道化師は空の色

Ⅰ 戦場の道化師

 焦げて煤けた建物の、巨大なカケラが散らばる大地。
 倒れ残ったビルの陰に、夕闇がそっとわだかまり始める。
 陰と陰の間を埋める瓦礫を鳴らし、違法ギルドの戦闘員達は走る。

「回り込め!」
 大声を出しても、もはや危険はない、というより、変わらない。
「ヤツは独りだ、囲め!」
 リーダー格の一人は、家ほどもあるコンクリート塊に身を隠しながらも、怒鳴り声の指示で怯えをかき消そうとした。
 その途端に頭上から大きな弧を描いて、長い矢が降った。
 脳天から貫かれ、声もなく倒れる。
 他の戦闘員達に結局、その存在の終了が気づかれることはなかった。

「殺せ、そいつが『戦場の道化師』に間違いない!」
 自動小銃のリズミカルな発砲音が始まり、始まったかと思うとブツリ途切れる。
「囲め、全員で囲め!」
 物陰に身を隠しながら、戦闘員達は輪を縮める。
「下手に撃つな、場所がわかる!」
「ヤツの得意武器は弓だ、囲んで、一気に全員でかかるぞ!」
 矢で狙い撃ちされないよう、瓦礫、柱、建物の残骸の、陰から陰へ。

 複数の影が周りを回りながら輪を縮めて来るのを眺め、中心の人影がゆっくり弓を下ろした。
「コソコソと、まぁ、ゴキブリみたいだな」
 着衣の腹部に赤黒いシミが、はでに広がっているのは被弾したのだろう。
 しかし、致命傷に見える箇所と出血を見せながら、体の主は平然と立っている。
「強がりもいつまで持つかな、腹を撃たれちゃ終わりだぞ!」
 誰かから嘲りの野次が飛ぶ。
 しかし、言われた側は、傷に苦しむ様子も、庇う様子もまだ見せない。
 多少、不快そうに、顔をしかめるのみ。
「で、そんな手負いにもまだ怯えて、全員でかかってくると」
 皮肉な独り言に口の端を歪ませ、彼女は弓を背にかける。
「いかにも、浅慮なギルドに似つかわしい行動で」
 両手を広げ、慨嘆するように肩をすくめ、そのまま彼女は声を張った。
「もう飽きてきたから早いとこ頼む。掛け声が要るなら、かけてやろうか」
 まさか仲間が、敵のそんな意味不明な言葉に乗るはずもない。
 ギルドの戦闘員それぞれが、心の中で思った、そのはずだった、それが。

「いっせぇのーでぇ!」
 舞台の道化師が合図する、するとショーが動き出す。
 飛びかかるそれぞれ、その中で短慮にも銃を構える互いを、戦闘員達は八方の視点から見た。
 銃弾は間違いなく、敵『にも』当たり、貫いた。
 貫いた弾丸はその後。外れた弾丸は、その後。

「はい、半分。こっちの手間は省けたけど、アンタら、もうちょい考えて動いた方がいいぜ」
 櫛の歯が抜けるが如く崩れ落ちた影の輪の中で、『戦場の道化師』が、先程より被弾が広がり、血まみれになった半身を晒して、ゆらり構える。
 その姿は、血で染め分けたピエロのだんだら衣装を着ているように、見えないこともなかった。

 撃たない自制が働いた者と、撃って味方を倒した者とがいたが、数人、相討ちを免れている。
「撃つな!」
「肉弾でかかれ!」
 ナイフを抜く者、棍棒をかざす者、あるいは拳を固め、あるいは脚を振り上げて。

 飛びかかる彼らを、『道化師』は一瞬、目を細めて眺めた。
 冷徹な、酷薄な眼差し。
「皆さんは、聞いたことがなかったのかな?」
 踊るように動く身体が、ナイフに裂かれても鈍器に打たれても、止まらない。
「『道化師は空の色をしてる』って?」

 泳ぐようにかき回された空気に、撫でられた頰はすでに。
「I will show you, It's a magic」
 からかい歌を口ずさむ呼吸で、殺戮は完了した。

 一瞬手に載せた重たい生首を、即座に邪魔そうに落とし、『道化師』は指先から血飛沫を払う。
 そんな彼女に、
「…一体…どうして…」
 声に出しているとも気づいていないだろう恐怖のかすれ声が、耳障りに届いた。

 まだ一人、生き残っていた。
 逃げられないことは明らかながら、瓦礫の中を這いずって、少しでも距離を取ろうとしている。
「どう?」
 きょとん、と見下ろして、『道化師』は鸚鵡返しする。
 それから
「どう、とは素手でどうやって切り裂いたか? それとも撃っても倒せないのはなぜか? それともなぜ、私がギルドを潰そうとしているのか? それとも『道化師が空の色をしているのはどうしてか?』」
 矢継ぎ早に畳み掛け、ちょっと首をかしげる。
「それより私には、皆さんが『どうして』違法ギルドなんかをやっているのかわからないな」
「っ、答える…! なんでも答えるから、なんでもするから…!」
 もはや顔色なく、裏返る叫びで相手が懇願する。
 『道化師』の眉が、少し上がった。
「から? 助けて、なんて、そんなモノつかんだ後じゃあ、言わないよな?」
 相手の顔が、憎悪で歪んだ。

 後ろ手に届く場所まで這いずっていた銃が拾われ、一気に構えられた。
 瓦礫の荒野に乾いた発砲音が響き、硝煙の臭いが風に流れ、『道化師』は少しよろめき。

「信念を曲げるぐらいなら舌噛んで死んじまうヤツの方が、私は好みかなぁ」
 新たに流れる自分の血が、ガラクタの間の地面に吸われるのを眺めつつ、彼女は嘯く。
「撃たれても切られても死なないのは、自動治癒が働いてるから」
 独り言してかざした腕には、切り裂かれた袖はあっても、皮膚に傷痕すらなかった。

「私が治るよりも早く傷つけられなきゃ、ダメだぜ」
 うっすら微笑んだ唇は、誰かを思い出すのかそのあと少し、への字に曲がる。
「素手で切り裂くのは、見たヤツが報告に帰れないから、知らないんだろうな」
 推測をこぼしつつ、背に回していた弓を手に戻し、損傷がないか注意深く調べる。
「得意なのは弓。でも、この距離まで近寄ったなら、そこでショーはおしまい」

 暮れゆく荒漠の中、『道化師』は急ぐことなく、ギルドの戦闘員達の残骸をひとつひとつ探る。
 汚れの中から、なにかを探す。
 やがて、小さな黒い手帳を拾い上げ、
「これ、私のおじいちゃんから盗ったものだなぁ。返してもらうな」
 『道化師』は、もの言わぬ相手に告げる。
 それから手帳を開き、しばらく、ページに書きつけられた細かな文字列を眺める。
「わかりゃしないけどな、私にも…」
 やがて彼女はため息で言って、思い切るようにページを閉じる。
 それから手帳を、穴が開き、破れ、血まみれになった着衣の、かろうじて用をなしそうなポケットにしまう。

「夏空みたいに、晴れ渡る日もあるのかもな、春空みたいに、和む日もあるのかもな」
 口ずさみ、奇妙な足取りで、『道化師』は歩き出す。
 不可思議な即興歌に乗せて、瓦礫を避ける暗号のステップ。
「秋空みたいに、澄み渡る日もあるのかもな、冬空みたいに、金の斜光が染め上げる昼のあと、星降る夜もあるのかもな…」
 ゆらゆらと、独りぼっちの影は、荒れ果てた地平へ消えていく。

 空は彼女の色。
 こびりついた血の赤。潰れた肉の紫。燻る硫黄の黄色。転がった目玉の白。
 焼け焦げたコンクリート片の灰色と茶と墨色の、ぎざぎざの雲が切り裂いて。
 道化師の去った破滅のサーカスに、もうすぐ黒い夜が来る。
 月もない、星もない、真っ黒な夜。
 空っぽの空は、天体も光も呑み込む宇宙の深淵。

 虚無のような。
 死のような。

Ⅱ 違法ギルドの幹部

 「なるほど、全滅か」
 穴蔵めいた執務室を出ながら、違法ギルドの幹部は上衣の前を閉じた。
 声のあちこちに、明白なヒビが入っている。
 そんな音質の、印象的な悪声だ。
 硬質プラスティックの留め具がカチカチと鳴って合わさり、フライトウェアが完全になる。

「あくまでも、仕留めようとしたらしい」
 隣を歩く参謀は、対等な口調で話しながら、二組取ったグローブの一方を差し出す。
 エアカーで飛ぶために、二人は隧道の通路を歩きつつ、必要なウェアを着る。
「バカ共が」
 反響する足音の中でも苦い声音を聞き取り、同期の腹心は
「おまえの話を無碍にしなければ、死なずに済んだのにな」
 と言った。

 過去、『戦場の道化師』と対峙して、生還した者は少ない。
 幹部はその僅かな数に入る。
「命を粗末にするやつは嫌いだ」
 打ち切るように答え、幹部は通路出口の脇にある棚から、片目ゴーグル付きヘルメットを取る。
 参謀には、そんな彼の心根が、よくわかっている。
「だからって死ねばいいとは、思っていないくせに」
 苦い笑いで言い返し、参謀もヘルメットを取り上げた。
 彼はすでに、遮光器のようなゴーグルを装着している。
 正確には、彼はそれ無しでは、見ることができない。
「バカは死ねばいいと思えるほど、今の人間に余剰はないだろう」
 予想通りの返事を聴きながら、参謀はエアカーのロックを解除した。

「まぁま、乗んなよ。とにかくスープ皿の出番だ」
 スープ皿の愛称で呼ばれたエアカーは、名前に違わずフライングソーサー型の古風なものだ。
 カラフルさの名残を留めた車体の塗装から、軍用物品ではなかったことが見て取れる。
 ギルドの機械は概ね、古い機体を掻き集め、修理し、再構成してある古物、廃品利用だ。
 二人が使うエアカーは、車でいうならオープンカーといった体裁だった。
 上部を覆うガードが付属していないのも、デザインと利便性のためではなく、単に無い。
「地点WANまで頼む、座標は上で言う」
 乗り込みながら、幹部は指示を出す。
「コースはオレの裁量だな?」
 確認して、参謀は操縦桿を握る。
「狙い撃ちは任せたぜ、殺人バエの方も」
 高エネルギーの爆風が地中のホールに広がり消え、エアカーはゆっくり離陸した。
 すぐに、高速での推進を開始する。
 通路のかなたに点として見えていた白い光が、一気に大きくなる。
 次の瞬間には廃坑の出口で、眩しい昼の光が、乗り物ごと二人を飲み込んだ。

 いつも通り、きらめく日光を反射して、無人攻撃機のドローンが飛び回っている。
 参謀が殺人バエの符牒で呼んだのは、これのことだ。
 それらはエアカーのエネルギーに反応して、さっそく、何機も飛来する。
 避けもせず―避けても無駄だからだが―参謀は一路、目的地方向へと乗り物を操縦する。
「自動カラクリ相手に、余分にくれてやる弾薬はない。引き付けろ」
 幹部の指示通り、無人機のレーザー攻撃をかいくぐりつつ、エアカーは曲芸飛行を始めた。
 一瞬ごとに向きの変わるきつい風の中で、狙撃手はヘルメットから片目ゴーグルを引き下げ、目に当てて照準を合わせる。
 そして、腰帯に吊った革のホルスターから、得物を取り出した。

 鈍い銀色に光る武器は小さい。
 骨董的な価値なら存分にあるだろう。
 リボルバー式、六連発の拳銃。
 たったそれだけの原始的な武器を構え、殺人光線の織りなす綾のなか、生身を晒して二人は飛ぶ。やがて、あちこちえぐられて山容が変わり果てた土肌を背景に、パッと一つの爆発が起こる。
 それから、パパパパッ! と鮮やかな連鎖で、花火のような閃光の玉がいくつも弾けた。

「お見事!」
 運転席で参謀が褒める。
 何世紀も前から穴だらけで立つ山脈が、爆発音のこだまを、鈍く遠く返してきた。
 無駄にしないと言った通り、幹部は一弾で、群がってきた全ての無人機を誘爆させ終えた。
「自分たちの食い物も無いクセに、殺人バエばかり飛ばして来やがる、クソ政府め」
 続けて罵った参謀の言葉に、相手は
「食い物がないからこそだ」
 例の、傷入りの声で、淡々と答えた。

 程なく、エアカーは指定地点の上空へ到達した。
 この辺り一帯は、長い年月にわたり、政府軍や反政府組織が重複して対人地雷を敷設した場所だ。もはやどこに地雷があるのか、どの地雷が起爆しうる性能をまだ保っているのかもわからない、不毛の地雷原となっている。
「で、作戦は? 聞いてなかったが」
 それもいつもの通りという様子で、参謀は目隠しのように見える視覚装置越しに、同志を見た。
「せっかくの『道化師』の腕前を、有効活用することも考えないとな」
 わかるようでわからない言葉を返して、幹部は、このまま空中で待機するよう命じる。
「アイツは地上を歩いて来るのか」
 参謀の問いに、
「ああ。彼女は乗り物に乗らない」
 確信を持って幹部は答えた。

 剥き出しの日差しがジリジリと、ヘルメットを、フライトウェアを、スープ皿を焼く。
 待つ身に長い、半時間の経過後。
「来たな」
 視覚装置から送られる信号に、蜃気楼ではない動きを検出し、参謀が言った。
 彼の眼球は両方失われている。
 今は、生物機械で補った視神経とゴーグルが連動し、受信機の信号を受けて『見て』いる。
「来た」
 片目ゴーグルを引き下げて、参謀の向いている方向に目を凝らしたのち、幹部も頷いた。
「音声が届く距離に入ったらスピーカーをオンにしてくれ」
「了解」
 二人は『道化師』の到達に備え、しばし黙した。
「地雷原に入るぞ」
 やがて参謀が言う。
「いくらすごい早さで傷が治るといっても、アイツも木っ端微塵になれば終わりじゃないのか」
 彼のもっともな見解に首肯し、しかし幹部は
「木っ端微塵になれば…いや、『できれば』な、一部の連中が目論むように」
 と言いながら、ウェアの隠しから記録用のマイクロカメラを取り出した。
「見ていろ、予想を超えてくるぞ」
 彼はゴーグルグラスをはめていない方の目の前で、指先で摘める小さなカメラをかざし、待つ。

「…ヤツは何をしているんだ?」
 参謀が、自らの、高性能の視覚装置で『道化師』を見つめながら呟いた。
「撃つのだろう」
 幹部の声から、彼が滅多に発さない期待と興奮の気配を感じ、参謀は驚く。
「楽しそうだな」
 自分の言った言葉に自分で驚きながら、参謀は盟友を見た。
 明白に、幹部は口元を曲げ、笑っている。
「それに、撃つ、とは」
「見ろ」
 遠い姿へ目を戻した参謀は、優れた性能の視力で、見た。

 『道化師』が弓に、矢をつがえる。
 絵画の精霊の、頭を飾る後光のように、放射状に、無数の矢を一度に。
「そんな、無理だ」
 思わず溢れた呟きに、まるで呼応するように、『道化師』が弓を引いた。
 隣で幹部が、マイクロカメラのシャッターを連続で切った。

 明るい天に放たれる、針状結晶の黒光り。
 矢は目的あるいくつものメッセージとして放物線を描き、あでやかに地表へ届く。
 爆発による土煙が一面に上がり、彼女のいた辺りが、光学的な視覚では見えなくなった。
「まさか、全部当てたのか? 一体、どうやって『見た』んだ」
 埋設された無数の地雷の、起爆スイッチをどうやって見抜いたのか。
 見抜いたとして、そこへ当たるよう、あんなやり方で、矢を射ることができるのか?
参謀は息をのむ、が、直後、
「違う、まだだ! つかまれ!」
 怒鳴り、エアカーを急角度で旋回、上昇させた。

 二人が振り落とされなかったのは、半分くらいは運のおかげだった。
 一本の矢が、さっきまでエアカーの停まっていた中空を、下から貫いて飛び去る。
「真下に来ている!」
 驚愕を隠せないまま、参謀は幹部に叫ぶ。
「ああ、砂塵で煙幕を張り、爆風を利用して自ら『飛んで』来た」
 それは幹部にとっても予想外だったろうに、高揚の口調も表情もますます冴えて、彼は分析し、答える。

 自分を吹っ飛ばし、こちらまでの距離を詰め、なおかつ空へ弓を引く。
 狂っている、と思う推測が、しかし、ここでは正しいのだ。
 地上では今、あの『道化師』の損傷した肉体が、凄まじい早さで自動治癒しているだろう。

「やるなら、今じゃないのか」
 参謀の言葉には、畏れが滲んでいる。
「さて、何をやるのか…お前の期待には応えられないことかもな」
 幹部は返事をし、片目ゴーグルを上げて、素顔を晒し、友に微笑んだ。
「構わないさ、お前が決めたことなら」
 答えながら参謀は、心で、自覚のなかった恐怖がすっと落ち着くのを感じる。
 彼は操縦桿をゆったり握り直す。
「では、頼む」
 幹部はエアカーのシートを上げて、物入れから緊急信号用のミニパラシュートを取り出した。
 それへ、小さな網袋を引っ掛ける。
 袋の中には小さな包みが一つ、水筒に似た金属製の筒が二本。
 空中に、無造作に投下し、そして
「スピーカーを」
 幹部の声で、機械がオンにされる。

 彼はマイクロフォンへ、傷を持つ肉声を投げた。
『戦場の道化師。これはオレからあなたへの、プレゼントだ。受け取ってくれ』
「爆弾か?」
 参謀が尋ねたが、
「今更か?」
 幹部が問いで返し、否定した。
 しかし『道化師』は、参謀と同じように考えたらしかった。
「また来るぞ、最後の矢だ!」
 透視する視覚で見てとり、先ほどより余裕のある旋回で避けようとしかけた操舵手に、
「西へダブル、それ以内だ!」
 幹部が通常の運転者には実現不能な注文をつけた。
 同時に彼は、エアカーの縁から身を乗り出した。

 体重移動と旋回の遠心力、そして、操縦士がキツい条件をこなそうと、墜落ギリギリの角度をつけたために、スープ皿は大きく傾く。
 乗り物の下で推進力を生み出している高エネルギーの眩しい束に突っ込むか、それとも皿からこぼれ落ちるかというほどに、青年の体が思い切り宙へ乗る。
 その体の、ピタリと構えた腕の先で、リボルバーが一発。
 残響は遠くの山脈で、誰も彼もが忘れた頃に、細く細くこだましたかもしれない。
 鉛玉が長い矢を通る奇跡の角度で飛ぶ、遠い過去に約束されたマリアージュ、空中の曲芸――

 「馬鹿野郎が!」
 廃鉱山の出入り口へと飛びながら、参謀は遠慮会釈なく、上役に当たる朋友を怒鳴りつけた。
「よく見ろ、髪の毛一筋たりとも、焦げてはいないだろう」
 相手の烈火の怒りに閉口気味に、幹部は苦笑する。
「あんなことをよくも、オレの前で!」
 語気荒く、飛行術さえ荒っぽく、参謀はマシンを駆る。
「お前だからさ」
 もはや声にも笑いをにじませ、幹部が言えば、
「その手を食うものか! お前の心配で命を縮めるなど…、今度やるならオレ抜きでやれ!」
 参謀は言い返し、エアカーの速度を上げて、荒んだ山肌を次々と飛び越えた。
「それは困るな…」
 自分の目的を果たし、楽しげに笑う幹部に、
「アイツに渡した包みが何なのか話せば、さっきのことは忘れてやる」
 参謀は不機嫌な顔を見せつけた。
「包みの方だけならな」
 微笑んで幹部は答える。
「あれは彼女の祖父の遺品の一部だが、『ギルドの役に立たない』と判断されたものだ」

 なるほど、不要のものを返し、残りへの執着を忘れさせるのか。
 それともこれを餌に、肉を切らせて骨を断つ作戦か。
 いずれにせよ、『道化師』が唯一にして絶対に執着するものを、切り札に使ったわけだ。

 納得の表情を浮かべた腹心へ、幹部は言葉を重ねた。
「それから、オレたちのアジトへの招待状が入っている。座標を知らせた」
 乾いて渦巻く風の中、参謀は幹部の言葉の真意を図りかね、呆然と相手を眺めた。
「ギルドに背くのか」
 囁きを聞き逃さず、幹部は首を横に振る。
「むしろ、ギルドのためだ」
 幹部はくだくだしく説明しようとはせず、ただそう言った。
 アジトの場所を敵に教えたという重大な告白をしても、それを聞いた参謀からは、他の誰にも伝わらないだろうことを確信する口調だった。
 その通り、参謀は、声にこもる思いだけ受け止め、それ以上を聞かない。
「信じる」
 短い一言で、彼は話を締めくくる。

 無人攻撃機の代わりがまだ到着していない山間の空を、二人は無言で飛び越える。
 やがてエアカーの飛行音と推進の光は、山肌に無数に開いた黒い口の一つへと、消えた。

Ⅲ 二人

 廃坑山は夕陽に照らされ、薔薇色に輝いている。
 穴だらけに損なわれた大地の起伏が、紫の模様になる。
 違法ギルドのアジトから見える景色が、少しだけ、美しくなる時間帯。
 構成員以外で、この場所に近づく者はいなかった。
 徒歩で来る者はさらにいない。
 普段、盲滅法の挙句に飛来し、ここまで到達する無人攻撃機も、先日の大量破壊後に補充されていないのか、空はきれいだ。

 しかし、今。
 その、荒れた山腹の、道とも言えない、雨水の通る部分を、人影が登ってきた。
 長い弓と重い矢筒を背負って、平地と変わらず、不可思議なステップで踊るように進む彼女は。
 『戦場の道化師』。
 弓の名手。
 傷を受けても即座に治る体と、素手で人を切り裂くことができる異能を持つ存在。
 血の色の空の化身。
 違法ギルドにとっての死神。
 まさにその人だった。

 怒鳴らなくても届く距離になって、彼女は穏やかに口を利いた。
「自分だけで待っているとは、感心したぜ」

 声に応じ、人影が立ち上がる。
「呼び立てたのはこちらだからな」
 山腹に開いた穴ぼこの一つの前で、彼は答えた。
 彼、違法ギルドの幹部の後ろにある隧道の口は、アジトへの出入りに使える坑道の一つだ。
「こんなに近くで会うのは、初めて出遭った時以来だな」
 幹部は付け加え、うっすらと笑った。

「なぜ、私を呼び出したのか、答えてもらおうか?」
 『道化師』は性急に要件に入ろうとする。
「確かめたいことがあったからだ」
 幹部は言葉を切り、肩を少し引く。
 身体の動きで『側へ来い』と招く。
「そう急ぐことはないだろう」
 独特の、傷が入ったような響きの声が、笑いを含んで誘う。

「ちょうど飯時だ。一緒にどうだ」
 幹部は数歩、後ろへ歩く。
 簡易椅子を二脚ならべた間に、固形燃料のクッカーと、使い込まれたコッヘル。
 幹部は、手に持った金属の筒を、勧めるそぶりで持ち上げる。
「この間くれた物と同じ?」
 期待を隠さない声で、『道化師』が尋ねた。

 先日、地雷原での果たし合いの後、幹部が贈ったものの中には、小さな包みと、今いる場所の座標を記したメモの他に、似た筒が二つあった。
 あの、殺し合い、にも似た試し合い、あるいは手合わせ、それとも探り合い…。
 なんと呼ぼうが。
 間違いなく命がけで闘ったはずの二人は、今、ただの知り合いのように距離を縮める。

「気に入ったのか、あれを」
 幹部は『道化師』を見つめ、片目ゴーグルを嵌めた目を細める。
「ああ。美味しかった」
 彼女は屈託なく答え、なおも興味を持って、彼の手にする筒に目を注ぐ。
「そんなら残念ながら、これは、あなたの口には合いそうにないな」
 また一つ、何かが明らかになったという気配で、幹部の口調は改まった。

 道化師が口を開く前に、重ねて、幹部は言った。
「もう一つの贈り物も、気に入ったか?」
 抑えても漏れ出す緊張感を漂わせた質問だった。
「もちろんだ。おじいちゃんの集めた標本を、返してくれてありがとう」
 探る視線に気付きながらも、道化師は知らぬげに、泰然と微笑む。
「あれが何か、わかったんだな」
 幹部は念を押す。
「わかるさ。タイプされた文字だ、問題なく読める。微隕石の標本も、本物だった」
 道化師は軽く腕を広げて、にこりと笑う。

 一瞬、次のセリフを忘れた間を持って、幹部はその笑顔を注視した。
 彼でなく、彼女でなければ、『見惚れた』と言ってもいいような。
 言葉による会話の空白。
 視線による会話の横溢。

「あなたは双眼顕微鏡を持っているのか?」
 間違って尋ねられたような、場違いに思える質問に、道化師は小首を傾げた。
「いいや? 私が持っているのはいつも、」
 言うなり、彼女は一瞬で弓を構え終わっていた。
「これだけだよ。さぁ、その筒の中身は何かな?」
 冴えた鏃で真っ直ぐ相手の喉元を狙い、刃物のような視線と声音を突きつけ、彼女は尋問する。

 幹部はとっさに両手を上げて、無抵抗を態度で示した。
「疑うのが当たり前だが、急ぐな」
 忘れ得ない独特の悪声で、幹部がゆっくり返事をする。
「オレの言葉は、言った通りだ。」
 凶器で狙われている側が今度は逆に、優位に立ったかのような盤石の冷静を取り戻す。
「前に贈った物が『美味かった』のなら、『これはあなたの口に合わない』」
 弓につがえた矢を微動だにさせず、道化師は
「で、中身は何なんだ、まだ答えてもらっていないぜ」
 固い口調で訊く。
「Agua de beber...」
 幹部が低く呟いた。

 それは『飲料水』という意味だ。
 しかし、それだけの意味ではない。
 かつて詩に込められた時、その言葉はすでに二重の意味を持っていた。
 今や、『ただの水』が黄金より貴重であるため、計り知れない思い入れがそこに付加されることになる。
 反射的に、歌の続きを口ずさんで、道化師は少し、眼を見張る。
 柔らかな、懐かしい旋律、はるか昔に失われたはずの。

 声が和らぎ、彼女は弓を下ろした。

「ボサノヴァも、知っているんだな」
 幹部は唇の端で微笑み、懐かしげに相手を見た。
「だがあなたは、『飲料水』を飲まないのだろう」
 幹部が問いかける。
「飲まない。こないだのみたいなヤツを飲む」
 道化師はこともなげに答えた。
 そして、前のアレはないのだろうか、という風情で、クッカー周りに目を走らせる。
「あれは簡単には手に入らないし、おいそれと持ち運べないものだ」
 幹部は言って、確信を深め、上げていた腕を下ろす。
 そして再び簡易椅子を勧めた。
 しかし、彼女は座らなかった。

「今日は、相棒はいないのか」
 道化師が尋ねる。
 ずっと、周囲にギルド構成員を探す様子もなかったが、参謀のことは気にしていたようだ。
「エアカーの曲乗りが上手な、あの人さ」
 薄笑いで、彼女は付け加える。
 彼女が放った矢が命中していれば、話題の主は勿論、目の前の幹部も今、この世にいない。
 それを見切って間一髪避ける操縦をし、追う矢に幹部が対抗できるよう、指示通りに乗り物を飛ばせたのは、参謀だった。
 目隠しのような視覚補助装置のゴーグル無しでは何も見えず、機械の力を借りれば、はるか遠くも、砂塵の向こうも、見通せる視界の持ち主だ。

「今日は反対側を見張ってくれているのでな。今頃、飯でも食ってるだろう」
 幹部も微笑んで答えた。
 参謀があの後も、生きてぴんぴんしていることを、言外に道化師に伝えている。
「反対側ねぇ」
 道化師が笑った。

「放っておけば、あなたが狙うのはそちらだと思った」
 幹部は覚悟を決めたように、決然と道化師に正対し、言い切った。
「あちらには、坑道への送風装置がある。それを壊されたら、オレ達の被害は甚大だ」
「全滅したかもな」
 皮肉でもなく、さらりと答える道化師に
「そうだ」
 幹部も肯定する。
「だから、座標を渡してこちらへ来てもらった」
「だから、何のためかを訊いている」
 前置きに焦れて、道化師が遮る。

「オレ達が全滅させられないため、そしてあなたを」
 そこで幹部は言葉を切った。
「…なんと表現すればいいのか、わからないが」
 独り言の低い声で、埋めるともなく間を埋める。
 空中から言うべきセリフを読み取りたいように、視線を泳がす。
「あなたを損なわないため…とでも言えるのだろうか」
 自問自答し、彼は無意識のように、Agua de beber、と呟いた。
「私を損なえるとしたら、アンタだけだと思うがなあ」
 『戦場の道化師』は、余裕の笑いで返事をしたが、幹部は笑わなかった。
「損なうというのは、物理的な破壊だけとは限らない」
 幹部は簡易椅子にかける。
 つられて、道化師も椅子のそばまで歩み寄った。

「座ってくれ、ここに罠はない」
 まっすぐに彼女を見上げ、彼は言う。
「もし、何かするなら、もう『してる』だろうしな」
 幹部の目をまともに見返してから、道化師は微笑んだ。
「その照準ゴーグルをはめたままで、そのサイボーグの腕で。なのに、狙い撃ちするでもなく」
 彼女は言いながら椅子にかけ、真正面から幹部の顔を覗き込む。
「あんたの腕は作り物だろう。喉と一緒に損傷したのを、高性能の機械で置き換えてい
 る」
 道化師は簡単に、幹部の百発百中の腕前の理由を暴く。
「あんたの早撃ちが今まで唯一、私の自動治癒より早かった」
 記憶を再生し、褒め、噛みしめて、彼女は続ける。
「あんたの腕と声は、私のおじいちゃんの技術を使って、作ったものだろう」
 優しい声だった。
「そんなあんたが、撃つでもなく、凝った策略を巡らせて他の危険地域で待ち伏せるでも
 なく、アジトの入り口に招待して、貴重な水を勧め、椅子を勧め、さっきから何をする
 でもない」
 疑問を挙げ終え、彼女はわずか身を乗り出した。
「一体、私に『何をした』?」

「質問を」
 幹部は視線をやや落として、静かに返答した。
「そして答えを得た。あなたは自分のことを知らない」
 ふうっと、意図しないため息が、彼の口から漏れる。
「あなたは文字が読めるのに、特定の手書き文字だけが読めない」
「それは知っている」
 道化師が口を挟む。
「私のおじいちゃんの字と、もう一つ、知らない筆跡の字だ」
「この字だろう」
 幹部はポケットから、ぼろぼろの小型ノートを取り出し、開いて見せた。
 ページが外れ、汚れ、破れがあちこちに見えるが、なんとかノートの体裁は残っている。
「そう、それだ」
 道化師は手をのばしかけ、立場を思い出したか手を止めたが、幹部が差し出して渡した。
「私の読めなかった文字の紙切れだ、たまに、おじいちゃんの遺品の中に入っていた」
 外れたページをいくつかめくって、眺めてから、道化師はノートを幹部に返した。
「それは、あなたの字だ」

 藤紫の夕闇が空気まで染めて、地上の全ては、空の中へ吸い込まれていく。
「正確には、『生きていた時のあなた』の字だ」
 視線を落とし、付け加えて、幹部はノートを受け取り、代わりに、小冊子を差し出した。
 年代物の、簡易なパンフレットの表紙は、画素の粗い肖像写真で飾られている。
 褪せた写真の中でかすかに微笑む図像は、差し出された冊子を受け取った彼女の面影、そのままだった。
「私?」
 納得行かぬげに、『道化師』は古風な印刷物を受け取る。
「こんな画像は、撮られた覚えもないな。古色の付いたアナログ媒体…手の込んだ悪戯だ
 な?」
 彼女は訝しみ、自分でも信じていないらしい『悪戯』という言葉を、あやふやに述べる。
「いいや。百年も前、あなたが、あなたのオリジナルが、その小論を出版した」
 ぼやけた像であっても、同じ顔をした、同じ年頃の女であることは明白だった。
「その小冊子は、今の『違法ギルド』結成の元になる思想とシステムを提唱したものだ、そのせいで、あなたは時の政府に消された」
 彼は抑揚を抑えた声で一息に言った。

 「生身のあなたは、正義感の強い潔癖な理想主義者と言えたのだろう。自分の理想に忠実に、しかしあくまでも合法に、時の権力と対抗する立場を貫こうとして、あたら生きられる命を縮めた。公的な記録には、旅行に出て帰らなかったとなっていたそうだ。巷では、拉致されて拷問死したとも、無法地帯まで連れ出され惨殺されたとも言われているが、今となってはわからない。長い間伝えられてきた、彼女が悪意を持って死に至らしめられたのだという噂を、あながち間違いと思う理由がないのは、あなたの存在だ」

 幹部はゴーグルを嵌めた片目と、裸眼との双眸を、『道化師』に向けた。
「あなたの、いいや、百年も前に死んだ『人間のあなた』の祖父は、科学の錬金術師と言ってもいいような人だった。万能型の天才、最後の発明者、今、終わりゆく文明の中でもまだ持ちこたえている技術のいくつもが、彼の発明に依っている」
 彼は自分の右腕を軽く伸ばし、形良い手の、すんなり伸びた指先までを動かした。
「ご覧の通り、芸術品とさえ言える、サイボーグの腕。オレの腹心の目を見ただろう。生物機械で補った、あの視力を。この声はオレだけの、合成音の声だ。『あなたの祖父』の技術がなければ、オレ達はこんな風には、生き延びられなかっただろう」
 同時に、その、自分達を生かすために使われた技術が、今の政府に狙われる元ともなっている、と彼は呟く。
「そんなことは、だが、あなたと比べれば瑣末なことだ」
 言い切りに重なるように、彼の襟につけたバッジから、小さなブザー音がした。

 口調を強め、視線を強めた相手に、気圧されたとも思えないが。
 道化師は微かに身じろいだ。

「あなたの自動治癒。素手で人を切り裂ける能力」
 束の間、強い照射に似て据えていた直視を外して、幹部は数える。
「顕微鏡なしで微隕石を見分ける視力と、鑑定力。なぜ、肉眼で、大気圏突入時に空気と
 の摩擦による高熱で溶け、再結晶した微隕石の表面の特徴を、見分けられる?」
 息継ぎは、諦めの歎息にも聞こえた。
「微隕石のサイズは、概ね〇・二から〇・四ミリだ」
 彼の襟から聞こえるブザー音の、間隔が少し縮まる。
「荒野を歩いて移動しながら、あなたは水も飲まず、食べ物も食べない」
 人ではない、サイボーグですらない、どこにも生物の要素がないのだと、幹部は胸の中で言う。
「あなたが『美味しかった』と言ったあれは、核燃料だ」

 幹部は、警告音を発するバッジを、無意識のように外してポケットに突っ込んだ。
 二人を包むのは、やわらかな風の音だけになった。
「あなたは百年以上も動き続けている、素晴らしい自動人形、自分を機械だとも思わないほどの最高の完成度の機械だ。そしてまぎれもなく、錬金術師の『孫娘』だ」
 人であれば動揺したのかもしれない、幹部からの正体の暴露にあっても、『道化師』は落ち着いていた。

「アンタは、それを確かめるために、私を地雷原に呼び出して、プレゼントをくれたんだな」
 穏やかな声で、道化師は尋ねる。
「そうだ。初めて会った時に、仮説を持った。あなたの姿。それに、彼を祖父と呼ぶだろう」
 空には薄い光が残りながら、夜の訪れと共に急速に温度が下がり始めていた。
 幹部はしかし、寒さにも気づかない様子で、服をかき合わせることもせずに話す。
「あなたが読めない、遺品の中の彼の文字や、彼女の文字を読めたとしたら、あなたは自分が何者かということに、とっくの昔に気づいていただろう」

「私の人格も記憶も、その、おじいちゃんの孫…私に読めない、知らない筆跡の文字を書いた人のものということか」
 道化師は感慨深げに、後を引き取った。
「すると私は、自分の、というよりも、その、死んだ彼女の正義と理想に従って、彼女の理想を形にした抵抗組織の『違法』ギルドと敵対し、おじいちゃんの遺品を集めることにだけ、集中してしまったっていうのか?  そんなにも長い間?」
 手にした弓を、道化師はギシリと握りしめた。
 少し伏せた顔に、髪がかかる。
 それは冷たい夜風にふわりとゆれる。純正の人毛。
「本当ならば、とんだ『戦場の道化』だな、私は」
 自らの演じた役割の無為を、道化師は自嘲した。

「最近は。そうだな。ひどく恐ろしいものではあった。何しろ、『戦場の道化師』は、名前だけが聞こえていて、実際にいるともいないともつかない風聞の存在だったから、この目であなたを見るまでは、砂嵐や竜巻など、何か災害の、異名ではないのかと思っていたぐらいだ」
 咎めることも嗤うこともせず、幹部は淡々と肯定した。
「しかし、あなたはそれさえ知りようもなかった。オレ達も知らなかった、知ったところで、あなたに出遭って攻撃すれば、あっさり消されてしまうのだから、伝えようもなかっただろう?」
 オレが今、初めて確かめたのだ、と彼は誇るでもなく付け加えた。

「あなたのせいでもあり、オレ達のせいでもある、あなたをそんな風に、人にとって脅威になるような身体で『生き返らせる』ことを選び、実際に『生き返らせ』てしまった、あなたの祖父のせいでもある…気持ちは、わかる、気がする…などといっては、おこがましいが」

 それは最愛の存在を損なわれた天才の、狂気を孕んだ復讐だったのだろう。
 彼はそう言った。
 何も知らず、自らの死すら知らず、意識や人格をオリジナルの脳から、精密な技で移し替えられたことも知らず、彼女はある日、目覚めて、祖父の遺品を探し始める。
 世界中に散った、それらの高度な技術、発明の鍵、あるいは素朴な記念の品。
 求めて動く先で、彼女は脅威として攻撃を受け、それをことごとく返り討ちにする。
 破壊に次ぐ破壊。

 幕が開いた円い舞台で、道化師は踊る。
 この、荒廃した惑星という巨大な球を用いて、観客のいない玉乗りを続ける。
 彼女か、世界人類か。
 全てが破壊され尽くすまで、終わりはしない復讐劇のサーカス。

 そして、今、人類の文明は、黄昏を迎えていた。
 絶対数が激減し、住める場所もますます限られ、分断されていった。
 同じ共同体に属さない人間同士が出会う機会は、驚くほど減っている。

 このままだと彼女が『勝つ』のかもしれない。
 意識もしないで、人が絶滅した後でも、彼女は機能し続けていくのかもしれない。
 荒れた街の残骸を、荒野の塵芥の中を、独り歩いて、思い出の品を集めて。
 恐ろしい企てで作り上げられた至高の人造人間を、しかし造り手は愛していた。
 今に至ってさえ無垢な心は、憎しみを知らずに、ただまっすぐな天意を写す。
 道化師は空の色をしている。

「あなたに出遭って、あなたに追い詰められ、それでも信念を曲げなかったオレを、あなたは殺さなかったな」
 彼女との最初の出会いのことに再び言及し、彼は少し身震いした。
 夜の寒さが辺り一面、沁み初めている。
 携帯コンロに火はなく、夜用の上着を持ってくる部下もいない。
 しかし今、幹部はそれらを、全く気にしていなかった。
「私はいつも、やられないために動くだけだ。アンタは私をやれたかもしれない」
 道化師はポツンと答えた。

「それで、私を呼び出して、その話を聞かせたのはなぜ?」
 夜闇が支配する谷間で、立ち上がり、ほとんど影に呑まれ、道化師は尋ねる。
「オレ達と。―いや、オレと、一緒に生きてもらえないかと頼みたかった」
 幹部は見えない夜を見通して、まっすぐに彼女を見上げて答えた。

「あなた自体が技術の粋で、危険極まりない兵器ともなりうるのは自明だ、でも狙っているのはそれじゃない」
 答えを得る前に、告げなければと、言葉が畳み掛けられる。
「『戦場の道化師』に殺された同胞も数知れない、それを忘れようというわけでもない」
 もどかしげに首を振り、彼は一瞬、思い余って手を延べそうになる。
「あなたは『人になれる可能性がある』、そしてオレ達は『あなたのようになれる可能性がある』、オレが考えているのは人間と機械が生き延びられる未来だ」
 幹部は一拍、息を詰め、道化師の呼吸を窺うように耳を澄ませる。
「本気で信じているのか? まるで絵物語だ」
 可笑しそうな声が返った、道化師のシルエットはおどけた揺らぎ方をした。
「あなたの協力があればそれができる」
 幹部は低く、言葉を押し出した。

「それも、面白かったかも知れないな」
 ふと、気配を変えて、道化師が仰向く。
 静かな、星も月もない夜空に、何も聞こえないのに、何か見たというような。
「だけどアンタ達は、私の側にいるだけで弱るんだろう?」
 くるりと姿勢と、体の向きとを変えて、彼女は弓を軽く持ち上げる。
「さっきから鳴り止まずに壊れてしまったバッジは、線量を測って警告していたんだろ」
 矢筒から、微かな音を立て、滑らかに一矢を取る。
「何日分の放射線を浴びたことになるんだ?  早くアンタの腹心を呼べよ、そして治療を
 怠るな」

 彼女は軽く跳ね、人の視力では、もはや見えもしない闇夜の山肌を登る。
「待て! 待ってくれ。大丈夫だ、直接に会わずとも会話する方法はある…」
 言いかける幹部の、壊れた声を彼女は遮る。
「それでもアンタは先に死ぬだろう?」
「待て!」

 制止も聞かずに、彼女は山を登る、細い刃物で切るごとき夜風の音。
「あなたと同じように、意識だけのデータになって、あなたと共に」
 幹部は叫んだ。
 追って走る足は、ゴーグルの暗視を使っても岩肌に拒まれ、距離は開く。
「言うなよ」
 どこか嬉しそうに、『道化師』は笑った。
「おじいちゃんが残したかった私の『命』、私は無くしてしまったみたいだ、でもアンタ達は、まだ、大事に持ってるんだな、だったら大事に、最後まで持っておくのがいいぜ、絶対だ」
 一つの小さな突端で、彼女はふわりと腕を広げ、弓矢を見せびらかすようにした。
「だからな、上のアイツは、片付けてやるよ」

 星も、月も、見えない。
 黒いのは、音もなく飛来した巨大無人機の。
「ダメだ!」

 彼が叫んだ絶望は、自分の、ギルドの、絶体絶命を感じたからか。
 それとも彼女の腕を信じるには、頭上の悪意があまりに濃く大きく強すぎると思えたのか。
 それとも。
 彼女を見失うことだけを、避けたいとでも思ったのだろうか。

「This, my boy, is the circus!」
 道化師の高らかな笑い声で宣言が降った。
 その時、巨大な無人攻撃機からも光の雨が降った。
 轟音と閃光の中で乱舞する、赤と白。
 白は躊躇もなく傷つけられる肌。
 赤は惜しげもなく流される血液。
 やめろやめろ損なうのをやめろ。これ以上。これまでだって多すぎる。
 幹部はリボルバー式拳銃を抜き、ただ彼女に当たろうとする、光を狙った。
 一つ二つ三つ四つ五つ六つ落とし、火傷する速度で空薬莢を捨て弾を篭めてまた狙い、
 一つ二つ三つ四つ五つ六つ落とし、一つ二つ三つ四つ五つ六つ落とし。

 黒い空には亀裂が入り、紅蓮と目に痛い白光と、黒煙の塊へとちぎれ。
 降り注ぎ、耳を聾する大音響が、山脈を何度も殴りつけ。
 やがて紺青が、より高い場所に、果てもなく広がる。

 おーい! と呼べば、呼び返すのは、ギルドの仲間達。
 失われた目を機械で補った朋友が、まっすぐこちらへ駆けつける。
 おーい、と呼んでも、彼女の答えはない。
 立ち去ったのか、永遠に失われたのか、今は何もわからない。

 温かい血流に、暖かい呼吸に、熱く脈打つ鼓動に。
 その全ての頭上に、深い青の天蓋。
 針で突いたほどのささやかな銀粒が、それでも無数に光っている。
 弱いが確かな、したたかな、希望とでもいうような。

 「あなたの色だ」
 届かない言葉を、彼は空に送った。

(完)

道化師は空の色

道化師は空の色

弓の名手『戦場の道化師』。彼女は荒廃した地球をめぐり、祖父の遺品を集めながら、違法ギルドと敵対していた。百発百中のガンマンであるギルドの若い幹部は、彼女の秘密に気づき、接触を試みる。人間業を超えたバトルの間に生まれる、人間的な交流。空は彼女の色をしている。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • アクション
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-09-16

Copyrighted
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Copyrighted
  1. Ⅰ 戦場の道化師
  2. Ⅱ 違法ギルドの幹部
  3. Ⅲ 二人