しかたなく憧れて

そうげん

わたしの書いたファンタジー小説「紅玉の雫」のスピンオフ作品です。
現在「紅玉の雫」は公開していません。

全文

 昼が近づくにつれ、街路の喧噪も落ち着いてきた。早朝には目にしていた、急ぎ足で行きすぎる職人の姿も、パンでいっぱいのバスケットを提げた女の姿も、散歩をする老夫婦の姿も見ない。蒸した熱気が街路に、こごっている。外に出て、店の扉の金具を磨いていたティナは、額に浮かぶ汗を二の腕でぬぐった。肌にのびるうっすらした水気の蒸発するときに、わずかな涼味が味わえる。見あげると、はるかな高みには、清々しいまでの、隈なき青空が広がっていた。
「上天気。ずいぶん続くなあ」
 唇に言葉が漏れても、彼女の手は止まらない。磨き沙をつけた布からは、きゅっ、きゅっ、と、たしかな擦過音が立ちはじめる。角度を変えて具合を確かめる。一瞬、ひるんだのは、反射した素直な陽光に、目を射られたためだろう。
「リングトンさんたちが発ってから今日で四日。そろそろ戻ってきてもいい頃だけど」
 磨き布を折りたたみ、立てかけていた箒を手に取った。
「リングトン、戻ってきた?」
 幼い声が背後にかかった。
 またか、とティナは苦笑いを浮かべて振り返る。
 いつもの小さな二つ顔があった。「いつもいってるでしょ。いきなり声かけるのはダメって。ちゃんと挨拶なさい」
「また姉ちゃんが怒ってる。そんな怒んなくっていいじゃんか」
 いたずら小僧というしかない無邪気な笑顔を向けて、レッカがいう。かれは近所の鋳掛屋の次男だ。長男は今年からすでに見習いとして立っていて、三歳下のかれは誰に相手にしてもらうもならず、妹のベゼットと今日もつるんでいる。
「学校は行かなくていいの?」とティナが尋ねると、
「もう終わったよ」とレッカがいった。
「きょうもお兄ちゃんのお供なの?」
 ベゼットは人形のような目をくりっと動かして、素直にうなずいた。
 昼の営業にはまだ時間がある。二人の相手をしていても、主人のロンベルクは怒らないだろう。
「中へ入る?」とティナは二人を誘った。「飲み物が出るよ」
 レッカはしぶった。「ちょっと外でしゃべってたい気分。あとで中に入れてよね」
 そんなことは初めてだった。「なにかあった」
「夏ももうすぐ終わりだよね。おれ、去年の夏を思いだすんだ」
 しんみりしたことを言い出すから、ティナは驚いた。
 レッカはつづけた。「おまえは子供だから、って、このところ、父さんたちにさんざんいわれるんだよ。アニキとは三歳しかちがわないのに、俺は家の仕事はしなくていいっていうんだ。去年の夏は、アニキもおれの相手をしてくれた。虫も捕まえたし、水遊びもしたし、花の蜜を吸ったり、近所の家でおすそ分けをもらったりして、ずっとアニキのあとをついてたよ。でも、この夏はこれまでとちがってしまった。楽しいことを勧めてくれる人もいないし、むしろ、おれがベゼットに楽しいことを教えてやらなくちゃならない。負担に感じるんだ。おれも、あと少ししたらなにかしなくちゃならない。なんにもしなくていいなんていわれても、なにかをしなくちゃならないと思えてくる。でも、おれ、なにをすればいいんだろう。このところ、ずっと考えてるんだ」
 ティナはじっと聞いた。
「おれ、冒険者としてやってけないかな。ここに雇ってもらえないかな。やる気はあるよ。でも、何から始めればいいのか分かんない。でもやることを示してもらえば、まじめに取り組むよ」
「なんともいえないな」
 きまずい空気が三人のあいだに漂った。
 緩い風が、ティナの鼻先をかすめた。おくれ毛が彼女の顔にかかる。細長い指を髪にのばすしぐさをみて、それまでおとなしかったベゼットが口を開いた。
「お姉ちゃんはいつから髪を伸ばしてるの」
「これ?」ティナは毛先を指でつまんだ。「三年前からよ。ある人の影響を受けてね。素敵な女性だった。いまはもういないけど、あの人みたいになりたいって、あこがれたのがはじめよ」
「なんて名前?」
 無邪気な質問とわかるだけに、ティナには胸が痛む。
「アリスといったの」
「アリス……すてきな響き」とベゼット。
「そう。素敵な響きね。それに素敵なひとだった」
「どうしていなくなったの?」
 これ以上は訊かないで、とティナは思った。もうよそうと思ったが、なんとかいうだけの勇気は持てそうだった。
 ――あまり気分のいい話じゃないけど、といいかけて、相手が子供だと考え直し、こういった。
「長くなるけど、いいかな」わきのレッカをみた。「レッカもかまわないかな?」
 二人はそろってうなずく。なんであれ、子供は話したがりの知りたがりで、すぐに素直な観衆に早変わりする。素敵なことだとティナは思う。
「その人はロンベルクの店の――つまり、かつて、この店の冒険者だった人よ」
 二人がなにか言いかけるのがわかった。いいたいことはわかるから、そのまま答えた。「在籍したのは三日だけだった。二人はタイミングが合わなかったから知らないのも無理はないよ。あの人は、ほかの人と組んで、郊外の墓地に調査にいった。そのまえに二、三、わたしは彼女――アリスと話すことができた。アリスは、異邦人のような、この土地にはない不思議な雰囲気をまとった女性だった。凛とした雰囲気に育ちの良さが滲みだしてるのに、人と話すときには手練手管の人みたいに、人心を左右するのに長けていた。ほんの数回話しただけのわたしですら、あとにはすっかり彼女のとりこになっていた。彼女がいったの。『ティナ、あなたはこの店の手伝いをずっとやっていくのでしょう。あなたのいいところはわたしにはちゃんと見えてるから。わたしがこんなに長い髪をしてるの不思議でしょう? これはわたしのプライドなの。乱暴で粗野な稼業をしながらも、つややかな髪だけは維持しようっていう、わたしの女としての心を映す鑑なのよ。いまは短い貴女の髪も、その仕事をしながら、それでも美しく保つことができるなら、あなたは今以上にすばらしい心映えをもった女性になれるはず。ううん。それはいいわけね。なにより、わたしは髪のキレイな女性にいちばん惹かれるんだ。どう。あなたも髪を伸ばさない? きっと素敵よ』」
「それで伸ばしてるんだ」
「伸ばしてる。けど、アリスとはそれっきりだった」髪のキレイな女性にいちばん惹かれるといったアリスの照れ交じりの笑顔があまりに素敵だったから、わたしは髪を伸ばしはじめたんだ。ティナは心につぶやく。しかし、そこまではいわない。
 ベゼットは興味津々だった、「どういうこと。戻ってこなかったの?」
 ティナはこれが限界だと知った。「ごめんね。話が中途半端だけど、ここまでしか話せないんだ。ただ、あこがれてる人が伸ばしてみたらと勧めてくれたから、わたしの髪はいまみたいになったの。どう。ベゼットも伸ばしてみる?」
「伸ばしたいけど、母さんがダメっていうにきまってる」
 ベゼットは膨れて見せた。そのさまも可愛いらしい。
「残念。貴女は目もパッチリしてるから、きっと似合うでしょうに」
 本心だった。子供のころ、顔立ちの整った青い眼の人形を買ってもらった。あの人形のように、ベゼットの目は、まつげもぱっちりしていて、派手な趣きのあるくっきりとした顔立ちだった。ブロンドの髪に、ある程度の長さがあれば、女性ならみながあこがれるような、かわいらしさと、美しさの、二つのいりまじった姿が得られるであろうに。
 ティナは、肩をすくめた。
 午後の時間が近づいている。もう少しすれば営業に掛からねばならない。
「お姉ちゃんはもうすこし仕事があるから。どうする? 中に入って、ロンベルクさんと話す?」
 小さな二人は顔を見合わせた。
 レッカがティナのほうを向く。「中に入りたい。邪魔しないようにするから」
「邪魔するなんて思ってないよ。じゃ、行こう」彼女は扉をあけて、三人はうすぐらい店内に入った。
 路上の蒸し暑さとは打って変わり、店内には涼やかな空気が満ちていた。部屋の四隅からは、心地良い涼気が送られてきていた。
 ティナは、カウンターにいるロンベルクに呼びかけた。「今日も小さなお客さんが来てくれました」
 ロンベルクは蒸気にあてながら、グラスの水むらをふきとっていた。五十代も半ばのロンベルクのこげ茶のひげ面は、主人然とした落ち着いたものだった。
「よく来た。座れ、座れ」かれは子供たちを正面のカウンター席に声で導いた。
 子供たちも慣れたもので、一目散に椅子をひいて席についた。
「きょうは何を話そうか」目じりに笑い皺を蓄えながら、ロンベルクがいった。
 レッカがもじもじしている。
「どうした」とロンベルク。
 レッカは背後で片付けモノをしているティナのほうに目を向ける。
 ロンベルクが尋ねた。「ティナ、どういうことだ」
「そうです、ロンベルクさん。レッカが、いずれここの冒険者になりたいそうです」
「急な話だな」ロンベルクはわらった。「どのくらいの覚悟があるんだ」
 それが自分に向けられた言葉だと知り、レッカは緊張した。「できることならなんでもする。ダメって言われても挑戦する。だからお願いします」
 自分を見つめる四つの小さな目にロンベルクは向き合った。時間がすぎた。タバコでもふかすみたいに、口をとがらせて、横合いからふーっと吐いた。なにかを確かめるみたいに。それでも口は開かない。ダメ押しのように、再度ため息をついてから、かれは口を開いた。
「この店は何年続いてると思う?」
 レッカは内装を見回した。壁に掛けられたルビー付きの錫杖。銀器、銅器、錫器といった金属の装飾具。この店の所属を示す十字架と林檎をかたどった紋章つきタペストリー。だれかれとなく店を訪れる客たちが昼夜のへだてもなく口にする煙によっていぶされた垂木張りの天井。本職の左官が見事な仕事をしてのけた白壁の色味も落ち着いている。時代のついた、曲線と直線との絶妙なバランスで組み合わされる柄つきの照明具。にわかに作られた店でないのはわかる。自分の親が子供の頃にはすでにこの店はあったと訊いたおぼえもある。レッカは質問に答えられなかった。
「二百年以上経つよ。この宿――〈紅玉の雫〉には歴史がある。伝統もある。その冒険者宿の専属になるとはどういうことか。わかるか」
 断られるのか、とレッカは不安になった。ロンベルクが見ている。レッカは首を横にふった。
「そんなにビビらんでいい。至極当然のことをいってるだけだ。この宿の冒険者になるってことは、これまでの先人たちの志をついでほしい、わたしの期待に応えてほしい、応える気概のある奴しか認めるわけにはいかない、仕事に誇りをもって精一杯取り組んでくれる奴しか認められん、つまりそういうことだよ。もちろんやる気があるってえのなら、おれも認めたい。でも、この稼業は、所詮、世間で言うところの、やくざな商売だ。ことによっちゃあ、生死を賭けることになる。おれはお前のおやじさん、おふくろさんともなじみだ。息子さんを冒険者にほしいなんて、いえた義理じゃない。それに、おまえさんがなりたいからといって、よしわかった、と、なんのためらいもなく認めるのも難しい。だから、正直、とても困る」 「おれじゃダメってこと? ならおれは――おれはなにをすればいいんだよ」
 レッカは半泣きになっていた。
「まだ時間はある。少なくとも、まだ二年や三年はじっくり考えられる。もしこの仕事をほんとうにしたいっていうのなら、そのときはあらためておれに話をもってこい。そのとき、考えよう。だから、時をまて。ほかにしたいことが出てくるかも知らんしな」
 レッカは泣いていた。腕で眼の辺りをごしごしとこすっている。
 ロンベルクは見ないふりをした。
「なんか話したい気分だ。ちょっと聴いてくか」
 それまでじっと黙っていたベゼットが身をのりだした。「面白い話なの?」
「タメになる話――ってトコだな」とロンベルク。「ちょっと待ってな」
 かれは、カウンター脇においてあるバスケットからオレンジを二つ取った。慣れた手際で真横に二つに切った果肉からジュースを搾り取り、ふたつのグラスに注ぎ入れる。タンクから汲みだした水に詠唱魔法をかけて氷に変じ、それらに浮かべた。オレンジジュースを二人に出してやる。
「飲めよ、サービスだ」
 部屋の四隅には、氷柱が置かれてある。おかげで室内はひやりとしている。この氷柱もロンベルクの作ったものだろう。むかしはかれも冒険者として腕を鳴らしていた。機会があれば当時の武勇伝も聞いてみたいと、ティナはひそかに思っていた。準備の手を休めることなく、カウンターにつづけられる話に耳を傾けていた。
 二人はほっぺたが落ちるような想いを味わいながら、柑橘類の甘いジュースを口にした。
「飲みながらでいい。冒険者の話をちょっとさせてくれ。三年前のことだ」
 二人が美味しそうに飲んでいるうらで、ロンベルクはひとり話しはじめている。
「ジダラという冒険者が当時、この宿にいた。――覚えてるか?」
「えと、骨と皮だけだったみたいな、とてもやせた人」年少のはずのベゼットが、兄より先に答えた。
「覚えてたか、素晴らしい」ロンベルクはいった。「そのジダラが、あるとき、これも新米の冒険者だったが、アリスという冒険者と組んで、とある依頼を受けた」
 アリスと聞いて、二人は振り返り、ティナの顔を見た。彼女の顔はくもっている。
 ロンベルクは気づかないふりをして、先をつづけた。
「ジダラは見た目はひょろっちくて、頼りなかったかもしれん。でも腕は確かだった。おれも頼りにしてる面があったんだ。あれは秋のなかばだった。近在の住民がこの店を信頼して、困難の解決を求めて持ち込んだ話だった。夏の終わりごろから、郊外の墓地に夜な夜な火の玉が出るというので、詳細な調査を依頼されたんだ。これくらいならなんということはないだろうと、そのとき手の空いていたジダラと、手ならしという意味もこめて、所属したばかりのアリスを組ませて派遣した。二、三日の仕事を想定していたが、四日が経っても二人は戻ってこなかった。一週間が経って、近所の人が二人を見つけたよ。見つかったとき、二人は亡くなっていた。墓場からは相当に離れたなかなか人も通らない藪のなかに折り重なるように動かなくなってた。まだ暑さも残る時期で、状態も相当に悪かったらしい。不慮の事態に遇ったんだろう。顔が青黒く変色していたのは、毒のせいだといわれてる。誰のせいかもわからない。こんなことを子供に話すのは残酷かもしれん。でも、いまだからこそ、いっておきたい。冒険者になるってことは、危険をあえて冒すってことだ。いついかなるときに、いたずらに命を失っても文句も言えない。そういう仕事に就くことを俺は人に勧めるわけにはいかないよ。それでもこの仕事をしてみたいっていうなら、ことの本質にしっかりと向き合っていくべきだ」
 話の筋は通っている。それのわからぬレッカではなかった。
「いいたいことは解る気もするし、わからないような感じもある。ただ、いまはこの仕事をしたいと思ってる。たぶん、この宿に出入りしていて、ここにいる人たちがみんないい人だからだと思う。だから、おれも仲間に入りたいんだよ」
「そう言ってくれるのはうれしいし、誇らしいよ。だけど、やっぱりおやじさんたちに顔向けできんよ。さっきもいったけど、あと二年、いや三年待ってくれ。そしたら考えてみよう」
「時間が解決する、でしょう。でも、時間がなんとかしてくれるの。気持ちが募るだけじゃないかな」
「ひとつに思い詰めずに、他の可能性も探ってみることだ。いろんな道にいろんな伝手がある。可能性は狭めないのが一番だよ」
 話は終わり、子供たちはリングトンたちの戻る日をきいたが、まだわからなかった。かれらはジュースのお礼をいって、家へ戻っていった。
 ロンベルクはふたたびグラスを磨きはじめた。
 営業前の定例事項として厨房を窺う前に、ティナは尋ねた。
「さっきのアリスさんの話。外の会話を聞いてらしたんですか?」
「大きな声は耳につくよ。おれは、アリスのことをあまり知らない。でも、どんなにすぐれた人物でも、亡くなるときは一瞬だ。この仕事をしていると、いつもそういう目に遇うよ。小さなときから見てきてるあいつらが危険な目に遇うのは見たくないし、親父さんたちの悲しむ姿も見たくない。所属のやつらはどうでもいいかって、そういうことじゃないんだ。伝統だから店は続けたい。達成の果てには悦びもある。けど、維持するには悲しみもまた多いだろう。因果な商売だよな。したいことはしたいけど、苦しみたくはないし、悲しみたくもない。生きていくなら、傷つくことも想定しておかなくちゃならん。あいつらのやってみたい、してみたいって気持ちも受け入れてやりたい。でも、こわい、まったく、しょうがねえもんだ。猶予はあるけど、三年のあとにはきっちり決めないとな。でも、なんにしたって、あいつらの成長は俺も楽しみなんだよ」
 ティナが厨房へ消えたのを見て、ロンベルクもグラス磨きを終え、カウンターのうえに調理道具を備え始めた。

 

しかたなく憧れて

お読みくださり、ありがとうございました。
ファンタジー要素はわたしにとって不可欠のものです。
またいずれかなりと、ファンタジー作品を書いてみたいと思っています。
そのおりは、また読んでいただければ嬉しく存じます。

しかたなく憧れて

冒険者宿の一日の風景。という、TRPGにでも出てきそうな光景から描きます。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-01-02

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