投影の森

 最初の夜、その小径は闇の中。虫の音はわずか。遠く下方に、渓流の戯れを聞く。踏み固められた土の感覚を頼りに歩く。上り勾配。背後には宿場の灯りが消えゆく。風もなし。湿った大気が一帯を包む。歩く。やがて吊り橋に行きつく。眼下より清澄な水音。揺れはせず。声を潜めるように軋む綱。渡ればそこに、二本の柱を認める。それは磨かれた石柱であると思われた。
 次の夜、その小径に淡い光が浮かぶ。白、赤、青。天球の風景にも似た微細な光球が明滅する。蛍ではない。あまりにも不確かで強かである。人為か否かと問われれば、明らかに人為である。あるいは部分的に、自然の介在する余地もあるかわからない。しかし知覚する者をなくして、万物は実体たりえない。遠く下方に、渓流の戯れを聞く。
 小径の入り口には、青銅の河童像が立っている。秘湯の里であったこの地において、ときには神の使いとして、ときには人類の盟友として、またときには、無実の者にも害をなす魔物として河童は現れたという。いくつもの伝承が習合され、今は神秘の淵に隠れた存在となる。人々の幻想により、その姿は、観念は、宇宙のように膨張する傍ら、常に崩壊を内包している。
 その吊り橋には、現在まで河童の足跡は確認されていない。河童の歩みは、幾何の揺れを起こすか。その揺れは、あるいは眼前に立つ人間の震えか。二本の柱は、苔を帯びたかのようにまだらな緑青であった。
 いずれの時刻にか、その小径は塗りつぶされた。水音をもみ消し弦楽が支配する。土も、木々も、岩石も、ただ電子的な波動を反射する物体となる。風の雑音。人々が集う。その数は、多数決原理に従うならば、この“仮装”的空間こそが真実であることを示唆していた。人々は、極めて限られた範囲の電磁波を知覚する。吊り橋は雑踏のうちに揺れる。
 誰もがその小径の行く末に興味を持ってはいない。地形図はただ、道の存在だけを示している。鳥瞰図はひたすらに森の存在を示している。衛星写真は、それを描写するに足る解像度を持ち合わせていなかった。そこを歩く人間だけが、真相を見通す可能性を有する。しかしそのためにはノイズが多すぎた。二本の柱は油膜のような虹色である。ノイズは草木の眠りをも妨げた。
 四度目の夜の半年前、その小径はなかった。全ては白紙である。何者かが生命の気配を描くまでは白紙である。半年前の一年前も、そうであったに違いない。これらの時点の合間に発現するいかなるダイナミズムも、その白い紙面には証拠すら残さない。宿場は百年前もそこにあったという。青銅の塊も河童であり続けた。
 満月の夜にも、その小径の観念は揺らがなかった。小径は人の歩く場所である。ときには憩い、何かを見物する。始点は宿場である。終点は長らく欠落しているらしい。ともすれば吊り橋がその役割を担っていた。人々は吊り橋を見て引き返した。二本の柱は鈍色である。
 五度目の夜に歩くとき、その小径からノイズは消滅し、人々も去った。それは情報の嵐と呼ぶべき災害である。情報は光速で襲い来る。過ぎるときもまた刹那。静穏の闇は多くの情報を食らう。河童よりも貪欲に人々を食らう。だから、仮装が必要であった。
 古風な者は、誰の目にも触れないのに仮装をし、夜な夜なその小径へ入っていった。その実体を、誰が確かめることができるのか。もっとも、誰もがそれに興味を持ってはいない。食らわれてしまう情報を、わざわざ奪い取ろうとは思わない。情報は専ら自給自足、あるいは物々交換による経済である。二本の柱の色もわからない。
 その小径に炎が上がったという噂が立ったのは、七度目の昼である。当然ながら、誰もその炎の証拠を見つけることはできなかった。未知の文明の存在を囁く者、自然の脅威を主張する者、血眼になり放火魔を探す者。噂だけは炎であった。
 いくつもの真実が交錯する中で、そこを歩く者だけは、真相を見通す。曰く二本の柱は、古びた石造の鳥居であり、吊り橋は揺れる。
 八度目の夜、渓流で水死体が発見された。

投影の森

投影の森

科学と神秘の狭間のカオス。情報の交錯する小径で、誰が真相を見通したのか?

  • 小説
  • 掌編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-10-23

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