冥魚争鳴(めいぎょそうめい)

沖縄戦と私

   冥魚争鳴(めいぎょそうめい)

           作・三雲倫之助

 国土面積の〇.六パーセントに過ぎない沖縄に米軍基地・米軍施設の面積の約七四パーセントが集中している。それを以上の基地負担を迫る日本政府、本土の人々は海を隔て遠く離れた県のことなどニュースで目にしてもぴんとは来ない、それにそのようなことは鬱陶しくて考えたもくない。
 海兵隊は元々岐阜と山梨に駐留していたのだ。それが地元の人々の反対に遭い、それでは厄介者の海兵隊は沖縄に島流しにされた。沖縄の人間には堪ったものではない。
 基地を本土に移せないのは地元の住民に反対されるので基地建設はできないと言う。それならば基地反対をしている沖縄にどうして新たな基地を建設するのだ。沖縄に金が落ちるからいいではないか、それは大手土建業と基地に土地を貸している大地主の話である。その地主たちにしても、戦後間もなく銃とブルドーザーで追い払われて泣く泣く土地を奪われた人たちである。だが政府は経済復興を果たし、祖国復帰後になると、沖縄振興予算の配分で彼らを籠絡した。

 今日は二月二十三日、七日後には辺野古基地建設賛否を問う住民投票がある並里晋(しん)一(いち)は期日前投票をした。
 深夜、晋一は救命救急病棟にタクシーで行き、入院履歴に初めて統合失調症であることを記した。入院となれば毎日服用している薬が必要となるからだ。
 晋一を罵り続ける病状は二十五年続き、その間、好きな本をひたすら読み続けてやり過ごした。そして今では寛解に至り安定している。
 統合失調症の厳しい症状によく耐えた、よく死ななかったと振り返る晋一であった。それでも眠りに落ちて目覚めなければいいと思った。だが翌朝には目覚め、生きている事への失望、そして落胆へと変わり、できることは唸り声を上げるだけである。それと全く同じの思いの毎日であった。
 熱は三十八度、肺炎と診断されて、医師は暴れたりしませんよねと優しく聞いた。
 自分は正常ではない、向こう側の人なのかと晋一は再認識した。
 ストレッチャーで病室に運ばれた。
 咳と痰を出す音と寝言が聞こえる。午前三時、六〇六号に入室。四人部屋である。部屋は暗い、アームライトは内側に向けられて、光は鈍くあたりはモノクロに見える。すべてが古ぼけて見えた、私を除けば、寿命の近いかなりの老人に見えた、聞こえた。つまり、もうすぐ死にそうな患者だけが運び込まれている。死ぬところを死にそうもない患者から隔離する。雑多な情報が、雑音が耳に飛び込んでくる。突如、奇声が発せられ、爆弾が爆発する、野戦病院か、爆撃、戦闘の音、地割れのよう鈍い音に振動が加わる。薄暗闇がゼリー状になり、蜂蜜のように溶け出した、水中にいるようだ。体がどんどん熱くなり、神経が鋭敏と鈍麻の両極端にぶれる。
 年寄り、どこかの馬鹿な医者が生き腐れと言っていた、それも本の中で、どうしたらこんな非人間的な、無礼な言葉が吐けるのか、半分死んで半分生きている、魂が、感覚が自分の肉体の上を浮遊している。饐えた異臭、腐臭がする、もうちょっとであの世かなと晋一は思った。

 晋一は並里美津子の三男である。
 母は九十二で元気だ。その母の両親と五人の姉妹の墓の小さな石碑には次のように刻まれている。
 比嘉三郎・五十一歳、ツル子・四十六歳、芳子・二十五歳、松子、二十歳、静子・十二歳、千代子・9歳、澄子・七歳、第二次世界大戦の沖縄において昭和二十年(西暦1945年)、遺骨遺品の一切なく、場所は証言により 、糸満の国吉部落にて父母と五人の子供らが亡くなったものと推測する。
 戦火をくぐり生き延びし長女長峰芙美子、四女並里美津子が父母姉妹の名を石に刻み、納骨となし、ここに久遠の平和を祈願し、慎みて御霊安らかにと奉り祈る。

 第二次世界大戦の最高の死傷率であった沖縄戦で七名は命を失った。
 米国側は一万二五二十人。日本側は十八万八一三六人が亡くなった。このうち沖縄県出身以外の日本兵は六万五九〇八人。沖縄県出身の軍人・軍属(正規の軍人、防衛隊や学徒隊など)は二万八二二八人。一般の住民は九万四〇〇〇人。沖縄県民全体では十二万二〇〇〇人以上、県民の四人に一人が亡くなった。

「いいですか、沖縄の人は沖縄戦で犠牲になったと言いますが、それは違います、日本国のために、自ら死を選んだのです、生きて捕虜となるのを恥じたのです。あんなに多くの人が死ねと言われて死ねますか。
 沖縄県民は誇り高い死を自ら選んだのです」
 三十歳の沖縄県人の若き女性闘志は声を張り上げ、縦横無尽に日本を駆け巡り、ネットを疾走する彼女には迷いがなく溌剌としている。それを支えている根拠は何なのだろうか。

 アメリカ兵が亀甲墓に隠れた住民を兵士を火炎放射器で焼き殺す。ああ、公文書館で見たビデオだ、アメリカ軍が撮影したのを破棄されるのを沖縄県がアメリカから買い取り、保存している。ひっそりとした場所にある。あの光景だ、壕の中から出て来ない《生きて俘虜の辱めを受けず》の住民と兵士は手榴弾を投げ入れられ殺される。
 右手に白旗を揚げた少女が多くの住民や兵をを引き連れて降伏してくる映像が流れる。
「お祖父さん、お祖母さん、叔母さん、叔母さん、いつまでも年を取らないのですね、戦後七十年ですよ。
 どこに逃げるのですか」
「彷徨っているだけだ、七人もいる、食べるものもない、飲み水がやっとだ、きっと日本軍が助けてくれる、日本が勝つ。
 それでも歩き続けるのは辛い。
 ツカレタ」
「お祖父さん、叔母さん、そんなことは言わないで下さい、あなたの孫は六十二で元気です』
「ツカレタ、七人ともツカレタ、ぐっすり家族そろって眠りたい、眠りたいだけだ、生きていることがきついんだよ」

「ここにおられるのは年寄りの方たちですか」
「いろいろな方々が入院しています」
 看護婦に他人のプライバシーを詮索するなと釘を刺され、ぎくりとし怯えが充満した。晋一が外界に溶けて靄になった。
『東(あがり)江(え)初恵リュウマチか』
「五ヶ月も入院しているのに痛みは取れず体中が痛い、この病院は駄目だ、役立たずだ」
「痛くても車椅子に坐れるようになったでしょう」と白衣の医師が言った。
「後ろ下(しも)、前(まえ)下(しも)も拭きましょう」看護婦が言った、「お尻をあげて、ぐっと上げて」

「儀間清彦三等兵、参りました、ご用件は何でありましょうか、軍曹殿」
「艦砲射撃が鳴り止まないな、いつ攻めてきてもおかしくない、その時は玉砕だ、いいか、突撃だ」
「そのつもりであります」
 閃光が走った。
「上等兵殿はなぜ住民を殺したのですか。我々は友軍です」
「彼らは密談した、それも外国語でだ」
「それは沖縄の方言です」
「上官に口答えをするのか」
「スパイは殺さねばならぬ、獅子身中の虫だ。防諜に厳に注意すべし。生前の牛島満司令官は訓示した。スパイ対策は日本軍の最重要課題だ。
 米軍と接触した住民は、スパイだ、見せしめのためでもあるのだ、いつ陣地の情報を鬼畜の米兵に話すかもしれぬ。
 スパイを殺して、何が悪い。
 これは上からの命令だ。命令は軍人にとって絶対だ、それがなければ統制は取れぬ。戦争に負けてしまう。
 お前も早く大日本帝国の軍人になれ」
「日本人として恥ない大日本帝国の勇猛な日本兵になります」

 痩せた老人がご飯椀をスプーンで掘るように音を立てて食べている。痰を出すために咳が咳が聞こえる。
「ご飯が少ないよ、余計病気になるぞ、飢え死にするぞ。晋一は飯を食ったか」

 部屋の空間がほの暗く、影が蠢き、這いずり回る生き物のように見える。
「お祖父さん、お祖母さん、叔母さん」
「お祖父さん、お祖母さん、叔母さん」
「お祖父さん、お祖母さん、叔母さん」
「何か言いたいことはありますか」
「家族揃って、腹一杯ご飯が食べたい、どうしてお腹がすくんだろうな。
 皆で笑って、ご飯が食べたい」
「でも晋一には何もできないんです、それが悔しいです、情けなくて堪りません。
 辛くはないですか」
「そんなことを考える暇はないよ、歩く歩く歩くんだよ、転々としないと米兵に捕まえられて酷いことをされる、八つ裂きにされる。
 もう行くぞ、おまえに関わっている暇はない、とにかく歩く」

 五月二十二日、牛島中将は糸満の喜屋武半島への撤退を決める。
 五万人の兵員を移動、だがそこには二十万人の民間人が各地の壕や自然洞窟で避難生活
を送っていた。
《一君万民の国体》『一大家族国家としての億兆一心にして、よく忠孝の美徳を発揮する》
 そこは終戦まで軍民敵味方入り交じった凄絶な戦場と化した。
 多くの民間人が死んだ。日本兵が死んだ、米兵が死んだ。戦いが終わった後、それでも日本は善戦したと敵の将は褒めた。アメリカの本土で行われた戦いだったら、そんな暢気なことを言って許されるのか。吊し上げを食らい、その将軍は即刻更迭されたであろう。
 とにかく、第二次世界大戦でアメリカの市民は死ななかった、彼らはアメリカを戦場にはしない、それが原則だ。本土から遠く離れた沖縄は戦場になった。そのような地理的条件によって戦地に選ばれた。それで納得して死ぬのですか、それでは永久にこの島は浮かばれない。
 命よりも大事なことがある、そう言って三島由紀夫は森田必勝(まさかつ)と共に割腹自殺をした。武人として断ってのことだった。
 命より大事なもの、それが大義名分だ。晋一はそのようなものでは死ねない、生きて天寿を畳の上で全うしたい。昔は武士が戦うのを平民は高みの見物をしていた、だから武士は威張れ、威厳があった。
 今や勇敢に戦場で戦うのは国民だ、国民皆兵だ。それを大将が死ぬのを恐れぬからと、お前たちもそうしろと言えるのか。大将は一人が自決して、それで作戦を実行した何千何万もの兵士の死はそれで事足りることなのか。
 誰が軍事的作戦を俎上に載せて分析し、それは作戦ミスだったと言った旧陸軍、旧海軍の大将はいたのか、日本軍の兵士二百三十万人が死んだ、その内の六十パーセントが餓死者であったと言われる。その責任の所在はどこにあったのか、反省はしたのだろうか。
 なぜ陸軍省と海軍省があったのか、統合された機関がなぜなかったのか、それもおかしな話だ、挙国一致が原則ではないのか、軍が二つに分かれていてはどうしようもない。
 「欲しがりません勝つまでは」皮肉なスローガンである。何もかも根性で克服できると部員を扱きに扱いた高校野球ではないか、それはアマチュアではないのか、精神力で不足を克服せよ、竹槍で戦車に特攻せよ、、機関銃を持った敵兵に竹槍で特攻せよ、その心意気こそが大事なのだ。そのように死んでいった兵士たちは報われるのか。
「全てはお国のために、祖国日本のために」
 世界のどの国の兵士よりも日本の兵士は優秀だ、命をかけて戦った、命を惜しまず突撃した。敵軍が恐れ戦く理由がここにある。
 だが参謀や大将は勇ましいだけで、精神論を説くばかり、しかし自分はと言えば、自己批判などせず、誉れ高く自決する、或いは何事もなかったかのように生き延びた。
 彼らの作戦で死んでいった兵士は誰恨むことなかった。

 六月六日に牛島中将が発信した有名な海軍次官当ての電報がある。
『沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも県には既に通信力なく三二軍司令部又通信の余力なしと認めらるるに付き本職県知事の依頼を受けたるに非ざれども現状を看過するに忍びず之に代って緊急御通知申上ぐ
沖縄島に敵攻略を開始以来陸海軍方面防衛戦闘に専念し県民に関しては殆ど顧みるに暇なかりき

然れども本職の知れる範囲に於ては県民は青壮年の全部を防衛召集に捧げ残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と家財の全部を焼却せられ僅に身を以て軍の作戦に差支なき場所の小防空壕に避難尚砲爆撃のがれ□中風雨に曝されつつ乏しき生活に甘んじありたり

而も若き婦人は卒先軍に身を捧げ看護婦烹炊婦は元より砲弾運び挺身切込隊すら申出るものあり

 所詮、敵来たりなば、老人子供は殺されるべく、婦女子は後方に運び去られて毒牙に供せらるべしとて、親子生き別れ、娘を軍衛門に捨つる親あり。

 看護婦に至りては、軍移動に際し、衛生兵既に出発し、身寄り無き重傷者を助けて□□、真面目にして、一時の感情に駆られたるものとは思われず。

 さらに、軍に於いて作戦の大転換あるや、自給自足、夜の中に遥かに遠隔地方の住民地区を指定せられ、輸送力皆無の者、黙々として雨中を移動するあり。

 これを要するに、陸海軍沖縄に進駐以来、終始一貫、勤労奉仕、物資節約を強要せられつつ(一部はとかくの悪評なきにしもあらざるも)ひたすら日本人としての御奉公の護を胸に抱きつつ、遂に□□□□与え□ことなくして、本戦闘の末期と沖縄島は実情形□□□□□□

 一木一草焦土と化せん。糧食六月一杯を支うるのみなりという。

沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを』

 戦う女性闘士が街宣車の上で拡声器を右手に持ち訴えている。
「いいですか、私は一九八九年沖縄で生まれました。この美しい日本を心の底から愛しています。
『沖縄県民斯く戦えり。県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを』
 皆さん、牛島中将のこの文を読んで涙が出ないのは日本人ではありません、鬼です。これほど彼は沖縄の人を愛したのです。
 沖縄の人はお国のために我が身を抛(なげう)ったのです、日本兵に無理強いされたのではありません、犠牲になったのではありません。
 自ら祖国のために魂を我が身を抛ったのです。
 これこそ愛国心です。沖縄の日本の誉れです。
 これを犠牲と言うのは誹謗中傷するものです、魂を汚すものです。
 皆さんは沖縄が沖縄の左寄りのマスコミに、本土の左よりのマスコミに悲劇の島にされてしまったのです、それは間違いです。
 ここは果敢に散った英霊の誇り高き島です。
 国があっての国民です、家族を守らない者は国も守りません、国家は家なのです、いいですか、中国が攻めてきたらどうするんですか、負けましたと白旗を揚げ、占領地になるのですか。
 戦わなければなりません、ですから、自衛隊も米軍も必要なのです。
 平和平和と言いますが、それを陰で支えているのは自衛隊であり、、米軍です。
 辺野古基地建設反対も左翼の仕業です、辺野古の住民は賛成したのですから。
 家族を愛し、国を愛する、美しき日本を守る、当然のことではありませんか。
 日本が敗戦後の凄まじい復興を遂げ、繁栄したのは英霊のお陰です、それを忘れてはなりません。
 美しき祖国を守ろうではありませんか」

「どうしたんですか、お祖父さん、叔母さん」
「ひもじい、食べ物を下さい」と静子・十二歳、千代子・九歳、澄子・七歳は声を揃えて言った。
 ヒュルヒュルヒュルルと風を切る音がして爆弾が比嘉三郎・五十一歳、ツル子・四十六歳、芳子・二十五歳、松子、二十歳、静子・十二歳、千代子・九歳、澄子・七歳、を直撃し、飛散。
 七人がいなくなった。
 お祖父さんの奉仕作業の集合写真のぼやけた写真の一枚しか残ってない、かすかに分かるのはお祖父さんだけ、お祖母さん、叔母さんの顔は知らない、戦争で死んだ、それだけの事実しか知らない。戦争で死んだ、これは祖国のために死んだ、誉れか、犠牲が大きければ大きいほど国のために尽くし、けして犬死にはならないのか、犬死にではなく、お国のために尽くされた、後世の美談となるのか。
 誰でも自分の身内が犬死にだったとは思いたくない。だが彼らは人生を爆弾、銃弾、刀刃に強奪されたのだ、彼らにすればそうだ、悔しさを表明する場所さえない、孤独がそこにはある、孤独でもない、それは美辞麗句だ、無念、無念があるだけだ。永遠に晴らせない無念なのだ。
 お祖父さん、お祖母さん、幼かった叔母さん、あなた方を慰める言葉は見つかりません、ただ「犬死に」という言葉が胸に去来し、晋一を虚脱させるのです。戦争で無残に死んだ。
 あの女性闘士が叫ぶ、
「犠牲になったのではありません、お国のために死んだのです、それに我が県民は誇りを持とうではありませんか、連合国軍最高司令官総司令部・GHQ、占領軍によって刷り込まれた第二次世界大戦は日本がすべて悪かった、そのような自虐歴史感から脱却すべきです、戦後七十年ですよ。皆さん、いいですか、たとえ負けるにしても、やらなければならない戦争があるのです、それは後世への遺産です、日本人の誇り、おめおめと屈服はしない、命をかけた大和魂の発露です。それは我が日本の誉れです。
 アメリカは二度と日本が牙を剥かないように牙を抜き、平和憲法で、平和という言葉で日本人を籠絡してきたのです。
 自衛隊は日本を守る軍隊です、それのどこが悪いのですか。平和、平和とお花畑で叫んでいる日本は世界の笑いものです。
 皆で、この美しく、素晴らしきこの祖国を守ろうではありませんか」

 六月十七日には、各部隊との連絡が取れなくなり、司令部の統制は取れず、十九日には牛島中将は自決した。
 その前に大本営と第十方面軍に訣別電報を打電した後、各部隊に命令文を出した。
「親愛なる諸子よ。諸子は勇戦敢闘、じつに三ヶ月。すでにその任務を完遂せり。諸子の忠勇勇武は燦として後世を照らさん。いまや戦線錯綜し、通信また途絶し、予の指揮は不可能となれり。自今諸子は、各々陣地に拠り、所在上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり。諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」
 潔い、軍人の言葉である、だがそれは赴任してわずか三ヶ月後、自決の前の言葉である。
 司令官は結末を見て、犠牲の多寡を分析し、弁明し、それから敗軍の将として死ぬべきではないか、途中で自死するのは職務放棄ではないのか。命をかけた、犠牲が大きければ、それだけ必死に戦ったのだとの証左になる、大義名分となるとの武人の捨て台詞ではないか。
『不慮の辱めを受けず、まずは晋一から死にましたから、あなた方も必死でご奉公下さい、滅私奉公の精神です、いかに戦ったのが後世の誇り規範となるでしょう』

評論家の大宅壮一が、一九五九年六月、沖縄取材に訪れ批判をした。南部戦跡の学徒隊などの犠牲を「動物的忠誠心」「家畜化された盲従と批判した。帰京した大宅は、ある雑誌に一文を載せた。
「その"忠誠心"をたたえるだけではいけない。批判をともなわない忠誠心は、その"純粋性"の故に美化されやすいが、これは奴隷道徳の一種で、極端ないいかたをすれば、飼いならされた家畜の主人にたいする忠誠心のようなものである。こういった忠誠心は、どうして生まれたかというと、多年の権力者の"動物的訓練"の結果と見られる点が多分にある」
 多年の権力者、国家が一八七九年に日本国となった沖縄に皇民化教育を徹底したためである。それに加えて、個人の意見を言えば、特攻に捕まる、言論の自由など全くなかったのだ。大宅はそれを戦中に批判したのか。そこまで語るべきであると晋一は思う。
動物的忠誠心を美化したのは日本帝国である。戦争の美化が、大義名分が花盛りとなる。平和惚けの日本の昨今などとあざ笑う右寄りの人たちは戦中の戦争惚けに回帰しようとしているように晋一には見えた。戦争惚けよりは平和惚けの方が少なくとも民主的だと晋一は考える。

 沖縄では、同年九月七日に南西諸島の全日本軍を代表して宮古島から第二八師団の納見敏郎中将、奄美大島から高田利貞陸軍少将、加藤唯男海軍少将ら呼ばれ米軍に対して琉球列島の全日本軍は無条件降伏を受け入れる旨を記した降伏文書に署名した。これで沖縄戦は公式に終結した。
 しかしその後も渡嘉敷島や久米島では、日本兵による住民虐殺事件が起きた。
それは生前の牛島中将の「防諜(スパイ対策)に厳に注意すべし」との訓示の通りに行動し、スパイ対策は日本軍の最重要課題の一つであった。アメリカ軍と接触した住民は、スパイとして殺された。
 久米島では、米兵と接触し、居場所を告げられては困るとの判断で、米軍と接触した三名とその家族、警防団長、区長の計九名を刺殺した。
 生き残ったその命令を下した隊長はその行為を悔いず、国民一体となり国が無くなるまで戦うのが本義だったと堂々と語った。
 隊長は上の命令は絶対であるとの軍人として義務を、当然の行為として行っただけである、そこに人を殺すという逡巡は全くなかった、戦争とは殺し合いなのである。

 沖縄戦で日本側は十八万八一三六人が亡くなった。内訳は沖縄県出身以外の日本兵は六万五九〇八人、沖縄県出身の軍人・軍属(正規の軍人、防衛隊や学徒隊など)は二万八二二八人。住民は九万四〇〇〇人。沖縄県民全体では十二万二〇〇〇人以上、沖縄県全人口の二十五パーセントが死んだ。
 牛島中将は沖縄戦を最期まで見届けて、自決すべきではなかったか、負け戦を知っていた、だが最後の一兵まで徹底抗戦するように命じた。
 彼は口にはしなかったが、それは軍部の作戦上、日本本土上陸を遅らせる持久戦を遂行するためであった。
 晋一は軍人とは何だろうかと考えた、お国のためとは何なのか、そこで暮らす住民とはと転がってゆき暗い井戸へ落ち、決着は付けられず沈んでいくだけであった。
 軍人として牛島中将は生き判断し行動した。だが結果として軍人軍属住民に多大な犠牲を強いたものとなった。 

 ご飯椀をスプーンで掘るように音を立てて食べる。食事中に起こる痰を出すために劈く咳。騒がしく、病棟はせわしく、晋一は何かしら胸騒ぎを覚えた。
 明かりを付けず窓を閉め切った部屋に白の上下のジャージが体に貼り付いた痩せた男、老人がパソコンを起動させ画面に向かって硬直して坐っている。古刹に安置された即身仏を思わせた。
 ――断食して死ぬのか、なぜ。二十一世紀に何が悲しくて、死ぬんだ。悟り、そんなものは絵に描いた餅だ、頭の中の餅だ、手に取って食うことはできない、それをお前は食えると信じ、冥土へとカタツムリのように緩慢に向かっている。世の中がそんなに苦痛なのか、世の中から逃げて、閉め切った部屋の中で、全てから、一切から逃れようとしている。お前は人生に世の中に人間に躓いた。
 微動だにしない男の、老人の心は身体とは真逆に疾風怒濤の海のように荒れているだろう、蔑む声に脅され怯え、そして死ぬのはできない、抵抗だ。それでも死にたい、不慮の事故で死にたい、たった一つの道が残された、衰弱して死に絶える。吐き気がして、ふと我に返った晋一は気づいた。その老人は晋一であった。この病院の老人たちと同じ姿をしていた。
「いろいろな方が入院しています」と看護婦の言葉が蘇り、晋一は動転した。
 マハトマガンジーのように無抵抗の抵抗を示すのか、殺されてもいいのか、それでも抵抗しないんだな、侵略軍に殺されてもいいんだな、人を殺すより殺された方がいいんだな、晋一は沸き起こる嘲笑と怒声を浴びて、消え入りそうな自分を見つめながら恐怖に震え、立ち上がり直立不動の姿勢で目を見開いたまま凍り付いた。
 すうっと影が揺らいだ。
 法廷にクー・クラックス・クラン、kkkの白頭巾を被った三人の男が首を傾げながら晋一の方へ向いて裁判官の席に坐っていた。
一番目の男「君かね、逃げもせず隠れもせず、親兄弟が殺されても反抗もしないで傍観していたという被告は。
 敵を制止しようとは、殺そうとは思わなかったのかね。そのぐらいのこともできなかったのかね」
二番目の男「見殺しにするとはとんだ臆病者です、恥の極みです、それでよくここへ出廷しましたね。
 確かに自分の命が他人のものよりは大事だ、何も悪いことではない。
 手向かえば自分が殺されるのですから」
三番目の男「こういう男が国を滅ぼすのです。侵略者には徹底抗戦する、それが国民の義務です、それを放棄した。
 いわゆる非国民です」
 間をおいて、三人の男が声を揃えて言った。
「なぜ一人で逃げなかった」
二番目の男「黙秘かね」
 遠くで親兄弟が泣き叫び、晋一を呪詛する声が聞こえた、誰にも悟られぬように嗚咽し、銃殺されることを願った。
一番目の男「被告に責任能力は無く、無罪ですが、施設に入れましょう」
三番目の男「英雄を作ってはなりません、精神病院に強制入院させましょう」
一番目の男「それは妙案です。。
 食糧不足の非常事態の中でたらふく喰ってもらってぶくぶく太った肥満のガンジー。
 月一で一般公開する、世間の反感を買う」
第二と第三の男、声を揃えて「唾棄すべき人間です」
 閃光が走り部屋が一瞬照らされた。
 その瞬間、あらゆる声が止み、音が消え、スピーカーからの声が沈黙を壊した。
 女性闘士は声高らかに熱く、疲れを知らない憑かれた者のように訴える。
「沖縄は今も昔も愛国者の県、日本国沖縄県です。共産主義者の左翼に洗脳されて、戦争反対、戦争反対とお呪(まじな)いのように唱え、果ては基地撤去、何を寝ぼけたことを言っているんですか。
 中国が攻めてきたらどうするんですか、『待ってました、はい、どうぞ』と占領されるのですか。私たちは美しい日本を、この国を守らなければなりません、それとも中国に占領されて自由のない共産主義になるのですか、それは断じてなりません、どうか現実に向き合って下さい、目覚めて下さい。
 この美しい日本を本気で、命懸けで守りましょう」

 今年の清明祭にも晋一の母は負ぶわれてでも線香を上げにお墓にいくだろう。
 

冥魚争鳴(めいぎょそうめい)

冥魚争鳴(めいぎょそうめい)

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-12-01

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著作権法内での利用のみを許可します。

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