旧作(2020年完)本編TOKIの神秘録 最終部「望月と闇の物語2」(海神編)
TOKIの世界書シリーズのうちの神秘録です。
長編②の一部二話目です。
時神アヤは強敵に勝てるのか?
仲間と力を合わせて強敵を倒せ!
神々の世界
稲城ルルは真っ暗な世界で目を覚ました。
……うっ……
身体中が痛い。
自由がきかない。
……なにがあったんだっけ……
ぼやける視線で必死に思い出す。
確か……
見知らぬ女の子が逢夜が大変だから来てって言ってたから……。
「……はっ!!」
ルルは全てを思い出し、目を見開いた。
どこかの部屋で知らない男に泣いてひれ伏すまで得たいの知れない痛いことをいっぱいされた……。
……怖かった……。
身体中が痛いのはそのせいだ。
身体が動かないのは鎖に縛られているから……。
なんで真っ暗なのか……。
地下だからだ……。
ルルは一通り自己解決するとよく目を凝らしてみた。
……あの女の子が男がいない間に小さく私に言ったんだ。
叫び、泣きながら奴隷になると言えと。
私は素直に言った……。
でも奴隷って……。ひどい。
目が少しだけ冴えてきた。
近くにもうひとり忍び装束の女の子が鎖で吊るされていた。
幼さが残る女の子……。
目を見開いて体を震わせている。
怪我はルルより重く、明らかに一方的な暴力によるものだった。
……この子も私と同じ?
……突然拐われて突然暴力を受けた。でも、私との怪我の違いはなんだろ……。
そこまで考えた時、ルルは気がついた。
……逆らったんだ……。
……あの男に逆らった……。
「ね、ねぇ……」
ルルは恐る恐る女の子に尋ねる。
「モウ……ユルシテ……」
女の子はずっと独り言をつぶやいていた。
「ね、ねぇ……」
ルルは再び声をかける。
「……ひぃ!」
女の子は悲鳴を上げた。
刹那、目の前のドアがゆっくり開いた。
「おや、起きていたか」
あの男が部屋に入ってきた。ろうそくに火をつける。
部屋が突然明るくなった。
「……!」
ルルは男の後ろに立つ二つの影に目を見開いた。
「言わずものがな、逢夜と弟の更夜だ」
男はにやけながらそう言った。
「逢夜!」
ルルは最愛の男の名を呼んだ。しかし、逢夜は何も答えなかった。
「お前達の忠誠を見てやろう」
「……」
男の言葉に二人の手は震えている。
「ちゃんと術にかかっているかな?とりあえず、大切な大切な女を五発ずつ殴ってもらおうか」
「……」
男の冷徹な瞳に逢夜と更夜の震えが激しくなった。
非道な命令に抗っているのか二人は動かない。
逢夜は突然口から血を吐いた。
「もう……いやだァ……」
逢夜は逢夜らしからぬ情けない声を出し男にすがった。
「ユルシテェ……ユルシテェ……お願い……もう許してぇ!」
「何を許す?わけわからんな。さっさとやれよ。んー、術のかかりが甘いかなー?でも、こいつら、もう殴っても焼いても刺しても打っても耐えられるんだよなあー。じゃあやっぱりあの女を殴ってもらうのが一番……」
「……鈴……」
更夜はフラフラと女の子に近づいていく。
「お?」
男は楽しそうに眺めた。
「……五回……でしたね」
「更夜……いや……やめて……」
更夜は怯える女の子を真っ直ぐ見つめて拳を振り上げた。
「更夜!やめろォ!!戻れなくなるぞ!!」
逢夜が必死で叫んだことにより更夜は止まった。
「……どうするんだよ……」
更夜は怒りに震えながら逢夜を睨み付けた。
「どうするんだよ!!」
更夜が兄である逢夜にこんな態度をとることはまずない。
「どうしろってんだよ!!やらなきゃ終わらねぇんだよ!!わかってんだろ!!」
更夜は逢夜に怒号した。
「更夜……お前も限界か……」
「……ひっぐ……うう……」
更夜はまるで子供のように泣きじゃくっていた。
「……更夜、もう一度……会おう」
逢夜は意味深な言葉を吐くと更夜を持っていた小刀で刺した。
胸を一突き、間違いなく死ねる場所を選んで刺した。
血が辺りに散らばり更夜は崩れるように倒れ、光に包まれて消えていった。
「……何をしている」
凍夜の言葉を耳には入れず、逢夜は泣きながら自身の首を小刀で斬った。
……俺達は詰んだ。
……ルル……鈴……憐夜……
……もう一度……助けに来るよ……
逢夜は伝わったかわからないが必死で口を動かして死んだ。
※※
更夜と逢夜は神のデータはあるが霊であるため、死というのはない。
入り込んだ世界で死ぬとその世界に入れなくなるだけだ。
逢夜は後先考えずに「世界からの離脱」を試みた。
もし、先程までいた世界が凍夜の世界だったら敵の拠点に二度と入れないことになる。
「……まずったかな……でも、ルル達に手をあげるなんて死んでもできねぇから仕方ない」
逢夜は無傷のまま白い花畑の真ん中で大の字で寝ていた。
「……うっ……」
隣にいた更夜も呻きながら目を開けた。
「よう、目覚めたか?戻ってきたぜ。拠点に」
「お、お兄様!もっ、もうしわけ……」
「もういいよ。大丈夫か?」
更夜は逢夜に無礼をあやまったが逢夜は更夜の体調を心配した。
「お兄様こそ……術に抗い、血を吐いたではないですか……。大丈夫ですか?」
更夜は逢夜を心配していた。
二人とも元の二人に戻っていた。
「ああ、一回死んだからな……。大丈夫だ。お前をいきなり殺して悪かったな」
「いえ……殺してほしかったです。あんな状態の鈴を殴ろうとしていたとは……殴っていたら私は立ち直れなかったかもしれません」
「そうか……しかし……あれは精神やられたな……。どうする……」
「私も珍しくどうしたらよいかわかりません……。お姉様に頼りましょう……」
「結局、そうなるよな……。お姉様とサヨが落ちたら終わりだ。俺はアヤを痛めつけろと命令を受けた。あの子まで対象になっちまった……」
「……アヤは現世に返した方が良いですね」
更夜は白い花畑を見つめた。
ふと風が吹き、白い花弁が更夜達を通りすぎる。
「……更夜……」
「……はい」
逢夜の問いかけに更夜は静かに返事をした。
「鈴は……やべぇぞ……」
「……ええ。あの子はきっと無理をしてお父様に逆らった。術のかかりが異常でした。救い出せたとして……元の心に戻るか……」
「更夜……」
更夜は震え、静かに涙し項垂れた。逢夜は更夜の背中を撫でてやった。
「取り返しのつかない事になってしまいました。鈴を守らなければならなかった私が……守れず逆に鈴を殴ろうとした!」
更夜は凍夜に逆らえない悔しさに込み上げる体の震えを下唇を噛んで耐えていた。血が顎をつたう。
「俺は……鈴を守れなかった……。鈴は俺にいつも怯えていたんだ……。本当はあの子は男が怖いんだ。男が近寄るだけで構えるほどにいつも怯えている。俺は知っていたよ……。あの子はそれを隠しながらいつも強くあろうとしていた。だからお父様にもひどく逆らったに違いない。もしかすると殺そうとしたのかもしれない。あんな小さな女の子の体で……」
更夜は絞り出すような声でつぶやいた。
「……ああ、きっとそうだな……」
逢夜は更夜の背中を撫でながら更夜が落ち着くのを待っていた。
「俺も同じ気持ちだよ。更夜」
「ルルという少女も……」
「……ルルはお人好しなんだ。きっと騙されてついてったんだ。それで怖いこと、痛いこと、悲しいことをされて俺を呼びながら泣いていたに違いない。望月の事を話したことはないからわけがわからなかっただろうな。力の強い男に殴られることがどれだけ怖かったか、痛かったか……。俺はルルを抱きしめてやりたかったよ。もう安心しろって言ってやりたかった」
今度は逢夜の背中を更夜が撫でた。
二人は恥じらうことなく情けなく泣いた。
気配を隠そうともしない二人を瓦屋根から千夜が見ていた。
男二人が情けなく泣く姿を見て千夜は近づけなかった。
「……何かあったな……。なぜ、逢夜がいてアヤがいない……?まあ、今は見なかったことにしよう」
千夜はそうつぶやくと落ち着くまで部屋にいることにし、戻っていった。
二話
現世に戻ったアヤは実りの神、ミノさんと共に考えていた。
考えていたのは主にアヤだが。
「彼らはお父さんに逆らえない……。術がかかっていると言っていたわ」
「……ほー……神とかも従ってんのか?その男に」
ミノさんがてきとうに相づちを打つ。
「神も神みたいなものも従ってるわ……。霊ももちろん……。術を解く何かを見つけないときっと勝てないわ。月神のところに行ってる場合じゃないわよね……。誰にでもなりすませる奴がまさか現世にも出てこれるとなると……。あの家族が何とかしたいのはわかるけれど……もっとまわりを固めないと……」
アヤは眉を寄せて唸る。
「じゃあ、おたくがなんとか固めればいいじゃねぇか?で、月神にも関与しないよう頼めば?」
「簡単に言わないでよ……」
「俺が思うに……元々人間なら歴史の検索ができるヒメを使って原因究明するとか神なら神々の歴史を検索できるナオに頼むとかなー」
ミノさんがぼんやり発した言葉にアヤは反応した。
「それよ!!それだわ!ミノらしからぬグッドなアイディアだわ。あの家族達の過去の検索をしてもらって何がそんなに縛るのか調べましょう。いいわね?今すぐ呼ぶわよ!私の部屋に。月が出ている内に原因を究明して月神の所に行くの!」
霊史直之神(れいしなおのかみ)ナオと流史記姫神(りゅうしきひめのかみ)ヒメは共に歴史神だがそれぞれ記憶しているものが違う。
ナオは神の歴史のバックアップをヒメは人間の歴史のバックアップをとっている神だ。
色々あってアヤとは関係がある。
「らしからぬって……なんか失礼な声が聞こえたが……地味に神脈が広いおたくに頼めばなんでもできそうだなー……」
ミノさんはため息をついた。
アヤはさっそくスマートフォンでふたりを呼び出した。
ふたりはすぐに来た。弐の世界の凍夜とやらはもうすでに一部の神々からは有名なようだ。
アヤは健の妻に神を部屋にあげることをあやまると自室へ向かった。
健の妻、かおりさんは優しく頷いてくれた。
優しい人である。
「それで……」
自室にちゃぶ台を置き四人は座る。赤い髪をウェーブさせている凛とした瞳の少女ナオは袴を揺らし居住まいを正した。
「あの男は……オオマガツミに気に入られています。オオマガツミはああいう人が大好きです。実態はありませんがデータとして対象の人間などに入り込むようです」
「オオマガツミ……」
ナオの言葉にアヤは唸った。
「アヤ!この男は怖いのじゃ……。ワシは関わりとぅないぞい……」
奈良時代の貴族のような格好をしている幼い少女に見える神、ヒメが顔を曇らせてアヤに言い寄ってきた。
目はくりくりと大きくパッチリで見た目はかわいい幼女だ。
「……ヒメ、あなたには強いバックがいるのだから平気よ。凍夜の過去の歴史を聞かせて」
アヤはヒメに真剣な眼差しを送る。
「うう……わかったわい。あの人間は初めから人として壊れておる。得意とする忍術は五車の術の内、恐車の術。親族にはすべてこれがかかっている。女は暴力で、男は戦略で壊せば自分のものになると思っている。しかもそれを実験のように行う。自分が死する時ですら実験のように結論立てて納得して死んでいったわい」
ヒメは軽くぶるっと震えながら答えた。
「ずいぶんやべー奴だな……。関わったら皆不幸になりそうだ」
ミノさんも体を震わせた。
それに関わった人々がかわいそうだとも思った。
「だから皆不幸になっているのじゃよ。幼い子供を拷問するのは従わせるためと……すぐに壊れないか興味で見ているだけじゃ……」
「子供を拷問!?まるで信じられねーな……」
「……拷問で脱落した子供は母親もろとも谷底に突き落とすらしいぞい。……こんな話をして気持ち悪くならないかの?ワシは……」
ヒメが泣きそうになっているのでミノさんは慌てて頭を撫でた。
「五車の術を解くには?」
アヤは凍夜に対し怒りがこみ上げていたが冷静に尋ねる。
「我に返り、助けてくれる誰かがいることに気がつくことじゃな」
「……無理だわね……彼らは自分達でなんとかしようとし、仲間は自分が守るものと考えているわ」
アヤの言葉にナオも頷く。
「その通りです。神になった彼らを見ると助けがいらなそうな雰囲気です」
「じゃあ、次は敵の方で望月猫夜についてよ」
アヤに問われてヒメとナオは目を閉じた。望月猫夜のデータをそれぞれ検索をしている。
ヒメが最初に目を開けた。
「えー……彼女は百六年生きた人間で数々の虐待に耐え兼ね十二、三歳辺りで凍夜の元から逃走。凍夜の術にかかったのは七歳。当時四歳の望月狼夜が、反抗して逃げようとした猫夜の代わりに仕置きを受け死亡。母親代わりで狼夜を可愛がっていた猫夜は狼夜を殺されたことに悲しみ、怯え、服従した……それから……変化の術を極め、対象の人の外見データを纏うことでその人にまるまるなりきれる幻術を習得。逃走し、村で薬売りとして働く。村医者となりやがて信仰を得るようになったというわけじゃな。人間の歴史はここまでじゃ」
ヒメはアヤが出したお茶を軽く飲んだ。
「では……神になってからの歴史は私が答えましょうか。彼女は亡くなってから信仰を得て神になり村人が建てた社に住み始めました。厄除け、縁結び……なんでもやっていたようですね。最終的には村がなくなり、神格を持ったまま弐の世界に入り込み海神(わたつみ)のメグに……うん?ここから先は読めませんね……」
ナオは戸惑っていたがアヤにはわかった。
ここから先は「K」になったのだ。一般の神々は「K」の存在を知らない。
「そう、ありがとう」
アヤはヒメとナオ両方にそれぞれお礼を言うと再び口を開けた。
「……わだつみのメグ?誰よ。それ……」
「日本近海の海に住んでいる海神ですよ。海神と言えば龍神の神格を持っているものですが……龍神ではない珍しい神です。名前はワタツメグミ之神。イザナギ、イザナミの息子であるワダツミの派系のようです。『ツクヨミ様』とも仲がよろしいようで……静かなる夜の世界、弐や生命の源である海と深い関わりがあるとか。ツクヨミ様が夜や海原を守護していた時期がありましたが今は彼女達が見守っているようです」
ナオは丁寧に答えてくれた。
「月に行く前に……そのメグって神に会ってみたいわね。なにか望月猫夜に関するものを持っていないかしら?ツクヨミ様を知っているのならもしかするとオオマガツミを抑えたりする方法を知っているかもしれないわ」
アヤは希望に満ちた顔をミノさんに向けた。
ミノさんはこくこくと舟を漕いでいた。眠い時間に重なったようだ。
「……もう……まあ、いいわ。今日は月には行かないで少し休みましょ……。ああ、ヒメ、ナオ……ありがとう。色々わかったわ。色々と遅くにごめんなさい」
アヤがミノさんから目をそらしてヒメとナオを見る。
二人は微笑み頷いていた。
「なにかあったら言ってください。助太刀しますから」
「ワシもできることならやるぞい」
「ありがとう」
アヤも優しく笑みを返した。
三話
ナオとヒメが家を出ていくのを見送ってアヤは再び自分の部屋に帰った。うとうととしているミノさんをベッドの横に敷いたお客様用布団に寝かせ、アヤはベッドの方に入った。
「……」
アヤは目を閉じるがなかなか寝られなかった。
……いけないわね……。やっぱり月に行くことを優先するべきかしら……。彼らの邪魔をしないように忠告をしにいくべきか。
望月猫夜はなかなか手強い相手であり、それを操る凍夜は最大級の厄神と融合しているようなもの。
どうあがいても勝てないような気がする。
だから、やっぱりこのまま月神の元へは行かない方がいいのかもしれない。凍夜に接触してもらい、なんとかしてもらう方がいいのではないか。
「……どうしよう。ワダツミに会いに行く事に決めたけれど……私が動けば私の上にいる冷林(れいりん)が動くはず……」
アヤはどうすれば良いか決められずにいた。このままワダツミに会いに行けばアヤが動いている事に周りの神も気がつく。
全く関係のないナオやヒメですら凍夜の存在に気がついていた。
周りの神に気がつかれれば更夜達との約束を破った事になる。高天原四代勢力が凍夜を許しておくわけがない。
……でももうすでに高天原西の剣王は動いていてあのちー坊とかいう刀神が刺客として送られている。
「壱(げんせ)の世界を生きるちー坊とやらは狼夜さんが持つ事で弐の世界を渡れるようになる。狼夜さんはちー坊を持つ事で高天原に出現できる……。今刀神は凍夜が持っているから凍夜は高天原に出てこれる……」
アヤはさらに情報の整理を行う。
……凍夜が高天原に出て来てくれれば高天原の神々が凍夜を捉えるはず。
「いや……」
アヤは天井を睨んだ。
……そんな簡単じゃないわ。凍夜にはオオマガツミ神がいる……。
「しかも……弐の世界に逃げられる……。だからやっぱり……『K』に……」
「おい、さっきからぶつくさ何言ってんだ?」
ミノさんが布団に入ったままアヤを見上げた。
「ミノ……起こしちゃった?」
「そりゃあな……夜はまだ長いぜ……動くか?」
ミノさんの言葉にアヤは首を振った。
「いいえ。やっぱりワダツミに会いに行くわ……」
「無理すんなよ。おたくはお人好しだからな。どうせ、関係ないこと引き受けちまってんだろ?」
「……あなただって関係ないことに巻き込まれてるじゃないの」
アヤの返しにミノさんは笑った。
「そのとおりだな。なあ、そっち行っていいか?」
「……いやよ。何するつもり?」
「……別になんもしねーけど、そっちのがふかふかな感じだから……」
「あなた、正気なの?男の隣で寝れないわ……私」
「そうかい」
「……」
アヤは体中から冷汗が吹き出した。
「あなた……『誰』よ!!」
「……気がついちゃった?」
アヤの叫びを嘲笑するかのようにミノさんは『望月猫夜』に変わった。
「……またあなた……ミノは?」
アヤは冷静に猫夜を睨み付け尋ねる。
「口開けて寝てるわね。そこで」
猫夜はベッドの下を指差した。
ふとイビキとともにいつものミノさんが情けない顔をベッドの下から出してきた。
「……なんでベッドの下にいるのよ……。あなた、動かしたの?」
「いや、彼の寝相の問題じゃない?それより、私が雰囲気を出さなきゃ気づかなかったでしょ?あなたは所詮そんなものなのよ。私達に関わるのはやめてくれないかしら?」
「……」
アヤは黙り込んだ。手を引くのが正しい気もする。アヤには関係ないのだから。
「……いや……」
アヤはサヨを思い出す。彼女を弐に入れたのは自分だ。
「やっぱり退けないわ」
猫夜はアヤの言葉を聞いて残念そうに下を向いた。
「あっそ……。あんた、死ぬわよ」
「……」
「お父様があなたも標的にした。……ちなみに言っておくけど、逢夜お兄様の大事な女と更夜お兄様の大事な女は『こちら側』にいる。あなたもそうなる。恐車の術は神にもかかるわ。オオマガツミがいるから」
猫夜はアヤに動くなと忠告をしにきたのだ。いったい、どこからアヤの動きを見ていたのか。
アヤの頬を汗がつたう。
「メグに会いに行くの?メグは『K』でもあるわよ。メグも巻き込むつもりかしら?」
「巻き込むって……」
「あなたみたいに渦中に勝手に引きずられていくわよ。だから何にもしない方がいいわ」
「……」
アヤに迷いが生まれた。
巻き込まれるなどの言葉を発せられたらどうすればいいかわからなくなってくる。
「アヤ」
ふとベッド下の隙間から低い声が聞こえた。
「……」
「アヤ!」
アヤが呆けていると鋭い声が飛んできた。
「……っ!み、ミノ……」
「なにボーっとしてんだよ。言い返せよ。そいつだろ?望月猫夜とかいう女は」
ベッド下からミノさんが欠伸をしながら這い出てきた。
「言い返せって言ったって……正論……」
「正論じゃねーよ。そいつ、泣いてるぞ」
「……泣いてなんか……」
アヤは猫夜を見たが猫夜は余裕の笑みを向けていた。
ミノさんは猫夜をまっすぐ見据えて言った。
「おたく、俺を誰だと思ってんだよ。元人間の魂の状態くらい見えるし、読めるぞ。おたくは神にもなっていたようだがな」
「え……」
アヤはミノさんの真剣な表情を見つめながら戸惑った。猫夜は黙っている。
「俺は生粋の神だ。人間に寄り添う穀物の神。だから見える。理由はわからないがそいつは『少女』のままの心で泣いているんだ。……理由は……そうだな。さっきの話でなんとなくわかるか」
ミノさんの言葉に猫夜の眉が動いた。
「アヤの代わりに会話してやるよ。俺に勝てるならな」
「……」
猫夜はあきらかに動揺しはじめた。
「かわいそうな女だ。父親から暴行を受けているんだろう?顔はどうした?殴られたか?」
ミノさんの声音に猫夜は咄嗟に左の頬を隠した。
よく見ると髪に隠れ、わずかだかアザになっていた。
「……と、とにかく……これ以上関わるとオオマガツミが現世にも現れることになるわよ。凍夜様はいまや神。オオマガツミと完全に融合できたら現世にも現れるはず……手を引きなさい!いますぐに」
猫夜は捨て台詞のように吐くと弐の世界を開いて逃げていった。
「……逃げた……ミノ……ありがとう」
「……ああ」
アヤにミノさんは静かに返した。
彼らしからぬ雰囲気にアヤは恐る恐るミノさんに話しかける。
「ね、ねぇ……」
「……」
ミノさんはアヤに背を向けると窓から覗く月を見上げた。
「……泣いてる……の?」
アヤは気がついた。月の光に照らされたミノさんの頬に涙がひとすじ落ちていた。
「……いや、あれだ……悲しいな。あいつの心は深くて暗くて……道がない。久しぶりだな……。こんな魂。昔はよくあったんだ。親から食事を与えられなかった子供が泣きながら俺の神社に願いに来るんだ。純粋に……助けてくれと。俺がなんとかしようと動く頃には子供は死んでいる……」
「……」
ミノさんの話を聞きながらアヤは目を伏せた。
「あいつも同じだよ。助けを求めてる。親父に……時代に逆らえないんだ」
時代に逆らえない……。
人間はいつだって意味不明な縛りを強要したりする。
結果、明日死ぬかもしれない思いを抱えている野性動物よりも逃げ場がなく、命は簡単に消えてしまう。
それは子供や女性やお年寄り、病人といった物理的な力では敵わない者達から始まる。
時代の犠牲者の墓場はそういう者達で積み重なっており、その上に平和があるのだ。
「昔は年寄りもけっこう来た。家族に役立たずだと捨てられて泣きながらさ迷っている年寄りが。心は変わらないが若者と同じには動けない。だから捨てられる。そういう時代があった。日本には命が軽かった時代が確かにあったんだ」
「……ミノ……あなたは本当に人間の心に触れられる神なのね」
「……そうだな。わかりすぎて辛い。俺はただ、アマテラス様のように……輝照姫大神(こうしょうきおおみかみ)サキのように人の心を照らす神だ。だから負の感情は苦しいんだ」
ミノさんはため息をつくとアヤを見た。
「……あなた、優しいものね」
アヤはミノさんを見て微笑んだ。
「そっ、そんな顔でこっち見んなよ!!そ、そうだ!思い出した!サキだ!サキに一度話を通したらどうだ?おたくの友達だろ?……ったくすげぇ神と友達でいやがって……」
「なんでサキなのよ?彼女は関係ないわ」
アヤは訝しげにミノさんを仰いだ。
「保険だ。保険。あの神は四代勢力プラス月とまともに交渉のできる神だ。なんていっても太陽神のトップ!アマテラス様に太陽を任されている神だ。それにおたくに対してはけっこう本気で動いてくれるんじゃね?友達だし。そしたらさ、メグとかいうやつにも会いやすくなるんじゃね?」
「だから……巻き込んじゃうじゃないの……」
アヤがため息混じりに頭を抱えた。
「……こりゃあ、巻き込まなきゃ無理だぜ……。大丈夫そうなやつを巻き込まなきゃおたくがやりたいことはできない」
「……」
ミノさんの意見も正しいと思ったがアヤはなるべく巻き込みたくなかった。
「アヤ……サキを頼ろうぜ……。ワダツミだってどこにいるかおたくはわかるのか?日本の近海を潜って探すのか?」
「……無理だわね……。私ひとりじゃ無理だわ……。私は更夜さん達を裏切ることになる……そして無力……。私に力があれば……。私は結局、誰かに頼らなければ何もできないのね」
アヤは悔しくなって涙を拭った。
「……おたくはそっち方面の神じゃない。おたくは……見守る神だ。人間達が指定した時間というものを見守る神。分野外なんだよ。おたくはまだ神になって日が浅い。だからわからないかもしれない。……だから……俺が今忠告する。直接人間に関与できる神の仲間を増やせ。おたくが何かを変えることは不可能だ」
ミノさんの鋭い視線にアヤは目をそらした。
「アヤ……現実を見ろ。おたくは人間じゃない。神だ。神には役割がある。おたくは見守るっていう本来の仕事をしてりゃあいいんだ。どうしてもいざこざに手を出したいってんならそれに影響を及ぼせる神を連れて来い。おたくは……お前はそれでやっと同じ土俵に立てるんだ。忘れんな」
「そんな言い方……役立たずみたいじゃない」
アヤはショックを受けたのか顔を両手で覆った。
泣いているようだ。
「……今回の件は役立たずだな。分野外だ。わかれよ。それが神だ。割りきれ。解決できる神に情報を渡し、見守れ。おたくはそれがわかってねぇ」
「……私は見ているなんてできないわ。あの話を聞いたでしょう?あんな世界が日本にあるのかと疑ったわ。でもね、あった。あのサイコパスにすでに傷つけられた人を見た!」
アヤはミノさんの襟首を掴み、睨み付ける。目の端には涙が溜まっていた。
「……だから……」
ミノさんはアヤの手を払うとアヤを壁に押し付けた。
「うぐっ……」
アヤは低く呻く。すごい力で腕を捕まれピクリとも体を動かせない。
「俺が少し力を入れたらこうだ……。動けやしないだろ?あの凍夜とかいうやつはここから平然と『お前』を殴るぞ。あの猫夜のように心を見失うまで……。『お前』は何もできない。何も変わらない。気がつけ」
「……怖い……」
アヤはミノさんの忠告に震える声でつぶやいた。
「怖いよ……ミノ……」
「……あ……」
ミノさんは慌てて力を緩めた。アヤが本気で怯えていたからだ。
「そんなことわかってるわよ……。知ってるわよ……」
「あ、アヤ……俺はただわかってほしくて……これはデータがそうだから仕方ないんだ……ぜ……」
ミノさんは口下手で難しいことが嫌いである。知ってほしいことが直球すぎた。
……やべぇ!やべぇ!やり過ぎた……。アヤ……ごめーん……。
慌てているミノさんにアヤは言い放つ。
「でも!そんなあなた見たくなかったわよ!!」
ミノさんはアヤから一発もらう覚悟で目を閉じたがアヤは手すらも上げなかった。
「……あ、アヤ……?」
「サヨも向こうで戦ってる。あの凍夜に喧嘩を売ってる……私と同じくらいの年の子があのサイコパスに喧嘩を売ってる。だから……私も戦う」
アヤはミノさんをまっすぐ見つめた。
「だから!わかってねーじゃねーかよ!!俺が言ったことわかるか??」
「わかったわよ」
「へ?」
ミノさんの間抜け顔を見据えながらアヤは言う。
「私の神脈を使うわ。私はこれでもね、いままで色んな神の手助けをしてきたの。だから負けないわよ」
「……ははは」
アヤの言葉にミノさんは苦笑いを浮かべた。
……乱暴にしなくてもアヤはわかったか……。俺より全然頭いいもんな……。あんな酷いことしなきゃ良かったぜ……。
アヤがミノさんの一押しで変わったのか、はじめから意見を変えていたのかはわからない。
だが、アヤは猫夜から言われて動揺するような心を捨てた。
四話
アヤはしばらくミノさんを見つめていたがさっさとベッドに入った。潔く寝る事にしたのだ。
なんだかすんなり眠れた。肝がすわったのかもしれない。
「……おい……アヤ……」
ミノさんはアヤの心変わりの早さに戸惑いつつ、寝ているアヤを見下ろした。
「アヤ……ほんとに寝ちまってる……。さっきまで揺れていた心もまっすぐ安定しやがった……。大丈夫だったのか?……アヤは危なっかしいから役に立たない俺がいなきゃダメだよな?……無防備なアヤが目の前に……。あ……いやいや……俺も寝よ……」
ミノさんはいそいそと床に敷かれた布団に入って眠った。
もちろん、変な気持ちなんて沸くわけがない。
……沸くわけが……。
ミノさんは妄想をしつつ夢へと旅立った。
※※
「はっ!」
ミノさんは突然に目覚めた。
……あれ?
目覚めるとアヤの部屋にはいなかった。ミノさんの神社に似ている建物が後ろに建っている。
「ん?……なんだ?どういうことだ……?」
ミノさんが記憶の整理をしようとした時、アヤの声が聞こえた。
「アヤ!」
ミノさんは声の聞こえた方を向いた。
「アヤぁ!?」
ミノさんはアヤを視界に入れた刹那、すっとんきょうな声を上げた。
アヤがほぼ裸で頭に猫耳がついている格好で立っていたからだ。
「うひゃあ!?」
「ミノ……恥ずかしいわ……。裸なんて……あなたの言うことを何でも聞くから許して……」
半分涙目のアヤが顔を真っ赤にしながらもじもじしている。
「ちょ、ちょっと待て……おかしい……こりゃ、さっき俺が『妄想』した……」
そこでミノさんは気がついた。
……ああ、夢か……良かった。
しかし、夢に気がついたところで現実世界には帰れない。
「あれ……普通、夢って気がついたら目が覚めるよな?」
ミノさんはアヤをちらちら見ながら考える。
「ねぇ、ミノ……」
ミノさんが考えているところでアヤが声を被せた。
「な、なんだよ……」
「恥ずかしい……もう許して……男性に裸を見せたことなんてないのよ……」
「ひぃ……かわいすぎる……。なんだよ、このアヤ……かわいすぎんだけど!もう一回言ってほしい……。男性に裸を……なんて俺を男性だなんてイイ!そこがイイ!……じゃなくて……こんな妄想、俺してない!してなーい!」
ミノさんは顔を真っ赤にしつつ首を振った。
あきらかなるミノさんの妄想であった。
「だ、ダメだ!ダメダメ!」
ミノさんが目線を逸らすと神社の鳥居付近で服を着ているアヤが映った。
「あ!アヤ!!」
なんとなくミノさんの中で服を着ている方が本物だと気がついた。
猫のアヤから逃げるように離れ、服を着ている方のアヤに近づいていくと自分もいた。
「あ、あれ?ちょっと待て……俺だ」
ミノさんは慌てて近くの木の影に隠れた。
ニセミノはアヤの肩を引き寄せて厚い胸板に触れさせていた。
……何してんだよ……俺は……
ミノさんは呆れた顔でニセミノを見据える。
「ね、ねぇ……腕も……腕も触っていいかしら?」
「腕か?いいぞ……。この腕でアヤを抱き上げる事も……」
ニセミノはアヤを両腕でお姫様抱っこし、続けた。
「アヤを守る事もできる……」
最後の台詞にアヤは顔を真っ赤にしてニセミノに体を預けた。
……ちょっと待てよ……。俺はあんなこっぱずかしい言葉は吐かない……。つまり、あいつはアヤの妄想の俺?
見ていたらなんだか笑えてきた。
ミノさんは声を上げて笑った後、アヤに声をかけた。
「おたく、俺でそんな妄想をしてたのかよ!」
「……なっ!ミノ!?え?妄想?」
ミノさんが二人現れ、アヤはわかりやすく動揺していた。このアヤは本物のようだ。
「じゃあ、ここは弐の世界?……おかしいわね……。ここまでわかって夢から覚めない……。ミノ……後ろの私はなんなのよ……」
アヤは顔を赤く染めながら裸に猫耳の自分を指差した。
「げ……。あ、あー……猫のようにかわいいアヤを想像して……」
アヤはわかりやすく戸惑うミノさんにため息をついた。
「違うわね……。裸の私に猫耳つけたんでしょう?」
「ま、まあ……お互い様でいいじゃねぇか!……な!」
ミノさんは慌ててごまかした。
「しかし……眠る時にはこっち(弐)にある自分の世界に魂が行くはずなのに、なんで私はミノの世界にいるのかしら?」
恥ずかしさをごまかすようにアヤは小さく疑問を口にした。
「……し、知らねーけど、リンクしたんじゃね?俺達、お互いを妄想したわけだろ?」
「まあ、それが一番わかりやすい回答ね。……ミノ、その私を消してくれるかしら?」
「お、おたくだってその……キモい俺を消してくれよ」
お互いは激しく取り乱しながらも妄想を頭から消した。 妄想の自分達は煙のように消えていった。
「……さて……夢から覚めないってのはなかなか変だよな」
「……そ、そうね……。というか、ここは私の心の世界にも似てるのよ」
「俺の神社だけどな?」
まだ顔のほてりを沈められない二人は目線をそらしながらつぶやく。
「……で……」
二人は再び同時に声を上げる。
「これからどうする?」
ミノさんとアヤの目が合った。
「……おたくを抱き上げてみるか?」
ミノさんはいたずらっぽい笑みを浮かべながらアヤに尋ねる。
「……い……いいわよ……そんなことしなくても……やめてちょうだい……」
アヤは真っ赤な顔で再び下を向いた。
「うはぁ……そうしてんとかわいー……」
ミノさんは心の声がだだ漏れだった。
「私は……裸になんて……ならないわよ……」
「いや……ならなくていい!おたくは清楚のままでいてくれ!じゃないと俺の妄想が現実に……」
「……やっぱり……男は女を最初にそういう風に妄想するのね」
アヤは背を向けて歩き出した。
「ち、ちげーよ!!おたくが無防備で寝てたんだよ!だからだ!普段からそんな妄想するわけねーだろ!?俺だってな、女は心で選ぶよ!」
ミノさんも慌ててアヤについていく。
「……だといいのだけれど」
アヤは背中から冷たい空気を流していた。
「なんだよ?引きずってんのか?さっきの……。悪かったよ。俺がやりすぎたよ。女を力で押さえつけんなんて最低だよな。わかってるよ……」
「ミノ……うるさいわ」
「うるさいってなんだよ……。あやまってんのに……」
「ごめんなさい。それはもういいからあれを見てくれるかしら?」
アヤはいつもの冷静を取り戻し、鳥居下の石段を指差した。
「あ?」
ミノさんも石段から下を見下ろした。
「っんじゃ!?ありゃ??」
石段下より黒い砂漠が広がっていた。なんだか気持ち悪い雰囲気を纏っている。その砂漠はどんどん広がり、この神社に迫ってくる。
「こっちに来るわ……」
「……くっ……」
ミノさんは黒い砂漠の存在に気がついた刹那、苦しみ始めた。
「ミノ……!?」
「……っ。これはやべぇ!!体が焼けるっ!!これは……厄だ!!」
「厄!?ミノには反対の力……。まずいわね……。夢から覚めないし……」
「ぐ……うぐ……」
アヤが話している間にミノさんの体から黒い煙が上がり始めた。
「ミノっ!どうしたら……」
「いでぇ……もえちまう……」
ミノさんが呻いた刹那、魔女帽子を被った人形が唐突に現れ、無言で手を差しのべてきた。
アヤはなんの考えもなしに魔女帽子の少女人形の手を握った。
五話
「いらっしゃい……」
ふと、静かな女の声が響いた。
「う……」
ミノさんとアヤは女の声で目を覚まし、辺りを見まわした。
「ん……?」
気がつくと深い青色の空間にいた。目の前を魚が通りすぎる。
「ってここ、海の中じゃないの!?」
アヤが我に返り叫んだ。
「厳密に言うと違う……。ここは霊的空間内の海……。外からは認知されない」
またも女の声が響いた。
「……誰よ?」
「……私を探していたんでしょ……?」
アヤ達の目の前に不思議な格好の少女が現れた。髪を上の方で二つお団子にしている少女だ。髪が長いのか後は全部下に流している。
やたらと布の少ない創作の着物を着ていた。神だとするならこれが彼女の正装だろう。お腹と太ももから下、そして脇は肌が見えている。前で合わせる着物のようだがどういう構造なのかはまるでわからない。
「……」
アヤは目を細めた。
そしてすぐに気がついた。
「もしかして……ワダツミの……メグ」
「ええ……。私の人形『セカイ』が厄まみれな世界からあなた達を救ったの……」
メグは真剣な顔でアヤを見ていた。
「……会いたかった神にたまたま会えたな……」
ミノさんはもう苦しんではおらず、アヤにそっと耳打ちした。
「ミノは大丈夫なの?」
「ああ、今はなんともない」
「……それより、時神現代神アヤ」
二人の話を切るようにメグがアヤを呼んだ。
「何かしら?」
「残念だけれど……あなたの世界は厄に覆われた。凍夜を知ってしまったからオオマガツミもあなたの世界に入り込めた……」
「あの世界は私の世界だったのね。やっぱり……」
アヤが納得している横でミノさんは慌てていた。
「おい!そんな呑気なもんじゃねーぞ!あの厄は異常だ!あのデータを持っていない神がほとんどだ。ほとんどの神が凍夜を知ったら皆あれに侵食されるぞ!」
「……その通り……トケイも鎮圧システムに変わり、時神達は壊滅、特に弐の世界を辛うじて現代にとどめている鈴のデータの損傷が激しい……。有能な『K』にはほとんど連絡が取れずシステムエラーのまま……。今や弐はオオマガツミに侵略を許している状態……。望月凍夜を消さない限り状況は拡大していく……。ツクヨミ様も現在はこちらにおられないし、霊的月に住む月神は弐を表面から守る神々、中からの破壊には対応できない……」
メグは冷静の裏に動揺を隠していた。この神は海神だが『K』だ。
観測するデータのため何にもできない。
「……思ったよりも……酷いわね……」
「他の神に凍夜を見せちゃならねぇ……。そいつの夢から侵略されちまう」
ミノさんにアヤは頷いた。
「凍夜はタケミカヅチ神の部下の刀神を持っている。高天原に出られる……」
アヤとミノさんも状況の深刻さがよくわかった。
……世界が侵略される……
「それに対して高天原の東西南北はなんて言っているの?」
「……凍夜に会わないよう籠城している……。厄神の最高神である天御柱神(あめのみはしらのかみ)がいる東のワイズこと思兼神(おもいかねのかみ)だけは動いているようだけどワイズは『K』でもある。知識の神故に『K』のデータも取り込み幼女になっているのは周知だと思うが……」
メグの発言にアヤとミノさんは首を傾げた。
「そ、そうだったの?知らないわよ……」
「まあ、ワイズは動けない……。Kは簡単にシステムエラーになるから……」
「そ、そう……。天御柱神は壱(現世)の神でしょ?弐には入れないんじゃ……」
アヤが半分怯えながら尋ねる。
「その通り。だから高天原に凍夜が侵略をしてきた時に自身の夢で処理をしようとしている……。高天原の権力者達はオオマガツミに苦戦しているようだ。弐の世界にいるはずのオオマガツミが壱に出てきた時にどう対応するのか協議中とのこと……。オオマガツミは実体のないデータの塊故に壱には出てこれなかったが今は凍夜に入り込んでいる。あの刀神を使い、出てくるだろう……。刀神はもうオオマガツミに障られているかもしれない……。まずはその刀神から西の剣王軍トップ、西の剣王タケミカヅチを落としに来ると見られている。神の世界を落とせば人間は障る。人間が障れば世界が滅ぶ。オオマガツミはそういうデータ……」
メグの発言にアヤは震えてきた。
それは最初に頼ってしまった友達の神を思ってのことだ。
「ナオとヒメは西の剣王軍じゃないの……。私は彼女達に歴史の検索をさせてしまった……」
「……まだ大丈夫……。今、凍夜は望月を従わせることと、アヤを鈴のようにすることを目的に動いている」
「さっきから鈴のようにとか損傷が激しいとか……どういう……」
アヤは震えながらまた尋ねた。
「まんまの話……鈴は凍夜に従っている」
「なんで!?」
アヤは声を荒げた。隣でミノさんの肩が跳ねる。
「聞かない方がいい……。私もセカイを通じて見ただけ……。『Kの使い』である逢夜、弐の時神過去神である更夜も犯され、泣きながら凍夜に従った。その逢夜はアヤを従わせろとの命を受けた。彼はなかなか動かなかったので忠誠心と術の強化のためにすでに暴行を受けていた厄除け神ルルを……逢夜の奥さんを凍夜は暴行するように命じ、ルルに手を上げられなかった逢夜は自害、その時に術のかかりが異様になっていた更夜を殺害したよう……」
「ひっ……」
アヤはあきらかに動揺し、怯えた。
「なんだよ……。ほんとに人なのか……そいつは……。だいたい、お前もそんなに詳しく知ってるならなんとかしろよ!!……あ……」
ミノさんは感情的に叫んだが詰まった。
……自分がアヤに言っていたじゃないか……。
「……私は……弐を中から見守る神……ツクヨミ様に変わり……見守っている……。私が障ったら弐はどうなる?」
「……悪かったよ……。今のでわかった……」
メグの言葉でミノさんは頭を下げてあやまった。
「……どうしたらいいの?メグは知っているんでしょ……」
アヤは今にも泣きそうな声音で小さくつぶやいた。
「……更夜達の術を解いて、凍夜の仲間を解放し、俊也と明夜を救出し、凍夜を追い詰めて天御柱神や霊的月の月神、そして正の力の現トップである太陽神サキがデータの分解を行う……」
メグは目を伏せた。
「……やっぱり苦難を乗り越えるのね……。メグ……あなたも一緒に来るかしら?見ているだけよりもダメでも動く方がいいでしょう?」
アヤは息をしっかり吐くと震えを止め、無理に作った酷い笑顔で手を差し伸べた。
「……」
メグはしばらく表情なくアヤの手を見つめていたがやがて静かに手を取った。
「……メグも行くみたいよ。ミノ、他の神には頼るけれど何もしないわけにはいかないわ。あなたが殴ろうが叩こうが押さえつけようがそれは変わらない。でも、あなたの忠告は心にあるわ」
「おいおい……後半余計だぞ……。殴ってねーし、叩いてねーし、もう押さえつけねーし……。根に持ちすぎだろ……」
ミノさんはそっぽを向いた。
……もう、勝手にしろ。
……だが、こえーけど、なんかあったら俺が守る……。無様でも守ってやりたい。アヤはいいやつだ。
太陽神サキとは違う、月のような光をまっすぐ道なりに照らしてくれる神なんだ。太陽から光をもらってる神……だから脆くて心配なんだ。
少なくとも俺はそう思ってるよ。
……アヤ。
六話
「で……」
ここはまだ海の中である。
アヤとメグ、ミノさんは作戦を立てていた。
「まず、聞きたいのだけれど、厄に染まった私の世界はどうなるのかしら?」
アヤは落ち着きを取り戻しながら尋ねた。
「……セカイはアヤが厄の世界に入らぬようアヤの魂の起動を修正している……。新しい世界を思い浮かべればそちらに行けると思う……。ただ、今の世界はもうダメになる。あなた達が厄に飲まれる前にセカイが気づいて良かった……」
「じゃあ、私達は今、目覚めてるのかしら?」
「残念ながら魂だけの存在のまま
……。ここは深い海峡の真ん中。人間が想像するほどに深い海の中。弐の世界なの……ここは。人間はここまで来れない。来るまでに魂だけになるから……。弐の世界だからあなた達は魂のままでいられる」
「……そういうこと……」
アヤはなんとか納得した。つまり、ここは夢の世界にも入り込んでいるということか。
「でも凍夜は来れない。ここは現実でもあるから。人間の想像になっている高天原、想像の塊である弐には刀神を連れて出てこれるけれど、ここは現実世界の弐」
「わかりにくい……。ま、まあいいわ。で、これからどうするのよ?」
アヤが頭を抱えながら唸った。
「これから私達ができることは……中で戦う彼らに今の状況を説明すること……。そして各々が凍夜の呪縛を断ちきるのを手伝うこと……」
「……断ちきるのを手伝えるの?」
アヤの質問にメグは静かに頷いた。
「弐の世界だからできると思う……。アヤがミノさんの力と過去神更夜の力を現在という括りにして一度各々を弐の中での回想に飛ばす。術がかかる前の彼らが凍夜に縛られる前に各々の世界の凍夜を倒す。当時で仲間がいると気づければ感情は簡単に前向きになる……」
「ミノの力は何を意味するの?」
「ミノさんのは……人間の縁を結ぶ……。ミノさんは太陽の波形の人間の力を引き出せる神……。現在、彼らは神であったり、『K』であったりするが……元は人間だから……」
メグはふうと息をついた。
「……なるほど……大方なんだかわからない力とデータで……弐内部で過去のシミュレーションをすると……」
「まあ、そういう認識でかまわない……」
「わけわかんねぇ!俺にはついてけねー!そっちでやってくれんだよな?」
ミノさんはずっと前からわけわからずほとんど話を聞いていなかった。
「では……向かう?ちょっと待って……」
メグは手を横に広げた。
「え……!」
電子数字がメグのまわりを回る。
白い光に包まれて元に戻った時にはメグはかなり崩した格好になっていた。お団子部分はツインテールになり、リボンにスカートといったコスプレイヤーのような格好になった。
「さあ、いこう……」
「ちょっと待って……なんで着替えたの?」
「あれは……部屋着だから……」
メグは自然に笑みを浮かべる。
「部屋着?……ちょっと突っ込めないわ……」
「……腹冷やしそうな服だったもんなー」
「ミノもお腹冷えそうよ。まあ、今は夏だからいいのだけれど」
胸辺りまでしかないちゃんちゃんこを着ているミノさんのズレた発言にアヤはため息をついた。
「とりあえず……行こう?」
メグは手を差しのべてきた。
「……あなたもずいぶんと変わっている神のようね……」
「神でまともなやつは探す方が大変だぜ……」
ぶつぶつ言いながらアヤとミノさんは差し伸べられたメグの手を掴んだ。すると魔女帽子の少女人形が現れ、夢幻霊魂の世界の弐の扉が円形で出現した。中は宇宙空間にネガフィルムが沢山絡まる見慣れた弐の世界だった。
「いこう……」
「あの魔女帽子の人形が……セカイかしら?」
「そうだよ……」
メグは短く言うとアヤとミノさんを連れて宇宙空間に落ちていった。
※※
一方、凍夜に捕まっているルルは灯りのついた地下室で不気味に笑う凍夜を見ていた。
「あいつら、死んで離脱しやがった!あははは!こりゃ傑作だな。時神アヤも逃げやがった。さあ、次は……」
凍夜は鋭い視線をルルの隣にいる鈴に向けた。
「……」
鈴はどこも見ていなかった。
「そろそろ……働いてもらおうか……。失敗したらどうなるかわかるな?」
「……ご主人様のため、絶対に失敗はいたしません……。なんでもやります」
鈴はロボットのように抑揚なくそう言った。
「くく……バカみたいに術にかかってやがる。しっかり働け」
凍夜は鈴の頬を思い切り叩いた。
パァンと乾いた音が反響し、ルルは怯えて目をつむった。
「……ご主人様のためなら……なんでもやります……。だから……痛いこと……もうしないで……」
「ははは!痛いこと?なんかしたか?まあいい。さあ、行くぞ。私は忙しいからな。なんだ?さっさと歩かんか」
鈴を鎖ごと引きずり出した凍夜は鈴が倒れようが何しようがかまわずに引っ張り階段を登って行った。
「……ひどい……。女の子なのに……。……このままじゃダメ。逢夜も更夜も精神的にやられてしまっていたわ。逃げなきゃ……。私は人質なんだ」
ルルは覚悟を決めた。
もし……逃げられたとして……あの人に見つかったら……。
とてつもない恐怖が襲ってくる。
「でも……逃げなきゃ始まらない」
ルルはひとり頷くと鎖が切れそうな物を探した。
「……」
辺りを見回すと鈴と呼ばれた女の子がいた所にクナイが落ちていた。
……クナイだ……。
……あの女の子が落としたのかな……。
ルルは唯一自由な足でクナイを自分に引き寄せる。両足を使って靴と靴下を脱ぎ素足になると足の指を使ってクナイを挟んだ。
しかし、腕が頭より上にあるためクナイを握れない。
「……あと……ちょっとなのに……」
よくよく考えればクナイで鎖が切れるのだろうか?
凍夜が縄にしなかったのは簡単には脱走できないようにするためだ。
……なんか……他に……逃げる手段は……。
考えているところに階段を降りてくる足音が聞こえた。
……誰か来る……。
……凍夜だったらまずい……。
ルルはクナイを足の裏に隠した。
「……誰かいますかぁ……」
ふと抜けた少女の声が聞こえた。声は小さくか細い。
警戒したルルは声の聞こえた柱付近を睨み付けた。
柱から顔を出したのは銀髪の子供だった。
「……子供……?」
「……あ……ルル!」
彼女はルルを知っていた。
「あ……憐夜!?」
ルルも銀髪の少女を知っていた。
銀髪の少女憐夜は更夜達の一番下の妹である。
ルルは夫である逢夜の兄弟達とは顔見知りだった。鈴は知らなかったが。
憐夜が現在、拐われて行方不明であることをルルは知らない。
「な、なんで憐夜がここに?」
「しーっ」
憐夜は人差し指を立てた。
「それはいいから逃げよ!私もよくわからないの。猫夜って人に連れてこられたんだけど……。変化の術が使えるみたいで私は鈴ちゃんと間違えてついてっちゃった」
「……私も突然連れてこられた……。鎖で繋がれちゃったんだけど……きれる?」
ルルは手首に巻かれた鎖に目を向けた。
「……切るんじゃなくて外してみる」
憐夜は手を伸ばして鎖を外しにかかった。
「ここで絡まってて……ここでこんがらがってて……」
憐夜は一つずつ丁寧に鎖を外していく。どうやら凍夜は他人が鎖を外すことを想定に入れていなかったらしい。
「……は、外れた!」
金属音が響き、鎖は地面に転がった。
「ありがとう!憐夜!」
「……うん。ここからが本番だわ……」
憐夜は冷や汗をかきながらルルを見据えた。ルルも顔を引き締めて小さく頷いた。
七話
ルルは鈴が落としたらしいクナイを護身用に持つと憐夜と共に地下室の階段を上った。
階段を上り終えると木の引き戸が見えた。
憐夜はゆっくり引き戸を開けた。
先は書斎のような所だった。本棚の一つが引き戸だったようだ。
隠し扉とかいうやつだ。
床はフローリングだったがルルが足を踏み出すとキィと高い音が響いた。
「ルル、これは音の鳴る床なの。忍び足で……こう」
憐夜はルルに教えながら全く音なく床を歩く。
「そんなのできないよ……」
ルルは困惑しながら憐夜の真似をして歩いた。やはり、音は鳴ってしまったが最小限の音で済んだ。
床を渡りきり、再び目の前に現れた引き戸を開ける。
「……廊下……」
外は不気味なくらい静かだった。
「……静かに歩こう……猫夜さんが屋敷の出方を教えてくれたのよ」
「……猫夜さん?」
ルルは首を傾げた。
「ルルをここに連れてきた人」
「ああ……。あの人も悲しい顔をしてた……。あの男に逆らえないのかもしれない」
ルルはあの銀髪の少女も救おうと思った。
しばらく抜き足差し足で廊下を歩いていたのだがこちらに来るのがわかっていたかのように目の前で冷たい表情の男女がルル達を見据え、立っていた。
「……まずい……バレていた」
憐夜はルルを庇い、小刀を取り出して構えた。
ルルも先程拾ったクナイをかざす。
冷たい表情の男二人と女一人は黙ったまま襲いかかってきた。
話さないため会話ができない。
まるで人形だ。
銀色の髪から親族であることだけはわかった。
「誰かわからないけど……敵なのはわかったわ!」
憐夜は威勢よく言い放った。
「ぐっ……」
「……え……」
憐夜が気がついた時にはルルが押さえつけられていた。
「うそ……速すぎっ……」
抵抗すらできずに憐夜も床に叩きつけられた。
「あっ……あなた達もお父様に従っているのね!お父様に縛られちゃダメよ!」
憐夜は確認のために叫んだが彼らは何もしゃべらない。
ただ憐夜を押さえつける力が異様な強さになった。
「いっ……痛い!痛い!!」
冷たい瞳の男は憐夜の腕を折りにきている。
「れっ……憐夜!!」
ルルは情けないことに叫ぶことしかできなかった。
「いやぁ!痛い!痛いー!!」
「何をしている……竜夜(りゅうや)」
憐夜が泣き叫び出した時、青年の声が鋭く聞こえた。
「……」
髪がトゲのように鋭い銀髪の男、竜夜は無言で憐夜を離した。
「……大丈夫?酷い奴だな。女の子だぞ」
柔らかそうな雰囲気の青年は憐夜の頭を撫でるとルルについている総髪の男もどかした。
「雷夜(らいや)も邪魔邪魔。別に危険人物じゃないだろ?女の子二人じゃないか。よってたかって何してんだよ。かわいそうに。華夜(はなや)も止めなよ……。たく、なんでこんなに人形みたいなんだよ。あんたら……」
ひとり佇む表情のないの銀髪の少女は青年に無言で頭を下げた。
この少女は華夜というらしい。
「……えーと……」
ルルが謎の青年に名前を聞こうとした刹那、青年は顔を近づけてきた。
「ちょっ……」
「……怪我してる。お父様に連れ込まれた女か?」
「お父様って……凍夜……さま……?」
青年の言葉にルルは尋ね返したがおかしなことに凍夜に「様」をつけなければいけないような気がしていた。
「……そう。お父様。逆らっちゃいけないよ。それから……」
青年はルルの耳元で小さくささやいた。
「……竜夜と雷夜、華夜にはお父様の悪口は死んでも言うな……。殺されるぞ」
「……」
青年の言葉にルルは静かに頷いた。
「……この子は俺が元に戻してくる。君もおいで。親族でしょ?君は」
青年はルルを立たせてから憐夜に目を向けた。
「なっ、何よ!せっかく連れ出したのに戻さないでよ!あなたもお父様に従ってるのね!イイ人かもって思ったのに!」
憐夜が叫ぶのと雷夜の平手が同時だった。
青年は憐夜を庇い、雷夜の素手を受け止めた。
「そんなに力を入れて叩いたらかわいそうだろ。大丈夫さ。後で俺が罰を与えるから」
青年がそう言うと三人組は頭を下げた。
「……?」
「さあ、行こうか。ちゃんと戻るべき場所に戻るんだよ」
「……そんな……」
憐夜が悲しそうにつぶやくと下を向いた。憐夜は素直に言葉の意味を捉えているようだがルルは違うと思った。
「憐夜……」
「……また……前みたいに……痛いのかな……」
憐夜のつぶやきに青年はちらりとこちらを向いたが特に何も言わずに二人を連れて地下室へ向かった。先程と同じ階段を下りる。
「さあ……着いたね」
地下室に下りてから青年は憐夜とルルを見据えた。
「……っ」
憐夜はびくっと肩を震わせ、すぐさま膝をついた。
「ごめんなさい……やりすぎました……。なんでもやります……ですからお許しを……」
「……ねぇ、君、俺はあの狂ってる奴とは違うよ。だから怖がらないで」
青年は震える憐夜に近づかずに声をかけた。
「え……」
憐夜は怯える瞳で青年を見上げた。
「だってあいつら耳いいからさ、小さい声でもほんとのこと言えないでしょ?」
「どういう……」
「だから、俺もあの狂ってる奴から逃げたいんだよ」
「狂ってる奴って……」
「凍夜だよ」
青年はさげずむ顔で冷たく言い放った。先程はお父様と言っていたのに。
「……そんな……えーと……」
「まあ、情報の整理から言うと……俺は君達の味方ってことさ」
青年の発言に憐夜とルルはお互いを見やった。青年はさらに続ける。
「ちなみに俺は自由に動ける立場にある。お母様は千夜という。知ってる?」
「千夜お姉様!?」
「千夜!?」
憐夜とルルは同時に目を見開いた。ルルは千夜を知っている。自分の夫に似て鋭い目をしているが根は優しい夫の姉だ。
「……じゃあ……もしかして……」
「……ああ。俺は望月家の頭主で明夜(めいや)という」
「明夜様……」
「……様はよしてよ。ああ、そうそう、他の望月に出会ったら『様』付けしてね。それから俺と凍夜には絶対に逆らわないことと裏切りを助長するようなことを言わないこと。これを守らないと他に容赦なく殺されるよ。わかったね?」
望月明夜に念を押され、ルルと憐夜は静かに頷いた。
「……じゃあ、もうそろそろ動くよ。凍夜はしばらく帰ってこないから」
「う、動くって?」
ルルが怯えつつ聞くと明夜は口角をわずかに上げて笑った。
「実はね、この鞭がある壁の裏側に……」
明夜は階段から右側の鞭がかかっている壁に手を置いた。そして軽く押す。
すると木の軋む音がして壁の一部が回転した。
「……っ!回転扉……」
「そ。ここは凍夜と俺しか知らないんだ」
明夜は得意気にこちらを見ると二人を促して先へ進んだ。
※※
「ふーむ……」
和室の一部屋でサヨの兄、俊也は唸っていた。
「明夜、どこいったんだろ?」
そもそも事態を何にも理解していない俊也である。いまだに俊也は凍夜を救ってあげようとここにいる。
……ここにいろとは言われたけど暇すぎるし……少し動いても怒られないかな?
呑気な俊也は冒険心で和室の障子扉をわずかに開いた。
素早く体を滑り込ませて廊下に出る。廊下は恐ろしいくらいに静かだった。
廊下に出たことでなんとなく日本のお城のようだと建物の外見が掴めてきた。
そのまま文字通りの忍び足で目の前に現れた階段を降りる。
俊也には言いようのない恐怖がまとわりついてきた。
人の気配がなさすぎる。
自分一人しかいないのではないかと錯覚するくらいしんとしている。
……なんかこっわ……
階段を降りきって近くの柱に隠れた。
動いてはいけないと言われていたので気まずかったのだ。
しばらく様子をうかがっていると大きな音と共に小さな会話が聞こえてきた。
俊也は柱から少しだけ顔を出す。
少し先に自分をここに連れてきた凍夜という男と見覚えのない真っ黒な少女が何やら話をしていた。
少女はまだ子供のようだ。
瞳は暗く、凍夜に怯えているように見えた。
「……!」
俊也は少女を見て震えた。
少女は怪我をしており、顔も赤く腫れていた。
「お前は更夜を連れてこい。逃げたら連れ戻してこれで百叩きのお仕置きだからな」
凍夜は恐ろしく陽気に黒い少女を持っていた鞭で叩く。
水を叩いたかのような高い破裂音に俊也は思わず目を逸らした。
「ひぐっ!」
少女は悲鳴を上げてうずくまっていた。背中から血が辺りに散らばった。
……ひ、酷い……。
俊也はなにもわからなかったが目の前の光景に怒りを見せていた。
……よくわからないけど……
……男が小さな女の子に暴力を!
「……わかりましたから!逆らいませんから!!」
少女は泣きながら凍夜にすがっていた。
「……では、行け」
「……はい」
少女は暗く沈んだ瞳に涙を浮かべながらマリオネットのように去っていった。
「さて……」
少女を見送ってから凍夜はふてきに笑う。
「私もやることをやるか……」
凍夜は一瞬だけこちらを見た。
俊也と目が合った。
刹那、俊也から粟粒の汗がいっきに吹き出した。
そこにいるのがまるで人間ではない何かのように感じた。
底のない瞳に射ぬかれて俊也は震えが止まらなかった。
……怖い……。
単純にそう思った俊也は震える足で転びそうになりながら情けなく階段を上っていった。
幸い凍夜は追いかけて来なかった。心臓が跳ね上がっている。
なんだか身の毛のよだつものを見た気分だった。
……ここにいちゃダメだ!!
……に、逃げないと……
俊也は初めて危機を感じだ。
呑気に明夜と将棋なんてやってる場合ではなかった。
……そういえば、明夜はどこにいったんだ……?
……僕に部屋から出るなと言っておいて……。
俊也は頭を捻ったが考えもつかなかったのでとりあえず、部屋に戻った。
彼は肉体を持つ魂である。
そう簡単にはこの世界から連れ出せない。
凍夜はあえて放置していた。
どうせ自分からは逃げられないから。
八話
ミノさんとアヤとメグ、そして人形のセカイは宇宙空間にネガフィルムが絡まる弐の世界をただただ進む。
「……けっこう弐がまずい事になってる……」
メグは眉を寄せつつ、辺りを確認しながら呟いた。
「……まずいのか?俺にはわからねーよ」
「……私にもわからないわ」
ミノさんとアヤは同時に首を傾げた。弐についてのデータはないため二人は全くわからない。ただ、セカイとメグに連れられて宇宙空間を飛んでいるだけだ。
「……凍夜の世界が増えてる……。結合もしてる……。まだ人間は悪夢で済んでいるみたいだけど、そのうち狂いだす……」
「人間に手を出したら高天原が黙っていないんじゃないの?」
アヤは軽く震えながらメグに尋ねた。
「……高天原もなんとか凍夜を止めようとした……。でも、オオマガツミがいるから神のデータがやられる可能性があり、まだ動いていない……。Kの大半もフリーズしていて弐が機能していない……。私が切り札だから……私は凍夜に知られちゃいけないの……」
「……あなたもギリギリなのね。凍夜に鉢合わせする可能性も……」
アヤは話している最中に冷たいものが這ってきた。
「そう。鉢合わせすることもある……。セカイ……前方に現れる『人形』に注意……」
メグは一言発してからミノさんとアヤを連れ大きく旋回した。
セカイのみそこに残り、前方に突然現れた三体の人形を見据える。
「……シャインとムーンとリンネィ……ずいぶん急いでどこにいく?望月猫夜はどこにいる……」
セカイは現れた三人の人形に淡々と尋ねた。
「セカイ!」
三人組の人形は望月猫夜の単語が出るとそれぞれ構えた。
遠くにいるメグ達には気がついていない。人形は元々視野が狭いのだ。
「望月猫夜は……?あなた達の主のはずだが」
「今、ちょっと忙しいからバイバイ!」
シャインが代表して言うと三人は再び特殊能力である瞬間移動で気配もなにもかも消した。
「逃げた……」
セカイがつぶやいているとメグが戻ってきた。
「……望月猫夜の人形……タチが悪い能力……。猫夜が何か仕事をさせているのは間違いない……。そしてそれは凍夜に繋がる……」
メグは頭を悩ませていた。
「……確か……」
アヤはふと思い出したことを言ってみることにした。
「あの人形達の瞬間移動を見たことがあるのだけど、……あ、憐夜がいなくなった時ね。あの時はかなり移動の幅が広かった。少し離れていたトケイも簡単に飲み込む勢いだったわ。……その時に『まわりのものがごっそりなくなっていた』の」
「まわりのもの……まさか……ネガフィルム状の世界も?」
「焦っていたからよくわからないけど前がスッキリしていた気がしたわね」
アヤの発言にメグは体を震わせた。人形を使って凍夜が何をしようとしているのかなんとなくわかってしまった。
……様々な世界を……一ヶ所に集める気だ……。
……そしてオオマガツミで全部自分の世界に変えているんだ……。
……だからこんなに早くぐちゃぐちゃに……。
「……」
「ちょっと……メグ?」
アヤに声をかけられてメグは我に返った。
「これじゃあ……簡単に神の世界も上書きされる……。あの人形達が弐を滅ぼしてしまう……。凍夜単体で一つずつ世界を厄にするのは大変。だから……自分の世界にその他の世界をまとめて出現させて犯して吐き出している……。ブロックとかその他の機能を備える『K』がフリーズしている今、可能と言えば可能か……。時間がかかると思っていた世界の支配がこんなに早いなんて……」
「おいおい……なんかすげー話だが……世界の中に世界を入れるってなんだよ」
ミノさんは苦笑いでメグを見た。
「……他人の世界を凍夜の世界で上書きして凍夜は自分の世界を増やしてる……。普通はひとりひとつの世界しか持てない……。でも凍夜はオオマガツミを使って大量の世界を持つことを可能にしている……。つまり……個人の世界に簡単に入り込め、支配できる……だから、神の夢内部の世界も支配できるため神は動くことで自分の世界を知られることを恐れている。ちなみに私も自分の世界を知られたくなかったためセカイを動かすのを止めていた……」
「そういうことだったのね。だから、Kの競技も中止にしなかった。でも、あなたは予想外だったのよね。こんなに支配が早いことが」
アヤは困惑しながらメグに尋ねた。
「……そう。おかげで何をしようとしているのかわかった……。言いたくはないけどもアヤ、あなたの世界はすでにわれている。あなたの世界に干渉した凍夜はあなたに関する内容をすべて読み取った。……だから……『あなたの知り合いの神』から、しらみ潰しに犯されていく……。自分の世界がない神は弐の未来神トケイのみ……そのトケイも今やシステムが暴走中……」
メグの発言にアヤの顔から血の気が引いた。
「……うそ……」
「……今回、あなたは動くべきではなかった」
……動くべきではなかった。
再び反響した言葉。
ミノさんに言われたようなことをもう一度言われた。
「……あなたは特に重要な神々と関わっている。もうここまできたらあなたは絶対に彼に捕まってはいけない……。彼に捕まったらあなたは確実に従わされる」
「……そう」
メグの言葉にアヤは静かにそう言った。
「……」
ミノさんはアヤの横で黙ったまま頭を抱えていた。
「……でも、もう動かないとダメよね。私」
アヤは下を向いたまま小さく呟いた。
「……そう。もう動かないとダメ。あなたにはやってもらうことがある」
「……うん」
メグの言葉をアヤは静かに聞いていた。刹那、ミノさんの右手がアヤの肩にそっと置かれた。
「きっとな、おたくが動かなけりゃあ、メグがあの策を思い付いたかわからないぜ」
あの策とはアヤとミノさんの力を使い、更夜達の過去を断ち切るという策のことだ。
先程から黙っていたミノさんは必死でアヤに言う言葉を考えていたようだった。
「……うん」
ミノさんの言葉にアヤは少しだけ顔色を明るくした。
「……しかし……弐の時神現代神鈴があちらに落ちているとなると……時神達がいるあの世界も危ない……。早々に避難と呪縛の断ち切りを行わないと……」
メグに焦りが現れたのでミノさんはすぐさま声を上げた。
「じゃあ、早く行こうぜ。……俺はまだよくわかんねーけどアヤを助けるぜ」
ミノさんはとりあえず明るく微笑んでおいた。
場違いだったかもしれないが彼は状況がほとんどわかっていないので仕方がない。
「ありがとう。ミノ……」
だが、アヤはミノさんの笑顔にだいぶん救われたのであった。
※※
一方、白い花が美しい時神達の世界ではある程度落ち着いた更夜と逢夜を千夜が家に招き入れていた。
現在、畳の一室に更夜、逢夜、千夜、狼夜そしてサヨが円形に座っている。
「ふむ。把握はした」
千夜は更夜と逢夜の話を聞き、頷いた。千夜は本当に感情が動かない。いつでも冷静だ。その反対で更夜と逢夜の顔は恐ろしいほどに暗く、瞳にも光はない。
サヨはその異様な雰囲気を破るように声を出した。
「……つまり……ルルって子と鈴が凍夜に落ちていて……あんた達も従わなきゃならなかった。んで、とりあえず呪縛から逃れるために死んだ……でいいわけ?」
「ああ……」
二人から情けない声が漏れる。
「逢夜はこちらには帰ってきていないことから狼夜が見た逢夜は猫夜……ということになる。猫夜にアヤは連れていかれた。……現世にいるかはわからんな……それでは」
「すみません……」
狼夜は素直にあやまった。千夜は手をかざし、狼夜を黙らせた。
「それはよい。現世にいるかはわからんがアヤは逃げたようだ。更夜達がお父様についていた時に逢夜が『アヤを従わせろ』との命令を受けている。それは実現していない」
「あ……そうですね」
千夜の言葉に狼夜は頷いた。
「……そちらも色々あったのですね」
更夜が千夜にか細く尋ねてきた。
「ああ、猫夜だと思われるトケイの気配を追っていたらKが乗っ取られ、お父様に追われながらサヨと脱出をした。更夜、お父様はあれからKの世界を去ったのか?」
「……はい。人形が……三体の人形が私達を地下室のある場所に飛ばしました。行き道などはわかりませんし、場所もわかりません」
更夜は小さい声で辛うじて答えた。
「……三体の人形……猫夜の人形か……。いる位置を取得させないために使ったのか……?洗脳を深めようと拠点に戻らざる得なかったのかもしれんな」
千夜達はほぼ情報を出し合った。
更夜と逢夜の心の傷が思いのほか重く、千夜が尋ねてもずっとこんな調子だ。光のない瞳はどこも映していない。
彼らは心を壊される一歩手前まできている。
「せっかく……せっかく戻ってきていたのに……な……」
千夜はせつなげに二人を見ていた。
……戻ってきていたのに。
サヨはその異様な雰囲気と千夜の言葉で呪縛は簡単には抜けられないということを思い知った。
千夜ですら凍夜に逆らえなかったのだ。術の上掛けをされた彼らが逆らえるとは思えない。
……以前のあたしなら……。
以前のサヨならばバカにしていただろう。
今は言う気持ちすらない。
「……スズ……」
「憐夜……」
「ルル……」
更夜と逢夜は呪文のように繰り返し拐われた者の名前を呼ぶ。
虚無の瞳に溢れる涙は静かに頬をつたっていた。
「っ!」
ふと千夜が顔を上げた。
「どうしたの?千夜?」
サヨは千夜をおどおどと見上げる。皆おかしくなったら自分はどうすればいいのか。
「鈴だ……スズが来た」
千夜が目を細めた瞬間、更夜が何かに取りつかれたように立ち上がり鉄砲玉のように走り出した。
「ちょっ……」
サヨの目の前を風が通りすぎる。
サヨは呆然と千夜を見ていた。
「……冷静さを欠いている……心配だ……」
千夜はそうつぶやくと更夜を追って走り出した。
九話
スズは白く小ぶりな花が沢山自生している世界でただ、佇んでいた。
……この白くてかわいい花は……。
……私の好きだった花。
……更夜が私にくれた花。
風が舞う。白い花びらはスズの傷ついた体を撫でていく。
……懐かしいなあ……。
……こないだまでここにいたのに……。
……今ここに……私は……帰って来ているのに……さ。
スズに表情はなく、瞳には涙が絶えず流れる。ひとすじ……ふたすじ……。
表情の作り方を忘れてしまった。
楽しかったことも忘れてしまった。
支配するのは恐怖だけ。
凍夜様には逆らえない。
反対に凍夜様に褒められたい、認められたい気持ちも出てきた。罰を与えられるときは自分がいけないときだ。
逆らわなければきっと……。
凍夜様は優しい。
「きゃは……は」
スズは不気味に笑う。
……笑えた。
笑えたよ……。
「スズ!鈴!」
ふと声をかけられた。悲痛がこもる男の声……。
「更夜だぁー」
鈴は瞳が揺れている更夜を見据え、微笑んだ。
「……」
更夜は怯えた表情を浮かべ、声を出せずにいた。
「更夜、『凍夜様』にあんたを連れてこいって言われたー。一緒にいこー。私ぃー褒められるかもぉー。痛いこともーないしぃー」
「……すっ……スズ……」
恐ろしく陽気な鈴に更夜はさらに戸惑った。
鈴はもう壊れていた。
……鈴を取り戻さないと。
……鈴を守らないと。
更夜は震えながら心で思う。
しかし、更夜は涙が溢れるばかりで言葉が出ない。
「ほらー、はやくいこー」
鈴は更夜の着物の袖を引っ張る。陽気に、当たり前のように。
「鈴、俺達はお父様の元へは帰らない」
更夜は震える声で鈴に言い放つ。鈴はその一言を聞いて発狂した。
「うそ!うそ!うそォオ!!!」
「鈴……」
「ダメ!ダメェ!!帰るの!!帰るのよォ!!」
鈴は酷く怯えながら頭をかきむしっていた。
「鈴、しっかりしろ!こっちに戻ってこい!スズ!」
「はは……更夜……覚悟しなさい……。凍夜様に逆らったね……。凍夜様は怒るよ。……怒るよ怒るよ怒るよ」
更夜の呼び止めを無視した鈴は狂気に染まった笑みを浮かべると小刀を取り出し構えた。
「……俺と……やる気なのか……」
いままで鈴は更夜に勝てないことを知っていたため刀を向けることなどなかった。しかもこんなに恐ろしい顔で更夜を睨み付けてきたこともない。
「やる気もなにも凍夜様のためだから……タメダカラネ」
何かの呪文のようにこの言葉を発する鈴はもうまともではなかった。
「……」
更夜は仕方なく刀を構える。鈴に危害を加える気は元々ない。鈴は怪我をしている。もうそんなには動けないはずだ。
更夜は飛び込んできた鈴の小刀を刀で受け止め、そのまま力任せに押し出した。刀同士が弾かれ力負けした鈴の小刀が空を飛んでいく。
「……っ」
鈴が呻く声と小刀が地面に落ちる音が同時だった。
「……だよね……勝てるわけないのよ……」
鈴は小さく呟く。
無機質な瞳に再び涙が光る。
ひとすじ……ふたすじ……。
頬を流れていく。
「鈴……お願いだ……あっちには戻らないでくれ……頼む……」
「……勝てるわけ……ないのよ……」
鈴は先程と同じ言葉を発している。
「……無謀なのよ……私は更夜をつれてこなくちゃいけない。……でも……できない……」
「……鈴はお父様に俺を連れてこいと言われたのか……?」
更夜の言葉に鈴は小さく頷いた。
「……できなければ私は『悪い子』だからお仕置きなの」
鈴は空虚な瞳で更夜を力なく見据えた。
「……っ。鈴……お前は悪くない。だからここにいてくれ……。戻る方がいけない……」
「凍夜様が一番だよ。更夜。当たり前のことじゃないの。とりあえず、私はあなたを連れていくの。連れてこれなかったら罰を受けなきゃいけない。痛いから嫌なの。あれ」
「……」
鈴の態度に更夜は目を閉じた。
拳は怒りに震えている。
これほどまでに凍夜に怒りを覚えることはなかった。
鈴を変えてしまった凍夜に対し、殺意に似た憎悪が更夜を包み込む。
……許せない……。
……優しい少女にこの仕打ちか……。
……ここまで酷く殴り、心を壊した上にさらに傷をつけようというのか……。
「……わかったよ。鈴。俺がお前を守る……。だから一緒に……」
「馬鹿者……」
更夜の言葉は途中で割り込んだ千夜によって途切れた。
「……お姉様……」
「お父様の狙いはそれだぞ。更夜。お前の頭のキレはどうした……」
様子を見ていた千夜は慌てて更夜を止めに入った。
しかし、更夜は恐ろしいことに千夜を睨み付けた。
「だからといって退けないのですよ。このまま鈴を返したらどうなりますか?私達が一番わかっているでしょう!!」
更夜から鋭い視線と共に殺気が放たれた。
「……お前がお父様を殺せるわけがない。術を二重にかけられているのに短絡的な判断だぞ」
「お姉様もお父様に敵わないでしょう!下った方がいいんです!!スズを守れない!!スズを!憐夜を!ルルを!!守れないんですよ!!」
千夜の言葉は更夜には届いていない。更夜は今しか考えられなくなっている。あの冷静な更夜がここまで壊れた。鈴がどれだけ『壊されている』かわからない。
あの時に冷静な判断ができたのは兄弟の中では逢夜だけだったらしい。
……行かせてはいけない……。
……どちらもここにいさせないと……。
「じゃー、更夜は行ってくれるんだねぇー。よかったぁー。私ぃ、凍夜様に褒められるかなぁー?」
鈴は虚ろな目をしたまま口角を上げると、フラフラと更夜を引っ張る。
「はやくいこー。はやくいこー。はやくいこー。はやくいこー……」
「……スズ。俺がお前の代わりになってやるからな……。……もう痛いことはないからな……」
更夜は鈴の頬に触れた。
「はやくいこー。はやくいこー。はやくいこー……」
鈴は変わらず更夜の袖を引っ張っている。
「そうだな。はやく行こうか……」
「更夜!!」
千夜が叫び、更夜を力ずくで抑えようと動くが更夜が本気になると千夜には抑えられない。
「邪魔だ……」
更夜は暗い瞳をさらに暗くすると冷酷な表情で千夜に鋭い蹴りを入れた。
千夜はもろに更夜の蹴りを食らい、矢のように飛ばされ家の壁に激突した。
「がっ……は!!」
「お姉様!!」
隠れていろと千夜から言われ、様子を見ていた逢夜が血相を変えて飛び出してきた。
千夜は一撃で動けなくなり、苦しそうに呻いている。
「防御はっ……したはず……なのだかな……」
「お姉様……!!おい、更夜ァ!お前っ!!」
逢夜は千夜の小さな体を抱き上げ更夜を睨む。しかし、更夜はこちらを睨み返してきた。
「……もう……女相手にこんな非道なことができるお父様を俺は許せない」
「……更夜……お姉様を本気で蹴りつけたな……!姉だって女だぞ!お前もやってることは変わらねぇ!!」
「……俺は手加減をした」
「……してねぇだろ!お前も力で抑えつけようとしたな。姉なら一発当てられれば黙るとそう考えたんだろ!!」
逢夜は更夜の心を読む。更夜は本気じゃなかった。だが、戦闘不能にはできると思ってやや本気でやっていた。
それは間違いない。
「……なめられたものだな……。私も本気でかかってはいなかったが……」
千夜は逢夜から危なげに飛び降りた。
「お姉様!更夜の蹴りを食らっています!立ってはいけませぬ!」
「問題ない……。受け身はとったし防御もした。やや、貫通はしたがな。術をかけようとしたのだが全て弾かれた。勝てる気がしないな……」
心配していた逢夜を軽くどかすと千夜は更夜を見据えた。更夜はなぜだか兄、姉を敵と認識したようだ。
……なぜだ……。
……まさか厄が……。
千夜は更夜を観察する。更夜は目をぎらつかせて刀を構えていた。
……まさか厄が……鈴から伝染した……。
荒んだ心には負の感情が溜まりやすい。更夜がすでに壊れていたならば入り込むのは可能だ。
……では……
……逢夜も……。
そこまで考えた千夜は逢夜に叫んだ。
「逢夜!!更夜には近寄るな!!」
「……!?」
逢夜は臨戦態勢だった更夜を抑えるべく近づいていたが千夜の言葉で退いた。
「鈴は厄神に落ちている!更夜は今『落ちた』!!近寄ればお前も落ちる!お前は神だろう!私がやる!お前は退け!」
「そんなっ!!そんなこと……!」
「ダメだ!更夜はもうやられたんだ!お前もああなる!近寄るな!」
千夜は強引に逢夜を突き飛ばす。刹那、更夜が二人を殺しにきていた。剣術の得意な更夜は異様な角度から剣撃をしてきていた。
袈裟斬りをしてから一文字に凪いできたと思えば関節を外して逆袈裟をかけてくる。
千夜は避けられず、仕込んでいた小刀で更夜の刀を弾くが完全に力負けをしており飛ばされて逢夜に支えられた。
「……更夜……ここまで強いのか」
「お姉様!肩が!」
逢夜に言われて千夜は肩先を斬られていたことに気がついた。
「……斬られたか……受け止めたはずなんだがな……」
再び千夜が小刀を構えた時、間にサヨが割り込んできた。
「……なっ!サヨ!?家にいろと……」
千夜が叫んだ刹那、サヨは震える手をかざして怒鳴るように言った。
「弐の世界、管理者権限システムにアクセス!!……『消えろ』ォォ!!」
「っ!」
サヨが必死で言った言葉は電子数字となり更夜と鈴を覆う。
そして唐突に二人は電子分解され、時神の世界から弾き飛ばされた。
「はあ……はあ……できた……こわかったぁ……」
「サヨっ……今のは……」
戸惑う千夜と逢夜にサヨは息を上げながら答えた。
「KとかKの使いなら誰でもできるみたいじゃんか!使うのかと思ったら全然使わないし意味わかぽよなんですけどー!すげぇ怖かったしぃ……」
「……ああ、失念していたな。そういえば弾き出せる結界をKはこちらで出せるんだったか……」
千夜は小刀をしまうとサヨに向き直った。千夜、逢夜は「Kの使い」でもある。完璧に抜け落ちていた。
「まあ、それよりさー、こっちの世界の時神がみーんな壊れちゃったけど大丈夫なわけ?」
「大丈夫ではないな。これで縁結びの神になっている逢夜が厄神に落ちたら大変だったぞ……」
「すみません」
逢夜は素直に千夜にあやまった。
「まあよい……しかし……このままではまずいな……」
千夜がこれからどうするかを考えていると何かが高速で走り抜き、サヨをかっさらっていった。
「っな!?サヨ!」
一瞬の出来事で千夜と逢夜は戸惑いの声を上げることしかできなかった。なにが起きたか状況が読めない。
瞬時に見えたのは水色に光る髪。
時神アヤもいたような気がする。
「……なんだ……サヨが連れ去られた……」
「追いかけますか?」
「……待て……敵意を感じなかった……。猫夜……でもないな」
千夜は眉を寄せ、追いかけるか否か考えた。
十話
少しだけ前。
アヤ達は高速で『時神達の世界』へ向かっていた。宇宙空間を飛ぶように抜ける。速く動かなければまた凍夜関係の者に見つかると思ってのことであった。
その途中でアヤ達は異様な雰囲気の更夜達を見つける……。
「……メグ!更夜さんがっ……更夜さんがいるわ!!」
いち早く気がついたアヤがさらに声を上げる。
「鈴もいる!!」
「……!……まずい……厄神のっ!」
メグは驚きの声を上げたが、すぐに顔を引き締めスピードを緩めずに更夜達を通りすぎた。
「な、なんだあ!?」
ミノさんが悲鳴をあげ、
「メグ!?なんで通りすぎっ……」
アヤが疑問を言葉にしている最中にはメグはすでに『時神達の世界』に入っており、佇んでいたサヨを浮かせていた。なぜだかメグは重力があるはずの世界でも落ちずに自由に飛んでいる。
メグはそのまま旋回し『時神達の世界』を出た。ここまでほぼ一瞬で世界に入っても時間の管轄を受けないほどに早かった。
「サヨ!?」
「アヤ!?」
アヤとサヨはいつの間にか隣り合わせになっており、お互いに驚きの声を交わす。目まぐるしく世界が変わったと思ったら先程の場所にいた。まだ更夜は動いていない。
「……!?」
アヤ達がそれぞれ首を傾げているところにメグが叫んだ。
「今から、さっき言ったことをやるっ!!時神弐過去神の術を先に解く!!」
「えっ!?」
「説明は後!」
アヤ達の疑問を一回切り捨てたメグは急いで手を広げ、高らかに言い放つ。
「弐の世界の管理者権限システムにアクセス!『介入』!」
メグがそう言った刹那、アヤ達は更夜に向かい弾丸のように突っ込んでいた。
「なんなの!!メグっ!」
アヤが叫ぶと同時に世界が暗転し、気がつくと茂みの中に放り出されていた。
「……っ。な、何!?」
「あたしのがわからないっての!」
「俺なんてもっとわからねーよ!!」
枝や葉に刺さりながらアヤ、サヨ、ミノさんの順でそれぞれ戸惑いの声をあげる。
状況が読めないがどこかの世界に落ちたらしい。ちなみに更夜も鈴もこの場にはいない。
「……ふう。うまくいった……」
動揺しているアヤ達の前にメグが現れた。
「メグ!どういうことなの?どうなったの?私達……」
アヤが代表して恐る恐る尋ねた。
「……ここは時間干渉を受けないので説明する。……この世界は更夜の心の世界。私は先程海峡で説明したあれをやった。……アヤとミノさんの力と偶然居合わせた更夜の力を使い、過去をシミュレーションしたの。千夜と逢夜は力にならないと思い、連れていかなかった。サヨは力になる。外にサヨが出ていて良かった」
メグはサヨを見据え頷いた。
「えー……あたしにはこれっぽっちもわからないんですけどー……」
サヨが困惑する中、アヤはなんとなくわかった。
「つまり、さっき言っていた、術を断ち切るのができそうだったから近くにあった『時神の世界』からサヨを連れてきて更夜さんを使い、更夜さんの術を解くために更夜さんの『心の世界』を過去に戻して再現シミュレーションをした……みたいな感じかしら」
「……そう。緊急だった。更夜が向こうに『落ち』ていたから……」
メグの言葉にアヤは目を見開いた。
「向こうって……まさか凍夜に?」
「……そうっぽいよ。あたし、さっき更夜に襲われてる千夜と逢夜を見たし。で、あたしが『K』としてあの世界外に更夜と鈴を飛ばしたのー。ちなみに鈴って子、完璧に『落ちている』っぽい。ほんと、あれ、絶対ヤバい。厄神みたいだった」
アヤの問いにはサヨが答えた。
「……そんな……弐の世界の時神が全滅していたの……?」
アヤは震える声でつぶやく。それをメグが拾った。
「……そういうこと。ここから私達は術をかけられる前の更夜に接触し、こちらの凍夜を倒さなければならない。……だから凍夜に逆らえない千夜、逢夜、狼夜、鈴を連れていかなかった」
「な、なるほど」
「勝手に盛り上がってんけど、俺は全くわからないぞ……」
ひとり蚊帳の外であったミノさんはただ怯えた目でこちらを見ていた。
「ああ……簡単に言うとこの世界にいる凍夜を倒せばいいみたい」
「……倒す……おたくらは皆女だが……サイコパスな男に勝てるのか?そいつ、女にも全く容赦はないんだろ?誰か……傷ついたりとか……」
ミノさんが不安げに言葉をこぼした。ミノさんは凍夜に怯えている。誰かが傷つくのを恐れている。自分では彼女達を守れない事を知っている。そう思っていることにアヤは気がついた。
「……ありがとうミノ。……でもね、やるしかないのよ……。重要なデータを持つ神々が次々に壊された……もう黙ってられないわ」
「アヤ……」
弱々しいミノさんの言葉に被せるようにメグが口を開く。
「……この世界にいる凍夜は記憶の中の凍夜。その凍夜から更夜が救われれば問題はない。……行くよ」
メグの言葉にサヨとアヤは頷いた。
「……ちっ。俺は戦力にはならないんだぞ!」
「……ではここにいなさい。……あちらに人の気配がある。行くよ」
メグはアヤとサヨを連れて走り出した。
「あっ!まっ……待てよ!」
ミノさんも慌てて後を追った。
「ねぇ、アヤ……あの後ろからついてくるケモミミは誰?」
サヨは走りながらこっそりアヤに尋ねた。
「……穀物の神、ミノよ。お友達なの。私を心配してついてきてくれたのよ」
「牛のやつじゃなかったのか……」
「……もうそろそろ目標。静かに」
メグの声が聞こえ、アヤとサヨは黙り込んだ。
違う茂みの塊に入り込み、奥の様子を伺う。茂みの先には少し大きめの屋敷のようなものがあった。おそらく、多数の人間が出入りしているのだろうが、この山奥となると隠れ潜んでいる者達のものだろう。
ふと目の前を男の子が通りすぎた。黒に銀色が混ざる髪をしている。粗末な着物は破れかかり、身体中に傷があった。
「……更夜だ……」
サヨはつぶやいた。
彼らは元々あんなに銀色の髪をしていなかった。凍夜の支配のせいで髪の色が抜けてしまったのだろう。当たり前だが更夜は眼鏡をしておらず、両目が見えている。
片目が鈴に奪われる前の事。
体から血が滴る中、更夜は小魚を持ってうろうろしていた。
更夜の体を見たサヨは眉を寄せた。
……ひどい……。
サヨだけではなくアヤ達も同様に顔を歪ませる。
少年の更夜は「クナイー、ごはんだよ……」と小さく声を出しながら辺りを見回している。
「……なんだ?何かを探してんな……」
ミノさんが小さく呟いた時、すぐ横の茂みから子猫が飛び出した。
「っ!」
驚いたミノさんは声を上げないように必死で抑えて息を吐く。
「……猫か」
「猫……」
サヨは何か引っ掛かり首を傾げた。
……猫……。
千夜が……そういえば……。
「あ……」
サヨは閃いて子猫に目を向ける。
子猫は更夜が用意したらしい魚を摘まんでいた。更夜は子猫の頭を撫でるとそっと優しく微笑んだ。
……あの人……あんな優しい顔が……。
サヨが悲しげに目を伏せる。
……そうだ。思い出した。
「更夜はね、あの子猫を凍夜に虐殺されて術にかかるんだ……。あたしは千夜から聞いた」
「……な!虐殺!?」
サヨの発言にミノさんは目を見開いて声を上げてしまった。
「ミノっ……声……」
「すっ……すまん」
アヤが制止する間もなく少年更夜はこちらを睨んだ。
「誰だ……」
「……もう仕方ない。出るよ」
メグは覚悟を決めると立ち上がり茂みを出た。アヤ達も続く。
「……!?」
更夜は現れた女達に驚いていた。この時代は戦国時代であり、更夜はアヤ達の服を見たことがない。驚きはそこだったようだ。
「……私達は未来から来た。その猫は凍夜にいずれ虐殺される。まずくなったら私達を呼んでほしい」
「……?」
メグの言葉に更夜は困惑した顔をした。
「……私達は神。怖くなったら迷わず呼んでほしい」
「……」
更夜は何も答えなかったが拳を握りしめていた。
その時、更夜を呼ぶ声が聞こえた。更夜の顔から血の気が引いた。
「時間をかけすぎた……」
「更夜!」
裏扉から出てきたのは女だった。
「更夜……猫はもうやめなさい。殺されるわよ……。凍夜様がお呼びよ」
「お母様……俺……いきたくないです」
「わかってる……わかってる!」
更夜の母だと思われる若い女は更夜を抱きしめると涙ぐみながら裏扉から中へ押し込んだ。
「お母様……」
更夜の悲痛な声を聞かないふりをして扉を閉める。そのまま扉を強く叩き、怒りを押し殺した声で叫んだ。
「行け!!早く行けっ!!」
女は歯を噛み締めて泣いていた。
「……ええ……負けてられないわよ……あいつなんかに!私達は死んでからもあいつを恨む。更夜は私が何度でも救う!」
更夜の母は木の裏扉をもう一度叩いた。
「……もし……」
「ちょ、あんた……」
メグは更夜の母に唐突に話しかけた。サヨは遠慮がちに止めるがあまり意味をなさなかった。
「……誰?」
ひどく冷たい声がメグに降りかかった。更夜の母は振り向かない。
「……あなたは……記憶の中のあなたじゃないね?死んでからもって言ったね?」
「っ!?」
メグの発言に更夜の母は咄嗟に振り向いた。
「……協力者ならば協力願う。私達は神。更夜の術を解きにきた」
「なんですって?部外者があの子の心に入れるなんて……」
「……問題ない。正規のルートでシミュレーションに入り込んだ。あなたはどういう過程で入り込んだか?」
「……私達は……元々息子や娘の世界で暮らしていたわ。それが突然に過去に戻り、『やつ』が現れた。あんた達があの子の記憶を巻き戻したのね。最近のあの子の心は幸せに満ちていたはず」
更夜の母は複雑な表情を浮かべた。メグはそれを確認し、頷く。
「……そう。あなたは更夜達の心に住んでいたの……。壱(現世)を生きる時神の夢の世界に更夜達が住み、その更夜の心にさらに霊が住んでいるなんて……。『私達』と言っているということは腹違いの兄弟達の心にはそれぞれの母がいるか?」
「ええ。そうしようって決めたのよ。あいつを『殺した』後にね」
更夜の母は酷く冷たい表情でそう言った。まるで母親同士が結託して凍夜を殺したかのような言い分だ。
いや、おそらくそうなのだろう。
「……一時的に時間を戻しただけ。解決すれば元に戻す」
「……そうなの。あの子を助けてくれる?」
更夜の母は今度は必死にメグの手を取った。
「……助けにきた。あなたは千夜の母親でもある。ここに千夜の子孫、そして更夜の血筋である『ある少女』のデータだけを抜いた時神もいる」
メグは戸惑うサヨとアヤを更夜の母の前に突き出した。
メグはなぜだか更夜の隠し子の話を知っているようで『あや』を絡めて説明していた。
少し前の事件でKである『あや』が時神現代神アヤを形作るのモデルデータであったことが知られていた。だが、それを知っているのはほんの一部であり、メグはどこで知ったのかはわからない。
「……あの子達の……子孫……」
更夜の母は涙を流しながらアヤとサヨの手を握った。
「あなた達は……幸せ?幸せに暮らしてる?」
先程の冷たい感じとは全く違う、慈愛に満ちた表情で尋ねてきていた。その瞳には彼女が生きた壮絶な人生が映っている。
「……幸せかな。あたしは幸せ」
「……私も幸せ」
「そう……」
二人の言葉を聞いた更夜の母は優しく微笑んだ。
「……では、立ち話をしているわけにはいかないので戦いに行くよ」
メグは気持ちを切り替えて去っていく子猫を見据えた。
「そうだわ!子猫を追いかけて!この後、あの猫は凍夜に捕まる。拷問が始まるまで時間はほとんどないわ」
更夜の母の言葉に一同は頷いた。
猫が玄関先を通り過ぎようとした刹那、凍夜が猫を乱暴に捕まえた。
「……こいつか。ちょうどいい……」
凍夜は猫を摘まみあげると屋敷の向かい側にある集会所のような建物に入っていった。
「……あの猫……クナイはね、更夜を探していたの。追いかけて……クナイも一緒に救って!お願い!」
更夜の母はすがるようにメグの手を取った。
「……わかった。好機になるまであの建物の近くに潜むから……」
メグは深く頷くとアヤとサヨとミノさんを連れて凍夜が入っていった建物の影に隠れた。四人は音を立てないようにしゃがみこむ。
「……あの猫……殺されねぇかな……」
ミノさんは震えながらメグ達を仰いだ。
「……更夜次第。更夜が助けを求めなければもう一度やり直すことになる……」
メグは中の様子を伺いつつ静かに答えた。
「……私はメグに従うわ……。あの猫も今は更夜さんの心に住んでいるのかしら……」
「……でもこれ、ほんとにあった過去なんだよね?じゃあさ、あの猫も記憶で出てきただけってこともある?」
アヤとサヨは小声でメグに尋ねた。
「……あの猫はわからない。……でも、あの猫は更夜の記憶ではたぶん殺されている猫。この記憶を上手く変えるには私達のような部外者がやるしかないのは確か。魂がこちらに入っていようが記憶には関係ないし触れられない。更夜の母をみているとわかるはず」
「……できれば両方無傷で……」
アヤが呟いた時、更夜の叫ぶ声が聞こえた。
「クナイを返してください!!その子は関係ありません!!クナイは関係ないんだ!!私がっ……俺がお父様の言いつけを破りました!言いつけを破ったのは俺だァ!!」
何があったかわからないが今の更夜にはありえない言葉が出ている。
「……うるさいぞ。更夜。どちらにしても同じことさ。この猫は他の忍が使役している猫かもしれないだろう?中身を見ればなんかわかるかな」
「やめろォ!!」
陽気な凍夜に必死な声を上げる更夜。猫は弱々しく鳴いている。
アヤ達は家屋の壁に背をつけながら更夜が助けを呼ぶのを待っていた。
……まだか……。はやく……はやくしないと……。
刹那、何かが壁にぶつかる衝撃と音があった。それが何度も何度も起こる。
ダンッ!ダンッ!ダンッ!!
バキッ……
「ああ……お前はこんなもんで済むとは思うなよ……。さあ……お前はそこで見ていろ。猫の中を確認だ。まあ、その前にこいつでしこたま殴っておくか。まず、お前にやってからにしよう」
「やっ……やめて……」
更夜は苦しそうに呻いていた。つまり、先程の音は凍夜が更夜を暴行した音だろう。
……はやく……はやく……助けを求めてくれ。
アヤ達は震えながらその音を聞いていた。
その時……。
「た……す……け……」
か細い声で更夜が呟くのをアヤ達は聞き逃さなかった。
後半は聞き取れなかったが確かに言った。メグは目配せをしてから立ち上がった。
「……行こう。あの子が助けを求めた」
アヤとサヨ、震えが酷くなっているミノさんは覚悟を決めてメグに続く。
アヤ達は集会所のような建物の中に入る。臭ってくるのは血の臭い……。
「くく……助けて?誰に言ってんだよ。こいつ」
凍夜が鞘に収まった刀を更夜に振り上げているところだった。左手には無傷の子猫が首を掴まれて力なく鳴いている。猫は凍夜の手を何度も噛んで暴れていたようだが凍夜は痛みを感じていないのか笑っている。
「……彼は……私達に助けてと言ったの。……あの時はたぶん、助けてと叫んでも誰も来なかった。……でも……今は違う」
「誰だ?ふーむ……女か。女が俺に逆らうか」
メグの言葉に凍夜は今と変わらない言い回しで下げずんできた。
「……あなたはその女に負ける。私達は更夜を救いに来た」
「はっ!じゃあ、皆死ぬか?仲良くな」
凍夜は猫を捨てると刀を抜いた。
「皆!来るよ!」
メグの掛け声にアヤ達は構えた。
十一話
極限の緊張感の中、サヨは考える。
……あの猫は彼が少年の時に彼の目の前で虐殺された……。さっき、中身をみると言っていたな……。つまり、あの子猫はあの子供の更夜の前で……腹を裂かれた……!!
サヨは知らずに呼吸が荒くなっていた。
「フゥ……フゥ……」
「……サヨ」
アヤがサヨの異変に気がつき目を向ける。サヨは奥歯を噛み締め、目を剥いていた。
凍夜が嘲笑しながら刀を凪いだ。
「ごぼうちゃん!!!」
サヨは怒気の溢れた声で叫ぶ。カエルのぬいぐるみは光に包まれ現れるとサヨと同じように恐ろしい怒りを見せていた。
「弾け……」
ごぼうは勢いよく凍夜の刀を弾いた。凍夜は眉を寄せると少し距離を取った。
「ふむ……」
「お前は……どこまで命を弄べば気が済むんだ……。ごぼうちゃん……あたしがおかしいのかな……。なんで皆こんなに冷静でいられるの……。こいつの奥さん達だって皆こいつに壊された。こいつの子供も皆壊された……。こいつがいなければ……」
サヨは押し殺した声で言うとごぼうを動かし始めた。
「……死ねよ……死ね……!!このクソ野郎……」
「ちょっ……さ、サヨ……」
サヨは一番前に出ると凍夜を襲い始めた。
「なんだ?このカエルは興味深いな。人形劇か?」
サヨは凍夜を翻弄しているが凍夜はなんとも思っていないらしい。
この間までほとんど何もできていなかったサヨが自由にごぼうを動かし、指示もテレパシーで出している。今のサヨは異様な集中力を見せており、凍夜しか見えていない。
「……サヨ……」
「……サヨに倒してもらおう。トドメは更夜でなくてはいけないが」
「そんな!サヨに人を殺させるの!?」
メグの発言にアヤは目を見開いた。
「……あれは記憶の凍夜。術そのもの。だから人ではない」
「そんな……」
アヤが迷っていると凍夜の「影縫い」にかかったサヨがもがいていた。忘れていたが凍夜は忍者だ。
「クソ!動けないっ!!集中が……」
よく見るとごぼうも止まっていた。サヨが無意識に動きを止めてしまったらしい。
「ははは!そんなもんだろ。お前も俺のガキを産むか?なーんてな」
凍夜は笑いながら刀を振りかぶる。
「……っ!!」
アヤは咄嗟に時間停止をしていた。
この世界は記憶の世界。アヤが存在しているだけで曖昧な弐の世界に明確な時間が生まれる。また、現代に存在する世界ではないためアヤは自由に時間を操れた。
「……はあ……はあ……」
……止めてしまった……。
アヤは自分以外止まってしまった世界で息を荒げながら周りを見回す。
……ミノは……。
ミノさんはいつの間にか更夜のところにいた。子猫を抱きながら更夜に何かを話しかけつつ更夜の傷を見ている。
「ミノ……いつの間に……」
アヤはミノさんに近づいた。ミノさんは悲痛な表情をして戸惑う更夜を見据えている。
「……ミノ……あなたは本当に……本当に優しいのね。巻き込んでしまってごめんなさい……」
アヤは小さくあやまると後ろからミノさんを抱きしめた。肩幅の広い筋肉質な体。男性特有の包み込んでくれる包容力。
……落ち着いてくる……。
……本来は皆、ミノのような心を持っているのよ。
少しだけ落ち着いた後にメグを見る。メグは先程となんら変わりはない。
……サヨは……
アヤはサヨに近づいた。止まっていても異様な雰囲気の凍夜に怯えつつアヤはサヨを観察する。
……確か、動けないと言っていた。
忍者なら術を……。
アヤはサヨの影に針のようなものが刺さっているのを見つけた。
……たぶん。これだわ。
アヤは息をひとつ吐くと時間を動かした。凍夜が動く前にアヤは針を蹴りつける。針は弧を描いて影から外れた。間髪をいれずに凍夜の刀が勢いよく振り下ろされ、突然に動けるようになったサヨはごぼうを使って刀を弾いた。
「……!動ける……アヤ!?」
サヨはアヤを視界に入れ、驚いた。アヤがサヨのすぐ後ろにいたからだ。
「サヨ。私も冷静じゃなかったわよ」
「……」
アヤの言葉にサヨは唇を噛み締めた。
「あたしは負けない」
「……うん。サポートはするわ。好きなだけ戦って!最後は更夜さんにやらせるのよ」
「……わかった」
サヨはさらに集中を高める。今は凍夜と拮抗だ。命を削るような攻防戦が繰り広げられている。サヨからすればごぼうが斬られて消えたらおしまいだ。
凍夜がサヨに術をかける事も忘れてはいない。攻撃がすべてただの攻撃ではないため、予想ができない術はかかってしまう。主に影縫いだが糸を巻き付けられる糸縛りが来たときはかかってしまった。アヤがすばやく介入し、糸を切って術を解いたが予想外の術は対処が難しい。他に何の術が使えるのかわからないのも不気味だ。
凍夜は男忍だ。つまり、女を相手にする術も沢山身に付けている。
故にサヨは凍夜に体を触られてもいけない。
現在、なんとか戦えているレベルだ。
ちなみにメグは二人がもしダメになった時を考えて神力を上げている。
そんな中、端で二人と凍夜が戦っているのを戸惑いながら見つめていた更夜は恐る恐るミノさんにささやいた。
「……なんで……なんであの人達は戦える……。子供や女は男には勝てない。戦いを挑んだら負ける。わかってるはずだ」
「……どうかな……。俺はあいつらは強いと思うんだ。おたくも思うだろ?」
ミノさんは更夜に尋ねた。
「……お前は男なのに戦わないのか。女に戦わせて卑怯だぞ」
更夜は当時の男女感で話している。ミノさんは眉を寄せた。
「俺は……怖いんだ。あいつらみたいに強くないんだよ。わかってるさ。なさけねーよな」
「……女も強いのか?普通は……」
「……いや……皆が皆強いわけじゃない。弱い女だっているし、男だって弱いのはいるさ。強さは物理的じゃない」
ミノさんの返答に更夜は目を細めた。信じられないといった顔をしている。
「でも……」
ミノさんはさらに言葉を紡ぐ。
「俺は守りたい……」
「……」
更夜はそっとミノさんを仰ぐ。
「守りたいんだ……」
「……それは物理的な強さじゃないんだな?」
更夜は当時まだ五歳だ。その更夜が価値観の違いを理解した。
「俺にも……守りたいもの……あった。ひとりじゃ何にもできなかった……。でも……今は」
更夜は涙で滲んだ瞳を凍夜に向ける。
「戦ってくれるひとがいる」
更夜は懐から小刀を危なげに取り出すと凍夜に向かい走っていった。
「アヤ!その女を下がらせろ!」
ミノさんはめいいっぱいの声で叫んだ。アヤにはこちらに走り寄る更夜が見えた。決意を込めた目。
凍夜を殺す気だ。
アヤは時間を一回止め、サヨに抱きついた。そのまま時間を動かしサヨを力一杯押す。
アヤとサヨは踏ん張れずに共にバランスを崩し倒れた。
「アヤ!なにす……」
「ひとりの『子供』が勇気を出しているっ!黙って見て!!」
アヤはサヨの肩を掴むと必死に言い放った。
「……アヤ……」
サヨが目を向けると更夜が決死の覚悟で小刀を振るっていた。
「うアアア!!」
「ふん。どこまでも反抗的……」
凍夜が更夜を斬りつけようとした刹那、ミノさんが凍夜の振り上げた腕にしがみついた。
「……っ!」
「やれ!!」
凍夜が弾こうとした刹那、更夜が凍夜の心臓めがけて小刀を伸ばした。鈍い音と共に黒いモヤが飛び出す。鋭い更夜の突きは確実に凍夜を捉えた。薄い笑みを浮かべた凍夜が崩れ落ちていく。そしてその場で跡形もなく消えていった。
「はあ……はあ……お父様に……勝った……。急所の練習であなたが教えたこと……でしたよ……」
カランと小刀が落ちる。
あたりは静寂に包まれた。
更夜は……泣いていた。
「……おかあさま……クナイ……おにいさま……おねえさま……」
嗚咽が続き、涙が床に落ちる音のみが響く。
「俺は……お父様に……『凍夜』に……勝った」
いつの間にか更夜は元の更夜に戻っており、まわりも真っ白な空間に変わっていた。
「俺は……」
「……あなたは守られてもいい」
メグが更夜の言葉の続きをハッキリと言った。
「女にだって、男にだって守られてもいい。皆、仲間なんだから」
「うっ……うう……」
更夜は項垂れ、手をついた。そして静かに涙した。
ふと、どこから現れたのか気がつくと更夜の母が更夜の前にしゃがみこんでいた。
「よく頑張ったね……。更夜。偉いよ……。いままでよく頑張った……。守れなくて……ごめんね……」
か細く消え入りそうな声で彼女は更夜を抱きしめた。
「……おかあさま……私は……ずっとあなたに守られていました。私があなたを守ろうとした時には……もう手遅れだったこと……許してください。憐夜の時……あなたに無理やり子を作らせている父を見ました。あなたが泣き叫んでいた時に……私はあなたを救うべきでした。おそらく、私も、兄も、姉も父に非道に扱われたまま産んだのでしょう……。お辛かったはず」
「……子供は……かわいかったわ……。大好きだった……。だから、生まれなかったらなんて思わないで……皆、大好きだったのよ」
大好きだった……。彼女の言葉はすべて過去形だ。もうどうにもできないことを彼女は知っている。
アヤ達は見ていられなかった。
きっとこの人は優しい人だった。
なにもなければきっと……。
「辛気くさくなったわね。さっさと行きなさい。他にも助けなきゃいけない人がいるでしょう?私も行くから……追い付いてきて」
彼女はそれだけ言うと風のように消えていった。
「……お母様……尊敬しています」
更夜はなにもなくなった空間に頭を下げた。
白い世界が消えていく。だんだんと宇宙空間に変わっていく……。
「……鈴の方に行こうか……。もう大丈夫?……更夜」
「あなたが誰だかわからんが、俺の仲間なんだろう?もう大丈夫だ」
メグの問いかけに更夜は頷いた。
瞳には違う光が宿っている。
彼は心から強い男だった。
十二話
流れるように世界が変わり、続きの世界のように鈴の中へ入った。
先程、更夜の『介入』発動時に鈴が隣にいたため、元の場所に戻らずに入れたらしい。
気がつくと吹雪いてる世界にいた。しかし、空は晴天だ。かなり不気味な世界で氷柱の大きいものがまるでウニのように突き出ている。
「さっぶ!!」
最初に声を上げたのはサヨだった。
「……なんで吹雪いてるのに晴れてるの……」
アヤも寒さに歯を震わせる。
「俺も寒いよー……」
ミノさんは赤いちゃんちゃんこに袴だけのため、非常に寒そうだが本神はそこまで寒くはなさそうだ。神々の正装である霊的着物を着ているからだろう。
「……寒い。たぶんここは弐の世界。まあ、彼女は弐の世界で凍夜に接触したから記憶としてはおかしくはない」
メグは霊的着物であるあのお腹が出ている着物には着替えなかった。お腹はでていても布が少なくても霊的着物はすべてが完璧にある程度はなっている。だが、彼女にはあれは部屋着であるという謎のルールがあるため着ていないようだ。
「……鈴……」
雪が舞う中、更夜は小さく呟いた。
「……更夜さん。鈴を助けましょう」
アヤは息を吐くと更夜を見上げた。
「……ああ。そうだな」
更夜は刀の柄を握りしめ光の入った瞳でまっすぐ前を見据えた。
「……来たぞ……」
更夜はいち早く気配に気付き、間髪を入れずに言葉を口にした。
「……隠れるのが今はいい」
メグが小さく一同に言うと分厚い氷柱が重なっている部分に隠れた。アヤ達もメグに従い隠れる。
すぐに現れたのは望月猫夜と鈴、そして凍夜だった。
「……あの猫夜は……」
「……あれは記憶のか?彼女はKだからデータが読めない」
アヤの問いかけにメグは首を傾げた。話は進む。
「ほぉ……更夜の女か。ただのガキじゃないか」
凍夜はにやけたまま鈴を舐めるように眺めていた。
「……あんたが凍夜……。あんたのせいで皆が……更夜がっ」
鈴は凍夜を睨み付け小刀を構える。構えている手がわずかに震えていた。寒いわけではない。
怖いのだ。
「……覚悟……」
鈴が呟いた刹那、更夜が動こうとした。それをメグが止める。
「ダメ。彼女は助けを求めていない……」
「求めていないといけないのか?」
更夜は逸る気持ちを抑え、荒い呼吸のままメグに尋ねた。
「……呪縛は簡単には解けない。仲間が支え、自分で勝たないといけない」
「あの子には勝てない!」
更夜が必死に言い放った刹那、鋭い音とともに鈴が舞った。血が辺りに散らばる。
「……っ!!」
更夜の顔が曇った。更夜は彼女の記憶を「過去見」でもうすでに見ている。
だからわかった。
鈴がどこで助けを求めるのか。
故に気が気でない。
……俺に助けを求めるのは最後の最後だ……。それまで暴行を見ていろと言うのか……!!
「……まずい。更夜、落ち着いて聞いてほしい」
「なんだ……」
更夜はいらだった声を上げる。
「……最初で鈴に接触できなかったため助けるタイミングがない」
「……最後だ。鈴が助けを求めるのは最後だ。俺は過去見で以前に見ている」
更夜がメグに言った時、鈴は猫夜に連れられて凍夜の後を歩いていた。
「……追うの?」
アヤが震える声でメグに尋ねた。
「……追う」
「おいおい……これからあの女の子……さらに……」
ミノさんの発言に一同は黙り込んだ。皆、わかっていた。
「……いくよ。行かなきゃ……」
サヨが拳を握りしめ凍夜を追ったのでアヤ達も覚悟を決め追いかけた。
鈴は凍夜に引っ張られながらしばらく歩かされていた。
「離せっ!!……お前はクズだ!!殺してやる……。殺してやるんだから……」
「ほぅ……お前はだいぶん利用価値がありそうだ。世界を壊すならば時神から……だな。現代神が俺に下ればさぞ楽しいだろう」
凍夜は陽気に鈴の両手を強く掴み捻りあげる。
「くっ……うっ……」
苦しそうにもがく鈴を眺めながら凍夜は笑う。
「さあー、お前はどこまで『耐えられる』かな?」
また少し歩くと小屋があった。氷柱と吹雪の世界の中に異様な茶色の木の小屋。凍夜は鈴と猫夜を連れてその小屋に入っていった。
「……嫌だな……」
ミノさんが静かに呟いた。
「……俺……もう嫌だな……」
「……ミノ」
アヤはミノさんの背中を擦る。彼は再び震えていた。
「……嫌ならば目を瞑り、耳を塞いでおいて……」
メグはミノさんに容赦なくそう言うと小屋の影に隠れた。
「……おたくは……本当に『K』なのか?」
「……非情だと思う?でも……やるしかないから。覚悟はある。望月猫夜に関しても救いきれなかったら私は彼女を消す」
メグは小さく言葉を発しながら小屋の壁に耳をつけて鈴に呼ばれるのを待っていた。ミノさんはひどくせつない顔をするとしゃがんで小屋の壁に寄りかかりキツネ耳を両手で押さえた。
「……ミノ……怖いの?」
「……ちげーよ……。あの男が怖いんじゃない……。あの男の行為そのものが怖いんだ。あれにアヤが捕まりそうだったのがたまらなく怖いんだ!犠牲者の子の気持ちになったら怖さがよくわかった……」
「……ごめんね。ミノ……」
アヤは怯えるミノさんにあやまることしかできなかった。今は鈴を助けなければならない。
小屋の中では鈴が凍夜と戦う音がしている。凍夜は余裕の言葉をかけ、鈴は呻きながら凍夜に攻撃を仕掛けていた。
何度も壁に打ち付けられる音がし、痛みに喘ぐ鈴の声が聞こえる。
「憐夜を返して……よ!皆でやっと楽しく生きていた……のに!!」
鈴の絞り出すような声を凍夜は笑って流した。
「ははは!!あー、弱い弱い。お前、ほんとに忍者か?」
「……返して!!返してよぅ……。畜生!!ちくしょう……」
鈴が悔し涙に嗚咽を漏らしながらなお、凍夜に飛びかかる。鈴が再び壁に激突すると、背中を預けていたミノさんの肩がビクッと跳ねた。
鈴が壁に叩きつけられてすぐ、猫夜の声が響いた。
「……鈴、今すぐお父様の下に付くことを誓って!戻れなくなる……」
「うるせぇよ。余計なこと言ってんじゃねぇ……。それはこいつが決めんだよ!!」
「あぐっ……あっ……ごめんなさい!」
猫夜が殴られる音と床に倒れる音が重なった。ミノさんはその音に耳を塞ぎ、涙を流しながらうずくまっていた。
「さあ……猫夜……笑え。この愚かな忍を笑ってやれ。バカだろう?勝てもしないくせに飛びかかってきたんだぜ。笑えるよな?」
「は……はは……。ははは……」
凍夜に無理やり笑わされる猫夜。
震える声音で涙が混じっている声だ。
「……勝てもしない……かすり傷ひとつ負わせられない……この人には……敵わない……」
鈴が小さく呟き、ゆっくり体を起こした。
「でも……私は……戦わないと……」
声が震えていた。震えが先程とは比べ物にならない。ほとんど聞き取れない声に変わっていた。
「……さあ、そろそろ……俺に逆らった仕置きといこうか」
「……っ」
鈴の怯えが酷くなった。壁越しに震えている音がする。
カチャカチャ……
カチャン……。
鈴は構えていた小刀を落としてしまった。震えが酷くて刀を持てなかったようだ。
「猫夜、縛れ」
「はい」
「……や……め……」
猫夜に縛り付けられた鈴は涙声で必死に抵抗していた。
「やめて……やめてぇ!!」
「あきらめなさい」
猫夜の冷たい声と共に凍夜がしなるものを振り上げる風の音がする。
「あぁうー!!」
鈴の絶叫と皮膚を打つ激しい音が壁を震わせた。
「ははっ!さあ、どうする?このまま死なないように保つこともできるぞ……。くくく……」
非道な言葉を鈴にかけ、鈴に恐怖を植え付けていく。
「……こんなにあの子はひとりで戦っていたのか……。ひとりで……」
更夜は唇を血が出るほどに噛み締めていた。そうしなければ耐えられなかったのだ。
それはアヤ達も同様だった。
……早く助けを!!
助けてと言って!!
アヤ達も祈るように鈴から出る言葉を待っていた。そうこうしている内に凍夜がさらに非道な言葉を鈴にかけ始めた。
「……さあ……次はどうするか……。股になんか突っ込んでみるか。クナイとかな……死ぬかな?」
凍夜の足音が鈴に近づいていく。
……たす……けて……。
……タスケテ……。お願い……。
誰か……。
……コウヤ……。
鈴がほとんど聞こえない声で呟いた刹那、更夜が弾けるように駆けた。まるで何かに取りつかれているように歯を覗かせ荒い呼吸のまま鷹のような鋭い瞳を見開き、狼のように飛び出していった。更夜が頭に血を昇らせると辺りに刺のような気が舞う。アヤ達は更夜の気にも恐怖した。
……この人は怒らせてはいけない人だ……。
「……すごい……」
「……私達には聞こえなかったが更夜には助けが聞こえたよう。追おう」
メグは立ち上がり走った。サヨも続いた。アヤは震えるミノさんを一瞥するとサヨ達を追った。
アヤ達が小屋の中に入るとまず見えたのが更夜。
更夜は刀を構え、呼気を荒げながら恐ろしい気迫で凍夜を睨み付けていた。続いて猫夜と鈴が目に入る。猫夜は涙を流しながら『笑って』おり、鈴は縄に縛られ生気のない瞳でこちらを見ていた。
小屋には雪原で使うものは何もなく、あるのは拷問するための道具のようなもの。あちらこちらに鈴の血が散っている。ここは凍夜の世界のひとつか?
「鈴を返せ……。大事なひとなんだ」
更夜にはまだ理性が残っており、押し殺した声で凍夜と会話を始めた。術を断ち切っている更夜はもう凍夜には怯えない。
「なんだ、更夜か……」
「鈴を返せ……。鈴は俺の大事な女だ……。わかっているはずだ」
「ほぅ……。俺はいつもそういう風には教えていなかったが」
凍夜には何も刺さるものはなく、更夜を嘲笑していた。記憶の中故に更夜に疑問もないようだ。
「返せ……」
怒りを押し殺している更夜は凍夜を一文字に斬りつける。しかし、凍夜はそれを軽く避けた。
「……刀が感情で見えているぞ……。さあ……もっと楽しませろ」
凍夜は不気味に笑うと黒い影を多数出現させた。
「……はっ」
アヤは気がついた。
……ここは鈴の記憶だ。
鈴が術にかかったのはついさっきだ。凍夜には「オオマガツミ」がいる。
「……更夜、一回後ろへ……」
メグは更夜が厄神に障ることを恐れていた。更夜はメグの意図に気がつき一度下がる。
「……ありがとう」
メグは更夜に余裕がないことを知っていた。そんな状況でも更夜が下がったのでお礼を言ったのだ。
「……やらなきゃ救えないよ。神が障るとヤバいんならあたししかいないね」
今度はサヨが前に出た。
「ちょ……サヨ」
「大丈夫。冷静だから……。ごぼうちゃん!!」
サヨはカエルのぬいぐるみ、ごぼうを呼んだ。ごぼうはサヨの肩から飛び出しサヨの前へ着地した。
「……ごめんね」
サヨが集中を高めた時、記憶の中のはずの猫夜がつぶやいた。
「……!?」
「鈴の呪縛は簡単じゃないのよ」
猫夜の言葉に反応し、三体の人形が出現する。
「そして……私の呪縛も……」
「っ!ま……」
サヨが声を上げた時には遅く、猫夜のドール達は特殊能力『瞬間移動』をおこなった。
「……猫夜……あなたにもマガツミが……」
メグが猫夜に手を伸ばすが猫夜はせつなげに微笑みこう言った。
……メグ……
……たすけて……。
十三話
凍夜、猫夜、鈴は三人の人形によって世界から離脱した。
「くっ……追うよ……」
メグは顔を歪ませてアヤに目を向ける。
「追うって……」
「あなた達の力で一度、元の世界に帰る……」
「……鈴はどうなっちゃったの!?」
サヨの言葉にメグはさらに顔を歪ませた。
「正直に言うと……逃げられた。望月猫夜は厄を受けすぎていて凍夜と半分融合している。それにあの子は『K』だ。厄に当てられながらも戦わない道を無意識に選んでいる。だから戦闘になりやすい状態だった今、猫夜はシステムに抗わずにほぼ無意識に平和的に終わる方の道を選んだ。そしてその判断の間違いから穢れが体にたまっている。そしてそれが厄になり凍夜に吸われている……」
「……あの子……厄介だわね……」
アヤは頭を抱えた。
「それだけじゃない……。まわりの負の感情が凍夜に力を与えている。更夜の怒り、サヨの怒り、ミノさんの悲しみ……鈴の悔しい気持ち……全部オオマガツミに吸いとられていた」
メグは外にいるミノさんを呼び戻すべく小屋から出る。アヤ達も従った。
「じゃあさ……オオマガツミと融合してるっていう凍夜は……」
「……あの人間は元々負の感情がない。だからオオマガツミが寄ってきた。負の感情がないからオオマガツミが入り込んでも狂わない。あんな人間はほとんどいないはず」
サヨの問いにメグが答えた。
「負の感情がない……」
アヤがつぶやいた時には先程まで隠れていた小屋の裏側付近にたどり着いていた。ミノさんは相変わらずうずくまっている。
「ミノ……逃げられちゃったみたい……追いかけたいから力を貸して……」
アヤはミノさんに近づくと優しく背中をさすった。よくよく考えればミノさんは太陽の方面だ。厄など負の感情には弱い。
「……キツネ耳」
ふといままで黙っていた更夜が口を開いた。
「ありがとう……」
一言そう言った。
その短い言葉に沢山の思いが込められていることは誰が聞いてもわかった。ミノさんは涙を拭うと顔をあげた。
「……俺は……あの子を救えない……アヤ達みてぇにできねぇよ……」
「……大丈夫だ。やれることを手伝ってくれ。協力、感謝している」
ミノさんは苦しみを抑えながら話す更夜から目をそらすとゆっくり立ち上がった。
……俺が……アヤに言ったまんまじゃねぇか……。だっせぇな……俺。
「……ああ。大丈夫だ。メグ……行くんだろ?」
ミノさんは元気なく返答するとメグを一瞥した。
「……では。弐の世界の管理者権限システムにアクセス『解除』」
メグがそう発するとアヤと更夜とミノさんが白く光だし、電子数字が回った後に気がついたら弐の世界の宇宙空間にいた。
「もどっ……戻った?」
「……戻った」
怯えつつ顔を上げたサヨにメグは表情なくつぶやいた。
「……ねぇ……あなたは大丈夫なの?」
アヤがメグの表情の暗さに気がつき声をかけた。
「……大丈夫」
「ところであなたは何者だ?」
更夜は深く息を吐きながらメグに尋ねた。更夜自体も冷静ではいられなかったが年相応の魂年齢に戻ったので辛うじて落ち着いている。
「……私はワダツミ。海神であり『K』。名前はメグ。冷静でいる理由は厄を寄せ付けないため。私が落ちたらまずいから。でも、勘違いしないでほしい。……私も心を痛めている」
メグは更夜にあまり感情が入らないように言っていた。更夜はそれを見て自分と同じだと思った。
「ああ……わかっている」
更夜はそれだけ言っておいた。
「……時神現代神弐、鈴に関しては猫夜をどうにかしないと解決できない。データにエラーが出ていて間違った方を『正』だと選び続ける彼女はおそらく私達を避けるはず」
「出会うのは難しいってことね」
アヤの言葉にメグは頷いた。
「ちょっち、待って!なんで鈴の世界に状況を知ってる猫夜がいたわけ?わけわかめなんだけど!過去の猫夜ならわかるのにさ」
サヨは頭をひねった。
「……それは……よくわからな……」
メグが途中で言葉をきり、みるみる顔色が悪くなっていく。
「ね……ねぇ?」
サヨが心配そうにおどおどと声を上げた。アヤ達も心配そうにメグを見る。
「……弐の現代神が厄に落ちていて現代は凍夜が操れる……、先程まで過去神の更夜が落ちていて過去がないようなものだった。『介入』を使わなくても自由に入れたということか。更夜の記憶を邪魔しなかったのはなぜ……?」
「……猫夜が……不気味……」
アヤは眉を寄せた。
「……最低限の切り札は残したよと……そういうことか……猫夜……」
「ちょっ……メグ……それじゃあまるで猫夜が……」
サヨはあり得ない結論に着いてしまいそうなメグを慌てて止めた。
「……そういうこと。……彼女は……遊んでいる。凍夜を使って……」
「だからそんなバカな!!」
サヨは悲しげに泣いたり暴力を振るわれている猫夜を見ている。そんな結論にどうやってもならない。
「……彼女は……女忍。深く演じれば涙も出る。いたいけな少女を演じていたんだ……」
メグは拳を握りしめた。
「だ、だからなんで!?そんな方向にいくの!?」
サヨは泣きそうな表情でメグの肩を掴む。
「あんたら、知り合いみたいだったじゃん!名前で呼びあってて『助けて』ってあの子言ってたよ!!なんでそんなこと言えんの!?友達じゃないの!?」
「……ええ。猫夜はいい友達だった。でも、オオマガツミに最初に触れたのは彼女かもしれない。そして……生きた魂を……望月俊也を弐に入れたのはたぶんあの子。凍夜を呼び寄せてマガツミを移動させ服従した」
メグは静かに言い放つ。
「そんなわけないわよ……!猫夜は凍夜から逃げていたのよ!!弟を殺されて術にかかったの!」
アヤも慌てて言葉を口にする。
「……その通り。でも猫夜はもの足りなかったのかもしれない。被虐されることに喜びを感じていたかもしれない」
「泣いて服従している事を快感だと思っていたってこと?そんなわけ……」
「そんなわけないとあなたは言いきれる?凍夜は『ただの人間の魂』……。『人間の魂』は私達『K』や『神々』の事をどれだけ知っている?」
メグの言葉に一同は黙り込んだ。
「……ほとんど……知らないと思うわ」
アヤが代表してつぶやいた。
「……オオマガツミを使って『K』の世界をハッキングするなんてオオマガツミを宿しただけの『人間』ができること?」
「……普通は思い付かない」
今度は更夜が答えた。
「……猫夜は服従が正しいと思っている……これは……クロかもしれない」
「味方……かもしれないのに……必死で逆らったかもしれないのに……」
サヨは疑い始めた皆に対しひとりつぶやく。
「サヨ、猫夜は父親の暴行で精神が初めから歪んでしまっていた可能性がある。抜け忍になり自由を手に入れた後に服従されていた時代を思い出すようになったのだろう。だから彼女もおそらく被害者だ。もしかすると彼女が一番正常な精神には戻れないかもしれない。……だから俺は彼女を責める気はない」
更夜が諭すようにサヨに言う。
「……」
サヨは黙り込んだ。
「なあ……」
続いて声を上げたのはミノさんだった。
「あの猫夜ってやつ、すごい悲しい魂の色をしていた。それは間違いないぜ。あれは嘘じゃない」
「……そうか。自分に嫌気が差しているのかもな……。逆らおうとはしない、むしろ嬉しく受け入れているとなると……」
更夜が目を伏せた。
「猫夜は本当にこちら側には戻れない」
更夜の言葉をメグが続けた。
「……猫夜に関しては置いておいて……これからどうするのかしら……」
アヤは湿っぽくなってきた所で話題を変えた。
「……千夜、逢夜、狼夜の術を解く。猫夜か凍夜が何かしてくるかもしれないから。世界が近いから先にやるべき。トケイの捜索はおそらく戦闘になるので仲間は多い方がいい……」
「……なるほどね」
「では、向かおうか」
アヤが相づちを打ち、更夜が促した。
一同はすぐ近くにある『時神の世界』へと向かった。
十四話
「憐夜も心配だ……。厄にあてられていたらと思うと……」
更夜は憐夜も心配していた。
「……心配はわかるけども、今はこちらを……」
時神の世界に入り、足を白い花畑に踏み入れながらメグは静かに言った。
気がつくと白い花畑から逢夜、千夜が警戒しながら近づいてきていた。
「……お兄様、お姉様……先程は申し訳ありませぬ!」
更夜がその場で膝と両手をつき、深く頭を下げた。
「……なんだかわからぬが……更夜は戻ったようだな……」
千夜は腹を押さえながらため息をついた。先程、更夜の蹴りをくらってから時間が経っていない。突然に更夜が元に戻って帰って来たため、千夜は困惑していた。逢夜の方は眉を寄せると更夜を立たせて胸ぐらを掴んだ。
「……」
弱々しく項垂れる更夜を睨みつけてから更夜の腹を勢いよく蹴りつけた。更夜は吹っ飛ばされ近くの木に激突した。アヤ達は目を見開いて驚き、サヨは声を上げた。
「ちょっ……」
「逢夜!やめないか!」
サヨの声を遮るように千夜が鋭く叫んだ。逢夜の肩が軽く跳ねる。
「お姉様……あいつはお姉様に本気でやりました……。俺は許さない」
「逢夜!やめろ!やめてくれ……」
再び攻撃を加えようとした逢夜に千夜がすがりつくように止めた。
「やめてくれ……。もう……見たくない」
「……っ」
逢夜は千夜の悲しげな顔に顔を歪め攻撃をやめた。
……見たくない。
その一言が逢夜の動きを止めたのだ。今だから仲良くやっているが凍夜の配下にいた時の彼らは残虐非道であった。更夜達はその被害者であり、お互いを傷つける加害者でもあった。それに抗ったのは妹の憐夜だけ。その憐夜は逃げた罰として千夜達が殺してしまった。
逃がした首謀者である少年時代の更夜に酷い仕置きをしたのは逢夜。家族を守っているつもりになっていた逢夜は憐夜を殺さねばならなかった憎しみを更夜にぶつけていた。激昂していた。
この記述は『TOKIの世界書三部』で詳しく書いている。
その過去と今の気持ちが同じであった。千夜はそこを指摘し止めたのだ。
「……許せなかったんです。ごめんなさい」
逢夜は千夜に丁寧にあやまった。
「……お前は怒るとすぐ手が出る。頭を冷やせ。そのままでは嫁のルルにまで手を上げそうだぞ」
「それは絶対にありません。大切な女性ですから」
逢夜はすぐに答えたが千夜はため息をついた。
「じゃあ、更夜は大切な弟ではないのか?お前が女に手を上げないのは知っているが弟に手を上げていいわけではない!」
「……申し訳ありません……」
千夜に叱られ逢夜は頭を下げてあやまった。
その間にサヨ達が更夜を助けていた。更夜は全く構えていなかったため、蹴りを直に受けてしまい呻いていた。
「更夜も更夜だぞ。受け身を取らずに逢夜の本気の蹴りをそのまま受けたな!何をやっているのだ!死ぬぞ!」
千夜は更夜にも怒っていた。
「お姉様……これは単純に……防御をすればいいというわけでは……ない問題なのです。すみません……」
更夜は弱々しく千夜につぶやいた。逢夜は更夜の発言に目を細め、頭を抱えた。
……あいつ……俺が殴っていたらいくらでも殴られていたか。防御もなく。ばか野郎……。俺もばか野郎だな。姉は……カタキもケジメも望んでねぇんだ。俺はバカな行為をしたんだな。
逢夜は更夜の意図がわかったが何も言わなかった。
「お前達の考えていることはわかるが戦力が減っては困るのだ。今は特にな」
千夜は弟達の上をいく回答をしてきた。逢夜も更夜も納得してしまい二人して下を向いた。
「あ、あの……更夜さん大丈夫?」
アヤが背中をさすっていたが更夜はゆっくり起き上がった。
「……すまんな。先程、俺にやった事を二人にやるんだろう?協力する」
「……どーゆー心境なわけ?」
サヨがアヤを見る。アヤも首を傾げていた。
「……また俺達の力を使うんだろ?」
話が一段落ついた頃にミノさんがメグに尋ねた。
「……ええ。二人の呪縛に猫夜はいない。簡単なはず。ただ……」
メグが息を吐いた時、家から狼夜が出てきた。
「……傷がある程度塞がりました。加勢致します。……ん?」
てっきり戦っていると思っていた狼夜は拍子抜けしていた。
「ああ……狼夜……。大丈夫、あれは味方だ。たぶんな」
千夜がメグ達を見て疑問いっぱいの狼夜にそう答えた。
「……そうですか。オイ!サヨ!後で説明しろよな!」
「はあ?なんであたし単体なわけ?超偉そう!四歳のくせに!」
サヨはわかりやすく「イーッ」とかわいくない顔を向けた。
「四歳じゃねーよ!!黙れ!小娘が!」
「……狼夜……話が進まん……」
千夜に言われ狼夜は顔を青くすると「すみません」と引き下がった。
「……彼……狼夜に関しては大変かもしれない」
メグが先程の言葉を続けた。
「……とにかく、またアイツが来るかもしれねぇから早くやろうぜ……」
ミノさんが疲れた顔をメグに向けた。メグは軽く頷いた。
「……皆、準備はいい?」
「うん」
メグの問いかけにアヤ、サヨは同時に答えた。
「……まず、逢夜からいく。……逢夜、動かないで」
「……?なんで俺の名前をし……」
逢夜が途中で言葉を切った。
メグに引き寄せられたアヤ達が弾丸のように逢夜に飛んできていたからだ。
「なっ!」
「動かないで!……弐の世界の管理者権限システムにアクセス!『介入』!!」
メグの言葉を最後に逢夜の前からアヤ達皆、光に包まれて消えた。
「……消えた……」
逢夜、狼夜はわけがわからず呆然としていたが千夜にはなんとなくわかった。
「……逢夜の過去をいじる気か……」
「その通り……」
「!?」
千夜の言葉に返答してきた声があった。三人はそれぞれ素早く構える。忍の彼らが全く気配を読み取れなかった。メグ達は逢夜の中に入り込んでいない。声をかけてきたのは部外者だ。
「誰だ……」
「猫夜か!!」
千夜の問いかけに逢夜が答えた。
銀色の髪が揺れる。姿がぼんやりと現れて猫夜が現れた。額になぜか包帯をしている。
「……お、お姉様……」
狼夜は戸惑いの声を上げた。
「……猫夜か……その包帯は……」
千夜はどこか悲しげに尋ねた。聞かなくてもわかるが千夜は尋ねてしまった。
「ああ、これ?殴られて床に倒れた時に額を少し切っちゃった」
「……」
逢夜、千夜、狼夜は暗い顔をしている猫夜を悲痛な表情で見つめた。
「なあ……お前、こちらに来ないか?傷の手当てしてやるよ。俺達の妹だろ?そして憐夜を返してくれ……」
逢夜が猫夜に優しく声をかけるが猫夜は首を横に振った。
「……そっちにはいけないわ。お父様に何をされるのか怖いの……。だから行かない。そして私はね、あなた達を邪魔しにきたのよ」
猫夜はそう言うと少し後ろに下がり頭を下げた。
「……?」
千夜達が警戒をしていると突然に黒い渦が鋭く辺りを切り裂き、中からはなんと凍夜が現れた。
「はっ……まずい!!逢夜!狼夜!逃げるぞ!!」
千夜に言われ冷や汗をかいていた二人は素早く世界から離脱した。
千夜も後を追って消えた。
「……追うぞ」
「はい」
黒い禍々しいものを纏った凍夜は猫夜を引っ張り千夜達を追った。
『時神達の世界』には黒い砂漠が広がり白い花畑はただの黒い砂へと姿を変えた。
そこへ現在鎮圧システムであるトケイがウィングを広げて飛び込んできた。おそらく凍夜を追ってきたのだろう。辺りを見回して再び凍夜を追い、黒い砂を撒き散らして飛び去ろうした刹那、三体の人形が現れてトケイを『瞬間移動』させた。
トケイは凍夜を追いかけることは叶わず全く知らない場所へと飛ばされてしまった。
おそらく凍夜、猫夜はこうやって追いかけるトケイをかわしていたのだろう。
トケイがいなくなった黒い砂漠の一部はごっそりとなくなっていた。
十五話
一方、逢夜内の記憶にたどり着いたアヤ達は森の中を掻き分けて歩きつつ、更夜を救った屋敷の場所まで来ていた。再び近くの茂みに隠れる。
「ミノ……大丈夫?また……」
アヤが最初に心配したのはミノさんの心だった。彼がいないと『介入』ができないため連れて来ているが本来、彼は関係がない。
平和を愛するミノさんにこの記憶はとても辛いものなのだ。
「……ああ。おたくらが頑張ってるのに俺がなにもしないのもな……。さっきの女の子の時はまいったが今回は頑張るぜ……」
「無理しないでね……」
アヤは気分の悪そうな顔をしているミノさんを気遣い背中を撫でた。刹那、メグが小さく声を上げた。
「……静かに……逢夜がいる」
メグが眉を寄せて裏扉部分を見ていたのでミノさんとアヤは黙った。
「……また……まただ」
サヨは顔を歪めた。
裏扉から出てきた少年の逢夜はフラフラとしていた。上半身は何も着ておらず血が滴っている。
まだ五歳くらいか。
「はあ……はあ……」
息を上げている逢夜は更夜が猫に餌をあげていた辺りでうずくまった。
「……なんで……殴られるんだろ……。痛いよ……。あんなのできないし、慣れないよ……」
逢夜はか細い声で泣いていた。アヤ達は更夜時と同様に茂みから出て逢夜に接触した。
「……っ!?誰?」
「……私達は未来からきた。あなたを救う。まずくなったら『助けて』と叫ぶの。わかった?」
メグが早口でそう伝えた。逢夜は迷いながらとりあえず首を縦に振る。
「……もう助けてほしいよ。連れ出してよ。逃げたいよ……。人を『あやめる』ってなに?アヤメルってやっぱり危害を加えるのかな……」
逢夜は不安げな瞳でこちらを見ていた。五歳くらいの子供が殺めるなどという単語を教えられている……その事実に震えてしまう。
これから逢夜は成長し、様々な人を傷つけ、そして邪魔者を消していくのだ。平然とそれができる人間になっていく。恐ろしい話だ。
「そんな言葉、あんたみたいな子供が知らなくていい!」
サヨは思わず叫んだがメグにすぐ止められた。
「……サヨ、これは記憶だから。今の逢夜は沢山の人を傷つけ、殺した後に弐の世界に来た。沢山の人の気持ちが明るくなりエネルギーとして消えるまで彼は負がたまった魂として弐にいなければならない。それが本来の彼。でも人間が想像したり、彼が『平和であること』を願ったりしたため神になり『K』にはなれないが『Kの使い』にはなった。それが今の彼。だから現実は変わらない」
メグが諭すように言った。サヨはため息をつくと「とにかく!助けを呼んで!」と言い、逢夜を見据えた。
「……」
逢夜が何かを言おうと口を開きかけた刹那、裏扉から女が出てきた。
「あんた!何してんのよ!逃げてはいけないと言ったわよね?」
女は血相を変えて飛び出してきていた。逢夜の腕を掴み部屋の中へ引っ張ろうとしている。
「お母様!やだ!!行きたくない!俺は……俺は自由になりたいんだ!!」
泣き叫ぶ逢夜を睨み付けた女は唇を噛みしめて逢夜の肩を掴んだ。
「バカ言ってんじゃないよ!!自由なんてないわ!!行きなさい!殺されたくなかったらね!あの男はなんでもする!なにもかも奪う!私はっ……私だって今すぐあなたを連れ出して一緒に逃げたいわよ!!千夜だって……千夜だってね、あんな冷たい目をする子じゃなかった……。あいつを殺したい……。でも私はあいつを殺せない……。たとえ殺せても私は他に殺されるわ。あなた達をおいて死ねないじゃない!」
「お母様……ごめんなさい。行きます。頭を撫でてあげる。だから泣かないで……」
逢夜はすがるように泣く女の頭をそっと撫でて迷いなく家の中に入っていった。
「……もし……」
メグが唇を噛みしめて泣く女に話しかけた。更夜の時と同じだ。
「……やっと来たわね。あの子の心が過去に戻ったわ。また救ってくれるんでしょう?」
女はメグ達を見て涙をぬぐった。今回の女はどこか必死そうだった。
「……救う。……どういう時に術がかかるかわかる?」
「……あの子は縄抜けの術の途中で逃げた。縄がかかった状態で抜けて逃げていたら優秀だった。でも縄がかかる前に逃げたからあの子は罰を与えられる。私は逢夜の連帯責任の罰で辱しめられて逆さ吊りにされる。それで私を助けるためにあの子は服従を誓うの。本当は優しい子なの!優しすぎるくらい優しい子だったの!!逢夜が血を流す様をこれから私は見続けなければいけない……助けて……助けて……」
女は震えながらメグにすがりついた。
「……助ける。更夜の時も助けた。だから……安心して」
メグは女の背中を撫でるとそう言った。この時点で一緒に来たはずの更夜がいないことになぜか誰も気がついていなかった。女が何か返事をしようとした時、恐ろしく陽気な凍夜の声と逢夜の泣き声が聞こえた。
「あの女はどこだ?逃げ出すような軟弱なガキを産んだあいつにも罰がいるなァ……。で?お前はどの面下げて戻ってきた?言ってみろ……」
「ごめんなさい!次はやります!!許しっ……許してぇえ!!」
逢夜の謝罪と叫びがメグ達を突き刺した。
「行かなきゃ……行かなきゃ……!」
女はひどく切ない顔でメグから体を離すと部屋の中へ消えた。
「……行こう」
「……うん。すごい泣き方……。なにされてんだろ……許せない」
メグが促しサヨは答えた。
「サヨ、落ち着いて……ミノが覚悟を決めてる。だから、絶対に一発で成功させるわよ」
アヤの言葉でサヨはミノさんに目を向けた。ミノさんは呼吸を整え、目線は真っ直ぐ裏扉を捉えていた。強い眼差しだった。
「……うん。わかってる……。落ち着いた」
サヨはミノさんを横目で見ると頷いた。
「では……侵入」
メグを筆頭に裏扉から中へアヤ達は入っていった。
「お母様!お母様!ごめんなさい……ごめんなさい……」
逢夜の悲痛な声が聞こえてくる。アヤ達は裏扉から続く廊下を渡り騒がしい一部屋までやって来た。障子扉の奥で逆さになった女の影が揺れている。女は低く呻いていた。
「あのお母さんだ……。ひどい……」
サヨが小さくつぶやいた。
「ははっ!無様だな。縛りつけた足は片方だけだ。もう片方は宙ぶらりんか。みっともないぞ!あははは!」
「あんたなんかっ……あんたなんかすぐに殺しっ……」
「やってみろ。さあ、やってみろ。ああ、そうだ。お前はそろそろもう一匹ガキを産め。こいつの仕置きが済んだらそのまま種付けだ」
「……」
ビリビリと女の怒りが障子扉の外にいても感じた。歯が割れそうなくらいに歯ぎしりをしている音がする。
……悔しいんだ……。
なんにもできない自分が……悔しいんだ。
「ひどい扱いだわね……」
サヨが飛び出そうとするのをアヤが押さえつつつぶやく。
「ああ……信じられねぇくらいひでぇな……」
ミノさんはあまり見せたことのない顔をしていた。ミノさんは静かに怒りを凍夜に向けていた。
「……ミノ……今度は怒ってるの?」
「ああ……なんだかな……」
「ミノさん、感情を彼らを助ける方面に持っていって。先程の感情に今のその感情では厄に入られてしまう」
ミノさんの雰囲気を見たメグは小さくそうつぶやいた。
「……あ、ああ……わかった……」
ミノさんは目を閉じて深く呼吸し始めた。落ち着こうとしているのだろう。
「千夜!」
ふと女が叫んだ。障子扉に小さい影がもうひとり映っていた。声も音もなかった。
「……千夜さんがいるの?」
「みたいだね」
アヤ達は逢夜が「助けて」の一言を発するのを静かに待ちつつ眉を寄せた。
「何をするの!やめて!!やめなさい!!」
刀を構えた千夜が女に近づいていく。
「千夜、こいつは罰を受けている最中だ。痛めつけてもいいがこいつはもう一匹ガキを産む。殺さなくてよい」
「……はい」
凍夜の凍るような声に千夜は刀を納め頭を下げた。アヤ達は障子扉ごしに影を見据えながら顔を青くしていた。
……千夜、今……お母さんを殺そうとした……よ。
「……呪縛……。今の千夜さんとは全く……違う」
アヤ達は平然とそれができる千夜を怖いと思い、同時に術の恐ろしさを知った。
「……厄介。千夜と戦うことになるかもしれない……。千夜を後回しにしなければ良かったか……」
メグは眉を寄せたまま汗をぬぐった。そうこうしている間に会話は進んでいく。
「……さあ逢夜、逃げた罰といこうか。なにがいいかな?お前に忍の才があるなら俺を殺して逃げるか抜け忍になるかしかない。楽しいだろう?」
「……っ。お許しを……」
逢夜の震える声に陽気な凍夜の声が重なる。
「許す?さあ?許す選択肢はない。忍は捕まったら許されないだろ?ヘマしたら死ぬんだ。残念だったな。お前のせいで大好きな母様があれだ。かわいそうにな……」
凍夜はバカにしたように笑いながら逢夜にそう返した。
「うっ……うう……」
「泣くのか。けっこうけっこう。早く仕置きを受けなければ母が死ぬぞ?逆さ吊りは放っておけば死ぬんだ。さあ、言え。何をされたいか。なんの罰がいいか選ばせてやろう」
逢夜が震える手で器具を選んでいる影が映る。相変わらず見えていないが恐ろしい。
……早く助けを呼んで……。
メグ達は突入のタイミングをうかがっていた。
「……こ、これでお願いします……」
「ほー、一番負担の少ない鞭打ちか。釘とか爪とかもおもしろいんだが……まあ百叩きでいいや」
凍夜はつまらなそうに千夜を呼んだ。
「千夜」
「はい」
「縛れ」
「はい」
千夜は感情なく逢夜を縛りつけた。まるで傀儡人形のようだ。
「……私が罰を受ける代わりに母を助けてください……」
逢夜は泣きながら凍夜に頭を下げた。
「それはお前次第さ。動いたら最初からだからな。爪とかなら全部剥がせば終わったのになぁ。いつまでかかるやら」
凍夜は不気味に笑いながらしなる枝を振り上げる。皮膚を弾く音が響き逢夜が泣き叫びながらのたうちまわっていた。
「お母様!お母様!ごめんなさい!ごめんなさい!痛いぃ!!おかあさまー!!」
「逢夜……」
女の涙声がか細く消える。
「ほーら、動いた。最初からだな。最初から。カアサマは死ぬかな?」
おどけた凍夜の声に逢夜は震えていた。
「おかあさま……助けたい……のに……ごめんなさい……」
「お前じゃそんなもんさ……。もう二度と逆らわないというのならカアサマだけは助けてやろう」
凍夜の悪魔な言葉に逢夜は喜びを感じ始めていた。
……逆らわなければまわりが傷つかない。俺が逆らったからいけないんだ。逆らわなければ……
逢夜が口を開きかけた時、女が鋭く叫んだ。
「逢夜!!思い出して!!さっき言われたでしょ!!」
「……え……」
逢夜は虚ろな瞳を女に向けた。
「大丈夫!戦っているのはあなただけじゃない!!」
「……うう……」
「言いなさい!……あっ!」
凍夜が突然女を蹴り飛ばした。
「術を飛ばす気か?」
「……ごほっ……戦っているのは私だけじゃないわ!皆、あなたを殺したいのよ。憎いのよ!いずれ殺されるのを楽しみに待ちなさい」
女は臆することなく凍夜を睨んだ。
「いい度胸だな……。子を産む代わりは沢山いるんだ」
凍夜の雰囲気が殺気に変わる。
「はっ……」
逢夜は凍夜が母を殺すつもりだと悟った。
「お姉様……」
咄嗟に姉を見るが千夜は動く気配を見せず、顔色変えずに冷たい表情をしていた。
「お母様を助けたい……。誰か……助けて!早く助けてー!」
逢夜は頭が真っ白になりながら喉を枯らして叫んだ。
「助けてぇ!!たすけてぇ!!」
タガが外れたかのように叫びだす逢夜。
「うるせぇな……助けてだと?誰も来ないさ」
「……どうかな?」
凍夜が嘲笑してる最中、メグ達が勢いよく部屋に入っていった。
「……誰だ?」
凍夜は鋭く睨みながらこちらに問いかけてきた。
「……あなたから逢夜とお母さんを救いにきた……。サヨ、お母さんを」
「オッケー!ごぼうちゃん!縄を切って!こう……カマイタチみたいなので!」
メグの指示にサヨは素直に従い、カエルのぬいぐるみ、ごぼうに縄を切らせた。ごぼうはなぜかカマイタチを出して縄を切っていた。
「……できた……カマイタチ」
サヨは一言呟くと女に駆け寄り近くにあった羽織を羽織らせた。
「……ありがとう……」
「信じられない……裸で吊るすなんて……」
「サヨ!来るわよ!」
サヨが怒りを充満させている時、アヤが余計な思考を切ってきた。
この際、余計な感情はいらない。サヨはアヤに感謝をした。
「……ありがと!アヤ!ごぼうちゃん!いくよ」
「うん!!」
サヨの前にごぼうが飛び上がり着地するとさっと構えた。
「……千夜、殺してかまわん」
「はい」
幼い風貌の千夜が凍夜の前に来て鋭い瞳を向けている。
「ああ、そうだ、千夜。やるのはあの男からにしろ。あいつはお前には手を上げない。簡単だ」
「……!?」
凍夜は敵対する者達の顔を見て性格を見抜いていた。こんな状況にも関わらずに冷静な判断ができるということだ。
千夜は素早くミノさんに飛びかかった。ミノさんは戸惑い、動きが遅れていた。
「ごぼうちゃん!弾け!」
ごぼうが再び飛び上がり千夜の刀を弾く。しかし、その間に凍夜がサヨに回し蹴りをしていた。
「っ……!?」
「さっ……」
サヨの名を呼ぼうとしていたアヤは咄嗟に時間を止めた。
「さよ……」
時間は無事に止まったが凍夜の蹴りはもうサヨに入りかけている。回避ができない。
「ど……どうしよう……このままじゃ……サヨが……」
しばらく思考した後、そっと目を閉じ、やがて開いた。
……私が……間に入るしかない……。
そしてサヨを後ろに無理に引っ張ってかわすしか……。
アヤは覚悟を決め、時間を動かし始めた。刹那、サヨを突き飛ばし、きつく目を閉じる。瞬間で痛みがくるはずだ。
しかし、痛みは来なかった。アヤとサヨは畳に落ちただけだ。
「……え……?」
咄嗟に振り向くと血を撒き散らした逢夜の体が宙を舞っていた。
……まさか……!
アヤは逢夜を受け止め障子扉に激突した。
「……つぅ……。あ、あなた……かばったわね……」
「げほっ……当たり前だ……」
逢夜は苦しそうに呻いていた。
「こりゃ……ヤバい……」
サヨも冷や汗をかきながら動揺していた。最初を崩されたのだ。
態勢が整わない。
凍夜は再び攻撃を仕掛けてきた。
「……セカイ!」
メグが叫んだと同時に魔女帽子の少女ドールが凍夜の拳を弾く。
関節が外れた音がしたが凍夜は平然と元に戻した。
「……ほぅ。からくり人形か」
凍夜の瞳が再び狂気に揺れた。
十六話
「……ミノさんを……」
メグは静かにセカイをミノさんの救助に行かせた。それをみたサヨはごぼうをこちらに呼び寄せる。
「ごぼうちゃん!」
ごぼうは千夜の刀を危なげに弾くと慌てて戻ってきた。しかし戻る最中、ごぼうはなぜか突然に止まってしまった。
千夜が影縫いをかけたようだ。
「しまった……!」
サヨが呟いたがミノさんがごぼうの影に刺さる針を蹴飛ばしこぼうを解放した。
「キツネちゃん前!」
サヨが叫ぶのとミノさんが千夜の刀を白刃取りするのが同時だった。
「……女の子の筋力じゃねぇな……」
飛び上がったまま重力で全体重をかけて刀を押し出す千夜と必死に両手で刀を抑えるミノさん。
耐えられなくなったミノさんの手からは血が滴り始めた。千夜は突然刀から手を離すと宙返りをし、そのまま体勢の崩れたミノさんに向けて小刀数本を投げてきた。
「……容赦ねーんだな……」
ミノさんは動物的な本能で飛んできた刃をかわす。しかし、かわした刀の内の一本がメグに飛んだ。
「しまっ……」
「セカイ!」
メグはセカイを操り小刀を弾く。
その間に凍夜がメグに影縫いをかけた。
「……くっ」
「メグ!……なっ!」
アヤとサヨがメグを助けようと動こうとしたが体がピクリとも動かせなかった。知らぬ間にふたりにも影縫いがかかっていた。
「……なんだか妙な術を使うようだが動けなければ何もできまい」
「……まずい」
アヤ達に冷や汗が流れる。
「さあ、駒が増えた。好きにやりあいたまえ」
凍夜が指を動かすとアヤとサヨ、メグが勝手に動き出した。
……影縫いから糸縛りにかかった!!
「ミノ!糸を切って針を抜いて!」
アヤがミノさんに叫ぶがミノさんは千夜の刀をかわすので精一杯だ。
「ごぼうちゃん!」
「セカイ!」
サヨとメグはそれぞれの使いを操り糸を切ろうとしたが凍夜がメグとサヨの体を操りお互いを殴らせようとしたため二人の集中が切れてしまった。
「セカイ!弾いちゃだめ。……受け止めて!」
メグの言葉通りにセカイはサヨの拳を受けた。
「ごぼうちゃん!メグの拳を受け止めて!」
サヨも同様にごぼうに拳を受け止めさせた。その一瞬の隙を見逃さず、凍夜はサヨの顔面めがけて回し蹴りをしてきていた。
「……っ!うそ……!!」
サヨがかわしきれないと咄嗟に悟った時、またも逢夜が間に入ってきた。
「バカっ!!」
サヨが叫んだ時には遅く、逢夜は再び凍夜の攻撃を受け血を吐きながら壁に激突した。
「……っ!」
「さあて……」
凍夜はゆっくりメグ達を抜けアヤの横にいた女の髪を乱暴に掴み三人から離した。
「影縫いを外そうとしていたな?この女郎が」
凍夜は睨み付けてくる女を思い切り殴り床に打ち付けた。
「……ごほっ……ざ、残念だったわね……。彼女だけは外したわよ……」
女は頬を押さえながら呻くように言った。凍夜はアヤを見据える。
アヤはまるで瞬間移動しているようにメグとサヨの術を解いていた。
「……お前が一番妙だな?」
「……そうかしら……」
「お前だけは生け捕りにしよう」
凍夜が薄い笑みを向け、アヤは凍夜を睨み返した。
「ごぼうちゃん……!」
サヨが凍夜を攻撃するようごぼうに指示を出す。ごぼうは素早く飛び上がり凍夜を襲った。
しかし、今回の凍夜は反射が早かった。居合い抜きでごぼうに一閃を浴びせる。ごぼうは白い光となり消えてしまった。
「……ごぼうちゃん!!」
サヨの焦る声が聞こえ、メグはセカイを操りながら考える。
……凍夜が若い……。反射も早いし千夜もいて……逢夜に勝たせないといけない……。
だけど……私本来の力は使えない。凍夜は人間だ。私が神力を解放すれば勝てる……だけど逢夜の術が解けない。
……そうだ。千夜を遠くに飛ばそう……。
「セカイ!」
メグはセカイを呼びテレパシーで指示を飛ばした。セカイは凍夜から離れミノさんに飛んでいく。
凍夜は好機とみたのかメグとサヨを倒しにかかってきた。メグはサヨを庇いながら叫ぶ。
「弐の管理者権限システムにアクセス……ぐっ……がはっ!」
決死の覚悟で叫んだが、鋭い痛みと衝撃が襲った。凍夜の回し蹴りがメグの顎に入ったのだ。メグの意識は飛び、障子を突き破り向かいの部屋に勢いよく落ちていった。
「めっ……メグ!!」
守られていたサヨは一瞬なんだかわからなかったがメグが血を流して倒れているのだけは確認できた。
「メグ!あんたっ……」
「サヨ!ダメ!凍夜を見て!!」
アヤの叫びが聞こえる。ハッと我に返った時には遅く、凍夜の拳が腹に入っていた。
「……いっ!!……がふっ……」
サヨは体をくの字に曲げると腹を押さえたがその後すぐに凍夜の肘打ちがサヨの首に入りサヨは意識を失い倒れた。
「……そんな……ひどい……」
「……ひどい?お前達はなんだか知らないが俺を殺しに来たんだろ?なにがひどいんだ?言ってみろ。ほんとうは殺しても良かったんだぜ」
呆然とひとり呟いたアヤの胸ぐらを凍夜は平然と掴んだ。
「あっ……」
「さあ、お前らはなんだ?忍か?その妙な術は……」
凍夜は途中で言葉を切った。アヤが時間を止めたのだ。
「はあ……はあ……ま、負けないんだから……私は時神よ……。時間を止めれば逃げられる……」
時間の止まった空間でまずは辺りを確認した。ミノさんは千夜の刀を必死でかわしながらアヤを気にかけていた。避ける事に集中できていない。
……はやくなんとかしないと致命傷を負う……。
次にアヤはサヨとメグをみる。
サヨは完全に落ちていた。メグは隣の部屋まで飛ばされているので確認はできないが意識はなさそうだ。
逢夜とその母は苦しそうな表情をしているが意識はあるようだ。
最後に凍夜を見る。凍夜は笑っているが目がひどく冷たい。人を蹂躙する事に対し罪悪すら感じていない顔だ。一体何を考えているのか……。
今はおそらくアヤを拷問し忍術だと思われている時神の能力を吐かせようとしているのだろう。
アヤは服を引き裂いて凍夜の手から無理やり逃れるとどうすればいいか考え始めた。
服は裂けてしまいボロボロの状態だがアヤは恥ずかしがる余裕なんてなかった。
……どうする……。
……どうする?
しばらく考えてから結論を出した。
……千夜さんをミノと倒すしかない。
千夜は今、止まっている。ミノさんとの間に入り突然に現れたかのように見せ、不意打ちする。
もうそれしか思い浮かばず、アヤはミノさんとの間に入り込み時間を元に戻した。千夜は突然現れたアヤに戸惑いを見せた。
……うまくいって!!
アヤが力任せに千夜を押し倒す。
頭を強く打たせて失神させるのが目的だった。しかし、千夜は子供だが忍だ。受け身を取りかわした。
……そんな……。
千夜がアヤ目がけて刀を振るってきた。ほぼ反射に近い動きだった。
ダメだ……と思った刹那ミノさんが割り込み、千夜に鋭い拳を入れた。拳が入った腹から鈍い音がし、千夜が吹っ飛ばされ柱に激突した。
「はあ……はあ……。しまった……マジで入った……。どうしよう……」
ミノさんは震える拳を押さえながら苦しそうに言葉を発した。
しかし千夜はあれだけの攻撃を受けたにも関わらずフラフラと立ち上がった。
「……立たないでくれよ……。頼むよ……。もうやりたくねぇよ……」
千夜は「がはっ……」と何かを吐いた。拳は明らかに千夜の腹に入った。立てているだけでも異常だ。
千夜が顔を歪めたのは一瞬だけで後は元の冷たい表情に戻っていた。 信じたくはないが痛みに慣れてしまっているようだ。動揺や戸惑いがない。
「千夜、何をしている。その女は生け捕りだと言ったはずだ。命令に背くか?」
凍夜が娘を心配する気配はなく、むしろ睨み付けていた。
「……申し訳ありませぬ……。反射でございました……」
千夜は何事もなかったかのように返答した。
「命令違反の罰は鉄にしようか。お前が一番嫌いなやつだな。痕が残る。それだけはなぜか耐えられないんだよなあ……。慣れのためだ。今日は火鉄打ちは何回がいいかなー」
凍夜の言葉に千夜は突然に震え出した。涙が目から溢れ、許しをこうように凍夜を見ていた。
「許してほしいか?……ならあの男の方を全力で殺せ。俺もめんどくさいのは嫌いなんだ」
「……はい」
涙声の千夜にミノさんとアヤの心が震え出した。心が痛い。なにかが沸き上がるような怒りにも似たよくわからない感情が昇ってくる。
……こうやって支配していくのか……こんな小さいうちから……。
「……でもどうする……」
アヤは困惑していた。アヤが凍夜を追い詰め、そして逢夜に勝たせなければならなくなった。
ひとりでは無理だ。助けがいる。
「……私も戦うわよ」
「……!」
アヤの横にいつの間にか女が立っていた。
「あなた……大丈夫なの?」
「……逢夜に自信を持たせるんでしょ……。やるしかないじゃない。死ぬ気でやるわよ」
「……そうね」
女は闘志を見せていた。敵わない男に立ち向かうというのに女には迷いがない。その後、女は切なげに千夜を見た。千夜は手負いのはずなのにそれを見せず、必死にミノさんを殺しに来ていた。
「……千夜……あなたもいずれ助けるから」
女はつぶやくが千夜は聞こえていないようだった。
「さあて……俺に歯向かうヤツは女ふたり。逢夜、お前はどっちにつく?俺か?そちらか」
凍夜は嘲るように逢夜に問う。逢夜は荒い呼吸を繰り返しながら瞳が揺れていた。
迷っている。
逢夜が迷ってしまえば攻撃にも迷いが出てしまう。
「……逢夜さん!私達は負けないわ。自由を手にするのよ!」
アヤが叫びながら凍夜に襲いかかった。近くに落ちていた小刀を素早く拾い、何かを仕掛けようとしてくる凍夜の前で時間を停止させた。
……驚くがいいわ。
アヤは小刀を持ったまま凍夜の後ろに回る。そして時間を動かした。後ろから足を狙い小刀を振り上げたが凍夜の動きのが早かった。凍夜の平手打ちがアヤの頬に入りアヤは床に打ちつけられてしまった。
「あうっ……」
「また妙な術を使ったな?あれはなんだ?」
凍夜は倒れたアヤの腕を踏みつける。
「あぐっ!」
アヤはあまりの痛みに叫んだ。
「ふむ」
ついでのように凍夜は後ろから小刀を振りかぶっていた女を殴り飛ばした。
それを見たミノさんがアヤを助けようと動いた刹那、千夜が飛び込んできて袈裟に斬りつけてきた。
「……しまっ……」
ミノさんが斬られるのを覚悟した時、恐ろしいほど鋭い神力が部屋を渦巻いた。それに驚いた千夜は咄嗟に後ろに退き眉を寄せた。
「……なんだ?」
凍夜が鋭い気迫が感じられる向かいの部屋を睨む。そこには息を荒げたメグが立っていた。
「……弐の世界……管理者権限システムに……アクセス……『転送』……」
メグは苦しそうにつぶやくと膝を折り再び倒れてしまった。それと同時期にセカイが現れ、指示通りに怯んだ千夜を電子データに分解した。この千夜は記憶の千夜だ。メグがやりたかったのは千夜を消すことだった。
「……消えた……。何をした……」
一瞬だけ凍夜に隙ができた。
「逢夜さん!行くわよ!」
アヤが凍夜にぶつかり体勢を崩す。アヤはそのまま凍夜に蹴り飛ばされ床に転がった。その後、ミノさんが横から羽交い締めにしようとするが凍夜の肘打ちを食らい柱にぶつかる。女が凍夜の足を掴むが踏みつけられそれぞれに影縫いがかけられた。
「ちっ……動けな……」
「ごぼうちゃん!」
ふとサヨの声が響いた。腹を押さえたサヨが苦しそうな声でごぼうを呼び、再び現れたごぼうに指示を飛ばす。ごぼうは飛び上がると空中で鉄砲弾のような水弾を複数発射させた。凍夜はさらに怯んだ。
「今だァ!やれェ!!」
ミノさんの叫び声に逢夜は何かに取りつかれたように走り出した。
「はあはあ……負けてたまるかァ!!お母様をっ!!守りたい!」
逢夜が小刀を振りかぶるが凍夜の反射が早く刀が弾かれてしまった。
「……くっ!」
しかし逢夜は諦めず空中で一回転すると何本ものクナイを必死に放った。クナイはすべて凍夜の急所に入り、凍夜はその場で血を撒き散らして死んだ。
「はあ……はあ……やった……。これは凍夜が教えた急所だ……ぜ。守ってくれる人がいた……。お母様を……助けられた。あの時は誰も来なかった……。でも今は……」
子供の逢夜が今の逢夜に変わり喜びを露にしていた。辺りは更夜の時同様に白い空間に変わり記憶が終わっていた。
ミノさんは肩で息をしているアヤに駆け寄り声をかけはじめ、サヨとメグもフラフラとアヤの所に集まった。
逢夜の母は体を引きずりながら逢夜を抱きしめ逢夜も母を抱きしめた。
「お母様……あの時は申し訳ありませんでした……。本当は助けたかったのです」
「……いいの。私こそあなたを守れなくて……母親失格だったわね……。……そう。失格よ……。憐夜は大丈夫かしら……。あの子は最後に生まれたとてもいとおしい娘だった……」
母の言葉が逢夜の胸を抉った。千夜や更夜も関わっているが憐夜が抜け忍になってから実際に殺害したのは自分だった。
「……すみません……俺が……」
「……そう。いいのよ……。終わったこと……だものね。今は仲良しなんでしょう?あなたも柔らかくなったわね」
「……ええ。妻もおりますので……」
逢夜は今だけは穏やかな気持ちでいられた。
「……じゃあ、私はこれで。まだ千夜が残ってる……。また……記憶で会いましょう。あなたはあの強い娘達を気遣ってあげなさい。怪我をしている」
「……もちろんです」
逢夜の返事を聞いた女は優しく微笑むと光に包まれ消えていった。
「……今回は母を……守れた気がする」
逢夜は小さく呟くとアヤ達の所へ行った。
「すまねぇ……。怪我の具合は?」
「女の子の怪我のが酷い。ったく、なさけねーよな……」
逢夜にミノさんはため息混じりに答えた。
「お前も神なんだな?ありがとう。助かったぜ……。と、アヤとサヨと……」
「……メグ」
「メグ、怪我を見よう」
逢夜はアヤとサヨとメグを一人ずつ見ていった。
「ひでぇのはメグ……だな。出血している。サヨは……」
「うっ……」
「ここが痛てぇか?あまり動くなよ」
逢夜はテキパキとメグの止血をし、サヨの調子を見た。
「アヤ……大丈夫か?服が……」
ミノさんは逢夜の動きを見ながらアヤの背中を擦った。
「……私は大丈夫よ……。皆が守ってくれたから」
アヤは手を横に広げ、神々が必ず一着は持っているという霊的着物に着替えた。神々は手を横に広げると霊的着物のデータを纏える仕組みだ。一般の着物とは構造が違うため機能性があり、軽い。
「……痛かったろ……ここ……」
ミノさんは心配そうな顔で頬を触り腕を触る。
「……まぁねぇ……本気で叩かれるとけっこう痛いのね……」
「……当たり前だ……。このまま連戦は無理だろ?千夜とかいうあの子の術も解くならこれじゃあ無理だ。相手は力のある男だ。女ばかりではやはりキツいだろ。男がいる……。強い男が……って……更夜とかいう時神がいねぇじゃねぇか!!」
「……!!!」
一同はミノさんの言葉に同時に息を飲んだ。
「そうだ!一緒に来たはず!!」
サヨが腹を押さえながら興奮ぎみに口を開いた。
「お前は興奮すんな!!急所だぞ!!」
逢夜がサヨに怒鳴る。
「……メグ、どういうことよ……?」
アヤはメグに目を向けた。
「……わからない。過去神だから弾かれた……のか?」
「でも、鈴の時にはいたじゃないの!」
「……確かにそう。どういうことなの……?」
メグが頭を悩ませながら思考していると更夜の声が響いた。
「おい……俺はここだ。お兄様内の過去と現代の狭間にいる。そちらには行けないようだ。お兄様の記憶が展開されている時には声すらも届かなかった。記憶が解けたと言うことは勝ったんだな?」
更夜の声のみが響いていた。 こちらの姿すらも見えていないらしい。
「……おう!更夜か!勝てたぜ!だが皆、怪我してんだ……。俺は記憶内部だから怪我は治っているが……」
逢夜がとりあえずどことなく叫ぶ。
「……怪我……。ここは私の管轄内なので彼女達の時間を巻き戻してみましょうか?」
「……んなことできんのかよ!?」
逢夜の驚きに更夜は静かに答える。
「彼女達はお兄様の記憶に入り込んだだけなのでなんとかなりそうです。時間がありません。今、お兄様達は現在の弐で凍夜達に追われています」
「なんだって!?よし、だったら早くしろ!」
「やってみます」
「……待って……」
メグの制止の声がすぐにした。
「なんだ?お前は顎に入ってんだぞ!動くな!」
「……今、追われているって言った?猫夜が……いる?」
逢夜を手で制止し、メグは天を睨んだ。
「……いるようだな」
「……ということは……『排除』!『排除』を使われた!!最後に逢夜に入ったのは更夜。完全に入りきる前に弐の世界の管理者権限システム『排除』で更夜だけ弾かれた……。猫夜は……私達が『介入』を発動した時に……なんで入り込まなかったの……?」
「それはわからん……だが……ここから出たら猫夜とぶつかることになる。お兄様が必死に逃げている」
「……とりあえず、傷を治せ……。見てられねぇ……。更夜、早くやれ!」
逢夜がメグを落ち着かせ更夜に叫んだ。
十七話
逢夜の心との境目にいた更夜は、中にいるアヤ達の時間を巻き戻し始めた。
「……すごい!なかったことになってる!」
サヨが感動の声を上げた頃にはアヤ達の傷はきれいさっぱりなくなっていた。
「……ほんと、すげぇな……。やっぱ時神過去神なのか、更夜は……」
「感動は後回しに、早く世界から離脱を!」
更夜に鋭く言われてメグが慌てて叫んだ。
「弐の世界、管理者権限システムにアクセス!『離脱』」
叫んだと同時にアヤ達は弾かれるように白い空間から、ガラスを破るように投げ出された。
途中、更夜と合流して、気がつくと元の世界に戻った。しかし、逢夜が誰かの世界へ落ちている最中だったので、逢夜から出てきたアヤ達は振り落とされるように誰かの世界に落ちてしまった。
「……セカイ!」
咄嗟にメグが叫び、セカイを呼ぶ。セカイは手を前にかざすと落ち行くアヤ達を止めた。
「来たか!」
すぐに逢夜が声を上げ、前を見るように促してきた。目の前には猫夜と笑みを浮かべた凍夜が不気味に佇んでいた。
この誰かの世界はもうすでに黒い砂漠に赤い空だった。
「……千夜と狼夜は!?」
サヨは二人がいないことに気がつき、慌てて声を上げた。
「……途中で別れて俺が引き付けたんだよ。お前らが呪縛を解いてくれることを確信してな」
逢夜は落ち着いた声で、凍夜を睨みながら言った。
「……大丈夫。あなたの術は解けている」
「そうか」
メグの言葉に体の底から闘志を沸き上がらせる逢夜。
「……共に戦いましょう。お兄様」
逢夜の横から、ずいと更夜が現れた。逢夜は軽く笑うと投擲武器を凍夜に放った。宣戦布告である。
凍夜は針のように鋭い武器を軽やかに避け、臨戦態勢になった。
凍夜が動く前に更夜が刀を振りかぶり、凍夜の背後をとっていた。
ここまで一瞬であり、アヤ達は言葉を発することもできず、ただ口を開けるばかりだった。
しかし、更夜の刀は凍夜に届くことなく止まった。更夜の刀は、間に入り込んできた猫夜により、寸止めになっていた。凍夜を守るように間に入り込んできたようだ。
「……」
更夜は猫夜を斬れなかった。
「……更夜、戻れ」
逢夜の指示で更夜は一瞬の内に逢夜の元へ帰っていた。
「……よく寸止めにできたな……。猫夜は邪魔だぜ……。どっか動かせないか……」
「……猫夜は斬りたくありません……。どうしますか……」
逢夜と更夜がささやくような声音で作戦を練ろうと口を開いた時、メグが前に出た。
「……弐の世界、管理者権限システムにアクセス……『介入』!」
「おまっ……まさか!」
逢夜の声と共になんだかわかっていないアヤ達も連れ、猫夜の中に入ろうとメグは考えたようだ。
一同は先程と同様に勢いよく猫夜に飛んだ。
「……弐の世界の管理者権限システムにアクセス、『排除』……」
静かに猫夜の声が響き、猫夜の前に透明なシールドが現れた。シールドはメグ達を包み込むと世界の外へと弾き出した。一同は白い光となり世界から排除されてしまった。
「……何をやっている……猫夜」
凍夜が目を細め、猫夜を睨んだ。
「……私に入ろうとしていたので排除しました。お父様への忠誠がなくなってしまうところでした」
「……あいつらは厄介だ。誰が一番厄介だ?」
凍夜の言葉に猫夜は迷わず、彼女の名前を口にした。
「……メグ。ワダツミのメグ」
「……メグ……あの水色の髪の神だな。あいつを消せばいいのか……ククク……そろそろトケイが来る……行くぞ」
凍夜は不気味に笑うと猫夜にいくつか指示を出し始めた。
※※
一方で逃げ続けていた千夜と狼夜はどこかの世界に入り込んでいた。ここも黒い砂漠に赤い空だ。
「……逢夜がおとりになったが……弟は大丈夫だろうか……心配だ」
千夜は小さく狼夜につぶやいた。
「……大丈夫だと思いますね。お兄様は強いですから」
狼夜が力強く言い放った刹那、黒い砂漠に黒い影が映った。
「……待て、誰かいるぞ」
千夜が目を凝らして見据えると、こちらに向かってきていたのは鈴だった。
「鈴だ……どうする……」
「……」
狼夜が言葉を探している内に鈴は目の前に来ていた。
「ねぇ、千夜に狼夜、凍夜様に下ろうよ。ねぇ?それがいいよー」
鈴は表情なく突然にこちらに話しかけてきた。
「……ダメだ。お前はこちらの時神だろう。向こうについてはいけない」
千夜の言葉に鈴は顔をしかめた。
「そんなこと知らない」
鈴は二人を恐ろしい形相で睨み付けていた。
「……ならば仕方ない。狼夜、鈴と戦え」
「……なっ!」
千夜の発言に狼夜は目を見開き、眉を寄せた。それを見た千夜は狼夜にそっとささやく。
「……鈴は男を怖がる。特に今は攻撃してくる男がたまらなく怖いはずだ。攻撃はするな。なるべくお父様っぽくフリだけでいい。隙ができた所で私が捕まえる」
千夜の意図がわかった狼夜は軽く頷くと鈴を倒しにかかった。攻撃をしてくると気がついた鈴はわかりやすく怯えた。
「やっ……やだ!!痛いの嫌ァー!!」
その場でうずくまり、震える鈴。
狼夜が止まったのを見計らい、千夜は鈴の影に影縫いをかけると腕を縛り、拘束した。
「……はじめからこうすれば良かったのだ。簡単だったな……」
「イヤ!イヤー!!ヤメテ!!……っ……」
千夜はわめき散らす鈴に当て身を食らわせ沈黙させた。
「容赦……ないですね。俺はかわいそうで無理です」
狼夜が苦笑いで千夜を見据えた。
「こうでもしなければ捕まらない。こちらの世界の時神現代神は戻さねば」
千夜は狼夜の肩を軽く叩くと鈴を担ぎ上げ、世界から離脱した。狼夜も慌てて千夜に続いた。
十八話
現在、凍夜の世界の一部であろう城内部で、ルル達は脱出できる部分を探していた。ルル達が鎖に繋がれていた部屋の横が隠し扉になっており、その先の地下の廊下を歩いている所だ。
「……まずいな……」
千夜の息子にして望月家の頭主の明夜は優しげな顔を歪めた。
「……ど、どうしたの?」
「凍夜様のご帰還だ」
「……」
明夜の言葉にルル達は言葉を失った。
「上手く逃げられなくなった……。なんだ……帰ってくるのが早すぎるぞ……」
「……じゃあ……私達」
憐夜が激しく震えだした。憐夜はルルを逃がしたこと、竜夜とかいう兄弟に喧嘩を売ったことなどに今更ながら恐怖を抱いていた。
「……大丈夫……。見つかったら俺がなんとかするから、泣かないで」
「……なんか変な感じ……。私の方が年上なのに……」
憐夜は困惑した顔で明夜を見上げていた。明夜は千夜の息子なので憐夜よりも年下である。
「……ねぇ、それよりこの廊下、どこに繋がっているの?」
ルルは怯えながら明夜に尋ねた。
「……外だよ……まずい」
「……?」
廊下の先から禍々しい気配が立ち込めてきた。ルル達が進んでいる方向から恐ろしい気配が近づいてきている。
「……走れ!早く!戻れ!!」
明夜がルルと憐夜に叫んだ。二人が震えながら元来た道を戻り始める。刹那、目の前に凍夜がいた。
異様な速さだ。やはり忍の足は異常である。
「こんな狭いところで何をしている?……ほう、やってくれるな」
凍夜は嘲笑しながら逃げ去る二つの影を見据えた。
「……もう隠し通せませんね……。俺は彼女らを逃がしたんですよ」
「くくく……おもしれぇガキだ。さすがあの千夜の子、千夜も俺にたてついてる。おもしろいことだ」
「それは愉快ですね。俺も愉快」
明夜は冷や汗をかきながら凍夜を観察する。凍夜は刀に手をかけていた。
……ああ、そうかよ。ついに俺に手を上げるか。大事なものが俊也に変わったか、凍夜。
だが、俺は殺せない。
俺が死んでもこの世界から出るだけさ。
「お前がここで死ねば……」
「……」
凍夜が明夜を下げずんだ目で見つめる。
「あいつらに、さらに強い術をかけられるな……くくく」
「……!」
明夜は目を見開いた後、軽く口角を上げた。
……そうきたか。
「さあ刀神、こいつを処分だ」
「……刀神?」
凍夜は刀を抜いた。その刀は不気味に輝いていた。近づいたら噛みついてくるような雰囲気がする。
……妖刀……?
……違う……。
こいつが持ったことによって刀神が『堕ちた』んだ!
「……相変わらず勝てそうにないですね……」
明夜が皮肉を言いつつ、自分の刀を抜いた。この狭い場所で斬り合いはできない。
……と思ってるのは俺だけかな。
こいつ、関節外したりできんだよな。
明夜は刀を構えたまま、じりじりと後ろに下がっていく。
「刀の使い方も知らんだろう。お前には何も教えてきていない。こういう時に歯向かわれると面倒だからな。お前は俺の飾り人形でいいんだ。もういらないがな」
「またまたご冗談を……」
明夜が苦笑いをした時、凍夜が刀を振るってきた。刀は妖しく発光し、真っ直ぐに明夜を捉える。
壁などがまるでなかったかのように、紙のように、斬られていく。切断された場所は糸鋸で切られたかのように真っ直ぐだ。
「……嘘だろ……。刃こぼれとか言ってる次元じゃない……」
明夜は仕方なく、迫り来る凍夜の刀を自身の刀で受け流そうとした。刀同士がぶつかり合った刹那、凍夜の刀がまるで空気を切り裂くように入り込んできた。
「っ!?」
気がつくとなんの抵抗もなく、明夜の刀の半分から先がなくなっていた。剣先が無惨にも廊下に転がる音が響く。
「……切れ味がおかしいよな?」
明夜は冷や汗をかきながら折れた刀を再び構えた。そのまま後退りをする。
……もう、彼女達は逃げられただろうか?予想では今、『竜夜達がいない』。何かの任務についたかわからないが、凍夜直々に俺達をどうにかしようとしていることでわかる。
問題は、俺がどうやって逃げるかだ。
「……あ!明夜!……げっ!」
ルル達がいたあの部屋からサヨの兄である俊也が突然に現れた。俊也は明夜を見つけると不安げな顔を一時和らげ、また凍夜を見つけて元の顔に戻った。
「俊也!部屋にいろって……!」
「あ、あー……うん。なんかひとりだと不安だったから明夜を探してて……騒がしい方に行ったら……」
俊也は動揺していた。目が泳いでいる。
「そうだ!」
明夜はひとり頷き、困惑している俊也を引き寄せた。
「わっ!」
「……俊也、盾になってくれ」
「ええ!?」
明夜の言葉に俊也は驚愕の声を上げた。
「ははー、頭のいい策だ。で?どうする」
凍夜は赤子をあやすかのように微笑みながら明夜を見ていた。その微笑みはかなり不気味であった。
「逃げる」
明夜は苦笑いのまま、凍夜に何かを投げつけた。
「……っ!なんだ?」
玉のような何かは凍夜に黒い煙を放出し、同時に焦げた臭いを撒いて爆発した。
爆発に身の危険を感じた凍夜はとりあえず後退し、煙が晴れた所で明夜達を探すが彼らはもうそこにはいなかった。
「くくっ……。肉体が向こうにある俊也はここから逃げられない。明夜はどうするつもりかな?」
凍夜はゲームでもしているかのように不気味に笑っていた。
十九話
明夜達を全く知らないアヤ達は明夜達が逃げている事も知らずに、どこかの黒い砂漠の世界に隠れていた。
猫夜に『排除』され、行き着いた先がこの砂漠だった。だんだんと黒い砂漠の世界が多くなってきたように思える。かなり危険だ。
「……猫夜に弾かれた。やられるとは思っていたが」
メグが頭を抱えて唸る。
「もう拠点の世界も安全ではないな。どうする?」
更夜は不気味な赤い空を睨んでからアヤ達に尋ねた。
「千夜さんと狼夜さんを探してみる?」
アヤがそんな発言をした刹那、再び猫夜が現れた。落ち着いている暇もない。
「猫夜だ!」
サヨが叫び、一同はとりあえず構える。
「……お父様はいないわよ。いるのは私と……」
猫夜はそこで言葉を切ると何もない所に目配せをした。
「私の親族」
目配せをした辺りから、三人の男女が現れた。
「あなた達は……」
三人を見て声を上げたのは更夜とアヤだった。
「誰だよ。アヤ」
ミノさんは完全についていけず、アヤを怯えた表情で見据えた。
「わからないけど、少し前に襲われたわ」
髪型が尖っている男、総髪な男、そしてポニーテールの女、感情もなく突然にあの遊園地で襲ってきた三人組だ。アヤ達には名乗っていないが確か、竜夜(りゅうや)、雷夜(らいや)、華夜(はなや)だった。
「……凍夜の代わりに来たか。ということは今、凍夜になにか問題が起きている……」
更夜の口角がわずかに上がった。
これは彼が見せる駆け引きの顔である。
「……」
三人は顔色を変えない。
「ふふ……意味ないわよ。この子達はすでに厄神に落ちているから」
猫夜は微笑むと突然に彼らに指示を飛ばした。
「……華夜、あんたは逢夜と現代神アヤを、雷夜はキツネ耳とサヨを、竜夜はメグと更夜を」
猫夜の指示は的確だった。特に女の華夜と女に手を出せない逢夜は非常に相性が悪い。そしてKではない逢夜とアヤを残すことでアヤはこの世界から動けない。
「……分散か。そうはさせねーよ」
逢夜が仲間を一ヶ所に集めようとした刹那、例の三人組の人形が現れた。三人組の人形はすばやく飛んでミノさんとサヨを世界外へ転移させた。転移の輪がなくなる前に雷夜が輪に飛び込み、三人同時に消えた。
「……ちっ!」
わかりやすい逢夜の舌打ちが聞こえ、アヤの仲間を呼ぶ声がし、態勢が崩れた時に竜夜が飛んで来た。
先に刀を抜いた更夜は顔を曇らせつつ、相手方の刀を受けた。更夜からすると避けることはできなかった。避けるとおそらくあの三人組の人形が更夜を飛ばすはずだからだ。
だが、更夜にはわかっていた。受けると逃げられないことを。
「メグ!全員連れて逃げっ……」
更夜の言葉は途中で切れ、いつの間にか足元にいた三人組の人形に『逢夜』と『アヤ』が転移させられ消えた。追うように華夜が転移の輪に飛び込んで行く。
「ちっ……」
今度は更夜の舌打ちが響く。更夜は読み間違いをしていたようだ。
次は更夜とメグが飛ばされると思い、飛ばされる前に『K』であるメグを使い、皆を逃がす予定だったのだ。
「もう、決めていたの?作戦を」
メグは顔色を変えずに猫夜を見据える。
「じゃないと勝てないでしょ。……竜夜、お父様に助力を」
猫夜の言葉に竜夜は素直に従い、砂漠の世界から消えていった。
「……彼は私達を排除するんじゃなかったの?」
メグの問いに猫夜は心底おかしそうに笑った。
「そんなわけないじゃない。更夜お兄様は私を斬れない。ならば……決まってるでしょ……」
猫夜の気が殺気に変わった。
「なるほど」
メグはそうつぶやくと自分のドール、セカイを出現させた。
猫夜も三人組のドール、ムーン、シャイン、リンネィを手元に戻らせる。子供のままごとのようにも見えるが、この人形達はそんなに優しいものではない。
「……更夜、もう仕方がない。戦うしかない。ここで猫夜に勝てれば凍夜に勝てる可能性が高まる」
「……わかっている。生け捕りにせねばならぬのが難しそうだが……」
メグの言葉に更夜は頭を抱えた。彼らは霊なので死んだらこの世界に入れなくなるだけだ。更夜としては散々傷ついてきた猫夜に刀を向けたくはなかったが、なにもしなければやられてしまうので戦う覚悟を決めた。
※※
世界から排除されたミノさんとサヨは、移動したのかわからないくらい、同じ雰囲気の世界に飛ばされていた。
黒い砂漠に赤い空の世界だ。
ただ、違う世界にたどり着いたことはわかった。皆がおらず、代わりに癖っ毛の青年雷夜がいたからだ。
「おい……なんかやべぇよな……」
「やばいってもんじゃないっしょ……。うちらが最弱なんじゃね?」
ミノさんの言葉にサヨが力なく答えた。
「俺、あいつにたぶん勝てない。気持ち悪ぃんだよ。感情がないのが……」
「……じゃあ、逃げる?あたし、あんたを連れて『K』として世界から離脱できるけど……どうする?」
サヨは雷夜の動きを注視しながらミノさんに問いかけた。
「そんなこと、させてくれないみたいだぜ!」
「え?」
ミノさんが素早くサヨを押した。サヨは背中から倒れ、倒れたサヨをさらにミノさんが引っ張った。
「痛い!何すんの!」
「み、見ろ!」
ミノさんが震えた声で前を見るように促した。サヨは慌てて前方をうかがった。目の前には無数の針が刺さっており、その針はサヨの足元まで刺さっていた。
「ひっ……」
「バカ!立て!」
サヨはミノさんに無理やり引っ張られ再び砂漠の砂に顔を埋めた。
「な、何!?全然わかんないんだけど!!」
「俺もわからねぇ!勘なんだよ!全部!」
ミノさんが叫ぶ中、サヨは再び顔を上げる。先程までサヨがいた場所には小刀が刺さっていた。
「……っ!」
サヨは慌てて立ち上がり走った。サヨがいた場所に高く砂塵が舞った。
……くそ!爆弾投げてきやがった!!
サヨは悪態をつきながら冷や汗を拭い走る。
「サヨ!カエル出せ!」
ミノさんが叫び、サヨはパニックになった頭でごぼうをとりあえず呼んだ。
「ご、ごぼうちゃっ……ん!」
ごぼうが跳びながら現れた刹那、飛び込んできた雷夜の刃を受け、すぐに靄のように消えた。
「う……そ……速すぎる」
「サヨ!」
ミノさんが再びサヨを引っ張り乱暴に叩きつけた。雷夜の蹴りがサヨの髪をかすめていく。
「いったい!」
「わりぃ!」
ミノさんは強引にサヨを掴み、今度は投げ飛ばした。
サヨの頬すれすれを雷夜の拳が通りすぎる。
「ひっ……」
通りすぎる拳を見つつ、サヨは再び砂に顔を埋めた。
「……これは命をかけて逃げるしかない」
勝ち目のない戦いをするよりサヨ達は逃げる方向で頭を働かせた。
「よし……ミノさん、あたしについてきて」
「サヨ!!」
言った側からミノさんに後ろ襟を掴まれ投げ飛ばされた。サヨは砂の山にまた埋もれる。雷夜は無表情で小刀を突き立てていた。
「ついてきてって、バカ言うな!俺だって反応できない!」
ミノさんの怒りの声を聞きながらサヨは突然に閃いた。
「ああ、そうか……。あたしは『K』だ。やれる」
「は?」
戸惑いを見せるミノさんの手をサヨは素早く握り、叫んだ。
「逃げるのやめた!……入る!弐の世界の管理者権限システムにアクセス!『介入』!!……だったっけ?」
間抜けなサヨの言葉を最後にサヨとミノさんは雷夜の中に入り込んで行った。
「……っ!?」
突然に向かってきたサヨとミノさんに一瞬だけ止まった雷夜が我に返った時には、もうサヨ達はいなかった。
二十話
サヨとミノさんは真っ白な空間に浮かんでいた。
「……なんかおかしくない!?」
「そりゃあな……。あのメグとかいう奴が言うには、時神がいなけりゃあ、俺の力を使ってもこいつの過去には飛べねーよ」
ミノさんが地面を指差しながらサヨに言い放った。おそらく、ミノさんは雷夜を指差して「こいつ」と言ったのだろう。
「……そっかあ……、じゃあどうすんの!?どうしよ?過去に戻って呪縛を解いてあげようとしたんだけどー」
「……『離脱』で出りゃあいいんじゃないか?出た瞬間にやられそうな気もするが」
戸惑うサヨをなだめてミノさんは提案した。
「いや……、ここがあの男の心の中ならきっと……」
サヨが先を続けようとした時、前から雷夜がよろよろと歩いてきていた。足に鎖を巻いていて瞳にはわずかに人間性が見えていた。
「あの男がいる……。ほら、いた。自由になれないようにか、わからないけど……足かせしてるんだね」
「……見つけたけどどうすんだ……」
「さあ?どうしよ?」
サヨとミノさんはお互いを見合い、首を傾げた。
※※
サヨとミノさんが、雷夜の内部の世界に入り込んでいる時、アヤと逢夜は華夜(はなや)と対峙していた。
「なめられたもんだな……」
逢夜は軽く笑った。
「……本当に辛そうね」
アヤは逢夜の顔色が悪いことに気がついていた。彼のは空元気である。
「……お前にはわかるのか」
「……ええ」
短く会話はするものの華夜は襲ってこない。
「向こうも出方をうかがっているようだが……」
「そうね……。もしかすると何かの時間稼ぎの可能性があるわ。私はこの世界から出られないから」
アヤがそう答えた時、華夜は逢夜に襲いかかってきた。突然にだった。
「きたな」
逢夜は華夜の拳を軽く受け流す。
かかとおとしを受け止め、回し蹴りを受け止め、突き上げを避ける。
「速いがやはり軽いぜ」
逢夜はそんなことを言ってるが、まるで反撃をしない。華夜はアヤを視界にも入れておらず、完璧に戦力として見ていなかった。
「……速すぎて何も……見えないわ」
なにか手助けをと思ったがアヤには二人が何をしているのかわからない。
華夜は受け流してばかりの逢夜の懐に入り込んだ。手には光るものが。
「おっと……」
逢夜が慌てて飛び退くと、華夜が小刀を構えているのが見えた。表情はない。
「いつの間に」
逢夜は軽く笑うが余裕はなさそうだ。昔、末の妹である抜け忍、憐夜(れんや )を始末してから逢夜は女に攻撃を加えるのがトラウマになった。
このままでは進展がなく、疲労ばかり溜まる。
「……あの子を捕まえればいいのよね……」
アヤはなんとかして華夜を捕まえる策を考え始めた。華夜は逢夜が距離を取ったのを見ると、アヤに一撃を放ってきた。重たい刃の輝きがアヤの腹を狙う。
アヤは咄嗟に時間停止をした。
「はあ……はあ……」
アヤの身体中から汗が吹き出し、体が震え出した。刃はアヤを狙う一歩手前で止まっている。
「危なかった……」
アヤは慌てて離れ、どうすればいいか動揺する頭で考えた。
……そうだわ。攻撃ができないなら攻撃をしなければいいのよ。逢夜さん。
あの子を攻撃しないで捕まえるのよ。捕まえればいいのよ。
アヤはこれをどうやって華夜に悟られずに逢夜に伝えられるかを考え始めた。
※※
再び猫夜(びょうや)と対峙しているメグ達に戻る。あれからすぐにサヨ達が戦おうとしていた雷夜(らいや)が猫夜の元へ戻ってきた。
「……?」
「サヨとミノさんは……」
雷夜が戻ってきた事により、更夜とメグに不安がよぎる。
そんな二人を余所に猫夜はため息をつくと、雷夜に向かい小さくつぶやいた。
「……弐(に)の世界、管理者権限システムにアクセス『排除』」
「……?」
メグ達が眉を寄せていると、雷夜からサヨとミノさんが乱暴に吐き出されてきた。
「……な!」
メグの驚きの声が響いた後、猫夜がため息をついて頭を抱えた。
「サヨは『K』だったわね……。『介入』で中に入ったのでしょう」
「……あ、あれ?」
「……外に出てるな?」
サヨとミノさんは戸惑いの声を上げていた。辺りを見回すとメグと更夜、そして雷夜と猫夜がいた。
高速で頭を回転させたサヨは慌ててごぼうを出し、ミノさんを引っ張ってメグの後ろに隠れた。
「なんだ?さっぱりわからねぇよ」
「雷夜が猫夜の所に戻って、猫夜がうちらを『排除』で外に出したんじゃね?もう一度飛ばされないようにしないと、あたしらじゃ、あいつに勝てないっしょ」
サヨはセカイと対峙している三人組の人形を睨み付け、ごぼうも行くように促した。
「戻ってきたのは幸運か。あなた達は三人組の人形を拘束してくれ。俺は奴等を止める」
更夜はそう言うと刀を構えつつ、猫夜、雷夜に攻撃を仕掛け始めた。
「……み、ミノさん、あんたはあっち行きなよ!」
「ああ!?俺が行ったって邪魔になるだけだろ!」
サヨが戸惑うミノさんを更夜方面に押し付ける。
「待って……」
サヨとミノさんが醜い会話をしている中、メグは小さく二人を止めた。
「……?」
「サヨ、あなたは世界から出て……。あなただけは自由にしておきたい」
メグはセカイを操り、三人組のドールの相手をしながらささやくように言った。
「……千夜と狼夜を探して合流しておいてほしい。凍夜が近づいてきたら逃げて。たぶん、追加でトケイも来る」
「……そんな、うちひとりで!?この世界、よく知らないんですけど!!」
「いいから……早く。猫夜は誰にでもなれる。成りすませる人数が多いと面倒」
メグは更夜を見るよう促した。サヨが目線を上げると猫夜は雷夜となり、更夜を翻弄(ほんろう)していた。
「じゃ、じゃあ俺も一緒に……」
ミノさんが怯えた声でメグを見るがメグは首を横に振った。
「あなたはここに。更夜の手助けを……」
「だから俺じゃあ何にも……」
「……あなたは人間の魂の色がわかる。偽物かどうかの判別がつくはずでしょう。あなたは猫夜を戸惑わせたんじゃなかったの」
「……そういうことか」
ミノさんは頭を抱えつつ納得したがサヨは未だに戸惑っていた。
「サヨ、とにかく早く行って。あなたならできる」
「……うう……もう!どうなっても知らないから!!」
サヨは捨て台詞のようなものを吐くと、ごぼうを連れて空へと舞い上がった。
サヨが逃げる中、雷夜がサヨを追い始めた。戦っていた更夜は猫夜かどうかわからずに一瞬立ち止まってしまう。雷夜は二人いた。
「……サヨを追っている雷夜はどっち?」
「……猫夜だ」
メグが冷静に尋ね、ミノさんは迷いなく答えた。
それを聞いた更夜は自分の前に佇む雷夜に集中し、飛んでいった方……雷夜になっている猫夜を無視した。猫夜がサヨを追いかけても意味はない。猫夜の人形はセカイと戦っており、戦力の雷夜は更夜と戦っている。生身の猫夜はサヨの使いであるごぼうには勝てない。
「……ちっ」
猫夜は自分の使いのドールを置いておけずにサヨを追うのをあきらめた。
「……猫夜、もう凍夜に従うのはやめて」
メグは猫夜に鋭く言うが猫夜はこちらを睨み付けているだけだった。
二十一話
「大丈夫か!?」
逢夜がアヤに慌てて近づいてきた。標的がアヤに変わり、アヤが華夜(はなや)に斬られそうになっていた刹那、アヤが時間を止め、なんとか逃げたところだ。
「え、ええ……大丈夫……」
青い顔のアヤは肩で息をしながら辛うじて答えた。
「……」
アヤと逢夜は感情のない少女、華夜(はなや)と無言の睨み合いをしていた。なぜかはわからないが華夜が唐突に手を止めたからだ。
……なんで止まったの?
アヤが眉を寄せつつ、華夜を観察していると華夜の周りからゆっくりと黒い影が揺らめいて、人の型がいくつも出現した。
「あれが厄か……」
隣で構えを崩してない逢夜もさらに警戒していた。
「もしかすると、この三人組の望月は凍夜の呪縛じゃなくて厄神の呪縛でこんなことになっているんじゃ……」
「……たぶん、そうかもしれないな。もしかすると、こいつらに凍夜の呪縛はもうなくて、安らかに消える途中だったかもしれねぇ。無理矢理に凍夜の元へ連れてこられて、オオマガツミに飲み込まれた。……そうだったらいいな」
逢夜はマリオネットのようにゆらゆら動く華夜をせつなげに見据えた。
「確か、最初に会った時は短いながら話していたはずだわ。凍夜に入り込んでいたようだけれど」
「そうか」
逢夜はそこで言葉を切ると飛んできた黒い人影からアヤを連れて、いったん退いた。
「……あのゆらゆら動いているのも攻撃してくるのね……」
「みたいだな……。どうする?」
「私はこの世界から逃げられないからあの子を捕まえるしかないわ」
アヤは仕方なく、逢夜に先程思いついた言葉をかけた。隠して伝えるつもりが華夜に人間味がなかったからか素直に言ってしまった。
「捕まえる……あたしはもう捕まえられない」
ふと、華夜から感情のない声が飛んできた。
「……え?」
かなり距離をとっていたはずが、華夜には聞こえたようだ。今まで声すら出さなかった華夜がさらに言葉を紡ぐ。
「捕まえられない。私達は私達じゃないから。お父様に従うだけ」
「……?」
彼女の言葉はどこか本人ではないような感情のすれ違いを感じた。
「……私達じゃないとはなんだ?」
逢夜の問いには華夜は答えなかった。華夜の瞳に電子数字が流れ、一瞬だけ見えた感情はすぐになくなってしまった。
そしてまた、華夜は逢夜に攻撃を始めた。指示に従っているだけでなぜ、攻撃をしなければならないのかそれもよくわかっていないようだった。
「最初に会った時から違和感あったけれど……今のはSOSなのかしら」
アヤはいつでも逢夜を助けられるように遠目から待機することにした。
「……お前……忍術使えねぇのか」
逢夜が小さく華夜に言うが、華夜は何も答えずに拳を突き立て、小刀を振り回す。黒い砂が舞い上がり、人型の黒い影も襲ってくるが華夜単体の攻撃が弱いため、逢夜は華夜に話しかけていられる。
「ルルを……」
再び華夜の目が動き、口が開いた。
「……っ!」
逢夜は自分の妻の名前が出て、一瞬動揺した。
「逢夜さん!!」
アヤが叫ぶが遅く、逢夜は小刀で胸を薄く斬られてしまった。
「……ち」
逢夜は流れ出る血を見向きもせずに、何かを言おうとしている華夜を見据えた。
「あ……あああ……」
無機質な単語が華夜から発せられる。まるで機械が壊れたかのようだ。
「なんだ……ルルがなんだ」
「……ルルは憐夜(れんや)と逃げている……。だが、『K』がいないから逃げられない……。りゅ……竜夜(りゅうや)……が必ずしとめ……る」
華夜はそこまで言うと再び口を閉じた。
「……逃げていると俺に伝えて……どうするんだ……」
逢夜は華夜の言動が理解できなかったが、華夜が真実を言ったことはわかった。また黙り込んだ華夜の攻撃をかわし始めた時、
「逢夜さん!」
再びアヤが悲鳴を上げた。
「……!?」
逢夜は唐突に黒い砂嵐に巻き込まれ、アヤの足元まで飛ばされていた。
「なんだ!!」
逢夜が目を向けると、青い顔で震えているアヤの先でオレンジ色の髪の青年、トケイがまるで機械のように、赤い空に浮いていた。
「と、トケイ……」
トケイは周りの黒い人影を何もなかったかのように分解し、一掃してから華夜に襲いかかった。
「なんで……彼女を……」
アヤは目を見開いてトケイを見つめる。トケイは華夜を追いかけ回し、破壊しようとしていた。
「彼女は被害者よ!」
アヤは体を震わせながら華夜の元へと走った。
「おい!あぶねー!!」
逢夜はアヤを止めるべくアヤの服の襟首を掴む。アヤは減速して立ち止まった。
「逢夜さん!あの子がっ……」
「……よく見ろ!あの女、消えてんぞ」
「え……」
見ると華夜はトケイにより足先から電子データに分解されていた。明らかにこの世界では起こらないようなことが起きている。分解されている華夜に表情はなく、分解しているトケイは何かの時間をゼロにしようとしていた。
「……形を分解、形をエネルギー体に戻します」
トケイは感情のない瞳で、華夜を「形」と言った。
「形って……」
「負の感情エネルギーゼロ、正の感情エネルギーゼロ、うわべだけ体が生成された模様、分解します」
「ちょっと!トケイ!」
アヤをまる無視し、トケイは華夜の分解をおこなっていく。華夜は足先から消えてなくなり、とうとう上部のみ残すだけとなった。
「……私はどうすれば……良かったの?ねぇ……あなたは今、どうなっているの?なんにもわからないのよ」
アヤは消えかかる華夜に小さく尋ねた。
「……」
しかし、華夜は軽く微笑んだだけで何も言わずに消えた。
「……消滅を確認。残り二名の『時間の巻き戻し行為』を元に戻します」
トケイは無機質にそう言うとさっさと世界から去っていった。
「……どういう……ことなの?」
アヤは先程の華夜の微笑みを思い出しながらつぶやいた。
「わからねぇが……あの女、消える時にすごく安らかな顔をしていた。おそらくだが……エネルギー消化後に消えるはずだった魂を猫夜がサルベージしたんだ。それから、凍夜が自分を思い出させて再び奴等の心を過去に戻して支配した。トケイの言動からの推測だが」
「当たってそうだわね。精神や感情だけ『時間を巻き戻した』と……。本人達はもうとっくに凍夜に縛られてはいなかったのに、強制的に思い出させられて、心が過去にいたと。初めて会ったあの時、当たり前に凍夜を正当化したのは『過去を張り付けただけの人形』だったから。中身はなかった……」
アヤはなんだか言っていて悲しくなってきた。ゆっくり消化されていく魂内部のエネルギーがなくなり、流れに身を任せて気分よく消えようとしていた所に猫夜と凍夜が介入してきたということだ。
「かわいそうだわね」
「……お前は誰にでも泣けるのか。優しいやつだな」
逢夜は嗚咽をもらすアヤの頭を優しく撫でた。
「……次があるのなら……幸せに。幸せになって……」
逢夜とアヤの戦いはトケイにより唐突に終わった。
……猫夜……あなたは平和を願う「K」だったんじゃないの……。
どうしてこんな酷いことを……。
アヤは赤い空を仰ぐ。
しばらく呆然と空を眺めていると銀髪の少女が空から落ちてくるのが見えた。
「ぎゃあああ!!!そっか!世界に入り込んだら重力がっ!」
「あ、あれ!サヨ!サヨだわ!」
銀髪の少女はサヨだった。サヨは絶叫しながら無防備に落下している。
「……サヨがなんで……。しょうがねぇな……」
逢夜がとりあえずサヨを助けるべく地面を蹴りあげて跳んだ。
二十二話
逢夜は飛び上がりサヨを抱き抱えた。
「わぉ!お姫様ダッコじゃん!ひゅー!」
「うるせぇ!落とすぞ」
盛り上がるサヨにうんざりした逢夜の声が重なる。
「てか、あんたらあの女は?」
サヨは華夜がいないことに気がついた。逢夜は砂漠の砂を巻き上げながら地面に降りると、迷いながら口を開いた。
「消えちまったんだよ。トケイに……消されちまって……」
「まさか……殺され……」
「いや、暴力でやられたわけじゃねぇ」
逢夜の言葉を聞き流しながらサヨはアヤの瞳に残る涙を見た。
「……アヤ?」
「え?あ、私は大丈夫よ。すごく切ない別れだったから。トケイが彼女を電子数字に分解したのだけど、彼女はとても満たされた顔を……幸せな顔をしていたのよ」
「幸せな顔かあ」
「知らないけど、きっと辛いことも苦しいことも痛いことも悲しいこともあの男のせいで沢山あったはずなのに、すごく穏やかな笑みを浮かべていたの。本当は何も知らないのに」
アヤは再び涙を浮かべた。
「アヤ……」
サヨはアヤの肩を抱いて言葉を続けた。
「あたしさ、なんとなくわかるんだけど、『華夜さん』は幸せだったんだって……こっちの世界に来て、自分が会えなかった友達とか子供とかに会えて一緒に暮らしたみたいだね」
「……え!?」
サヨの発言にアヤだけでなく逢夜も驚いた。
「華夜……あの短期間で猫夜が言っていた名前を覚えたのか?その後の言葉は何を根拠に……」
「電子数字が自分に入ってきたからさ、さっき。なんだかわからなかったけど……華夜さんのだったのか」
サヨの発言にアヤと逢夜はさらに首を捻った。
「あたしはね……『そういう役目』のKみたい」
「どういう役目だよ……」
「自分でもわからないよ。そんなん。華夜さんの事はだいたいわかったけど」
サヨも言ってみただけで、どういう役目なのかはわからなかったようだ。
「サヨは本当にわからねぇな……」
「まあ、とりあえず、華夜さん達の時代は凍夜が死んだから実際はずっと縛られていたわけじゃなかったみたいだね。一番酷くて長かったのは逢夜達の時代みたい」
サヨはまるで歴史を見てきたかのような言い方をしていた。
「そうなのか……。俺達みたいに誰かに介入されなきゃ術が解けねぇわけじゃなかったんだな」
「うん」
逢夜の言葉にサヨは迷うことなく頷いた。
「一体どういうことなんだ……。華夜は分解された後にサヨの中に入ったとでもいうのか……」
「とりあえず、いかね?ずっとここにいるわけ?」
サヨはため息をつきながら赤い空を見上げた。
「……ねぇ、逢夜さん、私達はこれからどうすればいいと思う?」
アヤに問いかけられて逢夜は我に返り、慌てて口を開く。
「えー……あー……そうだな、猫夜に接触する前にお姉様と狼夜を探そうか。それから竜夜とかいうやつを追う」
「逢夜さんの奥さんが逃げているのよね」
「……ああ。華夜がそう言っていた。俺の妻がなにをしたって言うんだ。理不尽だ。……支配されていたついさっき、凍夜の世界でルルに会ったんだ。怪我をしていた……。すごく悲しい顔で俺を見ていた。俺が凍夜の世界で死んだ時も、苦しいのを……悲しいのを我慢して黙って俺を見ていた。俺が助けてやると言ったからだ。ルルは耐えたんだ……。ルルは強い」
逢夜は拳を握りしめ、落ち着くために息を吐いた。
「……術にかかっていると思う?」
逢夜の様子を見ながらサヨが小さく尋ねる。
「……かかっているかもしれない。だが、逃げているということだから深くはかかっていないはずだ。憐夜(れんや)の安否も気になる。二人で逃げているのならば勝ち目はない。協力者がいるならばいいのだが」
「……勝ち目がないかどうかはわからないじゃん」
サヨは髪を指でいじりながら、ため息混じりに答えた。
「若い娘二人だぞ。敵うわけねーよ」
「会ったことないけどさ、決めつけは良くないんじゃね?だいたい、凍夜から逃げてるんでしょ。相当な実力者じゃん」
「……ああ、別に女の子が男に勝てないと言ってるわけじゃない。出し抜いて逃げているかもしれない。ただ……男は女より筋力があるし骨の関係で重い。組み伏せられたら逃げ場がないだろ?あいつらは本当に抵抗がないんだよ。女でも男でも子供でも容赦なくて……」
逢夜はどこか必死にサヨに言っていた。
「わかってるよ。抵抗のなさとか、女を下に見ている感じとか本当によくわかったし、日本に昔からあるっていう、この手の問題もよくわかった。よくわかってる。あたしらが『本当に勝てない』のもよくわかってる。わかってんだよ!」
サヨは突然に声を荒げて唇を噛んだ。
「……そうか」
逢夜はサヨに一言だけかけた。必死なのは逢夜ではなく、サヨの方だったようだ。逢夜はサヨの瞳の奥を覗いた。
……悔しいのか。自分達が『ただの小娘だ』と言われて、抗いたいのに勝てない。あれがまかり通っていた時代がある事にいら立ちを抱いている。俺達のお母様を見たからか、なお……気持ちに怒りが生まれているようだ。サヨは危険だ。大切な子孫は自ら血を流そうとしている。俺達を守るために、自分達だって強いと証明するために。
「お前には血を流してほしくない。大切な俺達の血が流れているからだ。お前はそのまま堂々といてくれればいい」
「……やっぱり、おにぃは直系で『男』だから……凍夜に気に入られているんだ。そりゃそうだよね。女は贈り物で『モノ』だったから!男の言うことを聞く『奴隷』だったから!!子供を産むのも、育てるのも女なのに!!男は女から産まれているのに!」
サヨはまたも唐突に泣き出した。
感情がおかしいくらいに乱れている。一体どうしたと言うのか。
「ね、ねぇ……サヨ、なんかおかしくない?」
アヤは見かねて声をかけたが、サヨは激しく泣き出した。
「だってそうじゃん!!そうでしょ!!私達はいつもそうだった!ソウダッタノヨ!!」
「……」
サヨの豹変ぶりに逢夜も戸惑いを浮かべた。
「オカアサマは……アイツにゴミみたいにアツカワレタ!!ワタシも!!ゴミみたいにっ……!!オンナはイラナイって!!イラナイってイワレタ!ワタシはナンノタメにウマレタ?オンナは殴っときゃあいいのカヨ?ナグレバいうこと聞くノカヨ?エエ?カナシイヨ……カナシイヨ……オトウサマに……愛されたかった……」
「……お前、華夜(はなや)か?」
逢夜の問いにサヨはぴたりと止まった。サヨの頬から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「さあ?誰なんだろう……。アタシの奥底にアル、何かかもシレナイ。華夜達が本来なるべき魂は、あたし……だったのかもしれない」
サヨがさらに意味深長な言葉を発する。
「……『華夜』……、安心しろ。凍夜の時代は終わった。生まれ変わって幸せに生きろ。今はあの時の数百倍……いや、それ以上に平和だぜ。微妙にあるお前の心残りはもうなくなる。……サヨは平和に生きている」
「ワタシは……サヨと同化していた魂……華夜かどうかは……もう忘れてしまった。デモ……オトウサマに笑顔で『いってらっしゃい』って言われたい。その気持ちだけアッタ。ソノタメニ……わめき散らしたんだよ。イマ」
サヨの瞳の奥に華夜が映っていた。華夜は外見に似合わず幼いようだった。
「……凍夜は……」
「俺がやる」
アヤが困惑しながら口を開いた時、逢夜がすぐさま声を重ねた。
逢夜はサヨの前に立つと優しい笑顔でサヨの奥にいる少女を抱きしめた。
「いってらっしゃい。気を付けろよ。寄り道せずに……帰ってくるんだぞ」
逢夜に似合わない優しさ溢れる声音で話しかけると、サヨの……華夜の背中をそっと押した。
華夜は満面の笑みを向けるとサヨの瞳から消えていった。
華夜が消えてからサヨはその場に座り込み、呆然としたまま涙を流していた。黒い砂漠に涙が吸い込まれていく。
「やだ……胸が締め付けられる……。ひっく……。本当に……これだけのことであんたは満足できたの?私の魂の一部の華夜……。『いいんだよ。最期にアタシになってくれてありがとう。元々水子になるはずだったあんたが生きていて、アタシ達の魂がアンタになったんだからさ』……」
サヨは一人で二役の自問自答のような会話をすると、ゆっくり立ち上がった。
「……?」
アヤと逢夜が眉を寄せていると、サヨがいつも通りに話し始めた。
「ん?とりあえず、行くんだっけ?あれ?なんの話してたっけか?わかぽよー。あれ?でも、なんだろ?涙が止まらない。苦しい……」
「サヨ……サヨの中に華夜さんがいたらしいわ。じゃあ、凍夜は……」
「サヨの中からエネルギーになっていた三人を魂にして無理やり引っ張り出して生成したんだ」
アヤの言葉を逢夜が続ける。
「そんなこと……できるの?」
「……知らねぇよ」
逢夜が荒々しい気を撒き散らしたのでアヤとサヨは肩を震わせて距離を取った。
「あ……すまん。悪い……。俺は昔から感情を抑えるのが苦手なんだよ。……こりゃあKの他に共犯がいるかもな」
「……まさか……」
逢夜が元に戻ったのでアヤとサヨはゆっくり元の位置に戻ってきた。しかし、その後の逢夜の発言でアヤ達は再び距離を取ることになった。
「……俺はな……ずっと怪しいと思ってんだよ……。あのメグとかいう神を……」
「ちょっ!嘘でしょ!?メグが共犯?そんなわけ……」
サヨを途中で黙らせてから逢夜は鋭い瞳をさらに鋭くして続けた。
「おめぇらはよ、……おめぇらはあの神の何を知っている?実際は何も知らねぇだろ?異様に事情通でやることも無駄がなくて、次にやるべきことがまるでパズルのようにわかってやがる……」
「……そんなっ!ひっ!?」
アヤが何かを言おうとした刹那、大きな破裂音が響いた。気がつくとサヨが思い切り逢夜を殴っていた。
「あんたね!!助けてもらったくせによくそんなこと言えるね!信じらんない!あんなに必死に、怪我までしてあんたを助けたんだよ!!どの口がそんなこと言えんの!?最低!クソ男!」
サヨは逢夜を睨み付けると吐き捨てるように叫んだ。逢夜の頬は赤く染まり、唇からは血が出ていた。サヨが本気で殴ったのは間違いなかった。しかし、逢夜は怒るでもなく、とても冷静にサヨとアヤを見ていた。
「……落ち着けよ。別に悪く言いてぇんじゃねぇ。誤って協力して、それを慌てて消そうとしてるように見えんだよ。俺にはな」
「……ねぇ、痛くないの?けっこうマジで入ったんだけど」
サヨは平然と話す逢夜に困惑としながらつぶやいた。
「聞いてんのかよ。話をそらすな」
サヨが心配そうに見上げるが、逢夜はタカのような目を細めると平然とサヨを見返してきた。
「き、聞いてたよ!うちの早とちりで殴っちゃって、ごめそん」
「……別にいい。怯えてんじゃねーよ。やり返そうなんて思ってねぇから。ちなみにお前の平手打ちは見えていたが、あえて当たったんだ。落ち着いてもらうためにな」
「そ、そう。なんか、生きてる人間とはやっぱ、ちょい違うね。ああ……ヤバッ……鼻血まで出ちゃってる……。ヤバイヤバイ」
サヨはハンカチを取り出すと逢夜の鼻血を素早く拭った。
「とにかく!まだ証明もできてねぇから、なんも言うなよ。共犯ならアイツしかいねぇんだ。しれっとついてくる、あの擦りきれそうな女神しか」
「擦りきれそうな……女神……」
逢夜の言葉にアヤとサヨはメグの言動などを思い出していた。
それを見ながら逢夜は追加で口を開いた。
「メグはほとんどの事情がわかっている上に、猫夜がクロであるとすぐに見抜いた。あの時、俺達は誰一人信じていなかったはずだ。それなのに、メグは猫夜を疑った。猫夜は友達だったと言っていたな、もっと早い段階で猫夜に接触していたと考えなかったか?猫夜のやることに気がついていて、メグは前々から止めに入っていた。ああ、後、それから……セカイとかいう人形を使って事情を知ったのかという考えは間違っている」
「ああ……まあ、それはおかしいなってあたしも思ったけど……」
逢夜の顔色をうかがいつつ、サヨも小さく頷いた。
「どういうこと?メグはセカイを使って見ていたと言っていたわよ」
アヤの困惑した顔を横目で見ながらサヨはため息を漏らした。
「はあー……。同調はすんごい疲れるんよ。同調を切ったらさ、使いの目でモノが見れないから、会話しないと状況は見えない。こっちの世界は世界一つ一つが違う世界みたいだからさ、遠くに離れた使いと同調は厳しいよ。だからセカイの目から状況を見ていたっていうのはおかしい……かも。だってさ、メグはあたしらに会ってからほとんどセカイと同調してない。それができるならさ、凍夜の状態もセカイにずっと見させれば良かったはずで」
サヨは小さい声で呟くように言った。
「……ただ、メグは猫夜をクロと見抜いたが、クロだとはハッキリわかってはいなかったようだぜ。最後まで信じたかったのかもしれねぇな。わからないが、メグは騙されたのかもしれない」
「……まいったわね……。そんな気がしてきたわ」
アヤは頭を抱えた。
「まあ、あの神には色々と隠してることがあるんだろ。長話になっちまったが、こんな話をしてる場合じゃねぇんだ。行くぜ。サヨ、頼む」
「え……?あ、ああ!はーい」
突然に話を振られたサヨは、慌ててアヤを浮かせた。
二十三話
アヤ、サヨ、逢夜(おうや)が世界から離脱をした時、メグ達は猫夜(びょうや)、雷夜(らいや)と戦闘になっていた。
「ミノさん……黒い影に近づかないで」
メグは更夜(こうや)が雷夜とぶつかりあっているのを眺めつつ、ミノさんを下がらせた。ミノさんが更夜を助けようと気がつかぬ間に前へと動いていたからだ。
「ああ、わかった……」
以前、ミノさんと繋がったアヤの世界が厄に覆われた時、ミノさんは体が焼けるような苦痛を感じた。それを思い出したので、疑問もなくメグに従う。
「すぐ近くで猫夜の魂を感じるぞ!」
「わかった」
メグが返事をした刹那、雷夜が飛び込んできた。メグは三人の人形をセカイに任せ、雷夜の腕を掴んだ。雷夜は更夜と戦う方とは違い、やたらとのろくて忍術も使って来なかった。
「……失敗したね。猫夜。中身はスカスカ。身体能力は猫夜そのもの」
メグの言葉で雷夜は猫夜になった。
「……失敗じゃないわ」
猫夜は三人組の人形をセカイの前から離脱させると、ミノさん近くに再び出現させた。
ミノさんをどこかへ飛ばす気だ。
「……やってくると思った。弐の世界の管理者権限システムにアクセス……『介入』!」
「……っ!バカね!時神現代神がいないじゃない!」
「実はアヤは関係ない」
「……!?」
猫夜が困惑していると、更夜とミノさんが猫夜に入り込んで来て、メグも当然のように吸い込まれていった。
三人が突然に自分の中に入ったので猫夜は予測ができずに、彼らの侵入を許してしまった。
「……嘘でしょ!!時神現代神アヤがいないと私の過去には介入できない!!あんたがそう言ったんじゃない!メグ!!……やられた!!やられた!!」
猫夜は首もとに爪をたて、何度もかきむしった。まるで中に入った彼らを取り出そうとしているみたいに。
「やめて!!もう、喪失感に襲われたくないの!!いやだ!!入ってくんな!私に『気づかさないで』!」
発狂に近い叫びを上げる猫夜に三人組の人形と雷夜は感情なく、その場に立ち尽くしていた。
……自分が異常なこと……気づかさないで……お願い……なんでもするから……。
※※
メグ、更夜、ミノさんは例の屋敷前にいた。一番状況が読めなかったのは更夜だった。
「おい……なんだここは……あの男はどこだ?」
「更夜、落ち着いてほしい。私達は猫夜の過去にいる。彼女の呪縛を解く事に専念する」
メグの言葉にミノさんが反応した。
「待て!アヤがいないのになんでできたんだ?」
「ごめんなさい。一つ嘘をついた。現代神アヤは関係がない。彼女は壱(いち)の世界の時神だから、いてもいなくても良かった。ただ、猫夜を騙すのに使えると思ったから……」
メグは少しだけ怯えた顔でミノさんを見上げた。
「アヤは力になれたと思ってるぞ。きっと自分が関係ないと知ったらショックを受ける。あいつは使われたことを知って、役に立てたと喜べるほど大人じゃない」
「……うん。……ごめんなさい」
メグは目を伏せて苦しそうにつぶやいていた。
「俺にあやまったって……」
ミノさんもせつなげに目を伏せる。
「……すまぬが、この会話は無駄だ。アヤがいない今、アヤがどう思うかはわからない。それから……メグ、あなたはどうして突然に感情が現れた?隠していたんだろう?厄神に入られぬように」
更夜は周りを確認しながら小声で声をかけた。
「……感情がないはずがない。感情を全く出さないでいられるほど……私は強くない。猫夜のことはわかってる。……この記憶を乗り越えたら、たぶん、もう一つ……記憶が出てくる。猫夜は二重に術がかかってる。それできっと、私がしたことがわかるから」
「気が気でないと?」
更夜の言葉にメグは一瞬だけ酷く切ない顔をした。
「……」
「……すまぬ。責めるつもりはなかった」
「いや、いい。私が最後の砦だったんじゃない……。私がこの件の最後の砦を崩した。……どうせこれからわかる。だから今は猫夜を縛った凍夜を……」
メグは目の前を歩いてくる傷ついた少女を見据えた。
「猫夜か」
猫夜は薬草を手に持っていた。
「狼夜、私が守らないと……。あの子は体が弱い」
猫夜は独り言を言いながら足早にメグ達の前を横切った。
「……行くよ」
メグは更夜達に声をかけると猫夜の前に飛び出す。
「!?……誰?……更夜お兄様!?」
猫夜は震えながら更夜に目を合わせた。更夜は猫夜を知らなかったが、猫夜は更夜を知っていたらしい。
「……お父様から救ってほしい時、『助けて』と叫べ。叫んでいい。俺達が助けにいく」
「……嘘……でしょう……」
更夜の言葉に猫夜は驚いて薬草を地面に落としてしまった。慌ててかき集めている。
「嘘ではない」
「お兄様は私をハメて憐夜(れんや)の憂さ晴らしをしようってことですか?憐夜は相当ダメな忍のようですね。抜け忍になって殺されるのも時間の問題ですよ?私に関わっている暇があります?こんな非礼をしている私をぶちたいでしょう?ぶっていいですよ。いくらでもどうぞ」
「……そんなことはしない。俺は未来から来た。妹は……憐夜は……もうとっくに死んでいる」
更夜は猫夜の挑発を受け流して答えた。猫夜はさらに複雑な表情を向け、更夜を嘲笑した。
「ついに頭がおかしくなりましたね?更夜お兄様。ええ、別に構いません。お父様が喜ぶし、私には関係ありませんから」
猫夜は飄々(ひょうひょう)と更夜の前を通りすぎ、毎度見る、あの屋敷に入っていった。
「……おい、あの子の態度、あれで大丈夫か?」
ミノさんが更夜とメグに心配そうな顔で声をかけた。
「変に肝が据わっている……」
「ダメならば何度もやり直す」
更夜がつぶやき、メグが覚悟を決めた。三人は猫夜を追うように屋敷内部へ侵入する。
屋敷に入ると凍夜の冷たい声が刺すように聞こえた。
「猫夜、それはなんだ?狼夜は自立の最中だ。体が弱いやつはまあ、死ぬしかないがな」
「自立って……あの子はまだ四歳です!体が弱いんです!誰かが介助をしないとっ……」
凍夜の声に被せるように猫夜が必死に叫んでいた。
「話を聞いていたか?体が弱いなら死ぬしかないと言わなかったか?」
「……死なせたくないんです。お、お父様も助かります……し」
猫夜は苦しそうにつぶやく。
「助かりはしねぇな。むしろ、邪魔だ。女は体が弱くてもガキを産めるからいかしてやるがな。使い道はそこしかないが」
「……っ」
凍夜の非道な言葉に猫夜は息を詰まらせた。
「俺に……なんか言うことがあるか?猫夜」
「……女は……あなた達が押さえつけるから表舞台に立てないのです!女がダメなんじゃない!時代がダメなのよ!!私達だってね、上に立てますよ!頭だって良いんですから!!」
猫夜は吐き捨てるように凍夜に掴みかかった。正直、猫夜がこんなことを言うとは誰も思わなかった。
「ははは!愉快愉快」
凍夜は笑いながら猫夜を突然、壁に押し付けた。
「女が男の上に立てる?愉快な発想だ。時代は変わらないぜ。女はどうせ男を求める。強い男をな。お前も『心の中ではそうなんじゃないのか』?」
「……」
猫夜は凍夜の言葉に黙り込んでしまった。心にくすぶる歪んだ感情が猫夜を縛り付けていく。
「はっはっはっ!そうだ!しょせん……そんなもんだ。気がついて良かったなー」
「そうしないと……生きていけないから……。私達女はそうしないと生きていけないのよ!!もっと時代が自由だったら……っ。自由だったら!私が国をまとめることだってできたのよ!!」
猫夜は凍夜に負けじと叫んだ。猫夜は度胸のある頭の良い女だったようだ。
「いやー、おもしれぇやつに育ったなー。よし、そうか。そうしないと生きていけないんだよな?では、そうしろ。主人に逆らうなぞ、とんだバカ女だ。お前らは俺のモノだ」
「……」
凍夜の雰囲気が一瞬で冷たく底が見えなくなる。猫夜はわかりやすく怯えの色を見せた。
「どうなるかわかってるよな」
「……ごめんなさい……」
猫夜は震える声であやまった。
「お前はどちらにしろ、服従が好きなようだ。心に逆らうなよ。お前はそういうやつさ」
「ち、違い……ます」
猫夜はだんだんと凍夜の言葉にハマっていく。心を作り替えられていく。
「違うかな」
凍夜は猫夜の顔を躊躇なく殴った。裏で話を聞いていたメグ達が顔を歪ませ、震える。
また、始まった……。
「どうだ?どう思った?」
「……痛いです……ぎゃあっ……」
凍夜は猫夜の腹を蹴り飛ばした。
「どう思った?」
「いだいです……」
猫夜は腹を抱えてうずくまる。
「それはただの痛覚だ。……バカなのか?言葉の意味もわからんのか」
凍夜は猫夜に馬乗りになると何度も殴り付けた。
「いだいっ……いだいぃ!!」
猫夜の悲鳴がメグ達に届く。猫夜はまだ助けを呼ばない。
「もう一度……聞く。どう思った?」
「……嬉しい……痛いのが……たまらなく……興奮……します」
猫夜は泣きながら途切れ途切れにつぶやいた。
「ほぅら、本性が出た。そうだ、それがお前だ。わかったか?」
「……はい」
猫夜は瞳の色をなくし、素直に肯定した。
「では、わかった所で主人に逆らった罰をな……」
「おねえさま!」
わかりやすい大きな足音を立ててメグ達の前を走り去ったのは幼い狼夜だった。狼夜はメグ達がすぐ横にいても気づかずに部屋の中へ入っていった。
「おねえさま!!」
「……狼夜!きちゃだめ!」
猫夜の鋭い声に狼夜は体を震わせた。
「お父様……もうやめてください!」
狼夜は猫夜の前に立ち、手を横に広げた。
「やめる?やめるとは何を?」
凍夜は冷めた目で狼夜を見据える。
「おねえさまを悲しませないでください」
「なにを言っている?こいつは悦んでいるぞ」
「え……」
「あはは……」
狼夜の目の前で猫夜は笑い出した。
「なんで笑って……」
「わかったでしょう?楽しいのよ……。だから向こうに……」
「そんな……俺はおねえさまが怪我をするのが嫌だ!お父様!俺が代わりに罰を受ける!ならいいですよね?」
狼夜の言葉を凍夜は鼻で笑った。
「ちょうどいい」
凍夜の発言に猫夜の眉が上がる。
『ちょうどいい』の意味がわかったからだ。凍夜は体の弱い狼夜を猫夜の罰の身代わりとして処理するつもりだ。
「そんな……そんなの……」
猫夜は苦しそうに嗚咽を漏らし始めた。
「やめて……誰か……」
かすれそうな声で猫夜は言う。
「誰か……誰か……狼夜を助けて……」
猫夜の言葉を聞いたメグ達はすぐに立ち上がり、障子扉の中へと入っていった。
「約束通り、助けに入る」
更夜の言葉に猫夜は動揺した。
「お兄様!?お兄様はもうとっくに……」
「問題ない。仲間もいる」
「……弱そうな男と女じゃないですか」
猫夜は残りふたりを軽視していた。
「時代は変わる。そいつは悪の塊だ。だから、なくすぞ。日本の悪しき風習を」
そう言い張った更夜に猫夜は眉を寄せた。凍夜の支配下の彼からそんな言葉が出るとは思えず、猫夜は何か意図があるのではと疑っていた。
「ほう……更夜、おもしろいことを言うなあ」
凍夜の発言に猫夜は、更夜が凍夜と繋がっていない事に気がついた。
「私を……ハメにきたんじゃない?」
猫夜が眉を寄せていると、狼夜が心配そうにこちらを見ていた。
「狼夜……、どうする?彼らは下克上(げこくじょう)するらしいわ」
「げこ……?」
「あの男から……椅子を奪うってこと」
「ああ……」
幼い狼夜にはよくわからなかったが、主人である凍夜を引きずり下ろす意味だろうと判断をした。
「おねえさま、強くなるのに良い機会です」
「いい機会かしら……。酷いお仕置きが待ってるだけの気もするけど」
猫夜はなかなか理屈っぽいようである。幼い狼夜に代わり、更夜が背中を押す一言をかけた。
「ぐちゃぐちゃ言うな。戦うべき時だ。立て!理不尽に抗え。女にだって逆らう権利はあるのだ。俺達の子孫は平和に平等に生きている。だからこの時代は終わるのだ!!」
「……っ」
更夜の声に猫夜は目を見開いた。
平等に生きる……。
この時代は終わる……。
……本当かどうかはわからないけれど、もし、そうなら……戦うしかない。
猫夜は立ち上がった。
しかし、「やめて」ともうひとりの自分がどこかから声を出していた……。
……私はどうせ強い男の元に戻ってしまう……。服従することへの快感から出られなくなってしまう。
……だから、凍夜には逆らわないで。狼夜だけ逃がせばいいのよ……。
「……っ」
猫夜の感情は激しく揺さぶられていた。目の前にいる凍夜と更夜達を交互に見ている自分がいる。
その中、凍夜がひとり含み笑いをしつつ、口を開いた。
「猫夜、お前は上には立てない。男女の問題の話ではない。自分の心を見てみろ。お前が一番わかっているだろう?」
「……」
猫夜は踏み出せない。
自分が壊れたのはもっと前だった事に気づいてしまった。三才上だった憐夜(れんや)が父親に壊されていくのを見ていた時に、猫夜は異様な興奮を覚えた。異質な空間での異質な関わりにより、猫夜は産まれた時から誰かしらが暴行されているのを興奮しながら見ていたのだ。
自分が……はじめから歪んでいた事に気づかされた。
こんな気持ちになりたくないと、常に強がった。殴られて悦ぶのは異常だと自分でもわかっていた。
強い男に従う事に快感を覚えているのも異常だと、それもわかっていた。
だが、求めずにはいられない。
「私は……術にかかっていない。初めから歪んでいた。私は強い男が好き。強い男に下げずまれるのが好き。叩かれるのが好き、殴られるのがすき、焼かれるのがすき、蹴られるのがすき……」
「……お、おい……」
猫夜の正気ではない感覚にミノさんが声をかけるが猫夜は狂喜的に笑っていた。
「そう、私は優しくされるのが嫌い」
「……あなたは術にかかる前に歪んだのか。気持ちが……」
更夜は目配せでメグを横目で見た。猫夜には術がかかっておらず、性格が歪んでいるとなれば助け方がわからない。
「……そう。猫夜、じゃあ私達が凍夜をあなたからなくす。更夜、ミノさん、さっさと凍夜を消そう」
メグの言葉に更夜とミノさんは眉を寄せた。これは猫夜が立ち向かわなければならない問題だ。三人で倒しても意味はないはず。
「……仕方がない」
更夜はメグが何かを考えている事にかけて刀を凍夜に向けた。
「……ほう。なるほど、俺を殺す気か。では俺の負けか。お前がやりたいなら殺すがいい。お前は強い。俺は勝てそうにないからな」
「……!」
凍夜が意外な言葉を吐いてきた。血を見る戦闘になると思っていた更夜は、顔には出さなかったがかなり驚いていた。
「さあ、殺せ」
凍夜は嘲笑しながら更夜を見据える。
更夜はためらいもなく凍夜を斬り捨てた。凍夜の発言も、更夜の躊躇のなさも周りを驚かせ、誰もが黙ったまま息を飲んだ。
「そんな……普通に斬りやがった……」
なんとか声を発したのはミノさんだった。
凍夜は白い光に包まれてあっけなく消えた。
「なにが起こったの?」
狼夜が呆然と消えてしまった凍夜を見ていたが、やがて狼夜も背景に溶け込むように消えていった。
ここは猫夜の記憶だ。狼夜も猫夜の記憶でしかない。
辺りはいつの間にか真っ白な空間になっていた。
「……忍術を使って来る前に倒したぞ」
「ありがとう。更夜」
覚悟ができていた更夜はぶれることなく凍夜を倒し、メグは更夜に一言お礼を言った。
「そんなっ……私の中のお父様がっ……」
猫夜は頭を抱えてうずくまった。
「……猫夜、自分を傷つけないで。大丈夫。あなたはおかしくなんてない」
メグが猫夜に話しかけるが猫夜は黙ったまま下を向いていた。
メグは構わずに続ける。
「あなたは凍夜から逃げた後に村をまとめあげて、亡くなってから神になれるくらいの実力を持っていた女の子。あなたは誰かに甘えたかったはず。男に……男の人に甘えたかったんでしょう?それがいつの間にか暴力や暴言を快感と思う性癖になっていた。根本的な感情はおかしくはない。あなたは男の人に……いや、お父さんに構ってほしかっただけ。暴力を振るわれる時だけ自分を見ていてくれる……というのが、愛されている……になってしまった。凍夜はあなたを愛してはいない。だから別の男性を……」
「余計なお世話よ……」
猫夜は怒りに震えながら、恐ろしい形相でメグを睨み付けた。
「猫夜……」
「もう戻れないのよ。狼夜が死んだ後、私は一度、お父様から逃げた。でも……私は物足りなくなって……仲間意識の強い方にまた、戻ってしまった。私はそういうやつだったの。もう、最低で自分自身を変えたいけれど、お父様に従う快感が忘れられないの。……だからね……」
猫夜は静かに涙をこぼした。
「猫夜……それだけはダメ……。ダメ!」
メグは何かに気がつき叫んだが、猫夜はゆっくりと微笑んだ。
「私をお父様と一緒に殺してほしいの……。世界からなくしてほしいのよ……」
猫夜の言葉と共に記憶が再び動き出す。無情にも、もう一つの記憶とやらが始まったらしい。
「更夜、ミノさん……猫夜は術にうち勝つ方面じゃない。私達が依存対象の凍夜を消す事で凍夜から離す方向にした。もう、それしかできなかった……。こちらの記憶でもう一度、猫夜と対話をしてみる」
メグがひどく悲しい顔で更夜とミノさんを見上げた。
「……ああ。協力する」
「俺もできるかぎり……」
メグが辛そうなのは見なくてもわかる。だから二人は「大丈夫か」と声をかけなかった。
彼らはメグを手助けすることしかできないから。
二十四話
メグは黙って次の記憶が開かれるのを待った。しばらくすると、世界が氷の柱が突き立った雪の世界へと変わっていた。空は快晴で、この世界にはアンバランスな木の小屋がある。
「……ここは!」
最初に反応したのはミノさんだった。その後に更夜の落ち着いた声音が続く。
「鈴が拘束された世界だな。なるほど、ここは猫夜の世界だったのか。そういえば、鈴の暴行を無理やり笑っていたあの時は、猫夜の先程の過去ととても似ている……。こちらの世界で凍夜から暴行されているのは皆、少女だ……」
そこで更夜はある仮説にたどり着いてしまった。
……まさか……。
更夜はそっとメグを見る。
メグの頬には涙がつたっていた。
……猫夜に頼まれて、あなたは凍夜の魂を引っ張り出してしまったのか……。
「更夜さん、わかってる。今は言わないで……。猫夜が来る」
メグは涙を拭うと目の前に現れた猫夜を柔らかく迎えた。メグは記憶内のメグへと変わっていく。
更夜とミノさんはメグがやることを見守るしかできなかった。
「あ、メグ!お久しぶり」
猫夜はメグに人懐っこい笑みを向けた。不思議と今回はミノさんと更夜は猫夜に気づかれていないようだ。なぜか、見えてもいないらしい。
「猫夜、元気?しばらくぶり。今日はあなたからの誘いでしょう?珍しいね」
メグは猫夜に微笑むとそう尋ねた。
「うん、そうなの。今日は相談があって……」
「相談?」
「そう!私ね一度、お父様に会いたくなったのよ」
猫夜の言葉にメグは特に顔色を変えずに聞いていた。当時のメグは凍夜の人柄を知らないようだった。
「そう。まだいるの?お父さんは」
「もう、いなくなっちゃいそう。だから最後に……少し長めに一緒にいたい……」
猫夜は寂しそうに目を伏せた。
「そうか。知らないかもしれないけど猫夜の記憶を繋げば、消えかけている魂を一時だけ元に戻せるよ。魂はソウハニウムってエネルギーだから、世界に溶けかけている彼のソウハニウムと同じ物を集めていけば一時だけ彼ができるかも」
「ふーん。そうはにうむ……。人間が後に解明できるかわからないエネルギーね。お父様と同じエネルギー……私の記憶のお父様ってことね!でも、私の記憶だけじゃ足らないわよね?」
「思い出が足らないのかな?」
「うーん……実は私、あまりお父様と一緒にいた記憶がなくて……」
猫夜は寂しそうに下を向いた。
「そう。では、あちらこちらから少しずつもらってきてみよう。『K』はツクヨミ様の力の一部、ソウハニウムの管理ができる。記憶だから、こちらにいる魂達は関係ない。少しずつ集めていけば、たぶんしばらくの間だけ元通りのお父さんができる。私はその能力で寂しがっているこちらの人を助けてきた」
「なるほど……じゃあ、やってみるわ」
猫夜はメグの言葉に心底嬉しそうに笑うと、凍夜の記憶部分のソウハニウムを集め始めた。
「こんな力が『K』にあるなんて……弐の世界管理者権限システムにアクセス……『収集』」
猫夜が小さくつぶやくと、どこからか青白い光の粒が集まってきた。
「わあ……きれい」
「ソウハニウムは常に発光しているからね」
「……ねぇ、少しの妄想も入れてもいい?」
「大丈夫。あなたの魂に記憶されている内容なら妄想でも平気。あなたの心内部から外に出すだけだから。あなたの『世界』でしばらく一緒に生活して、幸せになって」
メグが微笑んだ刹那、異様に冷たい目をした男が現れた。
「……え?」
「お父様……はあ……」
猫夜はその男を見、顔を緩ませ、艶(なまめ)かしい吐息を漏らした。
「猫夜……そのお父さんに会いたかったの?」
メグはこの言葉を吐いた後に頭を横に振った。
「『更夜さん』、『ミノさん』!凍夜を倒す準備を!!」
突然にメグが元のメグに戻り、鋭く言い放った。慌てて更夜は刀を抜き、ミノさんは構えた。
名前を呼ばれたからか、二人は突然に存在感が出て、猫夜と凍夜に認知された。更夜は飛び込むように凍夜に刃を向け、それを守ろうとする猫夜はミノさんが突き飛ばして押さえつけた。
「おたくも斬られるぞ!」
「なんなのよ!あんた達!離して!!」
猫夜は暴れる。ミノさんは必死で猫夜を地面に押さえつけた。
その間に更夜はまだ意識のハッキリしていない凍夜を光る刃で斬り上げた。凍夜は再び白い光の粒となり消えた。
「……倒したぞ」
更夜の声を聞いた猫夜は呆然とミノさんを見上げた。
「嘘でしょ……。なんで?なんで?どうして?お父様を私の中から消さないで!!なんで?どうして?消さないでよ!」
猫夜がミノさんを振りほどこうとしたがミノさんは力を緩めなかった。
「離して!!」
「おたくは……本当にわからないのか?まわりを不幸にしているんだぞ」
「……巻き込むなって言いたいんでしょう?」
猫夜は冷めた目をミノさんに向けた。
「巻き込むな……ああ、その通りだ。それはその通りだが俺はわかったぜ。おたくは少女達が凍夜に泣かされているのをみて興奮していた。自分が興奮していることに嫌気が差していて、ひとりで苦しんでいた。自分はおかしい、頭がおかしいと、もがき苦しんでいても、それを求めずにはいられない。おたくの葛藤(かっとう)は今までを見てよくわかったさ」
「……わかってどうするのよ?」
猫夜は冷たい目でミノさんを見ていた。
「どうしようもねぇよ。それがおたくの心なら。でも、巻き込むのは間違いだ。それぞれで心がある。だから……おたくは踏みとどまらなければいけなかったんだ!」
ミノさんは叫んだ後、萎縮した猫夜に静かに言う。
「もう遅ぇ……。お前は……たくさんの女を傷つけた。お前はアヤも……アヤも傷つけようとした。俺は悲しい気持ちになったよ。どうしたらいいのかわからねぇよ。お前の心を救うにはどうすればいい?」
「私が知りたいわよ……。おかしいのよ!私!!狼夜が殺されて、悲しくて苦しくて……辛かったから逃げたのに……、また戻っているの……。あの『頭のおかしい』人の所に戻っているのよ!狼夜がっ……狼夜が……私の大切な狼夜が……」
猫夜は記憶が混同しており、叫んだり、泣いたり、怒ったりを繰り返している。
「狼夜を返してよぅ……。私を殴ってよぅ……。私ならいくらやってもいいのよ。痛くないんだから……。なんで狼夜を叩くの?なんで?どうして?狼夜じゃなくて私をやれェ!あいつが憎い!憎い憎い憎い憎い!!!私を叩け!殴れ!もっと叩いて!殴って!蹴って!壊して……私に罰を与えて……お父様……!」
怒り狂ってから突然に猫夜は泣き出す。本当に精神を壊された者の末路をミノさん達は見ていた。
「なんで、お前は狼夜を手にかけたやつに、罰を与えてほしいと望んでるんだよ」
「……誰も……私を壊してくれないの……。お父様しか壊してくれないの。最初は……殴られるのは愛情だと思っていた……。そしてだんだんそれが癖になった。それに気がついたお父様は狼夜に目がいった。私が狼夜に目を向けさせてしまったの!!だから私が悪い。お父様に殴られるのは私で良かったのに!!罰がほしかった……。でも私はそれが快感になっている……。何回お父様に殴られても興奮した後に悲しくなるだけ。恥ずかしいバカ女でしょ」
猫夜はミノさんに抗いながら、苦しそうにはにかんでいた。
ミノさんもなんて言って良いのかわからず、眉を寄せるだけであった。その時、入り込んできたのは更夜だった。
「……だからといって平和に生きている者達を虐げていいと言うわけではない。あなたは頭のいい女のようだからわかっていたはずだ」
更夜は刀を鞘に戻すとミノさんの所まで歩いてきた。メグも後からついてきていた。
「……は……はは」
猫夜はかわいた笑いを漏らす。
「……?」
「お父様は私達より早く消えようとした。私達の心はまだ、きれいにならないのに……。お父様に後悔はない。あの人には一番黒くて消えない感情がない。でも、私達には深い後悔がある。だからいつまでも消えられない。魂がきれいにならない。おかしいでしょ?あの人が苦しまないのはなんでなの?どうして私達のために苦しんでくれないの?私達を散々殴って服従させたくせに。おかしいわよね?」
「……ああ、そうだな」
猫夜の言葉に更夜は素直に頷いた。
「私を壊したのはあの人。もう、元には戻せない。平和に物足りなくなっている自分がその証拠。色んな感情がありすぎて……自分の気持ちも二転三転……。まるで自分がないみたい。たぶん、それを思い出すのが嫌で……暴力の快感を求めてる。私を救える人はいない」
猫夜はあきらめたように、かわいた笑いを漏らし続ける。
その笑い声を切り裂くように更夜が口を開いた。
「……いや、救える。俺達があなたに暴力ではない愛情を教えてやる。だからあの男から離れろ。あなたはまだ……心が子供のままなのだ。最初からやり直すんだ。魂年齢を……子供に戻せ。外見だけ大人になるな。あなたはこちらで魂年齢を磨いた狼夜よりも子供なんだ。戻れ……あなたが歪んでしまった時間まで」
「……いや。お父様に殴られたい、忘れたい……」
猫夜は子供のようにダダをこねた。
「……言うことを聞きなさい。猫夜」
更夜は子供に言い聞かせるように言うと、猫夜の上にいるミノさんをどかした。
「おっと……」
ミノさんは不思議そうな顔で猫夜を離す。
「猫夜、『兄』の言うことを聞きなさい」
「いやよ。どうする?叩く?罵る?憐夜(れんや)にもやっていたんでしょ?『教育』として。私は否定したわよ。どんなお仕置きをしてくれるの?」
猫夜は挑発的な口調で更夜を見上げていた。
「下手な挑発だな。バカみたいだぞ」
「お、おい……更夜……」
更夜の小バカにした笑いにミノさんが恐々と声を上げた。しかし、更夜はミノさんを睨み付けて黙らせた。
「あなたは心が成長していない子供だ。一発ひっぱたけば言うことを聞くか?」
「どうぞ。一発と言わず、顔が腫れるくらい何度も」
猫夜は頬を赤らめ、どこか期待している顔をし始めた。その雰囲気はやはり異常だった。
「……むなしいか?」
唐突な更夜の問いに猫夜は目を見開いた。
「は?」
「あなたが先程、自分で言っていた。むなしいのか?」
「……ちっ。いらつく」
猫夜は雪を踏みしめながら更夜に背を向けた。
「逃げるのか」
更夜が鋭く声をかけた刹那、世界が徐々(じょじょ)に溶け始めた。
「……猫夜が心を閉ざし始めている……」
メグが猫夜の背中を見ながらつぶやいた。それを聞いた更夜は目を細めてもう一度、猫夜に言う。
「……踏ん切りがつかぬなら……待つ。あなたが歩み寄るのを俺達は待つ。俺達の大切な妹。心優しい妹。傷つき壊れてしまった俺達の……妹。もうあいつに……従わなくていい」
「……」
猫夜は特になんにも言わずにメグ達に手をかざした。
「……弐の世界の管理者権限システムにアクセス……『排除』」
目の前が真っ白になり、メグ達は強制的に猫夜から引きずり出された。凍夜を更夜が斬った後、猫夜は現在の猫夜になっていた。なので、あの感情の起伏が激しい彼女は今の彼女だった。
メグ達が砂漠の世界に戻ると、目の前で猫夜が頭を抱えてうずくまっていた。
「いや……優しくしないで……関わらないで……」
「猫夜……」
メグが何か声をかけようとした刹那、隙をついてかトケイが現れた。
「トケイ……」
猫夜は脱力しており、いままでおこなっていたトケイ対策をなにもやらなかった。
トケイは静かに空から降りてくると、猫夜の横で呆然と立っていた雷夜(らいや)を分解し始めた。
「……っ!?」
足先から電子数字になっていく雷夜にミノさんが怯えの色を見せたが、トケイは表情を変えずに淡々と分解していた。
「ちょっ……何してんだよ……」
「……」
トケイは誰の言葉にも反応を示さない。
「なんなんだよ……」
ミノさんは電子数字になり、消えていく雷夜を震えながら見据えた。
雷夜はどこか安堵の表情をしていた。
「どういう……」
「雷夜は……もうない魂。無理やり存在させられ、内面のない姿だけが存在している。あの後、猫夜がそれをやった……。知っていたの。私。サヨの中にいた彼らを猫夜が引っ張り出したこと」
メグはせつなげに目を伏せて苦しそうにつぶやいた。
「先程の……凍夜を出現させたのと同じやり方か」
更夜は消え行く雷夜の瞳を見ていた。彼らには光がなかった。凍夜に壊されたのだと思っていたが違っていたようだ。
この穏やかな、安堵した表情がおそらく彼らが消えた最期だったのだろう。
「弟……、あなたは幸せにこちらで消えたのか。そしてサヨの中に溶け込んでいった。サヨは前向きで強くて、幸せな女だ。これからも彼女を見ていてくれ」
更夜の言葉に雷夜は僅かに微笑んだ。本当に彼は何か言葉を発することなく、あっけなく消えていった。
……分解……終了しました……。
二十五話
雷夜が消えてから、何かに浸る暇もなく、トケイは無表情で猫夜に足を振り上げた。猫夜は顔を手で覆い、座り込んでいる。
「待て!トケイ!」
いち早く気がついたのは更夜。
……猫夜に攻撃をするつもりか!
機械のようなトケイは更夜よりも動きが速かった。誰も反応ができない中、更夜にだけは振り下ろされるトケイの足が見えていた。
「……システム破壊……K……破壊します」
無表情で無感情で無機質な声音が響く。
「待て!!」
更夜が必死に手を伸ばした時、猫夜の側にうなだれていた三人組の人形のひとりが猫夜をかばった。
衝撃が辺りを震わせ、砂が勢いよく舞い上がる。まるで爆弾が落とされたかのような衝撃だ。
かばった人形はボロボロになりながら叫んだ。
「ムーン!リンネィ!はやく!」
「シャインしっかり!……くっ!リンネィ、空間転移でござい!」
ムーンだと思われる人形の、叫びに近い声がリンネィだと思われる黒髪の少女人形を動かす。
三人組はトケイを三角形に囲むと必死に空間転移を発動させた。トケイはまわりの砂を巻き込みながら跡形もなく消えていった。
三人組の人形は続いて猫夜を空間転移させる。猫夜は三人組の人形と共に世界から離脱した。
「逃げた……」
メグがつぶやき、更夜とミノさんは目を伏せる。
「猫夜の心理状態はけっこう……」
ミノさんが暗い顔をしながら言葉を途中で切った。
「……同時に……凍夜を憎んでいることもわかった。苦しめられた彼女は凍夜に先に消えられるのが嫌だった。同じ苦しみを与えたいとも思っていると」
メグは気味悪い赤い空を見上げる。
「……猫夜が一番……厄介か」
「ええ……」
心なしかメグの背中に寂しさがただよっていた。
「女や子供は痛めつければ言うことを聞く……。そういう考えの時代があったのは知ってる。女や子供にもちゃんと心があって、貫きたい正義がある。だから対等に声を聞いてほしい。男女の平等とはそういうことでしょう。でも、あの男はそんなこと、聞く耳を持たない。あの男が妻達に殺されたと聞いた時、当たり前だと思った。私は神で平和を願うKなのに、酷い殺され方すればいいのにって思ってしまった」
「……メグ」
ミノさんと更夜はなんと言えばいいかわからずに黙った。
「中立なんて……無理。関係ない私にだってあの男が憎いという感情がある。あなた達親族が、どれだけ虐げられて苦しかったか想像ができない。私は平和を願う者なのに……あの男には酷い死に方をしてほしいと思っている」
メグはついに耐えきれなくなり、どうしようもない感情から涙が溢(あふ)れ始めた。
「神でも感情を抑えるのは難しいのか……。とりあえず、猫夜の魂年齢を戻させる。凍夜の酷さはここで考えても仕方あるまい」
更夜はメグに軽く言葉をかけると、顔色を変えずにメグが落ち着くのを待っていた。
「おい、更夜……、メグにもっと優しくしてやれよ……。おたくらを考えて泣いているんだぞ!」
ミノさんが見かねて声をかけるが、更夜は何も言わずに泣いているメグを見ていた。
「この娘は今、ひとりで感情を出している。今まで出せなかったものを出しているのだ。だから、邪魔をしてはいかん」
「……」
ミノさんは更夜の言葉に目を見開いたが、慌てて口を閉じた。
「この優しい女神は俺達のために月神などの他の神に頼ることなく、助けに来てくれた。俺達の呪縛を傷つきながらも断ち切ってくれた。そしてこれからも協力してくれると言う。とても嬉しかった。だから待つ。俺が先に行ってしまったら戦闘が不馴れなあなたと、優しい女神が傷ついてしまうから。……だから今は彼女が落ち着くまで待つのだ」
ミノさんは更夜に、自分の気持ちを話させてしまったことを後悔した。
「……気持ちを察せなくて悪りぃな」
「かまわん……」
ミノさんと更夜は感情を落ち着かせようとしているメグを黙って見ていた。
※※
かき乱された。
私の心。
私は昔からおかしい人間だったから。
元になんて……戻れないのよ……。
猫夜は氷の刃が突き立つ自分の世界を、理由もなく歩き回っていた。
その横を心配そうに三人組の人形が一緒についてきている。猫夜は三人組の人形を見ながら思う。
……でも。
彼らは私を救うと言った。
どうせ、彼らとはまたぶつかる。
その時に……考えよう。
私は心が成長していない子供なのだから。
彼らが負けたら、私はお父様と共に消えるつもりだ。
でも、生きるという選択肢も与えられた。
新しい選択肢を……与えてくれてありがとう。
私はお父様の元へ帰るわ。
次に会ったらまた、敵だわよ。
旧作(2020年完)本編TOKIの神秘録 最終部「望月と闇の物語2」(海神編)
折り返しにきました!
もう少しで終わります!
今回、テーマ重いっすね……泣。