきの良い友人のようである。

この時に、私は・・・

家内からの発言で 「でも、船に比べたら、飛行機は圧倒的に速いわね」という言い回しを聴いて
いて、生産性の船を使った研修で、日本とシンガポール間を 「往路は飛行機」 「復路は船」 の
旅程を経験させていただいたことを思い出した。

そして 「ボクが僕の中でヒーローだった頃」 そんな フレーズ が脳裏をよぎった。

思えば、私が管理職定年に達した55歳の時に新任部長が着任、58歳で転籍するまでの3年間
にかけて、日々 「針の筵(むしろ)に座らされた」ような生活を強いられて、やがてこれが・・・

「単純に、新任部長によって、自己都合退職に追い込むための標的にされて、執拗な攻撃を受け
ただけの状況であった」 ことは、 後日、判明したのだが、その間に受けた精神的な苦痛からは
容易には脱出できなかったことは Book 1 で記述した通りである。

それが、どうだろう?・・・

今になって、家内から、夜中にベッドの枕元の時計を逆さまに見た友人が、家内を揺り起こして、
「なんかへん」 と 感じた家内が自分の時計を確認して、午後11時であることに気付き、二人
共々、寝に入った話を聞いて、話は極めてシンプルであり、かつ分かりやすいと思った。

私の55歳から58歳にかけての「地獄のような体験」も、新任部長が「1名削減」の成果を挙げた
かった。それだけの話であり、分かりやすい話である。

その間の自己否定を強要された経験などは、手の平に載せて・・・

「ふっと」吹き飛ばせば良いものだが、20年の年数を経ても脳裏から払拭できなかった、それが、
どうだ、家内から、フラダンスの仲間による時計見間違い事件を聞かされて長年の呪縛から解き
放たれるように、過去の悪辣な上司からの数々の嫌がらせの思い出が吹き飛ばされた。

そして不思議なことに欧米における管理工学の実情調査に出掛ける前に吉祥寺のフィロ英会話
スクールで、お世話になった校長のジョージさんの笑顔が脳裏に浮かんだ。

そして「生産性の船」の研修報告書を手にして「ボクが僕の中でヒーローだった頃」というタイトル
までが脳裏にイメージ出来たのである。

この辺の脳内におけるカオス(混沌)ともいえる、なんとも摩訶不思議な脳内現象によって若き日
の自分を振り返ってみたいという衝動に駆られた。

そのストーリの幕開けは「吉祥寺の英会話スクール」が舞台であり、アンコールの声がかかった
ハッピーエンドは 「生産性の船」 に続く 「洋上大学」 における講師体験であった。



201 新しい職場の上司からは 「手足となって働いて下さい」 と訓示

純国産ジェットエンジンの推力増強型は、我々の手で、耐久試験を繰り返す度に、徹底的に改造
を積み重ねたこともあり顧客からの評判も良く P-2J 国産哨戒機のブースターエンジンとして
採用され大量生産の契約が結ばれた。

同時に T-1ジェット練習機に搭載されてパイロット養成に寄与していた純国産ジェットエンジン
も、オーバーホール整備のために、我が社に、順次、搬入される時期を迎えていた。

そのような状況の中で、純国産ジェットエンジンの推力増強型の改造・設計を完了した要員たちは、
それぞれ新しい部署に異動した。私の場合は、純国産ジェットエンジンの設計段階から、部品製造
や組立部門に出向いて技術支援をしていた縁もあり、そのまま生産部門に異動することになった。

異動先の部門は、隣接した煉瓦造りの事務所で、早速、上司の机の前に、ご挨拶に伺うと・・・
「お待ちしておりました」
「今日からは、優秀な先輩たちの手足として、働いて下さい」と 激励? された。

設計部門の上司からは、異動に際して・・・

「今回、推力増強型のエンジンが、量産機種として、P-2J哨戒機用に 211台の生産が決まり、
既に、飛行開始している T-1練習機用 の31台のエンジンも、順次、オーバーホール整備の
ため武蔵野工場に搬入されてくるので君には生産部門に異動して技術面から支援してほしい」
と、かなり・具体的な指示を受けていた。

そして、煉瓦造りの事務所に、着任した当日の昼食前には、工場長からの紹介で・・・

「佐久間君には、これから始まる J3ジェットエンジンの量産化に向けて、生産における課題・問題
について技術面からのアドバイスを受けることもあると思うので、生産技術や製造・整備スタッフの
立場から質問などがあれば、積極的に声をかけて下さい」と、早速、顔見せをさせていただいた。

この時点で、私の前評判は、すこぶる悪かったと思う・・・

「当時、設計部長の方針で 『すべての設計は・設計に始まり・設計に終わる』 という考えがあった
ので純国産ジェットエンジンの量産化に先立って、すべての図面を総点検して、生産現場から挙げ
られた問題や課題をクリヤーにすることは勿論、曖昧な表現など、抜かりなく改訂伝票で正した」

「連日、この改訂伝票が、量産化の工程設計を手掛ける生産技術部門に届くため、担当スタッフに
してみれば 『またかよ・いいかげんにしてくれ』 という感情もあったに違いない」

しかし、私としてみれば、かつてエンジン推力増強のための改造・設計の過程で、エンジン内部の
ガス抜きのパイプを試作した際に、左右で対になっている構造物を試作業者の思い込みによって
左側の設計図のみを見て、同じものを二個造ってきたことがある。

これは、どのように反転させても、左側のものは、右側には取り付かない。
「たとえ図面が正しく描かれていても、それぞれの図面に 『左右取違い注意』といった標記をして
おかなければ、お互いに、忙しい開発期間中に困ったことになる」

「要は、思い込みや・勘違いが起こりそうな予感が脳内に知見として走った時には、余計なことかも
しれないが、注意喚起をする必要があるということになる」

しかし、一方で、全社的な視点に眼を転じた時に、プラントものなど一回限りの生産体制で育って
来た技術者や技能者にとっては、図面は図面として基本を押さえているものの一回限りの生産に
おいては、現物合わせによってプロジェクトを玉成している現実もある。

そのような世界では、余程のことが無ければ、改訂伝票を発行して設計変更するなどということは
行なわれない、改訂伝票を出すなどと云うことは、大掛かりな設計ミスがあった場合だけである。

ジェットエンジンの設計部長が唱えるところの・・・
「すべては、設計に始まって・設計に終わる」のではなくて、
「すべては、設計にはじまるものの・現実には・現物合わせで終わる」世界もあるということである。

実際に、このようなプロジェクトでは、実際の図面に 「該当部分は現物合わせによって加工」 と
いう標記すらあることを認識している。

したがって、当時のあらゆる事業部門から人材が集まっている状況にあっては、エンジンの量産
を前にして改訂伝票を連発して来る設計者に対しては・・・

「改訂伝票の内容や主旨を確認しての批評ではなく 『また改訂伝票かよ』という印象から、余程
出来の悪い設計者なのだろうな、と、いう評判が立つことになる」

その設計者が、今度は、生産部門に異動して来ると云うのだから・・・

当然、私の異動先の上司の耳にも情報が入っていて 『余程・頭の悪いやつに違いない』 その様
なスタッフには、頭は使わずに、手足になって働いてもらえば良い(仕事はいくらでもある)。

そのような背景もあって、上司に着任の挨拶をするや・・・
「今日からは、優秀な先輩たちの手足として、働いて下さい」と 激励? されたのだと推測される。

しかし、事態は、一変することになる。

最新鋭の戦闘機のジェットエンジンのライセンス生産が決って、製造準備が始まった過程において、
顧客である防衛庁とライセンスの提供先であるアメリカのGE社との間で契約締結が行なわれた後
に、米空軍とGE社との間で、エンジンの性能向上などのために多くの技術変更や設計変更が適用
され、実際に我が社に送られてきた現品見本にも、多くの変更が及んでいることが判明した。

要するに、航空性能の向上や安全確保の狙いから、ジェットエンジンの設計変更や改訂伝票の発行
は、日常的に「当たり前」のことであり、機体とエンジンの不適合対策や性能向上を含めて設計変更
やそれに伴う改訂伝票の発行などは当たり前のことである。

我が社のジェットエンジンの設計部長が唱えている・・・
「すべては、設計に始まり・設計に終わる」という世界は、現実問題として、日常化しているのである。

かくて、膨大な量に及ぶ設計変更については、顧客である防衛庁と我が社の間でもデシジョンボード
が設けられて、設計変更や改訂伝票の扱いについても、日常的なルーティン業務として対応して行く
社内のデシジョンボードも設けられた。

ここで、捕捉をしておけば・・・

◯私の異動先の部署は、新設部署で、これから本格化する最新鋭の戦闘機用のジェットエンジンの
量産(600台規模)やヘリコプター用のエンジン量産(760台規模)および民間航空機用のジェット
エンジンのオーバーホール整備の本格化などに向けて精鋭の技術スタッフが集結中であった。

◯そのような活況の中で、純国産P-2J哨戒機用に211台の生産も決まり、ジェット練習機用量産
30台のみで完了か? と見られていた中、P-2J哨戒機用に大量の量産が決まり、ライセンス生産
の量産体制に押される中で、辛うじて・強気の気を吐いていた状況であった。

◯工場長とのご対面は、煉瓦造りの事務所での対面が初めてではなく、遡ること一か月前にテニス
コート上において会話を交わしている。あの日は金曜の週末、土曜・日曜日のテニス練習に備えて、
昼休み時間を利用してコート整備をすることになっている。

私は設計部門で製図机にかじりついていると、運動不足になるので軟式テニス(後に硬式に転向)
に取り組み始めていた (工場長は硬式テニスに取り組まれていた)。

その日、金曜日のコート整備に参加したのは 「硬式は工場長のみ」 「軟式は私のみ」であった。
私は、身長165cm ・ 体重55㎏と小柄ではあるが力はあるので、一人でコートにローラ掛けを
していた。工場長は硬式テニスコートのライン上を箒で履いてラインが良く見えるようにしていた。

「いつも・昼休みになると、大勢コートに集まって練習しているのに、金曜日になると来ないね」 と
声をかけていただいたので 「軟式テニスの場合も同じです」 と同意の挨拶をさせていただいた。

ちなみに、工場長は、土光敏夫社長のご長男であり、純国産J3ジェットエンジンの試作エンジンを
まとめあげて飛行試験を成功に導いた天才技術集団の主力メンバーである。

かくして、煉瓦造りの事務所に着任した昼食前に、土光工場長から生産技術や製造・整備部門の
スタッフの方々に、ご紹介いただいたことは、後日の晴れ舞台に、即刻、つながることになった。
(詳しくは後述する)

そして・その日、帰宅して、風呂に入りながら考えたことは・・・
「着任した部署の上司からの指示は、兎に角、手足を働かせて役立って下さい」という主旨のお話
なので、その通りにするとして、同時に、自分としては 「脳内の活動」 も伴わせることにしよう。

そして、これは、初めての人事異動であったが・・・
「いかなる人事異動においても、それは、自分が大抜擢されたもの」として振舞うことにしよう。

そして、その抜擢は、翌週には、現実のものとなって舞い降りて来た・・・

「純国産ジェットエンジンの量産化を筆頭に、最新鋭の戦闘機エンジンやヘリコプター用エンジン
の量産化に向けて、社内における他事業本部からの異動や 中途採用を含めて大量の陣容が
生産工場に投入されることになり、先ずは、基礎教育の重要性が認識された」

「基礎教育の徹底のためには、急遽、トレーニングセンターが創設され、アメリカ GE社において
研鑽を積んで来た ミスタージェットを自称する S氏がトレセン長に就任、私は設計部門出身と
いう経験から『図面の見方』のトレーナー(講師)として推薦された」

テキストは、それぞれ「溶接技術の専門家」「機械加工の専門家」「材料の専門家」などめいめい
がテキストを起案して、ミスタージェットの承認を受けた。

私の「図面の見方」も、即、承認となり、トレーニングが開始された。
授業は俄かのプレハブ建屋で行われ80名毎の繰り返し授業となり、スピーカーを手にして説明、
実際に、各自に、図面を書いていただく場面設定もした。

私にとっても、この経験は大いに役立ち、どこの職場に行ってもトレーニングを受けたスクール生
がいらっしゃるので機械加工の場面でも、組立工場でも、気軽に声をかけていただいて、私自身、
生産・整備部門において技術支援を重ねる地歩を固めることが出来た。

(続 く)

【連載】ゴールデンエイジの物語 Book2

【連載】ゴールデンエイジの物語 Book2

「ボクが僕の中でヒーローだった頃」の幕開けの予感・・・

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
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