空気は何処(どこ)へ

そうげん

90年代に購入したあるアルバムから立ち上げた物語です。
アルバムのタイトルは作中に示しています。

全文

 鼻の先がひくっと動く。店のなかには、お香の薫りが漂っていた。前に嗅いだことのある匂いのようにも思えたし、はじめて嗅ぐ匂いのようにも思われる。失われたらしい記憶をここに呼びさませないのがどうにももどかしい。
 外の看板には《まきな古道具店》とあった。古い蔵を利用して営業している。時代のついた漆喰壁は職人の仕事によるものだ。
 二年前の夏からずっと気になっていたのだ。誰が使うのかわからないような番傘だったり、いつ作られたものかも分からないアルコールランプだったり、長さもまちまちの使いさしの蠟燭であったり、竹ぼうきとか、笊(ざる)とか、端切れとか、切り鋏(きりばさみ)とか、そういった古物が雑然と置かれてあるのを想像していた。

 あれは梅雨のころで、午前中の一コマだけを受けての帰り道だった。時雨(しぐ)れる中、行きと同じくコンビニ傘をさし、肩先を濡らしながら足早に歩いていた。いつもの帰り道は自動車の交通量も多くて、雨水の飛ば汁を掛けられる恐れがあった。危険を避けようと、いつもとちがう道を歩いたのだった。行先に大まかな当たりをつけて、歩きやすい道を選んだ。それは住宅街のなかにあった。周囲を塀に囲われた内側に緑の木々が植わっていて、その間から、雨に濡れた黒い屋根が頭を突き出していたのだ。新しい家が多い住宅街に古めかしい蔵の存在していることに、わたしは軽い困惑を覚えた。ふだんの生活に蔵を見かける経験が希薄だったからだ。前を通るときに《まきな古道具店》という名前を目にしていた。そのとき、日本の古道具を扱っているにちがいないと早合点したわけだった。
 傘から滴る雨水を見るのも億劫だったし、雨に濡れていたくなかったし、半日休みを音楽でも聴いて部屋でゆっくりしたいと思っていたから、そのときは店に入らなかった。

 二年が経った今日、たまたま店の前を通りかかった。店に入ったのは、雨が降っていなかったことが大きい。予定に追われていなかったこともあるし、なにより今日はどうあっても入らなくてはならない日のように感じたからだった。なぜそう感じたかはわからない。そういうめぐり合わせなのだろう。店の中に漂うお香の匂いに懐かしさみたいなものを感じているのが現在のわたしのありようだった。
 スピーカーの所在は不明だけれど、店内には洋楽のポップスが小さな音量で流れていた。耳にした瞬間、女性のボーカリストかと思ったけれど、やがてその歌を歌っているのはハイトーンの男性ボーカリストだとわかった。誰のどんな曲だろうと気にかかったが、それを訊く相手も見いだせなかった。間接照明の淡い光がたくみに用いられている。複数の光の乱反射するわら半紙めいた白壁は、表情を朦朧とさせたまま曖昧に輝いている。壁には大きな釘が打ってあって、オーナメントやタペストリー、森の木々をイメージさせる模造の緑葉だったり、何本もの金属のチェーンや革紐、ロープ、鞭に馬具まであった。馬具なんて誰が持ち込んで誰が買っていくんだろう。ここのオーナーの趣味なのだろうか。
 木でできた重厚なテーブルの上には、さらにこまごましたものが並べられてあった。ベゼルだけの時計もあったし、ペンダントヘッドもあったし、宝石の原石みたいなものも見える。銀の薬入れもあれば、文鎮のような置物もあった。色とりどりの万年筆が何十本も並べられてあるし、漫画を描くときに使うようなペン先もきれいな湾曲面を見せて揃っていた。洋風の古道具店だったかとあらためて店の名前に思い当たる。
 それにしても不親切な店だ。もしアンティークとでも提示しておけば、好きな人はこれを目当てに店を訪れるだろうに。オーナーの怠慢ではないか。ともあれ、依然として店員の姿は見えない。
 ――ほんとうに人がいるんだろうか。
 不安になるレベルである。
 奥には、二階へと続く階段もあった。あとで上へあがってみようと決めて、先に下にあるものに目を向けることにした。テーブルの上に並べられた商品はどれも小さくて、細かくて、手を触れることで傷めてしまわないか心配になるほどだった。どれくらいの価値のあるものかもわからない。
 勇気を出して、一隅に置かれてあるアンティークの懐中時計に手を伸ばした。蓋つきの金時計で、表に、ヨーロッパの貴族の紋章のような打ち出しの文様がついている。内部にどんな文字盤が隠されているのか、見てみたくなったのだ。直径五センチの小ささなのに、持ってみるとずしりと重かった。赤子の心臓を持っているかのようだった。
 龍頭(りゅうず)に取り巻かれた先端の釦(ぼたん)を押す。金色の蓋はすみやかに開いて中の秘密を見せてくれた。一番に目についたのは文字盤のローマ数字だった。縦長の端正な字体が見ているこちらの気持ちを引き締めてくれる。なめらかな曲線と針の細かさが魅力のルイ十六世針はエレガントな印象をもつ。針の金は赤みを帯びている。もとからというより、時代がついて変化したのだろう。
 三時二十五分を指している時計。文字盤と針を見比べる。手に持ったまま背面を耳に近づけてみるが、当然金の心臓は停まっていた。ふたたび目の前に文字盤を持ってくる。動いているのを見たくなった。歯車と歯車とが噛み合って駆動している音そのものを聴いてみたくなった。龍頭に指をやる。はたと気がつく。店員もいないのにそんな勝手をして、もし壊してしまったなら、わたしはたぶん責任をとれない。発条(ぜんまい)を巻くのがためらわれた。
 いったいこの狭い店のどこに隠れているのか。隠れている、という言葉を使いたくなった。
 龍頭から親指と人差し指とを引き離して、釦を押しながらゆっくりと蓋を閉じた。金属と金属の克ち合う音がする。釦を離した時の反発力もよい。時計をもとの位置に戻す。ことりという小さな音がした。
 離れがたい気持ちを押し殺して奥へ進むと、これもまた古めかしい食器棚が置かれていて、ワイングラスやシャンパングラス、タンブラーといったガラス製品や、ティーカップ、コーヒーカップ、プレート、絵皿、といった磁器類があった。ひとつひとつを眺めるのも楽しかったけれど、棚の下段に置かれてある銀のカトラリが見せるきらめきに目が吸い寄せられた。前の持ち主が気になる。こんなに端正なカトラリをつかって、なにが食べられていたんだろう。
 舌平目とか、オマール海老とか、兎とか、子羊とか、子牛とか、ふだん食べたことのないようなものが食卓に上っていたんだろうか。それともふだんは大切に仕舞われて、特別なお客の来るときにしかお披露目されなかったのだろうか。目を近づけてみる。ナイフの平たい先端部には目を凝らさなければわからないほどの小さな傷が無数についていた。大切に使い込まれたうえの名誉の負傷にちがいない。
 一本でも高価(たか)いだろうに、三十本近くある一揃いにはどれくらいの値段がついているのだろう。大学生のアルバイト代でどうにかなる金額ではないだろう。買ったところで、何を食べるのに使えばいいのかわからない。コーヒーにミルクを入れてかき混ぜたり、ショートケーキを上品に食べるのに使うくらいがせいぜいだろう。
 憧れと羨望の気持ちの入り混じるのがわかった。ちくっと胸を刺すこの感情には嫉妬も混じっている。よくないのはわかっていた。
 生まれた家がこんな銀器を用意できる家だったなら。日本ではなくて、西ヨーロッパのどこかの国の富裕な家に生まれていたんだったなら。そんな家に生まれる未来もあっただろうか。朝はカフェオレとクロワッサンだけで、夕にはオードブルと、魚か肉の料理を家政婦が作ってくれて、うまいとか、まずいとか、一方的に口にする生活をしていたかもしれない。あるいは食べ物に溢れた国ではなくて、食べる分は自分たちで狩りをしたり、漁をしたり、採集をしたりしなければ次の食事もないようなところに生まれていた可能性だってある。心細いけれど、それも面白そうだ。しかし、生まれるべきところに生まれてここにいるんだから、それでいいように思う。でも、なぜか哀しい。
 音楽がまた耳に入ってきた。ずっと聴こえていたはずだけど意識していなかった。放送を流しているとか、オムニバスの音楽を流しているわけではなさそうだ。なぜといって、店に入ったときとボーカリストが一緒だったからだ。アルバムだろうか。そのとき、懐かしい声のなかに一抹の寂しさの漂うのを感じた。切ないような、儚いような、いまはもうどこにも実体をとどめないような惜しい気持ち――放っておけない気持ちにさせる哀調の音色が感じられた。
 すでに持ち主の失われた古道具の総体のあげる響きだった。薄暗い店内――現代から取り残されて、声も上げない、音も立てない、ただ誰かに使われて誰かに捨てられて、つぎに活かされるときがいつかもわからない。果てしもない眠りをしずかに眠るアンティークの哀しみの響きが伝わってきて、おのずと深いため息がもれた。
 オレンジにうすい灰色をかぶせたような、温かみと渋みを感じさせる光は、それ自体、薄墨のような淡い闇を包含するかのようだ。光と闇のどちらもが分かちがたく混ざり合っている。この場に息をひそめるすべてが、過去の闇と現在の光の双方を受け入れている。受け入れたままに眠りについている。
 棚の中のこれは、たぶん英国製なのだろう、何年前に作られたものかもわからないティーカップは、よく見ると底の方にぽつんと茶渋のシミができていた。人はそれだけで嫌な顔をするものかもしれない。購買意欲が削がれるものだろう。でも確実に過去のある時点でこれを手にして一杯を楽しんできた人があったのだ。歴史が覆いかぶさっている。この暗がりに眠る品物すべてにかつての持ち主の感情が注がれてきたはずだった。
 どこかで聴いたことのある曲にかわった。懐かしさが喚起される。もっと見ていたい気持ちはあったけれど、一階はこの辺りにして、二階に昇ってみることにした。
 昇り口に立つと、階段の勾配は明らかに急だった。古い城の階段くらいに急だ。
 階段を昇っていくと、白っぽい明るさがあった。二階は外光を採り入れているらしい。二階へ上がる途中、一階の音と二階の音の拮抗する地点があって、越境する瞬間、身体がふわっと持ち上がる感覚に襲われた。驚きの声がもれた。店に入ってはじめて発した声だった。一瞬、動悸が激しくなった。呼吸を整えてから階段を昇りおえる。二階は予想通り、窓に光が射していて、暗がりに慣れた目にはことさら眩しかった。昼の二時を過ぎていたことを思い出す。
 二階のレイアウトは奇妙だった。単行本や文庫本、英語の本もあれば、他国の図版本もあった。またレコードやCDやDVDといったオーディオソフトも揃っていた。それらが三方の壁に据えつけられた棚の中にぎっしりと詰まっている。中央に椅子が二脚向かい合わせに並べられてあって、ひとりの男性が背中を向けて座っていたのだ。
 男性の背中はゆらゆらと揺れている。向こうを向いているせいで、年齢も、風貌もよくわからない。ただ中年の域は越えているように感じられた。レストランのセルビスかソムリエが着るような白シャツに黒のベスト、そして黒のスラックスを身に着けていた。背後から様子を窺ってみるが、男性は気づく様子もない。店番なのか、店主なのか、それともお客なのか、それすらもわからない。耳を澄ませても寝息は聞こえない。しばらくすれば目を覚ますだろうと思い直し、わたしはほぼ壁面ともいえる棚の中のコレクションに関心を移していった。
 並んでいる本は長い間読みこまれたものらしく、背表紙のいくつかには細かな傷がついていたし、部分的に剥げているものもあった。売り物だろうかと疑問に思いながら、一冊を棚から引き抜いてみる。裏にも奥付きにも値札は貼られていない。新品の購入のときにつかわれたバーコードで管理しているのだろうか。値段は新品と同様なのか、それとも時価なのか、店主の気ままによるのか。なんにせよ、座って眠っている男性が起きないことには始まらない。そもそも店の関係者なのかどうかもわからない状況なのだから。
 ふいに背後にメトロノームの音がした。それが電子音で、スマートフォンの着信音だと知ったのは、段階を踏んでのことだった。後ろを振り返ると、起きだした男が上着のポケットからスマホを取り出すのが見えた。男は、はい、といって電話に出た。太くて伸びのある、耳に心地よいバリトンだった。ずいぶん親しい間柄らしく、日曜日に釣りに行った話のあとで、駅前にある評判のレストランの話をして、それから仕事の話に移った。どうやらこの店をもうすぐ畳むらしい。それでいまある商品をどこに保管するか、あるいは売り払うかという相談をしているとわかった。
 電話をしていた時間は十分もなかった。その間、ときおり男がこちらに視線を投げるのがわかった。何度目かのおりにこちらが頭をさげると、相手も会釈程度の返しをしてくれた。電話の声を聴きながら、わたしはCDの置いてある棚に移動して、そこに並ぶものに目を向けて時間を過ごした。
 知っているアーティストもあれば、知らないアーティストもあった。レニー・クラヴィッツなんて当時、FMラジオで流れているのを耳にしたくらいで、じっくり聴いたことはなかった。飲み味の爽やかな、甘い炭酸飲料みたいな音楽という印象があった。ちなみにわたしはそんな音楽が好物だった。ヴァレンシアとか、ロクセットとか、ブライアン・アダムスとか、TOTOとか、エイジアとか、聴いている音楽はまちまちだったけれど、FMラジオで好きなアーティストを見つけて、中古ショップをめぐって探していったCDは、いまだに自分の部屋の棚に収まっている。いまだにプレイヤーで円盤を回して聴くのが好きだった。なぜかはわからない。CDをテーブルにセットするところから始めるのが音楽を聴くときのルーティンになっていて、それを欠かすことが味気ないことに思えるように自分の固定観念は仕上がっていた。
 後ろで男性が電話を終えた。スマホをもとのポケットにしまったのが、物音でわかった。
「それで――」と男性はあきらかにわたしに話しかけてきた。二階にはわたししか居ないのだから、当然わたしに向かって話しているにちがいない。「応対しなくって、申し訳ありません」
 つとめて明るく話そうとした、「いいんです、気持ちよさそうでした」
「面目ない。気持ちのいい昼下がりですから、つい」
「わかります。わたしも眠ってたいです」
 わたしの言葉がとぎれると、で、という風に男性は、わからないくらい小さく首をかしげた。
 何を探しに来たのか、求めているものはあったのか、どういった用件で、といったたぐいの疑問だろうと想像がついた。そうなれば、こちらの話をせざるをえなかった。
「前からこの店が気になってたんです。二年前です。ずっと店の前を通る機会がなかったんです。中に入るのは今日がはじめてで」
「そうですね。あなたと会うのは初めてのようです」
 目の前の男性が店主であるらしい。話の内容からいって、たぶん確実だろう。
「いけないことですが、電話の内容が耳に入りました。お店……閉店なさるのですか」
 気になるとすぐに尋ねたくなるのは自分の性分だった。明るすぎない店内の照明の奥ゆかしさや、さまざまな思い出を持っているはずの小物の集積を見たことで、この店を好ましく感じ始めていたときだったから、閉店の情報はショックだった。日常からの退避場所として、これから、ときおり利用するのもいいかなと思い始めていた。出会ったときが別れのときみたいな悲恋の演目のように思えた。
 店主は答えた、「今週いっぱいで閉める予定です。同業の仲間にここのすべてを譲るか、あるいはすべて売り払うか、まだ決めかねてまして、それを考えるうちにうとうとしてしまいました。わかっているんです。畳むことは嫌なことで、嫌なことから逃げたくてつい眠ってしまった。眠りってのは、現実からの逃避ですかね」
 思う以上に哲学的な問いかけが返ってきた。そうなのか、と考えながら、一階の古道具たちが長い眠りを眠っていることの意味を考えようとしてみた。彼らは逃げるために眠っているのか。無理から眠らされたのではないのか。音もなく声もない集合体に、おのずから主張する手段はない。しかし、あの集積がなんらかの意思を持っているようにわたしには思えた。その思いは逃避とどんな関係があるんだろう。あるいは、そのように考えたがる自分こそが、なにかから逃れたくて、ここにやってきたのかもしれない。
「ひとつ訊いてもいいですか」わたしは店主に問いかけた。
 どうぞ、とかれはくつろいだ様子でこちらを見た。
「お店にいま流れている音楽――とっても哀しい調子に聴こえるのだけど、よかったら曲目を教えていただけませんか。気になってしまって」
 どんな質問がなされるのかと男性は気にしていたようだ。だから、わたしの質問を耳にすると、すぐに反応を返してくれた。「じっくり聴かせる音楽ですね――わたしも好きです。この場所にしっくりはまってくれる感覚もあります。多少、はまりすぎるきらいもあるから、どうかと思えるほどですが」
 かれの言葉の続きを待った。店に入って、かれこれ二十分、この音楽が気になり通しだったのだ。正直言って、このアーティストのことを訊かないと、帰るに帰れない気がしていた。
「エア・サプライの《ヴァニシング・レース》(※)――わたしは英語はほとんどわからないのだけど、これを聴いていると、いつも切ない気持ちになってくるんです。どうしてこんなに物悲しい哀調を帯びなくてはならないんだろう。もう追っても仕方のない過去の残影を、諦めの気持ちの中にあって、後悔の念に打ち据えられながらも、じっと耐え忍んで守ろうと試みるような甲斐なき実直を感じる。労苦の報われるときなんて、もはや到来しないことはわかっているのに、やめるにやめられない、切ない希求みたいなものをこの音楽の中に感じます」

※1993: The Vanishing Race (Air Supply)
 https://www.youtube.com/watch?v=-ZwMKDtwr-w&list=PLKhylDouebRiUawd35g13JMDFqOTybn9B
 
 いまこの環境のなかにいるからこそ、素直に聞き入れられる考えというものがあった。物言わない品物たちの心の嘆きを代弁したような言葉と受け入れてみれば、店主のいまの言葉は完全に相手の側に立っての言葉であるように思えた。わたしは知らないことが多すぎたから尋ねてみた。「何年のアルバムですか」
「93年。安定の80年代から、なんとしても変わっていかねばならないと思いこまれていた90年代にときおりあらわれた懐古的ナンバーのひとつだったといえる。でも、このヴァニシングレースは絶えてしまった民族の非業を語るようにも、わたしは感じている。ひとりの人間の悲しみの、あまりある悲しみがそこには示されてあるように感じます。その感覚がわたしの気持ちを強く惹きつけます」
 どうして店主は海外の音楽にそんなに親身に打ち込めるのだろう。よくわからなかった。なにか個人的な問題がわだかまっているようだった。
「外周に横たわる問題だけではない、そこにはなにか個人的な事情があるようにわたしには思えます。そうでなければ、他国の音楽をそこまで親身になって感じようと思うものではないと思うから。少なくともわたしはそう思うということですけど」
 ああ、と店主は声をもらした。その深さ、その乾きに、踏み込んではならない部分にまで立ち入ってしまった気がした。でもそこを突かないことには、話が有益なものになるとは思えなかった。
 わたしはつぎの言葉を待った。
 ややあって、店主は重い口を開いた、「わたしには離婚歴がありましてね。前の妻が三年前に家を出ました。二人の子供をつれて、ある日唐突に居なくなった。書置きが残されてました。『もう限界。耐えられない』とそこにはあった。この人生、順風満帆だと思い込んでいた結婚生活は、そこで終わりを告げました。人の心って本当にわかりません。心の底ではなにを思っているのか。だから、なのか、そうだからこそ、なのか、それはわからない。わたしが古道具を扱う商売をしていることとも関連があるのかもしれない。ここにあるものにはそれぞれに、かつては所有者があったはずです。それがある日、唐突に、お前はもう必要ないといって、お暇を出されてしまった。そんなものばかりが、ここには肩を寄せ合って並んでいます。世間に必要とされないものばかりが縮こまって集合している空間。そういう空間がいまのわたしには心地よかったりします。わたしはこの空間が好きです。でも無駄にスペースをとって無駄に生きているわけにもいかない。それで店を畳むことにしました。エア・サプライの音楽を気に留めてくださってわたしはうれしいです。すでに失われた過去への希求は、叶えられる見込みはなくとも、最高のはなむけになるでしょう。そう、わたしは信ずるものです」
 店主はそこでいったん言葉を切った。
 わたしが言葉を引き継いだ、「エア・サプライ……空気を与える、空気がなければ人は生きられない。でも空気のあることを人はいつも失念してしまう。あって当然と考えてしまう。考えることすらしないままに、なんとなく受け入れてしまっている。それが貴重なことなんだってことにまったく思い至らないままに」
 店主は口を閉じている。まるでわたしのいうことをそっくりそのまま受け入れているかのように、慈愛に満ちた表情でこちらの一挙手一投足に視線を投げていた。すでに居場所を失った生死人のような印象をわたしは持った。失礼なことかもしれないけれど、そう思った。いまの社会に対して、期待とか、希望とか、そういった前向きなことをすこしでも受け入れている人だろうか。とてもそうは思えなかった。過去の一時点に立ち止まって、そこから一歩も動けなくなっている人のように感じられた。
「でも人生のどこかには希望は転がってるものだって、わたしは信じます」
 店主のまなざしが悲しみの色を帯びる、「そう信じられれば幸せでしょう。しかし――」
 二人して言葉を失った。どちらからともなくもれた二つの溜息が同化する様子に、妙な苦笑の片鱗が、こちらの口元にうかぶのがわかった。いまとても言い表しにくい表情をしているんだろうなと、自分のことが見えていた。それは店主も同じだったかもしれない。
「店に来てくれたのも何かの縁でしょう。ヴァニシング・レースを進呈します。よければ、家で聴きこんでください。そして、ときおり、こんな店のあったことを思い出してくだされば、これほど嬉しいことはありません」
 悪い気がした。一方的に与えられることに罪悪感があった。
 そんな心の動きも相手は承知のようだった。
「気兼ねしないでください。そうしたいからそうしているんです」間をおいて、店主は次のように説明した、「この店をやっているあいだに、幾人もの方が自分のいらなくなったものを持ち込まれました。自分にとって用済みになったものを売り払ってしまう魂胆です。この商売はやればやるほど悲しくなる。買うときにはこれが欲しいと感じて買ったものを、売るときにはその感情丸ごと失ってる。因果な商売です。人々に物の思い出を忘れさせるためにやっているんですから。でも、あなたにアルバムを進呈することは、少なくとも新たな持ち手に品物が渡ることです。生活の中にそれを活かしてくれるかもしれない希望が、託す側にも存在しているという点でちがいます。あなたなら託されたものを大切に扱ってくれる。聴いてくれる。それは誤解かもしれないけれど、感情ベースで語るなら、きっとそうであるにちがいないと思えます。だからこそ、受け取ってほしいのです」
 切々と訴えられる言葉に心を動かされた。たしかに入店したときから音楽に惹かれていた。それは否定できない。でも自分のなかの正義感が、ただに商品を受け取ることを拒んでいた。そんな感情がわたしに次のセリフをいわせた、「わたしにもお金を支払わせてください。それが筋ですから」
 わたしを値踏みするように相手は目を細めた。軽く息を吐く、「わかりました、それで納得がいくのなら」
 そうして、わたしは野口英世一枚で、エア・サプライのアルバム《ヴァニシング・レース》を手に入れた。
 袋に入れて貰っている間に、店主に声をかけた。「古物を扱うことに疲れましたか」
「疲れてないといえば、嘘になる」と店主はためらいがちにいった。「どんな思いで人は大切なはずのものを手放すんだろうって思います。前に進むためには、いらないものを切り捨てるしかない状況だってある。でも切り離す人があまりに多くて嫌になります。切り離して、きれいさっぱり忘れられたらそれで終わりって、悲しすぎます。そんな悲しいものがこの店にはごまんと集まっている」店主はここでいったん言葉を切った。「だから――だからといっていいのかな――そんな物たちをひとつでも拾い上げて買おうとしてくれる人には、大きな愛着を感じます。こんどの持ち主は、きっとおまえらを大切に扱ってくれるにちがいない。捨てられたものたちも拾いあげられて、きっと大切にしてもらえるんだ。そんな未来があるなら、捨てたもんじゃないだろう、なんてことをセンチメントに考えたくなる日もある」
「素敵な考えだと思います」ゆるぎない気持ちで、わたしは答えた。
「そうかな」言葉を返す店主の笑みは弱々しかった。

 一日の疲れを風呂で洗い流してから、部屋でアルバムを聴くことにした。どうしてはじめに聴いたときに女性ボーカルと感じたのかわからなかった。家のプレイヤーで聴いてみると、どこまでいっても、渋くて味のある男性ボーカルだった。あの空間のなか、あの空気感のなかに聴いたからこそ、女声だと思ったのかもしれない。失われたもの。これから先、得られることのなさそうなもの。滅んでしまったらそれっきりとなる物事について。時代錯誤とも思えるようなあのアンティークの店で得たのはたったひとつのアルバムで、そのアルバムにつまっている悲恋は、いまのわたしの気持ちに十分にそぐうものだった。人生自体儚い物だと思っている。儚い物をそれは儚いんだよと示してくれるものが周囲には少ない。もろくて消えやすいものだからこそ、大切に扱いたい物事がそこら中に存在する。
 大学を卒業した後の身の振り方も考えなければならない。消え去りやすい人生だからこそ、ちゃんと足をつけて生きていくしかない。思い出は思い出として大切にしながら、わたしは過去を否定するかのようにすべてを投げうつ生き方だけはしたくないと、あの店の、あの店主との会話を思い出しながら考えていた。

 かつてあった時代は決して戻らない。

空気は何処(どこ)へ

表現したいものはなにか、空気です。
空気とは何か。生きていくのに必要なものだけど、べつに意識しなくても生きていられる。あることがあるのが貴重だけど、それに向ける注意が薄れてしまっても、別段、生活に変化を強いることもない。だったら空気って哀しいねなんてことを思いもします。

空気は何処(どこ)へ

ずっと気になっていたお店にはじめて足を踏み入れます。 短い時間に体験した、小さな切ない物語です。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-01-23

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