清潔と堕天

夕刻

恍惚だ。

世界を二分する様な空だ。
蒼き鮮烈たる夏空と太陽に染まる黄昏の空。

僕はその下に立っている。
自然の孤高な矜持を僕は感じた。

今日も世界は正常に遂行される。
その日あった様々な惨劇を払拭し、綺麗な世界へと戻れるかのように空を、今日を奪い去っていく。

呆然としていた僕はその欲求を感受したような気持になった。

左側に広がるは、河川敷の雑草だ。
さわさわと僕を煽り立てるように揺らぐ背の高い緑。あぁ、そうかこいつらも僕を圧倒しようと必死になっているんだ。なんて卑屈な奴らだ。
自然は傲慢だ。

自然は欲求を満たし続ける。今日は自然により、始発し終焉を迎える。

僕は人工物だ。
僕は僕の人生の欲求をひとつでも満たせるだろうか。
「帰ろう」誰かが笑った。
そうここは自分がいる場所ではないのだ。
帰るべき場所が僕の何処かに存在する筈だ。

恍惚の中で、そんな希薄な想念を感じ続けていた。

早朝

目覚めた。

酷く、恍惚で吐き気のするような自然的な夢だった。僕の人生の中でいつあのような自然が夢に介入する余地ができたのだろうかと思う。
自然とこの人工的な世界は久しいのだ。

僕の中にも自然があるのだろうか。
人工物の僕に自然との邂逅は許されるのだろうか。

僕を形作るのはいくら溯源しても陳腐なくパーツなのだ。そして、この街も部屋も同じだ。
自然は淘汰された。人工物との戦争に、負けた。

僕はベッドから起き上がる。
辺りは清潔感で塗りたくられた真っ白な壁。
卵の殻か。僕は人工物の殻を破れないのか。

僕は玄関まで歩く。
ドアには机よろしく床と水平にされた白い面があり、そこに袋詰めにされた食事が配給されている。
何時に配給されるかはよくしらない、朝起きて気付いたらそこにぽつんといるのだ。

食事のような顔をして当たり前のように乗っているが、僕はこいつみたいな合理主義の象徴が本物の食事ではないことを知っている。云わば、餌だ。
僕は辿った道を逆行して先程寝ていた部屋まで戻る。机と椅子があるので椅子に座ってその袋をあけてそれを食べる。
装飾の余地のない行動だ。それに装飾の余地のない世界でもある。

栄養バランスが個人個人に対してよく調節されており、一日一食で済む"素晴らしい"食事なのだそうだ。
下らないことを僕の救世主よろしく宣っていろ。

僕はこの無色的、無感情、無情緒な世界で生きている。

強制

僕らは生を強制されている。
一昔前は全然違ったことを知っている。

人々はみんな生きるので精一杯だった。誰かが生かしてくれるのではないという覚悟を持っていたし、その分人間は孤独で野性的だったのだ。
孤独。本当の意味の孤独とは、と僕はよく思考する。アカデミー(この時代の教育機関)で教えられた訳では無い。体の、この人工物の内面から浮かび上がってきた感情であった。ちなみに今日はアカデミーは休みである。
この感情は人工物でもあれば、自然であって本物のような気がして僕はそれを掴み取って離さなかっただけだ。
僕のように神経質な奴はアカデミーにはそうそういないが。

「8時から定期検診が始まります。」
機械音声が、この部屋内のアナウンスが告げた。
スピーカーはどこにあるのだ、といつも思う。
生を強制されている証左は、当たり前のようにやってくる食事とこ無償で善意の塊らしい定期検診だ。

異常がないかみるらしい。
僕は形骸化していると思う。だってこんなに綺麗な世界に病気とかいった前時代の流行品は関われるような気はしないじゃないか。

「A7436棟の638号室から917号室の皆さんは視覚調整機構の誘導に従い、8時までに指定された箇所に集合するように。」
どこからかわからない声がもう一度同じようにした。

視覚調整機構。頭部の感覚器官を覆いつぶすものだ。それを装着して、余計なものを見ないよう、しないように誘導される。
過保護な世界だ。

送還

視覚調整機構は、暗闇だ。

ただ、平衡感覚を成り立たせる為だけに拡張現実を見せて矢印を表示している。
しかしこれは単なる拡張現実ではなく、幻想なのだ。全て作られている。視界から余計な存在は抹消している。
同じ棟の人間と喋りながら向かうなんてことはできない。
賢い人間たち、支配者たちが物理的に不可能にした。ほかの人間がいれば、視覚には入ってこないが警告と行動に制御がかかる。
矢印に背くことすらできない。

僕らは何かに導かれるように歩いてゆくのだ。自分の足ではあるが、自分の意思ではない。
自分の存在を正当化できないまま、誘導されてゆく。

自我はもはや不要か?



「こんにちは。A756くん。」
声がした。検診場に到着したらしい。

違う、僕はユゥキだ。と思う。
そんな記号の無機質の臚列にアイデンティティを感じ取れるわけがない。

「もうそれをとっていいよ。」

僕はその声の通りこの不自然の異形な統御の塊を外して横の机に置いた。
そして椅子に座っていた。自覚していなかった。

前にはメガネをかけた男が座っている。
僕らの管理人であろうか。
しかしその他には誰もいない。声も気配もしない。
見渡す限り、薄らとした闇に彩られた白い部屋だった。かなり広かった。
前には歪な機械が沢山置いてあった。

「すこし、ごめんね。」
そう告げた瞬間に僕は拘束された。
手が縛られ、足も縛られた。定期検診でこんなことは初めてだったので酷く動揺した。

「君には少し厄介なものがあってそれを治療しなければならない。わかっているかい」

言葉の意味は理解できるが、厄介なものそれがなにを指しているのかがよくわからなかった。

僕は首を横に振った。

「わからない、という顔をしているね。すごく肥大しているものだよ。もう一度問いかけてごらん」

といった。
意味がわからない。僕は目をキョロキョロさせて、あたかも許しを乞うようにいった

「わかりません」

声は震えていた。意識したわけではなかった。
視界が揺蕩うような気がしてきた。この清潔で統制された世界の輪郭がぼやけ始めた。
それと同時に猛烈な汗をかいてきたことがわかった。呼吸も荒くなってきた。

「目隠しをするかい」

と彼は聞いた。意味がわからなかったので
首がもげるような勢いで振った。

その状況は、世界から急に追い出されたようだった。これまで普遍と管理が徹底されて安心ではあるが孤独だった世界から急に追放されたようなそんな。

即座、頭がカチ割られるような痛痒を感じた。
僕は呻き声をあげた。
出したことのないこの世界に似合わない声だった。

次には皮膚のしたに虫が這っているような感覚をその痛痒のさなかに掴んだ。
気づかなければよかったと思った。

視界はさらに歪んだ。

「いいかい」
彼は僕の視界に辛うじて確認した。
そして指を顔の横に立てた。
息を吸ってから言い始めた。
「クローンに、自我はいらないんだ。みんながみんなゾンビであればいい。ゾンビってわかるかな。哲学的ゾンビのことだよ。ただ単に意識のないなか意識のあるように行動する単なる歯車が僕らの理想なことなんだ。君はかなりアカデミーでも成績がいいね。自我ってのは君みたいに真面目ではないにせよ、頭の回るクローンによくできるんだ。そういったクローンは大抵廃棄されるんだけど。まぁ君は研究対象に選ばれたんだ。果てしない痛痒による強制によって自我の崩壊を齎すことができるのかっていうね。まだ試験段階なんだ。君はいい頭脳を持っている。それを反乱に活用する恐れがある、僕らはその頭脳だけ欲しい。君自体はいらないんだ。価値なんてないんだよ。その自我なんかにね。」

「いいかい、君の名前はA756。」

僕はA756。そう言うように催促されたようだった。僕はA756と一体になることをこの激痛の渦中に要求されているのだ。

皮膚の下には虫が這って、耳の中からは彼の声が聞こえる、頭蓋骨は割れそうで足からしたにはナメクジが詰まっている。視界は歪み、綺麗な世界なんてどこにもなくなっていた。
壁には汚らしい小動物が蠢き、鼻の曲がるような臭いがした。彼の顔面にはいくつもの目があるように見えた。
自我が崩れてきたように思えた。そちら側に体を任せたらこの耐え難い激痛は終わるのであろうか。


君の名前は
僕の名前は

「「A756。」なんかじゃない」

君の名前は
僕の名前は

「「A756。」なんかじゃない」

君の名前は
僕の名前は

「「A756。」なんかじゃない」

君の名前は
僕の名前は

「「A756。」なんかじ」

君の名前は
僕の名前は

「「A756。」なんか」

君の名前は
僕の名前は

「「A756。」な」

君の名前は
僕の名前は

「「A756。」」

僕の名前は「A756。」

その視界からみた世界は歪だった.......。

僕は肉体的にA756と同化した。そして僕はどこかに
葬りさられた。暗いくらい、歪んだ歪んだどこかへ。もう僕は僕ではなくなった。
消えてしまった。もう誰に合うこともなければ、無機質な世界を恨むことなんてことはないんだろう。
自我は淘汰された。

僕は自然に還れるのだろうか.......

清潔と堕天

清潔と堕天

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-07-20

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