私たち

 「私たち」

 アキと話をしたのは、お店の女の子が死んでしまったからだった。
 
 アキはいつも部屋の隅で大きなヘッドホンを付けて雑誌を読んでいた。
 私は彼女が座ってる場所からいちばん遠い隅で、パーカーのフードをかぶっていつもスマホの画面を眺めていた。
 
 「発見が遅かったからかなり腐敗が進んでいたらしいよ。死体がガスで膨らんでいたって」
 女の子たちが話しをしているのを、私は知らないふりをして聞いていた。
 死んだ女の子と少しだけ仲がよかった女の子が、SNSでたまたま彼女の死を知ったのだ。
 でも、本当の死因は誰も知らない。
 ただ、わかっているのは一人で死んでいったということだけだ。
 私は一人でいるのが急に怖くなって、それでアキに話しかけてみた。
 「ねえ、焼肉を食べに行かない?」私は言った。

 私たちは店を出て、近くの高級焼肉店に行った。
 首から白い布製のエプロンを垂れ下げたアキは、涙目になるほど肉をめちゃくちゃに口の中に押し込んで、それから丼の白いご飯も押し込んだ。
 「よく食べるだろ?」アキが言った。
 「うん」私は言った。
 「ガリガリなのにさ」アキはこぼれ落ちそうな瞳を私に向けた。
 「うん」私は言った。
 アキと話しをするのは初めてだった。
 私はメニューを開くと、眞露を1本と肉を10人前と、それから白いご飯を2つ注文した。
 私たちは向かい合って、焼肉を食べ続けた。

 次の日、私は荷物をまとめると居候していた男の部屋を出て、アキと一緒に住み始めた。
 私たちはとてもよく似ていた。
 長い手足のひょろ長い体系も。
 顔の大きさも。
 足のサイズも。
 体重も。
 年齢も。
 名前は、アキとサキ。
 そして、過食症だった。

 私は美容院に行って、アキと同じ長さに髪を切りそろえた。
 それから私たちは街に行って、制服のように、同じデザインのワンピースを色違いでいくつも買った。
 それに合わせて靴もいくつも買った。
 「靴は大きめのサイズを買うといいぞ」アキが言った。
 「どうして?」私は言った。
 「バカみたいに目立つじゃないか」アキは笑った。
 アキはいつも男の子みたいな言葉使いをして、大きな口で笑った。
 アキは鏡に映った自分のホクロをなぞるみたいに、私の頬に小さなホクロを描いてくれた。
 私たちはバカみたいにお揃いの服を着て、双子のように街を歩いた。
 「男でも買うか」アキが言った。
 「うん」私は少しドキドキしたけど、そう言った。
 
 私たちは一人の男を共有した。
 男がアキのきれいなオッパイをつかむ。
 乳首を指で挟む。
 アキは溺れたようにあえいでいる。
 アキの体は汗で魚のように光っている。
 アキは神経を集中させて、一生懸命感じようとしている。
 男の動きがそれに呼応する。
 みんな死んじゃえばいいのに、私は思う。
 私は男を押しのけて、アキの体に覆いかぶさる。
 私はアキの乳首を口に含む。 
 クリトリスに舌を当てる。
 アキはこっちを見てくれない。
 自分の世界にどんどん入って、私から遠のいてしまう。
 私はいつの間にか泣きじゃくっている。
 アキが私の髪に触れる。
 アキが笑いながら私の泣き顔を見ている。
 突然、男が後ろから私の中に入ってくる。
 みんな死んじゃえばいいのに、私は思う。

 私たちは焼肉を食べ続ける。
 部屋に戻ると私たちは大量の食べ物を吐き出す。
 トイレからアキの嗚咽が聞こえてくる。
 アキは「チキショー」とか「クッソ」たまに悪態をつく。
 苦しそうにむせぶ。
 私はドアの前にひざを抱えてアキが吐き終わるのをじっと待っている。
 アキがトイレから出てくると、私がトイレに入る。
 もう指を差し込まなくても、私は吐くことができる。
 でも、毎日吐いているのに、やっぱり苦しい。
 でも、吐くと私は安心する。
 便器に浮かんだ食べ物に、私はごめんなさいと思う。
 食べたものを全部吐き出してしまうと、私たちは体重計にのって、体重をチェックする。
 それから大量の下剤を飲んで眠る。
 
 アキはとても美しい絵を描く。
 アキは美大に通っていた。
 「美大のやつらだって、大して絵が上手くないやつなんてゴマンといるよ。だから、サキも美大に行けばよかったんだ」
 私は黙って、アキの描き出す才能を眺めている。
 「何も絵が描けることが才能ということじゃないんだ。芸術に大切なのは、感じること。それを表現すること」
 アキは描き終えたばかりの大きな油絵のキャンバスを、カッターで切り離して床に敷いた。
 それから私を裸にして、その上に寝かせた。
 まだ乾いていない絵の具が背中に触れてひやりとして、草の上に寝転がっているような、水辺に引き込まれるような気分になった。
 「足を広げて。楽にして」
 私は言う通りにする。
 アキは私の体の上に、赤い紐で何本もの線を引いていく。
 足の指の間にも手の指の間にも糸を通す。
 お腹にも首筋にも顔の上にも。
 赤い紐が乳首を縁取る。
 無数の赤い線が交差して私を覆う。
 「感じて」アキが言う。
 私は目を閉じる。
 アキが赤い紐を1本、1本、引き抜いていく。
 その度に私の皮膚の上で小さな摩擦が起きる。
 私の体の上を赤い線が這っていく。
 私はその感覚に集中する。
 感覚が体の中で膨らんで、私は感覚そのものになる。
 不思議な声が私の口をついて出てくる。
 私は声を出し続ける。
 声は糸のように細く、天に向かって伸びていく。
 私はまるで違う人の声を聞いているように、その美しい歌声に耳を傾ける。
 「きれいだよ」アキが言う。

 アキはアメリカに行くと言って、急に部屋を出ていった。
 「ニューヨークにパトロンがいてさ。ド変態。でも、金は持ってるんだ」
 アキは見たこともないような大きなスーツケースにそのへんの服を放り込んで、黒くて長いコートを羽織って出ていった。
 アキは私に空港に見送りに行くこともさせないで、アパートの扉を閉めた。
 私はアキの部屋にひとり残った。
 私には他に行くところがなかった。
 私はアキの部屋から店に通った。
 私は部屋の隅に寄りかかって、アキが置いていった大きなヘッドホンを耳につけた。 
 アキの指名の客はしばらく私が引き継ぐことになった。
 アキは絶対に客と本番はしないと言っていたのに、アキの客は私に本番を強要した。
 私がイヤだと断ると、「いいじゃん。アキちゃんだってやってたんだから」と客は言った。
 「うそだ」私が客を突き飛ばすと、客は私の口を押さえつけて、私を無理やり犯した。
 私はアキを軽蔑した。
 みんな死んじゃえばいいのに、私は思った。

 電話はアキからだった。
 私は床に寝転がって、しばらく液晶に映るアキの名前を眺めていた。
 電話は鳴り続けた。
 私はあきらめて電話に出た。
 「ハロー!エブリバディ!」
 アキの大きな声が耳元に飛び込んできた。
 「食ってるカイ?吐いてるカイ?」
 「うん」
 私は小さな声で言ってみた。自分の声を聞いたのは久しぶりのような気がした。
 「さすがっ!」
 アキの声は酔っているようにそこはかとなく明るかった。
 「アキは?」
 「何が?」
 「食べてるかい?吐いてるかい?」
 「そんなに食べてない。それどころじゃなくてさぁ。ニューヨークは刺激的な街だぜ!ピューゥ!」
 心臓がずきんとした。
 アキに裏切られたような気がした。
 本当は自分だって何も食べていないのに。
 あんなに食べていたのに、私は食べ方を忘れてしまっていた。
 「アキ、ガリガリになっちゃうね」私は言った。
 「ちょうどいいよ。あんな遊びずっと続けていたら、吐いたって、結局はちょっと太っちゃうんだ」
 「そうだね」
 私は仰向けになって天井を見つめた。
 「なあ、それよりオレ、今何してると思う?」
 「わからない」
 「いいから、何してると思う?」
 「何?」
 「まな板!」
 「え?」
 「腹の上に寿司のっけられて皿になってんの。ケッサクだろ?真っ裸で、ヒール履かせられてM字開脚。ケッサクだろ?このド変態野郎!クズ野郎!死ね!バカ!」
 アキが大きな声でわめいている。
 「ねえ、いつ帰ってくるの?」私は言った。
 「さあ、まだわからないな。だって、こっちの夜景って最高なんだ。みんなアホだから日本語わかんねーし。おい!クソ!このチンカス野郎!アハハハハ」
 私は電話を切った。
 
 次の日、私は店の客とドライブに出かけた。
 初めて店にきた客だった。
 「夜景が見たい」私は言った。
 車は首都高に入った。
 「はい」
 客はハンドルを片手で握りながら、私に何かを差し出した。
 それはミッキーマウスの顔がぎっしり並んだ、ボール紙みたいなトランプ大のカードだった。
 「何これ?」私は客の男に聞いた。
 「おやつ」男は言った。
 「そのミッキーをさ、1つちぎって舌の上にのせてごらん」
 私はそれがドラックだって気づいたけてど、男の言う通りにした。
 ビルの灯りがイクラのように赤く点滅していた。
 「きれい」私は言った。
 車はカーブをいくつも曲がって、らせん状の道路を滑り降りる。
 まるで手で触れられるくらいに、ネオンが目の前に迫ってくる。
 光がにじんでゆらゆらと揺れている。
 いつの間にか街の夜景は、お寿司ランドのようになっていて、たくさんのお寿司たちが点滅したり、踊ったりしていた。
 「何これー」
 私はおかしくなって、くすくすと笑った。
 
 次の日から私はその男と暮らすようになった。
 私は男のことをママと呼んだ。
 ママはそれほど悪い人じゃなかった。
 私にドラック代を請求しなかったし、何の強要もしなかった。
 一度はママの仲間たちとピクニックへ出かけた。
 私たちは牧場に忍び込んで牛のウンコに生えているキノコを摘んだ。
 焚き火を囲んで、キノコ入りのカレーをみんなで食べた。
 そのキノコを食べるときれいな幻覚がたくさん見えた。
 花火のような大きな丸がいくつも目の前に浮かんだ。
 たくさんの丸が、たくさん重なって、どんどん重なって、いろいろな丸が、きれいな丸が、いっぱい広がって、いっぱい私に押し寄せてきた、、、。

 私は1日のほとんどをベッドの中で過ごすようになっていた。
 電話が鳴った時、私は自分が歯磨き粉のチューブになっていると思い込んでいて、電話に出ることができなかった。
 私はかろうじて首を横に動かして、テーブルの上に置かれた携帯電話のディスプレイでアキからの着信を確かめた。
 電話に出なきゃと思ったけれど、歯磨きのチューブには手が無かった。
 私は死にそうになっていて、アキに助けてもらいたかった。
 歯磨き粉のチューブはどんどん巻き上げられいく。
 バカみたいな話だけれど、チューブが上まで巻き上げられたら、私は頭を爆発させて死ぬのだ。
 そんなことないって思うのに、巻き上げられた下半身の感覚はすでに消えてしまっている。
 代わりに顔は、首を締め付けられたように熱くて、首筋と額の血管がドクドクと波打っていた。
 ママはベッドで隣に横たわって、目を見開いたまま金魚のように口をパクパクさせている。
 もうダメなのかもしれない。
 そう諦めかけたとき突然、部屋の電話が鳴った。
 電話が留守番電話に切り替わる。
 アキだった。
 そういえば、ドラックを始めて間もないとき、私はふと怖くなってアキにママの自宅の番号を伝えておいたのだ。
 「なあ、ニューヨークで個展を開くことになったぞ。すごいだろ?サキも来いよ、、、、」
 「アキ!」
 私は起き上がって電話に飛びついた。
 手足がありえないくらい痺れていた。
 「どうしたんだ?」
 電話の向こうでアキが驚いたように言った。
 「何でもない。私、ニューヨークに行くよ!アキの個展を観にいく」
 私は必死に電話の向こうのアキにそう伝えた。

 それからしばらくアキと連絡が取れなくなった。
 私はあいかわらずママとの生活を続けていた。
 久しぶりにアキから電話がかかってきたとき、私は電話に出なかった。
 携帯の電話が切れて、そして部屋の電話が鳴り、留守電に切り替わった。
 「おい、個展はダメだった。てか、会場ってところに行ったらさ、変態どもに輪姦されちゃったよ。自分の作品に囲まれて犯されるなんてケッサクだろ!ハハハ、、」
 私はその留守電を聞きながらドラッグを吸引していた。
 私は何も思わなかった。
 私はもう心を失くしてしまったのかもしれない。
 
 しばらくしてアキは日本に帰ってきたようだった。
 留守番電話にそうメッセージが残っていた。
 アキはほぼ毎日、何度も電話をかけてきたけれど、私は電話に出なかった。
 アキの電話も少しづつ、間隔が空くようになっていった。
 辛くなると、ママが肩を抱いてくれた。
 
 そんなある日、アキから電話が入った。
 「ロフトのさ、掛けはしごがいきなり倒れてきてさー。鼻の骨、折っちゃったよ。鼻血がドボドボ出やんの」
 部屋の電話が切れると、携帯電話のメッセージを知らせる着信音が鳴った。
 メッセージには鼻にギプスをつけたアキの写真が貼り付けられていた。
 「ウソ。整形したのよ」
 私は画面を閉じた。
 それからまたしばらく毎日、アキからの電話は鳴り続けた。
 電話が鳴らなくなると、今度はアキが鼻の整形をした疑念が頭を支配した。
 それはどんどん膨らんでいって、私だけが取り残されて醜くなっていく妄想に襲われた。
 私は鏡で確認するたびに、自分の鼻が奇妙な形をしていることが気になった。
 そのうち、鼻がろうそくのように醜く溶けて、崩れていく不安で頭の中がいっぱいになった。
 
 私は久しぶりにアキの住むアパートを訪ねた。
 両手にはコンビニで買い込んだ食べ物がはいった袋を下げていた。
 呼び鈴を押してもアキは出てこなかった。
 ドアノブを回すと扉は開いた。
 「アキ、お見舞いにきたよ」
 私は中に声をかけた。返事はなかった。
 私は靴を脱いで中に入った。
 アキはロフトに向かう掛けはしごに寄りかかって死んでいた。
 アキは赤黒い顔をして目を見開いて死んでいた。
 目のまわりを紫色の濃いあざが取り囲んでいた。
 「カエルみたい」
 私はおかしくなってクスクスと笑った。
 どうしてだか、アキの顔は2倍ぐらいに丸く膨らんでいるのだ。
 私はアキの鼻に取り付けられたギプスを外した。
 そこには美しく整った鼻があった。
 鼻の部分だけ白く透けたように見えて、それはそれは生まれたての鼻みたいだった。
 「ほらね。やっぱり、整形したんじゃない」
 私はアキの鼻の頭に指先を押し付けて、醜く潰した。
 それからアキの体をまたいで、はしごに足をかけた。
 
 ロフトにはダブルサイズの布団が敷かれていて、一緒に住んでいた頃のままだった。
 私たちはよくロフトの縁から、下を覗いた。
 「オレたちがいるここは澄んだ青空なんだ。下はゴミ溜め」アキは言った。
 部屋はいつも散らかっていて、いろいろなものを飲み込んだカオスのようだった。
 上から見るアキはまるで、雑居ビルの合間にこっそりと捨てられた生ゴミみたいだった。
 「アキ」私はアキに呼びかけてみた。
 アキは顔を上げて、私に笑いかけた。
 「サキ、焼肉食いに行こうよ。オレもう、腹ペコ」
 「うん」
 よかったと、私は思う。
 バタリと音がして、立て掛けられていたアキの死体が床に転がった。
 アキは見開いた目で、青空を見ていた。
 
 アキ、さみしい、さみしい、さみしい。
 

私たち

私たち

アキと話をしたのは、お店の女の子が死んでしまったからだった。私たちはとてもよく似ていた。私たちは急速に仲良くなった。そして花火のように、あっという間に楽しい時間は終わった。都会の中で小枝にしがみついて生きる、孤独な女の子たちの切ない短編小説。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-08-11

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