天使ごっこ
天使ごっこ・幼少
「昨日、寝ていたら枕元に神様がきてね、私を天使にしてくれるって。そう言ったの」
さゆりちゃんは言った。
私はさゆりちゃんがうらやましくて、さゆりちゃんのお弟子さんにしてもらうことにした。
すると、さゆりちゃんは私にいろいろなことを命令した。
私が「イヤだ」って言うと、さゆりちゃんは大きな頭で頭突きをした。
「飛ぶことは天使の基本よ」さゆりちゃんは言った。
私は塀によじ登って上から飛びおりた。
口の中に砂利が入って、ひざの頭を擦りむいた。
私はさゆりちゃんに魔法をかけてもらった。
もう一度、塀の上から飛んでみたけれど、やっぱり私は飛べなかった。
私は両足のひざの頭を擦りむいた。
大声で泣いたら、さゆりちゃんが大きな頭で頭突きをした。
私はお砂場で砂鉄を集めた。
「砂鉄は魔法の粉なのよ」さゆりちゃんは言った。
私は磁石の先についたトゲトゲのお砂を指でつまんで、キャラメルの箱に入れていった。
「いい?見てらっしゃい」
さゆりちゃんはそう言うと私の手からキャラメルの箱を奪い取った。
「花よ、咲け。花よ、咲きなさい。咲いて、春を連れておいで」
さゆりちゃんは歌うように呪文を唱えると、ひらひらのスカートを回転させて、枯れた花壇に魔法の粉をかけた。
花は咲かなかった。
さゆりちゃんは枯れ木の幹に魔法の粉をふりかけた。
「果物よ、実りなさい。実って夏を呼んでおいで」
果物はならなかった。
さゆりちゃんは私に頭突きをした。
私は木をそっと撫でて、小声で言った。
「果物、なあれ」
すると、木の枝の間に見たこともない実ができた。
私はうれしくなって、さゆりちゃんをふりかえった。
さゆりちゃんはそこにはいなかった。
さゆりちゃんは池の前にいた。
「氷よ、とけなさい。氷よ、とけろ。これは神様からの命令よ」
さゆりちゃんは凍った池に魔法の粉を投げつけた。
だけど、氷は溶けなかった。
さゆりちゃんは池の氷に頭突きをした。
私は氷がかわいそうになって、いい子いい子してあげたら氷は溶けた。
赤い金魚が顔を出した。
私は急いで、さゆりちゃんを振り返った。
だけど、やっぱりさゆりちゃんはそこにはいなかった。
「あのね、さゆりちゃん」
私はさゆりちゃんを追いかけていった。
「遅い!」
さゆりちゃんは仁王立ちになって私を睨みつけた。
「ごめんね、さゆりちゃん。あのね、、」
さゆりちゃんが今にも頭突きをしそうな顔をしているので、私は黙った。
「あれをご覧なさい」
さゆりちゃんが指差した方を見ると、ベンチに小さな姉弟が座っていた。
「天使の本当のお仕事はね、人を幸せにしてあげることなのよ。いい?見てらっしゃい」
さゆりちゃんはそう言うと、自分の頭に魔法の粉をふりかけて姉弟に近づいていった。
「どうして泣いてるの?私が何でも解決してあげるわよ」
さゆりちゃんは姉弟に話しかけた。
「パパとママがけんかをしたの」女の子が言った。
「パパがママをぶったの」男の子が言った。
「その話、もっとくわしく聞かないと」さゆりちゃんは言った。
「パパとママはいつもは仲良しなのね?」さゆりちゃんは聞いた。
姉弟はうなずいた。
「パパとママは手を繋ぐの?」
「出かけるときはいつも手をつないでるよ」男の子が言った。
「じゃあ、キスもする?」
女の子が慎重に頷いた。
「パパとママは同じベッドで寝るの?夜中に変な声が聞こえてこない?」
「ヘンタイ!」
女の子がさゆりちゃんに石を投げた。
男のがさゆりちゃんのスカートを引っ張った。
女の子がさゆりちゃんの脛を蹴った。
男の子がさゆりちゃんの背中をぶった。
さゆりちゃんは地面にうずくまって、姉弟にボコボコにされた。
さゆりちゃんは大きな頭を両手で抱えて、嵐が通り過ぎるのを待っていた。
しばらくすると姉弟は笑顔になって帰っていった。
「どう?あの子たちを幸せにしたわ」さゆりちゃんは言った。
「すごい。さゆりちゃん、2人ともニコニコ笑っていたよ」私は言った。
「ところで、あんた。どうして、私を助けなかったのよ」
私は困って舌を出してごまかした。
さゆりちゃんは私に頭突きをしなかった。
おでこを怪我していたのだ。
それにすごく疲れているみたいだった。
「あんたも少しぐらいは人の役に立つようなことをしなさいよ」
「うん」
「いい?今日中に誰かを1人幸せにするのよ。わかった?これは天使の宿題よ」
「うん」
「あんた、天使って大変なんだから。なめてるとひどい目に合うんだから」
そう言うと、さゆりちゃんは足を引きずりながら帰っていった。
辺りはもう暗くなりかけていた。
私は急いで困っている人を探した。
貝殻のすべり台に女の人がいるのを見つけて、私は声をかけてみた。
お砂場のすべり台は大きな巻貝の形をしていて、てっぺんに秘密の小部屋があるのだった。
「何かお困りごとはありませんか?」
部屋の中から振り返った女の人は泣いていた。
私はうれしくなった。
「私は天使のお弟子さんです。何でも解決してあげますよ」
「あら、かわいいわね。それじゃあ、お願いしようかしら。実はね、昨日ここで大切なイヤリングを失くしてしまったの」
私は女の人を押しのけて、小部屋の中を隅々まで探した。
でも、イヤリングは見当たらなかった。
「ありません」私は言った。
「真珠のイヤリングよ?」
「ありません」私は言った。
「おかしいわね。昨日、彼とこの部屋で、、、」
「この部屋で?」
「子供が変な詮索をしないでちょうだい」
女の人は顔を赤らめてぷいとそっぽを向いた。
「ああ、どうしよう。彼からプレゼントしてもらったイヤリングを失くしたなんて知られたら、きっと彼に嫌われてしまうわ」
女の人はまた泣き出した。
「じゃあ、イヤリングを失くしたことがバレなければいいんですね」私は言った。
「そうね。でも、そうじゃないかも。だって彼、最近冷たいんだもの。もしかして、他に好きな子ができたんじゃないかしら?もし、そうだったら私、どうすればいいの?」
「じゃあ、彼があなたにやさしくすればいいんですね?」私は言った。
「そんなことないわ。偽りの優しさだってあるもの。浮気がバレないために優しくされたって、そんなのうれしくとも何ともないわ」女の人は大げさに泣き伏せた。「ああ、私がこんなに愛していると言うのに、どうして彼はわかってくれないのかしら?」
「じゃあ、あなたの愛を彼に伝えてきますよ」私は言った。
「あんたってバカじゃないの。そんなことしてご覧なさいよ。彼の思う壺よ」
「じゃあ、どうしたらいいんですか?」
「そんなこと自分で考えなさいよ、バカ」
私はだんだん悲しくなってきた。
「早く帰らないとすごく怖いお母さんがおうちで待っているんです」私は言った。
「そんなこと知らないわ。私は助けてなんて言ってないわ。あんたが勝手におせっかいを焼いたんじゃない。こうなったら、幸せにしてもらうまで帰らせないんだから」
女の人はいつの間にか目を釣り上げて、キツネのような顔になっていた。
「何でも言うことを聞くから、どうすればいいか教えて」
私は泣いてお願いした。
「そうね。私がいちばん望んでいる通りにしてちょうだい」
女の人はキツネのような目をパチパチさせて、せせら笑った。
私は立ち上がると、天の神様にお願いした。
「この人がいちばん望んでいるようにしてください!」
すると、女の人のお尻がむっくりむっくり大きくなって、貝の小部屋の入り口を塞いでしまった。
「ぐう」中から女の人の苦しそうな声がした。
それでもお尻はどんどん、どんどん大きくなって、スカートがめくれ上がって、下着が剥けて、つるりと大きなお尻が顔を出した。
お尻が何か物欲しそうにお口をパクパクしてるので、魔法で咲かせたお花をあげたら、お尻はお花をおいしそうにむしゃむしゃ食べた。
天使ごっこ・思春期
私たちはあっという間に大きくなって、中学生になった。
さゆりちゃんは色気づいて、男の子たちに告白してはフラれている。
さゆりちゃんは相変わらず頭が大きくて、漬け物石みたいな顔の形をしている。
私は美人になった。
でも、男の子にはあまり興味がない。
私たちはまだ天使ごっこを続けている。
でも、さゆりちゃんは最近、儀式ばかりしている。
「この媚薬を混ぜて、50人分のチョコレートを作るのよ」
「はい」
私はまだ、さゆりちゃんのお弟子さんなのだ。
さゆりちゃんは儀式で作った媚薬の入った茶色の小瓶を私に渡した。
その媚薬には残酷なものがたくさん詰まっているのだ。
私はハート形をした型に、溶かしたチョコレートを流し込んで、バレンタイン用のチョコレートを作っていった。
アーモンドを落として、私は魔法で作った愛のエッセンスをチョコレートにふりかけた。
これで間違いなく50人の男の子たちは、さゆりちゃんに恋をする。
空中には何でもあって、そこから必要なものをつかまえてふりかければ、魔法は簡単にかけられるのだった。
そのことをさゆりちゃんに教えてあげたいのに、さゆりちゃんは少しも私の言うことを聞かないで儀式ばかりしている。
私は媚薬の入った小瓶をゴミ箱に捨てた。
それから自転車にまたがると、チョコレートを男の子たちの家に配った。
放課後、私とさゆりちゃんは、町のショッピングビルの屋上で待ち合わせをしていた。
さゆりちゃんは先に来て待っていた。
「早引けをしたのよ。知らなかった?」さゆりちゃんは言った。
「知らなかった」
私とさゆりちゃんは同じ中学校に通っていたけれど、違うクラスなのだ。
さゆりちゃんは黒くて硬い髪の毛を巻き毛にして顔に貼り付けてお洒落をしていた。
さゆりちゃんは漬け物石のような大きな顔を気にしているのだ。
それに今日は制服のスカートのウエストをたくし上げて、ミニスカートにしていた。
さゆりちゃんは早く処女を捨てたがっているのだ。
「処女を捨てたら天使じゃいられなくなるけど、でもいいの。私は魔女になるんだから。小悪魔的な~」
最近のさゆりちゃんはそればかり言う。
「さゆりちゃん、待っててね。もうすぐ男の子たちが来るからね」私は言った。
「小悪魔的な~」
さゆりちゃんは指に毛先を絡めて言った。
でも、1時間待っても男の子は1人も来なかった。
私は少し心配になった。
さゆりちゃんの長い髪の毛は冷たい風にもつれて蛇のように絡み合っていた。
さらに1時間が経っても、男の子は誰も現れなかった。
「あれ、おかしいなあ」私は焦った。
「あんた、チョコレートに媚薬を入れ忘れたんじゃないでしょうね」
さゆりちゃんが私を睨んだ。
「ちゃんと入れたよー」
私はどきどきしながら言った。
間もなく日が暮れようとする頃、私はさゆりちゃんに泣きながら謝った。
「さゆりちゃん、ごめんなさい。本当は媚薬をチョコに入れなかったの」
「なにい?どうして入れなかった?」
さゆりちゃんは恐ろしい顔をした。
「だって、だって、私の魔法でどうにかなると思ったんだもん」
「お前の魔法?バカめが!」
さゆりちゃんが大きな頭を勢いよく振り下ろした。
私は咄嗟に両手で頭をかばった。
だけど、さゆりちゃんの頭は私の頭じゃなくて、足元のコンクリートを打ち付けた。
「どいつもこいつも私をバカにしやがって!」
さゆりちゃんは何度も何度も頭をコンクリートに打ち付けた。
地面に亀裂が入って、私はとても恐ろしくなった。
「さゆりちゃん、ごめんなさい。お詫びに魔法で願いを叶えてあげるから、何でも言って」
私は泣きながらさゆりちゃんに謝った。
「お前の魔法?誰が信用するかー!」
さゆりちゃんは額から血を流して荒れ狂っていた。
私は立ち上がって天の神様にお願いした。
「どうか、さゆりちゃんの願いを叶えてあげて」
すると、不気味な音が轟いてピカリと光ると、空が真っ二つに裂けた。
「オマエ、私に何をしたー?」
その声に見上げると、さゆりちゃんはいつの間にか山のように大きくなって、怖い顔で私を見下ろしていた。
「だって、さゆりちゃんがいつも悪魔になりたいって言っていたから」
「たわけが!私がなりたいのは小悪魔だ」
「違うの?」
「違うわ、ボケ!」
さゆりちゃんの髪の毛は本物の蛇になって、シャーっと私に襲いかかった。
私は怖さのあまり、頭を抱えてしゃがみこんだ。
すると、ビルの下の道路をこちらに向かって歩いてくる男の子たちの団体が目に入った。
私がチョコレートを配った男の子たちに違いなかった。
よく見ると男の子たちの頭と足はバラバラの方向を向いている。
きっとすごく抵抗したのに違いなかった。
でも、私の魔法の威力には勝てないのだ。
男の子たちはいよいよ屋上に登ってきた。
「ほら、さゆりちゃん。男の子たちがきたよ。たくさん!」
私はさゆりちゃんに言った。
さゆりちゃんはチラリと一瞥すると、するどい爪の先で小魚のように男の子たちをすくい上げ、ぺろりと食べてしまった。
さゆりちゃんはほろ苦い顔をして目を細めた。
「さゆりちゃん、、、」
私はがっかりした。
さゆりちゃんは大きくなり過ぎてしまったのだ。
さゆりちゃんは蛇の髪の毛を振り乱して、町を破壊しようとしていた。
私はもうどうしたらいいかわからなかった。
「やめろ!」
声をあげたのは、同じ中学校の制服を着た男の子だった。
一人だけさゆりちゃんに食べられずに生き残っていたのだ。
私はその子のことを知っていた。
今日の昼休みに、廊下でさゆりちゃんが無理やりキスをさせられていた相手の男の子だった。
さゆりちゃんはクラスでいじめられているのだ。
私はうれしくなった。
この男の子こそが、さゆりちゃんの運命の人に違いなかった。
さゆりちゃんはジロリとこちらに目を向けると、ゆっくりと男の子に顔を近づけた。
男の子は逃げることなく、勇敢にさゆりちゃんを見つめ返した。
でも次の瞬間、さゆりちゃんは鋭い爪で、男の子の首元を掻き切ってしまった。
噴水のように血が飛び散った。
私はまたがっかりした。
「好きだったのにー!」
頭の上から雨のように大粒の涙が降ってきた。
「好きなのにどうして殺しちゃたの?」私は呆れて言った。
「だって、反射的にイラッときて」
「バカ」
「お願い。彼を生き返らせて!」
「死んだ人を生き返らせたらダメなの。天使の掟よ」
私は厳しく言った。
さゆりちゃんはわんわん泣いた。
「わーん。天使が悪魔になって人を殺したなんて神様にバレたら、業界から抹殺されちゃうよー!」
さゆりちゃんが泣き続けると、道路はアマゾン川のようになって、どんどん人が流されていった。
もうこの世の終わりのような景色だった。
私はさゆりちゃんが気の毒になった。
もとはと言えば、私が悪魔と小悪魔を間違えたせいなのだ。
私はよくよく考えて、もう一度さゆりちゃんに魔法をかけた。
さゆりちゃんの体は雷で打たれたようにビリビリっと震えると、小さく、小さくなって、ロバになった。
「さゆりちゃんはもう天使でも悪魔でもないから、神様に抹殺されないよ」
私はロバの背中に男の子の死体をくくりつけた。
「さあ、仲良く空にお帰りなさい」
私はロバのお尻をポンポンと叩いた。
ロバは何か言いたそうにしてけど、そのうち諦めたように、お空にトコトコ登っていった。
天使ごっこ・成熟期
リリーさんは天使というより女神という感じの人だった。
たっぷりした長い髪、潤んだ瞳、それにいつもとてもいい香りがした。
私は花に吸い寄せられるミツバチのように、リリーさんのお弟子さんになることに決めた。
リリーさんの周りにはいつも天使のように美しい男の子たちが取り巻いていた。
リリーさんのお世話はすべて、男の子たちがやった。
でも、リリーさんは優しいから、私を近くにおいてくれた。
ある日、私はリリーさんの家にお呼ばれをした。
お城みたいなお家かと思ったら、とても小さな古いお家だった。
平屋で錆びたトタン屋根には、漬け物石がいくつも置かれていた。
扉を開くと、玄関までゴミが溢れていた。
「驚いた?」
リリーさんは私の顔を覗き込んで微笑んだ。
「わかりました。リリーさん。このお家のお掃除をすればいいんですね。簡単です。あっという間に魔法できれいにしてあげますよ」私は言った。
「違うのよ、おちびちゃん。ここはこのままでいいの」
リリーさんはそう言うと、私のあごを引き上げて唇にキスをした。
私はどぎまぎした。
廊下にも部屋の中にも足の踏み場のないほど、コンビニ弁当やカップ麺の空き容器や缶チューハイの空き缶が散乱していた。
「さあ、どうぞ」
リリーさんはちゃぶ台の上のゴミをかき分けると、そこにお茶を出してくれた。
湯飲みのお茶碗は縁が欠けていて、茶しぶがたくさん付いていた。
「どう?驚いている?」
リリーさんは楽しそうに私の顔を覗き込んだ。
「はい。驚いています」私は言った。
「あなたって本当にかわいいわね」
リリーさんはまた私にキスをした。
私は恥ずかしくなって俯いた。
その時だった。
リリーさんの後ろで赤い布がチラチラと動いた。
リリーさんは私の視線に気づいて、後ろを振り返った。
リリーさんは立ち上がって後ろの襖を開けると、「この色魔め!」と中にいたおばあさんを怒鳴りつけた。
私はびっくりして飛び上がった。
おばあさんも目をぱちくりさせた。
「さあ、おチビちゃん。私のおばあ様を紹介するわ」
リリーさんはいつもの優しい声に戻って言った。
「こんにちは。おばあさん」
私はおばあさんが差し出してくれた手を握って握手をした。
途端におばあさんは私をせんべい布団の中に引き込んでしまった。
私が布団の中でもがいていると、リリーさんが容赦なくおばあさんのお尻を短いムチでぶった。
「ごめんさいね、おチビちゃん。おばあ様ったらすっかり色ボケしてしまって。でも、私にとってはかけがえのない家族なのよ。だって、私はおばあ様に育てられたんだもの」
リリーさんは涙ながらにそう言った。
リリーさんはドレスのようなすごく素敵な服を着ているのに、おばあさんは擦り切れた赤い長襦袢を着ていた。
家族って不思議だ。
「ねえ、おチビちゃん。私の特技を見せてあげましょうか」リリーさんが言った。
「はい。お願いします」私は言った。
私は少し頭がゆるいのでリリーさんからおチビちゃんと呼ばれているのだ。
リリーさんはゴキブリのような素早さで、カップ麺のゴミから残ったスープをお椀にかき集めると、そこにお湯を注いだ。
「さあ、おばあ様。松茸のスープですよ」
リリーさんはそう言って、おばあさんにお椀を手渡した。
「ああ、美味しいね。松茸のいい香りだ」
おばあさんはスープをすすると、歯のない口でにっこりと笑った。
「おばあ様はね、松茸のお汁が大好きなの。だから、私がカップ麺のスープを調合して、松茸にそっくりな味を作って差し上げてるの」
リリーさんは私の耳元でそう囁いて、頬にキスをした。
「本当の松茸を食べさせてあげればいいのに」私は言った。
「もう。わかってないのね、おチビちゃん。本物なんて、つまらないじゃない」
私はよくわからなくなった。
「でも、私なら魔法で本物の松茸スープを出してあげられますよ?」
「本物?魔法で出したものが本物だって言うの?」
リリーさんは驚いたように目を見開いた。
「ごめんなさい。わかりません。でも私、リリーさんのお役に何も立てていないので、せめてお掃除をさせてください」
私はリリーさんにお願いした。
「もうおチビさんったら、本当に。お掃除をしてしまったら、特製の松茸スープが作れないじゃない。ここにあるのはゴミじゃなくて、私の宝物なの。これは私にとって財産よ。魔法で人の楽しみを奪ってはいけないわ」
「ごめんなさい」
私の目から涙がこぼれた。
すると、リリーさんは私の唇を奪って、舌を入れてきた。
私は本当に何が何だかわからなくなってしまった。
それから間もなくして、リリーさんのおばあ様は亡くなった。
リリーさんはとても悲しんだ。
悲しみのあまり、リリーさんも病気になってしまった。
病院のベッドの周りを天使のような美しい男の子たちが取り巻いていた。
男の子たちは心配そうにリリーさんの顔を覗き込んでいた。
リリーさんは一人一人の男の子の手を取って言った。
「私は間もなく人魚のように声を失うの。でも、いいの。あなたたちに愛されて私は十分幸せだったもの」
リリーさんが真珠のような美しい涙を流すと、男の子たちも涙にくれた。
リリーさんの喉には腫瘍ができていて、手術で声帯を取らなければならないのだ。
「リリーさん、私が魔法で病気を治してあげられますよ?いえ、是非そうさせてください」
私は病室の隅からリリーさんに話しかけた。
リリーさんと男の子たちはチラリと私を一瞥すると、またひそひそ話しに戻っていった。
リリーさんは美しい声を失った。
しばらくは天使のような男の子たちと筆談をして、人魚ごっこを楽しんでいたけれど、それに飽きるとリリーさんはあっという間に病気を全身に広げてしまった。
再び、天使のような男の子たちは悲しみに暮れた。
男の子たちは、リリーさんの看病を懸命に続けた。
男の子たちは、リリーさんのために祈りを捧げた。
男の子たちは、リリーさんの手を取って励まし続けた。
不思議な治療法を見つけてきた男の子もいた。
だけど、リリーさんの病気は一向に良くならなかった。
「あの、私が魔法で治しましょうか?」
私は誰にも聞こえないように小さな声で言ってみた。
もちろん、その声は誰にも聞こえなかった。
こうしてリリーさんは白い煙になってお空に登っていった。
私はとても悲しかった。
リリーさんのことが好きだったからだ。
残された男の子たちの悲しみようもなかった。
天使のように美しい顔はげっそりと痩せてしまった。
私はかわいそうになって、男の子たちに声をかけた。
「私が魔法で、心の傷を癒してあげましょうか?」
男のたちは口々に言った。
「そんなことより、僕を慰めておくれよ」
男の子たちは私の体にのしかかってきた。
私は苦しいやら、気持ちいいやらで、お空に向かって大きな声を上げた。
天使のお仕事ってやっぱり大変、と私は思った。
天使ごっこ