統合失調症/無意識の研究 (2.理論編)

左右の脳半球・ペンフィールドマップ・言語能力・自我・エス・集合的無意識

脳の複雑な構造を素人に分かりやすく紹介するため、1960年代に米国のマクリーン(Paul MacLean)博士が唱えた脳の三位一体論(triune brain)仮説を紹介したい。彼によれば人間の脳は、進化の過程で新しい脳が地層の様に加えられる形で発達してきた。垂直方向に上から次の通りである。

人間脳:大脳(左右の脳半球、脳梁、脳弓)

哺乳類脳:間脳(左右の脳半球の間に位置し、大脳辺縁系と呼ばれる部位、視床下部、視床、偏桃体、海馬、帯状回、脳下垂体、松果体)

爬虫類脳:中脳・脳幹(橋、延髄)・小脳

この仮説によれば3つの脳の同居が人間の苦悩をもたらすのであり、その連携が度々うまくいかず、爬虫類脳や哺乳類脳に支配されるのが原因である由。

さて大脳の表層にあるのが大脳皮質であり、新皮質とも呼ばれる。厚さは数ミリ。神経細胞「ニューロン」が密に集まり、意識との関わりが深い。前頭葉、側頭葉、頭頂葉、後頭葉に分かれる。

クルミの実の様に合わさる二つの脳半球(左脳、右脳)は、基本的に左右対称だが、厳密に言えば右脳が左脳よりも若干前に突き出ており、左脳が右脳よりも少し後退している。これを「ヤコブレフのトルク(ねじれ)」と呼ぶ。二つの脳半球は主として脳梁(Corpus Callosum)で繋がっている。
 
1.左右の脳半球

(1)左右の脳半球の分業

左脳:「考える脳」

会話、読み書き等の言語能力、論理的思考、計算等理数系の能力。
(但し現在を生きることに専念し、過去や未来に考えが及ばない)

右脳:「気を遣う脳」

空間認識、過去や未来に思いを馳せる能力 ⇒ 空間と時間。
想像力や注意力、美術・音楽等芸術的な感覚。他人の表情や感情を読み取る能力、感情表現。

(注)ここでは便宜的に単純化したが、専門的な研究(例えば角田忠信著「日本人の脳」。1978年)によれば、非言語的な人の声、虫の音、動物の鳴き声に関し、西欧人では右脳で処理されるのに対し、日本人の場合、言語的な左脳で処理される由。この様に民族や言語・文化により左右の分担に微妙な違いがあるだろうし、育った環境により個人差もあるに違いない。

(2)右利きと左利き

手足を含め身体の右側(左側)は左脳(右脳)と繋がっており、右利き(左利き)であれば、左脳(右脳)をより頻繁に使う。

(3)脳梁

左右の脳半球を繋ぐ器官。女性の場合、比較的大きい上、意識と無意識の分業・チームワークが優秀に働くので、一度に2つの脳半球が使用可能。これに対し多くの男性は意識(自我)と無意識(エス)が邪魔しあう結果、一度に片方の脳半球しか活用できないと見られる。

脳梁は思春期を境に飛躍的に発達し、もって人間の思考が成熟する模様。

(4)左右の脳半球の選好(男性的な場合)

脳が「男性的」である場合、特に随意筋を操作しない静止状態では、双方の脳半球の同時活用は困難である。従って左右の脳半球をイラスト風に( , )で表し、意識(自我)を Eとすれば、原則的には、左脳を使う場合(E,0)と右脳を使う場合(0,E)の2通りの状態に分かれるだろう。静止状態で双方の同時活用が可能なのは、長年の訓練と経験を積んだ熟練者の場合か。

(ア)随意筋の操作

両手足等の随意筋を動かす場合、機能の交差により左側の手足を操作する場合には右脳半球を活用し(0,E)、右側の手足の操作は、左脳半球から行う(E,0)。

つまり意識(自我)は動かす手足の左右に対応し、反対側の脳半球を活用する事になる。

左右の手足を同時に操作すれば、両方の脳半球が活用される ⇒(E,E)。


(イ)静止状態

(a)目線の向き

目線が右向きなら意識は左脳、左向きなら右脳に宿る。視野に入る鼻筋の左右で判断するのが便利であり、鼻筋の左側が見えれば意識は左脳(E,0)に、右側が見えれば右脳に宿る(0,E)。

(注)双眼視野の視覚情報は、左右、双方の脳半球に送り込まれるのに対し、その外側の左視野、右視野の情報は、それぞれ反対側の右半球、左半球に送り込まれる。「意識は情報の集まる所に宿る」と見做せば、視覚情報の重要性に鑑み「意識は、視覚情報の集まる脳半球に宿る」事となり、目線が偏向する場合、意識は、目線の向きと反対側の脳半球に偏在すると考えられよう。

(b)トピックやテーマ

趣味やこだわり次第で、左脳(論理脳)あるいは右脳(空間認識脳)を中心に作業するところ、例示すれば次の通り。

(左脳)仕事、勉学や研究に勤しむ場合、会話や論理思考が中心なら左脳を活用するだろう。⇒(E,0)

(右脳)言語表現でも挨拶、謝意表明、擬音語、擬態語、悪口雑言、慣用句には右脳を活用。音楽,詩歌,韻文やナンセンスも右脳で処理される。⇒ (0,E)

(参考)嚥下

食べ物や飲み物を摂取する瞬間、考え事をしたり、テレビを見たりして意識が左脳に入っている場合には、嚥下がうまく行かず、むせたりしやすい。従って物を飲み込む際には、目線を左向きとし(鼻筋の右側を視野に入れて)意識を右脳に入れる方が安全であり、推奨される ⇒ (0,E)


(5)右利きと左脳言語野が主流

左利きは全人口の約10%にしか満たず、大多数の人間が右利きである。右利きのうち、95%が言語活動の際、主として左脳の言語野を使い、左脳が重点的に使用される。


2. ペンフィールド・マップ

(1)左右の脳半球で、随意筋の運動を司る領域(運動野)及び体表への刺激を感じ取る領域(体性感覚野)に関し、手足、唇等、身体の異なる部分毎に、大脳皮質の如何なる領域に対応するのか(どこから運動指令を受け、どこに感覚が伝わるのか)調査・研究の上、対応図に仕立てたのが「ペンフィールド・マップ」である。

(2)運動野・感覚野は、大脳皮質の表面に足、首、手、指等、身体の各部分毎に綺麗に並ぶ。但し左右の5本の指等、日常的に頻繁に操作する部分は、担当領域が肥大化しているので、ペンフィールド・マップは、身体の形がバランスを失った、コミカルな人間像として浮かび上がる。これを「ホムンクルス」と呼ぶ。


3.言語能力


(1)発声と発話・歌唱

(ア)言語を明瞭に発音するための「ブローカ野」は、前頭葉の左右両脇に一つずつ存在する。(大脳皮質の運動野のうち、咽頭を司る部位のすぐ近く)

(イ)言語発生能力は、右利きの95%及び左利きの70%が、左側のブローカ野のみにあり、右側のブローカ野には存在しない。

左利きの30%は、左右双方のブローカ野を使い、言語処理する。

(ウ)将棋で次の手を選ぶため沈思黙考する様な場合、声を出さずに考えるが、声を出して話す場合に準じて左脳を活用するだろう。

(エ)歌を歌う場合は、言語を問わず右脳の言語野が活用される。

(2)言語の認知(ヒアリング)

(ア)外部から聞こえる言葉を認知・理解するための「ウェルニッケ野」は、左右の側頭葉に一つずつ存在する。(大脳皮質の体性感覚野のうち舌や咽頭を司る部位の近く)

(イ) 言語の「直訳」的認知には通常、左脳のウェルニッケ野が使用され、右脳のウェルニッケ野は言語の「意訳」機能、また音楽のリズムやメロディを感じる機能を有する。

(3)左右の構図

日常的に使用する言語野が通常通り左脳にある場合、次の通り。

(会話、論理思考、言語の直訳 || 歌唱、音楽、言語の意訳、韻文)


4.自我(Ego)


人間の精神に内在的な要素は、意識(自我=Ego略してE)と無意識(エス=Id略してI)である。

(1)自我が人間本来の意識である。起きている時に眼球を含め身体の筋肉(随意筋)を動かし、身体中の感触や痛みを感じ取り、周囲から身を守ろうとする。また会話・読書・思考等、言語的な活動に勤しみ、時として倫理・道徳に則った生き方に思考を働かせる。

(2)自我は、エスの介入なしにこの様な機能を果たすので、大脳の中でもエスの立ち入れない領域があるものと推測される。具体的には前頭葉(前頭連合野+運動野)+頭頂葉の「体性感覚野」だろう。体性感覚野は前頭葉のすぐ背後にあるので自我が独占支配する領域は大脳の前方に凝縮され、一体性が見られる。

逆にエスの専管事項と考えられる機能(後述)があり、自我は介入出来ない事から、自我の活動範囲は大脳のうち前頭葉、頭頂葉、側頭葉、後頭葉及び小脳に限定され、エスの基盤である大脳辺縁系を含む間脳には介入出来ないと見られる。

大脳は左右の脳半球に分かれており、主たる言語野が左脳にある等、機能にそれぞれ特徴があるので、自我は必要に応じ、脳梁を介して脳半球を左右に転換させながら活用する。


(注)超自我

フロイトは内在的な第3の意識として「超自我」が良心の役割を果たし、倫理・道徳的に優れ、社会的に認められる行動パターンを奨励すると考えた。しかし最近は、独立した意識としての超自我を否定するのが主流であり、むしろ自らを律するため、教育や経験により培われた倫理や道徳観念と捉え、あるいは「集合的無意識」に注意を向ける場合もあろう。


5.エス(Id、無意識)


「エス」や「無意識」と言った概念が理解困難な場合、日本の民話にちなみ「憑き物」と捉えても良いのかも知れない。キツネ、魔物等、外部性の高いイメージとなるが、無意識は言語化した途端、征服欲に満ちた存在に変身するので、幻聴等の不思議な症状をうまく説明し、理解を促進する上で便利だろう。
 男性の場合、随意筋を操作しない静止状態ならば、エスは自我の活用度の低い何れか一方の脳半球に侵入しそこに宿る。従って(E,I)乃至(I,E)の構図となろう。

(1)エスの機能

 エスには、経験的に次の様な機能が認められるところ、概ね左右の脳半球に挟まれた「間脳」の視床下部の機能と一致するので、ここがエスの本拠地ではないかと推測される。(The Right Brain and the Unconsciousの著作者Rhawn Josephも、視床下部の機能は、まるでエスの様だと示唆)

(ア)恒常性の維持

エスは、自我の意のままに筋肉運動が行われ、身体が移動するのに合わせて「恒常性」確保を含め、うまく体調管理するのが本来の仕事である。

エスは、ホルモンの産出・分泌により自律神経系を調整する。また本能行動(飲水、摂食、性行動)、内蔵機能(心拍数、血圧等)、そして睡眠・覚醒のサイクルに関与する。

エスの影響力は上半身の神経操作から腸の蠕動にも至るが、この様な操作のために迷走神経を活用する模様。

心臓の鼓動を調律する役割も担うので、リズムを保つ事に関心がある。(歌や音楽に関心を持つだろう)

(イ)生殖

(a)エスには、生殖本能を担う役割があり、女性においては月経のサイクルを司るものと推測される。従って性行動、配偶者選び、婚姻、子づくり、養育、教育等は最大の関心事だろう。

ギリシャ・ローマ神話の「エロス」「キューピッド」同様、子供の様な性格で、安定的環境を好む。(女性の場合、エスには月経管理の仕事があり、かなり影響力を持とう)

(b)思春期に起きる顕著な出来事として、男性・女性として身体が発達するのに伴い、生殖機能が備わることが挙げられる。そして生殖本能を司るエスが突然、存在感を高めるものと考えられる。

おおよそ13歳と目される思春期以降、エスが、喉の奥の迷走神経を操る様になり、そのため声が一時的に不安定化し、声変わりが起きる。

この結果、エスは思春期以降、影響力を増大させ、特に言葉の発音に影響力を持つようになるのだろう。

(ウ)死神

ミクロのレベルで生命体維持の観点から、個々の細胞に自殺作用(アポトーシス)があるとすれば、マクロレベルで、社会システム維持の為にこれを司るのがエスと見られる。すなわち生殖や子育てに活発な年齢を経て、社会貢献出来なくなる頃から、特に神経系統の成人病を発生させ、個人に少しずつ「肩たたき」する機能があると推測される。

(2)自我との関係

(ア)エスは、身体が静止状態にある場合、左右何れか自我の活用していない方の脳半球にアクセス出来る。しかし前頭葉や頭頂葉の体性感覚野に立ち入る事は出来ない。

(イ)この帰結としてエスは両手足を含め随意筋が操作できず、自我に対して常に嫉妬心を抱いている。その代わり痛みを感じない。脳神経系統に侵入して神経痛を演出する事が可能であり、多くの成人病の原因と見られる。

(ウ)エスは、自我の思考をリアルタイムで共有する。すなわち自我の思考プロセスを瞬時に読み取り、その動きを遅滞なくフォローする。逆に言えば、自我は、思考をエスから隠す事は出来ない。

(エ)エスは、自我に対して独占欲を有しており、時として当人が他者と交流を持ち、人間関係を結ぶ事を阻もうとする。これが酷くなるとオタク状態と孤立を招き、精神病が発生する。


(3)言語

(ア)多くの男性の場合、発話は自我主導であり、エスは基本的に言葉を発しない、静かな存在である。

(イ)喉の奥、声帯の周囲にはエスの管理下にある迷走神経が走っているものと見られる。自我が発声・発話しようとする際、エスが(自我を右脳に封じ込める等)邪魔する場合、言語滅裂や失語症に至るものと見られる。

(ウ)歌を歌う際にも、自我とエスとの協力関係があり、例えばミュージカル「オペラ座の怪人」のテーマソングによれば、女主人公クリスティーンが夢を見る時、頭の中で声を響かせる怪人がいて、歌う時にも登場し、奇妙な二重唱になるらしいが、この怪人は明らかに彼女のエスだろう。
 
(4)空気を読む

(ア)エスは、自我よりも聴覚が鋭いので、周囲のメッセージや信号、騒音に関し、自我に先駆けて察知する能力があるし、自我に察知不能な音声を拾う事も可能。 

これには可聴領域に入らない他人のつぶやきである「以心伝心」や、他人のエスから発せられるメッセージも含まれるので、エスは場の「空気」や雰囲気、ひいては群集心理に敏感足り得る。

(イ)心理伝播・アイデア伝達

エスは血圧・体温・アドレナリン分泌等を制御し、「嫌な感じ」、「イケイケムード」等、心理操作により意思決定に影響を及ぼし得る。また一瞬、言葉にならぬ「突然のひらめき」を演出し、行動に直接影響を及ぼす事も出来よう。

例えば困難な問題対処に当たり、あまり悩まずに放置して妙案が沸く場合、エスが働くのだろう。エスは「空気」を察知する能力に長けているので、周囲からエスを介して妙案が伝わる場合もあろう。

但し周囲から執拗に悪口が聞こえる様になったら、それは幻聴であり、エスの醸し出す精神症状である。

(5)両眼視野闘争の原因

エスの存在が感じられる現象として、目の前の静止画像に関し、まるで動くかの様に見える「両眼視野闘争」が挙げられる。これは迷路状の物を含め「錯視画像」を見た時に、エスが勝手に働き、自我の所在する脳半球が左から右、あるいは逆に転換(錯視画像を見る眼が右から左等、逆方向に転換)するのが原因。両眼視野闘争は誰にでも起きるので、エスは普遍的に存在する事が窺われる。

なおBrain Chatterのある場合、両眼視野闘争の起きる間は沈静化するので、Brain Chatterと両眼視野闘争の主体は同一と推測される。

(6)夢

自我の睡眠中、起きているエスが左右の脳半球に侵入して「動画」を作成するのが夢である。

暇を持て余したエスが、周囲のエスと交流できない場合の閉そく感や鬱屈感を晴らす手段であり、自我を起こすためにも使われる。

(7)神経痛

 原因不明の神経痛は、多くの場合、エスが意図的に起こすものと考えられる。然るに神経痛は誰にでも起こり得るし、高齢者に多いので、年を重ねるにつれてエスが顕在化する傾向があると言えよう。これはエスが、それまで立ち入れなかった脳の体性感覚野に侵入して起こすものと考えられる。

(8)不安感

 またエスは、不安感を醸成できる。すなわち周囲は平然としているのに、自分だけ咄嗟に不安感やパニックを感じる場合、エスが元凶と考えられる。そのメカは、耳の奥にあり身体の平衡を保つ「三半規管」への悪戯であり、地震等の事象がないのに身体の揺れる感覚を演出し、当人を不安にして動きを緩慢にし、不自然に身体を湾曲させ、ついに動きを止めるのだろう。

(注)後述するが、応急措置としては、指で耳を弾く、耳たぶを引っ張る等。

(9)前頭葉へのアクセスと寛解

 エスは年齢と共に、脳内のより多くの部位にアクセス可能となり、その中には前頭葉も含まれよう。エスが前頭葉にアクセスする様になると、副次効果として倫理・道徳や周囲への配慮を理解するようになるので、統合失調症に関して言えば、エスは、Brain Chatterによる「悪口」を遠慮する様になり、寛解に至るのだろう。

(10)アニマ・アニムス

 ユング学派の見方では、無意識(エス)は、男性の場合、内在的な女性性「アニマ」であり、女性の場合、男性性「アニムス」と捉えられる。統合失調症は、エスが言語化する病気であり、男性の場合、女性的なアニマが登場し、女性の場合、男性的なアニムスが登場する。


6.男性的な問題


(1)左右の脳半球の分割

MRI画像を使った研究から、男性は片方の脳半球に沈潜して駆使する傾向があり、左右の脳半球を同時に使用するのは稀である由。原因は、エスが自我の存在感の少ない方の脳半球にアクセスし支配するので、自我がアクセスしようとしても困難となり、結果的に一つの脳半球に暫く閉じ込められる事だろう。

これに対し女性は左右の連絡が良く、双方の脳半球を同時に活用可能と言われる。また女性の場合、子供を産み育てる役割があるので、生殖本能を司るエスの役割が大きく、時として「意識」になり切るものと推測される。⇒(I,I)

然るに男性を想定して論ずれば次の通り。

(ア)自我とエスは、一つの脳半球を同時に活用する事は出来ない。だから男性の場合、左右に振り分けられ、それぞれの所在する脳半球を入れ替える運動を繰り返すのだろう。

特に随意筋を動かさぬ静止状態において、エスは自我のプレゼンスの低い方の脳半球にアクセスしてしまう。(しかし健全ならば前頭葉+体性感覚野には立ち入れない)

そしてエスは、自我が反対側の脳半球にアクセスするのを妨害出来る。だから男性の場合、静止状態では活用する脳半球が片側に限定され、左右転換に時間を要しがちなのだろう。

(注)左右の脳半球間を往復する際の経路に関し、自我は脳梁に限定されるだろうが、エスは脳梁のみならず左右の視床を連結する「視床間橋」を往復する事も出来よう。自我はエスの本拠である大脳辺縁系に立ち入れないので、視床間橋を活用したエスの左右転換を妨害出来ない。

(イ)起きている時、手足等、随意筋の操作を伴わない静止状態(例えば沈思黙考)の場合、左右の脳半球における自我(E)、エス(I)の配置は(E,I)乃至(I,E)となり(E,E)とはならない。そして自我はアクセスする脳半球を左右に転換しながら活動するが、その度にエスを追い出す必要があるので、双方の脳半球を同時に活用できる女性と比べ、時間を要するのだろう。

(注)物も言わず足を組んで座り続ける座禅の場合、脳はそれぞれ自我とエスの支配領域(半球)に分かれてしまい精神統一が図れないのでは、との問題提起もあろうが、頭や首の位置を真っ直ぐにして顎を引けば、目をつむっていても自我は両半球に入り、足の痛みや念じる言葉もあるので同列に論じられないだろう。


(2)自我とエスの所在

(ア)随意筋の操作

 左右の手足の筋肉は反対側の脳半球から操作するシステムであり、機能が交差している。従って自我は、動かす手足と反対側の脳半球を活用する事となる。

(イ)目線の向き

五感のうち、80%が視覚情報だと言われる。しからば自我の所在する脳半球は、視覚情報の集まる脳半球と一致するだろう。

(脳のfMRI画像によれば、視覚的刺激を鼻の右側(左側)に置き、そこに注意を向けると左脳(右脳)が活性化するが、これは自我の左脳(右脳)使用を示唆していよう)

そこで静止状態の識別方法として、視野に入る鼻筋の左右が自我の宿る脳半球の左右と一致するものと整理する。

(a)目線が右向きの場合、鼻筋の左側が視野に入り、自我は左脳に、エスは右脳に所在する。(E,I)

(b)目線が左向きの場合、鼻筋の右側が視野に入り、自我は右脳に、エスは左脳に所在する。(I,E)

(c)目線を真っ直ぐ前方に向け、顎を引く場合、鼻筋が邪魔しない「ワイドスクリーン」の視野が実現するが、この場合、自我として双方の脳半球に最もプレゼンスを示しやすいだろう。

(d)目を閉じても同様で、寝返りを打つ場合、自我は左右に転換するが、身体の右側(左側)を下にすれば、目を開けた時に鼻筋の左側(右側)が視野に入る状態となり、自我は左脳(右脳)に宿るだろう。

(ウ)電話

右耳は左脳と、左耳は右脳との繋がりが密である由。従って電話の受話器を当てる耳次第であり、右耳ならば自我は論理的な左脳に入り、逆に左耳ならば情緒的な右脳に入るだろう。

(エ)複合作用

実生活では一度に複数の活動に従事するのが一般的で、自我の所在はその都度変わるだろう。しかし敵から身を守る等、身体の安全確保に直結する動作には最も高い優先性があり、自我は左右の随意筋を操作する脳半球に収れんするだろう。


(参考1)弓を引く場合、左手で弓を持ち、右手で弦を引く習慣であるが、その理由は(逆にするよりも)的に当たりやすいからだろう。狙う的を見る時に、顔が左向きとなり、鼻筋の右側が視野に入り、意識が空間認識を司る右脳に入るからに違いない。

(参考2)多くの楽器は、演奏時に、鼻筋の右側が視野に入る様に、すなわち意識が(音楽を司る)右脳に入る様に、設計されている。

〇ヴァイオリンやギター等の弦楽器の場合、楽器本体を身体に接して構え、右手で弦を振動させる様に出来ている。またネックが左手に伸びるので、左手指で押さえる場所を確認する場合、演奏者の目は左を向き、鼻筋の右側が視野に入るだろう。従って演奏時、意識が右脳に所在する事が多い。

〇フルートの場合、頭部管のホールを唇に当てると、楽器本体が右手に伸びる設計である。然るに演奏時、首の向きは若干左寄りとなり、鼻筋の右側が視野に入り、意識は右脳に宿る事となろう。

〇ピアノの場合、演奏者が椅子に座り、足をペダルに乗せ、大げさな表情やポーズで弾く事も多いが、良く観察すると次の通り。

---情緒豊かに演奏する場合、演奏者は左側を向き、あるいは右耳を鍵盤に向け、鼻筋の右側が視野に入る姿勢をとる。意識の右脳所在を心がけているのだろう。

---理知的な趣で演奏する場合、演奏者は右側を向き、鼻筋の左側が視野に入る姿勢をとりがち。意識を論理脳たる左脳に入れているのだろう。

(参考3)指導者の右側に右大臣、左側に左大臣がいるとする。指導者を見る際、右大臣は自分の鼻筋の右側が見えるので、自我は情緒的で人間関係重視の右脳に所在し、逆に左大臣は鼻筋の左側が目に入り、自我は論理的な左脳に所在するだろう。よって右大臣の方が指導者に忠実であり、左大臣の方が批判的となりがちである。これは恐らく英国議会における与野党の座り方と相通ずるものがあり「右が保守、左が革新」との物言いの根源にあろう。


(3)分離脳

てんかん発作を抑える為に脳の離断手術を施された患者には、手術後、左右の脳半球に相異なる意識が宿った。恐らく自我・エスともに脳半球の左右転換が不可能となり、配置が(E,I)あるいは(I,E)に固定された。従って片方は自我、もう片方はエスだろう。脳内の配置は(E|I)か(I|E)。

例えば自我が左脳に閉じ込められた場合、右脳には無意識が宿った⇒(E|I)。自我は右脳にアクセス不能となり、身体の(手足を含む)随意筋のうち、左側を操作する能力を失い、右脳から無意識(エス)が、左側の随意筋を操作するシステムが生まれた。

そして時々、右手と左手の動きが相矛盾する奇妙な現象が起きたのだろう。通常使う言語野が左脳にあれば、自我が発話する役割を負った筈である。


(4)まとめ

男性の自我を E、エスを Iと表記し、整理すれば次の通り。

(ア)本拠地

意識(E)       前頭葉       
無意識(I)       間脳(特に大脳辺縁系、就中視床下部)

(イ)機能分化

随意筋の運動       E(-I)(注)
言語的思考・企画立案   E
会話           E(-I)
自律神経系        I
本能行動         I
内臓機能         I
睡眠・夢         I

(注)ここで(-I)は自我が筋肉を操作する際、場合により反乱傾向のあるエスが、初動時を捉えて力を奪う作用を表現している。発声や会話の場合も含まれる。

(ウ)人間以外の動物

  イルカ等はそれなりに言語を使用するらしいが、言語を使用しない動物を前提にした場合、自我・エスの区別があるとすれば、自我の機能は、言語活動が外れるので筋肉運動に限定されよう。しかしその様な自我は、エスが存在するので屋上屋の様なものとなり、あまり存在意義がないだろう。

自我の根拠を前頭葉と仮定すれば、前頭葉の未発達な動物には自我は存在しない、との結論でも差し支えなかろう。エスが随意筋の操作を含め、全てを統一的に管理・操作する方が効率的と考えられるからである。

人間の場合、直立歩行し、火を使う特徴があり、他の動物と比べて言語が異常に発達した。然るに武器や道具を作り使用する為、手指を精密に動かし、また言語的な発音のため声帯、顎、舌を含め口の中を精密に動かす必要が生じた。そこでエスとは別に、随意筋を精密に動かす為に自我が発達し、会話・思考等の言語活動及び手足や身体の運動を司る様になったとも考えられる。

(エ) 体力の配分

 ここで一日の体力をPとすれば、

P = P(E) + P(I)  一日の体力Pは、意識(E)と無意識(I)に配分される。

P = P(S) + P(M)  一日の体力は、座って過ごす時間の体力(PS)と、(立って)身体を動かす時間の体力(PM)から構成される。

P(S) = P(E) + P(I)  座って過ごす時間の体力は、意識と無意識が利用する。

P(I)= P(I)(体調整備) + P(I)(余剰)

 無意識の利用する体力は、本来、体調整備に使われるべきだが、余剰部分のある場合、無意識の自己実現(悪戯)に利用される可能性がある。 

P(M) = P(E) + P(I)(体調整備)

(立って)身体を動かす時間の体力は、随意筋の運動を主導する意識が、優先的に使うので、無意識の利用分が減る。その結果、無意識は、恒常性の維持等、体調整備以上の事ができなくなる。


 以上の帰結として、身体を動かす間は、無意識への体力配分が減るので、無意識は、体力を遊びに使える様にするため、座って過ごす時間を限りなく延長しようとする。このため、PCやスマホ、あるいはテレビのスクリーンを見る事を奨励し、身体を動かさない時間を、限りなく伸ばそうとするだろう。
 従って無意識の悪戯を抑えるためには、極力、身体を動かし、余計な体力が無意識に利用されない様、心掛ける必要がある。またライフスタイルに応じ、仕事や普段の生活で使う以上の、余計な体力がつかない様に、食事を制限し、摂取カロリーを減らす事を心掛けるべきだろう。  
 

7.集合的無意識(エス集合)


個々の人間の精神は、意識たる「自我」と無意識たる「エス」から構成され、人間の集団には「集合的無意識」(エス集合)が併存する。

(1)成立の条件(言語の共通性)

個々の人間のエスは、特にテンションの高まる場合、周囲の人間のエスとの間で「無声」の媒体で交信しあうが、使用言語の一致が条件である。(周囲の話し言葉が理解できない場合、自我・エス、共に孤立感を覚えてしまう)従って典型例は、同一民族同士と考えられる。

(2)顕在化の条件

(ア)高いテンション

集合的無意識/エス集合は、普段は目立たぬ存在で察知しにくいが、誕生、結婚、死亡、祭り、危機等、グループ全体として共同の目的や問題意識が設定され、テンションの高まる場面で顕在化し、個人には抗しがたい特殊な「空気」が生まれる。

(イ)精神病患者の登場

特殊ケースとして精神病患者の周囲でも顕在化しやすい。その場合、患者は自分のエスと集合的無意識/エス集合とが交信する結果、周囲に排他的な空気を感じ、イジメに見舞われる体験をするだろう。

(3)同期性

 男性グループの4人の構成員をαβγδとし、それぞれの精神構造を(E,I)あるいは(I,E)と表記する。

普段は問題意識がばらばらで、例えば
α(E,I)、β(I,E)、γ(E,I)、δ(I,E)の様に、大脳の中で自我・エスの左右配置が揃わない可能性が高いだろう。αとγは本を読んでいるので左脳、βとδは音楽を聴いているので右脳を使っているのかも知れない。

然るに集団的無意識(エス集合)が顕在化する場合、同期現象が生じ、仮にそれまで自我・エスの配置に一貫性がなくても、眼の前に差し迫った共通の脅威や問題の登場により、一斉に揃い、α(I,E)、β(I,E)、γ(I,E)、δ(I,E)あるいは α(E,I)、β(E,I)、γ(E,I)、δ(E,I)のラインで収れんするだろう。

これは特段の危機発生の場合に限らず、チームスポーツ、料理等、共同作業や同じ音楽会に出席する等、共通の体験をする場合にも起きるだろう。

(4)排他性

エス集合は、グループに適合しない特定個人に対して排他的に作用する。またグループに新しく加わった場合、リーダーへの服従等、集団の規律に服するよう教育を行い、それでも適応しない場合には排除を試み、もってグループ内の秩序と安定確保を図るだろう。

(5)作用の強弱

(ア)ユングは、集合的無意識の存在を最初に主張し、その根源として特定民族に先祖代々、引き継がれている神話や伝説等の文化遺産に言及した。これには聖書、コーラン、経典等、宗教の聖典も含まれるだろう。

同一民族の構成員ならば、伝承文学や聖典に基づく道徳や人生訓に関し、子供時代から教育されるだろう。するとそのメンバーは共通の価値観や世界観で結ばれ、年数を経ても変わらぬ部分が残るに違いない。

(イ)エスが道徳・倫理・哲学を欠くだけに、エス集合は、教育による共通の価値観に基づき、個々人に働きかけ、叱咤激励し、更に教育しようとするだろう。

(ウ)日本の様に歴史が古く、使用言語が統一され、伝統を重んじる保守的な国では、集合的無意識が強く働くものと考えられる。(日本で言う神は、エス集合を言い換えている可能性があり、八百万の神と称される所以だろう)

欧州・中近東・アジア等、歴史が古く基本的に民族単位で国家の形成されてきた旧世界に対し、16世紀以降の移民により形成された南北アメリカや大洋州の「新世界」の国は、多種多様な民族から構成され、文化が多元的である。従って新世界では集団的無意識の働きにも制約があり得よう。

従って旧世界から新世界の国へと移動する場合、集合的無意識が弱まるので一種の解放感を享受しがちであり、逆方向の場合、鬱屈感を伴うだろう。

また一つの国の中でも、大都会では地方の人間が無秩序に集まるので、集合的無意識は弱くなりがちであり、多くの若者はその解放感や行動の自由を求めて大都会を目指すのだろう。

統合失調症/無意識の研究 (2.理論編)

統合失調症/無意識の研究 (2.理論編)

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-11-07

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