明夷(めいい)

「明夷」は『易経』にある用語です。

Chapter : 1

 水滴が顔に撥ねても、枝の折れる音がしても、斜面を登りつづけた。鈍い音の波を耳に感じとる。鼓膜だけでない。顔の皮膚全体に、トンネルの奥に在るときのような、ぼやけた音圧が迫ってくる。
 廻る思考が止まらない。神経はいまにも捻じ切れそうだ。焦げつく臭いが鼻につき、頭はぼうっとなって、視界までが歪みはじめる。止まれという命令と止まるなという強迫とが克ちあい、足取りには猛々しさが増す。いずれ倒れるだろう。止められないのは緊張の糸がいまにも切れそうだからだ。あとに責任が持てない。
 吐く息を顔にまるかぶりする。頬を掠める細枝を見とめるたびに失明を恐れて背筋がぞよめく。歩みは緩まない。
 暮れかけの山中に、鳥の甲高い声が降ってくる。葉擦れの音に心が揺れる。冷たい手に心臓を握られる。全身に疲労を感じ、足がよろけて、木の幹に頭をぶつける。鈍い音と共に、腐葉土の上に片頬を打った。何を思ってるか、何を考えてるか、それすらわからずに倒れ込んだままじっと堪えていた。
 湿り気を頬に感じる。襟も袖も腹も腿も脛も水気が染みてきている。きっと酷いなりだし、身も心もガタガタだ。動く気力もなかった。鳥の声は本当か。鳴き声はあれから一度もない。木々の揺れも、風の冷たさも、本当に採れない。対流を失った大気は冷えた粥のようにドロりとしたしつこさを纏っている。
 眠ってしまいたい。服が湿り気を帯びている。肌にまで染みてきた。行き倒れか。無縁仏か。このまま誰にも見つけられずに山の土と一体になるのもいいか。山の水がこの身体を跡形もなく溶かしてくれれば好いのに。骨も皮膚も一切が形を失って、ドロドロの液体になって、地中深く吸い込まれればすっきりするのに。それでも痕跡は残り続けるのだろう。
 姿を失くして夜の冷え込みに同化したかった。息を吸って吐くのも面倒なのに、それでも息をし続ける自分は素直すぎて嫌になる。どうあっても生きたい。
 わめき散らして坂を転がってゆきたかった。なにをしてもどうせしぶとく生き残るんなら、自分をつなぎとめる堰を切ってしまいたい。いまある肺の空気を吐きだし、新しい空気を吸い込む。空気の冷たさにむせる。自分はひよわい。ため息をこぼして頭をあげ、そのまま見上げた。
 梢の向こうの空のスキマは青白く透きとおっている。病室の壁面のように消毒され、漂白された清澄さを思う。滅菌された潔癖感に取り巻かれている。周囲の目に病的な輝きをみる。奸知のきらめきに、自分までが絡めとられそうだった。漂白された心を、無遠慮な無神経が、どす黒く汚してゆくようだった。
 拳に力を込めても、声に怒気を孕んでも、惰性になずむ相手は無関心を決め込む。閉じることは、成長の芽を摘まれることだ。無為にときを過ごすのは愚かしい。けしてどこにも行きつかない陋屋に耐えきれなかった。この場所から逃げなければならない。見ているものが違ったか。初めは同じものを見ていたか。それすらもわからない。いまや生きる土台が明確に異なっている。
 道筋を戻ることも考えた。いま自分は冷静か。あの場所に戻ることは賢明でない。先へ進もう。するうち下りに向かうだろう。あとのことはそれからだ。
 深夜も早朝もない生活はどの時間も均質で、匂いも音もあるようなないような希薄な時空間に、ただ息をして、光の裡に物を見るだけだった。裡にいたかどうかすら定かでない。なまくらな光の余波の中に定かでないものをぼんやり捉え損なってきただけの人生かもしれない。人の目という目が虚ろに見えだしたとき、ひょっとして自分もそんな目をしてるんだろうか、と疑った。鏡を見たかった。洗面所へ行き、鏡をのぞきこめば済む話が、その機会をつくるのも億劫だった。眺めたところで何も変わらない。周囲を木偶にうろつかれては気力を喪失するのも無理はない。ひとり覚めたところがなにも変わらんのだし。
 はじめてハイハイをしたころ、積み木を重ねて喜んでいたころ、保育園で描いた絵が地方の展覧会に掲示されたころ、そのころからすでに仮初の人生は仕組まれていたか。過去に溯っても確かな感覚に行き当たらない。現時までの道筋・行路・軌跡そのものが、夢遊病者の虚ろな足取りでしかなかったのではあるまいか。ふらふらとさまよう自分の人生は無駄な空白だったか。なにも埋めない。なにも満たさない。茫漠としたなかをひたすらさまよい歩いた亡者が自分だったとして、その亡者がそこらを徘徊することを許してきた世間とは、詰まるところ、どんな得体のものだったか。百鬼夜行は観る者が殆どないからこそ成り立つ。昼夜の隔てもなくさまよったあの巷は――あれは本当に現実だったのか。この足で歩いたと信じる巷間はあらかじめ用意された・箱庭めく・どこかの試遊場でしかなかったのではあるまいか。そんなものが用意されてあるとも思えない。何をしたくて自分は生きている、何を求めて一日一日を過ごしてきた。目的もなく、ただただ生きさらばえている自分の意味がわからない。
 二十歳を僅かに越したある年の元旦に宮崎の海岸で初日の出を迎えた。隣についてくれた女の子の名前も思いだせる。打ち寄せる波の音を聞きながら、つめたい潮風に髪をなぶられた。光を増してゆく日の出を眺めながら、こみ上げる希望の塊と行き場のない高ぶりを受け流す。受けとめきれなかったあの感覚までがまるで偽物だったようだ。これまでに感覚したすべてが本当でないとしたら、いまモノを考える自分はいったい何だ。
 山裾から入ったときの一瞬の戸惑いは憶えている。とはいえ、ここがとば口と思い切った意識の一切が搔き消えた。何が初めで何がきっかけでもなく、いまの自分は何年も前から始められていたようだ。連続している。いつしか局面に入りこみ、終わりの見えない時空間にいつまでももがいているのが真実らしい。山道を歩きながら、部屋の息苦しさを思いだす。鈍くて、泥臭くて、新鮮なものの一切見られない、抜け出しようのない迷妄の空隙にある自分を観測する。
 知る人のない場所に遁れたかった。人のまったくいない世界に辿り着きたかった。わかってる。そんな風に強がりながらも、まっさらの人に行きあって、その人たちと新たな関係を結びたいと、本心は願っている。億劫だといいながら、望みをつなぐ自分がいる。嫌だと言いながらも、内心は期待している。左を向きながら右を意識している。そんなことすらいちいち把握したがる自分のこずるさが厭らしい。勝手に走りたがる神経が呪わしい。
 逸りすぎていた。手綱を引いている感覚もない。したいようにさせているようでいて、止めようがなくて手をこまねいているいま、いずれ倒れてダメになる最期の瞬間まで待つ覚悟をしている。覚悟というよりあきらめか。再起不能に陥ってしまうなら、それもまたよし。そうでありながら、突き詰めた破滅の瞬間に全身で怯えている。なにをしたい。どうなりたい。ずっと混乱に捲きこまれている。
「そこにいたか、探してたよ」と懐かしい声に救われる希望が、ただの妄念でしかないことは弁えている。夢でしかない妄念のなかに自分をおいて、不毛な時間にまみれさせる嗜虐性を楽しんでいる。このうえはない無駄に自分を追い込むことで、どのような時間が経過するのか見てやれ、と期待している。いよいよ冷え込んで来た山中に座り込んでいた。頬を腐葉土の上に打ち付けたさいぜんとちがって、斜面に尻をぺたんと卸してしまっていた。いまや下着までぐずぐずだ。
 下半身の感覚がにぶっていた。しびれてるのかつめたいのかすらわからないまま、みじめさの沁みてくるのをそのままにしていた。後ろについた手の甲に、小さな昆虫の這ってくるのが感じられた。刺す虫かもしれない。噛むなら噛めばいい。ヤケな気持ちがたかぶる。さされようがはれようが、そんなことはどうでもいい。つらければつらいだけ、痛みも苦しみも、自分にまだ息のあることを教えてくれる。まだそんな時間でない筈なのに、みるみるあたりに光が失われている。いよいよ自分の知らない山の夜がやってくる。これが最期かもしれない。来るなら来ればいい。みじめな最期が待っているなら、それもまたアリだ。
「今日は何が食べたい」と尋ねてくれた子がいたなんて嘘のようだ。すべてにたぶらかされていた自分の迂闊さばかりが際立つ。自分は価値なし、と定めれば、すべてが嘘だったとしても、それまでのことと済ませられるか。なまじくっきりと残留する貴重な思い出だからこそ、捨てられるときに捨てるべきだったのだ。後生大事にしていたからこそ、子供だましに喜ぶ振りを強いられるいま、かつての迂闊さは低劣極まりなく、唾棄したくなるものへと変容させられたのだ。腐臭がひどい。
 墨守すべきことが多すぎて、引きはがされる痛みに過敏になる。惜しむ気持ちが人一倍大きい自分には、溜め込んだなにひとつだって捨てられないらしい。守るのは自分ひとりのことでも、無造作に、無遠慮に、汚い手を伸ばして思い出のひとつひとつを摑まれることに耐えきれない苦痛を覚えていた。
 こちらの思い出に、色彩なんてお構いなしの、のっぺりした灰色のトーンを塗りつけたがる勢力に敗退したことが大きい。抗ったのは、かれらに期待したからだ。訴えれば亨ると思っていた。甘かった。感覚を麻痺させ、感情をだましだましやってきている相手とは、根本の人間がちがった。こちらの訴えをまともに採らない相手に、何をかいう言葉も失われる。目の光が生き方のベクトルを示す。真剣に生きないかれらの瞳に、人を魅する光の宿るはずもない。人を無気力に連れ去ってゆく、にぶい・低劣な・なまりめいた翳りしかそこには見出せない。揺れる幽体から逃げ出した果てこそがこの山中である。
 思いを巡らすたびに体がかっかとしてくる。怒りか焦りか定かではない。苛立ちも慢性化し、心の襞がつっぱり、爛れつつある。怒りの熱に苛立ちの駆け上がるのを避けようと、繊細な部分には回路をつながないようにしてきた。大声を張りたくなる。虫の音も鳥の声も聞こえない暮れかけの山中に、叫び声をとどろかせたい衝動と闘っている。
 日常には戻れないし、その見込みもない。心中にわだかまる焦燥を思えば、ふたたび落ち着いて日々を過ごせる生活の失われたことは明らかだ。剝き出しの皮膚に燃える炎が近づけられたように、産毛のちりちりと巻きあがってゆく感覚があった。ふたたび精神の焦げつきを嗅ぎとる。うわずった気持ちが余計な摩擦を引き起こすように思われる。
 頼りにしてきたかつての隣人の顔を思いだせる限り思いだしてみた。はじめて友達と呼べる存在となった相手から、はじめて付き合った子であったり、人生の機微を教わった年上の友人であったり、あるいは、身内を引き裂かれるような別れを得ることになった最後の彼女のことであったり、そうすると、自分には振り返るべき思い出がことのほか豊富であったことに気づかされる。そうか、これほどの経験をしてきたか、と褒めてやりたくなる。そう捨てたもんでもなかったか。それでも、過去の親しみは過去のうちに完結していた。いまにつながるものはない。
 立ち上がる気力も失われた。葉擦れの音が重なり、風の出てきたことを知る。前の雨がもたらした十分な湿り気のために、雨の気配のあるなしは不明だ。さいぜんの空は青白かった。期待は裏切られる。樹冠から落ちた水滴かと思った。鼻先にぴちゃんと撥ねたのだ。細かな水滴が無数に降ってきた。紛うことなき事態だった。身体の下部はすでにあちこち濡れていたが、今度は上から沁みてくる。身体に残る熱を容赦なく奪ってゆく。ひりつくように、一ミリずつ温かみを奪ってゆく。

 

 けだるさが全身を覆い、身体が凍えきった。眠ったのだと気づく。服がめいっぱい水気を吸っている。冷えと痺れとによって眠気の一部は一瞬で吹き飛び、一部はいまだ心身に留まっている。辺りにぽたぽたと落ちるのは、風が葉先の溜まりを落としたか、まだ降りやんでないか、それがはっきりとしない。暗くなったのに気づくのも遅れた。寒さが覚醒を呼起す一方で、感覚は半端に痺れている。酔っ払いみたいだ。
 筒闇ではない、うっすらした青白さが、この世らしからぬ風景を形造る。雫はまとまって落ち、ぱらぱらとのみ落ち、ペースもテンポも一定しない。なにがしかの調和がある。音は耳になじみ、寒いはずなのに眠くなる。うとうとと目を閉じ、項垂れたところへ一滴が落ちて、声が出かかった。とはいえ、出たところで呻きがせいぜいだろう。
 するうち目が闇に馴れてきた。立ちつくす木々に周囲を囲まれている。無数の葉音が目で捉えられるように錯覚する。見えないものが見えそうで、落着くに落着けず、心が逸る。かゆみを覚えた右ひじを探れば杉葉だろうか――ぎざぎざの葉が半袖むき出しの皮膚にノリでつけたみたいにくっついていた。搔くうちに落ちてもその音も聴こえないのは、夜の山のざわめきのせいか、冷たさに異常をきたした聴覚のせいか、そもそも杉葉じたいが夢幻の産物だったのだろうか。
 目をつむる。あの部屋と陸続きとは思えない。転がっていれば終わるはず。ちゃんと苦しむか、あるいは逃げ出すか、腹を決め、腰を据え、ここを最期と思えるか。思っても逃げるときは逃げる。ちゃっかり怖れる。それこそ真実にちかい。逃げなかったのは逃げ遅れただけの話だ。
 青白い世界は夢幻を見せる。夜の磯の香りを想う。海なし県に生まれた自分に海に臨んだ経験は少ない。ひとつひとつの記憶も鮮明だ。初日の出を迎える数日前、彼女はいった。寝つけない夜は網戸にして、横になって、月を眺めてる、と。開けっ放しはぶっそうだよ、と返した。わかってるけど、と濁す彼女の真意を気に留めなかった。月の光に神秘を見るいまの自分は危うい。月光に親しみを覚えた。互いに発散し、互いに感応しあう、昼間の充溢より、軟らかくて、脆くて、儚いものに気持ちを託し、静けさのうちに泥む夜の時間の到来を俟つ自分がいた。目を凝らしてようやくこまやかな陰影まで捉えうる惻隠の在り処。ときに群雲の遮る。天宮のどこかには居るのに、一晩見ないことだってある。夜の時間を掠めすかすこともある。一方的な期待は裏切られる。猫みたいな女性に惹かれてきたことを想う。日の出を隣で見たあの人は、決めたことをきっちり守る、守ると決めたら頑として守っていく、律儀な人だった。決まった通りの日々を過ごす必要を知るからこそ、夜の月をときおり眺めでもしなければ耐えきれない、報われぬ人生を、必死に受け止めようと努力してきた、強くて弱い人だった。
 強さと、弱さと、どちらに惹かれた。でたらめな強さは弱さであるし、正しい弱さは強さでもある。強くて弱い人と、弱くて強い人とは同じ人で、気づく人と気づかない人のあるだけだ。ちぐはぐな自分をちぐはぐなままに認めるから、同じようにちぐはぐな人を見透かすことができない。なにかあると立ち止まる。こちらとあちら。おそらくつながっている。逆立ちしても見透かせず、不透明とありきたりに囲まれる数年だった。見透かせないものにかまけるうちに、自己と外部とがありきたりの分厚い壁に隔てられた。余所との連絡を失った。息が詰まり、家を飛び出し、囲いを越え、通りを抜け、山をさまよい、夜をふらつき、月を見あげ、光をながめ、過去を振り返っている。
 振り返ってるつもりの過去は、かつてのあの場所と同じだろうか。過去と現在とは心のありようもちがってるから、かつて見聞きしたすべてに信用が置けない。過去の形象はドミノ倒しのようにつぎつぎに倒れ、そのうちこちらも追い越されて、未来も倒しつくすのだろう。
 夜の山に白い息を吐く。小学生だった冬、学校から帰宅すると、祖母はかき餅を焼いてくれた。石油ストーブの天板の脇の薬缶から噴き出す蒸気と、自分の息と、その白さのどこがちがうのか。削切りのかき餅を焼きの半端なままに齧るのを好んだ。ふにゃふにゃの軟弱な噛み応えに魅せられた。天板に擦れるかさかさした音のうちに、祖母の乾燥した皺だらけの手指が、かき餅の表裏を返す情景が込み上げる。薪割途中にいじった鉈で左の親指の先端を切って出血したときに、皺だらけの指でぎゅっとくるみこんでくれたことを想う。夏だったか、秋だったか、いつだったろう。白い息を吐くいまの自分の肺も、心臓も、あのときと同じ身体のなかに、かわらず動いている。どれほどの出血があっても、どれほどのバカをやっても、白い息を吐けてはいる。何も食べず、何もせず、このままじっと眠っていたって、まだまだ白い息は尽きないんじゃないか。
 辺りに充ちた青白い光に生命の色味はない。温かくも湿ってもいない月の青白さのみを呼吸していれば、きっとなにからも逃げなくてよかった。なまじ温かさを知るからこそ、ほんの少し凍えるだけで怯えるんだろう。はじめからすべては失われるべきで、すべては仮初のもので、すべては但し書きつきの借り物と弁えていれば、猪突猛進、白い息を吐いて前へ進んでいられたのに。
 人は、大切なものを失くしてこちらを見出す。
 失くしたものを問いかけない。悩みの核に踏み込まない。いいたいことをただ聴く。応えるすべをもたない自分は受け身にまわる。体があるんだから、心があるんだから、受け取るだけでコミュニケーションは成立する。聴いているだけでよいなら、ずっと聴いていてもよかった。言いたいことを言えない。会話力のなさに後ろめたさが募る。いいたいことをいってくれていいよ、と譲られ、何もいおうとしない自分を、彼ら、もしくは彼女らは、どう思っていたろうか。
 思うことを口にして期待を裏切られる。反応のないときもある。それどころか、怒りや、罵りや、拒絶や、苛立ちの返ってくることもしばしばだった。口を開かないことこそ世渡りのコツと思い込んだ時期もある。話さないから、会話の力も磨かれない。二十歳の自分は、小学生の会話レベルにすら達していなかった。機会を得なかったから。どんな声音で話せばよいのか。言葉の選び方も知らない。気分に左右されて、ひんぱんにおどおどする。聞き手の不快を想像しきれないから、成長もない。話すことに怯えていた。相手の話はわかっても、いま話すべきことがわからない。
 何を考えるべきかもわからない。言葉もなく、姿もない世界に突入したくて、中空に大声を放り投げる勢いで、奈落まで真っ逆さまに突き抜けたくなる。道がないなら爆弾抱えて頭から飛び込んだってかまわない。水泳の時間に頭から飛び込むことに恐怖した自分に、そんな勇気はあるか。水中に目を開くことすらできない意気地なしに、そんな勇ましい真似はたぶん無理だ。口だけ人間の自分は、吐く言葉の数だけ、実質の伴わない後ろめたさに圧し潰される。
 口を開きたくないから、問いかけられたくなかった。問いかけられたくないから、人に近づきたくなかった。口を開かなくて済むなら、むしろ、人に寄り添いたかった。話したいのに、口を開きたくない。期待はするけど、落胆はしたくない。求めたいけど、満たされなくていい。満たされないなら、見ているだけで構わない。月の光に何かを見たがった。昼の光はまぶしすぎる。訴えかけて来られるのがわずらわしい。月の光は求めない。こちらが求めてはじめて得られる恵みの光である。
 今から遁れるように、他の事を考えたがる自分の弱気の正体を、心の隅ではちゃんとわかっていた。部屋から逃げた。自分は何から距離を置こうとしたか。憑かれるように、駆られるように足を動かしたときより余裕も出てきた。答えは持たない。いまは人の姿を見たくない。誰の姿も見たくなかった。目障り、耳障り、だった。じっとしたい。考えても答えなんて出ないから、息をひそめていたい。過去のどれほどか、あの狭い部屋で自分は息をひそめてきたか。外に出なかった。何をか書き、何をか読むのみ。誰に見せるでもない、見せるつもりもない文字を綴ることがすべての数年だった。
 ときおり自分にこみ上げる情念の全貌を予感する。言葉を駆っても、かぼそい線にしかならない。蜘蛛の糸よりも、女性の髪よりもかぼそい言葉で捕えかかる徒労を感じていた。想いの強さにくらべて、言葉の線が弱すぎる。敵わない相手に立ち向かう蟷螂の斧。言葉の森に分け入り、細かに辿り、連なる木々の関係をあきらかにして、網の目を張り巡らせ、地図に厚みを増してゆく。そのつもりだった。はじめはちょっとした誤差だった。誤差が生じれば、基準点にもどって調節していた。迷わない為のひとつひとつの作業は、精緻に、細密に、を心掛けた。作業のあいだ、言葉を発することを控えた。鍛錬の初期段階での話し言葉と書き言葉との併走は互いに障りがある、と予感したからだ。いまだからいえる。事実、そのとおりだった。貴重な作業の途中で、わたしは書き言葉から切り離された。読みたいものを読めない場所に留め置かれ、書きつけるべき言葉を書きつける自由を奪われた。頭の中に不自由になった言葉が自己増殖し、醗酵が進み過ぎ、貴重なはずの言葉が、ことごとく饐えていった。饐えたものは戻せない。腐った果実も元には戻らない。覆水盆に返らず。この恨みは、誰に告げようもない。当の本人が、やったことの本質を自覚していないのだから。行き場のない怒りは私から抜け出せず、癌化して、心身の不調となって現出した。吐き気を無理から抑え込む不安定のなかに生きるしかなくなった。なにをか思って言葉にしても、言いたいことの正確なところへ一向に近づけない頼りなさを覚え、彷徨いはじめる。言葉の恣意的な羅列に吐き気を催す。長く考え、悩み、書き記した文句も、次には腐臭を嗅ぎ取り、ゴミ箱へ抛り込みたくなる。日々生まれる廃棄物。誰の得にもならない、ないほうが良いものばかりを生み出す自分に催す吐き気にすら、馴れを覚える。いつしかちゃんとしたものができると信じて、一日一日をちゃっかりもがいた。自分の世界が自分だけで閉じていれば、まだ自分は耐えきれたし、走り続けていられた。だが一人にしてくれない。活力の失せたにぶい目の連なりが、猜疑心を放射して、わたしを苛立たせる。怒ろうが、苛立とうが、時こそが緊張をほぐすのがふつうだろう。心を宥め、賺し、許す過程には、説得が用いられる。説得の言葉も、言葉に根本の疑義を持っているから、言葉による、宥め、賺し、許す効能も期待できない。熱すれば熱するだけ、怒りは沸騰の度を高める。冷めることなく収まりきらずに、間欠泉のように、頻繁に爆発する。幾度も爆発しては、再び熱されて、いいかげんの疲弊が逃避行に結びついた。  物理的距離の長短に意味はない。問題は、精神上の距離だ。とにかく、誰にも侵食されることのない場所でゆっくりと取り組みたかった。それがあってはじめて、自分は元通りに修復される。むしろそうしないかぎり、このアンバランスな状態は、この心臓が運動を停止するまで、えんえん持続するにちがいない。
 冷たく湿った空気が鼻先を流れゆく。トロリとした鼻水が鼻腔の奥から垂れてきた。すすってもすすりきれないぬめりが、生き物の気持ち悪さの自覚に直結する。冷たい夜の海に投げ出され、溺れかかる自分を思う。もがいても抜け出せない。息が詰まる。手を切れない。鼻水は垂れ続ける。つねに浴び続けなければならない人生のヌメりと臭気との噴きつけに、ねばったものが身体のあちこちから滴る居心地の悪さを感得して、独りえづいた。

 

 自分だけが、ちがう土地に生きている。生の地盤から切り離され、根無し草となった今を思う。根付かせたい土地への欲求もなければ、どこへ行きたい目的のあるわけでもない。あえていえば、揺れずに済む、踏ん張るための確固とした足場を欲していた。軟弱な地盤は、ヌメりとユルみがつねに付きまとい、踏ん張る足も横滑りした。立ち上がるよりは、寝転がることを。引き締めるよりは、タルみダラけることを。人を堕落へと誘引する環境を張り巡らし、互いの堕落を許し合う空気が組みあがっていた。長く酒を呑み過ぎたせいで明瞭さを失った目が、いくつもあった。ありきたりの目が鈍い光をその内部に澱ませていた。頬は弛緩して、体には力が籠らず、ハリのない声をあげては、くだをまく。人生に確たる目標もなく、死ねないから生きてるだけの、現世に囚われた、鈍牛の飼育場。ヌルさを意識しながら、そのヌルさを演出する機構の一部に成り果てる自分を知る。
 鼻先に真鍮のわっかをはめられ、太いひもでつながれ馴致されきった。拳を握って振り回したところで、すべてはあえなく空をきる。なにも始まらないままなにもかもが終わってしまう。やるせなさは飼いならせるか。どんなふうに飼いならすのか。ダメに決まっている。わかりきっている。なのに、じっとこらえていまに打ち込んでいられる鈍感さに不信を抱く。その不信に溺れかけ、あがき・もがき・いっぱいになって苦しんでいる。

「どうしようもないのはわかってるよ、もうなんにもならない。」
「なにもしないままなにもないまま生き終わるのが俺らの人生だよ。」
「あきらめよう。」

 取り返しのつかなさを思うと、自然、科白めいた言葉が脳裏にひらめく。言葉を汲み出すのに親しみを覚えて以来、ときどきの心情に合わせた人物のぼやきが頭を駆け巡るようになった。こちらの期待する言葉ではない。一種の不満ですら、言語によって確かな足場を組みたがっている。見返りの望めない個人的取り組みとして、不遇のはけ口として、この脳漿に湧き上がるのが、無頼の科白の群れだった。

 しかし いったい だれが なんのために

 ふらふらする気持ちまで失くせば、立ちいかなくなる。底まで落ちて、にっちもさっちもいかない自分を味わいたい。取り返しのつかない筒闇の中で、路頭に迷う自分を味わい尽くしたい。すっかりダメにしてしまいたい。あがくことも捨ててしまって、すべての望みを失い、汚泥の中に、なずんでしまいたい。変化を止めること。息を吸って吐くだけの日常に浸りきり、望みの失せた自分を存分に後悔していたい。どれくらいの後悔が待ってるのだろう。自分で自分を苛め抜く道に、行き場のない怒りは、最終的に自分を刺し貫いて鎮まる。どこまでダメになるか、視てやろう。引き返せない隘路へと自分を攫ってやろう。絶望にたたずむ自分のみじめさ、みすぼらしさ、救いのなさを、おおいに観察し、おおいに哂ってやろう。
 そこへ至る素地は、あらゆる場面に、片鱗として顕れていた。中高時代、一日に十語も口を開かぬこともざらだった。会話をしない。会話が出来ない。図書室で本を読む。ひとりバスケットボールで遊ぶ。校庭を走る。意識はひたすら言語化を拒んでいた。色の変化のように、都度、心情の変化するのを感じていた。心の中は絶望よりも希望のベクトルで満たしてきた。平衡をとるためのベクトルだから、心の傾向はその反対を向いている。言語化を拒んできたのはそのためだ。言語化は泥沼への先途にちがいなかった。興味や関心に満ちていた。いま感じるものが次にはどう変化するのかの期待に、より多くの関心があった。
 今日はみじめでも、明日は見たことのない、感じたことのない、味わったことのない、面白いことがあるのにちがいない。もしそうでなければ、時間を、自分のしたいことで埋めていこう。活力はこの胸奥からいくらでも取り出せる。なければ汲み出せばよい、捜せばよい、求め続ければよい。ないと言いつのるより、こちらから満たしに向かえばよい。進めば中る。中った感触から親しみを採りあげればよい。ダメでも、クソでも、畜生でも、足があって手があるなら、なにかはできる。できなければ考えてればいい。個人の時間は無尽蔵じゃない。それでもひとりに与えられた時間は膨大だからこそ、一瞬一瞬にできることを当てはめて行けば、存外、多くのことができる。なにもしない時間がもったいない。持ち時間のすべてをすべきことに埋めてきた。むしろそれがまずかったのか。ときに立ち止まり、ときに振り返り、自分の位置を確かめるべきだったか。集団からあまりに離れ過ぎた。もはや近くに誰も見ない。すれ違う人に掛けるだけの言葉の有り合わせがない。この目路には誰も入らない。すれ違う人もわたしの本音にとってはただの残像だ。刹那の夢を幻視する。生きる意識は妄念でしかなく、ほんとうはだれひとり生きてないのじゃないか。あるいは自分だけが、巷を幽鬼のように、あてどなく、ふらふらと、さまよってるのではないか。
 内面の放浪から復帰する望みを失っている自分を思う。いつから始まった。いつまで続く。いつ終わる。見通しすら立たない。動いてるのか、止まってるのか、変化はあるのか、続くのか、ゆっくりとでもどこかへ向かって動く最中なのか。わかってることがある。いまの自分がどこへ辿り着こうとも、目的地を見損なうし、足は踏ん張りきれずに、体は過ごし、流されるということだ。明日が見えない。今日は見えるのか。昨日は見えていたか。見えているものなんて、なにもなかった。なにひとつ見えたことなんてなかった。あらゆるものにたぶらかされ、生きさらばえてきた。精神がすり減った。間違えまくった自分に、正道へ復帰する道の、残されてるはずもない。
 ここへきて、まだ、覚悟を定めないのも、将来をさらに曖昧にする油断だし、この連続がいまの自分を仕上げつつあるんだろう。あがいたところで、できることなんてないんだろう。かえって苦しくなる。心の往きたがるほうへ進むのが心身の健康にも最適なのじゃないか。そうだろうか。そうといいきれるか。どうせ変わらないし、変えようがない、と思い込みたくてここにいる。どこかの道筋で異なる選択をしていれば、山中の彷徨だけでも回避できたか。いや、山の中が海の底に替わるだけか。ためらう。死をもっとも恐れる自分に、芯の芯のところで自滅する選択のできるわけもない。こんな世界に何十年も生きていられるのだから、しぶとさは証明済みだ。喜ばされるもののない冷たい世界に何十年と生き続けていられた、それこそが生きたがりの態度表明ではないか。死にたくない気持ちは自明である。死ぬとか生きるとか、まるで、ゼロとかイチとかみたいな、おおざっぱな話だ。生を肯定することの難しい世の中で、自分は生きていると胸を張れないほどの、なにがしかの悩みが、いついかなるときも内部に存在し続ける。その塊が引き連れてくる不安の波こそが、自分にとっての最大の生の実感だったはずだ。その重さ、その枷、その塊から開放されることを望む人間の則を踏み越える増上慢が徒となったか。なんの解決にもならないし、迷いの糸をさらに絡めるだけなのに、そうせずにいられない。自分に課せられた業ってやつか。
 夜はいつまで続くんだろう。夜を越えたところでなにひとつ望みのないことはわかっている。じっとしていたい。目を凝らして、息をひそめて、見えないものを見ようと、嗅げないものを嗅ぎつけようと、わずかの変化も見逃さぬよう、すこしの変化を嗅ぎ取るだけの感性を恃んで集中する。その覚悟を嘲笑うのか、大ぶりの鳥が樹冠から飛び立った。姿は見えない。羽搏きが宵闇に沁みる。青白さが際立った。
 ひとりも大勢も一緒と思ってきた。誰とも分ちあえない心情を抱えて、誰にも見せない心情と付き合い続けて、人をも自分をも欺くことでしか明日へ踏み出せない逆さの心を引き摺って、そんな日々に疲れた、とも言い出せない、いったところではじまらない、そんな月並みのことですらない。その方向へは振れずに来た。比較対象を持たないから、ことさら不幸とも思わない。そういうものと受け入れるのみ。従容とした態度に見えたのは、物を知らないからでしかない。
 ずっと一人でいた証拠がひとつあった。
 高校卒業後、浪人生活に入った時分、かつてのトラウマを払拭するように女の子と付き合いはじめた。相手が積極さを見せてくれた。部屋で過ごした何度目かに軽い許可を求める言葉のあと、肩に手をまわされ、抱きしめられた。その体温と、肉体の感触に、しゃんとしていたはずの身体がへなへなとしおれてしまいそうになった。身体の重みと密着する感触とが心地よさとなってかつてないほどの安心感を与えてくれた。脳内から分泌物の出たのがわかった。我に返ってこちらからも抱きしめかえし、世の中にこんな感覚のあったことに驚かされた。物心ついてから記憶する限り、人に抱きしめられた体験が自分にはまったくなかった。この世にそんな感覚のあることを知らずにきた自分は、それだけ他者との関係性も希薄だったのだと知る。抱きしめられながら人から遠かった自分を思った。幸せなはずだのに誰も抱きしめない、誰にも抱きしめられない暗く沈んだ過去を想うと同時に、未来にも、いずれ、そんな時季の到来することを予感した。
 冷たく暗い山中、腕を広げて組んでみる。腕の長さが空をつかむ。なにをしてる。自分をつなぎとめる綱はどこにもない。風の吹くまま、気の向くまま、どこへなりといき、どこでなりと野垂れ死ねと大勢に囁かれる自分を自分でも呪ってやろう。もうたくさんだ。ひとりでいるのもたくさんだし、誰かが視界に入るのもたくさんだ。
 手をさまよわせる。適当な幹に手が当たる。腰もずらさず、手近の幹に何度も手のひらをあててみる。たたく。しばく。ひっぱたく。うちたてる。大きな幹に手のひらをいっぱいにひろげて樹皮にこすりつける。そのいたぎもちよさに、視界の利かないのを良いことに、手のひらからにじむ血を想像する。血だらけにした右手がマヒすれば面白い。止まらずにどくどくと出続けて体からすっかり液体が無くなれば、なにか変わるか。いずれ意識を失い、命の絶えたところで、自分は自分のままでしかありえない。
 目をつむる。鳥の声に耳を傾け、風の音に何かを読み取る。無数の塵埃に包まれるいまを観じる。空もある、雲もある。月の光のもと、鳥も、虫も、杉も、檜も、土も、風も、雫も、影も、揺り籠のような山腹にいっぱいにみちている。箱庭か、ジオラマか、そんなものなら、自分は人体実験の被験者ででもあれば、よほど安心できる。
 眠さはなかった。頭の芯が冷えていた。知る者のない空間に意識は冴えている。ふたたび想う。自分を抱きしめてくれた女の子とどうして疎遠になった。遠距離恋愛にあったときに、なにもなかった浮気を疑われる行動に、フォローもうまくいかないまま、一か月ぶりの彼女の髪は短くなった。短いにも限度があった。短さのうちに、静かな怒りと抗議の気持ちが溢れていた。ちらしきれなかった。耐え切れなくなって、気持ちも離れた。待ち合わせの時間をすっぽかしたこともあった。うしろめたさにぐるぐる巻きになったことも含めて、終わりだと気づいた。完全に離れてしまった。離れたことを知りながら、それでもごまかし合う期間をすぎれば、あとは決まったことだ。ケンカもなく疎遠になってなんとなく離れ、なんとなく消滅した。自分を大人にした恋愛は終息した。
 いまもふっと思う。もしあのときの気持ちをずっと大切にしていたらと。未練たらたらは異性から気持ち悪がられる。わかってる。わかっていても考えずにいられない。ひとつを大切にする人間なら、はじめからこんな隘路に陥らない。罠にかかってから罠にかからない方法を探し始める愚かな真似をしているのがいまの自分だとわかりきっている。指摘されたくもない。
 どんな環境にも馴染む自分が訝しい。明日が来たら明日の空気に馴染むし、急転直下の変転に巻き込まれたって、その先でこんどは元の自分を取り戻したがるんだろう。なにがあっても過去は連なってくる。過去からの連続体として今につながり、未来へも伸びてゆく。どこにいてもそれなりの自分はある。
 個室の静寂と遠慮があればよかった。いつしかそれは独房の遮断と介入に変化した。相手を小人と定めれば、こちらは立派な大人か何様かと反発されるだろう。それでも異なる考えの人たちは、水と油として、明確に線引きをしておきたかった。言葉を習得する過程で、想像の振れ幅の最大値と最小値の確認をひたすら行ってきた。限界を突破するのにイメージの増強を図り、これまでになかった知識を獲得し、たいていの物事に耳目を馴らし、いうべきをいうだけの姿勢を調えていった。思いと行いの直結を試み、内面の言行一致を目指した。思うことと書くこととが一致するように、思いのあらわれる心を整理し、思いをあらわすための語彙を増補した。
 つついてはならない蜂の巣をつつきにきた相手に、日々の微妙な調整段階に入っていた自分は、かっとなった。熱くなって脳裡にほとばしる文言をこの口に直結させた。言葉は瀑布となって流れ落ち、激しやすくも無口なわたしを知る相手方は唖然となった。なにごとかとなった。〝狐憑〟の陋習を疑う旧弊の人たちだった。祈祷師を呼ぶ。まじないを疑う。罪障を探る。なにがこれを招くかを自分の頭で考えず、こちらにも問わず、他の者に倚りかかる。倚りかかることが彼らのすべてだ。倚りかかりを失えば迷走する。迷走する周囲から切り離すために根無し草となったわたしに、もとより倚りかかるものは無い。倚りかかれるほどの大樹は存在しない。人生の幼少期に添え木を外されて、柔らかい骨格のままに無理させられて畸形した心身髪膚を抱えるのが荒野のおおかみの本懐なのだろう。添えるべき手が添えられず、伸びるにまかせ、ねじくれるにまかせた精神の樹形は、運が良ければ豪壮に育つし、運が悪ければ羸弱に終わる。
 なるようになる、とふたたび倒れ込み、手足を大の字に投げ出す。濡れるとか、沁みるとか、冷たいとか、寒いとか、みじめとか、不快とか、そんなのはどうでもいい。原始人でも寒い夜の山にこんな大の字になるバカはいなかったろう。やはり腕をちぢめて、身体を小さくして、体中の温かみの逃げようとするのを抑えたはずだ。むしろ、この身体の生きている核そのものを冷やしきりたかった。凍えさせたかった。息も絶え絶えになる自分を味わいたかった。どこまでいけるか試してみよう。戻れないとわかれば、そのまま越せばいい。生と死を分かつ壁を越えればいい。行けばわかる。行かねばわからない。
 じっと凍える。鼓膜のひろう音が鈍くなる。薄紙を透かすように鮮明だったはずの細かな音は、おもむろにぼやける。気怠さすら帯びはじめる。聞こえなかった音が聞こえてくる。耳殻の近くを走る動脈か静脈か、その中を流れる血液のふくらみちぢみが、ポンプとして押し出す側の心臓の肉の動きとともに、耳に捉えられる。手指足指の先の感覚が幽かになればなるほど、血の巡る気配はますます顕かになってゆくようだ。そうまでして生きたいか。まだ居たいか。死にたくないか。死なせたくないか。
 案外可愛げがあるのか、あまりに無様なのにこの肉体は主人を許してくれている。まだ生かす意志を見せてくれている。もういい。と身体をなげうつポーズのなかに、誰かに引き留めてほしい気持ちがつまっている。誰かに頼りたい気持ちまでは捨て切れない。誰もいないからこそ、頼り切って、甘え切った気持ちを、肉体に擬人化したがった。一人芝居でパントマイムをやって、観客は夢のなかにいくらでも見出している。なんという不毛。
 一人芝居のパントマイムを夢の中でやらずに現実にやってきたのが自分の人生だったか。自分はあったか。行動する自分はいた。物を思う自分はいた。自分そのものはなかった。中心は空洞で、そこになにかを詰めることで自分は動けた。芝居か、演劇か、いずれ科白はなかったから、無声映画の大根役者として生きた感覚だ。腹が立つから、しばらく口を利かない演技をする。構ってほしいから、目の前をちらちらする。わからないふりをしたいから、あえて首を左右に振ってみる。ひとりになればジャスチャーもいらなくなって、舞台の書割やト書きをイメージするだけで事足りた。人はなにかの役割を与えられてこの世に生を享けている。無駄な存在はひとつもない。と人はいいたがる。与えられた役割を果たす気はないが、そのときどきに役割を定め、役割上のふるまいに打ち込みたい。多くの立場を経由してみたい。生活者でなく旅行者として、もっといえば、観光客として、人生の上澄みだけを啜っていたい。山に在るこのときにあってさえ、物見遊山の気味の抜けない部分がある。重症だ。三つ子の魂は百までか知らないが、バカは死んでも治らない。阿呆と煙は高いところに登る。
 狂人を演じたいと思う。すでに狂人である人間が、自分は普通と思って、殊更、狂人のふるまいに及ぶ。人の目にどう映るか。すでに何枚裏に自分が潜り込んだかしれない。自分を晒そうとして晒しきれずに、上がろうとしながら下りきり、曲がろうとしながら猪突し、ほんのすこしのつもりがずいぶんえぐって、全体どこにいるのか、なににつながるのか、わけがわからない。もういい、たくさんだ。

Chapter : 2

「夜毎の夢に見ます。眠りながら、生々しさに窒息するようでした。考えたこともないようなことばかりが降ってきて、夜の山にじっと凍えるんです。覚めると手足が氷みたいに冷え切ってました」

「いつからなのか憶えてません。半年前にはなかったことです」

「好むものですか。音楽ならたとえばセイント・エティエンヌ、エア・サプライ、オーパスⅢ、エンヤ、ピーター・ポール&マリー、サラ・マクラクラン、アングン、ザ・サンデイズ。蔭のあるものに惹かれました。きらびやかな電飾も、着飾ったものも、本当でないものを本当のように見せたがる努力が醜く感じられて、だから見栄えのする容姿なのにキツいものを作品に描く才能とか、ふだんは隠れた水底まで解析する透徹した目とか、無理してでも人に与えようとする哀憐の情とか、最期の一人になっても訴えるべきを訴える真率さとか、そういったものに宿る憂愁こそわたしには好ましい。『陰翳礼讃』にも通じると信じます。太陽より月を、夜明けより黄昏を、晴れよりはくもり空を、なによりも秋を。あのイメージはやっぱりわたしのなかに醗酵したものなんでしょうか、だったら怖い」

「書くものがこうなったのは三年前からです。それまでは小説未満のものを綴ってました。そのうち批評を鍛錬の中心に据えました。甘い書き方が許せなくて、物語としての文章に書きにくさを覚えた。夢を綴るか、妄念を記すか、思考を辿るか、そういったものしか興が乗らなくなった。小説が視座の表明であるのなら、解きほぐし、細分化し、沸騰させ、煮溶かし、流し込み、どのようにも成形可能なまでに自分の質を無化してしまえば、もはや小説を世に問う必要すらなくなる。小説は視座を見せるショールームでしかない。すると、いまさら小説ではない、と感づいてしまったわけです」

「書きたい気持ちはあるんです。でも何を書きたいのか、何を書いてるのか、何を書きたがってるのかわからない。げんにここに示してますのも、書き手はわたしなのに、作品を書いた感覚はまるでない。体験かと問われれば困る。手記ではないし、備忘録でもないし、夢の日記帳ともちがう。どうしてこんなことを書いてしまうか、書きたい気持ちがあったんだろう、とおっしゃいますか。そのとおりです、白状します。内部に逼迫する感覚から遁れたい・楽になりたい・解放されたい・軛を壊して自由になりたい、その想いを胸奥に拵え、育てあげてきたのだと思ってます。行き場を失った気持ちの不器用な湧出が、この文章へ結実したのでしょう。深層心理ですか。月がなければ潮の満ち引きもない。大元があればこそ、現象が起こった。自分が書いたと受け止めることからすべては始まるのでしょう。努力します。ですからなぜ書かねばならなかったか。それをあなたに教えてほしいのです」

「直接は会えません。会うわけには参りません。戒めであるし、取り決めでもあるのです。過去の報いを受けている。わかってほしい。不躾で、不案内で、心苦しいですが、ご了承いただきたいのです」

「お返事を待ちます。差出人の住所へご返答くだされば、拝読いたします。お願いします」

Chapter : 3

 書類の郵送されて来たのが二日前だった。新人賞への応募でもない。手が空いていた昨日に封を切った。異常な場面における主観人物の心情吐露――よくあるタイプのはずだった。一晩考えたが、その底の見えなさから、コーヒータイムに同僚に声をかけた。
 舞島凛花はライム色の太縁眼鏡をかけている。一重まぶたの色白で顔のつくりの地味なため、本人曰く主張の強い眼鏡でバランスをとっているらしい。なぜ彼女に声を掛けたか。直観としかいいようがない。
「一周廻って変身願望――じゃないかな」
 彼女の切り口の鋭さに他人の見立てを欲していた自分を知る。ひとりの目よりふたりの目。一晩の懊悩より救出される頼もしさがあった。
「山の中に入ってみたい。死に魅せられたい。そういうことか」
「ちがうね」凛花はきっぱりという。「孤独、かな。山の中が現実でも非現実でもいいんだよ。確かなものがなくって頼りない。突き詰めに突き詰めていく思考実験としての書き物かな。突き詰めて、突き詰めて、その先に行きあたるものを見てしまえば、いまと違う自分になれるんじゃないか。変わるためにも確かめなければならなかった。それがこの創作の本質だと思う」
「とんだ心理分析官だ」
「考える人は増えてるからね。大勢ではない。再浮上の機会のなかった人の一部は、かつての過程を振り返って、そこからなにかを汲み取ろうとする、そういった動きが一部にあるみたいよ。ソースは自分だけど」
「他にもこんな書き物があるのか」
「どうだろうね。ただ『孤独な散歩者の夢想』だって、『マルドロールの歌』だって、要は、そういうトコから生まれたんでしょう。だったら、いまの時代が胚胎した文学のひとつとおもって歓迎すればいい。げんにあなたを一晩悩ませるくらいには毒をふくんだ書き物みたいだから、それなりの質はあるんでないかな」
「あいかわらず余地を与えてくれない」
 冷めかけたコーヒーに口をつけたが味なんてしなかった。吸ったこともないたばこを吸いたくなる。
「空振りでしょうね。求めてるうちは手に入らない。自暴自棄を心配する? 大丈夫。書き手は手段として執筆を選んだ。こちらは書く意志を尊重する。そこを捻じ曲げない限り、最悪のシナリオには進まない」
 凛花は唇の端を引き結んで力強くうなずいた。
「舞島は自分で書いてるんだったか」
「仕事柄応募はしないけど判断のために書いてるな。うまいへたは二の次にしてね」
「書ける人材は貴重だ。恥ずかしくって書く気も起きん。空白から文字を書きだす勢いには憧れる。むしろ怯え、恐れか。なにが人を駆り立てる。書かずにいられないのはどうしてか」 「まとめる仕事もいいものよ」
 何をしたがってるのかモヤは依然としてはれない。すべきことを抱えていながら原稿を読み、電話まで入れ、こんどは返事まで送付しようと文面を考えはじめてる。肩入れする理由はない。ないはずだった。でも手間をとってやりたかった。
「書いて報われることのすくない文章だ。一方通行だろう。ただ放っておけない」
「倉木さんは面倒見がいいから。誰にも止められない」
 そんな定評が立ってるかと感心する。その言葉に励まされもする。面倒見の良さをいってくれるならここでひとつ冒険といこうか。舞島に声を掛けるまで考えていなかったシナリオだった。良いほうへ解釈するなら、この手段も悪くなかった。
 早速今週末の出張の手配をした。

Chapter : 4

 至る所に人の姿があって、そこらの街角で次々に人波の捌けていくのが普通だった目に、おなじ陸続きの日本とは思えない寂しさが、この土地には滲みついていた。閑静な住宅街、という慣用表現が日本語にはある。この〝閑静〟がなじまない。昼前の温かい時間帯だのに、通りという通りは人が絶えたみたいに誰もいない。空き地も、路地も、ひっそりして、駆け抜ける風になぶられるトタン屋根の剥がれの、金物の音のみが寥々と響く。度重なる工事が生んだのだろう、不規則な凹凸のある、いろちがいの舗装道路の見すぼらしさに、子供のころ、近所の子たちとした缶蹴りに、その缶の立てていた音の記憶がよみがえる。まっすぐに立てたコーヒー缶を、振り子のようにした六年生の足が思いっ切り蹴っ飛ばす。ラグビーのフリーキックのように、赤と茶のスチール缶はきれいな放物線を描く。僅かな無音のときを経て地面に接するとともに、とがった爪で引っかかれるような、いたがゆい音が響きわたって、そのときには、それぞれが背中を見せて逃げている。蹴られた空き缶のスピンするアスファルトも、また継接ぎだらけだった。
 子供がいない。大人もいない。人はいないし、犬も鳴かない。
 カーテンの締まっている家も多い。ベランダに洗濯物は吊られてあるから人はいるんだろう。敷布団を干す家庭もある。人の姿の見えないのが返って異様だ。賑やかしい東京から来たからこそこれを異様と思うのか。これがいまの普通なのか。この地域の全員が同時に亡くなっても、そう簡単には発覚しないだろう。書き物の素性に道筋が見えかかる。来た目的を振りかえる。
 対面は勘弁願いたい、との先方の申し出を蔑ろにする判断だった。片道四時間の交通機関を乗り継いでここまで来ながら居留守を使われて終わりということも有り得る。あるいは住所自体でたらめの、手の込んだ騙りなんてことも有り得る。情緒不安定で扱いに困る可能性だってある。どんな事態が待ってるかしれない。不確定要素の多い今回の行動であるが、フックにひっかかる文章を目にした以上、放っておけないのはこちらの性分だ。インターホンを押すまではやってみよう。
 農村といってもいいだろう。家々の敷地よりも田畑の面積のほうが広い。単一の葉物野菜を栽培する畑があるかと思えば、秋に稲を刈り取ったなり、鋤きかえしもせず、株元の列の並んだままの田圃がある。境の土手に、晩秋らしく、今年の実りが枝々の先に熟柿を通り越して乾びている木もある。以前は食べることのできたであろうカボチャやジャガイモといった作物が土の上に皺だらけに転がっている。すでになんの野菜だったか知れないカサカサにちぢれた根や茎や葉もある。無数の農作物を育むはずの実りの大地にそれらがべったりと茶色く張りつくさまは、凄愴たるものだ。人の手には負いかねる喫緊の事態の進行を臭わせる。
 用水路の水は濁っていない。コンクリートの基底部に小石が層をなしている。藻はわずかしかなく、小魚の潜む場所も見受けない。沢蟹や、川海老や、小鮒や、鮴や、諸子といった小生物が生息している用水路に、ナイロン製の網を手にして子供たちが歓声をあげる、といった幼年期を過ごした自分は、亡国の出身者みたいなものか。あたりを見回す。高層ビルなんてない。三階建ての建物すら見当たらない。遠くに見える灰色の工場の煙突は白い煙をあげている。有害物質を撒くものはないだろうが、見ていて気分のよいものではない。
 はじめは緑や黄や黄土色、褐色に赤に枯草色にとあでやかな自然の色合いに目移りしたが、慣れてくればそこいらじゅうにきめ細やかなほどにあらゆるゴミの散乱していることに気づかされる。コーヒーの缶は数メートル置きに見るし、アイスのパッケージやコンビニイベントのはずれくじ、中古車情報の載った無料冊子、さまざまな大きさのレジ袋、包装フィルム、ピンクや青や赤紫といった色とりどりのプラスチック片、ペットボトルに、その蓋に、アクリル製のガラクタに、いつの事故のものともしれぬコナゴナになった車のフロントガラスの欠片、さびついた金属塊、びりびりにやぶれて地面に張りつく安売りチラシの広告。バラエティに富んでいる。ほとんどは田舎という言葉から想像するに遠い印象のものだった。はずれくじの散乱は都会のアスファルトのうえと田舎の土草のうえとでは相性が真逆に思える。五穀を生むはずの田畑のすぐ脇に分解されることのない無数のゴミが散乱している。
 ここ数年田舎に帰っていない。もとより郷土愛は希薄だったはずが、この状況を目の当たりにして郷里を想った。父も母も健在でいまだに農家を続けている。農家を継ぐのが嫌ともっともらしい理由を付けていたが、本当をいえば、生まれ育った家から離れたかった。家を逃れられるならどこでもよかった。周囲に意見を訊いた高校時代。試験のたびにすこしずつ上昇してゆく偏差値をみて、このレベルならそれなりの大学に行くべき、と周囲からも駆り立てられ、自分たちでも思い込み、関東へ・中部へ・関西へ、それなりに名のある先へ願書を提出した。自分もその口だった。残った奴は逃れられなかった奴だった。郷土愛のあるなしはわからないけれど、出られる手段があれば出たい奴ばかりだった。出たい奴はあらかた出尽くした。ときに脱落者も出る。お天道様の見ているまひる間近の巷を、散歩ひとつできない世界の窮屈さを思うと、あの文面を記さずにはいられなかった女性の意識の流れも、こちらの胸に迫ってくるようだった。言葉にならない部分でひっかかった。
 足が止まった。このまま女性のもとを訪れて良いのか。どんなに重たいものを投げられても受け止めるだけの立場を自分は築けているか。舞島を連れてくるべきだったか。二人で遠方までの出張届を提出すれば社内でひやかすやつもあったろう。ひやかし云々はおいても、あれだけ明晰に状況をいってのけた舞島をこそ、この出張に同行させるべきではなかったか。現実を言えば舞島も仕事を抱えている。頼んだところで難しかったろう。
 バス停で降りてここまで十数分、田舎道を歩いてゆくうちに、文章のなかの人物が世界から逃れるために質・量ともに十分の、目の前に幾重にも重なる山中へ滑り込んでいった、とみればそうありえないことでない、と感じられた。あれは実際にあったことではないか。本当は彼女自身山中に恐怖し、夜に凍え、月を見上げ、孤独を味わったのではないか。
 店もない。人もいない。背にした遠くの道路を行き来するダンプカーや大型車両の走行音がずっしりと響いてくる。こちらと関係のない雑音に塗りたくられて空までがぼやけてにじむようだ。セミの死骸が道路わきに転がっている。うじゃうじゃとアリが集まって黒山になっている。むかし、小さいミミズのような赤色の生物がごむまりみたいに集まってるコロニーをそこいらの側溝や流れの希薄などぶ川の中に見かけたことを想いだす。コロニー、ボルボックス、集合住宅。幼いころヒドラを図鑑で見てヤマタノオロチを思っていた。彷彿させるものが近所のどぶ川にいくらでもあった。水中に溶け込んだ洗剤や食用油なんかの過栄養が赤潮をもたらしていると聞いたとき、赤潮の赤いのはきっとどぶ川のコロニーを形作る赤と同じもので出来ていると信じていた。どこかの段階で夢にも見ていた。雨の日に薄暗くて生暖かい地面から這い出してアスファルトをのたくるミミズ、雨の後に轢かれたそいつらがちりちりに干からびているみじめさを目の当たりにして、それらはいくつもの夢の原材料として役立ってしまう。どこから涌いたか、変態したてのアマガエルが田圃から近くの川に大移動するときに横切る道には無数の轢死体が生まれるし、なにかを仕切る道というのは、生と死の境界にある運命の分岐点なんだろう。ある奴は難なく通過するし、ある奴は道に迷う、ある奴は仲間と心中するし、ある奴は戻ってきたつもりで実はちがう領域に足を踏み入れる。同じところへ戻ってきたはずなのに心の位相の切り替わってしまった奴はどんな人生を歩めばいいんだ。俺が田舎に向かったところが、もはやそこに継足す枝葉はない。借り物の宿に借り物の身体を押し込んで、仮初の人生に右往左往する倖せすら拒まざるを得ぬとき、自分が自分である根拠はさっくりと失われる。あの文章を放っておけないのはあれが書かれてしまった内心の咆哮に、俺にも通ずる自己不明の根拠を観たからだ。失う体験をしたやつでなければ、失った悲しみはわからない。達観もできない。救いもない。揺れるだけ。ふらつくだけ。さまよいながら、行き当たった先を眺めてまた流れる。せめて足場さえあればその足を支えてやるだけの時間稼ぎ、場所取りでもしてやれれば。そんな気持ちが俺をこの土地に向かわせた。むしろ向かうことを余儀なくされた。
 高層ビルのない広々とした遠景を臨めば、気持ちもいくらかは晴れる。足もとに視線をおとせば暗澹たるものだから、下を向かないよう心がける。あらゆる場所に無数の電柱が衝きたつ。あらゆる方向に電線が絡められて、きっとそこには莫大な量の電流が走っている。遠方に電波塔が屹立し、その隙間にカラスの黒い影がシルエットをつくっている。よくわからない記念碑が立ててあって、向こうには生垣のある立派なお屋敷があり、ぽつんと離れた場所にデザイン物件があり、道沿いの年季の入った板塀には昔懐かし蚊取り線香のブリキ看板が貼り付けられてある。工務店の看板は市外局番を抜かして表記されてあるし、ロゴは井形のものがあれば山形のものもあり、銭湯のタイル絵に通じるレトロ感があった。
 住所を確認する。目の前の三叉路を右に曲がった先の民家。ようやく着いた。
 洗濯物はない。窓にはカーテンが引かれ、当然、なかの様子はうかがえない。玄関に立って呼び鈴を鳴らす。一度押すと、かなりの時間、一定のメロディーが屋内に流れた気配がある。メロディーの余韻の消えてからも耳を澄ませて中の気配をうかがった。物音一つ聴こえない。いるのかいないのかわからない。さらに押す。長い時間をかけて四度目を押して埒があかないと知った。スマホで番号にかける。何度かけても反応はなかった。

Chapter : 5

「週末を犠牲にしても逢うことかなわず、か。お疲れさま。行ってどうするつもりだったんですか」凛花の言葉に咎めだての節はなかった。「面倒見がいいとはいったけど筋が違います。書き手は文章で勝負させよ。対面すれば文字で伝わらないものまで伝わるなんて、書き手の怠慢きわまる弱気ですからね。なんで行ったかな。なにやってんの。ここは、書き言葉ぶつけて心動かしてやれ、ですよ」彼女の口から迸る言葉はまるで機関銃だった。「収穫はあったんでしょう。鷹揚さ漂わせてるし、何となくわかるよ。付き合い長いからね。いってみなさい。貴重な時間つぶしてんだから」
 何からはじめたものか、と言いあぐねる。
 凛花は待っていた。
「相手へのアプローチには失敗したけど、ある意味深まったものもある。どうしてあの文章が彼女にわだかまったのか、ヒントがたくさんあった。依りどころを失う実感、舞島は感じたことあるか」
 こちらを見通す目。謎に向かって扉の開くような不思議に大きい彼女の目に気持ちが吸い込まれる。
「何も信じなければ何も失わない」凛花は空間に言葉を並べるように冷静に語る。「依りどころを失う実感は『そんなはずじゃなかった』、からしか生じない。うかうかしてた・だまされてた・たぶらかされてた・すべて夢だった。自覚するや、たちまちつながりが断ち切れ、本来の孤独を味わいはじめる。すべてのおわり。どこへも行けない。どこにも行かない」
「わかるのか」うっかりいってしまう。
「帰る處を失って人ははじめて大人になる。郷愁に親しむのはただの甘えで、白昼夢みたいなものよ。でも、話を聞く限り、甘えたでも言葉を掬い上げてまとまった文章にしてる。読める散文にしたってだけでもグレードはあがってる。書く人間にはどんな意見も内燃機関の糧となる。だから潔く言葉をぶつける。それが矜持ってもんでしょう」
 凛花の名が名前負けしないのは、言うべきとき発話に気迫がこもるからだ。締めるべきときに締めながらたしなみも忘れない。花にも、凛にも、その二字にはじない自分を保持している。
「敵わんな」
 つい漏らす。
「得るものがあったならよかった」
「得たもの」凛花の切込みに促され、言葉にしきれなかったものに形を与える覚悟を決めた。「望んで切り離したのではない。切り離された自覚もなく浮遊していた。あると思っていた地面がなかった。届くと思っていたプールの底に足がつかない。パニックになる、プレッシャーに圧される、自信は搔き消える。矜持なんてもってのほか。一秒たりとも踏ん張ってられない。かつての感覚の端緒を週末に知った。彼女の流された衝動に俺が流されなかった理由はきまってる。地盤だ。用意された地盤があるからだ。仕事、同僚、知己、地縁」
 凛花は黙って聞いていた。語りながら考えるモードに入っている俺のことを知ってくれている。聞き役に徹してくれているのが助かる。
「数時間だけどあの土地を歩いた。白昼、歩く人も見ない。隣は何するものぞ。あの光景がすべてとはいわない。時間によっては近所の会話もあるんだろう。それでも閑散として荒涼とした風景を眺めてしまうと、山の夜の場面だって、やっぱり主人公には逃げ出したくなる巷がくっきりと見えてしまってたんだな、と感じるんだ」
 それはこちらの偽らざる実感だった。寂しいというよりは荒んでいる感覚が強かった。
「俺が進学を都市部に決めたのも、ほんとうは田舎を逃れたかったからだ。こっちに逃れることができた。自分を閉じ込める空間から逃れたい気持ちのあったこと、何年も前から内面に潜んでた気持ちをあの文章に掘り起こされたよ」
 凛花が応じた。
「わたしは今だって逃れられるものなら逃れたい。引きずるものが多すぎるから諦めてる。諦めたから留まってるだけ。逃げても過去のジブンがまつわるのはわかりきってる。見たくないから化粧で隠す、ポーズをつくって役割をふって暗示にかける。生のままでいようたって許されない。分厚い衣装をつけないとやってけない。書き手さんはそういうのすっとばしてきたんだね。頼りもなくなったら自分を広告塔にするしかない。自分すら頼れない。信じる者も皆無なら、李徴になるしかない。毛皮を涙で濡らしても、牙のぬめりを後悔しても遅い。積みあげた本の上に檸檬をおいてもいいし、非人情の旅を気取って放浪してもいいし、指輪を捨てる旅に出てもいいし、三女の見合い話を書いてもいい。古刹だって燃やせる、友人の大切な蝶を盗んで悔やめる、金貸しの老婆を殺してもいい、アルコン船を月の裏に不時着させたっていい。書く人は依りどころをもう見つけてるよね、そう――文字を。なにも信じられなくて、なにも頼れなくても、書くうちは書くものによって位置は定まる。流されてるようでも文字のひとつひとつがちゃんと書き手を支えてくれる。そこを見失わなければ、あてどなくさまよう放浪者にはなれないし、ならないものよ」
「言ってたな。見いだしたものによって書き手は変われる。そのために書く。知るためか剋すためか。ストイックというには血なまぐさい。傷だらけの負傷者を彷彿する。そういう詐欺だったら成功してるぞ、これは」
「冗談をいえるんだから平気みたいね」
 凛花なりに心配してくれていた。
 そろそろ休憩を切り上げるべきだった。やらねばならないことが多すぎる。コーヒーの残りをのどに流し込む。立ち上がりかけると彼女がいった。
「返事書くんでしょ」
 書くしかない、と思っている。
 そのまま席を立ち、中途にしてきた作業へと戻った。

Chapter : 6

 崩して書くことをお許しください。先日は文章をお見せくださりありがとうございました。二読しまして喪失に関する文章とわたしは捉えました。貴女個人の体験にどれほど基づくものかそれはわかりません。切実さは伝わってきました。わたしの思いますに文章を表現の手段として選ぶことは或る人にとっては喪失から立ち直るためであることがあります。なにが失われたかは人それぞれです。自分が損なわれる感覚があまりに大きくなったとき、依りどころとなり支えとなるべき自分すら自分の手足すら信じられなくなり、〝絶望〟の二字では到底くくりえない大きな喪失感のうちに何もできなくなってしまう。無力な自分を知ったとき、いったい人になにが残されているのでしょう。
 かつてわたしにも喪失の感覚があったはずでした。忘れていた古い記憶を貴女の文章に想起しました。わたしにも若い時分がありました。シビアでありながらもそれなりに希望に溢れていた時代です。社会に出るまえ、というより大学に進学するまえに、この国では大きな社会的事件が起こりました。バブル景気の崩壊から震災の発生、地下鉄の大規模テロ事件。世間の大勢はこれまでに社会に出た人々の活動の総和によって成り立つものです。天災、地災、人災。未曽有の災害が立て続けに起こって好むと好まざるとにかかわらず社会全体の方針は大きく転換することになりました。誰が始めたというのではない。なんとなくこうあるべきという全体の総和、暗黙の諒解によって動きました。文化についてみれば奇抜さや尖鋭さ暴力性に逸脱といったものが牙をもがれた肉食獣のように弱らされ歓迎されなくなりました。替わりに、一見明るくて優しくて温かい表情のものに注目が集まりました。殺伐とするものが多かったそれまでの反動として見かけのうえでは健康的なものに大勢が飛びつくようになり、結果異質や逸脱を許す懐の深さが失われたのです。
 ひとつの路線が行き詰ったからそれを回避するのに反対の路線に舵を切る。あるいはそれなりに開けたところへ過去への省察も不十分なままに突入する。行き当たりばったりのその場しのぎで乗り切るムードが蔓延してました。わたしは災厄以前の教育を受けながら災厄後の世界を生きねばならなかった。誰でも過去のなかで学び、現在から未来へと生きてゆくことを余儀なくされる。どれほどの時が過ぎようと一貫した価値観のなかにさえあれば余計な混乱を招くこともない。平成七年の狂騒は個人と社会との間に、個人間に、あらゆる物事との間に信頼関係を築くことすらもはや困難な仕儀に立ち至ったと認めるに充分なものでした。個人においてさえ自己が幾層にも分割され、なにが本音でなにが建前かすらわからなくなる、したいこととすべきことの兼ね合いも不安定になりいまこのときに意志することさえ真にしたいことかもわからぬ体たらくであります。自分の執る行動の真の意味さえ定かではない、どのようにあがこうともなにひとつ明らかにされない無窮のときを生きている、そのように思います。上り調子だった時代から遊離した個人主義の理想論だけがいまだ独り歩きして足場もガタガタだのに個の尊重だけは口酸っぱく言いつのる。それゆえに今世紀初頭妄想の粗製乱造の時節が到来しました。想像を超える事態に直面した個人が拒絶のために内面に逞しくしたのが新たな物語です。人の命を一瞬で奪いかねない恐怖からの離脱の試みであり、異質の影響から免れるために必要とした記憶の上書きであります。他者の妄想を拒むためにはこちらも妄想を逞しくする必要がある。同病相憐れむ。同じ穴の狢。木乃伊とりの悲哀。同じところに落ちても解決はみないでしょう。
 わたしは思うのです。問題が起きたならその場でひとり足をとめ、じっと物事を観察する。一人ひとりが積み重ねた経験に照らしながらどうすることが今後の同朋のためにもなるかと吟味したうえで次なる行動に移る。それのできないわたしたちではないはずだった。材料は与えられていた。周りを見て足並みを揃えて戦時下の軍隊のように列を乱さぬことを当然のことと受容れ、他と異なる意見を口にするのを憚る。ひとりひとりはおかしいと感じてるはずなのに人の増えるほどに集団の方針はどんどん丸まってくる。角が取れて当たり障りがなく毒にも薬にもならない、一応は無害と見做せる雰囲気が醸成される。
 空気という言葉を人は口にします。空気は無色透明でそこにあるといつも捉えられるものじゃない。たとい有毒物質だって希釈されて無味無臭無色透明でさえあれば人は容易にごまかされます。無害そうに見せながら実は人の心身を蝕んでいたものなんてざらにあります。空気も良し悪しでときに緩くときに柔らかくときに優しく、温かくも涼しくも取り巻いてくれる空気に包まれてふわふわしているわたしたち日本人はきっと温室育ちなのでしょう。温室育ちだからある程度の困難に見舞われてもまあいいやと余裕を持っていられる。死の恐怖や暴力にさらされる、飢餓にあえぐ、拘束され、心身の自由を奪われる、明日がどうなるとも知れぬ、そんな危機に遭遇する人はほんの一部です。たまさか世界の裏面を垣間見ることになった人たちはかつて経験しなかった恐怖に慄き、あるいは不安を生じ、心の平衡を奪われてしまう。空気は人の目を晦ます煙幕にしか見えなかったり、吸い込むのも憚られる恐ろしい毒霧にも感じられ、ときに息を止めもする。知らずにそれらを吸い込み続けていた自分の迂闊を呪いたくもなる。
 あなたの不安はそういう類のものだったでしょう。まわりとの乖離の実感。人の目の輝きに不穏なものを見とがめる。周囲との間にすでに隔てのあるなか、何をどのように取り繕うか。わたしはすでに田舎とのあいだに断絶を経験した人間です。いまでも都会に出た人間として一時帰省という形でしか田舎には足を運びません。世帯ごと戻ってそこで暮らすことはまずありえない。あなたの文章の主人公は、出ようか出まいか、離れようか離れまいか、離れることは自分の素地を否定することと知っているからこそ、すべてを捨てるわけにはいかないととどまって動けなくなってます。雁字搦めです。わたしになにができるかわかりません。それでもこの内容を文章に綴る執念には恐ろしいものを感じました。
 この主人公がどこに行きつくのか、その先まで貴女の手で主人公を導いてやることの是非も知れません。しかし何度も読み返す。なぜ自分はこの言葉を選んだか。なぜこのつながりにしたか。吟味してほしい。貴女の気づかなかった貴女の特質が見えてくる、また貴女にしか語られない貴女の人生の秘密により近づけるはずです。その行為が人生の意味を拓くと信じたい。薄情だと取ってほしくありませんが、貴女がどうしたいか、またどうすべきかわたしにはわかりかねます。決めるべくもありません。それでも書くことに親しみを覚えるのであればさいわい私どもは出版を生業にしておりますから新人賞への応募も随時受け付けております。書くことを通じて貴女と交流できましたことたいへんに喜ばしく思っております。
 勘違いもまざったかもしれません。思うところを形に致しました。返事はいつでもお待ち致しております。
 乱筆乱文のほど御赦し願えればと存じます。

 

明夷(めいい)

長い作品をお読みくださいまして、ありがとうございます。
この小説はとある新人賞の落選作です。また何かを書いて送ろうと思っています。

明夷(めいい)

「明夷」とは本来しっかりしているものが傷つき、弱っていくことを示す『易経』のなかの言葉です。自分の立つところを失った人物(※)の内面の彷徨を描きます。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. Chapter : 1
  2. Chapter : 2
  3. Chapter : 3
  4. Chapter : 4
  5. Chapter : 5
  6. Chapter : 6