エスの研究 (2.理論編)

フランシス・ローレライ

左右の脳半球・ペンフィールドマップ・言語能力・自我・エス・集合的無意識

大脳の表層にあるのが大脳皮質であり、新皮質とも呼ばれる。厚さは数mm。神経細胞「ニューロン」が密に集まり、意識との関わりが深い。前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉に分かれる。「人間脳」とも呼ばれる。

クルミの実の様に合わさる二つの脳半球(左脳、右脳)に分かれており、基本的に左右対称だが、厳密に言えば右脳が左脳よりも若干前に突き出ており、左脳が右脳よりも少し後退している。これを「ヤコブレフのトルク(ねじれ)」と呼ぶ。

(この様な左右の非対称性が、頭部の「ツボ」と関係している模様)二つの脳半球は、脳梁(Corpus Callosum)で繋がっている。

 
1.左右の脳半球

(1)左右の脳半球の分業

左脳:「考える脳」

会話、読み書き等の言語能力、論理的思考、計算等理数系の能力。
(但し現在を生きることに専念し、過去や未来に考えが及ばない)

右脳:「気を遣う脳」

空間認識、想像力や注意力、美術・音楽等芸術的な感覚、
感情表現、他人の表情や感情を読み取る能力。(加えて過去や未来に思いを馳せる能力)

(注)ここでは便宜的に単純化したが、専門的な研究(例えば角田忠信著「日本人の脳」。1978年)によれば、非言語的な人の声、虫の音、動物の鳴き声に関し、西欧人では右脳で処理されるのに対し、日本人の場合、言語的な左脳で処理される由。この様に民族や言語・文化により左右の分担に微妙な違いがあるだろうし、育った環境により個人差もあるに違いない。

(2)右利きと左利き

手足を含め身体の右側(左側)は左脳(右脳)と繋がっており、右利き(左利き)であれば、左脳(右脳)をより頻繁に使う。

(3)脳梁

左右の脳半球を連絡する器官。女性の場合、男性よりも大きく、優秀に働くので、一度に二つの脳半球が使用可能。これに対し多くの男性は、左右の連絡が不十分なため、一度に片方の脳半球しか活用できないと見られる。

脳梁は、思春期を境に飛躍的に発達し、もって人間の思考が成熟する模様。

(4)左右の脳半球の選好

(ア)脳が「男性的」である場合、双方の脳半球の同時活用は困難である。同時活用が可能なのは、長年の訓練と経験を積み、熟練した場合か。

(イ)随意筋の操作

両手足等の随意筋を動かす場合、機能が交差しているので、左側の手足を操作する場合には、右脳半球を活用し、右側の手足は、左脳半球から操作する事になる。従ってその都度、動かす手足の右左に対応し、自我は左右、反対側の脳半球を活用する事になる。

(ウ)トピックやテーマによる振り分け

趣味やこだわり次第で、左脳(論理脳)あるいは右脳(空間認識脳)を中心に作業するところ、例示すれば次の通り。

(a) 勉学や研究に勤しんだり、オフィス勤務なら、論理的思考や会話により、左脳の占有時間が長くなろう。

(b)音楽,詩歌,韻文やナンセンスは,右脳で処理される。

(c)この他、言語表現でありながら、右脳を使うケースとしては、挨拶、謝意表明、擬音語、擬態語、悪口雑言、その他の慣用句や慣用的な表現。


(5)右利きと左脳言語野が主流

左利きは、全人口の約10%にしか満たず、大多数の人間が右利きと見られる。また右利きのうち、95%が言語活動の際、主として左脳半球の言語野を使うらしいが、左脳を重点的に使用する点で右利きの性癖と整合する。

2. ペンフィールド・マップ

(1)左右の脳半球の大脳皮質において随意筋の運動を司る領域(運動野)及び体表への刺激を感じ取る領域(体性感覚野)に関し、手足等、身体の異なる部分毎に、大脳皮質の如何なる領域に対応するのか(どこから運動の指令を受け、どこに感覚が伝わるのか)具体的に確認しながら、大脳皮質の特殊な「地図」に仕立てたのが「ペンフィールド・マップ」である。

(2)これで確認すれば明白な通り、運動野・感覚野は、大脳皮質の表面に、身体の各部分毎に綺麗に並んでいる。但し手指をはじめ、日常的に頻繁に操作する部分に関しては、大脳皮質で担当する領域が(身体に占める大きさに比し)明らかに肥大化している。この結果を取りまとめると、大脳皮質の表面に、身体の各部分がバランスを失った、コミカルな人間像が浮かび上がるが、これを「ホムンクルス」と呼ぶ。

(3)運動する場合、身体をマッサージする場合等、このペンフィールド・マップをその都度参照し、左右の脳半球の如何なる部分に刺激が加わるのか具体的に確認し想像しながら、精神衛生上の効果極大化を図るべきだろう。

3.言語能力

(1) 言語の認知(ヒアリング)

(ア)外部から聞こえる言葉を、認知・理解する機能を有する「ウェルニッケ野」は、左右の側頭葉に一つずつ存在する。(ペンフィールド・マップを参照すれば、大脳皮質の体性感覚野のうち、舌や咽頭を司る部位の近くと見られる)

(イ) 言語の「直訳」的認知には通常、左脳のウェルニッケ野が使用され、右脳のウェルニッケ野は,言語の「意訳」機能、また音楽のリズムやメロディを感じる機能を有する。

(2) 発声と発話(スピーキング)

(ア)言語を明瞭に発音する機能を有する「ブローカ野」は前頭葉の左右両脇に一つずつ存在する。(ペンフィールド・マップで言えば、大脳皮質の運動野のうち、発声を司る部位のすぐ近くと見られる)

(イ)言語発生能力は、右利きの95%及び左利きの70%が、左側のブローカ野のみにあり、右側のブローカ野には存在しない。
左利きの30%は、左右双方のブローカ野を使い、言語処理する。

(ウ)沈思黙考する場合(例えば将棋で次の一手を選ぶような場合)、声にならぬ範囲で「ああだ、こうだ」と考えるだろうが、その際は声を実際に出して話す場合に準じて、言語発生能力の存在する側のブローカ野を使用しながら論理脳たる左脳を活用する。

(エ)歌を歌う場合は、言語を問わず右脳の言語野が活用される。


4.自我(Ego)

(1)人間の内在的な意識は、意識(自我)と無意識(エス)の2つと考えられる。このうち自我は、人間的な本来の意識である。前頭葉に根拠があり、時として、倫理・道徳に則った人間的な生き方について思考を働かせる。また起きている時に、眼球を含め身体の筋肉を動かし、会話・読書や思考に勤しみ、身体中の感触や痛みを感じ取り、周囲から身を守ろうとする。

(注)フロイトは,内在的な第3の意識である「超自我」が、「良心」の役割を果たすと考えた。倫理・道徳的に優れ、社会的に認められる行動パターンを奨励すると。しかし現在では、エスの存在を認めながら、超自我の存在を否定するのが主流と見られる。なお超自我は、独立した意識ではなく、自らを律するための、教育や経験により培われた倫理や道徳観念と捉える向きもあろう。

(2)自我の所在(目線)

五感から来る情報のうち、80%が視覚情報だと言われる。しからば起きている時、自我の所在する脳半球の左右の如何は、視覚情報の集まる脳半球と一致するだろう。これは目線の方向により転換し、基本的に、視野に入る鼻筋の左右が、自我の宿る脳半球の左右と一致する。

(ア)目線が右向きの場合、鼻筋の左側が視野に入り、自我は左脳に所在する。

(a)顔の下部では、同じ左側の表情筋が管理下に入るので、唇を動かそうとすると、左側が動くだろう。

(b)顔の上部では、反対側の右側の表情筋が管理下に入るので、そのままウィンク場合、使うのは右目である。

(イ)目線が左向きの場合、鼻筋の右側が視野に入り、自我は右脳に所在する。

(a)顔の下部は、右側の表情筋が管理下に入り、唇の右側が動くだろう。

(b)顔の上部では左側の表情筋が管理下に入る。ウィンクする時、左目を使う。

(ウ)起きている時、自我は、左右の脳半球の間を頻繁に行き来しながら、双方の脳半球を駆使するので、視野に入る鼻筋も、その都度、転換する事となる。 (唇の左右を交互に動かし、左右の目を交互にウィンクする場合も含まれる)

(エ)上記の関係は、目を閉じた状態でも同様である。従って目を閉じて寝返りを打つ場合、その度に自我は、左右に転換するだろう。すなわち身体の右側(左側)を下にすれば、目を開けた時に鼻筋の左側(右側)が視野に入る状態となり、意識は左脳(右脳)に宿るだろう。

(オ)脳のfMRI画像によれば、視覚的な刺激を鼻の右側(左側)に置き、そこに注意を向けると、左脳(右脳)が活性化するが、これは意識の左脳(右脳)使用を示唆するもの。

(3)自我の所在(電話)

右耳は左脳と繋がり、左耳は右脳と繋がっている。従って電話の受話器を右耳に当ながら会話する場合、自我は論理的な左脳に入り、左耳に当てながら会話する場合、情緒的な右脳に入るだろう。

(4)自我の所在(随意筋)

 左右の手足の筋肉は、それぞれ右左と反対側の脳半球から操作するシステムであり、機能が交差している。ついては自我は、動かす手足と反対側の脳半球を活用する事となる。

(5)自我の所在(複合作用)

以上、目線の向き、電話中に使用する耳、操作する手足の左右の如何により、自我が右左何れの脳半球に所在するか、その都度変わる事につき解説してきた。

それぞれのケースにつき、単独で扱えるかの如く議論した次第だが、実生活では、一度に複数の活動に従事するのが一般的だろう。その際、自我の所在がどうなるかは、場合分けしながら検討せざるを得ないだろう。

しかし何れにせよ、敵から身を守る等、身体の安全確保に直結する筋肉運動には、最も高い優先順位があると見込まれる。従って(単純な反復運動の場合、小脳の活用で済むケースもあろうが)自我は、左右の随意筋を操作する際、恐らくそれに必要な脳半球に集中し、収れんしていくものと見られる。


(参考1)弓を引く場合、左手で弓を持ち、右手で弦を引く習慣であるが、その理由は(逆にするよりも)的に当たりやすいからだろう。狙う的を見る時に、顔が左向きとなり、鼻筋の右側が視野に入り、意識が空間認識を司る右脳に入るからに違いない。


(参考2)多くの楽器は、演奏時に、鼻筋の右側が視野に入る様に、すなわち意識が(音楽を司る)右脳に入る様に、設計されている。

〇ヴァイオリンやギター等の弦楽器の場合、楽器本体を身体に接して構え、右手で弦を振動させる様に出来ている。またネックが左手に伸びるので、左手指で押さえる場所を確認する場合、演奏者の目は左を向き、鼻筋の右側が視野に入るだろう。従って演奏時、意識が右脳に所在する事が多い。

〇フルートの場合、頭部管のホールを唇に当てると、楽器本体が右手に伸びる設計である。然るに演奏時、首の向きは若干左寄りとなり、鼻筋の右側が視野に入り、意識は右脳に宿る事となろう。

〇ピアノの場合、演奏者が椅子に座り、足をペダルに乗せ、大げさな表情やポーズで弾く事も多いが、良く観察すると次の通り。

---情緒豊かに演奏する場合、演奏者は多くの場合、左側を向き、あるいは右耳を鍵盤に向け、鼻筋の右側が視野に入る姿勢をとる。意識の右脳所在を心がけているのだろう。

---理知的な趣で演奏する場合、演奏者は右側を向き、鼻筋の左側が視野に入る姿勢をとりがち。意識を論理脳たる左脳に入れているのだろう。

 然るにグランドピアノの場合、舞台の上で、反射板を客席方向に向けて開いた場合、演奏者の位置が、客席から見て左側となる様に設計されている。これは恐らく、情緒的に演奏する場合、顔が左向きとなり、客席方向でなく、舞台の奥を向く様に設計されているのだろう。

(参考3)指導者の右側に右大臣、左側に左大臣がいる場合、指導者を見る時、右大臣から自分の鼻筋の右側が見えており、主として右目を使う。従って右大臣の自我は、情緒的で人間関係重視の右脳に所在する。他方、指導者を見る時、左大臣は自分の鼻筋の左側が見えており、主として左目を使うので、自我は、論理的な左脳に所在する。よって右大臣の方が指導者に忠実であり、左大臣の方が批判的となりがちであり、指導者とのこの様な位置関係に、両大臣の立場の違いが現れている。これは恐らく、英国議会における与野党の座り方と相通ずるものがあり、「右が保守、左が革新」との物言いの根源にあろう。


5.エス(Id、無意識)

動物的な無意識「エス」は、間脳を本拠地とするネットワークとして捉えられる。自我は通常、エスの静かな存在に気付かないが、エスは片方の目から、常に外界を観察しているものと思われる。

なお「エス」や「無意識」と言った用語・概念が分かりにくい場合は、日本の民話にちなみ「憑き物」と捉えても良いのかも知れない。「憑き物」だと、キツネ、魔物等、外部性の強いイメージが付着しそうだが、幻聴等、エスの悪戯による摩訶不思議な症状をうまく説明し、患者に対する理解を促進出来るなら、この程度は差し支えないのだろう。結局、「無意識」は言語化した途端、「憑き物」に変身を遂げるに違いないから。

(参考)フランス語、スペイン語等、ラテン語と関係の深い「ロマンス語」では、二人称の代名詞に単数形と複数形があり、例え話す相手が一人でも、相手が子供であるか、よほど親しくない限り、複数形を用いるのが礼儀正しいとされている。

例えばフランス語では、英語の“you”を使う場合、複数形の“vous”を用いるのが一般的であり、単数形の“tu”は、親密な間柄すなわち“tutoyer”する関係になってから使う習慣である。

これは不思議とも思えるが、一般的に複数形のvousを用いるのは、話し相手が一人でも、その精神が自我とエスの二つから構成されているのを認めた上、双方に対して漏れなく呼びかけるからであり、親密になって以降は、特に(生殖機能を司る)エスを意識して個別に呼びかけるため、単数形のtuに移行するものと解釈可能と考えられる。

(1)エスの世界

(ア)自我が左右何れかの脳半球を活用するに際し、エスは、同じ脳半球を同時に活用する事は出来ないので、反対側の脳半球を使おうとする。

(イ)エスは、前頭葉に立ち入る事は出来ない。

(ウ)自我の活用する脳半球の左右は、視野に入る鼻筋の左右と一致する。そこでエスは、視野に入る(左右何れかの)鼻筋の反対側に位置する脳半球を活用し得る。またエスは、頭部の同じ側の目に依存する。

(例えば鼻筋の左側が見えていれば、自我は左脳半球に所在し、左目に依存する。この時、エスは反対側の右脳半球に所在し、右目に依存する)

(エ)普通に生活する中で、視線や首の角度は頻繁に変わるが、その度に視野に入る鼻筋の左右も転換する。鼻筋転換の度に、自我の所在する脳半球も転換するが、同時にエスの所在する脳半球も転換する。つまり自我、エス共に、所在する脳半球が、視線や首の角度次第で、瞬間的に転換するシステムである。

(オ)自我とエスとの世界観に、相違や不一致があるとすれば、一つの原因は、使用する脳半球の不一致だろう。

(a)自我とエスとでは、主として使用する目が異なるので、周囲の景色もそれに応じてズレが生じ、視覚的な世界観に部分的なりとも不一致が出るだろう。

(b)左脳は右耳と繋がり、右脳は左耳と繋がっているので、聴覚的な情報にも、それなりのズレが出るだろう。

(c)左右の脳半球は機能が異なるので、かかる相違による世界観の違いも生じるだろう。

(d)自我の使用する脳半球が、左右何れかに偏る場合、自我の世界観は、その偏りの大きさ次第で、エスの世界観から増々乖離していくだろう。


(2)エスの機能

(ア)体調整備の役割

エスは、自我の意のままに筋肉運動が行われ、身体が移動するのに合わせて「恒常性」確保を含め、うまく体調管理するのが本来の仕事である。

エスは、ホルモンの産出・分泌により自律神経系を調整する。また本能行動(飲水、摂食、性行動)、内蔵機能(心拍数、血圧等)、そして睡眠・覚醒のサイクルに関与する。このためRhawn Josephは、視床下部の機能は、まるでエスの様だと示唆している。

エスの影響力は上半身の神経操作から腸の蠕動にも至るが、この様な操作のために迷走神経を活用する模様。

心臓の鼓動を調律する役割も担うので、リズムを保つ事に関心がある。(歌や音楽に関心を持つだろう)

(イ)随意筋の運動(不可)

エスには自我と異なり、一次運動野に立ち入ることができず、原則として随意筋が操作できない。

このため随意筋を操作する自我に対して常に嫉妬心を抱いており、初動時を狙い、随意筋に力が入らない様に操作を行い、運動を阻もうとする性癖がある。

(ウ)生殖機能

エスには、生殖本能を担う役割があり、女性においては月経のサイクルを司るものと推測される。従って性行動、配偶者選び、婚姻、子づくり、養育、教育等は最大の関心事だろう。

ギリシャ・ローマ神話の「エロス」「キューピッド」同様、子供の様な性格で、安定的環境を好む。(女性の場合、エスには月経管理の仕事があり、かなり影響力を持とう)

(エ)思春期の変化

思春期に起きる顕著な出来事として、男性・女性として身体が発達するのに伴い、生殖機能が備わることが挙げられる。そして生殖本能を司るエスが突然、存在感を高めるものと考えられる。

おおよそ13歳と目される思春期以降、エスが、喉の奥の迷走神経を操る様になり、そのため声が一時的に不安定化し、声変わりが起きる。

この結果、エスは思春期以降、影響力を増大させ、特に言葉の発音に影響力を持つようになるのだろう。

(オ)発話

(a)多くの男性の場合、発話は常に自我主導であり、エスは基本的に言葉を発しない、静かな存在である。

(b)喉の奥、声帯の周囲にはエスの管理下にある迷走神経が走っているものと見られる。自我が発声・発話しようとする際、何らかの理由によりエスの協力が得られない、あるいはエスが積極的に邪魔する場合、精神症状の一つとされる言語滅裂や失語症に至るものと見られる。

(c)歌を歌う際にも、自我とエスとの協力関係があり、例えばミュージカル「オペラ座の怪人」の同名のテーマソングの歌詞によく表現されている。すなわち女主人公クリスティーンが夢を見る時、頭の中に声を響かせる怪人がいて、それは歌う時にも登場し、奇妙な二重唱になるらしいが、この怪人は明らかに彼女のエスだろう。
 
(カ)鋭い聴覚

エスは、自我よりも聴覚が鋭いので、周囲のメッセージや信号、騒音に関し、自我に先駆けて察知する能力があるし、自我に察知不能な音声を拾う事も可能。
 
これには可聴領域に入らない他人のつぶやきである「以心伝心」や、他人のエスから発せられる「無声メガホン」のメッセージも含まれるので、エスは場の「空気」や雰囲気、ひいては群集心理に敏感足り得る。

(キ) 双眼視野闘争の原因

エスの存在が感じられる現象として、目の前の静止画像に関し、まるで動くかの様に見える「双眼視野闘争」が挙げられる。これは迷路状の物を含め「錯視画像」を見た時に、エスが勝手に働き、自我の所在する脳半球が左から右、あるいは逆に転換(錯視画像を見る眼が右から左等、逆方向に転換)するのが原因。双眼視野闘争は誰にでも起きるので、エスは普遍的に存在する事が窺われる。

なおBrain Chatterのある場合、双眼視野闘争の起きる間は沈静化するので、Brain Chatterの主体と双眼視野闘争の主体は同一と推測される。

(ク)夢

自我の睡眠中、起きているエスが左右の脳半球に侵入して「動画」を作成するのが夢である。

暇を持て余したエスが、周囲のエスと交流できない場合の閉そく感や鬱屈感を晴らす手段であり、自我を起こすためにも使われる。

(3)エスは(時として)精神病の元凶

(ア)暗く、怠惰

深呼吸を伴う運動やスポーツを嫌う。暗い場所を好む。肉体的な痛みを感じない。血糖値が下がることが気にならない。従って空腹感や食事時間に無頓着。

(イ)倫理観念の欠如

エスは、原則として前頭葉にアクセス出来ないので、倫理・道徳・哲学等、人間に特有の思考領域に入ることが出来ず、その結果、自分の意志を遂げようとする場合には、常識や不文律、ルール・法規範等を無視して突き進もうとする性癖がある。

例えばエスが言語化して統合失調症する場合、自我に対して悪口を言いながら動揺させ、甘言しつつ不利益になる事ばかり企む。そして中長期的に人間を破滅に追い込み、奈落に突き落とそうとする、敵対的な悪魔の様な存在と化してしまう。

(ウ)劣等感、反感そして反乱

エスは、人間の精神の一部を構成し、自我と「一心同体」であり、自我に協力すべき存在なのに、言語化した途端に敵対的になる理由は、次の通り。
 
(a)人間の若い頃から、身体運動や会話・思考を含め、周囲から認知可能な活動は、全て自我主導であり、エスは、生殖機能を司るものの、基本的に身体の恒常性や平衡感覚を保つ、地味な存在で「縁の下の力持ち」である。

エスは、自分が自我に対して劣位の存在であると意識し、これを「上下関係」あるいは「階級社会」と捉え、日頃から面白くないと思っているに違いない。しかもそれが10年、20年と続く結果、ストレスや鬱屈感が累積するのだろう。

(b)思春期の頃、声変わりや異性への関心の高まりの形で、エスはプレゼンスを示すが、これが徐々に進み、人間は大人に成長するのだろう。エスは、生殖活動を担うところ、暫くそのプロセスが面白いだろうが、身体が完成する20歳くらいになると、エスは、「性への目覚めは実現したものの、エスとしてこれ以上、外界に存在感を示す事は困難。自我の様に、随意筋を動かす事は出来ないし、会話・思考等の言語活動にも従事出来ない」と限界を知り、落胆するのだろう。

(c)しかし手足等の筋肉運動とは異なり、エスは言語活動に関し、発声や発音とも関係する迷走神経を使い、微妙に関与可能と認識するはずである。そこで脳の左右の言語野に立ち入り、うまく言葉を操れないものだろうかと画策するに違いない。

そして言語化に成功した場合、エスは、鬱屈した感情を一気に爆発させ、この時とばかり自我を攻め、苦悩に追い込もうとする。恐らく、これが統合失調症の引き金であり、陽性症状をもたらすのだろう。

(d)その後、エスは自我との「上下関係」を逆転させて覇権を確立し、長年不可能だった自己実現を図ろうとする。

エスが、自我に対する覇権確立に成功した場合、エス主導の行動パターンとなろうが、今度は、エスが人間社会の現実に晒される結果、向精神薬等を用い、エスを押さえ込もうとする医者や家族・同僚を含め、世間がすっかり怖くなり、とにかく人間との関わりを避けるのだろう。これが陰性症状かと思われる。


(注) 記号を用いて表に整理すれば次の通り。

自我= E、エス= I。(E,I)は自我が左脳に、エスが右脳にネットワークを伸ばし、入り込んでいることを表す。

(ア)本拠地

意識(E)        前頭葉       
無意識(I)       間脳

(イ) 機能分化

思考・企画立案   E
筋肉運動      E(-I)(注)
会話        E(-I) あるいは I
自律神経系     I
本能行動      I
内臓機能      I
睡眠・夢      I

(-I)の表記は、自我が筋肉を使おうとする際、反乱傾向のあるエスが、初動時をとらえて電気的にマイナスの操作を行い、筋肉から力を奪う現象を勘案している。これには発声や会話に使う筋肉も含まれよう。


6.集合的無意識(エス集合)

個々の人間の精神は、意識たる「自我」と無意識たる「エス」から構成されるところ、人間の集団には、エスの集合体である「集合的無意識」あるいはエス集合が併存する。

同じ部屋に居る4人(α、β、γ、δ)につき、精神構造を[α(E,I),β(E,I),γ(E,I),δ(E,I)]と表現すれば、4人分の「I」がエス集合を構成。

特に八百万の神の国、日本では、エス集合を神と言い換える事が出来よう。

(1)同一の危機意識により顕在化

集合的無意識/エス集合は、普段は目立たぬ存在で確認しにくいが、人の誕生、祭り、結婚、死亡、未知との遭遇等、人間のグループ全体として、同一の危機意識からテンションの高まる場面では、強く作用し、顕在化する。そして個人では抗しがたい様な、特殊な「空気」を生むものと考えられる。言い換えれば、要するに群衆心理だろう。

(2)精神病患者の周囲で健在化

上記の特殊ケースとして、集合的無意識/エス集合は、エスの暗躍により統合失調症で悩まされる精神病患者の周囲でも顕在化しやすい。その様な患者は、自分のエスと集合的無意識/エス集合とが、いつの間にか交信・結託する結果、周囲に異様な空気を感じ、また集団的な排他性やイジメに見舞われる体験をするのだろう。砕いて表現すれば、統合失調症のある場合、次の通り。

(ア)本人の思考が、特に動物的な欲求に根ざす場合、周囲の人間のエスに伝わりやすくなる。(「以心伝心」)

(イ)本人のエスが、同様の静かな伝達手段を用いて、本人の気づかぬまま、周囲の人間に対し、あらぬメッセージを流す事が可能となる。(「無声メガホン」)

(3)エス集合の問題意識

(ア)エス集合は、グループに適合しない特定個人に対して作用する。すなわちグループの規律に服するよう、教育を行い、それでも調和しない場合には排除を試み、もってグループ内の安全と安定確保を求める模様。

(イ)エスに支配された人間は、この様に、自分の前で顕在化しやすいエス集合を利用すべきだろう。すなわち何か特定集団に参加する場合(孤立しない為にも奨励される)、自分のエスを抑える上で、メンバーの支援を、言語的ながら静かな「以心伝心」により、積極的に求めるのである。いくら薬を飲んでも、この手法を用いないと、自分のエスによる、無声メガホンを利用した悪戯により、集団内で孤立しがちだろう。

(4)言語の共通性

(ア) 特にテンションの高まる場面では、個々の人間のエスは、周囲の人間のエスとの間で、自我には聞こえない「無声」の連絡網をつくり、相互的なコミュニケーションをはかる性癖がある。

(イ)その場合の条件があり、これが周囲の人間との使用言語の一致だろう。特定個人が周囲の人間の話し言葉を理解できない場合、自我・エス、双方共に孤立感を覚える結果となろう。

(5)エス集合を介した連絡網

(ア)以心伝心

(a)  上記4人のグループ(α、β、γ、δ)に関し、個人αの自我α(E)が静かな念力でメッセージをエス集合[β(I)、γ(I)、δ(I)]に伝達。

(b)  このメッセージは時間を追って、それぞれのエスから、相棒の自我[β(E)、γ(E)、δ(E)]に伝達される。

(c)  こうして個人αの思考が、いつのまにか、残り3人の個人に伝わってしまう。こうして4人の間に「空気」が発生する。この「空気」は、言語的に統一された画一性の高い社会で発生しやすく、日本社会はその典型だろう。

(イ)無声メガホン

(a)言語化したエスすなわちα(I)は「無声メガホン」を使ってメッセージをエス集合[β(I)、γ(I)、δ(I)]に流す能力を備えてしまう。α(I)のメッセージは、時間と共にエス集合から3人の自我[β(E)、γ(E)、δ(E)]にも伝わるだろう。
但しα(I)のメッセージは、α(E)には察知不能。この様に無声メガホンは、自我の気づかぬままに進行する。

(b)β、γ、δの3人は、無声メガホンのメッセージに関し、個人αの自我からの「以心伝心」と混同し、誤解しがちだろう。しかもα(I)は、悪意に満ちたメッセージを流すので、個人αは、突然、原因の理解できぬまま、周囲との人間関係が悪化する場合があろう。

(c)個人αは、この様な無声メガホンを常に警戒すべし。(一つの兆候として、エスが無声メガホンに従事する間、幻聴は沈静化する)対抗する為には、直ちに同じ「以心伝心」を用いてエス集合に依頼し、α(I)を強く叱って貰う必要があろう。

(6)ユングの問題意識

(ア)集合的無意識の存在を最初に主張したユングは、その根源として、特定の民族に先祖代々、引き継がれている神話や伝説等の文化遺産に言及したが、聖書、コーラン、経典等、民族特有の宗教の聖典も含まれるだろう。

民族の構成員ならば、この様な伝承文学や聖典、特にそこに含まれる道徳的な教えや人生訓に関し、子供時代から聞かされ、更に学校で勉強することとなろう。

すると同様の教育を施された個人は、それぞれ自我・エス、ともに共通の価値観で結ばれていよう。またその後、年数を経ても、その様な個人のグループは、一緒に教育を受けた時代まで辿れば、共通の価値観や世界観で結ばれているはずであり、それが種々の「同窓会」のルーツに違いない。

(イ)仮に個々の人間のエスは、前頭葉にアクセスのない、動物的な存在であり、道徳・倫理・哲学を論ずる適性を欠くとしても、エスの集合体は、道徳教育の結果、備わった共通の価値観に基づき、必要に応じて個々人のエスに対して働きかけ、グループへの融合のため、叱咤激励し、更に教育しようとするのだろう。

(ウ)日本の様に、歴史が6~7世紀の聖徳太子以前に遡るほど古く、また使用言語が統一され、伝統やしきたりを重んじる国では、集合的無意識は強く働くものと考えられる。日本で言う神は、エス集合を言い換えている可能性があり、八百万の神と称される所以だろう。

一般論として、ユーラシア大陸の欧州・中近東・アジア等、歴史が古く、基本的に(同じ言語を話す)民族単位で国家が形成されてきた「旧世界」と、16世紀以降に移民が形成した南北アメリカ大陸の「新世界」との間には、歴史の長さの違い、また新世界の国家の特性として、多様な移民から構成されるため、文化が多元的であるのみならず、使用言語及び言語能力の多様性が指摘される。これが集団的無意識の影響の及ぶ範囲に関し、分かりやすい制約となっていよう。

従って特に旧世界の国から新世界の国へと移動する場合、旧世界の国では集合的無意識が強く働きがちなので、新世界に移動した途端、一種の解放感に浸りがちであり、逆方向の移動の場合、鬱屈感を伴うに違いない。

また同じ国の中でも、人口の多い大都会の方では、様々な地方の人間が無秩序に集まるので、田畑や山野等の自然が残り、人口密度の低い田舎と比べて、集合的無意識の働きが弱いので、多くの若者は、解放感や行動の自由を求め、地方から大都会を目指すのだろう。

(エ)この様に考えると、精神病の原因の一つとして「移動」や「移住」に焦点を当てざるを得ない。

すなわち移動先で如何に溶け込み、現地の人に受け入れられるか、との問題にすぐ直面するだろうが、特に子供時代や感受性の強い10代に、外国で現地教育を受けた経験のある場合、帰国後、今度は生まれた国の社会との間で、価値観・世界観、宗教上の不一致等が生じる可能性があろう。これが「逆カルチャーショック」だろう。

特に若い頃に集合的無意識の制約が軽めであり、個人主義的な傾向が強いと見られる国Aで教育され、精神的に「解放」されてしまうと、母国Bに帰国してから、歴史や伝統に由来する行動・言動への制約を理解できず、うまく適応するまで苦労が多いだろうし、個人の自我とエスとの間で、行動指針を選ぶ場合、A国に従うかB国に従うか、基本的な見解に相違のある場合、事態は更に深刻だろう。

エスの研究 (2.理論編)

エスの研究 (2.理論編)

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2019-11-07

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